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国語史の中世論攷

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国語史の中世論攷

著者 坂詰 力治

学位授与大学 東洋大学

取得学位 博士

学位の分野 文学

報告番号 乙第115号

学位授与年月日 1999‑09‑13

URL http://id.nii.ac.jp/1060/00000870/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

中世 後期 の 評 碇・語 法422

ジヤウジユス︵成就︶Iシヤウズ︵生︶Iシユエンクワンラクス︵酒宴歓楽︶Iシヨマウス︵所望︶1ク

イズ︵体︶Iタイメンス︵対面︶Iタツス︵達︶Iタンソクス︵嘆息︶Iヂウキヨス︵住居︶Iチヨウアイ

︵寵愛︶Iヂンダテス︵陣立︶Iチンリンス︵沈綸︶2メツス︵滅︶Iモノガタリス︵物語︶Iルラウス

︵流牢︶Iワス︵和︶1

︿ナ変﹀

イヌ︵去︶Iシヌ︵死︶I

︿ラ変﹀

アリ︵右︶32ココロアリ︵情打了Iゴザアリ︵御座有︶I

イヤシ︵卑︶Iウレシ︵嬉︶Iオナジ︵同`︶Iオホシ八多︶4オモシロシ︵面内︶5オヨビガタシ︵及難︶I

カクレナシ︵隠植ごIカホヨシ︵兄好︶Iカルシ︻軽︼3キシガタシ︵期難︶Iクマナシ︵隈無︶Iク

ルシー白︶Iサビシー寂︶Iザムシ︵寒︶Iシタタルシ︵舌︶シツコシースサマジ︵凄︶2スズシ︵涼︶I

チカシ︵近︶Iチヒサシ︵小︶Iナシ︵無︶20ナントナシ︵何無︶Iハヅカシ︵恥︶Iハヤシ︵y︶I

ヒキシ︵低︶Iヒサシ︵久︶フカシ︵深︶Iホソシ︵細︶Iユルシ︵慢︶Iヨシ︵好︶Iワカシ︵若︶3

ワロシ︵悪︶Iヲカシーヲシ︵惜︶I

︹形容動詞︺

アキラカナリ一明︶Iイカナリー如何︶Iオホキナリ︵人︶Iカヤウナリ︵斯様︶3ココロアリゲナリつ1

打気︶Iシタタカナリ︵健Iシヅカナリ︵静︶3シラガダラヶナリ︵自髪一Iマツシロナリ︵莫自︶2

ヲカシゲナリー

第 三 篇 論 語 抄 の 国 語 学 的 考 察

(3)

書陵 部 蔵 『魯 論抄 』 の本 文 の考 察

425

第 一 章 書 陵 部 蔵 ﹃ 魯 論 抄 ﹄ の 本 文 の 考 察

一国語資料としての抄物

本章は︑中世後期の一国語資料にあたる抄物の時代語資料としての性格を解明しようと するものである︒抄物は 中世後期の口語の生の俤を伝える資料として︑当時の狂言やキリシタン文献な どとひとしなみに利用されてきた︒ しかしこれらの研究方法は︑ただ単に抄物の中に埋没あるいは散見する当時の 口語らしきものを拾い出すという形 であって︑抄物に見られる口語的表現が︑果して他の︑より口語資料として重要視されている 狂言︵狂言の語詞は 謡曲に比して変改が比較的自由であっただけに︑室町時代の口語資料としてはそれ相当の注意を 必要とする︶やキリシタン文 献などと同じ目語的性格を有するものとしてなされたものなのか︑あるいは抄物というもの が口頭の講義の聞書か ら出発したという事情から︑必然的にそこに口語的性格が現れ得るということ で︑しかもそれが学問的な一種の注 釈的性格をも備えているということから︑抄物に見られる口語的表現が独特の文体︑ 口調の中から現出したのかと いう点を解明しようというものではなかった︒確かに︑抄物は当時の口語資料として︑ その一翼を担うものである ことは否定できない事実である︒抄物が講述者によって話された事柄を筆録編集されたもの であるためである︒話 すという行為により必然的に当時の目語がそこに反映することは十分可能なことである︒ 従って︑当時の口語資料

(4)

論語 抄 の国 語学 的 考 察426

と し て 抄 物 を 広 く 漁 り 研 究 す る こ と は 不 可 欠 で あ る ︒ し か し な が ら ︑ 従 来 の 抄 物 の 口 語 資 料 と し て の 使 わ れ 方 は ︑

先 述 し た ご と く ︑ そ こ に 存 す る と こ ろ の 口 語 を 抽 出 す る に す ぎ な か っ た ︒ 現 在 我 々 が 日 常 語 と し て 使 用 し て い る 言

語 が 抄 物 中 に 散 見 す る こ と を も っ て ︑ そ れ を 口 語 す な わ ち 近 代 語 と し て 抽 出 す る 方 法 に は ︑ そ れ は そ れ 自 身 意 味 の

あ る こ と で あ ろ う け れ ど も ︑ 抄 物 の も つ 国 語 資 料 と し て の 性 格 を 究 明 す る た め に は さ ほ ど 意 味 を な さ な い の で は な

い か と い う 疑 問 が も た れ る ︒ 何 故 な ら ︑ 抄 物 の 文 体 の 中 で 使 用 さ れ て い る 言 語 は ︑ 抄 物 文 体 の 中 で そ の 言 語 と し て

の 役 割 を 果 す も の で あ る と 考 え ら れ る か ら で あ る ︒ 各 々 の 作 品 の 言 語 に は ︑ 各 々 の 作 品 自 身 に お い て ︑ 言 語 の 形 体

が 見 出 し 得 る よ う に 思 う ︒ 抄 物 に 関 し て も 全 く 同 様 で あ る ︒ 抄 物 に 見 ら れ る 言 語 は ︑ 抄 物 と し て の 文 章 全 体 か ら ︑

