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企業組織法と企業の諸形態

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(1)

企業組織法と企業の諸形態

著者 吉川 吉衛

雑誌名 法經論集

巻 47

ページ 111‑135

発行年 1981‑03‑30

出版者 静岡大学法経短期大学部

URL http://doi.org/10.14945/00008962

(2)

研究ノート

企業組織法と企業の諸形態

吉 川 吉 衛

 一

︐二

緒 言 企業形態展開の論理と商人資格

企業形態の法的分類

 1 私企業11営利企業

 2 中間法人

    協同組合 相互会社

 3 公企業

    狭義の公企業 特許企業 独立法人 特殊会祉

四 私企業B営利企業の諸形態1その区別と関連ーi

 1 機能資本家単独の企業形態

    個人企業

一111一

(3)

 2 機能資本家相互の共同企業形態

    民法上の組合 合名会社

 3 機能資本家と持分資本家の共同企業形態

    匿名組合 船舶共有 合資会社

 4持分資本家の集中形態

    株式会社 有限会社

五 企業形態の実態

六 結 語

畑 緒 嘗

一 112 一

 解釈法学において︑商法とは企業にかんする法だと把握される︒そうして︑企業法は︑商法第一編・総則︑同第二

編・会社︑同第三編・商行為の一部︵匿名組合︶︑同第四編・海商の一部︵船舶共有など︶︑有限会社法などからなる

企業組織法︑商法第一編・総則の一部︵代理商︶︑同第三編・商行為︑同第四編・海商の一部︵海上﹁運送し﹁保険﹂

など︶︑国際海上物品運送法などからなる企業取引法︑そして︑手形法︑小切手法︑商法第三編・商行為の一部︵交

互計算︶などからなる企業取引決済法︑これら三部門からなるものとして体系構成される︒本稿は︑これら三部門を

それぞれ鳥緻し︑それら部門における諸舗度を区別と関連において統一的に把握すべく意図した︑﹁企業組織法と企

業の諸形態﹂︑﹁企業取引法と企業取引の諸類型﹂︑﹁企業取引決済法と取引決済の諸類型﹂の諸論文︑これらの最初に

位置するものである︒後の二者についても︑順次発表することにしたい︒

(4)

* ﹁九六〇年代後半から七〇年代は︑鷺本商法学の通説たる商法企業法論が︑二つの鋭い方法的批判にさらされた時期であ

 った︒機能主義的商法学︵矢沢惇編・現代法と企樂︑現代法9︹岩波書店︑一九六六年︺︶と批判的商法学︵寓山康吉他.商

 法学の課題と方法︑法律時報一九六九年三月号︶による批判であるが︑この問題については︑稿を改めて論じたい︒

企業組織法と企業の諸形態

 従来︑実定法規を体系的に整理し︑その適用を目的とする解釈法学が︑企業形態を論ずる場合︑当該企業における

出資看︑管理運営の組織︑経営成果の帰属者および帰属態様︑そして法人格の有無などを比較することが通例であっ

た︵竹内昭夫﹁企業形態と法﹂現代法9︑所収など︶︒あるいは︑企業︵株式会社の︶形態の在り方を考察するものであっ

た︵石井照久・企業形態論︹有斐閣︑一九四九年︺︒なお︑吉永栄助﹁企業経営の諸形態﹂経営法学全集2︹ダイヤモンド桂︑一九

六六年︺一頁以下︶︒そこでは︑企業諸形態の区別を論ずることに重点が置かれ︑各企業形態の相互の関連性を捉える

ことば二義的であった︵鷹巣信孝﹁企業形態としての株式会社の形成過程ー株式会栓の法的溝造1﹂佐賀大学経済論集=巻

三号︹一九七九年︺五〇頁参照︶︒しかし︑企業の諸形態を統一的観点から捉え︑鳥緻しようとするためには︑企業形態

の相互の関連性を重視しなければならない︒それだけではない︒各企業形態にはどのような問題が内包されている

か︑これを明らかにするためにも︑相互の関連性を把握する必要がある︒わけても︑営利追求を目的とする営利企業

11私企業の場合には︑そうである︒

 本稿では︑企業のあらゆる形態をほぼ網羅的に︑その区別と関連に重点を置いて︑把握することにしたい︒そして

さらに︑企業形態の実態を一瞥することにより︑あわせて︑企業組織法−株式会社法における隅の首石たる問題はな

にか︑をわたくしなりに探ることにしたい︒なお︑本稿の対象とする諸企業は︑現存しているものであって︑それら

を区別と関連において論理的に捉えようと︑本稿はするものである︒企業の生成︑発展の過程を歴史的に捉えようと

するものでは必ずしもない︒

 ところで︑商法解釈学の観点からは︑いま一つ重要な聞題がある︒それぞれの形態をとる企業は﹁商人﹂か否か︑

一一 113−一・

(5)

という問題である・そこでまず︑企業形態腿開の論理を探り︑企業諸形態の体系的把握をしてから︑それらが﹁商人﹂         かどうかの問題をそれぞれの個所で検討することにする︒

 *本稿の梗概を︑戸田修三蘇唐松寛編・商取引法の基礎︹青林書院新社︑一九七八年︺三−一〇頁において発蓑したレ隔とがあ

  ったが・本稿は・これに・若干の点をつけ加え︑改めてまとめ直したものである︒文字通りの研究ノートにとどまる︒

二 企業形態展開の論理と商人資格

 企業形態の展開の論理のあらすじと︑商人資格の要件をあらかじめ論じておく︒

 商取引とは︑営利を目的とする企業の活動である︒企業取引または企業活動とも言われる︒しかして︑企業︵φ昌︒

8毎Φげ毎Φ炉d暮o影Φ冨絹昏αq︶とは︑資本制社会のもとで取引活動を行なう基本単位すなわち個別資本O榔脅三︑

9亀霧図鶉畠冨鐙ごである︵大塚久雄・株式会社発生史論ほ九三八年︺・著作集一巻一六頁︑同.企業集中論︵講義草稿︶︹一九

三四年︺・著作集一〇巻三二一頁参照︶︒そうして︑個別諸資本の全体が社会的総資本︵αqΦ0¢一﹃Oげ効津類◎げ①萄ΩQ①葛陰鱒日睦犀鶉o娼潔麟︸﹀

である︒  企業個別資本の活動の直接的目的であり規定的動機は利潤の追求である︒各企業が市場競争に生き残りかつこれ

に打ち勝つためにはより大なる資本を必要とする︒けだし︑たとえぽより良質でより廉価な商品の生産にはより大な

る設備が必要だからである︒個人企業も利潤の蓄積︵︾ぽ搾¢§巳鋤試§︶と諸信用の利用によって資本を集積︵国oギ

NΦ昌訂9ざ溶﹀できるが︑より急速に資本を集積するには多数の個別資本の集中︵N8霞巴討節銘oεが必要である︒資本

の蓄積と集中︑この二つの過程は︑近代経済学において︑それぞれ企業の内部成長⇔9⑦讐$⇔暑霞器ゴ謹o器≦毬冨︑       ぷ 葺邑︑企業の外部成長︵Φ碁霧β霧φ9霞器〆葎㊦霧≦9δ畠ね︒葺亘﹀と需われる現象に照応するものである︒ところで︑

一114・一

(6)

