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ー経営者意識論序説

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1925-1995

経営者の個性化過程と組織集団の共時性

ー経営者意識論序説

1)序 言 2) 経営論の系譜 3) 戦略的意思決定の特性 4) 経営者意識の問題 5) 経営者の個性化過程 6) 結 語組織集団の共時性

1)序

これまで企業ないし経営の意思決定について は. 幾多の論議がされてきている。 それらの議 論が. その時代, その風土において, それぞれ,

それなりの意義があったことも確かである。 だ がここにきて世紀末的な時代の環境と, 我国に おける経済をはじめとした政治, 社会の風土的 な環境も. 企業そのものの再構築. そのための 経営の意思決定の活性化を求めているように想 う。

つまり. これまでの経営意思決定論の系譜を たどってみるとき, その主流は合理的意思決定 論であり, その典型は最近の. いわゆる戦略的 決定論であり. それは合理的分析症候群と, 過 ぎたるは及ばざるが如く病的にすら理解されて いる。 そこまでにいたる人間関係論的なアプ ロチも, 所詮は合理的意思決定の人間的. 社 会的な修正ではあるが. 亜流にすぎず, また合 理的意思決定の限界をみて制約的合理性の議論 を展開し, 近代的意思決定論の契機を創ったと いわれる. サイモン(H. A. Simon)の論議も.

やはり合理的意思決定論の延長にしか過ぎない といえよう。

むしろこれからは. 経営意思決定における合 理的というか合理性そのものに検討する余地が

あるのではないか, というのが, ここでの問題 提起の主旨である。 たしかに経営という社会現 象のなかで, たとえば意思決定において不合理 を捨象して, 合理性を追求することは, 科学的 なつのアプロチではある。 だがそれが意思 決定をはじめすべての経営現象について, 学問 的に解答しうるかといえば疑問の余地はあろ う。 すなわち自然科学の対象とする自然現象は ともかく, すくなくとも人間の介在する社会現 象 とくに精神世界を対象にする人文科学にお いて, 合理性だけでなく, むしろ不合理ならざ る非合理の第三の領域が見出しえるのではなか ろうか。

とくに環境の不透明度が高まり, その急激な 変化のなかにあって, 経営者が戦略的意思決定

に直面するとき, 従来の合理的意思決定では,

たとえ制約的合理性の概念をもって補強して も, 決断するまでには限界をもつのではあるま いか。 まさに限界的というか危機的な状況にお いて経営者が戦略的に意思決定する, ないし決 断するときの基準は, はたして合理性をもって 有用でありえるであろうか。 むしろ非合理的と いわれる, 直観など飛躍の内容を含意した基準 による決断のほうが現実であり, より有効なの ではあるまいか。 したがって戦略的意思決定に おいてはとくに, 合理性が制約的であるがゆえ に, このような直観的決断をふまえて, むしろ それを補強する意味において合理的な検討が裏 付けされる関係になるのではないか。

これが第 の問題提起であるが, つづいて第 二の組織的意思決定の問題についてみたい。 歴 史的にみて企業が大規模化し, 組織的に経営さ

(2)

れ, 意思決定も組織化されてきていることはい うまでもない。 それは日本型経営の特徴といわ れるような集団的経営あるいは集団的意思決定 という表現までされている。 だが組織も集団 も, いうまでもなく個人なくしては存立しえな い存在であり, そこに経営者としての個人的意 思決定の問題を吟味する必要がある。 あるいは 経営者の個人的意思決定と集団的ないし組織的 な意思決定, あえていえばその過程 , あるいは コンセンサスプロセスとの意味, 役割その関 係という問題を検討する必要があるであろう。

さらに第三の問題として提起したいのは, こ れまで個人的意思決定であれ, 集団的ないし組 織的といわれるそれであれ, あるいは合理的意

. .

