日本保険学会の今後の発展に向けて
森 宮 康
はじめに
日本保険学会への入会は,明治大学商学部専任助手として採用された昭和 45年のことであった。入会前の院生時代から,保険の機能・構造を学ぶなか,
リスクへの対応が保険の基本にありながら,リスクについての研究がさほど なされていないことに素朴な疑問を感じていた。また,印南先生のご指導に よ り カ ー ル・ハ ッ ク ス(Karl Hax)著
Grundlagen des Versicherung-
swesens
の翻訳を行っていた時,アメリカの文献に見られたリスク概念と同様の使われ方が同著の
Risiko
概念にあったこともリスクへの関心を高 める一因となっていた。その後,印南先生の紹介によりカイリン・トゥアン(Kailin Tuan)(現
Temple University名誉教授)著の論文の翻訳を通して,リスク並びに類
概念であるハザード 等について考察を進めることになった。そして,拙い ながら リスク概念 についてのまとめを明治大学大学院紀要 に発表した/平成20年1月7日原稿受領。
1) 本 著 は
Betriebswirtschaftlicher Verlag Dr
.Th
.Gabler GmbH Wies-
baden
1964から刊行され,訳書は,カール・ハックス著(印南博吉・森宮康共訳) 保険要論 として,泉文堂から昭和46年4月に出版された。
2) 例えば,カイリン・トゥアン著(森宮訳) ハザード研究序説 損害保険研 究 第34巻第3号㈶損害保険事業総合研究所昭和47年8月。
3) リスク概念について 明治大学大学院紀要 第6集,明治大学大学院 (1968); リスク 明治大学大学院紀要 第7集,明治大学大学院 (1969);当
のが,保険とリスクマネジメントに関する研究を進める契機となった。
1.日本保険学会における活動
日本保険学会における正式なデビューは昭和47年のリスクマネジメントに 関する 保険学雑誌 への論文 発表といえる。当時は,保険市場構造は保 護主義のもと各種の規制下にあり,例えば,損害保険料率の点に関しては算 出団体との関係のみならず,企業の保険利用の実態においてもディタクティ ブルの理解はほとんど無かった。そうした状況への一石と思い書きあげた論 文であった。
その後,数年,日本の企業のリスクマネジメントの実態を明らかにするた めの調査を細々と続け,その調査報告を明治大学商学部の機関誌に発表し , トゥアン教授の勧めによりその分析結果をアメリカの保険雑誌(ベストレヴ ュー) に発表した。さらに,アメリカの保険市場におけるリスクマネジメ ントに関するダイナミズムと保険企業・保険ブローカーの連携に関心を持ち,
キャプティヴ に関する研究を展開することになった 。
時の重要な文献として箸方幹逸著
Risk:保険理論の基礎概念−アメリカに
おける最近の 論争 経過報告によせて 損害保険研究 第31巻第1号がある。4) リスク・マネジメントにおけるトゥールミックス−ディダクティブル条項 付保険をめぐって− 保険学雑誌 第457号 日本保険学会昭和47年6月。前 年に リスクマネジメント−その理解のための若干の考察− 明大商学論叢 第54巻第2号,1971年を書いたことが契機となっている。なお,この頃,慶應 大学の前川寛教授 (当時) が リスクマネジメントに関する一考察 三田商 学研究 第10巻第20号を発表された。
5) 例えば, 我国の代表的企業におけるリスク処理−リスク処理に関する調査 報告− 明大商学論叢 第55巻第5号
PP
.81〜105,明治大学商学研究所,1973年7月,企業におけるリスク処理 明大商学論叢 第55巻第6・7号 明治 大学商学研究所。
6)
“Patterns of Risk Treatment and the Japanese W ay of Handling Risks”
,Bestʼ s Review
(P/ L) vol
.76No
.3,A. M. Best Company
1975年7月.
