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音楽の歴史と現在の音楽

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Academic year: 2021

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音楽と記録媒体テクノロジー

経営情報学部 経営情報学科

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目 次 はじめに Ⅰ.音楽の歴史 1.記録音楽の歴史 2.日本の音楽の歴史 Ⅱ.現在の音楽と著作権問題 1.MP3について 2.著作権について 3.現在の問題 おわりに

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はじめに

100万枚 CD が売れることが珍しくなくなってしまった現在で音楽がどのようにして 発達して広まってきたのか。そんな音楽の歴史を日本に限定して一から見ていきたい。ま た「20世紀の発明王」と呼ばれたエジソンが発明した蓄音機から現在までの記録音楽の 歴史も見ていきたい。そして、近年パソコンの普及により世界中で多くの人々がインター ネットを爆発的な速度で使用するようになり、そのインターネット上で音楽が楽しめるよ うになりました。そこにはどのような技術が使用され、どのような問題点があるのかを見 ていきたい。

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Ⅰ、音楽の歴史

音楽を記録する技術がまだなかったころ、音楽はおよそ二通りの方法で伝えられてきま した。ひとつはクラシック音楽など芸術音楽の楽譜として残すやり方。もうひとつは民族 音楽の伝承に見られる口伝の方法です。 音を記録する技術が発明されたのが1877年ごろです。そして、その技術を普及し、 広く一般的になり始めたのが1900年代です。音を記録して伝承するということは音楽 に大きな変化をもたらす事となりました。これまで劇場などに足を運ばなければ聴くこと が出来なかった音楽が、気軽に家で聞けるようになりました。 録音技術、録音媒体が身近になり、ラジオやテレビといったそれを伝達するメディアが 普及するにつれ世界中の音楽が一気に身近のものとなり、大衆音楽が世界各地で化学反応 のように変化していきました。 ロック、ジャズ、ソウル、ヒップホップなどの今日の大衆音楽がこれほど発展したのは 記録媒体普及の賜物といえます。などという前置きはさておき、音楽と私達が歩んできた 歴史をあらためて振り返ってみます。 1、記録音楽の歴史 ここでは記録音楽の発展の歴史について検証してみたい。多少関係のないことや、内容 が重複する所もでてくるかもしれないが音楽の変化を見てみたい。 ①、1900年以前 蓄音機を発明したのはエジソン(1847∼1931)というのが通説であるが、実は それ以前にレオン・スコット(1817∼79)と、シャルル・クロ(1842∼88) の2人によって、きわめて重要な発明がなされています。 それは、エジソンの発明より20年前の1857年にフランスの印刷技師レオン・スコ ットはフォノトグラフ(Phonautograph)という油煙のススを付けたシリンダーを回転さ せ、羊皮紙の振動版にシェラックで貼り付けたブタの硬毛を、シリンダーに当てて、木製 の樽型ホーンに向かって音を吹き込んだ。すると、振動版に付いた硬毛がススの上に波状 の軌跡を作り音が波形として記録することができるものだった。 この機械は実験装置として数台製作された。 また、もう一人のフランス人アマチュア科学者シャルル・クロは、エジソンの8ヶ月前 の1877年4月にエジソンの録音再生理論とほぼ同じ機構の論文を発表している。(エジ ソンはシリンダー式、クロはディスク式という違いがあるが)その蓄音機はフォノグラフ

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(Phonograph)と命名されていた。 しかし、論文にとどまり実験は行われず、発表はエジソンの発明の直後であった。 エジソンは1877年にシリンダ−方式(錫箔を巻き付けた銅製の円筒)のレコードを 発明して、音を記録することに成功しました。(ちなみに一番最初に録音した曲は「メリー さんの羊」)これには当然アンプ等の電気による増幅させる仕掛けはないのでレコードに刻 まれた振動をそのまま伝えるというもので、音質としても優れたものではなかったようで す。しかも錫箔は磨耗しやすく保存性もあまり優れていなかったようです。これも除久に 改良が加えられ錫から蝋、シェラックなどに材質が変化し、保存性や耐久性がますにつれ、 音楽の録音に利用されるようになりました。(ちなみに、エジソンは白熱灯の開発のためこ のあと約10年間蓄音機の研究を休止している。) 現在のディスク方式(硬質ゴム)はエミール・ベルリナーにより1888年ごろ考案さ れました。シリンダー方式では大量生産には向きませんが、ディスク方式は大量生産に適 しているために普及することになります。

