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(1)

cheapgovernment という言葉の  

用例について(1)  

西 山 ′一  

郎  

Ⅰ やや長い序一一個人的回想一  

今日わが国では財政学の教科書に.ほもちろん,新聞にものり時の首相もロに   する cheap government,一邦語では.,「安価な政府」,「安あがりの政府」,  

「安くつく政府ム「チ−プ・カバメソト」等と表記される−という言葉の,イ   ギリスに.おける19世紀前半の、用例の発見を報告するのが小論の目的である。   

しかし,「用例の発見」などというと,素人衆ほ,なにおネポケタことを!こ   れはど人口に胎灸された言葉の用例を今さらあげつらうこともあるまいといわ   れるであろう。たとえ.ば,どく最近も,いいだ氏は「‥‖l・それに.しても,国家   独占資本主義とか組織資本主義とかいわれるこういう管理社会も,もともとの   資本主義からみればずいぶん奇妙なものでほないでしょうか。アダム・スミス  

チ−プ・ガプアメント  

なんかの資本主義観の核心の1つは,いうまでもなく 安上りの政府 に.あっ  

(1)  

たのですからね。」と,さも当然のようにスミスと cheap government,を結び   つける。しかし,山崎教授が「スミス自身は,いままで知られている資料で   は, 安価な政府,,(Cheap Government)ということばも, 必要悪ガ という  

(2)  

ターームも使用したことほ一度もない.」といったのほ,1966年である。そして,  

教授は, cheap government,の用例を宝さがしのように求めて25年になるが,  

(1)いいだ・もも「新しい科挙文明」,『世界』第399号,1979年2月,21ぺ・−ジ。  

(2)山崎 怜「アダム・スミスといわゆる 安価な政府 」,香川大学経済学部『研究年   

報』5,1966年3月,144ぺ−ジ。そして,最近では,杉山教授も「スミスに・ほ『安価   

な政肝』という語句がな」く,「その原型はむしろ別に.求められるぺきであろう。」(杉   

山忠平「プリ−ストリとスミ.スー18世紀思想史上の一局面−」,『思想.』第655   

号,1979年1月,24ぺ」一汐)といって,山崎説を支持してこいる。ただし,杉山教授申   

考える別な原型とはなになのか私に.はわからない。   

(2)

cheap government という言葉の用例について(1)   …77−  

77  

(3)  

その用例としてはわずか3つしか確認しえていないと最近告白しでいる。した   がって,イギリス生まれのこの言葉の使用例は,専門家のあいだでほ今日まで   そんなに知られていないといってよかろう。  

(4J   

戦前においても cheapgovernment という言葉に言及した文献ほあるが,  

わが国にはじめてそ・の用例を紹介したのは,故遠藤湘吉教授であろう。教授ほ,  

1951年に・,「N・E・D〔0.E.D.の前身〕に.よると,C.Wakefield,=Thomas   Attwood のしるすところでほ,1832年5月,バーミンガムにおけるPoliticai  

Unionの行進にさいし,Attwoodの考案に.なるCheap Gov.の文字が,旗の  

(5)  

1つに書かれていたという。」とのべた。そ・して,教授を執筆者の1人とし1955   年に初版を出した財政学の教科書は,「『やすあがりの政府』 Cheap Govern−  

ment という語が,いつ頃から誰れに.よ.ってもちいられるように.なったかはか   ならずしも明らかではないが,すで紅18世紀の終わりに.もちいられていたこと  

●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  

は疑問の余地はなく,19世紀に・ほいるとこの語の使用は珍しくほなくなった。  

なお,フランス人の経済学者J.B.セーーの『最良の政府ほ.もっともかねのかか  

(6) らない政財である』という句ほきわめて有名である。」と断定した。  

(3)山崎 怜「く安価な政府>のことなどⅦ−・スミス国家論に.よせて−−」,『番斎の鼠』   

第277弓,1978年9月,19ぺ一身。  

(4)、1例をあげると,永田 滑『現代財政学の理論−一既成体系の批判と反省−』岩    波音店,1937年,349ぺ−rジ;同『財政学の展開』日本評論社,1942年,426ぺ−汐。  

(5)遠藤湘書「減税に・ついで−−−トマス・ぺインにふれつつ−」,『社会科学研究』館   3巻算1号,1951年9月,49〜50ぺ一汐,注(2)。ただし,つづけて「わたくしは  

(ママ)   

Wakefieldの右の著沓を手にすることができず,C.B.R.Kent,M.Beer,Hal6vy,   

G再D.軋Cole等紅ついて調べた限りではこの事実を確かめることはできなかっ    た。」(同上)と,N・E・Dが依拠した出典にあたりえなかったことを教授は率直に記  

している。  

(6)武田・遠藤・大内『近代財政の理論…その批判的解明−』時潮社,1955年,88    ぺ−ジ(ただし,こ・のぺ−・ジほ私の手許に.ある再訂版(1964年)紅よる),注(2)。   

(傍点は西山。とくに.断わらないかぎりこの節に.おいては以下同じ。)この1節を誰れ   

が執筆したのかは私に.は不明であるが,多分遠藤教授の手紅なるものであろうと推測   

する。というのは,教授は,前掲論文に.おいて,「CheapGovernmentについて別に   

封画してこいる研究」(遠藤,前掲論文,50ぺ・一汐,注(3))があると予告し, c上1飽p   

government に関する研究がかなり進んでいることを示唆しているからである。し   

かし,その研究が予告通り完成したかどうかほ知らない。なお,セ−の1文はわが国   

に・おいて戦前から有名であり,最近の財政学の教科沓においても言及されている(大   

(3)

第52巻 簡1・2弓   78   

ーーー7ざ−−■・・■・  

山崎教授ほ,1966年の第23回日本財政学会で「安価な政府」の基本構成につい   て報告し,財政思想史上絶対的な「安価な政府」論と相対的な憂■安価な政貯」  

(7)  

論の2類型が存在することを指摘した。これは画期的な「安価な政府」論解釈   と思うが.,この報告の申で教授ほ.,前者の例と考えられるヨ−クレヤ−・運動の  

申から, ThetrueanswertothisreasoningisthatagoodざOVernmeniisa   cheab one and thatif wearewellgovernedweshallnotbeoppresed. とい  

($)  (9)  

う1文がうまれたことをサ ワォ−ド博士の著書から再引用しそ示した。これが   わが国に.紹介された cheap government という言葉の第2の用例である。   

スミスほ cheap government,という言葉を・−−・皮も使っていないという山磐   教授の指摘紅示唆をうけ,19世由の朗政政策史を研究していた私は,19世紀に  