そ の 性 格 を 把 握 し 認 識 し て い か な け れ ば な ら な い の で あ る ︒

と こ ろ で ︑ 一 連 の 抄 物 が す べ て 充 分 に 時 代 語 資 料 ︑ と り わ け 室 町 時 代 の 口 語 資 料 と し て の 目 的 に 適 う か 否 か と い

う こ と が 問 題 に な る ︒ と い う の は ︑ 抄 物 と 一 概 に 言 っ て も ︑ そ れ に は 沢 山 の 種 類 お よ び 時 代 的 幅 が あ る ぽ か り で な

く ︑ 抄 物 に 見 ら れ る 語 詞 や 表 現 法 あ る い は 表 記 な ど に 原 典 ︵ 中 国 側 注 釈 書 ︶ か ら の 大 き な 影 響 が 見 ら れ る よ う に 考

え ら れ る か ら で あ る ︒ 抄 物 に は ︑ 文 章 語 で 書 か れ た 講 述 者 の 講 義 用 の 手 控 的 な 性 格 を も っ か も のI 一 般 に ﹁ 聴 塵 ﹂

と 言 わ れ て い る も の1 と ︑ 講 述 者 の 講 義 に 従 い 速 記 し ︑ そ れ に 修 正 を 加 え 受 講 者 に よ っ て 書 か れ た 聞 書 的 な も のI

一 般 に ﹁ 抄 ﹂ と 言 わ れ て い る も のI と の 対 置 的 な 二 つ の 性 格 を も っ た も の と が 存 す る ︒ こ の 二 つ の 区 分 識 別

は ︑ 従 来 ︑ 抄 物 資 料 の 文 体 ︑ 特 に そ の 文 末 辞 か ら 行 わ れ た も の で あ り ︑ こ の 両 者 の 文 体 は 文 末 辞 が ﹁ ナ リ ︵ 也 ︶﹂

で 終 止 す る も の ︑ す な わ ち

ナ リ 体 = 手 控

文 末 辞 が ﹁ ゾ ﹂ で 終 止 す る も の ︑ す な わ ち

ゾ 体 = 聞 書

章 書陵 部 蔵r 魯論 抄 』の 本文 の 考察 427

として区分識別され︑ゾ体︵聞書︶は口語的︑会話的色彩が濃く︑ナリ体︵手控︶は一種の文章体と見られできた︒

しかし︑こうした区分識別は形式的な判断であって︑一種の文章体と解される﹁ナリ体 ﹂にも︑聞書体的なある種 の︲調が受け取られ︑手控的な抄物資料でも目語資料として供せられ得る事実は︑先学によって既に 証明されてい

る︒

こうした︑抄物の文体のその文末辞に注目し︑それにより抄物のもつ時代語資料としての性格を窮める ことも一 方法であろう︒しかし︑抄物には時代語資料としての性格を云々する以前に︑ある抄物資料が一国 語資料として使 川されるに資料として十全なるか否かという本質的性格が追究される必要があるのではなかろう か︒その本質的性 格とは︑国語資料としての性格云々の前段階において︑資料の書誌的考察がまずなされるということ である︒勿論︑ その資料が充分なる国語資料たり得る条件を完備したものであれば︑問題はないのであるが︑現 存抄物のすべてが︑ 明確なる奥書や識語を有するものとは限らず︑また同一資料として取り扱われているものの中にも︑異質の 内容︑ 性格を有しかものも混在しているからである︒こうした第一次的な階梯を踏んだ上で︑初めてその抄物における 国

語資料としての性格が問題化されてくるものであると思う︒

二書陵部蔵﹃魯論抄﹄の書誌的性格

さて︑本章の資料として取り扱った書陵部蔵﹃魯論抄﹄は︑いかなる書誌的性格を具えたもの であろうか︒以下

﹃魯論抄﹄の書誌的考察をすることにする︒

書陵部蔵﹃魯論抄﹄は十巻五冊の写本で︑室町時代末期から近世初期の間に書き留められたものと推 定されてい る︵本抄には奥書や識語がない︶ものである︒そして︑阿部隆一氏の言を借りて述べるなら ば︑﹁その︵筆者注︑魯論 抄︶文体は︑ゾ式体の純然たる講義聞書体で︑しかもよく講者の ︲調を伝えておる﹂ものであって︑︹例︱︺によ

(5)

