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明代宗教結社の経済活動 : 性格究明の一環として

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(1)明代宗教結社の経済活動 一性格究明の一環として野 Economical. Activities. their. on. 郎. Religious Societies. of the. study. -a. 銭. 口. Tetsur6. in. Ming明.. characteristics.NoGUCHI*. SUMMARY The. religious societies that will be dealt here, for instance, Po-lieu-chiao白蓮教. societies, It would been that have tbollght the religious. the. are. religious. were. generally leaders belonged the were of of societies majority But, a farmers, their host were chss of villege. when of who driven to extreme in to joined the societies the world, poverty, order reform to take some they sorts of economical e.g. introducing needed activities, This both new means was for the continuetion various of living. needed. It was rich. to the upper. the. societies. ganda.. The. because. the. for. and. societies. secret. the. llappiness. shown. members,. in their. propa・. to force the members the activities, was lot by the men were of poor make offertory. when accepted living only by offertory. Althou their the not societies, they conld make defrauded in the the they societies sometimes rich class, village w・bere dwelled, had to take a lawfull for the societies means, of their property, most. to. fundamentalone. of their. the ties.. been. societies bad The means. they. Thou如something secret. by. This. major paper. a. accused took. was. by the autbori・ of defrauding bandcraft, land. the and clearlng were done in unlawfnll皿eanS e. g.. of their trade,. means. of these activities have been it would thought. trading,. the. among. But. an. part. of societies,. concentrated. on. as. a. that these to. means. the above. form. mentioned. to rare period, materials. according It should be noted illustrated that the materials on on taken the frontier, and that others the only. terials on the trading were What does these difErences. *歴史学教室(°ept.. of. History). found mean. in. th.e. in the. frontier,. period. when. the. activities funds.. matters. about kinds. some. interior. but. not. land. in. engaged the. Ming. of activities, Thus the ma-. in the owning. interior. and. de・.

(2) ll. 明代宗教結社の経済活動 of velopment left unsolved.. the. were. merc壬1andise. は. growing?.. し. が. That. is. a. subject. that. is. き. いかなる集団にあっても,その集団を維持し,さらに発展させていこうとするときには, その集団の存立目的に沿った活動を行なうことほもちろん,何らかの経済活動を行なって 経済的基盤を形成することが必要であるoそれが宗教的な集団であっても,例外でほないo 宗教的な集団である場合,それが正統な,ということほ王朝権力から公認された,既成の 宗教教団であるときにほ,王朝による保護も加えられたし,歴史的な伝統の重みもあった ろうか ら,いわば権力の上にあぐらするままで,その教団の経済的基礎を成り立たせるこ とは可能であった。. しかし,秘密的宗教結社の場合ほおのずから異なったと思われる。かれらは存在するこ と自体が既に非合法であり,明代においてほいかなる場合にも王朝官憲の弾圧・取り締り の対象となった。だからこそ,かれらにとって,経済的基盤の形成ほより一層必要であっ たろうと思われる。本稿では,明代における秘密的宗教結社が,何らかの経済活動を展開 しなければならなかった背景から,かれらの行なった具体的活動の実態を明らかにし,で きればそうした結社の明代社会における位置づけを知る手懸りを把握したい,と試みる。 筆者は,かつて秘密的宗教結社に関する数篇の稿を公卿こしたが,そのたびに思うのは 史料の著しい欠如である。今日に残されたものは,すべて官憲側の記録の類であるといっ てよい。従って記述が結社の内部に立ち入ることほ絶えてなく,そのために,問題の解決 を前進させない点が多い。本稿の場合も例外でほない。それに敢えて解答を与えようとす るときに生ずる無理を避けながら論を推そうとするが,そのためにかえって常識的な解答 しか与えられない場合もしばしばであろうし,誤った推測を行なって気付かないこともあ. ろうかと懸念される。また,問題の提起の域を脱し得ないことも多かろうと舟供される。 大方の叱正を験う次第である。 なお,本稿でほ,秘密的宗教結社を単に宗教結社またほ結社と略称した. 1 この乱についてほさ 明末の天啓二年五ノ臥・LU東省を中心として宗教結社の乱が起ったo きに少考を加えたことがある1】が,要するに,首謀とされている徐鴻儒が同年十一月もし. くは十二月に処刑されて僅か数か月で終息したとほいえ,白蓮教系・聞香教系・棒桂金糸 の三系の宗教結社の合流によって,換言すると,山東・河北・河南などの華北の地に敷術 していたと思われる諸宗教結社の勢力をす(tlって起されたもので, 「二百六十年,未有之大変也」と評されるほどの大乱であった。 この乱が終蔦したのち,工科給事中郭允厚はその善後策を粂奏した。 二年十二月辛未粂は,それを写してその一条に次のよう百こいう.o. 「南朝従債録16」に. 「真宗実録」天啓.

(3) 12. 野. 繊. 口. 郎. 一つ,遺産を査せo言う,妖賊の富める老少なからず.乞う,籍を按t=,田を査して, 郷兵ごとに三十畝を給し,以て世業と為さしむれば,必ずしもBllに議して納を措かぎ と。. るも,額課亦た自ずから失わざらん. 「明史紀. と。いま,史料を按じてもこの乱の平定に当った郷勇の数を記すものはないが. 事本末70」平徐鴻儒に,天啓二年六月のこととして. 時に,遼納を揺するも殆んど尽く.是に至りて兵を敬するも鏑の給すべくなし,止だ 郷勇を練り,有司を責めて描治するのみ。 とあって,前引の史料とともに,郷勇がこの乱鎮圧の中心であったことを知り得るととも に,従ってその数も,盛時において十万を超える乱軍と対峠し得るほどに多かったと伺い 得る。 「乾隆徐州府志29」ほ,この時に動員されたものとして「准狼兵五千」としている が,決してこれほどの数でほなかったと思われる。さきの郭允厚の秦ほ上聞に達して,関 係官衛による実行が改めて命ぜられているが,郷勇一人ごとに三十畝の田を給したとする と,その全数は尤大なものとなろうo加えて,この結社は「明史紀事本末」によると大蔵 二百六・騒馬一千匹をはじめてとして,槍斧刀弓など多数を押収されている。徐鴻儒一派 の所有した土地・財産が,その乗数を明らかにはし得ないけれども,まことに想像を絶す るほどのものであったことを知り得よう。 この一派が嘩県に攻め込んだとき,_ 貿挺なる人の居宅が乱軍の拠るところとなった.∼ 派が平定されたとき,. 「遺榎数百斜」であったが,挺は「盗泉之水,豊吾所当飲」といっ. て族党の破産者に分済した,という記事が「乾隆嘩県志8」に載せられている。頁掩の行 為を讃える記録である点を割り引きせねばならないが, 1か所に数百角如こものぼる米糧を 遺留したことから推しても,徐鴻儒一派の貿財の大いさを思うことほ容易である。 この乱の一翼を担った聞香教社の始祖は王森といい,万暦年問にその結社を創始した。 その子好貿のときに徐鴻儒と結んで起乱するのであるが,その間の事情として「国権86」 天啓四年正月丁丑条は (王)森死す。通貨巨万なり。子の好貿,その柴を籍りて以て客と結び,景州の干弘志 とも. と通t:,密かに徐鴻儒と約して,三方同に起つo と伝え,その客の大部分が「辺塞勇敢之士」であったことほ「両朝従信録21」によって知 り得る。当時,辺塞の兵士は,女真族の侵攻と,さきにあげた史料にも述べられているよ うな糧飼の不足とによって極度に疲弊しており,それだけ宗教結社などの集団に誘引され やすかったのではあるが,起乱当時「門下有数十万徒弟」2)と称されたほどの兵士などを 購募するには,これまた莫大なものを必要としたであろう。 三好貿はまた,史料にあらわれた限りにおいては前後2回,贈賄によって身を保ってい る.ともに官に脅迫されてであり,. -は四千金3)杏,他は五百金4)を要求された。このよ うに,宗教結社が官に賄賂を贈ってその弾圧を免れた例は,他にも多く,ある白蓮教社ほ,. こうして買収した官を称して,白蓮教友と呼んだ5).王好賢の場合,四千金または五百金 という額が,そのまま真実の額数であるか否かはいま問わないとしても,天啓年間に遼東 における米価が,銀1両について米0.125-0.7石であったと報告されている6)こと,万.

