経済分析の視角からみた
ト マ ス
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﹃ ユ ト ー ピ ア
﹄
︵ 下
︶
岩 松 繁 俊
三
さて︑以上︑モアがイングランドの現状をどのように分析したか︑ということを︑できるかぎりその所論にそくし て内在的にたどってきた︒ここでは︑モアの分析を︑当時の経済史的事実とのかんれんにおいてとりあげ︑その分析
の意義を︑われわれの問題とする視角から論ずることとしたい︒
モアは︑盗人発生の原因の第一として︑貴族およびジェントルマンの従僕雇傭ないし解雇をあげているが︑ここで 従僕とは︑﹁腰には剣と盾とをさし︑いやに横柄なつらがまえでまちを横行潤歩して︑まるでひとをひとともおもわ
︵ 6 0
︶ ないおもいあがった人間﹂で︑﹁ひまで柔弱になっているか︑ほとんど女のやるような仕事で軟弱になっている﹂も
のであり︑また︑貴族とは︑﹁他人をはたらかせて︑みずからは雄蜂のようになまけてくらし﹂ ﹁地代をひきあげる
ことによって︑かれら︹借地農︺の生身まで切りそぐ﹂ものである︒すなわち︑貴族とは︑借地農に土地を耕作させ︑
それからあがる地代をもって収入とし︑同時に武装した従僕を飼養する階層である︒つぎに︑ジェントルマンとはな
にか︒モアは︑貴族の従僕がひとたび解雇されるやふたたびかれらをやといいれるジェントルマンも農民もいない︑
経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユトービア﹄ ︵下︶ 一〇五
第三九年第三冊
といい︑ジェントルマンがかれらをやといいれない理由は︑かれらが放浪生活のうちに健康もおとろえ︑衣服もやぷ
(臼 )
れて貧相になるからだ︑とのべている
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これからみると︑貴族とジェントルマンとは︑従僕を私兵としてやとう階層
(臼 )
であるという点で同一であるといえるであろう︒じじっ︑モアは︑あとの部分ーーーその一部はすぐまえに引用した
ジェントルマンはえりすぐった強健な男たちをやとい︑そしてかれらを柔弱にする︑とのべている︒
経堂と 経 済
一
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頑健なひとぴとが(といいますのは︑ジェントルマンはえりすぐったものしか台なしにしないからです)︑いまは︑ひ
まで柔弱になっているか︑ほとんど女のやるような仕事で軟弱になっているのですが︑これらのひとびとが生活して
ゆけるだけのりっぱな職業をあたえられ︑そして男らしい労働でたえず訓練されているならば︑女性的になるのでは
なかろうかという心配はけっしてありません︒邑ゅ︒︒︒
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‑(臼 )
らべてあげている︒かれらは︑後二者とひとしく︑搾出地代によって生活する階層である︒
ところで︑いったい︑ジェントルマン階層は歴史的にどのようにとらえられるべきものなのであろうか︒乙の問題
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にこた担えることは︑じつに容易な乙とではない︒すでにドッブは︑ ﹁われわれは︑当時︹封建制解体︺と一六世紀後
半とのあいだに介在する時期における経済制度をどうよぶべきであろうか︒その時期は︑われわれの年代設定によれ ば︑その生産様式にかんするかぎり︑封建的でもなく︑また資本主義的ともまだいえないものであったようにおもえ
(出)
るごとのべて問題を提出した︒モアの時代は︑経済史的にみれば︑まさにこの問題おおい移行期にくらいしていたの
である︒そしてこの時期におけるジェントルマン乙そ︑われわれが究明しようとするものにほかならない︒
この時期におけるジェントルマンの語義をしらべてみよう︒ジェントルということばは︑もともとノ l
ブ ル
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とおなじ意味をもっていたが︑これらが区別してもちいられはじめたのは一三世紀初葉からであった︒そして
ジェントルマンとはジェントルなうまれのものを意味したのである︒しかしこれにもいくつかのニュアンスをもった
ま ず
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意味がかんがえられる︒
︹I︺
ジェントルなうまれのもの︑またはそれと同等の紋章上の地位をもったもので︑貴族(ノ l ブルマン)より
も地位のひくいもの︑というのが本来の意味であり︑また︑ときには︑厳格に地位を規定するのでなく︑ひろく貴族 もふくめた高貴のひとの意味にもつかわれた︒貴族のしたの階層としてのジェントルマン︑および貴族をふくめたよ
(侃 )
い家柄にうまれたものとしての少ェントルマンの用例を一六世紀はじめまでにもとめてみよう︒
( a )
貴族とジェントルマンとは荷物ひとつはこばない︒
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経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト1
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(印 )
る︒乙のばあいにはそれを規定することばがつくのがふつうである︒若干の例をあげよう︒
( i ) わたくしの領主の修道院長のと乙ろへ役人としてきではでてゆくどのジェントルマンも︑わたくしの友人の家
にきたがっている家事手伝人も同様です︒同件︒
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︑ す な わ ち 騎 士 的 本 能 と 洗 錬 さ れ た 感 情 と を も っ た も の を 意 味 す る
︒ 乙 れ は 今 日 の 紳 士 の 語 源 を な す と お も わ れ る 意 味 で あ る が
︑ こ の よ う な つかいかたがすでに一四世紀後半にあらわれていることは興味ふかい︒若干の例をあげよう︒