篇 論語 抄 の国 語 学的 考 察428

り解せるごとく︑﹁論語﹂の多数の抄物の中でも特に目語的要素の備わった資料として扱い得るものである︒

︹例I︺

孔子ノ始巾終ノ月︹コト︺ハ何記タソナレハ史記ノ孔子世家併家語等コヲアケテ云フスコテハ無ソ史記

アリ天ドノ圭ヲ八本紀ニシルシー国ノ主ヲハ世家シルシ独り名アル人ヲハ列伝記タソ処孔子ハ侯伯ノ位テ

モナイホトニ列伝記サウ事ヲナせ二世家ニハ記タソト云孔子ハ其身力大平︹聖︺人テシカモ子孫哲人カア

マタ出タホトニ依之世家ニノセタソ︵書陵部蔵﹃魯論抄﹄一のIノオ︶

しかし︑その写本の筆跡を見ると︑次の三つの筆遣いから︑五冊中の前半部三冊︵すなわち序文から巻六まで︶と

後牛部二冊︵すなわち巻七から巻jまで︶とに明白なる筆遣いの相違があることが︑見して峻別し得る︒

剛前半部と後半部とで全く字体が相違する︒

㈹前半部は筆色が濃く︑平均している反面︑後半部は筆色の濃淡の差が顕著である︒

③前牛部の一字一字の表記が明瞭であるのに対し︑後半部の表記は粗雑である︒

そこで︑この峻別し得る筆遣いの相違が問題となってくるのであるが︑この相違は何に起因するものであろうか︒

筆跡の相違という立場から考えられる条件は︑次の二点である︒TI

同講述者の講義を前半部と後半部とで別人が聞書したということH

前牛部と後半部とで︑それぞれ相異なる講述者の講義の聞書が同一資料として処理されてしまったということ

まず︑第一の条件について検討する︒同一講述者の講義を前半部と後半部とで別人が聞書しかものと考えるなら

ば︑たとえ前半部と後半部とが異筆で聞書されたものであったとしても︑講述者が同一人であれば︑そこに講述態

度︑口調の統一性が見られなければならないわけである︒ところが前掲しか︹例I︺︵前牛部を代表する用例︶と︑

左に示した︹例2︺︵後半部を代表する用例︶とを対比してみると︑そこには講述態度︑口調のこ貝性が認められな

書 陵部 蔵 『魯論 抄 』 の本 文の 考察

429

いのである︒

︹例2︺

衛災︵霊︶公ハ衛国テ無道ノ君也所以次行ノ篇ニハ原憲力仕フヘキ道ヲ問災公ノ如ク無道ナル人ニハ不可仕

卜云義ヲ以テ憲問衛災ヲ次ツル也︵同︑四の四九ノオ︶

︹例I︺と︹例2︺との対比により︑両者に漢文注︵中国側注釈︶の訓み下し的な文体を見出し得るのであるが︑

ただ︹例1︺にあっては︑単に漢文注を訓み下したという復誦的なものは直接見出し得ず︑講述者が漢文注に基づ

いて︑それを講述者白身の講述の中に︑あたかも自分自身の生活言語の一環として︑漢文注の語詞を何の不自然さ

もなく融合させて川いているがごとき文体を見るのである︒すなわち︑﹁Iタゾナレバ ﹂﹁−ゾ処二 ﹂﹁−ホドニ ﹂﹁− ト云二﹂等の接続語をもって︑T・トハ・:ナリ︵也︶﹂という注釈的文体を連繋し︑講述体︑説明体を形成し ている

のである︒他方︑︹例2︺から︹例I︺のごとき講述文体︑口調というものが見られず︑もっぱら漢文注の復誦的

な訓み下し文体しか見ることができないのである︒

かくのごとく︑︹例1︺︑︻例2︼の文体の比較から︑前半部と後半部との両者の資料的性格を峻別することがで

き︑それにより第一の条件は否定されるのである︒更にまた︑筆跡の相違から考えられる条件の第 一は︑京都大学

図書館清原文庫蔵﹃魯論抄﹄の存在によっても否定され得る︒すなわち︑清原文庫蔵﹃魯論抄﹄は︑書陵部蔵﹃魯

論抄﹄の前半部の序文から巻六までの講述内容と殆ど一致するもので︑それの筆跡も書陵部蔵とは違い︑全部一貫

した同一講述者の同一受講者による講義の聞書である︒従って︑清原文庫蔵は︑講述内容︑筆跡等から資料として

の一貫した要素を有しているものと見られるところから︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄の筆遣いの替わる部分を清原文庫蔵

﹃魯論抄﹄の同一内容の部分に照合することにより︑書陵部蔵の別筆の後牛部の資料的性格を識ることができる︒

そこで次に︑︹例3︺として︑先掲の︹例2︺と同一内容の部分から︑清原文庫蔵﹃魯論抄﹄の用例を掲げる︒

(6)

論語 抄 の国 語学 的 考 察 430

︹例3︺

衛霊公第十五衛ノ霊公卜申ハ無道ノ君テ居ラレテ以前次ツル心ハ原憲が仕官セウスルト云仕﹁ヲ問夕程二

コノヤウナ無為ナ君ニハ仕ヘマイト云心デ次タゾ︵京都大学図書館清原文庫蔵﹃論語私抄﹄︵魯論抄︶四の二九ノオ︶

右の︻例3︼を先掲の︻例2︼に対比してみると︑講述されている内容には︑両者に顕著な隔たりは見られない

のであるが︑両者における講述の方法および口調が明らかに相違していることを察知することができる︒︹例3︺

には﹁︱卜申ハ﹂﹁居ラレテ﹂﹁−セウズル﹂﹁仕﹁︵コト︶﹂﹁︱程ニ﹂﹁マイ﹂﹁j卜云心デ次ダゾ﹂等々︑説明あ

るいは講述する際にとられる常套的形式が︑﹁−ト申ハ﹂﹁I卜云心デ次ダゾ﹂の形で示されており︑室町時代語と

しての助動詞﹁ウズル﹂︑講述者の衛の霊公に対する敬語表現﹁居ラレテ﹂︑その他﹁仕﹁﹂﹁マイ﹂等の口頭語的

表現が使用されていて︑かかる点から両者の明確なる資料的性格の異質性を理解するのである︒

次に︑筆遣いの相違ということから考えられる第二の条件について検討する︒第二の条件は︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄

において︑前半部と後半部とで各々相異なる講述者の講義の聞書が︑同一資料︵ここでは﹃魯論抄﹄︶として処理さ

れてしまった結果に起因するものであるという考え方である︒この第二の条件の考えのごとく︑たとえ同一資料が

別人による講義の聞書であったと仮定しても︑そこには︑聞書という立場から︑必然的に講述者の講義に口頭語的

態度︑︲調が多分に反映していなければならない筈である︒にも拘らず︑後半部にあっては聞書としての口頭語的

態度︑口調が明確には見られず︑寧ろそこには︑︹例2︺で既に見たごとく︑漢文注の訓み下しによる復誦的な文

章語としての要素が濃厚に見えるのである︒このことは先掲しか︻例1︼と︹例2︺との関係が証明している︒こ

うしたことから︑第二の条件も否定されなければならないことになった︒結局︑筆遣いの相違という立場から考え

られ得る二つの条件は︑ともに否定されるという結論に到達したのである︒

この二つの条件が︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄の筆跡の相違を意味するものではないとう結論ならば︑一体﹃魯論抄﹄