(4) 明代宗教結社の経済活動. 13. 暦二十九年五月の荒早年において,斗米銀2銭,小米銀1銭であった7】ことなどを参照す れば,その賄賂の大いさを知り得るとともに,明末の宗教結社の徒の有した貿産の大いさ をも知り得るo. 明中期の嘉靖年間に,李福達の款と呼ばれる大獄がおこり,多くの官僚が艶降した.李 福達ほ山西省大原府嘩県の人で,山西省一帯に勢いを振った白蓮教首である。正徳年間に 摘発されて山丹衛に成され,逃れて身を匿したが,のちまた捕えられて辺衛に流され,再 び逃るるを得た。そして「世宗実録」嘉靖五年七月丙戊条に も. 巳にして,叉た重賛を挟ちて京に来たり,匠籍に寛人して,貿納の例を以て,山西大 原衛指揮使となる.其の子大仁・大義・大礼も,供に匠役に補せらる. と記されたことによると,李宗達ほ山西大原衛指揮便を摘納によって入手しているo太原 をこほ「大明会典224」によると左・右・前の三衛があって,福達のそれほど九に当るのか 明らかでないが,いずれにしても衛指揮使は衛の長官であり,約5,600人を率領する正三 品の高官であった。いま,当時の損納の例の詳細についてほ遠かに明らかにすることはで きないが,. 「景帝実録」景泰四年正月甲戊条によると,正七晶の県丞は輸米1,500石で授. 官されており,また「憲宗実録」成化十五年九月甲子粂によると,江西では米200石を以 て七晶の散官に充てていることからすると,正三品官を購う場合の貿も,およそ考え得る。 因みに「憲宗実録」同上粂に示された換算率からみて,成化十五年のころの米価は,およ そ米1石は鋸1ないし1.1両であったと考えてよい。このようにみてくると李福達の所有 していた貿産のほどを想像し得る。剰え,その子の3人までが,匠籍に寛入することに成 功しているのであるから,なおさらである。なお,かれらが匠籍を選んだのほ親子二代に わたって黄白の術に長じていたからである。. 以上,明代の代表的な白蓮教徒である徐鴻儒と李福達とについての事例を概観したとこ ろによると,前者は徐鴻儒を中心とする天啓二年の起乱軍一派についてであり,後者ほ李 福達一家についてであるという差異はあるものの,宗教結社もしくほその教首などが,莱 大な資産の所有者であったことほ明らかである。前引の史料に「妖賊富者不少」とされる 「神宗実録」万暦 所以である.それが有名な宗教結社であったからではない.たとえば, 「而遊四方,棒金,而結亡命流 二十八年三月甲辰条にみえる超古元・孟化鯨らの結社も, 属」したとあるから,相当程度の資産を所有していたことが考えられるし,正徳年間の教 徒胡文智も,. 「明大政纂要」正徳十一年六月粂によると,処刑後において官に没せられる. ほどの族属の財産があったのであって,これもまた相当な賃産を有していたと思われる。 また「光宗実録」泰昌元年八月庚申条に 自今,白蓮・無為等の教,妖術もて人を惑わし,無頼を糾合す--近ごろ,東城にお いて,結把を緯獲し,過銀四千三十六両四分を追没せり。南城において,結把を緯獲 し,過臓の罰銀二千七百-十三両三銭四分を追没せり。皆,査算を経て,冊を造りて 各庫に封貯して詰んぬ。 とあるのによると,京師の東城,および南城で描獲された集団が所有していた,恐らく現 金と思われる財産を知ることができる。ただ,残念ながら,この集団が宗教結社であった.

(5) 14. 野. 繊. 口. 郎. 喜孟芸芸芸Lt7;芸言孟芸」o*芸芸霊芝…警賢芸 れ特定の1結社であろうと思われるが,傍証もない。しかし,所有財産の大いさを知るこ とはできる。. 宗教結社が富裕であったことほ,以上のように史料によって推測することのほかに,そ の経典である宝巻からも伺われる。宝巻についてほ,沢田瑞穂氏に詳細な研究がある8)が, それによると,宝巻の大部分は明末清初の作で,概して大型であり,極めて豪華であって, 一見して宗教的威厳にうたれるような体裁であるという。そのような豪華本刊行の背景に ほ,出資者としての后妃・太監・大寺院などが存在したと説明されるが,結社がそれだけ のものを開版し得たというだけでも,結社の富裕を伺うにほ充分である。 もちろん,すべての宗教結社が発足時以来このように富裕であったのではなかろう。し かし,どの宗教結社も,ついにほ同様に反官集団としての性格を備え,反官的行動をとっ たのであれば,程度の差こそあれ,財産を蓄積しなければならなかったし,事実蓄積した のであるo. この点については,後に詳述するo なお,宗教結社の蓄積した財産は,何のために費消されたか。. められた財物が清かに他所に移されたという記事がある9)o. 「皇明従借録26」に,集 それが一定の場所に貯蓄され. ていたことほ明らかであるが,その使途のすべてについては,明確にほ語られない。教首. などの個人的な消費,さきに触れた白蓮教友獲得のための贈賄の資,逃亡の資金,さらに ほ新しい教徒の獲得などに用いられた,と考えられる。先に挙げた趨古元・孟化鯨の結社 の「揮金而結亡命流属」はその例である。こうした「軽財好施10)」という行為ほ,しばし ば義行として郷村においてもてほやされたのであって,急速に勢力を伸ばそうとする集団 には利用し得る手段であった。 山東の官兵,劇賊楊思仁等を討ちて之を平らく小.思仁,青州益都県民たり.騎射を善 くし,財を軽んじ施しを好む。郷里呼びて賓となす。. (「嘉隆閲見記9」嘉靖三十五年十二. 月条) なども,そうした例の1つである.. 一方,宗教結社ほその内部に多数の貧窮民を抱えたとき,多分に強い共同体意識をもっ た。後にあげる史料に,結社に緩急あれば,拠出した金品をもって支弁する,というもの があり,そこからみると,結社が蓄積した財は結社自身と結社構成メンバ-の相互扶助的 な行為のために消費されることがあった,としてよい。おそらく,こうした使途が,最も 一般的であっただろうと思われる.宗教結社を含む農民集団の農村社会における位置とそ の性格とが究明されれば,こうした点についての推測もより確実なものになるであろう。 2. 以上のように,多くの宗教結社ほそこに多少の差こそあれ,相当程度以上の財産を所有 していたのである。こうした財産の所有ほ,その教首もしくは幹部の出身階層に関与する ところが大であると思われるが,明代に関する限り,それについて史料的に確実に物語る.

