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佛教大学仏教学会紀要 05号(19970325) L029工藤順之「新論理学派の「行為主体性(kartrtva)」定義 : ハヴァーナンダ・シッダーンタヴァーギーシャ『カーラカ・チャクラ(Karakacakra)』第2節」

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(1)

新 論 理 学 派 の 「行 為 主 体 性(kartrtva)」

定 義

一 バ ヴ ァ ー ナ ン ダ ・ シ ッ ダ ー ン タ ヴ ァ ー ギ ー シ ャ 『カ ー ラ カ ・チ ャ ク ラ(K窕akacakya)』 第2節 一

思 想 的 背 景 一 序 に 代 え て

十 四世 紀 以 降 の イ ン ド思 想 界 は新 た な 論 理 体 系 と論 述 形 式 に席 巻 され た 。 そ

の新 し い 思 潮 を主 導 し て い た の は い わ ゆ る新 論 理 学 派(Navya-Ny窕a)で

る。 新 論 理 学 派 は そ の 萌 芽 を ウ ダ ヤ ナ(Udayana,ca.930-990cE)に

持 ち 、

ガ ンゲ ー シ ャ(GarigesaUp稘hy窕a,ca.1300-1360cE)に

よっ て 思 想 体 系 と

して 確 立 した と言 わ れ る。 彼 らの 主 た る論 題 は認 識 問 題 で あ り、 特 に ガ ン ゲ ー

シ ャが そ の 著 作 『

タ ッ トヴ ァ ・チ ン ター マ ニ 』(Tattvacint穗zani)に

お い て 四

つ の認 識 手 段(pram穗a)を

そ れ ぞ れ 一 つ の 章 に 配 当 し て論 じ、 そ の形 式 が

その 後 の 新 論 理 学 派 の標 準 的 な 著 作 或 い は註 釈 論 述 形 式 とな った こ とか ら明 白

な よ うに 、 認 識 対 象 よ り認 識 手 段 の 考 察 を 中 心 課 題 と して い た 。 彼 らは古 典 論

理 学 派(Pracina-Ny窕a)に

対 し て 論 理 的 な 概 念 規 定 を厳 密 に 確 定 す る点 に

お い て殆 ど同一 の 系 譜 に属 す る と は思 わ れ な い 程 の 緻 密 な体 系 を作 り上 げ た 。

新 しい概 念 を 導 入 し な が ら論 理 概 念 の定 義 付 けが 行 わ れ 、定 義 は さ らに 定 義 化

を要 求 し、 そ の複 雑 で微 細 な 定 義 に基 づ い て 様 々 な概 念 が 明 らか に さ れ て い く。

そ こで 導 入 され た 概 念 は 主 と して 関 係 性 の概 念 で あ る。

彼 らが 構 築 した 複 雑 な論 理 体 系 は認 識 手 段 の 一 つ で あ る 「

言 語 」(Sabda)

くり

に 関 す る議 論 も包 括 す る。 感 覚 器 官 と対 象 か ら直 接 知 覚 が 成 立 し、 遍 充概 念 と

想 起 か ら推 論 が 成 立 す る とい う認 識 手 段 の あ くま で一 般 的 な枠 組 み に 倣 っ て言

えば 、 発 話 され た 語 とそ の 意 味 か ら認 識 が 成 立 す る とい うの が 認 識 手 段 と して

一29一

(2)

仏教学会紀要

第5号

の 言 語 で あ る。 この 極 め て 単 純 化 した 構 図 か ら、 一 般 に文 と称 され る 言 語 要 素

の 集 合 か ら如 何 に 認 識 が生 ず る のか とい う問題 に彼 ら は関 心 を向 け て い く。 彼

らの とっ た手 法 は 文 と して 話 し手 に よ っ て発 され た もの を聞 き手 が どの よ う に

理 解 し、 知 識 を獲 得 す る か とい う認 知 過 程 の 分 析 で あ る。 文 とし て発 され た も

の は それ を構 成 す る幾 つ か の 単 語 に解 体 さ れ 、 さ ら に各 単 語 は それ 自体 で は実

用 され な い文 法 的 項 目 に分 割 され る。 個 々 の 要 素 は そ れ ぞ れ の 意 味 を表 わ し、

そ れ ら個 々 の意 味 が 再 び 中 心 的 意 味 要 素 に統 合 され て、 聞 か れ た 文 と して の 意

味 の総 体 が 理 解 さ れ る。 彼 ら は それ を 「

言 語 に基 づ く認 識 」(sabdabodha)と

呼 ぶ。 個 々 の意 味 とそ の語 との 関 係 、 語 と語 の 関 係 が そ れ ぞれ いか な る 関係 性

の下 に あ る の か とい う議 論 の 中 で 、 彼 らは 言 語 分 析 に お い て す ら論 理 学 体 系 に

合 致 す る文 法 を 要 求 した の で あ る。 単 に正 しい 文 の 派 生 ・分析 と い う レベ ル だ

け で はな く、 論 理 体 系 に組 み 込 まれ た 文 法 解 釈 技 法 を作 り上 げた と言 っ て も よ

か ろ う。

こ う した 彼 らの 思 想 に敏 感 に、 しか も危 機 感 を もっ て対 応 せ ざ る を得 な か っ

た の は 言 う ま で も な く文 法 学 派 で あ っ た 。 両 学 派 と もパ ー ニ ニ(P穗ini,ca.

5thc.BCE)に

よ っ て編 まれ た 『

ア シ ュ タ ー デ ィ ヤ ー イ ー 』(Ast稘hyayz)の

定 を正 規 サ ン ス ク リ ッ ト語 の典 拠 と し なが ら も、 そ こか ら導 き出 され る解 釈 は

独 自 の体 系 が 理 論 的 に 要 求 す る と こ ろ に応 じ て相 容 れ な い もの とな る。 対 論 者

で あ る新 論 理 学 派 の論 述 形 式 を逆 用 す る形 で文 法 学 派 も自説 を展 開 し て い くが 、

これ は 方法 論 に お い て 文 法 学 派 も新 論 理 学 派 の 強 い 影 響 に 巻 き込 まれ て い た こ

と、 思 想 論 述 形 式 と して 新 論 理 学 派 の 構 築 した ス タ イル を抜 き に して は論 争 が

不 可 能 に な って い た こ との 証 左 で あ る。

さ て本 稿 の 主 題 とす る 「

行 為 主 体 」概 念 を 「

行 為 の 実 行 者 」 と して 今 単 純 に

措 定 して お く と、 認 識 の 上 に立 ち現 れ る こ の行 為 の 実 行 者 が言 語 表 現 に あ っ て

どの 文 法 的 要 素 に よ っ て 表 示 され るの か 、 そ して行 為 と呼 ば れ る内 容 とい か な

る関 係 に あ るの か 等 の 問 題 に つ い て 各 学 派 は様 々 な 解 釈 を提 示 す る。 そ れ は 最

終 的 に は言 語認 識 の構 造 を い か に立 て るか とい う問 題 に直 結 す る。 新 論 理 学 派

に よ っ て 提 唱 され た 言 語 認 識 分 析 で は 「

文 」(v稾ya)は

各 単 語 間 、 更 に 単 語

一30一

(3)

新論理学派の 「

行為主体性」定義

を構 成 す る要 素 間 に 限 定 ・被 限 定 関 係(vise§yavise§anabh穽a)が

成 立 した

もの と説 明 さ れ 、 これ は文 法 学 派 の立 場 で も あ る。各 学 派 の 相 違 は この 限 定 関

係 が どの 要 素 間 に成 立 して い るか の相 違 に他 な らな い 。 今 は立 ち入 っ た 議 論 を

控 え るが 、 本 稿 主 題 の理 解 の 一 助 とす るべ く両 学 派 の 論 争 の前 提 とな る それ ぞ

れ の 言 語 認 識 につ い て概 略 を述 べ て お きた い。

、 【言 語 認 識 の 構 制 】 一 般 に 文 法 学 派 は 動 詞 語 根 に よ っ て 表 示 さ れ る 意 味 が 文 に お け る 主 要 素 で あ る と 主 張 す る(dh穰vartha-mukhyavise§yaka-s稈dabodha)。 文 を 限 定 ・被 限 定 関 係 か ら 成 立 す る も の と し た 場 合 、 動 詞 語 根 の 意 味 が 被 限 定 者(visesya) で あ り、 他 の 要 素 は そ れ に 対 す る 限 定 者 と し て 構 制 化 さ れ る。(動 詞 形 は 動 詞 語 根 部 分 と人 称 語 尾 部 分 と に 分 割 さ れ る が 、 文 法 学 派 は 動 詞 語 根 に よ っ て 表 示 さ れ る 意 味 を 中 心 に 捉 え 、 ミ ー マ ー ン サ ー 学 派 は 動 詞 人 称 語 尾 に よ っ て 表 示 さ れ る 意 味 を 中 心 と す る[稾hy穰穩tha-mukhyavisesyaka-s稈dabodha])。 文 法 学 派 は 動 詞 語 根 に 二 つ の 意 味 一 「活 動(vy穡穩a)」 と 「結 果(phala)」 一 を 認 め 、 後 期 文 法 学 派 の 中 で も バ ッ トー ジ ・デ ィ ー ク シ タ(BhattojiDik§ita, ca.1575-1640)と カ ー ウ ン ダ ・バ ッ タ(KaundaBhatta,ca.1610-1660)は 動 詞 語 根 に 個 別 の 意 味 表 示 能 力 を 承 認 し て い る 。 一 方 、 ナ ー ゲ ー シ ャ ・バ ッ タ (NageSaBhatta,ca.1670-1750)は 語 根 の 二 つ の 意 味 に 限 定 関 係 を 想 定 し て い る 。 動 詞 人 称 語 尾 は 能 動 文 で は 行 為 主 体(kartr)、 受 動 文 で は 行 為 対 象 (karman)を 表 す 。 行 為 主 体 は 活 動 の 基 体 で あ り、 行 為 対 象 は 結 果 の 基 体 で あ る 。 こ う し た 意 味 表 示 関 係 に 立 っ て 、 例 え ば カ ー ウ ン ダ ・バ ッ タ は 能 動 文 と 受 動 文 か ら 得 ら れ る 言 語 認 識 を 次 の よ う に 述 べ て い る 。 『チ ャ イ ト ラ は 米 を 料 理 す る 』[と い う 能 動 文]に お い てLつ の 米 を 基 体 と す る 軟 化 、 そ[の 軟 化]を も た ら す 、 一 人 の チ ャ イ ト ラ と同 一 の 基 体 に あ り、 現 在 時 に 属 す る 活 動 」 が 、[受 動 文]『 米 が チ ャ イ ト ラ に よ っ て 料 理 さ れ る 』 に お い て は 「一 人 の チ ャ イ ト ラ を 基 体 と し 、 一 つ の 米 と 同 一 の 基 体 に あ る 軟 化 、 そ れ を も た ら す 現 在 時 に 属 す る 活 動 」 とい う認 識 が 生 ず る 。(``tandulampacaticaitra"ityatra``ekata早(julaSrayikayaviklittih,

