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取引ネットワークの経済分析 はじめに 北海道大学経済学研究科菊地真 本稿は グラフ理論に基礎を有するネットワーク分析によって 経済現象を考察することの有効性を提起するものである そこでは 今日の経済学の主流派である新古典派経済学の枠組みでは十分に分析できない各種経済主体が形成する複雑な相互関係がネッ

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取引ネットワークの経済分析

北海道大学 経済学研究科 菊地真

はじめに

本稿は、グラフ理論に基礎を有するネットワーク分析によって、経済現象を考察するこ との有効性を提起するものである。そこでは、今日の経済学の主流派である新古典派経済 学の枠組みでは十分に分析できない各種経済主体が形成する複雑な相互関係がネットワー ク分析によって考察される点が明らかとなる。 本稿は、はじめに新古典派経済学の基本的な枠組みを提示し、その理論的な特徴を明確 にする。次に、新古典派経済学の枠組みが成立するための様々な理論上の想定を考察し、 どのような問題点がそこに存在するのかを確認する。そして、そのような問題点を踏まえ て、本稿が提起するネットワーク分析に基づく経済学の枠組みが、新古典派経済学とは異 なる観点のもとで、有効な経済分析の手法になることを明らかにする。

1. 新古典派経済学の基本的な枠組み

新古典派経済学の基本的枠組みは、方法論的個人主義のもとで、消費者や生産者といっ た経済主体が自らの利得を最大化させる合理的行動を選択することを仮定することで、微 分を応用した数学的分析を経済学において可能にする点にある。そこでは、経済主体の合 理的意志決定の根拠を、消費者であれば効用、企業であれば利潤を最大化させるような選 択に求め、限界効用逓減や限界生産力逓減の仮定を設けることで、効用や利潤を最大化さ せるような最適な消費量や生産量が限界分析によって導かれる。そして、このような経済 主体の最適化行動の帰結として、パレート効率性を実現する効率的資源配分が社会的に達 成されると想定される。このように新古典派経済学における効率性や合理性とは、経済主 体の利得が最大化されるような資源配分や意思決定に規範的な意味を有している。以下、 消費者と生産者の最適化行動を概観したい。 周知のように、ミクロ経済学の初歩的な議論では、図1~2 に見られるように、財 X1の 需要曲線が、財X1とX2の無差別曲線における代替関係と効用最大化を導くような合理的 選択から導かれる。他の消費者も同様の最適化行動をとることで、財X1の社会的需要曲線 が導かれる。企業の場合も基本的な枠組みは同様であり、図 3~5 に見られるように、等 費用線と等生産量曲線の接点において、同量の財X1を生産するうえでの資本と労働の最適 な組み合わせが決定されるとともに、財X1生産の限界費用とX1の価格が等しい点で最適 な生産量が決定される。このような利潤を最大化させる生産量を各企業が決定することで、

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2 財X1の社会的供給曲線が導かれる。 このようにして、財X1の需要曲線と供給曲線が導かれ、両者が交わる均衡点において消 費者余剰と生産者余剰は最大化される。これが部分均衡理論の枠組みである。 このような議論をすべての財・サービスの取引関係に広げたものが一般均衡理論の基本 的な枠組みである。そこでは、すべての経済主体が利得を最大化させるような意志決定を し、そこから導かれた需要関数と供給関数から、すべての財・サービスの需給を均衡させ る均衡価格が導かれる。 完全競争市場のもとで、以上のような経済主体の最適化行動が成立するならば、厚生経 済学の第一基本定理が成立する。それは、すべての財・サービスのそれぞれについて完備 した市場が存在し、それらすべての市場が完全競争的であるならば、この経済の需給が一 致する均衡状態で実現される資源配分は、パレート効率的であるという命題である。 パレート効率性とは、一方の利得の減少がない限り他方の利得の増加がないような、効 率的な資源配分が社会的に達成されている状況を意味する。このような状況では、効率的 ではあるが公平的である保証はなく、一方に利得が偏るような可能性が存在する。 厚生経済学の第二基本定理では、政府が課税による所得再分配政策を行なうことによっ て、パレート効率性を維持しつつ公平な資源配分が可能になる点が証明される。 このようなミクロ経済学の枠組みは、完全競争市場のもとでのミクロ経済主体の最適化 行動によって、マクロ経済の最適化も達成されるという意味を基本的に有している。 今日の主流派のマクロ経済学では、動学的一般均衡理論を用いたマクロ経済分析のミク ロ的基礎付けが基盤にある。そこでは、消費財・投資財の両方に使える一財モデルと、マ クロ経済を構成する無数の経済主体をその平均モデルである代表的個人で代替することに よって、マクロ経済が一財・一消費者・一生産者のミクロモデルによって表される。そし て、そのようなマクロ経済モデルのもとで、一般均衡理論と同様の枠組みによって完全競 争市場のもとでの効率的資源配分の証明が行なわれる。このように今日の主流派のマクロ 経済学では、ミクロ経済学との垣根は基本的に存在しなくなっている(加藤(2007))。 図1 財 X1とX2における予算制約線と無差別曲線 X2 PX1・X1+PX2・X2 = I ΔX2/ΔX1 = PX1/PX2 =MU(X1)/MU(X2) PX1=財X1の価格, PX2=財 X2の価格, I=所得 X1

