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奥田 央著,『ヴォルガの革命』, (東京大学出版会 、一九九六年一月、七〇〇頁、円)

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奥田 央著,『ヴォルガの革命』, (東京大学出版会

、一九九六年一月、七〇〇頁、円)

著者 梶川 伸一

雑誌名 社會經濟史學

巻 62

号 4

ページ 555‑558

発行年 1996‑10‑25

URL http://hdl.handle.net/2297/9634

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『ヴォルガの革命』

結実はまだ見られない」(二四○頁)ということ、である。今は昔、という程でもないが、かつて大塚史学の影響を受けた諸研究に親しんだわれわれにとって、ニューイングランドは資本主義の故郷である。本書は、まさにその一二-イングランドをあつかってはいるが、われわれの関心からすると、いささか一歩手前で足ぶふしている感がないでしない。これは対象が一七世紀とくに中葉以前だからであろうか。それもあろうが、問題は、対象がアン・ハッチンソンやロバァト・ケインであるためとも思われる。著者は、倫理予言の共鳴盤たるべき社会層が、小市民層ではなく、一部のジェントリーを含む農民であったという指摘(一六六頁)をしている。多分、こうした人びとについての研究が、もう一歩分析を進展させ、深めることであろう。幸いなことに、アメリカにおける経済史、社会史の研究、とりわけ八○年代、一九九○年代以降のそれは、一七、八世紀ユーイングランド農村について、かつてのわれわれの関心に十の一一分こたえる成果を生んでいる。田村光三氏の優れた著書を引きつぎ、もう一度ニューイングランド社会経済史研究を花開かせるような研究が、わが国でもおこなわれることを祈りつつ紹介の筆をおく。(勁草書房、一九九五年月、一一一二九頁、六○○○円) 一.獣に』l醗■;電6舵仙Ⅱ:…1.1,ふり:‐・吟.γ没・Lf……綴ら■賎,鵬γ…Ⅲ駕躯腰鰯蕊胤瀞lや唖胤侭轌……も.醗一覇鷹樅蕊……鷺…簿幾世畷勘鈩魁超嚥輯窯L蝋欝彊夢……腐偲胤撚臘諒歪醇凰匠》一癖》輸唾謬雑僻包》〈》》》》一塾。》》.■癖“幽鰯》靹申一心一コ。》》』畷廻国忌蝉瓜皿》叩》『鼻一塁“》》》騨竺鐇露》》、》》》嘩鐇跨巍塵藷斗珂珍函》”》繩》喀抱忍豊》一顧叫霞轌鱒鰹劉藝鏥緬昼匹酎寸守蝕倒酵鱗坪鶴輕舞張驍酢仙酊醗咄騨島崎鱈悪癖軸釧鐇一鍜鍾毘鈩一僻雫潜酔誇醇》毎龍》鴎》》》噸]■・塵塚悪雫》偲飛出鐘啼1蕃辮墾蠅秤虹》》揖回聡鍜薙轤劉丞騨麹雫辨

本書は膨大な内容を含む叙事詩的な研究書であるが、わずかな紙幅でそれを伝えるのはまったく不可能であり、ここで言及するのはその一部でしかないことを読者諸氏にお断りしなければならない。著者ははしがきで、渓内譲教授の「仕事を受け継い」での研究であるとの立場を、まず明確にしている。だが、著者の仕事は必ずしも、渓内教授の業績の延長ではない。教授の作品と比べて、おおよそ次のような本書の特徴を挙げることができる。第一に、地方公文書資料館(アルヒー乙を含めた広範な未公刊資料に基づく、ヴォルガ中流の地域史研究である。著者はこの地域を代表的なロシア農村と想定し、この地域とモスクワ中央との関係を跡づけることで、この「ソ連史の劇的な転換点」を描こうとしている。第二に、歴史過程の明瞭な農村の「絵」を堤示しようとしていることである。それも辞易するほどの資料を用いて、結論から言えば、この著者の試永は七○○頁以上にも及ぶこの大著の中で見事結びあって、ロシア農村の、と言うより世界史的にもほとんど例を見ない一大悲劇を、歴史叙述することに成功している(前書で氏は、農民生活の内在的論理 奥田央著

『ヴォルガの革命』

梶川伸

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を全面に押し出してコルホーズの成立過程を描いたが、そこでは当時の政治状況との関係が希薄であったために、ソ連史全体のダイナミズムを描くことに必ずしも成功したとは評者は考え

