経済分析の視角からみた
ト マ ス
・ モ ア
﹃ ユ ト ー ピ ア
﹄
︵ 上
︶
岩 松 繁 俊
ト マ ス
・ モ ア T h o m a s M o r e ( 1 4 7 8
‑ 1 5 3 5 ) が
︑
‑ 五 1 六 年 に か き , 一 五 一 六 1 七 年
︑ ネ
‑ デ ル ラ ン ト
のルーヴァンLouvainでThierryMartinによって刊行された﹃あたらしい島ウトピアにおける・最善の国家の
状 態 に つ い て の ・ ま こ と に
‑ つ ば な
・ た の し く も ま 右 益 な 覚 え 書 L i b e l l u s v e r e a u r e u s n e e m i n u s s a l u t a r i s
ノ
(2)
q u a m f e s t i u u s d e o p t i m o r e i p . s t a t u , d e q
? n o u a i n s u l a V t o p i a 盲 , 経 済 学 史 の う え で と り あ つ か お う と す る
ばあいには︑間警明確に限定する必要がある︒なぜならば・まず,この書はただに経済学史の視角からのみならず︑
法律︑政治︑哲学︑宗教の視角から研究せられるべきおお‑の側面をもっており︑つぎに︑おなじ‑経済学史の視角
といっても︑い‑つかのことなった視角が区別されうるからである︒前者については︑ここで論ずるまでもない︒後
者については︑若干のべておかなければならないであろう︒しかし,ここで︑経済学史のいろいろな視角とはなにか︑
を詳細に論ずるのは適当でないし︑またその用意もないCいままで︑きわめておお‑の学者が'この書を経済学史の
経済分析の視角からみたトマス・モア﹃‡−ピア﹄ ︵上︶ 六九
経 営 と 経 済
第三九年第二冊
七
O視角からとりあっかい︑それぞれすぐれた成果をあげている︒そのなかで︑もっともおおくのものは︑社会思想史の
( 3
)
視角からとりあげられたものに属している︒ユト
lピア島が︑なんらかの意味で︑かれの社会批判の表現であったの
であれば︑これは当然であって︑むしろ︑乙の視角から乙そ︑乙の量一日は全体的統一的に把握されるのであるかもしれ
ない︒あるいはまた︑経済学的構想の原型が︑歴史のうえで︑いっとろ・いかなる国において・だれによって生成せ
しめられたか︑という観点から乙の書をとりあげる乙ともできるであろうし︑あるいは︑.経済学的分析技術が︑われ
( 4
)
われの現在の基準にてらして︑どのように意義づけられ評価せられうるか︑という観点からとりあげることもできる
であろう︒本稿でとりあげようとするのは︑しかしながら︑乙れら諸観点のいずれともととなった・べつの視角から
である︒すなわち︑経済的な因果法則をただしくとらえ︑経済的政策によって問題を解決しようとする経済学的構想
が︑モアの﹃ユト!ピア﹄においてはじめて生成したかどうかにかかわるのでなく︑ただ一ユ卜
lピアムのなかにそ
のような構想が断片的であれ存在するという乙とを前提し︑さらに︑乙の構想が経済分析の技術としてどのような意
義をもつかにかかわるのでもなく︑もっぱらこの構想が当時の経済状態をどれほどまでふかく分析しているかをたず
ねてみようというのが︑本稿の視角である︒これをわたくしは︑経済分析の視角と題する︒ シ ュ ム ペ
lタ!のいう
﹁経済分析﹂の視角が︑経済分析の技術(道具化された知識)自体の評価というものであるのにたいして︑わたくし
の題する﹁経済分析﹂の視角は︑モアの経済分析の技術が現実をどれほど経済的に分析したかの評価のそれである︒
いわば︑理論と現実とのむすびつきいかん︑という乙とに焦点がおかれるのである︒したがって︑これが︑経済史的
( 5
)
視角とも区別されるととはあきらかであろう︒十六世紀初頭テュ
lダ
l絶対王制成立期の経済史を考察するばあいに
は︑重要な史料としてかならず引用されているが︑本稿は︑乙の書を︑同時代人のするどいまなこをもって当時の経
済状態をするどく観察し描写したもの︑ として利用する︑という態度をとるのではなく︑当時の経済状態をどれほど
