NII-Electronic Library Service
'
dbveJlt\st・s:s\zzheee
1
eg2e
(1993)
・
pp.125nv143
ma
Zft
e=
fo>
6
6k
lj
?E
H
7XMZft
O
g*
6
pt
ff
E
ss*
Fifty
Years
ofEconomic
Development
ofJapan
'
Masaki
Hachino*
Received
October
25,
1993
Summary
'
'
Japan
celebratesher
fiftyth
anniversary ofJubilee
afterthe
devastation
ofthe
'
second
World
War.
During
the
fifty
years,
shehas
attained a remarkabledegree
ofprosperity.
She
enjoys15.6%
shares ofthe
wholeGNP
of the world, while the sharesof
USA
andEC
are each26.3%
and28.9%,
according to the whitepaper
ofJapan
(1993).
.
'
Japan
is
nodoubt
happy
with thefact
ofprosperity,
but
sheis
not sohappy
with
the
recognition ofporsperity
by
the
people as a whole.For
the
remarkablemajority of
69.2%
people
answer,that
they
don't
fee!
the
richness ofthe
countryin
their
reallives,
also according to the above mentioned white paper,The
following
paper
discusses,
why so manypeople
in
Japan
don't
admitthe
richness,
in
spite of thefact
of thebig
nationalincome.
The
paper
contends;themain reason why
the
rnajority ofJapanese
don't
admit the richne$sis
that
they
arehappy
with the "results",but
not with
the
"process",The
following
paper alsodiscusses,
that
Japanese
ecenomic policyfaces
now thetisMefeulOiorChtahnege{imTeheofinhdeUrSl,rmYoPdOelinCiYzat(i.Soann.gY(OKUini:iiSkaak)u.)
ofJapan
mighthave
been
But
Japan
enters nowthe
new era of "internationalization"(Kokusaika).
The
paper
contends,that
Japanese
economicpolicy
must changefrom
the
industry
policy
to the new order
policy
("Rahmenpolitik"
in
German).
'
(Key
Words:Deregulation,
thefact
ofprosperity,
the recognition ofprosperity,
Industry
policy,Order
policy)'lj
es
xs
Faculty of
General
EducationNII-Electronic
2
鉢 野 正 樹一
序 論
(1
) 豊 か さの事 実と豊 か さの実 感 日本は,
まも なく戦 後50
年 を 迎え る。50
年 をへ て 日本 経 済は,
成 長 し,
繁 栄 し,
そ し て発 展 し た。 『経 済 白 書』 とい え ば,
必 ずと い っ て い い ほ ど思い出され る名 言の一
つ 「もは や 『戦 後」 で はない 」D で有名
な昭和
31
年 (
1956
年)度
r
年次経済報告
」は,戦後
10
年
の 日本経済
を次
の よ うに述べ た。 「戦 後10
年日本 経 済は目 ざま しい復 興 を 遂 げた。
終 戦 直 後のあの荒 廃 し た焦 土の上に立っ て,
生 産規模
や国民
生活
が わ ず か10
年
にして こ こまで 回復
す る と予想
し た ものは恐 ら く一
人 も あ る まい」2〕そ れ か ら さ ら に
40
年
近 く, 「あの荒廃
し た焦
土 」を目撃
し た者な ら誰で も, 同じ焦 土の 上に 林 立 する巨 大な ビ ル 群を眺めっ っ,
現 代の奇 蹟をみ る思い にか られる で あろう。 日本 経 済の繁 栄は,
ま こ と に見 事で あっ た。 そ して , 日本
の国家
も,EC
やア メ リカ と同様
に 大きな, 豊か な,強
い国家
へ と変貌
しつ っ あ る 3) 。 しか し, こ の変貌
の 途 上に おい て,
日本
は豊か さの事実
に と も な わ ない豊か さの実 感 とい う問 題 に直 面して い る。こ の点にっ い て平 成
5
年 版の 白書 は,
総理府
に よ る 「日本
の国民 所得
は世界
の最高水準
に達 して い る が, これに見 合 うだ けの生 活の豊か さ を実 感 して い る か」 4) の問いを とりあ げ, 「実 感 して い る者が22.
4
%,
実 感 して いない者が692
%」5)にな る と述べ て い る 。そ の うえで こ の
白書
は,所得
と生 活実感
との 乖離
の 理由
を三 つ に分 けて説 明してい る。 理 由 の 第一
は,住
宅や社会
資 本の ようなス トッ ク の遅れのた めに,
「日本は,
フ ロー
の 所 得 水 準が 立 派な割に は,
ス トッ クが貧 弱 」6)で ある こ と,
