一 七世 紀後期 お よび一 入世紀 初期 の契約 学派
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︿資料V
一 七 世 紀 後 期 お よ び 一 八
世 紀 初 期 の 契 約 学 派
宮下輝雄
ピューリタン的およびホイッグ党的伝統の影響のもとに︑イ
ギリスにおける契約説は(もしわれわれがホッブズを除外する
ならば)︑絶対君主制の要求に反対する︑また神権と無抵抗主
義の選択肢的理論に反対する︑立憲的自由の根拠を支持する党
派の本質的教義として生き残った︒他方︑外国では契約説は宣
ポリテイ伝的というよりは法学者的なものとなり︑特に︑すべての政治
カル ロイヤ 的法律家によって受け入れられた︒幾人かのものは︑もっと君
主絶対主義の方向に傾き︑他のものは人民主権の方向に傾い
ヘへた︒同時に︑他のものは再に一種の中道豊魯ミ鳥ミ畠を保持し
た︒しかしそれはすべての政治権力の基礎であると考えられた
服従契約の適当な操作によって︑君主制︑貴族制であろうが︑ あるいは民主制であろうがすべての国家形態は︑政治的義務を
ともなう︑一様な契約理論によって説明された︒われわれは︑
既に︑体系的政治学のこの全学派の実質上の創設者であったプ
ーフエンドルフの著作を検討した︒したがって︑かれの政治学
への法学的接近を試みた多くの研究者の全著作の何らかの概設
を検討することは︑あまりにも長々しくなるであろう︒しかし
ながら︑一七世紀後半と一八世紀初期において︑社会契約がそ
の全盛期に達したのは︑かれらの手によってなされたので︑か
れらの著作の選択︹文︺を検討することによって︑その理論が
全体として︑その支持を失いはじめる以前︑それはいかなる修
正を受けたかに︑この章で︑注意をはらうことは価値のあるこ
とであろう︒
一九世紀までにギールケのようなドイツ人は︑かれの国の政
治哲学のそれ以前の状態について回顧したさい︑全﹁自然法﹂
学派は二つの主要な異論に分かれていたように思われる︒一っ
には︑自然法学派の個人主義は政治的義務の真の本質の︑ある
いは︹個人主義は︺実際に︑国家の尊厳の十分な理論と調和し
ないということであった︒二つには︑自然法学派の契約主義
は︑統治者と民衆の二当事者の必然的対立によって︑国家の統
一体についての満足な説明を不可能にした︑ということであっ
(1)た︒社会の統一性のより古い伝統は︑なお︑残存してはいたが︑
しかし影響力のあった契約学派に対抗する程の強い印象を与え
(2)る力はなかった︒契約と自然法の衰退とともに一九世紀におい
て︑ドイツ法の歴史学派とへーゲル哲学によるそれらの交替は
受容しうる体系的政治理論を組み立てえた︒しかし︑もしわれ
囎われがイギリスの政治的自由を評価するならば︑というのは︑
イギリス法の個人主義的想定は大部分が信頼できるものであ
り︑国家の全体主義的理論を凝念をもって見るがため︑われわ
れは契約に関するもの以上に有機体の隠喩の過度の強調による
大きな不利益と危険な結果を悟るかもしれない︒それはたとえ
契約理論それ自身が論理的に矛盾し歴史的に不合理なものであ
っても︑あるいはそれが単なる特別な現表である個人主義を必
然的に無効にしないものであっても︑である︒その揚合︑一七
世紀および一入世紀の自然法学者は興味に満ちあふれており︑
たとえかれらの表現形式が不完全なものであろうと︑本質的に
は健全なものであった︒したがって︑現代政治理論家の課題の
一部はかれらの論理的歴史的誤りを回避すると同時に︑一九世
紀後継者のいく人かが無視しがちであった諸原理を保護する体
系を組み立てることであるだろう︒
プーフェンドルフに続く︑これら政治法学者の最初の一人は
オランダのフリーズランド州のフラネッカーの法学教授︑ウル
リツヒ・フーバ︹d一H一〇ず用{窪げΦ同︺であり︑かれの著書﹃国法
について﹄b馬§越6琶ミ駐は一六八二年に出版された︒ドイ
ツにおいては︑ライプチヒ︑そして後にハレーの教授︑クリス
チアン・トマス(トマジウス)︹Oξδ江o昌目げoヨΩ︒︒︒(目げo日螢ω・
冒ω)H①緕‑嵩b︒Q︒︺は一六八七年にかれの﹃神の法理学原理三巻﹄
寒偽ミミ艦§袋ミ﹄ミ識曽ミ魯ミ凡ミb︑qきミト辱識臼越肋を完成し︑
一七〇五年に﹃自然法および国際法の基礎﹄肉§§ミ§ミ§︑鋳 ﹀§ミ§ミQ§職§ミがつづいて完成された︒フバーは自然状
態は戦争状態であるということでホッブズに同意するが︑同時
へに︑かれはプーフエンドルフとともに政治組織の理由として自
︑︑︑︑(3)然的社会の欲求§鴇§︑§ミ旨らミミ鋳ミミミ§)を支持した︒
ヘヘヘヘへけれどもかれはこの欲求とそれがともなう混乱の憎悪︒ミミミ
8ミ鄭鴇§鎌のほかに︑人間の悪い意志に対抗して︑気立てのよ