(6) 15. 明代宗貴結社の経済活動. ものほほとんどない,といってよい。断片的にはそれを示すものが存在するので,しばら くほそれを蘇りにして教首及び幹部の出身階層を探ってみると,次のような例が比較的多 数を占める。すなわち, あら. 福建捧浦県の教徒劉志逼・程可兆等,謀りて乱をなし,事覚わる--志遺は本と罷閑 の守備たり。可兆ほ邑の厚生たり。二人相結びて,陰かに亡命千余人を著わえ,共に 不軌を図る。. (「神宗実録」万暦三十四年九月壬中条). に例示されるように,もと守備もしくほ軍余などの軍職者,あるいほもと県学などの生員 が結社の中心に位置するのであるo. アルタソ汗の先導をなして,中国にいわゆる北虜の禍. をもたらした白蓮教徒趨全11)らの同志李自馨も,もと生員であった12). このような階層出身のものが,結社の創始者・継承者もしくは協力者として存在したこ とを示す史料があることほ,各結社がそれぞれに宗教活動の依拠とし得る独自の宝巻をも っていたこととともに,大部分の結社ほ,おそらく郷村の比較的富裕な,しかもある程度 の知識をもった,しかしながら何らかの理由で既成の秩序の砕からほみ出さぎるを得なか った階層からの出身者によって創始され,継承され,運営されていただろうことを思わせ る。その故にかれらほ,官憲側の記録に「異志」をもつ,と称されたのである。王折の 「続文献通考163」が万暦十八年の真部尚書田楽の奏を載せて,その一条をこ, 一つ,左道を禁ぜよ。白蓮・無為等の教の如き--貯徒身に正業なく,口に靴言を出 す。. というのほ,教首などの幹部が,上述のような出身であることを暗示するように思われる。 前述の徐鴻儒や李福達・王森などの出身が全く不明であることが心残りでほあるが,いち おう上のように考えてよかろう。首唱老がこうした社会階層の出身者であったからこそ, 馬祖師なる者,何許の人なるか知らず。正徳中の妖賊李福達の術を伝え, 走らす。即ち,士大夫の家の子弟,往々にして之に惑わさる。. --愚現を (「罪惟鐘 伝31」馬祖師伝). といわれるように,郷村の士大夫の層までが容易に結社に同調していくことがあったので ある。. ただし,いくらかでも富裕であり得たのほ,創立者・後継者などの教首もしくほそれに 近い存在のもののみであって,結社が集団として形成され,多くの同調者を得たとき,そ のすべてが富裕であったとはいえなくなる。一般に宗教結社は,教徒を獲得するに際して, 衆人に何らかの現実的利益を付与する,もしくは近い将来において付与し得ることを宣伝 する。それは官憲側によって「幻術」もしくは「妖術」と記録されるものであるが,その 実体についてほ未詳である。 初め万□年間,江南豊県に高なる姓のものあり--自ら聞香教を称す.即ち白蓮教の 異名なり。その術,能く人をして目に金山・銀山・麺山・米山・油泉・酒井を見せし めて,謂う,坂俵するのものあらば,終身貧しからず,と。愚民その煽惑を聞き,先. を争いて之に附す。 という記録は「康照都県志3」に見えるところで,その「幻術」などの一例を示している が, 「終身不費」と宣伝されて「争先附之」する階層がいかなる社会層であったかほ明ら.

(7) 16. 、野. 口. 鏡. 郎. かである。 先に明らかにしたところである18)が,宗教結社に吸収されたのはこうした宣伝に迷わさ. れる貧しい一般民衆が大部分であった。. 「啓禎野乗12」陳(士奇)巡撫伝にみえる. 又た,局,素より白蓮の邪教に苦しむ。公,若輩を以て,尚お人の軒下に寄らず,之 を急しくして適きて虎を駆り帰山するのみo将の超栄忠を遣わし,牛酒を以て之を招 くに,その党遂に散ず。 という記載ほ,白蓮教社などの宗教結社がモップ集団に近いものであったことを物語るも のであろう。従って,その勢力の消長ほ,水草蛙などの災害その他による年凶と密接に関 連する.直隷巡按の劉廷元は,その間の事情を説明して次のようにいう. 直隷巡按劉廷元奏す。畿南の克早異常なり。既に夏麦に失望し,叉た秋成を収むるこ とあり難しo途中に樹草を授りて噴うものあり,室家を環りて号するものあり,老禰 幼を扶けて南走するものあり。情状殊に観るに堪えず。遜釆,白蓮・紅封等の教の如 こととt.I. き,種芋・爾盗の如き,千百群を成すo若し以て奄奄として之を尽くするを待たば, 此の輩誘いて之を致し,雲合哨応して--と。. (「神宗実録」万暦四十五年六月丙中条). と。従って,こうした集団は官憲の徒らに強圧的な態度のみでは解決しない。前引の「啓 禎野乗」にも見える如く,また「乾隆祥符県志14」に (局). ・-・値ま,白蓮の邪教謀反し,磯民の脇従せるもの衆し。華議勤を主とするも, 体元独り撫を主とし,力めて上官に請いて,窮みずから諭して之を解散せしむ。 とあるように,現実的な利益の付与を行なえば解散させ得ることがあったのである。つま 「官」でも「賊」でも選ばな り,磯民は,現実的な困苦を解消してくれるものであれば, かったのである。ここに,宗教結社が積極的に経済活動を展開せねばならなかった理由の 1つがある。官による適当な救済・賑他の手段が梼ぜられなかったと普,もしくは構ぜら れても途次において官吏による詐取が激しくて末端まで及ばなかったとき,貧窮民の頼る ところほ,現世利益を説く宗教結社のみであった。だからこそ,そこに 一名担架教,一名紅封教,一名老子教,叉た羅祖教・南無教・浄室数・悟明教・大乗 無為教あり。皆白蓮の名を謹みて,実は白蓮の教えを演ず。 -教の名あれば,便ち教主あり。愚夫愚婿,転た相い煽惑され,寧ろ公既に怯えて私会を楽しみ,寧ろ骨肉 に薄くして野党に厚くすo寧ろ首を新べて以て死するも,敢えてその教に違わずo (「神宗実録」万暦四十三年六月庚子条). にみえるような朋党意識,ある場合には血縁よりも強い相互扶助的な共同体意識がみられ るのである。ただ,宗教結社などほ,凶年などを背景として,より以上の生活困難と官の 諌求とが重なったときに,急速に勢力が拡がるのであって,平常においてはそれほど多数 を把握し得なかった,と思われるふしがある。それを教徒の数などに基づいて史料上にお いて,もしくは史料の統計などによる操作によって裏付けることほ,全く不可能であるの で,単なる推測に止ま、らざるを得ない。 もちろん,無産の民のみが結社の構成メンバーであったわけでほない.前引の史料にみ える士大夫層や, 「万暦武功録1」羅道教侯表伝にみえるように現職の鎮国将軍14)やまで.

