悌教の行要としての三大秘法
盤
回
義
遜
法華経の行者を以て自ら任じた聖人の数義が法華経に依る乙とはいふ迄もない。併し一部入港の法 華経即も六万九千三百八十四宇の文字が、南無妙法蓮華経の七字に結要されるには、幾多の階段を経 たる乙とは明である。今所謂﹃事の一念三千、三大秘法﹄九六五に就て勘ふるに、その出擦を明かにし ては﹃本門事量品の三大事﹂八五ニとい以、悌敬皐上に於げる行門の様式に就ては﹃本円の三皐﹄九四七 と示されたのである。小乗阿含以来悌数の行門は三皐の様式を執ったととは、﹁雑阿含経﹂二九に 爾 時 世 寧 告 ニ 諸 比 丘 一 有 ニ 三 皐 − 、 何 等 矯 ν 三 、 謂 増 上 戒 皐 、 増 上 意 事 、 調 増 上 慧 事 、 宣 歳 、 二 、 二 一 O ︶ ざ説き、克に備には﹃一二一皐具足者、是比正正行﹄門会さと説く如きは、明かに三皐を以℃比正の正行ま 説いて居る¢である。その他、﹁長阿合経﹂第二主夜、一、一七 υ 。 全 第 八 完 歳 、 一 、 五 O U 。 ﹁ 四 分 律 ﹂ 第 五 八 ︵ 正 歳 、 ニ 二 、 九 九 六 ︶ 。 ﹁ 摩 詞 信 抵 律 ﹂ 第 二 宣 歳 、 二 二 、 一 三 さ 等 は 説 れ も 三 皐 を 明 し て 悌 怯 の 行 門 と し て 居 る 。 悌教の行要としての三大秘法 F、、仰敬の行要としての三大秘法 , , 、 故に龍樹は﹁大智度論﹂に﹃三皐是録湿禁法﹄といひ。無着の﹁大症最経﹂第四には 俊 次 立 − 一 修 多 羅 一 者 、 鋳 ν説 二 三 皐 一 。 立 = 児 尼 一 者 錦 ν成 ニ 戒 畢 一 。 心 皐 由 コ 持 戒 一 故 不 レ 悔 . 由 ニ 不 悔 一 故 随 次 得 ν定 。 立 ニ 阿 毘 曇 一 者 鋳 ν 成 − 雪 山 血 中 一
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歳 、 三 、 六 O 九 V と理し、世親は﹁倶合論﹂二四に 皐要有 ν 三 、 一 一 帯 上 戒 、 二 増 上 心 、 三 増 上 慧 。 以 ニ 戒 定 慧 一 錦 = 三 自 体 一 ︵ 正 一 成 、 二 九 、 一 二 七 ︶ 正樺し、安慧の﹁阿毘達磨雑集論﹂第十一にち 復次魚 ν 欲 ν問 − 一 示 三 種 皐 一 故 、 建 ニ 立 素 恒 撹 臓 一 所 以 者 何 、 要 依 一 一 此 識 一 所 化 有 情 解 ニ 了 三 串 一 。 ︵ 企 上 、 七 四 四 ︶ と あ る 如 ︿ 三 撃 は 備 道 の 要 一 諦 で 、 一切の法門は三撃に撮壷せらる、からである。而して三皐ご三識と の開係に就ては、凝然が﹁八宗綱要﹂上に 此 云 ニ 三 蔵 一 如 ν 次詮 ι於 戒 定 慧 畢 二 ニ 蔵 是 能 詮 敬 ‘ 三 串 却 所 詮 義 、 以 撮 ニ 法 義 一 無 レ 有 ニ 遺 飴 一 議 会 、 = 一 、 七 ︶ と韓せる如く、一二臓は能詮の怯識であり三皐は所詮の行法である。きれば轄の道安は﹁比正大戒序﹂に 世 傘 立 − 一 教 法 一 、 有 L ニ 語 。 一 者 戒 律 也 、 二 者 施 定 也 、 三者智慧也。斯三者歪道之由戸、泥恒之闘要 也 。 戒 者 断 一 一 三 悪 一 之 子 持 也 。 雄 者 絶 ニ 分 散 一 之 利 器 也 。 慧 者 膏 ニ 柴 病 一 之 妙 醤 也 。 具 − 一 此 三 一 者 、 於 ν 取 レ 道平何有也 0 ︵ ﹁ 尚 三 歳 詑 ﹂ 第 十 二 正 一 歳 、 五 五 . 八 O ︶と稗し、天台は﹁文句﹂ 一 に 親 心 の 相 を 調 停 し て 次 示 ニ 親 心 相 一 者 、 営 下 約 − 一 己 心 一 論 ニ 戒 定 慧 一 銭 中 一 一 一 分 上 。 修 行 以 ニ 戒 初 定 中 慧 後 一 苦 法 円 以 レ 慧 錯 ν 本、定 戒鵡 ν 透 。 ︵ 一 、 一 一 プ 七 さ と述。へ、更に﹁玄義﹂仁は行相に約して﹃扶−一戒定慧二鮪一一大混繋一民間下こさと匙ぺ。叉惇敬は﹁上 表 文 ﹂ に ﹃ 今 依 一 一 山 家 宗 一 定 = 国 三 皐 − ﹄ ︵ 金 集 、 四 、 七 二 五 ︶ と 談 じ 、 ﹁ 頴 戒 論 ﹂ に は 嘗 ν知固戒固臓固蔵国雄園恵、非ニ天台樟一難 ν 可 ニ 惇 設 一 也 。 ︵ 全 集 、 一 、 三 日 間 ︶
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述ぺ允のに凡で、仰敢行門の要一部は三皐にある乙と愈々明である。 若しそれ聖人に於ては妙法五字を以τ
﹁本門の三事﹂なりと遮ぺ、﹁御義口惇﹂上には ﹃ 此 経 難 持 の事﹂の下に於て、停敬の﹁串生式問答﹂五︵全集 J 一 、 七 六 六 ︶ の 文 を 引 主 此縄文にて三皐供縛する也、﹃虚空手動戒、虚空不動定、虚空不動車、三皐倶惇名目妙法央﹄戒者色 法也、定者心法也、恵者色心二法の振舞也。倶の宇は南無妙法蓮華経の一念三千也。停者末快寓年 を指す也。今日運等之類奉レ唱ニ南無妙法蓮華経一修二行樺数無得道.法華経異質一赴戒也。 防 非 止 百町 一. 義 也 、 所 ν 持行者決定無有疑備体定是定也。三世諸悌智恵二襲題目ュ受持Z
是恵也。此三皐皮肉骨三 身 三 諦 三 執 三 智 等 也 、 一 五 云 戸 上 関 八 ︶ 働教の行要としての三大秘法 F、
悌放の行婆としての三大秘法 i¥ 四
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開砕きれだのは、正しく本門の三患の内容を示されものである。右所引の﹁皐生式問答﹂は勿論大師 の撰としては、古来異偽未決の書であるが、此の虚宰不動の三串とはとれ恐らく道路の﹁詑菩薩戒疏﹂ の文で、本書は現に煙滅して共の内容を詳にする之とを得んが、惇散が﹁頴戒論﹂中に﹁南府註一粍云﹄ ︵ 金 集 、 一 . 二 一 四 ﹀ を 引 き 、 光 定 の ﹁ 一 心 戒 文 ﹂ 下 に ﹁ 今 案 ニ 道 路 和 上 註 党 網 文 − 云 ’ q ﹄ ︵ 正 蔵 、 七 側 、 六 五 三 、 会 告 別 谷 二一四︶といへるもので、虚空不動の三皐が遣時に出づる乙 L しは、﹁一心戒文﹂所引の文に依て詳であ る。而してそれが惇殺の園頓戒の根本思想であるご同時に、惇散の所謂 ﹁ 固 の 三 串 ﹂ の根本思想で あって、此の思想と﹁本門の三皐﹂との相違は、且︿戒に寄せ℃﹁下山紗﹂に 法華経の迩門の戒定慧の三が内其中目頓の戒壇を叡山に建立し給以 0 ︵ 一 五 六 一 U さ遁べ、﹁治病鈴﹂には 但 漢 土 の 天 台 、 日本の偉敬此二人計りこそ、粗砂け給ひτ
