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芥川龍之介作品解釈辞典(三)

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(1)Title. 芥川龍之介作品解釈辞典(三). Author(s). 西原, 千博. Citation. 札幌国語研究, 12: 11-24. Issue Date. 2007. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2483. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 芥川龍之介作品解釈事典. ︽前口上・上塗り︾. ︵三︶. 西. 原. い少年の胸には、焦げ破れた衣のひまから、清らかな一ろの. られい。猛火を後にして、垣のように倖んでいる奉数人衆、. おう、﹁ろおれんぞ﹂は女じゃ。﹁ろおれんぞ﹂は女じゃ。見. た面輪にも、自らなやさしさは、隠れようすべもあるまじい。. 乳房が、玉のように詰れて居るではないか。今は焼けただれ. 学の改組により二〇〇五年度終了させられた。︶ の講義. 邪淫の戒を破ったに由って﹁さんた・るちや﹂を逐われた﹁ろ. 本稿は北海道教育大学札幌校の教養科目・文学1 ︵大. なお、本文の引用は、作品の題名をふくめて、講義の. おれんぞ﹂は、傘張の娘と同じ、眼なぎしのあでやかなこの. を一花にした芥川龍之介作品の解釈の試みの続稿である。 テキストであった、ちくま文帝版芥川龍之介全集によっ. 国の女じゃ。. いた場面であり、宗教的な感動を描いたものでもある。しかし、. かも﹁でうす﹄ の御声が﹂とあるように、﹁剃那の感動﹂を描. これはこの後に、﹁まことにその剃那の尊い恐しさは、あた. た。. O﹁奉数人の死﹄ ︵﹁三田文学﹂大七・九︶. 同時に石割道民が﹁この際の語り手には、︵括らかな乳房︶とい. 我々 ︵読者︶ が﹃奉数人の死﹄を読んでいちばん感動するの は、火の中に飛び込んだ﹁ろおれんぞLが﹁この国の女﹂だっ. ロティズムさえ感じさせる。けれども、だからこそ、ここに一. 家−中期作品の世界﹄−有精立刊︶ と指摘しているように、エ. いたのであろうが﹂ ︵﹁r奉数人の死﹄−¶︵芥川︶とよばれた作. う、美少女のなまな肉体を目にした、︵エロス的感動︶が伴って. きりしと﹂ の御血潮よりも赤い、火の光を一身に浴びて、声. 見られい。﹁しめおん﹂。見られい。傘張の翁。御主﹁ぜす・. たと解る場面だろう。. もなく﹁さんた・るちや﹂ の門に構わった、いみじくも美し. 11.

(3) な二つの乳房﹂を隠そうとはしなかったのだろうか、というこ. つの単純な疑問が生まれるのである。なぜ、誰もその﹁清らか. んぞ﹂ の姿は、﹁この国の女﹂ の最期としてあまりに無惨であ. 少なくとも人前に﹁乳房﹂を曝したまま最期を迎えた﹁ろおれ. となど、何とも思わない朴念仁なのだろうか。何はともあれ、. この作品は芭蕉の臨終に立ち会った弟子たちの姿を描いたも. ○¶枯野抄﹄ ︵﹁新小説﹂大七・十︶. 女がいたではないか。︶. ると言えるだろう。︵あの﹁メロス﹂には、マントを捧げた少. とである。 ﹁ろおれんぞ﹂は火事場に飛び込んだ後、﹁しめおん﹂にか ろうじて救い出されるが、﹁しめおん﹂の介抱をうけながらも︵介 抱をしていながら、なぜ気づかなかったのだろうという疑問は ともかくとして︶、﹁最期もはや遠くあるまじい﹂状態となり、. のだが、その描き方には一つのパターンがあるのではないか。. 先の引用に続くのである。﹁見られい﹂と、﹁しめおん﹂や﹁傘 張の翁﹂などにその﹁乳房﹂を曝すことになるのである。無論、. の内から外へとまわりこんだとき、その外からの観察的な視. 作者は、人物の内と外へ自由に出入りします。一人の人物. この点についてはすでに広末保氏の指摘がある。. しかし、﹁少年﹂ならいざしらず、﹁この国の女﹂ の﹁乳房﹂を. させ、次第にその内側にはいりこんでいくといった方法も使. 線または推測的観察の−をそのままつぎの人物の上に移動. のだから、これを隠してしまったら、そのことに気づかない。. この﹁乳房﹂によって﹁ろおれんぞ﹂が女であったことが解る. わざわざ皆に見るようにいうこと、それは逆に﹁この同の女﹂. していくこのような小説のあり方は、︵外側・内側︶という基. 登場人物の心理の、外から内へ、内から外へと次々に進行. これを踏まえて、伊藤一郎氏にも次のような指摘がある。. ︵﹁芥川と芭薫など﹂−駒尺善美福﹃芥川龍之介作品研究し所収︶. われています。. ということに反するのではないだろうか。言い換えれば、作者. い、つことである。それでは ﹃.蜜柑L ︵﹁新潮﹂大八・五︶ におけ. が作品を展開するために﹁乳房﹂を利用しているにすぎないと る空に浮かんだ﹁蜜柑﹂と何等変わることがないのではないか。 つまり、﹁乳一屈﹂は物となり、道具となってしまうのである。 その結果﹁女﹂もまた、生身の女ではなくなる。. 本的構造を明示する。外側の悲しみに満ちた顔付きに対して、. いえよう。. 花屋の羞座敷の凍てつくような冷たさまで、一貫した構造と. つまり、いわゆる、人情. と非人情、温と冷の対比で、大阪の町の小春日和の暖かさと、. 内側のエゴイスティックな心理. ﹁乳房﹂は﹁女﹂を示すためのものとしては代表的なもので られい﹂と人々に曝されること、それは、﹁女﹂としての存在. あるが、同時にそれが曝されたままであること、ましてや﹁み. なるのだ。それとも、作者は﹁女﹂が﹁乳房﹂を曝しているこ. を無視していることになるのであり、かえって﹁女﹂が不在と. 12.