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3 図2 財 X1の需要曲線 p D q 図3 財 X1を生産する企業の等費用線と等生産量曲線 K r・K+w・L=TC ΔK/ΔL= w/r =MP(L)/MP(K) K=資本, L=労働,r=利子,w=賃金,TC=総費用 等費用線と等生産量曲線の接点で費用最小化の 生産要素(K,L)の組み合わせが決定 L 図4 財 X1の費用曲線 p,c MC π=P・X-TC P=MC:利潤最大化条件 AC AVC q

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4 図5 財 X1の供給曲線 p S q

2. 新古典派経済学における理論上の想定

新古典派経済学の基本的な枠組みは以下のような理論上の想定のもとで成立している。 理想的市場像 すべての売り手 すべての買い手 ①すべての財・サービスが集中的に取引される理想的市場像1 新古典派経済学における市場は、交渉や輸送費などの取引コストは存在せず、かつ、す べての財・サービスと売り手・買い手が集結するような理想的市場像が想定される。特に、 アロー・ドブリュー型の交換経済の一般均衡理論では、理想的市場のもとにすべての市場 参加者が集結し、初期保有財の交換を将来財も含め一同に行なうようなモデルが採用され る。つまり、一般均衡理論では、すべての財・サービスの需給均衡が分析されるとしても、 それは理想的市場のもとに交換当事者が集結し、すべての財・サービスに相当するような 1 理想的市場は以下のように規定される。 ①個々の財・サービスを取引する市場には、競り人がおり、その財・サービスについて唯一無二の 価格を発表する。②発表された価格を見て、社会のすべての人々が自分の欲する需要量と供給量を市 場(競り人)に報告する。③競り人は、これらの需要と供給を集計し、需要が供給を上回る場合は価 格を以前より高く改定し、逆の場合には低く改定する。④以上のプロセスは、需給が一致する均衡価 格が発見されるまで続行される。これらのプロセスを、競り人は公平無私に行いそれから何の報酬も 得ない。⑤各財・サービスの均衡価格が発見されれば、各経済主体の需要量と供給量に基づいて、経 済主体間の交換取引が市場で実現される。財・サービスを供給する人には財と交換に貨幣が手渡され、 需要する人には貨幣と交換に財が手渡される(奥野[藤原](1997)p.9)。 すべての財・サービスの需給 を均衡させる価格の形成と取 引の成立

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5 初期保有財の交換が行なわれるような状況が想定される。このような理想的市場像は、現 実に存在するような卸売業、小売業、中央卸売市場といった流通業者が形成するような分 散的な市場像とは対照的である。 ②合理的経済人 完全情報や完全合理性のもとで、計算能力に限界が存在せず、すべての財・サービスの 価格を把握し、瞬時に利得を最大化させる意志決定ができる経済主体が想定される。 ③財概念の単純化と類型化 「アンパン」や「おにぎり」といった同種のカテゴリーに含まれる財であれば、細かい 種差は捨象され、すべて同種の財とみなされる。また、財がどのような流通過程を経て生 産されたかは問われず、当該の財がもたらす効用や生産性のみが着目される。このような 想定のもとで、X1のような財の抽象化や不特定多数の N 財といった財モデルが構築され る。また、消費財や資本財のような財・サービスの大まかな類型化も常用される。 ④需給一致の均衡価格 現実の市場取引で見られるような在庫や一物多価の存在は捨象され、財の需給均衡が成 立する一物一価としての均衡価格が想定される。また、需給均衡以前の取引は理論上想定 されない。 ⑤限界効用逓減と限界生産力逓減 微分を用いた限界分析を可能とするための基本的な条件として、限界効用逓減や限界生 産力逓減が仮定され、効用や利潤を最大化させる消費量や生産量が数学的に導かれる。仮 に、限界効用や限界生産力が逓増するならば、最適な消費量や生産量を限界分析によって 導くことは困難となる。 ⑥価格メカニズムが作用する市場取引への重点 一般均衡理論では、すべての財・サービスの需給均衡が導かれると想定されるが、価格 メカニズムが働く市場取引に分析軸が置かるので、取引される財はすべて経済財となる。 ゆえに、一般均衡理論では、公共財の取引や企業組織内の取引は捨象されるとともに、ク ローズド・モデルが想定されるので、国際貿易の存在も基本的に捨象されている。動学的 一般均衡理論も同様の枠組みで成立しているが、現実のマクロ経済は、市場取引のみで構 成されるわけではなく、公共財の取引、企業組織内の取引、および国際貿易の取引関係が 複雑に相互作用して構成されているに他ならない。 以上の新古典派経済学の理論上の想定は、これまで多くの批判にさらされてきた。代表 的なものは、合理的経済人が行なうような経済計算は財の種類が増加するほどにコンピュ ータを用いても計算不可能になる点、すべての財・サービスが集中的に取引される理想的 市場像の非現実性、および現実の企業の多くは限界生産力が逓増している点などである2 他方で、このような新古典派経済学の想定は、現実経済の抽象化という側面もあるが、 2 新古典派経済学の問題点については塩沢(1997a,1997b)を参照されたい。