集中された資本は︑新たな矛盾を包含することになる︒

 *資本象的経営者に代わって︑職業的経営者さらには専門技術者集団︵テクノストラクチュア︶による企業支配が行われるよ

  うになると︑その目標が利潤の極大化から企業の成長率極大化へと変化させられていくと言う︵J・K・ガルブレイス鉦都留

  重人監訳.漸しい産業国家︹第⁝一版一九七一年︺ 輔一三頁︑ 一八九頁以下参照︶◎

      ヘ  へ  集中された資本に﹁結合﹂されたところの諸個人資本は融和するものではない︒資本はみずからの本性である自己

増殖の衝動を決して失わないからである︒かくてこの衝突の関係は結合関係の中にもちこまれ︑企業﹁支配﹂の欲求

となって結合資本内部の対立を惹起する︒集中された個別資本に内在しかつ相互に矛盾するところの二つの必然性︑

﹁結合﹂と門支配﹂︑これが企業諸形態の発生を規定し︑その展開を押しすすめるものである︒ところで︑﹁結合﹂と

      ヘ  へ ﹁支配砧とは︑集中された個別資本に内在する矛盾であり︑この矛盾が究極的に和解させられた処に︑企業形態の最

高の形態ー結論を先取りして言えぱ︑株式会社形態ーが発生することになる︒それゆえ︑﹁結合﹂と﹁支配﹂の

      ヘ  へ 矛盾.その解決という論理は︑株式会社形態の生成の論理であるとも書うことができよう︒しかし︑株式会社形態の

ヘ  へ

発展が︑ーこれも結論を先取りすることになるがi史実において︑特定の段階から顕著になったと言うことは・

繕倉と﹁支配﹂の矛盾その解決という論理とは別のものが︑株式会社形態のその発展を促がしたのではないか・

ということを推測させよう︒さて︑かかる資本の集中過程で展開される個別資本の諸形態が﹁企業形態しである︒そ

してこの企業形態には︑その原基形態たる個人企業から出発し株式会社を最高形態とする段階と︑株式会社を土台と

し︑株式所有資本参加を基礎として展開される﹁企業結合﹂との二つの発展段階がある︵大塚・史論一七・三〇°一〇

五−一〇六頁︑周.集中三四六−三五二︑三五九︑三六一頁︑なお五四三頁︒岩崎稜筆︵本間他編﹀・会社法︹商法③︶︹法律文化

碑 一九七四年︺三頁︒福岡博之﹁経済における﹁集申﹂と法機能の関係について ー資本集中法としての現代株式会社法序説1し

青山輩論塞五巻二.鰹二九七三年︶δ一⊥〇六頁︑なお九九⊥○○頁︶︒法典が用意している竜うもろの企業形態

.も︑要するに歴史的に展開されてきた資本集中の基本類型を法的に固定したものにほかならない︵岩燐・前掲三頁参照︶・

一一・一@115 一

(7)

 ﹁商人﹂海る資格は︑噂人﹂が嶺己の名を以て商行為を為すな業とすること︑すなわち一定種類の鴬業を行なう範

と︑もしくは︑店舗其の他之に類懇する設備に依りて物贔の販売を為す射業とすること又に鉱業を営むレ漏と︑すなわ

ち一定の形・式において鴬業を行なうことである︵商法煕二条爾項・一一項︶︒要件の詳細にはたち入らないが︵詳しく嫁︑

火隅健醐郎゜商法総灘︿薪駁﹀︹有斐閣︑輔九七八無︺九一ー一ご一頁︑鴻常央・商法総劉︹弘文堂︑一九七九年︺九琳ー九五翼︑

芦磁修慧・概説商法1︹欝雲賞深寓幾 一九七〇年︺翅九ー六遡頁︑服部栄三・商法総鋼︿錦二版﹀︹青林霞脇藩社㍉一九七近年︶

一七四⁝一七八頁参照︶︑ 醐つだけ論じて湘きたい︒門営業を行なうこと﹂という要件である心これは﹁鴬利の属的をも

って︑醗種の行為を反覆継続することしである︵大隅・髄掲九 頁︑鵠・離掲九一買︑声矯・前掲閣九頁︑服部.前掲一七

︑餌頁︶︒営利とは︑取引浩動による利潤追求だけではなく︑獲得した利潤の分配をもふくむ概念である︵岩欝.蔚掲一〇

ー一一頁︑大隅・前掲二八f輔醐九頁参黒.なお照中識二・全欝商法総鋼詳論︹勤草霧房︑蝋九七六年︶四〇貰︶︒

三 企叢形態の法的分類

い難6一 1

私企業蓑営利企業

 企業形態を法的に分類すると︑これを大きく露つにわけることができる︑

 資本舗社会において︑本・来曲主体として予定されているものに︑私入が蛍利を穏的として浅己責任で行なう私企業

すなわち営利企業である︑これについては︑後に顯で詳論する︒

婁 中闘法人

(8)

 私企業の概念は通例営利企業と同義に用いられるが︑形式概念であって︑営利企業でない私企業がある︒申間法人

︵大判昭和二・六・二二赫聞工七一三碧七頁︶と言われる︒

資本制社会の経済的弱者が︑自衛的・梢互扶助的に行なう経済活動であって︑協同組合︵︵甲ΦbOむ慶のΦ P螢⇔げ幾津︶がそ

の典型である︒これらは︑事業目的が特別法において規定され︑また︑事業の活動を通じて直接に団体員の経済的地

位の向上をはかることが闘的であるから︑﹁商人﹂ではないというのが判例︵大阪地判昭和三一.五・三〇下民集七巻五号

一四〇八頁︶であり︑通説︵大隅・前掲一二〇頁︑戸田・前掲七頁など︒なお︑田中︵誠︶.前掲一八七頁参照︒これに反対し

て︑大森忠夫・漸版総則講義︹有信堂︑一九六二年︺九九頁︑張部・前掲二四五頁は︑公益法人の場合と同一理論によるべきだと

される︒なお鴻・前掲一〇二!一〇三頁︶である︒

 申間法人も資本制経済下の企業であるから︑資本の論理に反して存在することは不可能であり︑そのための規模拡

大の追求はみずからを形骸化してしまう︒その極端な例が︑わが国生命保険企業の一般的形態である相互会社︑相互

保険会社︵<Φ冨陣9霧二鐸αq澱①器濠畠嬉津鎗葭鑑ΦΦ創韓⑩霧鉱鉱繋Φ一訂く守q訓韓◎°・器冠く霞゜・一9拓鐸鐸窪壁゜・く霞Φぎ節亀Qoぴq⑦苧

器伸謡σq犀臨O︵保険業法三条︑三四条以下︒なお︑ドイツとの異同につき︑吉川﹁保険契約に対する国家規欄㈲ー普通保険約款に対

する許可・認可を中心としてー﹂法学新報八一巻八号︹一九七四年︺一一一三ー一二四頁参照︶にほかならない︵岩崎.前掲五頁︶︒

相互会社形態は︑﹁資本がとり得る会社形態の最高の発農状態を示している﹂︵金子卓治︑保険資本について﹂経営研究四

〇号二九五九年︺八〇頁︶と言われるがここでは論じない︒

* なお︑一福岡∵前掲九五ー九六頁参照︒笠原長欝・保険経済の研究︹未来﹁社︑ 一九七一ご隼・︺三一ご一ニー三一一一四頁は︑企業集団内

 部において︑生命保険相互会社による持株は相手側による保険会社株の所有を必要としない一方的な株式所有になる︒したが

 って︑相手側企業は保険会社株式を求められることはないために︑系列間の結含を確保しつつしかも︑機能資本の相対的減

 少︑利潤率の低下の困難から解放されることになると指摘される︒そして︑現代保険会社の金融資本的機能の実態分析をして

 おられる︵同・二五六ー三四八頁参照︶︒

一117−一

(9)

 相互保険会社は法形式上﹁商人﹂ではない︵大隅・前掲一一一〇頁︑大森・保険法︹有斐閣︑一九五七年︺三四三頁︑戸田.

