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西山学報 39 (19910330) 03中島 智子「多文化教育をめぐる論争と課題」

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全文

(1)

教 育

は   じ  め  に

 

多文化教

Multicultural

 

Education

とい う用 語お よび そ の

概念

は , こ こ 十

数年

に ア メ リカ, カ ナ ダ, イ ギ リス , フ ラ ン ス , 旧西 ドイツ, オ ー ラ リア , ニ ュ ージ ーラ ソ ドな どで

定着

しつ つ ある。

政策

として

採用

された り, カ リ キ ユ

教 育

践 と し 示 さ れ る他 , 研 究 も進ん で多 くの 文 献が表わ されて い る。 し か し, その 一 面で , 定

し た 定 義が ない とい う限

を 持ち, 多 くの 批 判に も晒 されて, 「多 文 化 教

は混

盾の ただ

に ある」 1) と言われてい る。 た し か に

1980

に は,

くの

多文 化教 育

が 出

さ れ, その 中に は 多文 化 教 育を め ぐる論 争を扱っ た もの も多 く見い 出され た。 特 に イ ギ リス で 出 版された もの に, そ の 傾 向を

る こ とが で き る。 とこ ろ が, その

論 争

は収

す る か, あ るい は

設 的

向に 発 展 し て い る とい うよ り も, なお 厂百 花

放」 の 観を 呈 し, 一 で学校に お い て は , い くつ もの プ ロ グ ラム が試み られてある面で は定

しつ つ

る と も 言 え

Crozier

の 言 うよ う に , 「多 文 化教 育の

論争

を通 じて 生 じ た こ とは, その

概 念

教実育

践の 発 展に つ い て の 楽 天主 義で る」2)の か も しれ ない 。

 

とこ ろ が, 我が国に は こ の よ うな多

育の 状況は ほ とん ど紹 介されてい ない よ うで る。 多

化 教 育の

研 究書

は わずか に 見 られる もの の 3) ,

国に お ける

研究 書

翻 訳は 皆 無で る。 これは ど うした こ とで

ろ うか。 国

複数

の 民 族や多 くの 移民 を

つ 国 とは, 事 情が異な る とい うこ と か もしれ ない が

同質

民 族 国 家 ョ ン に す ぎな い こ とは , もは や よく知 ら れ る とこ ろ とっ て い る。 そ れど こ ろか,

 

文化複合

を み とめ,

r

文 化多

元 主 一

1

(2)

西 山 学 報

国家

へ と , 国家

を 転 換 させ る こ とは,

21

へ 向 けて の, 日本を含め た

現 代

国家の もっ とも重

な課

である」4) と さ え 言 え よ う。 「国 際 化」 とは国 際

社 会

に お け る課

を意 味 す る と考え る な らば, 教 育の 分野 にお け る

文 化 教 育

究の 緊

性は

め ざ る を得 ない こ とで る。

 

そ こ で

本稿

で は, 多 文 化 教 育

研究

とし て ,

文 化教 育を め ぐる論 争 点を と りあ げる こ とに よっ て,

多文 化教

育の

性格

と限 界が どの よ うに表 わ され て い る か を 明 らか に した い と

るもの で る。 とは い え, 国ご とに ま た そ の

実態

政 策

究 面

か に よっ て さ らに複 雑 を きわ め る

多文 化教 育

に正面か ら取 り

む こ とは, とて も

者の か な う とこ ろ で は ない 。 し か も, 多 文 化教 育 が ど うい うもの か とい う イ メ ー ジす ら一般に は 共 有 さ れ て い 現 状を考えるな ら ば , と りあえずは い くつ か の デ ー タ を 提 供 する こ とが先 決ろ う。 そ こ で 多

文 化教育

単 な デ サ ンを

みた

, 多

化 教 育を め ぐる

判 と反

紹 介

して , し か る後に 若干 の

考 察

を加 えて み る こ と とする。

1

  多 文 化

 

前 述 し た よ うに,

多文

化 教 育の 定

が 定 ま ら

, そ れぞ れの 国または社 会に よっ て 多文 化 的

族 的

)状況

な る ため に , 多 文 化 教

とは

かを

簡単

に 説 明す る こ とは 難 しい 。 そ こ で,

者の 理

す る

囲で い くつ か の 国の

況 を

描 し て み よ う。

 

〈ア メ リ カ〉ア メ リ カ で は 建 国 以

, non −

English

もし くは

bilingual

が む しろ慣 例で っ た 。 第 一次 世 界 大 戦

孤 立

シ ョ ナ リ ズ ム の 中 で,

英語 教授

へ の

制 力が

め られ たが,

二 次 世

大 戦の 経 験 とス プ ー トニ ク ・シ ョ ク に よっ て外 国

語教育

へ の

た な

心と ,

移 民

難 民

流入

っ て

bilingual

教 育

がみ られた5) 。 しか し, 多 文 化 教 育の

直 接

契 機

は,

1960

代の

人の 公 民

ま り とそ れ に

さ れ て 起っ た エ ス ニ ッ ク ・ リバ ・ ミル 運

求め られ る 。 理 論 的に は , 「

学 習

」や「チ カ ノ 学

」な どの

定の エ ス ニ ッ ク ・マ イ ノ リテ a の 文 化の

学 習

を カ リ キ ュ ラ ム に

入 する 「単

2

 一

(3)

多文化教育をめ ぐる論争と課題 一民 族

」 か ら, 白人 を も

め た

数の 民 族文化 を扱い , 各 民族集 団の 経験 を比

較的

視野か らみ る 「多民族 学 習」 の , こ れらの 学習 を保

す る ため に は学 校の 教 育

環境

の 改革が 必要だ とする 「多 民族教 育

 

さ ら ニ ッ ク ・マ イノ リ テ ィ の

まら

女性

障害

者, 宗 教的 集団, 辺 地 住 民な ども

めた

者に 対 象を 拡大した 「多 文

教 育」 の 段階 た とされて い る6) 。 こ の 段階 論を 説 明し た

Banks

は , 多文 化 教育を 「さ ま ざ ま な

団か らきた子供た ち が, 教 育 上の 平等を経験で き る ように する た め の学 校の 実践 プロ ラ ム, 教 材などを表わす包括 的

念で あるノ) とし てい る

 

〈イ ギ リス 〉

 

