要旨現在︑源氏物語の注釈書といえば︑大島本・定家本源氏物語などの青表紙本系統本のもの以外皆無と思われる状況
であるが︑そろそろ︑この状況から解き放たれたい︒自筆本の存在無く︑数多くの伝本の総体がこの物語の真の姿であるな
らば︑それぞれの伝本の注釈が生まれるべきであろう︒稿者はそうした考えから︑来るべきそのような未来の為に︑国冬本
源氏物語︵天理大学附属天理図書館蔵︶について︑特異な独自本文をもつ巻巻を中心にまずは試作版を作り︑この試みにつ
いて考察した︒ ﹃国冬本源氏物語﹂注釈書の試み
l桐壺・少女・野分・柏木・鈴虫巻の物語世界を中心にI
山口︵越野︶優子
「国冬本源氏物語」注釈書の試み
﹁源氏物語﹄には︑本文系統として﹁青表紙本﹂・﹁河内本﹂の二大系統がまずあり︑これ以外のものを﹁別本﹂
として種別している︒このうち青表紙本系統︵とりわけ﹁大島本﹂︶が︑通行本文として︑昭和三十年頃から不動
の位置を保ってきている︒現在市販の活字本の底本は︑ほぼ例外なくこの青表紙本系統である︒しかしながら︑世
界的な文学作品であるこの物語の通行本文が︑十分な検証を経た上で選び取られたとは言い難い︒
前述のように作者自筆本が現存しないこの物語では︑本文研究史はそのまま伝本研究史になるが︑自筆本に最も
近い時代から室町期頃までは︑現在とは全く異なる伝本の状況があった︒それを証明するのが︑最古の古注釈﹃源 源氏物語は作者自筆本を現存しない︒作品が描かれた当時は︑作者という概念は現在と異なり︑作者など不明な 作品が多かった︒そう考えてくるならば自筆本再建への道にそれ程こだわる必要はなかったはずであるが︑稀代の 文学作品であるという呪縛から逃れるのは至難の業であった︒収敵する先を求め︑その結果︑長い間ごくわずかな 伝本の源氏物語のみl具体的には﹁大島本﹂を頂点とするlが︑あたかも唯一の﹁源氏物語﹂であるかのような状 況が続いてきたのであった︒しかしこの物語の伝本の歴史を振り返ると︑それが問題に満ちたものであったことが わかる︒まずその伝本の歴史から述べる︒
二.歪曲した歴史 |・はじめに
その﹁青表紙本﹂が決定的な存在になったのは昭和期に入ってからのことであった︒昭和五年または六年︑佐渡
の某家で飛鳥井雅康筆︑青表紙本系統の五十三冊︵浮舟一巻を除く︶が発見されたのである︒﹁大島本﹂と名付け
られたこの伝本が︑源氏物語の権威と既になっていた定家の﹁青表紙本﹂の形態を忠実に伝えていることなどの理
由から︑近代の権威となりつつあった池田亀鑑によって定本とされ︑これら青表紙本系統の伝本l中でも﹁大島本﹂
を底本とする﹃源氏物語大成﹄八冊という大部の校異の集大成が昭和三十一年に完成したことで︑この物語の通行
本文として︑青表紙本系統なかでも﹁大島本﹂が︑不動の位置を占めるに至ったのである︒
︵3︶
問題は︑文献学において当然なされるべき本文への考証が十分になされた訳ではなく︑ごく端的に言えば︑中世
と近代の二大権威︵藤原定家と池田亀鑑︶によって通行本文が︑今までの長い歴史にもかかわらず︑昭和期に定
まってしまったことにある︒そのことにより河内本系統は存在を軽視され︑いわんやそれ以外の伝本の総称﹁別本﹂
においては︑約四十年近く忘れ去られてきたといっても過言ではない状況となった︒ きノ︑なっていった︒
︵1︶氏釈﹄所引の本文が︑﹁別本﹂とされる﹁陽明文庫本﹂であり︑そして﹃花鳥余情﹂所引本文が﹁河内本﹂である
︵?︺︶
ことである︒また鎌倉期頃の注釈害の依拠本文は河内本系統本が多かった︒このようにその頃までは﹁河内本﹂︑
ついで﹁別本﹂が大きな存在だったのである︒しかし室町期以降から︑和歌に名高い三条西家の系統の本文が台頭
する︒この流れの中︑三条西実隆などの︿藤原定家崇拝﹀により︑定家の書写校合による﹁青表紙本﹂の存在が大
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「国冬本源氏物語」注釈書の試み
このような状況に対し先学が手を拱いていたわけではない︒まず﹁河内本﹂に関しては︑加藤洋介氏が︑前述の
﹃源氏物語大成﹂と同基準で三七伝本を対照し︑﹃河内本源氏物語校異集成﹄をまとめた︵風間書房︑平成十三年
二月︶︒そして﹁別本﹂に関しては︑伊井春樹氏・伊藤鉄也氏・小松茂美氏編﹁源氏物語別本集成﹂︵正編十五巻︑
おうふう︶が昭和六三年から刊行を開始し﹃源氏物語﹄五十四帖を網羅し平成一四年完結した︵現在は正編で未収
の伝本の校異を続編で刊行中︶︒不動の位置を占めていた冑謁細加剣劇淵矧刈H叫司州閃棚調当刑矧朝田剛勺aいう︑
当たり前の事実が平成期に二つの大きな成果に結実し︑我々に突きつけられたと言える︒本文をめぐる研究状況は
