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経営と経済第75巻第3・4号1996月3月

発展途上国における公企業と開発理論(1)

立山杣彦

(2)

発展途上国における公企業と開発理論(1) 225 

. は じ め に

第二次大戦後における発展途上国の政治的独立の達成は,多くの場合,自 立的国民経済形成へ向けての政治的上部構造の構築を意味しえ;しかし,そ の後の南北問題の展開.N 1 Sの形成・発展の国際政治・経済的背景など からも明らかなように.r先進資本主義帝国の大部分は解体したJ.r植民地 主義の全構造は消滅したも同然、となった」とするストレイチーなどに見られ るような見解は誤つてい£

これら途上諸国家は,旧宗主国より独占的徴税権,土地・森林・地下資源 .水利の所有権や鉄道・郵便・電報などの運輸通信手段を獲得したことはい うまでもないが,財政・経済政策の自主権をも回復した。これら途上諸国で は,国家財政を基盤に,マクロ経済運営についてはもちろんのこと,産業政 策,農地改革などの農業政策,外国貿易・外国資本に対する管理・調整,公 企業部門の形成,公共事業,国家市場等々を通じ,国家が経済過程に介入す るという現象が広範に見受けられるようになった。また,工業化ヘ向けての 人材育成のための教育や科学技術振興においても,国家が大きな役割を果た した。とはいえ,途上国家の経済過程への介入の方法や程度は様々であり,

一律に論じえない側面を有している。しかし,アジアを例にとれば,公企業 部門を重視した内向きの重化学工業化戦略を打出したインドはもちろんのこ 1)輸出指向型工業化戦略を打出したNIESについても特定産業振興政策

・政策金融・輸出振興政策などに大きく依拠しており,新古典派が想定して いるような「自由放任」とは程遠く,政治的独立以降の途上諸国の経済過程 において国家が大きな役割を果たしてきたことは否定しえない事実である。

この小論では,政治的独立以後の途上諸国における国家の経済過程への介 入,とりわけ途上国資本主義の物的・金融的基盤を構築するという意味で国 家の経済的力能の最も重要な環を形成する公企業部門の動向と,開発理論の 推移について考察する。

(3)

226 

まづ,独立より1970年代までの公企業部門の急速な成長の実態の一端とそ の背景を明らかにするとともに,こうした公企業部門の成長と相互に影響を 与えあっていたと推察される初期開発経済学,欧米のマルクス経済学,ソ連 や日本の第三世界国家資本主義論の国家・公企業部門の位置づけ・役割にか んする見解を取上げ検討する。

1970年代より途上国の公企業部門では経営効率の低さ,低収益率や財政負 担の増大など多くの問題が顕在化し始め,公企業改革の必要性が明らかとな りつつあった。一方, 70年代半ばより本格化した途上諸国による新国際経済 秩序 (N0)樹立運動は, 70年代末から80年代初に生まれたレーガン政 権・サッチャ一政権などの米欧日の新保守主義政権による反NIEO戦線の 反対運動や内部要因などにより挫折する。前者は,後者の主導による自由・

無差別,すなわち市場メカニズムを原則とした戦後の国際経済体制である I MF=GATT体制とこれを土台とする国際経済関係の変革を求めた。 80 代に入り国際経済環境の劇的な悪化の下で未曾有の対外債務危機に陥った途 上諸国に対して,米欧の新保守主義政権主導のIMF=世銀は,融資のコン ディショナリティとして「安定化」と「構造調整」政策の受入れを課した。

そして, r構造調整」政策の一環として,公企業にたいする,補助金の打切 り・料金値上げ, r民営化」の促進などを義務づけた。また,こうした流れ と一体となった新古典派による開発経済学が主流を占めるに至った。したが って,第二に,以上のような途上国における公企業部門・「民営化」の動向 の一端を明らかにするとともに,政府の介入を排除して市場機能を重視する 新古典派開発理論について検討する。

その後, 90年代初,世銀は,開発過程における政府の役割を見直す「市場 補完アプローチ (marketfriendlyapproach) Jにより,それまでの新古典派 開発理論に基づく政策の修正を行った。これは, r構造調整政策」にもかか わらず途上諸国が80年代に「開発の危機」に陥ったという世銀の認識に基づ いていると推察される。最後に,この点について検討する。