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そしてたしかに︑じぷんのりっぱな名前を維持するために最善の努力をはらわない:::かれは︑ジェントルマ﹀ロ
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経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト1ピア﹄ ︹I︺
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第三九年第三冊
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四つがあることがあきらかとなった︒このようなジェントルマンの語義は︑一六世紀中葉以降のそれとはあきらかに
区別されなければならないのである︒従来︑ジェントルマンの語義をかんがえるばあい︑とかく︑一六世紀中葉以降
のそれのみをとりあげ︑それをもって︑一六世紀初葉以前のジェントルマン規定に拡張適用するということがおこな
われてきたようにおもわれる︒語義をかんがえるばあい︑それが歴史とともに変選するものとして把握することが必
要である︒たとえば︑小松芳喬教授がジェントルマンの語義をとかれるばあいには︑一六世紀後半(エリザベス朝)
のそれをきしておられることを注意しなければならない︒教授は︑一五八三年に出版された
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﹁正確な分類をするのに
(花 )
都合のよいものではないこ﹁トマス・スミス卿のことばでいえば︑ジェントルマンとはジェントルマンらしく金をつ
かうひとのことなのである︒せっかちに定義をしようとした理論家たちにも︑この賢明なト l トロギ l 以上の定義に
(日 )
成功したものはほとんどなかったこ﹁しかしこういうあいまいきにもかかわらず︑この社会層をみわけることは困難
ではなかった︒その構成員の富にはひじような差があったし︑その両端は不揃いであったけれども︑しかし中核はは
っきりとまとまっていた︒この中核を構成していたのは︑まず︑ ヨ l マンョ︒
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人たちは︑おおく地主
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おなじ社交界に出入し︑ フランスとはちがってイギリスでは︑ ふつう︑社会的には地主と差別されていなかったので
いろいろな層をふくみながらまとまった平民階級上層部毛匂
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(九 )
権力の急速な増大こそ︑当時のひとびとにつよい印象をあたえたものなのであった︒﹂角山栄氏は︑ジェントルマン ある︒このように︑ の︑富と
を身分上の区別でかんがえるのでなく︑富裕なるヨ!マンをもふくめてかんがえておられる︒﹁一ジエントリ一を構 成した社会層は︑中世以来の中小領主
1 地主(その基幹は︑紋章をもっ家柄のふるい中小貴族︑ないしは軍役に奉仕
(九 )
した騎士層から構成されていた)︑および新興の上層農民︑豪商である︒﹂角山氏のばあいは︑一六世紀中葉以降の
ジェントルマンだけをかんがえられるのではなく︑中世以来のそれを志向されているのであるが︑まえの定義からわ
かるように︑身分上のジエントリとは本質的にかんけいなく︑ヨ l マンをもふくめた富農や大商人をすべてジェント
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経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト
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第三九年第三冊
角山氏の所論においては︑ このような概念規定こそは資本主義の成立過程をちからづよくとらえるのに不可欠のもの
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ここでは論外としてよいであろう︒
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一六世紀初葉までと中葉以降とでジェントルマン概念にどのような相異があるか︑をかんがえてみるの
に︑前者にはジェントルなうまれのものという規定が一貫して根祇によ乙たわっている︒そして︑そのもっともひろ
い意味では︑王族︑世襲貴族をふくめた上層階級一般を意味したが︑せまい意味では︑王族貴族に奉仕する貴族下層
で︑紋章をもつりっぱな家柄のもの︑ト l ニ l の用語でいえば︑﹁ヨ l マンよりはうえで貴族よりはした﹂のもの︑
を意味していた︒
φ松教授の分類では︑その(一)と(二)とがこれらにあたるということができよう︒これに反し︑
(花
)
後者には︑前者のほかに︑﹁紋章の点︑があまりはっきりしていないジェントルマン﹂︑すなわち︑巴
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がふくまれている︒そのなかには︑カントリ・ジェントルマン(スクワイア)︑弁護士︑医師などの知的職業人︑お
よび都市の大商人がふくまれる︒このように︑ジェントルマンの概念が拡張され︑しかもむしろ乙の拡張部分に重点
がおかれるようになったのは︑経済上の階級変動と紋章院の放漫とにもとづき︑ジェントルマン階級におおきな変動
が生じたことによるのである︒一六世紀中葉以降︑富をたくわえたものはだれでもジェントルマンになろうとした︒
その例を若干あげよう︒
( 0 )
かれはうまゃに馬を飼い︑狩猟についてゆ乙うと決心した︒ほかの方法ではジェントルマンになることはでき
ないとかんがえたからである︒図︒
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このような時代には︑もはや従来の厳格な定義は実質的になんらの効用ももたなくなってくるのである︒したがっ
てジェントルマンの語義をかんがえるばあいには︑いずれがただしいかという固定的なかんがえかたは無意義であっ