7) キャプティヴ に関する考察 損害保険研究 第36巻第4号㈶損害保険 事業総合研究所,昭和49年12月。その後, キャプティヴ研究 ㈶損害保険事
こうした活動のなか,昭和59年10月の日本保険学会横浜国立大学大会にお いて評議員に選出され,昭和61年10月に理事となり,平成10年10月の一橋大 学大会において前川寛理事長からバトンを引き継ぎ,平成14年10月の明治大 学大会まで理事長を務めさせていただいた。
現在の社会環境の変化は著しく,保険市場に対する行政のスタンスも変容 しはじめ,研究者として保険市場の実態を注視する必要が感じられた。そこ で,過去を回顧するとともに,現在・将来について,若干,言及しておくこ とにする。
2.研究支援団体の存在意義
日本保険学会にとり,重要なことは若い研究者へのサポートである。大 会・部会以外における研究発表の機会は多いほど意味がある。特に,サポー ト体制として生命保険文化研究所(以下,文研),損害保険事業総合研究所
(以下,損保総研),生命保険文化センター(以下,文化センター) の存在 は大きかった。
文研は,研究者として若手を育てるため,研究発表の場のみならず研究費 の助成制度を設けていた。研究には,理論的な側面のみならず実務的な側面 を理解しておくことが重要であった。そこで,昭和50年代に入ってから文研 の東京事務所長(当時)に相談し,実務家から助手・講師・助教授といった 若手研究者に保険経営に関する現状解説の場の提供をお願いすべく,企画を 提案した。しかし,若手に限定したことに対する反対を受け,実現が危ぶま れたが,参加者を文研メンバーに拡大し,懇談会 として開催された。運営 主体は文化センターに移行され,今日に至っている。研究者が業界情報に接 する機会をもてたことはそれなりに意義のあることであった。
業総合研究所平成9年7月へと続くことになる。
8) 文研の業務は,日本生命保険相互会社の都合により,図書館機能を本社に残 し,生命保険文化センターに後事は託された。
9) 現在は,生命保険文化センターの懇談会として存続している。
また,文化センター及び損保総研による研究支援・助成活動も重要である。
損保総研の助成活動は現在も継続されているが,文研の事業に関しては,文 化センターに組み込まれ学術振興事業等として存続している。特定のテーマ に関する研究のため,代表者を中心に共同研究者が集って行われる研究会の 実施は重要な役割を果たしている。研究の成果 については,後日,出版社 を通し公刊されることが多い。こうした支援活動は若い研究者にとり非常に 有意義であり,今後とも継続されることが望ましい。ところで,現在,各大 学において,文部科学省や経済産業省関連諸団体から研究費を獲得するため の取り組み・評価体制が構築されており,文化センターとしてもこうした動 きを考慮し事業展開を検討すべきかもしれない。
3.関連団体との研究協力
日本保険学会の歴史から,日本アクチュアリー会及び日本保険医学会に関 わった方々の重要な役割が認識できる 。したがって,保険学の体系におけ る保険数理,危険選択等との関係から協力関係を強化することは重要な課題 の一つであったといえる。
1990年代の終わり頃,社会的に問題とされたテーマの一つに遺伝子診断が あった。このテーマは,保険業,特に生命保険業にとりかなり微妙な要素が 存在していたが,第三者的な視点から見るとき,日本保険学会として取り組 むべき課題であると判断し,小林三世治評議員(現理事)に相談させていた だき,日本保険医学会,日本アクチュアリー会等からの協力を得て実現した のが,平成12年度駒沢大学大会における 遺伝子診断と保険業 と題した
10) 例えば,水島一也先生をリーダーとする研究会における研究成果としての 生活保障システムと生命保険産業 千倉書房,昭和62年11月; 保険文化−リ スクと日本人− 千倉書房,平成7年9月等が想起される。
11) 日本保険学会30年略史 日本保険学会創立30周年記念論文集 日本保険 学会,昭和46年6月,PP.515〜579。
12) 社会的に高い関心を呼んだシンポジュームであった。報告者による論文は次 の通りである:岡田豊基 遺伝子診断と保険業の法的交錯 ,佐々木光信 生
シンポジュームであった。
しかしながら,社会の関心は
DNA