(4)

発展途上国における公企業と開発理論(1) 227 

[注]

(1)途上諸国の政治的独立については次を参照:岡倉古志朗「植民地体制の崩壊の進展 と新植民地主義(1963年)W岡倉古志朗政治論集3‑植民地主義と民族解放運動』勤 草書房, 1969年。政治的独立を達成した途上諸国の政治経済の動向を捉える際に,途 上国社会経済内部の社会経済関係を重視しなければならないことは明らかである。か つて赤羽氏はこの点を次のように述べた。「低開発諸国は第二次世界大戦前にあっては 帝国主義国の植民地として存続し,また学問の分野においてもそれは帝国主義論の一 環にのみ位置していた。第二次大戦後のこれらの国の独立は世界史の情況を変えたと 共にこういった学問的状況をも変えたJ r旧植民地の独立はこれらの国がおかれて いる情況をこれらの国の内部からみることを要請するに至ったのであるJo‑ 赤 羽 裕

『低開発経済分析序説』岩波書庖, 1971 5"' 6ページ。また,国家資本主義を中 心とする途上国政治経済の研究を進めてきた本多健吉氏は,ほぼ同時期に岡倉氏を中 心とする研究グループを批判し次のように述べた。「新植民地主義理論の提唱者は,低 開発世界の問題を検討するにあたって,この世界が依然、として帝国主義に従属してい るという証拠を羅列して,帝国主義支配の危険性に警鐘を発するだけでたりると思わ れているらしい。これは不必要なことではないが,決して十分なものではない。それ は第二次大戦を境にした歴史的状況の変化を軽視することによって,低開発世界が内 包する新しい矛盾の性質についての科学的解明を不可能にし,理論を超歴史的なスロー ガンの中に解消してしまうことになるからである」。一本多健吉『低開発経済論の構 造』新評論, 1970 86頁。この批判と密接に関連していると思われるが,当時の岡 倉氏の研究グループにおいては,途上諸国における自生的な資本主義の展開や先進資 本主義国による資本主義の育成という点の把握が弱かったことを指摘できるであろう。

政治的独立達成以前の途上諸国については,国家権力は植民地本国に掌握されてお り,財政・経済政策は全面的に本国の独占資本主義的再生産構造や政治的支配構造の 維持のために立案・遂行された。この点をインドについて簡単に見ておきたい。①英 国が産業資本主義段階にインドの綿工業に大打撃を与えたことはよく知られているが,

これは,前者の機械制大工業のみならず関税政策によって初めて可能となった。イン ド政府によって関税がかけられる場合も,インド工業の保護育成のためではなく単に 財政収入上の理由によった。矢内原忠雄氏によれば,輸入綿製品に対するインドの関 税にかんする1877年の英国下院の決議は次のとうりである。「現在印度への輸入綿製品 に賦課せらるる輸入税はその性質保護的なるを以て健全なる商業政策に反するもので ある,従って印度の財政的状態の許すに至るや否や遅滞無く撤廃せらるべきものであ る」。一矢内原忠雄『帝国主義下のインド』大同書院, 1937 128頁;②英国のイ

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228 

ンドにおける鉄道政策は,路線・運賃とも外国貿易の発展を意図しており,インド工 業の発展を阻害した。 D. R.ガドギルはこの点を次のように述べている。「港湾から の通路は,農産物の輸出を容易にするために,一般に重要農業地方を貫通する意図を もって描かれていたところ」であり, r当時に於る鉄道の建設は,圏内貿易の発達より もむしろ外国貿易の発展を念としていたJorこの運賃は,国内の内地産業中心地にた いして特に酷しく,そして諸工業の諸港集中に帰着したJo ‑D. R. Gadgil, The ln dustrial Evolution ollndiain Recent Times ( rd edition), Oxford U niv Press, 1933 :鈴 木正四訳『近代インド産業発達史』慶応書房, 1943 188"'189頁;①1914年,英国 は,軍事的・戦略的理由,経済競争上の理由,インドの圏内政治的理由から,インド の工業化を目指す旨の政策転換を宣言し,工業委員会と財政委員会が設置されて,イ ンド工業の保護育成を目指す勧告がなされた。しかし,これらの勧告は実行されず, r れらは,工業化と保護という主要な要求をそらすための単なる手段に過ぎなかったよ うに見える」と評価された。一一IgnacySachs, Patterns 01 Public Sector in Underdeveloped  Economies, Asia Publishing House(Bombay), 1964, pp. 109"'110/V. B. Singh, lndian  Economy(second enlarged edition), Peop1e's Publishing House(Delhi)  1970, p. 44 ;①  第二次大戦中,主として英国の軍事的必要性からインドの戦時工業化が許されたが,