ほいるとその言葉がイギリスを風靡したという『近代財政の理論』の主張を再   確認する必要を感じた。1966年噴からしばらく集中的に19世紀前単のイギリス   議会の議事録を読む機会があった私ほ,議員たちが cheapgovernment という   言葉を使っているかどうかを注意した。その結果モ幸か不幸か cheapgovern・  

(10)  

ment,の用例を1つも議員たちの討論に.おいてこ発見できなかった。そこで,   

川編『財政論叫理論・制度・政策の総合−』有斐閣,1975年,19ぺ一汐<池田浩    太郎教授の執賓>;加藤・地上編『財政学概論一現代資本主義と財政分析−』有    斐閣,1978年,125ぺ−ジく鷲見友好教授の執筆>・)。しかし,すべての論者は,セ−   

が本当に.「安価な政府」という言葉をつかったのか否かの肝心の点一肌諸教授にとっ   てほとるに.足らないことかもしれないが−−【−を奇妙に避けている。  

(7)報告の詳細は,山崎「『安価な政府』の基本構成」,『日本財政学会ブレティン』(ⅠⅠ),   

1967年,をみよ。これほ,『香川大学経済論叢』貨41巻第2号,1968年6月,に.再録。  

(8)W R.Ward,The English Land 7axin the Eighteenth ce7dur.y,London,   

1953,p.126.イタリックは原文通り。以下とくに断わらないかぎり同じ。  

(9)山崎教授の報告にたいして当日舟場正富博士が質問に立ち,やはり ago〃♂gβむβ′乃一    桝¢乃fis a cカ♂α♪0昭β,を引用して質疑をしていたのを記憶しているので,博士もこの   

1又紅当時より注目していたと思われる。この1又は,博士の1971年の論文「18世紀   イギリスの財政改革運動について」,龍谷大学『凝済学論集』算11巻第1・2合併号,   

1971年9月,264ぺ一−ジ,において取りあげられた。なお,この論文ほ博士の『イギリ   ス公信用史の研究』未来社,1971年,第9蟄,に収められている。  

(10)拙稿「『自由貿易的経費膨脹.』政策上一19世紀中葉のイギリス議会(下院)に.おける    経費削減論議の検討山一・・_き,『香川大学経済論叢』簾39巻算4号,1966年10月,飢〜83  

ぺ」一汐;同「19世紀初頭におけ・るイギリス議会の経費論争」,同上誌,繹42巻算1・2   

号,1969年6月,169〜170ペ・−ジ。   

(4)

cheap government,という言柴の用例について:(1)   鵬79  

79  

1971年の第28回日本財政学会においておこなった報告に.おいてこの点にふれ,  

「第1は,『安価な政府』という言葉についでであるが,自由主義時代のイギリ   スにおいてほこの言葉の使用は−・般的でほ.なかったといえるのでほないか。イ   ギリス議会において経費節約や削減を意味するものとして通常使用されてヽ、る  

(11)  

言葉は, eCOnOmy , retrenChment , reduction 等である。」とのべた。こ   の私の指摘にたいして会場では特に.反応はなかったが,恒例の懇親会の席でた  

またま遠藤教授と山・緒になり,「讃の報告だが, cheap gOVernment という   のほあん寧り上等な言葉でほないのだよ。だから,私なんかは『やすあがりの   政府』と多少くだけて表現しているのだ。」という趣旨のことをいわれた。この   短評ほ私にとってVヨツクだった。というのは, cheap g−0Vernment が上品   な言葉でなく,車夫,馬丁,売春婦,あるいは大道香具師の使う言葉であると   すれば,女王陛下の臨席するクエストミンスク一議会の討論をいくらさがして:  

も見つからないのほあたりまえで,見当ちがいもほなはだしいということにな   る。しかも教授の[コぶりから教授はすでにイギリスへ洋行され,現地で cheap  

(12〉  

government,が高級な言葉ではないということを確認された様子であった。そ   の時もちろん私ほイギリスの土をふんだこともイギリス人に会ったこともなか   ったのでグクの音も出なかった。   

しかし,しばらくたって冷静に考えてみた。 cheap government が庶民の   つかう言葉であるという教授の指摘が正しいとしても,では『■近代財政の理論』  

の執筆者はどういう資料にもとっきその言葉が19世紀前半のイギリスにおいて   きわめて流布ざれていたと認定したのであろうか。私は思い切って教授に手紙   をかき,19世紀紅おいて車夫,馬丁等が使った cheap government の用例を   いくつか教えてはしいとお願いした。しかし,教授からほナンのつぶて。当初  

(11)日本財政学会『第28回大会研究報告要旨』1971年10月,13ぺ一一汐。  

(12)略年譜によれば,教授は,1964年9月〜10月紅「ドイツ,ハンガリ−,連合王国お   よびフランスへ出張」し,1967年3・月〜9月に.「欧〔イギリスをふくむかどうか,ふ  

ぐむ場合どの位滞在したのかは私に.は不明〕.米諸国へ出張」(柑口藤・武田教授還暦,  

遠藤教授追悼 現代資本主義と財政・金融』東大出版会,1976年,付録,19ぺ−汐)  

している。   

(5)

葦52巻 紫1・2弓  

−β0−−   80  

ほ駅弁大学の青二才に.は返事をする必要がないと判断されたのかと思ったが,  

尊意に解釈すれば,テ−プ・レコーダー・もない19世紀前半に.おける売春婦や香  

(13)  

具師のつかった日常会話の内容を今日知ることは無理で,返事がかけないので   あろうと自らをなぐさめた。   

他方,同僚である・仙 岬そして,うちあけていえば財政学研究の手ほどきをし   てくれた師でもある−H山崎教授は,いぜんとして cheap g0Vernment,のl一   層多くの用例発見紅情熱をもやしつづけているらしく,時々 r cheapgovern−  

ment,の新しい用例ほみつかりましたか。」とたずねられる。そのつど「いや,  

みつかりませんね。」とお答えする。しかし,おたずねがたび重なると常にない   といっていたのでは,宿題ができず教室に立たされている小学生のような気分   に.なり,私としても多少の用例ほ.是が非でも発見しなくてはと思うよう紅なっ   た。   

(14)  

1975年に.ひょんなことが契機で,私ほヨーク大学社会経済研究所把.客員研究   員(Visitirlg SCbolar)としてしばらく滞在することになった。研究所では毎日   午前10時45分からコ一−・ヒ−とビスケットの時間がは.じまり,私のような客員研   究員もふくめ出勤しているスタッフの大多数がStaffRoomにあつまり,雑談  