割 凌部 蔵『魯 論抄』の本文 の考 察 章

431

序 文 衛 霊 公 十五

(A )1 ォ 〜13ォ (B )49ォ 〜62ウ

用 言 体 言 助 動

丿 也 そ の 他

19

払2 jj

185

用 言 体 言 、。

助動j ノ そ の 他

1 jj

303

用 言 助 動j ゾ

その 他

≫ ミ 〉

計 404 344

( 注 )表 中 (A ) は 、 書 陵 部 蔵 「 魯 論 抄 」 の 第 一一冊 目 の 丁 数 ( 前 半 部 )(B ) は 、 同 じ く 第 四 冊 目 の 丁 数 ( 後 半 部 )を 示 す 。

の筆跡の相違は︑何に起因するものであろう

か︒先掲の︹例I︺︑︹例2︺との関係からの

推量として︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄の前半部と

後半部との筆跡の相違は︑聞書と聴塵︵講義

用手控︶という相対峙する関係に基づくので

はないかという考えが成り立つ︒従来︑抄物

の口語性︑文語性というものの判断の基準と

して︑抄物文章の文末辞がその目安とされて

きたのであるが︑その形式的な捉え方による

と︑文末辞が﹁ゾ体﹂で終止するもの︑すな

わち聞書︑﹁ナリ体﹂で終止するもの︑すな

わち聴塵という風に扱われてきたことは先述

した︒そこで︑本章においても︑そうした抄

物文章の文末辞﹁ゾ﹂﹁ナリ﹂を中心に︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄の筆跡の相違する前半部と後半部との文章の一部分

を任意に定め︑そこの部分の調査をすることによって︑矛盾を解こうと試みたところ︑ 表のごとき結果を得た︒ 表に示した文末辞﹁ゾ﹂と﹁ナリ︵也︶﹂との割合を概観すると︑㈲︵筆跡の相違する前半部︶では︑﹁ゾ体 ﹂で終 止するもの三〇三例︑﹁ナリ体﹂で終止するもの七八例︑すなわち四対一の比となって表れ︑﹁ゾ体 ﹂の方が優勢で ある︒これに対して鼎︵筆跡の相違する後半部︶では︑﹁ナリ体﹂で終止するもの一八五例︑﹁ゾ体 ﹂で終止するも の四一例︑すなわち﹁ナリ体﹂﹁ゾ体﹂の比が四・五対一となって︑表れた割合は︑㈲とは全く反対である︒ 従っ

(7)

論 語抄 の 図 語学 的考 察432

て︑従来の﹁ナリ体﹂﹁ゾ体﹂の表す意味上から︑表の結果を判断すれば︑㈲はすなわち聞書であり︑㈲はすなわ

ち聴塵であると言えることになる︒このことはまた︑表に見られる︑﹁ゾ﹂﹁ナリ﹂の文末辞をとらず︑用言︑助動

詞︑その他の語でそのまま文終止しているものの用例の比︑すなわち㈲二三例︑㈲一八例をもって判断しても︑

やはり㈲=聞書︑㈲=聴塵という等式が成り立つことを理解するのである︒この表に示された結果によって︑㈲︑

㈲各々の表す性格を形式的観点より論究できたのであるが︑その形式的観点より論究し得た性格を︑より一層明確

に把握させる要素として︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄に記された﹁題簑﹂が︑大きな意味を担ってくる︒以下︑その﹁題

簑﹂について検討する︒

書陵部蔵﹃魯論抄﹄の題簑

孝 協 Vt . \I ア し ヌ 論 語 軋 聾

右 に 模 写 し 掲 示 し た 題 簑 を 一 見 し て 察 知 せ ら れ る よ う に ︑ そ こ に 相 矛 盾 す る 二 つ の 題 名 が 記 さ れ て い る こ と に 気

付 く ︒ す な わ ち ︑ そ の 矛 盾 と は ︑ 同 一 題 簑 中 に ︑ 草 体 の 大 字 で 書 か れ た ﹁ 魯 論 抄 ﹂ と い う 三 字 と ︑ 楷 書 体 の 小 字 で

書かれた﹁一気⁚論語聴塵﹂という

筆であることが推測され︑そこに

_」..塵︑コ名論語聴の﹂六字は後人の上その異八字は︑全く筆︑のものであって追

﹁抄﹂と﹁聴塵﹂という対鮑的意味をもっか題名が併記されているということ

である︒この矛盾する性質をもった題答について論究すると︑まず第一に︑﹁魯論抄﹂という題名に従い︑書陵部

書 陵 部蔵r 魯 論抄 』 の 本文 の考 察

433

蔵﹃魯論抄﹄の本文全体の性格を理解しようとするならば︑﹁抄﹂=聞書という一般的︑形式的観点から︑いわゆ

る筆跡の替わる後半部︵巻ヒ以降︶の前半部とは相異る性格を︑前半部と等質の聞1資料として一括 処理すること は不可能である︒またに反対に︑小字の﹁一名論語聴塵﹂という題名に従い︑﹃魯論抄﹄の本文 全体の性格を理解し ようとするならば︑﹁聴塵﹂=︵講義用︶手控という形式的観点から成り立つ等式から︑後半 部の手控的性格は問題 ないとして︑前半部の聞書的性格をいかに考えるべきかという︑そこに二つの矛盾する問題が 出てくるのである︒ そこで考えられ得ることは︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄には︑本来︑﹁魯論抄﹂という先の題簑の草体の三字に 相当す