第二 は,
余 暇 時 間,
生 活の ゆ とり な どの フ ロー
の所得
では表
現で き な い側面
の あ ること を とりあ げて, 「い くら所 得が高 くて も,
ゆ とりの な い生 活を して い たの で は,
豊かさは実 感で きな い」7)こと,
第三 に,
日本 は物 価の 」 二昇 率で は 世 界で一
番 安 定 して い る が,
価 格その もの の 「絶対
レベ ル 」8)で は先
進諸
国よ り割 高
であ る こ と か ら生 じ る内 外 価 格 差を とりあげ, 「国 際 的に み て所 得 水 準が高 くて も, そ れが国 際 的に み て高い物 価 に よ っ て 割 り引 か れて し まっ て い る た め,
実 質 的な所 得は そ れ ほ ど高 く な い 」9)こ と と してい るσ白書
が豊か さの事実
と実感
との乖 離をは じめて問 題に した時 期は早
く,1960年代
の高度経済
成 長が終 りに近づ いて い た昭 和44
年 (1969年
)度 白書
に おい て で あ っ た。 平成 5 年度
と同じ く, こ の白書
も総理府
の 「国
民 生活
に関す る世
論 調査」を も とに して,
国 民の 生 活上 の不 満の経 済 面か らの理由が, 「物 価 高や低 収 入 とい う一
般 的な経 済 問 題のほ か に,
住 宅 問 題,
公 共 施 設な ど に対 する不 満 感」1D)にあり,
これ に加えて社会面
か らの 理由が , 「繁
栄の支
えになっ た急 速な 技 術 革 新も一
面で は, 中 高 年 齢 層や若 年 齢 層の聞に,
これ に対 する適 応の問 題か ら不 安 感や不 満 感を高めて い る」11)こ と ,戦後世代
の成長
と高等教育
の普
及 に よ っ て ,新
しい世
代 と古
い世
代
との間
に意識
の断層
が生 じ, 「こ れ は世
代 問の対話
を断絶
さ せ,
両 世 代の 不 満を高めて い る」12) こと, 「情報
化の 進 展に よっ て生ま れ る 「管理 さ れ た社 会 』に対 する いわば拒 絶 反 応が生 じて い る」13) こと,
「や や もす れ ば 組 織が持 ちが ちな非 人 間 性に対 する漠 然と し た不安
が不満
感 と な っ て」 14)いるこ と を あげてい る 。NII-Electronic Library Service 経 済 白書か ら み た戦 後日本経 済の歩み
3
(2
) 豊 か さという 結果 と豊か さへ の 過程昭
和44 年度 白書
がい ち早 く高度経
済 成 長の 末 期にと り あ げ た, 豊か さの事 実 と実 感 との乖 離 にか か わ る問 題は,戦後50年
の 日本
経 済の歩
みを回 顧 し,
新しい世 紀を展 望 する に際
して極
め て重 要な視 点を なす。 そ の理 由 を,
昭 和44
年 度 白 書の理 由の分 析と関 連させ,
白 書と は別
の次
元にの せて展 開 してみ た い。白 書 がと りあ げた
,
豊 かさ
の事 実にと もな わ ない豊 かさの実 感という問
題 は別
の次
元で は, 豊か さ とい う結 果は評 価 して も豊かさへ の過 程につ い て は,
これ を評 価で きない国 民 が多数
い る とい うことであ る。 総理府の 世 論 調 査で,70
% 近い国 民が豊か さを実 感 し ない と答え た とい うこ とは無 視で きな い事実
で ある。白書
のあ げた理由
は, それぞ れ もっ と もと うな づ け る もの ば か りで あ る。 し か し, そ れ ら が充分
に改善
さ れ た と して も,
も し,結
果に い たる過 程が多数
の 国 民の賛 同と共 感 と を え な けれ ば,
豊か さ を実 感で きな い とい う 問 題は根 本 的に は解 決されない 。人 間は
誰
で も,他者
の 意 志に服従
してあ げ た成
果に は満
足し ない。 自己の 自 由な判 断と,
決 意 と,
実 践 とに よっ てあげた成 果に は満 足 する。 国 民の多 数が,
豊か さ の事 実 は認めて も,
豊 か さの実 感 を認 め ない とい うの は, 達成
さ れ た結果
で は な く, そ こ に到達
す る過 程に国 民の 多 数が満 足 して いないか らである。 した が っ て , これ か らは国 民の多 数が,
結 果だ けでな く過 程 に も満 足で きるよう に,
そ れ にふ さ わ しい経済
秩 序 を 探 究 し,経済体制
を形成
して行
くこと が 経 済 政 策の 課題 と な る。国 民の多 数が
,
そ の過 程に も満 足で きる ような経 済 秩 序とは,
価 格以外
の な に もの にも拘束
さ れ ない で,
すべ ての経済活動
が外部不経済
な どの社
会 道徳
上の 問 題以外
は市場
調 整だ けに ま か せ ら れ る市 場 経 済である。 し か も,
価 格が な るべ く寡 占 企 業や独 占企 業などの 権 力 行 使に よ らず,
競 争 市 場に よ っ て決
ま る市場
経済
で あ る。 さ ら に,
政府
の権
力行使
も必要
最少
限 度に制
限さ れ, 政 府 規 模が限 定さ れ た経 済 体 制で ある。確か に
,
国 民の経済
活 動は外部
不経済
に か か わ るこ との他
に も,市場
での売
買, 貸 借, 取 引 関係
に限定
さ れず, 企業 内 部で の 労 働, 政 府との 関 係で は納 税な ど多 方 面にわ た る。 し か し,
い ずれの 経 済 活 動も,
競 争 市 場で の価 格の よ うに総 合 意 志に よ っ て の み規制
さ れ る よ うに各方
面の シ ス テ ム を構 成 して行 くこ とが重 要である。
な ぜ な ら,
寡占
や独 占
や政府
の よ う な特定
意 志の定
め る と ころには,人
間は服従
することに抵
抗
を覚
え る か らで ある。人 間は誰で も
,
そ の相 手が特 定で きるよ うな特 定 意 志に権 力 を もっ て服従