イ ギ リス に お ける多文化教育は,

1950

年代の 移 民, とくに西 イ ン ド諸 島 イ ン ド, パ キス タ ン か らの

r

有色

J

移 民の

大に よ る イギ リス社 会の多民 族 化 の

対 応 と し 生 まれ

」8)。 当初 そ れは移 民の

問 題とし て始まっ た。 低 学 力の 子供は, 知

能障害

児の た め の

別学校に 入 れ られ るな どし て い たが9) , 彼 らが学 習に お い て

敗 するの は, 文化 剥奪 説や文 化 葛藤 説な どに み られ る よ うに

ら自身の 属性と し ての

に その 原因がある と考え られて い た。 し か し, やがて それは, 学

文 化を

む シ ス テ ム その の に求め られ る よ うに なっ た 自民族 中心で 中産階 級の 文 化を体 現する カ リ キ ュ ラ ム が とくに

改革

象とな た 。 多文化教 育へ の イギ リス 政府の

は,

1977年

の 教 育科学

の緑

に 示 され た 緑 書で は , イギ リス

会 を多 人

多文 化的社 , イギ リス の エ ス ニ ク ・マ イ ノ リテ ィ の 存在が

べ て の 生徒の 教 育にま れるべ , すべ ての 学

が イ ギ リス 社会の多民族性 と相互 依

的 世 界に お げるイギ リス の 位置に つ い ての

を与え るべ こ と, こ の 観 点でカ リキ ュ ラ ムをつ くる こ とに 言及 して い る 。 つ づ ラ ン プ トン ・ン で も,すべ て の 学 校

化的 ュ ラ ム

革が求め られ, 低

学力

の 問題が 一

時的

応や こ とばの 問題で な く人種主義の

題で る と初めて 明 らか に し た公 的文

だ と評価されて い る。

 

イギ リス は, 白人対 黒人 とい う図式か ら多人種教育

Multiracial

 

Educa

3

(4)

西   山 学  報

tion)

とい う用 語 の

が一

的であ る が, 反 人

義教

Antiracist

 

Edu

・ cation

とい う用 語 も

近で は よ く見

け られ る。 これ は,

校の カ リ キ ュ ラ ム に お い て エ X ニ ッ ク ・マ イノ リテ ィ の

化を尊 重 し て も,

等の 失 業 状

の 改 善が み ら れ ない こ とか ら,

会の 人 種 主 義 こそ が 元 凶 だ とする もの で , 多 文 化 教

へ の 批

の 一

を形 成 して い る1°)。

 

〈カ ナ ダ〉 カ ナ ダで は

1960

よ り, イ ギ リス

系文

化 とブ ラ ン ス

系文

化の 相 互に 対 等 な

位置

をめ ざす二 言

化 主 義 政

採 用

されて い た が,

1971 年

に トル ドー

相が

多文

化主

を宣 言 し て以 来, 先 住 民や

の エ ス ニ ッ ク ・マ リ テ ィ 集 団も

め た多 文

義 政策

が とられて い る。 た だ し, あ くまで も二 言 語主 義が 基 調で る。

1982

年に 制 定 さ れ た カ ナ ダ憲 法 第

27

条に お い て は 国 策 と して

多文

主 義が宣 言さ れ, 教 育の 分 野 で は カ ナ ダ

多文

化 ・異 文

審議

会が設立 され て い る。 そ して こ の 間に ,

別の 文 化 的

承 と言 語の 習 得か ら,学

全 体の 雰 囲 気の

改善

へ と

重 点

が移 動 して きて い る と言われ て い る11)。

 

〈オ ース トラ リア 〉 長 ら く

白豪

主 義」

政策

を とっ て きた オ ース トラ リア に お い て も,

1970

に 多

文 化

へ の

がみ られ た。

1972

政 権

を とっ た

労働 党 内閣

民 相グラス ビーが翌

年多文

化 主 義につ い て の 提 言 をお こ い , 自 由

党政 権

わ っ た

1978

に は ガル ノ ミリ ー ・提 出 。 八 ケ 国

で書かれ た こ の

告 書

は, そ の 目標 をオ ー ト ラ

多文

度の

に お き, そ の ため に は 民 族 集 団の 文 化 遺

重,

文 化

景 の 理

文 化 間の

互 理 解が重

で ある と された。 移 民の ため に は 第二 言 語 と し て の

英語教 育

心 と されるが,

民族

学校

対 す

公 的

補助

にみ ら

民族

重 と, すべ て の オ ー ト ラ ア の 子 供先 住 民

社 会

多様

言語

へ の 知 識 と理

を うえつ ける た めの 多 文

化教

育 が

推 進

さ れ て い る 12) 。 〈フ ラ ン ス

フ ラ ン ス で は

1970

まで,

移 民

老の 子 供 もフ ラ ン ス の

子 供

 

4

(5)

多文化教 育をめ る論争 と課 題 同様 に フ ラ ン ス の

校 教 育を受 ける こ と, すなわ ち同 化主 義

政策

が 一般 的 っ た 。 し か し,

1960

代に ポ ル トガ ル や北ア フ リ カの マ グ レ ブ

国か らの 移 民 の

加 に

っ て , 同 化 が

困難

況が生じ た こ とか ら, フ ラ ン ス 語を教えるた め の 「入

」 が設 置 された。 又,

1973

か らフ ラ ン ス 政 府は, 移民 の 送 り 出 し 国

政府

との の 二 国 間協定 を結び, 小 学校 の 正規 授 業 内で 母 国

を 習う

を与えた。 こ の よ うな移 民の 子 供に

する限 定的な措 置か ら, 「異 国の 言

化へ の

慮は, 同様に, フ ラ ン ス の生 徒を豊か にす る手 段を も作 り出す」 との フ ン ス 人の 子 供を も対 象 とし た異 文化間 教 育

lntercultural

 

Education

概念

が 登場 する の は,

1978

の 通

か らで ある。 フ ラン ス で は, 多 文 化教 育 よ り異文 化 間 教

とい う用語の 方が

して い る よ うであ る13) 。

 

