『伊勢 物 語』中世注釈書にお け る『源氏 物語』 の 参照
ジョ シ ュ ア・モ ス トウ 鈴 木 紗江子
訳
要 旨
『源氏 物 語 』( 1 008 頃 ) が 書か れた のは 、『 伊勢物語 』( 880頃) の 原 型 の 成 立に遅れると ころ百余 年 で あ る 。 そ れ に
も か か わ らず 、 室 町か ら江戸 時代 に か け ての 注 釈 者 た ちは 、 し ば し ば 『 伊 勢 物語 』 中 の言 葉 や 文 章 の 解 釈 の ため に 、『 源氏 物
語』 のテ ク ス ト を 参照している 。 こ の解釈の方 法 は、 一条 兼良 (1402
14 8 1 ) 著 『伊勢 物 語 愚 見 抄 』 を はじ めと して 、 −
宗 祇・ 三 条 西 家に 講 釈 ・伝 授さ れた注釈、 牡丹花 肖柏 (1 443
15 27) 著 『 伊 勢 物 語 肖 聞抄 』 、 清 原 宣 賢( 1 47 5 −
−
1550) 著 『 伊 勢物語惟清抄 』 に、 その 例を 見ること ができ る 。 し かし 、『 源 氏 物語』 の 参照が劇的に 増えた の は、 細川幽
斎(153 4
16 1 0 )著 『 伊 勢 物 語 闕疑抄 』 と北 村季吟 ( 16 2 4 −
17 05)著『伊勢物語 拾 穂抄』によってであ る 。 −
本 稿 は、 『 伊 勢物語 』 の 文 章 を 解 釈 す る た め 『 源氏 物 語 』 に 言 及 した数例 を考察 し 、 こ のような テ ク スト 性 ( インター テクス
チュ ア リ テ ィ ー ) が作品理 解 に どの よ う な影 響を与 え た の か を 考 察 する 。
『源 氏物 語』 (1008 頃 ) の 成立は、 『 伊 勢物 語』 の原 型(880頃)に遅 れ ると ころ百余年に もかか わ らず、中
世の注 釈 者た ちはし ば し ば 『 伊 勢物 語』 の解釈に 『源 氏物 語』 を参照する 。『源 氏物 語』 を通 じ て 『 伊 勢物 語』 を読 む
こ と は、中 世 の注 釈者た ち の解釈にい か なる 影響 を及ぼし たの で あ ろう か。 この問いに 答 える ため、 以 下の注 釈 書に
おける『源氏 物語 』参 照を 考察する こ と にする。
① 一条兼 良 (一 四 〇 二
− 一四
八 一 )著 『伊 勢 物 語愚見 抄 』
( 1)
② 牡丹花肖柏 ( 一四四三
− 一五
二七)著『 伊 勢物語肖聞抄』
( 14
77
)
③ 清原 宣賢 (一 四 七 五
− 一五五〇)著『
伊 勢物語惟清抄』
( 1522
)
④ 細川幽斎 (一 五 三 四
− 一六一〇)著
『伊勢 物 語闕疑抄』
( 1596
)
⑤ 師の松永貞徳説を含 む 北村季吟(一六二四
− 一
七 〇五) 著 『 伊 勢物 語 拾 穂抄』
( 1680
)
これらの注釈書は全 て 、 『 伊勢物語』中 の二十一章段、二十六の語もしくは句につい て 、 『源 氏物語』 を参照する ( 表
を参照) 。
最初に『 伊勢物語』初段につい て 、本稿が取り上げ た最古の注釈者 で ある 兼良の例 から見 て いく こ と にしよう 。兼
良が初め て 『 源氏 物語』 を 参 照 したのは、 「 なまめい たり」という 難解な形容 詞 を説明し た時 で あ る 。
表
愚見抄 肖聞抄 惟清抄 闕疑抄 拾穂抄
初段
むかし
◉ ◉なまめいたる
◉かいまみ
◉ ◉ ◉ ◉ ◉ここちまどひ
◉つゐで
◉みやび
◉ ◉ ◉2段
まめ
◉おきもせず
◉10段
むこがね
◉14段
夜ふかく
◉ ◉15段
何条
◉ ◉ ◉16段
手をおりて
◉ ◉21段
うとく成にけれ
◉ ◉24段
かこと
◉39段
蛍
◉ ◉40段
げしう
◉ ◉ ◉41段
ろうさう
◉49段
初草の
◉ ◉ ◉63段
つくも
◉ ◉ ◉75段
岩間より
◉ ◉77段
めはたかい
◉ ◉85段
思へども
◉ ◉ ◉93段
あふな〜〜
◉94段
ろうじて
◉96段
かきをきて
◉101段
うへに
◉107段
あさみこそ
◉いとなまめくとは、最媚とかけり。 女のかたち の こ び た る を い へり。
秋の 野になま めき たて る女郎花
とよめる、 こ の 心 也。又 生 の 字 を 、 なまめくとも よめり。 そ れ はなま〳 〵しく、ならぬこ とを いへり。 いた るが
女車 を み て よ りきて 、 とかくなまめく、と下の詞にみえたり。 こ の なまめくは、けし や う する心也 。なま〳〵し
きふるま ひ す る心に か な へ り 。『源 氏』 の 詞 に、 な ま 〳〵 のかんだ ちめなどい へ る も 、 し やうとく (生得) に 種 姓
よ き 人 に てはなく て 、 なまなりなる心 を いへり 。 かやうの詞は、 と こ ろにより事にし た が ひ て用かへ た る 事あ
る也 。
( 2)
兼 良 は、まず「 な まめく」を 、 漢字、すな わ ち 「 真名」で どう表記するかを 示し、次に『古今 和歌集 』所載歌から類
例 を 指摘し て いる 。と ころがそ れ に 続け て 、 他の意 味 や用例など『 伊勢物 語 』解釈とは無関係に思える事柄に関し て
更に考察を加え て いく。 こ こで ポイントになるのは、 兼良が言葉というものは一つの語義に限定する こ とが でき ない、
いやむ し ろ 文 脈 に よ っ て 意 味 が 変わ るも の だ 、と力 説 す る 点で あ る 。 い ずれ にせ よ兼 良 は 、 本 稿で 取り上 げ た 注 釈者
