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青少年育成に関する実証的・理論的研究
岡 屋 昭 雄
第一章 研究の目的とその方法 第一節 研究の目的 筆者は,その教師生活の二十年以上を小学校の教師として過ごし,子ど もの健全発達についてこほ興味・関心というよりも,子どもの健全な発達を 促す教育のあり方を模索し続けてきたといってもいいのである。 高松市の繁華街の裏通りに中学生・高校生がたむろし,テ・−プレコ、− ダーから流れる音楽を聞くともなしに無表情に黙り込んでいる。そこにいる子どもの顔は暗い。なかにほポケットベルを持っていて,仲間に連絡を
とっている者もいる。私が彼らに質問しようとすると一顧拒否的な態度を 示すのであるが,警察官でも,生徒指導の教師でもないことが分かるとに わかに親近感を持っているかのように話し始める。「俺達には学校はつま らなく,退屈な場所だ。」ということを雄弁に.語り出す。「俺達のような落 ちこぼれには学校の居場所はないのだ。」ということがはば結論的な彼ら の意見である。 確かに,学校というトポスは,子どもの成長・発達を促す場所であり, とりわけ,学力を中心として発達段階に即して教育するのであり,学力の ある子どもにとっては居心地のよい場所であるのかも知れないが,逆に学 力の低い子どもにとっては,つらい場所であることは.確かである。 ポスト・モダンといわれている現代は,価値観の多様化ということがい われ,今までの儒教的価値観が崩壊現象を惹起し,その為に大人が自信を 持って子どもの拇導に当たることが困難となり,家庭内の子どもの数が少 なくなるという少子化現象が起こっていることもあり,親が子どもを甘や岡 屋 昭 雄 14
かす過保護,逆に子どもを放任するという無責任の状況も見られる。つま
り,家庭教育で子どもに責任を以て指導し,説得できない親が多いことも また事実であろう。また,社会教育に.おいても,地域の人間関係が希薄化 し,近所の人間との関係もなくなり,挨拶さえもしなぐなっている,とい う状況も散見される。かつての農村のような濃密な人間関係を望むことそれ自体が無理になっている。中学生が自動販売機でタバコを買って,喫煙
していても誰も注意しない。下手に注意でもしたら殴られることを知って いるのか,それとも他人のことには無関心か,どちらかである。自分の子 どもさえ注意できない親が多くなっているのに,他人の子どもに注意でき ないといえば当然である。社会全体が責任を持って子どもの指導に当たる という状況はないといっても過言ではないであろう。 子どもの読む本を検討すると,その内容が子どもの成長・発達に資する ものが少ないのに驚かされる。「少年ジャンプ」, 「少年マガジン」「少年 チャンピオン」等の漫画本が多くの子どもに読まれており∴漫画郊誌で評 判に.なった物は,単行本となって,子どもの本箱に並.べられることになる。 漫画に見られることばは,乱暴なことばであり,卑猥なことばが多ぐでて 来る。暴力礼賛のものが多く,かつての熱血物が少なくなり,子どもの低 俗な趣味に迎合する漫画作品が多くなっているといっていいであろう。子 どもの将来に対する責任のひとかけらもないと断言してもいいであろう。売れればいいのである。よい作品が売れないから,というのが出版社の意
見のようであるが,子どもの低俗な要求を満足させるような漫画が多いの も問題点として指摘しておく。だからといって,筆者は,このような漫画 を発売禁止すればすむという問題としては捉えてはいない。青少年育成の 問題は,このことを視野に入れ,親と子ぜも,あるいは学校教育の指導に於いて検討すべきだといいたいのである。性教育の問題と同じである。子
どもに.漫画に対する批判力をつけたいのである。漫画だけしか読まない子 どもにしてほならないのであり,調べる読書,教養を高める読書,あるい は,未知なものを知りたいという知的好奇心を喚起する読書指導を積極的 に推進すべきだ,といいたいのである。漫画を読む,遊ぶといった行為に占少年育成に†.対する突.狛杓・拙論的研究 15 は,裏文化を理解することに.もつながり,そこで培われる知感もまた子ど もの世界・宇宙の形成に必要不可欠であることは否定できない。ピーダ マ,メソコ遊びに打ち興じて帰る時間も忘れ,親に怒られるのも,子ども の成長・発達には欠かせないことである。パソコンに熱中する子どもも多 くなっている。友達との関係をつくることの下手な子どもが増加している という指摘もある。パソコンゲームのソフトを多く持っている子どもは,
みんなから尊敬されるというのもおかしな現象ではある。虐め,非行現象
も年々増加の傾向に.あり,大きな教育の問題として危惧されるのである。 とりわけ,筆者が注目し,強調したいのは,子ども達の対象喪失の現象 である。換言すれば,「夢」「希望」を失ってしまい,子どもから自尊心, プライドがなくなってしまっている子どもが多いことである。「どうせ自 分は駄目なのだから」と,やる気を失ってしまい,努力に.よってその壁を 越えようとする気力の乏しい子どもが多くなっていることである。ある公 立の小・中学校を含め,12校の学校に依頼し,「今の自分の学級内の位置 と,今後どの様な努力をしたいか。」の2点に絞って,調査した結果は,3割4分の子どもはその努力目標は持ち得ても,6割6分の子どもは自分の
ステイタスを変えようとする努力目標は持っていないのであり,そこに.関 わって教師の教育力が求められるのであるが,それにしても人数が多いと把握できる。叱ることが出来なくなったとこぼす教員も多い。「このよう
な点をとるようでほ駄目ではないか」ということができないとこぼす教員も多い。つまり,挫折を越える気力のない子どもが増加したというのであ
る。このことの困由としセ少子化現象を挙げることもできるであろう。家
族関係のなかで子どもを叱ることがなく,子どもが勝手気侭に生活してき ているので,怒られると異常なショックを受け,そのことが身体的に気力を失ってしまい,立ち直ることができなくなっているというのである。し
たがって,教師が注意をすると,痙攣を起こしたり,泣きだしたり,ひど いのになると,顔が真っ青になり,倒れてしまう子どももいるというので ある。教育という仕事は,子どもの持っている狭い枠組みを壊し,さらに 新しい生きる枠組みを作るという営為である筈である。にもかかわらず,岡 屏 昭 雄 16 子どもほ頑固に自分に拘ってしまい,自分の枠組みを壊されることを恐れ
てしまうのである。教師は一人ひとりの子どもに関わって,その子の特性
を見抜き,全体的な生活のみならず,その子らしさを視野に入れて教育するのである。筆者なども,「昨日の顔を持ってこない。」ということをどの
子にもいい続けできた。教師は,いつも新鮮な限で子どもを見てやらなけ