前掲七一頁など︒これに反対し︑服都・前掲二四六頁は︑少なくとも準商人性を諏むべきだとされる︒なお︑鴻.前掲一〇三頁︶︒

相互保険会社の行なう保険取引については営利保険契約の規定が準用されるが︵商法六六四条︒六八三条一項︒八一

五条二項︶︑その行為は商行為に属せず1商法五〇二条九号の﹁保険﹂は営利保険のみをさすー︑商行為にかん

する商法の規定︑ことに商行為編総則中の諸規定は適用も準用もされない︵大森・保険契約の法的構造︹有斐閣︑一九五

二年︺三四一頁以下︑醐・前掲三四四頁は︑立法論的には考慮を要する問題だとされる︒なお︑ドイッ保険監督法一六条参照︶︒

3 公企業

 現代は︑混合経済体制ないし国家独占資本主義体制といわれる︒国家は︑管理通貨制度に裏付けられた﹁資本主義

の組織化﹂を行なう︒﹁資本主義の組織化﹂は︑後進資本主義国たるドイツや日本では︑その成立当初からみられた

が︑現代では体制そのものが異なったのである︒現代の体制を企業という視角から法的にみる問題は︑行政法.経済

法・商法などのグレソツ・ゲビートの問題である︒したがってまた︑学説は錯綜している︒概念につぎ︑ここでは主

として山田幸男・公企業法︹有斐閣︑一九五七年︺による︒

 国または地方公共団体は︑社会公共の利益を目的として︑経済過程へ参加し︑みずから企業を経営することがあ

る︒また国は︑直接社会公共の利益に関係をもつ私企業に対して干渉し︑事業経営能力を﹁特許﹂の基準とするとと

もに積極的監督を加えている︒前者を狭義の公企業といい︵山田.前掲四九ー五四頁参照︶︑後者を特許企業という︵山

田・同八二⁝九一頁︶︒特許企業には︑私人の経営するガス・電気・水道の供給業︑地方鉄道・道路運送業︑銀行・保

険︑倉庫業などがある︵山田・同頁︶︒なお︑通説は︑金融関係企業をのぞくが︵田中二郎︑新版行政法下獲︹弘文堂︑一

九五八年︶二五七︑三二二頁など︶︑そう解すべきでない︵山田・同頁︒吉川﹁保険業の公企業.特許企業的性格ー公企業.特許

一一 118 一一

(10)

企業法研究序説ー﹂相馬古稀記念・現代保険学の諸問題︹専修大学出版局︑一九七八年︶六六九−六七一︑六八四頁以下参照︶︒

 狭義の公企業と公法上の組織形態の独立法人︵たとえば︑日本住宅公団・国鉄・電儒電話公社など︒由田・一三三頁以下参

照︒なお︑日本銀行につき︑同.一三七−一三八頁参照︶︑そして︑特許企業と私法上の組織形態の特殊会社︵たとえば︑国

際電信電話株式会社・鷺本航空株式会社など︒山田・一八〇頁以下参照︶︑これらを総称して︑広義の公企業という︵霞田.         同=四頁参照︶︒公企業の概念は内容的・作用的概念である︵霞田・岡五三頁︶︒

 * 類似概念について=茜しておく︒公益事業・公益企業︑公営企業の概念は︑行政法学上のものではなく︑それは主として︑

  行政学︑経営学上の概念である︒ 一瀬智司11大島国雄貸肥後和夫編・公共企業論︵一瀬筆︶︹有斐閣︑一九七七年︺一・二頁

  参照︒

   行政法学上の公共企業概念については︑本文で後述︒営造物または公の営造物くα馨暮ロOげ①噛曾゜・鐙εの観念は多義的

  だが︑内容的には︑通説的意義における公企業とほぼ等しい︒山田・公企業法一八1一三︑一=ー二四頁参照︒

 公共企業という概念も用いられる︵田中二郎・公共企業法︹日本評論社・一九二二年︺︑同・薪版行政法下全訂第一版︹弘文         堂︑一九六九年︺︶︒これは︑企業の公共性に着目し︑その目的を達成させるためそれに対する監督・規制・保護助成等

の根拠および基準等を定めた公共企業規制法によって規制を加えられるもので︑その経営主体が私人︵私法人︶であ

ると︑国︑地方公共団体その他公社︑公団等の公法人であるとを問わない︑とされる︵田中・新版行政法三二二頁︶︒か        ** かる公共企業概念は︑右記の広義の公企業概念とほぼ一致する︒

 * 田申博士はかつて︑著書・公共企業法︑でその体系的内容を論述されたが︑その後湘行政法講義案下巻︹有斐閣︑一九五一

  年︺︑行政法下︹弘文堂︑一九五四年︺を経て︑新版行政法下︹一九五八年︺まで︑公共企業の概念を採用せず︑通説を代表

  して門行政法上の公企業﹂を説かれた︒しかし︑新版行政法下全訂第一版では︑改めて﹁公共企業﹂の概念を採用されている︒ ** なお︑山田教授が最近使われた﹁公共企業︵狭義の公企業この語︵同﹁公共企業に関する蒋干の考察﹂田中二郎先生古稀

  記念.公法の理論下∬︹有斐閣︑一九七七年︺所収︑一二八三頁以下︶は︑その括弧のなかで指摘されるごとく︑山田・公企

  業法における狭義の公企業という用語と同じように思われる︒

一 119 一一

(11)