するどく観察し描写しえたか︑というように批判的にとりあつかおうとするものである︒すなわち︑史料批判をおこ なうのであるが︑おなじく史料批判といっても︑経済史におけるような︑当時の経済状態に重心をおき︑一ユト
l
ヒ
ア﹄が乙の状態をどれほどただしく表現しえているかということに関心をもつのではなく︑章一心は経済分析の技術の
﹃ ユ
ト
l
ピア﹄の分析力に関心をはらうのである︒じっさいには︑
ほうにあり︑ここから︑ このような視角の差は︑
区別しがたいまでに接近してくるであろう︒しかし︑そのさいにも︑わたくしの視角と重心とは︑経済分析の技術の ほうにあって︑経済史的現実そのものにあるのではない︒理論と現実とのむすびつきを︑あくまで理論のがわからみ てゆくのであるといってよいであろう︒
〆戸、
1
かれがうまれたのは︑一四七入年二月七日土曜日午前二時川
1一 一
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戸ところで︑ケンブリッジのトリニティ学寮の図書館にある記録には二
月七日金曜日とあるが︑乙の日は金曜日ではなくて土曜日であると乙ろから︑モアがうまれたのは一四七七年二月七日金曜日
で あ っ た と も い わ れ ま た 一 四 七 八 年 二 月 六 日 金 曜 日 で あ っ た と も い わ れ る ︒ 同 州 ・
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53・ 匂
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は後者の説をとっている︒かれが没した日付は︑周知のように︑国王にたいする反逆罪のかどで絞首刑(じっさいには罪一等
を獄じて断頭刑)に処せられたので︑はっきりしている︒ときに七月六日であった︒モアの生涯については︑まず︑司王古田
河82
・ ︑
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吋があげられなければならない︒一六二六年にはじめて出版されてよりいろい
ろ な 版 が あ る が ︑ て じ か に は ︑
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の附録として︑または︑前掲回︒
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経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト 1
ピ ア
﹄
( 上
)
七
経 嘗 と 経 済
~
第三九年第二冊
前記ふたつの伝記をふくむいくつかの伝記を紹介し︑かつカウ
wノ キ
1
自身のそア伝をおさめていて有益である︒最近もおおく
の伝記や研究がつぎつぎにあらわれているが︑もっともすぐれているのは︑まえにあげたわ
ZB ZZ
のものであろう︒わが
国でかかれた伝記としては︑一五二ハ年﹃ユト
1ピア﹄第一部執筆までのかぎられた期聞をとりあっかうが︑文献引用におい
て良心的な︑高橋誠一郎﹃重商主義経済学説研究﹄包人
O
九ページ︑および︑難解な一六世紀イギリス需などの文献を自由
lによみ乙なした・詳細で文学的な︑戸川秩骨氏の伝記(研究社英米文学叢書4
・dg
Z釦
序)が印象的である︒ごく最近にな
Zって︑沢田昭夫﹃ト1qス・モア﹄がでた︒乙れは﹁法の人﹂という側面から︑モアの全体像を克明にえがき︑詳細な文献解
2
題を付している︒
乙の書物が︑ラテン語でかかれ︑そして︑ル
1ヴァン︑バリ︑グェニスというように︑イングランド圏外で出版されたという
乙とは注意されなければならない︒そして︑訳も︑イギリス語のものがでるまえに︑ドイ y 語︑イタリア語︑フランス語のも
のがさきにでている乙とは注目されていいであろう︒日本語訳は︑明治一五年(一八八二年)に抄訳がでていらい︑かなり多
数のものがでているが︑昭和九年二九三四年)に岩法文庫からでた本多顕彰訳が︑
M g q y
河OV
百 回
O
ロによるイギリス語訳
にもとづいたものとして︑もっとも精確ですぐれているようにおもわれるが︑現在は絶版となっており︑かわって昭和三二年
(一九五七年)にでた岩波文庫版は︑あまめにも文学的に表現しようとしてイギリス語訳に忠実な献となっていない︒しかし.