ればならないのであり,毎時間の授業に於いて,あの子はよくできる子ど もであり,この子はよくできない子どもである,という限で子ども達を見 つめないことを大きな目標としてきたのである。全く白紙の状態で子ども を見つめることは若しかった。 それほ筆者にほ,以下に述べるような苦い経験があるからである。6年 生に.なった最初の学級会の時間,W君という子どもが「先生も,学級のみ んなも,私をできのよくない,乱暴者である,と決めつけていることに自分が負けていたことに気づいた。」というりである。そこでみんなの子ど
もも,「やはり,W君のいう通り,自分の狭い知識で他人を評価し,その限で学級の子どもを見ていることは確かである。」といって,反省させられ
たことがある。しかも固定観念で,他人をあたかも知っているかのような
錯覚をしていると言うのである。これからどう伸びていくのか,どの様に
努力しているのかをちっとも評価していないのであり,学級の中で評判の 高い子どもは得をし,評価の低い子どもはいつまでも損をすることはよい ことでほないというのである。私の教師生活で−・番感動した時間であり,いまもって忘れることのできないことである。教師である,私も子どもの
可儲性を信じて教育をすることを忘れていた事実を突きつけられたのであ る。W君ほ私に向かって「先生,僕のような人間でも心を入れ換えたら出来るようになるでしょうか。本当のことを教えて下さい。駄目であったら
駄目といって下さい。」というのである。返事に窮するというのはこのよ
うな時をいうのであろうか。この時はど真剣に考えたこともない。もちろ
ん日常の授業を真剣に実践していなかったというのではないが,心に刺の刺さった状況になったのは,このときであったのである。努力をすれば成
続も向上するというのが教師の口癖になっていることは,教師であれば納青少年育成に関する実証的・理論的研究 17
得して貰えるであろう。にもかかわらず,子どもが涙を限に−・杯溜めなが
ら教師に迫って釆た時には,教師ほたじろいでしまうのである。3日間の
猶予をW君に求めた。そしてその結論は,「私もー塵腰命,W君が立派にな
るように努力するからW君も,みんなも力を合わせて頑張ろう。」といっ
たそのことばもいまもって忘れずに私の心に.残っている。「絶えず偏見を
持つことなく子どもに接することの重要なこと」を私に・教えてくれたW君に今も感謝している。教師も人間であるが故に・失敗もする。その失敗を乗
り越えつつ,教師として向上して行かなければならないことに気づかされ
た学級会であったのである。それ以後,子ども達は確かに変わった。その
年はある子どもの提言によって小学校最後の締めくくりとして「卒業論
文」を書くことになり,W君は「だるまから手も足も出た僕」という論文
を120枚も書いてくれたことを想起する。教師が子どもの限線まで下りる
ことが大事であることは理屈では分かっていてもいざ実行となると出来な いのが実状であろう。筆者が青少年育成で強調したいのは,子どもの立場に立って大人が行動しないとすれは,子どもは真実の意味で成長しないと
いうことなのである。スポ・−ツの場合に例をとってみると,勝つために過
醗な練習することの意味が子どもに理解されていないとすれば,子どもに
とっては苦痛以外の何物でもないのである。確かに.,スポーツによって精
神的にも身体的にも鍛錬されることほ分かっていても,その意味・価値が
子どもに理解されることである。昭和57年,筆者が中学校の教師であった
時代,クラブ括動で2年生の後半,レギュラ・−選手を決め,補欠選手を決
める場面に出会ったことがある。その選に.洩れたクラブのメンバ・−が大量
に退部していく状況に遭遇して戸惑ったことがある。クラブの顧問をして
いる先生もー・緒に活動に参加しないと子どもが動かない事実にもでくわしたことがある。その中学校は新興住宅地でもあり,保護者の地域に対する
意識も希薄であり,学校に対しても関心が蒔かったことはあった。学校で
授業の出来ない時もあった。教師が学校に釆て授業実践ができないことほ
ど苦しいことはない,と実感した。どの教師の顔も苦悩にうちひしがれて
いたのである。教師が教師として生きる場が十分に.保証されていれば,ど
岡 屋 昭 雄 18 の教師も,真剣に子どもに関わって教育力を発揮するのに,という思いは
今もある。何処かにきしみがあるのである。きしみと言っては問題がある
とすれば,ずれといってもいいであろう。国語の時間に敬語の指導に苦労
したことがある。尊敬語,謙譲語,丁寧語のあることを教えるのに,そのことばを支えている生活がなくなっているのである。とりわけ,謙譲語の
指導に苦労したのであり,「伺う」「参ります」等のことばの内実が分かっ て貰えないのである。生徒達に,家庭内で,お客さんが釆て,「お口には合 いませんがどうか召し上がって下さい。」とか,「粗末なものですがお納め 下さい。」という生活が分からないのである。 確かに知識として教えることは可能でほあって−も,生活に生きて働くことばになり得ないことを淋しく思ったものである。また,保護者の離婚が
多かったことも気になった。軽々しく離婚が悪いといっているのではな
く,きわめて安易に離婚しているという事実に驚いたのである。離婚の理
由が明確でないのであり,そのために子どもが直接的な被害を受けているのである。確かに親にも人間として生きていく権利はある。それと同時に
子どもにも生きていく権利はあり,親は子どもを健全に育成してやる義務があることもまた事実である。子どもが自分の親を信頼し,尊敬できない
とすれば,これはど不幸なことはないことも,教師であるが故に知悉して いることでもある。教師が親に対して何も言えない状況があることもまた 事実である。また学校で行なわれている教育が親に理解されていないこと もまた多くある。親も教師も互いに相手を非難しても何も生み出されない。 地域の濃密な人間関係にしてもー朝一L夕に.は実現しないであろう。学校・ 地域・家庭が緊密な関係・関連を結びつつ,子どもを健全に育成する場所 にする為には,行政的な指導に頼るのでなく,家庭教育・学校教育の持つ 意味を再度洗い直してみることが喫緊の課題であると把捉するものである。 多くの学校の教師はそれを真剣に.求め始めていることもあることを報告し て置きたい。 子ども達が意欲・意志・気力がなくなったという事実,つまり,子ゼも の対象喪失の状況は楽観することはできないのであり,大人が真剣に.対応青少年育成に朗する実証的・理論的研究 19 を迫られている問題であり,課題であることを指摘し強調して置きたい。
昭和63年度『わが国の文教政策一生涯学習の新しい展開…』(文部