(4) ︵﹁あこがれと孤独龍之介﹃枯野抄Lの成立考−﹂−﹁文学﹂. 上った自分たち人間をどうしよう。. る。が、それを道徳的に非難して見た所で、本来薄情に出来. に見えて、実は皆自分たちのことしか考えていないのである。. 分たち自身を悼んでいる。外からは師匠の死を悼んでいるよう. ここにあるように、弟子たちはみな師匠の最後を悼まずに自. 昭五十七二ハ︶. さらに、伊藤氏が内面の﹁エゴイスティックな心理﹂にも言及. 内と外を対比的に措きながら、その内面の﹁エゴイスティック. 伊藤氏もまた内と外とが対比的に措かれているとしている。 していることに注意したい。これはこの作品の主題へとつなが. な心理﹂を描くというのが、この作品のパターンとして捉えら. るものでもある。例えば、弟子の一人の﹁其角﹂にしても、 実を云うと彼は、こうなるまでに、師匠と今生の別れをつ. また、対比として、弟子たちがお互いに相対化されて措かれ. れる。. ているという特徴もある。例えば、この ﹁皮肉屋を以て知られ. 測めいた考もなかった訳でもない。︵中略︶ 文字通り骨と皮. げると云う事は、さぞかし悲しいものであろうくらいな、予 ばかりに痩せ衰えた、致死期の師匠の不気味な姿は、ほとん. ﹁去来﹂に﹁小うるさ﹂ いとされることで、この﹁支考﹂の. るさく感じていたらしい。. 眼で押し通そうとする、東花坊のこの性行上の習気を、小う. 独り其角が妙に轢ったい頓をしていたのは、どこまでも白. た﹂﹁支考﹂︵﹁東花坊﹂︶は﹁其角﹂によって相対化されている。. に起こさせた。. ど面を背けずにはいられなかったほど、激しい嫌悪の情を彼 と、悲しみょりも﹁嫌悪の情﹂を芭蕉に対して抱いている。 さらに、この﹁エゴイスティックな心理﹂は﹁支考﹂ によっ. 芭蕉のことよりも自分の感情にだけ日を向けているのである。. 考えも彼の一つのポーズにすぎないのではないかと読者は捉え. しかし、この﹁去来﹂にしても﹁支考﹂によって、相対化さ. ることになる、あるいは、はぐらかされるとも言えるだろう。. て明確に示される。 して見れば師匠の命終に侍しながら、自分の頭を支配して. の世話﹂をヤいたことに満足していたが、﹁人の悪い支考﹂に. れていた。﹁日頃から恭謙の名を得ていた﹂﹁去来﹂は、﹁万端. いるものは、他門への名聞、門弟たちの利害、或は又自分一 りである。だから師匠はやはり発句の中で、屡予想を退くし. 今までの心の調和に狂いの出来た事を意識した。そうしてそ. 人の悪い支考の顔に、ちらりと閃いた苦笑を見ると、急に. 脅かされるのである。. 身の興味打算 − 菅直接垂死の師匠とは、関係のない尊ばか た通り、限りない人生の枯野の中で、野ざらしになったと云っ 師匠を失った自分たち自身を悼んでいる。枯野に窮死した先. の狂いの原因は、始めて気のついた自分の満足と、その満足. て、差支えない。自分たち門弟は皆師匠の最後を悼まずに、 達を欺かずに、薄暮に先達を失った自分たち自身を欺いてい. 13.