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6 基本的には、数学的分析を可能にするために不可欠なものである。仮に財・サービスの取 引関係が分散化し、経済主体の計算能力や情報獲得に限界があり、かつ在庫や一物多価が 存在するとすれば、一般均衡理論が想定するようなすべての財・サービスの需給関係を分 析することは困難となる。換言すれば、複雑な現実経済を単純化し、理論的な分析を行な ううえで、以上の想定が必要だということである。 つまり、現実の経済政策に対して有効な予想が導かれるならば、経済学においてどのよ うな非現実的な仮定でも容認されるというフリードマン(1977)における「実証的経済学の 方法」の見地からすれば、新古典派経済学の理論上の想定の非現実性を批判することは、 あまり有効ではない可能性がある。 むしろ、問われるべきは、それら理論上の想定が存在することによって、現実経済に対 する有効な分析が阻害される恐れがある点を明らかにすることである。このような論点に 立つと、以下のような素朴な疑問が提起される。 ミクロ経済学の初歩的な問題として、「おにぎり」と「アンパン」の二財、効用関数、 および予算制約が与えられた状況下の最適な消費量が問われたときに、おにぎりとアンパ ンは、基本的にどのメーカーで生産されたものでも同質であり、加えて、それら二財をコ ンビニ、スーパー、メーカー直販のどこから買うのかという流通過程の問題も基本的に捨 象される。当然、消費者であれば同じ効用が得られるならば安いほどよく、どのメーカー や流通業者から買っても問題はなく、効用を最大化させるような合理的意志決定が行なわ れる。 だが、このような議論はミクロレベルでは最適な選択だが、マクロレベルでの最適化へ は帰結しない可能性がある。なぜなら、使用価値から見て同質であっても、それら財が生 産される過程で形成される取引関係の連鎖はまったく異なり得るからである。簡単な例を 挙げれば、アンパンの原材料の産地、それを流通させるコンビニ、スーパー、卸売りとい った流通業者の分布などは、同じ使用価値のアンパンであっても、各々のアンパンで大き く異なるだろう。 このような議論は、生産者の利潤最大化に基づく合理意志決定についても当てはまる。 新古典派経済学では、限界費用と価格が等しい生産量で利潤が最大化される。生産者が利 潤を最大化させるうえで、同じ生産量が得られるならば産地に関わらず小麦などの資本財 はすべて同質であり価格だけが重視される。しかし、上記の議論と同様に、同種の資本財 であっても、それらが生産されるうえで形成される流通過程の構造は大きく異なり得る。 以上の議論は、効用最大化や利潤最大化といったミクロ経済主体の最適化行動が、マク ロ的最適化へは帰結しない可能性を示唆するものである。だが、理想的市場像を想定する 新古典派経済学の枠組みでは、同種の財によってでも異なるような流通過程を分析するこ とは困難となる。換言すれば、現実に存在する分散的な市場像を内包した経済分析の枠組 みが必要となる。 本稿では、このような課題に応えるうえで、ネットワーク分析が有効な手法になる点を

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7 提起したい。

3. 取引ネットワークの経済分析

図6 取引ネットワーク:分散的市場像のモデル化 ノードC4における入リンクと出リンク 入リンク 出リンク (収入) (支出) 収入-支出=利潤 3.1 取引ネットワークの基本構造 取引ネットワークにおける理論上の想定:電子決済のプラットフォーム ネットワーク分析を経済学に応用する場合、ネットワークに関するデータの獲得と分析 の両面で大きな労力が必要となる。これがネットワーク分析を経済学に応用する際の一つ のボトルネックとなる。加えて、経済主体が形成するネットワークが何を意味するのかも 論者で異なるので、経済学にネットワーク分析を取り入れる試みは、ミクロ経済学やマク ロ経済学に相当するような経済学の基礎理論としては現時点では確立していない3 このような課題を踏まえ、家計、企業、政府といった各種経済主体において行なわれる 貨幣の支払と受取の取引関係の連鎖をネットワーク分析の対象とすることで、ネットワー ク分析のボトルネックであるデータの獲得と分析の労力を削減するとともに、ネットワー ク分析を経済学に取り入れるうえで一貫性のある理論が構築できる可能性がある。 そのための基本的な条件として、経済主体における貨幣的取引関係のデータがすべて記 録されるような電子決済のプラットフォームの構築がある。そこでは、マイナンバーのよ うな個別経済主体を特定する機能とキャッシュカードのような取引情報を記録する機能の 両方を供えた電子マネーによってすべての貨幣的取引関係が行なわれることで、どの経済 主体が誰と取引を結んだのかが自動的に決済関係を管理するデータベースに記録される。 3 ネットワークとは、○―○―○のような「○=結節点(ノード)」と「―=経路(リンク)」で構成され る関係性の集合である。社会科学のおけるネットワーク分析の概要については、金光(2003)と安田 (1997,2001)を参照されたい。また、塩沢・有賀(2013)では、進化経済学の今後の可能性として、ネッ トワーク分析を取り入れた議論を先駆的に行なっている。 C1 B C6 C4 C5 C3 C2 H1 H2 C4 C2 C6

