――目次――
1,
仏陀最初説法の研究,宮本正尊,Shōson MIYAMOTO,pp.1-29.
2,
金蔵の発見について,常盤大定/橋川時雄/服部宇之吉,Daizyō TOKIWA/Tokio HASHIKAWA/Unokichi
HATTORI,pp.30-41.
3,
宗教の心理的基礎,フラワーの宗教心理学説の反省,上野隆誠,Ryūzyō UENO,pp.42-51.
4,
宗教的境地とその思想的表現との「ひらき」,天台の方便論を引例して,石津照璽,Teruji
ISHIDSU,pp.52-66.
5,
近世における科学的宇宙観の発達に対する反動について,特に僧侶の運動について,伊東多三
郎,Tasaburō ITŌ,pp.67-92.
6,
高砂族の巫女に関する資料,パイワン族とアタヤル族とにおける,古野清人,Kiyoto FURUNO,pp.93-106.
7,
唯識二十論における四事の疑難について,田中順照,Zyunshō TANAKA,pp.107-114.
8,
婆羅門僧正について(つづき),寧楽仏教史序考,堀一郎,Ichirō HORI,pp.115-132.
9,
テイリッヒの「カイロス」思想と宗教の実現,Tillich,P., Religiöse Verwirklichung,亀徳正臣,Masaomi
KAMETOKU,pp.133-141.
10,
「聖徳太子御製法華義疏の研究」について,花山信勝氏の功績を顧みる,吉田龍英,Ryūei
YOSHIDA,pp.142-148.
11,
シユライエルマツヘルの百年祭,Zeitschrift für Theologie und Kirche-4H.1933,長沢俊雄,Toshio
NAGASAWA,pp.149-158.
12,
新刊紹介,pp.159-177.
ヽ
悌陀最初説法り研究
官本 正 奪
序 ヽヽ ヽヽ●ヽ︳ ヽ︳lヽヽ 併陀最初の教詮は如何なるものであつたか。或は俳陀初期の教詭は如何なるものであつたか。而してその基本 ヽヽヽヽ ヽ︳ 型及び類型を推定するに∵最初語法と初期説法とに関する阿含憶承文献の細粒的研究に依らんとするのである。 異性的には﹁初描法輪挺﹂と﹁原始型併倦︵第一型︶﹂︵第四節参帽⋮︶の研究に従ふのである。而して今本論文に於 ︳︳ヽヽヽ ては先づ最初説法としての初梼法輪経の研究が主題となる雷めに、これを﹁俳陀最初語法の研究﹂と棟越するの である。随って本論文は次いで﹁彿陀最初敷設の研究﹂として畿表さるべき論文と相保って、更にその意義を深 くするものである。 −資料取扱ひの心得 先づ最初説法及び最初敷設の問題の研究より出費しょう。故に著者は先づ彿偉・贋律・阿合・阿児達磨論者・ 詔大乗経論・龍樹論菩等諸拉の文献に宜り、ある固定せる倦承即ち型となれる定詑を見出すのである。か⊥る定 詮に就いてはその成立事情及び影響を併せ研究せんと欲する。更にかゝる型を一方ある俸承として承認しっゝも、 其庭に見失はれたるものをヰ桧せんとし、或はさる型によりては捉へ難きものを新に表明して、幾分卑少歪曲せ 怖陀最初孜法山研究 JβJ二 彿陀最初説法の研究 られたる繹尊の教詮の大本を回復せんとする大乗併教の主張を見出すのである。随って故には前者と単に相持し 封放せるに過ぎぬ一面も存するが、畢覚古き大本に還るべく、前者を批判して新局面の打開が試みられて居るの ヽヽ ヽヽ▼︳ である。その型となれる定説とは、普通大乗教徒よりして小乗と彪栴せらる1聾聞の畢或は法相である、即ち、 阿屈畳の人々卸bhidharmikaの教相であるが、龍樹などはこれを各々決定有の法相に膠着して居るとなし.時に 生死人とさへ罵つて居る。英国のリス・デブィヅ夫人の如きは、その夫妻二代を通じ全生涯を南方巴利伸教の研 ヽ一′ 究に捧げた程の代表的聾者であるが、密近に至りその南方沸教の聖典が僧院的教相学者−喜︼−aStice眉Ouコdまの りヽ−ヽ、
手によつて卑少限局せられたるものであると極め付け、大乗こそa p=SSib︻e MOr2 訂r m呂−nOta Less緒舎
Sakyaの出世本懐thereaて豪rtl㌔−m2SS董2であると非常なる熱意をこめて唱導せられてをる。勿論、北方沸教 徒にとつては、これはとに龍樹時代に於て叫ばれた精神に看取され得るものであり.その蔑め彿教は印度の囲境 を越えて多種多枝な形態のもとに分化畿属し、問題も多く含んで居るのであるが、南方件数は約二千年の後今日 ヽヽヽヽ︳ に至りて、漸くその節一の蜂火を夫人によつて奉げたものと見てよく、俳教本初の精紳を回復せんとする和光が きぎし来ったのである。錫撒には嘗て大乗は一時流行したのであり、その史賓や史蹟もあるのではあるが、中途 亡びて途にその精神を博へ得なかったのである。その後、印度本国に悌教が衰滅してより、沸教は故に根幹を失 ひ統制も聯絡もなく、支部・日本・チベット及びセイロン・ビルマ・シャム等に、夫々個別的に蟄遽を遽げて近 世に入つたのである。爾来約一世紀を経て今日に及び、沸教研究も漸次その相野に鮮明の度を加へ来り、研究方 ︳l■ヽヽ 法も各種の近代的手法工作が淡々の場面に於て應用せられ刑聯帽して妹たから、問題の所在はその本来の面目を ヱ(9β
金態的忙鬼沸し氷りつ1あるり 予の今故に川ふる賽料は.大乗件数従が嘗て二束にして鎧聞小乗の教と云ひ、今日り夫人が倍院的教相聾者の 記録に過ぎぬと云ふ阿含・律・阿見達磨の文献と、詔大乗の経論とである。り夫人の如きは巴利聖典を他よりも 比較的古く許慣するのであり、漢謹や西就謹の如き覇詳ではなく、捕食原典的なるものであることを認めつ1も ■ヽヽtヽヽヽ︳︳ そこに何等併陀が語法したま1の言英は見出し待ないと云うて居るのである。夫人の如きは大乗俳数を散り容鹿 ヽヽヽヽヽヽヽ せぬのであるから、その努力たるや、南方原始俳教のうちより根本彿教の面目を浮き上らせようとするものであ ると評債することが出来る。乍併.漠諸に塞く焼き資料を有してをる現代日本の聾者には、一々の敷設或は教相 夫々に宜少、各種の資料テキストを比較封照し縛るのであるから、それにより同一テキストの欒改・改質、教諭 解繹の欒化進歩の跡が可成り明かにせられて来てをり、各部派が同一のテキストを部執によつて夫々都合よくむ 通せんとし、或は欒改したとさへ考へらる1筋道まで相常に研究せられて来てをるのである。唯これ等の研究に 常り、自らが持つある見解によつて整理せんとする方法も可能であり、相恩の成果を牧むるのであるが、初めか ら極め付けて行く研究は一時まことらしく纏めらる1であらうが、多くは本初の問題を残して居るため.問題白 身が進歩してくる時になると、却って後に取り残されるやうになるのであるから、これ蜂望息せねばならない。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 更に我々は研究に際して、先づ我々の有してをる資料本釆の性質を考察して出費すべきである。如何に研究方 法はよくとも.資料本来の性質からその方法には不向きな場合があるのである。彿教文献のうちには謄史的研究 の資料も多く、また僧院の維持・教囲の統制に就いての経済的或は法制的の研究方法によりてこそ、第二資料と 価陀最初説法の研究 封凋