(5) に対する自己批評に存している事を発見した。︵中略︶. イストだろう。ここには、小心な善人たちが描かれているに過. 丈州のこの安らかな心もちは、久Lく芭蕉の人格的圧力の. ︵中略︶. もちとが、徐に心の中へ流れこんで来るのを感じ出した。. 従って、限りない悲しみと、そうして又限りない安らかな心. あの老実な禅客の丈州は、芭蕉の呼吸のかすかになるのに. けを考えているかに見える。. 作品の最後に再度登場する﹁丈州﹂も、同様に自分のことだ. ぎない。. もちだったのに違いない。. これは確かに、彼の如き正直者の身にとって、自ら疾しい心 しかし、﹁支考﹂ の視線により自己批評してしまうのは、ま 同株に﹁正秀﹂ の﹁働笑﹂も﹁乙州﹂によって相対化されて. さに﹁正直者﹂ であり、帝人である。. その働実は勿論、悲愴を極めてゐたのに相違なかった。或. いる。. はそこにいた門弟の中には、﹁塚も動けわが泣く声は秋の風﹂. を以て、漸く手足を伸ばそうとする、解放の喜びだったので. 桂桔に、空しく屈していた彼の自由な精神が、その本来の力. つまぐりながら、周閲にすすりなく門弟たちも、眼底を払っ. ある。彼はこの恍惚たる悲しい喜びの中に、菩提樹の念珠を. であろう。が、その凄絶なる可き働冊ぺにも、同じく涙に咽ぼ うとしていた乙州は、その中にある一棟の誇張に対して、−. て去った如く、唇頭にかすかな笑を浮べて、恭々しく、臨終. と云う、師匠の名句を思い出したものも、少くはなかった事. に対して、多少不快を感じずにはいられなかった。唯、そう. ﹁丈川﹂は芭蕉の死の悲しみだけではなく、それとは正反対. の芭祥⋮に礼拝した。 −. と云うのが穏でないならば、働業を抑制すべき意志力の欠乏. であろう。彼の頭が否と云っているにも関らず、彼の心臓は. 云う不快の性質は、どこまでも智的なものに過ぎなかったの 忽ち正秀の某働の声に動かされて、何時か眼の中は涙で一ば. ことだけを考えている﹁エゴイスティックな心理﹂ のように見. と言っても良い、解放の菩びを感じている。これもまた自分の. える。しかし、﹁丈州﹂は最後に﹁恭々しく﹂礼拝している。. いになった。. そこには芭蕉に対する感謝の念が読み取れるのではないだろう. 哀しみを表していると思われる﹁正秀﹂ の働笑も、﹁乙州﹂ めから見れば、﹁誇張﹂として捉えられることが示される。し. ている。そして、その強さこそが師匠としての存在の重さを意. か。解放の煮びとは、それ以前の人格的圧力の強さを逆に示し. 味していた。つまり、ここで﹁丈川﹂は初めて自分における芭. かし、その ﹁乙州﹂もまた涙で一ばいになるのであり、やはり. 荏州の存在の大きさを理解したということではないだろうか。そ. 善人である。確かに﹁エゴイスティックな心理﹂は措かれてい ストとは買えない。他人の視線など気にしないものこそがエゴ. るが、そのエゴイズムに気づく作中人物たちは、単純にエゴイ. 14.

(6) れが﹁悲しい喜び﹂になっているのだろう。すなわち、﹁丈州﹂. のようなところから話者の人格化が起こる。. などの例がある。そして、推測するのは人だけであるから、こ. 肝心なところで話者は作中人物たちを突き放し、批評家的に. もまた芭燕の死の悲しみょりも、自分の芭蕉から解放される喜. 見ている。いや、見下している。それは彼らを﹁生の享楽者﹂︵﹁去. びばかりを感じているようだが、そのこと自体が逆説的に芭蕉 の存在の大きさを示していたのである。それはまた、﹁丈岬﹂. いるころにも見受けられる。この作品に枯野という題名にふさ. 来﹂︶ や﹁人が悪い支考﹂などとレッテルを貼って単純化して. わしいところがあるとすれば、この話者の高みから見下ろす視. して初めて師匠の偉大さが解るということであり、だからこそ その人格的圧力を強く感じるということにもなる。︵この﹁丈州﹂. はみな番人ばかりである。話者の見下す姿勢がこの作品を枯野. 線の冷たさからもたらされるものではないだろうか。弟子たち. だけがそれを解っていたということなのである。偉大な弟子に. いう修飾語にすでに現れていた。︶. 来、全知視点 ︵神の視点︶ と特定の人格を想定させる視点とは. 死亡広告 − 私は陸道へはいった一瞬間、汽車の起っている. ばかりで持ち切っていた。講和問題、新婦新郎、涜職事件、. も、やはり私の憂鬱を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事. しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡して. 場する。. かに忘れることができたという話だが、この話の巾に新聞が登. が﹁小娘﹂の投げる蜜柑に感動して、その﹁疲労と倦怠﹂を﹁怖. ﹃蜜柑﹄は﹁云いようのない疲労と倦怠﹂を感じていた﹁私し. ○﹃蜜柑﹄ ︵﹁新潮﹂大八・五︶. にしているのである。. についての話者の言及が肯定的なのは﹁あの老実な神客の﹂と 師匠の死より自分たちのことばかり考えている弟子たちを描 いたのは、彼らの﹁エゴイスティックな心理﹂を示すだけでは なく、最後で逆説的に芭蕉の大きさを示すための仕掛けだった のである。﹁丈州﹂は他の弟子たちと同じパターンのようであ りながら、その示すものは逆になっていたのである。 もう一つ、この作品の話者について述べておきたい。この作 品の話者は時に全知の視点に立ちながら、時に推‖出したり、意. 相容れないはずのものだが、それがこの作品では入り交じって. 見を述べたりしている ︵広末氏の論にある﹁推測的観察﹂︶。本. 使われている。例えば、先に引用した﹁其角﹂ にしても、﹁実. した記事から記事へ殆機械的に眼を通した。が、その間も勿. 論あの小娘が、あたかも卑俗な現実を人間にしたような面持. 方向が逆になったような錯覚を感じながら、それらの索漠と. ちで、私の前に坐っている事を絶えず意識せずにはいられな. を云えば﹂とその内面について述べながら、﹁﹃生し の享楽家た 呪う可き自然の威嚇だったのであろうか。﹂と肝心なところは. る彼にとって、そこに象徴された ﹃死﹄ の事実が、この上なく 推測になっているのである。他にも﹁余り強烈だったらしい。﹂. 15.