思決定といわれるとき, いずれも意思のレベル において決定ないし決断の問題を理解しようと しているところである。 すなわち心理学, とく に深層心理学的にいって意思は表層意識上の問 題把握であり, すくなくとも経営者としての個 人的な決断においては, 表層意識下の潜在的な 意識もふくめた全体意識のなかで検討さるべき 問題であろう。 そのことは最近の心理学的な知 見によれば, 経営者はもとより, 人間として 般の組織成員にもひとしく, 深層的な潜在的意

識における心理的動機によって表層的な意識な り決断は左右されサポトされるダイナミズム を理解させられる。

そこに深層心理学でいう, 経営者の個性化過 程(individuation process)の問題を見出すと ともに, それにともなう組織集団の意識的な共 時性(synchronicity) の問題をも理解してい きたいとおもう。 そのことを解明していくこと によって, 経営者意識論という未知の新たな沃 野を経営意思決定ないし経営者そして経営の

領域に, 荒削りながら里塚として創ってみた いとおもう。

2) 経営論の系譜

すでにふれたように企業ないし経営における 意思決定についての論議は, おおむね合理的意

思決定論を, その主流にしている。 とくにアメ リカにおいての経営論の歴史というか, 系譜を たどるとき, そのことはより判然とする。 その 経営学説の系譜を整理する座標軸は, いろいろ あるであろうが, スコット(R. Scott, Stan­

ford Univ.)のそれを採用して理解してみよ う。 もっともこの座標軸については, 別にふれ る機会があるであろう著作「エクセレント カ ンパニ」 (Excellent Company-In Search of Excellence, T.

J.

Peters & R. H. Water­

man, 1982) に示唆されたものである。

その要約は, 第図にある。 要点を説明すれ ば, これまでの, とくにアメリカの経営学説を 歴史的に整理するとき, まず第の座標軸とし て, 経営システムが外部の環境にたいして閉鎖 的(クロズド システム)であるか, 開放的

(オプン システム)であるかによって区分 し, その対象を合理性の基準によって検討する か, それ以外の社会性の基準によって吟味して いくか, 第二の座標軸によって縦横, 四象限の 領域をもつマトリックスを用意する。 そこに1900 年から本格的にはじまるアメリカの経営論, ま

ず第の象限にアメリカ経営学の父ともいわれ るテイラ(F. W. Taylar)を筆頭にする, い わゆる科学的管理法の時代を挿入する。 それは 30年代までつづく, 閉鎖的な経営システムにお ける合理性追求の論議であり, ョ ロッパにお けるマックス ウェ (Max Weber)も この範疇にあるという。 まさに狭い意味での経

第1図 経営理論の歴史的4象現 閉鎖系← → 開放系

I. Ill.

1900--1930 1960--1970 合理性 ウエ チャンドラ

テイラレンス ロシュ

II. IV.

1930-1960 1970-現在 メイヨ等 ワイク マクレガチ 社会性

バーナド セルズニク

Rスコット(スタンフォ ド大学)

-266 (462)-

(3)

営合理性追求の学問の成立であろう。

それが30年代から60年代にかけての時代の推 移のなかで誕生したのが, 第二の領域を開拓し た, いわゆる人間関係論(Human Relations) に代表される諸説である。 これはハバード大 学グルプのメイヨ (E. Mayo) やレスリス バ(F.J. Roethlisberger) の実験を契機に したものであったが, 経営内部システムにおけ る人間性ないし社会性を重視した知見である。

その意味では合理性をこえる枠組をもっている にもかかわらず, 学説の実際的な意義として は, 従来の合理的内部経営論を部分的に修正し 補完するにすぎなかったといえよう。

それにたいし時代というか経営の外部的な環 境が激しく変化するようになる1960年代から以 降には, ただ閉鎖的な経営内部のシステムを対 象にするのでは十分でなく, 環境に開放的なシ ステムとしての経営を対象にする必要に直面す ることになる。 まさに戦略的経営論や戦略的意 思決定論が強調されるところである。 すなわち 外部環境の変化を合理的に分析し, 有効な戦略 によって適応していく経営の展開である。 その 典型的な業績は, 経営史的にいえば, チャンド ラ (A. Chandler JR.) の「多角化戦略と組 織」の分析であり, 理論的にはアンソフ(H. l.