をたのしんだり,腕払おばえのある者ほ卓球に興じたりする。そこで,これは   好機とばかり,私はたどたどしい英語でイギリス人の研究員に「日本では自由   主義時代のイギリスの国家財政を象徴する言葉として cheapgovernmeht,と   いう言葉が有名だが,君ほ知っているかb知っていたら出典等を教えてはし  

(13)現在であれば,たとえばHen工■y Mayhew,エ0昭加花エα∂0〟㌢■の由㌧摘♂エ叔那わ咋fb〝   

(F..Cass版),VOIs.i,ii,iii,andiv,London,1967,をみれば,19世紀の下層    階級の証言をかなり知ることができると判断するであろうが,当時ほまったく見当が  

つかなかった。  

(14)所長は,ワイズマン(JackWiseman)教授,副所長はカリヤ−(A.J.Culyer)   

氏(Senior Lectur・er・,1976年K,Readerとなる),研究員が19名(1976年12月現在)。   

そのうえ紅諸外国から比較的長期に滞在する客員研究員がたえず訪れており,それは    1976年〜77年に.14名に達した。研究所の満動の概況について:は,たとえば,Institute   

of Socialand Economic Research,Researchin Economics and Relaied Studies   

J973−74,〔−YoI吋〕,n‖d・・,を衣よ。   

(6)

cbeap goveInment,という言葉の用例について二(1)  

−β∫−・  

81  

い。」とたのんだ。ところが驚いたこと紅数人の若い研究員ほだれもそんな言葉   は.知らないという。そこで,こ.れほ研究所の取りくんでいる共通デーーマがPublic   SectorStudiesProgrammeやHealthEconomicsResearchProgranrPeのよ  

うな現代的テ−マなので, cheap gOVernment,というような大昔のほE,りに   まみれた言葉にほ関心がないのであろうと思った。   

ある時,コ」−ヒ−・の時間私学部(ヨ・−ク大学経済学部)の経済政策担当の教   授であるクイリアムズ(A11anH.Williams)氏と一山緒になった。教授がr君は   なにを研究しでいるのか。」ときくので,私は「専門ほ19世紀のイギリス財政史   ですが,現在の関心の1つぼTre鱒ury Controlの歴史です。」とこたえると,  

彼は自分は大蔵省統制についてほ.よく知らないが,適任者を紹介してやるから   州一度話なしてみてほという。その適任者というのが,学部の講師であるスタッ   フォ−・ド(George B.Stafford)博士であった。博士の専門ほ第2次大戦後の  

(15)  

イギリスの経費政策の分析であるらしかったが,私ほ19世紀のそれとの比較を   中心に・議会統制や大蔵省統制についていくつか質問をし意見を交換した。博士   は,ウィリアムズ教授と共同で大学院の財政学のセミナ・、−も担当していた。そ  

こで,私ほ彼こそ cheapgovernment,について知っていると思い,ある時あ   る研究会が終わり有志が町へ夕飯をくいにゆくためあるカレッジのSenioI  Common Roomで待合せをして.いる時にたずねてみた。ところが,彼も知ら   ないという。そして,「男,そもそも cheap,なんていう言葉ほ.<cheap and   nasty というように,くだらないものをさすのに使うのだよ。」といって,そこ  に・あった椅子−それほたしかに,たいしたものではなかった−−を長い胸で  

(1¢) けっとばすまねをした。そこで私ほ,遠藤教授の先の指摘を思い出し,やっぱ  

りそうかと思った。どうも通常のイギリス人は, cheap government,なんて  

(15)のち紅知ったが,彼は,1975年紅,7伽㌧靴蘭軌励∴凱甜肋融ゞ0ノ P〝∂Jic劫Jよc.γ  β′∠≠よ・タカ乃 ∂/∠c且坤朗成一f彫γβ一都御威喝一Sよ〝Cβ〟紹月毎肌ね和風坤卵f,YoI■k,1974,牢 

より経済学博士号をヨ−・ク大学から授与されている。この論文は,ヨ・−ク大学中央図    啓館MoITellLibIaIy紅所蔵され・でいる。ただし私は未見。  

(16)たしかに. cheap and nasty という熟語があり,それは oflow cost and bad  

quality,(C。0.D.)という意味である。   

(7)

第52巻 寛1・2登  

叫−β2−   82  

(17)  

いう言葉を聞くと,「三文政府_!というかl ̄安かろう悪かろう政府_lというか   とにふく粕悪なものの見本を想像するらしい。   

それからしばらくたって,やはりコ・−ヒーの時間に・若い研究員のギボンズ  

(Andrew Gibbons)君に会い話をしていると経済史を専攻しており,19世紀初   頭からのヨー・クレヤーのクール産業の歴史を調べているという。この研究所に   経済史の専門家がいるとはめずらしいと思いながら,同君紅 cheapgovern−  

ment,という言葉を知っているかとたずねた。しかし,彼も知らないという。  

(18)  

彼は,私紅M.Blaugの茸co〝0〝7去c rゐβ0γ.γよ■〝月βfγOg♪βC才という本なみた  

(19) かときくのです みていないというと,それをちょっと調べてみようと厩の2階  

の図書室に私をつれていった。この本ほ.イギリスの学生にとって標準的な学鹿   史の参考書の1つらしかったが,索引をみ.たかぎりでほ cheap gOVernment    ほのっていなかった。   

このようなヨーク大学でのせまい見聞から cheap government に・ついてイ   ギリス人に聞くのほ無駄だと判断したが,駄目をおすつもりで学部の社会経済  

(20)  

史担当の教授であるVグズワ−・ス(E.M.Sigsworth)氏に cheap govern−  

ment,という言葉を知っていますかとたずねた。ところが,教授は知っている   

(17)「三文判」や「三文文士」から。  

(18)これは邦訳されていることを帰国後知る。宮崎他訳『経済理論の歴史』東洋経済新    報社,(上)1966年,(申)(下)1968年。  

(19)研究所の本館は,道路ひとつへだてで立つ・エリザベス朝マンう㌧ヲン′Heslington   Halト仙−→これは大学本部事務局である〜一付属の厩(Stables)を改造したもの。当時    本館のたてこかえを要求中であったが financialsqueeze でのびのび紅.なって−いた。  