英帝国主義はとくに重工業の成長を阻止する政策をとり続けた(SofiaMe1man, Foreign  Monopoly Capital in lndian Economy, Peop1e's Publishing House(Delhi)  1963, p.56) たとえば, 19423月,ルーズベルト大統領の特派使節は, rボンベイの造船所では,

百余隻の艦船が港口に停泊して修理を待ちわびているというのに,蹄鉄だの,靴釘だ の,テンテツ機だのが,さかんに製造されているありさまだった」と描写した。一一 岡倉古志朗「インド人民民主主義革命の展望(1949年)JW 岡倉古志朗国際政治論集 3~

(前掲)281

このように,独立以前のインドは,かなり徹底して工業化を阻害され,英国独占資 本の商品市場,資本輸出領域,工業原料・食糧供給地として全面的に英国独占資本主 義の再生産構造に包摂され,経済的にも支配され収奪された。したがって,この段階 のインドの政治経済の動向は基本的には英帝国主義の構造と運動によって規定された のであり,認識論の次元においても支配・従属関係を中心とする分析視角が重視さ れざるをえない。とはいえ,この段階においても,それぞれ多数の会社を支配した多 くの英国の経営代理商社,そしてインド準備銀行・インド帝国銀行・外国為替銀行 などの英国資本の圧倒的優位の下でも,インド民族資本が綿工業を基盤として消費財 工業部門を中心に形成され,インド財閥が成長してきたことを忘れてはならない(小 竹豊治「インドの経営代行制度と英国金融資本JW新アジア~ 19428月号, 25;M.

M.Mehta, Structure ollndian lndustries ( nd edition), Popu1ar Book Depot (Bombay) , 

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発展途上国における公企業と開発理論(1)  229  1961, pp. 331 "'332 ;矢内原,前掲書, 154頁;Daniel Houston Buchanan, The Develop mentofCゆitaliUcEntertrise z'n  Indz'a, Macmilan Company(N. Y.), 1934 :東E研究叢 書刊行会編訳『インドの近代工業』河出書房, 1943年,第7)

(2)  John Strachey, The End of EmPire, Victor Gollancz Limited, 1959 :関嘉彦ほか訳『帝 国主義の終末』東洋経済新報社, 1962 193/201頁。南北聞の経済格差は第二次大 戦後も拡大した。 70年代の途上国による「新国際経済秩序」樹立運動は,内外の要因 によって挫折してしまった。その後80年代には途上諸国をめぐる国際経済環境が劇的 に悪化し,東アジアの諸国を除き途上諸国は「開発の危機」に陥り, 80年代は「幻滅 10Jr失われた10年」となった。その原因としては,経済開発をめぐる途上諸国の 内部要因と同時に,先進資本主義国中心の格差を再生産する国際経済構造を挙げねば ならない。南北問題の展開過程については次を参照。本間修一「南北問題の歴史的展 JW科学と思想~ 19931月号(特集「南北問題と新国際経済秩序J)

途上国と先進資本主義国との支配従属・収奪関係を重視して新植民地主義の研究を 進めてきたのが岡倉グループであるが,同グループの蝋山氏は本多氏と同じ研究グルー プの尾崎氏を次のように批判した。「抽象的にインド経済を分析して,その階級関係,

