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【近現代2 国民主義,ヨーロッパの再編】

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第11 章-2 - 1 -

≪ 近代の世界

2 ヨーロッパの再編と新統一国家 ≫

1.ロシアの改革および南下政策 2.イギリスのヴィクトリア時代 3.フランス第二帝政~第三共和制 4.イタリア統一 5.ドイツ帝国とビスマルク 6.北ヨーロッパ諸国 7.国際的な諸運動 1.ロシアの改革および南下政策 ニコライ 1 世 A) 革命運動の弾圧…デカブリストの乱鎮圧(1825)。ツァーリズム(皇帝専制)を進め,反動政治 を展開…「ヨーロッパの憲兵」 B) 南下政策推進 ウクライナの農作物輸出確保,地中海への出口 東方問題 ・オスマン帝国(トルコ)の衰退→トルコ内でおこる領土・民族問題をめぐり列強が干渉→国際的 諸問題=東方問題(ヨーロッパ側から言った言葉)となる 東方問題に関わる形で,ロシアが南下政策をとる(図 1) 19C に入ると地中海東部進出を本 格化→ギリシア独立を支援し,トルコ を討つ 1829 アドリアノープル条約で南 下成功に見えたが,イギリスのパーマ ストンがインド経営への脅威から,ま た,フランスがエジプトとの利害関係 維持の観点から抵抗を試みる。 (図 1) 第一次[ ]戦争 (1831~33)…ロシア⇔英仏 (図 2) ・エジプトの不満…ギリシア独立戦争で トルコに味方したが,見返りがクレタ島 とキプロス島のみだった。そのため1831 年にシリアを要求。しかし,トルコが拒 否したことにより戦争となる。これに英 仏露が介入していった。 (図 2) 経過 ・ ト ル コ 領 エ ジ プ ト 太 守 [ ]:シリアを要求し て開戦(英仏が支援) ・ロシア:トルコ側を支援 ・英仏:ロシアがボスフォラス・ダーダネルス海峡付近に上陸したため,トルコに圧力をかけ,エジプトと和解させる。 ・エジプト:シリアと小アジア南部のキリキア地方獲得 仏 ロシア エジプト インド 英 経営 利害関係 南下政策 仏 ロシア エジプト トルコ 英 ④海峡付近に上陸 ②支援要請 ③拒否 ⑤ロシアを警戒し,停戦させる ①開戦

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第11 章-2 - 2 - ・トルコ:不満でロシアとウンキャル・スケレッシ条約(1833)…ロシアがボスフォラス・ダーダネルス海峡の 通行権を得る(秘密条約)←英仏猛反対 ・対立構図の変更(図 3) フランスがエジプトと接近,イギリスはトルコに接近し,トルコの領土保全策に転じ,さらに露・墺・普 と同盟。 第二次[ ]戦争(1839~40)英露⇔仏 経過 ・ムハンマド・アリー エジプトの 世襲権を要求して開戦(フランスが 支援) ・トルコ側(英・ロシア・プロイセ ン・オーストリア)⇒フランスは 孤立し,全面的な支援できず。 ↓ ロンドン会議(1840) フランスは孤立 エジプト:トルコの宗主権下の独 立と世襲権のみ。シリアは放棄。 あらゆる国の海峡通過禁止(地中 海の中立のため) ロシア→地中海進出ならず 5 ヶ国海峡協定(1841)…英仏露を 含む協定。この際,ウンキャル・ス ケレッシ条約破棄) (図 3) [ ]戦争(1853~56) (図 4) ロシアの南下政策への熱意は衰えていない。そんな時,フランスのナポレオン3 世がトルコから聖地管理 権を獲得した。ロシアはトルコ領内のギリシア正教徒保護をかかげてトルコに宣戦(しかし,たのみのオース トリアは中立) ロシアVS. トルコ・英・仏・サルディーニャ 経過 ・ロシア:セバストーポリ要塞攻囲戦で破れる ・[ ]条約(1856) ルーマニアが事実上独立。ダーダネルス海峡閉鎖。黒海の中立化,ロシアは軍施設を破却→南下政策が再 度失敗→ナポレオン戦争終結以来の勢力均衡にもとづくヨーロッパの平和が崩壊→以後,1870 年代まで戦争 が頻発 ・普仏戦争でナポレオン3 世 失脚⇒ロシアは全力をあげて 条約改正に⇒1870 改正成 功 黒海艦隊再建 (図 4) 英・仏 ロシア:南下政策 オスマン・トルコ ①聖地管理権要求 ②圧力 反発 ③聖地管理権確保 ④正教徒を保護する! ⑤開戦 ⑥ロシアの敗北…南下政策が再度失敗 仏 ロシア エジプト トルコ 英 ⑤開戦 ②警戒 ③接近し,トルコの領土保全 策をとる ④ロシア・プロシャ,オーストリアとも協議 ①接近 ⑥トルコはフランス孤立で,全面的な支援は断念。 英・トルコ軍に敗北 ウンキャル・スケレッシ条約 1840 ロンドン会議 41 五カ国海峡協定 ウンキャル・スケレッシ条約破棄…ロシアは南下政策断念