(26)教授ほ,学部の講義の1つとし{: BritishEconomyand Society1830−70 を担  

当し,講義要目は, 1.NationalIncomeandForeignTrade,2.IndustrialStruc・  

ture,Growth and Change,3.Economic Fluctuations,4.The Banking Sys    

tem,5.The Economicaild SocialEffects bf the Rai1ways,6.Agricultureand  

Rur・alSociety,7.Populatioヱ1,8.The Town and Urban Society,9・TheWooI  

TextileIndustry:A Modelof Economic and SocialChange,10.SocialClass  

and Classes,11.Changing Living StandaIds ofthe Poor,12.Working C】ass  

Movements and Organisation,13.Womenin Society,14. The Blushonthe  

Cheek of the Maiden〃0工,Which Other Victorians〜15.TheEconomic Role of  

GoveInment,である。もちろん2学期間紅これ全部を講義(週1回,90分)すること  

ほ不可能であり,最後の「政府の経済的役割」までほ達しなかったようである(たと  

えば,1975年〜76年秋,春学期)。   

(8)

che如government,という言葉の用例について(1)  

M−83一−  

83  

という意味のことをいった(ように.思う)。しかし,その時ほ時間がなくつっこ   んだ質問ができずじまい。そのうちに私は帰国してしまった。この小論をかく   にあたり,去年の11月,教授あてに手紙を書き cheap government の出典等   について問い合せたが,今だに返事がこない。皮膚の蓋色い,うすぎたない奴   にほ返事を出さないということかとも思うが,これまた善意に解釈してイギリ   スの専門家中の専門家でもこの言葉の具体的用例はあげられないのであろうと   思っている(そのうち万・一・教授より返事があれば,小論の追記として紹介す   る)。   

イギリス滞在中に19世紀中葉の同時代の文献を多少収集したが,日常の生活   におわれゆっくり検討するひまがなかった。現在それらを整理しつつあるが,  

その過程で cheap gOVer・nment,の用例がいくつかみつかったのでここ紅報告   する。  

ⅠI1848年〜50年の用例  

寛1に.,ウィリアムズ(WilliamWilliams)の用例。財政と議会の改革を課   題として1849年初め虹発足したNationalParliamentaryandFinancialReform   Association(以下,NPFRA・t略称)のCouncilの1見であり,コヴュソトリ  

(21) 一遍出の前議員であるウィリアムズは,同年刊行のパンフレット『連合王国の  

(22) 有権者ならびに.非有権者への訴えL』の冒頭部分において,今日の経済的困窮と  

社会的不満の原因は選挙法改正後に.実現するものと期待された経堂の削減紅庶   民院が成功しなかったことにあるという。彼は,1828年成立のウエリントン公   爵内閣より説きおこす。同内閣ほ,経費削減(retrenchment and economy)  

を要求する世論にしたがってそれを実行し,1830年に辞職した時にほ国家経費  

(21)彼は,1835年〜47年まで同選挙区より庶民院議員紅選出される。しかし,1847年7   月の選挙に.おいて次点で落選。  

(22)W..Wi11iams,A町政は元・SSわ才力βEJβCわ㌻ざα〝dⅣ〃かβJ♂Cねγ5〃ノーg加 地如d    g之一喝加椚抑圧如a納如飢Z5か打ゼ(./−fゐβ斤♂♪′■♂・Sβ搾≠α如β5.γ・S才♂∽,d〝d才力βC0乃5β曾〝♂和才  

㍗〃叩山丁/〃〟 ブ0♪♪八、ざざ血7b∫油川√川dP′Pdig〝/E吋l、肌仙′′√q/〃打PJ′み〃りわJJぐ、■・  

London,1849 

(9)

滞52巻 第1・2弓  

ーβ4−   84  

が52,018,000ポンドとなり,就任前の1827年度より4,318,000ポンドもすくな   かった。1830年末に成立したグレイ伯爵政府は,選挙法改正以前の議会を相手   にしてであったが,2年間紅1,100,000ポンドの経費削減に成功し,財政規模ほ   50,908,000ボン/ドに.縮少された。選挙法改正後の議会に最初に予算を提出した   のもグレイ伯爵であったが,経費削減は−・層推進され,1833年皮は49,166、000   ポンド,1834年度は49,233,000ポンドとなった。1834年末にトーーリ−−のピール  

(23)  

政府が成立し1835年度予算を作成したが,ユ835年3月に同政府ほ辞任したため,  

1835年度予鈴ほホイッグのメルボルン政府が引きついだ。そして,同年度の予   算規模はト十j一政府とホイッグ政府の経費節約の努力により亜,787,000ポン  

ドに低下し,経費削減(retrenchment)は頂点K.達した。こ.のよう紅のぺたあ   とウィリアムズは,1835年度の経聖水準こそ cheap and g00d government,  

の実現であると,つぎのようにいう。  

用例1 The amount of the Expenditure,under those Estimates,WaS   

£48,787,000,Which combined with the economicefforts of both Tories    andWhigs,and wer e the ne blus ultra of retrenchmentby Reformed    

Parliaments,being£2,120,000lcss than theEstimates voted by thelast    rotten・borough Parliament,in thelast year ofitsexistence.Thisis the    fulfi11ment of the cheap ald900d governTnent ,Whichit was pro−   

mised the ReformAct would produce;but even this tjght hold of the  

(餌)  nation s purse・String was but short−1ived.,  

すなわち,1836年紅なるとホイッグ政府ほ議会における多数派紀文持され,  

(ごさ,、  

「国民から徴収した公金(people smoney)の忠実な守護者」ヒコ∴−ム(Joseph   Hume)の反対にもかかわらず,経費膨脹政策に転じ,財政規模ほ50,819,000  

ポンドとなり200万ポンド以上も増加した。それ以降歴代政府ほ経費膨脹の路  

(23)実ほグレイ政府は1834年7月に辞職しており,そのあとホイッグのメルボルン子爵   内閣が成立し,同年12月まで存続した。  

(24)J∂査d・,p.5.ゴチックのイタリックは私に.よる。以下とくに.断わらないかぎり同じ。  

(25)J∂id.   