達 の な か で、 この 「 な ま め い た り 」 の 解 釈 に 関 し て『 源 氏 物 語 』 に 言 及 し た 唯 一 の 人 物 で あ る 。
一方、 「 かいまみ」 の 解釈につい て は、 本稿 で 取 り上げ て いる全 て の注釈者が 『 源氏 物語』 を 参 照 する。 兼 良は、 「 垣
間見 」 と 漢 字 を 示 した 上で 、「 かき のひ ま よ りの ぞく 事 也 」 と 語 義 を 指 摘す る。
(3)
更に 兼良は 『 日本 書 紀 』 を 引 用 し た 上
で 、 最後 に 「 『 源 氏物 語』 な ど に も 、 こ の詞はみ え た り 」 と 述 べる 。 こ の一文 は カ ノ ン で ある 『源 氏物 語』 と の 語彙 の
共有 を指摘する こ と で 、『 伊勢物 語 』 の 権 威 を示そうとし たもの で あ ろ う 。 肖柏は、 この語に 更に もう少し注意 を向け、
( 4)
漢字表記を「垣間 (見)也 」と示し た上 で 「 たゞ物 ご しな どに、ほのかにみた る 心なるべ し。如 此 いへる、ゆうなる
べし 。 」
( 5)と述べ て いる 。最終的に、 こ の 問題を整理し た幽斎は、以下のように記し て いる 。
か い ま み 、 『 源氏 』など に おほき 言 葉 な り。 『日 本記 』より 出 た る 言 葉 なり。 垣 間見
かいまみ、かき の ひ ま よりの ぞ き 見 る
心也 。爰をばのぞくと見 て は、不
ず二
幽 玄
ゆうげんなら一
。 物 越など に 、ほ のか に見た る 心なるべ し。
(6)
宗祇や三条西家の解釈によ れば 、業平の行為は当然「幽玄 」 で なけ ればな ら ない のに、 覗 き見はおよそ 「幽玄 」 とは
いい難い。 こ のた め、 ここで は その言葉が何か他 の意 味を表し て い る必 要が出 て くる の で ある 。
季吟は肖柏の 『 伊 勢物語』 説を引 用 するが、 興味 深 い こ と に、 『源 氏物語』 「空蝉」 の垣間 見 の場面に関し て は 、『 湖
月 抄 』に おい て 否 定的 に捉えた 様子 が な い。 問題 の 『 源氏 物語 』の 一節を 読 む と 次の ようにある。
あはつけしとは思しながら 、まめならぬ御心は こ れ も え思 し放 つまじか りけり。見た まふか ぎ りの 人は 、うち と
けた る世 なく、 ひ き つ くろひ 側 めた る表面を の み こ そ 見た まへ 、かくうち と けた る人の あ りさまか いま見 な どは
まだし た まは ざりつる こ と な れ ば、何心 もなうさ やかなる はいとほ しながら 、久しう見たまはまほ し き に、小君
出で く る 心 地 すれ ば や を ら 出で た ま ひ ぬ 。 渡 殿 の 戸 口 に 定 り ゐ た ま へ り 。
( 7)
季吟は、 延宝元年 (一六七三) 成立 の 『 湖月抄』 の注釈 で
、 「 か い ま み
」 と
い う 言 葉 に つ い て
「 か げ よ り は づ か に 見
た る 也 」 と 簡 単 に 説 明 して い る 。 そ の 上 、 補 足 説 明 と して 、 天 正 三 年( 一 五 七 五 ) 成 立 の 九 条 稙 通 著 『 源 氏 物 語 』 注
釈書『孟津抄』が「かいまみ」に当 て た さまざま な 漢 字 を 単純 に 引 用し てい る の に と ど め てい る 。
(
そし て 、 同じよう
8)に「幽玄 」 で あるはずの二人の貴公子のう ち 、なぜ光 源氏 には「のぞ き 見」が許さ れ 、一方の『 伊 勢物語』の主人公
には許され な か っ たのか、という理由は明らかにし て い ない。
『 伊 勢物 語』 の解釈をするにあ たり、最も多く『源 氏 物 語 』 か らの情報を用い た のが幽斎 で あ る 。 初段の注におい
て 、 『 伊 勢物 語』 の「 むかし 」 と『源 氏 物 語 』 の 「い づれのお ほんと き に か 」を 比較し、 『 伊 勢物 語』 の主人 公 の「心
地まど ひ 」を説明する ために、 光源 氏が夕顔 を見そめ た場面に言及し て いる 。
心地まど ひ に けりは 、 はや 心を か け た る 儀なり。か ゝ る故 郷に か様 の人 のす むを、お も ひ がけぬ事かなと心 ちま
どふ なり。 『 源氏 』に、 五 条の 家 に て 夕 顔の うへを 見 そめた る 心に似た り。
(9)
『 伊 勢物 語』 の第二首目の和歌 を初段 で 主人 公が姉 妹 に 贈 っ た 歌の返歌とし て扱おうとする解釈は (そ の歌は実際
には源融 (八二二
− 一八九五)によっ
て 詠 ま れ たという事実にかかわらず ) 、肖柏ま で 遡る。幽斎も、その第二首目の
和歌は 姉 妹の返歌で あ ると解釈 し、 や は り 『 源氏 物語』 を 参 照 し て いる。 具 体 的 には、 「 空 蟬 」 巻 の 終 わ り に空蝉が 源
氏 へ の 返 歌 と し て 、 歌 人 の 伊 勢 作 の 和 歌 をそ の ま ま 全 て引 用し てい る こ と に 注 目 し 比 較 分 析 し てい る 。
『 伊 勢物 語』 初段にお ける 『源 氏物 語』 参照 の最後 の 例は、 「 み や び」 という語につい て で あ る 。 ま ず 、 兼 良は以下
のように説明し て いる。
みや び は 、 『 日 本 紀 』「 風 姿」 とかきて よ め り。 みや び か にた はや ぎた るす がた 也。こゝ の み や び は 、 いさ ゝ か 心