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8 このような電子決済のプラットフォームの想定は、現実には存在しないが技術的には可能 なものである。その点で、新古典派経済学の理論上の想定とは異なるといえる。 電子決済のプラットフォームが構築されるならば、ネットワーク分析におけるデータの 獲得と分析の両面で労力が削減されるとともに、以下で考察するようなネットワーク分析 を用いた経済分析の枠組みが構築される。 電子決済のプラットフォームによって、どの経済主体が誰と取引を行なったのかが記録 される。そこでは、各種経済主体が収入と支出のネットワークで結びついた構造が導かれ る。本稿では、このような貨幣的取引関係で各種経済主体が結びついた構造を「取引ネッ トワーク」と定義する4 図6 は、電子決済のプラットフォームにおいて、企業と家計のみを経済主体とした取引 ネットワークの単純なモデルである。ここでは、企業や家計といった経済主体がノードで あり、それらは収入と支出に相当するリンクによって連結している。ネットワークは貨幣 の支払の方向と取引総額を示すため重み付き有向グラフで構成されている5。リンクは収入 に相当する「入リンク」と支出に相当する「出リンク」に分けられる。 以下の議論では、企業 C1~C6は、常に同じ財・サービスを生産し、単一の家計でも、 複数の企業と取引し労働を提供していると想定する。また、家計H1とH2は、C6のような 企業間の取引ネットワークの末端にある企業に対してのみ支出を行なうと想定する。各ノ ードにおける収入と支出の差額である利潤や貯蓄は、重みつき有向グラフとしての入リン クと出リンクの差額として現われる6 取引ネットワークに見られるような各種経済主体が収入と支出のリンクで結びつく構 造は、基本的にどの産業に属する企業にも共通するとともに、家計や政府といった経済主 体にも共通する。「C1⇒C2⇒C4⇒C6⇒H1」は、「原材料⇒メーカー⇒卸売⇒小売⇒家計」 のような商流、もしくは、「農家⇒農協⇒卸売⇒メーカー⇒家計」のどちらでも表すことが できる。換言すれば、各ノードの収入と支出のリンクで現われる貨幣的取引関係の連鎖で あれば、取引ネットワークの構成要素として、どのような企業間、企業・家計間の取引関 係でも表すことができる。 4 これまで経済学にネットワーク分析を応用する取り組みは行なわれてきたが、ノードやリンクの定義が 論者で様々であるとともに、分析対象も統一されてこなかった。たとえば、産業連関をネットワーク として考察する場合に、各種産業がノードであり、産業間の取引関係がリンクとなる。他方、企業間 の提携関係をネットワークとして分析する場合には、企業がノードであり提携関係がリンクとなる。 加えて、ノードやリンクに関する情報は無数に存在するとともに、公にされていないものも多い。企 業をノードとした場合に、たとえ一社であっても、それと売買関係を結ぶ企業は多数存在し、かつ、有 限会社のような情報公開がほとんどなされていない企業も多く存在する。 他方、電子決済のプラットフォームが構築されるならば、取引ネットワークを分析するために必要な ノードやリンクに関する情報は、秘匿性なしにデータベースに自動的に記録されることになる。 5 重みつき有向グラフとは、有向グラフに数値を付加させたものである。本稿では、重みつき有向グラフ で構成されるネットワークを想定しているが、具他的な数値は捨象している。本稿におけるグラフ理 論は、小林(2013)、ウィルソン(2001)、ボンディ他(1991)を参考にしている。 6 ここでは単純化のために、利潤や貯蓄の銀行への預金、また、それを原資にした銀行貸付といった金融 的取引は捨象している。

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9 ゆえに、取引ネットワークでは、経済分析を行なううえで、一物一価や需給均衡を想定 する必要がなくなるとともに、定量化が困難なリース契約やインターネット通信などの 様々なサービスの取引関係が、それを提供するリース会社や通信業者といった企業ノード と結ばれる取引総額のリンクで表される。 また、理想的市場像のもとでは、交渉費用や輸送費などの取引コストは分析上捨象され るが、取引ネットワークでは、企業ノードとして現われるような卸売業者、小売業者、運 送業者などが生産する商業や運送サービスを購買することによって、各種経済主体は取引 コストを解消していると見なすことができる。ゆえに、現実に存在するような卸売業、小 売業、中央卸売市場といった流通業が形成するような分散的な市場像が、取引ネットワー クという形でモデル化することができる7 以上から、取引ネットワークでは、理想的市場像、合理的経済人、財概念の単純化・類 型化といった想定は理論上必要なくなり、現実的な分散的な市場像をモデル化するととも に、様々な産業に属する企業の取引関係を想定することで、財概念の単純化・類型化を行 なわずに各種財・サービスの詳細な取引関係を分析することができる。 このように、個別的な財・サービスの需給関係ではなく、ノードである各種経済主体と 収入と支出のリンクで現われる貨幣的取引関係を軸にネットワーク分析を行なうことは、 現実の複雑な経済関係をモデル化するうえで有益である。 3.2 取引ネットワークの強連結・弱連結 図7 クローズド・モデルの取引ネットワーク 強連結なネットワーク 弱連結なネットワーク 7 新古典派経済学の理想的市場に対して、分散的市場像を重視する研究に塩沢(1990,1997a,1997b)、西部 (2012)などがある。 C1 B C6 C4 C5 C3 C2 H1 H2 C1 C2 C3 C1 C2 C3