候ヘザ﹂も、本門と控門ごの大事の同戒い まだ n T 明なら十。詮する底は天台と博敬とは、内には盛み給ふといへども、 一には時来らず、二に は機なし、三には譲られ給はぎる故也。今末法に入。白地漏出現して弘通有るぺき事な b 、今末法 に入って本門のひろまらせ給ふべ主には、小采権大乗迩門の人々設ひ科なくとも.彼彼の法にては 験有るべからず。 警へば春の薬は秋の薬とならず、設ひなれども春夏のごとくならず 020 九 九 ︶ル﹂筒ぺたる如く、惇款の﹁闘の三皐﹂は辿門の三皐であ L P 、 とれに封し
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翠人の﹁事の一念三千三大秘 法﹂は木門の三皐である。而しで此の園の三皐吉本門の三皐との中間に、我等は日本天台の本望法門 の育みそ見逸すことは出来ないのである。 上遁の如く悌殺の行門は阿合経以来、論穆も三事を以て一貫して居る。然るに大乗経典の所明は概 ね菩薩を以てその行人となし、六波羅蜜を以てその行法と説︿のであるが、謂ふ迄もなく一ニ串?と六度 ’どは経典L依て多少の相違はあるが庚略の異である。即ち﹁相続解脱波羅蜜了義経﹂には 施 戒 忍 比 三 事 、 H 疋増上戒母。概臼疋増上心皐。慧 u 疋 増 上 慧 皐 。 精 進 通 二 一 切 一0
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歳 . 一 二 、 七 一 五 ︶ さ 説3
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﹁菩薩地持経﹂第十には 位 四 波 羅 蜜 衆 具 一 一 自 性 審 嵐 − 無 尽 、 日疋名ニ増上戒皐一。鵡波羅蜜是名ご増上意皐一。般若波羅蜜是名ニ増 上 慧 思 一 二 。 此 三 皐 得 一 一 一 兆 口 薩 上 ニ 準 皐 道 一 、 此 三 皐 蝿 二 六 波 羅 蜜 一 無 レ 余 無 レ 上 。 門 正 蔵J
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、 九 五 m m ︶ y f 一 品3
、 前 者 は 精 進 を 三 串 に 遁 ず と な し 、 ︵ ﹃ 州 ・ 出 雲 崎 曾 註 三 五 之 に 依 る U 後者は乙れを戒争に撮して居るが、 説μ
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p s e 見るも三事と六度とは鹿川附の別なることは経設に明かである。 今翻行て三悶備敬史上に見るならば、印度の偶数は六度の備殺であb
、凝然の所謂三蔵 h f 以て三皐 偽款の行要としての三大秘法 八 五偽 敬 の 行 要 と し て の 一 一 一 大 秘 法 入 六 の能詮とすれば、三臓の働敬であり、支那の悌殺は三皐の仰殺でゐる。それに封して日本の悌教は三 業 ︵ 一 二 密 、 三 秘 ︶ の 仰 敬 と い へ や ’ フ 。 随 っ て そ の 官 践
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に於て印度、支那め仰敢は思じ訴の仰教であり、 日本の備教は体験の偶数ごもいひ得るのである。若し法華経宗の上に於てこれを見れば、 十 六 台 惇 教 の 開の一念三千の固の一一一撃は忠京の偽敬で、聖人の事の一念三千本門の三皐即も三大秘法は、 正しく体 散の仰敬とい以得るのである。 市して天台の備敬が日蓮の偶数になるに就ては、その形式に於て七字の経題受持の行法は、持士の 六字名競の栴念々備に酷似して居る之とは否み難いととである。勿論彼の名玩は三賓の中の偽賓であb
、これは三賓の中の法賓であって、その間に法備の相違はゐるにせよ、その様式内容に於ては同じ である。且つ備敢に於てはをの蹄依慮即ち信仰の針象ごしては、﹁増一阿含艇﹂ 四八に﹁如来事衆能 掌 ニ 護 三 賓 一 ﹄ ︵ 正 威 一 一 、 入 O 六 ﹀ と説3
、企経十四に﹃嘗し念二三零備法塾衆一﹄ ハ会よ、六一さと説くも同 義で、その他﹁過去現在困果経﹂三に 即 授 ニ 商 人 三 鶴 一 、 一 陣 一 一 依 悌 一 、 二 騎 ニ 依 法 一 、 三 崎 一 一 依 賂 ポ 借 二 授 ご 三 蹄 一 兎02
磁 、 三 、 大 間 三 υ といひ.克に弐下にその内容を示して 偽 阿 羅 漢 是 持 − 備 費 一 、 四 諦 挟 輸 是 居 純 一 一 法 賢 一 、 五 阿 羅 漢 是 詩 一 一 信 寅 一 、 如 ν見世間三賓具足、魚一一諸天人第 一 一 輔 回 一 。 ハ 企 上 ﹂ ハ 四 五 ︶ と 設
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。法華の蓄量品には 是 諸 罪 衆 生 、 以 = 悪 業 肉 縁 − 、 過 孟 阿 借 祇 劫 一 、 不 ν聞 三 賓 名 一 。 とあるに依℃も明かなる如︿、三賓は備敢行門の封象たる本章であ b 、且つ小乗に在τ
は三賓は封立 しτ
園融の義は設かれねが、大乗に至つては一体三賓と離して三賀は闘融し、三賓は一体なbt