(4)

仏 教 学 会 紀 要 第5号

tadanuk田aikacaitrabhinnaSrayikavartam穗稈h穽an ""tandulah

● ●

pacyatecaitrena"ityatraca``ekacaitraSrayikaekata阜(鼻ulabhinnaS-rayik窕穽iklittih,tadanuk 龝穃pratikibh穽an itibodhah.) [VBhonVMM,k.2,p.19], 動 詞 人 称 語 尾 は 行 為 主 体 或 い は 行 為 対 象 、 そ の 数 と時 間 を 表 示 し 、 行 為 主 体 ・行 為 対 象 は そ れ ぞ れ 活 動 ・結 果 に 対 す る 限 定 者 と し て、 ま た 数 は 行 為 主 体 か くの 行 為 対 象 に 対 す る 限 定 者 、 時 間 は 活 動 に対 す る 限 定 者 と し て 理 解 さ れ る 。 し た が っ て 、 活 動 に 対 す る 限 定 関 係 は 、 数 が 行 為 主 体 或 い は 行 為 対 象 に 連 関 さ せ て 理 解 さ れ 、 そ の 行 為 主 体 は 活 動 に 対 す る 限 定 者(つ ま り活 動 の 基 体 と し て そ の 活 動 を 限 定 す る)で あ る か ら、 「あ る 数 に 限 定 さ れ た 行 為 主 体 に 存 在 す る 活 動 」 と い う構 造 に な る 。 こ の 活 動 は ま た 時 間 的 な 制 限 が あ る か ら 「現 在 時 に 属 す る 活 動 」 と さ れ る 。 行 為 対 象 は 結 果 に 対 す る 限 定 者 で あ る か ら 、 「あ る 数 に 限 定 さ れ た 行 為 対 象 に 内 在 す る 結 果 」 と な る 。 こ の 結 果 は 活 動 か ら生 じ た も の で あ る か ら 両 者 は 「能 助 関 係(anuk璉atvasambandha)」 を 通 し て 「結 果 を も た らす 活 動(phala・anuk璉a-vy穡穩a)」 と理 解 さ れ る 。 ナ ー ゲ ー シ ャ は 活 動 と 結 果 に 「生 産 関 係(janyajanakabh穽a)」 を 二 方 向 か ら 想 定 し て い る の で 、 能 動 文 で は 「結 果 を も た ら す 活 動 」、 受 動 文 で は 「活 動 か ら 生 じ た 結 果 」 と い う 理 解 が さ れ る 。 彼 の 言 語 認 識 を 見 る と次 の よ う に な る 。 し た が っ て 、 『チ ャ イ トラ は 村 に 行 く』 に お い て は 「単 数 性 に 制 限 さ れ た 、 チ ャ イ トラ と 異 な ら な い 行 為 主 体 を 持 ち 、 現 在 時 に 属 し 、 村 と異 な ら な い 行 為 対 象 に 内 在 す る 結 合 、 そ れ を も た ら す 活 動 」、 『マ イ ト ラ に よ っ て 村 が 到 達 さ れ る 』 に お い て は 「マ イ トラ を 行 為 主 体 と し、 現 在 時 に 属 す る活 動 か ら 生 じた 、 村 と 異 な ら な い 行 為 対 象 に 内 在 す る 結 合 」 とい う 認 識 が 生 ず る 。(tath稍agr穃amgacchaticaitraityatraikatv穽acchin-nacaitr稈hinnakartrkovartam穗ak稷ikogr穃稈hinnakarmanistho yassamyogahtadanuk璉ovy穡穩ah,gr穃ogamyatemaitrenetyatra tumaitrakartrkavartam穗ak稷ikavy穡穩ajanyogr穃稈hinnakarmani-sthahsamyogaiticabodhah.)[PLM,p.140]. -32一

(5)

新論理学派の 「

行為主体性」定義

バ ッ トー ジ ・デ ィ ー ク シ タ とカ ー ウ ンダ ・バ ッ タ の 主 張 で は動 詞 語 根 の 意 味

は活 動 と結 果 で あ る と考 え られ て い た。 言語 認 識 に お い て そ の主 要 素 と して 構

くの

制 さ れ る もの は、 能 動 文 ・受 動 文 共 に 、活 動 だ け で あ る。 そ うす る と、 彼 ら の

主 張 で は 言 語 認 識 か ら 常 に 「

結 果 を も た ら す 活

動(phala-anuk璉a-vy穡穩a)」

が 得 られ 、 そ の 基 体 は行 為 主 体 に 他 な らな い。 無 論 、 彼 ら は パ ー

ニ ニ 文 法 学 の人 称 語 尾 指 示 対 象 関 係 に立 脚 し て い るか ら、 人 称 語 尾 に よ っ て表

示 され る も の が能 動 文 で は行 為 主 体 、 受 動 文 で は 行 為 対 象 で あ る こ とを十 分 に

理 解 して い る。 彼 らが 言 語 認 識 に あ って は活 動 を主 要 素 と して定 立 す る の は 、

結 果 を も た らす 活 動 」 とい う動 詞 語 根 の二 つ の 意 味 の 間 に一組 の 原 因 ・結 果

関 係(k穩yak穩anabh穽a)を

想 定 す るだ け で 文 の認 識 構 造 を説 明 で き る か ら

で あ る。 彼 らの 主 張 に基 づ くと、 能 動 文 で は 人 称 語 尾 に よ って 表 示 さ れ る行 為

主 体 は 因 で あ る活 動 に対 して 限 定 関 係 を持 つ の に対 して 、 受 動 文 で は人 称 語 尾

の意 味 で あ る行 為 対 象 が 果 で あ る結 果 に対 して 限 定 関係 を持 つ こ とに な る。

この 指 示 関 係 の捻 れ を批 判 した の が ナ ー ゲ シ ャ ・バ ッ タで あ る。 彼 は 能 動 文

で は結 果 に 制 限 さ れ た 活 動(phal穽acchinnavy穡穩a)を

、 受 動 文 で は活 動

に 制 限 さ れ た 結 果(vy穡穩穽acchinn穡hala)を

言 語 認 識 の 主 要 素 と し て 立

て るか ら、 動 詞 人 称 語 尾 が そ れ ぞ れ の構 文 に お い て 表 示 す る もの が 言 語 認 識 の

主 要 素 の 限 定 者 と して 常 に現 れ る こ とに な る。 これ は あ く まで文 を構 成 す る 要

素 の意 味 限 定 関係 を直 線 的 に反 映 させ る形 で言 語 認 識 の構 造 を定 立 す る もの で

あ る。

ナ ー ゲ ー シ ャの 理 解 で は言語 認 識 の 決 定 要 因 は行 為 主体 ・行 為 対 象 を表 す 接

尾 辞 の う ち どち らが 当 該 動 詞 形 に 用 い られ て い る か で あ る(vsLMI,543:

tasm穰phal穽acchinnevy穡穩evy穡穩穽acchinnephalecadh穰

Saktih.kartrkarmarthakatattatpratyayasamabhivyaharaScatattadbodhe

niy穃akam.「

そ れ 故 、 結 果 に制 限 され た 活 動 、 或 い は活 動 に制 限 され た 結 果

に対 し て動 詞 語 根 は意 味 表 示 能 力 を持 つ 。行 為 主 体 ・行 為 対 象 を表 す接 尾辞 が

共 用 され て い る こ とが それ ぞれ の言 語 認 識 に お け る決 定 要 因 で あ る」)。

他 方 、 新 論 理 学 派 に よ る言 語 認 識 は第1格

語 尾 が 添 加 さ れ た語 の意 味 を限 定

一33一

(6)

仏 教 学 会 紀要 第5号 くの

関 係 の 主 要 素 と見 な す 。 動 詞 語 根 は 活 動 と結 果 を表 し、 動 詞 人 称 語 尾 は 「

ロ  くの 力 」(krti,[pra-]yatna)を 表 示 す る も の と す る 。 ガ ン ゲ ー シ ャ は 次 の よ う に 述 べ て い る 。 動 詞 人 称 語 尾 は 努 力 の 表 示 者 で あ る か ら 、 無 生 物 に 対 し て 『車 が 動 く』 (rathogacchati)と い う 表 現 が さ れ る場 合 、 動 詞 人 称 語 尾 に は[車 の] 活 動 を 二 次 的 に 表 示 す る能 力(laksan が あ る も の と す る 。 し た が っ て 、 『料 理 す る 』 と い う文 で は 人 称 語 尾 が 努 力 を 表 示 す る 。 『料 理 す る 』 と い う 表 現 は 『料 理 行 為 を 行 う 』(p稾amkaroti)と い う よ う に 努 力 の 意 味 を も つ 動 詞,Jkr一 に よ っ て パ ラ フ レ イ ズ さ れ る か ら で あ る 。(臾hy穰asya yatnav稍akatv稘acetanerathogacchatity稘au稾hy穰evy穡穩alaksa- ri竅Etath禀ipacatity稘穽稾hy穰asyayatnov稍yahpacatip稾amka-rotity稘iyatn穩thakakarotin龝arv稾hy穰avivaran穰 .)[TC,ツkhy竏 tav稘a,vol.4part2,p.819] 新 論 理 学 派 の 言 語 認 識 は 、 例 え ば 能 動 文 「チ ャ イ ト ラ は 米 を 料 理 す る 」 (tandulampacaticaitrah)で は 「米 に 存 在 す る 特 定 の 結 果 を 生 ず る 、[現 在 時 の]活 動 に 対 す る 努 力 を 有 す る チ ャ イ ト ラ 」 で あ り 、 受 動 文 「米 が チ ャ イ ト ラ に よ っ て 料 理 さ れ る 」(caitrenapacyatetandulah)で は 「チ ャ イ トラ に 存 在 す る 努 力 に よ っ て 生 ま れ た 活 動 に よ っ て 生 じ た 結 果 の 基 体 で あ る 米 」 と い う くの