平成十九年︑源氏物語の底本が根底から揺らぐ考察が出された︒佐々木孝浩氏により︑青表紙本の頂点の一にあっ
た大島本が︑飛鳥井雅康自筆本ではなくその転写本であり︑更に浮舟巻のみを欠く一筆本ではなく︑二系統に分か
︵4︶
れる取り合わせ本であったことが看破されたのである︒元々既に大島本への疑問点は前掲伊井春樹氏などにより提
︵5︶
示されてきたのであるが︑佐々木氏の考察は大島本の根本的な価値を覆すものであった︒状況は大きく動いた︒
そしてそのような中で︑﹁別本﹂に初めての劇的な転機が源氏物語千年紀と一言われる平成二十年︵紫式部の日記
での源氏物語に関する記述の年から千年目の二○○八年︶訪れた︒まず︑三月十日京都の揚屋角屋にて︑全く存在
の知られていなかった﹁末摘花﹂鎌倉末期一冊の現存が発表され︵加藤洋介氏による︶︑次に七月十二日東京都内
某家より﹁飯島本﹂として池田亀鑑の﹁源氏物語大成研究篇﹂に記されていた伝本の全五四帖が現存することが 動き始めた︒ 三.転機l底本の崩壊/未詳﹁別本﹂の発見と注目
発表され︵池田和臣氏による︶︑同じく﹁大成研究篇﹂に記載の大沢本が七月二十二日︑全五十四帖現存するこ
とが発表された︵伊井春樹氏による︶︒そしてこれらの新出伝本に共通する重要な点は︑﹁源氏物語の﹁別刺﹂︑京
都・島原の﹁角屋﹂で発見﹂︵角屋本/請寶新聞三月十日記事タイトル︶︑﹁別帖の半数近くが別和がとみられ﹂︵飯
島本/讃實新聞記事本文﹂︑﹁別刺は朋帖にのぼり﹂︵大沢本/朝日新聞日記事本文以上傍線は稿者に拠る︶など︑
全て﹁別本﹂に関わるものであったことである︒初めてそしてしかも大々的な形で﹁別本﹂がスポットを浴びた極
めて特筆すべき出来事だったのである︒
﹁別本﹂という︑謂わば︿その他大勢﹀に嘗てない注目が集まっているということは︑つまりはこの物語の世界
︵6︶
本文研究の新しい方法は伊井春樹氏を噴矢に生まれ︑既に一部では実践されていた︒それは︑各々の伝本にはそ
の伝本毎の固有の物語世界があり︑その固有の世界を一個の独立したものとして尊重し︑各々の独自の現存の世界
をありのままにとらえ読み解く方法である︒固有の物語世界を読み解くことだけならば︑従前の研究と変わるとこ
ろはない︒この方法は︑それが﹁別本﹂というブラックボックスにおいてなされたところに先駆性と独自性があり︑
︵7︶
いくつかの論考が以後続いた︒これらはいずれも物語のある部分に焦点を当てた︑いわば断片的な考察であった︒
稿者はこの方法を根底に置き︑最初から順に読み進めるという︑散文を読むときのごく普通なあり方で︑﹁別本﹂ ぞれを尊重し︑この物語の豊かな真の姿を知る為に︑本文研究には新しい方法が必要なのである︒
は
よく複数ある
四.本文研究の新方法lそれぞれの伝本世界の読解 ということに関心が寄せられているということに他ならない︒そうした複数ある世界それ
‑160‑
「国冬本源氏物語」 注釈書の試み
前節のように﹁国冬本︵源氏物語︶﹂を︑通行本文と全く同じ感覚で一から通読し︑そこから問題点を見つける
方法を模索する︒そしていずれ︑一口に﹁源氏物語﹄と言っても︑今までの底本ではなく諸伝本について︑﹁河内
本源氏物語﹂﹁国冬本源氏物語﹂﹁○○本源氏物語﹂等々︑各々の伝本の物語世界を尊重し︑個々に注釈や現代語訳
︵9︶
がなされる方向に積極的に研究を進める必要がある︒更に言えば﹃源氏物語﹂は既に世界的な作品である︒﹁日本
︵皿︶
文学として訳すか︑世界文学として訳すか﹂という意見もあり︑日本文学として厳密に訳出するのではなく︑世界
に分かりやすいということを旨とした訳出もあろう︒また︑他言語による﹃源氏物語﹄も︑﹁△△訳源氏物語﹂と︑
やはり別の文学作品として独立するように将来は進めるべきである︒国内外を問わず︑複数の豊かな物語群に支え
られているのが︑この物語の真の姿なのである︒その究極の未来像に到達するための最初の試みの一つとして︑﹁国
冬本源氏物語﹂を素材に︑独立した一個の存在として注釈を試作することとする︒ のうち︑歌人津守国冬が書写したと伝えられ︑国宝絵巻絵訶という現存する最も古い源氏の本文との類似も一部み せ︑鎌倉末期にさかのぼる部分をもち貴重な伝本とされながら︑今まで言及されることの少なかった﹁国冬本﹂に 的を絞りこれを考察する︒断片的でなく︑新しいもう一つの﹃源氏物語﹄の誕生を目指すという包括的視座からの 新しい試みであり︑その一環として本稿では﹁国冬本﹂を素材に︑未来の﹁○○本源氏物語﹂刊行を見据えつつ試 作版を作成しその世界を考察するものである︒
五.﹁国冬本源氏物語﹂の世界の構築へ
くり返すが一つの伝本を普通に読み進める事を基本理念としている︒しかし五四帖全てに及ぶことは物理的にも
無理なことであるしこの度は試作なので︑﹁国冬本﹂独特の物語世界や表現世界がよくわかる箇所を中心に作成した㈹