怖陀最初説法の那究 四 ︳ヽヽヽ しての債値を蟄揮するものも少くないのであるが.大部分の資料は大小乗の経論に亘りて展特博来せる樺尊の教 −−ヽ−︳、 ︳ヽ 誰の阿含悟承である。即ち、倦承せられたる阿含厨.ama聖典なのである。そのうち﹁四阿含﹂の如きは、特に ︳︳ヽヽヽヽヽヽ 偉承阿合の名そのものを以て、放射別名せられて呼ばれて居る位であるから、教理敷設の研究者は党づその資料 ヽ■′ 4 たる阿合本米の性質を深く顧みるべきである。﹁阿含量﹂の意義に就いては、予は己に﹁聾聞の撃と彿菩薩の畢﹂ のうちに強調した如くである。 これ等大小乗に亘る﹁阿含﹂は、一両各時代の榛東者の創意創作によつて欒改せらる1のであるが、それは倦 ヽヽヽ■︳ヽヽヽヽ 承の本質を越すことは少いものである。更にその時代々々の言葉によつて表現せられた部分を、単に新しい解樺 として持て去る人々もあるであらうが、これこそ最もその昔時に安富した部分である。それが時にある環境時代 の爽錐性に束縛せられた許嫁になる場合もあるが、必すしも常にさうではなく、その部分こそ各時代を通じて教 ヽ︳ 誰の本質的なものを構成したが焉めであるとも残し得るのである。悟承は勿論直ちに史賓でないとも言ひ得るが、 他の倦承のない時にはそれは史貫として取扱はれることが多い。この場合には慎重なる批評眼を伴はしめねばな ヽヽ︳ヽヽ︳ヽヽ らないが、今は寧ろさる﹁阿含量﹂の眞貫性をもつと評債すべき素直にして常り前の途をとるべきであることを ヽヽ︳ヽ 説きたい。更に倦承は少くとも常に倦承としての史賞を有するのであるから、常に研究者自らが見逃して居る慣 ヽヽヽヽヽ 値を時に保持してをる場合があ少、研究者はこの鮎反省すべきである。随って樺尊の敷設の研究をなすに就いて、 ヽヽヽヽ 資料の取捨挟揮は厳密なるをよしとするが、飴り細エしての切り持ては撞へるべきである。悟承阿含に貫かれて 居るものむ前後踊備によりて救護して深く汲み出すべきである。この鮎、欧米近代の俳駁撃者の研究芳雄も−今 J(94
は見劣りする新時代になつてをるのであり、我が囲の怖教研究者は寧ろこの鮎新一少を巳に新地常に印して然る べきものである。随って相接携して研究に精進するならば、欧米聾者のみでなく、支那印度の聾者にも刺戟を輿 ヘリードし得るのである。現代日本の件数界では併誕二千五百年を記念せんとする時代にまで進んで釆てをる。 り、ヽ、︳ヽヽ、 本論文はか1る新時代に相應する根本併教の教詮を究明組粒する一つの賛助となれば幸である。 琵 ュ、GOtama tlJe害an、︻ゝOndOn●Ⅰ冨㍗ Sakya Or Hどddhist〇−igins、︼bndOn●−¢望● A呂anuP−○︷ 出uddhisヨーlゝOndOn.−¢琵●
dO p・詑⋮ZOWaへへscriptロreこisamuch−ateニhing thPn the bi−旨︼呂d iニs−訂−eaて蒙三1こmes∼age・
dOp・讐We ha完nO邑iablerec。rds Ofthings as tlley hPPpened︶○︷wOrd勅aS they weref訂tspOken●
2、d〇.P●怠・ 3、dP p・諾● 4、刑稿、哲学雑誌、昭和八年二・三・五・八月班。 5、拙稿﹁根本中の祈究﹂、宗教啓諭襲。昭利五年。及び、﹁彿数学の組織と椒本彿敦﹂、日本の宗教寧。昭和八年。 こ 初特法輪鮭の二種型 今故に俳陀最初の敬語を考察するに、先づ最初詮放と考へらるべき経典資料に伐るべきことは勿論である。而 してこの最初説法を見出すには、俳樽の整理と共にその俳優記録の指示に推うて、阿含等の諸経典のうちに探及 するのが第一歩である。 ヽ.ノ l 漠繹鮭興のうちには、己に安世高に依って課されたる﹁彿現綺法輪檻﹂なる一経が古くより別行されてか㌢リ、 怖叱取掛説法の晰兜 王こ Jββ
伸陀黄勧説法の研究
り六
古来これが俳憶に言はれて焙る、波羅奈にて僑陳如等の五比丘に封して為されたる仰成適後最初の説法であると
焦されて居るのである。随ってこの古き諸による経此ハを基本として研究することは、種々なる理由よりして先づ
適富せあり、出憩鮎となしてよい。彿悼の巷理に就いては後節に解れることにLて一党づ阿含経典より円畿しよう。
︶ 9− この時法輪経に相常するものを四阿合のうちに求むるに、長阿合第丁大本経に於ける岨婆戸彿因縁の下はーり 参考に供すべきものであり第二次的資料として重要である。中阿令弟五十六巻第二百四十経の羅産経は、樺迦卑
屈彿の彿俸に相雷するものであるが馬めに、その成道詮法の部分にこれを見出すことが出来る。而もこれは離二
ヽ︳ヽ 連庭中の中道青書∵八正道誼を含むでゐる原始型を保持してをるものであるが、四諦三拝の語法を全然快いてを︶
J﹂ るのである。且つ薙摩経に相常する巴利中部第二十六経の聖求挺M・N・寧Ariy毒arye碧na・SuttPは.この四 ︳’ヽ︳ 講説法のみでなく、中道八正道に亘る相法輪の部分をも全部略して、五欲pa賢a・kぎagl息畔討の敬語を以つて経つて居るのは甚だ注目に伯ひする。勿論、経つ目的は﹁聖求﹂の意義を説くのであり、俳憶や持法輪控を眼目と
り するのではないのである。然るにこの五欲功徳可愛可架可意祈念善欲粕艦の説法は羅摩控も保持してをりーこれ
は五比丘に封せる第二次或は第三次の詮法と想定さるべきものである。構って他の彿憶に存する第二次或は警一
ヽヽヽヽヽ 次の説法と考へらる1かの五薙無我経と共に、俳陀最初教詑を組織的に考察する際には必ず列挙されねばならぬ教保である。これに就いては後に詳論する。
鱒二阿曾第十州都十五両強忙孝志同瞳晶第二十川の那五軽油足化と名付けられてゐる山経は・樹下成遭難解に
J上び始り、彿倦に相常するもmである。鳴って初描法船舵はこのうちに食まれて㍍る認であるが/敢では特に申適豆 言の部分丈けが削除せられて、直ちに四諦詮法に移行してをる型を示してゐる。 ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ︳ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ■ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 雅阿含第十五奄は多数の四諦教諭の経典を楠集してをり、五比丘に封して波羅奈に説かれた四諦説も、その後 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︳ 種々の型に表現せられ、また保存せられた革質を示Lてゐる。その第三百七十九経描法輪檻は、通常初描法輪鮭 に相督するものと焉されてをるが、これも重要なる中道宣言の部分を全然省略して、国許詮法文けを以ってして をるものである。この凶諦説法丈けを樽法輪ときめて釆たことは、予の所謂聾聞教相の畢の費達と相伴ふもので ヽ’︳ヽヽヽヽ あつて、決して原始型ではないのである。而もそれは四講説法のうちでも、特に三時十二行法輪と整へた数相を ヽヽヽ 樽法輪と定めた型に従ってをるものである。随ってこれは中道宣言の部分を含む原始型に封して、これを啓開型 ︳ヽ’ ヽヽヽ ヽヽヽ ヽヽt 或は第二型と呼ぶぺきものである。前者を中造型とすれぼ、これを四諦型とか三樽型とか言ふべきものである。 ヽ−ノ 7 この型は遮に韓法輪挺の定型となつたのであるが、そのよき例は壷浄によつて課されてをる、かの﹁三持法輪鮭﹂ 一巻の抽出別行に見られる。従来の聾者は通浸に﹁特法輪経﹂即ち﹁三描法輪檻﹂と解してをるのであるが、両 者はその名も異るが、その成立もその型も異つて居るものであることを特に注意しておきたい。 り 更に大正大蔵経でも赤沼氏阿含五臓錬でも、この雑阿今の一経を.直ちに巴利相應部の如釆所詮痙S・芦Ta− th茸atena言tt抑に相首するものと見倣してをるが、この如来漁法のテキストは、離二達庭中の中道立言が例除され てをらない原始建に廃するのである。随ってこの舶者は直ちに同一となして取扱ひ難いものである。 巴利相應部は五大舶忙分れてをり、第五締は大‖⋮富ahぎ叢gpと名付けられ、この鮎楯懐を含む巴利伸くi呂ya 鞠陀敢朝投法の研究 七 Jβ7