省編)の91煮に.「2青少年教育の充実」として以下のような重要な提言を する。 青少年教育ほ,主として学齢期の子どもから青年までを対象に,家庭 や学校以外で行われる教育活動であり,青少年の人間形成を図る上で極 めて大きな意義を有している。 青少年を取り巻く環境については,核家族化,少子化等に伴う家庭に おける過保護・過干渉,都市化に伴う地域の連帯感の衰退などの大きな 変化が生じ,家庭や地域の教育力が低下している。そして,かつては日 常的に得ることのできた自然との触れ合い,異年齢集団での切瑳琢磨, 勤労体験等人間形成に必要な各種の生活体験が不足しがちな状況にある。 また,学歴偏重のなかで,過度の受験競争や偏差値重視の教育などの弊 害も見逃せない。 このような背景の■下で,今日の青少年は,ともすれば忍耐心,自立 心,社会性,規範意識が不足していると指摘されている。しかし,その 反面,体位が著しく向上し,芸術文化,スポ1−ツ等の活動に親しんだ り,豊富な知識・情報を持つという特徴も持っている。 青少年教育では,このような状況に対応しつつ,発達段階に即し,興 味や関心に応じて自由で個性的な学習活動や豊富な生活体験を提供する ことが求められている。特に,青少年の教育に場としての地域の役割を 重視し,地域において郷士理解,奉仕活動や自然との触れ合い等の機会 を教育的配慮の下に提供することが重要となっている。 なお,今後の課題としては,社会−・般における週休二月制の普及や夏期休暇等休日の拡大,あるいは学校五日制への展望などにも留意しつ
つ,今日の青少年の持つ新しい特性と感性に即して,地域社会の活性化 に資する新たな青少年の実践活動,団体活動の一層の振興や青少年教育 施設の活性化を図ることが重安である。 つまり,ここには今日の青少年育成の本質が述べられており,とりわ問 屋 昭 雄 20 け,地域に関わって地域において郷士理解,奉仕活動や自然との触れ合い 等の機会を教育的配慮の下に提供することが重要である,と問題の核心を 突いているのである。確かに今の子ども達は忍耐心,自立心,社会性,規 範意識が不足していることは首肯できる。 とりわけ,青少年教育は,主として学齢期の子どもから青年までを対象 に,家庭や学校以外で行われる教育活動であり,青少年の人間形成を図る 上で極めて大きな意義を有している,と大胆に提言していることは評価す べきであろう。したがって,青少年教育は,家庭や学校以外に於ける教育 であり,この教育が充実することが今日のみならず将来までを視野に入れ て健全な人間育成の拠点となることは必定であろう。子ども達の意志・意 欲のみならず,自立心を育て,自然との触れ合いを通して豊かな人間形成 を図ることを可能にする場所であり,人間らしさを取り戻す場所でもある
ことを忘れてはならない。キャンプ生活で不登校を直した実践,森林や野
原で勤労体験を受けることによって自分の精神と体を立て直した実践例も 多くあることからも,人間も自然の−部であることが分かり,自然と人間 が豊かなつきあいを止めれば人間の精神が不安定となることは当然である といえよう。 したがって,自然との共存を忘れた人間の精神や身体がおかしぐなるの も,当然といえば当然であろう。このことについては,別に,平成4年度 主催事業,「さわやか!フレッシュ.一登校拒否児童生徒自然体感活動∼ −」を実施した国立江田島青年の家に筆名も本学学生部次長武智泰道民の 格別の好意に.よって参加させて頂いたこともあり,また,今日の教育の抱 える問題点が密接的に見えたこともあり,感謝の念と,報賃する義務感も あって,この体験を述べることにする。武智氏は,青少年育成の課題につ いては,文部省でその任にあった方であり,専門的知識のみならず,多く の資料,研究力法等の助言も受けることができたことを申し添えて置きた い。 何れにしても,青少年育成の問題は,わが国の教育の中心的な課題であ り,この課題を解決することが,わが国の教育の危機を救う拠点となるこ青少年育成に関する実証的・理論的研究 21 とを確信するのであり,この問題が解決することなくして青少年の健全育 成は絵に描いた餅であることが分明になったことだけでも筆者の今後の重 たい研究課題となったことにも感謝したいのである。22年間義務教育機関 の教師として,子どもの教育をさせて貰った恩返しにこの課題を絶えず考 えの中心に置き,研究を深めなければならないことを自覚させられたこと も申し添えて置く。 第二節 研究の領域 確かに,前節でも述べた如く,子ども達の置かれた状況は問題・課題も 多く,早急に解決すべき問題と,長い期間をかけて解決をしなければなら ない問題があることもまた事実であろう。
ここで,財団法人 日本経済教育センター発行の経済教育参考資料 抽
262 「少子社会の到来,その影響と対応一平成4年度国民生活白書の
解説−−」を取り上げ,検討することとする。小学校,中学校,高等学校 の教師も参加し,経済企画庁,経済団体連合会,日本経済新聞社,通商産業省,内閣総理大臣官房参事官等も参加し,僅か32貫の小冊子でほある
が,貴重な資料的意味があることも報告して置きたい。多くの貴重な提言
があるのでその紹介をする前に「むすび」の箇所を取り上げることとする。 む す び一安心して子供を生み育てることができる豊かな社会の確立一
近年の少子化社会の動きほ,直接的には晩婚化と非婚化に大きく起困 していますが,結嬉している女性が生む子供の数が減ってきたことも無視できません。これらが生じている経済社会的背景には高学歴化,女性
の就業率の高まり,子供の教育コストの増加,居住環境の立ち遅れ,さ らには家庭像の変容など広範な動きがあります。もとより結婚はきわめ て個人的なものですが,わが国の場合,多くの男女が結婚を希望しつつ も先延ばしにしている理由に.ほ,仕事に追われ伴侶に巡り合う時間がな い,地域間の男女人口の不均衡等に.より巡り会いの機会にアンバランス があるなど社会的要因もあるようです。それらを改善するためにも労働 時間の短縮,人口集中の緩和等の環境条件の整備が重要となります。岡 屋 昭 雄 また,子供を生むか生まないか,いつ何人生むかほ各人の判断に.よる ものですが,親が理想と考えている子供数が2…5人前後であるのに対し て現実の夫婦の子供数は2.0人程度となっており,子供を持ちたいけれ
ども希望どおり持てないという現実があります。それゆえ,子供を健や
かに生み育てるためのより良い環境づくりが大切といえましょう。 そのために.は第1に,出産・育児への支援体制をよりいっそう整備 し,職業を持った女性も安心して出産・育児ができるように,育児関連 施設の整備や運営のいっそうの改善,育児休業の定着,育児相談,情報 サ・−ビスの充実等を進める必要があります。 第2に,住宅や都市公園など親や子供がゆったりと安心して過ごせる 空間の充実があげられます。家が狭いことが子供を希望どおり生めない 理由の一・つとなっていることから,家族数,家族のライフスタイルに合った広さの住宅の確保を促進していく必要があります。また,子供の
遊び場等の確保については都市公園,自然公園,児童館等の整備,校庭 の活用等に加えて地域における多様な街づくりの工夫を行なっていく必 要があります。 弟3に,一人∵人の子供の個性が重視された教育の充実と教育費負担の軽減です。小・中学生を巻き込んだ進学競争が加熱し,家計への教育