Ansoff) はじめ幾多の戦略論があげられる。 だ がその分析の主軸は, たとえ対象が経営のオ プン システムに転回しても, 合理性を基準に し, 合理的な戦略の形成をもとめているのであ る。

ただ歴史というか時代の推移を, このように 単純かつ明快に, 第から第三のセクタヘシ フトさせることにはメリットもあるが, いろい ろな誤解や間違を惹起する可能性がある。 つま り推移の大筋なり要約はそうであっても, かな らず例外的な異論や異端があり, かえってそれ ら辺境の論議が将来の未知の真実を予兆してい ることもありえるからである。 これらの議論に ついては, あとの機会に落穂拾いの作業を付加 していきたい。 たとえば, すでにふれた制約的 合理性論や, それ以後のマチおよびサイモン

CJ. G. March & H. A. Simon) の議論. また マ チ ・ オル センCJ. G. March & J. P.

Olsen) などの 「ゴミ箱 (garbage can) モデ ル」論, さらにロレンスロッシュの 「組織 の条件適応理論 (P. R. Lawrence & J. W.

Lorsh, Organigation and Environment;

Managing Differentiation and Integration,

1967.) の再評価など, いろいろある。 むしろこ

れらの再検討を糧にして, つぎの第四の象限で ある, まさにこれからの経営が直面している領 域の吟味に役立てたいとおもう。

つまりオプン システムとしての経営を対 象にして, 合理性をこえた枠組として, 社会性 および人間性を基軸に再構築する議論を模索し てみたい。 それはすでに80年代以降において我 国だけでなく, アメリカをはじめ世界的に, 経 営の実践としては模索され実験されつつある。

それにたいする理論的な試みもなされつつある が, さきにふれた 「超優良企業の条件」を実証 的にもとめた「エクセレント カンパニー」も,

その端緒のつといえよう。 さらにマチだけ でなくワイク (K. E. Weick) などの業績もあ げられてはいるが, これからの展開が期待され るところである。 つまりこの領域の問題とし て, 議論を進めて行こうとおもう。

3)戦略的意思決定の特性

「経営は意思決定である」とは, サイモンの名 言であるが, したがって合理的経営は合理的意 思決定そのものである。 たしかに戦略的意思決 定論を, 規範的にではあるが考察したアンソ フ(I) は, 外部の環境との対応において, 事業構 造つまり製品市場の構造の選択にかんする決定 として, それをより合理的に実行する立場から 分析している。 たとえば企業の目標の決定や経 営の多角化などについての決定がその事例であ る。 ちなみにそれにたして管理的決定と業務的 (l) H. I. Ansofforporate Strategy" 1965, (広

田寿亮訳, 企業戦略論·産業能大刊)

(4)

決定をあげている。 それらは戦略的決定をふま えて決定さるべきものであり, いうなら管理的 決定は戦略を有効ならしめるよう, 企業の有限 な資源を構造化する決定であり, 業務的決定は その資源の利用の効率を最大にするための決定 である。 たとえば資源の調達や展開にかんする 決定およびそのための組織にかんする決定など が管理的決定といえ, 予算配分をはじめ生産計 画や販売管理などは業務的決定といえよう。

したがって戦略的決定は, 長期的な決定であ り, 自己再生的でない, 非定型的, 非日常的な 決定であるという。 このような決定を, より合 理的に実行するためのル ル を明確にしようと 意図して, 共 通関連性(common thread)相乗 効果(cynergy)意争優位性そして能カプロ フィ ル などの鍵概念を駆使し, それ以後の経 営戦略の研究にも多大な影響を与えることにな