彿陀最初寵払の研究 の大品Mahぎaggpを想起せしむるものである。これは第凶十五の道相應呂agga−S2ゴyuttP 以下第五十六の諦 相應S⋮喜a畠myutt−に至る十二相應より成り、最後の諦相應は更に十〓部に分れてゐる。難阿合に於ても国許 ヽ■′ 9 教法 O l の類衆のうちに存Lて居ったが、今もこの諸相應の第二節が﹁特法輪品﹂Dhamヨ宍a夢名pa邑tana・く董ga と名付けられてをるのである。今の如来所詮経とはこの一節の初二経に冠らしめられてをる名である。相應部編 纂に際してこの一経を諸相應に編入してをると云ふことは、四諦誼即ち初枯淡輪と定めた啓開教相の行き方を示 すものである。巴利本は未だ中道室芦を附帯せしめてをるが、漠澤雑阿は諦相應の諸経を類衆すると共に、唯、 tヽ 三時十二行相の部分丈けを抽出してをるのであるから、初婚法輪経としては巳に原始型を失ってをるものである ことは前述の如くである。 ︶ 何故にかゝる重要至極なる初持法輪経が、四阿合のうち通常なる或は特別な位置を輿へられゃして、かく末尾 ヽ︳ヽ の部分に或は片隅に、而も後世的加工抽出が施された第二型のすがたのもとに片附けられてをるのであらうか。 予のこの研究は幾分その質問に答へるものである。今鼓に略言するならば、それは聾聞小乗の畢従の四阿合五尼 ●︳ヽヽl 珂耶編纂に際し、中道大量一一口を紀念する丈けの心構へがなかった事穿と.龍樹をして中諭を著はさしむるに空つ た.不二中道の大乗精神の横溢及び結晶との封庶が物語るであらう。 註 1、大正二、五〇三着b−− C。 慧、大帳〓、一貢a・−⊥0貫C。 門、大正∴ 七七五Ciヒ七八餌C。 − Jββ
三 説法節一挺と結集第一経の懐詮 ヽ︳ ヽl 何が彿陀最初の説法であつたかを見るには∵悌優に依るのであるが、更に集法即ち結集記事をも考察すべきで ある。 鮭律は必すしも結集の際に形態が始めて出水たものでなく、俳在世に於て巳に各比丘等によりて夫々印象感銘 詞承せられてをつたものもあつたであらう。乍併、結集はそれに整った形態を輿へたる横倉となつたのである。 結集の記事によれば、大迦菓が優波離Up巴iをして先づ四波羅夷の娃戒が迦蘭陀子須提邦Sudi岩?六已andaputtP の好行を機縁として吠令離く︹Sa−i に於て最初に制定されたと殆んど一致してをるのであるが、経に関しては法 護部Dh胃magupけa玖四l 分律の如く、党づ梵勅経・櫓∴・檜十・世界成敗経・恰砥陀軽・大因縁鮭・天帝樺間鮭 等の長阿分の諸経、次いで中阿・檜一・雑阿・雑赦の五阿合の成立をそのま1述べてをるものが多いのである。 4、寓︸写く㌢Ⅰ・召﹂衷﹁−㌶● 5、大正一、七七入貢a。 6、大正二、六一八貫al六一九貢a。 7、大正二、五〇四貫a −−1︶。 8、大正二、難阿合巻第十五、︼〇三貢、託九。 漠巴四部四阿合互開銀。五〇貫。二六二貫。三五三貢。 9、S・買付日rtメ呂ab㌣く品g︸︸PP・畠○−畠山・ 10、A呂an邑。叫Hどddhismby誉s・C・A・F・R−−yS Daエds・pP﹂声;ヾ・り夫人もこの経の取扱ひ方に就いて経典編纂 者の不笛を畳めてゐる。 剛性最新説法の弼兜 九 Jβ♂
彿陀最初記法の研光 一〇 ︶ ○▲ 即ち化地部Mah試saka偉の五分律は梢食紅の順序を異にする丈けで、同じく檜一挺・檜十紅・大凶緑綬・伶祀
・門
3 陀経抄弟経・梵動鮭等の長阿、次いで中・雑・檜一・雑寂の成立を告げてゐる。又巴利分別詮部くi旨各号 adinの小品Cu−1当aggaでは梵網経野ahヨ忠−?S誌a抄門果経Sぎa琵aphala・Sutta成立の乗庭盲id首aを以 ヽ/ ノー って例示し.かくの如き方法にて五侶村耶が成立したとなしてをる。かの屈尼母経なるものもこの形式を示して をる。四分五分巴利律の三者は代表的なるものであるが、何れも甚だ形式的に四阿含鎌瀬即ち五阿含の成立を告 げてをるに過ぎないのは何故であるか。滅後第一結集と稀せらる1のは、果して如斯ものであつたか如何か。 り 然るに故に結集記事として、右の代表的なるものと際然として興るものは、詮一切有部Sarく抑stiadi.︶俸の十 諦律の記事である。これに伐れば優波離の律涌出を終り、阿難は大迦菓の﹁彿修妬路初碓何虚説﹂と云へる間に 答へてT如是我開、一時俳在波羅奈・仙人任虎・鹿林中﹂と訴喝するや、五石比丘は皆下地踊距し沸零して﹁我 従併所、軸受見放、而今巳聞﹂と感激したと記してをる。次いで﹁是時俳普五比丘、是苦聖諦︵中略︶彿在波羅奈 、−−−1、、ヽヽヽヽ︳ヽ 図仙人任虚鹿林中、三輪十二行法輪己、是政是経名特法輪経﹂と、所謂特法輪経の全文を引用して居る。特法輪 ヽヽ 鮭のうちに於ける四諦詭は四諦各諦の説明の部分と、三縛十二行港輪の部分との二部に分けられるのであるが、 かの三碑法輪挺や、この十調律所引の枯淡輪経は、この墾一の部分丈けを払出したのである。明かにこれ予の第 二型に廃するものであらう。並び居る比丘達は感激したのは自然であるが、そのうちにはかの阿若悟陳如が居つ たのであり、彼はこれこそ自分が親しく彿陀より最初に聞いたものであると述懐し、感動の極彼は悶絶したとさ へ西赦悌は悼へて居る闇この十誠椰の記事は噂ろかの俳悼に於ける威造紛沈の記療と合するものであり、経典結 Jrプロ基の傲和知には相臆しきものであらう。かの代表的なる三棚頗稚の記番は.成立せる糊阿食瓦帽榊耶に放けるl 鋸 J ヽヽ 前述の如き初特法輪経の軽祓の事情と相一致するものである。 lt■ べ 更に摩討倍繊律ではまた全く別趣の記述となつてを少、阿難が涌出したものは﹁如是我聞一時併任鬱枇羅尾連 河側、菩提鼻陀薙﹂云々であ彗五百阿羅漢は虚蛋に上昇し、皆﹁我等目世軍今己言開﹂と唱歎し、悉く﹁南 無俳﹂と柄したとさへ加へて居る。次いで阿難が調出した﹁勤修習正受、見諸法巳滅、如法縦線超t離痴滅煩悩 云々﹂以下の四偽は、明かに繹脅威道内翫の縁起誼を詮いたものである。文句に小異を示してをるが、これは成 りり 道内観を説く五分律の三侶、根本詮一切有部屋奈耶横倍事第五の七侶と相一致することによりてこれを極め得る ヽヽヽ のである。かくすると檜砥律では結集第一経を初縛港輪経ともせす、長阿含等の詔経の一ともせす、寧ろ悌戚造 ︳ヽヽヽ▼ヽヽヽヽヽヽヽヽ の縁起観を記した俳俸の一部と見て居るわけである。而して四阿含雑赦の結集に就いては、全く四分五分等と同 じく文句長きは長阿、中なるは中阿等と、簡単に片肘けてをるのである。 乍併、この摩詞倍砥律の結集は、その経とつて結集の第二経と云ふことは旧来るが、それが最初説法の経であ るか香かと云ふことは、また別問題である。それはたゞ樺尊の成道が、時法輪に先行Lて居ると云ふ事案を示し てをるのである。 これ等結集の記事を判断するに就いて、次に龍樹の大智度諭に於ける俸承を引用しょう。龍樹は般若諸経の見 l一 q︰ 方に立つから、初韓法輪を般若詮と見倣すのであるが、他方彼は有部等の俸承を引用するに息賓なる場合が多々 ︶ l、 あるのである。大智度論懇二に繹含の淫塑た際し令法久住ならしむる薦め、大迦溝が阿惟に﹁怖初何鹿語法、詮 彿陀最初説法の析兜