費の負担が大きくなっていますが,子供の特性が蛋祝されその個性と持ち味が生かされた教育が行われることが大切です。また,大学は学生の
就職のための−・通過点ではなく,社会の変化に/充分対応した教育内容と 社∵会人を含む多くの人々に充分開かれたものでなぐてはならないでしょ う。 以上に加えて,女性の就業率の高まり等の社会の変化に対応し,家族とその構成員の役割も見直される必要があります。少子化の傾向は家族
関係の大きな変動のなかで起こってきました。近年,家族は急激に変化
し,多様化してきているなかで,個人の選択とそれに基づくそれぞれの 家族の形が尊重されることが大切です。 多様な生き方が尊重される社会では,家族やその構成員の役割も変容 22l∫j少年待成に1対する突許的・理論的研究 23 していきます。すなわち,女催の就業率の高まりのなかで,「夫は外で働 き,要は家庭を守る」といった家族観は変化しつつあり,夫と寿が相た ずさえて子供を育てていくことは長い人生において貴重な共有財産とい
えます。また,夫も妻もそして、子供も家事に積極的に参加することが望
まれます。 また,少子化は高齢化と血体となって進行していることから,高齢 化,核家族化が進むなかで老親と子供との生括のあり方が改めて問われ ています。基本的には,高齢に.なっても寝たきりにならずできるだけ自 立した生活ができるようト比較的に若い段階から心身の準備と高齢者が 生活しやすい住宅の準備や衝づくりを進めていく必要があります。高齢 者の介護の問題については,それぞれの事情に応じて家族や社会,地域 が協力して行っていく必要があります。 子供関連の消費については,子供のまわりにほさまざまの物が満ちて います−が,子供たちが単なる消費者にとどまらず,人や自然との交流を 大切にし,かけがえのない地球環境のもと将来の時代を真に豊かに暮ら していけるような素地が子供の消費生活のなかでも形成されていくこと が重要といえましょう。 つまり,「むすび」では,社会の変化に対応し,家族とその構成員の役割 も見直す必要がある,と述べ,大学も,学生の就職のために−通過点では なく,社会の変化に充分対応した教育内容と社会人を含む多くの人々に充 分開かれたものでなければならないと提言する。多様な生き方が尊重され る社会では,家族やその構成員の役割も変容していきます。と強調しつ つ,少子化と高齢化の社会の進行に伴って老親と子どもの生活のあり方が 改めて問われるというのである。とりわけ,子ども関連の消費について は,、子どものまわりには様々なものが満ち溢れており,子ども達は単なる 消費者であってはならないと強調しつつも,テレビ,雑誌,町中といって よいほどの情報が溢れている状況においては,賢い消費者になれ,といくら叫んでもその効果はないに等しいのである。学校教育で,情報選択力を
啓培する子どもの育成が切に望まれる。情報過多に陥って,情報を吟味す
岡 庭 昭 雄 24 ることを忘れ,ひたすら子どもの欲望をかき立てる広告主の思いの侭に.走 り回っている子どもを見ていると可愛そうになる。パソコンゲ・−ムのソフ
トも次から次へと発売され,ゲームにうち興じている子どもを主人公に
し,幻想の旅に連れ出し,その途中で障害物を設置し,それを越えることに奔走させ,隠微とも思える自己陶酔の世界に子どもを遊ばせるのである。
筆者は何も,このようなゲ・岬ムを否定しようというのではない。子ども
が,薄暗い部屋に一人閉じ込もってパソコンゲ−ムだけに陶酔しているのが不気味だといいたいのである。友達と広い野原で遊び,色々な遊びをっ
くりだし,色々な草花を摘み,時として,草や花に名前をつけることもし て欲しいのである。「おおいぬのふぐり」,「ほとけのざ」ほ,柳田国男が述 べるように子どもが遊ぶときつけた名前であることはほぼ間違いのないこ とであろう。笹の菓でつくった笹舟,木の葉でつくった様々な動物,蓮撃 の花を連ねてつくった首飾り,あるいは,川のなかに入ってびしょびしょ になりながらの魚取り,木の上につくった秘密の基地,等々。このような 遊びは既に遠い昔の思い出になってしまったのであろうか。とっくみ合の 喧嘩をしてもすぐ仲直りをするのが子どもである。喧嘩をしなくなった子 どもの姿を見ると,何か小さい大人を見るようでまことに淋しいと思うのも,年とったからであろうか。筆者も今も人間的なつながりを持っている
のは,真剣に喧嘩したことのある人間であることを頑なに信じているのである。長いつきあいの経過で一度も喧嘩をしないというのが不気味であ
り,信じられないのである。意見の衝突を越えて信じ合えるのが友達であ
り,真剣に相手に対して,意見を述べるのが礼儀ではないのであろうか。少なくとも,子どもはそうあって欲しいものである。喧嘩の仕方も知らな
い子どもが多くなった。一・人の子どもを多人数で虐めることは喧嘩のル1−ルに違反していることに気づかないとすれば,恐ろしいことである。最近
のこユ・−スによれば,大阪市立のある中学校で3年生の生徒が同学年の生徒2名による虐めによって死亡する事件があった。新聞が報じる所による
と,今春転向してきた生徒は,前の中学校では自分がいじめられていた 為,今度の学校では自分がいじめたいと考えていた,というのである。し#少年育成に関する実証的…理論的研究 25 かもゲ1−ム感覚で体力のない生徒を標的にしているのでは救い難いのであ
る。いじめられている生徒が「やめて」「背中が痛い」と泣いて頼んでも聞
いて貰えなかったというのであるから。しかも3時間以上にわたっていじ
め続けたというのである。以上のいじめは,繰り返し起こっていることであり,いじめの根っこを
断たなければ,今後とも起こることは必定であろう。学校の教師仲間でも
いじめがあることは教育社会学会でも指摘されている。人間全体の問題で
もある。物質的には豊かであるのに.も関わらず,精神的には,貧困となっ
ていることを指摘する識老も多い。また,子ゼも達が,希望・理想を描き
にくい時代であり,学力だけで,人間を評価する体制が学校教育のみなら
ず,人生そのものが学力によって決められるが如き錯覚に陥っているとも
いえるのである。したがって,学力の低い人間は人間として生きる権利が
ないような幻想さえも持たされてしまうのである。子ども達が単なる消費
者にとどまらず,とはいっても,物に対する欲望をかき立てるコマ・−シャ
ルに幻惑され,つい買ってしまうのも致し方ないと,いってしまうわ桝こ
もいかないであろう。人と自然との交流を大切にし,かけがえのない地球
環境のもと将来の時代を異に豊かに暮らしていけるような素地が子どもの消費生活のなかでも形成されていくことが重要,との指摘は,傾聴に催す
るとしても,大人達が真剣に子ども達と話し合わなけれは,成功すること
はないのであろう。分衆化といわれているように,全ての価値観の多様化現象が至る所に起
きており,虚無主義,換言すれば,明るいニヒリズム,つまり,何も信じ