最初のレコード会社は1878年の The Edison Speaking Phonograph Company、続い て1889年米コロムビアがつづき、続々レコード会社が設立されていきます。 ②、1900年∼第二次世界大戦まで 1800年の終わりに録音技術が誕生したことにより、1900年の初めはいくつかの 意味で探検の時期でした。一つ目は新しい音楽への旅です。最初にも触れましたが、録音 技術が誕生する以前音楽を残すには楽譜におこす必要がありました。クラシックなどの芸 術音楽はこのように保存され、次に継承されていきました。それ以外の音楽、例えば民族 は主に口伝で継承されていました。音楽への接し方は、コンサートに行くか、その地域の 音楽に自然と親しんでいくのみでした。録音技術が発達することにより、今まで聴いたこ とがなかった種類の音楽が一般的に出回り、大衆音楽が台頭する下地が出来上がりました。 もう一つは実際にいろいろな音楽を求めて実際にアーティストやレコード会社が世界中 を飛び回った時期でもあります。米民俗学者ジョン・ロマックス、英 Gramophone 社の録 音技師フレッド・ガイスバーグとハンガリーの作曲家バルトークはそれぞれ目的は違うも のの、各地の音楽の録音収集の旅をこの時期に行っています。 1920年代はアメリカでは Roaring20’s と呼ばれ、喧騒の時代といわれています。ま た、ラジオ放送が始まりこれまで以上に大衆音楽が早く一般に伝わるようになった時代で もあります。また、電気録音が発明され、レコードも大量生産されるようになった時代で もあります。 この1925年に登場した電気録音により、これまで大きな声でなくては録音できなか ったささやき声のような音でも録音できるようになりました。ビンズ・クロスビーに代表 されるささやくような歌声(クルーナー唱法)の録音は電気録音によりはじめて実現され ました。

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1934年には今ではボーリング場やビリヤード場などで目にするジュークボックスが 登場しました。 ③、第二次世界大戦後∼現在 よく「戦後」という言葉が「戦後の○○」というように時代のひとつの区切りのように 使われます。歴史の事象を見ても確かに表面的には戦後と戦前には変わりました。録音技 術とラジオの登場が最初の変革の波だとすると、50年代から始まる戦後は第二の変革の 波と言えるかもしれません。戦後、録音された音楽はレコードやラジオを通じていろいろ な地域にこの波を伝えることになります。まだ記録音楽はその伝達方法が未成熟だった頃 は人の移動が主な伝達手段でしたが、戦後、記録音楽の成熟とともにラジオの波やレコー ドが海を渡り、化学反応を活発にすることとなります。 録音技術もこの時期大幅に変化し、現在の録音方法に近くなったのがこの時期です。磁 気テープが開発されるまで、音楽はレコードのディスクに直接刻まれ、記録されていまし た。磁気テープは1929年にドイツで開発されていましたが、第二次世界大戦後、アメ リカやイギリスに持ち込まれ、1948年には米 Ampex 社によって録音機、米 3M 社によ って磁気テープ(LP{Long Playing Phonograph})が発表されることになりました。そし て、50年代には磁気テープによる録音が主流になることになります。これまでの録音は 基本的には演奏そのものを記録するもので、編集などは基本的に行いませんでしたが、磁 気テープの登場によって編集が出来るようになり、後には多重録音技術が生まれるように なります。 1950年代が記録音楽、大衆音楽にとっての第二の転換期だとすると、1960年代 はその多様化・拡散化の時代と捉えることができます。大手のレコード会社では大型のス タジオの建設が行われ、録音技術も充実しレコードもこのような大型施設で作られるよう になりました。代表的なものにキャピタルレコードのキャピタルタワーや EMI のアビーロ ードスタジオなどがあります。これらのスタジオは50年代にはすでに出来上がっていま したが、60年代にはこれら録音環境だけでなく、録音技術そのものが変化してきました。 60年代に出てきた録音技術としてステレオ規格、磁気テープ出現による編集作業、マ ルチトラック録音、PCM によるディジタル録音の原型が挙げられます。この当時、増幅器 (アンプ)も真空管の時代からトランジスタの時代に入ろうとしていました。また、こう した環境の中で徐々に表舞台にプロデューサーという存在が出てきました。直接録音での プロデューサーの役割と、編集作業を通じてのプロデューサーの役割では大きく異なりま した。 磁気テープは50年代に登場し、録音に用いられていましたが、一般家庭用の蘭フィリ ップス(Philips)から発表されるコンパクトカセットが登場するのは70年代のことです。 これにより家庭でも録音ができるようになり、80年代には簡単な録音システムを使えば 家庭でもレコーディングができるようになります。この家庭でのレコーディングは199

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0年代にある流れを生むことになります。また、手軽に録音できるこの媒体は経済的に貧 しい第三諸国で特に受け入れられ、第三諸国での大衆音楽の普及に弾みをつけました。ウ ォークマンは1979年にソニーから発表され、瞬く間に若者に受け入れられました。こ れまで録音された音楽は家庭内で楽しむものだったのが、外でも楽しめるようになったの です。 カセットテープによる簡易録音は一方でコンサート演奏の無断録音や、レコードの複製 など海賊版などの普及も促することになり、70年代以降レコード売上の鈍化に悩んでい た音楽業界は著作権に関する意識を強く持つことになります。 ビデオテープの登場以前、音楽をラジオ局などに売り込む場合はプロモーション用のレ コードが用いられましたが、ビデオテープの登場以来、プロモーションビデオも作られる ようになりました。そして、1981年にはこのプロモーションビデオを24時間放映す るミュージックテレビジョン(MTV)がアメリカのケーブルテレビでスタートします。 1980年代はディジタルの時代ともいえます。ディジタル録音は PIM 録音の登場から 既にあり、編集方法も確立されつつありましたが、再生する媒体はアナログでした。ディ ジタル録音やディジタル編集の利点は音質の劣化がない、編集が容易などが挙げられます。 再生媒体のコンパクトディスク(CD)の利点は小型化、瞬時の頭出し、メンテナンスの容 易さなどが挙げられます。 ディジタルとアナログは80年代以降重要なキーワードの一つとなるので、ディジタル とアナログの違いをおさらいしておきましょう。と言っても意識する必要もないので飛ば してしまってもかまいません。アナログとディジタルを表現する簡単な比喩は坂道と階段 です。ディジタルは実際の坂道を0と1で表現することです。階段の段差が小さく、細か くなればなるほど坂道と見分けがつかなくなります。実際の世界を細かく0と1で表現す ることによって実際のそれと近いものを表現するものです。ディジタルの利便性は先に述 べた音質の劣化がない、編集が容易のほかに90年代からはネットワークへの対応性とい うことが出てきます。コンピューターもディジタルな機械なので、90年代以降の記録音 楽を考える時、この点がさらに重要になります。 ともあれ、1982年に市場に出回り始めたコンパクトディスクは1948年に登場し た LP からの34年ぶりの世代交代となりました。エミール・ベルリナーがディスク式レコ ードを発明したのが1887年ですからそこから数えれば実に95年ぶりの世代交代とい うことになります。そして、その利便性から1988年にはアナログディスクの売上を上 回ることになります。 ペレストロイカから端を発するドイツ再統一(1990)やソビエト連邦の崩壊(19 91)は冷戦の終わりを意味していました。これは一つの時代の区切りとなり、人々の目 は経済に向けられるようになります。Windows95の発売からの PC 市場の拡大、今日の インターネット市場の拡大も1990年代の特長といえるでしょう。音楽の世界でも国境 を意識しない流通形態であるインターネットによる音楽の配信が行われ始める事となりま