(10)

cheap government,という言葉の用例紅ついで(1)   

N85  

85  

線をひた走り,1839年度にほ5,344万ポンド,1847年度ほ6,000万ポンドちかく   に達するまでになった。「このような膨大な経費をまかなうために.課税の不平   等が横行し,それが勤労階級(industriousclassesofthe people)を非常に.圧迫  

し,広範な困窮,不満の原因となっている。その原因をさらに.さかのばれば,  

庶民院があるべき姿一国民多数の代表機関…になっていないこと,すなわ   ちグレイ伯扇が貴族院において〔1832年の〕選挙法改正法案の第2読会を提案  

したさいに言明したように,忍法(Constitution)の精神にのつとった『国民  

(26ノ の完全かつ公平な代表機関』になっていないことにある。」そこで,NPFRAほ,  

蛮族,地主等の支配する庶民院の改革をめざし,ヒュ−・ム議員の提唱する   LittleCharter を旗印に.かかげ,中産階級に政治権力を委譲しようとしたので   ある。   

ウィリアムズの cheap government の用例をみてただちに.気付く第1ほ,  

それが財政規模の絶対的縮少を内容としているということである。彼が cheap   government の実現をみたというユ835年度はナ・ボレオン戦争終結後もっとも経   費水準の低かった年度であるが,彼ほその水準に.満足せず,ナ・ポレオン戦争開   始前の1790年の水準まで経費を引き下げるべきであると主張した。第2に,ウ  

ィリアムズの cheap government 論は単に財政問題に局踏するのではなく,  

議会改革,すなわち政治権力論と密接に.関連し′ているということである。、欝3。  

cheap government という言葉ほこのパンフVットに‥おいて一もう1回使われ  

(27)  

ているが,上記の引用からも明らかなように.経費削減を意味する言葉としては   通常 retrenchment や economy がつかわれ, cheapgovernment の使用頻   度ほ/きわめて低い。第4。  cheap government という言葉が使用されたもう  

1つの時期ほ発1回の選挙法改正が論議された1830年代前半であり,政治家と   

(26)J∂≠dり,p.9..  

(27)選挙法改正以前の1790年と1830年の両年度の国家経費の内訳と改正後の1835年度と    1849年度のそれとを示す表をかかげ,選挙法改正後に.国家経費がいかに.膨脹したかを   示し,ウィリアムズはいう。  

用例1・1 This,then,is thecostofourpromised以cheqp aTZdgoodgouem−  

ment for defending us against foreigners,Whoare too much occupied with  

their ownaffairs to meddlewith ours;1.,(Williams,0?.cit.,p.8.)   

(11)

第52巻 寛1・2弓  

・−β6∴−−  86  

しては急進派のヒュームが注目すべきであるということが示唆されている。  

(28)   

つぎに,そのヒュ1−ムの1850年の用例。彼ほ,戸主選挙権を要とする Little   Cba‡ter の動議を連年の敗北に.もかかわらず,同年2月,過去1年間における   NPFRAを中心とするイングランドとスコットランドにおける改革運動の盛り   上り紅より勇気づけられ,3度目の正麿とばかり庶民院に.提出した。彼ほ演説   の冒頭において,納税と選挙権は・一・体不可分のものと考えるという。そして,  

この原則が1832年の選挙法改正に.おいて実現されるものと期待して−それを支持   したが裏切られたとして,つぎのようにいう。  

用例2 He(Mr・.Hume)hadagreed to that Reform Bill〔of1832〕,and    had supportedit throughout,because he expectedit would have glVen    that degree of controlto the people over the Members of that HouFe    Which would enable good and cheap government to be achieved.He    now came publicly forward and said thatin that respect he had been    much disappointed;and,therefore he askedthe House to reconsider the   

basisonwhichthatreformhadbeengranted,and toextend,ifpossible,   

the numbers of the electors who were to have a voicein the election of  

(29〉   

Members of theLegislature.   

そこで,ヒュ・−ムほ,納税者すべてが有権者になるぺきである−これを彼   はuniversalsuffrage とよぶqという」頁則にできるだけちかづくため,救貧   税納税者を有権者にすることを次善の策として提案する。その場合,既存の救   貧税納税台帳を利用すること紅よって,有権者の登録紀要する手間と経費をほ   ぶくことができる。これがいわゆる戸主選挙権であったが,1850年も Little   ChaIt∝,の動議ほ.賛成96票,反対242票で第1読会において否決された。  

(28)当時,スコットランドのMontI・OSe選出の庶民院議員。彼は30年間にわたり急進   派の指導者として活躍し,財政問題に.楷通していた。簡単な彼の経歴については,  

7Ⅵ♂D∠c如刀αγ.γ0ノ■∧払子査即玖仁訊¢g7 α♪ゐ.γをみよ。  

(29)1ヲ月初防の♂,Cix.138〜139.Feb川aI′y28,1850.私の使用したイギリス議会の   

議事録は京都大学法学部図審墓所蔵のものである。   

(12)

cheap government,という言葉の用例に.ついて(1)  

M87   

87  

ヒュームの cheapgovernment の用例をみてただちに・気付くことほ・,それ   がウィリアム元の場合と同様に1832年の選挙法改正に関連しているということ   である。でほ,彼の cheapgOVeInment はどういう内容のものであったのだ   ろうか。この点についてヒューム自身が LittleCharter をほじめて猷民院に   提案した18亜年につぎのようにいっている。「大幅な増税や,陸軍,海軍,雑費   をとわず経費の膨脹がみられることやについて今日はくどくどといわない。と   にかく私自身の見解でほ,そのような経費の3分の1ほ削減できるということ   である。その証拠に,選挙法改正の時代にほ.それを通した紳士方〔.ホイッグ政   府〕は国家経費を数百万ポンドも縮少したではないか。しかし,近年,国民が   彼らの選出した代表者たちがなにをしているかに無関心になると,経費はかつ  

(30)  

ての比較的低い水準から今日の膨大な額に上昇してしまった。」では,陸海軍費   と雑費を3分の1削減すれば経費ほどれ位に.なるであろうか。1848年度の経費   5,900万ポンドのうちそれらほ約31000万ポンドであるから,削減額ほ約1,000万  

ポンドとなる。のこりの約2,000万ポンドに.国債費の2,900万ポゾドを加える   と,総額ほ4,900万ポンド。これは1834,35両年度の国家経費の水準にほぼ−・致  

(31)  

する。ヒュ」−ムは,1849年2月にコプデンが提出した,1835年の水準への国家  

(32) 経費の削減を1つの骨子とする! ̄国民予算」を支痔している。また,ヒュ−ム  

自身1848年〜51年において精力的に陸・海軍予算の削減にとりくんだが,たと  

(83)  

えば1848年には海軍予算と兵員を1836年の水準に削減することを求めている。  

したがって−,当時のヒュ−ムほナポレオン戦争後の経堂の最低水準に・経費を削   減しようと考えていたとみてまちがいないであろう。つまり,ヒュームの経費   論も財政規模の絶対的縮少論である。   

これにたいして時の首相ラッセル卿ほ,ノ′一マン流の相対的経費論を展開し  

(30)∂Ⅳα乃ぶα′d,ⅩCix.894.June20,1848・  

(31)B.R.Mi土Chell,AbsiractL7fBritiShHiStOricalStatisiics,London,1962,p・  

396 

(32)3Hansard,Cii.1265、February26,1849 

(33)3仔α〝ざα′d,ⅩCViin799りMaICh20,1848 

(13)