伐陀最初記法の研究 11 9▲ ﹂二 何等法﹂と問ひたる答に﹁如是我聞−一時彿在波羅校閲仙人鹿林中、馬五比丘詮、是苦聖諦、我本不綻他聞、法 中正憶念、得眼智明覚﹂と所謂予の描法輪経第二埋を諦出せしめてをる。次いで智度論は﹁是経是中臆贋誼、如 ︶ 、、I 集法経中間説﹂と記して居る。この集法経と云ふのは﹁集俳誌蔵﹂の意で併浬柴後の第一結集の記事を指すので ある。 この事は、四分草分倍砥十涌に通じて、集法或は集注批尼と云うてをるのに督るのであつて、その集法経中と 云ふのは集法経と名付くる一挺が阿合のうちにあり、それを指すと云ふのではないのである.智度諭が故に指す ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽ 集法経なるものは、前述せる十調律の記事であると考へられる。これは十調律の御諸に閲係の深い羅什の掠もよ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ●ヽヽ く興り知って居ることである。十調律では、第二型坤法輪鮭の全文を載せてをり、智度論引用の文に引培いて、 囚諦二画十二行法輪の説明と.阿岩恰陳如の得法と地紳及び諸天の樺尊初相法輪の放聾且俸を詳述し、故に足軽 を時法輪経と名付くと結んでをるのである。 ヽ■′ l 龍樹は更に少しく後に併浬奥の記事を詳述しT俳聖師子王、阿難是梯子、師子鹿慶坐、観衆無有休。如是大穂 ヽヽヽヽヽ 衆、無俳失威紳、如蛋無月時、有宿而不巌。汝大智人誼、汝俳子宮演、何庭俳初誼、今汝雷布現﹂と、阿難を勧 ヽヽヽ︳︳ヽヽヽヽヽヽ︳lヽ 請せる大迦喪の偶に封し.阿難は一心合掌して俳浬奥の方に向ひ、﹁俳初説法時、館時我不見、如是展持聞。彿在 、−、、− ヽヽヽ 波羅奈、彿雷五比丘、初開甘露門、詭開展諦法、苦集滅造諦、阿砦惰陳如、最初得見道、八萬諸天衆、皆亦入道 迷㌧長調岨したとなして摺る。これは初陣法輪経を予の準一型に於て偏に纏めたものである。次いで千阿羅漢は一 皿戯を開き鹿経忙上井し.槽﹁咽無骨JJ太、如朋輩眠兄仰説法、今乃言我闘﹂と言ひ、次いで述べた﹁我見仰身 Jクβ
︳†︼■︳ 書︳︳ 州云々﹂ 聖識偶と.阿浬版寓山⋮偶及び大通鹿浴二ぬ斬新用し.紹ぶに﹁水泡塵語阿難.従順淡輪終.至大般浬 朋 イ一l 紫、雛作川阿合。均一阿合・中阿合・長阿合・相應阿含、是名帰航路洗舟Lを以ってして居る。この龍樹の結集 に踊する記事は、十調律と一致するものであつて、結局、最初の説法は四諦詮相法輪経であり、また最初結集の 経もまた同じくそれであると云ふのである。相法輪軽から大粒浬単に至ると云ふのは、俳一代の始終に亘ると云 ふのであ少、四阿合を拳げてをることは他の待と同一であつて、梢∼常時に於ける形式を整へたものであらう。 要之、結集の記事よりすれば、凡ての記録に通じて川阿含を馨げては居るが、それが第一結集の時に成立Lた ヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ とは言はれぬから、農相に近いものは、十詞及び智虔論の特注輪及び、摩討檜祓の成遺観の両者を含む俳博に順 ヽヽヽヽヽ︳ヽ︳ヽ︳ヽヽヽヽ︳︳ヽlヽ する諸教詮が.先づ結集されたものであらう。その時の涌出が、先づ律・併偉・諸挺のうちに散在する休債記事 の基本となり、それ等の場所の天女に因縁が示されて、それ等敬語が夫々また経輿として漸次纏められ、更に共 時具慶異人に封する、同一教條の布演解鐸或は其れる詮明法等が、夫々誠出せられて来たのである。かくて同︼ 教條にも、稜々の類型異型が集柿せられて.相應部編纂ともなつて行ったものであらう。それらは彿陀最初敷設 として更に研究しやう。兎に角、今は結集の記暴よりしても.最初説法とは所謂初特法輪経であり、而もそれが ,−、、、、、、、、、− I −−、、、、−、、 ︳−、 ヽ ヽ ︳ ▼ − ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ︳ ヽ t ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 中道宣言を削除した第二型が定型となつて流行し.龍樹もこれを明瞭に、承認して店ることを知るのである。 註 l、巻五凹。列六、五一貫右。大正、二二、九六八b。 2、徐三十。慮二、六八貫左。大正、二ニ、一九㌻㌔ 、ゴe≦nPya冒aka計iロHポーiヽ○一計n訂−g︸J、諷ⅠⅠ・C邑aさgga舛ト︻・00・P・誓ラ 3 伸陀敢勃龍法の研究 一三
四 俳優の狸と初棒法輪経 十調律・摩詞伶砥律。大智比論によりて、一方成造・博法輪。檜伽成立を中心として描かれた簡素な仰倍が先 づ作られ、他方大智比論が記す如く、大股浬撃糾後のH水事を中心とする仰悟が、党づ滅後の弟子達の関心焦鮎 ヽヽヽ ヽヽヽヽヽ であつたと考へられる。前者を恨りk俳悟第一型、後者を第二型と呼んでおく。而して、これ等の怖像に薔著せ る渚踵m激流が夫々細めて博承され∵漸ぺ経典の教が増加し、その外特殊重磐なる場合の教企も漸次大々因縁 2.針Eが附せられて舘に雄易J、化粧肌が‖米て東た州でれらうい 彿陀最初説法の研究 4、省三。塞九、一五京宥。大正、二凹、八一八㌔ 5、巻六十。張七、二四賞左−1二五日右。大正、ニ三、四国八hU・・・−四凹九㌔ 6、巻三二。列十、三三貢左 − 三川頁右。大正、ニ二、四九一C。 7、省一五。張一、八九貧左。大正、二二、一〇三㌔ 8、寒三。二三京左。大正、T一冊、︼二六ab。 9、省一。往一、九試着。大正、二五、五八〇㌔ 10、往一、一七責右。大正、二五、六七a。 11、集法とは集法政とも弘法毘椙或は柿焦三荻法品とも言ふのである。 ︳ヽヽ A、煙雨付紙符節三二。列十、三二賞右。﹁キ吾比丘張法政﹂。大正、二ニ、閏八九C。 ヽヽ B、五分律節三〇。張二、大入餌右。﹁第五分之九、五官集法﹂。大正、二二、一九〇b。 ヽヽヽ︳ C、四分律節五四。列六、四丸右。﹁範囲分之吾集法枇尼五官人﹂。大正、二二、九六六C。 lヽヽヽヽ D、十諦符節六十。猥七、二二左。﹁五育比丘結集三薦法=⋮餅l﹂。大正、二三、四四五C。 12、往二。一七寅右左。大正、二五、六九b。 JJ7・J