以上 は全 く恣 意 的に 取 り上

た数ケ の 一面 的 な

書 程

の メ モ す ぎず ま た 欧米 以外に も多文 化 教 育に と りくむ 国は存 在 するわ けで るが14) , 各 国の

多文

化教 育を紹 介す る こ とが本

稿

目的で は ない の で こ の 辺 に し て, 以 上か ら だ けで

多文

の い 特 徴

くこ とが で きる。

1

多文 化

と そ れに基づ く多

教育

は, ほぼ

1970

か ら

ま り,

1980

代に その 定

化に

けた努 力が なされ て い るこ と。

2

.革

新政 党

に よ る政 府の もと で

された 国に お い て も,

政党

も 一

応政策

的に は

踏襲

され,

的な

流 を示 し て い る こ と。

3

移民

外 国人 労働 者

供の その 社 会の 公 用

へ の 適 応が第一義 的な 目標 と さ れ てい る こ とか ら, 統 合 主 義の 一種で は あ るが, 同化主

は否 定 されて い る。 そ の ため に

二 言

とし て の 公 用

語 (

英語

や フ ラ ン ス

語)教

育の 方

の 開

め られ, 同

各民族文化

重が重 視 されて い る。

4

. 当初は対 象 となる マ イノ リ テ a の

供の ため の

特別

なプ ロ グ ラム ら出し た その 完 遂の た め に は 学 校の 環 境 全 体改 革の 必要 性が

され るよ うに な り, その こ とは

結局

マ ジ ョ リ テ ィ の 子供に とっ て も良い 教 育 に びつ く と

判 断

か ら, すべ て の 子

対象

に し た

教育

とみ なされるに 至っ て い る。

(6)

西 山 学  報

2

 

多 文 化

 

1980

に は,

多文

化 教

を批

ま たは

擁護

す る

献 が 多 く 出版された が,

そ の

S

. 

Modgil

, 

G

. 

Verma

, 

K

. 

Mallick

, 

C

, 

Modgil

に よ る “

Multi

cultural  

Education

the

 

Interminable

 

Dehate

ISz

, 題 名 通 りの

激 的な内 容 である。 こ の 中か らい くつ かを

介し て, 批

や反 論が どの よ うに 展 開 されて い かを 見て み よ う。

 

(1

Bhikhu

 

Parekh

, ‘

The

 

Concept

 of 

Multicultural

 

Education

 

Parekh

は こ の 中で ,

文化教

の 概

を明 らか に し, そ の 必要 性を提示 し て, 多文 化教 育に 対 す る批 判の 妥 当性に つ い て検 証 し て い る。

Parekh

は ま ず, イ ギ リス の 教 育 シ ス テ ムが文 化 的に 中立で な く,

文 化

向を有して い る こ とを 例 をあ げて示 し, そ の よ うな教 育が子

える

響に つ い て

の 五 つ をあ げてい る。

 

単 一文 化

向の 教 育 し か受 けて い な い と, 他の文 化や

会 に対 す る好 奇心 や問 題 意識を持た ない 。

 

単 一文 化 志 向 の 教 育は想

力を 発 達 させ な い の で,

t

タ ナ テ ィ ブを思い つ く

能 力

発達

する。 想

力は

空の 中では な く, 刺 激 を

け る よ うな

社会

化に 晒された ときに 生 じ る。

  単

文 化 志 向 教 育 , 批 判

力の形 成 を妨 げる。 自 己世 界し か知 らな い と

の世 界を 自己の 基 準で 判 断 し て しま うし, 自己世 界へ の 批 判力 も持て な い 。

 

単 一文 化 志 向 の 教

は,

傲慢

さ と

鈍感

さを育て る。

外来

者に は

国の 言

や習

を要 求するの に, 自らは

国の そ れ らを学 ぽう と し ない 。 自分に は要 求 され ない こ とを他 者に は

求 する とい こ とで , ダブル ・ ダ ー を 持 つ 。

 

単 一

文化志 向

教 育

は, 人

の 土

供給

する。 子

たちは

会の

化に つ い て ほ とん ど

らない の で ,

な 一 般

や ス テ レオ タ イ プ で そ れ らに 反 応 する こ とがで きるだ けで, そ れは文 化 的に導 ぎ出さ れて い るの で

る。

 

以上は 白人の 子供 だ け で な く, 黒 人の 子 供に も 同じよ うな

結 果

た ら

6

(7)

       多文 化 教 育を め ぐる論争と課題 が,

人の 子はそ れ だ けで な く, こ の よ うな

白人

が持つ イ メ ー ジを 内 面 化 す る こ とに よ っ て

劣等 感

を もち 親や コ ュ ニ テ ィ の メ ンバ ー との 関 係 も破 壊 さ れる。 し たが っ て

Parekh

は , 単 一 文 化 志 向の 教 育は 白人 も黒人 もす べ

た ち を

る として,

多文化

を提 唱す

る。

多文 化教 育

の 原 理は, 子 供 を 世 界の 複 合 性

せ る こ で ある と

はい

 

彼の 多 文 化 教 育 擁 護 論は, 伝 統 的 一般 的

教 育

成 す る教

る との 論 法 に よっ て い る。

な わ ち, 一

般 的

見方

よ る

教 育

とは, 批 判 的

考 力, 想

力, 自己

批判

力,

判 断 力

な どの

間とし ての 基

的 な能 力を

うこ , 世

か れ, 客 観 性を もっ た 知 的 道 徳 的 資

うこ と, 全 人 類の 遺

に 親 しませ る こ とに よっ て

社 会 化す

るだ けで な く

人 間化

す る こ と, の

3

で , こ の よ うな

教 育

がな さ れ た とき, そ れ は

向 とし て 多文 化 教 育 で る に ち が い い とい う。 し た が っ て,

学校

に お け るエ ス ニ ヅ ク ・マ イノ リテ ィ の

に は よらな い こ とに な る。 カ リ キ ュ ラ ム の

が不

くな い こ と, で きるだ け

偏見

や独

な い や り

で 教え られるべ きで ある こ と, 教 師は他の 社 会や

化,

教,

道 徳 体系

などに平 等に意 識

である こ と が 求め られ る。 そ し て, 「生

らの

言葉

し, その 生

に つ い て

り,

に は

伝 統 的衣装

で 通 学 し, 民 族

楽を演

し,

らの

きな よ うに教

を飾る よ うに 奨 励 さ れ た ら, 学 校の エ ー トス は多文 化 的に な るだ ろ う」 とい う よ うに ,

Parekh

多文 化教 育

の イメ ー ジはた ぶん にユ ー ト ピア

で も

る。

 