認 識 が 得 られ る。 こ の 場 合 、 動 詞 人 称 語 尾 は 努 力 を 表 示 す る が 同 時 に 数

(samkhy

時 間(k稷a)を

も表 示 す る。 数 は第1格

を 添 加 さ れ た 名 詞 項

目 の数 と一 致 し、 そ の 意 味 に対 す る限 定 者 で あ る。 時 間 は努 力 の 限 定 者 と され

る。 動 詞 語 根 に よっ て 表 示 され た 意 味 の うち活 動 は努 力 に対 して 限 定 関 係 を持

ち、 結 果 は行 為 対 象 に よ っ て 限 定 され る 。 努 力 は属 性(guna)で

あ る か らそ

の 属 性 保 持 者 が 必 然 的 に想 定 され る。 属 性 保 持 者 とは そ の属 性 の基 体 に他 な ら

な いか ら、 活 動 に 限定 され た努 力 の 基体 が 行 為 主体 と理 解 さ れ る。 一 方 、結 果

と活 動 の 関係 を逆 に考 えた 場 合 、 結 果 と い う何 らか の 状 態 は そ れ が 拠 っ て立 っ

も の を予 想 させ 、 そ れ は結 果 の基 体 で あ る。 した が って 、 彼 らの言 語 認 識 は能

動 文 で は行 為 主 体 に、 受 動 文 で は行 為 対 象 に主 眼 が 置 か れ るが 、 そ れ は認 識 の

因 果 関 係 で 言 え ば、 第1格

が 添 加 され た項 目 に よっ て 想 起 され る意 味 に他 な ら

一34一

(7)

新 論 理学 派 の 「行 為 主 体性 」 定 義 な い 。 そ う い う点 で 彼 ら の 言 語 認 識 は 「第1格 が 添 加 さ れ た 項 目 の 意 味 を 主 要 素 と す る 認 識 」(prathamantartha-mukhyaviSesyaka-Sabdabodha)と 呼 ぼ れ る の で あ る 。 【行 為 主 体 概 念 】 行 為 主 体(kartr)は パ ー ニ ニ の 規 定 に 従 え ば 「[行為 が 成 さ れ る 時 に]自 立 的 で あ る もの 」(svatantrahkart禺P.1.4.54])で あ る 。 こ の 規 定 に 関 し て 述 べ ら れ た 、 次 に 挙 げ る バ ル ト リハ リ(Bhartrhari,ca.5-6c.)の 理 解 が 文 法 学 派 の 行 為 主 体 性 定 義 と し て 承 認 さ れ る 。 「1)[他 のk穩akaが 働 く]以 前 に[既 に]自 己 の 能 力 を 獲 得 し て い る こ と 、2)[他 のk穩akaを 自 己 に 対 し て]従 属 的 に 扱 う こ と、3)そ れ の 指 示 に よ っ て[他 のk穩akaが]働 く こ と 、4)[既 に]働 い て い る も の を 停 止 さ せ る こ と、5)[行 為 主 体 の]代 用 に な る も の が 見 ら れ な い こ と、 6)[他 のk穩akaが]な く て も[そ れ が あ る こ と が]見 ら れ る こ と 、 以 上 の こ とか ら、 た と え 離 れ た 所 か ら 補 助 と な る と し て も、 行 為 主 体 の 自 立 性 が 認 め られ る 。」(pr稟anyatahsaktil稈h穗nyagbh穽穡稘an稘api/ tadadhinapravrttitv穰pravrtt穗穃nivartan穰//adrstatv穰prati- nidhehpravivekecadarsan穰/穩稘apyupak穩itvesv穰antryamkar-turucyate//)[VPIII.7.101-102]. カ ー ラ カ(k穩aka)と は 行 為 が 達 成 さ れ る 場 合 に そ の 行 為 を 構 成 す る 様 々 くの

な 能働 者 を意 味 す る文 法 概 念 で あ る。 行 為 の構 成 者 は そ の機 能 に 応 じて6種

くの

区 別 さ れ 、 更 に特 定 の 統 語 論 的文 法 要 素 が 導 入 され 、 文 中 に表 現 され る。 行 為

主体 はバ ル ト リハ リ に見 られ る よ う に、 他 の カ ー ラ カ に先 行 して能 力 を発 揮 す

る も の で あ りそ れ ら を動 か し う る もの で あ る。 勿 論 、 個 々 の カ ー ラ カ は そ れ 自

身 とし て は主 体 と して 見 な され るが 、 行 為 全 体 の 達 成 か らは行 為 主体 に対 して

くの 従 属 的 な もの で あ る 。 さ て 古 典 論 理 学 派 の 述 べ る 所 で は 行 為 主 体 と は 次 の よ う な も の で あ る 。 『ニ ヤ ー ヤ ・ス ー トラ 』 に 対 す る ヴ ァ ー ツ ヤ ー ヤ ナ(V穰sy窕ana,ca.350-450) -35一

(8)

仏 教学 会 紀要 第5号 の 註 釈 書 『ニ ヤ ー ヤ ・バ ー シ ャ 』 で は 「木 が 立 っ て い る と い う 文 に お い て そ れ 自 身 の 立 つ 事 に 関 し て 自 立 的 で あ る も の が 行 為 主 体 で あ る 」(vrksastisthatiti svasthitausv穰antry穰kartt [Ny窕abhccsyaonNS2.1.16,p.434]と さ れ 、 これ に 対 す る ウ ド ゥ ヨ ー タ カ ラ(Uddyotakara,ca.500-600)の 複 註 『ニ ヤ ー ヤ ・ヴ ァ ー ル テ ィ カ 』 で は 更 に こ の 自 立 性 を 「別 の カ ー ラ カ に 依 存 し な い こ と くエの (k穩ak穗tar穗apeksatvam)」 と し 、 ヴ ァ ー チ ャ ス パ テ ィ ・ミ シ ュ ラ1 (V稍aspatiMiSraI,ca.9-10c.)の 複 々 註 『ニ ヤ ー ヤ ・ヴ ァ ー ル テ ィ カ ・ タ ー トパ ル ヤ ・テ ィ ー カ ー 』 で は 「他 の カ ー ラ カ に よ っ て 使 役 さ れ な い も の で あ る こ と 、 そ し て 他 の カ ー ラ カ の 使 役 者 で あ る こ とが 行 為 主 体 の 自立 性 で あ る くぬ

と言 わ れ る」 と して 、 行 為 主 体 を諸 カ ー ラ カ の 中 の 同 等 の 一 つ と して で は な く

くユの

最 も優 位 性 を持 つ もの と して認 め て い る。 これ は先 の バ ル トリハ リの 理 解 に 一

致 す る。

と こ ろで 新 論 理 学 派 は行 為 主体 とい う もの が い か な る関 係 性 の下 に制 限 さ れ

て い るか とい う観 点 か ら言 語 項 目 と その 表 示 す る意 味 との関 係 に立 ち戻 っ て検

討 す る。 い か な る概 念 も何 らか の 関係 性 の 中 に 成 立 す るか ら、行 為 主 体 性 概 念

も単 に 自立 的 で あ る とい う機 能 論 的 な 規 定 で は 不 充 分 な の で あ る。

本 稿 が 扱 う の は新 論 理 学 派 の 中 で お そ ら くは最 も早 い時 期 に統 語 論 概 念 を主

題 とす る独 立 の 著 作 を 残 した バ ヴ ァー ナ ン ダ ・シ ッダ ー ン タ ヴ ァ ー ギ ー シ ャ

(Bhav穗andaSiddhantavaglSa)の

『カ ー ラ カ ・チ ャ ク

ラ(K窕aka-cakYa)』 の 第2節

で あ る。 この 節 は そ の主 題 を 「

行 為 主 体 性 」 にお い て 主 とし

て文 法 学 派 の見 解 を排 斥 しな が ら 自説 を展 開 す る。 最 後 に な った が 、 本 稿 で 扱

わ れ る問 題 に つ い て 筆 者 は和 田[1989,1990,1993,1995]と

小 川[1990]に

よ る考 察 か ら様 々 な 示 唆 を得 て い る。 ま た 和 訳 は、 筆 者 が イ ン ド留 学 中 にV.

N.Jha教 授(プ ー ナ 大 学 サ ンス ク リ ッ ト高 等 研 究 所 所 長)と 本 テ キ ス トを 読 解 し

た 際 の 英 訳 ノ ー トに基 づ い て い る。 こ こに 記 して 謝 意 を表 した い 。 言 う まで も

な く、 和 訳 ・解 説 につ い て誤 理 解 が あ る とす れ ば、 それ は筆 者 の 責 任 で あ る。

-36一

(9)

新論理学派 の 「

行為主体性」定義

資 料

ロヨラ 【著 者 】 新 論 理 学 派 は ガ ン ゲ ー シ ャ(ca.1300-1360)に 始 ま る ミ テ ィ ラ ー 派 と ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ ・サ ー ル ヴ ァ バ ー ウ マ(V龝udevaS穩vabhauma,ca.14 30-1540)に 始 ま る ベ ン ガ ル 派 に 大 別 さ れ る が 、 バ ヴ ァ ー ナ ン ダ ・シ ッ ダ ー ン タ ヴ ァ ー ギ ー シ ャ は ベ ン ガ ル 派 に 属 す る 。 し か し 彼 の 年 代 は 確 定 し て い な い 。 彼 の 師 弟 関 係 に も伝 承 に 混 乱 が 見 ら れ る 。 D.C.Bhattacharya[1958,p.154]に 依 れ ば 、 バ ヴ ァ ー ナ ン ダ は ク リ シ ュ ナ ダ ー サ ・サ ー ル ヴ ァバ ー ウ マ(Krsnad龝aS穩vabhauma,ca.1500-1560)の 弟 子 と さ れ 、 一 方Mishra[1966,p.426]は 、 別 説 と し て ラ グ ナ ー タ ・シ ロ ー マ ニ(Raghun穰haSiromani,ca.1500)の 弟 子 で あ る と す る伝 承 を 挙 げ て い る 。 ま た 、Kaviraj[1982,p.83]は 、 ラ グ ナ ー タ の 弟 子 で あ る マ ト ゥ ラ ー ナ ー タ ・タ ル カ ヴ ァ ー ギ ー シ ャ(Mathur穗穰haTarkav稟isa,ca.1540-1600)の 弟 子 と し な が ら も 、 そ れ は ラ グ ナ ー タ の 死 後 に マ ト ゥ ラ ー ナ ー タ に つ い て 更 に 研 究 を 進 め た の で あ る と考 え て い る 。 い ず れ の 伝 承 もバ ヴ ァ ー ナ ン ダ を ラ グ ナ ー タ 以 後 と す る こ と を 除 け ば 一 致 せ ず 、 した が って 我 々 と して は彼 を ラ グ ナ ー タ(16世 紀 前 半)よ り そ れ ほ ど 遅 く な い 時 期 に 活 躍 し た 学 者 で あ る と暫 定 的 に 位 置 づ け て お く。D.C.Bhattacharya[1958,p.7]に 報 告 さ れ て い る 、 バ ヴ ァ ー ナ ン ダ の 孫 ル ド ラ(或 い は ラ ー マ ル ド ラ)・ タ ル カ ヴ ァ ー ギ ー シ ャ([R穃a-] RudraTarkavagiSa)が ラ グ ナ ー タ の 著 作Tattvacint穃ani-Didhitiに 注 釈 を 書 い た の が1660年 で あ る と い う 写 本 の 奥 書 が 信 頼 出 来 る も の だ と す れ ば 、 バ ヴ ァ ー ナ ン ダ は 少 な く と も16世 紀 半 ば に は 活 躍 し て い た こ と に な る 。 こ れ を 考 慮 す る と 、G.Bhattacharya[1978,p.8]が 設 定 す るca.1520-1580、Matila1 [1977,p.109]の 立 て るca.1570と い う 年 代 が 今 の 所 は 可 能 性 が 高 い よ う に 思 わ れ る 。 【著 作 】 彼 の 主 た る 著 作 はTC関 連 の 註 釈 ・複 註 書 と単 独 の 著 作 の 二 種 に 分 け ら れ る 。 -37一