る。

だがこの先駆的な研究に影響された接近は,

あくまで戦略的決定の合理的なル ル を明確に しようと意図していることに変りはないのであ る。 ここに疑問があり, 問題が提起される。 は たして長期的な社会現象である経営環境の外的 な変化を, 合理的あるいは客観的に把握し, な おかつ非日常的で非定型的な対応の決定を合理 的に実行しえるのであろうか。 それはただ合理 性の制約としてのみの問題として解明し解決し えるであろうか。 むしろ戦略的といい, 意思決 定という問題の特性ないし本質にかかわって吟 味されなければならないようである。

まず戦略的という意味において, 長期的に企 業の製品市場である事業の領域(Domain) な り構造を選択し決定するとき, 普通の経営者あ るいはその集団によって, 経営の外部環境を全 知全能的に把握することはもとより, たとえ制 約的にせよ合理的に客観的に理解することも,

不可能であろう。 それは不合理性の断片が介入 することを回避しえても, 非合理といえる, 理 性をこえた意識が介在せざるをえないからであ る。 それは価値の領域であり, 没価値論からし て無意味と切り捨てえるであろうか。 科学とし

てだけでなく, 学問として経営論が哲学などと 学際的に交流し融合しあっても可笑しくはある まい。

また戦略が長期的であるだけでなく, 内容と して自己再生的でなく, 非定型的, 非日常的と いう, いわば超克的というか限界をこえた危機 的な意思決定をする経営者およびその集団の主 体的な状況なり条件を考慮するとき, はたして 合理的なル ル にしたがった客観的な選択が可 能であろうか。 むしろそこには主観的とはいわ ないまでも, 理性的に理解されえる以上の, ま さにそれを超克しえた意識での決断が, 意思決 定として必要なのではあるまいか。 それは通常 に閃きとか直観といわれるものに近似している ともいえるが, その内味はもっと吟味されて然 るべきであろう。

こうした両面, つまり外向的そして内向的と いえる双方の観点から, 戦略的意思決定のもつ 特性なり本質を, より深く吟味してみたい。 そ のことは意思決定の問題を, ただ経営の領域に おいてとらえるだけでなく, より根本的に人間 の意思の問題 その決定の問題として前提とな るところから掘り起さねばならないようにおも う。 そこに意識の問題も浮び上ってくるのであ る。 もともと漢和辞典的12)にいうと, 意識は

「心に知る」という第義をもち, 仏教用語にい う「分別の心」であるという。 それにたいし意 思は意志と同義で, より狭義に,「望みとしての 考え」 といえ, 哲学用語として「思慮• 選択•

決行をあらわす心の働き」 となっている。 した がって意味的には分別心である意識をベースに して, 選択の働きである意思が生まれるのであ り, 機能的にも, また言葉の歴史としても, ま ず意識ありき, ということである。 すなわち仏 教にいう意識論に学ぶべき, という示唆でもあ

る。 これはつぎにふれてみたい古代仏教といえ る南都六宗中の法相宗による唯識論である。 し かしここでは行論を先に進めたい。

(2) 藤堂明保編. 漢和大字典, 学習研究社刊, 昭和 53年

-268 (464)-

(5)

4) 経営者意識の問題

実は戦略的意思決定の特性について語ると き, 常にその背景に, まさに原風景ともいうべ き光景を想起するのである。 それは青春といえ る昔日に, 松下電器の創業者である, 今はなき 松下幸之助の, 戦略的といえる意思決定の場面 に遭遇する機会13)を経験したからである。 それ を契機に, その発言や言動あるいは著作に関心 をもつにつれ, どうも合理的な意思決定につい て疑問というか限界を想うようになり, むしろ 経営理念を強調する姿勢に注意するようにな る。 合理的なものを否定するのではないが, そ れを超えた価値的なものを志向する態度, その 意識に芽生える直観というものを大切にする決 断ないし決定の事例を想うとき, そこに経営者 の意識についての問題を検討したい理由があ る。