説く 故に、聖人も常に﹁樟穿と法華経と我等との三つは、全体不思議の一法にして、全く三の差別無きな・ 0 ﹄ ︵ 一 O 二九︶等ご設かる、所以である。随って津土の名競と我家の唱題ごは法備の別はあっても、その行立 は三業相鷹の口業なるに於ては、会︿同意とい以得るのである。 若し博士の念備行にては﹁観無量害経﹂の﹃念悌衆生蝿取不捨﹄や﹁具足十念﹄の文、並に﹁大無量 害経﹂第十七の﹃脊嵯稀名﹄の願、﹁阿捕陀経﹂の﹃執持名競﹄の文意に依る、稗名を牲生の正行と するのであるが、稀名に就て善患の﹁観経疏﹂第三定善義の三縁轄の第一親縁稗には 衆 生 起 レ 行 日 常 稗 ν備 悌 即 聞 レ 之 ︵ 口 ︶ 、 身 常 腫 ニ 敬 悌 一 傭 即 見 レ 之 ︵ 身 ︶ 、 心常念 L仰 仰 即 知 レ 之 ︵ 意 ︶ 、 衆 生 憶 ニ 念 悌 一 者 悌 亦 憶 − 一 念 衆 生 二 彼 此 三 業 不 − 一 相 拾 離 一 故 名 ニ 親 縁 一 也 。 ︵ 正 歳 、 三 七 、 二 六 八 ︶ と稗名に於付る三業相鷹の轄をなし。叉恵心の﹁牲生要集﹂上末の正修念悌轄に於ける、五念行の中 傍殺の行要としての三大秘法 八 七悌教の行隔世としての三大秘法 A ノL 時拝、讃致、作慨に於ける三業相醸の身口意三業の樺門会築、二、四三︶法然の﹁港捧集﹂上の第二正雑二行 のド五番相封の第一親疎封に於げる三業稗等は、説れも三業相騒の念悌そ円以て正行とする轄でゐる。 此の名競訓押さ我が唱題理作ごほ、行相は同じであるがその義趣は全く別といはねばなら曲。何さなれば 彼の﹁名慨は是万徳の所蹄な b ﹄︵選揮集︶といムも、﹃念備衆生揚取不檎﹄が捕陀牲生の本顕である 故に、車道行に於げる如く三事六度の行相を必ずしも要しないのである。 乙れ浄土門が或は備法の正 統的教義でないと稽せらる、所以であらう。 然らば真弓一一日家に於ける三密取伽の行は如何といふに、コ一密とはこれ大日果地の三業の謂であって、 若 し 天 台 に 依 れ ば ﹃ 同 名 ニ 三 業 一 、 果 名 工 三 密 一 ﹄ ︵ ﹁ 文 句 ﹂ 一 三 、 五 O ︶と樺し、衆生に在ては三業といひ、梯 陀に在ては三密さいム故に、﹁拘要抄﹂に 悶 心 本 凡 ︵ 二 百 界 三 業 二 至 レ 某 斡 ν 性 三 輪 施 レ 化 ︹ 下 二 九 ︶ 正 碍 せ る 如 く 、 怖果に於ては=一輪とも三密ともいムといふのである。 然るに異言に於ては、﹁異本則 身 成 偽 義 ﹂ 一に依れば、行者の三業をも三密と稀するは、 行 者 随 − 一 如 来 敬 一 修 一 一 三 密 行 観 一 時 、 経 ニ 三 部 悌 周 一 白 利 利 ー 他 、 所 以 同 レ 偽 名 b密
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築 、 二 、 六 ︶ さ制作して居るが‘異言家に於ても身口意三密の如行を以て即身成備の正行となし.即も木詳の有相のゴ一密たる印契、真言、観念を軌範として手に本掌の一印契を結び、口にその真言を諦し、 心は本傘の三 臨床地に住し、珠伽の視行ぞ修するを三密修行といひ。本隼の修生の三密と行者本有の三密と加持戚醸し 入 我 我 入 し 、 所 謂 血 ア 手 動 レ 足 皆 成 ニ 密 印 一 、 ︵ 身 ︶ 、 開 ν 口 費 ν 韓 悉 是 真 言 ︿ 口 ︶ 、 起 レ 心 動 ν念 戚 成 ニ 妙 鶴 一 ︵ 意 ︶ まいふ無相三密の賞理に契つ
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、印身成備し悌徳を頴誼すると談ずるのである。これ﹁即身成備義﹂に 若 有 ユ 真 言 行 人 二 観 ニ 察 此 義 一 、 手 作 ニ 印 契 一 口 諦 ニ 異 言 一 心 住 ニ 三 摩 地 − . ニ密相臆加持故、早得=大悉 地 一 ハ 正 減 、 七 七 l 一 二 八 三 ︶ さ説︿所であるが、彼宗に於ては三撃を或は三部︵戒は蓮華部、定は備部、慧は全剛部︶に配するも、 一 一 密 を 以 て 直 ち に 三 皐 なb
といはぬのである。 如上の畳一言三密球伽の行相も、その形式に日 F r ,我が三秘の行門に能︿合致するごいはんよh
、 三 一 脳 が一見此慮に踊示を得たる如く思惟せられ、就中憂茶維に至つτ
は真言の法華法の曇茶経たる、彼の 不空の﹁税特儀軌﹂のそれよ h 集骨股体したと云ひ得るものである。 ︵それに就て別に述べる乙とに する。︶併し乍ら我が三大秘法が仰敢行門の要一諦なる二ニ皐の思想を飽く迄も脱しない乙とは、同じ︿ 日本の三業悌敬中海士敬ごも、真言密教とも同日の論でな︿、且つ雨宗が同一仰教に属しつ、\動も す引いば正統仰敢にあらやヲご疑はる\所以ではなからうか。 仰殺の行要としての三大秘法 /¥. 九偽敬の行要としての三大秘法 九
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勿論滞土門に於りる往生の正行たる念仰は、偽敬の信仰の針象たる三賓の中悌賓中心の一波でゐ b 、 我が題目は法賀中心の一振であり、彼はをの行相に於て或は我に先駆をなしたものご見られ‘真言は三 業の行相に依て我に先駆をなしたとも見らる、のであるが、我が三大秘法は正しく偽敬の行門たる三 皐、近︿は天台、博敬の法華の国の三皐が、日記等の敬皐仁影響せられっ、、所謂中古天台ω
本畳法門 ま な b 、更に純化したものぎ見るべきである。 今朔って天台の敢義に就て見るに、その中心間半説たる止制はこれ一種の締法であって、安那南北雨 臓に就て見れば、恵龍一振の南宗雄の草惇主義に依らずして、一柳秀一振の北宗搬の敬組一致説に近い ものであった。故に天台は常に陪設の踏帥と稗してその単純主義を庇して、自ら敬雄一致の旨に立も て、止観の二法を以て天台の行法としたのである。これ章安が臨時詞止観の最初に﹁止観明静前代未聞﹄ と歎じた所以である。併し乍ら天台に於ても、草仁止制仰の二法印ち定慧のみでな︿、戒をも撮取して 三 曲 学 の 設 の あ っ た 乙 と は 、 前 引 の 如 く ﹁ 文 句 ﹂ に 翻 心 の 相 を 一 不 し ℃ ﹃ 約 − − 己 心 一 論 一 一 戒 定 慧 一 ﹄ と い ふ に 見て明かであるが、営時支那に於ける戒争は南山道宣以前に屈し、未r
猫立して一振をなさ十、悌敬 道徳として諸宗仁附順して一般的仁行はれたが、三撃として定怒と同等の地位を得なかった故仁、天台の如きも﹁止観﹂に﹁中道妙観戒正体也﹄白の一 J 一 四 ・
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左中道妙翻を以て一家の戒体な L リム断定しつ 、、も、持戒清揮を以て二十五方便の最初q