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10 取引ネットワークにおける強連結と弱連結 図7 のクローズド・モデルの取引ネットワークでは強連結が形成されている。そこでは、 各ノードの収入と支出は正の相関にあり、また、企業から H1 と H2への賃金支払として 現われるような家計への所得配分はこの閉鎖経済に集中することになる。 強連結とは、ネットワークにおいて有向グラフの方向に沿って各ノード間を行き来でき ることを意味する。いわば、一方通行の道路のもとで、地図上の各地点を行き来できるこ とに等しい。ゆえに、強連結な取引ネットワークでは、あるノードの支出に相当する出リ ンクが、有向グラフに沿って収入に相当する入リンクに回帰する構造が見られる。つまり、 強連結な取引ネットワークでは、各ノードの収入と支出は相互依存的に正の相関関係にあ る。 したがって、通常、経済学では、収入と支出ないしは収益と費用は対立的な関係にある と見なされているが、強連結な取引ネットワークでは、仮にあるノードが支出を削減させ れば、回帰的に自らの収入を減少させることになる。また、あるノードの支出の削減が他 のノードの収入の減少に直結する可能性もある。 具体的には、強連結な取引ネットワークでは、企業が、リストラなどの減量経営によっ て費用を削減し利潤を増加させようとしても、収入が減少して目的が達成されない恐れが ある。反対に、強連結なネットワークでは、あるノードの支出が増加しても、回帰的に自 らの収入が増加して支出増を相殺させる。つまりは、企業が雇用増や賃金増によって費用 が増加しても、収益増によってそれを補うことができる。したがって、強連結な取引ネッ トワークは、各ノードの利潤や貯蓄は増加しないとしても、ネットワーク全体での取引総 額の増大が可能であり、より多くの家計や企業が相互依存的に存在できる構造を有してい る。 ただし、そのためには、ノードが増加してもネットワークの強連結が維持される必要が ある。図8 では、ノードが増加しても強連結な取引ネットワークが維持されるので、新規 雇用(H2)や新企業(C4)が形成され、賃金や生産要素への支出が増加しても、他の企業 の収入増へと連動する構造が導かれる。 図8 強連結な取引ネットワークを維持した新規雇用(H2)と新企業(C4)の発生 新規雇用・新企業 C3 C2 C1 H1 C2 C3 C4 H2 C1 H1

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11 他方、ネットワークにおいて有向グラフに沿ってノード間を行き来できないものは弱連 結である。弱連結な取引ネットワークでは、あるノードの出リンクは有向グラフに沿って 入リンクとなって回帰しない。ゆえに、弱連結な取引ネットワークでは、各ノードの収入 と支出は負の相関関係にある。これは、経済学が通常想定するような収入と支出を対立的 な関係と見なす点と一致している。したがって、弱連結な取引ネットワークでは、企業は 利潤を増加させるうえで費用を削減することが望ましく、また、雇用増や賃金増で費用が 増加しても、収入増によって相殺できないものとなる。 以上の議論から、収入と支出とは、個別経済主体だけで考察される現象ではなく、取引 ネットワークの構造によって、その経済的な意義が変化するものと位置づけられる。以下 でも議論するように、このことは、利潤最大化や費用最小化といったミクロ経済主体の合 理的意志決定によって、マクロレベルの最適化が実現される保証はないことを意味してい る8 3.3 市場取引、公的取引、企業内取引のネットワーク これまでの議論では、企業と家計のみを経済主体として考察してきたが、取引ネットワ ークでは政府や企業組織をノードとした分析も可能となる。そこでは、ノード間の関係性 の違いで、取引ネットワークを構成するリンクの規定性が変化する。以下、市場取引、公 的取引、企業内取引の三つによって、取引ネットワークを構成するリンクの類型化を行な う。以降の図では、市場取引のリンクを実線、公的取引のリンクを点線、企業内取引のリ ンクを太線で表す。 図9 市場取引で構成される取引ネットワーク 市場取引 入リンク 出リンク (C6の収入) (C6の支出) 8 以上の議論では、電子決済のプラットフォームで得られる各ノード間の取引総額が存在すれば、個別的 な財・サービスの価格は分析上必要とならないが、各ノードの間の相対取引のもとでフルコスト原理 による価格決定が行なわれているものと想定することができる。ただし、家計が生産する労働はこの 範疇には入らない。 C1 B C6 C4 C5 C3 C2 H1 H2 市場取引 公的取引 企業内取引 C6 C4 H1

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12 図9 の市場取引は、企業間または企業と家計間の私的支払関係に基礎を置く取引関係と 定義することができる。それは、以下で考察するような公的取引における政府部門を媒介 する税の取引関係や、企業内取引のような支払能力を企業組織内に依存した取引関係と区 別することでその特徴が明確となる。 図10 市場取引と公的取引で構成される取引ネットワーク =税収を集め公的支出を行な う政府部門 公的取引 入リンク 出リンク (歳入) (歳出) 本稿では、「公的取引」を公共財を供給するための税収とそれを源泉とする公的支払の 取引関係と定義する。ここでは議論を単純化するために、財政収支の均衡のもと、税収は 家計からの所得税のみに限定し、家計は企業に対して直接的な支出を行なわず、政府部門 を媒介にした公的支出によってのみそれを行なうとする。 図10 では、政府部門(P)に対して家計は所得税を支払い、それを原資に政府部門は公 的支出をC6に対して行う。ゆえに、公的取引では、ノード P の入リンクが歳入、出リン クが歳出として現れる。このような公的取引は、企業の法人税や消費税などを加えること で、税目や担税構造が変化しても成立する。 次に、企業内取引を考察する。企業組織は様々な部門で構成され、分権的に特化された 業務を行なっているが、各部門で使用される労働力を含めた生産要素に対する支払能力は、 その企業組織が総体として生産する生産物の販売に依存している。ゆえに、企業組織内に おける貨幣の支払と受取の関係は、企業の収入と支出を管理する財務部門における各企業 部門への会計的な予算配分として現われる。 したがって、企業内の貨幣的取引は、自社の生産物の販売による収入と、それを原資に した各部門への生産要素購買の資金が配分される構造として見ることができる。このこと は、企業内で内製される様々な財・サービスが、予算配分という形で企業内で購買されて いるものと解釈できることを意味する。逆に、それまで内製されていた企業内組織の機能 がアウトソーシングされれば、予算配分ではなく市場取引へと移行することになる。例え C1 C6 C4 C5 C3 C2 H1 H2 P P 市場取引 公的取引 企業内取引 P H1 C6