そ れで は,

多文 化教 育

対す

る批

に つ い て は,

は ど う答えてい る か。

Parekh

は 冒 頭 部 分で,

多文 化教 育

は 「保 守 派に とっ て は , マ イ ノ リ テ ィ の

につ け 込む こ とで 教 育 を

化す

み に見 え

急進

派に とっ て は,

らの

文 化的 感受

性 を 増 長 させ る こ で , マ イノ リ テ ィ を

る人

義的

永 続化

す るイ デオ 戸 ー装

る が , よ り

し く は次の よ うであ る。

 

まず,

守 派 の 批 判 を,

 

教 育

は, エ ス ニ ッ ク ・マ イノ リテ ィ の

求 を 重 視 する た め に, 良い

教 育

シ ス テ ム を

な う

  多文 化

そ れな しに

(8)

西  山  学  報 は社 会が結 合 しえない 共 通の 公 的 文 化に 未 来の 市 民を

入 させ る とい う,

育 の

本 目

す る。

 

多文

育は , エ ス ニ ッ ク ・ リ テ ィの

文 化的 自

意 識 を 強 調 するの で,

会 を 分 断 し, 社 会の

合 を 妨 げる, の 三

で ある とし て, そ れ ぞ れに 反 論 して い る。

 

に つ い て は , 明 らか に 間

っ て い る。

多文

化 教 育は, マ イ ノ リ テ ィ の

子供

存 在

有無

に よ ら

べ て の

どもに とっ て よい

育である。

 

に つ い て は, もし

教 育

一 の 目

がこれ で

るな らば, そ れ は

教化

わ らない。 多 文 化 教

の提 唱は, 共 通 文 化 の 必

性を

る もの で な く, そ れ が よ り固

定的

で 偏 見

で ない よ うに 論 じる こ とで

る。

 

に つ い て は , ポー ラ ン ド

あるい は ア イル ラ ン ド

ア メ リ カ人は , ポ ー ラ ン ド

あるい は ア イル ラ ン ド人であ と同 時に ア メ リカ 人で ある。 社 会 統 合の 保 守 的 モ デル は, エ ス ニ ッ ク ・マ イ ノ リ テ ィ の 文 化 的 ア イデ ン テ ィ テ ィ を な くす こ と を

め るが, そ の

代償

は 結 局

くつ く。

多文 化教 育

は ,

社 会統 合

しな い 別 の モ デル を提 供 す る, とい うわ けで あ る。 す なわ ち,

Parekh

は非

に 自 由主 義 的 な 教

観に 立つ が その

図 す る多

化 教

図 す

育 と対 立

る もの で は な く, む しろ よ り

良 く達

の で

る とい うこ とに なる。

 

急進 派

批 判 と して ,

Parekh

4 点

をあ げて い る。

 

は レ イ シ ズ ム の 去 を 目的 とすべ だ が, 多

化 教 育に は こ れは で きな い 。 な ぜ な ら, レ イ シ ズ ム の 根 は深 く, カ リキ ュ ラム や 学

校集 会

を い じ くる だけで は影 響 さ れ ない と して , 反 人 種主

義教

育を提 唱す る。

 

多 文 化 教

は , レ イ シ ズ ム に 手を触れ な い か りか, そ れ を強 化 す る。 多 文 化 教 育は , マ イ ノ リ テ ィ の 子 供 に

定 的 な 自己イ メ ージを与 え, 白人の 子 供を もっ と

好 的 に する もの だ と思 わ せ る こ とに よ っ て , エ ス ニ ッ ク ・マ イノ リテ ィ を誤 っ た 自己 満 足の 中で なだ め る もの で あ る。

  多文

育は,

黒人

の 抵

無害

方 向

換させ る こ と で 緩 和 す る。

 

レ イ シ ズ ム を

純な態 度 の 問 題 とし て み る こ とで , 多 文 化 教 育 は レ ィ シ ズム の 政 治 性を 抜 き, そ の 社 会 的 経 済 的 原因を 無 視 す る。

Parekh

は こ れ らに し て 一 つ 一 つ の 反 論は し て い ない が, 反 人 種主義 教 育は教 育で は な くて プ ロ パ ガ ン ダで り, レ イ シ ズ ム に 対 し て学 校 とし て で る こ とは ほ とん 一 

8

(9)

多文化 教育をめ ぐる論争と課題 どない と

じて い る よ うだが, た しか に学 校が そ れに対 して直 接 的 役割 を果た せ な い として も, レイ シ ズ ム の不 当 性を説 明し, マ イ ノ リテ ィ

化へ

尊重

度を養 うこ とに よっ て, レ イシ ズム を弱め る こ とを

期待

で きる と主

する 。

Parekh

に とっ て

学校

は,

政治的闘争

と な る こ とは

ま し くな く, 学 校に そ れ 以 上の こ とを求め るの は不 可能で あ る とい うこ とで る。 し か も,

Parekh

わせ れ ぽ, 反 人種主義 教育 の カ リキ ュ ラム と多文 化教育の そ れ とは,結 局 あ ま り

わ ない で は な い か とい こ とに な る。

 

2

James

 

A

. 

Banks

, ‘

Multicultural

 

Education

 and  

Its

 

Critics

Britain

    and  the 

United

 

States

 

Banks

は, 多文化教

発 生の 背 景 とし て,

1940

年 代50 年代

に はエ ス ニ シ テ ィ は

近代

化 と ともに弱ま り, 利

害集

団は 社会 階

の 帰 属に よっ て形 成 され る と考え られて きた が,

60

70

年 代に ア メ リカ, カナ ダ, イ ギ リス な どで 民族 集 団に よ る抗

運 動が こ っ た こ とに よっ て, そ れまでの 理

が有

効性

を失 っ た こ とを あ げ,

に , 学 校は 平 等 を 達 成 する た め の

要な 手 段で

る との 認 識 に

次世 界 大 戦 後の 国 民教 育 制

改 革 運 動が, 民族 活 性 化運動の 中 心的 部分に な っ た と説明 す る

 

Banks

に よれ ば, 多

育 とは 「さま ざまな

団か らきた 子供た ちが 教 育 上の

を経

で きる よ うに

る ため の

実 践 プ ロ グ

どを

す包 括的概念

である」。 そ して, 新 しい

革 運 動で, レ イ シ ズ ム や 不 平等 とい う論

争的

政 治的問題 うもの は,特に 批

け や

い と 言 う。 こ の 批 判に つ い て,

Banks

保 守派

進 派, あるい は

と左か らの 批 判 とい う表 現 を

る。

 