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第11 章-2 - 3 - アレクサンデ ル2 世 A) 皇帝による専制政治と農奴制が強固に維持されていたが,クリミア戦争敗北でヨーロッ パの中でも立ち遅れていることを痛感し,自由主義的改革を試みる。 B) [ ]令(1861)…土地所有には多額の賠償金が必要(地主本位)で所有地よ りも小さい土地を年貢の17 倍で買わねばならないなど事実上不可能→自由主義知識人が 失望 ポーランド独立運動(1863)が起こったため,反動化して再びツアーリズム強化 C) [ ] (人民主義者)運動 …改革の停滞に対し,都市の知識人階級=インテリゲンツィアらにより始まる ヨーロッパとは違う形で社会主義社会を実現しようとし,農民の啓蒙を進める。 古来のミール(農村共同体)がもつ相互扶助の伝統に注目し,「ヴ・ナロード(人民の中へ)」 のスローガンをかかげて農村で活動 ↓政府の弾圧,農民の無関心で失敗 絶望した人々は,ニヒリズム(虚無主義),テロリズム(暴力主義)に向かう→政府高官,さら にアレクサンデル2 世を暗殺(1881) ※「平等原理を護る共同体をいまだに持つロシアが資本主義の段階を飛び越し,直接に社会主義の理想を実 現しうる」ゲルツェン →後進性のイメージとは逆説的だが,ミールが意味を持った。 ※マルクスに影響をうけたナロードニキ 「土地の自由」…「人民の意志」派(急進的)…アレクサンドル 2 世暗殺 …「土地総割替」派 1883 マルクス主義へ転向→西欧と同じく,まず資本主義の段階を通ると考え,ミ ールを「封建制の名残」とする。 [ ] (露土)戦争(1877~78) パン・スラヴ主義 バルカンのスラヴ民族の団結と独立を主張する考え方が掲げられ,ロシアの南下政策 の口実となる。 経過 ・トルコ領内(ボスニア・ヘルツェゴビナ)のキリスト教徒反乱(1875)→ブルガリアに飛び火し,トルコが弾圧。 ・ロシアはトルコ支配下でのギリシア正教徒殺害事件を口実に,ブルガリア側でトルコに宣戦(1877)…トルコ はイギリスに支援要請 ・[ ]条約(1878)…ルーマニア,モンテネグロ,セルビア独立。 ブルガリア王国がロシアの保護国として拡大 ↓イギリス,オーストリアはブルガリアをロシアの「傀儡」とみて干渉 ・[ ]会議(1878)…ドイツの宰相[ ]「公平な仲介人」として主催 ロシア:若干の領土と賠償金8 億フラン獲得するが…ルーマニア,モンテネグロ,セルビアの独立承認。 ブルガリアは領土を縮小し,自治国に オーストリア:[ ]の管理権獲得 イギリス:キプロス島獲得 ↓ ロシアのパン・スラヴ主義と南下政策がまたも失敗 再度の改革 の試み ・「大改革」という上からの改革…専制は維持しつつ,「鉄道と機械制工業」によって列強との競 争に生き残ろう。そのために農奴制などの改革により,農民反乱を予防するべし。 ・しかし,農奴制はかえって農村共同体(ミール)の国家行政機構として組み込まれただけで,農 奴は共同体の一員として解放されたにすぎない。だが,共同体の財政的基盤が確保されたことで, 工業化が進展する。 ・貧農が多数で国内市場は形成できない。フランス資本に大きく依存せねばならず,これが外 交政策を規定し,英仏と同盟を結ぶ一因となる

