多
文
化
教 育
を
め
ぐ
る
論
争
と
課
題
中
島
智
子
は じ め に多文化教
育(
Multicultural
Education
)
とい う用 語お よび そ の概念
は , こ こ 十数年
の 間に ア メ リカ, カ ナ ダ, イ ギ リス , フ ラ ン ス , 旧西 ドイツ, オ ース ト ラ リア , ニ ュ ージ ーラ ソ ドな どで定着
しつ つ ある。政策
として採用
された り, カ リ キ ユ ラ ム 開発
や実
際の 教 育実
践 と して 示 さ れ る他 , 研 究 も進ん で多 くの 文 献が表わ されて い る。 し か し, その 一 面で , 定着
し た 定 義が ない とい う限界
を 持ち, 多 くの 批 判に も晒 されて, 「多 文 化 教育
は混乱
と矛
盾の ただ中
に ある」 1) と言われてい る。 た し か に1980
年
代
に は,多
くの多文 化教 育
関連
図書
が 出版
さ れ, その 中に は 多文 化 教 育を め ぐる論 争を扱っ た もの も多 く見い 出され た。 特 に イ ギ リス で 出 版された もの に, そ の 傾 向を強
く見
る こ とが で き る。 とこ ろ が, その論 争
は収束
す る か, あ るい は建
設 的方
向に 発 展 し て い る とい うよ り も, なお 厂百 花斉
放」 の 観を 呈 し, 一方 で学校に お い て は , い くつ もの プ ロ グ ラム が試み られてある面で は定着
しつ つあ
る と も 言 える 。Crozier
の 言 うよ う に , 「多 文 化教 育の論争
を通 じて 生 じ た こ とは, その概 念
や教実育
践の 発 展に つ い て の 楽 天主 義で ある」2)の か も しれ ない 。とこ ろ が, 我が国に は こ の よ うな多
文
化教
育の 状況は ほ とん ど紹 介されてい ない よ うで ある。 多文
化 教 育の研 究書
は わずか に 見 られる もの の 3) ,外
国に お ける研究 書
の 翻 訳は 皆 無で ある。 これは ど うした こ とであ
ろ うか。 国内
に複数
の 民 族や多 くの 移民 を持
つ 国 とは, 事 情が異な る とい うこ と か もしれ ない が, 厂同質
的な単一民 族 国 家」 が フ ィ ク シ ョ ン に す ぎな い こ とは , もは や よく知 ら れ る とこ ろ となっ て い る。 そ れど こ ろか,厂
文化複合
を み とめ,r
文 化多
元 主 一1
西 山 学 報
義
』国家
へ と , 国家豫
を 転 換 させ る こ とは,21
世紀
へ 向 けて の, 日本を含め た現 代
国家の もっ とも重要
な課題
である」4) と さ え 言 え よ う。 「国 際 化」 とは国 際社 会
に お け る課題
の 共有
を意 味 す る と考え る な らば, 教 育の 分野 にお け る多
文 化 教 育研
究の 緊急
性は認
め ざ る を得 ない こ とで ある。そ こ で
本稿
で は, 多 文 化 教 育研究
の第
一歩
とし て ,多
文 化教 育を め ぐる論 争 点を と りあ げる こ とに よっ て,多文 化教
育の性格
と限 界が どの よ うに表 わ され て い る か を 明 らか に した い と考
えるもの で ある。 とは い え, 国ご とに ま た そ の実態
か政 策
か 研究 面
か に よっ て さ らに複 雑 を きわ め る多文 化教 育
に正面か ら取 り組
む こ とは, とて も筆
者の か な う とこ ろ で は ない 。 し か も, 多 文 化教 育 が ど うい うもの か とい う イ メ ー ジす ら一般に は 共 有 さ れ て い ない 現 状を考えるな ら ば , と りあえずは い くつ か の デ ー タ を 提 供 する こ とが先 決で あろ う。 そ こ で 多文 化教育
の簡
単 な デ ッ サ ンを試
みた後
, 多文
化 教 育を め ぐる批
判 と反論
を紹 介
して , し か る後に 若干 の考 察
を加 えて み る こ と とする。1
多 文 化
教
育
とは何
か前 述 し た よ うに,
多文
化 教 育の 定義
が 定 ま らず
, そ れぞ れの 国または社 会に よっ て 多文 化 的(
多民
族 的)状況
が異
な る ため に , 多 文 化 教育
とは何
かを簡単
に 説 明す る こ とは 難 しい 。 そ こ で,筆
者の 理解
す る範
囲で い くつ か の 国の状
況 を素
描 し て み よ う。〈ア メ リ カ〉ア メ リ カ で は 建 国 以
来
, non −English
もし くはbilingual
教育
が む しろ慣 例で あっ た 。 第 一次 世 界 大 戦後
の 孤 立主義
とナ シ ョ ナ リ ズ ム の 中 で,英語 教授
へ の強
制 力が強
め られ たが,第
二 次 世界
大 戦の 経 験 とス プ ー トニ ク ・シ ョ ッ ク に よっ て外 国語教育
へ の新
た な関
心と ,移 民
や難 民
の流入
に伴
っ てbilingual
教 育の復
活がみ られた5) 。 しか し, 多 文 化 教 育の直 接
の契 機
は,1960
年
代の黒
人の 公 民権
運動
の 昂 ま り とそ れ に 触発
さ れ て 起っ た エ ス ニ ッ ク ・ リバ イ・ ミル 運動
に 求め られ る 。 理 論 的に は , 「黒
人学 習
」や「チ カ ノ 学習
」な どの特
定の エ ス ニ ッ ク ・マ イ ノ リテ a の 文 化の学 習
を カ リ キ ュ ラ ム に導
入 する 「単2
一多文化教育をめ ぐる論争と課題 一民 族 学
習
」 か ら, 白人 を も含
め た複
数の 民 族文化 を扱い , 各 民族集 団の 経験 を比較的
視野か らみ る 「多民族 学 習」 の 段階を経て , こ れらの 学習 を保証
す る ため に は学 校の 教 育環境
全体
の 改革が 必要だ とする 「多 民族教 育」 へさ らに エ ス ニ ッ ク ・マ イノ リ テ ィ の
文
化
に留
まらず
女性
や障害
者, 宗 教的 集団, 辺 地 住 民な ども含
めた文
化的
少数
者に 対 象を 拡大した 「多 文化
教 育」 の 段階に 至 っ た とされて い る6) 。 こ の 段階 論を 説 明し たBanks