て︑そのおなじ乙とばのなかに︑ふくまれるものがどのように変動したか︑その内的構成をつきとめなければならな
い︒すなわち範曙と系譜とは区別されなければならないのである︒
かくして︑モアが執筆した
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ないし作中人物ヒスロディがイングランドにわたった
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乙ろのジェントルマンは︑
貴族をふくむばあいもあるが︑厳格には貴族よりひくく康民よりはうえの階層のひとをさすことがあきらかとなっ
た︒厳格にいうといっても︑なお︑そのなかにナイト︑イスクワイアをふくむのかいなかという︑さらにこまかい問
題も生じてくる︒たとえば︑治安判事に任命される資格において︑ジェントルマンは両者からはっきり区別されてい
た︒﹁かれら︹治安判事︺の資格にかんして︑リチャ l ド二世の十三年︑
ω同 ・
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は︑かれらがその土地の有
能なナイト︑イスクワイア︑およびジェントルマンであるべきことをきだめた︒へンリ五世の治世の条令は︑かれら
がその州に居住しているべき乙とを規定した︒へンリ六世の治世の条令は︑かれらが一年に二
0ポンドの価値ある土
(花 )
地をもっているべきことを規定した
1
1 財産規定はジョージ二世の治世に一年一
00
ポンドにひきあげられた
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ントルマンはナイトおよびイスクワイアにつぐ地位をしめていたのであるが︑同時に三者が貴族のしたにある階層と
経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト1
ピア
﹄
(下
)
一 一
一
一一
経 営 と 経 済
第三九年第三冊
一一 四
して同一視されていたことも乙こにしめされている(貴族が治安判事に任ぜられることもあったが︑それは例外的で
あった︒)︒したがって︑かれらをふくめてジェントルマンと称する乙ともひろくおこなわれている︒たとえば︑コ
スミンスキー開・﹀・問︒
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﹃は︑その研究史上劃期をなすといわれた名著=∞
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マナとマナとのあいだに境界をひくことの困難なことを指摘
し て
︑
マナの﹁かきなりあい﹂
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門 戸 者 同
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ニ ロ の状態をのべている︒ マナの領主がそのマナをおおくの領主から保有
しているばあいもあり︑また領主が他のマナにおける自由借地者
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であることもある︒ ﹁ときどき︑き
わめて重要な領主︑すなわち聖職者︒
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とナイトとが︑他のマナでの保有の代償として︑貨幣支払いのみでなく
労働賦役に服さなければならないことがある
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もちろん︑これらのジェントルメンは︑かれらの労働賦役をじぷ
‑(乃 )
んで負担したのではない︑しかし︑それでもなおそれらをはたすことができたのである
o﹂乙乙では︑ジェントルマ
ンは聖職者とナイトとをきしている︒このように︑ジェントルマンは︑貴族と区別されたうえで︑なお広狭二義が区
別され︑ばあいによってそのいずれにももちいられているけれども︑ジェントルマン階層というばあいには︑あきら かにひろい意味につかわれているという乙とができるであろう︒モアは︑ジェントルマン階層という意味でジェント
(別 )
ルマンということばをつかっているという乙とができる︒なお︑聖職者とのかんけいを厳密に論ずるとなれば︑問題
はさらに複雑となってくるけれども︑聖職者自体にも階層の差があり︑またべつの観点から聖職者と俗人とが区別さ
れることがあるということを指摘するにとどめておこう︒
ところで︑ジェントルマンは︑以上であきらかなように︑もっぱら一定の社会的地位・身分をあらわすのであって︑
経済上の階層をしめすものではけっしてないことを注意しなければならない
cしたがって︑それが経済的にどのよう
な階層を構成するのか︑経済的にどのようなちからをもっているのかという問題は︑おのずからべつに検討されなけ
マナの階級構成の究明は︑その重点をおもに農民層において領
(飢)主やその役人の研究にむけられることがすくないようにおもわれる︒そしてそれは︑封建的土地所有の解体・農民層 ればならないむしかし封建制経済の研究史において︑
の両極分解による土地所有階級の変動という問題の重大性にかんがみて︑当然の乙とであるが︑乙こでは乙の問題を
(位)そのままにして︑ジェントルマンの経済的役割が検討されなければならないのである︒
コスミンスキーは︑ジェントルマン階層がひとつのマナの領主であって同時に他のマナの まえに引用したように︑
自由保有者である例をあげている︒かれらは貴族とならんでマナの領主であったけれども︑いうまでもなく貴族領主
(幻 )
のような大領主ではなかった︒二一七九年の国ロロ仏門包問︒
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によれば︑そこに記載されているマナ全体のすくなく
とも六五%が五OOエーカー以下の耕作地しかもたぬ小マナであり︑わずか一三%が一
000エーカー以上の耕作地
をもっ大マナであり︑一OOOないし五OOエーカーの耕作地をもった中マナは二二%をしめている︒ところが︑耕