ロビンスンのイギリス語訳も︑ラテン原文に対照するとき︑あまり精確であるとはいえない︒したがって︑わが国にはまだ︑
﹃ユト1ピア﹄の訳はないといってもそれほどいいすぎではないであろう︒と乙ろで︑乙の書の表題はながいので︑
z d
豆 ︑ g
.
と略称し︑わが国では﹃ユートピア﹄とよびならわしている︒しかし︑大塚金之助先生は︑イギ日比ス語のただしい発音にした
がって︑はやくから﹃ユト
1ピア﹄とよばれている︒そして最近ば︑このようなよびがたが学界をす配する土うになったod‑
Z
主 ω というイギリス語は︑ラテン語口
Z玄白をそのままとった
Jちのであるが︑この弓テン語ほ︑モアが﹁どとにもない国﹂
ー
︑
という意味をもったギリシャ語︒
U2 MH
凶からつくり︑だした乙とば︒守叶︒河ぬをそのままラテン語にうつしたもの
Z4
である︒ところで︑乙のギリシャ語の発音は﹁ウ 1 トピア﹂(ピに高アグセント)である︒したがって︑原需に忠実な発音と
しては︑﹁ウ
1トピア﹂(ピにアグセント)右なければならず︑イギリス語に忠実な発音としては︑﹁ユト
1ピア﹂(トーに
強アグセント)でなければならない︒わが国で一般におこなわれているユートピアは︑アグセントをべつにして文字だけみれ
ば︑原誼聞にちかいともいえるであろうか︒
たとえば︑ヵウツキ
1の前掲書︑および巴古︿
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杉 本 栄 一 訳 ﹃ ロ ツ ︑ ン ァ
1英国経済学史論﹄七
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大塚金之助︑水田洋︑田村秀夫︑松田寛諸氏の研究など︒
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1は貨幣理論の点につき︑へツグシャ
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独占と経済的因果法則の認識の点につき論じ︑シュムベーターはあたかも両者の説をそのまま要約したかのごとくにみえる
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乙の視角から論ぜられたものとして︑本位田祥男﹁叶何回
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そ通して見たる当時の経済状態﹂ ( ﹃ 経 済 史 研 究
5
﹄におきむ)がある︒
( 6
)
﹁ 当 時 の イ ン ゲ ラ ン ド の 社 会 問 題 に ひ か れ て 経 済 論 に は し っ た 一 と い わ れ る モ ア は
︑
﹁ 諸 国 家 が わ る い 状 態 に あ る
経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト
1ピ ア
﹄
上
七
第三九年第二冊
( 7
)
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λによるかをしめす意図でかいた﹂
経営と 経 済
‑t
四
一ユト!ピア七において︑ イングランドの経済状態をどのように分析して
いるのであろうか︒以下︑モアの所論にそくしてそれをさぐってゆこう c
﹃ ユ
ト
l
ピア﹄は二部にわかれ︑その第二部は﹁ユト
lピア人の風俗・習慣・法律・規律などについて︑かれ︹ラ
( 8
)
ファエル・ヒスロデイ河ω
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のであり︑直接にイングランドの現状を分析したものという乙とはできない︒
( 9
)
れ自身の創造物﹂であり︑イングランドやその他近隣のヨーロッパ諸国の現状に刺戟せられ︑それを根本的に改善し ( 叩 ) ヒューマニスト的理想社会の表現である︒もちろん︑そ
ユ ト
l
ピア島は︑けっきょくは︑
一「
か
たいヒューマニスト的欲求にかられてうまれたものであり︑
の根底には︑現状にたいするきびしい分析が前提されているのであるが︑その分析の直接的表現はないとみていいで
( 日 )
あろう︒そればかりでなく︑乙の物語には︑﹁そのすべてをかれの創造の産物といいきれない珍奇なもの﹂があると
( ロ )
いわれている︒ときあたかも﹁発見の精神がただよっていた﹂時代であって︑かれが第二部を執筆するにさいしては︑
( 日 )
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伝 説