経済構造から政治構造,階級対立の情勢分析をやっていったとしても,現実とそぐわ ないものになってくるのではないか。わたしはインド経済それ自身が国際環境に影響 されるところが甚大であるから,その分析にはまず意識的にアメリカだったらアメリ カとの関係を理論的に深めないといけないのではないか」。一蝋山芳郎「帝国主義「援 助」の後進諸国の国家資本主義に対する影響JWA. A. LAと新植民地主義一アジア・

アフリカ講座第1巻』勤草書房, 1964 170頁。後者の研究グループにおいては社会 主義国の影響は重視されていたが,先進資本主義国の影響は軽視されていたと指摘で

きょう。

現代発展途上国の政治経済の考察に当たっては,内生的要因の分析と外生的要因の 分析,そしてそれらの有機的総合が必要である。途上国資本主義の発展に先進資本主 義国の政治経済の論理が如何なる媒介をへて内在化していくのか,さらにその過程で いかなる矛盾が生じてくるのかが問題である。

(3)  次を参照。拙稿「独立より1960年代半ばまでのインドにおける産業政策と公企業・国 有化JW経営と経済』第694 (19903月 拙 稿 「 独 立 よ り1960年代半ばまでのイ ンドにおける公企業と民間企業および外国資本・援助JW経営と経済』第70l号(1990 年 6)

(4)  次を参照。西口清勝「開発経済学の新動向」森野勝好/西口編『発展途上国経済論』

ミネルヴァ書房, 1949 21

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230 

.途上国公企業部門の発展

世界銀行の『世界開発報告(1991年版)Jlは,第二次大戦後,政治的独立 を達成した途上国を対象として,途上国の政策策定者の認識に注目しながら,

経済過程における国家の役割の増大についてほぼ次のように述べている。くソ 連の急速な工業化達成の際の国家計画の成功と「その自称平等主義的性格J 1930年代における大不況による経済的崩壊と政府介入による復興,そして第 二次大戦中の政府による希少資源の配分や必須消費財の割当てなどが,途上 国の政策策定者に「市場の失敗J,1"政府介入の成功」を認識させた。また,

ほとんどの途上国における圏内条件も国家の重要な役割を助長した。文盲が 広範囲に及んでおり,多くの政策策定者は,開発は「最も有能かっ最も賢明 な人々」によって指導されねばならないと信じた。国家が経済の管制高地を 掌握すべきであるとの考えも定着し始めた。まもなく,国家は,資産・所得 の分配,貧困軽減,基本的ニースの充足とともに,投資・消費財の生産に直 接に係わるようになった。〉このほか,ケインズ経済学の波及やマーシャル プランの成功も途上国の政策策定者の認識に影響した。なお,政策策定者は,

開発を指導する人材以外の国内条件という点で,当然のことながら,資本蓄 積の低位,国内資金動員の困難性,インフラの不足,工業化のための基礎原 材燃料の不足,工作機械・重機械・重電気機械の不足,技術の不足などへの 政府の対応の必要性を,認識したはずである。また,同報告書は, 1"懐疑論 者でさえ政府の生産への関与を支持した

r

とも指摘している。

途上国では市場は効率的に働くことに失敗したというのが, 195060年代 の初期開発経済学の支配的な見方であった。これらの「市場の失敗」を相殺 するために,積極的な国家の介入・参加の必要性が強調され,これが公企業 部門の拡大や経済計画の広範な採用をもたらした。世界銀行をも含め主な国 際機関や各先進資本主義国の二国間援助機関もこうした考え方とその現実へ の適用を支援し,開発計画が奨励され,計画能力強化のための技術援助が供

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発展途上国における公企業と開発理論(1) 231  与され,公共部門投資プロジェクトへ投資資金が配分された。この時期にお ける国際機関や先進資本主義国政府のその後とは対照的な姿勢が注目される ところである。また, M. ドッブやP.パランなどによる社会主義計画経済 の優位性・必要性論(後述)も,当時の国際情勢やソ連経済の評価を前提に 途上国の政策へ大きな影響を与えたものと推察される。