︻凡例︼ 1.掲出本文は伝国冬筆各筆源氏物語五四冊︵天理大学附属天理図書館特別本川.洲イ棚︶である︒
2.国冬本が流通した時期と考えられる鎌倉末期から室町期の注釈書を中心に引用した︒*注釈書記号花⁝花
鳥余情紫⁝紫明抄河.:河海抄眠・:眠江入楚湖⁝湖月抄提⁝源氏物語提要源.:源注餘滴
3.翻刻本文︵丁数・オ︵表︶ウ︵裏︶・行数︶・注釈・試訳・稿者補記の順に作成した︒独自本文なので注釈が
付されてない箇所もある︒不審箇所には﹁ママ﹂を傍記した︒
4.翻刻は通読の便を考え︑私に区切りを入れた尚︑傍線は特に断りなきものは稿者による︒
5.なお試訳では本文に無い部分を補った部分は︵︶でくくった︒
6.国冬本は注︵8︶の岡嶌論文にあるように各筆物であり︑鎌倉末期本一筆本と室町末期各筆本に分かれるが︑
先述の如く一つの伝本を頭から読み通す理念に基づき︑以下両者から掲出している︒ 二一・試作版﹃国冬本源氏物語﹄ 二.試作
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『国冬本源氏物語』注釈書の試み
の
︻本文︼ゑにかきたる・長恨寄の・やうきひかかたちは・いみしきゑしといへとも.ふてかきりありけれは.いと こヒヒ にほひすぐなし・たいゑきのふようも.けにかよひたりし.かたちのいるあひも.からめいたりけん・よそひは・
うるはしうきよらにこそ.ありけめ・おはなの・風になひきたるよりもなよひ・なてしこの.つゆにぬれたるより
も・なつかしう・ろうたけなりし・かたちけはひを・魁もほしいつるに.︵十七丁オ6〜ウ4︶
︻注釈一﹁河﹂.:京極北政所本にはおはなの風になひきたるとあり或本には此句なし 従一位腿子 ﹁河﹂⁝なよひたをやかなる心也又麗
︻試訳︼長恨歌の絵に描かれた楊貴妃は︑どんなに優れた絵師が描いたにしても︑やはり絵で表すというのは限界
があって︑生き生きしたにおいやかなところは殆ど無い︒﹁大液︵池︶の芙蓉﹂とうたわれた楊貴妃に大変よく似
た更衣のお顔は︑唐めいた装いはとても端麗だったのだろうけれど︑尾花が風になびいている様よりもなよやかで︑
撫子の花が露に濡れているのよりもろうたげでいらしたことを︵桐壺帝は︶御想起なさると:::
︻補記︼桐壺の更衣の生前の姿形が﹁大液の芙蓉﹂﹁尾花﹂﹁撫子﹂の三つの花によって象られている︒
ここで国冬本と類似する本文を二つ掲出する︒
︵陽明文庫本︶﹁ゑにかきたるようくゐひはいみしきゑしといへともふてかきりありけれはいとにほひすぐなし
おはなの風になひきたるよりもなよひなてしこのつゆにぬれたるよりもなつかしかりしかたちけはひをお
もほしいつるに﹂︵十七ウⅢ〜十八オ5.﹃陽明叢書﹂︶ 1|国冬本・桐壺巻︵伝国冬筆鎌倉末期一筆本︶l桐壺更衣の描写
︵高松宮家本︶﹁ゑにかけるようきひのかたちはいみしきゑしといへともふてかきりありけれはいとにほひすぐ
なしたいえきのふようもけにかよひたりしかたちいるあひからめひたりけんよそひはうるはしうけふらに
こそはありけめなっかしうらうたけなりしありさまは劃剃釧刺Nuの風になひきたるよりもなよひなてしこ
の露にぬれたるよりもらうたくなつかしかりしかたちけはひをおほしいつるに﹂︵十五ウ3〜十六オー・﹃高
松宮御蔵河内本源氏物語﹄︶
桐壺の更衣の容貌有様の描写に﹁尾花・撫子﹂を対比した表現で用いている点で陽明文庫本が近いけれども︑陽
明文庫本は国冬本と比べれば文章がかなり短い︒掲出した高松宮家本と同様︑河内本も﹁女郎花・撫子﹂で象って
いる︒﹁撫子﹂が他の花と組み合わされて表現の言葉として使用されている例は野分巻にみえる︒なお︑この箇所
に三谷栄一氏の﹁尾花か女郎花か﹂亀物語史の研究﹂有精堂出版昭和五十年七月︶の論考がある︒
﹁大液芙蓉未央柳﹂は長恨歌の一句であるが︑﹁未央柳﹂のみ削られている国冬本のような本文がある︒伊井春樹
氏は︑河内本を校訂した光行・親行親子が︑﹁未央柳﹂を見せけちにしている俊成本を不審に思い俊成及び俊成女
に問い合わせたエピソードを引き︑光行・親行親子が最終的に︿親本の行成本も見せけちだったのでそれに倣った﹀
︿若菜下巻で女楽の女三宮の様子が青柳に瞼えられているので︑二度も女性に柳を瞼える重複を避けるため﹀︿転
写の過程で誤って挿入したが︑あまりにも対句めいて表現も適切ではないので﹀という理由からそうなったのでは
ないかという結論に至ったことについて︑
﹁河内家の︑本文校訂への真蟄な態度と判断できなくもないが︑俊成の語った行成本のミセケチはどうなるのか︑
解釈によって本文に手を加えてよいものか︑また俊成女の誤写による挿入であるにしても︑依拠した本文が存在し
たのか︑定家本はなぜ﹁未央の柳﹂を採用しているのか︑などと疑問は尽きることがない︒これに限らず︑証本と