解析に向けられ,さらに経済環境の変 化の影響を受け,視点が景気動向に移り,遺伝子診断の社会的な関心が薄れ た感がしないでもない。しかし,この問題は,今後とも多面的に考察する必 要が残されていると思われる。4.国際交流活動関連
日本における保険研究は,歴史的に,特にドイツ,フランス,イタリア等 から経済的・法的基盤を,またアメリカより保険市場論的ベースを学んでき た。戦後,保険学会から日本保険学会へと改編した時代にも,海外文献に依 拠した研究が根強かった。こうした動きは,保険学に限定されたものではな く,ほとんどすべての社会科学の領域で見られた傾向と言えなくはない 。 戦前の保険市場における混乱を避けるため保険市場を保護した行政指導の存 在も無関係とはいえない。ちなみに,保護主義的な保険市場動向は,1996年 の保険業法の全面改正に至るまで持続し,保険研究にも影響を及ぼしていた といえる。
特に海外との学術交流に関して 日本保険学会30年略史 (以下,略史) によれば,日本保険学会は設立当初から 内外の関係学会又は団体との連絡
命保険の危険選択 ,武部啓 遺伝的多様性をどう理解するか−遺伝子診断・
検査に望む− ,小林三世治 遺伝子診断と保険業 保険学雑誌 第574号,
平成13年9月。
13) 物理学,医学,数学等の領域においてはグローバルな視点が存在していたが,
社会科学の領域では特に指摘できると思われる。
14) 前掲略史,PP.537〜539。例えば,ドイツのハンス・メラー(Hans Moller) 博士,カール・ハックス(Karl Hax)博士,フレルス(Frels)博士,アメリ カのソロモン・ヒューブナー(S.
S. Huebner
)博士来日時の日本保険学会理 事会の対応等の記載がある。その他,ドイツ,アメリカ以外にもイタリア,フ ランスの学者との交流はあったものの,主として個人的な関係がベースであっ たと思われる。ところで,韓国保険学会については故韓東湖博士との関係の他,アジア保険会議についての記述が略史に見られる。
を図ること が当時の会則(2条4号)に目的として規定されていたが,我 々の先達の研究領域並びに海外研究者との交流関係が影響していたといえる。
現在,日本保険学会のホームページに,関係学会として
AIDA
(Associa- tion Internationale du Droit des Assurances
),韓国保険学会,ドイツ保 険 学 会(Deutscher Verein fur Versicherungswissenschaft),APRIA (The Asia‑Pacific Risk and Insurance Association
),ARIA(Amer-ican Risk and Insurance Association
),IIS (International Insurance Society
) の記載がある。国際交流活動については参加者の派遣という視点から,AIDA,韓国保険学会,APRIAが示されている。
こうしたなか,日本保険学会として考えるべきことがあるように思われる。
それは,昨今の若手の研究者の世界では博士号の取得のみならず国際学会で の発表は必要要件とされ,国際学会誌への投稿は国内より上位に考慮される ようになってきたからである。そうした動きは,近年の中国なり韓国等の大 学教員の採用要件に顕著に見られるようになっている。したがって,日本保 険学会としても大学院生・若手研究者の研究への刺激を提供する場としての 在り方等を考慮する必要がある。そこで,これまでの体験から上記機関のう ち
IIS,AIDA,APRIA
について,若干,触れておきたい。4−1 IIS 関係
IIS
は1965年に保険情報交換のためのセミナー,研究活動等のための非営 利団体として設立された。その重要な活動のひとつは,1957年にジョン・ビ ックリー(John S.Bickley
)博士(アラバマ大学名誉教授)により創設さ れた保険殿堂 (Insurance Hall of Fame
) の運営にある。また,IISにお いて重視されているセミナーでは,各国から選ばれた大学教授と保険経営者 による共同モデレーターのもとで,あらかじめ提示された課題に関する情報 交換・共有のために積極的なディスカッションが展開されている。この他,15) 設 立 当 初 は グ リ フ ィ ス 財 団(The Griffith Foundation for Insurance
Education in Ohio)により運営されていた。