急進

派の

につ い て,

Banks

は次の ように説明 し て い る ;ラ ジ カ ル な

批 判 老は , 主 とし て ア メ リ カ人で は な くイ ギ リス人に

く , その 理 由は一つ

に は ア メ リ カ

ApPle

 

Katz

 

Bowles

 and  

Gintis

うな ラ ジ カ部 分

(10)

西  山 学  報 もう一つ 両 国人 種 関 係の 歴 史や多 文 化 教

の 性 格が異な る こ とにある。 す な わ ち , ア メ リカ の 多

教 育

が早 くか らレイ シ ズム や 不 平 等の 問 題を扱 っ て

た の で 批 判 老か ら大 目に み られて きた の か もしれな い 。

急進

派 の

批判

は, 教 室の 中の

化 的 多

性や人 間

関係

に焦

を合わ せ る こ とに よ っ て, 多 文 化 教 育は 全ての

が等 し く正 当だ とい う

神 話

を助 長し, そ の

結果

と して,

圧 された 集団 が現 状の 圧 シ ス テ ム に

足 す る よ うに され て し ま うとい う もの で

る。

多文化教 育

は こ の よ うな

階 級

, 制

度 化

された レイ シ ズム , 権 力,

資本

主義な どの 分

を避けて い る とい うわ けで る。 特に イ ギ リス の 反 人種主

義教

育の 提 唱老 で ,

学校

を社 会 階 級や 民 族的 人 種 的 階

を反 映 し永

化 する

社会 制

と して み る

は,

学校

反 人種

や 平

推 進す

る こ とは不 可

だ と

え る。

 

これ に対 して

Banks

は, 学

社会構造

映して い るに す ぎな い な らば,

部に

変化

こ そ う と

るの は

無意 味

な こ とで,

教 育

者は そ の

任務

を 放

す る し かな くなる 。 した が っ て ,

進派 の 批 判は, 民族 問題へ の教 育上 の 無 関心 にア リバ イ を

え る こ とにな る。

多文 化教

育だ けで

会の

構造改 革

を行 えは しな い が, 社 会 批 判を促し て 学生 の 社 会 改 革へ の コ ミ ッ トを助け る こ とに よ っ て

改革運動

ける こ とは で ぎる。

急進 派

批判

は明

説 得

力が あ る が, 学 校 改 革の 戦 略の

示に つ い て はあい まい で ある, と反 論 して い る。 た だ し,

多文

化 教 育 も初

の 頃は

進 派が あ げる よ うな問 題に も注 意を払っ て い た の に , 運 動が広が る に つ れ て そ の よ うな関心 が

っ て きて い る との 反

も示 し て い る。

 

次に保 守 派か らの 批 判は,

Banks

に よれ

以 下の よ うで ある ;

にア メ リカ で は,

back

to

basics

っ て,

多文化教 育

されつ つ る。

20

紀基

金 レ ポ ー トで も,

英 語

を 話せ な い もの に 対して は, バ イ リ ン ガ ル

よ り

語 教 育の

位 を

調 し て い る。 こ の 立 場か らすれ ぽ, 多 文 化 教 育は 基

的 訓 練をつ る よ り, 子供の 自己

念を

め た り, 人種 的

態度

を よ り 肯定 的にする こ とに関心 を払っ て い る よ うに

え る よ うだ。

Maureen

 

Stone

10

(11)

多 文化 教 育をめ ぐ る論 争と課題 は, 多 文 化 教 育 主 義 老は黒 人の 子 供の 自己 概 念を高め た り, 黒 人 文化 や 歴

える こ とに

心だ が,

教 師

とい うよ りは カ ウ ン セ ラ ーの よ うで, 基

練 に は 失 敗 し て い る とい 。 保 守 派は, 学

とは, 子 供た ち が 国 民文 化を共

す る の に

技能

させ る の を助 けるべ きだ と

じて い る。 したがっ て , 民 族

固有

化や言

を 教 えたけ れば彼 等

自身

でや るべ きで,

校の よ うな公 的 機 関の や る こ とで はない とい う。

 

こ の よ うな保 守 派の 批 判に 対 し て

Banks

は, 彼 らの 批 判は民 族 的な

内容

を 教える こ と と基礎 学力 をつ け る こ と は矛盾 する との 仮 説づ い て い るが, 多

文 化教育

義者

は こ の

仮説

ち と, 自

た ち もマ イ ノ リ テ ィ の 学 生が基

礎学

力を高め る こ とを意図 し て い る こ とを示 す 必

が ある。

多文 化教

育の

説は, マ イノ リ テ ィの文化 や ア イ デ ンテ ィ テ ィ を認めた カ リキ ュ ラ ム は, 彼 らの 学 習 ス タ イル

動 機

ス タ イル と

びつ い て , 甚

訓 練

をマ ス タ ー能 力

め る とい う もの で

る。 ま た,

多文

育の 目的は ア メ リ カ流 民主 主 義 とい う理 想と一致 し, 公 民

育の 目的 とも 一 , と反 論 し て い る。

 

h

か ら, 左 右の 批 判に つ い て の 認 識 もそ れ に 対 す る反 論 も,

Banks

Parekh

で はその ス タ ソ ス に おい て

通っ て い る。 多 文

化教 育

学 力

冶や普 遍 的な 国 民の 成 を軽 視し て い る とす る保 守 派の批 判に対し て は,

多文

化 教 育が その 目的を

視 して い るの で はな く, む しろ よ り良 くその 目的を

達成

するた め の オ ール ナ テ ィ ブを提

し て い る との 立場 をとる。 ま た, 社 会

造 や権 力の

を無 視し て い る とい

進 派批 判 して は, その よ うな

を 認めつ つ , 学 校の 役 割の 限 界を設 定 す る こ とで, 勇ま しい 急 進 主 義 老が結 局 現 実に お い て はな し

ない こ とに多

化 教 育は貢

る とす る。

 

ただ,

Banks

は, こ の よ うな批 判 が 生 じる

背景

考察

し てい る。 

Banks

に 言 わせ れ ぽ, これ ら左 右の 批 判 とも

多文

育の 理論や

践そ の もの の 分 析で は な く, 最 も悪 い 例 を 引い て い るか, ア メ リカ で も イ ギ リス で も 理論 と

実践

の 間に は 大 きな ギ ャ ッ プが あ るの に, 誤っ た 学 校の 実 践か ら もた らされた

概念

で 批 判 さ れて い る とい うこ とで ある。 そ して

多文

化 教 育の 研

者の 間に , 多

化 一 11 一

(12)