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『国冬本源氏物語」注釈書の試み
宮イ
︻本文﹈よに・たくひなくをかしけなりと.みたてまつらせたまふ・なたかき女御の御かたちにも・なをこの君の
にほはしきかたは.まさりて・うつくしけなること.たとえんかたなくて.よの人・ひかるきみときこゆ・ふちつ
ほの御おもひ.とり/︑なれは・か︑やくひの宮とそ.きこえける︵二十六オ7〜ウ2︶
︻注釈︼﹁眠﹂⁝諸抄一同に弘徽殿はらの宮たちの事と云々聞書同前名たかうおはするとは春宮なとの事也愚案
然らは此よにたくひなしとは弘徽殿の心歎愚案此段いさ︑か不審あり弘徽殿腹の姫宮たち朱雀院なとの御かたち
名たかき事聞えす前に姫宮たちも源氏の君になすらひたるたになしとこそ見えたれしからはよにたくひなしと御門
の御心に藤壺をたくひなくおほしめし生得御かたちの名たかくおはするにくらへ給ふにも猶源のかたちは
にほ︲I〜としたる所のまさりたる也前にかきりなき御思ひとちともあり御かたちをもよそへつへきなといへり是
︵畔︶
等にて了見をくはふる物也是又僻案成へしや
︻校異﹈﹁女御﹂に﹁宮﹂の異本注記あり︒この人物が誰にあたるかは︻注釈︼にあるように諸説ある︒
︻試訳一世の人々が類なく素晴らしいとお見あげ申し上げている藤壺の女御様とお比べ申し上げてもなおこの君
の美しさは例えようもなく素晴らしいので︑世の人は﹁光る君﹂とお呼びする︒︵藤壺の︶女御様への帝のご寵愛 される世に流布する本文において︑それぞれ表現が異なるとなると︑河内家ならずともどのように判断してよいの か︑迷わずにはおられない﹂︵﹁中世の源氏学﹂﹃文学史上の源氏物語﹄鈴木日出男編至文堂平成十年六月︶と 記す︒国冬本も掲出したように見せけちになっていない︒
1−1||国冬本・桐壺巻l﹁光る君﹂の呼称の誕生
白
参考﹁花﹂・帯木巻﹁此発端の詞︵稿者注唖帯木巻冒頭の﹁光源氏﹂のこと︒国冬本もこの言葉で始まる︶はきりつほの巻
…の終の詞にひかる君とはこまうとのめてきこえてつけたてまつれるといひつたへたり︵稿者注卵この巻末の詞︑﹁国冬本﹂
無し︶とかけるにうけていへるなり﹂とある︒
︻試訳一源氏の君の里邸︵二条院︶には︑木工や修理識や内匠寮に宣司が下って︑改築なさることとなった︒元々 ︻本文︼さとのとのは・もく・すりしき.たてみつかさなとに・せんしくたりて.あらためつくらせ給・もとのこた
上ひ
ちやまのた︑すまひおもしろき所なるを・いと︑.いけの心もるくしなし・めてたくつくりの︑しる・か︑るところ
に.おもふやうならん人を.くしてすまはやとそ.なけかしうおほしわたると.なん︵三十一ウー〜8と︵以下余 も光る君と同様厚いので︑並び称して﹁輝くひの宮﹂とお呼びする︒
︻補記一国冬本ではこの箇所が﹁光る君﹂の噛引の命名伝承記事となる︒﹁照る﹂﹁光る﹂﹁輝く﹂は物語で主人公
を賛美する常套文句であり︑神話にも王権にも繋がる︒﹁紫明称﹂・﹁河海抄﹂は︑亭子院第四皇子敦慶親王が﹁玉
光宮﹂︑式部卿是忠親王が﹁光源中納言﹂仁明天皇の皇子に﹁源光﹂︑左大臣高明を﹁光源氏﹂に準えている︒
れ﹁広く﹂の意で試訳した︒ ︻注釈﹈﹁河﹂⁝二条院事也大工修理内匠寮
ひ
﹁源﹂に﹁こ︑は池のありさまといふがごとく用ゆるなり﹂とあるが︑傍書﹁ひ﹂︵﹁いけの心もろく﹂︶を取り入 二一三国冬本・桐壺巻巻末l強い思慕のとじ目
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「国冬本源氏物語」注釈書の試み
︵皿︶
終わることとなる︒ あった木立や山の佇まいの趣のあるところや︑池のあたりも広く素晴らしく作られた︒︵源氏の君は︶このような ところに︑理想と思う人と住むことが出来たなら⁝とばかりお嘆きになった︵とかいうことである︶︒
︻補記︼桐壺巻はこうして源氏の君の私邸である二条院改築と︑そこに理想の人︵藤壺︶と共に住みたいものだと
いう源氏の強い思慕で幕を閉じる︒﹁となん﹂は﹁とぞ﹂﹁とや﹂﹁とかや﹂とともに物語のとじ目の言葉の常套文句︒
巻末の言葉というのは強い印象を残すものであり︑国冬本においては︑源氏の藤壺への強い思慕が印象づけられて
少女の巻で再度出現する︒ ﹁さとのとの﹂は諸注二条院である︒﹁花﹂に﹁今案法興院は二条京極にありもとは二条院と号せるを正暦二年に
法興院とは名をかへられたるなり源氏の御さとの二条院はこれになすらふへきにや﹂とある︒この﹁二条京極﹂は
︻本文一
ママ
1.大との・しのふる御すまひなとん・おなしくい.ひろくみところありて・しなして・こ︑かしこの・おほつ
かなき・山さとの人なとん・つとへすませんと.おほして・二条きやうこくわたりに.よきまちをしめて.