る︑最初から最後まで︑本文︑内容ともに統ご

館清原文庫蔵﹃魯論抄﹄が証明している︶︑それが何らかの整理の際に︑現存する五冊のうち︑いわ ゆる異筆の後半一一 冊が︑他の論語の抄物資料と誤って入れ替えられてしまい︑そうした別種の資料が︑﹁魯論抄 ﹂五冊一揃として取 り扱われ︑その五冊にそれぞれ﹁魯論抄﹂というごとく︑草体で書かれた同筆の題簑が貼付され てしまって︑そこ に後目︑後牛部二冊が混ハ筆で︑しかもその本文内容か聞書ではなく︑聴塵であるということに気付いた後人 がフ 名論語聴塵﹂の六字を追筆したものではなかろうかということである︒ただし︑ コ名論語聴塵﹂の六字が追筆し てあるのは︑第一冊目だけであって︑他の四冊には︑第一冊目の﹁魯論抄 ﹂という草体の同筆の三字が記されてい

るのみである︒

結局︑このように推察することによって︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄の異筆の後半部が聞書ではなく︑それとは対 峙す る聴塵︵講義川于控︶であるという確証が掴めたのであるが︑さらにまた︑この後半部が ﹁聴塵﹂であることを一

段と確まづけるものとして︑経文︵ここでは論語本文︶の首句の立て方を問題にすることができる︒すなわち︑講述

者が1明せんとする経文の吋句の立て方が︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄の場合︑前半部︵聞書︶と後半部とにおいて︑異

なっているということが指摘できるということである︒前半部に見られる記され方は︑経文の灯句を 抽出し︑その

(8)

篇 論 語抄 の 国 語学的 考察434

次に仮名注と区別する縦棒︹︱︺を書き入れるという形式で︑その経文の説明が終了し︑次の経文の説明に移る場合にも︑そこに何ら段落を付けず︑次々と書き続けられているという形式である︒︵︹例4︺参照︶

︹例4︺

子目−子ハ孔子ヲ云ッ古二有徳ノ者ヲ子ト称シタソ称い 師為い 子ト云テ人ノ師匠タル者ヲ子ト云タソー︵中略︶−−孔子ノ開い 口談説スルハシメヲ云故也学而時−以下ハ孔子ノ語也去程二一部ヲ孔子ノ語ト心得ルソー︵中略︶−作−サテ此一章ヲ三段二分テ学者ノ三段ト云也初二学而−卜云ハ幼少ノ学ヲ云タソ次二有朋−ト云ハ小成ノ学ヲ云ソ︵書陵部蔵﹃魯論抄﹄一の十三ノウ︶

こうした前半部に対して︑後半部︵異筆︶の記され方は︑講述者が説明せんとする経文の首句を抽出し︑その下に

仮名注を付するという形式で︑ここまでは前半部の形式と同じであるが︑さらに後半部にあっては︑その経文の説

明と次の経文の説明との間に明確なる段落を付け︑説明せんとする経文に番号などを付して︑あたかも箇条書的に

書き記されているという形式が見られ︵︹例5︺参照︶︑そこにはっきりとした講義の準備ノート的性格を認め得る

のである︒従って︑そこに記された注には︑漢文資料からの引用がそのまま記されていることが多いのであるが︑

そうしたことも後半部のもつ資料的性格が聴塵であるという信憑性を高めるものなのである︒

︹例5︺

子曰萄有我−誠二我ヲ用テ政ヲ治メサスルナラハー年ハカリニメTンテ︺ハ小シ治ヘシ期日トハムカハリ月ヲ

云−︵中略︶−

子口1人為邦−善人トハ賢人ヲ云若賢人力諸侯ト成テ邦ヲ治八十年廿年テハ大成スル﹁得スー︵中略︶−子口如有工1I王者トハ聖人ノ天子タルヲ云−︵後略︶I︵書陵部蔵﹃魯論抄﹄四の八ノウ︶

435 第 一一 書 陵 部 蔵 『魯 論 抄 』 の 本 文 の 考 察

三 書 陵 部 蔵 ﹃ 魯 論 抄 ﹄ の 本 文 の 性 格

以上︑多角的観点からの考察によって︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄の本文の性格は︑前半部︵序文から巻六まで︶が聞書︑

筆跡の替る後牛部︵巻七以降︶が聴塵であるという結論に達したのであるが︑数多い抄物のうち︑﹃魯論抄﹄という

﹁論語﹂の抄物資料を取り扱ってみても︑今まで検討を進めてきたような書誌的問題が存するのである︒従って︑

そうした書誌的な調査︑検討が行われた上で︑初めてその資料のもつ国語資料としての性格も追求され得るもので

はなかろうか︒

︵1.0

︵2書I

︵3

︹補記︺

書陵部蔵﹃魯論抄﹄五冊中︑前半の第三冊︵巻六︶までと︑後半の第四︑第五冊︵巻七以降︶とでは別筆であって︑

しかも前半が聞書︑後半が宣賢﹁論語聴塵﹂であると指摘した小論に対して︑その後︑小林賢次氏は﹁清原宣賢

系論語抄についてI書陵部蔵﹃魯論抄﹄の本文の性格をめぐって

いて︑後牛部を詳細に検討され︑後半部は宣賢﹁聴塵﹂を基にしたものであるが︑第五冊目後半になると︑再び

間書を基に増補を加えるようになり︑書陵部本の本文は一律に論じ得ない複雑な性格をもっているものであるこ

とを考証された︒

(9)

国 語 資 料 と し て の 書 陵 部 蔵 『魯 論 抄 』 437 第二 章

第 二 章 国 語 資 料 と し て の 書 陵 部 蔵 ﹃ 魯 論 抄 ﹄

抄物が中世語︑なかんずく室町時代の国語の様相を留めているものとして︑国語資料の研究対象とされるように

なってからすでに久しい︒中でも︑湯沢幸吉郎氏の﹃室町時代言語の研究﹄は︑抄物における語法を多くの資料を

駆使して詳細に帰納した名著であって︑爾来︑抄物研究は多かれ少なかれこれに依っていると言っても過言ではな

い︒ところで︑抄物資料と一概に言っても︑それには文体の面で文語性の強いものと口語性の強いものとがあり︑

また︑書写の目的の面で講義の準備ノートとしてのものもあれば︑講義の聞書としてのものもあるなどして︑国語

資料としての抄物の性格もかかる事情によって制約される︒従って︑こうした制約の認識のもとに抄物研究は行わ

れるべきものと思う︒

扨て︑書陵部蔵﹃魯論抄﹄の国語資料としての性格については︑前章で書誌的方法と文体面とから明らかにした

のであるが︑本章では国語史料の立場から︑﹃魯論抄﹄に見られる国語現象を指摘︑考察してみようと思う︒

なお︑川例のあとの所在は︑たとえば︵③91オ︶のように︑﹃魯論抄﹄全五冊のうちの冊数︑丁数︑オ︵表︶あ

るいはウ︵裏︶の順に示した︒

(10)