ヽ︳’ このうち普がや圃の研兜の郡∵僚削&乱す棚檎は第一型に臓しlそのうちでも澱も原始哩教恍つてをるも再を 川舟仰宜′リ・‖﹂用人晶ゆ脳椰糀僧都・揮摩耗・巴刑現北緯り㌦ム他でわつて、初期の面影 伏川す為のであるJワイーは ヽ■︳ヽヽヽ が多いものであり、本研究のm日たる戒遣説法掘伏に関する限リー致する凱は多いのである。その他大智庶諭・ 中本起・方廣大荘厳紅①過去由在囚裏蕗・仰木行紅・衆詐捷討帝経・増︸阿含高悼品の一部等も、古き憶承をち りばめてをるから参考となるものである。 ヽヽヽ︳ これ等のうち律部の彿悼は.破何事を除く外、皆受戒軽度k編入されてをるものである。何故か1る部分にあ 、 ヽヽ ︳ヽ るのであるか。これは彿戌潰及び相法輪に伐りて、伽と法の二畏が成就したが、恰陳如以下の比丘等の鐸蔵元誓扇− 、、、 −ヽ、−− ヽヽ ヽヽ 日豪p旨b]jj二受戒up崇amp注ごで伐たなくては恰伽の成立がなくご蜃の具足はないからである。而して律その 、 、 − 、 、 、 、 , l 、 − 、 − I 、 、 ヽ 、 − t − 、 、 、 、 − 、 ヽ ヽ ︳ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、 ものは椚伽の規定に外ならないのであるから、その僧伽の敢初む為す録礫受戒具足の凶緑蒔こそ重要至極のもの ヽヽヽ である。かくして各種の廣律が、硯㌃二にして、その受戒経度に俳悼を載せて桁伽成立の事情を述べ、またこれ に依って悟承の靴威を糖さしめるのである。随ってこの成道相法輪の比丘膵依受戒の記事が、各位の律に於て大 ヽヽヽヽヽヽヽ 醍一致し.また古色を保って居る桝以も明かとなるであらう。就中、比丘達が日常生活に見聞せる出来蒋の記事 である程相一致し.その事許なることを示す傾向にあり、それに遠くなる程着色が多くなろ似であろノ輿者はよ ヽtヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽtヽ’ヽヽヽヽ’、▼ヽヽ、、、−、 く博承の成立及びその昔養を汲み、テキストの編※と博承の成立と■を直ちに同一に取扱はぎらんこと・γ一要する。 ヽ′
l 根本盆一切石部枇奈耶吸付事に偉ける仰博は、前串党或感度にある記事程普く知られてゐない。受域は軟風成
ヽヽ・ヽ . この破壊も甚 立m條件で動品が峨附違∋g訂rhりPげ結納州嘩螺であ埠り前骨い成立が拾せ東七貼元とすれば = 初打 JヱJβ珊陀晶朝龍漬の研究 ︼六 だ重大事であるから/で﹂に俳悼を引川して.その重要性を反映する意園にあるものと推せられる。 ヽヽヽヽヽ これ等、豊戒・嘩櫓m蔑めに廣律中に合れて屠る彿悟.及びそれに順する辣摩経や聖求挺の彿倦は、併俸第一塑 に魔するが、こm第一型抑傭偉は、大鰻山家・苦行・成道・説法、及びその後二三年の俸遺に亘る臓依受戒によ る恰伽の成心北端大の情況と、菩薩としての樺尊の前生・豪語・幼時の記事が、附加荘厳せられて居るものである。 ヽヽヽ 随ってこれは彿倦第二型として饅達せる淫楽前後の他の併博を快いてをる。而してその炊いてをる事案は.その ︳ヽヽヽ 成立事情を自ら物語ってをるのであるが、故に耐者を結合して、彿陀一代を含む全き意味の彿伶が成立して来る ︳ヽ︳ 順序になるのである。これは彿偉としては、第三型と名付くべきものであ少、比較的時代が後れるわけである。 今は彿俸全部の研究を焦すのが目的ではないが、かの彿本行経七省三十言叩、俳所行讃五巻二十八品補訂本の如 きは、誕生因縁より浬輿分骨に亘ってをり、この第三型の代表的なるものであわ、本論文の眼目である棒法輪に ヽ︳ヽヽヽ ヽヽ︳ヽ 関しては、前者は第十五品に相法輪品を、後者は第十七晶に度五比丘品を宿してをる。また中本起挺の如きは二 ヽヽヽヽ 巻十五品であるが、相接輪品より筆を起して節食店番品の唱整に至って居る。更に普曙経や方廣天貼厳経も.夫 ヽヽヽヽ ヽヽ︳ヽ 大本問題に就いては、拘隣等晶第二十凹或は描法輪品第二十六を有してをるが−何れも渾奥の第二型を含まず、 第一型に巌するものである。特に修行成遺摘法輪受戒の事質的記爵よりは、樺舎を菩薩出Odl計巨岩としての本 ヽヽヽ︳ヽヽヽヽ 生謬に力を入れ、各弟子達にも夫々因縁謬を附して、方便示現・方便度生の意義を深からしめんとしてをるので ある。仰木行雄鮭の如きはパ十巷パ十品忙塘属してを∵付が、浬解品がない出であるから、矢張り、伸博たしては ︳︳︳ヽ 節︼型に脇するも闘である。火醒この梯の仰條は過去前鮎に力を入れ、浸鍵附紀琳の如きは問題として敬らぬわ 封岨
であらうひその代=′この浬盤前後を以ってする第二型彿博は.大小乗各和の浬輿経文拳として畿建を遽げてむる 即 事貰を顧みるべきである。 〈ツー ︳ヽヽ 更に俳偉と解するもの1なかには、修行本超経太子瑞應本担経の如き一度五人の記事はあるが、一向描法輪の 問題を明確にしてをらぬ、晦溢にして不出来のものもある。馬鳴A晋aghO朝pの彿所行潜二賢dd訂岩巴士al軒くyp ︶ の如きは、第三型に屠する卓越せる彿俸であるが、常時多くの諭師達が、夫々に彿俸を集成したものらしく、愴 伽羅剃Sa浄gharak朝aにも併行経があ少、堅慧S旨amatiの入大乗論によれば、﹁婆留枝比丘俳本行﹂も布せるも の1如くである。俳本行集経によれば、大衆部では﹁大事﹂、有部では﹁大荘蝦﹂、迦菓波部では﹁生因縁﹂、曇無 徳部では﹁樺迦卑屈彿本行﹂、化地部では﹁属尼減収本﹂と名付て、夫々俳俸を流行せしめてをつたらしい。随つ ヽヽヽヽ て、異色のあるものも生じて来たのであるが、かの普曜紅の如きは、国許八正道中道を詮かす、十二縁起を以っ て初時法輪となしてをる程である。 ヽ︳ヽ︳ヽヽ︳ 乍併、古色のある諸悟は皆、特法輪語法としては中道・八正道・国許を併証して、よき原始型を保ってをるの ︳tヽヽ︳︳ヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽ︳ヽヽヽヽ︳ である。たゞこのうち特記すべきは前述せる中阿含の薙摩紆が、樽法輪の二部に中道八正道を詮くが国許誼を略 ’▼︳︳ヽヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︳ ヽ L、巴利の聖求経が、その四諦詮のみでなく、中道八正道をも省略してゐることである。更にこれと反封に増一 阿含の高障品では、中道の室一日及び八正道を略して、四諦三輪十二行法輪を以って軸法輪とするとなしてをるの ︳ヽヽヽヽヽ は、巳に新しい国許型に従ってむるのである。この新しい型に依って樽法輪を解躍する所謂塚聞四諦一一編埋なる ものは、前述の如く轢阿合の﹁時法輪経﹂によき例を見るのであるが.更に﹁手樽法輪舵﹂の肌弟拙州に迄わき 価陀蔵初紀法の研究
ヽノ ″ 仲代叔勧説ほの軒先 ヽ.ヽ っくのである。この大潮冊帖刷侶に墜㌦壱のは甚だ多いので・れ︰勺が.小山情鵡艮論客軍ハの聖諦晶第十の如きは適 例である。たゞこ禦冊で蛙、普通四詳説法が八苦等による各諦の詑明Jい≠㍉し.次いで三博十二打法輪となるの を逆に.二怖十二柑州を北きにする説き方を示してをる。その他根*石部描か耶・昆京耶郊事こ必窮屈・仰木行経 等は、相法帖に踊する眼力、必ず皆四諦三相十二行法輪を抽出すろ環別型に屈してをるのである。かくしてこの 啓開型が定論となつたことは、中道宣言が相法輪より何時の問にか排除された尊貴を物語るもあである。 ヽヽヽヽヽ ヽヽヽ かく初捧法輪紅の研究には、その封背光撥縁よりして、或は鹿五比丘品、或は批初得法者の名に因んで拘隣品 ヽヽヽ と為されてゐる場合、更に詮法の内容土りして囲諦〓⋮となつてをるものもあることを顧慮せぬばならない。而し てその大部分は以上の如く、囚諦啓開型を示すのであるが、増一阿含の弟子品の如きも﹁爾時世奪、告諸比丘、 ヽヽヽ■ヽヽ︳ヽ ヽヽヽ︳ 我馨聞中第一、寛仁博m華難拗化、酵素聖衆不共成儀、所謂阿著拘隣比丘是。初受淡味思惟囚諦、亦是阿若拘隣 ヽヽ 比丘﹂と記し、囚諦誰杓隣品の好き一例である。 ■玉 露毘 l、赤沼智喜氏の螢作﹁匹巴四阿分亙開銀﹂紀歳のものを補ひたい。 2、刑稿﹁隼喩者.大徳法救、立受、喩㍑論の研究﹂日本沸教撃協愈年報節一年。一入二託−−一八三氏。 3、秋凹、二三餌左∼−二五京左。大正、二六、四七九千ー・︻凹八〇ユ。 4、A、根本有部昆奈耶第二十一、偶☆賢慮狛二。﹁此是上匪阿若橋撒如班佳之鼻。︵中略︶ 爾時世慄初成正俊、以以仙丹埴 、︰・.、〓。