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(日
)
いといわれる︒このように︑自己の観念的創造と新発見のなぞめいた国との結合からうまれた第二部は︑あまりにも
かけはなれたイングラン不の現実においてそのまま実現しようと意図してでなく︑歴史的な現実からいちおう断絶し
(日
)
たものとして理想国家をえがいたのであろう︒した︑がって︑われわれの追求は第一部にむけられていいであろう︒
っヒーター・ジャイルズ司05同のニoF ところで︑第一部は︑トマス・モア吋日552
冨20
J
フファエル・ヒスロ
ディという三人の人物の対話からなりたっている︒この三人は国籍ないしうまれをことにし︑また思想をことにして
いる︒ヒスロディは﹁所有が私的で︑貨幣が全能であると
ζろでは︑国家がたにしく統治され︑繁栄することは︑む
( 同 )
ずかしく︑ほとんど不可能である一と信ずる社会主義者︑ジャイルズほ現在の法制で満足する善良な市民︑そしてモ
アは︑ヒスロディの社会批評をことととく承認するようにみえて︑しかもかならずしもつねに社会主義の可能性をう
(打)けいれない宏量な社会改革家であると規定してもよいであろう︒しかし︑作者であるモア自身の思想は︑乙の三人の
( 凶 )
人物のうち︑いずれによって代表されているのであるか︑という問題になると︑︑きわめてむずかしくなってくる︒乙
の問題をかんがえるばあいに注意しなければならないことは︑モア自身の立場が︑
ζの書のはじめからおわりまで︑
いずれかひとりによって代表されるとかんがえるのはあまりにも形式的劃一的であるということである︒たとえば︑
ヒスロディの仕官というテ
lマをめぐって︑モアとヒスロディとの意見が対立するけれども︑ルネッサンス・ヒュー
マニストにとって重大な・自己の思想をいかにして政治に反映すべきか︑教育と政治とのかんけいはいかにあるべき
か︑というこの問題において︑モアはモアの立場にたつということができるであろう︒そしてヒスロディの立場にた
( 凶 ) ( 初 )
つのはエラスムス
Ug Eo zg
開
EωB g(
一 四 六 九
l一五三六)であるという乙とができるであろう︒エラスムスは︑
国家の法律的政治的側面にたいする理解と興味とをかき︑おもに個人や社会の行動の根底によ乙たわる倫理の側面
( 幻 )
に関心をもっていた︒かれは学究的孤立的であって︑国王の助言者となる乙とによって︑みずからの思想を台なしに
(辺
)
し︑みずからの手をよとすよりは︑むしろ哲学者であるべきである︑という信念をもっていた︒しかしモアは︑哲学
者の使命は政治にあるとかんがえた︒エラスムスとモアとは︑乙の重要な問題についてつねに議論しあったにちがい
なく︑そしてその議論がどのようなものであったかを想像する乙とはむずかしくないであろう︒この点からも︑﹁初
期イギリス・ヒューマニズムのもっとも偉大なる学問的記念碑たるモアの﹃ユト
lピアは︑大部分エラスムスとの
(お
)
友情の結実である﹂という乙とができるであろう︒しかし注意すべきことは︑モアがモアの立場にたつのは︑この間
題にかぎつてのみであるという乙とである︒このことを︑他のあらゆるばあいに拡張適用してはならない︒すなわち︑
経揖分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト1ピア﹄
上
七 五
七 六
モアが三人のうちいずれの立場にたっか︑という乙とは︑形式的にこたえられる問題ではなく︑内容的に個個のばあ
経 営 と 経 済
第三九年第二冊
いについて吟味されなければならない問題なのである︒われわれとしては︑経済分析にかんして︑ モア自身がいずれ
の立場をとったか︑という問題に限定してかんがえてゆけばよい︒問題をこのように限定するときには︑
ζたえはき
わめて明白である︒モアは︑ヒスロディの口をかりて︑イングランドの現状を分析し批判するのである︒
モアのイングランドの現状にたいする分析と政策批判は︑
( M
)
国王にたいしてお乙した謀叛のすぐあと﹂イングランドに四︑五ヶ月滞在した旅行者ラファエル・ヒスロディがとき
の大法官ジョン・モ
1トン﹄︒吉宮
2Z D
の食卓にまねかれた席上の会話として展開される︒乙の年代は注意されな 一四九七年に ﹁ちょうどあの西部のイギリス人たちが
モアが現状を分析し批判したのは︑かれが第一部を執筆した一五一六年という時点にお
いてではなくて︑作中のヒスロディがイングランドに滞在していた時点においてである︒現状とは︑一四九七年をな
かば以上すぎたとろの状況である︒当時のイングランドにおいては︑﹁盗人はたいてい一絞首台
Cとにご
O名ずつ絞