第52巻 第1・2号   88  

−∂β・−−  

(31)  

て反論した。トーリーーのディズレ−リーーも野党でほあったが政府を支持し,  

1848年に,ヒュ−ムの財政改革を辛辣に.批判した。ディズレ−リ−・は,租税負   担の増大と経費の膨脹があったというヒュー・ムらの主張は賽実であるのかと問  

う。過去20年間をみると歳入は1828年度の4,950万ポンドから1848年度の4,750   万ポンドに.低下している。他方,その間に人口は2,300万人より3,000万人に増加   しており,したがって人口1人あたりの租税負担鱒2ポンド3シリング2ぺン  

スから1ポンド12シリング2ペンス軋低下している。しかもその間に国富は人   口よりも早い割合で増加してル、る。さらに.もう1つ忘れてはならない重要な変   化がある。それは,その間K.勤労階級(workingclass)に有利なように租税負   担の再配分が生じたということである。すなわち,1847年度をとれば関税収入   は1,800万ポンドで変化はないが,消費税収入は1,800万ポンドから1,200万ポ   ンド弱に.低下し,郵便事業収入も大幅に減少している。したがって700万ポン  

ド以上の相税の再配分が生じた。こういうディズレーリーーは勤労階級にたいす   る消費税を中心とする間接税負担が大幅に軽減されたといいたかったのであろ  

う。そして,彼は,「この国に腰過重額税と膨大かつ膨脹する国家経費が存在   し,そのために.改革が必要であるといわれている。改革が必要でないというの   では.ない。問題を正しく立てたい。このような大問題を誤った前提のうえで処   理すべきでほ.ない。過去20年間において人口と富の大幅な増加があったにもか   かわらず,政府経費ははぼ安定的であーらた。租税も安定的であった。したがっ   て,このような根拠に立つ改革の要請は正しくない。今夜も〔庶民院紅おいて〕  

●●●●●●●  

くりかえされ,請鱒に・おいてもへどが出るはど申し立でられた要請はクツ八百  

(3り  

である。」と断定した。このように.政府やトーサーに・批判された急進派の経費削   減の要求は, LittleCharter の動議と同様枕をならべて討ち死にした。  

(34)拙稿「財政改革濫.かんする2,亭のパンフレットー1848年〜50牛−−Ⅳ−」,香川大学    経済学部『研究年報』18,1979年3月,ユ94ぺ−ジ。  

(35)3ガαがα′d,ⅩCixn948.June20,18亜・傍点の原文は,αd花ぬざβ〃∽である。   

『研究年報.』の拙稿に.おいてラッセル首相の相対的経費論はノーーマンからヒントをえ    たのではないかと番いたが,それ以前紅ディズレーサーカミ相対的経費論を展開してい    る。ラッセル首相はディズレ−リ−をまねたのかもしれない。この点については今す   こし検討したい。  

l   

(14)

cheap government,という言葉の用例紅ついて.(1)  

−89−¶   

89  

なお, cheap government の使用頻度に.ついて一言すれば, LittleCharter    の討論(1848年〜1854年)虹参加し私がその演説をよむことができた議員はヒ  

ュ・−ムも含め実人員17名,延べ人員52名であるが, cheap government は用   例2にしか出てこなかった。  

ⅠⅠI1848年〜50年の用例(つづき)  

発3に,コプデン(Richard Cobden)の挙例。1846年6月に,穀物法の廃止が   決定し,翌月に反穀物法同盟(以下,同盟,と略称)ほ解散した。同盟の指導   者の1人,コプデンほ健康を回復するため医者のすすめもあって同年8月から  

1年余り大陸各地−−−フランス,スぺイン,イクリー,ドイツ,そしてロンヤ  

(86)  

−岬一に遊ぶ。もっとも「遊ぶ.」といってもその旅日記をよむとiおとずれた先   の各地の要人と実に.精力的把.会見し,十八番のFI恍Tr■adeを中心に意見の交  

(∂7) 換をしている。そし七,1苧47年10月に帰国すると,大陸旅行中紅多分想をえた  

(3S)  

のではないかと思うが,「自由貿易の帰結としての財政改革と経費節約(∝OnO−  

my)」に.とりくむ決心をする。しかし,コプデン自身もただち紅は行勤しなか   ったし,l司盟に.結集したかつての同志たちもしばらく休息の時期が必要だと判   断したらしく1847年中に.は.特紅目立った動きをみせていない。   

ところが1848年に㌧入ると国内外の政治・社会状況は騒然としてき,コプデン   たちも腰をあげざるをえなくなる。大陸紅おいてほ1月の両シシリー「王国把.お   ける民主主義革命を先駆けとし,2月紅.はパリにおいて−「2月革命」が勃発し   それがクィーンの革命をよびおこし,ドイツの「3月革命」につらなった。イ   ギリスにおいてほ.チャーチイストの大規模な請願集会が,4月10日,テムズ河   南岸のケニシトン・コモンでおこなわれたが,デモ隊はテムズ河をわたり議事  

(36)JolmMorley,TheLi.fbofRichwdcobdcn,London,1896,VOl・i,pp・ヰ20〜  

463.  

(37)コプデソほ,大陸旅行中におこなわれた1847年8月の選挙でヨ・−クVヤ−のWest   Ridingから庶民院議員に.選出されている。  

(38)Cobden to W。R.Grey;May15,1848.,.Morley,The Life ofRtchaYd  

Co∂de〝,VOl.ii,p.23.   

(15)

第52巻 葦1・2号   90  

…9(フー  

堂紅蓮することもできないままに散会させられた。チャーチイストの請願集会   の失敗をみてとったブルジョア急進主義者たちは,同月13日,ロンドンで集会   を開きチヤ−ティズムに.とってかわる Little Charter の運動を発足させる  

ことを決定し,代表者にヒューム,コブデン,ワォ−ムズリー(SirJoshua  

(39)  

Walmsley)を選出した。コプデンは同月末1・7ンチェスタ一に赴き,同盟の旧指   導者たちに Little Charter の支持をうったえるなどして,庶民院におけるヒ  

ュームの動議の成功をかちとるために活動し 

しかし,1848年から1849年初めに.かけてコプデンが最もカをいれたのほ帰   国時に決意した財政改革の推進であり,そ・の担い手として期待をかけたのが  

(40)  

