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音のひろがり

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Academic year: 2021

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25

音のひろがり

岩竹 

1 不思議なこと

 音楽は,一般的には時間の次元で成立する芸術であると考えられている。これはむろん 正しいのであるが,ここに興味深い事実がある。つまり,内耳にあって音を受容する器官

である蝸牛は,平衡感を受容する三半規管と直結しているのである。

 これは,聴覚と平衡感覚とが,知覚の深いレベルに湿て,ごく近い関係にあることを示 唆するものである,と私は仮説的に考えている。事実両者はともに,人間とそれを取り まく空間との相対的な関係のなかで発生する力学的なゆらぎに関する知覚であるという点 で,共通している。ちなみに人間の耳の起源をたどってみると,魚類における浮袋と側線 にたどりつくのである。前者は平衡を司り,後者は聴覚を司る。生物が進化していく過程 でこの両者が一つの器官へ統合され,さらに発達したものが我々の耳である事を知る時,

はるか昔に聞いた不思議な音の記憶の断言が,今再び耳のなかで回り灯籠の様にゆらぎ始 め,聴覚的イマジネーションの世界が展開されて行く。

2 聴覚と平衡感覚の融合

 人間の耳は,聴覚と平衡感覚の両方を受容する事,及び,平衡感覚は,空間における運 動感覚の重要な要素である事を考え合わせると,ダンスやバレエが音楽を必要とする理由 が,耳の介在という事実により納得できる。また逆に,音響学の実験などで使用される無 音室に入ると,あたかも回りの空間が凍りつき,時間が止ってしまったかの様な印象を受 けるが,これも同様に納得できるのである。時間は空間における,ものごとの運動の結果 生じる知覚である事を考えると,聴覚との関係においては空間の知覚の方が時間より基本 的である事が理解される。この事から,空間的な次元を積極的に音楽表現に導入しようと いう発想が生れる。蛇足であるが,もしもこの理論が正しいならば,無重力状態では,音 楽に対する知覚が一従って好みも一全く変化してしまって,無調性の「現代音楽」が,

突如としてもてはやされる様になるかも知れない,等と想像するのは,実に愉快な事であ

る。

3 空間音楽

 ここで,空間的な次元を,意識的に音楽表現に取り入れた音楽作品を,空間音楽と呼ぶ ことにする。空間音楽は,20世紀に入って,電子的なテクノロジーの発達とともに一般化

(2)

して来た一つの方法であるが,私の知るかぎりでは,中世以降のヨーロッパの教会音 楽に,その萌芽を見出すことができる。たとえば,教会の上階のバルコニーにぐるりと 合唱隊を配置する事により,天国的な光のイメージを演出したり,パイプオルガンに使用 するパイプが多数なため,空間全体が響きわたり,それが素晴らしい効果を生むような 場合である。19世紀以降では,ベルリオーズとスクリアビンが,空間音楽を試みており,

20世紀に入ると,かなり多くの作曲家達一たとえば,ヴァレーズ,シュトックハウゼン,

クセナキス,ブーレーズなど一が,このスタイルで作品を発表している。音源として用 いる媒体として,オーケストラをいくつかのグループに分割し,客席も含めたコンサート ホール全体に分散させる方法と,多数のスピーカーを空間的に配置して,電子音楽やコン タレートを演奏する方法の,二種類がある。

4 私自身の作品について

 次に,私自身の過去の作品のうちから,いくつかを選んで述べてみたい。いずれも,空 間音楽のスタイルに拠るものである。

 1973年に,東京文化館で発表された「3群のオーケストラのための,メタモルフォーシ ス」では,7名の打楽器奏者はホール内部の周囲を取り囲み,16名の弦楽器奏者はホール 内の客席に分散され,6名のソプラノはホール内を歩き回る,という事により,三種類の 異った質を持つ音空間の合成が企てられている。この音楽の聞き手は,音源の中に包みこ