( お )
首刑に処せられていたというこそしてこんなにも苛酷峻厳な﹁処刑をまぬがれるものはほとんどいないのに︑依然と
して盗人がいたるところおびただしくはびこっているのは︑いったいどのような不幸な宿命によってであろうか
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( お ) ( 幻 )
g巳opZ222
・まったくおどろくほかはない︒﹂という法律家の疑問にたいして︑ヒスロディは︑枢機卿モ
lトンのまえで自己の所信を大胆にひれきする︒窃盗にたいする刑罰として絞首刑を課するのは︑法律論として正義の
限界をこえているが︑政治論としてもあまりに残酷無情で国家にとって有害きわまりない︑そしてなお︑窃盗を防止 ければならない︒すなわち︑
するのになんらの役にもたつていない︒窃盗の原因は法律的なものではない︒﹁どんなおそろしい刑罰でも︑生計を
(お
)
いとなむのに充分な仕事をもたない人闘がぬすみをはたらくのをふせぐちからはありません︒﹂原因が法律的でない
以上︑刑罰によって問題を解決することはできないさ原因は経済的なものであり︑したがって経済的に解決しなければ
ならないのである︒ヒスロディはこのことを明確に認識していた︒ ﹁かれらが︑まずほじめに窃盗︑
つ ぎ
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刑 ︑
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いう絶対絶命の窮地においこまれないように︑生活をたててゆくことのできる手段がみつかるような対策を講じてや ( 却 ) るべきである o ﹂こういうヒスロディの説にたいして︑件の法律家は︑経済的対策にてぬかりはない︑貧民 1 盗人はみ ( 却 ) ずからの意志をもって仕事をしないのである︑と論ずる︒このように︑個人倫理の問題にすりかえようとする法律家 ( 剖 ) にたいして︑ヒスロディは﹁だがききたまえ︑そんなに逃げてはいけません︒﹀件ロ
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・﹂とくぎをさし
2四問題を明確に規定する︒ところで︑法律家が︑﹁これ︹手段︺は充分にまえもって準備してあります口工業がありま
す︒農業があります︒み︒すからすすんで非愛国者になろうと欲するのでないかぎり︑これらのなかから︑生活法を世
話することができます︒開
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・﹂といったのは︑近代の用語でいうならば︑非有意的失業者は存在
しない︑失業者はすべて有意的失業者である︑という意味であったのであるが︑ヒスロディは︑有意的失業者のなか
に︑戦争による不具廃残者
rけをふくませ︑そのほかにも失業者がいると指摘する︒したがって︑法律家とヒスロデ
4
との見解のちがいは︑じつに︑非有意的失業の存在をみとめるかいなか︑ということであり︑この点こそ経済的認
(お
)
識の適確さ・経済分析の透徹さを判断すべきキ
l・ポイントをなすのである︒ヒスロディ H モアは︑するどい分析力
をそなえていたといわなければならない︒ヒスロディは︑有意的失業者のなかに︑戦傷者のみをふくめ︑他の失業者
をすべて非有意的失業者とし︑乙の非有意的失業者の存在乙そ盗人発生の真の原因であるとする︒非有意的失業の存
在乙そは経済問題の中核をなすものであり︑ヒスロディは盗人の発生を厳格に経済的に究明しようとするものである
ということができるであろう︒では︑非有意的失業が存在するのはなぜであろうか︒ヒスロディによれば︑とりあえ
ず︑その原因はふたつある︒
経 済
分 析
の 視
角 か
ら み
た ト
マ ス
・ モ
ア ﹃
ユ ト
1
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ア ﹄
上
七
七
経 嘗 と 経 済 第 三 九 年 第 二 冊
(日
)
一 ︑
貴 族
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の 従 僕
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件 目 ︒
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﹁ 他 人 を は た ら か せ て ︑ みずからは雄蜂のようになまけて
くらしながらそれに満足せず︑借地農