LiverpooIFinancialReform Associatjon(以下,LFRA,と略称)であった。  

LFRAは,1848年4月19日,国家経費のきびしい節約と税制改肇を2大目標と   してリグァプ−ルの実業家たちによって結成された。コプデンほ,LFRA発   足後間もなくウイリ−(Alexander Wylie)に・あて:l ̄すくなくとも1,000万ポ  

(41) ンドの経費を削減し,それを消費税と関税の減税に・あてるつもりであります。_」  

と書いている。したがって彼は同年末に.発表されるl ̄国民予算」の構想をすで  

(42)  

に.その頃もっていたらしい。「国民予算」の案ほ11月に入ると出来上り,それを   もってコプデンほ12月初旬リヴァプ−ルに.ゆき,グラツドストソ(Robertson   Gladstone)はじめLFRAのCouncilの面々に.会い,その支持をとりつけた。  

(39)NicholasC.Edsall, A Fai1ed NationalMovement:the Parliamentary and   FinancialReform Association,1848−54,,Bulleiin oj the ZnlSiitute ofHiStO7ical  

月♂,Sβα〝カvol.xlix,nO…119,May1976,p..110 

(40)議会改革の路線をめぐりブライトと論争申のコプデンは,1848年未に・彼あての手紙    において「人と金の面では現在寸分とはいえないでしょうが,それ〔LFRA■〕は同盟    が結成された1年後と同じ位有望であります。それはわれわれが3年間かかって達成    した声りもはるかに潔く世論を掌挺しております。私が思うに,貴方は国民がリグァ    ブールの運動に,よせl{:いる支持の程度を十分理解していない。」(Cobdento Bright,   

December 23,1848.Morley,OP。Cii.,p.38)とかき,LFRA を財政改革遇   おける同盟と考えた。  

(41)Cobden to A..Wylie,May13,1848.W.NnCalkins, AVictorianF工eeTrade   Lobby;TheEconomic HistoYy Revi ew,2ndSeries,VOl.xiii,nO 1,1960,p…99,  

fn.3,より再引用。  

(42)Cobden to Bright,November・16,1848.Morley,OP.くit・,pp.34〜35.   

(16)

cheap governmeht という言其の用例について(1)   −91−  

91  

そして,「国民予輿」ほLFRAの会長であるグラッドストンあての書簡の形を  

(43)  

とって発表されること虹なった。  

1由8年12月18日付けロンドン発,LFRA会長グラッドストソあてのコプデン  

極4)  

の手紙ほ,同月20日,リグァプ嶋ルのConcer・tHa11で開催されたLFRAの集   会でグラッドストン自身に.よって朗読された。公開書簡にいおいセコプデンは,  

経費節約と,直接税催よって税収入を調達すべきであるというLFRAの2つ   の目標を支持し,それを具体化するためにまず籍1に,1848年の経費5,460万   ポンドを1,000万ポンド削減し1835年の水準に引き下げることを提案する。つ   ぎに.,これまで動産のみに.通用されていた相続税を,旗族,地主の所有する土   地等の不動産にも課税し,約150万ポンドの増税をおこなう。このようにして   調達した1,150万ポンドを財源として,第1に.,茶,木材等にたいする関税の   減税−346万ポンドーを実施し,舞2に,消費税の減税をおこなう。その   第1は麦芽税の減税426万ポンドであり,寛2ほホップ税の減税42万ポンドで   ある。これらはいずれも農家の利益をはかっておこなわれる。  

用例3 Byincluding themalt and hop duties you willinsure theco−   

oper・ationof thefarmers,Who,nOWthatfreetradeisthesettledprinci−   

p】e of ourlegislation,have a commoninterestwith theinhabitantsof    the towns.Thelandlords,tOO(atleast such of them asare not merely    professionalpoliticians),Willhenceforth befoundin thefrontranks of    those who advocate economy and retrenchmentin the nationalex揮ndi−   

ture.Already they have began to ask,and with good reason〜Why  

(45)   

should we not have cheap gouer■nment aS Wellas cheap corn?,  

(43)Cobdento Mrs.、Cobden,December8,1848.Zbid・,p.32.  

(44)LFRA,ダオ花α狸C∠αJβ¢/bγ椚7ンα蛮.no.6,pp.8〜12.これは,LFRA,7ナαめ    げfおエ如′♪00JダよJZα〝C∠αJ虎q/−β′■沼ノ如50(査αわ0犯,〔London〕,1851,に所収。なお,  

このT畑C・f.sは,岡山大学付属図番館所蔵のものであり,同大学の土生芳人教授の衡   好意で借覧できた。  

(45)J∂jd.,p.10.   

(17)

ー92−   第52巻 第1・2弓   92   

さらに・,石けん税,紙税の廃止をおこない消費税の減税総額ほ625万ポンド   となる。その他に,窓税,広告税を廃止し,減税合計額は1,148万ポンドとな   る。以上がコプデンのl ̄国民予鈴」の骨子である。   

「国民予算」の検討ほ別稿にゆずるとして,小論の課題である cheap gOV・  

ernment の用例についてル、えば,それがコプデン自身のそれでほなく地主た   ちのそれであるということである。しかし,どのような地主グループが安価な   穀物とならんで cheapgovernment を要求したかほ今回明らか紅することは   できなかった。しかし,地主の主張を代弁する形で使ったコプデンの cbeap   government が経費の絶対額の削減を内容とするものであったと考えること   は,「国民予鈴」を展開する書簡の中でそれが使われている以上まらがいのな   いところであろうこなお,12月20日のLFRAの集会ほ,「国民予乳」を全面的   に支持す・るととも紅それを実現するために.コプデンを首相にすべきだという   発言までがとび出すはどコブデン支持一山色に.ぬりつぶされた感があったが,  

cheap government という言葉自体に.注目した参加者はいなかったよう紅み   える。   

コプデンは,LFRAを中心とする財政改革運動の全国的盛り上りを背景に   1849年2月に「国儀予算」を庶民院に提案したが,賛成78票,反対275票で否  

(郁) 

(47)   

つづいて,コバム(SamuelCobham)の用例。周知のようにピ]−ルによっ   て1842年に・所得税が再導入されて以来,イギリス議会はそれの東新をめぐって   1845年,1848年とはげしい論争を展開してきた。コバムほ,審問的で負担が重   いという批判の多かった所得税を擁護するとともに.,関税,消炎税を全廃して   所得税のみで全歳入を調達すべきであるという所得税単税論を主張するパンフ  