保険研究者の優秀論文表彰,保険殿堂入りのための候補者選出・決定,ビッ クリー創設者賞の授与等が行われている。これまでの参加経験に鑑みて,す ぐれた保険経営者陣との交流,研究活動への刺激に関し重要な意味があるこ とを付記しておきたい。
しかしながら,日本からの参加者については個人的な参加が主であり,日 本保険学会との接点は薄くなってきた感がするが,日本からこれまで保険殿 堂入りした先達 の存在から再考の余地が残されていると思われる。
4−2 AIDA関連
AIDA
については,日本保険学会として重視してきた経緯があり,1997 年のマラケシ(モロッコ)大会では木村栄一先生(一橋大学名誉教授)にゴ ールドメダルが贈呈された。筆者も日本保険学会より派遣され,報告を山下 友信教授と共に行ってきたが,かつてAIDA
をリードされた中核的教授が 逝去されて以降,現在,実務家弁護士が中心となって展開されているといえ る。運営については,各国の事務局に質問項目が寄せられ,それへの回答が 大会において報告される他,課題ごとにグループ討議が行われ,その結果が 集約される。重要なことは,保険法をめぐる理論・実務的なコミュニケーションのあり 方である。そのために
AIDA
に参加するメンバーの選び方が重要と言える。理事なり評議員のうちから決めるこれまでの方針以外に実務に精通した研究 者等を派遣することも考えられる。しかも,成果報告が保険学雑誌に掲載さ れるだけで良いのか,検討すべきである。
16) 日本において保険殿堂入りされたのは,阿部泰蔵,弘世現,井口武雄,伊藤 助成,門野幾之進,各務謙吉,川井三郎,村瀬春雄,矢野恒太の諸氏(アルフ ァベット順,2007年現在)である。欧米の状況と比較するとき,日本では保険 業界の方が多いのは
IIS
との関わり方に関係がある。17)
AIDAへの参加に関し,前掲 日本保険学会創立30周年記念論文集 における
日本保険学会30年略史 において若干の記述があるので参照されたい(P.537)。
4−3 APRIA関連
国際交流との関連で,APRIAについて若干言及しておきたい。APRIA は, アジアにはリスクと保険に関する国際学会がない,創設の意義がある というアジアの若手研究者の熱意に動かされたハロルド・スキッパー(Har-
old Skipper
)教授(当時,ジョージア州立大学,Nanyang TechnologicalUniversity
客員教授)からの呼びかけによっている。それは1997年9月,シンガポールで開催される
Inaugural Conference of Asia‑ Pacific Risk and Insurance Scholars
への参加要請であった。参加者としてARIA San Diego大会(1991年)に共に参加した西江大学(韓国)のキュンリョン・リ
ー(Kyung Lyong Lee)教授を含め,ウォートン・スクール在籍中に知り 合った多くの友人達が顔を揃えており,皆でアジアにおける国際学会の立ち 上げを祝したのであった 。
正式名称は,1998年の第2回シンガポール大会において
APRIA
と決定 された。そして役員構成を決め,初代会長に韓国保険学会会長(当時)のキ ュンリョン・リー教授が選出された。その後,産業界の支援も受け,保険監督行政官をスピーカーに迎え,産官 学連携の国際学会として年を追うごとに認知度が高まってきている。開催 国 として東京大会が決定されたのは2003年度バンコク大会であった。
東京大会については,日本保険学会,日本アクチュアリー会,日本保険医 学会,文化センター,損保総研の各代表者からなる組織委員会を立ち上げ,
生損保両協会,コミールグループ,スイスリーキャピタルマーケットの財政
18) 日本からは大城裕二(岡山商科大学),故星野良樹(当時,甲南大学)両教 授が参加した。
19)
APRIA
の運営等については,学会ホームページ(www.apria
.org)に掲
載されているマニュアルを参照されたい。20) 開 催 国 等 の 審 議 は
Executive Committee
(President
,Vice‑President
(Finance
),Vice‑ President
(Program
),Secretary
,Secretariat等 か ら 構
成)により行われ,審議結果はBoard of Governors