第 三 篇 論 語抄 の国 語 学的 考 察'138

一音便

ここでは︑音便現象を列挙する

田イ音便O

﹁力行﹂四段動詞からの例

JII③9 ①401⑤36③311ヲイタ︵置︑①9 ①13 ︹軒ヲ︺カイテ︵②8−オ︶・キイタレ︵利︑②59−オ︶・開テj−−︱︵②451ウ︶・サイテ︵裂︑⑤18jウ︶・シイタ︵敷︑③21−オ︶・スイテ︵好︑②23−ウ︶・ソムイタレ︵叛︑③15−ll

−−オ︶・ツイテ︵就︑①4−オ︶・ヲツヽイテ︵逐着︑③81オ︶・ナケイテ︵歎︑②6−オ︶・タシヌイテ︵出抜︑②−−︱−34−オ︶・除イタ︵①401ウ︶・ハタライテ︵働︑⑤11−オ︶・ヒサマツイテ︵脆︑③30−オ︶・ヒヽイタ︵響︑③45−ウ︶・フイテ︵吹︑②12−ウ︶・トリマイテ︵取巻︑③41オ︶・誘テ︵②7−オ︶・行ヒテ︵③16−オ︶・華テ︵①70−オ︶

O﹁が行﹂四段動詞からの例︱ソヽイタ︵注︑⑤33−オ︶O

﹁サ行﹂四段動詞からの例

11③52①45①60③411j

③9⑤331①9 ①9 ③11⑤341③351

②601

jjij︵①11−オ︶・スコイタ︵過︑③261ウ︶・見スマイテ︵澄・③32−ウ︶・正イテ︵①27−ウ︶・切タヲヒテヘ倒︑②47−

国 語資 料 と しての 書 陵部 蔵 『魯 論抄 』

439

−jl②661③5③371③27︱ly①211③6②41⑤431⑤361③25⑤43③19②12j

○形容詞の例

−−−11青イ程︵⑤141オ︶・アサマシイ物︵⑤15−ウ︶・アライソ︵粗︑③231ウ︶・卑シイ詞︵①41ウ︶・疑シイ︵①20

オ︶・得カタイソ︵難︑②371ウ︶・心賞ソ︵②381ウ︶・キタナイソ︵汚︑②38−ウ︶・クサイ程二︵嗅︑③27−ウ︶

lj④65

68

④20 ②28

j−i③17③171②491③421

−1−61①421③15

イ音便は︑主としてカーガーサ行四段動詞の連用形から助詞﹁テ﹂︑助動詞﹁タ︵リ︶﹂に続く場合にあらわれ︑

固定化の傾向を見せている︒平安時代には稀であったが行四段のイ音便も︑室町期に入って多くなっている︒但し︑

本資料では﹁ソヽイダ︵注︶﹂一語しか見ることができない︒サ行四段から起る音便はイ音便のみであるが︑この

イ音便形が頻繁に見られるのは︑やはり室町期のキリシタン物や抄物などの口語性の強い資料からのように思われ

る︒因に︑読ませることを主眼とした﹃御伽草子﹄﹃ドチリナキリシタン﹄等の文語体で書かれたものを見ると︑

その中では音便の形をとるものが少なく︑むしろ音便化しない原形が多く用いられている︒

②促音便O

﹁夕行﹂四段動詞からの例

r︲Ij−771①53①561①48

(11)

第三 篇 論語 抄 の国 語学 的 考 察440

O﹁八行﹂四段動詞からの例︵複合語中︶1

ヲツヽイテ︵逐着︑③8−ヲ︶OT

フ行﹂四段動詞からの例JI

−Jアッカッタ︵預︑①14Jオ︶・アッタ︵有︑①12jオ︶︑アカッヽ︵上︑③19−オ︶・アタック︵当︑⑤18−ウ︶・アナトッテ︵侮︑⑤17−オ︶・訣夕︵②17−オ︶・イヤカッタ︵嫌︑②26−オ︶・ウッヽテ︵移︑③7−オ︶・劣ッタ

︵①511ウ︶・阿︵①561ウ︶・ヲコタッテ︵怠︑②7−ウ︶・ヲコッタ︵奢︑③20−オ︶・カワッタ︵変︑①HI①9①34②231②25

−j②581③40②61

③19−ウ︶・キツテ︵切︑④201ウ︶・クバツテ︵配︑②6−ウ︶・剪︵③54−ウ︶・クヽツテ︵潜︑⑤291ウ︶・サ

11︑691①64 ②12 ②68

i⑤27 ②22 ②15

lll⑤31⑤45①22⑤131①21

ウ︶・ヌツタリ︵塗︑②8−オ︶・法︵②57jオ︶・ノホツテ︵登︑③18−ウ︶・ノコツテ︵残︑③28−ウ︶・I①10

③61 −j−ハバカッテ︵憚︑①361オ︶・ハカッテ︵計︑②141ウ︶・ハシマッタ︵始︑③3−ウ︶・−︱−パック︵張︑③7−オ︶・ヒロマッタ︵広︑①39−ウ︶・打フサカッテ︵塞︑①69jオ︶・