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した。 PC はすでに70年代後半からあったものですが、本格的に普及が始まったのは1995 年に発売された Windows95からとなります。PC・コンピューターの普及は作り手、聞く 側両方へのインパクトがありました。作り手としてはシンセサイザー、サンプリングなど により複雑化したレコーディングをコンピューターで制御できるようになりました。この ような技術は一般にも急速に低価格で提供され、自宅での録音も従来のカセットテープに よるマルチトラック録音から DTM(Desk Top Music の略)と呼ばれる PC でのハードデ ィスクレコーディングが普及するようになりました。このようなホームレコーディングシ ステムの充実はベックなどのアーティストが出てくるきっかけを作りました。聞く側はイ ンターネットによる音楽配信(MP3:MPEG1 オーディオ Layer3の略でディジタル圧縮 された高品質録音の配布形態)を受け取ることができるようになりました。また1992 年には MD(Mini Disk)が発売されました。1998年にはダイヤモンドマルチメディア から発売された携帯 MP3プレイヤー「Rio」が発売され人気を博しています。 これが現在までの記録音楽の歴史である。最後に表にして自分なりにまとめてみた。 年 代 事 象 1877年 エジソンによる最初のレコーディング

1878年 最初のレコード会社 The Edison Speaking Phonograph company 設立

1888年 エミール・ベルリナーが現在のディスク方式を考案 1920年 アメリカで最初の公共ラジオ 1925年 電気録音の登場 1934年 ジュークボックスの登場 1948年 磁気テープ(LP)の登場 1963年 蘭フィリップス、カセットテープ発表 1979年 Sony が初めてウォークマンを発表 1982年 Compact Disk(CD)の発売開始 1988年 CD の売上が LP の売上を上回る 1991年 MPEG1 オーディオ Layer3(MP3)誕生 1992年 Mini Disk(MD)発売開始

1998年 Diamond Multi Media 携帯 MP3 プレーヤー「Rio」発売

2、日本の音楽の歴史

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①、1900年以前∼第二次世界大戦まで エジソンが録音に成功した頃、西郷隆盛が西南戦争を起こしていました。西洋文化を積 極的に取り入れたのがこの時期です。実際に蓄音機も英ユーイングが1879年に持ち込 みました。(エジソンのシリンダー方式)1891年には国産レコードも作られるようにな りました。また、文明開化の大号令の元に鹿鳴館の建設や東京芸術大学音楽学部の前進で ある音楽取調掛の設立(1879年)等、音楽面でも西洋化を強く推進しました。 川上音二朗はこの当時を代表するアーティストと言えます。彼のオッペケペー節は民権 を啓蒙する歌で、これにより新派の創始者と呼ばれています。 1900年代には1909年に日本で最初のレコード会社である日米蓄音器製造株式会 社が設立されました。 日本で最初の合唱曲を書いた滝廉太郎やオーケストラ作品を書いた山田耕筰、日本最初 のオペラ歌手である三浦環はいずれも東京芸術大学の出身です。滝廉太郎は「荒城の月」 だけでなく、「お正月」や「桃太郎」等の幼稚園唱歌を作曲しています。滝廉太郎は190 3年に23歳の若さで亡くなってしまいますが、彼の作った音楽は今なお日本人に親しま れています。 1910年代になると大正デモクラシーの動きの一つとして童謡運動があり、北原白秋 や中山晋平といった作曲家達が「夕焼け小焼け」等の創作童謡を作っていくことになりま す。野口雨情の「赤い靴」もこのころの作品ですが、当時の童謡はどことなく寂しげなの が特徴だといえると思います。 歌謡曲の原型である大正歌謡ができたのもこの頃といわれています。カチューシャの唄 は無声映画「カチューシャの唄」の主題歌で、当時大ヒットしたものです。作曲は童謡運 動にも参加していた中山晋平です。 1920年代になると1927年に東京にダンスホールが生まれ、日本で初めてのジャ ズグループの一つである井田一郎のラッフィング スター ジャズ バンドが神戸で結成さ れました。この日本におけるジャズと大衆音楽に普及は1926年のラジオ放送開始と日 本ビクター蓄音器、日本コロムビアといったレコード会社の設立(1927年)によって 加速していくことになります。 1930年代は最初のレコード産業の黄金時代を迎えます。古賀政男の「影を慕いて」、 服部良一の「別れのブルース」が人気となります。またレコードは歌謡曲だけでなく落語 等の大衆芸能の録音も当時数多く吹き込まれ、音楽だけでない大衆文化の人気がうかがわ れます。また、第二次世界大戦に向かう1930年後半から1940年にかけて戦時下統 制が厳しくなり、検閲が強まります。大陸歌謡や軍歌等が推奨されるようになります。 ②、第二次世界大戦∼現在 第二次世界大戦が終わると日本はアメリカの占領下に入り、進駐軍が入りました。この 進駐軍が持ち込んだのがジュークボックスに FEN(Far East Network)のラジオ放送です。