。、悠二〝
L肯む ∼巨
篤開法眠、∴抽法輪分化ハ酵附、於㌦冊槻鳩′r両∴は滝上= ノー 1ぺ位㍑帖吊衆、成無上捏︹ ‖巨頼ん巨万り臣.︸㌧け、三腑十∴打法輸、制諸撃 封、恥部Ⅲ人吊耶伽服姉㌦Lm﹁粧け特技∵. ”=、い∴#トり=り 彪。し爽二、八二㍍右。大正、こ川、ェ丸正b。 ヱ仇らC、布部旭l竺、不翻押印鹿︰兢膵情紺㍍明冊勅人望茂雄林申・描誉冊情成規超丘、三摘十三打法輪.山根十、二 雄 =h n ㌧∴㌧、ご.L山 武宥。同根折八、輿非熱心離拡散訳川鹿情四、削い、冊 p、柳本石碑覇凹≠庶五比丘品節十七、﹁告⋮田崎、連動酢m、明達四諦、以是四諦、成典五人、三明解脱︰⋮・鬼紳倶嘆、 鱒上法輪⋮⋮其初始棉法輪之時、僻以廿一路先飲五人翫使衆珪、速特法輪、如彿≠¢、記法庶人﹂大正四、七九餌b。 5、噂一阿倉巷節三、弟子品範凹。大正、二、五五七㍍a。 たゞ別行の阿羅漢典徳紐は﹁最初悟道梵行解一、惰藤如華鋸整。大iE.二、八三言‡。と焦すのみであり、甲斐部 A∴芦︼∴巴∃.ぎ︸.Ⅰ.p.箪 の第一比丘品E−い㌣gg宇ぎggPも﹁法蹴節一なるほこれ阿岩惰陣如なり﹂r。th別口す。㌢ yadida㌢A桝田akO且a禦訂と云ふのみであつて、四諦寵には陥れてをらないことを附記す。 五 初相法輪粍と阿育王時代の彿教 漢詩では、石部の大屋婆沙論や龍掛の大岩鹿論その他多くは、初樽法輪或は初相法輪経と﹁初﹂を附して用ひ ヽヽヽヽ てゐる。更に上述の如く結袋記事によつてもこれは最初説法の経机ハとせられてをる。然るに現博の経は﹁相法紆 経﹂であつてー初梼法輪経ではない。巴利でもD訂J旨⋮k打宅誓a旨nPと云ふ丈けで、必ずしも初−a音mpを 附した術語が用ひられてをるのではないのである。 ヽ︳ 鐸奪は.菩提樹下にb。dhirukklJ賀巴e初成正覚p与ama・邑計1き已dhaせられて後、長き白受川法楽のう ヽヽ︳︳ ちに﹁最初党づ何人にその法を詮くべきか、発して何人がこの法を容易に知ってくれるであらうか﹂雷ssa。u khOa︸la首pa昔mPきd訂mmaきdeseyyaき︼ハOimanニhaヨma−Fkhipp誓−e昌葛nissatiと思惟し、その結彗 先づ嘗て修行を址ハにせる五人の友人同志の屠る波薙奈出訂.首as叫に至って無上法輪を摘重ん、或は法輪を碩ぜん 馬めにd訂mmacPkk已−pa邑t誉m我迦戸の都に行くと、決心せられたと俸へられる。この総は、かくして五比 彿陀鵡初躇法の研究
ヽ _ 二〇 彿陀最初記法の研究 ヽ▼ヽ︳ヽ ヽ■●ヽ 丘の薦めに樺尊の始成・初成・始得即ち最初雇覚に應じての最初の語法である限り、これを初持法輪経と名付け ることは安常である。結集に雷つて、阿難がこの経を訴出するや、各比丘は感激し、阿苦情隣如の如きは悶絶し ︶ l たと造言ふから、城後の彿弟子には特に感銘の深いものであつたのである。而してこの経が、善見律鬼婆抄Sal mantap抑s邑ik抑第二に依れば、阿育王常時彿法宜俸の薦め、語長老が諸方に遣はされたと云ふ博詮に関係してく るのである。そのうち北方印度方面の関数には、未聞掟Majjhantikaが厨賓堆駄羅内a仙m叫TGandh旨aに、摩討 勒棄多Mah腎akE−itaがギリシャ植民地なる嬰郵世界YOnalOkaに、末示摩M畳himaと迦某波田assapPが雪 山遼ロimぎ旨t苧padesa−霹靂.aに遣はされてをる。而して、雪山蓮の関数に従事したものは、末示摩の外に、迦 ヽヽ︳ヽ 要因assa竃gOtta、提婆A一a訂deさ、純度帝須D自dubhissaTa、掟婆Sahade昌の四人もあり、何れも初時法輪 ヽ︳ヽ 脛を歌いたと云ひ、そのうち特に末示摩が初樽法輪経を説いて感化した事蹟は、侶を以って諦唱せられてゐる。 ヽ︳ヽヽヽヽ この書見律の記事によりて、我々は北方印度地方には、卑き時代よりして、この韓法輪軽が已に別行抽出せられ て流行してをつたことを知るのであ少、上述の如くかの詩経沙門の初頭を飾る安息固沙門安些向の詩経のうちに、 この相法輪経一懇を見出し得るのも、また深き因縁あ少と云ふべきである。 たゞ予の故に興味ある問題とすることは、末示摩等五人の大穂が、雪山遼に偉播した描法輪経の型は、果して ヽヽ︳ヽ 何れの型であつたかと云ふことである。安世高脾来の樽法輪経は、明かに中道遺言・八正道・四締詮を具足せる ︳ヽヽヽヽ 原始第一型であるから、それより早き時代の末示摩等の幡法輪経も、多分この原始型のものであつたかと推測す るのであるひ β〔〃
こ甲推測は必やしも木口然のものではないが.故に一往職膿を梯はねばならぬ他の問題がある闇而して・これ は特汝輪紆の中道原始割と囲諦三樽型との帥係であつて、本論文としては、中心問題に解れてくるのである。末 ヽ▼︳ヽヽヽ︳ 示摩の関数も、阿育王の沸教に連綿するものであるが、阿育王の彿敦研究には、更に阿育王法勅刻文に依ること は重要なことである。阿官主の法勅のうちで、カルカッタ・バイラートCaぎ完守家r忍法勅なるものは、王が ヽ 法を久住せしむる薦めに特に七種の経典名を奉げて、在家出家の四衆の望息を喚起してをるものである。その法 門dhamma・pa−iy耳賢こそ、阿育王常時の彿教を知る確箕なる事懸カとして、従来甚だ珍重せられてをるもの り である。その七経とは、毘奈耶に於ける最膠︵法詮︶≦naya畠mukase、空寝︵経︶Aliya畠S畳、督来怖畏︵控︶ A。抑gat苧宰ay賢、牟尼侶M。niよ聖訂、寂獣行経M。neyaふ巴e、優波帝沙間︵軽︶Upatisa・PaS訂、かの妄語 に関して薄伽梵彿陀の詮き拾ひし詑羅腱羅︵軽︶eLp.gh已。品dem邑∫品damadhigichyabbaga邑抑宮dd訂ロa ︳ 3 b試si打である。 ヽ.ノ 先づ﹁阿育王刻文﹂訂cr官OnSO;sOkaの大作を英国政府の手によつて出版したフルチエE.Hultzschの 記述によれば、このうち第二・第三は檜支部、第四・第五・撃ハは巴利経集、第七は中部のうちに、夫々相常経 典の存することが、ダルマナンダ・コウサンビDh≒m⋮nda芥OSambiによりて報告せられ、第宗米国のエド ヽJ ヽヽヽヽヽ モンドA・l・Edm。。dsの詮によれぼ、初樽法輪経であると云ふのである。然る軋ブレザー博士は節義二を脛 ヽ−ノ 名と見るべきでないと反封し.而も第盲≦︸−2ya−Samu村amsOであると訂正さへされてゐる。昨年﹁彿教思想 5 史﹂を出版したエドワード・トーマス氏Ed喜三・T−岩maSの如きも、未だにエドモンドの雛足詮を探川して 蹄陀萬勧説法机研死 β〃J
