Kobe Shoin Women’s University Repository
Title
『にごりえ』注解(二)
Author(s)
山本 洋
Citation
文林(BUNRIN)
,No.18:155-183
Issue Date
1983
Resource Type
Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
URL
Right
﹃
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り
え
﹄
注
解
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二
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山
本
洋
『に ご りえ 』注 解(二) ( 二 ) 訣 に す が り 、 何 う で も 遣 り ま せ ぬ と (岩 波 文 庫 二 頁 9 行 目 ) こ の よ う に 通 行 人 の た も と を ひ い て 遊 興 を 強 い る 行 為 は 、 遊 廓 や 銘 酒 屋 街 な ど に お い て か な り 多 く 行 な わ れ て い た 。 そ の た め こ の よ う な 行 為 は 、 明 治 三 十 三 年 九 月 六 日 以 降 、 遊 廓 地 内 に お い て は 警 察 の 取 締 り 対 象 と な っ た 。 貸 座 敷 引 手 茶 屋 取 締 規 則 (警 視 庁 令 第 三 十 七 号 ) の 第 十 六 条 に は 、 貸 座 敷 引 手 茶 屋 営 業 者 は 左 の 各 号 を 遵 守 す べ し 。 い だ 一 客 の 需 め ざ る 飲 食 物 を 出 し 若 く は 之 を 強 ひ ざ る 事 。 き や く ひ き い だ 二 客 引 を 出 し 又 は 広 告 其 他 方 法 の 何 た る を 問 は ず 遊 興 を 勧 誘 せ ざ る 事 。 ( 下 略 ) と あ る 。 三 味 線 な し の し め や か な る 物 語 (岩 波 文 庫 一 一 頁 -o 行 目 ) 第 一 章 末 尾 の ﹁ 三 味 の 音 景 気 よ く 聞 え て ﹂ と い う 情 景 と 対 照 的 な さ ま で あ る 。 ﹃ 安 愚 楽 鍋 ﹄ 二 編 下 に ﹁ す こ し む か ふ づ ら が う ぬ ぼ れ い ∼ と 自 惚 き つ て 、 三 味 線 の 胴 へ 枕 紙 を あ て が ふ 算 段 ば か り を し て 、 た ま に 渋 い 客 の 座 敷 へ で も 出 て 、 三 味 線 な し に 浮 世 ぱ な こ し に で も な る と 、 あ く び を し た り 、 畳 の ち り を ひ ね ツ た り 、 児 も リ ツ こ 守 子 が お と き に よ ば れ た や う に ざ ま は な い ヨ 。 ﹂ と 述 べ ら れ て い る 芸 者 な ど と 違 い 、 お 力 は 以 下 の 文 章 中 に お い て そ の 当 意 即 妙 、 才 気 換 発 、 座 持 ち 客 あ し ら い の 達 者 な さ ま が 描 出 さ れ て い く の で あ る 。 士 族 (岩 波 文 庫 二 頁 11 行 目 ) 明 治 維 新 後 、 幕 政 時 代 の 社 会 的 身 分 が 改 め ら れ 、 華 族 ・ 士 族 ・ 平 民 の 三 つ に な っ た ( 別 に 皇 族 が あ っ た ) 。 士 族 と い う 呼 称 は 、 明 治 二 年 八 月 二 日 (陰 暦 六 月 二 十 五 日 ) の 一 門 以 下 平 士 二 至 ル 迄 総 テ 士 族 ト 可 称 事 と い う 太 政 官 達 に よ っ て 、 全 国 諸 藩 の 藩 士 、 そ の 他 旧 幕 臣 ・ 公 卿 侍 ・ 宮 侍 ・ 神 官 な ど に 適 用 さ れ た 。 足 軽 ・ 同 心 に た い し て は 、文林
十八 号
三 年 一 月 三 日 ( 陰 暦 二 年 十 二 月 二 日 ) に ﹁ 卒 ﹂ と い う 呼 称 を 使 用 す る こ と が 達 せ ら れ た が 、 五 年 三 月 八 日 (陰 暦 一 月 二 十 九 日 ) の 布 告 に よ っ て 世 襲 の 卒 は 士 族 に 編 入 さ れ 、 卒 は 廃 止 さ れ た 。 こ れ ら 身 分 上 の 呼 称 を ﹁ 族 称 ﹂ と い う が 、 そ の 後 明 治 四 年 五 月 二 十 二 日 (陰 暦 四 月 四 日 ) 布 告 、 五 年 三 月 九 日 (陰 暦 二 月 一 日 ) 施 行 の 戸 籍 法 に よ っ て 、 ﹁身 分 二 関 ス ル 届 出 ﹂ ﹁ 出 生 届 ﹂ コ 戸 籍 ノ 記 載 手 続 ﹂ そ の 他 の ば あ い 、 必 ず こ の ﹁ 族 称 ﹂ を 用 い る こ と が 法 律 的 に も 定 め ら れ た 。 ち な み に 一 葉 の 父 ・ 則 義 (明 治 四 年 ま で は 為 之 助 で あ る が ) は 、 安 政 四 年 に 甲 斐 の 国 萩 原 村 を 妻 と と も に 出 奔 し 、 維 新 直 前 の 慶 応 三 年 五 月 に 江 戸 町 奉 行 五 番 支 配 下 の 平 同 心 の 株 を 百 両 で 買 い 、 同 七 月 に 五 番 組 同 心 と し て 正 式 に 幕 臣 と な っ た 。 明 治 二 年 二 月 に は 東 京 府 記 録 方 と し て 九 等 官 ・ 月 給 十 両 と な っ た 。 三 年 二 月 の 東 京 府 へ の 提 出 書 類 に は ﹁ 士 卒 族 ﹂ と 記 さ れ て い て 、 そ れ は ﹁ 士 族 ﹂ の 誤 り だ と 塩 田 良 平 氏 は ﹃樋 口 一 葉 研 究 ﹄ 増 補 た つ し 改 訂 版 で 述 べ て お ら れ る (八 二 頁 ) が 、 先 述 の 達 に よ れ ば 正 し い の で あ る 。 そ れ は と も か く 、 樋 口 一 葉 は 生 ま れ て 以 後 士 族 の 娘 と し て 育 て ら れ て き た の だ が 、 ﹁ に ご り え ﹂ 中 の お 力 は 、 祖 父 が ﹁ 生 れ も 賎 し い 身 ﹂ で 農 民 、 父 は 飾 り ﹁ 職 人 ﹂ と 設 定 さ れ て お り 、 し た が っ て ﹁ 平 民 ﹂ と い う こ と に な る 。 平 民 (岩 波 文 庫 二 頁 12 行 目 ) 平 民 は 、 華 族 ・ 士 族 ( ・ 皇 族 ) 以 外 の 日 本 国 民 を さ す 身 分 上 の 呼 称 で あ っ て 、 明 治 三 、 四 年 ご ろ か ら 太 政 官 布 告 等 に お い て 用 い ら れ る よ う に な っ た 。 戸 籍 ・ 門 礼 ・ 公 式 文 書 な ど に は 、 た と え ば ﹁東 京 府 平 民 ﹂ ﹁静 岡 県 士 族 ﹂ と い っ た ふ う に 書 き し る し た 。 ﹁東 京 風 俗 志 ﹄ に よ れ ば 、 明 治 二 十 九 年 十 二 月 末 の 東 京 府 に お け る 身 分 別 本 籍 人 員 は 次 の と お り 。 華 族 二 、 七 四 五 人 O ・ 三 % 士 族 一 一 四 、 五 一 二 人 一 三 ・ 一 % 平 民 七 五 ⊥ ハ 、 八 二 八 人 八 ⊥ハ ・ 六 % 華 族 (岩 波 又 庫 一 一頁 12 行 目 ) 明 治 二 年 七 月 二 十 五 日 (陰 暦 六 月 十 七 日 ) の 官 武 一 途 上 下 協 同 之 思 食 ヲ 以 テ 自 今 公 卿 諸 侯 之 称 被 廃 改 テ 華 族 ト 可 称 旨 被 仰 出 候 事 但 官 位 ハ 可 為 是 迄 之 通 候 事 と い う 行 政 官 達 に よ っ て 、 従 来 か ら あ っ た 華 族 の 意 味 と は 異 な り 、 旧 公 卿 ・ 大 名 を さ す 族 称 と な っ た 。 そ し て 華 族 は ﹁ 永 ク 皇 室 二 尽 ス ﹂ こ と 、 ﹁ 四 民 ノ 上 二 立 チ 、 衆 人 ノ 標 的 ( 注 、 模 範 の 意 ) ト モ 相 成 ル ベ キ ﹂ こ と が 通 達 さ れ た 。 そ の 後 、 明 治 十 七 年 七 月 七 日 に 奉 勅 の 華 族 令 が 公 布 さ れ て 五 爵 が 定 め ら れ 、 維 新 の 功 労 者 、 国 家 に 勲 功 の あ っ た 高 級 官 僚 ・ 財 閥 ・ 将 軍 提 督 、 臣 籍 一156一『に ご りえ 』注 解(二) 降 下 の 皇 族 、 僧 侶 ・ 神 宮 等 が 爵 位 を 受 け た 。 同 年 七 月 七 、 八 日 、 十 七 日 に 受 爵 し た の は 、 ﹃華 族 譜 要 ﹄ に よ れ ば 、
公
爵
男
子 伯
侯
爵
爵
爵
爵
の 合 計 五 〇 九 家 で あ っ た 。 末 に は 、 二 家 ( 一 条 ・ 九 条 ・ 近 衛 ・ 三 条 ・ 島 津 忠 義 ・ 島 津 久 光 ・ 鷹 司 ・ 徳 川 ・ 二 条 ・ 毛 利 ・ 岩 倉 ) 二 七 家 七 五 家 三 二 四 家 七 二 家 そ の 後 受 爵 者 は ふ え 、 明 治 二 十 七 年 男 子 伯 侯 公 爵 爵 爵 爵 爵 三 五 八 ニ ー 三 ニ ー 八 一 家 家 家 家 家 ノへ増
増
増 増
増