さ せ ら れ るこ と は好
ま ない。 そ れ が政府
の行使
する公 的 権 力で あ っ て も,
企 業の行 使 する私 的 権 力で あっ て も同 じで ある。 し たが っ て,
経 済 活 動が,
権 力 行 使 か ら解 放され国民
に自
由と選 択 を許容
し な が ら,
し か も混 乱に陥
ること な く機能
して行 くよ うな経 済 秩 序を探 究し, 経 済 体 制を形 成 することが,
豊 か さ を 事 実 と して だ けで な く,
実 感 と して も評 価で きる経 済 社 会の ために は必要
であ る。 こ の ため に は,今
まで発
見さ れて き た経済
の自
己調 整の メ カニ ズ ム をで き る だけ 各 方 面に生かす こと が必要
で ある。 この よ う なメ カ= ズム の ない とこ ろ で は,
例えば,
金本位制
の な い今
日の 管 理 通 貨 制で のマ ネー
サ プ ラ イ の一
定の 増 加 率の ように,
総 合 意 志によ るルー
ル を設定
す るこ とが必 要で ある。この よ う な
経済体
制がつ くら れ れ ば, 国 民の多 数は自 己の決 断に 自 己の責 任 をと るよ う に な る。 これに よ っ て,
国 民は結 果 だ けで は な く過 程に も満 足 し,
豊か さを 実 感 す る よ うにな る。127
N工 工一
Eleotronlo Llbrary4
鉢 野 正 樹 (3
) 豊 か さへ の 過 程と規 制 緩 和経済活動
の過程
か ら公的権
力の 行使
であ る許
可, 認 可, 届 出な どの規 制を解 除 すれ ば,
経 済 主 体の 自 由な責 任 ある活 動が展 開 する はずで ある。 そ こで,
豊か さへ の 過程
と規制緩和
の 関係
を次
に検討
す る。昭
和58年 (
1983年)度白書
は,
ア メ リ カ や イギ リス か ら生 じて きた規制緩和
の 動向
につ いて 次の よ うに述べ た。「
欧米
主要
国が一
様
に 『大き な政 府 』を有 して い るの は,
政 府の活 動 領 域を積 極 的に拡 大し,
また様々な形で 民 間 経 済 活 動へ の公 的 介 入 を 強め てきた ことの当 然の 帰結
である。 そ れ は, あ る意味
で は 『福祉国家
』へ の歩
み が も た ら し た一
っ の結 果 と もい え よう。 し か し, 最 近 わが国のみな らず,
主 要 先 進 国において も,
「大 きな政 府 』 を 見 直 し,
『小さな 政府
』 を指 向
する動
き が一
つ の潮流
と なっ て い る。 これ は, い た ず らに政 府 活 動の領 域が拡 大 する ことは, 望 ましい 結 果だけ を もた らす とは限 らず,
む しろ弊 害 すら招 来 し か ねな い との認 識が強まっ て きたため と考
え ら れ る」15)アメ リ カの
規制緩和
は, レー
ガ ン大統領
の1981年
2
月
の 「経済
再生計 画 」に よ る と、 「1
歳 出の伸 びの大 幅な抑 制, 2
多 年 度にわ た る大 規 模な減 税,
3
政 府 規制
の緩和
,4
安定
的な 金融政策
」1fi)の 四本柱
の一
つ で あっ た。 「経済再
生計
画 」は,
政府
の財
政 収 支を歳 入 と歳 出の両 面か ら縮 小 しこれに よ っ て公 共 部 門 を 「小さ な政 府」 に移 行させ ると同 時に,
通貨
の安
定と規制緩和
と に よっ て民 間部
門で の活
力出
現を期
待し た もの であ っ た。 日本の国 民 総 生 産に 占める一
般 政 府 支 出 (中 央 政 府と地 方 政 府と政 府 機 関 )に よ っ て み た政府規模
は次第
に欧米
に近づ きつ つ は あ るもの の,欧米
に 比べ ると ま だ小
さい 。 その 理 由は, 日本
に消防
,国防
,警察等
の 公共財
に関連
して防衛費支 出
が少
な か っ た こと,
年 金 支 給が本 格 化 して いない こ と な どに よる社 会 保 障 費が少な か っ た こ と,
道 路,
鉄 道,
空 港,
港 湾,
情 報 通 信関
連施設
, 上 下水
道,都市
公園等
の準
公共財 (
社会資本)
な どの 固定投 資支 出
が少
な か っ た こ とによ る。以上の こ とを 逆にい えば,
欧米
で は 日本
に比べ て公 共財
,準
公共財
,社会保障
が充実
して い る とい うことで ある。 そ の必 然の結 果が, 政 府 規 模の拡 大で あっ た。 そ の背 後には,1930
年 代 以降世界
恐慌
を 契機
に採
用さ れ た ケ イ ン ズの 完 全雇
用政策
と,福祉政策
と が政策要因
と な っ て い るQ日
本
で は, 規制緩和
は政府規模
が民 間部
門の活
力を奪
い とっ て い るとい う問 題か らで はな く, 二つ の石油危機
の後
で1980
年代
に財政赤字
と国債発行
の急増
が お こり,
1981
年
3
月に臨時行 政
調 査 会が発 足 して 「増 税な き財 政 再 建 」を め ざすこ とにな っ た か らで あ る1の。昭 和
40
年 (1965
年 ) 不 況に際して,
戦 後は じめ て の 赤 字 国 債が租 税収
入が当初
の見積
を下 回っ た た めにその穴
埋めに発行
さ れ た。 そ れ 以降
建
設 国債
を主と す る国債
の発
行 は継続
さ れ た。 昭 和41
年 (1966
年 ) 度 白書 は,
戦 後 は じ めて の国 債の発 行にっ い て,
そ の理 由 を 歳 入 補 填 とい う消 極 的な 目的だけで な く, 社 会 資 本の 充 実, 社 会 保障
の拡大
, 景 気の 安 定, 成 長の実 現な ど 積 極 的な目 的の た めで ある と説 明 し た18) 。 その 後10
年 した1975
年に第一
次 石 油 危 機に よ るイ ン フ レー
シ ョ ンが生 じ,
こ れに よ る歳 入 補 填の た めに赤 字 国 債が再び発 行さ れ た。 公 債 依 存度