において報告了承を得 て,総会を経て実行される。的支援を得て,2006年7月30日から8月2日,明治大学主催で開催された。
メインテーマは 新たな地平を求めて:リスク・保険ソリューションのグロ ーバル化 とした。ヴァイディアナサン
APRIA
会長(当時)の歓迎の挨拶 に続き,金融庁の知原信良国際担当参事官 が講演を行った。産官学の連携 の伝統のもと基調講演は行政官に依頼している。4つのテーマによるプリナ リーセッションのほかに,5つのコンカレントセッションにおいて約130本 の研究報告が明治大学リバティタワー内の8会場で行われた 。特に,中国,韓国等の若手の研究者のセッション報告にかける意気込みには驚嘆するもの があった。それだけ,各国における研究職のポジションに関する厳しい環境 が背景にあるものと思われる。
ところで,東京大会には25カ国から250名が参加した。従来,主催国の参 加者が圧倒的に多いのが一般的(例えば,タイの場合は約50%)であったが,
本国開催にも関わらず,国内参加者数が約35% ,発表者数も相対的に少な かった。特に,各国の若手研究者は 国際学会での報告が不可欠 であると いう緊迫感を持って参加している。その意味ではわが国の若手は気迫におい てすでに遅れが感じられる。APRIAへの参加は,アジア太平洋地域におけ る自然環境の変化による災害の多発,地政学的状況の変化,国際情勢のアジ アへの影響,若手研究者のテーマ・取り組み姿勢などに目を向ける良い機会
21) 五味長官が業務の関係で出席できなかったことによる。なお,プリナリーセ ッションⅠ 保険市場の変化:行政の立場から では,スキッパー・ジョージ ア大学教授(前年退任)の司会のもとで,河合IAIS事務局長,保井金融庁保険 課長,スリニバサンIRDAメンバー,チャン台湾金融庁長官の報告が行われた。
22) ジェフェリー・トーマス(プログラム担当)副会長(当時)によれば200本を 超えるプロポーザル論文が提出され,約150の論文が採用されたが,ビザ取得 の難しさなどの理由で約20本がキャンセルされたという。
23) 今回は東アジア保険会議と日程が同じであった他,日本保険学会会員の所属 大学における前期末試験が関係したかもしれない。日本の若手研究者に参加し,
国際学会を体験してもらいたいという願望からすれば,若干,残念な結果とい える。しかし,2007年度の台湾大会では,わが国からの研究者の発表数は倍増 し,将来への期待に繫がったといえる。
であるといえる。
5.今後に期待して⎜ 研究者をめぐる環境変化に関して⎜
国際社会における日本の存在を考えるとき,考慮すべきは規制との関わり である。いち早く規制緩和をベースにグローバリゼーションに即応した業種 があった。 ものづくり の世界である。志の高い関係者が世界企業を競争 相手とし,自らを鍛え上げたことにある。わが国の金融業はバブルの頃,世 界にその存在を誇った。しかし,内実はグローバルスタンダードには程遠い ものであった。保険の世界も保護主義下にあり,相通じるものがあった。自 由化が進められたのは平成8年の保険業法改正以降のことであり,しかも,
その後の変化は関係者の想像を超えたものであった。
ところで,グローバルな世界におけるわが国の保険理論はどうなのか。世 界は日本の保険市場をどのようにみているのか。保険行政の変化により自由 化が進んだ今日,保険市場の違いを特殊性から論じることではすまなくなっ た。また,海外の大学のカリキュラムに比較して,国内では保険学関連の科 目が減少してきている現状がある。それが何を物語っているのか,ファイナ ンスの領域に包摂されるのを待つのか,それに対して,いかに対応すべきな のか。保険は長い歴史の歩みの中でその存在を持ち続け,さらに保険リスク 対応に関してはリスクソリューションの中核として合成されてきている。日 本保険学会として,世界に通じる研究発表の機会とそこでの研究内容(質)
をどう考えるべきなのであろうか。
そのためには,優れた方法論,研究対象,研究基盤等の整備が必要である。
これらは単に大学だけで解決できる問題ではない。保険業界としても,人財 を送りこむ教育・研究機関への支援の在り方を考慮すべきである。さらに,
保険リスクに関する関係省庁の相互協力も不可欠である。これは,産官学連 携の持ち方に関することであり,あらためて日本保険学会として考えるべき 重要な課題であるといえる。
(筆者は明治大学教授)