ていない)。この成功を支えているのが、氏のアルヒーフヘの 接近方法である。アルヒーフ資料でさえ、時には選択され改鼠

されたが、これらの資料にもっとも精通した研究者の一人とし

て氏は、「アルヒーフ資料の利用においては、つねに慎重でな ければならない」(四三頁)との態度を失っていない。全体的 構図の中で資料そのものを点検しつつ、地方資料を最大限に活

用して、これだけ精級でリアルに叙述されたソ連史を、ロシア

・西欧で刊行された研究書を含めてあほかには知らない。

本書は、二七年末からはじまる穀物危機への対応として、非

常措置が適用された後の二九年に農村で行われた穀物調達の実 体的研究からはじまる。本書が考察の対象とするこの数年間が

ソ連史にとって決定的時期であるのは、集団化、共同体の解体、クラークの清算が相互に関連しながら進行し、スターリン

体制(狭義のそれだけでなく)を確立させ、それに未曽有の飢

饅が加わったことにある。この時期を境に、ソ連「社会」の相貌は完全に変容した。本書未見の読者のために、章立てだけは紹介しなければならない。第一章一九二九年の穀物調達、第二章全面的集団化の開始とクラークの階級としての絶滅、第三章「ボリシェヴィキの春」、第四章一九三○年の収穫と調達、第五章集団化の再開一九三一年、第六章ヴォルガの早魅、第七章集団化の後退、第八章収穫から大愚弾圧 へ、第九章飢餓のざなかで一九三一一一’一一一四年、第一○章結論への点描。氏は二九/三○穀物調達年度の過程で既に「クラークの清

算」が行使され、それは暴力的やり方による全農民の穀物供出

義務の適用と同時に進行し、このような方法が、その後の集団化の噴矢となったことを指摘する。「われわれが、一九三一年の集団化と昨年のそれとの共通性を強調する」(一一一三○頁)。それは、現実の行き過ぎを非難しながらも既定の方針の深化を指示したスターリン論文「成功による眩惑」の評価でも繰り返される(四四九頁)。「クラーク清算」の論理とその現実を知るには第二章第四節を読むだけでよい。この政策が、ロシア農村の解体と、同時に劣悪なコルホーズを創設することになったのは、その後の必然的帰結である。コルホーズに農民はどのように反応したか。「村のなかにコルホーズの土地が境界をもって出現するとき、共同体農民はコルホーズの出現を実感する」(二一一○頁)。土地関係、農法、家畜などの農民の日常的問題を絡めてのコルホーズの分析は、氏の独壇場である。農民の不満は高まり、ボリシェヴィキ政権打倒のための戦争への期待感にまで高まったと、氏は資料に基づき断言する(一一○八頁)。まさに恐るべき事実の発掘である(ゲ・ペ・ウ資料であろうか、それらの生をしと」と)。本書の特色は、それを飢餓の出現と厳密に関連づけたことにある。この原因は公式に流布されているように、旱魅ではなく穀物調達による人為的なものであることを、当時の支任者に譜らしめている(三○○、四一七