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第11 章-2 - 4 - 2.イギリスのヴィクトリア時代(1837~1901) 政治面 ヴィクトリア女王の治世…イギリスの繁栄の絶頂期 A) 二大政党政治が展開…重要な改革をつぎつぎに実現 [ ] (自由党)…小英国主義 保守党の政策を「帝国主義」と批判 [ ] (保守党)…領土拡張主義=「帝国主義」 B) ロンドン万博(1851) …近代化を誇示 C) 選挙法改正…民主政治の進展 第2 回(1867)…都市の労働者の多くに選挙権 第3 回(1884)…農業労働者などに選挙権 D) 教育法(1870)…初等教育の公的整備開始 E) 労働組合法(1871)…組合の方定期地位を認める ア イルラ ンド 問題 アイルランド人…以前からイギリスの圧迫を受け続け,不満が大きい。このアイルランド 問題のために,グラッドストンが自治法案を提出したが議会を通過せず…未解決のまま 20C に持ち越す。 3.フランス第二帝政と第三共和制 第二帝政 ・大統領ナポレオン 遊説で人気上昇をはかり,クーデタの後,議会を掌握 (1851.12)→新 憲法により独裁権を確立。さらに,人民投票によって帝位につき,[ ]くと称 す(1852.12) A) 内政 ・宣戦,講和,官吏の任免,国策の決定などの権利を持つ事実上の独裁政治。 ・産業保護,公共事業を行う一方,軍隊,警察力で反対派を弾圧 ・イタリア統一介入や通商条約により自由主義運動高まる→議会に譲歩,労働者の団結権 を認めるなどするが,体制批判はやまず→69 選挙で反対派多数→70 年新憲法で議会帝政 ・ボナパルティズム:資本家,労働者,農民の勢力均衡の上に成立した過渡的政治形態 B) 対外政策 ・農民・資本家・労働者らの対立する各勢力からの支持が必要→積極的な対外政策。 資本主義に応じつつ,国内の反対をおさえようとした。しかし,国際的にはおおむね平和な 時期であり,無理がともない,批判も高まった。 ・晩年,帝政の民主化をはかって(70 年新憲法で議会帝政)危機を切り抜けようとしたが,普 仏戦争で敗北。 ①クリミア戦争(1853~56) ②インドシナ出兵(1858~67)…フランス領インドシナ成立 ③イタリア統一戦争(1859~60)…[ ]を支援するが,オーストリアと単独講 和 サヴォイア,ニース獲得 ④[ ]遠征(1861~67)…メキシコ内乱に乗じて,マクシミリアンを皇帝として 擁立。 イギリス,スペインとともに介入→メキシコ大統領フアレスが抵抗。アメリカの抗議もあ り撤兵→失敗 ⑤アロー戦争(1856~60) 中国進出 ⑥普仏([ ])戦争(1870)で敗北→セダンで降伏し退位:第二帝政崩壊 第 三 共 和 政開始 A) [ ]首班の臨時政府 ドイツと仮講和(1871) B) パリ市民・社会主義者の労働者が抗戦を叫んで武装蜂起 →革命的自治政府([ ])結成 (1871.3~5 月)。しかし,臨時政府とドイツ の弾圧で壊滅

