Japanese Physical Therapy Association
NII-Electronic Library Service Japanese Physioal Therapy Assooiation
理学療 法学 第 14巻第 6 号 481
〜
483頁 (1987年) シ ンポ ジ ウム日
本
に
お
け
る
理 学 療 法
の
独
創 性
*一
教 育
・
研究
の立場
から
一
高
橋
正
明
* *私に与えられた課 題はわ が鬮の理 学 療 法の独創性につ いて教育及び研究の立 場か ら論ずるこ とである
。
極め て 漠 然 とし た課 題で論 点を ま とめ るの は至難の技 と考え,
理学 療 法 士の研 究 的 要 素につ い て 日頃感 じてい ること を 問 題 提 起 として述べてみ たい。
理 学療法 士の研究 理 学 療 法士の手に よる研 究 報 告は地方学会ま で含む と 非常に増えて い る。
数の増 加ばか りでな く,
学会 論文集 を以 前の もの と比 較する と良く分か る が,
近ごろは骨 太 な 研 究 報 告 が ずいぶ ん多くなっ た。
骨太な研 究 報 告と は 研究目的が 明確で実験方法がしっ か りした ものを 言 うの である が,一
方におい て柯を どの レ ベ ル で研究し て い る の か理解できない報 告も相 変わ らず 多 く見 受 け られる。 他人の研究報告を読んだ り聞い た りする場合,
最 も気 にか か るこ とは,
研 究 結 果が面白い かどうか で はな な く,
結 果が信 用できるか ど うか である。
これ はデー
タの裡造 を疑 うと い うの で はない。
今 更言 う ま で も ないが,
実 験 研究とは,
研究対象と な る母 集 団か ら一
部をサ ン プリン グして調べ,
その結 果か ら 母 集 団の法 則性を推論し,
明 らか にするこ とであ る。
そ れゆえ信 用で きるで きない は,
法 則性を推論できるだけの実験条件を満た し てい る かど うかである。
論 文 集 を 読んで いて途中で嫌になる報告は 決っ て こ の点 が不明確である。
具体的に は 目的,
方 法,
結果の記述が曖畩で,
筋道が一
貫していない の で ある。 そ れが,
その原則を忘 れて し まっ た た めか,
あ るい は書 くトV一
ニ ングが積 ま れて いない せ い なの か 良 くわか ら ないが, 後で述ぺ る ように, 理学 療 法士の研 究に おける 独創 性の低さの最 重 要 問 題はこ の辺 りにある ように思 う。
* TheOriginality in Education and Research of Physical
Therapy
** 北 海 道 大 学 医 療 技 術 短 期 大学 部
Masaaki Takahashi RPT : Department of Physical
Therapy
,
College of Medical Technology,
Hokkaido
University 独 自性と独 創 性 独 創 性 と似た言 葉に独 自性 があ る
。
研 究に おける独 自 性と は お そ らく独創性の一
部なの であろ うが,
こ こ では一
応 区 別して考え たい。
理 学療法の 研究に は臨床的意義が不可欠である。 臨床 的 意 義に は,
理 学 療 法 学に関わる よ り普 遍 的 な もの と, 障害者が地域社会で より幸 福に生 活で きるように理 学療 法 士に課せ られた役 割か ら発せ られるもの と がある。
こ れらはそれぞれ 理 学 療 法の独 自性,
お よびその地 域 社会 の独 自性に基づい た研 究 とい うこ とができる。
前者は理 学 療 法 学の確立とい う私どもの彼 岸に関わっ て い る。
後 者につ い て は, た とえ ば多雪 地帯におい て雪に閉 ざ され た 生活や 氷 上 や雪一
ヒで の滑 り,
あるい は離 島の生 活に焦 点 を当てた研 究 等,
地域生活に根ざした研 究 報 告であり,
徐々 にで はある が着実に増 加してい る。
ただどれ も始ま っ たばか り とい う点で は共通し て おり,
今後一
層の努 力 が期 待 される。
’