西 山 学 報

教育

の 目的につ い て の コ ン セ ンサ ス が確 定 し て い ない こ とに そ の 原 因る と も指

し て い る。 ま た,

学校

社会 的機能

に つ い て は ,

進 派の

見解

を 一

め なが ら も, その よ うな学

に お い て

師は民 主主義を推 進 する よ うに

め る とい う矛盾 を 生 きな け れ ぽ ならず, 学 校は 民主 主 義 も反平等主 義 も教 える と い の モ ラル の デ レ ン マ を

り出して い る が, こ の デ ィ レ ン マ が社 会 変

を可

る と

Myrdal

を引い て 述べ い る。

 

多文

化 教 育

の で , 民主 化の 徹

を 求 め て い る だけである」 と言 うよ うに,

Banks

の 理論の 流 に はア メ リ カ流 民 主 主 義へ の

が ある。 し か しそ の よ うな

Banks

で も,

昨 今

の ア メ リカや イ ギ リス の 新 保

育に お

越 性を求め る傾 向に, 多文 化教

の 未 来 へ の 不 安を

じて い る よ うで る。

 

(3

Brian

 

Bullivant

 ‘

Towards

 

Radical

 

Multiculturalism

Resolving

 

Ten

  

sions  

ill

 

Curriculum

 and  

Educational

 

Planning

 

イギ リス の

Parekh

ア メ リカ の

Banks

が多 文化教 育の 擁護 論 者っ た

の に対 して , オ ース ト ラ リア の

Bullivant

は 多文 化 教 育へ

辣な批

者で

ある。 し か し, イギ リス の 左の

批 判老

反人 種

義教

育を

唱 す るの に

て,

Bullivant

Radical

 

Multiculturalism

を主 張 する。

 

Bullivant

多 文 化 教 育 批 判は ,

1981

年 の 彼の 代 表 的な論 文 ‘

The

 

Pluralist

Dilemma

 

in

 

Education

’15)以

の 主 旨は一

し てい る。

1981

論文

で 彼は, イ ギ リス , カ ナ ダ, フ ィ ジ ー , ア メ リ カ, ハ ワ イ, オ ー ト ラ

多文

化 教 育の 試み を分 析 し て, 多文 化 教 育は民 族 集 団の 生 活様 式を推 持 する か もしれな い が, 民 族 成 員の ラ イフ チ ャ ン ス の

改善

に は

かない だ ろ う, すな わ ち生 活

の 維 持に 固執 す る こ とは , 政 治 経

的 権 力の 配分 へ の

会を失 うこ とに な る と

論づ て い る。 こ こ で紹 介 する ‘

Towards

 

Radical

 

Multiculturalism

’ で も, 権 力の 要 素を無 視し た多文 化 教 育主義 者を批判 して , そ の 展開は問 題の 所 在 を うま くま とめ て い るの で, 以 下で は

Bullivant

の 批 判 を跡づけて み よ う。 一 12 一

(13)

      多文 化 教 育をめ ぐ る論 争 と課題

 

Bullivant

わ せ れ ば, 多 文 化 教 育主

者は 「彼 らの 教 育シ ス テ ム を襲 う 病 気を治 療す る特 効 薬 とし て

多文

化 教 育を採用 し て た」 が, そ の

背 後

に は

 

民 族

成 員

異文 化

間 理 解

意 志

が あ り, 資 金の ある政

り,

西

洋社

会 を長 く特 微

づ けて きた

的 自由

義的

が あ れ ぽ , 問 題 は

決さ れ るだ ろ う」 との

天 的 確 信が横た わ っ て い る と い うこ とに な る。

に , 多 文 化主

を政 策 とする 国が次々 と生 じ た こ と に 満 足 し て い る点 を, 国 家の イ デ オ ロ ギ ー に と りこ まれた

正主

だ と

Bullivant

批 判す

る。

 

Bullivant

に よれぽ, 多文 化 教 育を め

論 争

は 「自分

世 界 を イメ ー ジる者

ユ ー ト ピ ア

と,現 実 世 界 に 合 うよ うに 自分の

を整 え る者

リア リス ト

との 永 遠

に 似て い る とい

か に

多文

化 教 育に限 らず,

育を め ぐる論 議に は こ の 傾 向が

て は ま る よ うで あるe ル ソ ーの エ ヒ ル

力 を覚え る もの は , 願 望を思 想とし て語 りが ち で ある。 多 文化教 育 主 義 者が ユ ー ト ピ ア ン だ とすれ ば 左 右の

批判 者

は どち らも リア リス トであ る。 特に 学 校の

社会

機能

に つ い て の 認 識 に お い てその

い は顕

で ,

現 実

機能

に 立

す る リア リス トとあるべ き機 能 を語る ユ ー トピ ア ン の

論 が

うの も 当 然で あろ う。 こ の よ うな 見 解 問の

公的 政策

に おい て もみ られ,

Bullivant

に よ れ ぽ, ア メ リカ の ス プ ー トニ ク ・シ

の カ リキ ュ ラ ム 改

昨今

back

− to−

basics

の 動 き

198384

の バ イ リ

ン ガ ル 育 へ 財 政 ッ ト に 見 られ る レ ー ガ ノ ミ ッ ク ス は リア リス トの そ れで あ り,

1970 年

代の オ ース ト ラ リア の 多 文 化 主 義 の 採 用は ユ ー ト ピア

で ある 。

 

カ リキ ュ ラ ム に お い て も 同様の 緊 張が影 響 して い る 。

Bullivant

に よれ ば カ リキ ュ ラム とは .