こうして,多くの途上諸国の独立後の経済史の支配的な特徴は,公共部門 の急速な成長であった。国家の経済への介入は, 1970年代まで政策の不可欠 の条件とされ,公企業部門はこのような介入を遂行するために利用される最 も共通の手段の一つであった。つぎに, P.クックとc.カークパトリック の編著書の両者執筆部分によりながぶ)国家の経済への介入方法として,公 企業が選好される理由について見てみよう。

彼らは, I様々な形態の市場の失敗(不可分性・規模の経済・独占・外部 性)は,経済が効率的な資源配分を達成するのを妨げており,したがって公 企業の設立はこれらの明白な形態の市場の不完全性を正すーっの方法として 正当化できるかもしれない。しかしながら…市場の失敗は政府介入の理由づ けを与えることはできるが,この介入が公有形態をとる必要はない。たとえ ば,市場の失敗は,規制的統制・法的制約,そして課税・移転支出・補助金 の利用を通じて取除くことができょう。公的所有が介入方法としてなぜ選好 されてきたのかを説明するためには,多くの追加的要因を考慮する必要があ る」として,次の4つの要因を挙げている:(i) I民間部門の活動が,ハイリ スクを嫌うことや,金融市場の未発達もしくは情報の欠乏によって制約され る場合, I企業家的代替 Centrepreneurialsubstitution) Jが公企業設立の動 機となってきたJ ; (ii) I様々な諸部門間の統合(integration)が限定される ことによって特徴づけられている経済においては,公共投資が産業成長に必 要な諸条件の充足を保証する役割を遂行することができる。かくて,多くの 低開発経済においては,工業化過程を加速化させる必要性によって,重要な 連関効果(1inkageeffect)があると信じられる部門への公共部門の参加が

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232 

もたらされてきたf;(刈「経済成長が不十分な貯蓄によって制約される場合,

公企業部門は投資可能余剰の潜在的源泉と見なされるかもしれないJorさら に公企業は, しばしば分配上の目標を追求するための手段として設立・利 用されてきた」。すなわち,雇用の創出・確保,民間の経済力集中への対抗 力,特定の民族層または地域の経済的地位の強化,低所得消費者の援助を目 的とする補助金価格での製品供給の手段として;制「様々の非経済的考慮が,

多くの低開発国において公企業設立の意志決定に影響を与えてきた」。すな わち,生産手段の公的所有が社会主義樹立の必要条件と見なされる状況下で のイデオロギー的理由や,外国所有・経済の影響力への対抗力としての必要 性から。

(i )(ii)付は各々明確であるが, ωは,経済的要因,社会政策的要因,独占へ の対抗力としての要因が混在している。実際の公企業設立については, ( )  (iv)の要因が様々な形で複合的に関係してくるが,自立的な国民経済の形成,

経済発展の観点からすると, (i )(ii)は,とくに重要であり,大なる外部経済を も生出す。

途上国公企業の活動分野と経済的機能について見ておこう。『世界開発報 告(1983年版)Jlは,公共部門と民間部門の活動分野について次のように述 べている。「ほとんどの途上諸国においては,生産の大半は民間部門で行わ れる。農業・商業・個人サービス・小規模製造業はインフォーマルな民間部 門が優位を占めており,他方,大規模製造業・鉱業・金融は通常は固有企業

・多国籍企業・少数の大規模な圏内所有企業の領分である。電力・ダム・水 道は主として国有公益事業によって供給され,固有企業は輸送・通信におい ても重要な役割を果たす。これとは対照的に,鉱業・製造業においては,所 有のパターンはかなり様々である(jiさらに,検討を進める。まづ, (i)社会 的間接資本(運輸・道路・港湾・通信・電力・水道・経済開発等々), (ii) 材燃料(石炭・石油・その他の鉱物・鉄鋼・肥料・化学薬品等々), (同生産 財(工作機械・重機械・重電機械等々)のような,一般民間企業の手に負え

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発展途上国における公企業と開発理論(1)  233  ない,もしくは固定資本が膨大で資本の回転率が低く有機的構成が高い産業 分野や,制銀行・産業金融機関・保険会社・その他の投融資業における公企 業について。(i)(ii)(凶)の分野における公企業の生産面での機能は明らかである。