 ところで︑狭義の公企業について︑学説は﹁商人﹂性を取得でぎると解している︵大隅・前掲=八頁︑戸田・前掲六

九−七〇頁︑服部︒前掲二四九頁など︒なお︑鴻.前掲一〇四ー一〇五頁︶︒判例は︑市の電車事業も営業だとした︵大判大正

六.二.三民録醐一三巻三五頁︶︒独立法人や特殊会社についても︑学説は肯定的だが︵大隅・前掲==頁︑戸田・前掲七二

頁︑服部︒前掲二五〇1二五一︑二五九頁など︒なお︑鴻・前掲一〇一i一〇二頁︶︑判例の多くはこれを否定している︵たとえ

ぼ︑配炭公団につき︑最判昭和三五.七︒一五民集一四巻九号一七七一頁など︶︒公益法人については︑判例はないが︑学説は﹁商

人﹂性を認めている︵大隅・前掲=九頁︑鴻・前掲一〇四頁︑大森・前掲九九頁︑戸田・前掲七一頁︑服部・前掲二四二頁など︶︒

四 私企業聾営利企業の諸形態

 さて︑企業形態展開の論理は︑資本集中における結合と支配の相互矛盾だが︑企業諸形態の関連と区別を論述する

にあたって︑いますこし説明しなければならない用語がある︒

 企業ないし個別資本の構成要素は︑客体的条件である出資と主体的条件である企業職能である︒これらを手がかり

として︑機能資本家と無機能資本家の概念が生ずる︒﹁機能資本家︵艶艮無§δ器疑o国昌騨餌一馨露︶﹂とは︑たんに

出資して利潤の一定部分の分配にあずかる︑すなわち企業を所有するだけでなく︑企業職能をもち企業の経営に参画

する資本家である︒いわば企業の﹁所有﹂と﹁経営﹂を合一している︒またしたがって損失のさいの責任も無限であ

る︒これが本来の完全な資本家である︒これに対して︑無機能資本家とは︑出資について利潤の一定部分のたんなる

分配を受けるのみで︑能動的な企業職能を喪失している資本家である︒その徹底した形態は利子付資本家であるが︑

持分資本家もその一亜種である︒﹁持分資本家曾審鵠犀碧搾嚢︒房8ε﹂は︑利子付資本蒙と異なり︑自己の﹁出資持分﹂

に対してたんなる利子請求権でなく利潤配当請求権を留保しており︑その企業の利潤率増減によって変化する﹁配当﹂

      ヘ  へ をうけとる︒それに相応して︑利子付資本家とは異なり︑企業の損失に対しては通常出資を限度とする﹁有限責任﹂

一120一

(12)

企業組織法と企業の諸形態

を負う︒持分資本家は︑この配当と有限責任の点において︑たんなる利子付資本家と異なって︑むしろ機能資本家に

近づいている︒しかし︑後述するように︑特定の会社形態において︑特定の持分資本家は必ずしもそうでない場合が

ある︒  会社の諸形態を適確に把握するためには︑ ︑機能資本家﹂と﹁持分資本家﹂との組合せを中心として検討すべきで

ある︵大塚・史論二〇1二一頁︑同・集中三四七頁︑岩崎・前掲五頁参照︶︒

 ここでなお︑論じておかなければならない問題がある︒わたくしは︑企業諸形態の展開の論理の手がかりを︑ ﹁結

合﹂と︑支配﹂の矛質・その解決が︑個人企業−合名会社−合資会社i株式会社︑を生み出してきたとする大塚理論       ヘ  へ ︵同・史論四︑一四四頁︶に︑当面︑もとめているわけだが︑この大塚理論に対しいくつかの挑判がある︒詳しくは︑後       ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ に論ずるが︑その一つに︑鷹巣助教授の批判がある︒大塚説は︑法人格や合資会社形態が法認されていることを前提

にして︑これを大企業向ぎの会社形態に改造する過程として歴史的な株式会社発生史を捉えようとするものであり︑

個人企業ないし組合しか存在しないところに大企業を形成しようとするとき︑どのようにしてそれが実現されるかを

論理的に追求するものではない︑との批判である︵鷹巣.前掲五ニー五三頁など参照︶︒つまりこの批判は︑大塚理論な       ヘ  へ るものは︑企業形態展開の論理たりえないのではないか︑ということにゆきつく︒そして︑この挑判は︑イギリスや

アメリヵの産業資本確立期における株式会社の経済的実態は個人企業ないし組合にすぎなかったとの指摘︵同︒前掲

四七ー四八︑六九−七〇頁︶とかかわり︑株式会社形成過程にかんする︑論者のまことに興味深い論理仮説︑すなわち︑

大組合←内的組合︹組合と匿名組含の融合形態︺←株式会社︑を滋き出してくることになるわけである︵同︒前掲論

文︶︒この仮説の当否はさておぎ︑わたくしは︑少なくとも本稿の問題視角では︑大塚理論をなお採ってよいと考え        ぬ  ヘ  ヘ  へ る︒というのは︑本稿の課題は︑歴史的事実を一定程度踏まえながらも︑現存する企業諸形態の区別と関連を統一的        ヘ ヘ ヘ ヘ ヤ に把握しようとするものだからである︒そのかぎりで︑大塚説が︑法人格や合資会社形態の法認を前提として株式会

一121一

(13)

社形態への展開を説くことは︑むしろ本稿の課題にとって有用なことだからである︒

 以下︑企業形態展開の論理に則しながら︑すなわら各企業形態親互の関連に意を注ぎながら︑現行法上の企業諸形

態の法律的特色を概観することにする︒なお︑民法上の組合電含めすべての共同企業は︑近代団体法の基本構成であ

る組合契約原理︵08霞震6︒◎o騨︸︶ーこの公法的原理が︑社会契約1によって統一把握されるという指摘は興味深

いが︑ここではたち入らない︵岩崎・前掲七−九頁参照︒なおまた︑鷹巣・前記仮説︶︒

1

機能資本家単・独の企業形態

 企業形態の展開の端緒はどこに求めるべきか︒それは言うまでもなく︑信用に媒介されつつ競争のさ中に置かれた

個人的個別資本︑雷いかえれば︑個人企業である︵大塚・集中三四七頁︶︒企業諸形態の原基形態であって︑ここでは︑

企業主がみずからの財産を資本として運用し︑その利潤をすべて自己の手中に収めるとともに︑その損失についても

人的無限責任を負う︒

 自己の名をもって商行為を営業としてなす個人企業の企業者は﹁商人﹂であるが︵商法四条一項・五〇一条・五〇

二条︶︑ただし︑商行為を営業目的としていない個人企業竜あり︑かかる場合には︑店舗またはこれに類似する設備

によって物品の販売を行なっている個人企業および鉱業を営んでいる個人企業を除き︵商法四条二翼参照︶︑企業主

は﹁商人﹂たる資格を有しない︵服部・前掲二二七頁︑同筆︵中川善之助服部編︶・商取引︹第一法規︑一九七︸年︺三八頁︒

なお︑七二頁も参照︶◎

一一

?Q2一

2

機能資本家相互の共同企業形態

個人企業が︑激しい競争のさ中に置かれたとき︑集中への必然性を︑つまり﹁結合﹂への内的要求を内にはらむご

(14)

企業組織法と企業の諸形態

とになる︒個人企業のうちに潜在する蓄積衝動が共同企業を生み出していく︵大塚・集中三四七ー三四八頁︶︒その第一

階梯が︑機能資本家相互の共同企業形態である︒

 その一が民法上の組合︵これ以外の組合は︑ほとんど例外なく法人格を与えられており︑また法的性質を異にするので︑これ

らの団体を﹁特別法上の組合﹂と呼び︑﹁民法上の組合﹂と通例︑区別する︒我妻栄∴債権各論中巻一一︹岩波書店︑ 一九六二年︺七

四七頁参照︶であり︑その二が合名会社である︒

 民法上の組合くΩΦ器房◎げ餌津︶は契約であり︑各当事者が出資をし共同事業を営むことを約束することによって成

立する︵民法六六七条一項︶︒各組合員は組合の業務執行の権限をもつことが原則であり︵同六七〇条参照︶︑損益分

配は組合契約に別段の定めがなければ各組合員の出資の価額を基準として行なう︵同六七四条︶︒ また組合財産は総

組合員の所有に属し︑組合契約による拘束を受けるにすぎない︵同六六八条︒雪禽有﹂とみるのが定説︒我妻・前掲八〇

〇頁など︶︒組合債務も各組合員の負債であって︑組合財産のほか各組合員の個人財産によっても支払の壷任を負う

︵同六七五条︶︒組合員の脱退は原則として任意である︵同六七八条︶︒

 組合の営業鶴的が商行為であるときは︑そこに商人資格が成立するが︵商法囚条一項︶︑だれがその資格を取得す

るか︑が問題になる︒組合は法人格を有せず︑組合自体が商人資格を取得することは不可能だから︑個々の組合員が

﹁商人﹂となると一般に解されている︵服部・総則二三六頁︑同・商取引四〇頁参照︒もっとも︑教授は反対︶︒しかし︑そ

のような通説は︑団体としての組合の現実に適合しないと批判し︑組合は法人ではないが︑権利主体の一種と認め

て︑組合自体を商人とみるべきだとする見解があり︑注目される︵服部・総則同頁︑同﹁合手制と畏法の組合﹂同志社法学

七号・八暑二〇頁以下馬二〇頁以下︑吉永栄助﹁企業経営の諸形態﹂経営法学全集2︹ダイヤモンド槌︑一九六六年︺五三頁︶o

 このように組合は法人格を有しないため︑大最の取引を継続して行なう企業形態には適さない︵なお︑カルテルにお

いて組合がはたす役割について︑竜田節﹁企業結合と法し現代法9︑一一九頁参照︶︒

一123−・

(15)