まれているので聞き手のホール内の場所により,聞こえる音楽も異ったものになる。ちょ うど,同じ物でも,それを見る場所がちがえぼ,ちがって見えるのと同様である。

 1974年に,やはり東京文化会館で発表された「THE FIELD FOR VOICES」では,開 演の前から既にホールのエントランス,ロビー,廊下等に配置されている歌い手達が,ハ ミングで特定のピッチを発声しており,開演と同時に聴衆と共にホールへ入り,様々なパ ターンでホール内を歩き回る事により,ダイナミックな音空間を出現させる。演奏会場の 内と外,及び,音楽の始まりと終りに,明確な境界線を引く事の不可能な作品である。

 1979年に,オランダ国営放送局から生放送された「DIVERTIMENTO FOR CHAMBER ORCHESTRA」では,ステージ上でのオーケストラという,制約された条件における音 像,及び,音色の移動に,主眼が置かれている。特定の音響パターンを,時間的に少しず つずらせて重ねあわせる事により,時間の次元を空間の次元に変換する事を可能にするた めの特殊なオーケストラの配置が為されている。

 1980年以降の私の主要なテーマは,コンピューター音楽の作曲と研究である。シンセサ イザー/コンピューターにより作られた,マルチチャンネルの各々独立した音像を,空間 的に配置された多数のスピーカーにより再生させる事により,時間と空間の両次元を統合

させた新しい音楽の表現形式を確立する事が,その主な内容である。

(3)

27 音のひろがり(岩竹)

5 空間音楽から環境音楽へ

 空間音楽も環境音楽も,ともに空間性を意識して作られた音楽である点では共通してい

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るが,前者は空間のなかで完結された作品であるのに対し,後者は空間のなかへ開放され 環境の一部を形成するという点で異なっている。言いかえれば,前者は近代西欧で確立 された自我の表現としての音楽という理念の延長線上にあるが,後者はこのコンテクスト の外側で成立する音楽である。古来音楽は,洋の東西を問わず,宗教,娯楽,実用等への 人間の欲求を充たすために存在して来た事が知られており,個の表現としての音楽は,音 楽史上では近代西欧に出現した,むしろ特殊な様式である事を考えれば,現代における環 境音楽の出現は,支配的であった近代西欧文明の衰退と呼応した現象であると言える。

 人間至上主義の時代では,個の表現としての芸術が意味を持ち得たが,宇宙時代に住む 今日の我々はドン・キホーテでもない限りその様な幻想を持つ事はできない。近代的な理 念の延長線上に立つ限り,この袋小路から脱出する事は,自からのくつひもを引張り上げ る事により空を飛ぼうとする試みと同様で,原理的に不可能である。この矛盾は,近代的 な理念から解放される事により解消され得るというのが,私の立場である。自然のなかの エコロジカルな存在として,或は宇宙のなかのコスミックな存在として目覚める事により 個の束縛から解放されれば,その結果として意識の拡大がもたらされるが,これを日常生 活ヘフィードバックさせる事により,日常的な空間を祝祭の場へ変換する事が可能となる。

私にとって環境音楽は,まさにこの事を実現するための一つの方法であり,そこでは作品 を完成させる事を目的とした従来の作曲のプロセスとは全く異なった方法を用いる事にな る。つまり,風,雨,昆虫の鳴き声といった「自然音」や,人工的な環境の発する様々な

「騒音」と共存する開かれた音楽の形式を追求する事になるのだが,これは上述の音を含 めた多様な音色を素材とし,これらが自然に,又は偶発的に響き合う音楽をシンセサイ ザー/コンピューターにより設定する事により実現される。

6 意識の亀裂

 上述の様な音楽のあり方を実現させるための理想的な空間の一つとして美術館が考えら れる。美術館では,その開放的な空間構造のために,日常性と非日常性とが磁石の両極の 様に共存しており,この両極のたえ間ない反転は我々の意識の表面を振動させ,ついには 亀裂を発生させる。この亀裂は,意識の深奥にまで届く様な性格を持っており,実際にそ れが起ると,ふだんは理性により保護されている「個」の殼は破られ,カテゴリーや先入 観は砕け散り,ことばも失なわれて超越的な意識のレベルが出現する。この時,すべての

ものは意味で光り輝やき,世界は壮麗な美しさをあらわにする。

 ここで注意すべき事は,この様な存在の核心に触れる体験は,美術館で展示されている 作品により引き起こされると言うよりは  もちろん,作品が引き金になる事はあるが   美術館という空間そのものの持つ特性によりもたらされるという事である。この場合,