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特に FEN は日本にアメリカ文化を大量に持ち込み、当時流行っていたビックバンドやスイ ングを本格的に持ち込みました。また、日本のジャズミュージシャン達は米軍キャンプで 演奏を行い、実力をつけていくこととなります。 戦争から開放された日本も新しい音楽を求めるようになります。とは言っても、NHK は GHQ の統制下の置かれレコード生産も1945年には中止していましたから、1946年 並木路子の「リンゴの唄」まで日本の大衆音楽は待たなければいけません。しかしそれか らは笠木シズ子の「東京ブギウギ」や藤山一郎の「青い山脈」等歌謡曲のヒットが続々と 誕生する事になります。これらの歌謡曲を作り上げたのが古賀政男と服部良一です。そし て日本における戦後最大のスターの一人、美空ひばりが1948年「河童ブギウギ」でデ ビューする事となります。そしてオカッパルこと岡晴男やバタヤンこと田端義男等数多く の歌謡スターがこの後誕生する事になります。 1950年代になるとイギリスと同様、第二次世界大戦で大きな傷を負った日本ですが 1952年には独立を回復しさらに朝鮮戦争による特需で早くも経済的に立ち直ろうとし ていました。そして戦時下では聴く事ができなかった西洋音楽が再び盛り上がり、ジャズ ブームが起こることとなります。古賀政男や服部良一といった戦前からの作詞家が引っ張 り、美空ひばりや石原裕次郎といった新しいスターがこれを盛り上げるようになります。 1958年にアメリカではグラミー賞が始まりますが、日本作曲家協会の会長でもあっ た古賀政男は早速視察し、よく1959年日本でもレコード大賞を始めています。 また、この頃日本では相変わらずジャズが流行りました。ロックンロールと呼べるもの が出てくるのは次のグループサウンズブームを待たなければなりません。しかし、日本の 歌謡曲は以後海外の音楽を歌謡曲の中に取り入れていくという発展方法を取るようになり ます。 1960年代になると、日本の大衆音楽は歌謡曲に色々な要素を取り入れようとしてい ました。そんな一つにカバーバージョンがあります。「ルイジアナママ」、「バケーション」 等といったアメリカのポップスがカバーされ、ヒットしています。坂本九もそんなカバー バージョンを歌う一人でした。しかし坂本九が歌うテレビ番組「夢で逢いましょう」の「上 を向いて歩こう」(1961年)がイギリスのレコード会社の来日時に耳に止まり、そのカ バーバージョンがイギリスで発売されヒットしました。(英題の Sukiyaki はその社長の好 物)。テレビ、ラジオ、レコードといった1900年代の技術が日本の大衆音楽である歌謡 曲を世界に運んだ事になります。 また、1960年代にはベンチャーズを筆頭にビートルズ、ビーチボーイズが来日する と、日本でもエレキブームが起きるようになります。1964年にビートルズのシングル が日本で紹介され、1966年にビートルズ、ビーチボーイズの来日を前後に続々とこの ようなロックグループが作られるようになり、グループサウンズブームを生むことになり ます。これとは別な動きとして岡林信康が「山谷ブルース」といった社会的なメッセージ を持つフォークを歌い次のフォークブームを生もうとしていました。