⊥ 一 ノ 一 八 六 一 〇 \一ノ \ノ 覧一 ノ ヘー ノ の 合 計 六 〇 五 家 と な っ た 。 小 笠 原 か (岩 波 文 庫 = 責 -行 目 ) 小 笠 原 流 の 礼 法 か と い う 意 。 お 力 の ﹁ 置 つ ぎ ﹂ と い う 無 作 法 に た い し て 、 わ ず ら わ し い 規 則 形 式 主 義 の 最 た る も の と 世 間 で 思 わ れ て い た 小 笠 原 流 礼 法 の 名 を あ げ て 、 結 城 朝 之 助 が か ら か た っ た こ と ば 。 小 笠 原 流 礼 法 は 、 小 笠 原 長 清 ( = 六 二 r = 茜 三 ) に 始 ま る 武 家 諸 儀 式 の 道 統 で あ っ て 、 射 術 ・ 馬 術 ・ 軍 法 の す べ て に か か わ る 武 家 の 礼 法 で あ っ た 。 室 町 時 代 に は 伊 勢 流 、 今 川 流 な ど も あ っ た が 、 徳 川 時 代 に な っ て 形 式 尊 重 の 朱 子 学 、 士 農 工 商 の 身 分 秩 序 の 普 及 強 化 と と も に こ の 小 笠 原 流 礼 法 が 重 視 さ れ 、 五 代 綱 吉 の と き 武 家 礼 法 と し て 公 認 さ れ る に 至 っ た 。 当 時 は お 止 め 流 と し て 将 軍 家 以 外 は 禁 じ ら れ て い た が 、 そ の 形 式 の 模 倣 が 華 美 な か た ち で 諸 大 名 、 さ ら に 町 方 に も 行 な わ れ 、 起 居 進 退 ・ 衣 服 着 用 ・ 飲 食 ・ 来 客 応 対 ・ 器 物 取 扱 い ・ 家 屋 敷 構 え な ど に 及 び 、 わ ず ら わ し い ほ ど 細 部 に こ だ わ る 厳 格 な 形 式 尊 重 の 礼 法 と 見 な さ れ て い た 。 小 笠 原 家 は 、 鎌 倉 期 か ら 惣 領 家 と 赤 沢 (清 経 ) 家 と に 分 か れ 、 赤 沢 家 の 後 商 、 剃 髪 し て 小 笠 原 丹 斎 と 号 し た 経 直 は 、 慶 長 九 年 二 六 〇 四 ) 家 康 の 命 を 受 け て 江 戸 に 居 住 、 そ の 後 小 笠 原 赤 沢 家 は 代 々 徳 川 家 の 師 範 と な っ た の で あ る 。 明 治 に な る と 、 二 十 八 代 の 赤 沢 家 小 笠 原 清 務 ( 旧 名 常 正 、 一 八 四 六 -一 九 ≡ ) が 小 笠 原 家 の 伝 統 的 礼 法 を 近 代 生 活 に 適 応 さ せ る こ と に 腐 心 し 、 東 京 府 知 事 に 建 議 し て 小 学 校 に 礼 式 の 教 科 を 設 け さ せ 、 明 治 十 四 年 に は 小 学 女 礼 式 が 正 式 の 教 科 と な っ た 。 清 務 は 、 十 二 年 か ら 十文 林 十八 号
八 年 ご ろ の あ い だ に 東 京 府 下 に 数 多 く の 礼 法 教 場 を ひ ら い て そ の 普 及 に つ と め 、 ま た 二 十 八 年 三 月 に は 華 族 女 学 校 の 嘱 託 の ち 講 師 と な っ て 没 年 の 大 正 二 年 ま で 勤 め た 。 他 方 、 惣 領 家 で あ る な ゆ な り 元 ・ 唐 津 藩 主 小 笠 原 家 の 嫡 男 子 爵 長 生 は 、 当 時 横 須 賀 鎮 守 府 勤 務 の 海 軍 大 尉 ( の ち 中 将 ) で あ り 、 そ の 異 母 妹 が 艶 子 で あ っ て 一 葉 よ り 四 つ 年 下 、 一 葉 日 記 明 治 二 十 四 年 六 月 十 日 の 記 事 に 見 え る よ う 萩 の 舎 の 同 門 で あ っ た 。 小 笠 原 流 礼 法 に つ い て の 著 述 は 、 ﹃ 天 正 本 小 笠 原 礼 書 ﹄ ﹃ 小 笠 原 流 礼 式 伝 来 ﹄ ﹃ 小 笠 原 流 作 法 秘 伝 書 ﹄ ﹃ 小 笠 原 流 百 箇 条 ﹄ ﹃小 笠 原 新 撰 諸 礼 式 ﹄ と い っ た 書 名 が 現 在 の 古 書 目 録 に も 載 せ ら れ て い る が 、 延 宝 六 年 ( 一 六 七 八 V 三 代 目 ( ? ) 小 笠 原 丹 斎 に よ っ て 整 備 さ れ た 家 伝 の 書 籍 目 録 に は ﹃ 諸 礼 法 儀 之 書 物 ﹄ 二 十 冊 が あ り 、 そ の う ち の 一 冊 が ﹃ 酌 酒 井 飲 酒 之 次 第 ﹄ で あ る 。 小 笠 原 流 の ほ か に 伊 勢 流 の 礼 式 も 明 治 期 に 続 い て い た が 、 そ の 門 流 は 社 会 的 に 確 立 し て い な か っ た 。 そ の 伊 勢 流 か ら い わ せ る と 、 由 緒 あ る 正 統 は 故 実 礼 節 の 松 岡 流 と 武 家 礼 節 の 伊 勢 流 と で あ っ て 、 俗 用 礼 節 の 小 笠 原 流 は 悪 風 を ま ね く と し て 難 じ ら れ て い た 。 な お ち な み に 水 島 流 は 水 島 元 成 に 始 ま る も の で あ る が 、 流 派 と し て は 小 笠 原 流 に 属 す る 。 使 用 文 献 ◆ 小 笠 原 清 信 ﹃ 小 笠 原 流 ﹄ 昭 42 。 ◆ 維 新 史 料 編 纂 会 編 ﹃ 華 族 譜 要 ﹄ 復 刊 、 昭 51 。 ◆ ﹃ 女 子 学 習 院 五 十 年 史 ﹄ 昭 10 。 ◆ 喜 寿 記 念 編 纂 会 ﹃ 子 爵 小 笠 原 長 生 ﹄ 昭 18 。 ◆ 中 川 愛 氷 ﹁ 日 本 女 礼 式 ﹄ 序 文 、 明 45 。 天 下 を 望 む 大 伴 の 黒 主 と は 私 が 事 (岩 波 文 庫 = 責 8 行 目 ) つ も る こ い ゆ き の せ タ の と 常 磐 津 の 代 表 曲 ﹃積 恋 雪 関 扉 ﹄ (宝 田 寿 莱 作 、 初 代 鳥 羽 屋 里 長 曲 、 天 明 四 年 十 一 月 、 江 戸 桐 座 の 顔 見 世 に 初 演 ) の 下 の 巻 で 、 逢 坂 山 の 関 所 の 番 人 ・ 関 兵 衛 が 遊 女 ・ 墨 染 ( 実 は 小 町 桜 の 精 ) に た い し て い う 台 詞 で あ る 。 こ の 前 後 は 両 人 が た が い に 相 手 に 素 性 を あ か せ と 迫 る 場 面 で 、 ま ず 関 兵 衛 ﹁ 最 前 よ り こ の 片 袖 に 、 心 を 懸 く る 怪 し き 女 、 様 子 を 明 か せ 、 何 と な ん と 。 ﹂ 墨 染 が い い 返 し て ﹁ オ オ こ の 片 袖 は 夫 の 血 汐 、 そ れ の み な ご ふ つ う い ん ら ず 、 最 前 わ が 業 通 に て 手 に 入 れ し 、 勘 合 の 印 を 所 持 な す か ら は 、 様 子 が あ ら う 、 本 名 あ か せ 、 何 と ち や 。 ﹂ 関 兵 衛 ﹁ か く な る 上 ば 何 を か 包 ま ん 。 我 こ そ は 中 納 言 家 持 が 嫡 孫 、 天 下 を 望 む 大 伴 の 黒 主 と は 俺 が 事 だ わ や い 。 ﹂ 墨 染 ﹁さ て こ そ 。 ﹂ 関 兵 衛 ﹁ 我 に 恨 み を な さ ん と す る 、 そ も 先 づ 汝 は 何 者 ぢ や 。 ﹂ 一158一『に ご りえ 』注 解(二) つ づ み う た と や り と り が あ っ て 、 そ れ か ら 鼓 唄 で 、 ピ や う を な ご 墨 染 ﹁ ⋮ ⋮ そ も 人 間 の 形 う け て 、 女 子 と は 見 す れ ど も 、 小 町 桜 の 精 魂 な り 。 ﹂ と 遊 女 ・ 墨 染 の 本 性 が 明 ら か に さ れ る の で あ る 。 ( ﹁日 本 音 曲 全 集 ﹂ 第 八 巻 に よ る ) 。 関 兵 衛 が 自 分 の 正 体 を あ か す と こ ろ で は 、 関 守 ら し く し て あ る 衣 裳 の 上 半 身 が パ ッ と 二 つ に わ れ 、 公 家 姿 の 大 伴 の 黒 主 の 姿 が 出 現 し て 、 大 へ ん 印 象 の 強 い 場 面 に な っ て い る 。 こ の ﹁関 の 扉 ﹂ で は 、 近 江 の 国 園 城 寺 の 別 当 で あ り ⊥ ハ 歌 仙 の 一 人 で あ る 大 伴 の 黒 主 が 、 皇 位 を ね ら う 謀 叛 の 張 本 人 と い う 不 思 議 な 設 定 に な っ て い る 。 そ の 点 に つ い て は 、 古 代 法 制 史 家 の 滝 川 政 次 郎 氏 が ﹁ ﹃ 関 の 扉 ﹄ の 星 ぐ り ﹂ と い う 論 考 の な か で 、 資 料 典 拠 を あ げ て 考 察 さ れ て い る 。 必 要 な 最 小 限 の 要 旨 を い う と 、 そ も そ も 近 江 の 大 友 ( 大 伴 ) 氏 は 、 日 本 書 紀 に よ れ ば 推 古 天 皇 十 年 に 百 済 か ら 天 文 遁 甲 の 術 を は じ め て 日 本 に 入 れ た 氏 族 で あ る 。 天 文 遁 甲 の 術 と い う の は 、 陰 陽 五 行 説 に も と つ い た 星 占 術 兼 兵 法 で あ っ て 、 諸 葛 孔 明 の よ う な 軍 師 も 修 得 し て い た も の で あ り 、 こ の ﹁ 関 の 扉 ﹂ で も 関 兵 衛 す な わ ち 大 伴 の 黒 主 が そ の 術 を 行 な っ て い る 場 面 が あ る 。 作 者 宝 田 寿 莱 は 、 黒 主 の 姓 が 大 友 で あ る こ と か ら 思 い つ い て 、 そ の 苗 商 で あ る 黒 主 も 天 文 遁 甲 の 術 を 行 な う と い う ふ う に 設 定 し た の で は な い か 。 ま た 天 武 紀 に よ れ ば 、 近 江 の 朝 廷 を く つ が え そ う と し た 大 海 人 皇 子 す な わ ち 後 の 天 武 天 皇 も 、 名 張 の 横 河 で 式 占 を 行 な い 、 ﹁朕 遂 二 天 下 ヲ 得 ン 歎 ﹂ と ﹁ 謀 反 ﹂ の 成 否 を う ら な っ た と 記 さ れ て い る が 、 こ れ は ﹁ 関 の 扉 ﹂ の 大 伴 の 黒 主 の 行 な う 星 占 い と 非 常 に 似 て い る 。 宝 田 寿 莱 は 博 識 を も っ て 鳴 る 人 で あ っ た か ら 、 た と え 荒 唐 無 稽 な 顔 見 世 狂 言 で あ っ て も 、 あ る 程 度 の 根 拠 に も と つ い て い る の で あ ろ う と 推 測 さ れ て い る ( ﹃情 笑 至 味 ﹄ ) 。 さ て 、 そ の 台 詞 の ﹁ 天 下 を 望 む ﹂ と い う と こ ろ か ら 、 長 谷 川 時 雨 は ﹁ お 力 が 酒 の 座 で は ぐ ら か し て 、 え え 大 望 が あ る の で す と 、 い ふ 意 味 。 ﹂ と し 、 爾 後 の 注 釈 者 も だ い た い そ れ を 踏 襲 す る の が 多 い 。 し か し そ の ﹁ 大 望 ﹂ と は 何 か 。 大 海 人 皇 子 や あ る い は 大 伴 の 黒 主 の よ う に 文 字 ど お り ﹁ 天 下 ヲ 得 ﹂ る こ と で は な い の は い う ま で も な い 。 曖 昧 料 理 屋 の 酌 婦 と し て は 、 せ い ぜ い あ と に 出 て く る コ 足 と び に 玉 の 輿 に 乗 る ﹂ と い っ た 程 度 の こ と を さ す と 考 え る べ き だ ろ う が 、 そ れ よ り も 前 の と こ ろ で 自 分 の ひ い こ と を 冗 談 半 分 に ﹁ お 華 族 の 姫 様 ﹂ と 格 好 よ く 言 っ て い る 、 そ れ と 同 じ よ う な ﹁ 茶 利 ﹂ と い う 面 が 強 い と 考 え る べ き だ ろ う 。 ﹁ 関 の 扉 ﹂ の こ の 直 前 の 場 面 で は 、 遊 女 ・ 墨 染 と 標 客 に 見 た て ら れ た 関 兵 衛 と の 色 事 の か け ひ き め い た 会 話 が 、 こ の ﹃ に ご り