これに関連していうなら, 戦略的であれ, あ る意思決定は, 個人のもつ意識によってなされ るのであり, 組織や集団を構成する人々の意識 は, もともと千差万別であり, その戦略的決定 を支持するにしても意識的には多様である。 集 団的なコンセンサス経営といわれるのは, 根回 しによる万場一致の決定をはかる手続論として よりは, むしろ意思決定プロセスとして, いわ ば意識の共鳴化の過程として理解したい。

こうした議論について, すでにふれた仏教的 な示唆を理解してみたい。 すなわち南都仏教,

六宗といわれるなかの法相宗, これは奈良の典 福寺や薬師寺に代表される宗派が論拠とする唯 識論についてである。 これは「仏教の心理学」(4)

とか「仏教の深層心理学」(5) ともいわれている。

したがって 「唯識の心理学」16) として議論され てもいる。 これをいろいろ議論として読んだり 聞いたり, 宗教としてではないにしても瞑想,

(3) 昭和30年代, 松下電器, 企画本部およびテレビ 事業本部, 在職中

(4)(5)(6) 岡野守也著「唯識の心理学」育土社刊,

1990年

座禅などを試してみたりしたものの, 所詮は門 外漢であり素人の悲しさで限界はあるが, 先学 のいうところを尋ねて, もっばら経営意思決定 に援用するという意味において理解してみた

し\

まず経営の意思決定論においては, すでにみ たように合理的な理性によって選択することを 基本にしているが, 仏教というか仏法における 唯識論は, 「万法唯識」を標語にしているよう に, すべてのものは唯:ただ, 識:心による,

という。 すなわち「すべてのものは, 心のあり 方しだいで, 悩みの種にもなればやすらぎをも たらすものにもなる」171と。ここに「心に知る」

という意識は,「心のあり方」しだいに影響され るという認識が生まれる。 そこで意識をはじめ とした心の状態あるいは心の構造ないし階層 はどうなっているのであろうか。 その議論は別 途の機会にするとして, その要約をするなら,

つぎの第二図181 を参考にしながら理解してみ たし'o

ななわち「心の構造」なり, その階層性は,

二層つまり表層心理と深層心理に区分される。

この深層心理は潜在意識ともいわれ, まさにフ ロイト (G. Freud)とともに, ユング(C.G.

Jung) などが展開した深層心理学の領域であ

る。 そして表層心理において眼• 耳· 鼻· 舌・

身という五識の感覚を剌激として意識し思考す るのである。 ここに通常いわれる意識があり,

合理的で理性による思考も存在し機能してい る。 ところがこの意識や思考は, ただ五識に よって感覚的に機能するだけでなく, たしかに 理性によって合理的にも機能するが, むしろそ れ以上にというより, まさに「ガ法唯識」とい うように. すべて深層的な潜在意識によって機 能ないし影響されているという。 その内容は,

潜在している自我的な執着心といえる末那識 と, その基底にある「根本のこころ」 という.

いわば生命的な自己心といえる 「阿頼耶識」に (7) 岡野守也著「わかる唯識」水書房刊, 1995年 (8) 横山紘一「唯識の哲学」平楽寺書店刊, 1979年

(6)

すでにみてきたように経営の意思決定におい て, と く に戦略的決定に直面する経営者におけ る問題と して, 意思の ベ ー スになる意識との関 連について検討 してきたが, さらに決定ない し その過程との関係において吟味を してみたい。

すなわち確認するようになるが, 仏教におけ る唯識論にお い ては, 深層心理である潜在意 識 それも自我的な執着心と自己的な仏性心に よ っ て, 表屑心理である感覚および意識思考は 左右され, 少な く とも影響されるという。 より 厳密にいうなら, 意識思考は深層の潜在意識そ のものの表現にすぎないとさえ強調するのであ る。 し か し この議論は, 仏教の教理と して, た だの観念論ない し 空理空論でな く , 唯識論の宗 派が [喩伽行唯識派」とも いわれるように, イ ンドに深 く 長 い伝統をもつ ヨガ行そ して瞑想 - 270 (466 )-