ふるき宮のほとりに.つくらせ給へり︵十八オ7〜ウ2︶
2.八月にそ・あのとのへ・わたり給へき・ひつしさるのかたを.中宮のいてさせ給へきをりの御方・との︑ 二一四国冬本・少女巻︵伝国冬筆鎌倉末期一筆本︶二条院の増築
︻注釈﹈
︻試訳﹈ 1.源氏の大臣は︑私的なお住まいを︑同じ事なら広くて見所もあるようにして︑あちこちに離れて住まわせて
いらっしゃる山里の人を︵そこに︶集めて住まわせようと考えられて︑二条京極あたりに︑︵更に︶良い場 おはしますへきかたは・たつみ・うしとらは・ひんかしの院の御方・いぬゐは.あかしの御方と.おほした り・池山の.みぐるしきところは.うめつくるはせ給ひて・水のおもむき・山のおもて.あらためて・ さまj︑の・御ねかひの心むけを.つくらせ給えり・南には・山たかく・春の花の木を・かすをつくして・ うへわたし.いけのさま・ゆをいやかに.すくれておもしろく・御まへちかき・せんさいには・つ︑し.こ えう.たちはななとの・春の物を.わさと︒つくしうへて・秋の物は.むらj〜ほのかに.ませたり・中宮 の御方には・本の山に.いろこき・もみちきとん・うへ・泉したり.ゆたかに.なかしやり・水のこゑまさ るへく.いまとん.たかく・たてそえ・たきおとして・秋の野を・はるかと.つくれる︵十九ウ8〜二十ウ4︶ ︵中略︶きたひんかしは.すこしかけなる.いつみにて・夏のかけに.よれる.松のき・ちかき・せんさいに. くれ竹・つたの木の・森のやうなる.こえう.おもしろき・山さとめきてそ・見ゆる・卯花のかきね.こと にしわたして.むかしおほゆ︵二十ウ6〜皿/次の二十一オから帯木巻の一部が混入しているので二十四オに飛ぶ←︶る たち花.なつかしくしやうひん・とこ夏なとやうの・草を.とりわき・うへて・春秋の花は.むらノー〜みえ たり・東おもて.わけて・むまはのおと︑.つくり︵二十四オー〜4︶︵中略︶その西にあたりて・中はをわけ て・ひとつは.みくらまちなりけり︵二十四ォ8〜9︶︵中略︶この御方の.なかへたて.ついかいなんと.ゆ きかふ・こ︑ろはへ・けちかく.おかしきあはひ也︵二十五ォⅢ〜ウー︶ ︼﹁湖﹂・﹁むかしおほゆる﹂⁝さつきまつ花たちばなの心也
−168−
『国冬本源氏物語」注釈書の試み
所を手に入れて︑改築をおさせになる︒
2.八月に︑増改築された二条院にお住みになる︒邸宅の未申の方を︑中宮の里邸とお決めになる︒大臣は辰巳
にお住みになることを決められる︒丑虎は今まで東院に住んでいらした花散里の御方︑戌亥は明石の御方の
お住まいとお決めになる︒池や山で見栄えの良くないようなところは埋め立てるなどさせて︑水の風情や山
の趣も変えられて︑色々な方面の御方々のご要望を取り入れてお造らせになった︒南には山高く︑春の花の
木を数多く植え︑池の風情も趣あるようにお造りになり︑大臣のお住まいの前栽には︑つくし・五葉・橘な
ど春の植物を面白いように植えられて︑秋の植物は所々に混ぜられた︒中宮のお住まいはもともとあった山
に色の濃い紅葉を植えられて︑泉を綺麗につくり︑滝を高くから落として︑秋の野をお造りになった︒︵中
略︶北東の方は︑涼しげな泉があり︑松の木の近い前栽に︑夏の日差しを避けるように呉竹・蔦の木を森の
ように植え︑五葉が山里めいた趣で植えられている︒卯花の垣根を格別に作らせて︑昔を思わせる花橘︑薔
薇︑常夏などの草をお選びになって植えて︑春の花も秋の花もところどころ顔を見せるといった風情である︒
東面は︑敷地を分けて馬場殿を造られた︒︵中略︶ここに集められた方々のお住まいの隔ては工夫されており︑
御方々は親しみやすい様子になっていらっしゃった︒
︻補記一二一三︻補記一に述べたように︑桐壺巻巻末は﹁さとのとの﹂︵二条院︶の改築で巻を終わっており︑
その二条院に﹁花﹂は︑元二条京極にあった法興院をモデルにあげていた︒そしてこの少女巻のこの箇所に﹁二条
京極﹂が記されている︒他伝本は少女巻といえば六条院造営が描かれている巻であるが︑国冬本のみ二条院である︒
仮に最初は﹁六﹂と﹁二﹂の誤植だったにしても︵原本の字母が似通っている︶︑最後まで二条院造営で話は進み
完結している︒四つの︿町﹀が記されるところが﹁方﹂になっていたり︑また﹁六条院﹂←﹁あのとのへ﹂︑﹁西の
町﹂←﹁その西にあたりて﹂︑﹁この町の中のへたて﹂←﹁この御方のなかへたて﹂などとなっており︑広大な六条
︵皿︶
院の話とは異なる二条院の世界が細部においても破綻なく描かれているのがわかるのである︒
︻本文﹈しをん・なてしこの.こきうすき・あこめともに・をみなへしのかさみなとやうの.時にあひたるざまに