ることのできない状況下に生きていることになり,人間の話すことばが相
対的に.意味・価値を喪失し,人間の喋ることばは,すべてが正しく,また
すべてが正しくないといった状況にあるといってもいいのである。した
がって,強引に主張する人間が評価され,何もいわない人間は無視される
のである。いじめの現象も,管理化された社会の閉息状況のもとで生起す
ることであり,ことばを代えれば,精神的な危機状況と把握してもいいの
である。私たち教育学部に所属する教官は,この教育の危機的状況を真正
岡 屋 昭 雄 26
面から受け止め,それに対する処方箋を出すことになるのであろう。安易
であってはならない。慎重,かつ重厚な分析と,研究,それに加えて,人 間としての生き方に関わって,その機軸を確かなものにし,人間としての 豊かさを快復する為の青少年の健全な育成を図らなければならないのであ る。緊急の課題でありつつ,息長く取り組むべき課題でもある。子どもの ことばが乱暴に.なった,といわれている。子どもの使っていることばには 省略語が多ぐて大人には分からない ,まるでよその国の人と話しているようだ。マスコミで使われていることば,漫画雑誌で使用されていることば
を安易に使っている,「バイキン」,「シネ」,「ブッコロス」,「ゴミ」等々の ことばがまるで記号か,符号のように撒き散らされている。私たち教師 は,「ことばは人間と人間をつなぎ,ことばを通して人間が信頼を深め,人間として成長していけるものである。」と教えてきた奮である。に.もかか
わらず,ことばが相手を傷つけたり,攻撃したり,自己防衛の道具化して いる現実から限を外らしているのである。自分が他人からことばの暴力を 受けたから,他人に対してはそのようなことばを発しないとなるのでほな く,逆に自分がことばの暴力を受けたから,他人に.ことばの暴力で仕返し をするという現状を何処かで歯止めをかけなければならないのである。つ まり,本来的にことばがもっている真実(信実)と愛情を再び人間の関係 のなかに.取り返すことに.しなければならないのである。人間らい、ことば の使い手に子どもをしてやらなければ,子どもほことばによって連帯する ことの素晴らしさを理解し,話し合うことの楽しさを知らないままに人生 を終わってしまうことにもなるのである。子ども時代のあり輝くような姿を失って,しょぼくれた小さな大人の再生産にして喀ならない。個性的で
あり,国際的視野を持った人間でありつつ,.日本人であることを誇り二肇こ思 うような青少年の育成ほ,今後の課題であると同時に,人間として生きる ことに喜びを感得するような時代を創造しなければならないのである。ノ第 一・時産業の時代は,親の姿を見ながら子ぜもほ豊かに育つことができた。農業・漁業等に直接的に参加し,勤労・労働を体験した。餅抱き∴味噌作
り,漬物作り等も限にしてきた。小学唱歌の「ふるさと」の世界である。
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兎追いし山があり,小鮒を釣った川もあった。今やそのような川を見るこ
とはめったにない。幻想の世界なのである。核家族化した家族ほ,アット
ホ・−ムな雰囲気はもはやない。15年前,筆者はアメリカ研修旅行に.参加し,その当時のアメリカの状況をつぶさに観察する機会を得た。家庭の崩
壊はもとより,ドラッグアビューズといわれている薬物を使用している青少年を見たこ.とがある。喫煙は許可制となっている学校もいくつかあった。
また,不純異性行為の詰も聞いてはいた。朝から外食をしている家族に.遭 遇する機会も多かった。ニュ・−ヨークでは,夜,外出することが危険であ ることの注意も受けた。町の治安に警察が責任をとることができない状況 であったことも想起する。都市の学校では,授業が成立していない,との情報もあった。当時は,日本では,非行の兆しはあったが,アメリカほ
ど,過激な状況ではなかった。それが数年すると同じ様な状況に見舞われ
ることは想像できなかった。 日本でほ,家庭がしっかりしてこいるからという認識が筆者にはあったか らであり,社会教育も学校教育もしっかりしていた。しかし,当時,広島 市の周辺が都市化の現象を起こし,小学校・中学校・高等学校が建設されるようになると様子は変わってきた。新興団地が続々と建設され,住民意
識が希薄に.なるにつれ,非行の生徒が増加してきた。つまり地域の教育力 が低下,ないしは無ぐなって来ると平行して子どもがおかしくなりだしたのである。私が一年間奉職した新興団地の中学校は,地域の教育力がない
ことに加えて大人がおかしいのである。学校の教育に協力することは全く といってよいほどないのであり,大人同士のつながりが希薄なのである。したがって,地域の行事もできないという状況であった。町内会という観
織が機能しないのである。昼間は全く人影すらも殆ど見られない風景に恐 怖感を持ったことがある。夜寝に帰るための家でしかなく,まるで,ホテ ルのよ ここで,前掲の「少子社会の到来,その影響と対応」から図表を借りて 解説;解釈を加える。図表−
1は,最近のわが国の出生率の動向を示したものであり,冊子問 屋 昭 雄 28 (人) 55 5 0 4 5 40 35 30 25 20 15 10 05 0
15 5 12 15 22 25 30 35 40 40 44 娼 52 56 60 元 3(年)
(大正)(昭和) (坪成) 備考・:媒生省「人口比汁資料娼」により作成。 の解説にもあるように第2時世界大戦直後の昭和22∼23年に−・時高まり, その後,甑後の復興期を通して低下し,それ以降昭和40年半ばまで横ばい 状態で推移し,昭和58年以降再び低下傾向が続き,平成3年の出生率は1..53 人と史上最低となり,この数字は,現在の死亡率を前提にした人口の維持 が可能な出生率2い08人を大きく下回っているというのである。 確かに,女性も高学歴化し,職業に就く割合も多ぐなり,それ故に.結婚 年齢も高ぐなり,生涯にわたって女催も自分の選択した職業でマスロトー・の いうような自己実現を因っているものも多くなった。一時期「共働き」と いう語彙が流行語となったこともある。出産して教員を止める女性もいた。 今は,法律も整備し,産前,産後の休暇も保証され七おり,女催教師も, 管理職に就く時代となっているのである。「共働き」という語彙の内実を 示すコノテーションには,子どもができたら女催は,家庭で子どもの養育に専念しなければ,ということもあったように考えられる。私ども教師仲