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仏 教 学 会 紀 要 第5号 1.a.Ga負geSa,Tattvacint穩naniに 対 す る 注 釈(Bhav穗andi) 1・b・JayadevaPak§adharaMisra,7b'勉6編 伽 α氈Alo肋 に 対 す る 注 釈(Manjarの 1.c.Raghun穰ha,Tattvacint穃ani-Didhitiに 対 す る 注 釈(Bhav竏 nandiorG珒h穩thapr稾 sa) 2.a.Raghun穰ha,Akhy穰av稘a及 びNa"nv稘aに 対 す る 注 釈 2,b.K穩anat穽ic窕a

'●

2,c.Sabd穩thasccramanjayi 2,c.1,K穩akacakra 2,c.2,Sarn sav稘a 2,c.3,Da'salak窕av稘窕thaorLakrzy窕thanirnaya 1は 新 論 理 学 文 献 に 対 す る 注 釈 書 で あ り 、2は 文 法 学 或 い は 言 語 哲 学 に 関 す る 著 作 で あ る 。2.b.に 関 し て は 、 現 在 の と こ ろ そ の 写 本 の み が 伝 わ る だ け で ど ロの の 分 類 に 属 さ せ る べ き か 決 定 で き な い 。2 .c.はKCの 写 本 の 奥 書 か ら 推 測 す れ ば 、 彼 の 文 法 に 関 わ る 著 作 の 全 体 を 総 称 す る よ う な も の で あ っ た と 思 わ れ る 。 例 え ば 、BhandarkarOrientalResearchInstitute所 蔵 の 写 本 の う ち 、 写 本 の 末 尾 を 欠 く も の を 除 け ば 、 次 の よ う な 奥 書 が 一 貫 し て 見 出 さ れ る 。 itisabd穩thas穩amanjary穃bhav穗andasiddh穗tav稟isaviracitam satk穩akavivecanamsam穡tam.(以 上 で 、 『シ ャ ブ ダ ー ル タ ・サ ー ラ ・ マ ン ジ ャ リ ー 』 に お け る 、 バ ヴ ァ ー ナ ン ダ ・シ ッ ダ ー ン タ ヴ ァ ー ギ ー シ ャ くユロ に よ っ て 説 か れ た 『シ ャ ッ ト カ ー ラ カ ・ヴ ィ ヴ ェ ー チ ャ ナ 』 終 わ る 。) し た が っ て 、 『カ ー ラ カ ・チ ャ ク ラ 』 は 『シ キ ブ ダ ー ル タ ・サ ー ラ ・マ ン ジ ャ リ ー 』 の 一 部 を な す も の で あ っ た と 考 え て も よ い と思 わ れ る 。 【『カ ー ラ カ ・チ ャ ク ラ 』】 本 稿 で 取 り扱 う 『カ ー ラ カ ・チ ャ ク ラ 』 の こ の 題 名 は 実 際 に は 出 版 本 に 見 られ る だ け で あ る 。 一 方 、 様 々 な 写 本 目録 で は 殆 ど こ の 題 名 で は 分 類 さ れ て お ら ず 、 奥 書 に あ る 『カ ー ラ カ ・ヴ ァ ー ダ (K穩akav稘a)』 、 『(シ ャ ッ ト)カ ー ラ カ ・ヴ ィ ヴ ェ ー チ ャ ナ([Sat-] K窕akavivecana)』 、 『カ ー ラ カ ー デ ィ ・ア ル タ ・ニ ル ナ ヤ(K穩ak稘yarthanir--38一

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新 論 理 学派 の 「行 為 主体 性 」定 義 くゆ naya)』 と呼 ば れ て い た よ う で あ る 。 『カ ー ラ カ ・チ ャ ク ラ 』 と い う テ キ ス ト は 同 じ く 新 論 理 学 派 の ヴ ィ シ ュ ヴ ァ ナ ー タ ・パ ン チ ャ ー ナ ナ(Visvan穰ha Panc穗ana)に も あ る と さ れ て い る が 、 本 稿 筆 者 は 未 見 で あ る 。 ま た 内 容 的 に 重 複 す る テ キ ス ト と し て ジ ャ ヤ ラ ー マ ・ニ ヤ ー ヤ パ ン チ ャ ー ナ ナ (Jayar穃aNy窕apanc穗ana,ca.17thc.)の 『カ ー ラ カ ・ヴ ァ ー ダ くね (K穩akav稘a)』 が あ る 。 【テ キ ス ト 出 版 】KCの 主 た る 出 版 は 以 下 の 通 り で あ る 。 1.Ed.byMahadevaGangadharaBakre,inV稘dythasamgyaha, part2,Bombay:TheGujaratiPrintingPress,1914,pp.1-23; 2,Ed.bySudh穃susekharaBhatt稍穩ya,Calcutta,1923;

3.Ed.byBrahmaBankaraS龝tri,Harid龝aSamskrtaGran-tham 祚o.154,Benares:ChowkhambaSanskritOffice,1942, 更 にKumar[1992,pp.236-7]に よ れ ば 次 の 二 書 が 出 版 さ れ て い る と さ れ る が 本 稿 筆 者 は 未 見 で あ る 。

4.Ed.bySriR穃aS龝triBhatt稍穩ya,withCommenatries, theRaudriofRudraandtheM稘haviofM稘hava,VaniPus-tak稷aya,Calcutta,1319(BengalDate) .. 5.Ed.byT穩穗穰haNy窕atarkatirtha,withtheM稘haviand BengalNotes,Ch穰raPustak稷aya,Calcutta,1937. 【写 本 】 写 本 は 数 多 く 存 在 す る 。(本 稿 で はB.0.R.1所 蔵 の 写 本8本 を 使 用 し て い る 。) 【註 釈 書 】KCに 対 す る 註 釈 書 の う ち 出 版 さ れ て い る も の は 以 下 の 通 り 。 1,M稘havaTark稷ank穩a,M稘havi.[in2,3,4,and5] 2.R穃arudraTarkavagiSa,Raudr%[in4] 上 記 以 外 にBhavadevaに よ る 注 釈 書 の 写 本 が 存 在 す る と 報 告 さ れ て い る が 本 稿 筆 者 は 未 見 で あ る 。(注16を 見 よ 。)

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仏 教 学会 紀 要 第5号 【研 究 】Das[1987]はKC第1節k穩akatvaか ら 第4節karanatvaま で の 研 究 で あ る が 、 これ は サ ン ス ク リ ッ ト語 で 書 か れ た 、 現 時 点 で は 未 出 版 の 博 くユの 士 論 文 で あ る 。(Das[1992]は 言 語 認 識 に 果 た す 文 法 的 要 素 を 論 じ る 中 でKC の 論 説 を 援 用 し て い る 。)ま たKumar[1992]は ヒ ン デ ィ ー 語 に よ るKCの 研 究 書 で あ る 。 ま た 部 分 的 に は 第1節 のk穩akatvaに つ い てMatilal[1990(a)] に 翻 訳 研 究 が あ り、 第4節karanatvaがMatilal[1985]に 論 じ ら れ て い る 。 翻 訳 に 際 し て はKC(3)を 底 本 と し 、 テ キ ス ト分 割 も そ れ に 従 っ て い る 。 分 割 さ れ た テ キ ス トの 番 号 は 第1節 か ら の 通 し 番 号 に な っ て お り、 第2節 「行 為 主 体 性 」 はNo.7よ り始 ま る 。KC(1)[=Abbr.B]、(2)[=A]と の テ キ ス ト 問 に 異 同 が あ る 場 合 に は 各 分 割 テ キ ス ト下 に 示 し た 。 読 み に つ い て 随 時 写 本 を 参 照 し て い る 。 『カ ー ラ カ ・チ ャ ク ラ 』 第2節 《行 為 主 体 性 の 考 察 》(Kart聖tvavivecanam) [TextO7]tatra"kriy龝rayatvamkartrtvam"itivaiy稾aran禀.tes穃 ayamaSayah--yaddhat且ttarakhyatena*1yaddhatvarthanvitatadrSa*2- dharmavattvambodhyate,tadr$adharmavattvamevatatkriy稾artr-tvam.