(8) 明代宗教結社の経済活動. が,そこに加わったo王祈の「続文献通考163」所引の兵部尚書田楽の奏にも 井びに士紳,亦た儒を逃れて禅に入る。皆訓となすべからずo と述べて,措紳層の結社への流入の可能性の大いさと,その数の多さとを伺わしめるoこ ぅした階層が結社構成の一部を担っていたならば,厳密な意味で,宗教結社ほモップ集団 ではなかった,といわねばならない。しかし,構成メソバーの大部分が貧窮農民であった のであるから,モップ集団に近い存在であったとして,間違いなかろうo 3. ・さて,秘密的宗教結社は官憲側の記掛こいう「邪教」であって,その崇拝の対象に既成 宗教教団のそれを借りながら,それに仮托した現世改革,ないしほ理想社会の実現を説く のが通例であった。だからこそ,現実の権力支配構造のなかで抑圧され,貧窮化していっ た民衆の流入が促がされたのであるoこのような階層を構成メンバ-にもつ結社が,さき に述べた「有坂依之老,終身不貧」というような理想ないし約束を現実化しようとする場 合には,まず経済的背景を充実させておかなければならなかった。ここに,宗教結社が, 経済活動を積極的に行なう必要のあった第1の理由があろう。 しかも,宗教結社のいう理想ほ現体制の変革を前提とするものであったから,常に王 朝・官憲の弾圧の対象たり得た.そうした弾圧を避けながら結社を維持し,発展させてい くためにほ,また取り締りを受けて逃亡するためには,経済的基盤を強固にしておく必要 があった。ここに,宗教結社が積極的に経済活動を行なう必要のあった,第2の理由があ ろうo. では,その経済活動ほいかなるものであったか。明代の宗教結社のそれについて物語る 史料は,それはど多くない。それについては,一般的・抽象的には多くのことが考えられ るが,史料に即していうならば,大きく2つの類に分つことができる。すなわち,その1 はむしろ非合法的な方法に依るもの,その2は合法的なそれである。そしてこの2つの類 紘,さらに結社内もしくは結社の存在する郷村内の,むしろ富裕な階層を主たる対象とし たと思われるもの,結社構成メンバーを主体とし,構成メソバーを含むより広い範囲の人 々を客体とするもの,の2つにそれぞれ細分することができるようである。しかし,こう した分類は,この場合それはど重要ではない。より重要なのはその具体的活動であり,そ れが当時の郷村社会にあっていかなる価値をもったか,換言すると,そうした活動によっ て結社は所期の理想を達し得たか,ということである。以下,順を追って具体的にその活 動のさまを述べてみよう. 4. まず,最もポピュラーであり,かつプリミティブであり,それだ桝こ安易であったのは, 教徒-の献金の要請である。 「明史257」避彦伝によると,聞香教社の始祖王森のことを記した段に,. (王)蘇,韓州石仏荘に居るo徒党,金銭を輸して朝貢主称すo. 17.

(9) 18. 野. 口. 織. 部. とあって,王森の結社に対する献金が・朝貢と称され七いたことを知り得る。いわゆる嘉 慶の大乱を惹起した白蓮教社でほ,根基銭・打丹銭・視寿銭などの名で献金が呼ばれてい たというが・明代においては・. 「朝貢」以外の呼称を史料上に判然と見出すことはできな. い15'oいずれにしても,こうした献金ほどの宗教結社においても行なわれていたようで,. 「実録」. ・. 「地方志」をほじめとする講書に,その例を見出すのに労はない。その献金の額. は,. 侯表,魚台の人なり--是において,分ちて三千余社となし,社ごとに社長一人を立. つo社挙り・て, -たび社に入らば金一分を出だして,社長に封輸すo諸社に一旦緩急 ありて辞する能わざれば・即ち社金を以て之に□すo (「万暦武功轟1」尿道教侯表列伝) とあるのによると,入会すると1人1分を拠出せしめられている。また別の史料によると, 王鐸,武清の人なり--是の時,鐸の衆,固より巳に五千余たり。鐸廼ち諸会と約し て,人ごとに金五銭を出ださしめて剤を給することを約す。別の害するところ,即ち. 雷蛮子の歌なり。. (「万層武功鐘1」坂僧王鐸列伝). とあり,この場合ほ1人5銭を出さしめて頭歌集を頒っている。 しかし,この2つの史料にみえるところは,必ずしも寮銭・献金とはいえないかも知れ. ない。片や入会金であり,片や書剤代であるからである。いま,純粋に献金であるものを 史料上に求めると,次を見出しうる。すなわち 是に至りて,その孫李五,世々幻術を習う--簿籍を置立し,その姓名を記し,各々 財を出して共に大事を挙ぐるを約す。愚民それに証惑せられ,遠近争いて附し,献ず るところの金融ま,その貧富に随いて以て多寡をなすo千余金に至るものもあり。家 を傾け産を破ると錐も,亦たその心とするところなり。或いは子女,或いは器物,接. 鍾して至るo積むところの輔重,陸続として清かに他所に移さる.. (「皇明従信録26」). とあるのによると,献金はそれをしようとするものの貧富の程度と宗教的情熱の度合いと によって,多少まちまちであったことを知ることができるo また,上の史料は 妖民,仮るをこ詐術を以て愚民を試惑す-. -人心-たび盛ぁされて,妖説遂に行なわれ,. 愚者は福を求め,智者は梱を避け,富者ほ家を傾けて以て納結し,貧者ほ身を以て奴 稗となる。 (「世宗実録」嘉清三十九年七月壬辰条) とともに,結社構成メンバーのなかにほ,非常に高額の献金をなし得る階層が含まれてい たことを示している。対象が宗教結社であるから,献金がいわゆる宗教的情熱の1つの表. 明として熱心に行なわれたとしても,富者が「傾家以納結」するというに至るのは,正常 とはいえない。もしその時点において,それが正常であったとすれば,それだけの価値を その結社が有していたことになる。なるはど前述のように,宗教結社ほ,少くとも近い将 来における利益の付与を公言したoそのこと自体に,もてる階層が自己のもてるものの全 てを故郷しで悔いないまでの,価値なり現実感なりがあったとほ思われない.その背景に あったものが何であったかは,追究したいところであるが後日を期したい。ただ, 「世宗 実録」嘉清二十五年七月壬戊粂に,礼部尚書李文進がある結社の存在を指摘した後に,.

(10) 19. 明代宗教結社の経済活動 とな. 叉た,富民豪族,朋連党結して,侶えて外護となる.愚民無知にして,財を破り産を 喝して,先を争いて布施す16)0 と言っているのを挙げるに止め,いまは富民が「傾家以納結」したという事実だ桝こ着目 しておきたいc. 富民がかかる状態であれば,日に食するなき貧窮の民は,なおさら結社のいう現世的利 益にひかれて,争って献金したであろう。さきにあげた史料の「貧者以身為奴稗」とか, 「愚民無知,破財喝産,争先布施」とか,あるいは「康殿錘野県志15」邑侯趨公平志伝に 避彦のことばとして伝えられる. その暗に日く,商等皆我が良民,砥に無知に困りて賊に暁誘せられ,既にして破産・ 蕩産を惜しまずして以て之に供し,叉た妻を将い子を壊して之に帰すo とかの記載ほ,献ずる金品もない階層が,身を奴稗としながらも結社に依付していったあ りさまを物語る。 宗教結社にひかれ,そこに加入したものは,貧富に拘わらず結社の求める献金に応じた のであるし,そうしなければならなかったのであるo貧窮民はそのために家財をなげうっ たし,妻子を率いて家族ぐるみでそれに参加した。だからこそ結社-の密着度も高かった し,結社の結束力も強かったのであるといえよう。 しかし,いかほど強い宗教的情熱に支えられた献金であっても,その結社の宣伝するこ 「邪」であったのであるから,献金という行為も,外部から とそれ自身が「妖」であり, ほそうした傾向でみられるのほ当然である。史料ほ,たとえば「同治江夏県志8」が 育蓮教は,蓋し即ち白蓮教の変名なり・・-徒党衆多にして,人財を証偏すること,敬 紀すべからず。 といい,. 「皇明条法事類纂32」申明禁約妖書妖言例に. --妖言して衆を惑わし,銭を騒かりて使用す。 というように,銭財を証窮するという表現を用いている。また,同じく非合法な宗教結社 「破邪詳弁4」も のなかにも,白蓮教社の献金行為を非難する言辞を弄するものもあり17), 教首,此において,遂に大いにその貴財景色を尊いままにす-と論評している。結社側からすればそれが純粋な行為であっても,他からみれば必ずしも そうみえるのではなく,かえって逆にそれを詐取的行為とみるのである。たしかに宗教結 社の側にも,こうした見方をされても止むを得ない行為をとらねばならない理由があったo すなわち,まま多額の献金を行なう結社構成メンバーがあったとしても,また始祖にいか ほどの資産があったとしても,より多数の生活手段をもたない貧窮民とその家族を含む結 社の運営その他のすべての資金が,それらによってまかなわれていたとほ思い難い。まし て結社構成メンバーの大部分が貧窮農民で,拠出するより求めることの方が多い階層であ ったとすると,結社は献金以外に蓄財の法を構ぜねばならなくなる。 そうした場合,最も容易であったのほ,郷村のもてる階層から金品を導入することであ ったろうoもてる階層の多くが結社の構成メンバ-であれば,献金の形でそれを要請する ことは可能であるoしかしそうでなく,逆に結社に参加するもてる階層ほ数的にそれほど.