伸陀最初説法の研究 り 二二 り をらない程である。更にリス・デブィヅ夫人は二昨年出版したその﹁帖教授要﹂のうちに、ぎ︼童≡呂u訂seを 単に2Sti邑iOnOrtI−2Ru−2Sと諾してゐる。これは波羅捉木叉冒−imOk芋蔓imOkkhPの尊重と云ふ位の意 味であらうから、オルデンベルヒ等と同じく、四諦の教諭を指すとなす詮を探ってをらない事は研かである0日 り 本では、和辻博士はその﹁原始沸教の賞践哲学﹂にーバアブラ字a一︺ra即ち今のカルカッタ・バイラート阿育王 譜の七経の推定に際L、リス。デゲィヅ及びオルデンベルヒの諒と共に、他に大品初相法輪となす誼のあること り を紹介せらる。更に宇非博士は﹁印度雷撃研究﹂靖国所載の阿育三刻文のうちに、何を指すか筒未だ明確にせら れないが、忘には律祓中の大品にある初相法輪を指すともなし、臼らもこの初摘法輪漁に賛成してをられる。 両博士が一説として紹介してをられるのはエドモンドの詮であらう。 このsamt一kaseは、巴利語の弘ヨl寿賀SikPに通すとなされ、この語はぎdd訂na−阜sどtl芹a⊇Sik︻1・乙Fmnla︼ desan抑として用ひらる1常套語であり、川例も殆んど律¢阿合に通じて塑となつてをるものである。即ちat訂 ヽ/ y抑buddh旨.邑sぎuE打⋮霊ik=.h冒m〒des⋮−t旨p鼓sesi︰du蛋Jaり︷=aml己宅診−告OdlJa㌢maggam・﹁か ∩ノ ヽ︳tヽ くて︵婆伽梵は︶仰陀の最除法詮なるかい苦集減損を説き拾へり﹂の章句に看取せらる1如く、それは四諦説法を
ヽ■ノ
指すに外ならないのであ一る。而してこの川例は≡ぎく・∽・李朝めとして、貯阿巻十川●第二十純阿璧還 ︶︶
0 D・N・㌢Amb書手芦岩t什a、中l阿彗章一。第三三終暖波離経ぎN芦1J−︶芋su−tP等にも用ひられて居るも 、、、、、−、、、、∼ 、−、−、1、1、−−−−−1−ヽ 1 ヽ−ヽ ヽ’ヽ ヽ ヽ ヽ のであるが、巴利の≦巨yP大口⋮のうちに現れるものが、口下の間組には鼓も過して揺るものである〇その例は、 耶倣欝sa抑仰因豚m紀亜爪霊監ヤー誓こきr浜いニ∴・Wこ・加・だそ石神に於けるもぃでlサが上に帯川し捏如 ⊥■rlソ_ き文机であ亀。サ試みにこれを藩躇の明津に卜棚板こ軋脇た、砥冊調は﹁里吋瑞瀧〓匪ン㍍佃、叫誹芳墨減追里沌∵ 呵 ︳ヽ 五分律は﹁俳偽証種々妙法示教肌‡、攻詮四諦串仁遠道﹂となしてをり、大概正味は通するが、四分律はこの文 、、 、■、−、、、、、、、、 に常るものなく、それらしきものは﹁世尊漸異説法、瑚令輩歓藩心、桝謂法者布施持戒生天之法﹂二。商略世尊. ヽヽヽ ヽヽヽ■ヽヽ†’ヽヽ︳ヽヽ 漸次輿論扱妙法勧令我欲苦心﹂、﹁漸次篤詮駆法、駆法者布施持戒生大之法﹂と云ふものであるが、それーを囚甜と ヽヽ なさす、通常﹁花論・戒諭。生天之論﹂と云ふ阿含小乗に於ける紹彿骨法に直き換へておることは、全く異例で ある。≦nPyPの英薄着はこれをきe︸二品︼烏e乙完d己l︰蒜ist訂pこ宍i℃a︸︹︷。Ct。1・iト㍍。=訂空ddぎこ蛮記ぎ m Su芳ringこheCa誘e〇二肌亡詩ring、t訂Cess巳iOn︹一叫S已好i︸︺gこ訂勺邑︼・となして居る。今これを長阿及び中阿 の漢語に照すに、諾文は金牌とLては正確でないが、前者は﹁詔俳骨法﹂と課し、後者は﹁諾仰研詮正婁﹂と鐸 lヽ して居る。以上にて、大鰐この ︼山己d訂−a計sビゴニkk2鼓k㌦dぎ喜已es2−抑 の怒味は誰語こそ犬芸北ハれ、最肪 ︳ヽ ヽ︳ヽ︳ ’ヽt 法訟或は重要説法と諾してよきものであり、明かに己れ四諦■祀を指すものであると馬してよい。依って今はこの ヽ’︳ヽ︳’つヽヽ︳ヽヽヽ︳ヽ,ヽヽヽ くinaya大品に於ける川例に囚んで、刻文の ヨnay?S賀ukaseは、耶合及びその家族に説かれたる四諦わ詮法 ヽ︳ヽヽヽヽヽヽ︳ に伐ったものであると推定しておくのである。縫ってこれを直ちにエざ普ンドの言ふ如く、毘奈耶に於ける初相 法輪経と決定することは、必ずしも直ちに正しいとは言はれないのである。厳密に言ふならば、阿育三をして印 ヽ■′ qU て▲ 簸せしめたのは、耶合録仰等の記事であつて、そこに見出した最防説法としての四諦詮が、≦1呂y?S知m仁kaっeとし ︳ヽヽヽヽ︳ヽヽ︳ヽヽヽ●ヽヽt て指摘せられたのであると推定するのが、寧ろ揖笛なのである。勿論それは一九比丘に封する初描法輪陸中の四諦 詮の使緩か或は布術に過ぎないものであらうから、これ・牢凋漉すれば、モハ最嘩読む胡博法輪申た見血し得ると 彿腑‖附加冊拭∵仇宜 ソり
価陀最初記法の防究 ● 二四 論断することは出来るのである。乍併、それは直ちにこれを初描法輪経なりと推定する理由とはならないのであ る。かの阿育三は、五比丘に封する初棒法輪挺の記事には打たれすして、却って耶舎の出家辟俳の因縁に感動し ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ●ヽ︳ヽヽ︳ たのかも知れない。換言すれば、五比丘の如き全くの出家修行者とは異りて、常時未だ在俗なりし純虞の青年耶 ︳ヽ︳ヽ ヽヽ︳ヽ 舎の踪彿、その父母の養家信者としての三辟五戒による辟彿因縁こそ、阿育王の心境に訴ふるものがあつたかも しれないのである。小磨崖法勅に於ける恰伽に近づき云々の文句を基とし、阿育王が字ikkh〒gatikaとなつた と解するものと、然らすとする詭とあるが、今はそれに道場れてこれを解樺しょうとはしない。兎に角、四諦詮 を指すことに雨着相一致はしても、これを耶合辟彿因縁等の記事とするは、S︼−ayaの文に密着して居る解樺であ 少、直ちに特法輪経の一節とするは、盲一定き換へての解樺であることは否まれぬであらう。加之、一歩譲って、 ヽヽヽ それは五比丘に封する挿法輪経を指したもわであると仮定するならば、何故簡単明瞭にして而も最も重要なる・ ヽヽ︳ 特注輪Daham巨Cakk眉pa邑t賀aなる語に依って、これを引用しなかったか甚だ了解に苦しむのである。更にこ の語を用ひなかったことは、常時未だ柚法輪経が一挺として別行抽出されてをらなかつたと考察して見る必要が ぁるけれども、これ望苧ろ、前述の末示摩等五人の大穂が、雪山遼に描法輪経を弘通したと云ふ憶説を尊重すべ きであらう。 以上によりて、阿育三が﹁四諦詮﹂を尊重した寄算は明かとな少、随って後世茶々、四諸説が俳陀教詮の最も ヽヽ 重要なるものであると云ふ傾向が、巳に故に兆して居るとも見られる。或はこれは比丘啓開の教固には巳に定説 となつてむつたもわが.故に反映して居るものかも知れない。兎に角、この傾向は、印和洋輸鮭即ち川諦∴相法 ガ〃4