て・四五人つれて・こ︑かしこの草むらによりて・色々のこともを・もてさまよひ.をみなへしなてしこなとの・
いとあはれけなる・枝とも・取もてまいる・きりのまよひは・いと・えんにそ.見えける︵十二ウ4〜十三オ2︶
︻校異﹈﹁紫﹂は﹁きりのまより﹂を﹁間也﹂とする︒﹁まより﹂﹁まよひ﹂と異同あり︒
︻試訳︼︵童女が︶紫苑︑撫子の濃い色や薄い色の相に︑女郎花の色目の上着︵汗杉︶の︑秋に似合った襲を着て︑
四五人でここそこの草むらで虫かごをもってうろうろとし︑女郎花や撫子が︑野分の風にやられてかわいそうな様
子でいるのをつみ取ってきたりしている様子が︑霧に紛れながら見えるのは︑非常に優雅に︵夕霧には︶思われた︒
︻補記﹈桐壺巻二一一の補記で︑﹁﹁撫子﹂が他の花と組み合わされて表現の言葉として使用されている例は野
分巻にみえる﹂と記したように︑ここでは﹁女郎花・撫子﹂の例が見える︒桐壺巻でも﹁尾花・撫子﹂のあたりの
花の描写を省略しない国冬本のような伝本もあれば︑省略する伝本もあった︒この野分巻でも︑﹁撫子﹂は﹁常夏﹂
の詞で入れ替わっても諸本描出されているが︑﹁をみなへしなてしこ﹂の︿おみなへし﹀は省略している伝本もある︒
童女の汗杉の色目に一度出たので︑二度の描出をくどいものとしたということが︑桐壺巻の例から考えられる︒同
じ﹁国冬本﹂といっても桐壺巻は伝国冬筆鎌倉末期一筆本︑野分巻は伝柳原殿淳光卿筆の室町末期本という違いは 一一五国冬本・野分巻︵伝柳原殿淳光卿筆室町末期本︶六条院の童女の描写
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「国冬本源氏物語」注釈書の試み
︵過︶
あるけれども︑描写を省略しないという点で同じ傾向をもつことに留意したい︒
﹁眠﹂⁝をくるへうやはといへる詞もきこえたる嗽
︻試訳︼︵女三宮の柏木への返信︶﹁︵ご病気のことを︶お気の毒には聞いてはおりますが︑どうしてお便りができ
ましょうか︒どうかご推察の程を︒﹁残さん﹂などと歌にお書きになっていますが︑
私も一緒にできれば消えてしまいたい︒貴方の苦しみと私の苦しみのどちらが大きいか消えゆく煙で競い こ国ろ也・去ほとに︑けふ恥 そひてけふりくらへと云り︒
﹁眠﹂⁝をくるへう
ながら﹂ ︻補記︼
言葉は ︻本文一心くるしく・ききなから・いかてか・た︑・をしはかり.のこさんとか・あるは.
たちそひて.きえやしなまし・うきことを・おもひこかる︑・けふりくらへに・とあるを︵七オー〜6︶
︻校異﹈﹁おもひこかる︑﹂1国冬本・東大本︑﹁おもひみたる︑﹂l他伝本
また他伝本は歌の後︑﹁おくるくうやは﹂の一文がある︒国冬本のみ無い︒
︻注釈︼﹁提﹂.:此寄の心は︑そなたゆへにわれもうき名たつ身なれは︑立そひてむなしきけふりにのほらはゃの
ごろ也・去ほとに︑けふりくらへにとはよみ給へり︒柏木の歌に︑おもひの名をや残さんとあるによりて︑たち
﹃無名草子﹄︵群書類従本︶では︑二遅るべくやは﹄とある女宮ぞ憎き﹂とある︒この﹁遅るべくやは﹂の
﹁遅れをとりましょうか︑決して後れを取りません︵私の方があなたよりずっと苦しみは深いこと︑優柔 私も一緒にで とあるのは⁝ 一一一六国冬本・柏木巻︵伝国冬筆鎌倉末期一筆本︶l﹁煙比べ﹂の歌に続く箇所について
︻試訳一女三宮は今までは人生というものを騎り︑遊び戯れるものと考えて日々を送っていらっしゃった︒来し方こ
そ︑︵このように︶少し幼稚でいらしたけれども︑︵柏木との件で︶人の世の苦しみを人知れず知ることになった︒こ
の苦しみは宮が御自らお望みになったことではないが︑やはり自らよく考えて生きていくべきなのが人生であると︑
お分かりになるようになって︑深い思いをおもちになりつつ︑のどやかな仏道生活をなさっていらして⁝
︻補記﹈この箇所全体が国冬本鈴虫巻の独自本文である︒国冬本鈴虫巻にはこのような長文の独自本文がいくつか
散見する︵伊藤鉄也氏︒源氏物語﹂の異本を読むl﹁鈴虫﹂の場合﹄︵国文学研究資料館編臨川書店平成十三
年七月︶に詳しい︶︒この箇所は一般には幼い精神性が特徴と思われている女三宮の︑珍しい人間的成長の様が見
︵皿︶
てとれる特異な本文と言える︒ をし︵四ウ2〜ウ9︶ ︻本文一世中・ひとへに・おほしおこり・あそひたはふれ事に・うつらせ給に・きしかたこそ.すこし・いはけた る事も・おはしましけれ.よのうきことを人しれす.おほししる.わか御心つからのことには.あられと・なを・ 心つかひすへき・よにこそ有けれ・なと.おほしわかる︑・事ともありて・いとふかう・のとやかに・御をこなひ 不断な宮にしては珍しくきっぱりと言い切り︑強い言葉に対する批判が述べられている︒他伝本には存在するこの 言葉の無い国冬本は︑歌の二句目﹁きえやしなまし﹂が強い印象を残し︑自分も消えてしまいたいという︑通行本 でおなじみの宮らしい現実逃避的な部分がみえる︒