メクツテ︵巡︑①28−ウ︶・ヤツタ︵遣︑①I−オ︶・ヨツテ︵依︑①11−ウ︶・了七テ︵②33−ウ︶

○助動詞の例︵﹁タガル﹂︶I

シリ︵知︶タカツタ︵⑤16−ウ︶

○名詞の例︵複合語中︶

国 語 資 料 とし ての 書 陵部 蔵 『魯 論抄 』

441

後︵尻払︶︵②28−ウ︶

○語中︵複合動詞︶の例lj

ツヽカヽ夕︵突掛︑②15−オ︶・ノツ

○促音介入の例

ル︵則︑②66

ニツクイ者︵憎︑②28−オ︶

○形容詞の例︵﹁カリ活用﹂からのもの︶

多カツタ︵①4−オ︶・ナカツタ︵無︑①3−ウ︶・微︵②68−ウ︶・ヤスカツタ︵易︑①73−ウ︶

︵良︑①54−ウ︶

○促音便化しない例

カワリタ︵変︑②27−オ︶・カタリテ︵語︑②31

②471②34

促音便は︑撥音便と共に鎌倉期に入ってから盛んに行われ︑初期の説話集や軍記物語等に多く現れる︒それは︑

これらの音便形が原形音よりも︑烈しい︑力強い表現をするのに効果的であり︑且つ︑当時の好尚に合ったためと

思われる︒促音化は︑ターハーラ行四段及びラ変動詞の連用形︵チーヒーリ︶に起る︒本資料では︑ラ行四段の連1

用形からの例が圧倒的に多く見え︑八行四段からの例としては︑複合語の語中に現れた﹁ヲツヽイタ︵逐着︶﹂一

語だけである︒このことは﹃魯論抄﹄という資料の性格もさることながら︑抄物における音便の特質を示している

ように思われる︵なお︑抄物に現れたラ行四段動詞の音便形については︑出雲朝子氏の詳論がある︶︒また︑タ・ハーラ行

四段活用動詞の連用形が︑﹁テ﹂﹁タ︵リ︶﹂等に連なる時︑その殆どが促音便化している中にあって︑時には音便

化しない原形のまま用いられているものも存する︒しかし︑かかる現象は︑講述者が注釈書あるいは原典の文章にI

囚われた結果生じたものであるとみるのが妥当であろう︒更に︑僅か一例ではあるが︑複合語の語中に現れた﹁ツヽ

(12)

第三 篇 論 語抄 の 国 語学的 考 察 442

力ヽツタ︵突掛︶﹂という力行四段動詞からの促音便の例も存することを指摘しておく︒

㈹ウ音便O

﹁ハ︵バ︶行﹂四段動詞からの例

ウカカウテ︵窺︑①341ウ︶︑歌︵①48−オ︶・謳テ︵①59−オ︶・ウハウタ︵奪︑⑤18−オ︶・行︵①38jオ︶・ヲヽ

ウテ︵被︑③13−オ︶・簒︵③511ウ︶・カウツ︵飼︑①341ウ∵カナウタレ︵叶︑①66−オ︶・1夕︵③36jウ︶−−−︱−・カウテ︵買︑③421オ︶・キラウタ︵嫌︑①47−オ︶・クウテ︵喰︑②16jオ︶・慕フテ︵①3−ウ︶・従フテ︵②−−1−39−オ︶ツロウテ︵揃︑①121ウ︶・ソウテ︵添︑①78−ウ︶・貴ハフテ︵①9−オ︶タメラウタ︵躊躇︑①401オ︶

・尚テ︵②261オ︶・タヽカウテ︵戦︑③28−ウ︶・チカフタ︵違︑①2−ウ︶・ツクロウテ︵繕︑③52−オ︶・効i−ll−フタ︵①37−オ︶・ナラウタ︵習①37jオ︶・ネラウテ︵狙︑②68−ウ︶・コヒネカウテ︵請願︑③421オ︶・計ラウ

テ︵①20−ウ︶・ヘツラウタ︵詔︑②291オ︶・走マウテ︵舞︑②661ウ︶・惑フタ︵③51jオ︶・召テ︵②35−ウ︶O

﹁マ行﹂四段動詞からの例

編フタ︵①9jウ︶・怪夕︵②47−ウ︶・勇夕︵②40−ウ︶・カナシウタ︵悲︑①781オ︶・カラウテ︵絡︑②48−−11−ウ︶・囲フタ︵③35−オ︶・引コウテ︵込︑①41−ウ︶・シタシウテ︵親︑①251ウ︶・シホウテ︵凋︑③14−ウ︶ペーーーー清ウテ︵⑤26−オ︶・タシナウテ︵嗜︑①531オ︶・ツクンウテ︵謹︑①21−オ︶・ツホウテ︵蓄︑③15−ウ︶jlJハサウテ︵差挟︑⑤101オ︶・ヨウテ︵読︑①52−ウ︶・ヲシウテ︵惜︑②631オ︶