(7) かった。この隠道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そう あった。. に過ぎるだろうか。︶ そして、その光景とは次のようなもので. するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の. して又この平凡な記事に過っている夕刊と、 − これが象徴. 蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらば. 娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振った. でなくて何であろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴. それらは﹁講和問題、新婦新郎、涜職事件、死亡広告﹂といっ. らと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そうして利. でなくて何であろう。. たもので、むしろ非凡なものばかりとも一﹁=えるものである。﹁講. こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓. 那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴. と思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている. 和問題﹂は第一次世界大戦の彼の﹁講和﹂ であり、世界的に大. 新聞には﹁平凡な出来事ばかり﹂が載っていたとしているが、. きな出来事である。﹁新婦新郎﹂ や﹁死亡広告﹂はどちらも人. 暮色を帯びた町はずれの踏切りと、小鳥のように芦を挙げ. から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に. た三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮な蜜柑の. 報いたのである。. の文芸界﹂ ︵﹁毎日年鑑 ︵大正九年、一九二〇年版︶﹂大阪毎日. 色と ー すべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通り過ぎた。. 生において最も大きな出来事と言ってもよいものである。﹁涜. 新聞社・東京日々新聞社刊、大八・十t一︶ で、﹁本年度の文墳、. 職事件﹂ にしても同様である。現に芥川自身の﹁大正八午年度. 殊に小説界は、別に目ざましい変動も起こらなかったらしい。. つけられた。そうしてそこから、或得体の知れない朗な心も. ちが湧き上って来るのを意識した。. が、私の心の上には、切ない程はっきりと、この光景が焼き. こではそれを﹁平凡な出来事﹂としているのである。一つには. 貧乏なために奉公に出されるなどということは、ごくありふ. 文棉以外、殊に政治経済の万両では、今年の如く波乱の貴殿し. 新聞には常時そのような記事が載るものであり、新聞の記事と. さらに、その娘が弟たちに蜜柑を投げるなどということもこれ. れた平凡な出来事であり、新聞の記事などにもならないだろう。. た年は、珍しかった位であろう。﹂と述べている。しかし、こ. のものが問題なのではなくて、わざと非凡なものを平凡として. しては平凡と言えるかもしれない。けれども、ここでは記事そ. いような平凡な出来市に、﹁私﹂は大きな感動を味わっている。. また平凡な出来事だろう。しかし、そのような新聞にも載らな. 者によって意味をずらされ、異化されている。. それこそが非凡なのだとしているのである。平凡と非凡とが作. いるのではないだろうか。言うまでもなく、この後の ﹁小娘﹂ ︵﹁汽車の走っている方向が逆になったような錯覚を感じなが. の喪柑を投げるという平凡な光景を非凡なものとするために。 ら﹂ というのは、価値の転倒を暗示しているとするのは深読み. 16.

(8) の感動は二つのことから来ている。一つは言うまでもなく、姉 の弟たちを思う気持ちである。もう一つは日の色に染まった蜜. では、ここにある非凡さとはなんだろうか。ここでの﹁私﹂. 供たち﹂と﹁蜜柑﹂だけが語られ、それが﹁この光景Lとして. 景﹂だったと読めばよい。だから、この後に続く文でも、﹁子. えなくても、﹁私﹂にとって大事だったのは、﹁小娘﹂が投げた ということよりも、弟たちに天から蜜柑が降って来るという﹁光. 一流のテクニックだろう。けれども、そのような技巧として捉. 焼き付けられて﹁朗な心もちが湧き上がってくる﹂としている. 柑である。この蜜柑のもたらす感動は姉の気持ちに対する感動 引用した場面に視点の転換があることである。﹁小娘﹂が手を. と同じものであるかに見える。しかし、注意したいのは、先に. 振るまでは﹁私﹂は﹁小娘﹂を見ていた。だが、その後は、﹁見 のである。窓の外の﹁光景﹂として焼き付けられていることに 送った子供たちの上へばらばらと血∴から降って来た﹂と視点が も注意したい。汽車の中には新聞に代表される﹁卑俗な現実﹂ がある。窓の外にこそ現実を超えるものがあるということであ 弟たらの方に移っている。﹁小娘﹂見ていたはずの視点が、弟. のだが。︶. る。︵無論、それは本来紛れもない ﹁卑俗な現実﹂そのものな. 無論、この後で﹁小娘﹂に視点が戻っている。 私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るようにあの小娘. いて、平岡敏夫氏は ¶芥川龍之介と現代﹄ ︵大修館詔店刊︶ に. を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返って、相不変. たちの方に移っているのである。しかも﹁空から﹂と天からの 贈り物のように描いている。このような天に注目する解釈につ. 挙げている。また、さらに汽車の窓が﹁空ほど﹂=冊いはずはなく﹂. おいて、アメリカ人学生が﹁神の加護﹂を読み取っている例を. 呂敷包みを抱えた手に、しつかりと三等切符を握っている。. ももたらされるものだと言えるだろう。しかし、﹁小娘﹂は最. ﹁私﹂は﹁小娘﹂を﹁別人Lのように見ている。単にこの感. 鞍だらけの頼を萌貨色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風. とした上で、次のように述べている。 とすれば、芥川は当然﹁子供たちの上へばらばらと窓から た﹂と許いたということになってくる。 ﹁空から﹂としたことによって、そこに宗教的なこエアンス. 初と何ら変わってはいない。別に﹁小娘﹂は弟たちとの別れを. 落ちて来た﹂と苦くべきところを、あえて﹁空から降って来. を読み取る余地が出来たというのである。前述のようにそれを. 悲しんで泣いたりしているわけではない。﹁小娘﹂にとっては ごく平凡な出来市なのである。それを非凡なものとして捉える. のは、﹁私﹂ の勝手な思い入れである。新聞の記事を平凡な出 来申ととしたことも、自分の価値観において平凡にしたり非凡. 動が蜜柑だけからのものではなく、弟たちを思う﹁小娘﹂から. 可能にしているのが視点の転換なのである。弟たちにまさに恩 寵のように楽柑が降ってくるのである。﹁小娘﹂が弟たちに向 かって投げたとしないのは、視点を転換させて何が起こったの かと、読者の日を引きつけ、その後に謎解きをするという芥川. 17.