かはる べ し 。 人 を 仮粧
ケシヤウし た る こ と を 、 み やびとい ふに や。 『源 氏物 語』 の中 に、 あ ま た所にあ り 。 そ の 心 を 得 て み
るべき 也 。但『源氏』にいへるは 大 略
たいりゃくみや び な る 心 なり。
(10)
肖柏は、 『源氏 物 語』 には言及せず 、 い わ ゆ る天福本 『伊勢物語』 勘 物 への言及 ( 詳 細は後述する) を も っ て 「 みやび」
を「 み や び なさけをか は す心也。 定家卿註 也」
(と単 純に定義するにとどまっ て いる。 そ し て 、『 源氏 物語』 を 最も参
11)照し て い る注釈者はまたも幽斎 で あ る。
みや び 、 みやび を ば か は す など 云て 、 ゆ うゑ ん に け さ う し
(する事 を 云 。 風 姿
ふうしx )、 『
日 本 紀
』 風 流
のふうりう
、
情
じやうなどや う の
事なり。 『八雲御抄
やくもみせう』に、情 也、精也、両事同事也 。 心も情けも有事により て なり。 『 源氏』若菜巻
わかなのまきにも 、此君は
物の みやび深
ふかくと ゝ の ひ 給 ふ人、 と い へ り 。 又、 三日のほどに、 彼 院よ りもあ か し の 御 か たへい か めし くめ づら
しくみ や び し 給ふ、といへり。是等に て よく聞えたり。み やび 、み やびか 也 と云詞、其心み や びをかはすなと云
は、なさけといふ、同 心歟 。
( 12)
幽斎の注釈は、基本的には肖柏の説を繰り返し て いるもの の、そ の 上 で 『源 氏物 語』 からの二例 を 引 用 し ど ちらの例
も 、 何か情を も っ て す る こ とを 意味 す る ので は な い こ とを 示 し 、む しろ 『源氏 物 語 』 に お け る 「 み やび 」の 意味 には
「 (
前 略
) 好
色 的 用 法 が ほ と ん ど な い
」
(
という鳥山紫織氏の現代の研究成果 を裏 付ける形になっ て いる。 言 い換えれば 、
13)「み やび」 の 語法は、 『 伊 勢物 語』 の時代 か ら 『 源 氏 物 語 』 の 時代に か け て 実際には相当に 変 化し たのだが、 こ れら の
語意に一貫性を 持たせたか っ た幽斎は、 こ のパラドックス に 直面し、 『天福本』 の 最後に書かれた 「 み や び」 の語法に
対 す る定家の 疑問を 、 単 純 に繰 り 返 すこ とで 難を 逃れ た よ うに見 え る。 ( 定 家の書き 入れ の 意 味 は わ か り に く い が 、「 詩
的情感の交換」 で ある「み やびをかはす」と「同情の交換 」とし て の「な さ け を かはす 」 は 同 じ意 味 で はない の か、
という疑問 を 示し て い るように思 わ れ る 。 )
幽斎は、自身の 『 闕疑抄』に最も頻繁 .. に『源氏物語』 を 参照し た の で あるが、一方 で は 他の注釈者と比 べ て 必 ず し
も 最 も 深 く『源 氏 物 語 』 を 利 用 し て いると は いえ ない 。 『 伊 勢 物 語 』と 『 源 氏物 語』 の 対 応 関 係に お い て認め ら れる
間 テ ク ス ト 性
インターテクスチュアリティー
の良い例は、 第二 段に関し て 季 吟が引用 した貞徳説に確認で き る。 こ れ は、 『伊 勢 物 語』 の主 人公を 象
徴する 「 まめおと こ 」 、 す な わ ち 「 誠 実 な男」 と いう語句につい て の注釈 で ある。 少 なくとも肖柏 や そ の同時期の注釈
者 た ちは 、 物 語 の 著 者 であ り 語 り 手 であ る 業 平 が この 言 葉 でも っ て 自 画 自 賛 し て い る と 主 張 し てい る 。 後 代 の 貞 徳 の
解釈 はよりも っと 巧妙で 、 事実 、それ は 「小説的」 と で も 呼ばれ る べき もの だと思 う 。 非 常 に 含蓄に富 む の で 、 季吟
が引用する記事 を 最初 から最後ま で 示そう 。 まずは、 『 伊 勢物語』二段 を記す。
むかし、お と こ有けり 。な らの京は 離 れ 、 こ の京は人 の家 まださだまらざ り ける時に、西の京に女ありけり。 そ
の女、 世 人
(よひと)にはまされ り けり。 そ の人、 か たち よりは心なんまさりたりける。 ひ と りのみもあらざりけら し、 そ
れをかのまめ男、う ち 物語ら ひ て 、 帰り来 て 、いかゞ思 ひ け む 、時は三月
やよひのつい た ち、 雨
あめそを ふ る に遣
やりける 。
起
おきもせ ず 寝
ねもせ で 夜
よるをあ かし ては春 の 物 と てな がめ 暮
くらし つ
(14)
季吟は、 同段の語句につい て 、 以下のような注釈をつけ て いる 。
まめお と こ 真名伊勢物語に 「 歛 夫
マメヲトコ」と 書 。 玄 好 色 は 実 人 あ る ま じ け れ ど も 、 業 平 の 自 記 な れ ば か く 書 に や 。 師
主ある人に物い ひ し を かくさんと て 、態実 人 と云也 。 ( 中 略)
お き もせず ね もせ で ( 中 略)師 此歌 、 恋 の歌 と 心 を 付 て み れ ば 深 き 恋の 心にて 、 只を もて ば か り は 恋の 歌 と き
こ ゆ る詞なし。 是 もぬ しある女に 遣
ツカハス歌 な れ ば
、 用
心 な る べ し
。 詞
書
の 「
け ら し
」 「 ま め 男