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展示されている作品は,日常と非日常をたえず反転させる装置又は環境としての美術館の 一部になっているのである。美術館に於て環境音楽のパフォーマンスを行なう事の意義は まさにこの点にある。シンセサイザーによる「楽音」のみならず,「自然音」や「騒音」を も素材とした「環境音楽」は,すでにそれ自体が日常性と非日常性のたえ間なく反転する 音楽であり,その様な音楽を美術館の内部全体とそれをとりまく外界で同時進行させれぼ,

この反転の振動はさらに増幅される事になる。そこには,意識の亀裂を明確に体験できる 環境が出現する事になるだろう。

7 サマーフェスティヴァル

 幸いな事に,今年(1987年)の8月に,一週間程の予定で私の音楽によるフェスティバ ルが,東京世田谷美術館で開催される事になっているので,これに即して具体的なプラン の説明をしてみたい。このイヴェントは,互いに関連しながら同時進行する2つのパート から成る。1つは,美術館全体を一つのトータルな音空間とみなして成立する環境音楽の イヴェントである。美術館内の展示室,ホール,廊下等に1個ずつ,合計8個のスピーカー を置き,互いに少しずつ異った,シンセサイザーとサンプラーによ.るゆったりした音型パ ターンを流しておく。そして,外部のパティオには,これとは別に,8個のスピーカーを 室内のスピーカーと連動させて設置しておく。この事により来館者は,美術館内を歩くに つれ,音風景が少しずつ穏やかに変化していくのを聴き,パティオに出れば,それまでに 聴いた様々なパターンの織りなす全体像を外界の音とともに聴くことができるのである。

パティオでは,現実の環境の発する様々な生の音を音楽として聞く事ができるだろう。も う1つは,これと並行して特定の時刻に開かれる,地階のパティオでのコンピューター/

シンセサイザーによる空間音楽のコンサートである。これは,このイヴェント全体のなか に,一つのフォーカル・ポイントを創りだすために行うものである。

 それでは次に,このフェスティバルで発表されるいくつかの作品のなかから,実際の楽 譜の抜すいを示すことにする。実際の音はパティオの周囲を円形にとりかこむ8個のス ピーカーから発せられる。環境音楽については,現在作曲中のため楽譜をここに示す事は できない。なお,これらの作品は,東京でのフェスティヴァルにさきがけて,1986年11月 7日に長崎のNBCビデオホールで開催された「岩竹徹の音楽」で発表されたものである。

注1)世田谷美術館は,31万m2の広大な都立砧公園のなかに建てられた,19,000㎡の敷地を有する本格   的な大型美術館であり,1986年3月に完成したばかりである。

注2)スコア上で,Fl(フルート), ob(オーボエ), Pf(ピアノ), Tenor(テナー),等と記入してあ   るのは,これらの作品がオーケストラや混声合唱でも演奏される事を可能にするためであるが,

  今回のフェスティバルでは,すべてコンピューター/シンセサイザーにより作られた音が使用さ   れる。

注3)サンプラーは・録音された音をD/A変換により自由に変形,編集,再生するためのマシンで,

  コンピューターと接続する事により,たとえば犬の鳴き声を用いて「小犬のワルツ」を自動演奏   するといった事もできる。

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29     音のひろがり(岩竹)

6 SPACE AND MOTION(p.35)

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Pfによって奏される音型が,他の音色により様々なインターバルでずらされ,それが 重なっている。

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  7 SPACE AND MOTION(p.36)

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31  音のひろがり(岩竹)

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音階的パターンが少しずつ変化し,それらが集合,離散しながら全体の響きが作られ

る。

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   9 ANDROMEDA(p.19)

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33 音のひろがり(岩竹)

10 METAMORPHOSIS#2−1(p.4)

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パルスによる響きの造形。どの瞬間を取ってもピッチの組み合わせは一定であるが,

必ず音色とそれが発せられる空間的な位相が異なっている。

(10)

11 METAMORPHOSIS#2−1(p.17)

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12 METAMORPHOSIS#2−2(p.27)

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参照

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