(9) にしたりしている点では一緒なのである。だからここにあるの. 現代的に見るなら、作品論と作家論の追いとしても捉えられる. 聞記者﹂とが鑑小目の優劣を競っているだが、その両者の違いは. ある雨の降る日の午後であった。私はある絵画展覧会場の. まず、最初に﹁私﹂が展覧会で一枚の絵を﹁発見﹂する。. ものではないか。. は意外なものを発見した喜びであって、﹁小娘﹂ に対する同情 などではない。例えば、高橋龍夫氏は先の引用について、﹁貧 しい村落の生活に堪え、さらに幼くして奉公に出るような生活. 一室で、小さな油絵を一枚発見した。発見. 者を一個の存在としてヒューマニティックに描出しているとも いえるのではないか。﹂ ︵﹃蜜柑﹄ における手法−﹁私﹂ の存在. い切って彩光の悪い片隅に、それも恐しく貧弱な緑へはいっ. 裟だが、実際そう云っても差支えないほど、この画だけは思. と云うと大袈. の意味−﹂ ﹃芥川龍之介作品論集成第5巻﹄所収︶ と述べてい. て、忘れられたように懸かっていたのである。両は確か、﹁沼. るが、﹁私﹂は自分しか見ていないのではないだろうか。だか らこれに続く作品の最後も自分の感情しか考えていない。. た画そのものも、ただ濁った水と、湿った土と、そうしてそ. の土に繁戊する平木とを措いただけだから、恐らく尋常の見. 地﹂とか云うので、画家は知名の人でも何でもなかった。ま. 物からは、文字通り一顧さえも受けなかった事であろう。. 私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そう たのである。. して又不可解な、下等な、退屈な人生を優に忘れる辛が出来 自分が﹁忘れることが出来た﹂ことが素質であって、くり返 るのであって、﹁輿俗な現実﹂とは繋がらないのである。その. 開化・郡市・映画﹄−翰林書房刊︶ は当時の展覧会の状況を踏. 共氏は﹁展覧会のふるまい−¶沼地﹄﹂ ︵﹃芥川龍之介−絵画・. この ﹃沼地hという小説についての論究は少ないが、安藤公. 現実を﹁僅かに﹂忘れさせるのみである。つまりは、弟たちに. まえて、この小説について詳しく論じている。その論で先の引. すが﹁小娘﹂に対する同情はないのである。感動は窓の外にあ. 天から降ってきた蜜柑が恩寵であったなら、この﹁小娘﹂に出. とは、随分﹁大袈裟﹂な物l﹁=いである。冒頭からこの小品が. ﹁尋常の見物﹂なら一顧だにしない一枚の油絵の﹁発見L. 用について次のように述べている。. 恐ろしく主観体験に共づくことを言明しているといえるだろ. にとっての恩寵だったということなのである。そして、その恩. 会って、そのような﹁光景﹂を見ることができたこともまた、﹁私L. 寵を∴■J祝ぐべく、この作品が書かれたということではなかろう. の展覧会の流行を通して、熱心に行われていたと想像される。. だろう。︵中略︶ 美術展㍍会のまなざしの訓棟は、この当時. う。︵中略︶ 当時の模範的な絵画の読者であると考えられる. か。. この作品では絵画の鑑肯し、がモチーフになっている。﹁私﹂と﹁新. ○岬.沼地﹄ ︵﹁新潮﹂大八・五︶. 18.

(10) 安藤氏が指摘しているように﹁私﹂ の絵に対する態僅は﹁主. ﹁大森の海だってまっ青だあね。﹂. とにもなるだろう。︵ただし、芥川が﹁まなざしの訓練﹂を受. 寅理に違いない。海は実は代柿色をしている。﹂とも思っている。. 考えるのは沖だけ見た大人の誤りである。︵中略︶ 異存のない. もかかわらず、母親には認められない。しかし、﹁海を青いと. ﹁ううん、ちょうどこんな色をしていた。﹂. けていたとは、とても思えないが。︶ また、安藤氏は額縁など. 大人のように常識にとらわれていては、本当の色が解らないと. ﹁海﹂ の色が﹁代楷色﹂に見えたから﹁代緒色﹂に塗ったに. が絵の評価に関わるものと認識されていたという指摘もしてい. いうことなのだろう。ここでも同様にして、草木も緑とばかり. 観﹂的である。そして、現在ではそのような鑑賞のあり方が自. る。ここに掛けてある場所や額緑などに言及があるのは、それ. 限らず、﹁黄色﹂に見えるかもしれないのであり、それが﹁真理﹂. 然なものとなっており、最初に述べた作品論的な鑑賞というこ. らが展覧会場における評価につながっているという認識がある. なのかもしれないのだ。とはいえ、当然普通はそのように﹁黄. はこの後の狂気への伏線でもあるわけだが、同時にこの絵の独. 色﹂ では描かないということが前提となっている。また、それ. この発見した絵は ﹁萄伽Hたる草木を措きながら、一刷毛も緑. からこそだということなのである。 の色を使っていないLというもので、1どこを見ても濁った黄. 創性としても捉えられるのである。そして、この絵に﹁私﹂は. 色である﹂といった絵であった。 この画家には草木の色が実際そう見えたのであろうか。そ. 時の足の心もちまでもまざまざと感じさせるほど、それほど. に従って分って来た。殊に前貝吊の土のごときは、そこを踏む. しかしその画の小に机心しい力が潜んでいる畢は、見ている. ﹁感激を受けた﹂ のである。. を味うと共に、こう云う疑問もまた挟まずにはいられなかっ. 的確に措いてあった。踏むとぶすりと音をさせて躁が隠れる. ろうか。 − 私はこの画の前に﹂り一つて、それから受ける感じ. れとも別に好む研があって、故意こんな誇張を加えたのであ. 芥川の ﹃少年h ︵﹁中央公論﹂大十三・四、五︶ の﹁四 海﹂. たのである。. した。そうしてあらゆる優れた芸術品から受ける様に、この. に、鋭く自然を掴もうとしている、傷しい芸術家の姿を見出. ような、滑な掛泥の心もちである。私はこの小さな渦画の中. ﹁海の色は町笑しいねえ。なぜ青い色に塗らなかったの?L. 際同じ会場に懸かっている大小さまざまな画の中で、この一. 黄いろい沼地の草木からも恍惚たる悲壮の感激を受けた。実. 母はこの彩色に彼ほど感心しないらしかった。. に﹁代措色﹂ の海を描く諮がある。. ﹁だって梅はこう云う色なんだもの。﹂. 枚に桔抗し得るほど力強い画は、どこにも見出す辛が出来な. ﹁代楯色の海なんぞあるものかね。﹂ ﹁大森の海は代柿色じゃないの?﹂. 19.