 そこで羊機能資本家相互の結合に法人格を付与したものが︑合名会社︵o験疑Φ属節昌侮Φ尻αq霧巴討oげ豊である︒こ

れは︑﹁実質的には︑法人格を認められた組合﹂︵竹内・前掲二〇頁︶にほかならないから︑会社の内部関係について

は︑定款または商法に別段の定めがないかぎり民法の組合に関する規定が準用される︵商法六八条︶︒ 合名会社の資

本は︑社員の履行した財産出資の総額からなるが︑社員間に存在する高度の信頼関係の反映として︑財産禺資のほか労

務.信用の出資も認められ︵商法六八条︑昆法六六七条二項︑商法八九条︶︑損益分配の基準についても︑株式会社

における場合とは異なり︵商法二九三条参照︶︑社員が輿治的に是めることができる︵商法六八条︑属法六七四条︶︒

会社運営についても︑定款に別段の定めがないかぎり︑各社員に業務執行︑会社代表の権利がありまた義務でもある

︵商法七〇条︑七六条︶︒各社員には退社権︵商法八四条︶︑出資払戻講求権︵商法六八条︑民法六八一条二項︑商法

八九条︒なお︑商法八七条︶があるが︑持分の譲渡は制限されている︵商法七三条︶︒会社の対外関係としては︑各

社員が会社債権者に対して直接・連帯・無限責任を負う︵商法八〇条一項︶︒ただし︑合名会社は法人であるから︑

会社債務の第一次資任主体はあくまで合名会社であり︑この点での会社と社員との関係は︑単純保証債務者本人と保

証人との関係に似ている︵岩崎・前掲嚇こ頁参照︶︒

 ﹁会社﹂形態を利用する共同企業がすべて﹁商人﹂とされることは改めて記すまでもない︵商法五二条一項・四条

一項︒五二条二項・四条二項︒有限会社法二条︶︒また︑かかる共同企業が︑その営利目的団体性のゆえに﹁商人﹂

でしかありえない点が︑自然人や公法人が﹁商人﹂視される場合と決定的に異なる︑ との指摘は璽要である︵岩嚇・

前掲一一頁︒また︑下山瑛二﹁企業の自由と国罵の権利﹂ 法と民主主嚢八八号︹一九七四年︺三頁以下︑同憤独占の法的考察・覚

書﹂法の科学2︹一九七四年︺三〇頁以下︑奥島孝康︑共同子会裁の理論研究序説﹂早稲碑法学五一巻一ーー二号︵一九七六年︺一八

七頁以下︑岡﹁現代株式会社と憲法秩序﹂法セミ増刊・現代の企業︹︸九八〇年︶七六頁以下・なお︑本間重紀﹁独占と株式所有・

試論﹂法の科学7︹一九七九年︺五八頁以下︑同﹃現代財産権論﹂ マルクス主義法学講座5︹目本評論被︑  九八〇年︺︷四七頁

一124一

(16)

企業組織法と企業の諸形態

以下︶︒

 ところで︑右のような合名会社の仕組みでは︑﹁支配﹂の欲求が︑﹁結合﹂の必要に衝突して︑かかる形態での資本

の集中を押し止めてしまう︒それはなぜか︒機能資本家たる各社員は企業職能をもっているが︑これは競争の熱情に

よってささえられているものであり︑その熱情はいまや企業支配への欲求となってあらわれてくる︒各社員が企業支

配への欲求をもつとき︑資本結合が広範囲に拡大されると︑社員たちの支配への欲求は必然的に衝突し︑その結果︑

結合は逆に分裂への危機をはらむ︒こうして︑機能資本家だけからなる舎名会社形態は︑利益共同関係が容易に成立

しうるような少数者のあいだにおいてのみ成立しうることになる︵大塚・史論一一一五頁︑同.集中三四八頁参照︶︒合名会

社は︑儒頼できる少人数の同族的・仲間的企業にしか適さず︑広範囲の資本を集中する企業体にはむかない︵雛ソッ

エルソにおける合名会社等の意義について︑大塚・集中三六七i三六八頁︶︒

3

機能資本家と持分資本家の共同企業形態

      ヘ  へ 機能資本家相互の﹁結合﹂の不安定は︑﹁支配﹂ への意思を一応喪失している持分資本家からの出資を導入するこ

とによって緩和される︒持分資本家が企業職能をもたないということは︑企業の支配に積極的に参加しないというこ

とに他ならないから︑資本結合は︑そうした無機能出資の組み入れによって︑中心をなす機能資本家たちの支配への

欲求と矛盾することなしに進行しうるからである︒つまり︑﹁結合﹂の規模が分裂への危機をはらむことなしに一応拡

大されるからである︵大塚・史論=一六頁以下︑同・集中三四九頁参照︶︒その第一が匿名組合︑船舶共有であり︑第二が

合資会社である︒なお︑ヨー質ッパ大陸法に現存する株式合資会社︵国o匿謬勉昌疎黄Φm9﹃oげ捧9︒亀︾響誌Φ昌︶は︑日

本では一九五〇年商法改正︵昭和二五年法律一六七〇号︶により廃止された︵旧商法四五七条ー四七八条︶︒

匿名組合︵°・琵①O馨︸誓冨津︶は︑出資者︵琶名組合員︶が企業利潤の分配にあずかることを目釣として企業者

一125一

(17)