文林 十 八号
え ﹄ の 場 面 に い く ぶ ん 似 た ふ う に 交 さ れ て も い る 。 要 す る に こ こ は 、 明 治 期 に も 評 判 の 高 か っ た ﹁ 関 の 扉 ﹂ の な か の 有 名 な 台 詞 が 、 お 力 の 女 と し て の " 出 世 " の 野 心 を ほ の か に 暗 示 は し て い る も の の 、 や は り 芝 居 も ど き の 気 の き い た 一 種 の 流 行 語 の よ う に 使 わ れ た も の と 見 る べ き で あ ろ う 。 ち な み に 、 明 治 三 十 六 年 三 月 に 行 な わ れ た 第 六 回 鳥 合 会 に は 、 日 本 画 の 池 田 輝 方 ( 一 八 八 三 ∼ 一 九 二 一 ) が ﹁ 関 の 廓 ﹂ の 黒 染 に 取 材 し た 二 尺 ぐ ら い の 絵 を 出 品 、 そ の 黒 染 の 立 ち 姿 に は 凄 艶 の 趣 が あ っ た と い わ れ る 。 一 節 さ む ろ う (岩 波 文 庫 二 責 14 行 目 ∼ ; 貢 -行 目 ) 乙 羽 本 全 集 以 降 コ 節 さ む ら ふ ﹂ に 改 め て い る 。 さ て こ の 解 に は 次 の と お り 諸 説 が あ る 。 1 . 久 保 田 万 太 郎 ﹁ し ん み り し た ﹂ ( た だ し 、 ﹁ さ む ら ふ ﹂ の 注 ) 2 . 小 原 元 ﹁ し ん み り し た ﹂ ( 同 右 ) 3 . 次 田 潤 ﹁ ど こ と な く 荒 っ ぽ い 様 子 ﹂ 4 . 岡 田 八 千 代 ﹁ 武 ば っ た 様 子 ﹂ 5 . 塩 田 良 平 ﹁ さ む ら ふ は ﹃ さ う ら ふ ﹄ と 同 じ で ﹃ あ る 、 い る ﹄ を て い ね い に い う 語 。 一 節 は 、 一 つ の 目 だ っ た 特 有 の 点 。 ど こ か 変 わ っ た 目 だ つ と こ ろ の あ る 様 子 の こ と ﹂ 6 . 和 田 芳 恵 ﹁ ど こ と な く 、 き ち ん と し て い る ﹂ 7 . 山 根 賢 吉 8 . 10 9関
良
一
岡
保
生
木
村
真
佐
幸
11 . 田 中 澄 江 12 . 松 坂 俊 夫 13 . 中 野 博 雄 こ れ ら は 大 別 す る と 、 い る 、 團 き ち ん と し て い る 、 が あ る 、 回 ひ と 筋 し ん が 通 っ て い る の 五 様 に ま と め ら れ る 。 二 節 ﹂ の 用 例 は い く つ も 、 枕 草 子 、 源 氏 物 語 、 紫 式 部 日 記 、 後 撰 集 、 徒 然 草 、 歌 論 な ど の な か に 見 つ け る こ と が で き る よ う だ が 、 一 葉 自 身 の 作 物 の な か に も 何 箇 所 か 見 つ け る こ と が で き ﹁諸 説 あ る が 未 詳 ﹂ (た だ し 、 未 定 稿 ﹁無 題 十 九 ﹂ の 引 用 が あ る ) ﹁ど こ と な く 由 緒 が あ る ﹂ ﹁ど こ か 由 緒 あ り げ な 様 子 ﹂ ﹁ ど こ と な く 由 緒 あ る 、 き ち ん と し た 様 子 。 ﹃ お 力 ﹄ の い ま 一 つ の 側 面 が 表 現 さ れ て い る ﹂ ﹁ 何 か ひ と 筋 し ん が 通 っ て い る 様 子 ﹂ ﹁ ど こ と な く 由 緒 の あ り そ う な ﹂ ﹁ 武 ば っ た (角 川 ) 。 き ち ん と し て い る (大 系 ) 。 ど こ と な く 由 緒 あ り げ な ( 講 談 ・ 全 集 ) 。 ﹃ さ む ら ふ ﹄ は 謡 曲 中 の 女 性 の 用 い る 語 。 ﹂ ( 長 谷 川 時 雨 、 三 好 行 雄 氏 に は 注 な し ) ﹁ し ん み り し た ﹂ は 除 い て 、 国 武 ば っ て 團 由 緒 が あ る 、 囚 目 立 つ 特 有 の 点 一160一『に ご りえ 』注 解(二) る 。 た ん な る ﹁ ふ し ﹂ ﹁ 節 ﹂ の 用 例 を 省 い て あ げ て み る と 、 次 の よ う で あ る 。 和 歌 我 こ そ は あ し の 下 を れ 一 ふ し の あ り と も 誰 れ か あ り と し る べ き ( 明 26 ・ 5 ・ 2 ? ) す な ほ は ま は か を な ご 小 説 女 子 は 温 順 に や さ し く ば 事 た り ぬ べ し 。 生 中 持 ち た る 一 節 の 、 よ き に 随 ひ て よ き は 格 別 、 浮 世 の 浪 風 さ か し ま に 当 り て 、 道 の ち ま た の ニ タ 筋 に 、 い ざ や 何 処 と 決 心 の 当 時 、 不 運 の 一 煽 り に 炎 あ ら ぬ 方 へ と 燃 え あ が り て は 、 ・⋮ ・・ 。 (明 27 ・ 5 ・ 1 成 稿 、 ﹁ や み 夜 ﹄ 七 ) 日 記 歌 論 も さ ま み \ あ り け る 中 、 げ に と お ぼ ゆ る ふ し 少 な か ら ず 。 此 人 ︹小 出 粂 ︺ よ ろ し か ら ぬ 人 な れ ど 、 さ す が に 一 ふ し と 見 ゆ る 説 ど も 聞 ゆ 。 ( 明 27 ・ 6 。 14 ? ) こ れ ら の 用 例 か ら み る と 、 最 初 の 和 歌 で は 志 操 才 能 に か か わ っ て ﹁ ち ょ っ と し た 志 、 あ る い は す ぐ れ た 才 が あ る ﹂ の 意 、 次 の 小 説 で は 人 物 性 格 に か か わ っ て ﹁し っ か り し た 性 根 、 あ る い は 目 に つ く ひ と 筋 の 芯 ﹂ の 意 、 最 後 の 日 記 で は 歌 道 歌 論 に か か わ っ て ﹁ 他 に ぬ き ん で た 長 所 、 あ る い は 注 目 す る べ き 見 解 ﹂ の 意 と い っ た と こ ろ に な ろ う か 。帰 納 す れ ば 、 コ 節 ﹂ は 他 に ぬ き ん で て 目 に つ く も の ・ こ と ・ と こ ろ と い っ た 意 と す る べ き で あ ろ う 。 と こ ろ で こ の 箇 所 は 、 結 城 朝 之 助 の 視 点 か ら お 力 を 見 て ﹁ あ だ な る 姿 の 浮 気 ら し き に 似 ず 一 節 さ む ろ う 様 子 の み ゆ る ﹂ と 述 べ ら れ て い る の で あ る 。 当 然 コ 節 ﹂ は 、 ﹁ あ だ な る 姿 の 浮 気 ら し き ﹂ に 対 雛 的 で あ る と と も に 、 お 力 の 人 物 性 格 に か か わ っ た 内 容 を 持 つ は ず で あ る 。 先 注 の ﹁荒 っ ぱ い 、 武 ば っ て い る ﹂ は 不 適 で あ り 、 ﹁ 由 緒 が あ る ﹂ は お 力 の 出 自 や 家 柄 に 関 与 さ せ た 解 で あ っ て 、 そ れ は あ ま り も 強 く 注 釈 者 の 主 観 を 押 し 出 し す ぎ て い る よ う に 思 わ れ る 。 祖 父 が 儒 学 好 き の 農 民 、 父 が 貧 し い 飾 り 職 人 で あ る お 力 の 出 自 や 家 柄 に 、 ﹁由 緒 ﹂ を 見 い だ す こ と は は な は だ 困 難 で あ る 。 ﹁ き ち ん と し て い る ﹂ も 、 人 物 性 格 に か か わ っ て 他 に ぬ き ん で て 目 に つ く と こ ろ と い う 点 で は 、 も の た ら な い 感 が あ る 。 結 局 、 第 二 章 の 地 の 文 で い う ﹁あ Σ 心 と て 仕 方 の な い も の 面 ざ し が 何 処 と な く 冴 へ て 見 へ る は 彼 の 子 の 本 性 が 現 は れ る の で あ ら う ﹂ (岩 波 文 庫 九 頁 11 行 目 ) と も 照 応 し て 、 ﹁ し っ か り し た 性 根 、 ひ と 筋 の 芯 、 あ る い は ひ と か ど の 気 慨 ・ 気 骨 が あ る ﹂ 意 と 解 す る べ き で あ ろ う 。 口 足 と び に 玉 の 輿 に も 乗 れ さ う な も の (岩 波 文 庫 ; 貢 2 行 目 ) こ と わ ざ ﹁ 氏 な く し て 玉 の 輿 ( に 乗 る ) ﹂ に よ る 。 身 分 の 低 い 女 性 が 、 身 分 ・ 地 位 ・ 財 産 の あ る 男 性 の 正 妻 も し く は 側 妾 と な る こ と に よ っ て 、 い ち や く 高 貴 裕 福 な 身 の 上 に な る こ と 。 明 治 三 十 四 年 刊 の ﹃ 俗 諺 語 林 ﹄ に は 、 ﹁ 往 時 姓 系 門 閥 の 区 別 を 厳
文 林 十八号
た や に し 、 王 侯 将 相 み な 種 あ り し 頃 に お い て 、 た だ 僧 侶 と 婦 人 の み い で た つ と は 、 寒 門 よ り 出 て 貴 き 地 位 に も 至 る 事 を 得 た り 、 こ れ を 氏 な く し て 玉 の 輿 に 乗 る と い へ り 。﹂ と あ る 。 ﹃ に ご り え ﹄ の 草 稿 の 一 つ で あ る ﹃ 作 品 31 ﹄ (筑 摩 新 全 集 第 二 巻 所 豊 の 冒 頭 に は 女 は 氏 な く し て 玉 の こ し 、 み め だ に よ く ば 雲 の 上 に も の ら る べ し と し て 、 そ の 主 因 が 器 量 の よ さ で あ る と い う 点 ま で 明 確 に 述 べ ら れ て い る 。 藤 沢 衛 彦 ﹃ 明 治 風 俗 史 ﹄ に よ る と 、 ﹃ に ご り え ﹄ の 舞 台 と な っ て い る 小 石 川 柳 町 あ た り は ﹁ 玉 の 輿 ﹂ に 結 び つ き や す い 土 地 と し て と ら え ら れ 、 柳 町 か ら 学 校 に 通 う 娘 に つ い て ﹁ 春 は 芽 を 吹 く 、 出 世 す る 。 氏 は 無 く と も 、 怠 り な く ば 、 玉 の 輿 に も 乗 ら つ サ れ 匡 し さ ( マ マ V る べ し 、 今 日 の 襯 褄 を 錦 繍 に 代 へ て 、 花 を 飾 る の 日 も な か る べ き 。 ﹂ (下 巻 一 八 一 頁 ) と 書 か れ て い る 。 こ の よ う に 女 性 が 玉 の 輿 に 乗 る こ と は 、 明 治 時 代 は 実 際 に 数 多 く あ っ た 。 当 時 の 政 界 に お け る 顕 官 の ば あ い を .中 山 太 郎 ﹃ 売 笑 三 千 年 史 ﹄ に も と つ い て 表 覧 に し て お く 。 総 理 大 臣 伊 藤 博 文 ( 一 八 四 一 ー 一 九 〇 九 ) 下 関 の 芸 妓 ・ 梅 子 内 務 大 臣 山 県 有 朋 ( 一 八 三 八 ∼ 一 九 二 ; 新 橋 吉 田 屋 の 芸 妓 ・ 貞 子 (第 二 夫 人 )逓