い人びとが︑かれら自身を保護しえたのは結合によってのみで
あり︑結合において︑すべてのかれらの意志は一つになるべき
であるという︑今一つの主張を認めるけれども(Sミご§賦§Q
( 4 )
§ミ8ミミ⁝:感ミ嶋§ミo§ミ§ミ§ミミ自砺ミ§g誉越︑)︒多くの自由な個々人ではじまるが︑単一主権者の意志へのか
れらの服従で終るという︑国家の起源に関するこの説明は︑お
そらく︑一七世紀ヨーロッパにおける全契約学派の典型的なも
のとして︑みなされたかもしれない︒しかしながら主権を有す
る支配者の出現は同時にはおこなわれない︒というのはすべて
の国家のはじめは民主制として創設され︑その民主制は自然状(5)態にすこぶる接近したものである︒したがってこれは多数派の
意志の普及を確立した(ミ§ミ響勘辱ミ嵩偽§ミミ黛勉ミ︒ミ謡,
(6)︑︑ミ§竃ミミ§)誓約誉馬§隔に起源をもつものである︒ホツブ
ヘヘヘヘヘヘヘヘズは︑人びとが集団をなす8躇奏勘ときでさえ︑単一体
§§§を形成しないし︑まして分散している時はなおさらのこ
とであり︑かれらがなす全てのことは主権者に服従するために
個々人が互いに服従するために協約を結ぶことである︒しかし
フーバーによると︑人びとは一全体を形成することができる
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し︑またおこない曝統治者をもたない時でさえ︑かれらの構成
(7)単位に︑必然的に解散することはない︒けれども︑この素朴な
ヘヘヘへ民主制はばく然と持続するものではなく︑フーバーは混乱に退
ヘヘヘヘへ屈している縣ミミoSミご鴇§鋳人民が︑一人に︑あるいは数(8)人に主権を譲渡した︑という仮説を提唱する︒しかしながらこ
ヘヘヘヘへの統治の到来譜貯職ミ愚亀ミは(ホツブズにおけるように)個
々人によるかれらの忠誠の直接的承認を通して起こるものでは
ない︒すなわち︑投票は︑実際には個々的に(蕊︑︑ミミ)収集さ
れるが︑その結果は︑正しく一つの単一体(蕊§N§冬ミ恥
(9)§ミ駐)である︑一個︹人︺の決定§ら越ミミである︒それゆ
えホツブズは次の点で間違っていた︒主権は多数者に対してで
あれ︑あるいは統治者に対してであれ︑服従契約の結果ではな
くて︑単に︑個々人と他人との契約の結果であって︑それゆ
え︑主権者は契約的義務のもとにはない︑ということを主張す
(10)点において︒反対に︑支配者と臣民間にはかれらの相互の関係
ヘへを支配する誓約誉§鱗があり︑それによって暴君は抵抗さ
(11)れ︑罰せられるかもしれない︒かくて︑フーバーはホツブズが
いうように︑人民はかれらの全自由を主権者に譲渡するという
かれの結論と︑統治者を人民の単なる召使いとみなすシドニー
やアルトジウスのような結論︑との中間の進路をたどる︒フー
バーにおいては︑権威の真の譲渡はおこなわれるが︑人民は一
定の権利を保持し︑それによって統治者の権威の行使は制限さ
れる︑と考えた︒
トマジウスの政治理論の主要原理は︑プーフェンドルフとフ ーバーの原理を親密に踏襲するが︑かれはもっと﹁有機体的﹂へ
傾向ではじめる︒社会(魯ヘミ§)は平等︑不平等かあるいは混
ヘヘへ合(ミ§ミ)である︑とかれは説明する︒すなわち︑唯一の不平
︑︑︑︑(12)等な社会魯9ミa§ミQ§へ鋳は人間と神との間の社会であるか
ら︑人間社会は平等であるか混合である︒人びとは特別な目的
のために︑人為的社会を形成するかもしれないが︑自然的人間
社会もまた存在し︑そうした社会に人びとは神の命令による(13)か︑あるいは全人類の共通の利益のために駆り立てられる︒そ
の上︑人は︼瞬たりとも︑完全に︑社会から孤立させられないし︑
また切断されない(§動ミミ凡ミ轟き導偽ミミ智§ミQ)︒人はは
(14)じめから神と関係をもっており︑この社会旨ミNミにおいて︑
その関係は不平等に存在するが︑そこには家庭におけると同等
な︑いかなる人問関係におけるよりも︑偉大な愛と信託があ
(15)る︒自然状態は戦争の状態ではなく︑それは人びとを獣類から
(16)区別する1至高の立法者を承認するための︑またかれの規則
に従ってかれらの行動を規制するための︑理性の能力と才能と
いう資質に関して︑すべての人びとの共通の状態を意味する︒
理性は言葉を含み︑言葉は社会と別々に存在することは不可能
である︒それゆえ︑もしわれわれが︑人を理性的であると呼ぶ
ヘヘへなら︑かれを社会的と呼ぶに等しく︑社交性旨ら皆ミ禽は︑人
びとが他の人びとと幸福にそして平和的生活われわれは不
(17)安な状態においては理性的になりえないがゆえに平和的にー
を望ましめる︑全人類のために︑神によって計画された共通の
性向と定義される︒