(「

、人﹂︶と締結する財産出資契約である︵商法五三五条︑五四二条︑ 一五〇条︶︒したがって︑匿名組合員の出資財

産は法律的には営業者の所有に帰属し︑匿名組合員は営業者の行為につき第三者に対して直接権利︑義務を有しない

︵同五三六条︶︒しかし内部的には出資であって消費貸借ではないから︑匿名組舎員は︑確定利子ではなく︑利益に応

じてのその分配を受ける反面︵同五三七条︶︑出資の限度において損失を負担することになる︵同五四一条︶︒業務運

営の権利・義務はもたない︵同五四二条︑ 一五六条︶︒

 これは︑持分資本家が自己の氏名をかくしかつ有限責任の利益を享受しながら︑企業利潤の分配にあずかることを

可能にする企業形態であるが︑営業者と出資者との間に高度の信頼関係の存在が前提となり︑また出資の回収が容易

でないことから︵なお︑同五三九条ー五四一条参照︶︑今日の企業形態としての利用度は低い︵竹内.前掲二〇⊥=

頁︶

 船縮共有︵閑①①幽¢◎尾Φ一︶は︑船舶を共膚しかつ共同してこれを商行為をなす目的をもって航海の用に供することをい

い︑船舶共有者のうちから︑あるいは︑そうでないものを船舶管理人に選任し︵法はその選任を強制している︒商六

九九条一項︑二項︶︑船舶管理人が船舶共有者の代理人として活動する企業形態である︵商法六九三条−七〇二条一

項︒詳しくは︑戸田良事法学辞典下巻︿増補初版﹀︹有斐閣︑一九六四年︺=四了二四二頁︒.あ企業形態の位置づけに

ついて大塚・史論網七〇1一七二頁参照︶︒﹁商人﹂は個々の船舶共有者である︒         

 なお︑他人の船舶を利用して海上企業を経営する方式として︑船舶賃貸借︵商法七〇三ー七〇四条︶や定期傭船の

形式がある︒

 合資会社︵国o鑓簿§︒質径粛$①︸湿9聾は︑つぎの二点で匿名組合と異なる︒一つは︑合資会社が独立の法人とされ

る点であり︵商法五四条一項︶︑いま一つは︑持分資本家である有限責任拙員がその約束した出資の限度において︑

会社債権者に対して︑直接かつ他の社員と連帯して人的責任を負うという点である︵同一五七条︶︒機能資本家たる

一126−一

(18)

企業組織法と企業の諸形態

無限責任社員の法的地位は合名会社の社員と圃じい︒業務執行権は無限責任社員に集中し︵圃一五一条︶︑有限責任

社員はこれを有しない︒ただし有限責任社員も定款の変更・解散・合併という会往の構造的事項については同意権を

有し︵同︸四七条・七二条・九四条二号・九八条︶︑会社の業務・財産監視権を保有している︵同一五三条︶︒有限賀

任社員は退社権を有するが︵同一四七条︑八四条︶︑その持分譲渡には無限責任社員の承認を有する︵同一五四条︶︒

 ここにおいて︑機能資本家の﹁支配﹂の基礎であるところの無限責任が︑いまや﹁結合﹂の進行に対する阻止的要       ヘ  へ 因となる︒つまり︑ ここで﹁支配﹂の欲求の︑﹁結合﹂ の必要に対する矛盾・衝突が再び惹起されることとなるので

ある︒しかして︑資本の集中の必然性は︑この姪楷を打破するために︑無限責任を消滅せしめて︑ ︿全社員の有限責

任制﹀を確立し︑かくして株式会社が出翼する︒つまり︑株式会社においては中心的機能資本家たちの無限責任が消        ヘ  ヘ  へ 失したということである︒さらに株式会社においては︑少数機能資本家たちの人的な支配の形態はこうして消失し︑        ヘ  ヘ  へ 経営機能が会社機関のなかに客観化された︑いわば物的な支配の形態が新たに現われてくる︒人的会社︵℃o湊8緯︐

σq

カ亀゜・oげ鶉ρεから物的会社︵矧︵碧騨鶏窪奄Φ◎隠①一一q馳鮎P聾︶への変遷である︒株式会社においては︑無限責任を基礎とする

人的支配が排除されるとともに︑結合はもはや支配となんら矛盾することなく進行する︒

 株式会社形態の成立によって︑集中過程の二契機たる﹁結合﹂と﹁支配﹂とは究極的に和解させられ︑企業形態上︑

集中の阻止的要因は取り除かれて︑会社形態は最高の形態に到達するということができる︵大塚.史論一三九i一四二

頁︑同・集中三四九ー三五〇頁参照︶︒

 ところで︑いわゆる膚限責任の確立をもって︑会社形態展開の終点とみるならば︑会社形態の展開は︑有限責任制

が確立される一七世紀において一応完了したことになりかねない︒しかし︑株式会社という企業形態が資本主義本来

の産業企業に普及したのはドイツにおいて一九世紀五〇年代以後であり︑イギリスでも一九世紀六〇年代以降のこと

である︵宇野弘蔵・経済政策論︿改訂版﹀︹一九七一年︺・著作集七巻一五五−一五六頁参照︒なお︑大塚・集中三五〇1三五二

一・

P27一

(19)

頁︶︒また︑株式会社法が加速的展開を示すのは︑この頃からである︵岩崎・前掲二七i二八頁参照︶︒すなわち︑ 一八

六二年の︑会社法のマグナ・カルタといわれるイギリス会社法︑一八六七年フランス会社法︑一八六一年ドイッ旧商

法︑一八七〇年ドイツ改正株式法︵一八八四年再改正︶︑ 一八九七年ドイツ商法︑ 一八九三年フラソス改正株式会社

法︑一九〇八年イギリス会社統一法が制定された︒これらのことは︑理論的にどう説明されるべきか︒

4

持分資本家の集中形態

 櫟式会社形態が当時要請されたのは︑重工業における巨大な設備投資のために長期固定資本の調達が必要となった

からである︒そのためには︑資本制社会に存在する資本所有者からあまねくその資本を︑返還不要な態様で︑しか

し︑かれらにおいてはその責任が有限でいつでも出資園収可能な態様でもって︑集めて継続企業を形成しなければな

らない︒  このことを可能にするのが︑株式会社形態における資本の二重存在化である︒捌度的にいえば︑資本市場︵株式市

場︶の確立を前提とする︑むろん有限責任の︿譲渡自由な等額株券﹀の存在である︒株式会社の資本は︑払込と同時

に二重の存在を与えられる︒一方で︑株式会社の現実資本として資本の循環運動を繰返すとともに︑他方では︑この

資本の運動とは一応は別個の存在をなす株式証券として︑すなわち前者の資本の現実的運動の内に得られる利潤から

配当としてその利益を定期的に受ける権利を有するものとして︑それ自身資本︵擬制資本い葬ぞ舘図嚢︒鷲審ごとして

存在することになる︒しかもこの株式証券としての資本は︑株式会往の現実資本の運動とは全く別個に︑資本市場に

おいて商晶として売買される︵資本の動化鍵Oげ難こ駐δ導郎αq︶︒株式証券としての資本は︑払込資本とは別個の価値を

有している︒事実︑株券としての資本の価値額は︑払込資本が現実的資本として獲得する利潤からの配当を基礎と

し︑したがってまたそれによって決定されながらも︑それとは直接には関係のない一般利子率によっても変動する価

一128一

(20)