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ωロ ロ 件 ︒
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の地代をひきあげる乙とによって︑かれらの生身まで切
りそぐ貴族ロ︒
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がたくさんいます︒乙れがかれらにできる唯一の稼業で︑乙うでもしないと浪費の仕放題ではじ
ぷんたちが乞食になりますから︒かれらは︑じぶんたちがなまけるピけでなく︑じぷんの生活をささえるべき職業を
( お )
なにひとつおぼえようとしない・怠惰でぶらぶらした従僕己号巳
2をぞろぞろひきつれてあるきまわるのです︒﹂
こうみてみると︑乙れら従僕は︑貴族に雇用されているのであるが︑なまけもので︑生産的労働に従事するわけではな
く︑したがって︑経済的意味での就業者とはいえないような種類のものである︒ところが︑ ﹁主人が死んピり︑じぷ
んが病気になったりすると︑たピちにおいだされるのです︒というのは︑ いかに貴族でも病人をかかえておくよりは
なまけものをかかえておくほうがいいでしょうし︑それに死んだひとのあとつぎは︑先代のように︑おおきな屋敷を
( お )
維持したりおおくの従僕をかかえておく乙とができないのがふつうですからよこのようにして︑従僕は失業するの ( 幻 ) であるが︑かれらをふたたびゃとうものは︑ジェントルマン問︒ロ
2︒巴にも農民
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芯ゅにもいない︒だから︑かれ
らは非有意的失業者であるといっていいかもしれないが︑じつは︑農民がかれらを雇用しないのは︑かれらがこつこ
つまじめに農業労働をしてくれるはずがないとしっているからである︒すなわち︑かれらは貴族に雇用されていたと
きから︑まじめな生産的労働者ではなかったのであって︑生産的労働をせず︑ぶらぶらして生活していた点からみれ
ば︑かれらは盗人とあいヘピたることとおからずということができるのである︒そして一旦貴族から解雇されると︑
ほかに雇用される口はないのであるから︑うえ死にするか︑盗人になるか︑ふたつしかない︒しかし︑
・:腰には剣と盾とをさし︑横柄なつらがまえでまちを横行潤歩して︑まるでひとをひとともおもわないおもいあがっ
( 犯 )
た人間どもであった﹂のであるから︑うえ死にするのをまつはずがない c
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盗人のたねがつきる心配はありません︒いやまったく︑盗人は無気力な兵隊であり︑兵隊はもっともだらしのない盗 人である︑とはいえません︑むしろ︑これらの職業はみととに一致するのです︒︒巳ロロ︒
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はなく︑失業以前からすでに盗人に準ずる稼業をやっていたのである︒ここでは︑失業はもはや真の意味の非有意的
失業日盗人発生の経済的原因となる失業を意味しないことがあきらかであろう︒貴族の従僕雇傭自体が盗人発生の原
( ω )
因であり︑もっと率直にいうならば︑盗人を愛護する
FS︒乙とにほかならない︒従僕解雇が盗人発生の原因であ
るというのは︑皮相の見解である︒ヒスロディはかく論ずる︒かくして︑盗人発生の真の原因となる非有意的失業は
つぎのばあいだけとなる︒
二︑牧羊インクロウジュア︒これは︑ヒスロディが︑イングランドに固有な原因というものである︒まず︑牧羊イ
ンクロウジュアの実態はどうであったか︒﹁お国の羊は︑以前はやさしくおとなしい・小食の動物だったそうですが︑
いまではひじように大食になり乱暴になって︑人間たちをまでくいっくしのみこんでいるそうですね︒かれらは︑国
(引)内いたるところの団地も家家も都市も︑みなくいっくし破壊しむきぼりくいます︒﹂﹁耕作地をすこしものこさないで
周囲にかこいをはりめぐらして牧場にし︑家家をとりこぼち︑まちまちをひきれいおし︑たっているものとては教会の
ほかはの乙さない︑その教会も羊の家にしようというのです︒そして森や猟場や開拓地や大庭園をつくるためにすく
なからざる土地をつぶしたにもかかわらず︑なお:::住宅地や教会付属地までも︑みなたたきこわし︑荒地にしてし
(MM)
まいます︒﹂﹁何千エーカーという土地を︑ひとつの板が乙い︑ひとつのいけがきをめぐらしてそのなかにとじこめて
しまうために︑農民たちはじぷんの土地からなげだされ︑さもなければ︑詐欺好計か乱暴な圧迫のためにわきにおし