そ れで は研 究に おける独 創 性 とは一
体何なのであろ う か。
研 究における独 創 性 を 評 価 すると きはただ 単に新し い思い つ きを見るの で はない。
その論理性や妥 当性 ある いは信頼性まで も含んで い るの である。
この こ とを 考 慮 し,
独 創 性 を下記の よ うに定義したe 即ち,
『研究におけ る独 創 性と は思いつ き を 吟 味し練 り上 げて他人が認める に到っ た新機軸』であ る。
独創性の出発点は思いつ きで あ る。
これ は直感に よ る もの である が, 知識 と経 験が多 ければ多い 程鋭く ま た妥 当性は高く な る。 し かし思い つ きは思い つ きな だけであっ て どこに落し穴が ある かも知 れない。
それ ゆえその 思い つ きを吟 味し練り上げ る作 業 が必要となる。
し かも研 究成果の普遍性を考え る と広 く 他人に認め られる こと も必 要である。
こ の よ うに考える と広 義に は一
つ の研 究 自体が 独創 性を発 揮 する過 程とい うこ とができる。
一
方狭義では,一
つ の研 究過程の各 段 階でそ れぞれに 独 創 性が必 要と なる。
その段 階とは先 ず 研究テー
マ を選 N工 工一
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482 理学療法学 第14巻第 6 号 び
,
そ れを絞り込ん で実験 仮 説を組み 立 て る段階, その 仮 説を証 明 する手 段を組み立て る段 階,
生のデー
タか ら 法則性を推 論す る段階,
そ し て そ れ を他 人に伝達 す る段 階である。
研究報 告は 目的, 方法, 結 果をきっ ち り書 く べ ぎ だと前述し たが,
そのた め に は 思いつ きを各 段 階で じっ く り練り上げる作 業が不 可欠なの である。
こ の作業 がない と思い つ きは 思い つ きの レベ ル に留まっ て しまい,
独 創 性は低い とい う評 価しか得 られ ないe その ことは研 究 自体の レベ ル が抵い とい うこ とで も あ るe そ れ で は どうし た ら独 創 性を高め るこ と がで きるので あろ うか。
思い つ きの部分は多くの知 識と多くの経 験を 積むし かないであ ろ う。
練り上げ る作 業とは他入 との徹 底し た議 論,
小さ な実証の積み重ね, そ し てこ の様な学 会で多 くの人の 審判を仰 ぐこと等で ある。
これを繰り返 すことで次の研究における独 創 性は必 ず 高まる と確 濬し てい る。
ま た歴 史の浅い理 学 療 法の分 野で は他の関連 学 会や研 究 会で発表 するいわ ゆ る他流試合が特に必要であ る。
それが理学 療 法 士 全体の レベ ル ア ッ プにつ ながる か らで ある。
こ のよ うな 地道な努力とも う一
つ,
これか ら 理学療法士になる入のため に は教育がある。 教 育と科 学 的 思 考 性 教育に お い て は研究その もの で はな く, 科 学 的 思考性 を高め ること が 目的とな る。
こ の点につ い て教 育を少し 歴史 的に見て みたい。
周 知の通 り,
わ が国の学 校 教 育に よ る理 学 療 法士教 育は外 国か ら招 聘し たいわ ゆ る外 人 講 師に よっ て始め られた。
昭 和38年に国 立 療養所清瀬 病 院 に最初の養成学校が作られ, その後各地に学校が作られ たの であるが,
昭和40
年代の半ばまで に作られた盲学校 を 除 く養成 学 校では昭 和50年前後まで全て外人 講師に よ り英 語で授 業が行われたの である。
約35
人の外 人 講師に より,
お よそ 500人の 学 生 が 英 語の 授 業 とい う洗 礼を受 けて い る。
外人講 師の教 育方針は理 学療法の基本的技 術 と基 本 的 概 念を徹 底して教え ること で,
科 学 的思考性と か研 究の手ほ どぎとは殆ど無 縁だっ た ようである。
その 時代の 学 生 が,
今は 理学 療 法の分 野で指導的立場に立ち,
理学 療 法の科 学性を押し進め よう として いるの で ある。