公企業は,同時に,このような分野で民間企業のために利潤低層領域を引受 けその機能資本を節約させるとともに,以上の諸機能を低価格で果たすこと により,民間企業の利潤取得・資本蓄積を推進させる。(iv)の分野の公企業は,

資本市場の未発達の下で,民間企業の資金・外貨不足を低利で補う。また,

(v)消費財, (吋)国際貿易などの商業も途上国公企業の活動分野である。

途上国公企業部門は, 1960年代から70年代にかけ急速に成長し,生産・資 本形成・その他の資源使用・雇用面で大きな比重を占めるようになった。つ ぎに,こうした点について, r世界開発報告(1983年版)J1によりながら簡単 に見ておきたい。まづ,固有企業数の増加について(概数)である。 1960 から80年にかけての4ヵ国の固有企業数の増加は次のように著しい。ブラジ ル :110→480,インド:50→180,メキシコ:180→520,スリランカ:20→  110。その他の国々についてもそれぞれの期間に次のようにかなり増加して いる。パキスタン(1960"'74): 60→170,ペルー(1968→80): 40→140,タ ンザニア (1967"'81): 70→400,ザイール(1966"'81): 10→50。途上諸国 のGDPに占める固有企業の割合は,平均して1970年代初の7 %から80年代 初には約10%へ増加した。ほとんどの国のそれは7"'15%の範囲に属するが,

フィリピン・ネパールの2"‑'3%からガーナ・ザンピアの38%まで様々であ る。途上諸国の総資本形成に占める固有企業の割合は少なくとも25%を占め ており,次のようにいくつかの事例ではこれよりづっと大きい。アルジエリ 768% (1978‑81年),ピルマ61%(1978‑80年),ザンビア61%(1979‑80  年)。近代部門のみについて見れば,この数値はさらに大きくなる。固有企 業は彼らの借入れ特権により国内信用市場において優位を占めており,とく に小規模の経済においてはそうである。 1970年代後半,ベニン・ギネア・マ

リ・セネガル・バングラデシュでは,固有企業は国内信用残高の40%以上を

(11)

234 

占めた。

つぎに, c.アダム .w.キャベンディッシュ・ P.S.ミストリーの著書に よりながら,ジャマイカ/トリニダード・トバゴ/マレーシア/スリランカ /ケニア/パプア・ニューギニア/マラウィの7ヵ国における独立後から 1970年代までの固有企業部門の動向について簡単に見ておきたし℃他の途上 国と共通する部分が多いものと推察される。また, 70年代に明らかとなって

くる公企業部門の問題点については後述。

独立後から1960年代後半までの時期は,固有部門の漸進的成長が見られ,

国家は自然独占的なサービスの供給において,そしてある程度までは第一次 部門の生産物の購買・販売において,積極的な役割を果たした。その他の部 門においてゆきわたった戦略は外国資本・経営が支配的役割を果たす「自由 放任」のそれであり,中核領域以外における政府の参加は,積極的な介入主 義政策ではなく,外資に対する反発や政治的便宜主義によるもので、あった。

1960年代後半から70年代初期までに,政治的思考は,しばしばこれら諸国の 新しい経済における所得分配のかなりの悪化や失業の増大に対応して,より 国家統制主義的な経済運営の方向へ転じた。そこでは,公共部門の投資・雇 用の決定はより明白な福祉的測度に基づいており,かつ国内住民(もしくは そのうちのサブグループ)の利益が強く代表された。 1970年代初期のとくに 良好な経済環境は,これらの思考に基づく固有企業部門の急激な成長の促進 を助けた。新規の営利活動への政府投資,疾病事業の金融的「救済」やこれ らよりづっと少ない程度ではあるが直接的な国有化の混合に基づく,強力な 介入主義は, 1970年代半ばにおける途上国に対する交易条件の有利なシフト および多額な公的・営利的な外国資本の流入との組合わせによって資金を供 給された。 1970年代末までは,固有企業部門はこれらの経済の多くにおいて 主役であった。

(12)

発展途上国における公企業と開発理論(1)  235 

[注]

(1)  Wor1Bank, World Dvelopment Report 1991‑The Challenge 01 Development, Oxford  University Press, p.34. 