(11) 20. 野. 口. 械. 郎. 多くなかったとすると,結社の存在する郷村に居住する非結社員のもてる階層を対象とし た行為が必要となる。そしてその行為は,いきおい詐取的なものにならざるを得ない。 「光宗実録」泰昌元年八月庚申条ほ,御史劉有源の疏を載せて 京都は首善の地なるも,爾来,習気益ます悪を凍らし,梶結把害の人,. -呼百和す。. 会茶の名を仮りて,銀銭を積来し,或いほ数千,或いほ数百なり。 といい,すく小に続けて「自今,白蓮・無為等教,妖術惑人,糾合無頼」と述べているので, 「仮会茶之名」云云ほ,白蓮数社などとの関連において把握してよいであろう。すなわち, こうした形での詐取的行為が行なわれたのである。残念ながら,これに類する行為の存在 を,明代の他の結社について記す史料は全くない。しかし,こうした行為が行なわれてい. なかったのでほあるまい。現に,唯1つでほあるがそれを示す史料があったし,清の舜正 のころの結社が賭博や八卦見・観劇会などにことよせて銀銭を編取していた,ということ が報告されている18)からである。 5. 上のような詐取的行為が,官憲の目に触れただろうことは容易に想像できる。宗教結社 が,前述のような革命的教理をもち,改革的言辞を弄した改もあったであろうが,歴代き びしい取り締りの対象とされていたこーとの理由の1つに,結社が行なった上のような行為 を数えることもできよう。すなわち,宗教結社が自己の存続とより以上の発展を求めるた めの手段として展開した活動の一つほ,半ば暴力的な,かつ非社会的なものであったため に,それを名目とした官憲の弾圧を受けやすく,そのまま結社自体の存在をも許さない状 態にまでその結社を追い込んだことが,ままあっただろう.従って,宗教結社ほ能う限り こうした手段による資金蓄積を避けた,もしくは避けようとしたに違いない.また,法に 抵触し,官の弾圧を受けなくても,宗教結社がその郷村に根を張り,結社として存続して いくためには,その郷村におけるこの種の資金獲得ないし蓄積の行為をしばしば行なうこ とほ,避けねばならなかったのであるoこの意味において,上述の活動は,献金はともか くとしても,飽くまでも臨時的に採られる手段に過ぎなかったのである。そこで宗教結社 ほ,その面で官憲の弾圧を受けることの少ない,また郷村において誹誘されることのない 資金獲得の手段をとる必要があった。ここに,第2の方法がとられた理由の1つがある。 また,前に述べたように,結社の構成メンバ-の大部分ほ貧困化し,自ら生活手段を放 播し,郷村社会から脱落し,一家を挙げて結社に加入した階層であったoこうした場合, 結社が「有坂依之老,終身不費」という宣伝を満足させながら,換言すると,構成メンバ ーを貧困から解放しながら自己の運営資金を調達しようとするには,構成メンバーに何ら かの生活手段ないし生産手段を付与することが肝要であったろう。ここに,結社の構成メ ンバーを主体とする何らかの積極的な経済活動を展開Lなければならなかったもう1つの, そしてより主要な理由が存在する。宗教結社がその勢力をより拡大しようとする場合の最 もよい対象が,こうした貧困層であったとすれば,この手段の採用は,より大きな意味を もつこととなるからである。.

(12) 21. 明代宗教結社の経済活動. そして,ここに行なわれるべき活動は,上の理由によって,少なくとも表面は合法的で あり,より有利であり,さらにそれよりもましで恒常的なものでなければならなかったこ とは,いうまでもない。. そうした活動の-著例をあげてみよう。 曹禽・儀封は白蓮教なり--寄,死に至る--是の時に当り,馬樹・林子数百人,亦 た妻・男・児子を携えて宣府に走り,医・卜・走馬・売械を以て務と為す。. (「万暦武. 功濠1」白蓮教菅谷列伝). 「神宗実録」万暦八年十月己未条は,同様のことを記して次のようにいう。 近ごろ見るに,雪嶺の輩,仮るに妖術に籍りて愚民を盛惑す。その事一日に非ず,其 徒一人に非ず--馬樹・林子等,延安蘇り宜府に抵り,奔逃して幾千里を播越す.男 女を携帯し,兵刃を扶持し,走馬・売械・卜卦・施薬すること幾百人たり。 と。この史料に語られているところほ,何らかの契機で従前の郷村における地位を失なっ た白蓮教社曹寓の弟子らの結社が,数百の徒衆を率いて陳西の延安から河北の宣府まで移 動し19),その地において数種にわたる活動を展開した,ということであるoその活動は卜 卦・施薬・走馬・売械のいずれをみても,それ自体に「妖」的な要素はない。ここにみえ る諸活動は,まさしく前に述べたところの第2の方法と呼ぶべきそれであった。 卜卦について,みてみよう。これがいかなる卜占・祈商を意味しているかわからないが, 宗教結社の最も宗教的な姿が,僅かにこの面においてのみ残されているo一体に宗教結社 にほ,. 「神宗実録」万暦二十四年閏八月巽酉粂に 劉世延,妄りに星象を称し,妖言して衆を惑わす。. と例示されるような天文によると卜占や,. 「中国秘密社会史3頁」に,清代に関してでは. あるが,. 白蓮会主劉松なる者,祈癖及び符光を以て病を治す。 といわれるような施療的な祈帝や,. 「万暦武功録1」白蓮教喬済時列伝が. 喬済時,楚の情州の人なり--里中子の周一和,済時を導きて符術を習わしむ。符術 成るや,常に符を以て四壁に張り,自ら言う,能く人を禍福す,と。 というような降福消災のまじないなどを行なうのが常であり,しかも結社の勢力拡張に際 しては,さきに述べた「幻術」とともに最も効を奏するものであった。 次の医療という活動も,宗教結社にあっては当初からよく行なわれた活動であって,そ 「罪惟録 伝31」菓金峰伝に れが,前引のような祈頑・符卿こよる施療であろうと, 張金棒,妖僧なり,何許の人なるかを知らずo初め駅西の朝邑に遊び,頗る薬餌・符 冗を以て衆を惑わす。県官,之を追う。 とみえるような薬餌による治病であるとを問わず,ト卦と同様に,結社の存在に不可欠と 「能治疾病」 「施薬姦民」など もいうべきことがらであった。明・清の「実録」などには, という記述を随所に見当てることができる。大体,宗教結社が弾圧を受けた理由の1つに なっている「妖書」のうちに, 「天文図書」 「推背図」などがあった20)ことは,さきの卜卦 とともに,医腰も宗教結社の重要な活動分野であったことを示す。ともあれ,この2つの.