」 「 物 が た ら ひ
」 「 い か ゞ
思ひ け ん 」 と 書 し 心ば へ に て 思 案 す べ し 。 源 氏 夕 顔の 巻 に 、態あ ら ぬさまに 書かへ て 返歌の事あり。又、若菜の
巻に、柏木の右衛門のか み の女三の宮への 文 を用 心なく て 書て 、源氏の 君見 あら は し 給 ひ て 、 あたら 人 の 文 を 思
ひやりなく書たりと 見 落し給 へ る事侍る も、此 伊 勢物 語の此段 の心に か よ ひ て 面 白く侍に や。
(15)
こ の 和歌に関し て 幽斎は、恋歌を 作 りたいと思っ た時はまる で 業平のように こ の 段の歌の情感を 持 っ て 詠 む べきで あ
る、とし た定家の見解を 『 京極中納言相語』から引用し て いるのだが、 季吟は、そ れ を更に引 用し て い る 。 一方、そ
の歌を第二段全体と関連付け、 『源 氏物 語 』 に結び つ けて い る の が 貞徳で あ る。
換言すれば 、 貞徳 は『伊 勢 物語 』二 段の話と 『源氏 物 語 』 中 で 密通に身を 委 ね そ の胸 中を 偽り 隠し て いる男性たち
や想いを 隠し きれて い ない男性の描写を結び つけ、また 、 両物語の作 者 の意図 を も関係付け て いるの で ある 。確かに
そ こ に見 られ る 恋 の 計 略などは取り 立 て て 珍 しく ない。 そ の よ うな駆 け 引き は お そら く 相 当多 くの 密 通 関係を 守 る役
割 を 果 た し て おり、 他 の物語にも似た例 を見つける こ とも でき るだ ろ う 。 し かし、 上 の解釈 で 意義 深 い のは、 貞 徳が、
『伊 勢 物 語 』 と 『 源氏 物語 』 が 最も 重要 な 物 語で あり その 関係 性は特別で ある、 と 見 做 し て いる点で ある。 『 伊 勢 物語 』
の散文は極め て単 純 で あるが故に、 読者が主人公たちや彼らの 置かれた状況につい て 想像する こ と が難しい。 し かし、
大変 詳細な叙述を 持つ 『源氏 物 語』 との類似点を指 摘 する こ と で 、『伊勢物語』 の読者が単 純な話の 背 後にある 深 い 内
容 を 想像 でき るようになり、二つの物語の対応関係を意識す る こ とが、一 見単 純そうに見える『 伊勢物語』のエピソ
ードの 鑑 賞に奥行きを 与えて い る こ とは、言 うま で も ない。
一方 で 、『源氏 物 語』 の参 照が避けられ ない場合も あ る。 例え ば 『 伊勢物 語 』 十 六段中 の 最初 の和 歌の上の句が、 「 帚
木」 巻で ほ ぼ 言 葉 通り 引用 されて い るような場合で あ る。 しか しながら 、 こ の二 つの歌を 取り巻く 文脈 はま った く 異
なる。まず 『 伊勢物語』 を 示す。
むかし、 紀
きの有常
ありつねといふ人 有
(あり)けり。三
み世
(よ)の 帝
みかどにつかうまつり て 、時にあ ひ け れ ど 、のち は 世かはり時うつり
にければ 、 世 の常
つねの人 の ご ともあ ら ず。 人 が らは、 心 うつ くし くあ ては かなる こ と を 好
このみて 、 こ と 人 に も 似
にず。 貧
まづしく経
へても、 猶 昔
むかしよか り し 時の 心ながら 、世
よの常
つねのこ と も 知
しらず。 年
としごろ あ ひ 馴
なれたる妻
め、や う〳 〵 床 離
とこばなれて 、 つ
ゐ
(ひ)
に尼
あまになり て 、姉
あねのさき だ ちて なりた る 所
ところへ行
ゆくを 、 お
(を)と こ 、 ま こと に む つ ま し き こと こそ な か り け れ、
今
いまはと行
ゆくを 、 い と あ はれ と 思
(おもひ)けれ ど 、 貧
まづしければ 、 す る わ ざ も なかりけり。 思
おもひわび て 、 ね むごろにあ ひ 語 らひ け る 友
ともだち の も と に 、「 か う 〳 〵 今
いまはと て ま かる を 、 何事
なにごともい さ ゝ かなる こ ともえせ で遣
つかわす こと 」 と 書
かきて 、
おく に、
手を 折
ゝりて あひ 見 し 事を か ぞ ふれ ば と お
(を)とい ひ つ ゝ 四
よつは経
へにけり
かの友
ともだち 、こ れ を 見て 、 い と あ はれ と 思 ひ て 、 夜
よるのものま で を
(お)くり て よ める。
年だにもと お
(を)とて 四
よつは経
へにけるを いくたび 君
きみをたのみ きぬらん
(16)
こ の 「手 を折る 」 という表現は、 『源 氏物語』 で は 、「 帚木 」の雨夜の品定めの場面 で 、左馬頭 の恋愛失敗談に 用 いら
れる 。問 題の場面 では、男 の不 貞につい て 男 女が言い 争っ て い る 。
(前略)腹立 た し くなり て 、憎げなる こ とどもを言 ひ はげましはべるに、女もえをさめ ぬ 筋に て 、 指 ひ とつ を 引
き寄せ て 喰 ひ て は べりし を おど ろ お ど ろ しくか こ ちて 、『 かかる傷さへつ き ぬれば 、 いよいよまじら ひ をすべき に
もあらず。辱めたまふめる官位、いとどしく何につけ て か は人め か む。世 を 背 き ぬべ き身なめ り』など言 ひ お ど
して 、 『 さ ら ば 、 今 日 こ そ は 限 り な めれ 』 と 、こ の 指 を か が め て ま かで ぬ 。
『 手 を折 り て あ ひ みし こと を数 ふ れ ば こ れ ひ とつ やは君 が う き ふし