(11) この絵に感激した理由は二つある。一つは、その絵が自然そ. かったのである。. 懸ける事になったのです。﹂. いたものですから、遺族が審発員へ頼んで、やっとこの隅へ. ﹁この画措きは余程前から気が違っていたのです。﹂. ︵中略︶. ﹁この画を描いた時もですか。﹂. のもののように措かれていること、もう一つは﹁鋭く自然を掴 のである。前者は絵そのものについてのものだが、後者は絵を. もうとしている、悔しい芸術家の姿を見出した﹂ ことによるも. くものですか。それをあなたは傑作だと云って感心してお出. ﹁勿論です。気違いででもなければ、誰がこんな色の珂を措. て﹁優れた芸術﹂としているのである。一軍っまでもなく、ここ. でなさる。そこが大に面白いですね。﹂. 通して、その作者にまで思いが至っている。その両方を踏まえ. この記者の説明により、なぜあのような場所に絵が掛かって. いる。﹁黄色﹂にしても、狂気という先入観や、常識が先にあっ. 通﹂とあったように、画家に対する情報をもとに絵を評価して. いたかが解る。この記者の見方は作家論的である。先に﹁消息. には芥川の芸術観を読み取ることも出来るだろう。例えば、大 いたことを述べたうえで、次のように述べている。. 岡昇平氏は常永太郎がこの ﹃沼地﹄という作品を高く評価して それにしても、この﹁沼地﹂を書く芥川と、それを感心す. て、﹁私﹂のようにそのように見えていたのか、何か意図があっ. る富永の間には、対象に迫ろうとする♯.封術家の共通の意志を、. 少なくとも私は感じる。. たかなどとは考えない。そして、﹁傑作﹂ととらえる﹁私﹂を 笑うのである。. ︵﹁対象に迫る−私の一筋﹃沼地L芥川龍之介−﹂﹃大岡昇平全 集第十七巻﹄所収。︶. 記者はまた得意そうに、声を挙げて笑った。彼は私が私の. 不明を恥じるだろうと予測していたのであろう。あるいは一. ﹁私﹂がこの絵から受け止めたものこそ、作者が求めていた. と思っていたのかも知れない。しかし彼の期待は二つとも無. 歩進めて、鑑賞上における彼自身の優越を私に印象させよう. 駄になった。彼の話を聞くと共に、ほとんど厳粛にも近い感. ものではないか、ということであり、それを大岡氏は﹁対象に この後﹁流行の茶の背広を着た、恰幅の好い、消息通を以て. 情が私の全精神に云いようのない波動を与えたからである。. 迫ろうとする﹂ ことだとしているのである。. に﹁私﹂はこの絵を﹁傑作﹂だという。それに対して﹁記者は. 自ら任じている、1新聞の美術記者﹂が登場する。その記者. 私は慄然として再びこの沼地の画を凝視した。そうして再び. ている傷しい芸術家の姿を見出した。. この小さなカンヴァスの中に、恐しい焦躁と不安とに虐まれ. 腹を揺すって笑った﹂ のである。 ﹁これは而白い。元来この画はね、会員の両じゃないので す。が、何しろ当人がじ癖のようにここへ出す出すと云って. 20.