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エレキ、グループサウンズ、フォークは主に若者層のための歌謡曲でしたが、従来の歌 謡曲もより大人向けのものとして演歌となりました。三波春夫、村田英雄、都はるみ、水 前寺清子等が登場したのがこの時期で、美空ひばりも演歌に挑戦しています。 1970年代に入ると、1960年代に若者向けのグループサウンズ、大人向けの演歌 という構図の一方であるグループサウンズが失速していきます。その原因として似たよう なグループが数多く作られ質的に落ちたことが挙げられます。そして人気がなくなったグ ループサウンズの解散が相次ぎました。 このグループサウンズに変わって1970年代初頭に若者向け音楽の主流となったのは フォークでした。フォークは1968年に設立されたフォークレーベル「URC」を中心に 岡林信康等が活躍していましたが、吉田拓朗、井上陽水等の登場で一気に活気付くことに なります。また、1970年代初頭これまで日本ではなかなか根付かなかったロックが除々 に台頭する気配を見せました。はっぴいえんど(1970年)、パンタ率いる頭脳警察(1 971年)を筆頭にキャロル、ファニーカンパニー(共に1972年)と続々ロックグル −プが登場してきます。スタイルとしてのフォークやロックのブームも時期的には短いも のでしたが、そこから派生するニューミュージックというスタイルを生み出しました。は っぴいえんどからはキャラメルママ、大滝詠一がそれぞれ活躍する事になり、この流れに 荒井由美や山下達郎が加わる事により1970年代以降若者向けの音楽の大きな潮流の一 つを作り上げる事になります。また、フォークインディーズの成功はサディスティックミ カバンド(1972年)、山口富士夫率いる村八分(1973年)、カルメンマキ&OZ(1 975年)、ムーンライダーズ(1976年)、東京ロッカーズ(1978年)等のユニー クなグループを生む土台を作り上げたともいえます。 グループサウンズのアイドルとしての側面を受け継いだのは1971年のスター誕生と いうオーディション番組から生まれたアイドル達です。1970年代には数多くのアイド ルが生み出され歌謡曲を継承していくことになります。南沙織(1971年)を筆頭に天 地真理、郷ひろみ(共に1972年)、山口百恵、キャンディーズ(共に1973年)、ピ ンクレディー(1976年)と多くのアイドルが登場し活躍を始めるのが1970年代か らです。これらのタレントは主にその活動の場をテレビ(日本では1925年に開始)に 求め、音楽以外にもバラエティーやドラマに出演し、現在で言うタレントという位置付け を確立しました。 歌謡曲とフォーク、ロック等は同じ若者向け音楽ではあっても常に対立関係にあるもの でした。歌謡曲のアイドル達の活躍の場が主にテレビであったのに対し、フォーク、ロッ クの活躍の場はあくまでも音楽にこだわりライブやレコード発表であり、他にあるとすれ ばラジオの深夜番組ぐらいなものでした。吉田拓朗は森進一に「襟裳岬」(1974年)を 提供しましたが、これは極めて例外的な事といえました。この傾向は1978年からスタ ートした「ザ・ベストテン」という音楽番組で顕著に見られました。人気投票等で選ばれ た歌手やグループ達が生出演するこの番組で、人気のあるニューミュージック系のアーテ

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ィストは出演拒否の立場を貫きました。この歌謡曲とフォーク、ロックの微妙な関係を崩 したのが1978年に「勝手にシンドバッド」をひっさげて登場するサザンオールスター ズだといえます。サザンオールスターズは音楽としてはニューミュージックの潮流に乗る ものでしたが、その姿勢としてテレビに出演し、歌謡曲に急接近しました。 1980年代には1970年代に全盛を迎えたアイドルに松田聖子、たのきんトリオ等 の新しいアイドルが次々登場しました。ニューミュージックもオフコース、松任谷由美、 チャゲ&飛鳥等が引き続き活躍しました。しかし、レコードの売上としては低迷期に入り、 レコード会社各社は新しいアーティストの発掘に盛んでした。1980年代に登場した中 で重要なのはチェッカーズ、吉川晃司、おにゃん子クラブです。チェッカーズと吉川晃司 は当初アイドルとして見られていました。しかしどちらとも自分達で曲を発表し自分達で 曲のプロデュースを行いました。これまでのアイドルは偶像的な物であり、作曲能力は問 われませんでした。また、偶像としてのアイドルの概念を打ち砕いたのが普通の高校生の 集まりであるおにゃん子クラブです。テレビ番組から出てきたこのグループは普通の高校 生であると同時にアイドルとしてレコードを出すことにより、雲の上の存在であったアイ ドルをもっと一般的に近い位置にしました。 ニューミュージックの分野でも世代交代が起こります。様々なライブハウスからバンド が登場しました。パンクグループは1990年代にも活躍し続け、中には海外でも活躍す るグループが出てきます。また、BOOWY、プリンセスプリンセスといった新しいバンドも 登場しました。彼等の特徴はそれ以前のフォークロック世代のニューミュージックのミュ ージシャンと異なり、テレビという媒体をフルに活用しました。 最後に1990年代はカラオケやテレビや CM とのタイアップによる新しいプロモーシ ョンや媒体によって売上が回復しようとしていました。1980年代からのアーティスト が大ヒットを飛ばし、T-BOLAN や ZARD といったビーイングという事務所所属のアーテ ィストがタイアップをステップに次々にヒットを生み出しました。これに更に新しい世代 のアーティストやグループが加わりました。 また、1980年代に活躍した TM NETWORK の小室哲哉、ユニコーンの奥田民生等は、 プロデューサーとして手腕を発揮し、従来のアイドルとも違う新しいポップタレントを生 み出しました。これはモーニング娘。等を手がけるシャ乱 Q のつんくも同様で、その流れ は現在にいたります。 これが日本での音楽の歴史になります。