え恨みじ』など言 ひ は べれば 、 さすがにう ち 泣 き て 、
うき ふ し を 心 ひ と つ に 数へきて こ や 君 が 手を 別 る べき を り
など言ひ し ろ ひ は べり しか ど 、 まこ と に は変 るべきこ ととも思ひ た まへず な がら 、日ごろ 経 る まで 消息も遣はさ
ず( 後略)
(17)
『伊 勢 物 語 』 十 六 段で は 、 夫 婦 の 語 ら い は 年 齢 と 共 に 減 っ てい き 遂 に は 完 全 に 途 絶 え 、 そ し て 人 生 の 終 焉 を 意 識 し た
妻は往 生 を 願 い、残された日々を 姉 とともに尼となる こ と を決める、と語っ て い る。 こ の 話から見 て と れ る のは、妻
側、 或 いは夫側どちら にも、 こ の決断 に 際し激しい苦しみや 恨 みを 連想させる部分がないという こ と で ある。 こ れ は 、
妻の決断 が平 安時代の貴 族 階級 にあ っ て か な り 典 型 的 な人 生の送り方 で あったた めといえる。 にもかかわ ら ず 、 幽斎
も季吟も、第十六段の場面に『源氏 物語』にあるような男 女のような憤り・恨みを 読 み取らず にはいられ な いの で あ
る。
十と云つ ゝ 四 は経
へにけりを 、十四 年 と云説
せつあれ 共 、 唯
たゞ四十年あ ひ そ ひ た る物がと こ は なる ゝ 処 の名残を 、いかに と 推 量
すいりやうあれ と 云 心 也 。 又 、 年 ご ろ なれ し 中 も 、 真 実
しんじつにむ つ ま しき 心を も た ぬ 女 にて 、 か ゝ る 折節
をりふしとこ は な る ゝ 心
中を 、業平 に 御推 量あれ と 、女を 恨
裏みた る 心 籠
こもれり 。 『 源 氏 』 は ゝ き 木
手を おりて あ ひ み し こ とを か ぞ ふればこ れひ と つ や は 君か うき ふ し
上句、此物 語 にお な じ 。女 の離別
りべつのさまの相似
にたる歟 。
( 18)
こ の 注釈からは、幽斎と季吟の 両者共が、次の二点 、 つまりも し こ の 妻 が夫を 棄 て る こ と が で き る ので あれば 彼 への
愛 は たい し て 深い も の では な い こと 、 そ し て 夫 は 実際 の と こ ろ 「 去 ら れ た 」 こと よ り むし ろ妻 の 愛 情 の 薄 さ を恨 ん で
いる、と判断し た こ とが見 て 取 れ る 。 これ は一種の常識的な理解 で あ っ て 、 捨 て ら れた夫が恨 む のは当然 で あ ろ う 。
そし て 、『源 氏物 語』 のテクストを参照し て 『 伊 勢物 語』 を考察し た場合、 憤り や恨み を 読み取る解釈は ほ ぼ確実に 避
けられ な くなっ て しまうだ ろ う 。
幽斎は、 『 伊 勢物語』 二十一段もまた 『 源 氏 物語』 の 「 雨 夜の品定め 」 を広範に わたっ て 読み込 ん だ 上 で 解 釈し て い
る。 以下 が同 段の 話で ある。
むかし、 お
(を)とこ 女 、 い と か し こ く 思ひ か は し て 、 異
こと心なかりけり。 さ るを いかなる事かありけむ 、 い さ ゝ かなる
こと に つ け て 、 世 中
(よのなか)を憂
うしと思 ひ て 、 出
いでて
ゝ去
いなんと思 ひて 、か ゝ る 歌
うたをな んよ み て 、物 に 書 きつ け け る 。
出
いでて
ゝ去
いなば 心 軽
かるしとい ひ や せ ん世の あ りさまを 人は知
しらね ば
とよみ を
(お)きて 、 出
いでて
ゝ去
いにけり。 こ の 女かく書
かき
を
(お)
きたる を 、 異
けしう、 心 を
(お)くべきこ とも お ば えぬを 、 何
なにに
ゝよ
り て かか ゝ ら む と 、いといたう泣
なきて 、いづかた に 求
もとめゆ かむと、 門
かどに出
いでて
ゝ、と見か う見見
ゝけれ ど 、 いづこ を
はかりとも お ぼえざ り ければ 、 かへり 入
いりて 、
思 ふ かひ なき 世 な り け り 年 月を あ だ にち ぎ り て 我 や 住
すまひ し
とい ひて ながめ を り。
人はいさ思 ひ や す らん 玉かづら 面影
おもかげにの みいとゞ見 え つ ゝ
この女 い と 久
ひさしくありて 、 念
ねむじわ びて にや あり けん 、 い ひ を
(お)こせ たる 。
今はと て 忘
わするゝ 草 の た ね を だ に 人
ひとの心に ま かせ ずも 哉
(がな)返し、
忘草 植
うふ
(う)とだに聞
きく物な ら ば 思
(おもひ)けりとは知
しりも しなまし
又〳〵、ありしより異
けにい ひ か はし て 、 お
(を)とこ 、
わす る 覧
(らん)と 思
(おもふ)心の うた が ひ にあり し よりけ に 物ぞか な しき
返し、
中空
ぞらに立
たちゐ る 雲
くものあとも なく身のはか なくも な りにける 哉
(かな)とはい ひ け れ ど、 を
(お)のが世 ゝ になりにけ れ ば、うとくなりにけり。
( 19)
幽斎のこ の 部 分の 注釈 はか なり 長い。 『 源氏 物語 』は 注釈の 末 尾に参 照 され 、言及 は エピソ ー ド 全 体 に 及 ぶ 。 そ し て 、
以下の通り幽斎は、左馬頭の女性論から 広範囲に わた っ て 引用 し て いる。
私
わたくしに曰
いはく、は ゝ き 木の巻
まき、 品 定
しなさだめ
の所に、えんにものは ぢ し て 、 恨
うらみいふべき 事を も み しらぬさまに忍