は , 多文 化 教育を 「さ ま ざ ま な集
団か らきた子供た ち が, 教 育 上の 平等を経験で き る ように する た め の学 校の 実践 プロ グラ ム, 教 材などを表わす包括 的概
念で あるノ) とし てい る。〈イ ギ リス 〉
「イ ギ リス に お ける多文化教育は,
1950
年代の 移 民, とくに西 イ ン ド諸 島, イ ン ド, パ キス タ ン か らのr
有色J
移 民の増
大に よ る イギ リス社 会の多民 族 化 の事
実へ の対 応 と して 生 まれて きた ところに特
色がある 」8)。 当初 そ れは移 民の 子供
の 低学力の 問 題とし て始まっ た。 低 学 力の 子供は, 知能障害
児の た め の特
別学校に 入 れ られ るな どし て い たが9) , 彼 らが学 習に お い て失
敗 するの は, 文化 剥奪 説や文 化 葛藤 説な どに み られ る よ うに,彼
ら自身の 属性と し ての文
化に その 原因がある と考え られて い た。 し か し, やがて それは, 学校
文 化を含
む シ ス テ ム その もの に求め られ る よ うに なっ た。 自民族 中心で 中産階 級の 文 化を体 現する カ リ キ ュ ラ ム が とくに改革
の対
象となっ た 。 多文化教 育へ の イギ リス 政府の支持
は,1977年
の 教 育科学省
の緑書
に 示 され た。 緑 書で は , イギ リス社
会 を多 人種
的, 多文 化的社会 と認め , イギ リス の エ ス ニ ッ ク ・マ イ ノ リテ ィ の 存在がす
べ て の 生徒の 教 育に含ま れるべ ぎこ と , すべ ての 学校
が イ ギ リス 社会の多民族性 と相互 依存
的 世 界に お げるイギ リス の 位置に つ い ての理解
を与え るべ きこ と, こ の 観 点でカ リキ ュ ラ ムをつ くる こ とに 言及 して い る 。 つ づ くラ ン プ トン ・ン ポー トで も,すべ て の 学 校に 多文
化的なカ リキ ュ ラ ム改
革が求め られ, 低学力
の 問題が 一時的
な適
応や こ とばの 問題で な く人種主義の問
題で ある と初めて 明 らか に し た公 的文書
だ と評価されて い る。イギ リス で は, 白人対 黒人 とい う図式か ら多人種教育
(
Multiracial
Educa
一3
西 山 学 報
tion)
とい う用 語 の方
が一般
的であ る が, 反 人種
主義教
育(
Antiracist
Edu
・ cation
)
とい う用 語 も最
近で は よ く見受
け られ る。 これ は,学
校の カ リ キ ュ ラ ム に お い て エ X ニ ッ ク ・マ イノ リテ ィ の文
化を尊 重 し て も,彼
等の 失 業 状態
の 改 善が み ら れ ない こ とか ら,社
会の 人 種 主 義 こそ が 元 凶 だ とする もの で , 多 文 化 教育
へ の 批判
の 一角
を形 成 して い る1°)。〈カ ナ ダ〉 カ ナ ダで は
1960
年代
よ り, イ ギ リス系文
化 とブ ラ ン ス系文
化の 相 互に 対 等 な位置
をめ ざす二 言語
二文
化 主 義 政策
が採 用
されて い た が,1971 年
に トル ドー首
相が多文
化主義
を宣 言 し て以 来, 先 住 民や他
の エ ス ニ ッ ク ・マ イ ノ リ テ ィ 集 団も含
め た多 文化
主義 政策
が とられて い る。 た だ し, あ くまで も二 言 語主 義が 基 調で ある。1982
年に 制 定 さ れ た カ ナ ダ憲 法 第27
条に お い て は 国 策 と して多文
化主 義が宣 言さ れ, 教 育の 分 野 で は カ ナ ダ多文
化 ・異 文化
間教
育審議
会が設立 され て い る。 そ して こ の 間に ,個
別の 文 化 的伝
承 と言 語の 習 得か ら,学校
全 体の 雰 囲 気の改善
の 問題
へ と重 点
が移 動 して きて い る と言われ て い る11)。〈オ ース トラ リア 〉 長 ら く 「
白豪
主 義」政策
を とっ て きた オ ース トラ リア に お い て も,1970
年
代
に 多文 化
主義
へ の転
換
がみ られ た。1972
年
に政 権
を とっ た労働 党 内閣
の移
民 相グラス ビーが翌年多文
化 主 義につ い て の 提 言 をお こ ない , 自 由党政 権
に変
わ っ た後
の1978
年
に は ガル ノ ミリ ー ・レポ ー トが提 出された 。 八 ケ 国語
で書かれ た こ の 報告 書
は, そ の 目標 をオ ース ト ラ リア社
会に おけ る多文
化
的態
度の発
展 に お き, そ の ため に は 民 族 集 団の 文 化 遺産
の尊
重,文 化
的背
景 の 理解
文 化 間の相
互 理 解が重要
で ある と された。 移 民の ため に は 第二 言 語 と し て の英語教 育
が中
心 と されるが,民族
学校
に対 す
る公 的
補助
にみ られ
る民族
教育
の尊
重 と, すべ て の オ ース ト ラ リア の 子 供に先 住 民を含む社 会
の多様
な文
化
と言語
へ の 知 識 と理解
を うえつ ける た めの 多 文化教
育 が推 進
さ れ て い る 12) 。 〈フ ラ ン ス〉
フ ラ ン ス で は1970
年
まで,移 民
労働
老の 子 供 もフ ラ ン ス の子 供
一4
多文化教 育をめ ぐる論争 と課 題 同様 に フ ラ ン ス の
学
校 教 育を受 ける こ と, すなわ ち同 化主 義政策
が 一般 的で あ っ た 。 し か し,1960
年
代に ポ ル トガ ル や北ア フ リ カの マ グ レ ブ諸
国か らの 移 民 の増
加 に伴
っ て , 同 化 が困難
な状
況が生じ た こ とか ら, フ ラ ン ス 語を教えるた め の 「入門
学級
」 が設 置 された。 又,1973
年
か らフ ラ ン ス 政 府は, 移民 の 送 り 出 し 国政府
との 間の 二 国 間協定 を結び, 小 学校 の 正規 授 業 内で 母 国語
を 習う機
会
を与えた。 こ の よ うな移 民の 子 供に対
する限 定的な措 置か ら, 「異 国の 言語
や文
化へ の考
慮は, 同様に, フ ラ ン ス の生 徒を豊か にす る手 段を も作 り出す」 との フ ラ ン ス 人の 子 供を も対 象 とし た異 文化間 教 育(