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13 ば、自社の内部組織での生産工程と EMS への生産工程の外注化は、前者では予算配分と いう企業内取引、後者は市場取引という形になる。 図11 市場取引と企業内取引で構成される取引ネットワーク =企業C4の内部組織 市場取引 企業内取引 =企業C4の財務部門 入リンク 出リンク (C4の収入) (C4bへの予算配分) 図11 では、ノード C4aは、企業C4の財務部門として、企業C6に対する自社の生産物の 販売による収入を管理し、それを原資に各企業部門で使用する生産要素購買のための予算 を配分している。そして、企業内組織C4bとC4cは、この予算を原資にH1から生産要素で ある労働を購買している。このような企業組織内において各部門の支払能力が財務部門に 依存している取引関係を、本稿では「企業内取引」と定義する。このような企業内取引の 構造は、政府や家計といった組織体にも当てはまるものである9 以上の議論から、取引ネットワークを構成するリンクは、ノード間の取引関係の違いで 市場取引、公的取引、企業内取引に類型化される。ゆえに、市場での経済財、政府が媒介 となる公共財、および、企業組織内で内製される財・サービスの取引関係が、取引ネット ワークという同一の枠組みによって分析される。 3.4 国際貿易の取引ネットワーク 通常、国際貿易を議論する場合には、国同士の貿易関係が焦点になるが、本稿の議論か らは、企業、家計、政府といった各種経済主体が形成する取引ネットワークが、国際間に 分散化したものと位置付けられる。このような想定は、現実の貿易取引の多くが、各国の 企業間で商社や運送業者が媒介となって行なわれている点と一致している。 これまでの議論では、クローズド・モデルのもとで取引ネットワークが考察されてきた が、国際間に取引ネットワークが分散化することで、各国のネットワークに変化が生じ、 9 企業内取引における予算配分に関する情報は、各企業部門が自社を名義人とする共通の電子マネーを使 用することで、間接的に電子決済のプラットフォームに反映されると想定することができる。 C4a C4b C6 H1 C4c 市場取引 公的取引 企業内取引 C4a C6 C4b C4a

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14 強連結や所得配分に変化を生じさせる。ここで議論を単純化させるために、外国為替や国 際間の労働移動はないものとする。 図12 市場取引で構成される取引ネットワークの国際分散:強連結の変化と所得配分の分散 a 国= 強連結 b 国= 弱連結 c 国= 弱連結 図12 のように、市場取引のネットワークが国際分散すると、a 国では強連結が形成され るが、b 国で c 国では弱連結となってしまう。クローズド・モデルの取引ネットワークで は、強連結なネットワークが形成され各ノードの収入と支出は正の相関関係にあったが、 その関係が取引ネットワークの国際分散によって変化することになる。 図13 a 国(強連結)と b 国(弱連結)の関係性 a 国 = 強連結 b 国=弱連結 図13 は、a 国と b 国の関係に焦点を当てた取引ネットワークである。強連結にあるノー ドH5 と C6の収入と支出は正の相関にあるが、C6とC4、 C4とH3は弱連結なので、収入 と支出は負の相関関係にある。ゆえに、取引ネットワークの国際分散によって、各国のノ ード間の収入と支出の相関関係が変化することは、仮に企業 C1~C6で常に同じ財・サー ビスが生産されているとしても、それがマクロ経済に与える影響がクローズド・モデルと は大きく変化することになる。 また、クローズド・モデルでは、家計H1とH2に所得配分が集中していた。国際間の労 C6 C4 H5 H3 C1 C6 C4 C5 C3 C2 H1 H5 H4 H3 H2 H6

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15 働移動ができないと想定すれば、取引ネットワークの国際分散によって、図 12 に見られ るように、それまでH1とH2に配分されていた所得が、b 国の H3とH4、c 国の H5とH6 へと配分されることになる。ゆえに、取引ネットワークの国際分散によって、それまで a 国の家計H1とH2が形成していた有効需要が減少することになる。このような取引ネット ワークの国際分散は、図14 や 15 のように公的取引や企業内取引を導入しても成立する。 図14 市場取引と公的取引で構成される取引ネットワークの国際分散 a 国= 強連結 b 国= 弱連結 c 国= 弱連結 図15 市場取引と企業内取引で構成される取引ネットワーク国際分散 a 国= 強連結 b 国= 弱連結 c 国= 弱連結 D4a D4b D4c C6 H3 H1 H2 C1 C6 C4 C5 C3 C2 H5 H1 H4 H3 H6 H2 P

(16)

16 取引ネットワークの強連結分解 下記のネットワークは、全体としては弱連結であるが、サブ・ネットワークG1とG2の 各々では、強連結が形成されている。このように、ネットワーク全体としては弱連結であ るが、強連結が形成されているサブ・ネットワークごとに分解したものを「強連結成分」 と呼ぶ。そして、G1と G2で表されるように、強連結成分を一つのノードに代表させてネ ットワークを再構成することを強連結分解と呼ぶ。