そ れ を確立する まで には ま だかなりの努 力が必 要と なる であろ うe そ し て外人講師の後 を 引 ぎ継いで 日本人講 師に よる今 の専門 学校の形 態ができ あがっ た。 専 門 学 校の中で も九 州 リハ ビ リ テー
シ ョ ン大 学 校や高 知リハ ビ リ テー
シ ョ ン 学 院の よ う に 早期か ら学 生に卒業論文を課し, 研究的素 養を養う教育方針を打ち出し た養成校もあるが,
やは り 専 門学校で はお し なべ て研 究的 要 素 を 教育に含めに く く,
ま た教官が研究に没 頭で きに くい環境が ある。
そ れにも か か わ らず 專門学校の 先 生方が 多 くの研 究 を され,
そ れ を教 育に生かそ う と努 力さ れてい るの に は 敬 服せ ざる を 得ない 。 同時に, 養成教 育内容を改 善するための 方法に つ い ての アンケー
ト (理学 療 法 臼書 )に よ る と,
第一
位 が篋差なが ら科学 的 思 考 法 等の教 育にもっ と重 点を置く こ ととなっ て お り,
これ を合わせ考 える と,
そんな時 代 が 来たのだ な とい う感じが 強 くするのである。
昭 和54年に金 沢 大 学に医 療 短 大 が 開 設された。 そ して 現 在 まで に理 学 療 法 学 科を有 する医 療 短 大は12校を数え る。
医 療短大の教育とい っ て も,
基本 的}こは治療理論,
治療技 術 を 教 える養 成 教 育である。
し か る に科 学 的思 考 性 を 培 う とい うも う一
つ の柱がある。
両 者 を 教育の中で 統 合して具 現化するこ とは,
治療 理論の科 学 性が低い故 に,
言 葉で言 うほ ど簡単では ない。 こ の場合教育は その 性 格上科 学 的思考 性を重視 する方向へ と流れ る。
こ の流 れ をそのま ま突き進んだ場合,
ある種の混 乱が 生 じ る か も知れ ない とい う懸 念 が ある。
その懸 念につ い て少し考 えて みたい。
治 療 理 論と科 学 的思考性
科 学 的思 考 性と論理的思考 性は 同一
で はない。
形 而上 学の最た る神 学において もその論理は水 も漏ら さ ぬ ほど 整 然とし て い る。
し か しその論 理は神が存在する とい う 絶 対 的仮 説の上に構 築されて い る。
治療理論 もこれに似 て,
多 くの仮 説 を 正し い として,
そ れ ら を論 理 的に組み 立て てい るの で ある。一
方 科 学はい ま ある仮 説を疑 うこ とか ら出発し,
それ を実 証に よ り創造 的に否 定 あるい は 肯定する。 そ し て そこか ら新た な仮説が生 ま れ, 治療理 論が 再 搆築され る。
こ のよ う に科学の進歩に沿っ て治療 法は発 達 するの である が,
もし治 療理論の前 提とな る仮 説 が科学的に否 定 された場合,
新た に治 療理 論が構 築 さ れるまでの時 間 的ギャ ヅ プ を 何に よっ て埋め た ら良い の であろ うか.
最近の研究報告を読む と,
その様な不 安を 抑 えら れ ない ので あ る。
も う一
つ の懸 念は よ り現 実 的と思 わ れる。
わ れ われ理 学 療 法 士の手に して い る治療理論, と りわけ中枢神経 疾 患に対 するア プロ・
一
一
チは極めて論理的で はあるが,
科学 的に立 証されてい る事 実 とは程遠い ところにある仮 説 を 頼り に してい る。 例えば障害を受 けた脳の可 塑性や 運動 学 習につ い て殆ど解っ て いない にもか か わ らず, そ れ ら は正常と同様である とする仮 説等であるQ 治 療にあた っ て は,
その理 論 を 信じ込ま ない と真 剣に取 り組めない は ずであ る。
そこ に は カ リスマ が生じ るこ とも必 然の よ う に思 える。一
方科 学は カ リス マ 性に真っ 向か ら敵 対 する。
N工 工一
Eleotronio LibraryJapanese Physical Therapy Association
NII-Electronic Library Service Japanese Physioal Therapy Assooiation
日本における理 学療法の独 創 性 :教 育