止 淑 ﹂ 凶 の 一 、 七 ︶ に 数 へ た る 如 き は 、 明 か に 定 慧 の 二 法 に 針 す れば戒を従と見たるものであり、隠って二法は詮悟の凶であるが戒は縁に外ならなかったのであるの とれ﹁小止観﹂に 若 夫 泥 一 担 之 法 、 入 乃 多 途 論 ニ 其 念 要 一 、 不 ν 出ご止観二法一。止乃伏い結之初門、観是断惑之正要 v 止則愛 養心誠之善資、観則策殺紳解之妙術。止是梢定之勝凶、親日疋智慧之由籍、若人成ニ就定慧二法一、斯 乃自利利 L他誌皆具足、故怯華経一去、﹁偽白佐大衆、如其所得法、定怠力症最、以此度衆生﹄、営レ知 此 二 法 、 如 ニ 車 之 盤 輪 、 烏 之 雨 翼 一 。 若 偏 修 習 州 堕 ニ 邪 倒 一 、 故 一 経 一 五 ﹁ 若 偏 戸 一 修 糊 定 一 繭 徳 一 不 レ 皐 一 一 智 慧 一 、 名 ν之 日 ν愚 、 偏 ニ 皐 判 慧 一 不 ν修 二 蝿 定 一 繭 徳 − 、 名 ν之日 ν狂 、 狂 卦 之 道 雄 ニ ・ 小 不 レ 一 問 、 邪 見 輪 特 蓋 無 ニ 差 別 一 。 ﹄ ︵ 疋 歳 、 四 六 、 四 六 二 ︶ 正樫し、夜に十意の最初の具縁第一の下氏於て﹁持戒情持、能品化定詰﹂︵企上︶ J ﹄禅せるに見て明かで あ る c 即ち天台仁在ては三串の中、且く定慧︵止観︶は正凶、持戒は助繰り版態じあったのである。 それ営時の悌殺事の大勢であったからである。聖一人が常に﹁天台は同定国慧は之セ弘めて、国戒は未 だ 弘 め や ﹄ ︵ 九 八 一 一 九 三 二 三 等 ︶ と 越 ぺ ら れ て 居 る の は そ れ が だ め で あ る 。 悌殺の行要と L ての三大秘法 九傍教の行嬰としての三大秘法 先A 若 し 惇 敬 の 三 血 平 氏 就 て は 、 天 台
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純 一 五 三 八 | 一 五 九 七 ︶ の 後 間 も な く 道 宣 戸 商 杷 五 九 六 1 宍 六 ・3
に依て四分 律宗の濁立ぞ見て、此に於てか戒皐が定慈の二皐と同一地位に高められ、三拳が等し︵悌数皐の要素 とせらるに至ったのである。今大師入唐前の惇法に就で足るに、敬雄一致の北宗輔ぞ行表から受けた のであるが、行表の師たる道路は北宗臓を普寂に受け、殊に華厳・戒律・雄・天台を一身代惇へ、敬繍一 致の思想を有せしは勿論、前述の﹁註楚網﹂に依て明かなる如︿三皐一元の思想を有せしよb
、此の 思想が行表を通じて惇敢に相博したものである。叉之と平行して惇歌人唐前に修めたる天台の教籍 は、章安の︿弟子弘景︶怯孫鑑真に依て将来せられ、その門人の思詫︵天台沙門と競す︶法準等は、 説れも天台場仁通じ、就中法遜の如− h t は来朝後数回三大部を講じ、その著﹁沙嫡十戒威儀経疏﹂ 坐 捕 を 蒋 し て 、 備法農大趣悟千差、撮 ν 要 而 品 一 一 n 不 ν過 一 一 二 極 一 。 一 者 定 . 二 者 慈 、 咽 定 乃 伏 ν 結之部門、慧乃断 ν惑 之 利 創 、 定是契寂之勝因、慧是三身之本母。若人具=斯定慧一、自利利 ν人、悌法閥満。故法華経云﹃備自住大 乗、乃至以此度衆生﹄営 ν 知 定 慧 二 侠 如 下 車 備 二 一 輪 一 烏 全 中 一 同 翼 J。戒如レ捉 ν賊、定如 ν縛レ賊、慧如 ν 殺 ν 賊如一一錯三足闘 ν 一 不 可 一 。 若 不 レ 持 ν戒刷修 ν 定 者 名 一 一 有 漏 定 一 、 不 ν従 一 一 戒 定 一 一 山 修 ν特 一 品 者 名 コ 有 漏 慧 一 、 批 不 レ 能 ν断 − 一 除 煩 悩 等 三 障 一 也 υ 故 経 云 ﹁ 偏 皐 一 一 雄 一 定 一 乃 至 名 ν之日 ν狂 ο ﹄狂愚之夫、未レ能 ν出 一 一 於 生 死 一 、何 能 疾 謹 一 一 無 上 極 果 一 O ︵ 日 本 大 蔵 、 小 秀 作 意 疏 二 三 四 七 ︶ 主連ペカのは、正しく天台の﹁小止観﹂の文民依 b 、﹁止観﹂に代ゆるに﹁定慧﹂を以てし、更に定慧 の二法に戒を加へて、三皐一元の思想に立って連ぺたことは、右の文に明かである。 之に由て是そ観るに、天台の定慧ニ法の思想は道宜の律宗濁立を侯も、道路、法準に至って三串一 元の思想ごな b 、惇教に至って正しく闘の三皐の思想となったのである。 若し博教の闘の三皐の思想は、入唐後順暁等よ b 密殺を受け、後弘法の異言密敢に艶峠して、天台 の止観遮那商業と頴密併修したにちせよ、入唐以前に院に道時、法準の三事一元の思想に刺戟せられ て、法華経に依 b 国の三皐を以て、南都諸宗否備法を統一せんとした乙とは、最初叡山に一乗止観院 建立﹁願文﹂に 得隼遮ニ闇提一、得ニ人身一従不レ作一一善業二塾教噴一一塁手一、於レ是愚中極愚、狂中極狂、塵禿有情.底 下最誼、上達ニ於諸悌\中背=於皇法一、下関一一於孝雄一。 謹 随 ニ 迷 狂 之 心 − 、 横 一 一 三 二 之 願 一 、 以 ニ 無 所 得 F 耐 錦 二 方 便 一 、 銭 − 一 無 上 第 一 義 − 、 接 ニ 金 剛 不 懐 不 退 心 願 − 。 ︵ 全 集 二 、 二 ︶ 曹とあるに依℃明かである。愚狂の句は正し︿天台の﹁小止観﹂並に法涯の﹁沙捕十戒威儀縄疏﹂等所 引の経文︵縄経等の文か未だ本懐 L E 究めず︶の意に依る之とは明かである。 ︵固に親鷺の愚禿の競は 品附設の行要としての三大秘法 九
悌教の行要としてのコ一大秘法 九 四 停殺の﹁願文﹂に依るが如し︶、又文中﹃無所得﹄ごは三論等の空間を指したもので、 乙れ﹁依波集﹂ の 序 に ﹃ 洗 空 三 論 ﹂ ハ 金 銭 、 二 、 五 八 凶 ︶ ご い ふ の と 同 意 で あ b 、﹁無上第一義﹄とはこれ正しく法事終に依る国 の 三 思
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解すぺきである。 而して此の思想は入府後六油剤援の、華院等の数山中に刺戟せられた、 ペ 天 台 は ﹁ 小 止 観 ﹂ ︵ 正 歳 、 凶 六 、 凶 六 七 、 ︶ 仁 一 度 ﹁ 起 信 論 ﹂ を 引 用 せ る も . 六 組 は ﹁ 金 鉾 論 ﹂ ︵ 正 取 、 会 上 、 七 八 一 ︶ 等 に 盛 λ に之を引用せ b ︶本門思想を道迷、行満よ h 停 へ 、 克 仁 遊 詩 一 よ b は闘頓戒を相承したのである。然 るに是等の思想が入唐前所修の華厳思想に依て、南都の法相の三乗思想に封して、 一乗思想念高潮せ し め て 、 一三権質論の事を聞き。又南都の分通犬采の珠伽戒に到して、国頓大戒の貨を結ぶに至った のである。﹁依滋集﹂の序仁 最湾南唐之後、菓ニ此一宗−、東店之訓、開ニ彼戒疏\拾ニ国珠於海西−0
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集 、 二 、 五 八 四 ︶ とは此の間の消息そ物語るS