G

1

強連結成分

G

2 強連結分解

G

1

G

2 強連結分解を用いて貿易取引を分析することは有益である。上記の三カ国の貿易関係で はc 国⇒b 国⇒a 国へと取引関係が一方向に限定されていた。だが、三カ国の貿易関係が 相互作用的に変化することによって、同じような三国間の貿易関係であっても、図 16 に 見られるように、強連結分解によって、弱連結または強連結な取引ネットワークとして区 別される。以下では、サブ・ネットワークG1 ~G3で、a~c の三カ国の取引ネットワーク を代表している。 ①弱連結な三国間貿易では、各国内では強連結が形成され、ノード間の収入と支出は正 の相関関係にあるが、国際間ではノード間の収入と支出は負の相関関係にある。他方、② 強連結な三国間貿易では、国内的にも国際的にも強連結な取引ネットワークが形成され、 ノード間の収入と支出は正の相関関係にある。 見方を変えれば、①弱連結な三国間貿易では C1 ⇒C9 、②強連結な三国間貿易では C9 ⇒C1の取引関係となっていることだけが両者を区別している。単に一組の企業間の取引関 係が異なるだけで、三カ国間の経済的相互関係が大きく変化する。そして、仮に強連結な 貿易取引のネットワークが形成されるならば、ネットワーク全体での取引総額の増大が可 能であり、各国経済でより多くの家計や企業が相互依存的に存在できる構造が形成される。 通常、国際貿易論の理論モデルでは、二国モデルや三国モデルといった貿易参加国の数 のみが重視されるが、以上の議論からは、貿易参加国が形成する取引ネットワークの構造 C3 C2 C1 H1 C4 C5 C6 H2

(17)

17 によって、各国経済の相互関係が大きく変化することが明らかとなる。 図16 三カ国間貿易ネットワークにおける弱連結と強連結 G1 (a 国) G2(b 国) ①弱連結な三国間貿易 G1

G2 G3(c 国) G3 G1 (a 国) G2(b 国) ②強連結な三国間貿易 G1

G2 G3(c 国)

G3 C3 C2 C1 H1 C4 C5 C6 H2 H3 C8 C9 C7 C3 C2 C1 H1 C4 C5 C6 H2 H3 C8 C9 C7

(18)

18

4.新古典派経済学と取引ネットワーク

本稿における取引ネットワークのモデルでは、企業 C1~C6が常に同じ財・サービスを 生産していると想定しているが、取引ネットワークの国際分散のようなネットワークの構 造変化は、各々のノード間で同様の財・サービスが取引されても、それが各国のマクロ経 済に与える影響が大きく変化することを意味している。 前述のミクロ経済学の議論を参考に、取引ネットワークにおいて企業C6は、企業C5 か ら小麦粉、企業C4からは小豆を購買してアンパンを生産し、家計H1はそれを購買すると 想定する。 新古典派経済学の議論では、家計 H1は、アンパンとおにぎりの効用関数と予算制約の もとで効用を最大化させるアンパンの消費量を決定する。企業 C6は、一定の費用下で同 量のアンパンを生産するうえでの小麦と小豆の最適な組み合わせを決定するとともに、ア ンパン生産の限界費用とその価格が等しい点で生産量を決定する。 重要な点は、このような新古典派経済学における家計と企業の合理的意志決定は、取引 ネットワークの構造とは無関係に、個別の財の価格と数量に対してのみ感応的に行なわれ ることである。このことは、企業C6のアンパン生産に連なる取引ネットワークが、a 国の クローズド・モデルでも、a 国、b 国、c 国の三カ国に分散化するモデルのどちらであって も、新古典派経済学の枠組みには影響を与えないことを意味している。 だが、本稿が明らかにしたように、取引ネットワークの構造変化はマクロ経済に大きな 影響を与える可能性がある。企業C6が生産し、家計H1が購買するアンパンは、使用価値 としては同一のものであっても、時代状況に応じて、企業 C6のアンパン生産に連なる取 引ネットワークの構造は異なる可能性があり、企業C6と家計H1のアンパンの取引が各国 のマクロ経済に与える影響も変化する。しかし、このような重要な論点が、新古典派経済 学の枠組みでは、理想的市場のもとでの集中的な取引関係や、財概念の単純化や類型化に よって捨象されてしまう。 このような議論は、効用最大化や利潤最大化をもたらす経済主体の合理的意志決定は、 あくまでミクロレベルの最適化でしかなく、マクロ経済の最適化には帰結しない可能性を 提起するものである。新古典派経済学では、厚生経済学の第一基本定理のように、ミクロ 経済主体の合理的意志決定によって効率的資源配分が可能になると想定しているが、それ はあくまで理想的市場像や財概念の単純化や類型化のもとでの議論でしかない。現実的な 分散的な市場像に基づく取引ネットワークの分析枠組みでは、ミクロ経済主体に相当する ような個別のノードの合理意志決定はネットワーク全体の最適化と同値ではない。 このことは、次のような議論も可能にする。アンパン一単位の価格が、取引ネットワー クが、一国のクローズド・モデルの場合に100 円、国際分散する場合に 80 円だとする。 新古典派経済学では、同じ効用が与えられるアンパンならば、必ず安いほうが選好される から、80 円のアンパンが購買される。同様の議論は、企業が購買する資本財に対しても当

(19)

19 てはまる。このように新古典派経済学では、企業や家計は、価格をインセンティブとし、 ある財が同じ効用や生産性をもたらすならば、必ず安い方を選好する。しかし、80 円の安 いアンパンによって取引ネットワークが国際分散することで生じる経済主体間の収入と支 出の相関関係の変化や国内の所得配分の減少などを考慮すれば、この選択が、ミクロ経済 主体にとって最適でもマクロ経済的に最適である保証はない。他方、100 円の高いアンパ ンは、ミクロ経済主体の合理的選択の対象にはならないが、取引ネットワークが一国内に 集中することでマクロ経済的には望ましい結果をもたらす可能性がある。