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Ⅱ、現在の音楽と著作権問題

1、MP3について インターネットユーザーや音楽ファンなら、最近「MP3」という名前をよく耳にする、 と感じていると思う。この MP3とは「MPEG1 オーディオ レイヤー3」の略であり、音 楽圧縮方式の一種である。 MP3が注目されるようになったのは、パソコンの普及と高性能化が挙げられる。パソコ ンが高性能になったため、音楽 CD などから MP3を使って音楽ファイルを手軽に作成でき るようになったのだ。しかも、インターネットが普及したおかげで、作成した音楽ファイ ルをウェブページやメールを使って、他の人の簡単に渡すことができるようになったため に、普及を加速させた。 音の情報を圧縮すると、どんな効果があるのだろう? パソコンについている CD-ROM ドライブで好きな CD を再生しながら、パソコンを使う という人は多い。しかし、ソフトをインストールなどで CD-ROM ドライブを使うときに は、音楽 CD の再生はできない。また、ノートパソコンなどで CD-ROM ドライブがついて いない事もある。このような場合は、音楽 CD のデータをパソコンのハードディスクにコ ピーして再生することも可能だが、ファイルサイズが大きくて、CD 一枚コピーするのに、 数百 MB も使ってしまうことがあった。最近は、ハードディスクの巨大化が進んでいると はいえ、これではハードディスクがすぐにいっぱいになってしまい、実用的ではない。と ころが、MP3なら、音楽ファイルを圧縮して保存できるから、好きな CD をまるごとコピ ーしても、60∼70MB 程度ですむというメリットがある。 また、ハードディスクに好きな曲をたくさん保存して、自分のパソコンをジュークボッ クスにするといった使い方も考えられる。たとえば、2GB のハードディスクなら、5分に 曲を400曲ぐらい保存できる。CD によっては、アーティスト名やタイトルなどをデータ ベース化できるから、たくさんの曲があっても整理は簡単だ。再生専用ソフトを使えば、 曲を自在に再生できる機能もある。いつでも好きな曲を聴きたいという人にとっては、と ても便利なのだ。 さらに、音楽のファイルが小さくなるとインターネットなどを使って配信することが可 能になる。これにより、これまで音楽の販売は CD が中心だったが、これをオンラインで 販売することが実用的になる。つまり、これまでとは違った販売ルートができるので、ビ ジネスとしても音楽配信が成立する可能性が生まれたというわけだ。 特徴として MP3を使って音楽ファイルを圧縮するメリットは、ファイルサイズがコンパ クトな割に音がいいこと。一般的にはほぼ CD 並の音質で、CD の10分の1程度のサイズ

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にできる。またファイルサイズは1分間で約1MB。つまり、5分の曲なら約5MB という ことになる。(ちなみに1GB=1024MB、1MB=1024KB となる。) MP3そのものは世界的に標準の規格で、その技術は公開されているもので誰でも使うこ とができる。このため、色々な会社や個人が MP3を使ったソフトを開発したり販売できる。 こうして見ると MP3はいいことづくめのようだが、実際にはいくつかの問題点がある。 まず音質としては、MP3では一般的に人間の耳には聞こえにくい部分をカットしている。 だから CD と同等の音質と言われているが、実際には CD の音質と同等に聞こえるだけで、 中身が同じ訳ではない。さらに、音の一部をカットしてしまうため MP3で圧縮したファイ ルから、元の CD の音を再現するのも不可能だ。また人によって音に対する感度は違う。 多くの人にとって MP3の音質が CD と同じように聞こえるだけで、人によっては音質が下 がっていることがわかることもあるのだ。さらに、MP3で圧縮するのが向いている音とそ うでもない音があるのも事実である。オーケストラのように色々な楽器で演奏された音楽 を MP3で圧縮すると、音質が悪くなる可能性もある。 また実際にパソコンで MP3を使うときは、使用する機器の性能も問題になる。機器によ って音質が悪くなってしまうケースもあるのだ。 そして最大の問題は次に触れる著作権問題である。 2、著作権について まず著作権と言うものがどういうものかというと、著作物の創作者を著作者といいます。 そして著作者の持つ権利を「著作権」と呼びます。ここで著作物がどういったものなのか を、音楽と関連のあるもの(コンピューター関連も含む)を具体的に挙げてみたい。 著作物の種類 著 作 物 の 例 言 語 小説、脚本、論文、詩歌、俳句講演など 音 楽 楽曲及び楽曲を伴う歌詞 プログラム コンピューター、プログラム その他の著作物 二次的著作物 原著作物を翻訳、編曲、変形、翻案し作成したもの データベースの著作物 データベース このようなものも著作物と呼び、著作権法のより著作権が保護されています。 次に音楽著作権を見ていく上で著作権管理団体である社団法人日本音楽著作権協会 (JASRAC)について少し見てみたい。

この JASRAC とは Japanese Society for Rights of Authors,Composers and Publishers の略称で、著作権法に基づく著作権使用料の徴収を行っている団体である。