lntercultural
Education
)
の概念
が 登場 する の は,1978
年
の 通達
か らで ある。 フ ラン ス で は, 多 文 化教 育 よ り異文 化 間 教育
とい う用語の 方が定
着
して い る よ うであ る13) 。以上 は全 く恣 意 的に 取 り上
げ
た数ケ 国の 一面 的 な覚
書 程度
の メ モ にす ぎず, ま た 欧米 以外に も多文 化 教 育に と りくむ 国は存 在 するわ けで あるが14) , 各 国の多文
化教 育を紹 介す る こ とが本稿
の 目的で は ない の で こ の 辺 に し て, 以 上か ら だ けで も多文
化教
育の い くつ か の 特 徴を導
くこ とが で きる。1
.多文 化
主義
と そ れに基づ く多文
化教育
の採
用は, ほぼ1970
年代
か ら始
ま り,1980
年
代に その 定着
化に向
けた努 力が なされ て い るこ と。2
.革新政 党
政権
に よ る政 府の もと で採
用された 国に お い て も,保
守政党
に転
換後
も 一応政策
的に は踏襲
され,国
際
的な潮
流 を示 し て い る こ と。3
.移民
や外 国人 労働 者
の子
供の その 社 会の 公 用語
へ の 適 応が第一義 的な 目標 と さ れ てい る こ とか ら, 統 合 主 義の 一種で は あ るが, 同化主義
は否 定 されて い る。 そ の ため に第
二 言語
とし て の 公 用語 (
英語
や フ ラ ン ス語)教
育の 方法
の 開発
が進
め られ, 同時
に各民族文化
の尊
重が重 視 されて い る。4
. 当初は対 象 となる マ イノ リ テ a の子
供の ため の特別
なプ ロ グ ラム か ら出発し たが, その 完 遂の た め に は 学 校の 環 境 全 体の 改 革の 必要 性が認
識
され るよ うに な り, その こ とは結局
マ ジ ョ リ テ ィ の 子供に とっ て も良い 教 育 に 結びつ く との判 断
か ら, すべ て の 子供
を対象
に し た教育
とみ なされるに 至っ て い る。西 山 学 報
2
多 文 化
教
育
を
めぐ
る批
判
と反
論
1980
年代
に は,多文
化 教育
を批判
ま たは擁護
す る文
献 が 多 く 出版された が,そ の
中
で もS
.Modgil
,
G
.Verma
,K
.Mallick
,C
,Modgil
編
に よ る “Multi
・cultural
Education
:the
Interminable
Dehate
”
ISz
, 題 名 通 りの刺
激 的な内 容 である。 こ の 中か らい くつ かを紹
介し て, 批判
や反 論が どの よ うに 展 開 されて い るかを 見て み よ う。(1
)
Bhikhu
Parekh
, ‘The
Concept
ofMulticultural
Education
’Parekh
は こ の 中で ,多
文化教育
の 概念
を明 らか に し, そ の 必要 性を提示 し て, 多文 化教 育に 対 す る批 判の 妥 当性に つ い て検 証 し て い る。Parekh
は ま ず, イ ギ リス の 教 育 シ ス テ ムが文 化 的に 中立で な く,単
一文 化志
向を有して い る こ とを 例 をあ げて示 し, そ の よ うな教 育が子供
に与
える影
響に つ い て次
の 五 つ をあ げてい る。単 一文 化
志
向の 教 育 し か受 けて い な い と, 他の文 化や社
会 に対 す る好 奇心 や問 題 意識を持た ない 。単 一文 化 志 向 の 教 育は想
像
力を 発 達 させ な い の で,t
一ル タ ナ テ ィ ブを思い つ く能 力
の発達
を疎
外
する。 想像
力は真
空の 中では な く, 刺 激 を受
け る よ うな他
の社会
や文
化に 晒された ときに 生 じ る。単
一文 化 志 向の 教 育は , 批 判能
力の形 成 を妨 げる。 自 己世 界し か知 らな い と他
の世 界を 自己の 基 準で 判 断 し て しま うし, 自己世 界へ の 批 判力 も持て な い 。単 一文 化 志 向 の 教
育
は,傲慢
さ と鈍感
さを育て る。外来
者に は自
国の 言葉
や習慣
を要 求するの に, 自らは他
国の そ れ らを学 ぽう と し ない 。 自分に は要 求 され ない こ とを他 者に は要
求 する とい うこ とで , ダブル ・ス タ ン ダ ー ドを 持 つ 。単 一
文化志 向
の教 育
は, 人種
主義
の 土壌
を供給
する。 子供
たちは他
の社
会の文
化に つ い て ほ とん ど知
らない の で ,表
面的
な 一 般化
や ス テ レオ タ イ プ で そ れ らに 反 応 する こ とがで きるだ けで, そ れは文 化 的に導 ぎ出さ れて い るの であ
る。以上は 白人の 子供 だ け で な く, 黒 人の 子 供に も 同じよ うな
結 果
をも
た らす
6
多文 化 教 育を め ぐる論争と課題 が,
黒
人の 子はそ れ だ けで な く, こ の よ うな白人
が持つ イ メ ー ジを 内 面 化 す る こ とに よ っ て深
い劣等 感
を もち, 親や コ ミ ュ ニ テ ィ の メ ンバ ー との 関 係 も破 壊 さ れる。 し たが っ てParekh
は , 単 一 文 化 志 向の 教 育は 白人 も黒人 もす べ ての子
供
た ち を駄
目
にす
る として,多文化
教
育
を提 唱す
る。多文 化教 育
の 原 理は, 子 供 を 世 界の 複 合 性に敏
感に させ る こ とで ある と彼
はい う。彼の 多 文 化 教 育 擁 護 論は, 伝 統 的 一般 的
見
地 に よる教 育の 目的を真
に達
成 す る教育
で ある との 論 法 に よっ て い る。す
な わ ち, 一般 的
な見方
に よ る教 育
の 目的
とは, 批 判 的思
考 力, 想像
力, 自己批判
力,自
己判 断 力
な どの人
間とし ての 基礎
的 な能 力を培
うこ と, 世界
に開
か れ, 客 観 性を もっ た 知 的 道 徳 的 資質
を養
うこ と, 全 人 類の 遺産
に 親 しませ る こ とに よっ て社 会 化す
るだ けで な く人 間化