経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト
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上
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経 蛍 と 経 済
第三九年第二冊
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やられ︑または不法と害をくわえられてすべてをうりはらうまでに疲弊します︒このようにして︑どんな手段ででも︑
あわれなひとびと︑男︑女︑夫︑妻︑父のない子︑寡婦︑赤ン坊をかかえた母︑要するに財産がおおいよりもあたま
かずのおおい家族││農業はおおくの手で仕事を維持するのですーーがでてゆくのです︒
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たいしたねうちはなく︑それに︑
ζんなに突然なげだされては︑ただ同然にうられざるをえないのです︒そして︑そ
うしてえた金がつきるまでさまよいあるいたあとで︑かれらはぬすんで︑当然かならず絞首刑になるか︑乞食にある
きまわるほかになにをするととができますか︒しかし︑乞食にあるけば︑また︑かれらは︑あるきまわってしかも仕
事をしないというので︑浮浪人として獄に投ぜられます︒かれらがどんなに仕事をしたがっても︑だれもかれらに仕
(叫)事をさせようとしないからです︒﹂このように︑牧羊インクロウジュアによって耕地をおわれた農民は︑放浪のはて︑
盗人になるか乞食になるよりほかなくなる︒乞食にあるけば投獄されるというのであるから︑だれしも盗人になるよ
りしかたがない︒こういう原因から盗人がふえるのであるから︑これは経済的に解決すべき問題である︒ヒスロディ
は︑法律家のあたまではとてもみとおせなかった経済的現象をはっきりつかんでいたのである︒
ところで︑このような悲惨芯失業問題をうみだした牧羊インクロウジュアは︑いったい︑だれが・どのような原因
から︑遂行したのであろうか︒ヒスロディはいう︒﹁すなわち︑ヨリやわらかい・かつそのためにヨリ高価な・羊毛
が産出される地方ではどこででも︑貴族とジェントルマン︑そしてのみならず︑二︑三の大修道院長(神聖なひとぴ
( 釘 )
と)までが︑祖先にたいしていままで農地から生じていた年年の地代枚入にいまでは満足せず︑またぶらぶらと豪勢
な生活をして国家に害をあたえるか・そうでないまでもまったく役にたたないことに満足しないで︑
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かいひとびとなのであるにもかかわらず︑じっさいは︑
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貴族︑ジェントルマン︑大修道院長とし︑その原因をかれらのあくなき貧欲にもとめている︒
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なぜ牧羊業はその欲望をみたす方法としてえらばれたのであろうか︒牧羊業は︑農耕にくらべて︑有利な経
営方法であったのであろうが︑それは︑なぜ・いかほど︑有利であったのであろうか︒ヒスロディはこの点について
はっきりした認識をもたなかった︒ただ経営方法について︑
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いぎくいつぶすとなると︑家畜といっしょなら︑ ﹁従来なら︑たがやすのにおおぜいのひと手を要したと
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たったひとりの羊飼いか牧夫でまにあいますよといって
いる︒しかし︑乙れは︑生産費中の賃金支払い額低下の説明としてではなく︑雇傭量減少の説明としてのべているの
である︒もちろん雇傭量減少が賃金支払い額の低下をもたらすであろうことは想像できるけれども︑
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旨をわれわれはたどらねばならないのである︒また羊毛価格の騰貴について︑﹁羊毛の価格もたかくなりましたので︑
従来ならそれに加工し織物にしあげていたひとたちも︑いまでは全然羊毛をかいいれることができません︒:::たと
え羊の数が︑きわめておおく増加しても︑価格はそれにもかかわらずけっしてきがりません︒ひとりが販売するのでは
ありませんから︑たとえ独占とよばれる乙とはできないにしても︑たしかに寡占が存在するからです︒︒ロ︒向田丘