の で あ る 。 斯の如く博敬の固の三串の内容は、実台の三島一 eが止観の二法師も定訟の思想を正意ごして、戒律を 傍意若︿しは附随三せるに封し、道宣に依て加倒立した戒皐を、道遼相承の固戒仁依て三皐の一要素に 向上せしめ、道路、持活相一水のコ一皐一元の思想に依って統一し。.K
に六日組に依て礎揮したる本門思想 を、入唐前所修の松市最思想に依て一一階高潮したものが、体散の固の三皐の思想である。併し乍ら惇敢の此の思想は、真言融曾と、同頓戒壇濁立の述動のために、遺憾ながら抽象的説明に留まる外ないの である。即ち聖人が﹁事密房御書﹂に 宗と申すは戒・定・慈の三皐を備へたる物なり。其中に定誌はきてをさ ι ぬ。戒そもて大小のばうじど うもわかつものなり o 東寺の異一吉、法相、三論、事巌等は戒壇な
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ゆへに、東大寺に入b
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、 乗 律宗騒乱臭糞の戒営持つ、戒を用って論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし、比叡山には天台宗、真 言宗の二宗、惇敢大師旬以ったへ給ひた h しかども、天台凶頓の閲定、闘話、閤戒の戒壇立つぺ主よ し 申 さ せ 給 ム 竺 大 六 四 ︶ と は 如 上 の 立 に 外 な ら ね 。 若 し ﹁ 下 山 紗 ﹂ に ﹃ 法 華 諮 門 の 戒 定 訟 の 一 一 一 ﹄ ︵ 一 五 六 一 ︶ と は 、 聖 一 人 の 末 法 所 弘 の﹁本門の三車﹂に劃しての意である。 四 如 上 の 惇 散 の 三 皐 に 就 て は 、 弟 子 党 定 の ﹁ 一 心 戒 文 ﹂ の 中 に も 、 ﹃ 一 乗 の 三 培 、 ﹂ ︵ 全 集 別 巻 、 一 五 七 、 一 七 一 ぎ ﹃ 大 乗 の 一 一 一 皐 ﹄ 門 会 上 J 一0
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﹁ 回 数 の 三 事 ﹄ ︵ 会 上 二 七 八 ︶ ﹁ 天 台 り 三 町 内 己 ︵ 会 上 二 O 九 ︶ ﹁ 自 性 荷 停 の 三 島 こ 門 会 上 二 八 七 J 二 O ︶等と縛するも、若し其後の口樽的救構に至っては恵心流の所謂三章一七個の法門が、 その最も具体的のものである。 而して古来の相停に依れば体数大師入府して行制よb
始史的怯門ぞ 働数の行要正 L ての三大秘法 九 五係 数 川 町 一 行 婆 と し て の = 一 大 秘 法 九 六 惇ヘ、道遼よ b 本管の怯門を博へ、爾来一器潟瓶して良源に至 b 、門下の嵐官運に始管内を惇へて棺那 流
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稗し、源心に本畳法門を博へて惑心流Z
分れたといふが、雨師の法門に於ても厳密にその相違も なく、博敬の相承に此の別あb
z
認められ旧日、唯天台に比して六組以来の本門約の高潮ぞ見るとい V ふ に摺るものである。 若し三重七佃の法門とは、それ致・行・詮の三重と、 一心三観、心境義︹一念三千︶、止観大旨、法華深 義の康博四個と、蓮華因果、同教の三身、寂光土義の略博三個とを合しτ
七個となすのである。就中 数行詮の三重は、その始は恐らく慈思に依て創唱せられたものであらう。乙れ﹁倶合論﹂二九の分別 定品に 世 牢 正 法 体 有 ニ 二 積 一 、 一 敬 、 ニ 詮 。 ︵ 正 時 一 一 九 ノ 一 五 二 ︶ の二積を分ち、詮法は千年で数はそれに過﹁言説主、﹁金剛般若論﹂上主蔵、一五、七六 O U 等にも同じ︿、 備法流布の浅深を時に依て剣じたものである。これ等に暗示を得て慈恩は一,法苑義林章﹂に 悌減度後法有二三時二謂正像末。具ニ敢行詮三−、名錦ニ正法−。但有ニ敢行−名錦ニ像法一、有 ν敬無 ν余 名 簿 ニ 末 法 一02
歳 、 三 四 、 三 四 四 ︶ と 述 べ 。 ﹁ 法 華 玄 賛 ﹂ 五 ハ 正 毅 三 凶 、 七 四 三 ︶ に も 同 一 の 樟 が あ る が 、 とれ敬行詮の範時を以て滅後三時の法減の相を判じたのである。然るに日本天台に至って此の竪の範時を、横の範時としたのが日本天台 三重の法円である。而して定珍の﹁先徳明匠記﹂に依れば、 三 箇 大 事 者 、 自 ニ 道 遼 − 惇 ν之 高 そ 三 、 三 六 八 ﹀ l e a ・ ぃ 以 、 惇 殺 の 若 井 ﹂ 綿 ⋮ す る ﹁ 生 知 妙 悟 決 ﹂ に は 章 一 間 目 、 一 心 三 観 有 一 一 浅 深 − 耶 。 座 主 答 日 傭 也 。 乃 豆 一 心 三 観 観 門 一 旦 コ 道 教 行 哲 三 − 云 令 室 集 、 四 、 五 一 二 ︶ 主連ぺ。叉﹁惇法要偶﹂には道遼の相承を述べて 票 ニ 止 観 大 旨 − 、 皐 下 怯 華 深 義 、 究 三 乗 廻 心 、 唯 識 串 = 唯 心 − 、 心誠之庚狭上。諮下一心三観、法華輿ニ華 最 − 、 四 車 之 同 異 上 、 具 受 コ 心 境 義 − o ︵ 全 集 、 = 一 、 四 七 四 ︶ と問箇の名目を連ね。有名なる﹁修蹄寺決﹂民は 大唐貞元二十四年三月−日博二四箇法門−。所謂一、 一 心 三 説 、 二 、 一念三千、三、止観大旨、 四 、 法 華 深 義 也 。 門 会 築 、 i J ハ ム ハ 一 ︶ と辿ぺ、四箇の下に於て各数行設の三重の義を樺し、最後の法華深義の下に於ては、又五重玄義に約 しその宗玄義の下に於て 此 開 一 一 三 種 別 惇 − 、 一 蓮 華 因 果 妙 凶 妙 果 、 ニ 園 敬 三 身 妙 果 、 三 常 寂 光 土 妙 泉 所 居 。 知 一 一 別 集 d云
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上 、 七 三 一 一 ︶ 悌設の行要としての=一大秘法 九 七悌敬の行要としてのコ一大秘法 九 八 と略俸の三個を開いて居るが。本書が口俸法門を最も具体的に迅ぺたものである。就中止観大旨の行 門の下には、道越の﹁深秘行法惇﹂在るものを引置し、 国 = 槍 十 界 形 像 − 、 十 慮 安 ν之。毎 ν向 = 一 像 − 、 各 一 百 .