す る こ と, の3
点
で , こ の よ うな教 育
がな さ れ た とき, そ れ は方
向 とし て 多文 化 教 育 で ある に ち が い ない とい う。 し た が っ て,学校
に お け るエ ス ニ ヅ ク ・マ イノ リテ ィ の存
在の有
無に は よらな い こ とに な る。 カ リ キ ュ ラ ム の幅
が不当
に狭
くな い こ と, で きるだ け偏見
や独断
の少
な い や り方
で 教え られるべ きで ある こ と, 教 師は他の 社 会や文
化,宗
教,道 徳 体系
などに平 等に意 識的
である こ と が 求め られ る。 そ し て, 「生徒
が自
らの言葉
で話
し, その 生活
習慣
に つ い て語
り,時
に は伝 統 的衣装
で 通 学 し, 民 族音
楽を演奏
し,彼
らの好
きな よ うに教室
を飾る よ うに 奨 励 さ れ た ら, 学 校の エ ー トス は多文 化 的に な るだ ろ う」 とい う よ うに ,Parekh
の多文 化教 育
の イメ ー ジはた ぶん にユ ー ト ピア的
で もあ
る。そ れで は,
多文 化教 育
に対す
る批判
に つ い て は,彼
は ど う答えてい る か。Parekh
は 冒 頭 部 分で,多文 化教 育
は 「保 守 派に とっ て は , マ イ ノ リ テ ィ の要
求
につ け 込む こ とで 教 育 を政
治化す
る試
み に見 え よ うし ,急進
派に とっ て は,彼
らの文 化的 感受
性 を 増 長 させ る こ とで , マ イノ リ テ ィ を搾
取す
る人種
主義的
現実
を永 続化
す るイ デオ 戸 ギ ー装置
に見え よ う」 と述べ て い る が , よ り詳
し く は次の よ うであ る。まず,
保
守 派 の 批 判 を,多
文
化教 育
は, エ ス ニ ッ ク ・マ イノ リテ ィ の要
求 を 重 視 する た め に, 良い教 育
シ ス テ ム を損
な う。多文 化
教育
は, そ れな しに西 山 学 報 は社 会が結 合 しえない 共 通の 公 的 文 化に 未 来の 市 民を
参
入 させ る とい う,教
育 の基
本 目的
に反
す る。多文
化教
育は , エ ス ニ ッ ク ・ マ イ ノ リ テ ィの文 化的 自
意 識 を 強 調 するの で,社
会 を 分 断 し, 社 会の統
合 を 妨 げる, の 三点
で ある とし て, そ れ ぞ れに 反 論 して い る。に つ い て は , 明 らか に 間
違
っ て い る。多文
化 教 育は, マ イ ノ リ テ ィ の子供
の存 在
の有無
に よ らず
,す
べ て の子
どもに とっ て よい教
育である。に つ い て は, もし
教 育
の唯
一 の 目的
がこれ であ
るな らば, そ れ は教化
と変
わ らない。 多 文 化 教育
の提 唱は, 共 通 文 化 の 必要
性を否
定す
る もの で な く, そ れ が よ り固定的
で 偏 見的
で ない よ うに 論 じる こ とであ
る。に つ い て は , ポー ラ ン ド
系
あるい は ア イル ラ ン ド系
ア メ リ カ人は , ポ ー ラ ン ド人
あるい は ア イル ラ ン ド人である と同 時に ア メ リカ 人で ある。 社 会 統 合の 保 守 的 モ デル は, エ ス ニ ッ ク ・マ イ ノ リ テ ィ の 文 化 的 ア イデ ン テ ィ テ ィ を な くす こ と を求
め るが, そ の代償
は 結 局高
くつ く。多文 化教 育
は ,社 会統 合
に害
しな い 別 の モ デル を提 供 す る, とい うわ けで あ る。 す なわ ち,Parekh
は非常
に 自 由主 義 的 な 教育
観に 立つ が, その意
図 す る多文
化 教育
は保
守派
の意
図 す る教
育 と対 立す
る もの で は な く, む しろ よ り良 く達
成す
るも
の であ
る とい うこ とに なる。次
に急進 派
の 批 判 と して ,Parekh
は次
の4 点
をあ げて い る。教
育
は レ イ シ ズ ム の 除去 を 目的 とすべ きだ が, 多文
化 教 育に は こ れは で きな い 。 な ぜ な ら, レ イ シ ズ ム の 根 は深 く, カ リキ ュ ラム や 学校集 会
を い じ くる だけで は影 響 さ れ ない と して , 反 人 種主義教
育を提 唱す る。多 文 化 教
育
は , レ イ シ ズ ム に 手を触れ な い ばか りか, そ れ を強 化 す る。 多 文 化 教 育は , マ イ ノ リ テ ィ の 子 供 に肯
定 的 な 自己イ メ ージを与 え, 白人の 子 供を もっ と友
好 的 に する もの だ と思 わ せ る こ とに よ っ て , エ ス ニ ッ ク ・マ イノ リテ ィ を誤 っ た 自己 満 足の 中で なだ め る もの で あ る。多文
化教
育は,黒人
の 抵抗
を無害
な方 向
に転
換させ る こ と で 緩 和 す る。レ イ シ ズ ム を
単
純な態 度 の 問 題 とし て み る こ とで , 多 文 化 教 育 は レ ィ シ ズム の 政 治 性を 抜 き, そ の 社 会 的 経 済 的 原因を 無 視 す る。Parekh
は こ れ らに 対 し て 一 つ 一 つ の 反 論は し て い ない が, 反 人 種主義 教 育は教 育で は な くて プ ロ パ ガ ン ダで あ り, レ イ シ ズ ム に 対 し て学 校 とし て で きる こ とは ほ とん 一8
多文化 教育をめ ぐる論争と課題 どない と
信
じて い る よ うだが, た しか に学 校が そ れに対 して直 接 的 役割 を果た せ な い として も, レイ シ ズ ム の不 当 性を説 明し, マ イ ノ リテ ィ文
化へ の尊重
の態
度を養 うこ とに よっ て, レ イシ ズム を弱め る こ とを期待
で きる と主張
する 。Parekh
に とっ て学校
は,政治的闘争
の場
と な る こ とは望
ま し くな く, 学 校に そ れ 以 上の こ とを求め るの は不 可能で あ る とい うこ とで ある。 し か も,Parekh
に 言わせ れ ぽ, 反 人種主義 教育 の カ リキ ュ ラム と多文 化教育の そ れ とは,結 局 あ ま り違