○形容詞の例

②64邨I

オ︶・面白フ︵③58−オ︶・長シウ︵②引−オ︶・カタウ︵固︑③ i491 サシ

1

オ︶・多フテ︵①91

71ウ︶・サムウ︵寒︑③46−オ︶・セハシウ︵挟

−lj①661⑤6③10③121︶21

国語 資 料 とし て の書 陵部 蔵 『魯 論抄 』

443

− ︲−J︲−−ウ︶・ツメタウ︵冷︑①37−オ︶・ツヨウ︵強︑②37−オ︶・遠フ︵②62−オ︶・無フテ︵①5−オ︶・長フ︵②60−

−−i11ウ︶久シウ︵①5−オ∵ヒロウ︵広︑③19−オ︶・ヒトシウ︵等︑③42−ウ︶・紺ウ︵③26−オ︶・ユルウ︵緩︑①17−−−オ︶∴

○形容詞察助動詞の例︵﹁タイヒ

ー継セタウ︵①301オ︶

ウ〜目便は︑ハyハマ行四段動詞の連川形が﹁テ﹂﹁タ︵リ︶﹂に接続するとき現れるのであるが︑これは︑撥音

便にパーマ行四段動詞の連川形が﹁テ﹂﹁タ︵リこに続く場合に生ずるものと相迦うものである︒従って︑いかな

る語の場合にウ行便となり︑あるいは撥音便となるかが当然問題となるところであるが︑この問題についてはすで

に犬塚光仁氏によって研究がなされており︑人方の結論は出されている︒それによると︑抄物︑キリシタン物を通

して当時の目語には多少の例外は存するが︑原則として︑

㈹語幹末がウ列立目なる時︱撥立目便

㈱語幹末がアエイオ列立目なる時−ウ九目便

のぐ法則が存在していた︒しかしその間に︑

㈱語幹∵廿節語−特に母立目作目節である場合1はそれぞれの原則よりはずれ撥者便となることもある︒

㈲前項により語幹末ウ列立目語でウ作目便となるものはほとんど語幹一万︲節以上の語である︒

のぐ傾向も存し︑それは︑抄物よりキリシタン物において著しかったとしている︒本資料においても後に表示した

ごとき結果を得た︵﹃魯論抄﹄におけるパーマ行川⁚段動詞のI目便形︶︒これによっても犬塚氏の論はほぼ当てはまると言

い得よう︒形容詞の連用形も︑Tこあるいは他の用言に連なる場合︑ほとんどウ音便形を生じている︒

中撥立目便

(13)

第三 篇 論語 抄の 国 語学 的 考 察444

O﹁八行﹂四段動詞からの例

遊テ︵④48−ウ︶・コロンテ︵転︑③21−オ︶・学テ︵①70−ウ︶※﹁八行﹂四段動詞からの例i

ヲモンハカル︵慮︑①76−オ︶O﹁マ行﹂四段動詞からの例

ウツンタ︵埋︑⑤16jウ︶

タル︵①50−オ︶・スク 埋テ︵①9−ウ︶・閔︵①53−ウ︶・クンテ︵組︑④52−オ︶ll③46①17 I①38

18①70ly11ツクノテ︵包︑③91オ︶・ニクンテ︵憎︑②25−オ︶・盗タレ︵④12−ウ︶・ノソンテ︵望︑②601オ︶・ヒカンテ︵僻︑⑤41−ウ︶・フンテ︵踏︑②18−オ︶・メクンテ︵恵︑⑤30−ウ︶・罷︵③8−オ︶O﹁ラ行﹂四段動詞からの例

サカッナル︵盛︑②531オ︶・隆ニスレ共︵①64−オ︶・足ヌスル︵①741オ︶・拠︵②4−オ︶O﹁ナ変﹂動詞の連用形からの例

インシヲハ︵往︑①27−オ︶

○形容詞の語幹十﹁ミス﹂の形からの例

怪スル︵③27jウ︶・賤︵①50−オ︶・疎︹疎︺シテ︵①79−オ︶・安スル︵①36−オ︶○完了の助動詞﹁二﹂︵﹁ヌ﹂の連用形︶からの例

往︵①62−ウ︶

○助詞T一﹂からの例

②18j

第:l 章 国 語 資 料 と し て の 書 陵 部 蔵 『魯 論 抄 』 445

○撥音の介入した例i

−−1択ハスンハ︵①67−オ︶・如ンハ︵①241ウ︶・不レ順トキンハ︵①79−オ︶・ナクンハ︵無︑②56−オ︶

本資料に現れた撥音便は︑それが起り得るあらゆる条件の語を示しており︑広範囲にわたっている︒すなわち︑

右の八項目がそれであるが︑特に撥音の介入例は漢文訓読語からの影響が著しく︑﹁ズンバ﹂﹁クンバ﹂﹁ゴトキン

バ﹂﹁トキンバ﹂等は訓読特有の語法と目されているものであって︑﹃魯論抄﹄が講述者の口頭による生の口調を筆

録したものであっても︑こうした諸例の現出する事実は︑講義の底本となった原典︵テキスト︶あるいは注釈書の

ことばがそこに現れ得た結果によるものであることを物語るものであろう︒

因に︑点本論語︵大東急記念文庫蔵﹃論語集解﹄建武四年点︶における撥音語彙を抽出してみると︑左のごとき諸例

が挙げられる︒

︿﹃論語集解﹄建武四年点における撥音語彙﹀︵用例所在は次のごとく示す︒︵6巻124行︿4﹀篇︶

①﹁ハーバーマ行﹂四段動詞の連用形からの例

選(6‑243︿億(6‑62︿Ξ︿恕(8‑67<15

ヨAik(:c)

゛ い

︵B(X) ル(CC)jlI41iIIkiI

ダjlゆKlkr″II■I○及忌上回︿ぷ﹀∵○哀こIコお﹀︶・○好(9‑8︿コ﹀

○忍︵2‑2<3﹀ご○進言−器︿品﹀∵○賜︵べふ呂

︿ぶ﹀∵○尊﹂つIご︿冨﹀∵○困忌士胎︿ぶ﹀∵○楽こIコ︿い﹀︶・○慎︵ふ上腕命﹀∵○富こI↑忠︿に﹀∵○

並こ0‑47︿吉﹀∵○疾(7‑247︿二﹀∵○臨言上回合﹀∵○望︵乙上呂︿呂﹀∵○路硲I咀︿ぶ﹀∵○学︷TS

︿︸﹀∵○為(4‑108︿べ﹀︶・○終こ上心︿コ﹀∵○已(9‑25︿コ﹀∵○已こI心︿口﹀︶・○止こ1ごくつ﹀∵○

喜ぶI巴つくぶ﹀︶・○召︷ふI︸回︿万︶

②﹁ラ行﹂四段動詞の連用形からの例

参照

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特に近年は、中国、東南アジアなどへの韓国企業の進出が活発になり、韓国人学校の設置が後を

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