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可 ν 行 一 ︸ 躍 拝 − ︵ 身 ︶ 口 可 ν唱 = 南 無 妙 法 蓮 華 経 − ︵ 口 ︶ 、 心 可 ν 念 若 向 − 一 地 獄 像 ヘ 彼 猛 火 営 体 即 空 部 仮 邸 中 。 乃 至 向 − 一 悌 像 l 之 時 、 可 ニ 観 ν彼 体 卸 三 一 諦 − 也 。 ︵ 意 ︶ 章一時、夜一時、可 ν 修 二 此 行 − 大 師 潟 一 一 末 世 鈍 機 二 密 授 一 一 此 法 要 − 。 若 欲 下 出 一 一 生 死 − 誼 中 菩 提 上 、 先 可 L 周 一 一 此 修 行 − 也0
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土 、 七 O 一 d と正しく三業に約して、唱題に依る止観の行を明して居るのである。 併し乍ら上引の三書の如きは、且らく惇教の親撰として大師全集仁編入せられて居るが、敦れも、 古来偽書の設がゐるものでゐる。然らば此等三重七個の口停、果して何時誰人に依て唱へられしやとい ふ仁、従来事者の研究の結果、概ね源信以後忠尋頃に完成せりといふのである。勿論惇敢に在てはそ の 親 撰 中 に は 、 ﹁ 額 戒 論 ﹂ の 序 に 和 上 慈 悲 、 一 心 三 親 、 停 ニ 於 一 言 F。 菩 薩 固 戒 授 − 一 於 至 信 − 、 天 台 一 家 之 法 門 巳 具0
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集 J 、 二 五 ︶ といへる文 E P. 、 ﹁ 田 守 護 章 ﹂ の 一 乗 湖 周 、 動 静 無 礎 、 堂 唯 怯 界 寂 滅 乎 。 鏡 像 固 融 義 、 非 ニ 口 決 − 不 レ 解 、 師 師 相 承 、 良 有 ν 以 也 左 上 、 三 O = 一 ︶との丈のみである。且ら︵此等の惇敬二文を中心として、都率の畳超頃までの皐匠に依
τ
、所謂口惇 法門が成立し、その後に三重七佃の口俸が生じたとするのであるが、よし固仁乃至良源の作中数行誼 の語あるも、恐ら︿は後世口博法門が成立して、逆に惇敢にその根懐を求めたものではなからうか。 若し三重七佃の口惇の内容稜遠の経路に就ては、島地師の﹁ H 本天台の口惇法門﹂ ︵全集﹁敬理主史 論 ﹂ 五 三 ︶ 並 に ﹁ 天 台 数 畢 史 ﹂ ︵ 四 五 八 ︶ 以 下 等 に 就 て 知 る ぺ 主 で あ る 。五
由来日惇法門中庚惇四個の大事は、その名相よ b 見れば自ら止観の境観の二法に外ならねのであ る。印も−心三観は能観の智、 一念三千心境義は所観の境、止観大旨は一家能観の行法、法事深義は 若しニれを心性の一念と見て所観の陰一揖とすれば、四明の雨重の能所ご見るととが出来る。 一 ⋮ 一 一 ⋮ 一 伽 一 一 掃 け 一 一 輪 一 一 重 能 所1 0 1
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一 ︶ 止 観 大 旨 | 能 観 ︸ 四 個 大 事 ム ヤ 雨 重 能 所 ︷ ︵ 四 ︶ 法 華 深 義 ︵ 心 性 一 念 陰 境 ︶l
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−−−ー所観﹄ 却も斯く見得るとすれば、四個大事は天台の一念三千観却も闘の三皐に外ならぬのである。而して略 惇三個は怯華深義を果上の三千と見れば、果上の三徳なること類遁三法の義に依て明かである c 併し 偽教の行要としての三大秘法 九 九保設の行嬰としての三大積法
一
OO 乍ら日本天台に於ける三重七個の口停は、止観の了念三千観の限りなき敷街に遁ぎ−ないし、中古天台 が鎌倉時代の新偶数の要素ごはなったが、濁自の生命を失ったのは、草に法門の演緯にのみ乙れ努め て蹄納を知らなかったからである。然るにこれを本門の三皐の理想の下に、帰納したのが聖人の本門 の 三 大 秘 法 で あ る 。 本門の三大秘法とは﹃宗と申すは戒定慧の三墜を具するものなり﹄の偽敢行門の要諦に立脚して、 本門果上の一念三千たる南無妙法蓮華経を本門の三皐なる題目︵慧︶、本隼︵定︶、戒壇︵戒︶、の三用を 聞出したものであっτ
、三皐の思想内容に至つては、略惇三個の内容と金同である。挽言すれば天台 の略侍三側を、本門思想によb
天台惇数本来の理想たる法華の三事として債値つけたものである。こ れγ
就ては慨に先師中佐渡阿閤梨日満︵西純一三六 O 寂︶は﹁日浦抄﹂に 問 云 、 於 ニ 今 此 等 二 ニ 箇 大 事 云 何 、 答、口疋義歩て相惇−。但天台一家之三箇大事者、四箇大事中法華深義之内、略惇三箇大事開出。回数 三身、常寂光士義、蓮華因果是也 o 先此旨能 φ 相停、其上可 ν得ド意事也。嘗家之三箇大事者、御書 一式﹁本門本命、興三四菩薩一戒培、南無妙法違華経五字也﹄云々。此三大事歎。敢難レA
− 一 短 慮 − 、 然 而 粗 於 − 一 前 後 − 有 一 一 此 義 二 思 惟 宜 ν知 也 。 議 会 、 奥 門 集 、 四 C 四 ︶ム﹂彼の三箇大事と此の﹁書量品の三大事﹄とは粗ぽ同義な
b