わ ない で は な い か とい うこ とに な る。(
2
)James
A
.Banks
, ‘Multicultural
Education
andIts
Critics
:Britain
and the
United
States
’Banks
は, 多文化教育
発 生の 背 景 とし て,1940
年 代50 年代
に はエ ス ニ シ テ ィ は近代
化 と ともに弱ま り, 利害集
団は 社会 階級
や他
の 帰 属に よっ て形 成 され る と考え られて きた が,60
〜70
年 代に ア メ リカ, カナ ダ, イ ギ リス な どで 民族 集 団に よ る抗議
運 動が起 こ っ た こ とに よっ て, そ れまでの 理論
が有効性
を失 っ た こ とを あ げ,特
に , 学 校は 平 等 を 達 成 する た め の重
要な 手 段であ
る との 認 識 に 基づ く第
二 次世 界 大 戦 後の 国 民教 育 制度
の 改 革 運 動が, 民族 活 性 化運動の 中 心的 部分に な っ た と説明 す る。Banks
に よれ ば, 多文
化教
育 とは 「さま ざまな集
団か らきた 子供た ちが, 教 育 上の 平等
を経験
で きる よ うにす
る ため の 学校
の 実 践 プ ロ グラ ム ,教
材な どを表
わす包 括的概念
である」。 そ して, 新 しい教
育改
革 運 動で, レ イ シ ズ ム や 不 平等 とい う論争的
で 政 治的な問題を扱 うもの は,特に 批判
を受
け やす
い と 言 う。 こ の 批 判に つ い て,Banks
も保 守派
と急
進 派, あるい は右
と左か らの 批 判 とい う表 現 をす
る。急進
派の批
判につ い て,Banks
は次の ように説明 し て い る ;ラ ジ カ ル な左
の 批 判 老は , 主 とし て ア メ リ カ人で は な くイ ギ リス人に多
く , その 理 由は一つに は ア メ リ カ人の
ApPle
,Katz
,Bowles
andGintis
の ような ラ ジ カ ル な部 分西 山 学 報 もう一つ は両 国の 人 種 関 係の 歴 史や多 文 化 教
育
の 性 格が異な る こ とにある。 す な わ ち , ア メ リカ の 多文
化教 育
の方
が早 くか らレイ シ ズム や 不 平 等の 問 題を扱 っ てき
た の で, 批 判 老か ら大 目に み られて きた の か もしれな い 。急進
派 の批判
は, 教 室の 中の文
化 的 多様
性や人 間関係
に焦点
を合わ せ る こ とに よ っ て, 多 文 化 教 育は 全ての文
化が等 し く正 当だ とい う神 話
を助 長し, そ の結果
と して,抑
圧 された 集団 が現 状の 抑圧 シ ス テ ム に満
足 す る よ うに され て し ま うとい う もの であ
る。多文化教 育
は こ の よ うな階 級
, 制度 化
された レイ シ ズム , 権 力,資本
主義な どの 分析
を避けて い る とい うわ けで ある。 特に イ ギ リス の 反 人種主義教
育の 提 唱老 で ,学校
を社 会 階 級や 民 族的 人 種 的 階層
を反 映 し永続
化 する社会 制
度
と して み る老
は,学校
が反 人種
主義
や 平等
を推 進す
る こ とは不 可能
だ と考
え る。これ に対 して
Banks
は, 学校
が単
に社会構造
を反
映して い るに す ぎな い な らば,内
部に変化
を起
こ そ う とす
るの は無意 味
な こ とで,教 育
者は そ の任務
を 放棄
す る し かな くなる 。 した が っ て ,急
進派 の 批 判は, 民族 問題へ の教 育上 の 無 関心 にア リバ イ を与
え る こ とにな る。多文 化教
育だ けで社
会の構造改 革
を行 えは しな い が, 社 会 批 判を促し て 学生 の 社 会 改 革へ の コ ミ ッ トを助け る こ とに よ っ て改革運動
を助
ける こ とは で ぎる。急進 派
の批判
は明確
で説 得
力が あ る が, 学 校 改 革の 戦 略の提
示に つ い て はあい まい で ある, と反 論 して い る。 た だ し,多文
化 教 育 も初期
の 頃は急
進 派が あ げる よ うな問 題に も注 意を払っ て い た の に , 運 動が広が る に つ れ て そ の よ うな関心 が減
っ て きて い る との 反省
も示 し て い る。次に保 守 派か らの 批 判は,
Banks
に よれば
以 下の よ うで ある ;英
米特
にア メ リカ で は,back
−to
−basics
へ の呼
びかけに伴
っ て,多文化教 育
は軽
視
されつ つ ある。20
世紀基
金 レ ポ ー トで も,英 語
を 話せ な い もの に 対して は, バ イ リ ン ガ ル 教育
よ り英
語 教 育の優
位 を強
調 し て い る。 こ の 立 場か らすれ ぽ, 多 文 化 教 育は 基礎
的 訓 練をつ ける よ り, 子供の 自己概
念を高
め た り, 人種 的態度
を よ り 肯定 的にする こ とに関心 を払っ て い る よ うに見
え る よ うだ。Maureen
Stone
一10
一多 文化 教 育をめ ぐ る論 争と課題 は, 多 文 化 教 育 主 義 老は黒 人の 子 供の 自己 概 念を高め た り, 黒 人 文化 や 歴
史
を教
える こ とに熱
心だ が,教 師
とい うよ りは カ ウ ン セ ラ ーの よ うで, 基礎
的訓
練 に は 失 敗 し て い る とい う。 保 守 派は, 学校
とは, 子 供た ち が 国 民文 化を共有
す る の に必
要
な態
度
,技能
,知
識
を発
達
させ る の を助 けるべ きだ と信
じて い る。 したがっ て , 民 族固有
の文
化や言葉
を 教 えたけ れば彼 等自身
でや るべ きで,学
校の よ うな公 的 機 関の や る こ とで はない とい う。こ の よ うな保 守 派の 批 判に 対 し て
Banks
は, 彼 らの 批 判は民 族 的な内容
を 教える こ と と基礎 学力 をつ け る こ と は矛盾 する との 仮 説に 基づ い て い るが, 多文 化教育
主義者
は こ の仮説
の過
ち と, 自分
た ち もマ イ ノ リ テ ィ の 学 生が基礎学
力を高め る こ とを意図 し て い る こ とを示 す 必要