一一七国冬本・鈴虫巻︵伝国冬筆鎌倉末期一筆本︶l過去を反倒し成長する女三宮像
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『国冬本源氏物語」注釈書の試み
最後に当該試作の位置づけと意義について述べる︒まず︑こうしたことによって︑我々が見知るのとは異なる源
氏物語が次々と︑一つの独立した物語として読みうる形に自立することが可能になるならば︑数多の源氏物語の存
在こそがこの物語の豊かな真の姿なのであるから︑そこに接近することが可能になることを最初に述べたい︒
また世界的な作品という意味においては︑例えばα目房弓巴の具⑦の昌↓︻ロロ言言く①星○具弓の昼︑︾という形で︑独
立した作品として認知させることを可能にし︑アーサー・ウェリー訳︵英語︶︑ロイヤル・タイラー訳︵英語︶︑ル 以上国冬本の物語世界がよく分かる箇所に限定して数巻を取り上げ注釈の試みをした︒このうち︑桐壺巻︵特異
な呼称﹁光る君﹂の象徴する世界︶・少女巻︵六条院ではなく二条院が造営される世界︶・鈴虫巻︵内省する独自の
女三宮像︶については︑それぞれの箇所の補記及び脚注で示したように︑特異な世界をもちつつも︑それぞれの巻
巻でその世界は完結し発展することがないという共通点をもつ︒となると︑これらは皆伝国冬筆鎌倉末期一筆本で
あるが︑その流通は︑一筆本が一かたまりに︑という形ではなかったかもしれない︒というのは︑それぞれの連続
する次巻︑即ち桐壺の次の帯木巻・少女の次の玉鬘巻・鈴虫の次の夕霧巻はいずれも伝国冬筆鎌倉末期一筆本であ
り︑錯簡脱落があるにしても︑各々の前の巻に見られたそれぞれの特異な世界が次巻で何らの発展・展開を見せて
いないからである︒またそれ以降の巻巻に特異な世界が引き継がれることもない︒それ故に︑鎌倉末期一筆本がも
し五四冊全て現存していたら︑そこに特異な世界が自己完結することなく展開していたのかもしれないという仮説
には︑慎重でありたい︒ 三.終わりにl意義と未来
ネ・シフェール訳︵仏語︶・田溶新訳︵韓国語︶などと同レベルで︵風月営閏ぐ①国○口︾尻昌昏言ぐの量目・の言︶が位
︵喝︶
置づけられ︑﹃源氏物語﹄の豊かな可能性を︑具体的な形で世界文学として認知させることが可能になる︒
一三.で述べたように︑今まさに源氏物語の未詳だった世界が次々と明らかになりつつある︒源氏物語は本文
︵猫︶
研究の新時代に名実ともに入ったというべきである︒先学の礎の上にあることを十二分に自覚しつつ︑既存の価値
観に囚われることなく進みたい︒その為に︑いずれ伝本毎の個別の注釈書が生まれることが必要であり︑その最初
の試みの一つに本稿を位置づけたい︒
︹注︺
︵1︶伊井春樹氏﹁源氏物語の伝本﹂︵﹁国文学解釈と鑑賞﹂六五巻十二号至文堂平成十二年一月︶
︵2︶加藤洋介氏﹁河内本について﹂︵﹃源氏物語の鑑賞と基礎知識花散里﹄至文堂︑平成十五年六月︶
︵3︶文献学の見地から新しい分類試案を提示し続けているのが︑新美哲彦氏であり︑弓源氏物語﹄諸本分類試案
l﹁空蝉﹂巻から見える問題﹂︵﹃国語と国文学﹂八四巻十号平成十九年十月︶等︑﹃源氏物語の受容と生成﹂
︵武蔵野書院平成二十年九月︶に再録︶がある︒
︵4︶﹁﹁大島本源氏物語﹂に関する書誌学的考察﹂二斯道文庫論集﹄第四十一輯平成十九年二月︶
︵5︶室伏信助氏﹁大島本﹁源氏物語﹂採択の方法と意義﹂︵新日本古典文学大系﹃源氏物語こ岩波書店平
成五年︶伊井春樹氏﹁大島本源氏物語本文の意義と校訂方法﹂︵﹁論叢源氏物語I﹂新典社平成十一年︶
︵6︶﹁陽明文庫本源氏物語の方法﹂︑﹁国語国文﹄六十二巻一号平成五年︶等
︵7︶中村一夫氏﹁保坂本源氏物語の一性格l朝顔巻の別本をめぐって﹂︵﹃本文研究﹂第一巻和泉書院平成八
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「国冬本源氏物語」注釈書の試み
年七月︶︑中川照将氏﹁陽明文庫本﹃源氏物語﹄における﹁男﹂と﹁女﹂l源氏と六条御息所を中心に﹂︵﹁本
文研究﹄第三巻平成十二年八月︶︑また本稿で扱う国冬本については伊藤鉄也氏が数点論考を刊行している
︵﹃源氏物語本文の研究﹄おうふう平成十四年所収など︶︒