よ っ て構成されている。

し たが っ て人間の深層心理に潜在 している,

こう した自我的な執着心にこだわ っ て意識的な 思考をする場合もありえる し, さらに基底にあ る 根本的な心のあり方, 哲学的にいうなら自己 であり, 仏教的にいうなら仏性をふまえた意識 的な思考が可能になるとも いう。 た し かに外的 な刺激, つまり環境の変化を五識と し て感覚的 に認識 し , それを理性的に, し たが っ て合理的 そ し て客観的にとらえて意識 し 思考する, いわ ゆる分析的で科学的なアプロチにも, 表層的 といえども理はある。 それは今 日 でも主流で ある行動心理学をみても首肯かれるところであ るが, はた し て将来の潮 流は如 何がであろう か, と く に社会科学, ならびに人間を主体にす る学問の領域においてはどうであろうか。 む し ろこう した外向的なア プロチより, 内向的と いえる唯識論のアプロチにその可能性を見出 せるのではあるまいか。

第 2 図 心の構造

表層

顕在意織 感覚

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自執我着/

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冗沐層 心理

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潜在意識

横山紘 「唯識の哲学」 よ り 要約

それはすでにふれた外的な環境の変化に, 人 間の認識ない し 感覚や意識が, 量的に制約があ るだけでな く , 普通の人間が個人と しても集団 や組織と し ても, 認識する水準に質的に, つま り人間の本質において生理的にも心理的にも限 界があるからである。 それは心理学的には 「見 たいもの し か見えない」 限界ともいえる。 そこ に む し ろ内向的な唯識論との連結路が見 出 せ る。 それは人間が主体と して意識 し 思考すると き, 全人間的であり, かつ全体的である。 その ことは意識, 思考が表層心理だけでな く 深層心 理も, 生理学的にいえば大脳生理や前頭葉活動 だけでな く , そうかとい っ て環境決定論になり がちな感覚的な刺激に偏重することもな く , ま さに身心如に全人間的でなければならない。

し かも意識思考が全体的であるということは,

主体のみがあるという, いわば唯心的な精神論 に随 し てはならないということ, つまり客体と の相互の関係や作用のなかにあ っ て全体の シス テ ム のなかに包含されている, いわば物心如 の, 仏教にいう縁起の論理のなかで理解を深め ていかねばならない。

5) 経営者の個性化過程

(7)

や坐禅などの実際の修行体験か ら 生み出 さ れた 実践論であ り , いわば臨床知である。 この詳論 はいづれすると し て, 洋の東西において, 相補 うような臨床知と しての心理学があることに注 目 し たい。 それがすでにふれたングの心理学 であ り , 分析心理学といわれ, 深層心理学の 大潮流をな している。

ここでは序説と して必要なかぎ り において要 点を概論するにとどめるが, ま ず深層心理であ る潜在意識を二層の個人的無意識と集合的無意 識に区分 し , それ ら の内容の認識も唯識論と同 類である。 これ ら が表層心理である感覚や意識 思考への影響ない し 投影についても, ほとんど 軌をに しているといっていい。 ただ仏教にお ける唯識論が歴史的にみるとやがて純粋理論化 さ れて, 臨床知の比重を欠落 し たのにたい し , 西洋の科学のなかに誕生 し , 精神医学のなかで 生育 した分析心理学は, あくま で臨床知を中核 に機能的であ り 実学的であったといえよう。 し かもやがて仏教や道教など東洋の思想にふれ,