(2)  Ibid., p.  34.この文章の少し前の所で,同報告は, P.  T.パウアーやA. O.ハー シュマンの著書を引用しながら (1これら諸機能の十分な遂行は,すべての低開発諸国 の政府の力量を越えている…我々は,政府がその基本的かつ必要な機能ですら果たす ことができない時に,野心的な仕事に取組むという逆説的状況に直面している。

P.T. Bauer, Some Economic Aspects αnd Problemes in  Underdeveloped Countries,  Forum of Free Enterprise (Bmbay), 1958J。後者については後述), 11950年代でさえ,

いく人かは,国家がこれをすべてやれるかどうかについて疑問を呈した。 ‑ World  Development Report 1991, p.  34Jと述べている。

(3)  Pau1 Cook Colin Kirkpatrick ed., Privatisation in Less Developed Countries, Wheat sheaf (Brighton), 1988, p.  8. 

(4)  Christpher Adam William Cavendish Percy S. Mistry, Adjusting Privatisation Case  Studies From Developing Countries, ]ames Currey (London) /Heineman (Portmath) /  Ian Rand1e (Kingston), 1992, p.  31. 

(5)  Cook Kirkpatrick.  op. cit., pp.  6 ~

(6)  彼らは,鉄鋼・化学薬品・重機械・肥料・石油化学製品を例として挙げており,こ れらの基本的産業は「しばしば,不可欠な投入財を他の製造活動に提供することによ って,工業化の初期段階において触媒的役割を果たすものと見なされてきた。これら の製品が低資金コストで輸入できる場合でも,これらの「管制高地」的活動における 公的所有による国産は,それらの経済上の戦略的重要性から合理化されるかもしれな い。一一CookKirkpatrick, pp.  6 ~ Jと述べている。

(7)  Wor1Bank, World Development Report 1983, pp. 48~49.

(8)id.pp. 49~50 p.  76. 

(9)  Adam Cavendish Mistry, op. cit., pp. 32~33.

(13)

236 

.初期開発経済学と国家の役割(1)

世銀の『世界開発報告(1 991 年版)~は,多くの途上国の政治的独立達成 時における指導者の第一の経済的目的は後進的農業経済の近代的工業経済へ の急激な構造転換であるとし,そのときの支配的パラダイムの下における開 発上の主要な論点と各々の政策として,次の4点を指摘している。①「物的 資本:貯蓄・投資を増大させこれにより急速な資本蓄積を図ることが政策目 標であったJ ②「農業:農業部門は工業投資の資金源と見なされた。工業 保護政策は農業に対する交易条件を不利にしたJ ①「貿易:政策策定者は 開発のためには輸入代替が必要と考えた。また,世界経済との統合が開発を 不安定にするかもしれないと恐れた。通常,その対応は輸入保護であっ J ④「市場の失敗:開発の初期の段階では市場に頼ることはできず,国 家が開発過程を指導できることが当然のこととされた」。この4点は初期開 発経済学の考え方でもあ記初期開発経済学は,途上国経済の分析に基づき,

内外における市場メカニズムへの全面的依拠に対する疑問から出発してお り,対外的には自国市場の保護,対内的にも介入主義を重視している。また,

上記『世界開発報告』が指摘しているように,国連や世銀,そしてODA 一部を形成するいくつかの二国間援助機関などの主要な開発機関も濃淡はあ るがこうした見方を支持したが, 11980年代初までに支配的パラダイムは転 換した」のである。

近年,経済発展における国家の役割がさらに見直されているか;)ここでは まづ, 1市場の失敗」に注目し,初期開発経済学の論者の経済開発過程にお ける国家の役割にかんする見解をいくつか取上げる。なお,第二次大戦後に おける開発理論族生の背景となった先進資本主義国側の経済的・政治的状況 についても念頭に置いておく必要があろう:

最初に, 1貧困の悪循環」論, 1偽装失業」動員論, 1均衡成長」論で知ら

(14)