値額である︵もちろん︑株式の稲揚としては︑こういう基本的関係だけで規定されるわけではない︒事業の将来に対する予想等も

入ってくる︒なお︑川合︸郎・株式価格形成の理論︹照本評論新祉︑ 輔九六〇年︺参照︶︒

 ところで︑注目すべきは︑例えばイギリスにおいて︑本格的な株式会社の形成は︑低額面全額払込制株式や優先株

式が一般化した一八八〇年代︑また合同運動とともに国内産業部門の株式がβンドン資本市場に進出し︑捻ソドソと

地方の資本市場が結合される九〇年代後半のことであったという史実である︵生川栄治・イギリス金融資本の成立署斐

閣︑一九五六年︺二〇頁以下︑一五〇頁以下︑中村通義・株式会社論量紀書房︑一九六九年︺七三頁以下︑なお四三頁以下︑森

慣夫﹁イギリス産業における株式会社の展開﹂経営論集一〇巻三号︹一九六三年︺四三頁以下︑五七頁以下︑六三頁以下参照︒なお︑

大塚・集申三五〇頁︑なおまた︑宇野・前掲一五五頁︑一九五頁以下参照︶︒

 要するに︑株式会社形態における資本の二重存在化に基づき︑個々の持分資本家が株式売却により︑資本市場を介

して社会から資本を回収したとしても︑株式会社にとっては︑株式所有者の交替があっただけのことであり︑この株

式証券としての資本の売買とは無関係に株式会社の現実資本の運動を継続できるのである︒このように︑資本市場と

関連し︑譲渡自由な等額株券と表裏する︑有限責任の成立こそが︑株式会社劉度発展の原動力であり︑株式会社をして

株式会社たらせる︵宇野・前掲一五六頁以下︑馬揚克三・株式会社金融論︹森山書店︑ 一九六五年︺四七頁以下︑なお一=︑二

三︑四九頁︑岩崎・前掲一三︑二七⊥一八頁︒なお︑大塚・集申三五〇⊥ご五九頁参照︶︒それゆえ株式譲渡の方法は︑その

時点での商法典の強行規定に違反しても︑資本市場との連動において変遷してゆくのである︵吉川﹁白紙委任状付記名

株式の譲渡と商慣習﹂︵戸田編・判例商法工︑別冊法セミ︹一九七六年︺︶一九−二〇頁参照︶︒

 ここでなお︑検討すべき問題がある︒株式会社における所有と経営の分離︑および︑所有と支配の一致︑について

である︒株式会社形態における資本の二重存在化は︑所有と経営の分離の基礎をなす︒株式会社においては︑株式証

券としての資本の売買とは別個に︑株式会社の現実資本はその運動を継続しうる︒資本の機能︵経営︶は︑その所有

一一P29一脚

(21)

の移転と分離されて行なわれるがゆえに︑ここに︑所有と経営の分離が必然に生ずる︒ところで︑株式の内容となっ

ている現実資本に対する割合的所有権原︵国お①暮償ヨ゜・寓8甜賃o胃節鐙﹀の具体的蓑現は︑株主総会での議決権であり︑

株主総会の議決は一株一議決権の資本多数決による︒そこで︑多数の株主のなかで︑ある比較的多数の株式を有する

株主が会社支配を獲得すると︑残りの株主の議決権は実質上無意味となり︑利益配当請求権しか残らない︒かかる群

小持分資本家は︑利子付資本家に近づく︒こうして︑支配株主は比較的少額の自己資本の所有により︑ごく多額の他

人資本を自己資本同様に使用できる︒このような資本所有の性格変化は一株式会社内部にとどまらず︑相互株式保有

や持株会社などさまざまの企業結合方式にも用いられるが︑ここではたち入らない︒

 要するに︑株式会社における所有と経営の分離は︑資本の二重存在化から必然となるのに対し︑所有・支配の分離

とは︑非支配株主が所有の実質たる支配を支配株主に吸収されていることの反映にすぎない︒その意味では︑所有と

支配は一致しているのである︵岩綺﹁所有と支配の分離﹂︵上柳克郎臼河本一郎編−企業・経営と法︹有斐閣馬一九七三年︺︶三

一ー三二頁︑宇野・前掲一五九−一八〇頁︑なお︑大塚・集中二五三頁︶︒

 なお︑株式会社の所有構造を︑いうところの﹁資本の私的所有の論理﹂から解明する理論がある︵寓山康脊.現代資

本主義と法の理論︹法律文化祉︑一九六九年︺︑同・現代商法学の課題︹成文堂︑一九七五年︺所収の諸論文︒これは︑川合一郎︐

資本と僑用︹有斐閣︑一九五四年︺に拠り︑ 川島武賞・所有権法の理論︹岩波書店︑一九四九年︺を抵判的に発展させようとした

ものである︶︒すなわち︑私的所有に内在する矛盾の展開としての所有形態の展開・発展には︑一一つのものがある︒商

品生産社会の私的所有︑つまり商品の私的所有の矛盾の展開としての﹁商品の私的所有の論理﹂と︑資本主義社会の基

本矛盾︑つもり生産が社会的でありながら所有は私的であるという矛盾の展開としての﹁資本の私的所有の論理﹂であ

る︒株式会社・トラスト・コソツェルソなどは︑後者の論理でしか捉えられない︒資本所有と資本機能︵経営︶の矛盾を︑        資本所有と資本機能︵経営︶の分離と統一により解決した資本集中の最高の発展形態こそ株式会社である︑という︒

一130一

(22)

 * なお︑當寓理論のこの紹介ば︑あるいは︑かたようたものであるか竜しれない︒紙幅の制約もあるが︑紹介の重点を︑論者

  からの批判点が理解しうるように記述したものだからである︒教授の理論の冥髄は︑むしろ︑﹁所膚と経営の論理的矛盾とそ

  の発展﹂論文と︑現代法ジャーナル掲載諸論文にあるように思われる︒

 この見解に対しては︑経済と法の規定娃媒介関係を欠落した理論であるという指摘や︵稲本洋之助﹁資本主義法の歴

史的分析に関する覚書﹄法律時報三八巻一一 号二〇頁︑同﹁資本主義の展開と法﹂ マルクス主義法学講座4 ︹日本評論社一九七八

年︺一四〇1一四三頁など︶・既に成立した株式会社を前提として説く理論1ー株式会社の形成過程ではなく発展過程を

聞題とする理論iだとの批判︵鷹巣・前掲六六!七〇頁︶がある︒

 しかし最近では︑前者の指摘に基本的には同調しつつ竜︑當山理論には︑株式︑法入などの株式会社法の法的カテ

ゴリ!が︑ ﹁単純﹂な商品貨幣形態に還元しつくされない要素を含み︑それは多かれ少なかれ資本形態によって規

定されている可能牲があること︑このことに対する問題提起が実質的には含まれていたのではないかとする見解もあ

る︵本間﹁現代財産権論﹂一三七︑一四ニー一四四頁︶◎

 これらの議論はまことに興味深いが︑それらはすぐれて理論法学の問題である︵霞山教授の場合には︑その理論法

学的認識が法的実践の分野で展開されているが︶︒解釈法学として︑企業の諸形態の区別と関連を統一的に把握しよヶ

とする本稿の課題とは︑いささかズレがある︒かかる議論の分析・検討は︑後日︑稿を改めて論ずることにしたい︒

 株式会社︵︾寡冨お霧Φ臣oゲ藤︶においてば︑社員︵株主︶全員が株式の引受価額を限度とする間接有限責任だけ

を負い︵商法二〇〇条一項︶︑株式は譲渡自由が原則である︵同二〇四条一項本文︶︒つねに変動する多数の株主から

なる株式会社の運営は︑資本多数決すなわち一株一議決権原理による株主総会︵同二四一条一項︑二三九条︶で選任

される取締役からなる取締役会および代表取締役によって行なわれる︵同二五四条一項︑二六〇条︑二六一条︶︒ 社

員資格と機関資格とは分離されている︵同二五四条二項参照︶︒

一131一

(23)