が ある。多文 化教
育の仮
説は, マ イノ リ テ ィの文化 や ア イ デ ンテ ィ テ ィ を認めた カ リキ ュ ラ ム は, 彼 らの 学 習 ス タ イル や動 機
づけス タ イル と結
びつ い て , 甚礎
的訓 練
をマ ス タ ーする能 力を高
め る とい う もの であ
る。 ま た,多文
化教
育の 目的は ア メ リ カ流 民主 主 義 とい う理 想と一致 し, 公 民教
育の 目的 とも 一致して い る , と反 論 し て い る。以
h
か ら, 左 右の 批 判に つ い て の 認 識 もそ れ に 対 す る反 論 も,Banks
とParekh
で はその ス タ ソ ス に おい て似
通っ て い る。 多 文化教 育
が基
礎学 力
の陶
冶や普 遍 的な 国 民の 育成 を軽 視し て い る とす る保 守 派の批 判に対し て は,多文
化 教 育が その 目的を軽
視 して い るの で はな く, む しろ よ り良 くその 目的を達成
するた め の オ ール タナ テ ィ ブを提起
し て い る との 立場 をとる。 ま た, 社 会構
造 や権 力の 問題
を無 視し て い る とい う急
進 派の 批 判に 対 して は, その よ うな点
を 認めつ つ も, 学 校の 役 割の 限 界を設 定 す る こ とで, 勇ま しい 急 進 主 義 老が結 局 現 実に お い て はな し得
ない こ とに多文
化 教 育は貢献
で きる とす る。ただ,
Banks
は, こ の よ うな批 判 が 生 じる背景
を考察
し てい る。Banks
に 言 わせ れ ぽ, これ ら左 右の 批 判 とも多文
化教
育の 理論や実
践そ の もの の 分 析で は な く, 最 も悪 い 例 を 引い て い るか, ア メ リカ で も イ ギ リス で も 理論 と実践
の 間に は 大 きな ギ ャ ッ プが あ るの に, 誤っ た 学 校の 実 践か ら もた らされた概念
で 批 判 さ れて い る とい うこ とで ある。 そ して多文
化 教 育の 研究
者の 間に , 多文
化 一 11 一西 山 学 報
教育
の 目的につ い て の コ ン セ ンサ ス が確 定 し て い ない こ とに もそ の 原 因が ある と も指摘
し て い る。 ま た,学校
の社会 的機能
に つ い て は ,急
進 派の見解
を 一定認
め なが ら も, その よ うな学校
に お い て教
師は民 主主義を推 進 する よ うに努
め る とい う矛盾 を 生 きな け れ ぽ ならず, 学 校は 民主 主 義 も反平等主 義 も教 える と い う一種の モ ラル の デ ィ レ ン マ を作
り出して い る が, こ の デ ィ レ ン マ が社 会 変化
を可能
に する とMyrdal
を引い て 述べ て い る。「
多文
化 教 育は学校 に新
しい 目標を提示 するの で は な く , 民主 化の 徹底
を 求 め て い る だけである」 と言 うよ うに,Banks
の 理論の 底流 に はア メ リ カ流 民 主 主 義へ の 信頼
が ある。 し か しそ の よ うなBanks
で も,昨 今
の ア メ リカや イ ギ リス の 新 保守
主義
と教
育に お ける卓
越 性を求め る傾 向に, 多文 化教育
の 未 来 へ の 不 安を感
じて い る よ うで ある。(3)
Brian
Bullivant
, ‘Towards
Radical
Multiculturalism
:Resolving
Ten
.sions
ill
Curriculum
andEducational
Planning
’イギ リス の
Parekh
, ア メ リカ のBanks
が多 文化教 育の 擁護 論 者で あっ たの に対 して , オ ース ト ラ リア の
Bullivant
は 多文 化 教 育へ の辛
辣な批判
者である。 し か し, イギ リス の 左の
批 判老
が反人 種
主義教
育を提
唱 す るの に対
して,
Bullivant
はRadical
Multiculturalism
を主 張 する。Bullivant
の 多 文 化 教 育 批 判は ,1981
年 の 彼の 代 表 的な論 文 ‘The
Pluralist
Dilemma
in
Education
’15)以来
そ の 主 旨は一貫
し てい る。1981
年論文
で 彼は, イ ギ リス , カ ナ ダ, フ ィ ジ ー , ア メ リ カ, ハ ワ イ, オ ース ト ラ リア の多文
化 教 育の 試み を分 析 し て, 多文 化 教 育は民 族 集 団の 生 活様 式を推 持 する か もしれな い が, 民 族 成 員の ラ イフ チ ャ ン ス の改善
に は導
かない だ ろ う, すな わ ち生 活様
式
の 維 持に 固執 す る こ とは , 政 治 経済
的 権 力の 配分 へ の機
会を失 うこ とに な る と結
論づ け て い る。 こ こ で紹 介 する ‘Towards
Radical
Multiculturalism
’ で も, 権 力の 要 素を無 視し た多文 化 教 育主義 者を批判 して , そ の 展開は問 題の 所 在 を うま くま とめ て い るの で, 以 下で はBullivant
の 批 判 を跡づけて み よ う。 一 12 一多文 化 教 育をめ ぐ る論 争 と課題
Bullivant
に 言わ せ れ ば, 多 文 化 教 育主義
者は 「彼 らの 教 育シ ス テ ム を襲 う 病 気を治 療す る特 効 薬 とし て多文
化 教 育を採用 し て きた」 が, そ の背 後
に は「民 族
集
団問
の 成 員の 問に 十分
な異文 化
間 理 解 と意 志
が あ り, 資 金の ある政府
があ
り,西
洋社
会 を長 く特 微
づ けて きた民
主的 自由
主義的
理想
主義
が あ れ ぽ , 問 題 は解
決さ れ るだ ろ う」 との楽
天 的 確 信が横た わ っ て い る と い うこ とに な る。特
に , 多 文 化主義
を政 策 とする 国が次々 と生 じ た こ と に 満 足 し て い る点 を, 国 家の イ デ オ ロ ギ ー に と りこ まれた修
正主義
だ とBullivant
は批 判す
る。Bullivant