(13) 22. 野. 口. 繊. 郎. 活動は,特殊的・専問的な技能を要するものであったから,馬樹らの率いる数百人のすべ てがこれに従事したのではないことほ当然で,さきに述べたことを関連して,教首など結. 社の幹部がこれに携わったであろうことをおもわせる.さらにほ,こうした行為をいちお う人々の信を得る程度に行ない得た結社の指導層ほ,それ以前において郷村における富裕 層・インテリ層に地歩を占めていただろうことをも考えさせる。 走馬とほ運輸の意に解してよかろう。走馬売械ほ,従って商品運搬と売買,すなわち商 業活動を意味するようである。明中期以後において,農村経済が侵蝕され,破壊されつつ あったことは明らかであるが,その故に生活手段を失ったものの生きてゆく道の1つほ,. 発達しつつある商品生産とその流通ルートによって利潤を追求することであった。宗教結 社がこうした活動を行なうに至ったとしても,それは何ら異とするに足らないのみならず, そうすることによってはじめて,耕すべき土地を失って結社に流入した農民に,新しい生 活手段を与えることができたのである。すでに商品作物の栽培が普及し,佃戸の自覚も高. 揚しつつあった明中期以後皇1'において,こうした現象と結びつかないで生きようとした宗 教結社があるとすれば,それこそ不思議であろう。明代宗教結社の商業活動について言及 する史料も,他と同様に乏しいが,そのなかで次の史料は,言外にそうした活動自体は官 憲の弾圧の対象とほならず,従ってそれが広汎に行なわれたことを示すものの1つではあ るまいか。. 遼東の妖賊李真・李雄等,衆を衆めて乱を作さんと謀る。読りて商販と称して,山海 関に突入し,守関主事王晃を殺す.守臣以て聞す。詔ありて蔚遼巡撫劉沢・菜種をし て之を描えしめ,厳しく白蓮社の左道を禁ぜしむ。. (「嘉隆閲見記2」嘉清三年十一月条). 馬樹らの根拠とした宣府ほ,辺境である.かれらの活躍した万暦初年には既にいわゆる 北虜の禍ほ止み,馬市が設けられて蒙古族との問に平和な交易関係が生じていた。しかし, それ以前において,辺境の地に存在した宗教結社がしばしば蒙古族を導引して中国を脅か し,いわゆる北虜の禍をより織烈ならしめていたことほ,前に明らかにした2皇)。そして, その際に結社がそうした行動をとらなければならなかった背景として,嘉靖三十年の馬市 の成立によって,結社の得ていた利益に大きな損壊の与えられたことを考えた。すなわち, この結社は,馬市の成立以前において蒙古族との間に私的な貿易を行なって莫大な利益を あげ,教徒として吸収した結社構成メンバーに新しい生活手段を付与するとともに,結社 自体にも経済的基盤の充実を馨したのであり,馬市の成立によってその利益と構成メンバ ーの生活手段の失なわれることを恐れて,明朝と蒙古族との離間を策し,アルタソ汗に勧 めて中国への便意を行なわせたのである。辺外の民との交易が相当の利益をもたらすもの. であったことほ,宗教結社の徒のみでなく,辺衛の衛兵などもそれを行なって摘発されて いる23)ことなどからも明らかである。. 「明律集解附例15」兵律盤詰貯細条例は. 川・広・雲・貴・駅西等の処,但だ,漢人の英人と交結して,互いに相い買売・借貸 し,財物を証偏して,辺費を引惑せる,及び清かに苗案に住在して,教誘して乱をな し,害を地方に始せるものあり。 と述べて,そうした行動がしばしば辺民との間に騒動を惹起したことまでも知らせてくれ.

(14) 23. 明代宗教結社の経済活動. る。なお,こうした密貿易にほ,内地においてそれに内応するものがいた。さきのアルタ ソ汗と関連した結社についてみると,. 駅西の妖賊李応乾,諌に伏す。応乾ほ甘泉県の民なり。自ら唐の後宙と称し,河内の 民李元と共に,妖言・符讃もて衆を惑わす。陰かに版升の家人丘富及び各処の群盗と 約し,虜に通じ番に及び,不軌を謀らんと欲するを語るo. (「嘉隆閲見記11」嘉靖四十四. 年十二月条). にみえる李応乾や, 叛人丘富,日夜虜を導く--静楽県人の産山仏及び応州の呂鶴等,陰かに内応をなし (「世宗実録」嘉清三十四年七月康子粂). て,左・右・威遠の三城を奪う。. にみえる産山仏・呂鶴などがそれであって,史料面でほ辺城の内外呼応して坂したことを いうのみであるが,その裏にかれらが内地側における集荷・散荷の役を分担しただろうこ とを伺わせる。. 馬樹らの行なった走馬充棟も,恐らくほこうした密貿易の類であった。ただそれが,馬 市の成立後であったから,利益も相当減じていたではあろう。相手ほ,その地からして蒙 古族であったとしてよい。 6. 宗教結社がその構成メンバーに与え得た生活手段は,商業活動のみでほないo当時の商 品生産の発展に即応した行動をとる結社もあった。. 崇禎三年,坂賊朱柄南を課す。柄南,山東の妖賊徐洪(揺)儒の余撃たり。逃れて推州 に匿れ,仮るに染坊を開きて亡命を招集す。賊首謬某と汁・梁を襲うことを謀り,事 洩れて携えられ,兵首さるo. (「光緒銃眼州志12」). はそうしたものの最も典型的な例である。宗教結社とこのような手工業との結びつきを示 す史料は,明代に関してほこれ以外を知らないが,恐らくこうした例ほ多かったと思われ. る。社会的には何ら非合法ではない手工業的企業の経営ほ,構成メソ/ミ-を雇傭すること でもあり,そのまま生活手段の付与に繁ったからである.手工業経営の場合ほ,李福達の 子らが匠籍に蛮人したことに見られるように,政府の秩序・体制のなかに達に入り込むこ とによって身の安全を保ち得た故に,史料的にそれを示すことが欠けているのであろうか。 また,次のような場合もあった。 而して会たま,. (丘)富に弟あり,全額と日う。梓人の芸を習いて,. (俺)答の為に造り. て楼房三区を起すoそれ壮麗なりQ己にして舶艦一敗を造りて,河を渡るを得たりo (「万暦武功録7」俺答列伝. 中). ここでほ,教首の弟が棺櫛を造る芸,すなわち木工の技術を習得してアルタソ汗のために 楼匿・舟船を建造したことを述べているが,ここに語られるような特殊技能の習得と,そ れによる生活手段の獲得もまた,結社を維持Lていくための活動として不思議でほない。 しかし,なかにはより簡易に,しかもより高い効率で利益をあげようとするものもいた。 「万暦武功錬1. 」白蓮教喬済時列伝に.