は そ れ 以降年
ご とに上 昇 し,
1980
年 代に入っ て財 政 再 建の た めの対 応が検 討される よ うにな っ た。 こ の よ うに,
日本で の規 制 緩 和は,
政 府NII-Electronic Library Service 経済 白書か ら み た戦 後日本 経 済の歩み
5
規 模が拡 大 し た後の もの で な く, そ の 途上 で採 用さ れ た もの だ っ た。昭
和
56
年 (
1981
年)度
,昭
和58
年 (1983
年 ) 度,
平 成 元 年 (1989
年 ) 度 白書 は, そ れ ぞ れ政 府 規 制 を う ける産 業が産 業 全 体の40
%にな るこ と,強
い規制
の もの が20
% ある こ と, 公 的 規制
の件数
も1
万件
以 上にな ると述べ て い る19) 。昭和56
年度
白書
は規制緩 和
が必要
で あ る こと を,次
の よ うに述べ た。「規
制制度
が導
入さ れ たの に は, 理由があっ て の こ とで あるが,
経 済 環 境の変 化 等 によ っ て は許 認 可 制 度 等によ る新 規 参 入 抑 制,
限 界 的 企 業の温 存,
価格
の下方硬直性,
生 産活動
の非効
率 化,
資 源 配分
の 歪み等
を も た らす可能
性は否 定で きず,
競 争 性 を 維 持・
向 上さ せて いくため に, これ らを 見 直 して い くことも重 要であ ろ う」 m)以上の よ うに,
白書
が規 制 緩 和にっ いて もっ て いる関 心は,
経 済 活 動の 効 率とい うこ とであっ て,
経 済 活 動の 自 由とい うことで は ない。 しか し,規制緩和
の目
的は単に効 率の達 成とい うこ と だ け に と ど ま らず,自由
の実
現で ある こと が望ま しい 。 な ぜ な ら, 豊か さ とい う結果
だけで な く豊
か さへ の過程
を重視す
ること が豊 かさを 実 感 するための 条 件 だ と する立 場か ら は,
規 制緩和
は効 率の た め だ けで な く,
自 由の た めで もあ る か ら だ。 二7
年
を一
期
と時代
区分
し た戦 後
日本 経 済
の歩 み
敗 戦によ っ て 日本は
,
250
万 人 以上 の人 命を失い21), 総面積
の44
% に当
た る朝鮮
,台湾
,満
州な どの植
民 地を失
い za), な によ りも国 家の生 命である主 権を失 っ た。 人 命は とりも どす すべ は な く,
植 民 地は とり もどすべ きもの で な く, 主権
だ け は戦後 7 年
をへ て1952年
に 日本にか え さ れ 日本
は再
び独 立国家
と な っ た。 日本が いか な る国家
に も隷従
し ない ,独
立国家
で あ るこ と を疑
う者
はい ない 。 し か し,独
立国
家の 要 件と して,
こ れこそ 日本の ものだ といっ て世 界に明 示で きる固 有の経 済 秩 序や経 済 体 制を日本が もっ か ど う かにあ る と す る と,果
して, 日本はこ の よ う な意 味で独 立 国 家であると断 言で きる だ ろうか。敢えて
,
か か る問いを 立 て ることに よっ て独
立国家
日本
の 現 実 を問
い, その 経 済 体 制の真 価 を戦後
50
年
に わ た る歩
みの な か で糾 して みた い。古 代イス ラエ ル の
律法
には,50
年
に一
度
巡っ て くる ヨ ベ ル の年と い うもの が ある es) 。 こ の年 に は,
な にか の理 由で 身を売 り,
土 地を売
り,家
屋 を売 っ た者
が,相
当の 代 価さ え払えば 人 手 に渡 っ て い た身や土 地や家 屋 を 買い も ど すこ と がで きた。 買い とっ た者は,
ヨ ベ ル の年に な る と売 っ た者に買い もど しの権利
を こば む こ と がで き な か っ た。 そ こ で , ヨ ベ ル の年
は, なにか を失
っ た者にとっ て は,
そ れ を 再 び 回 復で きる解 放 と喜 びの年で あ っ た。日本 もま た古 代イス ラエ ル の律
法
に即 して い え ば,終戦
以来
は じめ て の ヨ ベ ル の年
を 迎え よ うと して い る。 確かに,
日本が戦 争に よっ て失 っ た もの は, 国 家の主権を は じ め地位
も名誉
も 回 復 すべ き もの は すべ て回復
し た 。 しか し,今
一
度
日本は,
自 己 固 有の経 済 秩 序 と経 済 体 制と を 回 復 する とい う意 味で ヨ ベ ル の年を記 念 して もよい ので は ない だ ろうか。 回 復 とい っ て も, そ れ は戦前
の 古い 日本
に帰る と い うことで はない。50
年をへ た今日の 日本に ふ さ わ しい新しい経済秩序
と経済体制
とを,自
己固有
の もの として確 立 するこ とで ある。ヨ ベ ル の年は
, 7
年に一
度 巡 っ て くる安 息 年を7
回数
え た49
年 目の次
の年
と定
ま っ てい た。 これ に準 じて,
戦 後日本 経 済 を7
年を一
期 と区 分 して,
そ の50
年の 歩み を回 顧 する こ とに しよ129
6
鉢 野 正 樹 う。(
1
)
第
一
期 荒廃
か らの復 興 期一 1945
年一
51
年一
第
一
期 「荒 廃か らの復 興 期 」に は,
「食料
メー
デー
」(
米
よ こせ運 動 )が あ り,
「3
月 危 機」 があ り,
「経 済 緊 急対策
」が あ り, 「経 済 安 定 九 原 則 」が あり,
朝 鮮 動 乱が あ り,動
乱ブー
ム 後 の調 整が あっ た。波乱
に み ち た こ の7
年を, 白書
に従
い回顧
してみ よ う 。1945
年 :終 戦 直 後の 日本 経 済 を, それ か ら7
年後
の 昭和
27
年 (
1952
年 ) 度r
年次経 済報告
』 は次
の よ う に述べ た。「終 戦 直 後の 日本 経 済は ほ とんど
麻痺状
態に陥
っ て い た。44