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業務内容は作詞家、作曲家、音楽出版社など、音楽の著作権者から権利の委託を受けて 第三者の利用許諾、使用料の徴収と著作権者への分配をおこなうことである。また、世界 各国の著作権管理団体とも契約を結び、音楽著作権の管理・分配を行います。 この著作権の仲介業務は、仲介業務法に基づいて文化庁長官の許可を受けなければなら ない。JASRAC は日本で唯一その許可を受けている民法上の社団法人である。設立は19 39年で、現在は東京に本部を置くほか、全国に23の支部を持っている。 次に MP3に関する問題として、まず音質が優れている事などから CD などに収録された 曲を勝手に MP3化して流しているホームページが急増中である。他人の作ったグラフィッ クスを無断でウェブにアップするのが著作権侵害となるのと同様に、他人の作った曲を無 断で MP3化してアップする海賊版が著作権侵害にあたり許されないのは当然である。そこ で日本では1998年の8月から、JASRAC や日本レコード協会など6団体が他人の作っ た曲を無断で配信している悪質な MP3ウェブに対して、警告をはじめとして断固とした措 置をとることを発表している。それは MP3という技術自体を違法と考えているのではなく、 音楽の無断使用が問題だとしている。当然のことだが MP3を使用した個々の無許諾コピー 配布行為が著作権侵害となるのである。要するに MP3というソフト自体に問題があるわけ ではなく、それを利用する側の使い方が問題であるという訳である。だから違法 MP3サイ トというのは、無料でその曲を無断で配布してしまうということに問題がある訳でその事 を改善できれば違法ではない。 また MP3 ファイルに 5 秒の広告を入れることによって著作権所有者の権利を守るという 事も出てきている。 3、現在の問題 ここでは今、裁判が起こっている「ナップスター」について見ていきたい。 ナップスター(Napster)とはアメリカの19歳の若者が開発したネット上のファイル交 換システムの事である。このナップスターはほぼどんな楽曲データでも無料で手に入るシ ステムである。音楽 CD を友人から借りて MD やテープにダビングしたり、CD から好みの 曲を選んで録音しプレゼントする行為は違法合法はともかく、実社会で日常的に行われて いる。ナップスターはこうした曲のやり取りを、インターネットのユーザー全体にまで広 げたのだ。 ナップスターの仕組みは極めて単純だ。ナップスターのサーバーに接続しているユー ザー達が、それぞれのパソコンに所有している MP3の音楽ファイルを検索し合って交換す るシステムである。知り合い同士が電子メールで MP3ファイルを交換するのは、実社会で CD を貸し借りするようなことだが、ナップスターは単にサーバーにつながっているユーザ ー同士、というだけの関係での交換が可能になる。わかりやすくするために、次の絵を参 考にして欲しい。

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ナップスターのサーバー A ユーザーの MP3ファイルリスト B ユーザーの MP3ファイルリスト 自分の MP3ファイルソフト ファイルリストから好みの をサーバーに登録 MP3ファイルを検索 ユーザー間で MP3 A ユーザーのパソコン ファイルの交換 B ユーザーのパソコン SONG1.MP3 SONG4.MP3 SONG2.MP3 SONG5.MP3 SONG3.MP3 SONG6.MP3 その利用法も非常に簡単だ。まず、ナップスターのサイトから無料の専用ソフトを入手 する。欲しい曲のタイトルかアーティスト名を入力して検索すると、その時点でナップス ターのサーバーに接続している該当曲の MP3リストが表示される。リストの中から所有者 を選び、そのパソコンから MP3の音楽データを自分のパソコンに転送して保存。取り込ん だ音楽データはパソコンで再生するほか、CD-R に焼いたり携帯型 MP3プレイヤーにデー タを転送して楽しむこともできる。 また2000年の春には「グニュテラ」(Gnutella)がリリースされた。(製作元はアメ リカの NULLsoft 社)デジタル形式であれば何でも交換可能であり、中心となるサーバー が存在しない点で、ナップスターよりも驚異的である。オープンソース方式で公開されて いるので、取り締まられてもすぐに他からリリースされる危険もある。このソフトが進化 して暗号技術でも取り込めば、侵害行為の追跡は文字どおり不可能になってしまう。この ようなものの登場はアーティストも含め音楽業界に大きな衝撃を与える事になった。 次にこのナップスターについておきている問題について見ていきたい。ナップスターは 無料で音楽データが手にはいることから人気になった。それに危機感を強めたのがアメリ カの大手レコード会社で組織する全米レコード協会である。協会は著作権を侵害している として1999年12月にナップスターをサンフランシスコ連邦地裁に提訴した。同地裁

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は2000年7月26日、ナップスターに7月29日までにサービスを停止するよう求め る仮処分命令を下した。ナップスター側は不服として翌日控訴した。サンフランシスコ連 邦地裁は7月28日にナップスターの訴えを認め、期限ギリギリでサービスは継続される 事になった。 音楽データのコピーを著作権者に無断でネット上に公開するのは明らかに違法である。 ネット上を介して勝手に楽曲データをやり取りされてはビジネスにならない協会の提訴は もっともなように見える。 一方、ナップスター側は「ユーザーに新しい曲を発見する場を提供しているだけ」と主 張。一審の地裁は「音楽の違法コピーを助長する」としてサービス停止命令を下したが、 高裁は「裁判の決着がつくまでサービスは続けられる」と判断した。結論は先送りされ、 ナップスターは従来通り継続されている。ナップスターに対しては、アメリカの人気ロッ クバンド、メタリカも協会とは別にアーティストの立場から著作権侵害で提訴している。 協会は「このままでは半年で30億ドルの損害が出る」と主張する半面、ネット関連調 査会社の米ジュピター・コミュニケーションズの調査では、ファイル交換のユーザーは音 楽 CD を購入する割合が高いという結果が出た。 ナップスターは日本語での曲やアーティスト検索が出来ないが、ローマ字で登録された 多くの邦楽が入手可能になっている。ナップスターは決して対岸の火事ではなく、日本の 音楽業界もアメリカの裁判結果に注目している。 ナップスター裁判の流れ 1999年12月8日 提訴 全米レコード協会(RIAA)が「著作権を侵害している」とナップスター社 をサンフランシスコ連邦地裁に提訴 2000年6月12日 サービス停止申請 全米レコード協会がナップスターのサービス停止を求める申請 2000年7月26日 仮処分命令 連邦地裁がナップスター社に対して7月29日からのサービスの中止を求め る仮処分命令を下す