信
大
臣
農
商
務
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外
務
大
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大
臣
後 藤 象 二 郎 ( 一 八 三 八 ∼ 一 八 九 七 ) 京 都 先 斗 町 の 芸 妓 ・ お 仲 黒 田 清 隆 ( 一 八 四 〇 ー 一 九 〇 〇 ) 深 川 料 理 店 の 娘 ・ き よ 子 大 隈 重 信 ( 一 八 三 八 ー 一 九 二 二 ) 千 住 の 貸 座 敷 に 勤 め て い た 者 の 娘 ・ 綾 子 西 園 寺 公 望 ( 一 八 四 九 塗 一 九 四 〇 ) 新 橋 宝 来 屋 の 芸 妓 ・ 玉 八 ( 第 二 夫 人 ) 桂 太 郎 ( 一 八 四 七 ∼ 一 九 一 三 ) 名 古 屋 の 割 烹 店 の 娘 ・ か な 山 本 権 兵 衛 二 八 五 二 ∼ 一 九 三 三 ) 品 川 の 芸 妓 ・ 登 喜 犬 養 毅 ( 一 八 五 五 ∼ 一 九 三 二 ) 新 橋 の 芸 妓 ・ 千 代 子 原 敬 2 八 五 六 ∼ 一 き 二 ) 芝 紅 葉 館 の 女 中 ・ あ さ 子 ( 職 名 は 、 一 ば ん 最 初 の も の を し る し た 。 ) 奥 様 あ つ か ひ (岩 波 文 庫 ; 責 2 ∼ 5 行 目 ) ﹁奥 様 ﹂ は 、 当 時 に お い て は 相 当 な 身 分 ・ 地 位 の 男 性 の 配 偶 か み 者 を い う 尊 称 で 、 ﹁奥 方 様 ﹂ ﹁奥 様 ﹂ ﹁ 御 新 造 様 ﹂ ﹁ お 内 儀 さ ∼162一『に ご りえ 』注 解(二) ん ﹂ ﹁ 娼 (嗅 ) ﹂ と い っ た 順 に 使 い 分 け さ れ て い た 。 ﹃ に ご り な か え ﹄ の 未 定 稿 B の ﹁ 奥 様 ﹂ の 家 に は 、 書 生 ・ 小 間 使 ・ お 中 (女 中 ) ・ お は ん た き (お さ ん ど ん ) ・ 抱 え 車 夫 と い う 五 人 の 使 用 人 、 遣 遙 ﹃細 君 ﹄ の 家 に は 書 生 ・ 小 間 使 ・ 女 中 ・ お さ ん ・ 車 屋 夫 婦 と い う 六 人 の 使 用 人 が い る と 書 か れ て い る が 、 そ の ぐ ら い ヘ へ 使 用 人 が い て 普 通 は じ め て 奥 様 な の で あ る 。 こ こ の ﹁奥 様 あ つ ヘ へ か ひ ﹂ は 、 正 式 の 妻 を い う の か 、 あ る い は 妾 ・ 囲 い 者 を い う の か あ い ま い だ が 、 前 者 の 意 と 解 す る べ き だ ろ う 。 改 め て 伺 ひ に 出 や う と (岩 波 文 庫 一 四 頁 9 行 邑 あ ら た め て ご 機 嫌 う か が い に 出 、 お 名 前 を お き き し よ う と 。 ﹁ 伺 ひ ﹂ に は 、 挨 拶 に 出 る こ と ( 機 嫌 う か が い ) と 名 前 を た ず ね る こ と と が 掛 け ら れ て い る 。 官 員 (岩 波 文 庫 一 四 頁 7 行 目 ) 政 府 機 関 に つ と め る 公 務 員 (官 吏 ) の 明 治 初 年 か ら 三 十 年 ご ろ ま で の 用 語 。 明 治 に お け る ﹁ 官 員 ﹂ の 最 初 の 公 的 な 使 用 例 は 、 明 治 元 年 十 月 五 日 (陰 暦 八 月 二 十 日 ) の 太 政 官 布 告 中 の 但 諸 官 員 タ リ ト モ 御 規 則 不 相 当 ノ 場 所 ハ 返 上 可 致 で あ り 、 ま た 前 田 愛 氏 に よ れ ば 陰 暦 九 月 に は 最 初 の ﹃官 員 録 ﹄ が 出 版 さ れ た ( ﹁ 日 本 近 代 文 学 大 系 エ ﹂ 頭 注 ) と い う 。 同 じ く 元 年 十 月 十 七 日 (陰 暦 九 月 二 日 ) に 発 せ ら れ た 東 京 府 治 規 則 七 ケ 条 の 叫 に は 、 今 般 創 業 ノ 際 二 当 リ 彼 ヲ 取 リ 、 此 ヲ 捨 ル ノ 弊 ヲ 掃 除 シ 、 宜 シ ク 上 二 在 ル ノ 官 員 此 二 注 意 シ 、 固 随 偏 重 ノ 憂 ナ キ ヲ 本 意 ト ス と あ り ( 川 崎 房 五 郎 ﹃ 文 明 開 化 東 京 ﹄ ) 、 ま た 二 年 五 月 十 五 日 (陰 暦 四 月 四 日 ) の 懐 夷 の 風 儀 一 掃 の 行 政 官 達 に も 、 右 ノ 趣 兼 テ 心 得 ノ 為 、 文 武 ノ 官 員 ハ 勿 論 、 府 県 県 令 末 二 至 ル 迄 不 洩 様 可 相 達 事 と 用 い ら れ ( ﹃ 日 本 風 俗 史 講 座 ﹄ 第 七 巻 ) 、 以 後 ぞ く ぞ く と 使 用 さ れ る こ と に な る の で あ る 。 官 員 の 制 度 そ の も の は 、 明 治 二 年 九 月 三 日 (陰 暦 七 月 二 十 七 日 ) の 職 員 令 お よ び 官 位 相 当 表 に よ り 勅 任 ・ 奏 任 ・ 判 任 の 三 種 に あ ら た め て 整 備 さ れ 、 つ づ い て 四 年 九 月 二 十 四 日 (陰 暦 八 月 十 日 ) の 官 制 改 革 で 官 等 が 十 五 等 に 分 け ら れ 、 等 外 も 設 け ら れ た 。 十 九 年 に は そ れ が 改 組 さ れ て 、 勅 任 一 等 ・ 二 等 、 奏 任 H 等 か ら ⊥ ハ 等 、 判 任 一 等 か ら 十 等 に 分 け ら れ 、 勅 任 と 奏 任 と を あ わ せ て 高 等 官 と 称 す る こ と に な っ た 。 二 十 五 年 に は 勅 任 官 が 親 任 ・ 一 等 ・ 二 等 と 三 階 級 に 分 け ら れ 、 奏 任 官 が 三 等 か ら 九 等 、 あ わ せ て 高 等 官 が 九 等 制 に 変 わ り 、 判 任 官 が 一 等 か ら 五 等 ま で と さ れ 、 他 に 嘱 託 ・ 雇 員 ・ 傭 人 な ど の 等 外 も 整 備 さ れ た 。 こ れ に よ
﹁
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り 、 こ こ に 明 治 憲 法 下 の 官 僚 制 度 の 基 礎 が 定 ま り 、 こ れ は 多 少 の 手 直 し を 経 な が ら も 昭 和 二 十 一 年 ま で 続 く こ と に な る の で あ る 。 こ の 官 員 は 、 明 治 初 年 代 に は 藩 閥 の 情 実 に よ る 任 用 が 多 く 、 ま た 必 然 的 に 士 族 出 身 者 が 多 か っ た 。 辻 清 明 ﹃ 新 版 日 本 官 僚 制 の 研 究 ﹄ に よ る と 、 明 治 四 年 の 中 央 官 庁 九 省 の 官 吏 中 八 七 彪 、 明 治 十 三 年 で は 中 央 地 方 の 官 吏 中 七 四 % を 士 族 出 身 が 占 め て い た 。 そ し て そ う い う 官 員 た ち は 、 明 治 維 新 国 家 の 枢 要 部 に 華 族 や 薩 長 土 肥 の 高 級 官 僚 と と も に 位 置 し て い る と い う 尊 大 な 自 負 心 を 持 ち 、 日 の 出 の 勢 い で 世 間 を 闊 歩 し 権 威 を 誇 っ た 。 高 級 官 あ し た 僚 は ﹁夕 べ に 愛 妓 の 唇 を 嘗 め 、 朝 に 国 家 の 大 事 を 議 す ﹂ ( ﹃東 京 新 繁 昌 記 ﹄ ) と 批 判 さ れ る よ う な 生 活 を 送 り 、 下 っ ぱ 官 員 は ﹁ 遅 れ た 民 衆 の 官 尊 意 識 ﹂ (辻 、 前 出 書 ) に も 乗 じ て "お 上 の 威 光 ' を か さ に 着 、 傲 慢 不 遜 に 特 権 意 識 を ふ り ま わ し た 。 そ れ を 見 る に 見 か ね た 農 商 務 大 臣 ・ 谷 干 城 は 、 二 十 年 七 月 に 官 吏 批 判 の 意 見 書 を 総 理 大 臣 に 提 出 し た ほ ど で あ る 。 そ の 塀 外 の 人 間 や 一 般 庶 民 の な か に は 、 反 感 を 持 っ た り 批 判 的 で あ っ た り す る 者 も 多 か っ た 。 ﹃ 柳 橋 新 誌 ﹄ 二 編 (明 4 . 3 ) で は 芸 妓 が 、 彼 ︹そ の 妓 の 情 人 た る 奏 任 官 ︺ ハ 歩 ヲ 雲 途 二 進 ム ル ト イ へ け ム け ん て ん せ う ド モ 、 ソ ノ 実 ハ 阿 訣 ニ ヨ リ テ 得 ル ナ リ 。 脅 肩 諸 笑 ハ 妾 ︹ そ な つ の 妓 を さ す ︺ ト イ ヘ ド モ 慧 ル ト コ ロ ニ シ テ 、 且 ッ 彼 ノ 性 ハ 鄙 吝 ナ リ 、 (中 略 ) イ ハ ン ヤ 彼 ノ 挙 止 ハ 据 傲 ニ シ テ 、 ツ ネ ニ 人 ヲ 稗 視 ス 。 マ コ ト ニ 忍 ブ ベ カ ラ ズ 。 ( 原 漢 文 ) と 悪 態 を つ く と こ ろ が 叙 さ れ 、 七 、 八 年 ご ろ の 俗 謡 で は 髭 を 生 や し て 官 員 な ら ば 、 猫 や 鼠 は み な 官 員 と 茶 化 さ れ 、 二 十 年 二 月 刊 の ﹃ 浮 雲 ﹄ 第 二 編 で は 、 あ い し う も な か 天 帝 の 愛 子 、 運 命 の 寵 臣 、 人 の 中 の 人 、 男 の 中 の 男 と 世 の 人 の 尊 重 の 的 、 健 羨 の 府 と な る 昔 所 謂 お 役 人 様 、 今 の 所 謂 官 員 さ ま 、 後 の 世 に な れ ば 社 会 の 公 僕 と 皮 肉 ま じ り に 述 べ ら れ て い る 。 