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第11 章-2 - 5 - C) ティエール大統領の臨時政府(9 月) 王党派と共和派が争い,共和派勝利→第三共和国憲法制定(1875)。民主的であったが,小 党が乱立し政情不安が続くことになる(1870~1940) ・1880 年には 7 月 14 日が国民祝祭日になるなど,フランス革命を原点とする国民統合が進 む。 4.イタリア統一 統一前イタリ アの概観 A) 18C のイタリア 欧州の勢力均衡の中に組み込まれ,大きな領土的変更をせまられる。また,社会構 造の変化もともなったことで,欧州市場の中に組み込まれ,英仏の農産物と原料供 給地となっていった。 ↓ 結果として農業の著しい復興が見られ,いくつかの国で改革が行われ,経済面の近代化 がすすむ。 ↓←政治的ナショナリズムが加わる 統一的な政治領域としての自覚が高まる(もともと統一された時代というのはなかっ た。だから,政治的というより文化的,思想的動機の方が強い) 北部:オーストリア領ヴェネツィア,ロンバルディア。サルディーニャ王国 中部:教皇領,パルマ,モデナ,トスカナなど 南部:ナポリ王国などの諸国家が分立 B) 19C 前半のイタリア…ウィーン体制下ナショナリズムの動きと失敗 カルボナリ党の革命運動→オーストリアに鎮圧される リソルジメント運動でも,マッツィーニの青年イタリア党→1849 ローマ共和国。しか し,フランスの武力干渉で失敗 サルディーニャのカルロ・アルベルト王がオーストリア宣戦→敗北→退位。 サルディーニ ャ王国の統一 事業 ・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 宰相[ ] 前代の失敗を鑑み,国際関係を考慮しフランスとの提携で統一をめざす。 カブールは青年時代にヨーロッパ旅行,事業を行う中で,イギリスの議会制や自由主義 経済を認めていく。入閣後,力を発揮し,安定した議会を実現。「独立には列強の力関係 を無視してはいけない」という自覚も持っていた。 A) 国内の近代的諸改革,工業化を推進→統一運動の中心国に クリミア戦争参戦(1855)→ [ ]の密約(1858) [ ],ニース割譲を条件にフランスから統一承認をえるが,この密約を知 ったオーストリアが宣戦 ↓ ・イタリア統一戦線(1859)…ソルフェリノの戦など勝利 オーストリアとフランス(イタリアの強大化恐れる)が講和したため休戦(1860) サルディーニャ:[ ]を獲得にとどまる(ヴェネツィアは×) 建国 B) カブール,ナポレオン 3 世と交渉→フランスにサヴォイ,ニースを割譲し,中部イタ リア併合(1860)承認。 C) 「青年イタリア」の[ ] (カブール支援により)赤シャツ隊を率いてシ シリー島上陸→[ ]王国征服(1860),さらにローマに迫る ↓カブールは警戒し,急遽サルディーニャ軍を南下 王とガリバルディが会見…サルディーニャに征服地を献上