%にお よ ぶ領 土の 喪 失,
終戦
後2
年 間で600
余 万 人にも達 する人口 の増
加 (その大 半は海 外よ りの復 員 者, 引揚者) 非軍 事 的
な ものだ けで も4
兆2
千 億 円 (昭 和23
年 末 公定価格)
を算
す る戦
争 被 害,
そ の他 住 宅,
工場,
輸 送 設 備,
河 川,
道路
,山林
な どの損 耗 荒 廃, 貿 易の途 絶 等々,
直 接 間 接に敗 戦に伴
う重 圧が 日本経済
の 上に の し か か っ て いた」an)1946
年 :終 戦か ら2
年間 (
1945
,46年)
, 日本 経 済を襲っ た最 大の 問 題は食 料 危機
と イ ン フ レー
シ ョ ンであっ た。 生 産と流
通 との 両 面か ら生 じ た食 料 問 題は ,1946年
には社
会 不 安を生じ る まで に発
展 し た25) 。1947
年 : こ の年の7
月
に, 日本
で最初
の 白書で あ る 『経 済 實 相 報 告 書 』が発 刊さ れ た 。1
月
に は, 「傾 斜 生 産 方 式 」が は じまっ て い た。 同 時に 「復 興 金 融 金庫
」が設
立 さ れて,
「傾 斜 生 産 方 式 」を資 金の面で補 完 し た。「
傾斜
生産方
式 」 は, 輸 入 重 油 を 鉄 鋼の増 産にあて, これを炭
鉱の鋼材
と して 傾 斜 配 給しこ こか ら生じ た石 炭の増 産を,
鋼 材 と石炭
の さ ら な る増
産に利 用 する こ とに よ っ て,
石 炭 と鉄 鋼 の 生 産を相 互 循 環 的に上 昇 させ る狙い で実施
されたas) 。戦後
最初
の白書
は,
「国の財 政 も,
重 要 企 業 も,
国 民の家計
も, い ず れ も赤
字 」2D の名 言で有 名で ある が,
白 書 が 「赤 字」 とい う表
現で国民
に訴
え たのは,
赤 字の継 続に よ っ て 国 民 経 済が縮小再
生 産に陥
ることで あ っ た。 縮 小 再 生 産 を 拡 大 再 生 産へ と転
じ る に は,国
土の荒廃
と,
企 業 設 備の老 朽 化 と,
国民体位
の低下
と を防
止 する必 要が あ る と して,
白書は次の よ うに論 じた。
「
再
生 産の規模
が だ ん だ ん小さ くな りっ っ あるとい うのは,
具 体 的に例示
す れ ば, ど うい う こと を意 味 する の で あろ う か。 元来
, 生 産 は土 地 と資本
設 備 (機 械 と か 工場の建 物 と か)と人 力を もっ て な さ れ, これ等の 生 産 要 素の 各々 が,
っ づ けて生 産に寄 与 し う る た め に は, た え ず消耗
を お ぎ ない,
故 障を な お して い か な け ればな らない」za)1948
年 :1947
年6
月に 実 施された 「経済緊
急対策
」にっ い ての,
翌 昭 和23年 (1948年 )度
「経済情勢報告書
』によ る評
価は,
次のよ うであっ た。「これ らの諸 施 策 は
,
実 行の面におい て種々不満
の点
も あ っ た け れ ど も,
その 後の経 済の推 移か ら み れば,
生 産の 回復
と イン フ レー
シ ョ ンの解 決の基 礎を作り,
国 民 生 活 を 徐々 にで は あ る が改 善の 方 向に向 けてゆ く端 緒 をひら くことになっ たと認め ら れ る」ve)1949
年 : こ の年の2
月に,
ア メ リカ公使
ドッ ジが来日 して, 「経 済 安 定 九 原 則 」 を 経 済 安 定 計 画に よっ て実行
し た。1949
年
は,戦後50
年の 日本 経 済の運 営が政府
主導
型 と なる か市場
主導 型と な るか を定める うえで分 岐 点 とな る年であっ た。昭 和
25
年 (1950
年 ) 度 『経済
現 況報告
』は1949
年の 日本 経 済につ いて,
次の ように 述べ て いNII-Electronic Library Service 経 済 白 書から み た戦後日本 経済の歩み
7
る。「昭
和
24
年
は終戦
後の日本 経 済にとっ て まさ に質
的転換
の年
で あ っ た。 経 済 九 原 則に基 く安 定計画
の推
進に よっ て 日本経済
は あ わ た だ しい変 貌 をとげ た。 も とよ りこ の計
画の究極
の 目標 は政 治 的 独 立の 前 提として の経 済 的 自立にあること はい う まで も ないが, その構 想は,
まず こ れ を達成
する手段
と して イ ン フ レー
シ ョ ン の 収 束と自 由 経 済の復 位 をは か り,経済
現象
に対
す る価格機能本来
の調整
作 用を復 活せ し め, これに よ っ て もた ら さ れ た経
済 正 常 化の 成 果 を して 将 来の経 済 発 展 と 自立 達 成の 基 礎た ら しめん とする とこ ろ にあ っ た」e°)経済安定計画
は,1949
年度
の新 予 算か ら実 施さ れ た。 ドッ ジの経 済 安 定計画
の 重点
は, イ ン フ レー
シ ョ ン の収 束と自 由 経 済へ の復帰
で あっ た 31〕 。 こ の た めの具 体 的 措 置と して,
均 衡 財 政 の確 立 と単一
レー
トの設 定と が行
わ れ た32) 。 均 衡 財 政にっ い て は,
一
般 会 計だ け で な く, 特 別
会計
, 政 府 機 関 収 支まで含む総 合 財 政の均 衡であっ た SS) 。 こ の ため に,政府投
資は削 減 さ れ, 補 給 金は漸
減さ れ,復
金イ ン フ レ の 原 因であ っ た復 興 金 融 金 庫の 貸 出は停 止されたM)。単
一
レー
トは,複数
レー
ト の段
階をへ ない で一
挙に単一
レー
トへ の移行
が さ れ た es) 。1949
年 時 点で,
円と ドル との 交 換 比 率 を 輸 入 品 と輸 出品
の個
々 の品 目
で比較
する と,一
般に食料
や 原 料の多
い輸
入品
では円高
に なっ た。 例え1
弍 輸 入 品の小 麦で比 較 すると1
ドル は165
円に換 算
さ れ たas)。 これに対して,