 

「あ る社 会 集 団の 伝

的 及び 現 在 知 識 , 概

験の

公的

ス トッ ク か ら選ば れ, イデ オ ロ ギ ー 影 響

価 値付 与

された 過 程か ら

果 し た 知

概 念

の セ , そ の セ ッ ト の サ ブセ ッ ト

シ ラバ ス や ユ ニ ッ ト

へ の

組織 化

, 学 習 者へ の

伝達

お よび評 価か ら成 り立 っ て い る」。 し た が っ て, どの よ うなカ リ キ ュ ラ ム を採用 す る か を決 定 す る際の

価値

判 断 は ,

学校

シ ス テ ム が

奉仕す

社 会

性 質が関わ り, そ れ に は基 本

実 質

的か 規 範

(14)

西  山 学 報 的か の ニ タ イプが あ る。

 

実 質 的価

判 断 とは, 記 述 的,

現 実的

ア プ ロ ー 。 そこ で , 「ギ リス は 多 文 化 社 会だ」 とい う

明も

検 証

さ れ る。 す る と, ア ジ ア ・ フ リ カ ・ カ リブ出

の もの は人 口 の

4

5

%に す

ず , イギ リス 生まれの 数を考 慮 す れ ぽ もっ と小さ くなる。

 

「オ ース トラ リア は

多文

会 だ」 とい う主 張 も

様で る 。 「人 口 の

40

%が

多数派

の ア ン グ P ・ケ ル 文 化

異 なる 」 と政 府 機 関が 報 じるが,

1981

年の 国 勢 調 査に よ る と, 人 口 の

78

% が オ ー リ ア生 まれで, その うち の

88

. 

5

%は オ ー 両 親 ら生ま れ い る。 し た が っ て, 文 化 的に 異な る オ ー ト ラ

, 実 際

lq

*もっ と

くなる 。 こ れ に対 し て, 規

値 判 断は, 将

に 達 成 され るぺ き社 会 の 種 類を予 見 し, こ の 目標を達 成 する た め に 採 用 されるべ き戦 略を設定 す る。

 

Bullivant

が こ の よ うに , イ ギ リス や オ ー リ ア

社会

多文

化 社 会だ と声 明疑 問を投 げかけ る レ ト リッ ク を用い た の は,

保守

的立場 に 組みす る こ とを意 味 す る もの でい こ と は

勿論

の こ とで, リ ア リス トが デ ー あ げ るの に

し て, ユ ー トピ ア ン が

規範

的 声 明か述べ ない こ とへ の

警 告

る。 し か しそ れ だ け でな く, 文 化の 概 念の 再 検 討を要 請 す る た め で もあ る。 オ ー トラ リア の され た よ うに , もしエ ス ニ ッ ク ・ な っ て , 生 まれつ きか な りの 程 度 「オ ー ト ラ

」 を身に つ け い る な ら,

らが社 会 的に 排 除され るの が 果 し て文 化が異な るせ い なの か, 多

文 化教

にお い て

伝統

的 特

的 文 化を取 り上

る こ とが,

してその 状 況を改 善 す る こ とに つ な がる の か ど うか とい う

題が生 ず る か らで る。

 

そ こ で 次に ,

Bullivant

の 文 化

概 念

の 検

を見てみ よ う。 カ リ キ ュ ラ ム が こ か ら選 ばれ る知 識や概

や経 験の 公 的 ス トッ クは, 社

文 化

密 接

関係

す るが, 文 化の

義に お い て もリア リス ト

ユ ー

が み られ る とい う。

Bullivant

に よ れ ぽ, 文 化の L 一 定 義

TylQr

古 典 的 定 義 に い が ち で , オ ー ト ラ リア の 多文 化 教 育 関 す 学 校 委 委 員 会

Schools

 

Commission

’s 

Committee

伝 統, 歴 史, 言語, 美 術や そ の

(15)

多文化教 育をめ ぐ る 論争と課題 他の

芸術作

宗教

, 慣

価値 観

とい っ た 社 会 集 団の 遺 産 と同等 とみ な す ポ ピ ュ ラ ーな使 用 法を採 用 し て い る し, オ ース トラ リ

影響

力を持つ 理論

Smolicz

も 同様で あ る。 イギ リス や ニ ュ ージ ーラ ン ドで もまた し か りで ある。 た だ し, こ の よ うなア プロ ー

限界

認識

し て い限 り

て い る わ け で は ない とし て , その

特徴

を以下の 四点に あ

て い る。 一 , 文 化 的 プ ロ グ ム の 道 具 的

面 よ りは 表 現 的 側 面

調

る こ と。 二 つ め に,

団の 歴 史 的 なラ イ フ ス タ イ ル を強 調 するが ,

現在

の 環 境へ の 適 応や ラ イ フ チ ャ ン ス を

る ため の 日下の

戦 略

につ い て は ほ とん ど言及 しない こ と。 三 つ め として , そ の 結 果 民 族 文 化 集 団 出 身 者に 化石 に なっ た文

持 させ る こ とに なる こ と。 四つ め と して は , 彼らが生きて い る

会の 現 実に つ い て の

報 が ほ と ん ど

え られ ない こ と。 す な わ ち, た とえ ば = 。・ 一 子 供 ちに マ オ リ族の 族 の 構 造や カ ヌ ー隊に つ い て

え る こ と は 魅惑的 で はあ る が, 現在 住む都 市で 生 きる

をつ け る こ とに 結びつ け られ な い か ら, そ の よう な知 識は現 実と無 関係の ままに なる, とい うわ け である。

 

こ こ に 多 文

義 者

の デ ィ レ ン マ が あ る 。

Bullivant

に ょれば, デ ィ レ ン マ とは こ うで ある。 「民族 的

背景

つ 子

た ちが ,彼 らの 文 化

遺産

や言葉, 歴 史, 慣 習そ の 他の ラ イフ ス タ イル の 側 面に つ い て学ぶ こ とを励ま さ れ る よ うな カ リ キ ュ ラ ム の

選択

は,

らの 教 育 機 会の 平 等や ラ イフ チ ャ ン ス に は ほ と ん ど

係が ない

育機会

平 等や ライ フ チ ャ ン ス は, よ り広い 文 化 複 合 社会 で作 用し て い る

造 的, 社

会階 級

的, 経

的, 政 治 的, 人 種主 義 的 要 因に よ り

く 影響 されて い る し, 支 配集 団に よっ て

行使

され る社 会 的 報 酬や経 済 的 資 源 へ の

近をめ ぐる コ ン トロ ール に よっ て影響され る。 し た が っ て , 多 くの ロ マ ン チ ッ ク で ユ ー トピア 的 な

多文

化主義 者がい うよ うに, 彼 らに そ の

化遺 産を教 え る こ とが, よ り

ぎな 自己評 価に そ して よ り良い成 績に そ し てその

果 とし て 良い職に つ な が と主 張 するこ と は, イ ギ リス の

Stene

1981

年)