に よれぽ, 多文 化 教 育を め ぐる論 争
は 「自分の 政策
に合 うよ うに 世 界 を イメ ー ジする者(
ユ ー ト ピ ア ン)
と,現 実 世 界 に 合 うよ うに 自分の 政策
を整 え る者(
リア リス ト)
との 問の 永 遠 の 論争
」 に 似て い る とい う。確
か に多文
化 教 育に限 らず,教
育を め ぐる論 議に は こ の 傾 向が当
て は ま る よ うで あるe ル ソ ーの エ ミ ール やサ マ ー ヒ ル に魅
力 を覚え る もの は , 願 望を思 想とし て語 りが ち で ある。 多 文化教 育 主 義 者が ユ ー ト ピ ア ン だ とすれ ば, 左 右の批判 者
は どち らも リア リス トであ る。 特に 学 校の社会
的機能
に つ い て の 認 識 に お い てその違
い は顕著
で ,現 実
の機能
に 立脚
す る リア リス トとあるべ き機 能 を語る ユ ー トピ ア ン の議
論 がす
れ違
うの も 当 然で あろ う。 こ の よ うな 見 解 問の 緊張
は公的 政策
に おい て もみ られ,Bullivant
に よ れ ぽ, ア メ リカ の ス プ ー トニ ク ・シ ョ ヅ ク直
後
の カ リキ ュ ラ ム 改革
や昨今
のback
− to−basics
の 動 き,198384
年度
の バ イ リン ガ ル 教育 へ の 財 政カ ッ ト に 見 られ る レ ー ガ ノ ミ ッ ク ス は リア リス トの そ れで あ り,
1970 年
代の オ ース ト ラ リア の 多 文 化 主 義 の 採 用は ユ ー ト ピア的
で ある 。カ リキ ュ ラ ム に お い て も 同様の 緊 張が影 響 して い る 。
Bullivant
に よれ ば カ リキ ュ ラム とは .「あ る社 会 集 団の 伝
統
的 及び 現 在 の 知 識 , 概念
,経
験の公的
ス トッ ク か ら選ば れ, イデ オ ロ ギ ーに 影 響された り価 値付 与
された 過 程か ら結
果 し た 知識
概 念
経験
の セ ッ トと, そ の セ ッ ト の サ ブセ ッ ト(
シ ラバ ス や ユ ニ ッ ト)
へ の組織 化
, 学 習 者へ の伝達
お よび評 価か ら成 り立 っ て い る」。 し た が っ て, どの よ うなカ リ キ ュ ラ ム を採用 す る か を決 定 す る際の価値
判 断に は ,学校
シ ス テ ム が奉仕す
る社 会
の 性 質が関わ り, そ れ に は基 本的
に実 質
的か 規 範西 山 学 報 的か の ニ タ イプが あ る。
実 質 的価
値
判 断 とは, 記 述 的,実
証的
な現 実的
ア プ ロ ーチ を とる 。 そこ で , 「イギ リス は 多 文 化 社 会だ」 とい う声
明も検 証
さ れ る。 す る と, ア ジ ア ・ア フ リ カ ・ カ リブ出身
の もの は人 口 の4
.5
%に すぎ
ず , イギ リス 生まれの 数を考 慮 す れ ぽ もっ と小さ くなる。「オ ース トラ リア は
多文
化社
会 だ」 とい う主 張 も同
様で ある 。 「人 口 の40
%が多数派
の ア ン グ P ・ケ ル ト系 とは文 化的
に 異 なる 」 と政 府 機 関が 報 じるが,1981
年の 国 勢 調 査に よ る と, 人 口 の78
% が オ ース トラ リ ア生 まれで, その うち の88
.5
%は オ ース トラ リア 生 まれの 両 親か ら生ま れ て い る。 し た が っ て, 文 化 的に 異な る オ ース ト ラ リア 人 の 比率
は , 実 際lq
*もっ と低
くなる 。 こ れ に対 し て, 規範
的価
値 判 断は, 将来
に 達 成 され るぺ き社 会 の 種 類を予 見 し, こ の 目標を達 成 する た め に 採 用 されるべ き戦 略を設定 す る。Bullivant
が こ の よ うに , イ ギ リス や オ ース トラ リ ア社会
が多文
化 社 会だ と の 声 明に 疑 問を投 げかけ る レ ト リッ ク を用い た の は,彼
が保守
的立場 に 組みす る こ とを意 味 す る もの でない こ と は勿論
の こ とで, リ ア リス トが デ ー タ を あ げ るの に対
し て, ユ ー トピ ア ン が規範
的 声 明しか述べ ない こ とへ の警 告
であ
る。 し か しそ れ だ け でな く, 文 化の 概 念の 再 検 討を要 請 す る た め で もあ る。 オ ース トラ リア の 例で示 され た よ うに , もしエ ス ニ ッ ク ・マ イ ノ リテ ィ が二 世三 世 と な っ て , 生 まれつ きか な りの 程 度 「オ ース ト ラ リア文
化 」 を身に つ けて い る な ら,彼
らが社 会 的に 排 除され るの が 果 し て文 化が異な るせ い なの か, 多文 化教
育
にお い て伝統
的 特徴
的 文 化を取 り上げ
る こ とが,果
してその 状 況を改 善 す る こ とに つ な がる の か ど うか とい う問
題が生 ず る か らで ある。そ こ で 次に ,
Bullivant
の 文 化概 念
の 検討
を見てみ よ う。 カ リ キ ュ ラ ム がそ こ か ら選 ばれ る知 識や概念
や経 験の 公 的 ス トッ クは, 社会
の文 化
に密 接
に関係
す るが, 文 化の定
義に お い て もリア リス ト対
ユ ー トピア ン の 図式
が み られ る とい う。Bullivant
に よ れ ぽ, 文 化の L 一 トピア 的 定 義はTylQr
の 古 典 的 定 義 に 従い が ち で , オ ース ト ラ リア の 「多文 化 教 育に 関 す る学 校 委託 委 員 会(
Schools
Commission
’sCommittee
)
」 も, 伝 統, 歴 史, 言語, 美 術や そ の多文化教 育をめ ぐ る 論争と課題 他の
芸術作
品,宗教
, 慣習
,価値 観
とい っ た 社 会 集 団の 遺 産 と同等 とみ な す ポ ピ ュ ラ ーな使 用 法を採 用 し て い る し, オ ース トラ リナ
で影響
力を持つ 理論家
Smolicz
も 同様で あ る。 イギ リス や ニ ュ ージ ーラ ン ドで もまた し か りで ある。 た だ し, こ の よ うなア プロ ーチがその限界