と い ひ 。 叉 誼 誠 日 修 ︵ 西 純 一 五 九 四 寂 ︶ は ﹁異流正惇抄﹂四本書量品の下に 博 敬 大 師 略 体 三 箇 秘 法 之 事 、 道 返 ﹁ 修 輔 寺 決 ﹂ 云 物 書 、 是 則 七 百 飴 科 相 承 中 、 取 一 − 簡 要 一 鋳 一 一 コ 一 箇 ザ 法 − 。 夫者園敬三身、蓮華因果、常寂光士義也、此三蓮師替ニ名目一、云二本門三大秘法一事録外一通抄有ニ製 作 − 。 此 中 一 五 一 一 国 敬 三 身 − 営 家 敬 主 品 。 是 嘗 宗 名 一 一 本 門 本 隼 − 。 挫 蓮 華 因 果 者 営 宗 題 目 一 大 事 也 。 常 寂 光 士義者本門戒壇也。此三大秘法皆極ユ賞品−也。其立慮本隼輿ニ題目司、極ニ然我貨慮−、戒撞院極=我常 在 此 婆 婆 慮 − − 也 。 是 故 博 敬 大 師 ﹁ 末 法 太 有 近 ﹂ 之 五 字 、 藤 三 日 蓮 時 − 御 筆 也 、 ハ 宗 金 、 本 一 妙 法 一 吉 郎 二 、 二 三 二 ぱ といふも、杢く依の略博三個は霧量三大事なb
といふに於て満師 Z 同一轍である。且つ前引の﹁修施 寺決﹂の行門の道迷の﹁深秘行法惇﹂なるものさ併せ勘ふれば、形式に於て杢︿何の別ちないといひ 得るのである。前田博士が﹁天台宗網要﹂に 事の一念三千の所談も、亦決して日蓮上人の創設に非ずハ一八︶ といへるは杢︿如上の形式の上の所論であって、若し果して事の一念三千仁して聖人の創設にあらず させば、翠人の以外に法華料の行者のあるべき筈である。乙れ本門三皐の内容を解せ十聖人立教の精 一 仰 を 解 せ ね が た め で あ る 。 品開教の行要主しての三大秘法。
備 品 玖 の 行 要 と し て の 一 一 一 大 秘 法
。
末法の導師以て任じたる事人に於ては、法華深義 J とは天台の如︿、因位六識陰境の一念にあらずし て、全く備果上の事の一念三千南無妙法蓮華経であって、 乙れ議量文底の是好良薬である。故に乙れ を末訟行盛に関すれば、本門の三文秘法となるのであ 9 、 乙れを﹁書量口聞の三大事﹂とはこれ、本門 に依る略停三綱の大事の意であb
、本門の三皐とは悌数本来の行践に依ったのである。 ︷蓮華凶果||慧事||本門題日 本 門 一 念 三 千 南 無 妙 法 蓮 華 経 ︵ 襲 警 深 義 ﹀ ︿ 園 教 三 身 i |定事ーーー本門本掌 ︷ 常 寂 光 土1
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戒串||本門戒壇 此に至って悌教はその本棋の行法たる三串を最も純化して末法の三業中心の傭敢となったのであ る。若しそれ敢行設の三重に至って、一。敢行詮御書﹂に 末法には数行詮の三つ倶に備れb
、例せば正訟の如し 0 ︵ 一 一 一 一 巳 と 数 行 詮 を 以 て 従 来 竪 に 正 ︿ 敬 行 程 v 像袋行︶末長︶、具不を以て時代の歌曲学を剣壱しを、中古天台の三 重の口俸の如︿、聖人は一人の上の前後に約し、以て受持成備の始絡を判じたのである。乙れに就τ
は山川氏の﹁敬敢行設の三義に約せる日蓮要人の組織的宗教﹂︵﹁日蓮墨人の掛究﹂第二、三四四 O ︶参照 す ぺ a d で あ る 。. 晶 .
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、
要するに本門の三串は傭敬本来の行法たる阿合以来の三曲学の結腸とるいふべきであっτ
、 と れ が 三 皐一元の思想は道路の自性情揮の三皐を起点として、︵勿論南岳の著と帯する﹁大乗止説法門﹂にち自 性清揮の語はあるが︶法進を経て惇敢に至って遮門の三皐ごな b 、克に六組以来の本門思想が華巌 並に密敬の本畳︵自然費︶の思想に影響せられ、究第に本門中心となb
所調中古天台の本魔法門と なったが.中古天台は専ら演絡の一面にのみ走って、三撃の行要に蹄納する乙と忘れたために観念の 遊戯に堕τ
仕舞ったのである。此に於てかこれ守三撃に結蹄し、且つ書官量文底の一念三千﹁営体義紗﹂ に所謂﹃凶果供時不思議の一法﹄ハ九二ニ︶たる、偽智所詮の南無妙法蓮華経即ち﹁日妙鍛﹂に所謂﹃九 識心王異如の都﹄ハ二ハ二四︶之は、これ本門の法華深義である。新かる法華深義は十界常住の事の一念 一 千 な る 故 に 、 若 し 悌 界 に 約 す れ ば ﹁ 三 秘 紗 ﹂ 仁所謂﹃大費世骨骨久建賓成の営初誼得の一念三千﹄︵ O 五四︶であ。、若し九界の約すれば﹁本寧紗﹂民所謂﹃我等己心の棒隼﹄︵九三さ で あ ・ 9 、 ﹁ 営 体 義 紗 ﹂ に所調﹃信法華経日蓮弟子棺那等父母所生肉身﹄ハ九九一﹀等いふ九界の衆生信心そのちのであって、備 界は本果であb
九界は本因である。故に﹁日向記﹂には蓮華を稗して、 一、蓮華とは本因本果な b 、此の本国本来とレムは一念三千な bo 本有の困、本有の果な h v o 今始 備殺の行要としての三大秘法一
O 三品開設の行要としての三大秘法
一
O 四 めたる悶果に非ぎるなり。五百塵点の法門とは此の事を設かれたb
。本因の困と云ふは下種の題目 なり。本果の果とは成備な旬、因と云ムは信心領納の事なb
c
此の経を持ち奉る時を本因とす。其 の 本 因 の ま 、 、 成 傭 あ b と云ふを本巣ごは云ふな b o 日蓮が弟子檀那の肝要は本果よ b 本因を宗とす る な b o ︵ 五 左 ︶ と迷ぺ。且つ﹁事密房御書﹂には﹃宗ご申すは戒定怠の三皐を備へたる物なり﹄といへば、その本因 たる能信の信心に寄せて所信の下種の題目を末法の行法として聞出したものが、本門の三皐たる三大 秘 法 で あ る 。 斯の如く末佐に於ける三串は三大秘法でゐるが。若し﹁義停房御書﹂に依れば、 存量品の自我偶に云く﹃一心欲 ν見 ν備 、 不 三 自 惜 一 一 身 命 − ﹄ 一 五 々 、 日蓮が己心の悌界を此文にて願す 也。共故は書量品の事の一念三千の三大秘法テ一成就せる事此経文なり、可 ν秘、可レ秘、叡山の大師 渡唐して此文の点を相惇し給ふ也 0 ハ 九 六 五 ︶ といへば、末法の三皐なる三大秘法は、﹁一心欲見働、不自惜身命﹂の信心に依って始めて末法の正行 ー と な る 乙 と は 、 ﹁ 日 女 紗 ﹂ に 三 日 脚 の 中 本 傘 に 於 て 、 此御本掌全く余所に求むる事なかれ、 只我等衆生の法華経を持ちて、南無妙法建華経と唱る胸中の肉岡におはしますな b 、是を九誠心王異加の都とは申す也。