作地面積についてみると︑小マナは全体の三O%以下︑中マナもほぼ同率であるが︑大マナはおよそ四O%をしめる
(倒)のである︒もちろん小マナのすべてが小領主の手中にあるとはかぎらないけれども︑大マナは大領主の所領の特長を
そなえ︑小マナは小領主のそれをそなえているから︑大小マナの比率をもって︑大小領主の階級的構成比をほぼ推測
できるであろう︒ではジェントルマンは︑大マナにおいてどのような役割をはたしたのであろうか︒文献の制約によ
り︑わたくしは大修道院領に限定してそれを一瞥してみたい︒ へンリ八世が修道院を解散する直前︑聖職者すべてに
初年度献上聖職藤および十分の一税を国王に納入すべき法律をきだめ︑この法律を実施するために︑全聖職鵡の調査
をおこなったときの報告﹁教会財産査定録﹂︿旦
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を慎重に研究したサヴィン
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︑ 修 道 院
(出 )
領とジェントルマンとのかんけいについて︑つぎのようにのべている︒﹁ひとつの例として︑ケントのジョン守町ロ
ならびにクリストフアわ町立
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両ヘイルズ出巳
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氏をあげたい︒まことに︑かれらの地位は単純なものではな
経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト1
ピア
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(下
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一一 五
経 営 と 経 済
第三九年第三冊
一一 六
かった︒かれらはた︑だにケントのジェントルマンであった(﹃教会財産査定録﹄・では
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片岡︒ユとよばれている)ば
かりでなく︑重要な官吏であった︒すなわち︑ジョンは財務裁判所裁判官回
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円︑クリストフア
かれらの重要な役職が修道院の世界での比重をおもからしめたことはう
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たがいないが︑それにもかかわらずかれらの修道院とのかんけいは︑地方的性格をたもって︑ケントにかぎられてい
た︒ジョン・ヘイルズはカンタベリ寺院の代官長︒
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二六ポンド一三シリング四ペンスという
ひじように多額の報酬をうけとっていた︒クリストファはおなじ修道院の代官
ω件 ︒ 巧
ω 邑であったが︑ずっとすくな
く︑わずか二ポンド一三シリング四ペンスをうけとっていた︒しかしかれはケントにある他の修道院とかんけいがあ
った︒カンタベリの聖アウガスティン僧院でおなじ職をしめ︑六ポンド一三シリング四ペンスの報酬をもらい︑また
そ乙でかれはわ
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U R Wの世話をした(四ポンド)︒かれはほかにケントの四つの修道院とひとつのカ
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で代官または
代官長をつとめ︑ 一
0ポンドをもらっていた︒カンタベリの聖アウガスティン僧院は︑ ジョンとクリストファおよび
かれらの相続人にたいして︑
ばならなかった︒調査はそれがどういう種類の地代であるかをしめきない︒しかしカンタベリの聖グレゴリと聖ジェ
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のかれらの土地のことで一
0ポンドという相当な額の地代を支払わなけれ o
ぎームスの女子養老院
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匂定包にかんしていえば︑ ジョン・ヘイルズは領主であった︑そしてその資格で︑
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および吋き旦ロ
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ロのマナにおける修道院保有地の地代をひきあげたのである︒ジョンはまた養老院にか
んけいしたもうひとつの特権をもっていた︒すなわち︑女小修道院長が死亡するたびにかれは一
0シリング一一・五
ペンスの﹁相続税﹂
22
止をとる権利をもっていたのである︒:::﹃教会財産査定録﹄から修道院の役人のなかに
ジェントルマンが何人いたかを判断するととは困難である︒おおくの役人の名前に︑
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仲 間2mg 22 8
という語がつけられている︑しかしこれがつねに真実であったとかんがえてはならない
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﹃査定録﹄がこれらの称号
をつけていない役人のなかにも︑ナイトやジェントルマン
eかいたことはうたがえない︒ 一 般 的 に い っ て ︑
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という名称の使用はこの調査ではひじようにあいまいである︒
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ω ヨュ︒ロのように著名なひとの名前のときでさえ︑ついているときもあればついていないときもある︒
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というようによくしられた名前には︑けっしてあるいはほとん