「東 洋的瞑想の心理学」(91 を著作する ま で に なって, 東洋と西洋を架橋 し 融合する努力 ま で している。 し たがって東洋的思想などふま えな が ら , 西洋的というものの臨床知を機能的に実 学の体系と して展開 し ている。

そ の キ ド のつ に 「個 性 化」 (in­

d ivid uation) プロセス の概念がある。 これは深 層的な潜在意識が表層心理である感覚および意 識思考にたい し て影響する機能的な関係を, よ

< 臨床知と し て解明 し ている。 これを 「ユング 心理学辞典」によって要約, 理解 し てみよう。

ま ず 「個人が 自 分 自 身になること」 という。 そ れは 「意識と無意識要素の総合」 であ り , 意識 的な 自 我を無意識のなかに潜在 し 人格の中心で ある 自 己によって抱きかかえていく, そこに人 格は統さ れ, 個性化 プロセス は深化するとい う。 それは「言い換えると, いかなる点で, 自 分がニ ー クな人間存在であると同時に単なる

(9) C. G. ユ ン グ 「東洋的瞑想の心理学」 (湯浅, 黒 木訳) 創元社刊 1983年

普通の人であるのか, に気づくのである」Oij と。

これを さ ら に経営者の意識や意思の決定との 関係で理解 し てみると, つぎのようにいえるで あろう。 経営者が意思決定するとき, その意識 は潜在的な無意識と総合 さ れていなければな ら ない。 それは表層的な 自 我という意識がむ し ろ 潜在的な個人的無意識に揺 さ ぶ ら れなが ら, そ の奥底にある集合的無意識, それは個人をこえ た集団ない し 人間に普遍的な無意識という意味 であるが, その中心にある元型と し ての 自 己の なかに統さ れていくプロセス である。 つま り 経営者の個性化過程であ り , 人格的な統化で ある。 こう し て個性化 さ れた意識での意思決定 は, おのづか らクであ り , かつ人間的に 共嗚をもた ら す普遍性を 集団や社会におよぼ すといえる。 この問題は, あとにみる組織集団 にお ける意識的な共時性の現象であ り , 意思決 定過程あるいはコンセンサ ス マ ネ ジ メントと

し ての課題でもある。

し か し ここで付言 しておくべきは, 仏教の唯 識論があま り にも, 人問全般についての議論で あったのにたい し , ングなどの分析心理学の ア プロチが, 精神病理的な領域に偏重 し てい たことである。 これをよ り般的に人間ない し 活動的な経営者の領域に ま で援用 し えるのかど うか, 問われるところである。 だがその危惧に たい し ては, やがて分析心理学がアメ リ カに伝 播 していくにおよんで, 「個性化」の概念も 「 自 己実現」 (self realization) へと変容 さ れて, マ ズロ (A. H. Maslow) などの人間性心理学へ 受容 さ れ, さ ら に ト ラ ン ス パー ソナ ル心理学と し て展開 さ れてきている。 それはアメリカ的な プ ラ グマ テイッ クな, つ ま り 実際的 で実学的 な, ま さ に 「人間成長の ガイド ・ プッ ク」OIi の 内容となっていく。 それだけにま すま す経営者 の活動ない し 意思決定およびその過程にたいす

(10) サ ミ ュ エ ル ズ 他著「ユ ン グ心理学辞典」 (A.

Samuels etc. A Critical Dicionary of Jungian Analysis, 1986, 山中康裕監修)

(II) 岡野守也 「 ト ラ ン ス パ ー ソ ナ ル心理学」 齊士社 刊, 1990年

(8)

る心理学 的なアプロチとして援 用す るのに有 効な洗練 をえつつあ るといえよう。

6) 結語一組織集団の共時性

す でに個性化された意識での意思決定が, 集 団組織や 社会に普遍 的な共嗚 なり共感 をもたら す 可能性について , ふれて いるが, この問題を 検討して おきたい。 これは ング が晩年にい たっ て体 系 化しようとしながら未完 におわっ た