し か し 他 方 、 官 員 は 社 会 的 身 分 と 高 額 の 俸 給 が 保 証 さ れ て い る と い う 面 で 、 右 に 二 葉 亭 四 迷 が 述 べ て い る よ う に 一 般 庶 民 の 羨 望 の 的 で あ り 、 当 時 の も っ と も 輝 か し い 憧 が れ の 職 業 で も あ っ た 。 才 幹 あ る 者 は 身 分 を 問 わ ず 官 員 と し て 登 用 さ れ る と い う 建 前 も あ っ た た め 、 野 心 を 持 っ て 出 世 コ ー ス に 乗 ろ う と す る 書 生 た ち の 希 望 と 理 想 で も あ っ た 。 明 治 二 十 年 七 月 二 十 九 日 、 勅 令 に よ っ て ﹁ 官 吏 服 務 紀 律 ﹂ が 公 布 さ れ た 。 凡 ソ 官 吏 ハ 天 皇 陛 下 及 天 皇 陛 下 ノ 政 府 二 対 シ 忠 順 勤 勉 ヲ 主 ト シ 法 律 命 令 二 従 ヒ 各 其 職 務 ヲ 尽 ス ヘ シ (第 一 条 ) こ れ に よ っ て 従 来 か ら 使 用 さ れ る こ と も あ っ た ﹁ 官 吏 ﹂ と い う 一164一『に ご りえ 』 注解(二) 語 が 公 式 的 に も 力 を 持 ち は じ め る こ と に な っ た 。 官 員 の 採 用 も 、 二 十 年 公 布 の ﹁文 官 試 験 試 補 及 見 習 規 則 ﹂ に よ っ て 学 歴 に よ る 任 用 方 式 に 切 り 換 え ら れ て 行 っ た 。 そ れ か ら 一 〇 年 た っ て 、 東 京 帝 国 大 学 法 科 出 身 者 が ﹁ 至 尊 の 大 権 ﹂ (山 県 有 朋 ) を に な う 官 僚 と し て 独 占 的 な 地 歩 を 占 め る よ う に な っ た 明 治 三 十 年 ご ろ か ら 、 ﹁ 官 員 ﹂ と い う 語 は お そ ら く 古 め か し く 意 識 さ れ る よ う に な り 、 し だ い に ﹁ 官 吏 ﹂ に と っ て 代 わ ら れ る よ う に な っ た と 思 わ れ る 。 ﹃ に ご り え ﹄ の 結 城 と い う 無 職 の 三 十 男 は 、 官 員 が 社 会 的 に 憧 が れ の 職 業 だ と 思 わ れ て い た 当 時 の 風 潮 の 上 に 立 っ て 、 ﹁ 官 員 ﹂ を 冗 談 で "詐 称 4 し て い る の で あ る 。 化 物 で は い ら つ し ゃ ら な い よ (岩 波 文 庫 一 四 頁 8 ∼ 9 行 邑 こ れ は 結 城 朝 之 助 の ま ぜ っ か え す 台 詞 。 前 文 か ら の 文 脈 で は お 力 の こ と ば と も 誤 解 さ れ か ね な い が 、 後 文 ﹁と ⋮ 言 つ て ⋮ 紙 入 れ を 出 せ ば ﹂ の 動 作 主 体 と し て 、 ま た 次 の お 力 の 台 詞 コ 局 ち や ん 失 礼 を い つ て は な ら な い ﹂ 云 々 か ら 見 て 、 こ れ は 結 城 の こ と ば な の で あ る 。 直 前 の お 高 の ﹁ い ら つ し や ら う ﹂ を 一 種 の お う む 返 し の よ う に 使 い 、 結 城 が 自 分 の こ と だ の に ﹁ い ら つ し や る ﹂ と い い 、 し か も ﹁化 物 ﹂ と 結 び つ け て い る の が い っ そ う 滑 稽 な 効 果 を あ げ て い る 。 鼻 の 先 で 言 つ て (掛 波 文 庫 茜 頁 9 行 旦 す ば や く 相 手 の 顔 先 で 言 っ て の 意 。 小 学 館 ﹃ 日 本 国 語 大 辞 典 ﹄ 第 十 六 巻 で は 、 こ の 箇 所 を 用 例 に し て 、 ﹁ す げ な い 態 度 で 言 う ﹂ 意 と し て い る 。 ﹁ 化 物 で は い ら つ し や ら な い よ ﹂ を お 力 の 言 と す れ ば そ れ は 妥 当 し よ う が 、 結 城 の 言 と す れ ば 不 適 と い わ ざ る を え な い 。 ﹁小 馬 鹿 に し た よ う に 言 う ﹂ な ど も 不 適 。 御 大 身 の 御 華 族 様 (岩 波 文 堅 四 頁 -o 行 旦 ﹁ 御 大 身 の ﹂ は 、 諸 注 の ご と く コ 局 位 、 高 禄 の ﹂ の 意 。 い う ま で も な く 口 か ら 出 ま か せ の お 力 の お 世 辞 で 、 遊 客 を い い 気 分 に さ せ る 手 管 の 一 つ 、 裕 福 そ う な 結 城 を 自 分 の 上 客 と し て 固 定 し た い 意 図 が あ る 。 そ し て 会 話 と し て は 、 お 力 が 次 に い う ﹁ お 相 方 の 高 尾 ﹂ と い う 台 詞 を ひ き 出 し て い く こ と に な る の で あ る 。 と こ ろ で こ こ で 、 出 ま か せ な が ら 想 定 さ れ て い る コ 局 位 高 禄 の 華 族 ﹂ と は 、 お そ ら く 大 名 華 族 で あ ろ う が 、 仮 に 現 実 に 即 し て 考 え れ ば ど の 程 度 の 身 分 な の だ ろ う か 。 コ 骨 尾 ﹂ か ら 考 え ら れ る 仙 台 藩 伊 達 家 の ご と き 六 十 二 万 五 千 石 ( 万 治 二 年 、 綱 宗 当 時 ) 、 あ る い は 二 十 八 万 石 ( 明 治 二 年 、 宗 基 当 時 ) と い っ た ﹁大 身 ﹂ で は ま さ か な か ろ う 。 一 葉 の 他 作 に 出 て く る 華 族 の 上 限 は 、 旧 幕 時 代 に 七 万 石 の 大 名 で 、 維 新 後 に 従 三 位 の 子 爵 に な っ た 人 物 ( ﹃ 暁 月 夜 ﹂ ) で あ る 。 ま た 、 三 千 石 の 旗 本 で あ っ て も 明 1
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治 に な っ て の 子 爵 よ り 人 間 が 立 派 、 と い う 叙 述 も あ る ( ﹃ た ま 裡 ﹄ ) 。 そ う い う こ と か ら 推 定 す る と 、 数 千 石 か ら 一 、 二 万 石 ぐ ら い の 子 爵 あ た り で あ ろ う か 。 ち な み に 、 明 治 二 十 八 年 現 在 の 伊 達 家 当 主 宗 基 ( 一 八 六 六 ∼ 一 九 一 七 ) は 従 三 位 、 伯 爵 で あ っ た 。 お 相 方 の 高 尾 (岩 波 文 庫 一 四 頁 12 行 旦 ﹁ 相 方 ﹂ は 、 遊 客 の 相 手 を す る そ の 当 の 遊 女 の こ と を い い 、 敵 娼 と も 書 く 。 ﹁高 尾 ﹂ は 、 寛 永 末 二 六 四 二 ) の こ ろ よ り 延 享 二 七 四 四 ) ご ろ ま で 百 年 余 に わ た っ て 襲 名 さ れ て き た と こ ろ の 、 吉 原 三 浦 屋 四 郎 左 衛 門 抱 え の 太 夫 職 の 遊 女 の 源 氏 名 で 、 六 代 あ る い は 十 代 、 あ る い は 十 二 代 続 い た と い わ れ る ( た だ し 、 明 暦 三 年 ま で は 元 吉 原 ) 。 こ こ で い わ れ て い る の は 、 右 の う ち 最 も 名 高 い 二 代 目 高 尾 の こ と で あ る 。 二 代 目 高 尾 は 、 諸 種 の 伝 承 を ま と め る と 、 江 戸 よ り 四 十 里 は し も つ け の し お や な れ た 下 野 国 塩 野 ︹塩 谷 ︺ 郡 塩 原 村 塩 釜 の 出 身 、 世 に も 稀 な 美 人 で 、 三 浦 屋 の 抱 え と な っ て 書 ・ 琴 。 三 味 線 ・ 和 歌 を よ く し 、 そ の 才 芸 は 衆 に ぬ き ん で て い た と い わ れ 。 る 万 治 三 年 ( エ ハ 六 〇 ) さ む か ぜ 十 二 月 二 十 五 日 、 異 説 で は 同 二 年 十 二 月 五 日 、 辞 世 の 句 ﹁寒 風 に も ろ く も 朽 つ る 紅 葉 か な ﹂ を 残 し て 二 十 二 歳 の 生 涯 を と じ た と 伝 え ら れ る 。 法 号 は 伝 誉 妙 身 ︹ ﹁ 心 ﹂ と も ﹁ 順 ﹂ と も ︺ 信 女 、 墓 碑 は 浅 草 三 谷 の 春 慶 院 ( 現 ・ 台 東 区 東 浅 草 ニ ー 一 四 ー 一 ) と 浅 草 聖 天 町 の 西 方 寺 (関 東 大 震 災 後 、 現 ・ 豊 島 区 西 巣 鴨 四 -八 -四 三 に 移 転 ) に 現 存 す る と い う こ と で あ る 。 こ の 高 尾 は ま た 、 六 十 二 万 五 千 石 仙 台 藩 主 伊 達 綱 宗 に 思 い を か け ら れ 、 そ の こ と が 伊 達 騒 動 の 発 端 に な っ た と い う 巷 説 が あ り 、 一 七 四 〇 年 以 降 十 指 を こ え る 歌 舞 伎 ・ 浄 瑠 璃 に 仕 組 ま れ て こ と さ ら に 有 名 で あ っ た 。 仙 台 藩 士 で あ り ﹃言 海 ﹄ を 編 し た 大 槻 文 彦 は 、 大 部 の ﹃ 伊 達 騒 動 実 録 く 乾 坤 二 巻 V ﹄ (明 42 刊 ) を あ ら わ し て 綱 宗 と 高 尾 が 無 関 係 で あ っ た こ と を も 考 証 し 、 幕 臣 出 の 山 路 愛 山 も ﹃ 伊 達 騒 動 記 ﹄ (明 34 初 、 大 1 再 ) で 高 尾 の 件 は 浮 説 虚 談 だ と き め つ け て い る が 、 そ の 愛 山 が 俗 本 だ と 難 じ た ﹃絵 本 伊 達 顕 秘 録 ﹄ (明 18 、 鶴 声 社 ) に よ る と 、 そ の 巷 説 の 概 要 は 次 の よ う で あ る 。 綱 宗 は 、 夜 ご と の 吉 原 通 い が 嵩 じ 三 浦 屋 の 太 夫 高 尾 を わ が 物 に し よ う と す る が 、 高 尾 は 島 田 重 三 郎 と い う 男 と 堅 い 夫 婦 約 束 を し て い て 、 そ の た め 決 し て 綱 宗 に 身 に 任 そ う と し な か っ た 。 