しのびて 、うへ
はつ れ な くみさほ つくり て 、 心 ひ と つに思 ひ あまる時は、 いはんかた な くすごきこ と のは、 哀 なる歌を よみをき 、
しのば る べき かた みを と ゞ め て 、ふかき 山里 、世 は な れ た る海づらなどには ひ か くれぬか し、とあり。 此心 を み
し ら ぬや うににげかく れ て 、 人 を まどはし、心 を み んとする程に、なが き 世の物おも ひ になる、いとあ ぢき な き
ことな り 。心 ふ か し や な ど ほめ た て ら れ て、 あ は れす ゝ み ぬ れ ば、 やが てあ まに 成 ぬ かし 。思 ひたつ 程 は、 い と
心すめる や う に て 、世にかへりみすべくも お もへらず 、い で あ なかなし、かくはた お ほしなりにけるよなどや う
に、 あ ひ し れ る人き と ぶらひ 、 ひ た すら にうしとも お もひ 離
はなれぬ男、 き ゝ つけ て 涙
なみだおとせば 、 つ かふ 人ふ るご た
ちな ど 、 君 の 御 心 は 哀
あはれなりけるものを、 あ た ら御身をなどいふ。 身 づから ひ た ひ がみ をかきさぐり て 、 あへなく
心ぼそければ 、う ちひ そみぬか し。 忍
しのぶれ どなみだ こ ぼ れぬれば 、折々ごとにえねんじえず 、くや し き 事 もお ほ
かめ る 。 仏 も 中 々 心 き たなし と 見給 ひ つ べし 、 な ど 書 たり 。 是 も前後
ぜんご女の堪忍
かんにん性
しやうのな き故也 。 猶 お くに、 あ まに
もなさ で たづね取たらんも、 や が て あ ひ 添
そひてと あ ら んお り も 、 か ゝ ら ん き ざみ を も 見す ぐ し た ら ん中 こそ 、 契
ちぎりふ
かく 哀
あはれな ら め、我 も 人 も うし ろ め たく心 をか れじ やは、とあり 。
そし て 、 幽斎は 「 此段の初中後
し よ ち う
よく似かよ ひ たり。 」 と評し て いる の で ある 。 と ころが、 そ の 後に論点外 れとも思える
ご引用を も う 一 つか さね る。
又同所 に 、女房 な どの 物がた り よ みしを 聞 て 、 いと哀にか な しく 心ふかき 事か なと涙を さへ おと し侍 し
それ か ら 以 下 の よ う に 結 論 付 け て い る。
などあ れ ば 、 此物語の事などに て も あるべきか。いさ ゝ か かはる所なし 。
( 20)
しか し、 実 際 のと こ ろ 、 こ の二 つの 物語は同 一だとは言 い 難く 、 類 似点 は限 定的 で あ る。 つまり 、『伊 勢 物 語 』 中の 件
くだんの 女 は こ れ か ら 尼 に な ろう と し てい る の であ っ て 、 ま た 周 り の 者 た ちも そ れ を勧 め て も い な い 。 似 てい る 点 は 、 去 っ
て い く女 、 女 が 男 に残 した 別れ の歌 、 和 解 ( 左馬 頭による描写 は な いが ) 、 未練がま しい恨 み に限 定され る 。 こ れ ら は 、
おそらく幽斎が似て い ると見 做 した「 此 段の初中後」の構 成要素で あ ろ う。 そ れ にし て も 幽斎は、なぜ 左馬 頭が女房
が物 語 を 読 む のを聞い て 泣 い た 、という 記事 をあえ て 引 用 し た のだ ろ う か。おそ らく幽斎は、左 馬 頭 が 耳にし て 泣い
た話とは、まさに こ の 『伊勢物語』の段の他にはないという こ とを信じ て い たの で は ないか、と思 われ る。さもなく
ば 、 こ の 引用の 仕 方は全く意味を な さ な いので あ る。 とはいえ 、幽斎の 『伊 勢 物 語 』 二 十 一段と 左馬 頭の 話の 関係性
につい て の説 明が、充 分明らか にされて いる わ け で は ない。 幽 斎は紫式 部が 左馬 頭の話を 執筆するにあた っ て 第 二十
一段 を元にし て いる、 或いはそ れを式部が仄めかし て いる、 と 明 言 し て い るだろ う か。 そも そも 注釈 が記 す「似か よ
ひ 」 とは、厳 密には何を 意 味 す るの だろ うか。 ど うや ら 幽 斎は、兼 良の ように二 つのテクストを 比 較し出来事と し て
の類似点を検証する こ とに興 味 を持っ て いるだけ で は なく、そうし た類似点が作 者によっ て 生 み出 さ れ るという執筆
過程 を推量する こ とに も、関心 があるように 思 わ れる 。そ こで 『 伊 勢物語』三十九段にある有名な車の中に蛍を放つ
という一 節に着目し て みよう 。
むかし、 西院の 帝
みかどと
ゝ申す 帝
みかどおは しま しけり。 その 帝
みかどの皇 女
みこ、 崇 子
たかいこ
と申すいまそかりけり。 そ の 皇 女
みこうせ 給
(たまひ)て、
御
おほん葬
はぶりの夜、 そ の宮の 隣
となりなりけるおと こ 、 御 葬
はぶり見む と て 、 女 車
ぐるまにあ ひ 乗
のりて 出
いでたりけ り 。 い と 久
ひさしう 率
ゐて出
いでた てまつ ら ず。う ち 泣
なきて や み ぬべかりか る 間
あひだに、天
あめの下
したの色好
ごのみ、源の 至
いたるといふ人、 こ れも物
ゝの見るに、 こ
の
車
くるま
を女 車
ぐるまと見て 、 寄
より来
きてと か く な ま め く 間
あひだに、 かの 至
いたる、
蛍
ほたる
をとり て 、 女 の 車
くるまに入
いれたりける を 、 車