「 共 時性」 ( sy nchroni ci ty) という鍵概念に関 連す る考察 であ る。

議論は別途 の機会にして , 序 説として の必要 において 要約す るなら, ング は共 時性を「意 味のあ る致」 (me aningful coi nci de nce) と 表現して , 「 内的な出来事と外的 な出来事が, そ れらの情報 の意味の認 知において致 した」II�

内容であ るという。 そういう意味では, デ カル ト 以来の近代科学 の依拠す る「因果 性の原 理」 , あ るいは近代的世界観に対峙す るというか, 代 替す る原 理として の「共 時性」 それにもとずく

世界観を模索 して いたともいいえる。 そして 最 晩年の1951年, 講演 し, のちに 「 共 時性論文」

といわれる 「 非因果 的連関 の原 理として の共 時 性」 を, 物 理学 者のパウ リ (Wolfgamg Pauli) と共 著 で取纏 めて いる。 ちなみにパウ リは, ス イ スの理論物 理学 者であ り, 相 対性理論の展開 に寄 与し, 量子力学 , 場の理論や中 間子 論にも 多大の貢献 し, 1945年ノ ベル物 理学賞 を受賞 して いることからして も, 「 共 時性」 の意義をう かがい知ることができよう。

こうした「 共 時性」 は, 「定の条件のもとで は, ミニ ング フ ル な ( 意味のあ る)致 が,

確率的な偶然 つまり偶 然期待値以上の頻 度を もっ て 起り得 るという」 現象であ り, ング は 自伝 のなかで, その経験 を 「元 型的状況と関連 して 観察 される共 時的現象」 という。 す なわち 個人が死 とか危機など, 重 大な意味をもつ状況 に直面して , その意識が人間的に普遍 性をもつ (12) 湯浅泰雄 「共時性 と は何か」 山王出版刊, 1987

年, 7 頁以下

集 合的無意識にまで直結 し, そこに自己 の元 型 が現出す るとき, 共 時的な現象が観察 されると いう。 もっ と経営者の活動なり, 意思決定およ びその過程 にかんして いうなら, 経営者が危機 的な状況に遭遇 して孤独 に苦悩す るなかにあ っ て , や がて 表層的心理として の意識レベル では

行き詰 まり, 万策盛 きたと想 うとき, 突 如閃め く考え, それはア イ ディ ア ともいいえようし直 観ともいえるビ ジ ョ ン, それは深層的な潜在意 識 なかでも集 合的無意識のレベル から自己 の 元 型的イ メ ジ として 湧出して く るものであ

る。 それは クで個性的であ りながら, 人 間的に普遍 性をもつ内容であ るがゆ えに, 経営 者自身 だけでなく, 組織集団の人々 にとっ て も 共鳴 共感 しえる内容であ るとともに, 成員 の 意識レベル に共 時的な現象として の感銘 , 感 動 が生まれて来るものといえよう。 いわば仏教的 にいうなら悟 りの経営ともいいえようか。

ここに経営者一 人の意思決定にとどまらず組 織集団として の意思決定過程 およびコ ンセンサ

マ ネ ジメント といわれる経営論の理解を深 化さす手掛 りが見出せるように考える。 そうか といっ て , このことがこれまでの伝統 的な合理 的経営論なり意思決定論を排他す るのでなく,

定型的, 日 常的といわれる管 理的決定や 業務的 決定はもとより, 制約された合理性のもと, あ るいは曖昧 な状況下での戦略的決定について も, むしろそれらの議論を補完す るベー スにな る論拠 ではないかと想 う。 そのことはポラ ニ ( M. Polanyi) の暗黙 知の知見 をペ スに展開

されて いる知識創造論や , 現場的な臨床 知を ベ スにした組織認 識論などの議論も補強す る ことになるのではなかろうかとも考える。 これ らの考察 について は, この序 説をふまえなが ら, 各 論にかんして詳細 な議論を展開して みた し 、

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