綱 宗 は こ の 上 は 身 請 け す る し か 方 法 は な い と 心 を き め 、 近 ご ろ 莫 大 な 金 銀 を 自 分 の 奢 修 の た め に 費 消 し て そ に い て 算 段 の む ず か し い こ と を 知 り な が ら 、 側 用 人 に そ の 身 請 け 金 の 用 立 て を 命 じ た 。 ( そ の 身 請 け 金 は 、 か ね て 謀 計 を い だ い て い た 原 田 甲 斐 が 支 出 さ せ る 。 ) 綱 宗 が い よ い よ 身 一166一『に ご りえ』 注 解(二) 請 け す る 旨 を 高 尾 か ら の 手 紙 で 知 っ た 島 田 重 三 郎 は 、 " 金 か た き が 敵 " の 世 の 中 を 狂 人 の よ う に 嘆 く し か な か っ た 。 高 尾 も 泣 き 悲 し ん だ が 、 今 と な っ て は な す 術 も な く 三 浦 屋 の 主 人 に な だ め す か さ れ 、 今 戸 橋 か ら 迎 え の 楼 船 に 乗 り こ み 、 大 川 ︹隅 田 川 ︺ を 下 る こ と に な っ た 。 ︹伊 達 家 の 浜 屋 敷 が 汐 留 に あ っ た の で 、 汐 留 橋 ま で 船 路 で あ る 。 ︺ 船 中 の 高 尾 は 、 物 も い わ ず た だ 重 三 郎 の こ と を 思 い 、 襟 に 顔 を う め て 泣 い て い た 。 一 座 の 者 は 、 綱 宗 の 手 前 も あ り 、 座 を 賑 や か に す る こ と に 必 死 に な っ た が 、 高 尾 の 機 嫌 は す こ し も 改 ら な い 。 綱 宗 が や さ し く 慰 め る と 、 高 尾 は 重 三 郎 の こ と を 打 ち あ け 、 綱 宗 の 意 に 従 え ば 重 三 郎 へ の 操 が 立 た ず 、 重 三 郎 へ の 誠 を 立 て れ ば 綱 宗 の 金 銀 を 盗 ん だ 罪 人 と な る 、 こ の 上 は な に と ぞ 剃 髪 出 家 す る こ と を 許 し て ほ し い と 愁 訴 し た 。 綱 宗 は 重 ね て い た わ り 、 過 去 の こ と は 思 い 切 れ と さ と す が 、 高 尾 は い よ い よ 嘆 き に 嘆 い て 川 に 身 を 投 げ た い と い う 。 綱 宗 は つ い に 声 を 荒 げ て 高 尾 を 叱 り つ け 、 不 興 気 な 顔 つ き を し み つ ま た な か ず た 。 船 は ち ょ う ど 三 股 ︹大 川 が 中 洲 ( 現 ・ 日 本 橋 中 洲 と 箱 崎 町 ) に よ っ て 分 流 し て い る あ た り ︺ に さ し か か っ て い た が 、 高 尾 は 突 然 立 ち あ が り 川 の 深 み に 身 を 投 げ よ う と し た 。 近 習 が あ わ て て 高 尾 を 抱 き と め た が 、 そ れ を 見 た 綱 宗 は 激 怒 し て 大 音 声 を は り 上 げ 、 ﹁ お の れ 先 刻 よ り 詞 を 尽 し 宥 む つ ら れ ば 付 上 り て 身 を 投 ん と す る は 不 届 千 万 な り 。 年 月 我 に 憂 か り し 恨 み 今 思 ひ 知 ら せ ん ﹂ と 、 高 尾 の た ぶ さ を ひ っ つ か み 、 左 手 に 刀 を ぬ き 放 っ て 、 高 尾 を 宙 に 下 げ て 船 ば た に 突 っ 立 ち 、 制 止 し よ う と す る 近 習 を 追 い は ら い 、 高 尾 の 腰 の つ が い を さ っ と 切 り 放 し た 。 腰 よ り 上 の 半 身 が 綱 宗 の 手 に 残 り 、 下 半 身 は 川 に 沈 ん だ が 、 や が て 綱 宗 は 上 半 身 を も 川 中 へ 投 げ い れ 、 血 刀 を 拭 っ た の で あ る 。 (そ の 後 、 綱 宗 は し ば ら く 遊 興 を や め て い た が 、 伊 達 兵 部 ・ 原 田 甲 斐 の 意 を う け た 近 習 の す す め で 、 今 度 は や は り 三 浦 屋 の 薄 雲 太 夫 を 相 手 と し 、 初 会 か ら 契 り を 結 ぶ こ と に な る の で あ る 。 ) な お 付 言 し て お け ば 、 こ の ﹃ 顕 秘 録 ﹄ に は 、 俗 に 伝 え ら れ る よ う な 島 田 重 三 郎 が 六 百 俵 扶 持 の 旗 本 で あ っ た と か 、 綱 宗 が 身 請 け 金 と し て 高 尾 の 体 重 と 同 じ 重 さ の 小 判 を 支 払 っ た と か い う 記 述 は な い 。 ﹃ 伊 達 顕 秘 録 ﹄ に お け る 右 の 挿 話 は 、 全 内 容 四 六 章 中 の ﹁綱 宗 が よ い 三 谷 通 の 事 ﹂ ﹁ 綱 宗 高 尾 を 身 請 三 股 に て 手 討 の 事 ﹂ と い う わ ず か 二 章 を 占 め る に す ぎ な い が 、 そ れ な り に 金 銀 で は 買 え な い 真 の 遊 女 の 操 、 そ こ に 見 ら れ る 遊 女 の 意 地 と 張 り と の 真 髄 、 さ ら
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に 吉 原 に お い て 華 美 全 盛 を 誇 る 高 級 な 遊 女 と い え ど も 文 字 ど お り 肉 を け ず り 血 を 澗 ら す 境 涯 に す ぎ な い の だ と い っ た よ う な 主 題 や 人 生 の 教 訓 が こ め ら れ て い る の で あ る 。 こ の ﹁綱 宗 高 尾 を 身 請 三 股 に て 手 討 の 事 ﹂ と い う の が 、 ど こ ま で 間 違 い の な い 史 実 か ど う か は 別 と し て 、 こ れ を 発 端 の 一 と す る い わ ゆ る 伊 達 騒 動 と い う 政 治 的 事 件 は 、 江 戸 時 代 ( の み な ら ず 戦 後 の 山 本 周 五 郎 ﹃ 椎 の 木 は 残 っ た ﹄ 昭 33 、 単 行 二 巻 本 ま で ) に さ ま ざ ま な バ ラ エ テ ィ を 持 っ て 歌 舞 伎 ・ 浄 瑠 璃 ・ 舞 踊 曲 ・ 長 唄 に 仕 立 て ら れ 、 端 唄 に も な っ た 。 歌 舞 伎 か い び や く 。 ..が わ 呈 , 浄 瑠 璃開
開
今
川
状
む っ ゆ た ま か わ け い せ い 睦 玉 川 管 も み じ の つ ち か け け い せ い 紅 葉 福 め い ぼ く せ ん だ い に ぎ伽
羅
先
代
萩
だ て く ら べ お く に か ぶ き 伊 達 競 阿 国 戯 場 畳 だ て ぞ め し か た こ う し や く 伊 達 染 仕 方 講 釈 子 ぜ ん せ い だ て の く る わ い り 全 盛 伊 達 曲 輸 入 畳 さ く ら ぶ た い ま く の だ て ぞ め桜
舞
台
幕
伊
達
染
ぽ ん ぜ い む く に か ぶ き 万 歳 阿 国 歌 舞 伎 勢 う め も ぢ じ に し き の だ て お り梅
照
葉
錦
伊
達
織
じ つ ろ く せ ん だ い は ぎ実
録
先
代
萩
延 占呈 二 兀 年 ( 一 七 四 四 ) 初 演 明 和 四 年 ( 一 七 六 七 V 安 永 元 年 ( 一 七 七 二 ) 安 永 六 年 ( 一 七 七 L ) 安 永 七 年 二 七 七 八 V 天 明 二 年 ( 一 七 八 二 ) 享 和 元 年 ( 一 八 〇 じ 文 政 三 年 ( 一 八 二 〇 ) 文 政 十 年 2 八 二 七 ) 明 治 一兀 年 ( 一 八 六 八 )江富
侵本
唄節
ほ と と ぎ す だ て カ き き が き ( 早 苗 鳥 伊 達 聞 書 ) 端 唄 の 一 例 陸 奥 の 殿 様 、 中 洲 の 沖 へ と 急 ぎ 船 や れ 、 船 唄 よ い な 、 ア 、 目 出 度 ノ \ の 若 松 様 や 、 ア ∼ 不 欄 や 高 尾 は 下 げ 斬 り だ い 。 (* 印 ﹁伊 達 騒 動 狂 言 集 ﹂ 所 牧 ) 明 治 に な っ て か ら も 高 尾 に 関 す る 巷 説 は 衰 え る ど こ ろ か 、 い っ そ う 人 気 を 得 て 流 布 し て い た と 思 わ れ る 。 ﹃ 絵 本 伊 達 顕 秘 録 ﹄ と 同 内 容 の も の が ﹃ 伊 達 騒 動 記 ﹄ と 表 題 を 変 え ら れ て 明 治 十 九 年 、 二 十 一 年 、 二 十 九 年 と 東 京 大 川 屋 書 店 か ら 刊 行 さ れ た り 、 河 竹 黙 阿 弥 が ﹃ 実 録 先 代 萩 (早 苗 鳥 伊 達 聞 書 ) ﹄ を 書 き 下 ろ し て 明 治 九 年 六 月 新 富 座 で 上 演 し た り 、 あ る い は 十 八 年 十 一 月 発 表 の ﹃当 世 書 生 気 質 ﹄ 第 十 五 回 に は 、 コ 局 尾 、 薄 雲 の 跡 を 慕 な ま ひ て 、 生 に 風 雅 め か す 娼 妓 ﹂ な ど と 書 か れ た り も す る 。 ま た 伊 達 騒 動 の 本 筋 も の で あ る ﹃ 伊 達 競 阿 国 戯 場 ﹄ は 、 ﹃ に ご り え ﹄ が 執 筆 さ れ は じ め る 約 四 か 月 前 の 明 治 二 十 八 年 二 月 、 歌 舞 伎 座 う う ち も て だ て カ モ め こ ぞ で裏
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水
上
