• 検索結果がありません。

岩 瀬 友 宏

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "岩 瀬 友 宏"

Copied!
2
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

- 11 -

音楽雑誌にみる国歌「君が代」

一明治時代から昭和前期における国歌の啓蒙と国民的国歌の模索一 専 攻 人 間 教 育 専 攻

コーース 氏 名

人間形成コース 岩 瀬 友 宏

研究の目的と方法

1 8 6 8

年江戸時代から明治時代へと日本は政

指導教員 木 内 陽 一

模索について考察する。

治体制が変わり、近代国家へと歩みを進めるこ 各章の要点

となった。今日、日本の国歌である「君が代J 第

1

章では、江戸末期から明治時代にかけて が作られたのもこの時期である。今日の「君が の軍楽隊の成立と「君が代」の誕生についてま 代」は明治

2 1

年に作られ

f

こ。以後儀式の場を とめた。

中心として「君が代」は用いられ、次第に「国 第

2

章では、今日の「君が代jが作られた同 歌」として用いられるようになった。 時期の音楽穿信志『音楽幸信志』の記事分析を行つ 本論文では『音莞諌信志』、 『音楽界』、 『音楽世 た。雑誌上で、は「国歌の唱法」の記事などにみ 界』の音締佐誌3誌を用い、明治日寺代から昭和 られるように「君が代」を「国歌」として捉え 初期にかけての「君が代Jの社会における認識 啓蒙する様子が石信忍できた。

を考察する。社会一般に向けて発行され当時の 第3章では、明治末期から大正時代にかけて 流行の様子や、民衆の反応をみることのできる の音莞諌信志『音楽界』の記事分析を行った。徐々 史料である。さらに、『音締佐誌』、『音楽界』は、 に 「君が代」が朝交を中心として歌えるように 地方の音楽状況を扱つかった雑誌で、ある。 なる一方、社会的にはまだ歌うことのできない

「君が代」について音

3

鯨信志上では、唱歌教 状況をみることができた。また、 「国歌」そのも 育、学校儀式、祝日大祭日、徳育についての学 のを問うことが雑誌上では見られたことからも 校教育に関する記事がみられ、国歌としての働 大正日制

t

は、国歌の模索期で、あったといえる。

きや、指導の仕方といった音楽的な記事など 第

4

章では、『音楽世界』の記事ー分析を行つ 様々な側面から述べられている。その一方で国 た。『音楽世界』の記事からは、大正時代に起こ 歌は国民そのものを現すべきとする国民的な国 った国民的国歌の議論や、「君が代」に関する記 歌を求めることを述べる記事もみられる史料で 事をみることはで、きなかった。

ある。これらをもとに、「君が代」の啓蒙と国歌

(2)

- 12 -

- 11 -

考察

5

鯨佐誌分析を通じて、明治時代から昭和前 期における国歌、「君が代Jの社会における姿を みることができた。

学校教育では明治時代、「君が代」に対する関 心は高いとはいえず、教師ですら 「君が代」を 歌うことができない、歌おうとしない事実があ ったことを確認できた。しかし次第に、「君が代」

の性質上どの学年から指導するのが望ましいか、

とし、う指導的立場である教師の悩みがみられる ことからも「君が代Jの関心は強まっていくこ

ととなった。

また、社会での「君が代」の認識の一端を明 らかにできた。社会一般において「君が代」は 学校における指導ほど徹底されたものではなく むしろ無関心で、あったということがし、える。「国 歌」を歌わなければならないと記事において述 べることは、社会民衆へ「君が代」、「国歌」の 前主や意味を啓蒙する働きを担ったとし、える。

雑誌上において様々な側面から「国歌」を模 索する動きをみることができた。外国人に「国 歌」の印象を尋ねるということを通じて「君が 代」の良さをみる記事、国民的な国歌を求める 記事などがみられ国歌を模索する様子がみられ た。また、「君が代」が国歌としてふさわしいと いう見方と、国民的な国歌がふさわしいという 二分した意見だけでなく、「君が代jそのものの 忠愛性を問い、より一層雄大なもの、端麗であ

るものを求めるとし、う考えは何故的なものであ った。

明治時代から昭和初期にかけての時代は、「君

が代」に限ることのない国歌そのものの啓蒙が 行われた時代で、あったといえる。「君が代」は明 治時代から昭和初期にかけては決して市猷守的な

「国歌」で、はなかった。それは、大正時代にみ られた国民的国歌などからみる国歌の模索にみ られるように「君が代jについての批判が見ら れながらも社会は国歌を求めていたことが音楽 雑誌の記事分析を通じてみることができた。

今後の課題

本論文において分析した雑誌は、明治時代か ら昭和前期まで、連続したもので、はなかった。そ のため明治

3 0

年代、大正後期から昭和

3

年ま での時期が欠落している。さらに、可能な限り 似た性質の3つの雑誌を扱ったがそれぞ、れの雑

誌の鞘教により、論調の差異がみられることは 否めない。より多くの雑誌にあたること、欠落 している時期をなくすことで「君が代」の社会

の側面についてより深く検討することがで、きた はずである。また、昭和の戦時期における嬬志 考察では、当時の時代背景から言論統制の可能 性など社会情勢の側面を踏まえればより深く分 析できたはずである。分析した雑誌に加え、他 の雑誌や資料を検討することは今後の課題とな る。

参照

関連したドキュメント

音節の外側に解放されることがない】)。ところがこ

を軌道にのせることができた。最後の2年間 では,本学が他大学に比して遅々としていた

睡眠を十分とらないと身体にこたえる 社会的な人とのつき合いは大切にしている

と歌を歌いながら止まっています。電気きかん車が、おけしようを

このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう

明治初期には、横浜や築地に外国人居留地が でき、そこでは演奏会も開かれ、オペラ歌手の

「新老人運動」 の趣旨を韓国に紹介し, 日本の 「新老人 の会」 会員と, 韓国の高齢者が協力して活動を進めるこ とは, 日韓両国民の友好親善に寄与するところがきわめ

最愛の隣人・中国と、相互理解を深める友愛のこころ