(15) 24. 野. 口. 鏡. 郎. --因りて頗沙を盗窺して,以て務となす。 と語られる,盗掘によって利益をあげようとすることは,その一例である。銀・銅顔にお ける盗掘ほ当時さかんであって,その事実ほ「明史81」食貨5などに記されているから, 宗教結社のみがそのことに関与していたとほいえないが,それだ桝こその利益ほ大きなも のであ■ったのであろう。しかし,それが非合法行為であったことから,弾圧をうける可能. 性の高かったことほ,いうまでもない。 ただ,ここで注意したいのほ,上のような手工業的企業を営むとか,何らかの芸・術を 学んでそれをもって生活の資を得るとか,盗掘を行なうとかの活動ほ,梓人の芸を学んだ ものがたまたま辺外の地に居住していた点を除桝ぎ,中国内地における事例であることで ある。ところで,さきに述べたような辺外民族との密貿易を含む商業活動を行なったこと を示す史料ほ,辺境の地帯を除いて見当らないようであるo. とすると,密貿易を含む商業 活動は,その存在する土地がたまたま辺境の地であった結社,もしくほそれを目的として 辺境の地に移動した結社においてはじめて可能であった,といえる。内地における結社の 商業活動は,いわゆる山西商人などの大商人の商品流通ルートに紛れ,いつしか宗教結社 集団というよりほ,商業集団として巧みに騰装しおおせたのか。もしくは内地においては, 既成の大商人の流通ルートのなかに割り込むことが不可能であったので,もっぱら小商品 生産や特殊技能による活動に従事し,何かを契機に坂乱して鋲せられてしまうのであろう か.いずれにしても,断片的な史料があるのみで遠かには決し難い. ただ,次のことはいえる.すなわち,このような商業行為を行なう場合,対象は一般民 衆であったから対象民衆と緊密な繁りをもちやすく,そのまま結社勢力の維持・発展に連 なることが多かった,ということである。宗教結社ではないが,. 「世宗実録」嘉靖三十二. 年八月丙戊条に載せられた 河南婦徳府拓城県の盗師尚詔,反す。詔ありて撫按官をして兵を督して之を討たしむ。 尚詔,本と塩徒,初め私版を以て貯を作し,山東背の馬賊と結び,遠近を攻剰す.祢 里之を畏れ,官府制する能わず。 という記事は,そうした可能性の強いことを十分に物語るものであろう。そして,もしそ の商業活動が密貿易・密売買であった場合,それが非合法行為であることは,機密を厳に しなければならないという点で,結社内の結束をより以上に緊密化することに大いに役立 ったに違いない。. なお,以上のような商品生産ないし商品流通機構において,それらに雇傭される結社構 成メンバーも多数いたであろうことを伺わせる史料が存在する。さきにあげた「仮開染坊」 という例も,立場をかえれば構成メンバーが備われているのであるし,また清代に関する ものではあるが「薙正河南遺志1」に収められた,薙正九年の「論漕船不許傭募無籍厳禁 邪教」に 近ごろ聞く,多く無籍の徒朋を偉暮するを。此れ,貯をなして旗丁に服さず・-・及び, 空を回らして産塩の地を経,又た貯梶を串通し,私塩を収帯す。此れ,その弊端の□ □なるものなり24)o.

(16) 明代宗教結社の経済活動. 25. と述べら謹tたことも,流通ル-トのなかに位置する,恐らく宗教結社の徒である無籍無療 の徒の存在を明らかにしている。さらに,清代の羅教社が,私塩の販売ルートを辿って水 手集団と結んでいたことを考え併せれば,端的にそれを示す史料はないけれども,明代に おいても,上のような結びつきが存在したと臆測することも許されようo少なくとも,そ うしたルートのなかに位置する結社構成メンバ-によって,結社間の連絡とか,新しい教 徒の獲得とかが,よりスムーズに,かつより安全に行なわれただろう,とはいいうるo 7. 宗教結社が結社の生命を維持していくために行なった経済活動は,当時たかまりつつあ った商品生産や商品流通に従事することのみでほない。土地に生まれ,土地に育った多数 の失地農民に土地を与えることができれば,かれらはその事業に既に習熟しているのであ るから,結社としても好都合であったはずである。 史料を按じていくと,その事例を見出すことができる。但し,これも辺外のことであっ て,内地には見られない。こうした差異が何に由来するかについてほいま詳かにすること はできないが,内地における土地所有制,なかんずく王朝権力による土地と賦役の把握に 関連するのであろう。. 是より先,呂老視,その党の李白馨・劉四等と俺答に帰す--互いに相い延引して, 党衆数千に至る。虜,板升の地を割き,鳶に家せしむ。是よりの後,亡命者,板升に 窟して,雲田豊州の地に万頃を開く。村数百を連ね,華人を駆りて田を耕して莱を輸 下) (「万暦武功録8」俺答列伝 せしむ。反りて虜の用に資す。 ここにいう面積については, 「明大政纂要」嘉清三十九年七月粂では「開良田数千頃」と いい, 「万麿武功録7」俺答列伝 中でほ「治禾数十余頃」といって,いずれが真の額数. ともわからない.亡命者とほ,呂老視以下の宗教結社の徒をいう.かれらが板升を根拠と して,華人,つまり誘引した教徒をして耕田輪粟させた,と物語るこの記事は,もちろん 結社を保護したアルタソ汗-の返礼として働く意味も奉ったであろうが,それとともに, 多数の貧窮民を抱えた結社が自活の道の1つをここに求めていたこと杏,われわれに知ら せてくれる.しかし,それも辺外め地であってはじめて可能であったのである。 だが,この事業も,決して宗教結社に特有のことではない。実は,明初永楽帝のころ以 「皇明南朝疏抄10」 莱,辺境の開墾と移民による農耕が,王朝権力の下に行なわれていた。 辺事賛に載せる零碑の「虜夷情疏」中に 昔,我が太宗皇帝の辺に供するや,悉く塩利を以てその塩科を制するなり。塩-引に て,辺に粟二斗五升を輸せしむ。是の故に,富商・大要,悉く三辺にて,自ら財力を う 出だし,自ら遊民を招き,自ら辺地を墾き,自ら去来を芸え,自ら壊台を築き,自ら 墜伍を築く.歳時,慶しば豊かにして鼓栗盈つ皇5). とあるのは,塩引の利を追ってではあるが,富民による辺地開墾が早くから行なわれてい たことを示している。そこで,辺境近くに存在した宗教結社も,多かれ少なかれ,こうし た開拓事業を営んでいたのでほなかろうか,と考えられるが,これについては,さきに述.

(17) 26. 野. 織. 口. 部. ベたように事例が余りに少なく,また確証もない。 8. 以上,明代の宗教結社が総じて富裕であったという事実に着目して,端的にいえば,そ の富裕がいかにしてもたらされたか,について零細な史料に腐りながら論を進めてきた。. それをまとめてむすびに代え,同時に残された問題点などを述べて,筆を摘きたいと思う。 秘密的宗教結社は,その教理性において,少なくとも明・清時代にほ,存在することそ れ自体が非合法であった。非合法な結社が郷村に存在していくためにほ,まず穏密な行動 をとらねばならなかったo結社関係の史料の多くに,結社は「夜衆暁散」することを常と した,と記されるのほ結社のそうした行動を示すものであろう.結社が存立していくため にはまた,たとえ教首が富裕な階層の出身であり,郷村の富裕な階層の結社への流入があ ったとしても,結社の説く現世否定の革命的言辞の故に流入したより大多数の貧窮農民に, 教説に見合った現世利益をもたらすためには,結社は何らかの経済活動を展開して,その. 経済的基盤を形成し,かつ強固にせねばならなかった。 そうした活動の最も基礎的なものほ,献金の強要であった。その額は,献金するものの 貧富によって多寡があったようであるが,官憲ほそれすらも,人財を証偏するとして弾圧 の口実とした。結社の側にも,財物を証偏することが事実なかったわけではない。催事に 仮託して,金品を半ば暴力的に詐取することが,ままあったのである。しかし,このよう. な行為は,たしかに労少なくして資金を導入する法でほあったろうが,その郷村において 結社を存続させていくという点では,あくまでも臨時的な手段であった。また結社内に困 窮して郷村を離れた多数の失地農民が流入するようになると,かれらに新たな生活手段を 付与することも必要であった。そこで結社ほ,できる限り合法的・恒常的な手段によって 資金を獲得することを試みようとした。 こうして展開されたのが,商業を通じての利潤獲得であり,手工業経営であり,新田の 開発などであった。そのなかには非合法的な行為も含まれてはいるが,必ずしも宗教結社. のみが行なうものではなく,他の一般社会のなかにもそうした行為を行なうものがあった ので,結社としては詐取的な行為を行なうよりほ行動しやすかった,ということも考えら れる。その商業活動ほ,結社が辺境に存在したときは辺外民との私的密貿易として行なわ れ,大きな利潤をあげることによって結社を経営し,拡大した。しかし,内地におけるそ れについては,全く伺い知ることができない。恐らく,宗教活動を目立たなくする一方, 既に大商人によって形成されていた商業ルートに紛れるか,もしくほその間隙を縫って商 品経済の一翼を担うとともに,結社の運営資金を得たものと思われる。宗教結社が手工業 を経営した例は極めて乏しいが,これは内地における結社に多かったように思われる。こ れも,たかまりつつある商品生産に即応したものであろうが,却って道に,既成の秩序の なかに蛮人することによって身の安全と結社の保持をほかったと考えられる例もある。新 田の開発は,辺鄭こみられて内地にほみえない.これほ,明朝の土地支配体制などとの関 連の上で考察せねばならないo.