︳t︳ニニlヽ 輪経と兇倣す、予の所綱筋二翔輝閉脚㌫∵敷相の磯嬉と併行してをるので教ると、羞ふことは輿準る。縫ってこの 時代に就いて水問題に蝕して富ひ得ることは、中量八正道四諦を含む原始型の初柑淡輪継が常時流行してをつた が、四諦三持説の第二型も、巳に一般敦界の定詮になつてをつたか、或は少くともさうな少つ1あつたかと考へ ︳ヽlヽヽヽヽl’ヽ られるのである。前引せる四諦鼓膠詮の常套句が常時巳に出来てをつたらしい寄算から、靭樽法輪畢初論法釦ち ヽ ︳ t ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ▼ ヽ ︳ ヽ ヽ ︳ ● ▼ ヽ ヽ 四諸侯勝詮となす定説も生じて居ったと推定される。 、、、、、、、、、、、、 −、−− 、 I I 、、、、− −、 l 、−、、、、−− ヽ ヽ ヽ ︳︳︳ ヽ ヽ ︳︳ ヽ かくて中道の大量告が漸次﹁最初敷設﹂より押し出されて、四諦三韓詮で一杯になつてしまひかけて米てをる。 、、、、、−、、、、、、− 、−、、、、、 I 、、、、−、、、、−、 1 ヽ 、 1 ヽ ヽ ヽ − ヽ ▼ ヽ ヽ t ▼ ヽ ヽ 而してこれがやがて革新遠源・大本回復を念とする大乗不二中道精紳の勃畿となり、客間撃徒の形式塾実の法数 −、、 、 l − 、、 −、、、、 −− I 、、、−−、− 1 、、 l 、、、 、、、、−︳− t ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ 法相教相主義・訓話煩蛮の撃との封択抜辞に深められて行くのであ少、龍梯に至つて捕者倦耽の調和が幾分賓現 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ せられたのである。かの﹁根本中頭﹂の組織はよきその例である。 −王 一宮■ l、塞八、十賓右左。及びSam呂tPp㌣pp・笥●宗● 2、七経の評語は字井博士の印度菅野研究に依る。第凹、三二西京i三二大貫。 3、Ⅰ崇Crlpt−。nS O︻AsOka・2ewEdi什i。b−byE・HultNSC㌢○‰。rd・−箆P p・−可P FOOtnOteI● 4−ロPS Edikt言n出訂b−a︼言n MlパW邑ese−︶H・eipNig・ご嵩器・
20Ch︸ゴ已∼das Edi打t言n出babra、言n MPH Waueser、IHeidelberg■−¢崇●
5、 ア、 9、 1、 1 .ヽ i
彿陀‖揖勧説法の研究 Tbe昌stOry O︻ぎddhi裟TbO亡gぎーbnd。コこ岩野p∴芦 6、A冨an邑。f宮ddb訂m−どnd。nこ篭柏・P●豊野
二十三賞、訃二十四。 S、三二五 − 三二六貫。
D・芦く0−・:・p・ご0・大正一、八八貫a。 10、大正一、六三〇貢C。
芦芦く。r I・p・崇P ㍑、≦nPyaく。i・H・p・芦 13、破俗事静六。撃ニ、二大貢右。大正、二田、−二九a。
五分律解十五、張︼、九一票左。大正、ニこ、l〇五b。
拍、四分律第三二。列五、九貢左及び十京右。大正、ニ二、七九〇ab C。 M、S・U・H・ぎL崇HI・ゴnayaTeユsp邑Ⅰ−rPロ㌢−edbyT・W・R首Da象s紆Ⅰ訂rmanゴ○︰倉nberg・P﹂芦 叩、A、D・N・∽・Amb琵l−a・S芸a・くOL I・p・ロ〇・ ヽヽヽヽ 玉、長阿容十四餅二十経、阿靡董経、﹁如諸彿骨法、詑菅撃諦集聖諦菅滅聖諦癒出要諦﹂。大正一、八八許右。 C、M・宅︰岩・qp呂−Sutta、dO−・H・P・訟〇・d〇・ ヽヽヽヽヽヽヽヽ D、中阿攣二十二、第一三三経俊婆離経、﹁謂如諸彿併記iE要、世舎位銘被お菅築城迫﹂。大正∴六三〇茸C。 lS、五分破倍率巴別の三律では、更に捷掬陀凶‡頻婆婆雑録休閑紘の下にも説かれる。阿育王は大帝として或はこの條下よ り引用せるものかもしれない。その他は各律利互出入あるも、鐸彿閣路には型の如く反復さるるものである。今は典披の みに止む。≦nPyaぎ︼・Hぎぎノβ指ニ¶・♪勺∴岩︰H∽・柏も﹂s︰IP⋮√勺トご二Ⅰ忘・♪p・琵︰H琵・¶も・雪︰ … く㌘p・−S−︰ヨ芦㌘p∴㍍eざ﹁破軒鼻﹂竺ハ、墾ニ、二六右。ニ七左。巻八、三川左等。大正、二四、一二九㌔ ︼三〇。。一三九b警﹁五分律﹂審一五、張一、九l左。九二左。巻〓ハ、二左。攣6、二二右。巻三ニ、三五井。三 六左。巻二束、四八左。川九右等。大正、二二、一〇冗b。−〇七a。二〇a。一三四a。一五一a二雪一a。〓ハ六C鷲 六 接紙論文の課題 以上は、大鰐これを初相法輸経と四諦詮を中心とする故初説法の研究と糾すべきであるが、これは更に﹁原始 型初描法輸控の内容項目の研究﹂、﹁囲諦三相経の異型﹂T相法輸の阿毘達磨的解種﹂、﹁諾大乗経と相法輪﹂、﹁初相 法輪こ鱒二相法輪・琴二相法輪﹂、﹁四諦袖應詔紅の車函弁論﹂﹂川諦敷設の阿屈達磨的解耀﹂T龍樹の囲諦研究﹂ の項目を飴して居るのであるが、員数の馬めに故に憩表出死ないものである。 次に本論文は更に﹁俳陀敢初教諭の研究﹂の論文によつて、その趣旨を洗からLめ且つ研はるべきものである から、今は方法及び過程の詳細なるものを省き、参考の馬め初期教詮類型設定の私案を掲げておかう。これ等初 く
期沈m承歓元ふし
詮捕鯨惜搬て、和束打理む㍑紅のうちに鮭押し最りて和拙締結む翫撃虻拙禦ユ心かT誉拙
悌陀最初説法の研究 .こL「敦堺爪組緻と根本彿搬r¶た払㌢冊論文へ出講み烏㍍hりJたしよう。L化ご錠景、杢小抑阿含等m⋮原始沸教研究に確 事する単著に劃し∵.融に精細的確な糾組机研架が促劃せらるる糊蹄ともたればヰの轍びこ〃上たいぃであ驚 Ⅰ、成道祝の研究 ﹁樹下成道内阻の法・白内謹の法・縁起詮 H、五比丘に封する教化 イ、初婚法輪饉の研究 ︳ヽヽ ﹁離苛聖二蓮鹿中の中道大宣言
二、中道八正道
三、四諦詮の類型 ロ、五人未解・三人分街・二人教諭の期間に於ける論法の考察 ∵,四諦諸彿敢勝認の反復。布演。解樺等 二、成道内親株起法の詑明︵ゴれは罵畳語大師線起偶より推定︶ 三、所謂﹁第二説法﹂としての五薙無常無我経。三法印成立の考察 四、五欲功徳繹討の教諭 m、耶合その父母及び友人への教化イ、在俗約数化
伸陀拒朝冊はm研究 g♂7一、諸俳常法としての布施持戒生天之諭 二、五欲過息鐸討 三、三 膵 五 戒 ロ、出∵世的教化 ∵∵諸併出せ最勝妙法最初法詮としての四壁諦︵阿育王法勅に於ける≦nayaよPmukase︶ Ⅳ、波薙瘡斯城中五十豪族の教化 同 上 反 復 Ⅴ、三十放陀羅青年教化 −、 −ヽ、 ヽヽヽ ﹁尋求白身︵at旨a㌢ga記Seyy警ha︶敢為第一の大語法。般浬奥に於ける法燈明・自燈明︵at已昔︶、法辟 ︳︳ヽ ︳ヽヽ︳ヽヽ 伐・白辟伐註asaヨ嘗の遺誠及び大奥浬奥鮭に於ける俳性詮・大我諒との閲係 二、耶合に封せると同じく∵世諦放として布施持戒生大の諭、五欲過患、五戒の記法。出世法として四諦諸 俳最膵の説法
Ⅵ、三迦実数化
一、定及び紳通に踊する悌数的立場の考察。 i Ⅵ、頻婆資産王教化と王迎経その他 ﹁ γ禁絶無常触⋮我 彿陀最初説法の研究 々僧二、国 繰 敬
三、葉報不戚不亡 四、布施の功徳 五、救国のせ俗的施設 Ⅰ Ⅵ、舎利弗日蓮教化 l ﹁因縁大師説法偽 二、四辞世尊略説、舎利弗贋分別説 三、舎利弗智控等 四、目邁の定及び頼通。その他。 以上の項目及びその他を、初期第一期教諭考察の基本とし、次いで摩損陀に於ける拾孤猫長者の聞僻見彿因級 を機縁の始めとなす、倉荷城中心の教化即ち初期第二期へ移行する。同時に予の所謂彿偉第二型即ち淫紫経中心 の鮭詮研究によりて後期教詮の類型を得る。中期は俸承・経詮よりの還元・類推によりて幾分を明かならしむ。 記 附 上述の二論文は、最初説法大量言としての﹁中道詮畿達の研究﹂に連練して、帝国畢士院畢術研究費補助に基 く、予の﹁龍樹及びその時代を中心とする初期大乗併教の研究﹂の一部門をなす﹁中の研究.二り葦富されるもの である。今その一部を寝表するに常り、補助規定に伐少、故にその旨を附記す。︹悌陀但東の艶臼丁ら︺ 彿陀敢勧龍法の研兜 餌柳..L・−・−・.′ ′ … し ̄汀、リ…㌣ †l‘驚
幅趣頑秘和魂組嘩揚機叫騨
糖隋朋・コ茂雄纏潤け