︵8︶国冬本の詳細な書誌は岡嶌偉久子氏﹁源氏物語国冬本lその書誌的総論﹂︵﹃ビブリア﹂百号平成五年十月︑
﹁源氏物語の研究と基礎知識横笛・鈴虫﹄至文堂平成十三年︶に再録がある︒
︵9︶加藤昌嘉氏は﹁そもそも私は︑大島本を底本にして﹃源氏物語﹄の注釈書を作る必然性を全く感じていない・
大島本が諸注釈書の底本に選ばれている理由は︑︻1︼︵浮舟巻を除く︶五三帖が揃っている︑︻2−書写状況
や伝来過程が或る程度わかる︑︻3︼ごく一部の巻が定家本・明融本と近似する︑というだけのことだ︒既に︑
大島本を厳密に調査した新日本古典文学大系というテキストが世に供されているのであるから︑これからは︑
高松宮本を底本にした注釈書︑穂久邇文庫本を底本にした注釈書︑保坂本を底本にした注釈書などが︑次々と
作られてゆくのが学問的に健全な展開なのではあるまいか︒どの写本が原作者オリジナルに近いのか解らない︑
というのは︑読者にとって大いなる僥倖である︒現存する写本を同じ土俵で読むことができるのだから﹂︵﹁句
読を切る︒本文を改める︒﹂﹃講座源氏物語研究8﹄おうふう平成十九年四月とと提言している︒
面︶青木周平氏・辰巳正明氏ほか﹁︿座談会﹀日本文学の可能性を探るl隣接科学との協同と国際化への道﹂︑﹁國
學院雑誌﹂︵國學院大学︑百八巻一号︶における︑河添房江氏の発言︒
︵Ⅱ︶この巻末は他伝本は全て高麗相人による﹁光る君﹂命名伝承記事で閉じており︑国冬本源氏物語のみ異なる︒
世の人によって称賛され︑更に︑巻末という印象の強く残る場所において外国の相人の命名伝承という外国の
権威に︑二重に称賛されるという点︵河添房江氏の諸論考より︶に︑他の昔物語との絶対的な差異と独自性が
あったなら︑そのような巻末ではない国冬本桐壺巻の﹁光る君﹂及びその呼称が象徴する物語世界は︑当時の
他の昔物語と同様の古風な姿をみせていることになる︒この点については拙稿﹁国冬本源氏物語の﹁光る君﹂
l特異な桐壺巻巻末の物語るもの﹂︵﹃物語研究﹄第8号物語研究会編平成二十年三月︶に詳述した︒
︵里このように他伝本と異なり︑一つ国冬本だけ二条院造営が描かれるなど︑国冬本少女巻のいくつかの特殊な
様については︑拙稿﹁源氏物語の別本の物語世界l伝国冬本少女巻を中心に﹂含文学・語学﹄一八二号︶平成
十七年七月三十日︶に詳述した︒この﹁二条院栄華の世界﹂はこの巻でのみ完結し︑以後継続するということ
はない︒蛍巻で唐突に﹁みなみの町﹂と︑﹁方﹂ではなく﹁町﹂が登場し︑野分巻には﹁六条ゐんにまいりて﹂
と︑六条院の世界が当然のように描かれている︒
︵旧︶新美哲彦氏は﹁国冬本や保坂本は︑別本として有名だが︑補写の巻に関して言えば︑日大蔵三条西家本や河
野美術館本などと非常に近く︑一つのグループを形成している︒室町期補写の国冬本や保坂本が︑同じく室町
期書写の日大蔵三条西家本や河野美術館本と近接する本文を有する事実は︑そのような本文が室町期の堂上家
で広く流通していたことをうかがわせる﹂︵注3︶と述べ︑国冬本で今まで軽視されがちであった室町期補写
本の価値に関して注目される発言をしている︒稿者も平成二十年七月の口頭発表で︑国冬本・高松宮家本の橋
姫巻の類似について言及した︒︵大阪大学古代中世文学研究会︶
︵Ⅲ︶拙稿﹁国冬本における女三宮についてl鈴虫の巻を中心に﹂︵﹃国語国文﹂平成十四年二月︶に詳述した︒こ
のような我々の見知る宮の人間像は鈴虫巻のみにみられるもので︑例えば同じ国冬本・幻巻では無神経に﹁谷
には春も﹂とつぶやき源氏を落胆させる相変わらずの人間像がえがかれている︒
︵旧︶その為に稿者は平成二十年十二月二十日︵士︶韓国日語日文学会︵於咋ソウル︶で口頭発表を行った︵題目
、
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『国冬本源氏物語』注釈書の試み
は﹁国冬本源氏物語についてl未詳の伝本が見せる多様な物語世界﹂︶・
︵略︶この物語の本文研究は﹁まさしく今が旬︑そして︿戦国時代﹀にある本稿と一部重なる︒﹂︵上原作和氏︶か
らこそ︑﹁ねばり強い﹁基礎﹂研究﹂︵陣野英則氏︶に立ち返る姿勢が肝要だろう︵引用は﹃本文史学の展開︑
言葉をめぐる精査︵テーマで読む源氏物語論︵2︶こ上原作和氏・陣野英則氏︵編︶今西祐一郎氏・室伏信助
氏︵監修︶勉誠出版平成二十年七月︶から︒同書は源氏の本文研究の主要論考を再録︒
﹇付記本稿は科学研究費補助金︵特別研究員奨励費︶の助成を受けた﹈
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