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『ヴォルガの革命』

頁)。コルホーズの飢餓を決定した主要な要因が国家への過大な供出義務であった」(五八六頁)と、氏は結論づける。飢餓から飢饅への描写は圧巻で、飢餓ではじまった十月革命が、飢謹をもって一つの時代を終焉させたことを実感する。この終焉は、農村権力の有り様にも反映され、以前は穀物調達の実施は擬制的にせよ(全権代表の圧力の下で)村ソヴェトが実行していたが、三○年の段階で「農村のソヴェト権力そのものがロシア農民のきわめて大きな部分のなかで信頼を失った」とする(二一一一九頁)。ただし、この主張は説得的でない。依然この時期に村ソヴェトとは共同体農民の体現機関でしかなく、「信頼を失った」ソヴェトとは中央政策の不履行の廉で逮捕され、一掃された「新しい村ソヴェト」であったはずで、そのことは本書で一一一一口及されている(一一一二五、一一一一一一六頁)。このようにし、最終的に村にいたる「全体の命令的な統治システムが強化されていった」(四二頁)。このような数年の過程の考察で、著者は基本的にはその連続性を主張しているように思える(たとえば、新たな穀物調達制度である「義務的納付制と従来の穀物調達システムとの根本的な相違を強調することはできない」との指摘(五七七頁))。三一年は、十月革命からはじまる「都市の勢力による農村への攻勢」が事実上終了した年であった。これはコルホーズに加入できず、農村での経営の展望を失った個人農が、農村から都市へと最大規模で移動した年であることも意味した(三四八頁の記述は農村と都市が、明らかに逆になっている)。これはソ連農業全体の崩壊のはじまりであっ た。村計画にいたる穀物調達は、まさに戦時共産主義期の割当徴発方式の再現であり、当時の為政者も農民もそれを意識していた。しかしながら、それらの差異も大きかった。中農路線が確立された一九年春の党大会で、強制力による集団化は否定され、二○年末にレーーーンは、現在農業の社会主義化はユートピアであると語ったように、この時の集団化はほとんど実体がなかった。その一○年後に集団化政策が、その遂行だけが唯一の目標であるかのように断行された。この急激な転換は、重工業化による農業生産拡大の要請といった従来の解釈だけでは説明できないように思える。過度の「クラーク清算」やコルホーズからの農民の追放(それが「怠け者」であったとしても)は、農業生産全体の解体に帰着するはずである。そこで機能したのは、いかなる「時代の論理」であったのか。割当徴発は播種面積の大幅な縮小をもたらし、これに危機感を募らせたポリシュヴィキ権力は播種キャンペーンを展開し、それは事実上割当徴発を停止させた。それでも二一年の飢饅は起こった。スターリン指導部はこの事実を知悉していたはずだが、三一年に「調達の遂行によって食糧ばかりか翌年の播種用の種子までとりあげられた」(四○六頁)のは、いかなる「論理」が伏在していたのか。穀物調達危機を克服するため、非常措置が常態化され、それ以後の過程は本書で充分説明されているように、相互に関連して進行した。この過程は理解できるとしても、それをつき動かした「時代のエネルギー」は何であったのか。より大きな

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大野氏は周知のようにドイツ経済史の大家で、例えば一九六五年には『ドイツ資本主義論』を世に問われた。評者の手許にある一九七七年の六刷でも依然レーニンが高く評価されつつ、例えば「世界資本主義の帝国主義的体制は根底からゆるぎはじめた。こうして世界資本主義は一般的危機ないし体制的危機の段階へ移行してゆく」(五四頁)といった見解が展開されている。それから一○数年後書かれた今回の本ではどうだろう。ここでは、「東独の全体主義的支配に対する自由を求めた東独市民」(四○頁)といったタームが各所に鳫踏なく使われている。まず、果たしてこの一○数年の間にどういった連続性があ 枠での問題設定で、いくつかの疑問は未解決に残された。著者は勿論このことに無自覚ではなく、最終章でこのことは考察されているが、「全体的に解決することはできない」ままに終わっていると思われる。著者が念頭においている「総括的な大問題」の一定の解答をわれわれに堤示することを、読者は待望しているはずである。(東京大学出版会、一九九六年一月、七○○頁、円)

大野英二署

『ドイツ問題上」民族問題』

星乃治彦 るのだろうかという疑問を強く感じる。もし学説を変更するのであれば、それなりの手続きがあってしかるべきであろう。その作業を省略して、いつのまにか何年か前までに言っていたことと正反対のことを主張されるとなると、裏切られた気になる。日本で今はやりの”節操のなさ“が苛立しい。その意味で大野氏がこの本の第六章でも取り上げられている「過去の克服」は、何もノルテやハーパーマスだけの問題ではない。本著は一九八七年から一九九三年にかけて発表された大野氏による論文の集大成である。ヨーロッ・〈の状況はきわめて流動的でいま述べることは、一週間もすれば古くなっているという、そういった激しいテンポで変化している」(七頁)という見識が冒頭で述べられているのに、過去六年間の雑誌論文を一冊の本にするというのも理解に苦しむ。本書の構成は一応次の通りである。第一章「ドイツ問題」と「民族問題」第二章ドイツ統一と所有権問題第三章東独における所有権問題第四章ドイツにおける難民問題と庇護政策第五章ドイツにおける庇護政策の転回点第六章ドイツにおけるヨダャ人問題」一見してわかることだが、こうした九本に及ぶ過去の雑誌論文を一つにつなぐ論理的な一貫性は見受けられない。ただ大野氏に言わせれば、主要な部分が「『ドイツ問題』の現状に対する私の診断書」(二五九頁)ということで、全体性が保たれて

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