輸 出 品で は,
例えば繊 維 製 品の綿 糸で は1
ドル は250
円と な っ て ド ル は高 く,
円は安 くな っ たen。同
じ輸 出
品で も,機械
類の 自動 車 で は1
ド ル は430
円 とな っ て さ らに円 安に換 算さ れ た99)。1949
年に定め られた1
ドル360
円の 固 定 レー
ト は,輸
入 品の交
換 比 率でな く,
輸 出 品の 交 換 比 率に近い交 換レー
トで あ り, 日本
か らア メ リカへ の輸 出の便 宜が 配慮さ れて い た。戦後
イ ン フ レ を解
決 する た めに発 表された 日本 側か らの 「経済 緊
急対策
」とア メ リカ側か ら の 「経 済 安 定 九 原 則 」と を比 較 して み る と,
その 表面
の表
現だ け と れ ば両 者 と もに統 制に よ る物価
の安定
を意図
して い る よ うに う け と れ る。 し か し,
両 者は そ の運 用の 段 階で , 日本 側
の 「経 済 緊 急 対 策 」 は生 産サ イ ドか ら,
ア メ リカ側の 「経 済 安 定 九 原 則」は貨 幣
サ イ ドか らの 物 価 安 定の 政策
と して鮮
明な相
違を み せ た。 ドッ ジ に よ る経 済 安 定 計 画を解 説 し た昭 和27
年 (1952
年 ) 度 白書の 次の 言 葉は,
イ ン フ レ へ の生 産サイ ドか らの対
応と貨幣
サ イ ドか らの対 応 の相 違を生 き生 きと描 きだ して い る。 こ れ は同時
に,経済
運営
に関 して の 政 府 主 導 型か市 場 主 導 型かの相 違 をもふ く んで い た。「そ の構 想の重 点は イ ン フ レ
ー
シ ョ ン の収 束 と 自 由 経 済の 復帰
にあ る。 イ ン フ レ によ る生 産 増強
がすで に限度
に到
達 し,経済秩序
の 混乱
の み を助長
して い る とい う基 礎 認 識に基 き,
生 産復
興よ りまず(
通貨
筆 者 註 ) 安 定を主 眼と し
,
安 定 した (通 貨一
筆者
註)
基 盤の 上 に自
力 復 興の種 子 を育てる とい う ね らいに おいて, その以前か ら 日本側
で独 自に行 われて い た 「中間安定論
』が イン フ レを徐
々に抑
え,安定
恐 慌の発 生を避 けな がら,
同 時に生 産 復 興 をは か ろ うとする の と異っ て い た」se)1950年
:1949年
の経済安定計
画に よっ てイ ン フ レー
シ ョ ン は完 全に収 束 し,
物 価 統 制 も不 要 にな っ た。 し か し,
世 界 市 場が買い手 市 場と な り,
イギ リス の ポ ン ドの切下
げ も あっ て輸 出が 困 難にな ると,
日本で は国 内 市 場の 金 融 引 締めに よ る需 要の 縮 小 を 輸出
によっ て カバー
する こ と がで き な く な っ た 4°) 。 こ の た め滞貨
が増大
し, 生 産活 動が停 滞し,
失 業 者 も増 加 した。 こ の 不 況を打
開し たの は,3
月 頃か ら は じ ま っ た国 際 情 勢の緊 張で あっ た。 これによ っ て,戦略物
131
N工 工一
Eleotronlo Llbrary8 鉢 野 正 樹 資の 輸 出が伸びは じ め た。 そ して,
6
月に朝 鮮 動 乱が勃 発 する と経済
の様相
は一
変
した 。1951
年
:2 月頃
よ り,
動 乱景気
に も反 動 傾 向が あら わ れ,
日本 経 済は調 整 期に は い っ た。 欧米
各 国にお ける軍拡
の ひ きの ばし,
基礎物資 (
錫,
ゴム )の生 産の増 大,
世 界 各 国の 輸 入 制 限 措 置に よ る海 外 需 要の後 退か ら投 資 需 要 も停 滞 し た4D。(
2
)第二期
重 化 学工
業
化へ の転換期
一
1952
年
一
58
年
一
第
二期
は,動
乱ブー
ム 後の調 整か らの景 気の回 復に は じ ま り,
神 武 景 気といわ れた1955
年か ら56
年にわた る2
年 余 りの 景 気 拡 大をへ て ,57
年の 戦 後で最 も長い とい わ れ たなべ底
景 気と そ れか らの 回 復で おわ っ た。こ の
期間
に は,1953
年一
54
年にか けての 貿 易 収 支の 悪 化 からの 景 気 後 退があり,
神 武 景 気を 支え た数 量 景 気と投 資 景 気と が あ り,
1957
年の同じく国 際 収 支の赤 字か らの景 気 後 退が あ っ た。昭
和27
年 (1952
年 ) 度 白書は,
日本の重 化 学工業 化 を 次の よ うに述べ た。
白書が,
日本 経 済 の方 向を いち早 く予 測 し た す ぐれ た一
例で あっ た。 「今 後 日本 経 済が発 展 する上に,
貿 易の 回 復が重 要な一
環で ある ことは い う まで もないが, その場合後
に も指摘
する よ う なア ジヤ諸国
の軽
工業化
とい う事情
か ら,繊維
を中
心に して輸 出 を伸ば しうる余 地は少ない の で, 結 局 貿 易 構 成の 重 点を重 化 学工業 品へ 移 行せ ざるを え ない で あ ろ う 」4e)重
化学
工業化
へ と進 展 し た こ の期
間の 日本経済
を,各年度
の 白 書によっ て跡
づ けてみ よ う。1952
年 : こ の年は,
動 乱ブー
ム後の調 整か らの回 復の ときで あ っ た。 景 気 回 復を リー
ドし た の は,個
人 消 費であっ た。 国 民 総 支 出に しめる個 人 消 費の割 合は,
前 年の58
% か ら62
%へ と増 加 し た43)。1953
年 :個 人 消 費の増 加に よっ て回 復 し た景 気は,
国 内 経 済 水 準 (個 人 消費
と民
間設 備 投 資 ) の 上 昇によ る貿易水準 (
貿易収支)
の 悪 化によ っ て再び後
退す るこ とにな っ た“ 〕。 国内
の供 給
を 上 ま わ る国 内の需 要が輸 入 超 過を生じ,