を認識
し て いる限 りは本質
的に 誤っ て い る わ け で は ない とし て , その特徴
を以下の 四点に あげ
て い る。 一つ は , 文 化 的 プ ロ グラ ム の 道 具 的側
面 よ りは 表 現 的 側 面を強
調す
る こ と。 二 つ め に,民
族文
化集
団の 歴 史 的 なラ イ フ ス タ イ ル を強 調 するが ,現在
の 環 境へ の 適 応や ラ イ フ チ ャ ン ス を得
る ため の 日下の戦 略
につ い て は ほ とん ど言及 しない こ と。 三 つ め として , そ の 結 果 民 族 文 化 集 団 出 身 者に 化石 に なっ た文化
を保
持 させ る こ とに なる こ と。 四つ め と して は , 彼らが生きて い る社
会の 現 実に つ い て の情
報 が ほ と ん ど与
え られ ない こ と。 す な わ ち, た とえ ば = 。・ 一 ジ ーラ ン ドの 子 供た ちに マ オ リ族の 部族 の 構 造や カ ヌ ー隊に つ い て教
え る こ と は 魅惑的 で はあ る が, 現在 住む都 市で 生 きる力
をつ け る こ とに 結びつ け られ な い か ら, そ の よう な知 識は現 実と無 関係の ままに なる, とい うわ け である。こ こ に 多 文
化
主義 者
の デ ィ レ ン マ が あ る 。Bullivant
に ょれば, デ ィ レ ン マ とは こ うで ある。 「民族 的背景
を持
つ 子供
た ちが ,彼 らの 文 化遺産
や言葉, 歴 史, 慣 習そ の 他の ラ イフ ス タ イル の 側 面に つ い て学ぶ こ とを励ま さ れ る よ うな カ リ キ ュ ラ ム の選択
は,彼
らの 教 育 機 会の 平 等や ラ イフ チ ャ ン ス に は ほ と ん ど関
係が ない 。 教育機会
の 平 等や ライ フ チ ャ ン ス は, よ り広い 文 化 複 合 社会 で作 用し て い る構
造 的, 社会階 級
的, 経済
的, 政 治 的, 人 種主 義 的 要 因に よ り多
く 影響 されて い る し, 支 配集 団に よっ て行使
され る社 会 的 報 酬や経 済 的 資 源 へ の接
近をめ ぐる コ ン トロ ール に よっ て影響され る。 し た が っ て , 多 くの ロ マ ン チ ッ ク で ユ ー トピア 的 な多文
化主義 者がい うよ うに, 彼 らに そ の文
化遺 産を教 え る こ とが, よ り大
ぎな 自己評 価に そ して よ り良い成 績に そ し てその結
果 とし て 良い職に つ な が る と主 張 するこ と は, イ ギ リス のStene
(
1981
年)
が示唆す
る よ うに 極め て 極 端な 単純
化である。 こ の よ うな多文
化プ ロ グラ ム が もし過 度
に 強 調 され るな らば, 彼 らの エ ネル ギ ーや関
心 を その社
会経済
シ ス テ ム の 中で生 一 15 一西 山 学 報
きて い くの に 必要な英 語とい う
支
配 者 言語の 習 得か らそ らし て し ま うこ とに なるだ ろ う。 」
こ の よ うな デ n レ ン マ か ら脱 する た め に は
, 文 化の 再定
義
を行 う必 要 があ
ると
Bullivant
は 言 う。Kroeber
とKluckhohn
,さ らに は
Goodenough
,Geertz
,Keesing
,Redfield
な どの 定 義に し たがっ て, 「本質
的に は文 化とは ,社
会集
団が特定
の 場 所に お い て 生存
上の 諸 問題
に 対 処 する こ とを 可能 とする適
応 性の ある変
化に基づ い た 永 遠に 発 展 す るr
生存装
置 survivaldevice
』 の 一 形態
で あ る」 と定 義する。 そ して , 「民族 文 化 集 団 出身の 子 供た ちが学ぽ ね ば な らない の は , プル ー ラ リ ズ ム とい うユ ー ト ピア 的 見 解に 基づい た ロ マ ン チ ッ クで化石 の よ う な文
化で は な く, こ の種
の文化
で あ る」 と言 う。 ただ し, 「化
石 の よ うな文化」 も社 会 集 団の 生 き 残 り プ ロ グ ラム の 表 現的機 能を果たす とい う意 味で, 古 典バ レ = や美術 や文 学な どが 受け継が れ る こ と を説 明で きる とし て, 「そ れ らもま た文 化の 重 要な 一 部 分であ り, 無 視 されるべ きで は ない が,過 度
に誇張
さ れ るべ き もの で もない 」 とい うの が ,Bullivant
の 考えで ある。別の とこ ろ で
Bullivant
は, 文 化 多元 主義も し くは多 文 化主義 者は, 文化
集 団の 成 員が 日常 生 活の 全ての 局 面でその 文 化を用い て い る よ うに言 うこ とに反
対して い る が16) , な る ほ どある社 会に おける エ ス ニ ッ ク ・マ イノ リテ ィ 集 団 がすべ て 自己の 伝 統的文 化だ けで生 活して い る と考
え るの は現実
的で ない 。 ま た , 集 団 間に葛藤が生 ず るの は , 文 化が異なる か らで は ない 。 権力や 資 源の 分 配をめ ぐる闘 争が, 結 果 として 文 化の 優 劣 意 識や 同化
,排外
,抹殺
あるい は 自 文 化へ の1
ikELを招 くの である 。 そ し て こ の こ とは, な ぜ人 間が個 人に分解
さ れ ない で , 集団 を 形成す るか とい うこ とを も説 明して くれ る。Banton
が合 理 的選
択理 論と して述べ て い る よ うに,「も し
彼
らが個 人 として 互 い に競争
するな ら,集
団の愛界線
は解 消
さ れ る だ ろ う。 もし集 団 として競
争 する な ら, 彼 らが 手に し た利 益は境 界線
を強
化 す る よ うに 仕 向けるだ ろ う。 特 権を 得た集 団の 生 活や文 化は, 彼 らの 排他
的な鏡
界線
を守る よ う方
向づ けるの に 対し て,従 属集
団の 生 活は , 彼 らを 特 権か ら排 除 す る策 謀へ の攻 撃
を強
め る よ う,彼
らの結
び 〜 16 一多文化 教育を めぐる論争と課 題 つ きを培