くるまな
りける人、 こ の 蛍
ほたるのともす火に や見ゆる らん、ともし 消
けちな む ず る と て、 乗
のれる お と このよ め る 。 (後 略 )
( 21)
兼良は以下の注釈 で 、 こ の 二つのテクストの関係性につい て 非 常 に 明快に説明し て い る。
女のかほを み んと て 、 ほたる を 車のう ち へ入たる也 。 色 ご のみの人な れ ば 、 か ゝ る用にかね て ほたる を 紗のふく
ろな ど に あ つ め て やも ちた り け ん 。 『 源 氏』 の 蛍 の 巻 に 玉 か づ ら の 事 を い へ る 、 同心 也 。
( 22)
こ の 文 で いう 「心 」 と いう 語につい て は 、「 趣向」 或 い は 「工夫」 と 理 解 で き る だ ろ う 。 そ れ はともかく、 どうも兼良
は二 つのテクスト .... の関 係性そ の ものに関心 を 持っ て い るように 思 わ れる 。
一方、 兼 良の注釈と 比 べて 幽斎の以下の注釈を見 ると、 こ の問題を 異なる方法 で もっ て 考 察し て い るように思える 。
『源 氏』 蛍
ほたるの
局
(巻)
に、玉かづらの 君 を兵 部卿の宮にみせ奉らんと て 、源氏の 、ほた る を う すもの に つ ゝ み て 、み
すのう ち にいださ れたる事、此段に相似たり。 此 物語をみ て書出せるに や。
(23)
こ の 注釈からは、幽斎が、二つのテクストの関係性を論じ て い るの で は なく、 紫 式部という作 者につい て 考 察し て い
るように 見える 。 幽斎の考察は、 『 源氏物語』 の 起源そのもの につい て の中 世的想像 を膨 らませる こ と 、 つ まり、 紫 式
部が石山寺にあっ て 琵 琶湖の 水 面に映る月を見て 着想を 得 、「 須磨」 巻 を書き 始 めたのだという 「 執筆過程」 に 着目す
ると いう考察 に 近 いか も 知 れ な い。 両注釈を 比較 した 時興味深 いの は 、 兼 良 が二 つのテクス ト を 参 照・ 照合 す る こ と
で『 源 氏 物 語 』 へ の 影 響 を 断 定 し て い る の に 比 べ 、 後 発 の 幽斎は執筆過程 を推察し、その直接的な影響につい て は 仮
定的に示唆する こ とに止まっ て いる点 で ある。
終わ り に 、 『 源氏 物 語 』の 参 照 が 、 む し ろ 問 題 を 複 雑 化さ せて し ま った 例を 指 摘 し よ う。 以 下 の 、 『伊 勢 物 語 』 四 十
九段の兄妹の歌のやり取りの話がそ れで ある。
むかし、 お
(を)とこ 、 妹
いもうとのいと お
(を)かし げな りける を 見 を り て 、
うら 若
わかみ寝
ねよげに見 ゆる若
わか草を 人の結
むすばむこ と を し ぞ 思
(おもふ)と聞
きこえけり。返し、
初
はつ草の など めづら し き 言
ことの葉
はぞうらなく物 を 思
(おもひ)ける 哉
(かな)当然 、 第 一の 問題 は 、 妹の 返歌 が 本 当の とこ ろ は 何を 意味 す る か と いう点で ある。 こ の 問 題 は 、『 源氏 物語 』 で (同 腹
の) 姉 で ある女一の宮との会話の中 で 、 匂宮が彼女に御簾越し に詠 んだ和歌を参照する こ と で 提起さ れ る 。『源 氏物語』
の一 節は次 の 通 り で あ る 。
(24)
時雨
しぐれいた く し て の どや か な る日 、 女 一の 宮の 御方 に参 りた まひ つれ ば 、 御前
おまへに人多くもさぶらはず、 し め や かに、
御絵など御覧 ずるほどなり。 御 几帳 ばかり隔 てて 、 御 物語聞 こ えたまふ。 ( 中略) 御 絵どものあまた散りたる を 見
たまへ ば 、 を かしげなる女 絵
をむなゑどもの、 恋する 男
をとこの住 ま ひ など 描
かきま ぜ、 山 里 の を かし き家居
いへゐなど、 心 々に世の あ
りさま描
かき た るを 、 よ そへら る る こ と多くて 、 御 目とまりた ま へば 、 す こ し 聞 こ えた ま ひ て 、「か し こ へたて ま つ
らむ 」 と 思す。 在 五
ざいごが物 語 を 描 き て 、 妹に琴
きん教へたると こ ろの、 「 人の結ばむ」 と言 ひ た る を 見 て 、 い かが思す ら
む 、 す こ し近く参り寄りたま ひ て 、「いにしへの人も、 さ るべきほどは、 隔 て な く こ そならはし て はべりけ れ。 い
と疎々
うとうとしくの み もて なさせた まふこ そ 」 と 、 忍 びて 聞 こ えた まへば 、 いか なる絵 に か と 思すに、 おし巻き 寄せて 、
御前
おまえにさ し入 れ た まへ るを 、うつぶ し て 御覧ず る 御髪
みぐしのう ちな びき て 、 こ ぼ れ出 でたる か たそ ばばかり、 ほ のか
に見たて まつりたまふが飽かず め で たく、す こ し ももの隔て た る人と思 ひ き こ え ましかば と思すに、忍 び が たく
て、
若草のね見むものとは思はねど むずぼほれたる心地 こ そす れ」
御前
おまえなる人 び とは、 こ の宮をばこ と に恥 ぢきこ え て 、 もののうし ろ に隠 れたり。 こ と しも こ そ あ れ 、うた て あ
やし と 思 せ ば 、 も の も の た ま は ず 。 こと わりに て 、「 う ら なくものを」と言 ひ た る姫君も 、ざれて 憎く思さる。
( 25)