青少年育成に関する実証的・理論的研究 図表−2 出生率低下の要因(フローチャート) (腺凶) (璽因) 29 (・抒如) 舛■女の人口のアンバランス 都 市 化 多梯な擬しみの増大 成 敗 化 ︵出生率の肌下︶ 叫身生瀾の地利さの増大 サ ー ビ ス 化 女一條の砧学髄化 ′▼ 舛■女の機会均等化 .′ニン′ ・一 ̄ ̄■− :・・・一・・一一一・一一・ 彦三ニ 女性の威張率の捕まり 集配l官金の粥まり 老練の亨供依存の低下 紘哀 族 化 不充分な火の‘密事分机 督妃への拍押的久山 娘の増大 ヽヽ 披い労働時糊 、−−−■■−−■ 子供の将*への不安 不兜分な仏性現場 緻曾☆の増大 過熱している受験眈争 仕叫と宮ヰト育児 の鞘立の難しさ 不充分な兢餌小甘妃の支ほ体制 腫考:1、婚外・:f・、触撼については省略した。 2主賓と思われる関係を示したものである。
間でも,「あの先生は二馬力だから生活は楽だ。」といったことばが飛び
交っていたことを想起する。古い価値観では,女性は早く結婚してよい子
どもを産む,育てることが義務である,といった風潮があったことも確かである。その価値観のアンチテーゼでもあるのであろうか,「ダブルイン
カム,ノーキッズ」(DINK)という用語が流行語となったこともある。結 婚を拒否する女性も多くなっていることも確かである。筆者のかつて教え た子どものなかにも,結婚をしないで,自由に自分の生きがいを求める生活をしたいという老もいる。「先生,女性が子どもを産むことがどんなに
岡 屋 昭 雄 図表−3 出生率低下の主な原因は子育ての費用と施設い制度の不足 「出生率の低下の族閣は何だと思いますか。(3つ選択可)」 30 狛70 60 50 40 30 20 10 傾か桃いから 速くなったから 棉帖†るのが なったから 生浦現場が赴く 増えたから 抽醇しない人が らいか・り 制膿が充分で 粁狸をTる拙敗 色封lが大さいから サ打ての骨相の 多様な搬しみか でさたから す鱗の将来・扉ぺ車一 /£・h ﹁偶を作る必亜 性を煉じなくなっ たから イ鯖ては肉体的 n州が大きいから 備考:1.経済企画庁「平成4年皮国民生活避好破調査」により作成。 2対敵は全区=こ居住す−る20歳以上の男女2,440人。 3.比率の高い上位10項目についてあげている。 4それ以外の項目として「身近に子供の世話をする人がいない(L70%)J「避妊技術が発達し たから(56%)」「よくわからない(33%)J「子供が轢いな人が柏jたから(16%)」「その他 (1.0%)」「無風谷く0い4%)」がある。
苦しいか分かりますか。子どもを大きくするまでどれだけの苦労があるか
分かりますか。」という質問を受け,困惑したこともあり,結婚することだ
けが女性の幸せではないこともよく分かってはいるつもりである。結婚に
っいても真剣・其蟄に.考えなければならない問題であろう。子どもは女性
がすべて面倒を見なければならないという考え,家事についてもそれぞれ
の家庭で検討すべき問題であろう。少子化現象の背後には多くの問題があ
ることを指摘して置きたい。子ども三人を大学卒業まで面倒見るとなると
莫大な費用が必要となることもあり,そのことだけをとってみても,少子
化現象の一周となるであろう。そのことを含めて図表−2,図表3を紹介
する。】■J少イl作成にlヌ」する二烏証l′山一理論的イ井究 31 以卜,研究の領域は,llj少イ1・・の健仝育成の観人■、くに絞って述べるこ.ととす る。 第三節 研究の方法 研究の方法は,青少年育成の基本的著おを収集し,その分析・解釈を中 心として肯少年育成の課題,力向,l‡j的,実践力法を明らかにすることで あり,その実践内容を検討しつつ,今後の青少年健全育成のあり方のノJlこり を探ることであり,これからの将来を担う青少年をどの様な教育,いや健 全な環境を用意してやれはいいのか,という観点が重要となるはずである。 総務庁青少年対策本部 編『詩少年の健全育成をめざして…l!ゴ少イ川り 題審議会10年の歩み−』(大蔵省印刷局 平成元年八月)ほ,Ⅰドり題の 所在と検討の視点」】Ⅰ斉少年行政の総合的な挽進体制等について,Ⅲ
青少年関係施設の今後の在り方について,Ⅳ 青少年鼎談の充実・叔化に
ついて,Ⅴ 青少年国際交流の一層の推進について,Ⅵ 調査・研究及び 情報収集・提供機能の充実について,の六項目からなり,何れもその間題点を浮き彫りにしつつ,その解決策を示すのである。問題の所在と検討の
視点では,「瀾際化,高齢化,情報化などの社∵会変化はその後急速に進 んでおり,二再少年の健今育成のために,時代の変化に即した積極的な対応 が一層必要となっている。」と把握しながら,「青少年をめくヾる問題状況についてみると,昨年夏に起きた巾学生による家族の殺害頚件を始めとし
て,無職少年などのグル′・−プによる凶忠な事件やいわゆる暴走族による殺 傷事件など梯めて変臆すべき事件等が後を絶たず,また,万引き,仁川転句i 盗などのいわゆる初発理非行の蔓延により,昨年は,刑法犯少年が過ム3番目に多い数を記録しており,非行はなお予断を許さない状況にある。」
と,問題状況を扶りつつ,「さらに,最近でほ,いじめや校内暴力は減少の 傾向にあるとみられるが,思春期を中心として,ひきこもりや登校拒否な どの増加という新たな問題がくトじてきており,憂慮すべき状況となってい る。/このような状況をみるとき,今l】物質的な豊かさや生活の便利さと 引き換えにト持少年の間で失われがちとなっている基本的なもの,すなわち 心の豊かさやたくましく/トきる力を回復するために,青少年の育成にかか32 岡 屋 昭 雄
わる老の一層の努力が重要となっていると考える。」と締めくく り,青少
年問題の重要性について強調する。 以下,四項目に分けて次のように、述べる。 ア 青少年の健全育成の在り方については,時代によりその重点を置く べき事項などが変わり得るという性格をもっている。 しかし,少なく とも今後21世紀に向けて言えることは,国際化社会,高齢化社会,情 報化社会において,社会を担いうるような資質と意欲を有した活力あ る青少年を育成することが必要であるということである。このために は,青少年が地域あるいは社会の−・貞としての役割や責任を自覚し, 創造性や協調性を育みながら成長することができるよう,青少年活動 の一層強力な促進などを始めとして,多様な対策を講じていくことが 重要となっている。こうした中で,国,地方公共団体を始め民間団体 をも含めた様々な取り組みが,今後より活発で効果的になされるよう にするため,具体的に何を改善する必要があるのかを明らかにする必 要がある。 イ 青少年の育成は,家庭,学校,地域社会ひいては,社会全体の在り 方等に深くかかわることであり,青少年行政は他の行政分野のように は,その範囲,役割が明瞭に区分されにくいという性質をもっている が,時代の変化に対応した家庭,学校,地域社会などの役割とのある べき関係に.常に配慮しつつ,家庭,学校,地域社会などのそれぞれの 果たすべき役割が効果的に発揮されるよう行政としてもこれらの間の 連携,協力の推進に努める必要がある。 ウ 青少年育成のための施策や取組は,国,地方公共団体,民間団体に わたって,多様に展開されてきているが,これまではそれらの間の連携が十分でなかったために,全体として今一つ大きなエネルギーと