貿 易 収 支を悪 化さ せ た。 国 内の供 給を 上 ま わ る国 内 の 需 要は,
貯 蓄 を 上ま わ る投 資の結 果で あっ た。
貯 蓄 を 上ま わ る投 資が生じ たの は,
銀 行の 信 用創造
の結
果で あ っ た。1954
年 :1953
年の国 際 収 支の危 機に は,
緊 縮 政 策に よ る解 決がはか ら れ た。 緊 縮 政 策は,
金融引締
め と財政投資
の削
減に よっ て行
わ れ た。 日銀信
用の減少
に よっ て物価
は下落
して,国際
価 格に接 近 し た。 デ フ レ圧 力が輸 出を増 加さ せ, 国 際 収 支は改 善 して景 気は底 入れ し た。1955
年
:1954
年11
月 を 底に,
景気
は 回復
し た。1955
年
は, 神 武 景 気の年
に あ た る。世
界の 工 業ブー
ム に助 けら れて, 輸 出, 工業 生 産, 国 民 所 得 ともに著しく増 加 し た。 物 価 騰 貴な き経 済 拡 大が,
こ の年に は実 現 した。 これ を価 格 景 気に対 して,
数 量 景 気とい う。 三 種の神 器とよば れた 白黒テ レ ビ,
電 気 洗 濯 機,
電 気 冷 蔵 庫な ど耐 久 消 費 財の ブー
ム が は じ まっ たの は,
こ の 頃 の ことで あっ た。 この年
にっ い て,
昭 和31
年 (1956
年)度
白書
は 「戦
後 経 済 最 良の年 」と表 現 した 45) 。1956
年
:神武
以来
の好
況 は, この年
にも継続
し た。 鉱工業
生 産と国 民所得
の成長率
は,世界
一
と な っ た 。 景 気 拡 大は前 年の 数 量 景 気に対して,
投 資 景 気 と呼ば れ た。 投 資の年 間 増 加 率は,
60
% に もなっ た 46) 。1957年
1 こ の年
の6
月
を山
に,2
年余
りつ づ い た神武景気
は反転
し た。2
年
っ ついた投資
ブー
NII-Electronic Library Service 経 済 白書か ら み た戦 後 日本 経 済の歩み
9
ム に , 反動
が き た。 し か し, 旺盛な投 資 意 欲は日本 経 済の重 化 学工業 化 をお し進めた。 これ は, 限 界 資 本 係 数 (売 上 高の増 加 率に対 する資 本の増 加 率の 比)
が高
く なっ たこと か ら も明ら かで あ る。 た だ し, 旺盛
な投 資
意 欲は日本におい て は, 物 価 騰 貴がおこ る前に国 際 収 支 を 悪 化させ た4De1958
年 ;1957
年の 半 ば を 山に,
景 気は後 退 した。
景 気 後 退の 期間
こそ戦後
最長
であ っ た が,
不況感の乏 しい後
退であ っ た。 この た あこの 時期
は, なべ 底 景 気と呼ば れて い る。昭 和
26
年 度 白書 が 予 測 した 日本 経 済の重 化 学工業化
は,昭和
34
年度 白書
に おい て も確
認さ れ て い る。白書
は,次
の よ うに述べ て い る。「第二 次 産 業 内 部の構 造 近 代 化はい っ そ う はげしく
,
第30
図(
略
)に示
すご と く重化 学
工業
化の 急テン ポ な進 展が み ら れ た。 繊 維, 紙パ ル プ, 窯 業な どの 比 重が下が り, 金 属 機 械,
化 学工 業の割 合が高
ま っ て い る。 こ の た め製 造工業の付 加 価 値 構 成にお ける重 化学
工業
の 比 重は 戦 後 も30
年に至る まで,
なが らく5
割で 推 移 し た もの が32
年に は6
割に な っ た。 さ らに各業種
の 中で も繊 維工業
で は,綿
, 人 絹か ら合 成 繊 維へ,
化 学工業で は肥 料か ら石 油 化 学と有 機 合 成 化 学へ,
機 械工業で は船 舶や繊 維 機 械か ら 自動 車や耐 久 消 費 財へ と発 展 の重 点が移 りっ っ あ る」va)(
3
)第三期
技 術 革 新 と 消 費 革 命と に よ る成 長
期
一
1959
年
一
65
年
一
第三期は, なべ 底 景 気 後の岩 戸 景 気で は じ ま り, 小さ な調 整 期とオ リン ピ ッ ク景 気 をへ て,
40
年 不 況 (1965
年 )で おわる。こ の
期 間
に は,所
得 倍 増 計 画があり,
為 替 と 貿 易の自
由化
が あ り,IMF
(
国際
通貨
基 金)
の 貿 易 収 支の悪 化を 理 由に貿 易 制 限がで き ない8
条 国へ の移 行が あり,
OECD
(経 済 協 力 機 構 ) へ の加 盟があり,
そ して資 本の 自 由 化があっ た。1960
年 代は,
日本 経 済の封 鎖体制
か ら開
放体
制へ の移 行の は じ まりで も あ っ た。 第三期が,
重 化 学工業の なかの と り わ け機 械工業 (自 動 車 と電 子工業 )の発 展の と き だ とす る予 測を,第
二期
の 重化学
工業化
の と き と同様
に,白書
は すで に第
三期
の前年 (
1958
年)
にだ して い る。 「自動 車工業な ど高 度の 組 立工 業が発 展 するこ と は,
工作 機 械や鋳 鍛 造 品,
ダ イカ ス ト製 品,
ネジな どの機械共
通部品
な ど基礎部 門
の市場拡大
の た め に大
き な効果
が あ る。 これ ら部
門の立
ちお くれは これまで わが国 機 械工業の技 術 発 展を制 約 して きた要 因で ある。 た とえ ば 自動 車工業
が発
展す れ ば, こ れ ら基礎部門
が多機種少
量 生 産体制
か ら量 産専 門
化
体制
へ移行
す ること も 可 能と なり,
機 械工業全体と して よ り大き な技 術 発 展を期 待 しうるで あろ う」49)この
期
間が 「技術革新
と消費
革命
に よ る成長期
」 であっ た こ と は,景気後
退の あっ た1962
年
度と65
年 度を別にする と, 生 産で は実 質 経 済 成 長 率が低い 年 度で9
.
7
%, 高い 年 度で は12
.
0
% に,消費
で は最終消費支
出 (実 質 )の前 年 比が低い年 度で も9.