1.A.B.ad.夕 αG畷y薦 砌zα肋 勿y励 吻%紘ReadasAandB.2。A.y稘rsa-.B. -yad-. 和 訳:文 法 家 に よ れ ば 、 「行 為 の 基 体 で あ る こ と」 が 行 為 主 体 性 で あ る 。 彼 ら の 意 図 は 次 の 通 り:受 動 活 用 標 識yaK等 を 伴 わ な い 語 根 に 添 加 さ れ た 人 称 語 尾 に よ っ て 、 そ の 語 根 の 意 味 に 連 関 し た 或 る 特 性 を 有 す る こ とが 理 解 さ れ る 。 そ の 場 合 の そ の 特 性 を 有 す る も の で あ る こ と が そ の 動 作 の 行 為 主 体 性 で あ る 。 解 説:「 語 根 の 意 味 に 連 関 し た 或 る 特 性 」 と は 実 際 に は 動 詞 語 根 に よ っ て 表 さ 一40一

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新 論 理 学 派 の 「行 為 主体 性 」 定義

れ る 意 味 で あ る 結 果(phala)と 活 動(vy穡穩a)に 関 わ る 性 質 を 意 図 し て い る 。 文 法 学 派 で は こ の 両 者 を 語 根 の 意 味 と し て 認 め て い る 。 今 こ こ で 言 わ れ る 「特 性 を 有 す る も の で あ る こ と」(tadrSadharmavattva)と は 、[基 体 と な る]性 質(-dharma-)を 有 す る も の(-vaの で あ る こ と(-tva)を 意 味 し て い る 。 「或 る 特 性 を 有 す る も の で あ る こ と」 と は 「そ の 特 性 の 基 体 で あ る こ と」 に 他 な ら な い か ら 、 行 為 主 体 性 定 義 で 意 図 さ れ て い る も の は 実 際 に は 動 詞 語 根 に よ っ て 表 示 さ れ た 意 味 の 基 体 性 な の で あ る 。 或 る 基 体 は 他 の も の か ら そ れ ら と は 異 な る も の と し て 限 定 さ れ る か ら 、 そ の 限 定 者 と な る も の が こ こ で 定 義 さ れ て い る わ け で あ る 。 行 為 主 体 性 の 定 義 に 用 い ら れ る 各 用 語 を こ の 基 体 性 と い う 点 に 対 応 さ せ て 示 す と以 下 の 通 り に な る 。 dharma[vy穡穩a;phala) dharma-vat龝raya[vy穡穩a-vat;phala-vat] dhrama-vat-tva龝raya-tva[vy穡穩a-vat-tva;phala-vat-tva] こ の 対 応 か ら 明 確 な よ う に 、 「或 る 特 性 を 有 す る こ と」 は 「基 体 性 」 と 同 置 さ くゆ

れ る。 言 語 認 識 にお い て動 詞語 根 に表 示 さ れ る意 味 を主 要 素 として 構 制 す る文

法 学 派 の 立場 か ら は、 動 詞 語 根 の 意 味 で あ る 「

活 動 」 或 い は 「

結 果 」 の い ず れ

か が 認 識 の 主 要 素 とな る。 そ れ らの基 体 とな る特 性 を有 す る もの とは活 動 の 基

体 或 い は 結 果 の 基 体 で あ るか ら、 行 為 主 体 性 は 「

活 動 の基 体 性 」 或 い は 「

結 果

の基 体 性 」 を意 味 す る の で あ る。

文 法 学 派 で は活 動 の基 体 が 行 為 主 体 と され 、 結 果 の基 体 は行 為 対 象 で あ る と

考 え られ て い る(VBhSonVMM,k.2[p.28]:phalaSrayahkarma,vya一

く の

paraSrayaりkartt

)。

も し何 の 条 件 もな く行 為 主 体 性 を 「

動 詞 語 根 の意 味 に

連 関 し た 或 る特 性 を有 す る も の で あ る こ と」 と定 義 して し ま う と、 この 定 義 は

行 為 主 体 だ け で な く行 為 対 象 を も被 定 義 項 と して包 括 して し ま う こ とにな る。

文 法 学 派 で は受 動 標 識yaKが

挿 入 され た動 詞 活 用 形 は そ の 人 称 語 尾 に よ っ て

くむ

行 為 対 象 を表 示 す る とされ て お り、 また 受 動 活 用 標 識 を伴 わ な い活 用 形 で は人

称 語 尾 は行 為 主 体 を表 示 す る と され る。 「

動 詞 人 称 語 尾 に よ っ て 」 理 解 され る

もの が こ の定 義 に意 図 され て い る以 上 、 能 動 文 と受 動 文 で は人 称 語 尾 が 表 示 す

る もの が 異 な る の で あ るか ら、 「

受 動 活 用標 識yaKを

伴 わ な い 」 とい う条 件

一41一

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仏 教 学 会紀 要 第5号 が 絶 対 的 に 必 要 な の で あ る 。 こ う し た 文 法 要 素 と そ の 表 示 対 象 の 関 係 に立 て ば 、 こ の 条 件 の 存 在 に よ っ て こ こ で の 定 義 は 動 詞 語 根 に よ っ て 表 さ れ る 活 動 の 基 体 性 が 行 為 主 体 性 で あ る と確 定 さ れ る の で あ る 。 バ ッ トー ジ ・デ ィ ー ク シ タ の 行 為 主 体 性 定 義 は 次 の よ う な も の で あ る 。 「行 為 に 関 し て 自 立 的 で あ る も の と し て 意 図 さ れ る も の が 行 為 主 体 で あ る 。 動 詞 語 根 に 表 さ れ た 活 動 の 基 体 で あ る こ とが 自 立 的 で あ る こ と で あ る 。」(kriy窕穃sv穰antryenavivaksito'rthahkart龝y穰.dh穰皂穰-,t avy穡穩龝rayatvamsv穰antryam.)[SKonP.1,4,54,II,p.139,ll. 10-11] [TextO8]evanca*1"pacati"ity稘au*2p稾穗uk璉avy穡穩avattvam, "j穗穰i"it y稘穽龝rayatvam,"nasyati"ity稘aupratiyogitvam tatkriy穗ir itatvam*3tattatkriy稾artrtvam. 1.B.om,2.A.om.p稾a-.3.A.-tarn,B.om.ReadasA. 和 訳:同 様 に し て 、 「料 理 す る(pacati)」 等 に お い て 、 調 理 に 参 与 す る 活 動 を 有 す る こ と(p稾穗uk avy穡穩avattva)が 、 「理 解 す る(j穗穰i)」 等 に お い て は 基 体 性(龝rayatva)が 、 「消 滅 す る(nasyati)」 等 に お い て は 否 定 項 性(pratiyogitva)が そ の 行 為 に よ っ て 制 限 さ れ る 個 々 の 行 為 の 行 為 主 体 性 で あ る 。 解 説:Texto7で は 行 為 主 体 性 が 動 詞 語 根 の 意 味 で あ る 活 動 の 基 体 で あ る こ と と 定 義 さ れ て い る 。 と こ ろ が 用 例 に よ っ て は 行 為 主 体 性 を 厂活 動 の 基 体 性 」 と い う 形 で は 理 解 出 来 な い 場 合 が あ る 。 例 え ば 、 こ こ に 挙 げ ら れ る 第1例 "caitrahpacati"か ら``viklitti-anuk a-[p稾ar a]-vy穡穩a"が 認 識 さ れ る と

し て 、 料 理 活 動(p稾a)は 実 際 に は 米 の 上 に 生 ず る も の で あ る(即 ち 、 米 を 基 体 と し て 行 わ れ る)か ら 、 行 為 主 体 で あ る チ ャ イ トラ を 基 体 と す る も の で は な い と い う反 論 が 可 能 に な る 。 即 ち 、 も し 料 理 活 動 が 米 の 上 に 生 ず る も の で あ る と 考 え た 場 合 、 米 は 料 理 活 動 の 基 体 で あ る か ら そ れ に 行 為 主 体 性 を 認 め ざ る を 得 な い と い う 定 義 の 過 剰 適 用(ativy穡ti)を 招 き 、 適 用 さ れ る べ き チ ャ イ ー42一

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新 論 理 学 派 の 「行 為 主体 性 」 定義 ト ラ を 含 ま な い と い う 過 小 適 用(avy穡ti)が 生 じ て し ま う。 こ う し た 反 論 を 先 取 り す る 形 で 各 用 例 に お け る 、 文 法 上 で の 行 為 主 体 と見 な さ れ る も の の 内 容 が 論 じ ら れ る 。 (1)caitrahodanampacati.「 チ ャ イ ト ラ は 米 を 料 理 す る 」 緬c一 の 意 味 は 「軟 化 を も た ら す 活 動 」(viklitty-anuk璉a-vy穡穩a)で あ る 。 結 果 は こ の 場 合 「軟 化 」 の こ と で 行 為 対 象 の 側 に 見 られ る か ら 、 結 果 の 基 体 は 米 で あ る 。 活 動 は 「火 を 起 こ し ・火 力 の 調 整 」 とい っ た も の で 、 こ の 場 合 チ ャ イ ト ラ に 存 在 す る。 こ の 時 の 行 為 主 体 性 は 「活 動 を 有 す る も の(vy穡穩avat-tva)」 と し て 理 解 さ れ る 。 (2)caitrahghatamj穗穰i.「 チ ャ イ トラ は 壷 を 知 る 」

而a一 の 意 味 は 「知 識 を も た ら す 我 と 意 識 の 結 合 」(jn穗a-anuk a-[穰ma-manahsamyoga-r a-]vy穡穩a)と 理 解 さ れ る 。 結 果 で あ る 知 識 は 行 為 主 体 の 側 に 内 属 関 係(samav窕a)で 存 在 す る が 、 そ れ は 対 象 性 の 関 係(visa・ yat龝ambandha)に よ っ て 対 象 で あ る 壷 と 結 び つ い て い る 。 そ の 限 り に お い て 壷 は 結 果 の 基 体 で も あ り得 る こ と に な る 。 活 動 は 明 ら か に 我 の 側 に あ る か ら 行 為 主 体 に 存 在 す る 。 知 識 及 び 我 と意 識 の 結 合 が 内 属 関 係 に よ っ て 行 為 主 体 に 存 在 す る こ と に よ っ て そ う し た 活 動 の 基 体 性(龝rayatva)が 行 為 主 体 性 と し て 知 ら れ る 。 (3)ghatahnaSyati.「 壷 が 壊 れ る 」 而 互§一の 意 味 は 「消 滅 を 生 む(破 壊 な ど の)活 動 」 で あ る 。 壷 は そ れ が 消 滅 す る こ と を 知 ら し め る も の で あ る か ら否 定 項(pratiyogin)で あ り 、 否 定 項 で あ る こ と の 関 係(pratiyogit龝ambandha)に よ っ て 消 滅 は 壷 に 存 在 す る と 言 う こ と が 出 来 る 。 活 動 は 結 合 関 係(例 え ぼ 棒 な ど に よ っ て 叩 か れ る こ と 、 こ の 時 壷 と 棒 は 結 合 関 係 で 結 び つ い て い る)を 通 し て 同 じ く壷 に 存 在 す る か ら 、 壷 と い う 同 一 基 体 に 活 動 と結 果 が 存 在 す る こ と に な る 。 壷 が 消 滅 を 知 ら し め る モ ノ で あ る こ と に よ っ て 行 為 主 体 性 は 否 定 項 性(pratiyogit と し て 理 解 さ れ る 。 さ て 、 動 詞 語 根 は 結 果 と活 動 の 両 者 を 表 示 す る が 、 そ の 意 味 表 示 能 力 は 動 詞 が 自 動 詞 で あ る か 他 動 詞 で あ る か に 左 右 さ れ な い 。 活 動 の 基 体 は 行 為 主 体 で あ り 、 結 果 の そ れ は 行 為 対 象 で あ る と す れ ば 、 行 為 対 象 を 必 ず し も必 要 と し な い 一43一

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仏教学会紀要 第5号

自 動 詞 は動 詞 語 根 の 意 味 と して結 果 を表 示 出来 な い とい う問 題 が 一 見 した と こ

ろ 生 ず るか に思 え る。 しか し、 動 詞 語 根 は 自動 詞 ・他 動 詞 の 区別 に関 わ りな く

活 動 と結 果 を表 示 す る の で あ る と考 え られ て い る。 自動 詞 ・他 動 詞 の 区別 はパ

ー ニ ニ 学 派 で は次 の よ うに定 義 され て い る

他 動 詞 性 とは活 動 とは異 な る基 体 に存 在 す る結 果 を表 示 す る こ とで あ る

自動 詞 性 とは それ[=活

動]と

同 一 基 体 に存 在 す る結 果 を表 示 す る こ とで

あ る。」(sakarmakatvamcavy穡穩avyadhikaranaphalav稍akatvam,

tatsam穗稘hikaranaphalav稍akatvamc稾armakatvam)[TTSM,p.40].