経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト1ピア﹄
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られています︒これらのひとびとは︑うりたいとおもうときよりまえにうる必要にせまられません︒そしてのぞむだ
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けたかくうれるときがくるまえにうりたいとおもいませんよとのべているが︑寡占的牧羊業者の価格維持政策をつい
て 乙 そ お れ ︑ 乙の寡占的利益をもとめて農耕から牧羊業への産業転換が増加するという認識をこれはのべていない︒
すでに引用したところでは︑ ﹁ヨリやわらかい・かつそのためにヨリ高価な・羊毛が産出される地方ではどこでで
も﹂牧羊インクロウジュアがおこなわれるとのべているが︑これはたしかに羊毛価格のたかいところで牧羊業への転
換がおこなわれていることを指摘している︒しかし︑価格がたかいのは質がよいから︑という認識以上に︑なにもな
い︒羊毛の価格には︑もちろん︑羊毛の質差による価格の差があるけれども︑良質羊毛の価格がたかいことと︑
﹁ 羊
毛の価格もたかくなりました﹂というときの価格騰貴とは︑あきらかに別個のはずであり︑なぜ羊毛価格が騰貴した
のかという乙とにたいする説明はあたえられていない︒したがって︑モアの所論からは︑羊毛価格の騰貴が牧羊イン
クロウジュアの原因であるという説明はもとめられないというべきである︒ヒスロディはこのような点について追求
することができなかった︒
以上は︑牧羊インクロウジュアの直接的効果としての失業←盗人発生にかんする説明であったが︑ヒスロディは︑
さらに︑牧羊インクロウジュアの間接的効果としての失業←盗人発生の現象をみのがきなかった︒牧羊インクロウジ
ュアの結果︑食料品価格が騰貴したが︑ ﹁この食料品価格の騰貴が︑なぜ︑だれもかれも︑家族のなかからできるだ
けおおくのものをおいたすかの理由です︒で︑ あなたは気にかい精神をもったひとに︑乞食をするか︑
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おいはぎをはたらくように︑ ということよりたやすくなにを説得なさいますか︑おたずねいたします︒
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のみならず大部分の農夫にも︑そしてけっきよくあらゆる階層のひとびとに︑服
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・﹂そしてかれらが著修と遊惰放蕩におぼれて金に窮したとき︑盗人になるというのである︒
ヒスロディの論旨からすれば︑ これはひとつの附加的説明にすぎないが︑当時のひとびと︑
とくに労働者の道徳的生 活状態を指摘している︒しかし︑労働者のこのような堕落がどのような原因からおこっているのかについては︑ふれ ていない︒謹厳にして信仰あついモアには︑眼にみえた経済現象を分析する能力はあっても︑かくれた経済現象をえ ぐりにし分析する感覚にはまだめぐまれていなかったのである︒
では︑以上のような原因をもった盗賊の発生を絶滅するには︑どのような対策を講ずればよいか
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まず︑貴族の従 僕雇傭自体が盗人の養成にほかならないから︑これらの従僕を飼っておくということをやめるべきである︒戦争のと き︑ほかのだれよりも勇敢で剛毅で大胆で︑全戦斗力の根幹をなすから大切にせよ︑という反対論にたいしては︑常
備軍よりも︑かえって︑ちいさいときから生計のためにしかるべき職業や労働に従事して成長して︑きれい職人や農民から
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編成した軍隊のほうがむしろつよいのであるし︑それよりもなによりも︑﹁平和については︑戦争についてよりもも
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のであって︑従僕の飼養は問題にならないと断言する︒つぎに︑もっとも経併的な原因である牧羊インクロウジュア
経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト1
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