どついていない︒かりにわれわれがあたえられた全修道院のなかで﹃査定録﹂が自己
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仲 間
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と
いう称号を名前につけている役人全部をかぞえたとしても︑ジェントルマン役人の実数の最小限度がわかるだけであ
る︒以下の試算においてわたくしは代官のみをかぞえた︑そして ι
︒ 自 問
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間
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阿佐芯べの称号を
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もった代官は︑イングランドの各地に散在する州における全体の数の半分であった︒﹂サヴィンは︑かくしてつぎ
に︑修道院と代官の名をあげ︑それにつづいていう︒
当 己
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ともジェントルマンであることをしめす称号がついている︒ ﹁うえの表は一一一人の名前をふくみ︑その半数にはすくなく
民 自
片 岡
2
あるいは
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2の称号を いうまでもなく︑
もっている代官がかならずしも地方の土地所有者ではなく︑あるいはまったく土地所有者ではなかったが︑かれらは すべて︑かれらの習慣と意見ではカントリ・ジェントルマンの階級にぞくしていたし︑おおくのものはじっさいにそ
の近隣に土地をもっていた︒称号をもたない代官でも︑その若干のものはうたがいもなくこの階級にぞくしていた︒
わ亡くしは自己
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あるいは
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ωの称号が会計検査官
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︑収入役︑あるいは荘司
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の名前につけられているのを発見しなかった︒いうまでもなく︑ こ の こ と は ︑ ジェントルマンはけっしてそのような
役をもたなかったということを意味するのではない︑ただあったとしてもきわめてすくなかったということを意味し
ているにすぎない︒:::﹃大旦那﹄
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間
55が代官︑とくに代官長をつとめるときには︑かれはそ
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経済分析の視角からみたトマス・モア﹃ユト1ピア﹄
(下
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一 一
七
経 蛍 と 経 済
一一入第三九年第三冊
務をかれの代理者にゆずりわたすことができれば︑じぶんではけっしてなさなかったものである︒それでも役職につ いていれば︑スクワイアは修道院所領についてよくしるようになり︑修道院の壁のなかでくつろい
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気分になったも
(釘 )
のである︒そしてとれが解散を成功させるのに貢献した原因のひとつであったこ修道院のなかにおけるジェントル マンの役割はこれだけではなかった︒﹁ジェントルマンは修道院の農民のなかにみいだされる︒﹃教会財産査定録一 は農民の名前をほとんどあげていないので︑わたくしは︑わずかの例しかあげることができない︒オックスフォード
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小修道院の農民のうちの五人はジェントルマン︑ 二人はイスクワイアとよばれていた
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の修道院のかなり多数の農民のなか
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の教区長所領
82︒ミを耕作していた問︒阿古
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﹃のおおくの農民のなかには︑ん﹃・
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4司EZというただふたりの ジェントルマンがいた︒いうまでもなく︑乙れは︑農民のなかにこれ以上ジェントルマンがいなかったというととを 意味するのではない︑というのはぽ
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M可釦件同というようなひじように尊敬すべき名前に
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さえつけられていないからである︒﹂サヴィンはさらにジェントルマン・ファ
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マ l の例を若干あげたあと︑
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らヅェントルマン・ファ l マ l
の数はおおくなかったが︑かれらの存在はわれわれにとって相当興味がふかい︒修道 院所領におけるかれらの存在は︑ジエントリが教会所領の経営上の重要な役割に満足せず︑農場でのより活動的な仕 事に参加したという乙とをしめしている︒解散前でさえ︑経済上の主導権は︑修道院の所領において相当ていど修道
(的 )