換 言 す れ ば 、活 動 の 基 体 と結 果 の 基 体 が 別 異 で あ る とき に は そ の 動 詞 は他 動 詞

で あ り、 活 動 と結 果 が 同一 基 体 に認 め られ る場 合 は 自動 詞 と され る。TextO8

で挙 げ られ る動 詞 を 自動 詞 ・他 動 詞 とい う区分 に立 っ て活 動 と結 果 、 そ して そ

れ らの 基 体 を分 析 す る と以 下 の よ う に な る。 第1例

で は結 果 と活 動 の基 体 は異

な るか ら∼

価 α は他 動 詞 で あ る。 第2例

で は結 果 で あ る知 識 は認 識 対 象 で あ る

壷 の 側 に存 在 す る と見 な され るか ら、 結 果 の基 体 と活 動 の 基 体 は異 な る と言 い

う る。 そ の 限 り にお い て 、v癒a.は 他 動 詞 と し て扱 わ れ る こ と に な望 。 第3例

は 結 果 で あ る消 滅 と消 滅 を もた らす 活 動 が 共 に 壷 の 側 に結 び つ い て い る の で そ

の限 りにおいてV癲6一は自動詞 であ(署

[TextO9]yaG稘yasamabhivy禀rtenetiviSesanat*1"pacyatetandula" ity稘aupakajanyaphalaSrayatvenatandul稘erbodh穗*2natasya kartrtvam. 1,B.-kayan穰.2,B.bodhanccn. 和 訳:「 受 動 活 用 標 識yaK等 に 伴 わ れ な い 」 と い う 限 定 が あ る か ら 、 「米 が 料 理 さ れ る(pacyatetandulah)」 等 の[受 動 文]で は 、 「米 」 等 は 調 理 か ら生 じ た 結 果 の 基 体 で あ る と理 解 さ れ る が 故 に そ れ[=米]に は 行 為 主 体 性 は 存 在 し な い 。 解 説:Texto7に 提 示 さ れ た 文 法 学 派 の 行 為 主 体 性 定 義 で は 「受 動 活 用 標 識 yaKに 伴 わ れ な い 」 と い う 条 件 が 加 え ら れ て い る 。 パ ー ニ ニ 文 法 学 で は 人 称 II

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新論理学派の 「

行為 主体性」定義

語 尾 はP.3.4.69に

よ り行 為 主 体 、 行 為 対 象 或 い は動 詞 語 根 の 意 味(bh穽a)

の い ず れ か を表 示 す る もの とさ れ て い る。 も し、 い か な る 文 で も、 人 称 語 尾 に

よ っ て 動 詞 語 根 の 意 味 の基 体 で あ る モ ノ が 知 られ る とす れ ぼ、 結 果 は動 詞 語 根

の 意 味 の一 部 で あ る こ とに よっ て 、 結 果 の 基 体 が 人 称 語 尾 か ら知 られ て もよ い

こ とに な る 。 これ は文 が 受 動文 の 場 合 は 正 し い の だが 、 能 動 文 で は誤 りに な る。

した が っ て 動 詞 語 根 が 表 示 す る意 味 の うち 、 今 問 題 と され て い る行 為 主 体 性 に

係 わ る もの と して 活 動 だ けが取 り出 さ れ るた め に は 「受 動 活 用 標 識yaKに

わ れ な い 」 とい う条 件 が必 要 とさ れ るの で あ る。

条 件 中 に 一稘i一とあ るの は受 動 活 用 だ けで な く以 下 の 形 式 を含 意 し て い る。

バ ッ トー ジ ・デ ィー ク シ タ は結 果 の 基 体 を表 示 す る活 用 を次 の よ う に挙 げ て い

る。[VMM,k穩ik

]。

活 動 と結 果 の う ち

、 ア ー トマ ネ パ ダ語 尾 一taN、 受 動 活 用 標 識 一yaKそ

し て ア オ リス ト標 識 ・CiN等 は結 果 の基 体 に対 す る関 係 を指 示 す る。 他 方 、

現 在 形 挿 入 接 辞SaP,SnaM等

は活 動 の基 体 に対 す る 関 係 を指 示 す る。

(phalavy穩穩ayostatraphaletanyakcin稘ayah/vy穡穩esapsnam竏

dayastudyotayanty龝ray穗vayam.) 人 称 語 尾 一taNは 第1次 活 用 語 尾 の ア ー トマ ネ パ ダ 語 尾 全 体 を 表 す(P.1.4. 100:taN穗穽穰manepadam)。 受 動 標 識 ・yaKはP3.1.67(sarvadh穰ukeyaK) に 規 定 さ れ る 。 ア オ リ ス ト標 識CiNは 非 人 称 ・受 動 活 用 の 時 に 導 入 さ れ る (P.3.1.66:CiNbh穽akarmanoh)。 以 上 は 構 文 の 態 と い う 区 分 で は 非 人 称 (bh穽e)と 受 動(karmani)を 組 成 す る と き に 導 入 さ れ る 。(非 人 称 構 文 は 自 動 詞 に ア ー トマ ネ パ ダ 語 尾 が 添 加 さ れ 語 根 の 意 味 だ け を 表 現 す る 構 文 で あ る か ら 行 為 主 体 ・行 為 対 象 と い う 問 題 か ら は 除 外 す る も の と す る 。)挿 入 接 辞 SaPは 能 動 文 に お い て 第1種 動 詞 語 根 末 に 挿 入 さ れ る/-a/で あ る(P.3.1.68: kartari,SaP)。 同 様 に,SnaMは 第7類 動 詞 語 根 末 に 挿 入 さ れ る/-na-/で あ る

(P.3,1,78:rudh稘ibhyahSnaM)o

さ て 受 動 形pacyate[3rd,sg.Pass.]の 派 生 分 析 は 以 下 の よ う に な る 。 DUpacAS:Dhp.1.1045,p稾

(18)

仏教学会紀要 第5号

価c.+1-'P.3.4.69[動 詞 活 用 導 入 く 受 動 選 択 〉] pac-+IATP.3.2.123[現 在 形 選 択] pac-+tiNP.3.4.78[1一 に 対 す る 人 称 語 尾 代 用] pac-+taNP.1.3.13;1.4.100[ア ー ト マ ネ パ ダ 語 尾 選 択] pac-+taP.1.4.22,108[数 〈sg.〉;人 称 〈3rd>選 択] pac-+te'P.3.4.79[-taの/a/に/e/代 置] く ロ ら pac-十yaK十teP.3.1.67[受 動 標 識yaK挿 入] pac-ya-te 人 称 語 尾 は 受 動 文 で は 行 為 対 象 を 表 示 す る か ら 、 そ の 文 中 で は 行 為 対 象 は 表 示 済 み で あ る 。 パ ー ニ ニ 文 法 で は 何 ら か の 要 素 に よ っ て 既 に 表 示 さ れ た 意 味 は 別 の 要 素 に よ っ て 再 び 表 示 さ れ な い か ら 、 具 体 的 な 行 為 対 象 を 表 す 語 は 文 中 で 単 に 語 の 意 味 を 提 示 す る の に 用 い ら れ る 第1格 を 導 入 さ れ(VtIonP. 2.3.46:pr穰ipadik穩thalingaparim穗avacanam穰repratham稷aksanepada-s穃穗稘hikaranyaupasamkhy穗amadhikatv穰)、 そ の 第1格 を 導 入 さ れ た 名 詞 項 目 は 人 称 語 尾 に 表 さ れ る も の と 意 味 上 同 格 に な る 。 一 方 、 行 為 主 体 は 動 詞 人 称 語 尾 を 含 む 文 中 の ど の 要 素 に よ っ て も 表 示 さ れ て い な い:の で(P.2.3. 1:anabhihite)行 為 主 体 を 具 体 的 に 表 す 語 に 行 為 主 体 を 表 す 第3格 が 導 入 さ れ る(P.2.3.18:kartrkaranayostrtiy 。 し た が っ て 、 「米 が チ ャ イ ト ラ に よ っ て 料 理 さ れ る 」 と い う 文 は"odanahpacyatecaitrena"と な る 。 [Text10]"k龝thaihsth稷y穃odanampacati"ity稘aukaran稘hi-karanakarman穃kriy穗vitakaran炙v稘i*1dharmavattve'pisa dharmon稾hy穰a*2pratip稘yah.yad穰u*3tat穰paryen稾hy穰am prayujyate,tad 4"k龝thampacati"*5ity稘autes穃*6kartrtvam *'istameva . 1,B.-tad-.2,B.-tena.3,A.tattatt穰-.B.tatt穰-.4 .B.om.5.B.ad. sth稷ipacati.6.B.tad 7.B.ad.tad 和 訳:「 彼 は 薪 に よ っ て 鍋 の 中 で 米 を 料 理 す る(k龝thaihsth稷y穃odanam ・OOo -46一

(19)