なっていない。このため,関係者相互の役割分担を踏まえつつ連携・
協力を進めていくことがきわめて重要に/なっており,そのための条件 整備や具体的な推進方法について明らかにする必要がある。 エ 技術革新などが急速に進展する中で,社会の変化は一段と加速され「】Jサイト翻如こ関する実証的り理論的研究 33 ており,このような社会変化が青少年の生活や意識,心と身体などに 及ばす影響は大きい。変容・流動性の著しい青少年の実態を的確に把 握し,柔軟かつ機動的に対応することが今後の青少年行政には一層求 められており′ そのために必巽な力策について検討する必要がある。 以上,問題の所在と検討の視点,の四項目を紹介した。あくまでも家庭, 学校,地域社会が,連携・協力しつつ,その効果が発揮できることが基本 であり,国,地力公共団体,民間団体,青少年育成の条件整備や具体的な 推進方法濫ついて明らかにすることである,と明確に述べる。さらには, 社会の変化の著しい時代に,青少年の生活や意識,心と身体に及ばす影響 は大きいので,そのために,青少年の実態を精確に.把捉しその対応策を綿
密に検討する必要性を説くのである。確かに,ここで述べられていること
に異存はない。に.もかかわらず,青少年の実態は急速に悪化の方向に㌧進んでいるのである。実行あるのみである。学校が学校としての機能を失い始
めており,東京都の教育研究所の調査によれば,学校の教師よりも,塾の 教師の方が信頼・尊敬できるとの結果も報嘗されているのであり,学校の 教師が塾の教師はどに.真剣に授業をしていない,という児童・生徒の声も 多くあり,学校の教師が,教えるプロ意識が衰弱したと嘆く内部からの批判もあることを真蟄に受け止めるべきであろう。学校の教師は,確かに学
校制度によって護られており,先年という椅子に胡座をかくこともできる であろう。また学校が以前ほど存在感を持たなくなったこともあるであろ う。保護者の意見が多様に.なり,また,教師に対する信頼も相対的に低下 したこともあり,同僚との人間関係に気を使って−疲労し,子ぜもの教育に 身が入らないという声も聞くことがある。筆者は一・力的に教師を批判する つもりはない。確かに塾の教師は,真剣にならざるを得ない状況があり,塾に来る子どもの成績を挙げなければその塾はつぷれてしまう危機をも
持っているからである。したがって,狭い視野で勉強の成績を挙げること
に奔遺することに.なり,幅広い人間を育成する視野が欠落する危険性を抱 持していることも分かってはいる。しかし,学校の教師が現在,閉息状況岡 屋 昭 雄 34 にあることは確かであり,保護者からの批判をかわす為に,教える内容を
統一↓,学級ごとの個性を発揮することができないこともまた事実である。
理想的教師像が描きにくい時代になったこともいえるであろう。保護老が 性急に学力を上げることを急ぐ余りに,教師が自己の信念を貫き通すこと が困難となっていることも分かる。子どもに迎合する教師が多いことも問 題であり,宿題を出さなければいい教師でないといった,安易な保護者の 考えに.迎合する教師も多いのであり,作文力を啓培したり,読書力をつけ るよりも,テストの点を〟点でも上げる教師が,いい教師と保護者から評 価されるのであるから,教師ほそのことが空しいことと知りながら,高い 志を失って安易な方向に流されてしまうのである。教師が教え易い環境を つくることも管理職の仕事である。和して動ぜず,である。学校教師が, 子どもから限を外らしてはいい教育はできない。子ども不在の教育になら ない努力を教師のみならず,保護者も,子どもも一体となって努力を傾注 すべき時ではないのであろうか。促成栽培のような教育に奔走することなく,将来の人格形成に向かって息の良い教育が叶能な学校にすることに
ほ,子どもを中核に据えた論議が必要となり,前掲苔の「2 現在の青少
年の特徴と今後の展望」にも「イ ー・九 耐えることが苦手なこと,人間 関係の中で傷つきやすい点,自分から考えて何かやろうという自発牲に乏 しいこと,このこととも関連するがリーダーになろうとする者やなり得るような者が少ない点などが指摘されている。また,物質中心的な考えガへ
の傾斜や社会・公共的なものへの関心の薄さなども指摘されている。」と, 述べられているように,教える子どもが家庭では,過f二瀦こか,放什の状態 で大きぐなっているものだから,困難な問題に出会うと,抑否反止、を起こ し,やる気を失ってしまうのである。忍耐力を支えている,困難な「軋題を 考えて,考え抜いて解決した喜びには,現在の子どもはあまり期待できな いというのであるから,教える教師は,教え甲斐がないと淋しそうにこぼ すのである。そしてこのことは,地域の教育力についてもいえることである。筆者の
住んでいる住恕でも,挨拶を交わす機会がめっきり少なくなっている。
青少年育成に関する実証的・理論的研究 35 「おはよう」,「こんにちは∴「さようなら」,「ごめんなさい」,「失礼しま
す」等のことばをあまり聞かなぐなった。筆者などは,近所の子どもに出
会うと挨拶のことばをかけて上げるように心掛けている。子どものなかに は怪訝な顔をする老もいる。自動販売機でタバコを買っている中学生がいても,誰もちらっと見るだけで注意はしない。住宅の衰で中学生が数人た
むろしてタバコを吸っていても大人は注意しなぐなっている。確かに現在 の子どもの変化は著しいものがあることは分かる。注意を素直に聞く耳を持っていない。他人との関係を持ちたくない子どもも多くなっている。そ
れのみならず,被害者意識が強くなり,見知らぬ人間のことはは,拒否す るのみならず,攻撃を始めるのである。一人でほできないのに,集団とも なると,責任が分散されると思っているのか,あるいは,異常な集団心理 が機能して変な力向に暴走することをしばしば経験したことがある。自分 と関係ない人間から注意を受けることを極度に恐れ,拒否する体質を現在 の中学生は,特に持っているように考えるのであるが,筆者が,昭和57年 度,中学3年生を担当していた時にもそうであった。「俺は,先生と関係ないから注意は受けとうない。」と,筆者は注意したことを拒否されたこと
があった。日数をかけ,その子との人間関係を作らなければ,注意ができ ないということもいかにも淋しいことではある。 したがって,地域の教背力を取り戻すためにをま,大人が人間的な関係を 切り結びつつ,子どもとの話のできる関係をつくる以外にはないのである。 かつて筆暑が了ゼも時代には田舎であったこともあり,濃密な人間関係が存在していた。お正月,お盆,秋祭り,田植え,稲刈りといった農業の