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2000年7月28日 中止を一時猶予 サンフランシスコ連邦地裁はナップスターが7月27日に控訴したことを受け サンフランシスコ連邦高裁はサービスの停止を一時猶予すると判決 これが今も続いているナップスターを巡る裁判の流れである。 ただ技術的やアイデアは斬新だとアメリカでは評価されているし、ナップスターを応援 しているアーティストや企業もある。次に触れることはその一例というか最近のナップス ター裁判の動きである。 (注)10 月 31 日(米国時間)に、ドイツのメディア複合企業ベルテルスマンはナップス ターと提携したと発表した。両社は、ベルテルスマンが著作権をもつ楽曲をインターネッ トユーザーが交換できるような新たな契約サービスを開発中である。このサービスに加入 するとベルテルスマンに所属するアーティスト全カタログの中から、合法的に楽曲を検索 しダウンロードすることが可能になる。ベルテルスマンはこのサービスがうまく始動すれ ば、ナップスターに対する訴訟を取り下げると述べた。同社は当面は、この契約サービス を立ち上げるためナップスターに融資を行う予定だ。さらに、ベルテルスマンはナップス ターのワラントを購入し少数株主となる予定だと述べている。 今回の提携は、インターネット上で最も人気があるが賛否両論のこのサービスに対する 伝統的なレコード会社の信頼が大きく進歩したことを意味している。ベルテルスマンの BMG エンタテインメント、米ワーナーミュージック・グループ、米ユニバーサルミュージ ック・グループ、米ソニー・ミュージック・エンタテインメント、英 EMI レコーデッド・ ミュージックの 5 大レコード会社は、ナップスターに対して大掛かりな訴訟を起こしてい る。各社は、ナップスターが自分たちの所有する作品の著作権侵害を助長しているとして、 サービスを停止させようとしている。31 日の契約は、ナップスターが他の大手レーベル 4 社と和解交渉を求めているなかで発表された。ベルテルスマンとの合意は、ナップスター がこれまで考えられていたよりも敵との関係修復を進めていたことを示している。しかし 同社の音楽ファイル交換サービスは今もいつ裁判所からの停止命令を受けるかわからない 状態である。全米レコード工業会(RIAA)会長のヒラリー・ローゼンはこの契約は有望な ものだと語った。 このベルテルスマンの積極さは、従来の音楽会社とオンライン音楽会社の統合の前兆と なる休戦協定なのかもしれない。

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おわりに

以上、「音楽と記録媒体テクノロジー」についてまず記録媒体が生まれる前とその後では その音楽を聞くことができる人の数が記録媒体が生まれた後の方が圧倒的に増加したとい うことが挙げられる。それに楽譜として音楽を残す場合はともかく、口伝の方法では音が ずれてしまう可能性もあった。それが音を記録できるということによってそれも解消でき た。また現在の音楽の問題として次のような事が考えられる。 インターネットの発展に伴いインターネット上でも音楽が楽しめるようになった今、便 利になった半面色々な問題が出てきている。特に MP3やナップスターについてであるが基 本的にそれ自体に問題があるわけではない。それを悪用される可能性が高い事やアーティ ストや音楽会社の立場が悪くなってしまうと言うことに問題があるわけである。しかしナ ップスターに関しては、アメリカの Green Day というバンドがこのナップスターで新曲を 無料配信するといったらしい。これはアーティストがナップスターを賛成したというか、 ナップスターを利用するという驚きの一例がある。このようにアーティストによっては、 とらえ方に差がでてくる。ナップスターはそれを使う人の立場によってとらえ方が違って しまっているのでこれを裁判で決着をつけるのは、かなり時間がかかるだろうし、決着が つかないかもしれない。しかしもし音楽を商売と考えずに文化と考えるならばこのナップ スターは問題があるとは思えない。また著作権と言うか、法律と言うものをその時代に合 わせて変えていく必要があると思った。今までの古い考え方では対応しきれないまた、柔 軟な考え方が必要とされてくる時代になってきているのではないかと思った。

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参考文献

[最前線]音楽業界知りたいことがスグわかる こう書房 図解でわかる音楽配信ビジネス JMAM マルチメディアの著作権入門 PHP 研究所 よくわかる音楽著作権ビジネス(1.2) リットミュージック MP3&次世代デジタル音楽のすべて エーアイ出版 http://www.yahoo.co.jp http://www.goo.ne.jp http://homepage1.nifty.com/musiccafe/mhist_pro.htm http://www.hokkai.or.jp/niikappu/record/ http://www4.justnet.ne.jp/^demetrio/WELCOME.HTM http://www.jasrac.or.jp http://www.enc.or.jp/nmrc/ http://www.law.co.jp/okamura/copylaw/mp3.htm http://www.zdnet.co.jp/news/ http://japan.gnutellaworld.net/ http://www.hotwired.co.jp/news/news/business/story/20000712103.html http://cnet.sphere.ne.jp/news/2000/Item/000919-3.html その他たくさんの資料を参考にさせていただきました。

参照

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