新論理学派の 「

行為主体性」定義

pacati)」 とい う文 に お い て 、 行 為 手 段[で

あ る薪]、 行 為 基 盤[で

あ る

壷]、 行 為 対 象[で

あ る 米]は

行 為 に連 関 した 手 段 性[基

盤 性 ・対 象

性]と

い う[そ れ ぞ れ の]特 性 を それ ぞ れ有 して い る の だ が 、 そ う し た

特 性 は人 称 語 尾 か ら は知 られ な い 。 し か し、人 称 語 尾 が話 者 の 表 現 意 図

に従 っ て 用 い られ る 場 合 、 「

薪 が 料 理 す る(k龝thampacati)」

とい う

文 に お い て そ れ ら[薪 等 の 行 為 手 段]に

行 為 主 体 性[が

想 定 され る の

は]正

しい 。

解 説:表

現 意 図 と は料 理 行 為 に お け る様 々 な局 面 の う ち どの局 面 を 中心 に言 語

表 現 す る か に 関 す る発 話 者(表

現 者)の 意 志 ・意 図 の こ とで あ る。 例 え ば 厂チ

ャイ トラ は薪 に よ って 鍋 の 中 で 米 を料 理 す る」 とい う認 識 か ら、 米 を加 熱 す る

局 面 に注 目 して その 担 い手 の役 割 を強 調 し よ う と意 図 した とす れ ば、 発 話 者 は

薪 が[米

を]料 理 す る(=加

熱 す る)」 とい う文 を発 す る こ と に な る。 この

時 、 発 話 者 に は料 理 に関 わ る加 熱 活 動 の 主体 と して の薪 が こ の文 に お け る行 為

主 体 と し て理 解 され て い る の で あ る。 また 料 理 が 行 わ れ る場 を強 調 す る こ とに

よ っ て 、 米 が 料 理 さ れ る こ と を支 え る もの として 鍋 が そ の 活 動 の 主体 と して 措

定 さ れ 、 「

鍋 が 料 理 す る(=煮

え て い る)」(sth稷ipacati)と

い う文 を派 生 さ

せ る こ と に な る。 一 見 した とこ ろ行 為 の 補 助 手 段 と して 見 な され る もの に も行

為 全 体 を構 成 す る個 別 の活 動 の 主 体 性 を強 調 し よ う とす る場 合 に はそ れ に文 法

上 の行 為 主 体 性 を認 め る こ とが 可 能 な の で あ る。 い ず れ の 場 合 で も活 動 の 内容

を行 為 全 体 の 中 か ら特 定 す れ ば 「(例え ば、 加 熱 す る 活 動 ・支 え る活 動 と い

う)動 詞 語 根 の意 味 に 連 関 した 特 性 を有 す る もの で あ る こ と」 が 薪 ・鍋 に は想

定 で き る こ とに な るか ら、Texto7に

提 示 さ れ た 行 為 主 体 性 定 義 に逸 脱 し な

い の で あ る。

こ う した 考 え 方 はす で に カ ー テ ィヤ ー ヤ ナ とパ タ ン ジ ャ リ に よ っ て論 じ られ

て お り[MBhadP.1.4.23,1,324,17-325,3]、

またP.1.4.23に

対 す る註 釈

で バ ッ トー ジ ・デ ィー ク シ タ も次 の よ うに ま とめ て い る。[SKonP.1.4.23,

II,114,2-7]

軟 化 を もた らす 活 動 が 語 根1∼/両cの意 味 で あ る。活動 は また種々 の相

を持 っ て い る。 その う ち、[鍋 を 火 元 に]置

き ・米 を[そ

れ に]入 れ ・

(20)

仏 教 学 会 紀 要 第5号 燃 料[と な る 薪]を 加 え た り ・[火 力 を お と す 為 に 薪 を]引 き 出 し た り ・[火 を]燃 え 上 が ら せ た り と い う[活 動]が 意 図 さ れ て い る 場 合 は そ の[活 動 の]基 体 で あ る デ ー ヴ ァ ダ ッ タ が 行 為 主 体 で あ る 。[そ の と き 文 は"devadattahpacati"と な る 。]加 熱 す る こ と が 意 図 さ れ て い る 場 合 は 燃 料(edha)が 行 為 主 体 と な る 。[そ の と き 文 は"edh禀pacanti" と な る 。]米 を[そ の 中 に]保 っ て お く と い う 活 動 が 意 図 さ れ る 場 合 は 鍋(sth稷i)が 行 為 主 体 で あ る 。[そ'の と き 文 は"sth稷ipacati"と な る 。]砕 け て 小 さ く な る こ と が 言 わ れ る 場 合 、 米 が 行 為 主 体 で あ る 。 し た が っ て 、 行 為 対 象 よ り 転 じ た 主 体 ・行 為 手 段 よ り 転 じ た 主 体 と い う 用 法 が あ り 得 る の で あ る 。」(viklittyanuk avy穡穩ohipacyarthah. vy穡穩asc穗ekadh tatrapaceradhisrayanatandul穽apanaidho-pakarsan穡akarsanaph皦k穩稘it穰paryakatvetad龝rayodevadattah kart jvalanat穰paryakatvetvedh禀kart穩ah.tanduladh穩an稘i-paratvesth稷ikartri.avayavavibh稟稘iparatvetandul禀kart穩ah. ataevakarmakart稾aranakartety稘ivyavah穩ah.) [Text11]tath pacyataodanahsvayameva"ity稘au*ikarmakartary odan稘ehkarmano'pikartrtvam,tatrahisvavrttivy穡穩ajanya- pakajanyaphalaSalyodanaitiSabda*2bodhah,*30danapadottara-pratham窕穽y穡穩olaksan rthah*4. ○ ● ■ 1,A.-ccdi-.2.A.om."s稈da-.3,A.ad.tatra.B .ad.evamca.4, o A.om.laksan rthah.B.laksanayccrthah.

..

和 訳:し た が っ て 、 「米 が そ れ 自 身 柔 ら か く な る(pacyataodanahsvayam eva)」 等 の 反 射 構 文(karmakartari)に お い て 、 米 は[実 際 は 料 理 行 為 の]対 象 で あ る と は 言 え 、 行 為 主 体 性 を 有 す る[も の と し て 見 な さ れ る]。 こ の 場 合 の 言 語 認 識 は 「そ れ 自 身 に 存 在 し て い る 活 動 に よ っ て 生 じ た 料 理 活 動 に よ っ て 生 ま れ た 結 果 の 拠 り所 で あ る 米 」 で あ る 。 こ の 場 合 、 活 動 がodanaと い う 語 に 用 い ら れ た 第1格 に よ っ て 示 唆 さ れ る 。 ,・

(21)

新論理学派 の 「行為主体性 」定義

解 説:Text10で

は行 為 主体 性 を行 為 手 段 や 行 為 基 盤 に付 与 す る可 能 性 とそ の

妥 当 性 が 論 述 され た の で あ るが 、 行 為 対 象 に は行 為 主体 性 が 付 与 さ れ う るの か

ど う か が こ こで の問 題 とな る。 行 為 全 体 の 一 局 面 を取 り上 げ て そ の担 い手 に行

為 主 体 性 を認 め得 る の だ とす れ ば、 行 為 の 行 わ れ る一 連 の 流 れ の 中 で行 為 対 象

の担 う役 割 を特 定 す る だ けで 行 為 対 象 に は行 為 主 体 性 を付 与 で き、或 る文 で は

行 為 対 象 と し て表 現 さ れ て い た もの も別 の 文 で は行 為 主体 と して表 現 され る は

ず で あ る。 サ ン ス ク リ ッ ト語 で は特 に行 為 対 象 が行 為 主体 と して表 現 され る形

式 を持 っ て お り、 そ れ は 「

反 射 構 文(karmakartari)」

と呼 ば れ る。

反 射 構 文 はP3.1.87に

規 定 され る(karmavatkarman穰ulyakriyah「

く の

為 対 象 と等 し い 行 為 を有 す る[行 為 主 体 は(kart

68)]行

為 対 象 と し て

[文 法 上 は見 な され る])。 この規 則 は動 詞 の活 用形 態 に関 す る限 り受 動 活 用 と

同 じ形 態 を派 生 させ る拡 大 適 用 を規 定 した もの で あ るが 、 受 動活 用 形 か ら理 解

され る意 味 と は異 な る意 味 が こ こで は意 図 さ れ て い る。 形 態 上 で は受 動 形 を 導

入 す る規 則 で あ り、 また 行 為 対 象 と一 旦 は措 定 され る もの を更 に行 為 主 体 と し

て見 な す の だ か ら、 この規 則 は能 動 文 を基 礎 構 文 と して前 提 して い る こ とに な

る。 通 常 の 能 動 文 に お い て行 為 対 象 に見 られ る行 為 の所 作(即

ち、 結 果)が

た か も行 為 対 象 が 自 ら行 った か の 如 く見 な され る場 合 、 行 為 対 象 は そ の所 作 の

主 体 と し て 一 旦 は措 定 され る。 こ の新 しい 行 為 主 体 は次 い で 文 法 上 の操 作 を加

え られ るが 、 そ の操 作 は あ くまで 行 為 対 象 を表 示 す る受 動 活 用 に準 ず る もの と

な る。

odanampacaticaitrah「

チ ャイ トラ は米 を料 理 す る」

こ の能 動 文 で は行 為 主 体 は人 称 語 尾tiに よ っ て表 示 さ れ 、 そ れ は第1格

が 導

入 さ れ た 名 詞 項 目の 表 す 意 味 と不 異(abheda)で

あ る。 行 為 対 象 を 表 す 名 詞

項 目 に は 第2格

が 導入 され て い る。 こ こか ら得 られ る言 語 認 識 は 既 に挙 げた よ

う に 「単 一 の チ ャイ トラ と同一 で あ る もの を基 体 と し、 米 を基 体 とす る軟 化 を

もた らす 活 動 」 で あ る。 行 為 主 体 ・チ ャ イ トラ は活 動 ・火 の操 作 等 の 基 体 で あ

り、 そ の 活 動 に よ って 結 果 ・軟 化 が 行 為 対 象 ・米 を基 体 と して 生 ず る。 さ て、

行 為 対 象 ・米 に見 られ る行 為 の結 果 は 「

米 が柔 らか くな る」 とい う意 味 で理 解

す る こ とが 出来 る。 そ の軟 化 は何 か 別 の もの に よ って もた ら され る とは言 え、

(22)