な か ず 連 れ て 、 明 治 九 年 ( 一 八 七 六 ) 明 治 二 十 一 年 ( 一 八 八 八 ) 延 盲 子 一兀 年 ( 一 七 四 四 ) 天 明 二 年 ( 一 七 八 二 ) 享 和 元 年 ( H 八 〇 一 ) 文 政 十 二 年 ( 一 八 二 九 V 吉 原 通 ひ 、 御 家 中 引 き 一168一『に ご りえ 』注 解(二) で 上 演 さ れ て い る の で あ る 。 こ う し て 見 て く る と 、 ﹃ に ご り え ﹄ は 高 尾 に 関 す る 巷 説 と か な り 類 似 し て い る 点 が あ る と い う こ と も で き よ う 。 国 一 人 の "遊 女 躍 を め ぐ る 二 人 の 身 分 の ち が う 男 性 の 三 角 関 係 と い う 点 、 回 最 後 に ,遊 女 " が 斬 殺 さ れ る と い う 筋 立 て の 点 、 團 高 尾 は 重 三 郎 へ の 操 立 て 、 お 力 は 源 七 の 妻 子 へ の 義 理 立 て と い う 、 "遊 女 σ の 意 地 と 張 り と を あ る 程 度 打 ち 出 し て い る 点 、 圏 "遊 女 " の 外 面 の 華 や か さ の う ち に ひ そ む 本 質 的 に は か な い 境 遇 と い う 設 定 の 点 に お い て 、 両 者 に は 共 通 し て い る と こ ろ が あ る と い え よ う 。 ﹃ に ご り え ﹄ の 作 品 世 界 に お い て は 、 お 力 は 、 さ ま ざ ま な 形 で 知 っ て い た 代 表 的 な 遊 女 ・ 高 尾 の 名 を 持 ち だ し 、 座 興 的 に 自 分 を 高 尾 に 見 立 て 、 そ の 結 果 必 然 的 に し か し 暗 に 結 城 を 伊 達 侯 と 見 な し て い る 。 結 城 は そ の た め 、 祝 儀 を 出 す に し て も ま っ た く 渋 い 顔 が で き に く く な る 。 お 力 の 巧 妙 き わ ま る 話 術 と 手 管 と い う べ き で あ る 。 そ の 他 の 参 照 文 献 ◆ ﹃ 燕 石 十 種 ﹄ 第 一 、 明 40 刊 。 ◆ ﹃ 高 屏 風 く だ 物 が た り ﹄ 大 4 刊 。 ◆ 田 辺 実 明 ﹃ 先 代 萩 の 真 相 ﹄ 大 10 刊 。 ◆ ﹃ 近 世 実 録 全 書 ﹄ 第 十 巻 、 昭 3 刊 。 ◆ ﹃ 伊 達 騒 動 狂 言 集 ﹄ 日 本 戯 曲 全 集 16 、 昭 4 刊 。 ◆ ﹃ 鼠 瑛 十 種 ﹄ 上 巻 、 昭 53 刊 。 ね へ み ん な 姉 さ ん ﹁ 同 (岩 波 文 庫 一 五 頁 ユ 行 目 . 2 行 目 V ﹁ 姉 さ ん ﹂ は 、 朋 輩 の 酌 婦 の 年 長 者 ( こ こ で は お 照 ) を さ す あ る じ か み の か 、 そ れ と も 菊 の 井 の ﹁ 女 主 ﹂ ( お 女 将 ) を さ す の か は っ き り し な い が 、 次 の 注 と も か か わ っ て 前 者 の お 照 と 考 え て お く 。 み ん な ﹁ 一 同 ﹂ と は そ の 他 の 雇 い 人 で 、 菊 の 井 は 間 ロ ニ 間 の 小 さ い 料 理 屋 で あ る か ら 、 ﹁ 杯 盤 を 運 び き し 女 ﹂ 二 八 頁 8 行 ) と ﹁ 言 ひ つ け て お 銚 子 の 仕 度 ﹂ を さ せ る ﹁小 女 ﹂ (三 責 9 -10 行 ) と を 別 人 と 見 る と 、 こ れ ら の 仲 働 き が 二 人 、 そ の ほ か に 当 然 下 働 き の 女 一 人 、 そ れ か ら 男 衆 が 一 人 い る と 推 定 さ れ る 。 み ん な い 大 き い の で 帳 場 の 払 ひ を 取 つ て 残 り は 一 同 に や つ て も 宜 い (岩 波 文 庫 一 五 頁 2 行 目 ) ﹁大 き い の ﹂ は 大 き な 額 の 紙 幣 の こ と 。 ﹁ 帳 揚 の 払 ひ ﹂ は 酒 肴 料 ・ 席 料 ・ 酌 料 の 合 計 代 金 の 支 払 ひ の こ と で あ り 、 そ の う ち 酒 肴 料 は 菊 の 井 の よ う な 曖 昧 料 理 屋 で は 、 普 通 の 店 の 二 倍 な い し 三 倍 と る の が し き た り で あ っ た 。 当 時 通 用 し て い た 紙 幣 は 、 次 の と お り で あ る (た だ し 、 旧 漢 字 は 現 行 字 体 ) 。 百 円 紙 幣 二 種 類 (明 一 八 ・ 九 初 発 行 ∼ 昭 一 四 ・ 三 ) ( 明 二 四 ・ 一 一 ∼ 昭 一 四 ・ 三 ) 十 円 紙 幣 二 種 類 (明 一 八 ・ 五 ∼ 昭 一 四 ・ 三 )
文林
十八号
( 明 二 三 ・ 三 ∼ 昭 一 四 ・ 三 ) 五 円 紙 幣 二 種 類 ( 明 一 九 ・ 一 ∼ 昭 一 四 ・ 三 ) ( 明 二 一 ・ 一 一 ∼ 昭 一 四 ・ 三 ) 一 円 紙 幣 二 種 類 ( 明 一 八 ・ 九 ∼ 戦 後 ) ( 明 二 五 ・ 五 ∼ 戦 後 ) 五 十 銭 紙 幣 一 種 類 ( 明 一 六 ・ 六 ∼ 明 三 二 ・ 一 二 ) 二 十 銭 紙 幣 一 種 類 ( 明 一 六 ・ 六 ∼ 明 三 二 ・ 一 二 ) と す る と 、 本 文 で い う ﹁ 大 き い の ﹂ と は 、 十 円 紙 幣 か 五 円 紙 幣 か の い ず れ か で あ る 。 次 に 祝 儀 の 額 は 、 だ い た い ど の く ら い で あ ろ う か 。 明 治 十 九 ヘ へ 年 四 月 刊 ﹃ 東 京 妓 情 ﹄ に よ れ ば 、 こ れ は 芸 妓 の 場 合 で あ る が 、 最 高 級 の 柳 橋 ・ 新 橋 で は 二 円 か ら 三 円 、 そ れ 以 下 の 場 所 で は 五 十 銭 以 上 二 円 ま で 客 の 心 に ま か せ て よ い と 記 さ れ て い る 。 (な お 同 書 で は 、 ﹁ 赤 坂 ﹂ は 東 京 全 市 内 の 芸 者 街 中 、 最 下 位 に 置 か れ て い る 。 ) 山 田 美 妙 の 明 治 二 十 四 年 二 十 五 年 の 日 記 に よ れ ば (塩 田 良 平 ﹁明 治 文 学 論 考 ﹂ 所 牧 ) 、 料 亭 の 女 中 へ の 祝 儀 が 普 通 三 十 銭 か ら 二 十 銭 で あ る (料 理 は 七 、 八 十 銭 か ら 一 円 三 十 銭 ぐ ら い ま で ) 。 ま た ﹃ 東 京 風 俗 志 ﹄ に よ る と 明 治 二 十 九 年 の 資 料 で 、 下 へ ゐ ヘ へ 男 の 月 給 が 四 円 か ら 二 円 、 下 女 の 月 給 が 一 円 五 十 銭 か ら 八 十 銭 と 記 さ れ て い る 。 こ の よ う な と こ ろ か ら 推 理 す る と 、 ﹁ 大 き い の ﹂ 一は 十 円 紙 幣 で な く 、 五 円 紙 幣 と 考 え た ほ う が 妥 当 で あ る 。 祝 儀 ( こ こ で は 総 花 ) と 帳 場 へ の 支 払 い 金 額 と は 、 お お よ そ 次 の よ う で あ ろ う 。 帳 場 へ の 払 い (栴 人 揃 ) 仲 働 き ( 二 名 ) 下 働 き ( 一 名 ) 男 衆 ( 一 名 ) ﹁ お 前 ﹂ ( お 高 ) ﹁ 姉 さ ん ﹂ (お 照 ) な お 三 円 六 十 銭 一 円 (各 五 十 銭 ) 二 十 銭 二 十 銭 一 円 一 円 み 一 一 一一閏■一ノ 計 五 円 計 二 円 な ﹃ 大 つ ご も り ﹄ 下 に 、 ﹁ 十 か 二 十 か 悉 皆 と は 言 は ず 唯 二 枚 ﹂ と お 峰 が 金 を ほ し が る 箇 所 が あ る が 、 こ こ は 一 円 紙 幣 二 枚 の 意 。 起 つ て 障 子 を 明 け 、 手 摺 り に 寄 つ て 頭 痛 を た た く に (岩 波 文 庫 一 五 頁 6 行 目 ) お 力 が ﹁ 起 つ て 障 子 を 明 け 、 手 摺 り に 寄 ﹂ る の は 、 一 席 の 終 わ り で あ り 、 結 城 朝 之 助 に も う 帰 っ て ほ し い と い う 意 思 を 腕 曲 に 表 示 し て い る の で あ る 。 な が 妓 が 席 を 起 ち 欄 干 に 愚 り て 他 所 を 吟 め 、 或 は 屡 々 席 を 離 る 、 こ と あ ら ば 飽 き の 来 た る 極 点 と し て 早 く 切 り 上 げ 帰 る べ し 。 ( ﹃ 東 京 妓 情 ﹄ ) 一170一『に ご りえ 』 注解(二) ﹃ 東 京 妓 情 ﹄ か ら そ っ く り そ の ま ま 採 っ た よ う な 叙 述 で あ る 。 そ し て 結 城 は 当 然 帰 り 仕 度 を す る の で あ る 。 ﹁ 頭 痛 を た ∼ く ﹂ は 、 前 頭 こ め か み あ た り を ご く 軽 く 指 先 で た た く こ と 。 別 に 頭 痛 で な く て も 、 気 が 重 い と き 、 な に か 思 案 の あ る と き 、 気 分 転 換 を し た い と き な ど に 行 な う 。 作 者 は こ こ で 、 お 力 が 頭 痛 持 ち で あ る と い う こ と を 訴 え よ う と し て い る の で あ ろ う か 。 そ れ よ り も 、 お 力 に は 心 中 な に か 思 い 悩 む と こ ろ が あ る と い う 主 題 に か か わ る 事 柄 の 一 つ の 伏 線 を 張 っ て い る と 見 る べ き で あ ろ う 。 そ し て そ れ は ま た ﹃ 好 色 五 人 女 ﹂ 巻 一 に お け る お 夏 の 虫 歯 の よ う に く 佳 人 沈 愁 の 図 V と い っ た 趣 を も 意 図 し た も の で は な か ろ う か 。 い ず れ に せ よ こ の ﹁ 頭 痛 ﹂ を 、 一 葉 日 記 に 散 見 さ れ る 作 者 の 頭 痛 に 結 び つ け る だ け の 解 は 不 十 分 。 写 真 を く れ ︹岩 波 文 庫 一 五 頁 8 行 目 ) 御 国 処 に う つ し ま せ う (同 9 行 目 ) 写 真 は 、 安 政 元 年 ( 一 八 五 四 ) ご ろ 横 浜 か ら 伝 わ り 、 明 治 初 期 に は 各 地 に 写 真 館 が で き た 。 明 治 六 、 七 年 ご ろ に は 東 京 だ け で 数 十 名 の 写 真 師 が い た ら し い 。 明 治 十 二 年 に は 浅 草 奥 山 だ け で 三 十 七 、 八 名 の 写 真 師 が い て 過 当 競 争 に な り 、 店 の 前 で 客 引 き を し た と い う 。 芸 娼 妓 な ど は 積 極 的 に 写 真 を 写 し て も ら い 、 店 頭 に 飾 り 出 し た り 雑 誌 な ど に 掲 載 し て も ら っ た り し た ( ﹃ 東 京 新 繁 昌 記 ﹄ ﹃ 武 江 年 表 ﹄ ) 。 遊 廓 内 で 営 業 し て い る 写 真 師 や 出 張 し て く れ る 写 真 師 は 、 遊 客 と 芸 娼 妓 と の 一 緒 の 写 真 を む ろ ん い く ら も 写 し て く れ た が 、 こ の ﹃ に ご り え ﹄ の ば あ い 本 当 に 写 す と し た ら 、 お そ ら く 二 人 で 写 真 館 へ 出 か け た で あ ろ う と 思 わ れ る 。 