5
%, 高
い年度
で は10,
4
% に,投資
で は企業設備 (
実質)
の前 年
比が低
い年度
で12
.
4
%,高
い年度
で は39
.
6
% に も な っ て い た こ とに よ っ て明 らかであ るm)。1960
年 代 は,
世 界 的に も 「黄 金の60
年 代 」 とよば れた。 世 界 経 済は, 1960
年 代に復 興 投 資,
技術革新投資
を う けっ い で自
由貿易体制
によ る繁栄
を 達成
し たQ こ の よ う な世界経済
を背景
に した日本 経 済の発 展を, 各 年 度の 白 書によっ てた どっ てみ よう。133
N工 工一
Eleotronlo Llbrary10
鉢 野 正 樹1959
年 :こ の年は,
岩 戸 景 気の2
年 目で あっ た。 日本 経 済は国 際 経 済の発 展にめ ぐま れ,
な べ 底 景気
を 脱 して急 速な拡 大 をは じめた。経済成長
に とっ て の3
つ の難 関
,物価
の安定
,国際
収 支の均 衡, 雇 用の改 善を同 時に乗 りこえ た s1) 。1960
年 :こ の年の特 徴は,
「息の長い繁 栄の達 成」であっ た se) 。 岩 戸 景 気 は3
年 目 をむ か え た。 これ まで, 日本 経 済 は景 気 拡 大が2
年もつ づ くと, 景 気 は過 熱 し国 際 収 支 とそれ にともな う外 貨 (輸 入 資金)が危 機に見 舞わ れ,
金 融 引 締め が発 動さ れ た。岩
戸 景気
で は,危機
の到来
は3
年 して も まだ こ なかっ た。
政 府の 「所得倍
増計画
」 は, 企業
に一
段
と積極
的 な設
備投資
意欲
を も た せ た。1961
年 :3
年っ づ きの高 成 長の終 着 点 として,
国 際 収 支の悪 化が生 じ た。 景 気の山か ら谷へ の反 転が,国際収支
の 悪化
で あ る とい うパ ター
ン は岩
戸景気
のお わりに も くりか え さ れ た。1962
年 :こ の年は, 景 気の谷を む か え た。 し か し, 景 気 調 整の間に国 際 収 支の早 期 改 善が達 成さ れ た。 動 乱 ブー
ム後 (
1954
年)
や神武景気後 (
1957
年)
の景気
調 整に くらべ る と生産
, 物 価, 雇 用と もに減 退は わずかで あ っ た。1963
年 :こ の年は,
景 気 回 復の年で あ っ た。 し か し, 上 昇期
間は短か か っ た。 それ は,神武
景気 (
1954
年)
や岩
戸景気 (
1958
年)
が は じ まっ た回復期
で は,輸 出,
生産,
輸 入の順 序で増 加 率が高まっ た が,
こ の年の回 復は輸 入,
生 産,
輸 出の 順 序で あっ た た め国 際 収 支の バ ラ ン ス は輸 入 超 過が お こ っ てたちまちくずれ た。 昭和
39
年度 白書
は, こ の 理由
の一
っ と して,高度
成 長の 結 果, 「日本 経 済は, 労 働 力 過 剰 経 済か ら不 足 経 済へ の転 換 期にある」た め と,
「伝 統 的な 労 働 集 約 商 品の輸 出の不 振が,
輸 出の成 長 率 を 鈍 らせ」 た こ と に よ る と分析
し たSS) 。1964年
: こ の年
に は, オ リン ピ ッ ク景 気と よ ば れ た景 気 拡 大が あっ た。63
年の 国 際 収 支の 改善
は,
長期
と 短期
との 資 本 収 支の黒 字に よ るもの で あっ た。 し か し,
こ の年に は輸出
が増 加 し て 経 常 収 支の 黒 字に よ る国 際 収 支の 改 善があっ た。
ただし,
企 業 経 営の 悪化
,中小
企業
の倒
産,株価
の 不振
に よ り回復
感の ない景気拡
大であ っ た。1965
年 : こ の年 は,
40
年 不 況と よ ばれた。 山 か ら谷 まで,
丁 度1
年の景 気 後 退であっ た。
40
年 不 況 も,
国 際 収 支の悪 化か ら は じ まっ た。(
4
)第四期
高 投 資 と高 輸 出と に よ る成 長
期
一
1966
年
一
72
年
一
第四
期
は, い ざ な ぎ景 気には じ ま り, ニ クソ ン シ ョ ッ クをへ て,
世 界 的イ ン フ レー
シ ョ ンの は じま りで お わ る。こ の 期
間
に は,
40
年不
況で戦後
は じ めて発行
さ れ た赤字
国 債の あ と をう けて社 会 資 本を 目的 と す る建
設 国債
の発行
が あり, 公 害に反 対 する市 民 運 動があ り,
テ レ ビな ど二 重 価 格 問 題に 対 する消 費 者 運 動があり,
ア メ リカ の国 際 収 支の悪化
を背景
とする対米繊維輸 出規制
が あり, カ ラー
テ レ ビ の輸 出
ダン ピン グの容
疑が あり,変動相場制
へ の移 行が あり, 欧 米を中 心に ス タグ フレー
シ ョ ンが あっ た。第三 期の
好
景気
の中
心で あ っ た岩
戸景気
と,第
四期
の好
景 気の 中心で あ っ たい ざ な ぎ景 気と 比べ る と ,同
じ く10
% を こえ る高
い実質経済
成 長 率を達 成 し な が ら も,
景 気の 反 転が前 者で は 通例の国 際 収 支の悪 化を きっ かけに し たの に対 し,
後 者で は もは やその パ ター
ンは くり か え さ れな か っ た。 い ざな ぎ景気
以降
国際収支
の天井
が高
くな っ た か らであ る。国
際収支
の天 井が高 くな っ たの は,
日本 経 済の国 際 競 争 力が向 上 した結 果で あっ た。
こ れ まNII-Electronic Library Service 経済 白書か らみ た戦後 日本 経 済の歩み