時,あるいは結婚,葬儀等の時ほ,地域が協力して実施していた。他者に 対するイマジネーションが驚かに存在していた。第一次産業だけの生活を していた農村は,時として煩わしいこともあったらしく,村八分にされる 事件もあるにはあった。我々の心性は,旅行に出かけた時,ホテルに宿泊 したいか,それとも宿屋に泊まりたいかによって分かるといわれている。 つまり,他人からの二†二渉を避けたい老はホテルを選択し,濃密な人間関係 を求める名は,宿屋を選ぶのである。にもかかわらず,最近,北海道を中岡 屋 昭 雄 36 心として各地域で民宿を好むものが,若い者を中心として増加の傾向が見 えだしたという報告もある。他人からの干渉を嫌い,あるいは,拒否的態 度をとるといわれて−いる若者が旅に.於いて\家族的雰囲気の豊かに存在す る民宿を求めているのは,叫\見矛盾しているようにも見える。今の孤独の 状況に耐えることができなくなって,その淋しさを紛らす為に旅に家族的
雰囲気を深層意識では渇望しているのであろう。若者の,無表情は確かに
気になる。大学に於いても,教官の講義に対して,反応が殆どない。私語 をする者も多くなっている。大学を卒業する前になっても,また,自分の進むべき方向の見えない学生も多くなっている。昨年までの,大学さえ卒
業していれは,何処かの会社に入社できるという甘い考え.があった。確か に,何人かの学生は,多くに企業から就職内定の通知を貰い,その選択に 苦労していた状況があった。それがバブル崩壊以後,様変わりをし,厳しい就職状況になっても,学生の心性はあいかわらずである。新一年生が入
学してきて,下宿するのにあいもかわらず,バス,トイレ,冷暖房付きの ワンル・−・ムマンションにほ入っている老が多いのである。家族連れで学生の下宿探しに釆ている者が多い。下宿に入る新入生は,親が選んでくれた
下宿に.文句も言わず,ワープロ,テレビ,ビデオコ・−ダ1−,冷蔵庫等が飛 ぶように売れているという。すべて親が−・生懸命奔走していて,子どもほ親の後ろから退屈そうに見ているだけである。何処かおかしいと思って
も,それが今の学生の現実である。このような風景ほ学生の気質にも影響
を与え,苦しいクラブ活動より,好きな時,気の向いた時,自由に参加で きるサー・クル活動への参加が多いのも当然といえは当然であろう。 確かに最近の学生は,大学に何を求めて入ってきたか,分からない者が 多いのもーつの特徴であろう。大学センター・テストの点をもとに,進学塾 や高等学校の進路指導の教師に受験する大学が決められているのであっ て,受験塵が,大学で学ぶ目的,将来への展望を思い描いて,自分で大学を選ぶのではないのである。毎年のように一般教育の文学の講義の折り
に,「どうして香川大学に入ったのか,何を求めて大学に.来たのか。」を三 百人程度の講義の受講生に,レポートを課している。その結果から言える青少年育成に関する実証的・理論的研究 37 ことは,今の若者は,自分が入る大学を自分の判断で選択している老が三 割程度であることである。だからといって学生の責任だけとは言えないこ とはもとよりのことであるが,また叫・カ大学に学生を送り込む高等学校の
責任とも言えないのである。まして親や受験生の責任でもないのであっ
て,何かが狂っていることは分かっていても,何処にも責任が無いという不思議な状況ではある。自分が入る大学は自分で選べ,それぞれの大学の
特色を理解し,自分の目的と合致した大学に入って欲しい,とは思いつつも,現実はそうなっていないのである。新入生の七割強が自分の入りたい
大学ではなかったと回答をしているのであり,この屈折した学生の思いは 卒業まで続く場合が多い。「何処の大学に入って−も,何をどのようにするのか,その目的に向かって努力すればいいのだ。」といくら講義で絶叫し
ても,比喩的に言えは何に.も分からず念仏を聞いているようなものである。 新聞を読まなくなった大学生が多くなったとか,学問に真剣に打ち込む大 学生がいなぐなった等のこともいわれている。教える教官とても,あの 手,この手と工夫や,学生の問題意識と切り結んだ講義,演習に努力を傾注しているのであるが,未だその実を結んでいない。大学に入学して来る
学生の目的も多様であり,必ずしも自分の専門性,教義を深めようとする 気質も乏しくなって:いるのである。その大学生に目的意識を持たせ,真剣 に.勉学する雰囲気を醸成することは至難の業であるとしても,大学に入学 を許可した以上,学生に責任をとるのは,当然であり,その為には,各大学がその特色・個性を明確にし,その特色・個性を発揮するようにカリ
キュラムの政孝,それと平行して,学生の意欲・意志に働きかけつつ,ア イデンティティーを早急に作ることであろう。 確かに,研究と教育ほ大学教官の果たすべき任務であり,誰も否定する 老はいない。にもかかわらず,建前と本音は違うのである。何年間も,研 究論文を書かない大学教官もおり,論文を真面目に書く教官に対して排検 したり,批判したりする雰囲気もあることは悲しむべき現象である。 つまり,現在,人間は,自分がいま何をすべきかを忘れ,他人の批判ば かりをしているのであり,大学内で,問題が起きてもひた隠しに隠そうとドムj 力41けづ 排 38
するのである。教育学灘内に於いても,「一兵剣によい教jiせつくろうとす
る教官は殆ど屈ない。」と,嘆く教官の声をしばしば聞くのである。自分の
出身大学で学んだ専門科目にしがみついているだけだ,というのであり,
それも,自分の専門としている学問性を深めることもしないのであるか
ら,ことは深刻であるというのである。
−・九教育実践現場の教師は,教育学部で学んだ,学問は何の役にもた
たないと,多くの者がいうのであるから,教育学部そのものの有力三軌圭はミ
問われているといってもいいのであろう。現在,教育学部で教育している
ことが,教員の資質向上に.役立っているのか,という検討も求められてお
り,現場の教育の危機を共有しつつ,現実に生きている子どもの成反発達
に生き生きと働きかけることが可能となる理論と実践とを併せ持った教員の養成を真剣に考えざるを得なぐなっているのではないであろうか。知の
枠組みが大幅に変わった学問分野を再検討することなしに,幻想的に自己
の専門分野にしがみつくのは危険であり,それでは現実を切り開く展望す
ら求められないのである。以上のことを視野に入れて,その研究力法は,具体的なデータを川いつ
つ,その解読・解釈を中ノむに述べることにする。
第二章 香川県に於ける青少年育成の実態 第一節 香川県の青少年育成の経過ここで香川児青少年保護育成条例及び施行規則を紹介する。
● 香川県青少年保護育成条例香川県青少年育成保護条例をここに交fjサる。
香川県青少年保護育成条例青少年は,次の時代をになうものであるから,何人も,これら青少年を
愛護し,かつ,心身ともに健やかに育成されるように努める義務がある。
したがって何人も,青少年の心身の発達に有宵な影響を与二える等その福祉
を阻害するような行為をしてはならない。もしかかる行為がなされまたは
その行為のおそれがあるときほ,各自がそれぞれ責任をもってこれをl鋸上二
l‘J少イ1机如こl果する黒.狛竹∵理論的研債 39 し,これらの行為から青少年を安全に保護するように努めなければならな