発展途上国における公企業と開発理論(1) 237 

れるR.ヌルクセの見解について見てみよう。

まづ,ヌルクセの「貧困の悪循環」の解決方法としての「均衡成長」論,

「偽装失業動員」論において,国家による計画化・介入の必要性の論理を見 出すことができる。この点について簡単に見ておこう。彼は,低開発諸国は

「貧困の悪循環」という「低開発均衡」の状態におかれており, 1最も重要 な循環関係」は資本蓄積のそれであるとして,資本の供給側における悪循環 と需要側における悪循環を考えるが,これをシェーマ化すると次のようにな る。く供給側>低貯蓄能力→資本不足→低生産力→低実資所得→低貯蓄能 力;く需要側>低投資誘引→資本不足→低生産力→低実質所得→低購買力

→低投資誘ヲ(│:

彼は,需要側における悪循環の解決方法として圏内市場の狭小性に言及し,

次のように「均衡成長」論を打出す。「少なくとも原理上は,広範囲の異種 産業に多少とも同時的に資本を使用することによって,その困難は解消する。

ここに行き詰まりからの逃げ道がある。すなわちここでは,結果は全面的な 市場の拡大となる。一群の補完的な計画のもとで,より多くの優れた道具を 用いて働く人々は,互いに顧客となり合う。大量、消費を賄っている大部分の 産業は,相互に市場を提供し,したがって相互に支え合う意味で補完的であ る」。同時投資による異種産業の均衡成長に基づく国内市場の拡大によって,

需要側の悪循環を解決するというのである。また,彼は, 1均衡成長」につ いては 11外部経済」の考えが適用できるように思われる」として,次のよ うに述べている。「広範囲にわたる計画の一つ一つは,市場の全体の大きさ を拡大することに寄与し,それにより個々の企業に対して外部経済を生み出 しているといえよう。事実,経済的進歩の過程において収益逓増の現象に導 く最も重要な外部経済は,マーシャル以降の経済学者が普通に考えていたも の(運輸,通信,業界雑誌,及びある種の産業に利用できてしかもその産業 の規模に左右される,労働の熟練ならびに技術などのような,さまざまな生 産的便宜の改善)よりはむしろ,市場の大きさの増加という形態をとるもの

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といって差支えあるまい」。

それでは,ヌルクセにおいては「均衡成長」はどのようにして達成される のであろうか。彼は, r主要な問題点は,この種の正面攻撃,すなわち数多 の異なる産業における資本投資の波が,経済的に如何に成功しうるかを認識 することであるように思われる1)と述べ, r市場の意味における外部経済」

に対する認識を重視し,まづ,次のようにシュンベーターの「創造的企業家」

の役割に注目する。「産業的発展の初期には,潜在的市場を見定めるのには 信仰の眼を必要とする。シュンベーターのいう創造的企業家は,必要なもの をもっているようだし,彼らが広い戦線を前進するにつれて,その信仰によ る行動は商売上の成功によって報いられるのである」。しかしこれに続いて,

彼は,日本の明治期を例に挙げながら非西欧社会の経済発展,とくにその初 期における, r計画的組織化J,国家の役割の重要性について次のように述べ ている。「シュンベーターの経済発展の理論は,元来は西欧資本主義の発生 と成長に適用されるものとして書かれた。それは必ずしも同じ流儀で他のタ イプの社会に適用できるものではない。他のタイプの社会では,経済的停滞 の支配力を打破すべき諸力が,最初のうちはある程度計画的に組織されなけ ればならないであろう。たとえば,日本の初期の産業発展にあっては,国家 が偉大な革新者であり,かつ広い戦線における産業的先駆者であった。日本 の初期の産業的発展は,多分に国家により「計画」され遂行されてきたよう である。…1914年以前の日本における初期の産業発展は,すぐれて国内市場 の全面的な拡張に起因するものであったようだ1

実はこの後で,彼は次のように述べている。「経済的進歩の推進力が慎重 に組織さるべきか,あるいは民間の行動に任せらるべきかは,要するに均衡 成長が計画当局によって施行されるか,もしくは創造的企業家によって自発 的に達成されるかは,もちろん重大でありしかも大いに議論された問題であ る。だがわれわれの現在の見地からすれば,それは本質的には方法の問題で ある。突っ込んでそれに立ち入る必要はないと思う。ここでは解決策の経済

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