着目すべ き問 題は、 妹 のいう 「 う ら なく 」 の 意 味 で あ る 。 兼良は、 「 う らなくは、 妹 の心に、 中将 をよ のつねのお と ゝ
ひの 思 ひ をな し て た の み た る を い ふ 也 」
(
と説明し て い る。
26)青木賜鶴子氏がす で に 指摘するように、 宗祇や三条西家の 解釈で は 『伊勢物語』 のエロティック な 性質は否定され 、
教訓的に解釈された。 そのような解釈にあっ て は 、件の兄 の和歌のエロティック な性質は否定され 、 兄の和歌は結婚
という 妹 の将来 を 懸念し た ものだと理解さ れ る 。 そし て 、 青木氏は、 こ の 「憐憫説」と対照的な「懸想説」につい て
更に重ね て 述 べ て いる 。 「 懸想説」は、 『肖聞抄』の文明九年 ( 一 四七七)成立本への宗長の記注に て 強く否定さ れ て
いる 。が、 延 徳三年 ( 一四九一)本 の『肖聞抄』
(
で は 宗祇が少なくとも「懸想説」の可 能 性 を 許し て いる、という点
27)を肖柏が認め て い る 。 文明十二年 ( 一四八〇) 本 の 『 肖聞抄』 で は 、『 源 氏 物語』 の こ の 部分は 「 懸想説」 の 解 釈が正
しいとされて い るが、詳しくは述べない。
( 28)
宣 賢 も、また 『惟清抄』 で こ の 段の解釈のた めに『源氏 物 語』を参 照し て い るが、以下の ように、兄妹の間にエロ
ティック な意図があったこ とを 否定し て いる。
常ニハ。 業平ノ妹 ヲ。 ケサ ウシ テ 。 ヨム トイヘ ド モ 。 シカ ラズ 。 妹 ヲ不 便
フヒンニ思テ。 憐愍ノ 心 ニテイヘル 也 。( 中略)
業平ノ。 思ヒモヨ ラヌ 詞 ヲ 。 カ クル物カ ナ。 是程マ デ 。 ウ ラ ナ ク。 底ニ徹シ テ。 我 事 ヲ思フ事 ノ有ガタサヨ ト也 。
『源 氏』 ノ総角
アケマキニ。 匂フ兵 部 卿ノ 宮ノ。 一 品ノ 宮ニ。絵ミセ マイラセラル丶時。ウ ラナ ク 物 ヲト。 イ ヒタル姫君
モ。ザレ テ。 ニク丶オ ボサルト 云リ。
(29)
匂宮の女一 の宮への想い を引用し終 わ らせ て い る こ の注釈は、 宣 賢が、 兄 妹の間につい て どのような解釈を持っ て い
たか 、特にその憐憫的解釈と懸想的解釈の間には明瞭な違い がな かっ たの で は ない か、といっ た 疑問 をもたらす 。 宣
賢の説 明 と 『 源氏 物語 』の 引用 には矛盾が感じられ る が 、 こ れ は聞書の 内容が そ のまま 『 惟 清 抄』に記されて い るた
めで あろ う 。 い ず れ に せ よ 、『 伊 勢 物 語 』 四 十 九 段 の 妹 の 行 為 を 解 釈 す る た め に 、 匂 宮 の 例を 検 討 す る 方 法 が 目 指 し て
いた点 、 そ れ は、 『伊 勢 物 語』 の妹が、 ウ ィ ット に富んだ当意即妙の 応 答で 兄から言い逃れ る より、 む し ろ 『源氏 物 語』
の女一の宮がした よ うに兄の 本意がさ っぱり掴 めないと少しも返事を するべきで は なか ったか 、 という こ とを 明らか
に示す こ と で ある。 こ こで ポイントとなる こ とは、 宣 賢が、妹が機知に富んだ対応 ( すな わち その こ と は彼女が兄の
真意 を理解し て い た こ と を 示すのだが) で は なく、 『 源 氏 物 語 』 の女一 の宮のように無反応 で ある べ き だっ た、 と考え
て い る 点 で あ る 。 言い換 え る と 、『 伊勢物 語 』 の 妹は 兄の和 歌 の本 意 を 理 解 し 返 歌 をし たと さ れ た こ と で 、 彼 女 の純潔
さに 傷をつけ て し まっ たという こ と になる 。
こ の 状況は幽斎の注釈におい て 、より鮮 明になる。幽斎は 、最初の和歌につい て 宣 賢 の解釈を 踏襲 した 後、妹の和
歌につい ても宣賢 の解釈を踏 襲 し『源 氏 物 語 』 の 匂 宮 の例に 言 及し、そし て 更に以下のように続 け る 。
是よ き と りあはせに て はあり。され ども、此歌の 心 を ば 、 かくは心得まじき なり。二条家の 心 などに、更 に 左様
には有まじき 事なり。 『伊勢物語』 『源氏』 などは、 好 色
かうしよくをば 本とせず。 『 毛詩
もうし』 三
百
篇 も、 男女 の事 をもつ て 政道
へんせいたうの本 とせり 。 もの をと ゝ の ふる事、女也 と云 故也 。そ れをたゞ 好 色
かうしよくのかたを 本とし て いふべき 事、何の 曲
きよくもな
き事 な り 。『 梵 綱 経
ぼんもうきやう』 な
ど に も
、 い
ま し め て か け り
。 『 梵 綱 経
ぼんもうきやう
』
の十重 禁戒
ぢうきんかい之
の中
ち第二
に、 婬
戒 云 不 択 畜 生 乃至 母女姉妹
いんかいうんふちやくちくしやうないしもによしまつ六 親 行
しんぎやう婬
いん無
む慈心 者
しひしんしや是
ぜ菩薩
ぼさつ波羅 夷罪
はらいざいと云 も、 兄弟の事にい ひたるな り 。 か様 のいさめ をな さん為に 書たる も のな り 。
女子などをば いか にもよくはぐ ゝ む べき 事と云儀が肝要
かんよう也 。 爰を なら ひ に 申 也 。いもうとに心 を 付 て 、行末 を 思
ひたる 所 、 後 に 露 顕
ろけんする也 。 う ら なくは、底
そこに徹
てつし て 、か様におぼしい れたる心よと見て 、にくき 方とは思ふべ
からず。
( 30)