(12) 方は措いた画家をもとに絵を評価しているのであって、絵その. して僅に世間から購い得た唯一の報酬だったのである。私は. これが無名の芸術家が ー 我々の一人が、その生命を犠牲に. 記者は晴々した顔をして、ほとんど嬉しそうに微笑した。. ものを見ていない。そして、﹁私﹂ の方が鑑賞として優れてい. た。そこにはうす暗い空と水との間に、滞れた黄土の色をし. 全身に異様な戦慄を感じて、三度この憂押出な油画を覗いて見. ﹁私﹂は絵そのものを見て評価していたのに対して、記者の. ると、作者は言いたいのだろう。しかし、﹁私﹂もまた﹁恐し. い勢いで生きている。⋮⋮. た旗が、白楊が、無花果が、自然それ自身を見るような凄じ. い焦躁と不安とに虐まれている慣しい芸術家の姿を見出した﹂ いのか。狂気というものを否定的にとらえるか、肯定的にとら. ここには狂気と天才との関係も指摘できるだろう。﹁黄色﹂は. リアリティということである。また、三度目に絵を見たときに. 絵の評価の中心は臼然が﹁生きている﹂ということだった。. 返した。. 私は記者の析をまともに見つめながら、昂然としてこう繰. ﹁傑作です。﹂. とあるように、画家に対する情報を基に絵を見ているのではな えるかの違いに過ぎず、﹁私﹂もまた絵そのものではなく、画. 狂気の去れとしてもとれるが、同時に天才の独創性としても捉. それまでよりさらに絵にリアリティを感じているが、それは絵. 家に基づいた評価をしていることになってしまっている。また、. 岡氏によってすでにされている。. 記者は絵そのものを見ずに、画家の知識によって絵を見てし. 方を変えたためではなかろうか。. そのものをよく見たためではなく、画家に対する知識が絵の見. えられるということである。このような指摘は先に引用した大 大正八年には狂人だからといって、傑作は書けぬことはな い、ロンブロオゾの天才と狂気と紙一乗説は、なかば常識化. 入観もなく絵を見て﹁傑作﹂だと思っていた。ここに絵の鑑昔. まっている。それに対して﹁私﹂は、巣初に画家へのなんの先. していたろう。ゴッホの黄色についてのコメントも一般化し ロンブロオゾの﹁天才論﹂は、大正三年に辻潤の訳で植竹宵. の違いが明確に出ていた。︵ただ、最初の時にすでに﹁私﹂は. て至ろう。. 絵の作者・両家についても考えてはいた。︶ その後、記者の言. 者が両家の知識を基にして、絵そのものを見ないという鑑賞を. の働く方向がまるで逆なために、読者には気づきにくいが、記. 実は画家に対する知識が先入観として働いているのである。そ. 葉によっても﹁私﹂の絵の見方は変わっていないように見えて、. 院より出版されていて、大きな反響を得ていた。この作品にも 記者はさらに狂気について語る。. 狂気と天才との関係が反映していてもおかしくはない。 ﹁もっとも画が思うように描けないと云うので、気が違った らしいですがね。その点だけはまあ買えば買ってやれるので. す。﹂. 21.

(13) 否定しょうとして、結局、﹁私﹂も同じ穴に落ちているのでは. 面から見ていこう。. に騙されていたのではなかったろうか。まず、建札を立てる場. その舟蔵の、鼻蔵人の、大泉の蔵人得業の恵印法師が、あ. ないだろうか。無論、これは現代の作品論、作家論といった鑑 賞の違いを踏まえて、作品論的な鑑賞を期待するための読みで. へ参りまして、あの釆女柳の前の堤へ、﹃三月三日この他よ. り竜昇らんずるなり﹄と筆太に苦いた建札を、高々と一本打. る夜の事、弟子もつれずにただ一人そっと猿沢の他のほとり. ちました。けれども恵印は実の所、猿沢の他に竜などがほん. の非難されるべき同じ土俵にのってしまうことも、ままあるこ とではなかろうか。まあ、こんな意地悪な解釈をするのも、﹁傑. とうに住んでいたかどうか、心得ていた訳ではございません。. あるかもしれないが、時に、誰かを非難しようとして自らもそ. 優越を﹁印象させよう﹂とする意図が、見えすぎるせいかもし. ましてその竜が三月三日に天上すると申す事は、全く口から. 作です。﹂と繰り返す﹁私﹂に、﹁鑑賞上における﹂自分自身の れない。スノッブな記者をやっつける芸術家である﹁私﹂を、. 出まかせの法螺なのでございます。いや、どちらかと申しま. したら、天上しないと申す方がまだ確かだったのでございま. 勝手に﹁我々の一人﹂と思えばよいのかもしれない。. しょう。ではどうしてそんな入らぎる真似を致したかと申し. を笑いものにするのが不平なので、今度こそこの鼻蔵人がう. ますと、忠印は日頃から奈良の僧俗が何かにつけて自分の昂. たのでございましょうか。それとも的を外れたのでございま. 云う魂胆で悪戯にとりかかったのでございます。. まく一番かついだ挙句、さんざん笑い返してやろうと、こう. ﹃竜﹄ の最後で、﹁これで一体あの建札の悪戯は阿星に中っ. ○﹃竜﹄ ︵﹁中央公論.大人・五︶. 三ロにこの他より竜昇らんずるなり﹂という建札を立てたとこ. しょうか。﹂とある。これは主人公の ﹁界武﹂が悪戯で﹁三月. 嘘の高札を建てた。ところが、その高札の効果は絶大で、噂が. 身の長い ﹁恵印﹂は自分の舟を笑うものを見返そうとして、 奈良中に広がった。. ろ、噴から出た誠とでもいうように、実際に竜が〓升ったことを では現れることはなかったが、芥川の作品では実際に現れて昇. 指していっている。先行論でも武田nH憲氏は﹁龍は古典の素材. と述べている。悪戯をしようとしてそれが本当になったとした. てうとうとと致して居りますと、天から一匹の票竃が小■苫のよ. とって九つになりますのが、︵中略︶ ある枚母の膝を枕にし. すのは、春日の御社に仕えて居りますある禰宜の一人娘で、. するとここにまた思いもよらない不思訴が起ったと申しま. ら、相手をだましたことになるのだろうか。あるいは、その悪. うに降って来て、﹃わしはいよいよ三月三じに天上する平に. 天する﹂ ︵﹁籠﹂−〒芥川龍之介大草興﹄−勉誠出版刊−所収︶. たと言えるだろうか。そして、何よりも、自分自身がその悪戯. 戯が自分だと言っても信じてもらえないのなら、それは成功し. 22.