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第11 章-2 - 6 - =[ ]建国(教皇領などのぞく)(1861.3) 普墺戦争でプロシアに味方したことで,ヴェネツィア獲得(1866) 普仏戦争による教皇領併合(1870)…統一ほぼ完成 ローマに遷都(1871) 教皇と対立が始まる 教皇は「ヴァチカン」のみ→教皇は「ヴァ チカンの囚人」として対立続ける ・南部と北部は異質で,中央集権化と官僚制を整えねばならなくなる。 ・未回収のイタリア チロル,トリエステが依然オーストリア領(WW1 後回復) 5.ドイツ帝国とビスマルク ドイツ統一問 題と統一の動 き A) 19C 前半のドイツ…政治的分裂がつづく ウィーン会議後 ドイツ連邦成立(オーストリア中心で 35 君主国と 4 自由市) ↓ B) 各地で自由と統一を求める運動展開 [ ]同盟(1834) プロイセン中心の経済的統一がほぼ実現。 三月革命(1848) フランクフルト国民議会…統一方法で対立 大ドイツ主義 VS 小ドイツ主義→政治的統一には失敗(50,60 年代の対立構想) 各領邦が独立した政府・裁判機構をもち,法律制定権や外国との条約締結権を持つ→こ れを改変して統一国家を作ること=ドイツ統一問題 明確にすべきことは ①領域の決め方 ②国家権力の性格 ①で「ドイツ人居住地域を一つにする」とすれば,多民族国家であるオーストリアの解体 が予想されるため,反対することになる」→それならば,オーストリア以外でまとまっ てしまえ(小ドイツ主義) プロイセンに よる統一運動 A) ヴィルヘルム 1 世即位(1861) 宰相[ ] (1860~90 在任)…工業化と軍備拡張を断行=「鉄血政策」 従来の話し合い路線では統一はできない,として武力統一をめざす。 (軍制改革をめぐって下院と政府が対立していたが,次のようなビスマルクの対外的成功 により,政府が圧倒していく) ・オーストリアと同盟し,デンマーク戦争(1864) …シュレスビヒ(普の管理),ホルシュ タイン(墺の管理)を獲得 ↓しかし,その管理問題から B) オーストリアを排除…普墺戦争([ ]戦争) プロイセン勝利でドイツ連邦を解体(1866)…オーストリアは統一から除外→プロイセン を盟主とする[ ]成立(1867) (南ドイツには反プロイセン勢力が陣取り,フランスが干渉していた) 敗れたオーストリアは国家再編…オーストリア・ハンガリー二重帝国 ハンガリー王国の議会,行政権を認め自治権を与える(アウグスライヒ=妥協)。皇帝はその王を兼任。 支配重点を東欧に置く。しかし,民族国家としての性格を弱め,ナショナリズム運動により苦しんでいく。 C) 普仏戦争([ ]戦争) フランスはプロイセンの強大化を恐れていたが,スペイン革命後のスペイン王位継承問 題で衝突(ホーエンツォレルン家レオポルドの継承をナポレオン 3 世は嫌った) エムス電報事件(1870)…ビスマルクが改ざんして,両国を侮辱する内容で公表→フラ ンスが開戦を決定(挑発に乗せられた形になる) 開戦:

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第11 章-2 - 7 - 参謀総長モルトケ:鉄道による兵力早期集中でプロイセンが優位に ナポレオン3 世をセダンで降伏させる→プロイセン軍のパリ入城 [ ] 成立 (第二帝国) ・ヴィルヘルム 1 世 ヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位(1871.1) 帝国憲法発布。連邦制をとる。 フランスの臨時政府首班ティエールと講和条約 …50 億フランの賠償金,[ ]地方を獲得→鉱産資源が豊富でド イツ産業が飛躍的に発展 ・帝国の特徴:立憲君主制をとるが,実態は専制君主制 帝国議会…男性普通選挙を採用→議会の力は弱く,立憲主義は表面的なもの 宰相は皇帝にのみ責任を負う。プロイセンの土地貴族(ユンカー)が政権を支える ビスマルクの 政策 A) 内政 ・鉄道,金融制度を整備。 保護関税政策:重工業とユンカー農業を保護 ・フランスからの賠償金,アルザス・ロレーヌの獲得→70 年以後,経済の急速な発展。 企業設立,投機が高まる:重工業でイギリスを追い抜く。 ・恐慌(73~)により,ドイツ資本主義は独占化し,世界市場への依存を強めた。 とくに銀行,石炭,化学,電機などだったが,とりわけ 4 大銀行への集中は目覚しく, 金融寡頭制を強めた。 農業にも恐慌波及(75~),東ドイツのユンカー層も打撃を受ける。 ↓階級構造の大変化に対処するため [ ]法(1878)で 社会民主党,労働運動を弾圧する 一方,社会福祉対策も併せて行ったが,人気はなかった(アメと鞭) ・保護貿易主義への転換(1879)…与党も再編され,大資本とユンカーを中心とした保守 的再編といわれ,より強力な支配体制が作られる。 ・文化闘争…南ドイツのカトリック勢力の抑圧 ビスマルクは自由主義者と結び,反プロイセンのカトリック勢力抑圧策をとる。これ に対し,カトリック勢力は中央党を結成し抵抗する。 B) 外交…[ ]体制の構築 19C なかば以降 [ ]の孤立を策して,三帝同盟や三国同盟などの同盟 外交を推進…国内産業を育成するため戦争を回避する必要があり,とくにフランスの復 讐を警戒し,ロシア・オーストリアとの関係調整…ドイツの安全をはかるこの複雑な同 盟網をいう(以下) ・三帝同盟(1873~1887) ドイツ・ロシア・オーストリア…バルカン諸族の動きに乗じ て勢力伸張をはかる両国をあやつった。 ・露土戦争でロシアがブルガリアを保護下におくと,ベルリン会議で条約を破棄させ, ロシアをおさえるのに成功…ロシアは中央・東アジアへ ・新三帝同盟(1881) ・三国同盟(1882) ドイツ・イタリア・オーストリア ロシアとオーストリアの対立が激化して,三帝同盟が87 年消滅すると,東方の安全 を維持すべくドイツ・ロシア間で[ ]条約(1887) で補完