(18) 明代宗教結社の経済活動. 27. 以上のような推測を史料に即してすべて解明することは,史料的な制約によって難しい. と思われるが,制約された史料上において,諸種の経済活動を行なった結社が辺鄭こ多い という事実に関連すると思われることに,起乱したことほ内地に多いという事実がある。 叛乱は,結社のいう現世改革を早急に実現しようとするところに生ずるのではあろうが, 同時に,内地における結社が思うままに経済活動を展開し得ず,より安直に現世利益の願 望を満たす手段として坂乱という行動をとったのではなかろうか,とも思う.明代の宗教 結社関係の史料には,その生活手段を示す史料が僅少であるのに,起乱したことをいう史 料が多い,ということの理由の1つも,このあたりにあるのかも知れないo. ところで,塞外に出てアルタソ汗と連携をもった結社は,密貿易・特殊技能の習得とそ の活用,新田の開発などと,多角的な活動を行なっている。そしておそらく多くの宗教結 社は,ここにみたような諸種の経済活動を併せ行ない,同時に献金も要求し,詐取的な行 為をも行なったに違いない。. しかし,大土地所有と商品生産との発展が著しいと概説される時代において,より一層 民衆社会と密着しながら, Lかもなおそのなかでの搾取をはかろうとした宗教結社を,そ うした社会のなかに,どのように位置づけたらよいか。そのような社会情勢であるから, 宗教結社ほ商品の生産とその流通などを新しい生活手段として結社の構成メンバーに与え たのでほあろうが,結社の創設者たち自身が,地主・官僚・商人による封建的な搾取のな かから析出されたものであることを思い出すとき,さきの課題の解答ほ一概にはできない。 それには,社会・経済の情勢と深く関連させながら,結社構成メンバーについての詳細な 分析と,郷村の富裕な階層からの出身と思われる結社の創設者たちがいかなる目的,いか. なる動枚に基づいて結社設立を志したのか28'という点についての考察とを行なうことが必 要であるし,それに先立つものとして,起乱の事実以外の新しい史料の発掘が必要であろ うo 害主. 1)拙稿「天啓徐鴻儒の乱」東方宗教19・21号。 2)素宗突鐘 天啓三年間十月戊戊条。 万暦四十四年正月壬中条。 3)神宗実録 4)註2)同書。 5)煮宗実録 天啓二年八月己巳条に「則姦細者,麿金以男達官之耳目,為反敏之街,目白蓮教友 俺答列伝 下にもこの語がみえるので,特定の結社にお 奏o」とある.なお,万暦武功録8 いてのみの呼び名でほないのかも知れない。. 6)寺田隆信氏「明代における北辺の米価問題について」東洋史研究26巻2号。もちろんこの報 告は北辺についてであるので,たとえ華北とほいえ,内地の場合ほ若干異なるであろう. 7)神宗実録 万暦二十九年五月丁未条に載せられた大学士沈一貫の上奏中にみえる。 釆華書林1963年刊。 8)沢田瑞穂氏「宝巻の研究」釆華学術叢書第3巻 9)この史料ほ,あとに紹介する. 10)地方志の義行の項などに, 「軽財好施」 「軽財尚義」が村人に讃えられた話が多く語られている。 ll)拙稿「明代北辺の白蓮教とその活動」清水博士追悼記念明代史論叢参照。 12)伏戎紀事(名臣寧壊要編第三冊)参照o万暦四川給志27にみえる叛徒藍廷瑞は湖広施州衛学 天啓元年四月戊寅条にある劉民選も羅江県学の生員であっ の鮮退生員であったし,窯宗実録 たo どちらかというと,生員・鮮退の生員が多いようである..

(19) 28. 野. 口. 繊. 郎. 13)書出稿「明代宗教結社の教徒の問題」東方宗教13・14合併号。 14)万暦武功鐘1羅道教侯表伝に「而是時,魯府鎮国将軍,亦執弟子礼,東郷坐蓑師事臭」とあ る。. 15)神宗実録 万暦十二年十二月辛西条の戸部尚書王連の上言中に,邪教の盛行を述べて「私会香 銭」とあるが,これは香と銭ともとれるし,また香銭と熟したとしても,それほ一般的な賓銭 というほどの意であろうから,特定の呼び名ではない。 16)同文が嘉隆閲見紀7に,錦衣衛が妖僧適法師を輪縛したときのこととして出ているが,富民が 「妖賊」の外護たらんとしたことの真には,結社内に富民自身の利となるべきことが存在した ように思われる。. 17)破邪詳弁2に「-邪教有正信除疑無惨証自在巻--叉云,白蓮教下地執生死受苦。白蓮教転 四生,永不翻身.白蓮教供人家銭財.好仏犯正法,撃住休苦害多人.」とある。なあ破邪詳 弁ほ清道光年間の拒鹿知県薫育梗が宝巻の類を調査・論評したもので,詳しくは沢田瑞穂氏 「『破邪詳弁』について」天理大学学報51 (人文社会篇)参照. 18)福田節生氏「清代秘密結社の性格とその役割一特に農村社会との関係に於て-」史学研究 61号。. 19)駅西も河北も,明代においてとくに秘密的宗教結社の勢いの強い地方であった。従って,この 移動においても,何らかの縁故を辿るなり,もしくほ同様に安全な地を求めるなりの計算が働 いていたことであろう。 20)例えば,通制条約28 至元十八年三月条に「照得,江南見有白蓮会等,名目五公符・推背図・ 血盆,及応合禁断天文図書.一切左道乱正之術,擬合禁断。」とある.また,皇明条法事類纂 31造妖書妖言の項参照。 21)片岡芝子氏「福建における-田両主制について」歴史学研究11など参照。 22)拙稿註11)参照。 23)世宗実録 嘉靖十一年七月丁末期粂に「駅西臨挑・聾昌等処,与津川接壌o貯民往往聞出辺閑, 私易茶馬。」とあるのは,何らかの結社の徒の場合であり,同書 嘉清二十一年九月王子条に 「初陽和衛前所首戸李鈍及総旗揚琴,私与夷人貿易.」とあるのほ,衛兵の場合の例である. 24)この史料は,時代ほ距っているけれども世宗実録 嘉靖十二年七月己巳粂に載せられた戸科給 車中の粂奏文中の「-,清塩法以弱盗賊o謂,余塩宜草o誠草之,則官塩可行,商人菜中,私 版無所得利。而盗賊且悉臭。」という史料とともに,塩法と宗教結社を含むいわゆる無頼梶徒 (-{マ】. との関係を伺わしめる.. 25)同人の同名の疏が皇明奏疏類軌こ嘉靖四十二年十一月初九日の目付で載せられているが,字句 に些少の出入があるo 26)福田氏「前掲論文」では,この点について,農村における階層分化の進行に伴なって封建的支 配機構から脱落した没落地主などが,従前の経済的地位と社会的特権とを維持しようとしたと き,秘密的宗教結社が封建秩序再編の1つの対象となった,と述べられている。しかし,仲間 的結合意識の強い例などをみると,必ずLも上のようにばかりほいえないようである. (1968・ 9. 5稿). 〔追記〕. 本稿は昭和43年度文部省科学研究費による綜合研究「中国史上における民衆の役 割」の分担研究の一部である。.

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