が示

唆す

る よ うに 極め て 極 端な 単

化である。 こ の よ うな

多文

化プ ロ グラ ム が もし

過 度

に 強 調 され るな らば, 彼 らの エ ネル ギ ーや

心 を その

経済

シ ス テ ム の 中で生 一 15 一

(16)

西 山 学  報

きて い の に 必要な英 語とい う

配 者 言語の 習 得か らそ らし て し ま うこ とに な

るだ ろ う。 」

 

こ の よ うな デ n レ ン マ か 脱 する た め に は

, 文 化の 再定

を行 う必 要 が

Bullivant

は 言 う。 

Kroeber

Kluckhohn

 

さ らに は

Goodenough

Geertz

, 

Keesing

 

Redfield

な ど定 義に し たがっ て, 「本

的に は文 化とは ,

団が

特定

の 場 所に お い て 生

上の 諸 問

に 対 処 する こ とを 可能 とする

応 性の

化に基づ い た 永 遠に 発 展 す る

r

存装

置 survival  

device

の 一 形

で あ る」 と定 義する。 そ して , 「民族 文 化 集 団 出身の 子 供た ちが学ぽ ね ば な らない の は , プル ー リ ズ ト ピ 的 見 解 ッ クで化石 の よ う な

化で は な く, こ の

文化

で あ る」 と言 う。 ただ し, 「

石 の よ うな文化」 も社 会 集 団の 生 き 残 り プ ロ グ ラム の 表 現的機 能を果たす とい う意 味で, 古 典バ レ = や美術 や文 学な どが 受け継が れ る こ と を説 明で きる とし て,  「そ れ らもま た文 化の 重 要な 一 部 分であ り, 無 視 されるべ きで は ない が,

過 度

誇張

さ れ るべ き も

Bullivant

の 考えで ある。

 

別の とこ ろ で

Bullivant

は, 文 化 多元 主義も し くは多 文 化主義 者は, 文

集 団の 成 員が 日常 生 活の ての 局 面でその 文 化を用い て い る よ うに言 うこ とに

対して い る が16) , な る ほ どある社 会に おける エ ス ニ ッ ク ・マ イノ リテ ィ 集 団 がすべ 伝 統文 化だ け て い

え る

現実

。 ま た , 集 団 間に葛藤が生 ず るの は , 文 化が異なる か らで は ない 。 権力や 資 源の 分 配をめ ぐる闘 争が, 結 果 として 文 化の 優 劣 意 識や 同

排外

抹殺

あるい は 自 文 化へ

1

  ikELを招 く 。 そ し て こ の こ とは, な ぜ人 間が個 人に

分解

さ れ ない で , 集団 を 形成す るか とい うこ とを も説 明して くれ る。

Banton

が合 理 的

択理 論と してべ て い る よ うに,

 

「も し

らが個 人 として 互 い に

競争

するな ら,

団の

愛界線

解 消

さ れ る だ ろ う。 もし集 団 として

争 する な ら, 彼 らが 手に し た利 益は境 界

化 す る よ うに 仕 向けるだ ろ う。 特 権を 得た集 団の 生 活や文 化は, 彼 らの 排

的な

を守る よ う

向づ けるの に 対し て,

従 属集

団の 生 活は , 彼 らを 特 権か ら排 除 す る策 謀へ の

攻 撃

め る よ う,

らの

び 〜 16 一

(17)

多文化 教育を めぐる論争と課 題 つ を培

i

す る よ うに 向か うだろ う」17)。

Bullivant

に言わせ れば, 「文 化はそ の

社 会集

団が

団に 比べ て享 受 し た有 利 性をそ れに よっ て最 大 化す る 戦 略を体 現 す る」 とい わけで る。

 

以上 の 考 察づい て,

Bullivant

は 「

色の ある文 化の 所

は, エ ス ニ ッ ク ・グル ー プの 生存に つ い て の 必要 条 件で も十 分 条件で もない 」 と断 定 する。 そ れで は ど うすれ ばよい の か 。 厂

多文

化 教 育は権 力に 対 して もっ と政

治的

感に な ら なけ れぽ な らない として

Radical

 

Multiculturalism

提 唱 す るが, そ の

は明確で な く, そ の 効 力 もそ れほ ど信 じて い ない よ うで ある。 い わぽ ユ ー ト ピ 型 と リ リ ズ

で あ て , 「民 族

文化的

背景

供が, 生

上 の 知

の よ り必要な

配 を うばわれる の は, カ リ キ ュ ラ ム とス ク ー し て で る 」 し て

 

「権力 に

感な」 カ リキ ュ ラ ム

革につ い て 若 干 述べ て い るが, 結 局 「完 全な解 決に は, 我々 がル ソ ー エ ミール 以 来 見た もの の

上 に る, 教 育に お ける プル ー ラ リ ズム の イ デ P ギ ー

を ま た ねばな らな い だ ろ う」 との 言 葉く くっ て い る。

3

  多

教 育

論 争 点

課 題

 

以 上 で

た よ うに,

多文

育に お い て は, エ ス ニ ッ ク ・マ イ ノ リ テ ィ に 関わ る

不平

は,

らの 能 力の せ い で もホ ス ト

へ の 不

れ の せ い で もな く, 基 本 的に は

化に 関わ る問 題で あっ て , マ イ ノ リテ ィ

文 化

を理

尊重す

る よ うな

学校環 境

えぽ, マ イ ノ リ テ a の

子供

己 もし くは 自らの

化 を

下 す る こ とな

学 習

して

積極

に な り, マ ジ ョ リ テ ィ の 子 供 も 自文 化 中心主 義か ら自由に な っ て偏 見を少な くする と考え られ て い る。 これ に対 して , そ の よ うな

文 化 教 育は双 方の 子

に とっ て基

礎学

力 の 充 実につ な が ら な い ば か りか, 国 家

合を も

くす

る との

か らの

批判

や,

多文

化 教 育主

義者

家や

権 力

の 問

を避 けて お り, レ イ シ ズ ム を態

の 問 題 とみ な し た り偏

を 心 理学 的に し か 説 明しない な ど弱 点を もち, 結 局は エ ス ニ ク ・マ イ ノ リ テ

懐 柔策

にす

ない とす る

か らの批 判が なされて 一 17 一

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