小 石 川 柳 町 あ る い は 丸 山 福 山 町 近 辺 に は お そ ら く 写 真 館 は な か っ た の で は な い か と 推 測 さ れ る の で 、 一 葉 日 記 に 出 て く る 神 田 区 淡 路 町 三 丁 目 に あ っ た 江 木 写 真 館 あ た り が 比 較 的 近 い こ と に な ろ う 。 他 に も 一 葉 日 記 に は 、 麹 町 区 二 丁 目 に あ っ た 鈴 木 写 真 館 の 名 が 出 て く る (所 在 地 に つ い て は 、 筑 摩 新 全 集 野 口 碩 氏 の 注 に よ る ) 。 現 在 も 広 く 用 い ら れ て い る 一 葉 の 上 半 身 の 写 真 は 、 も と も と ﹃ 文 芸 倶 楽 部 ﹄ 明 治 二 十 八 年 十 二 月 発 行 臨 時 増 刊 号 に 掲 載 す る た め 、 養 嗣 子 樋 口 悦 に よ る と 中 黒 写 真 館 で 撮 影 し た も の で 、 そ れ が そ の 後 、 小 花 写 真 館 で 修 正 複 写 さ れ て 流 布 し て い る と い う こ と で あ る (塩 田 良 平 ﹃ 樋 口 一 葉 研 究 ﹄ 増 補 改 訂 版 、 七 八 六 ー 八 頁 ) 。 こ の 中 黒 、 小 花 両 写 真 館 の 所 在 地 に つ い て は 未 調 査 。 羽 織 (岩 波 文 庫 一 五 頁 n 行 目 ) 生 地 は 紹 、 あ る い は 紗 、 丈 は 中 く ら い の ひ と え の 夏 羽 織 。 山 高 帽 子 に 羽 織 と い う ス タ イ ル で あ る 。 よ 九 十 九 夜 の 辛 捧 (岩 波 文 庫 一 五 頁 12 行 目 ) 緑 雨 本 全 集 以 降 ﹁ 辛 防 ﹂ 。 深 草 の 少 将 が 小 野 小 町 に 恋 い こ が
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十八号
ら も よ れ 、 百 夜 通 っ て 自 分 の 誠 を あ か し だ て よ う と す る が 、 九 十 九 夜 目 の 雪 の 道 に 凍 え て 行 き 倒 れ 、 死 ん だ と い う 伝 説 に よ っ て い る 。 こ こ で は 、 何 回 も 何 回 も 自 分 の も と に 通 っ て く れ た ら 身 を ま か す こ と も あ る と い う 、 こ の 種 の 職 業 の 女 性 が 使 う 常 套 語 。 百 夜 通 い の 伝 説 は 、 謡 曲 、 歌 舞 伎 、 浄 瑠 璃 、 所 作 事 、 各 種 歌 謡 な ど に 数 多 く と り 入 れ ら れ て い る 。 そ の う ち 短 い も の を い く つ か あ げ て お く 。 0 歌 沢 節 小 町 お も へ ば 照 る 日 も 曇 る 四 位 の 少 将 が 涙 雨 九 十 九 夜 さ で ご ざ ん せ う (下 略 ) 。 Q 同 小 町 姫 色 深 草 の 少 将 が 恋 に た れ し も ゆ き な や む し し き ゐ や く と い ふ 字 に わ か れ て も 舗 居 の 高 き か ど の 戸 を 雨 か 霰 か は ら く と わ た し の り ん き は ぬ し の わ ざ や が て 百 夜 通 ふ て そ ふ な ら ば サ ア エ 恋 し い 事 ぢ や な い か い な サ ツ サ こ が る ∼ は ず ぢ や い な 。 よ O 縁 か い な 節 小 野 の 小 町 に 深 草 が 、 通 ひ つ め た る 九 十 九 夜 、 い つ し か つ れ な い お と し 穴 、 こ れ が 骨 折 り そ ん か い な 。 ○ ト ツ チ リ ト ン こ れ は 深 草 少 将 さ ま は 、 小 野 小 町 に 恋 焦 れ 、 百 夜 の 誓 文 た て ん と て 、 雨 や あ ら れ の い と ひ な く 通 ひ く し そ の 内 に 、 雪 に こ ゴ え て 行 き 倒 れ 、 み な 無 駄 事 の 九 十 九 よ 夜 、 恋 に は ゑ ら い 深 草 も 、 せ う く ぬ け た お 人 だ ろ 。○
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こ え あ ひ か の や の 関 を 越 逢 に 来 る は 彼 深 草 の 少 将 が 九 十 九 夜 共 思 ふ は 是 皆 君 へ の 真 実 成 ず や 。 力 ち や ん 大 明 神 様 (署 波 文 障 一 六 頁 2 行 旦 お 力 の 、 客 か ら う ま く 祝 儀 を せ し め る 手 腕 の 巧 み さ を 賞 め た た え 、 ユ ー モ ラ ス に あ が め た 表 現 。 店 の 者 た ち は 、 神 の 尊 称 で あ る ﹁ 大 明 神 ﹂ を お 力 の 名 前 の 下 に つ け て 、 そ の 実 際 的 な 御 利 益 の あ ら た か さ に 感 謝 し て い る の で あ る 。 当 時 の 市 内 近 郊 に は 、 ね お と り ﹁ 神 田 大 明 神 ﹂ ﹁ 鳥 越 大 明 神 ﹂ ﹁鷺 大 明 神 ﹂ ﹁白 髪 大 明 神 ﹂ ﹁新 田 大 明 神 ﹂ な ど が あ っ た し 、 ま た コ 局 尾 大 明 神 ﹂ と い う 小 桐 も 永 代 橋 の 西 詰 に あ っ た ( ﹃高 尾 考 ﹄ ) と い わ れ る 。 そ の ほ か わ が つ ま か ト さ ま ﹁ 我 妻 大 明 神 ﹂ (緑 雨 ﹃ 犬 蓼 ﹄ ) ﹁ 母 様 大 明 神 ﹂ ( 一 葉 ﹃ 作 品 23 ﹄ ) 、 絹 川 と い う 角 力 取 に つ け て ﹁絹 川 の 大 明 神 ﹂ ( ﹃伊 達 競 阿 国 戯 場 ﹄ ) 、 あ る い は ま た 全 く 駄 目 に な る こ と を ﹁あ が っ た り 大 明 神 ﹂ ( ﹃ 浮 世 風 呂 ﹄ ) と い っ た り す る 使 い 方 も あ る 。 ( 三 ) 馬 車 に の つ て 来 る 時 都 合 が 悪 る い か ら 道 普 請 か ら し て 貰 い た い ね (岩 波 文 庫 一 六 頁 -o 行 旦 朋 輩 の 酌 婦 た ち が 、 お 力 と 結 城 朝 之 助 と の 仲 を ﹁ 力 ち や ん お 一172一『に ご りえ 』 注解(二) 楽 し み で あ ら う ね 、 男 振 は よ し 気 前 は よ し 、 今 に あ の 方 は 出 世 を な さ る に 相 違 な い 、 其 時 は お 前 の 事 を 奥 様 と で も い ふ の で あ ら う ﹂ な ど と 、 岡 焼 半 分 か ら か っ た の に た い し て 、 お 力 が 臆 面 も な く 切 り 返 し た 台 詞 で あ る 。 ﹁ 馬 車 に の つ て 来 る ﹂ は 、 ﹁ 出 世 ﹂ し た 結 城 の ﹁ 奥 様 ﹂ に お 力 が な る の だ ろ う と 冷 や か さ れ た の に 応 戦 し て 、 お 力 が 仮 想 の 自 分 の ﹁ 出 世 ﹂ ぶ り を わ ざ と 具 体 的 に 誇 張 し 相 手 を 多 少 と も 鼻 白 ま せ る よ う に 言 っ て い る の で あ る 。 直 前 の 第 二 章 に お い て お 力 は 、 初 会 の 結 城 朝 之 助 に た い し 、 こ う い う 席 で は し ご く 当 然 の 冗 談 も 冗 談 の 世 辞 な が ら ﹁ 此 お 方 は 御 大 身 の 御 華 族 様 お し の び あ る き の 御 遊 興 さ ﹂ と 勝 手 に 結 城 の 身 分 を 決 め て い た が 、 そ の 仮 想 の ひ き つ づ き の 線 上 に 立 つ 台 詞 が ﹁ 馬 車 に の つ て 来 る ﹂ な の で あ り 、 そ し て ︿ 馬 車 に 乗 る ﹀ と い う の は 大 身 の 華 族 の ﹁ 奥 様 ﹂ の 社 会 的 身 分 を 誇 示 す る ス テ イ タ ス ・ シ ン ボ ル な の で あ る 。 樋 口 一 葉 は 、 他 の 作 品 の な か で も こ の ﹁ 馬 車 ﹂ に つ い て 書 い て い る 。 O ﹃闇 桜 ﹄ (上 ) ゆ ム ベ 良 さ ん 、 昨 夕 は 嬉 し き 夢 を 見 た り 。 お 前 様 が 学 校 を 卒 業 な さ れ て 、 何 と い ふ お 役 か 知 ら ず 、 高 帽 子 立 派 に 黒 ぬ り の 馬 車 に の り て 、 西 洋 館 へ 入 り 給 ふ 所 を 。 O ﹁花 こ も り ﹄ (其 一 ) 嬉 し き 迎 ひ は 我 が 足 も と ま で 来 り け る も の を と 、 お 近 は 瑞 や む ね ん も ひ 雲 の 我 が 家 の 棟 に 棚 引 け る 如 き 想 像 に か ら れ て 、 八 字 の 留 に 威 厳 そ な は る 与 之 助 が 、 黒 ぬ り 馬 車 に 栄 華 を ほ こ る 面 か げ ま で 、 あ り く と 胸 の う ち に 描 か れ ぬ 。 ○ ﹃ わ か れ 道 ﹄ (上 ) も と お 前 さ ん な ぞ は 以 前 が 立 派 な 人 だ と 言 ふ か ら 、 今 に 上 等 の 運 が 馬 車 に 乗 っ て 迎 ひ に 来 や す の さ 。 だ け れ ど も お 妾 に な る と い ふ 謎 で は な い ぜ 。 ○ ﹃ 作 品 38 ﹄ ( 無 題 そ の 十 二 ) (そ な は つ ) 君 な ん ぞ は も と 手 の い ら な い 面 道 具 と い ふ が 具 て 居 る か ら 、 何 処 か 月 雇 ひ に で も 出 か け た ら 何 う か 、 女 は 矢 つ ぱ り 氏 な く て 玉 の 馬 車 だ 。 こ れ ら の 用 例 は す べ て 、 ﹁ 馬 車 ﹂ ﹁ 馬 車 に 乗 る ﹂ を ス テ イ タ ス . シ ン ボ ル と し て 明 確 に と ら え て い る の で あ る 。 こ こ で 、 馬 車 に 関 す る 当 時 の 資 料 を い く つ か あ げ て お く 。 0 ﹃ 東 京 新 繁 昌 記 ﹄ 馬 車 は も と 豪 富 の 物 に し て 、 一 時 の 賃 物 に 非 ざ る な り 。 故 に 、 貧 生 の 買 ひ 及 ぶ 所 に あ ら ず 。 所 謂 大 名 道 具 な り 。 都 下 馬 車 を 貯 ふ る も の 少 な か ら ず 。 (中 略 ) 畢 境 都 下 の 貧 富 は 、 馬 車 の 多 少 に 関 す 。 何 と な れ ば 、 則 ち