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第11 章-2 - 8 - 外交(詳細) ・ロシア・トルコ(露土)戦争(1877~78) オスマン帝国支配下でのギリシア正教徒殺害事件を口実に開戦→ロシアの勝利 →サン=ステファノ条約(1878)の締結。ブルガリアを保護下において,ロシアは勢力拡大に成功 ↓しかしオーストリア・イギリスが,ロシアの勢力拡大に反対 ベルリン会議 ビスマルクの調停により開催(1878)…(公正な仲介人と自称するもロシアのバルカン進出を阻止 ロシアとの仲が冷却化すると…独墺同盟(1879) イタリア:フランスのチュニジア保護国化に警戒しドイツに接近=三国同盟(1882) ドイツ・オーストリア・イタリア 再保障条約締結(1887) ドイツ・ロシア ロシアが敵対化していくことをおそれたため ⇒手を尽くしてフランスを包囲 6.北ヨーロッパ諸国 スウェーデン ・北方戦争に敗北(18C)…バルト海の制海権喪失 ・北ドイツの領土…プロイセンに奪われる。 ・19C 初め,憲法制定→責任内閣制の確立 ノルウェー ・ウィーン会議…スウェーデン領となるが独自の憲法を保有→国民投票により平和的に独 立(1905) デンマーク ・プロイセン,オーストリアによりシュレスヴィヒ・ホルシュタインの喪失(1864) →農業・牧畜を中心とする国づくり 共通点 ・立憲君主制…議会の力が強い→政治・経済の安定 非軍事大国, 外交…自主的な平和路線, 国内の改革に力点をおく 7.国際的な諸運動 国際協調 ・万国[ ]社(1864) アンリ・デュナン(スイス)が提唱 ・第一回[ ]開催(1896) クーベルタン(仏)が提唱 ・第一回万国平和会議(1899) オランダのハーグ ・郵便,電信に関する国際機関もつくられた。 国際的 社会主義運動 A) ・第一インターナショナル(1864~76) 国際労働者協会 マルクスの提唱,ロンドンで結成。内部対立でバクーニンを除名 パリコミューン後の弾圧激化により解散(1876) B) 第二インターナショナル(1889~1914) パリで結成,ドイツ社会民主党中心 C) 社会主義政党の発展…議会内で大きな勢力→穏健的,合法的な手段で改革をめざす イギリス:労働党 フランス:社会党 ドイツ:社会民主党 ★ 英:縦断政策 仏:横断政策 独:ビスマルク外交 露 墺 1873.10 三帝同盟 バルカンでの対立 1878 ベルリン会議 三帝同盟×→79.10 独墺同盟 →81 三帝同盟復活 チュニジア問題 伊 82 三国同盟(独墺伊) 87 三帝同盟解消 独・露再保障条約

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