(48) レット『直接税』を,1848年に出版した。実はこのパンフレットの主張の大要  

(46)∂Ⅳα兜5α畑,Cii・1218〜1303・ 

てグラツドストンあて:の前年末の手紙とはば同じであるが, cheap government,と   いう言葉ほつかわれていない。  

(47)彼の経歴等ほ現在不明。ご存知の方がおられたらご教示願いたい。  

(ヰ8)S.Cobham,DiT((、f Ta.AJ 7ftol:.Tん1IT](L(り′lC T〝X,thc Pro♪crfJ・T ZX, ZTd Fr(t,   

(18)

cheap.government,という言葉の用例について(1)   〜93−  

93  

ほ,所得税の欝1回の更新の1845年に.私家版・−−・現物は私は未見¶一−として一発   表されたが,そ・れは世間の注目をはとんどひかなかった。1848年版は,所得税   の簿2回の更新紅あわせて,その私家版に,1848年春に執筆したはぼ同工異曲  

(49)  

のものをつけ加えて∵再度世に.問うたものである。   

コバム紅よれば,所得税査定の対象とな・つた1844年度の所得ほ1億7,800万   ポンド,税率ほポンドあたり7ぺンス,すなわち約2.9%であり,したがって所   得税収入ほ519万ポンドであった。今日に.おけるイギリス全体の所得の推計ほむ   つかしいが,それを6億ポンドと見積り,税率をシリングあたり1ぺンス,す  

(50) なわちポンドあたり約8−3%とすれば,所得税収入は5,000万ポンドとなり,十  

〈51) 分歳出をまかなうことができる。「かくして,このプランに.よれば政府が現在余   … = = =  

(52) 儀なく課税しているあらゆるその他の租税を全廃できるであろう。」すなわち  

穀物条例の廃止をふくめ,関税,消費税は全廃され,商工業が間接税の束縛か   ら開放されるととも紅自由貿易が実現する。そして,このような所得税単税論  

−  コバムは,それを Income・TaxSyste甲OfTaxation とよぷ−−が実現   すると,その負担は主として金持ち階級にかかり彼らは政府の浪費に敏感に反   応するように.なる。「もし政府があまりに.も高価であると貴族と金持ちが考えた  

とすれば,彼らこそが最初に政府に働きかけてその経費を削減するであろう。  

彼らが浪費と失政の負担をより多くになうので,好戦的欲求を規制することを  

願う非常紅強い根拠がうまれるであろう。というのはもし戦争をおこなえば,  

(53)  

栄光の負担は彼らに.も√ろとも重くのしかかるからである。」したがって,所得税   肇税論の実現は,間接税を全廃して産業および貿易の発展を促進するととも   

Tケ〃d♂.旅αCβ,点βfγβ〝Cゐ研β柁fα〝d C句舞扇乃 肋γ〝βγ,5A叫/おJβ〝gi花βゞ 〃′ I侮γ■.  

London,1848.  

(49)私家版ほ,1848年坂の4〜11ぺ」−・ジに.再録。1糾8年執筆の部分は㍑〜24ぺてジであ   る。  

(50)コバムは,累進所得税や所得の性質によって税率をこと犯する差別課税阻反対し,   

比例税率の現行の所得税がもっとも賢明で正しいとする(よ鋸d・,pp.12,13〜15,17.)。  

(51)ただし,1844年度の歳出は正確匿.ほ5,540万ポンドであった(Mitcbell,〃♪.d−才・,   

p.397.)。  

(52)Cobbam,¢久C紘,p.5.傍点は原文がイタリック。以下同じ。  

(53)J∂fd・,p.6.   

(19)

第52巻 第1・2雪   94    血・94−−  

に,支配階級の好戦的行動と浪費的行政を規制するという一石二り亀の効果をも    っというわけである。これが1845年に.執筆されたコバムの財政改革論の骨子で   ある。  

さて,コぺムほ,1848年に追加執筆した部分において所得税単税論が実現す    ると所得税は転嫁しないため;国民の要求紅これまで無関心だった「中産階級」  

/ も経費節約に関心をもちそれを支持するようになると,つぎのようにいう。  

用例4 The middleclassessolongastheysitcomfoItablyinthesaddle,  

seldomJOlnin any just or popular demands.But dircct taxation,aS   proposed,WOuld make themlookinto the extIaVagaht expenditureof  

the government.Theincome taxis arouslng,andwi11always arouse   the middle classes,andallwhopaytaxationin thelumb,tOC?mpel   the governmentto reduceitsexpenditure:andhavingthepower,they   willeffectittoo.This mode of taxationteemswith advantageSfor all  

(弘)  

whodesire cheαp and righteousgoverTment:  

ここでいうI ̄中産階級」ほ,若干議論の余地があるかもしれないが,私ほこ   の1節が所得税単税論にもとづく1845年の経費節約論と同じ趣旨のものと考え    て−,蛮族や金持ち階級であろうと思う。つまり,所得税1本の課税体系に・より    彼らも経費節約に注目せざるをえなくなり, cheap and r ighteous govern−   

ment を希求している着たちにとって有利な状況が生じるというわけである。  

では cheapandrighteousgOVPrnment は財政洩模論からみてな紅を意味    するのか。コバムは,ウォーナ一大尉の発明したミサイルーーーウ㌧オーナ一大尉    がなに膚で彼のミサイルがどんなものか私に.は現在まったく不明 】 を導入す  

(55)  

ることにより,海軍は不用となり陸軍の兵員の9割は除隊可能という。また,  

コバムは,王室費の過大なことを批判するとともに,公務員の定員は大幅に削   

減しうるとし、う。したがって,l ̄税制の改革とほ別に,政府より俸給をもらってい  

(54)ム毎d・,p.18.  

(55)J∂よd.,p.19.   

(20)

95  

cheap government,という言葉の用例について:(1)   M95−M   

…==  …= 

(56)  

ない者ほ,一致団繹して政府が大幅に経費削減することを要求すべきである。」  

したがって,コバムの cheap government も歳出規模の絶対的縮少論であろ   う。なお,コバムは経費節約を表現する言葉としてはこ.のパンフレットの表題   からも推測されるように,主に retr enChment や economy を使っている。   

最後に,コバムの財政改革論の特徴をのべれは,それほ政治改革ぬきである   ということである。たしか紅所得税単税論が実現すれは,税の大部分を負担す   る患族や金持ちほ経費節約に注意をはらうように.なるであろうが,税率が現行   の3倍ちかくに.引き上げられるうえに,そのはとんどを自らひっかぶる改革案   に,権力を掌握している支由階級が賛成するほザは.ないのである。したがっ   て,議会改革ぬきの財\政改革ほ一種の空想に.終らざるをえないといえよう。  

(未完)  

(弱)J∂よ♂.,p。21.ゴチックほ原文が大文字である。   

参照

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