仏教学会紀要 第5号

米 自身 の 変 化 と して米 に直 接 関 わ りあ う もの で あ る。 この 時 、 そ の所 作 を中 心

的 に捉 え る こ とに よ っ て軟 化 とい う結 果 は米 自 らの活 動 に よ って もた ら され た

も の と さ れ る。 そ の 活 動 と は 米 自 身 に 存 在 す る 「

火 と の 結 合(tandul穽a一

ゆ ラ   り

yav稟nisamyoga)」

で あ る。 した が っ て 、米 は 結 果 ・軟 化 の 基 体 で あ る と同

時 に活 動 ・火 との結 合 の 基体 で もあ る こ とに な る。 こ う して 行 為 主 体 性 が能 動

文 に お け る行 為 対 象 に付 与 され る。 こ こで は行 為 全 体 を構 成 す る諸 活 動 の うち

行 為 対 象 が 担 う とさ れ る或 る特 定 の部 分 的 活 動 だ けが 取 り出 され て、 そ の活 動

を有 す る能 動 文 の 行 為 対 象 が 反 射 構 文 にお い て は行 為 主 体 性 を確 保 す る の で あ

る。

と ころ で この 意 味 論 的 な措 定 は構 文 化 にお い て 次 の よ うに 処 理 され る。 能 動

文 に お け る行 為 対 象 は反 射 構 文 で は意 味論 上 は行 為 主 体 と して 見 な され る の だ

が 、 文 法 的 に はあ くま で受 動 形 を組 成 す る操 作 が 行 わ れ る 。 そ う し て 出来 上 が

る動 詞 形 は全 く受 動 形 の そ れ と 同 じ とな る。 しか しP.3.1.87が

示 す よ う に 、

この 規 則 の主 辞 は行 為 主 体 で あ るか ら、 導入 され た 人 称 語 尾 が表 す も の は行 為

主体 で あ る。

単 純 な受 動 文 と比 較 す る と、 動 詞 形 は全 く同一 で あ る。 そ う した 点 で 構 文 の

基 本 構 造 で あ る"odanahpacyate"は

反 射 構 文 と受 動 構 文 とに お い て 同 一 で

あ り、 一 見 した と こ ろ構 文 の 差 異 を 明 確 に す る為 に 反 射 構 文 で は"svayam

eva"が

更 に加 え られ て い る よ う に 思 わ れ る。 しか しP.3 .1.87そ

の もの に は

そ う した 副 詞 句 の付 加 的 使 用 は規 定 され て い な い の で 、 これ は構 文 上 絶 対 的 に

く む

必 要 な もの とは考 え られ な い。

さ て 、 以 上 の よ うな 反 射 構 文 が 成 立 す る為 に は少 な く と も次 の2点

につ い て

考 慮 して お か ね ば な らな い 。 第1点

は行 為 対 象 へ の行 為 主 体 性 付 与 で あ る。 文

法 的 に は行 為 対 象 と して措 定 さ れ た もの は構 文 の形 式 に 関 わ らず 行 為 対 象 とし

て 文 法 操 作 を受 け る の が 原則 で あ る。 つ ま り、 能 動 文 に お け る行 為 対 象 く米 〉

は受 動 文 に お い て も行 為 対 象 で あ り、 それ が 第2格

に よ って 表 示 さ れ るか 人 称

語 尾 に よ っ て 表 示 され るか の 統 語 論 上 の 機 能 に応 じた形 態 上 の 違 い が あ るだ け

で あ る。 しか し反 射 構 文 で は統 語 論 的 要 素 導 入 の 根 拠 で あ る意 味 論 的措 定 の 段

階 にお い て名 詞 項 目 ・米 へ の ラベ ル化 が 異 な って い る の で あ る。 そ こで は米 の

一50一

(23)

新論理学派 の 「行為主体性」定義

行 為 全 体 に 占 め る位 置 づ けが 単 純 な 能 動 文 の場 合 とは異 な っ て 理 解 さ れ て 、行

為 主 体 且 つ 行 為 対 象 とい う二 重 の ラ ベ ル が 能 動 文 の行 為 対 象 で あ る米 に付 され

て い るわ けで あ る。 行 為 主 体 ・米 と行 為 対 象 ・米 と は基 体 と して 有 す る 限定 関

係 は 異 な っ て い る こ と に注 意 し な け れ ば な らな い。 そ れ は次 の第2点

に係 わ る。

第2点

は能 動 文 の行 為 対 象 ・米 が 行 為 主 体 性 を付 与 され る契 機 とな る米 へ の

意 味 論 的 ラ ベ ル 化 を促 す 内容 が 動 詞 語 根 に表 示 さ れ る意 味 の 中 で保 証 され て い

な け れ ば な らな い とい う こ とで あ る。 能 動 文 と して言 語 化 され る表 現 にお い て

行 為 対 象 と名 付 け られ る項 目が 担 う は ず の 動 詞 の意 味 は行 為 主 体 とい う新 た な

ラベ ル に 対 して は全 く同 前 とい うわ け に は い か な い。 ラベ ル 化 は そ の項 目が 担

う意 味 に よ っ て 限 定 され る か ら同 一 の 意 味 に よ って 異 な るラ ベ ル を導 入 す る こ

と は出 来 な い の で あ る。 動 詞 語 根 が 結 果 と活 動 の 両 者 を表 示 す る こ とは これ ま

で見 て き た とお りで あ る。 結 果 の基 体 とし て行 為対 象 が 理 解 され る以 上 、行為

対 象 が 他 方 で 行 為 主 体 と見 な され る に は行 為 主体 が 担 うべ き活 動 とい う意 味 が

行 為 対 象 に存 在 して い な け れ ば な ら な い の で あ る。 そ れ は例 え ば 「

火 と の結

合 」 と し て 示 され る よ うに 、料 理 とい う行 為 全 体 を構 成 す る副 次 的 活 動 の一 断

面 で あ り、 そ れ は確 実 に動 詞 語 根 の 意 味 に含 意 さ れ て い な けれ ば な ら な い。

こ う し て考 えて くる と、 副 次 的 活 動 の そ れ ぞれ の担 い 手 が 「

最 上 位 の 〈行 為

く の

主 体 性 〉 とい う く能 力 〉 に至 る 〈能 力 〉 の ヒエ ラル キ ー」 の 中 に位 置 づ け られ

て 行 為 手 段 ・行 為 基 盤 等 と して名 付 け られ る文 法 的 仕 組 み が 同 時 に行 為 対 象 を

行 為 主 体 と して見 な す 反 射 構 文 を 派 生 させ るの で あ り、 そ れ は動 詞 語 根 の 表 示

す る どの意 味 を担 うの か とい う問題 と直 結 して い る。 し たが っ て 、 我 々 と して

は 反 射 構 文 に お け る動 詞 の 表 示 す る意 味 を通 常 の能 動 文 と同一 な もの と して は

理 解 して は な ら な い。 副 次 的 活 動 の担 い 手 と して の行 為 主 体 性 が米 に仮 託 さ れ

て い る以 上 、 副 次 的 活 動 を排 他 的 に取 り出 さ な け れ ば な ら な い の で あ る。 反 射

構 文 は 「

米 が 自 ら料 理 す る」 の で は な く 厂

米 は 自 ら柔 らか くな る」 を意 味 す る、

即 ち他 動 詞 厂

料 理 す る」 は 自動 詞 「

柔 らか くな る」 な の で あ る。

この 反 射 構 文 の 言 語 認 識 を カ ー ウ ン ダ ・バ ッ タ は次 の よ う に述 べ て い る。

「『

米 が 自 ら柔 ら か くな る』 と い う文 で は 『

単 一 の 米 に異 な らな い基 体 を

くヨの 持 ち 、 料 理 活 動 を も た ら す 活 動 』 が 理 解 さ れ る 」("pacyateodanah -51一

(24)

仏 教 学会 紀 要 第5号 svayameva"ityatraca"ekaudanabhinnaSrayikap稾穗uk 稈h竏 van itibodhah.)[VBhonk.4,p.22]. こ の 言 語 認 識 をText11の そ れ と比 較 す れ ぼ 、 言 語 認 識 の 主 要 素 と し て 構 制 さ れ て い る も の が 異 な っ て い る こ と が 判 る 。 カ ー ウ ン ダ ・バ ッ タ は 動 詞 語 根 の 活 動 を 主 要 素 と し て お り 、 一 方Text11は 行 為 対 象 ・米 を 主 要 素 と し て い る 。 こ の 言 語 認 識 は 明 ら か に 新 論 理 学 派 の も の で あ る 。 で は 、 米 が 活 動 の 基 体 で あ る行 為 主 体 で あ り な が ら 、 結 果 の 基 体 で あ る 行 為 対 象 で あ る と見 な さ れ る 構 文 に お い て 動 詞 の 意 味 は ど の 要 素 に よ っ て 限 定 さ れ る の か 。 文 法 学 派 で は 動 詞 人 称 語 尾 が 行 為 主 体 を 表 示 し 、 そ れ は 活 動 を 限 定 す る と考 え ら れ て い る 。 人 称 語 尾 が 行 為 対 象 を 表 示 す る 時 は 結 果 に 対 す る 限 定 者 と な る 。 カ ー ウ ン ダ ・バ ッ タ の 言 語 分 析 で は 米 が 基 体 と し て 挙 げ ら れ て い る が 、 活 動 の 基 体 が 行 為 主 体 で あ る 限 り、 活 動 を 主 要 素 と構 制 す る な ら ば こ こ に 言 わ れ る 基 体 と は 行 為 主 体 に 他 な ら な い 。 つ ま り、 文 法 学 派 の 主 張 す る 言 語 認 識 で は 動 詞 を 自 動 詞 と し て 見 な す こ と に よ っ て 結 果 と活 動 の 基 体 が 同 一 で あ っ て も 構 わ な い 。 と こ ろ が 新 論 理 学 派 の 言 語 認 識 で は 米 は 結 果 の 基 体 で あ る とい う構 制 の 下 に 理 解 さ れ て い る か ら 、 行 為 主 体 を 表 示 す る 要 素 そ し て 活 動 の 限 定 者 は ど こ に も な い こ と に な る 。 し た が っ て 、 行 為 主 体 は 第1格 に よ っ て の み 知 ら れ る こ と に な る の で あ る 。 [Text12]yadv 1vy穡穩as穃穗ye*2Saktasyakhyatasyartha与*33. vyutpattivaicitry稍c穰rayaG稘isamabhivy禀rt稾hy穰穩thavy穡穩e pratham穗t穩thasyaviSe§a亭ataya*4nvayah.tatr稾hy穰asya*svy竏 p穩av稍itv稘*60dananvitatadτSavyaparasyayaG稘yasamabhivy竏 hrt稾hy穰 'pratip稘yatv稘*$-odanasyayaG稘yasamabhivy禀rt竏 khy穰apratip稘yadh穰varth穗vitavy穡穩avattvar皂akartrtvamnir竏 badhameva凾*8,"odanahsvampacati"ity稘i*9prayogasy龝稘huta-y稈h穽e'pitadτSavyaparetajjanyapratipattivi§ayatva*1°yogyat 1L nap窕稘iti. -52一

参照

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会 員 工修 福井 高専助教授 環境都市工学 科 会員 工博 金沢大学教授 工学部土木建設工学科 会員Ph .D.金 沢大学教授 工学部土木建設 工学科 会員

雑誌名 金沢大学日本史学研究室紀要: Bulletin of the Department of Japanese History Faculty of Letters Kanazawa University.

記述内容は,日付,練習時間,練習内容,来 訪者,紅白戦結果,部員の状況,話し合いの内

鈴木 則宏 慶應義塾大学医学部内科(神経) 教授 祖父江 元 名古屋大学大学院神経内科学 教授 高橋 良輔 京都大学大学院臨床神経学 教授 辻 省次 東京大学大学院神経内科学

・学校教育法においては、上記の規定を踏まえ、義務教育の目標(第 21 条) 、小学 校の目的(第 29 条)及び目標(第 30 条)