(14) した。. から、どうか安心していてくれい。﹄と人語を放って申しま. なったが、決してお前たち町のものに迷惑はかけない心算だ. を建てたばかりに、こんな騒ぎが始まったと思うと、何とな. 蔵にも乗り移ったのでございましょうか。それともあの建札. してなりません。これは見物の人数の心もちがいつとなく鼻. く気が答めるので、知らず知らずほんとうに竜が昇ってくれ. 四方の国々で何万人とも知れない人間を隔す事に﹂なってしま. たなら、悪戯は失敗に終わるだろう。しかし、その失敗を﹁恵. に自ら落ち込むようなものである。そもそも竜が本当に天上し. 集団心理といってしまえばそれまでだが、自分で仕掛けた罠. れば好いと念じ出したのでございましょうか。. このような噂の広がりに、当初﹁鼻蔵﹂は﹁にやにや笑って. う。こうなると﹁恵印﹂はかえって﹁空恐ろしい気が先に立っ. 印﹂は知らず識らずに念じている。まさに善人である。しかし. いた﹂が、あまりに噂が広がって、しまいには﹁思いもよらず. い﹂がするようになる。このあたりの小心者の帝人の心理の動. てLむしろ自分を﹁身を隠している罪人のような後ろめたい思. いる。. 恵印の眼にはその剰那、その水煙と票との間に、金色の爪. ながらこの﹁心もち﹂が竜の天上を見ることの伏線ともなって. を閃かせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、陀. はかつての ﹃鼻し ︵﹁新思潮﹂大五二一︶ の亜流のようなもので. はないか。すでに吉田精一氏が﹁原作の筋を最後で一ひねりひ. 胱として映りました。が、それは瞬く暇で、後はただ風雨の. きを措くのは、芥川の得意とするところである。しかし、それ. らべてよほど見劣りがする。﹂ ︵﹃芥川龍之介﹄−﹃吉田精一著. 中に、池をめぐつた桜の花がまっ暗な空へ飛ぶのばかり見え. ねっているが、もうマンネリズムに堕して尻り、鼻や芋粥にく 作集第一巻﹄所収︶ と指摘しており、この作品が高く評価され. ﹁恵印の脹には﹂とあり、語り手である﹁陶器遣の翁﹂にそ. たと申す事でございます。. に空へ昇って﹂行くのを見た。しかも、見たのは﹁恵印﹂だけ. こまで見えたかどうかは解らないが、﹁恵印﹂は竜が﹁一文字. さらに、﹁恵印﹂の善人たる所以が苦かれる。. ない理由になっている。 が、ここに妙な事が起ったと申しますのは、どう云うもの. た老若男女は、大抵皆雲の中に黒竜の天へ昇る姿を見たと申. いや、後で世間の評判を聞きますと、その日そこに居合せ. ではなかった。. か、恵印の心にもほんとうに竜が昇りそうな − それも始は でございます。恵印は元よりあの高札を打った当人でござい. す事でございました。. どちらかと申すと、昇らない事もなさそうな気がし出した串. のでございますが、目の下で寄せつ返しっしている烏帽子の. いったい、竜は本当に天上したのだろうか。少なくとも﹁恵. ますから、そんな莫迦げた気のすることはありそうもないも 波を見て居りますと、どうもそんな大変が起りそうな気が致. 23.

(15) いた。周りの人たちもそうである。いわゆる集団心群でみんな. 印﹂は見ている。しかし、すでに彼は天上しそうな気になって. し、忘れてはいけないのは、読者もまた竜の天上を見たのでは. もまた竜を見たことになる。さすれば、それだけで充分価値の. に引用したように、竜は天上したとしている。とすれば、読者. 国﹂ の言葉にあるように、信じるものには見えるのかもしれな. ではなかろうか。. ある作品ではなかろうか。芥川の仕掛けはそこにこそあったの. なかったのか、ということである。これまでの先行論で、最初. い。また、見えたということは真実だが、それがいたかという. でそう思ったに過ぎないかもしれない。あるいは、この後の﹁隆. ことになるとはっきりとしない。逆に言えば、いるとは所詮見 たこと、信じたことに過ぎないということなのかもしれない。 昔はあの猿沢他にも、砥が棲んで居ったと見えるな。何、 昔もいたかどうか分らぬ。いや、昔は棲んで居ったに相違あ るまい。昔は天が下の人間も皆心から水底には竜が住むと思 うて居った。さすれば竜もおのずから天地の間に飛行して、 神のごとく折々は不思議な姿を現した筈じゃ。 さて、﹁恵印﹂ の悪戯は図星の当たったのかどうか。悪戯の 目的はみんなに竜が昇天すると侶じさせることにあった。それ は見事に成功した。しかし、実際に竜が天上したならば、騙し たことになるのか。しかも、あの高札を立てたのが﹁恵印﹂と は誰も信じない。これでは騙した意味がない。むしろ、多くの 人に竜の天上する姿を見せてあげられたことになる。それでは 悪戯ではなく、予言のようなものだ。その上に、瞭だと一番信 る。答えは見つかりようがない。. じていた自分自身さえ、砥が天上するのを見てしまったのであ この﹁恵印L の小心さや愚かきを措くことや、悪戯が成功し たかどうかの答えを書かずに、問のまま読者に投げかけるとな どは、やはり芥川の典型的な手法といえるかも知れない。しか. 24.

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