2 z
此御本軍も只信心の二宇にをさま れh
、 以 信 得 入 と は 是 也 。 ︵ 一 占 ハ − 二 ハ ﹀ とゐるに依て明かである。新の如く末法の衆生は信心に依て本門の三畢を行じ得ると結するを三皐一 信の妙行といひ、これをまた受持一行ごいふのである。か、る三串一信の妙行を末法の行法とし、偽 散の行門たる三皐に結蹄とするものである。七
最後に一信の内容に就て一言すれば、﹁営体義紗﹂には、﹃正直拾ニ方便\但信一・法華経 F 唱 一 一 南 無 妙 法 蓮華経−人﹄︵九九﹀は、常寂光土に住し無作三身の備な b といふから、最初の﹃信法華経﹄といふ能信 は信受であb
、 ﹁ 唱 − 一 南 無 妙 法 蓮 華 経 − ﹄ と い ふ 所 信 の 念 持 で あ る 。 若 し ﹁ 大 論 ﹂2
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に受持を稗して ﹃ 信 受 念 持 ﹄2
歳 J 一 五 、 四 六 一 ︶ と ゐ る が 、 更 に 詳 解 す れ ば 信 受 ご は 今 の ﹃ 信 一 一 法 華 経ι
で即も信心正 因であり、念持とは﹁唱南無妙法蓮華経﹂で唱題正行のことである。而して此の唱題正行とは乙れ正 しく末法の要法たる三臓の妙行であ b 、且つ此の三秘の妙行は﹃御義口停﹄に﹃信γ
以て成悌を決定 す る なbh
ド一きとある如く正悶たる信を以て必須傾件とする。何となれば信心な主唱題は蝉鳴蛙騒 と何の筒よ所はないからである。﹃四信五品鈴﹄に、 仰教の行要としての三大秘法一
O 五働政の行要としての=一大秘法
一
O 六 問 、 入 ニ 末 法 − 初 心 行 者 必 具 = 国 三 皐 一 不 。 答 日 此 義 鶏 − 一 大 事 − 故 、 勘 一 一 出 経 文 − 遺 ニ 付 貴 控 \ 断 簡 五 日 間 之 初 二 三 品 、 悌E
制 ニ 止 戒 定 二 法 二 一 向 限 一 一 慧一砂−、窓又不 ν堪以 ν信代 ν慈、信一宇潟 ν 詮 、 不信一間提誘法図、 信 話 回 名 字 即 位 也 、 ︵ 一 五 三 九 ︶ とある如︿末法初心の行者の固の三皐卸ら本門の三皐は、横の隔膳の三皐でもな︿、竪の戒定惑の衣 第でもなく、信の一宇に依て規定せられた三串一信の受持一行である。故に信を以て正凶ごし・究唱題 卸も三秘の妙行にして始めて末法本凶の妙行であb、斯の如3
本因行に依て始めて備果を成予るので ある。﹁最蓮房御返事﹂に されば我等が居住して修ニ行一来−之慮は、 何 れ の 慮 に て も 候 へ 可 レ 鋳 一 一 常 寂 光 都 目 。 我等が弟子槙那 L ﹂ならん人は、不 ν行 二 歩 − 見 = 天 峰 山 一 霊 山 − 、 本 有 の 寂 光 土 へ 童 夜 に 往 復 し 給 ム 。 ハ 八 四 一 ︶ まいふは本因妙の心地であって、﹁本有の寂光士﹂とはとれ本呆妙で、斯の如き﹁九識心王の都﹂たる 十界常住の虜昇に往復しっ、絡に傭果を成予といふのである。きれば﹁上野殿後家尼御前御返事﹂に 受持の心得を示して﹃心地を九識にもも、修行をば六識にせよ﹄︵一 O 五三︶古いへるは‘これ正し︿ 今の本凶行の得意で、信心を九識本法に置いて六識の在躍の三業行を九識本畳の悌呆に債値づけんと するものである。とれ正しく末法の行者の名字却の位の獄態を示したもので、﹁兄弟紗﹂等に﹁六波羅蜜経﹂の文として﹃心の師とはなると屯心を師三せぎれ﹄︵一一四一︶︵﹁義浮房御書﹂九大六︶といふの込 今 L ﹂同意である。﹃心の師﹄ごは九識本法の信心ぞいひ、﹃心を師﹄の心とは六誠在纏の妄心をいふの である。か、る名字即の信心から偽果を成やる故に﹁総勘文鈴﹂に﹃名字削の位よ・0即身身備す﹄︵一 九 O コ 一 J と稗し、﹁日向記﹂に 究寛即とは九識本費の異名な h 、九識本法の都とは法華の行者の住所な
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と轄する所以である。 斯く信心の内容乞九識となすことは、前引﹁御義口惇﹂に惇教の著と解する﹁皐生式問答﹂の虚空 不動の三皐を以て三皐倶俸の文誼としたのに徴するに、前述の如く、此の虚空不動の三串は光定の﹁一 心戒文﹂下に依れば、道坊が﹁焚網経﹂下の﹁我己百劫修行是心地、競吾錦慮遮那﹄︵正様、二閥、一 OO コ ロ の 文 そ 稗 し て 、 修行者天台師設.修二行一切之法\不生不滅不常不断、不一不異、不来不去、常住一相、猶如一一虚空\ 言 語 講 断 、 是 名 = 修 行 一 。 如 是 行 人 、 於 一 一 白 性 停 心 中 一 、 不 レ 犯 二 一 切 戒 一 、 是 則 虚 空 不 動 戒 。 又 於 一 一 自 性 情 再 開 心 中 一 、 安 住 不 ν動、如ニ須捕山一是則虚空不動定。叉於一一自性情持心中二週ご珪一切法一、無得白 荘 、 日 疋 則 虚 空 不 動 慧 云 令 ハ ﹁ 博 敬 大 師 会 集 ﹂ 別 袋 、 三 四 所 引 ︶ まいふに依ったもので、道時の﹁発網経註稗﹂は﹁律宗理鑑章﹂に依れば、勝症、法銑等と同じ︿、下車拾のみ 傍殺の行要としての三大秘法 0 七傍教の行要としての三大秘法