有限会社︵Ω馨蓉冨津三芸窃魯周轡葬窪疑津§9は︑商法上の三種の会社形態が社会経済史的産物の法的固

定゜確認であるのに対し︑法的発開による政策的産物である︵岩晦・前掲一三頁︶︒それは﹁簡易化された株式会社﹂

と称される︵竹内・前掲︸三頁︒なお厘頭募註8︑鴻・薩会社法の研究︹文久書林︑一九六〇年︺六九葺下参照︶︒.あ

企業形態にあっては︑資本市場の利用を排除される点が株式会社形態と決定的に異なる︵岩崎.前掲;τ一四頁︶︒す

なわち・社員はその持分譲渡が制限されている︵有限会社法一九条︒なお同一二条も参照︶︒ 社員の責任は馬株式会

社の株主の責任と同じだが︵里七条︶︑特定の場盒資本填補責任を負い︵同西条︑一五条︑五四条︶︑また内部

関係の規制においても人的結合性を備えている︵たとえば︑同八条・一九条八項・二五条.三三条一項.四二条な

ど︶︒

 五 企業形態の実態

 企業形態の法的規範が︑各国において巨視的にみれば共遇するにしても︑企業形態の実態をみた場合には︑全く別

の・様桐を示すことになる︵寓・前掲二甲四〇︑四七i五七頁は︑義を力説する︶︒それは︑わが国において︑なか

んずく株式会社にかんしていちじるしい︒敗戦後︑節税目的の.法人成り﹂ー適確には﹁株式会蔑り﹂︵睾宏.企

業形態と法﹂現代法?鶉四〇西叢毯ーξによぞ︑株式会社とする必然性のない会社︑言途えれば資本市場

を背景としないまたはそうすることのできない会社が︑ぼう大にあらわれたからである︒

 これにつれて株式会社法は︑ぜんじ法規範の分化をみせはじめてきた︒規翻分化の萌芽は︑上場会社にかんする証

券取引法一九三条の二であったが︵なお証券取引法施行令八条も参照︶︑その後︑商法自体のなかでも一九六六年改正

︵昭和四一年法律八三号︶により︑非上場会社となることを意味するところの株式譲渡鰯限の規定が設けられた︵商二

〇四条ー二〇四条の五︑鈴木竹雄河本一郎・証券取引法︹有斐閣︑一九六八年︺二〇四ー二〇五頁︑竹内.前掲五四頁参照︒な

一132一

(24)

企業組織法と企業の諸形態

お︑竹内﹁譲渡鋼限株式の上場﹂商事法務研究四三二号︹一九六七年︺二頁以下︶︒また︑ 一九七四年︵昭和四九年︶に制定

された︑いわゆる商法改正三法のなかの監査特例法は資本の額五億円以上と一億円以下の株式会社にかんする法律で

ある︵同法一条参照︶︒同法により︑株式会社・監査制度に対する法的規制は︑資本の規模に応じて︑三類型に区分

された︒すなわち︑①大会社︵資本の額五億円以上︶ll同法第二章により会計監査人︵公認会計士.監査法人︶の

監査と監査役の会計監査・業務監査とを受ける︒②中会拙︵資本の額一億円超五億円未満︶1商法のみの適周を受

け︑監査役の会計監査・業務監査を受ける︒および︑③小会社︵資本の額一億円以下︶1同法第三章により︑監査

役の会計監査のみを受ける︒なお︑①大会社については︑同法附則二項により︑証券取引法の適用会社以外の資本金

一〇億円未満の会社には︑別に法律で制定されるまでは同法の適用が除外された︒要するに︑会計監査人の監査対象

企業は資本金一〇億円︵株式上場企業は五億円︶以上とされたのである︒改めて指摘するまでもないが上場企業につ

いては︑規制が厳格であることがうかがわれる︒また︑ちなみにいえば︑銀行取引においていわゆる担保価値あるも

のは上場会社の株式だけだということも示唆的である︒

 要するに注目すべきは︑分化の規準が多くの場合当該会社が上場会社であるか否か︑に置かれていることである︒

これは︑資本市場を背景とする株式会社をして本来の株式会社たらせようとする動きであって︑その理由は︑さきに

四ー4で論述したところから明らかであろう︒

 一九八一年︵昭和五六年︶一月二六周︑作業を進めてきた法綱審議会は商法第二編.会社と監査特例法の改正要綱

を法務大臣に答申した︒ここでは︑会計士監査の問題についてだけ触れておきたい︒答申では︑上記の現行の当該監

査を必要とする範囲を︑①資本金五億円以上︑②一年間の営業収入が二百億円以上︑③負債額が百億円以上の会社⁝

に拡大するよう求めている︒そこには︑一見すると︑上場・非上場の区分以外の基準による政策判断がなされている

ようだが︑しかし︑現行の範囲と対比してみれぽただちに理解できるように︑株式上場企業は五億円以上の会社が当

一一・・ 133 一

(25)

      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  ゐ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

該監査を受けるという現行の基準の設け方に沿っての︑より厳格な規欄がなされたのだ︑と受け取ることができるで

あろう︒その理由はおそらく︑基本的には︑資本市揚を背景とする株式会社をして本来の株式会社たらせようとす

る︑いわば見えざる手による動きにもとつくものであるとともに︑﹁株式の譲渡制限または上場・非上場の区分基準

もそれぞれに欠陥はもつが︑企業の閉鎖性または非公開性の基準としては︑明示性と固定性ないし安定性という特色

をもつもの﹂︵酒巻俊雄﹁大小会社の区分と規制分化﹂商事法務七三〇号二九七六年︺六頁︶だからであろう︒

六 結 語

 企業の諸形態の区別と関連の統一的紐握にかんして︑本稿を要約することは略す︒本稿の作業のなかで︼応の見通

しをえた︑企業組織法分野におけるわたくしの今後の課題を設定しておきたい︒株式会社︵法︶の理解の要諦は︑資

本市場の確立を前提とする︑むろん有限責任の︑譲渡自由な均一株式の分析にある︒具体的には︑その株式の譲渡方

法が︑資本市場との連動において変遷してゆくありようを理論的に認識することが︑その理解の一つの有力な手がか

りになるのではないかと思う︒

 さらに言えばー産業資本段階における株式会社︵法︶は︑金融資本段階における株式会社︵法︶を理解するため

のモデル足りうるか否か︑の問題も含めてーー︑現代株式会社の法的構造を理解するための研究にとって︑日本の株

式会社法史はきわめて重要な素材を提供してくれるように思われる︒なぜかと雷えば︑その性格がいちじるしく強い

後進國型の資本主義である日本資本主義は︑その展開の端緒において︑株式会社形式による機械制大工業を移殖され

たわげだが︑はたして︑この移殖された株式会社形式は︑その実態において︑どのようなものとしてこんにちまで展

開されてきたのか︒また︑これとかかわって︑実態において株式会社法はどうであったか︒これらのことを︑資本市

場と連動した株式の譲渡方法の変遷に則して︑分析.研究するならば︑わたくしが先に捷起した課題ρ一斑が解明さ

一134一

(26)

れるのではないかと思われるからである︒  かかる問題意識は︑﹁白紙委任状付記名株式の譲渡と商慣習﹂という文字通りささやかな小稿を著すうちに形をな

し︑ついで﹁保険法史試論ωi日本資本主義史との関連においてー﹂損害保険研究三九巻四号︹一九七七年︺=一〇

頁以下をまとめるにあたっても︑それに基づく研究のための準備をも兼ねているつもりであったのだが︑いくつかの

理由でこの続稿は︑草稿のままである︒内心撞泥たるものがある︒後日の研究を期したい︒この点︑最近の文献とし

て︑有沢広巳監修・証券百年史︹臼本経済新聞社︑一九七八年︺は興味深い︒       ︹一九八一年一月三〇日︺

一ヱ35一

参照

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