おわりに

新古典派経済学では、独占や情報の非対称性などの要因によって完全競争市場が成立し ないことを根拠に、価格メカニズムが十全に機能せず効率的資源配分が達成されない状況 を想定する。しかし、このような市場の失敗と規定される状況は、すべての財・サービス が集中的に取引される理想的市場像それ自体を否定するものではない。 本稿の議論からは、新古典派経済学における理想的市場像に基づいたミクロ経済主体の 最適化行動によるマクロ経済の最適化の分析が、現実経済のモデル化として望ましくない ことが明らかとなる。換言すれば、新古典派経済学の枠組みは、あくまでミクロ経済主体 の最適化行動ないしは合理的意志決定の分析の域を出ず、動学的一般均衡理論のように、 そこから直接的にマクロ経済の最適化を導くことは、現実のマクロ経済を客観的に分析す ることを阻害しかねない。ゆえに、前述のフリードマンの「実証的経済学の方法」を踏ま えれば、新古典派経済学における理想的市場像の想定は、マクロ経済分析によって現実の 経済政策に対する有効な予想を行なううえで障害となりかねないものである10 本稿が提起する取引ネットワークは、萌芽の域を出ないものであるが、新古典派経済学 における市場原理に基礎を置く限界分析や均衡理論とは異なる経済学の枠組みを提起する。 そこでは、取引ネットワークの構造によって、経済主体間の収入と支出の相関関係や国 内における所得配分が変化することに焦点が当たられ、各種経済主体が自らの利得を最大 化する合理的行動が、必ずしもマクロ経済にとって望ましくない可能性が提起される。 10 このような主張は新古典派経済学の方法論全体を否定するものではない。新古典派経済学における最 大化や限界分析は、ゲーム理論やメカニズムデザインなどの多くの分野に応用されているように、経 済主体の意志決定を客観的に分析するうえで有効な手法である。 本稿で問題視されているのは、厚生経済学の第一基本定理や動学的一般均衡理論に現われるような 完全競争市場におけるミクロ経済主体の最適化行動によってマクロ経済の最適化が実現されるという 想定である。取引ネットワークによる分析で明らかなように、分散的市場像を想定すれば、ミクロ経 済主体の最適化行動がマクロ経済の最適化に帰結する必然性はない。また、現実のマクロ経済は、新 古典派経済学が想定するような理想的市場のもとで市場取引のみで構成されているのではなく、分散 的市場のもとで市場、公的、企業内、国際貿易といった各種取引関係が相互作用して構成されている。 ゆえに、新古典派経済学における理想的市場像や合理的経済人の想定のもとでの最大化や限界分析 は、ミクロ経済主体の意志決定の分析としては有効であるが、その枠組みをマクロ経済分析に直接適 用するには限界があると思われる。

(20)

20 また、強連結な取引ネットワークは、各ノードの利潤や貯蓄は増加しないとしても、ネ ットワーク全体での取引総額の増大が可能であり、より多くの家計や企業が相互依存的に 存在できる構造を有している。このことは、国際貿易の分析でも同様に当てはまるので、 経済のグローバル化が急激に進む今日にあって、取引ネットワークがどのような構造を有 しているかで、国際間および地域間の経済関係が変化するものと位置付けられる。 そして、取引ネットワークは、市場取引の分析に限定されるのではなく、公的取引、企 業内取引、および国際貿易取引をネットワーク分析という共通の枠組みによって考察する ものでもある。したがって、取引ネットワークの枠組みは、マクロ経済を構成するこれら 取引関係を総合的に分析するものとなる。 最後に、取引ネットワークでは、ミクロ経済とマクロ経済の両者がネットワーク分析に よって同一次元で考察される。それは、動学的一般均衡理論とは異なる観点からマクロ経 済分析のミクロ的基礎付けの枠組みを示すものである。取引ネットワークでは、ミクロ経 済主体の最適化行動とマクロ経済の最適化は必ずしも一致しない。強連結な取引ネットワ ークでは、ネットワーク全体での取引総額の増大が可能であり、より多くの家計や企業が 相互依存的に存在できる構造を有しているように、マクロ経済の最適化を分析するうえで は取引ネットワークの構造を分析することが不可欠となる。ここに、市場原理に基礎を置 く新古典派経済学とは異なるネットワーク分析に基礎を置く経済学の意義が現われる。 参考文献 奥野[藤原]正寛(2001)「経済発展と国家の役割」彦根論叢 332。 金光淳(2003)『社会ネットワーク分析の基礎―社会的関係資本論に向けて』勁草書房。 加藤涼(2007)『現代マクロ経済学講義―動学的一般均衡モデル入門』東洋経済新報社。 小林みどり(2013)『あたらしいグラフ理論入門』牧野書店。 塩沢由典(1990)『市場像の秩序学―反均衡から複雑系へ』筑摩書房。 ―(1997a)『複雑系経済学入門』生産性出版。 ―(1997b)『複雑さの帰結―複雑系経済学試論』NTT 出版。 塩沢由典・有賀裕二編(2014)『経済学を再建する―進化経済学と古典派価値論』中央大学 出版部。 西部忠(2011)『資本主義はどこに向かうのか―内部化する市場と自由投資資本主義』NTT ブックス。 安田雪(1997)『ネットワーク分析:何が行為を決定するか』新曜社。 ―(2001)『実践ネットワーク分析―関係を解く理論と技法』新曜社。 R.J.ウィルソン(2001)『グラフ理論入門 第 4 版』近代科学社。 J.A.ボンディ他(1991)『グラフ理論への入門』共立出版。 M.フリードマン(1977)『実証的経済学の方法と展開』富士書房。

参照

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