同志社ビジネススクール前史(I)
著者 阿部 泰士
雑誌名 同志社談叢
号 39
ページ 63‑89
発行年 2019‑03‑01
権利 同志社大学同志社社史資料センター
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000627
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)六三
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ) 阿 部 泰 士
はじめに
本論文は「同志社ビジネススクール」を事例として、大学院教育改革の流れの下で新たな制度に沿った大学院創設の顛末を記したものである。「同志社ビジネススクール」の設立に向けた基本的な流れとしては、「専門大学院規定の整備をふくむ文部省・文部科学省の大学院改革の動き」、「これらに対応するための同志社大学内各研究科の動き」、「寄付金の動き」等があったが、その中でも特に基となったのは「同志社大学内各研究科の動き」、とりわけ「大学院商学研究科の動き」であった。同志社大学大学院商学研究科は、同志社でいち早く「ビジネススクール教育」に着手し、実現しようとしていた。当初の「大学院商学研究科の改革」から「大学院商学研究科とは独立した経営系大学院の設立」へと目的が変更された後も、中心となって準備を進めていたのは商学部・大学院商学研究科のメンバーであった。結果として、「同志社大学経営大学院」は「同志社大学大学院ビジネス研究科(専門職大学院)」(1
(として、彼らの手を離れて別の道を歩むことになったが、彼らのそれまでの先駆的な取組みや貢献の多大さは特筆すべき点である。
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)六四
本論文が今後同志社史或いは新規教育事業創造事例の研究を進める際に資料的価値を発揮するものと確信する。尚、本篇(Ⅰ)は、主に平成十三年(二〇〇一年)三月までを対象とした。
Ⅰ 同志社大学大学院における高度専門職業人養成
もともと我が国には、いわゆる「昔ながらの大学院制度」があり、同志社にしても、基本的には研究者養成のためのものとして大学院を運営していた。しかし、そのような我が国においても、高度専門職業人教育の気運が生じ、「夜間大学院を設置し得ること」(文部省「大学院制度の弾力化について」(答申)(昭和六十三年十二月十九日 大学審議会)(一九八八年))や「大学等の研究者以外の高度の専門的能力を有する人材の養成を博士課程の目的とすることができる」(同)といった、「大学院制度の弾力化」が叫ばれる様になった。同志社においては、平成元年(一九八九年)三月三日、「大学院教学体制専門部会」が「高度専門職業人の養成について」、「理工学のみならず人文・社会科学の分野においても、今後は高度専門職業人として大学院修了者が求められる傾向にある。~(中略)~これらに対応するための教育方法の見直し、社会人の受入れなどについて、検討をすすめておくことが望ましい」(同志社大学『同志社大学広報』(※以後、広と表記する)臨時
315(一
九八九年)、一-三頁)という「報告」をし、平成二年(一九九〇年)十二月十八日、「大学院担当教員のあり方委員会」は「高度の専門的業務に従事する者のための研究・教育も必要」(広臨時
(同、二頁)る事などを答申していた。授会をもうけ」 学社会の要請に応えて、か部しら独立した大学院教い新高る延長」(同、三頁)や「度年専門職業教育に対すの 347、「定二頁)ということから、
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)六五
1.同志社大学
大学院商学研究科
商学専攻 専門職コース
従来の形で長年進めてきた同志社大学大学院商学研究科(参照:文末附表
1)も、前期課程だけで修了する大
学院生(二年修了で企業へ就職する者、公認会計士・税理士を志望する者
(2
(など)も多かった状況を受け、「従来の研究者養成のためだけではなく、そういう学生のニーズを汲み取れないか?」ということが議論されて、その結果、商学研究科は、平成六年(一九九四年)四月に、主として研究者を養成する「研究者コース」と、高度専門職業人を養成する「専門職コース」に区分された(広№
265(一九九三年)
、二-三頁)。商学研究科専門職コースの第一期生募集時には、「アメリカで発達したビジネス・スクールの教育方法を日本的に改訂したもの」(同、三頁)として「ビジネスの専門職の養成」(同、二頁)が主張されていた。新聞紙上でも、「米国では、ビジネススクール(経営学大学院)の卒業資格(MBA)が一流ビジネスマンとして認められる条件とされるが、同志社大の専門職コースの中身はこのビジネススクールにほぼ匹敵する。京都の大学では初の試み。」 (3
(、「高度の専門知識を持ったビジネスマンを養成するアメリカのビジネススクールタイプの大学院」
(4
(と紹介された。平成八年(一九九六年)四月には、商学研究科専門職コースに「ベンチャービジネス・プログラム」が開設された(広№
291(一 九九六年)、二-三頁)。後にビジネス研究科特別客員教授に着任する洪水啓次氏(監査法人トーマツ代表社員)、ビジネス研究科教授に着任する白石健治氏(松下電器産業㈱本社経理部連結グループリーダー、松下電器産業㈱監査役室長)、中田哲雄氏(財団法人産業研究所長)(平成十年度(一九九八年度)以後)の三人も、商学研究科嘱託講師として「商学研究科商学専攻 2類:専門職コース」の授業科目を一部担当していた
(5
(。
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)六六 2.同志社大学
大学院総合政策科学研究科
総合政策科学専攻
企業政策コース
同志社大学において専門職業人の養成を目的とする大学院教育を検討していたのは商学研究科だけではなかった。平成四年(一九九二年)五月二十八日に設置された「総合政策科学研究科(仮称)設置検討委員会」(広臨時
360(一九九二年)
)では、安枝英訷氏(総合政策科学研究科(仮称)設置検討委員会委員長、法学部教授)の下、「高度の専門性を要する職業等に必要な高度な能力を身につけた人材を養成すること」(広臨時
368(一九九二年)
、二頁)が検討された。これらの検討を経て、平成七年(一九九五年)三月十六日に「大学院総合政策科学研究科総合政策科学専攻修士課程」が設置され(広№
282(一九九五年)
、三頁)、同年四月一日に開設し、「公共政策コース」と「企業政策コース」の二つのコースが設けられた(同、二-三頁)。総合政策科学研究科長には、大谷實氏(法学部教授)が就任した(広臨時
№ント能力を養うためのカリキュラム」広( 410(年高九九五メジネマ営・経な度「))は、」一ーコ策政業企の「こ。ス
282(一九九五年)
、二頁)、「昼夜開講制を採ることによって、勤務しながら修士の学位を取得することが可能となるように工夫」(同、二-三頁)、「社会の様々な分野の人達との間にヒューマン・ネットワークを築くことができるはず」(同、三頁)というものであった。同年四月十四日および十五日、大学院総合政策科学研究科(参照:文末附表
2)の入学試験が実施された(広№
していた 「総合政策科学研究科総合政策科学専攻」の授業科目を一部担当)の三人も、当時、成十三年度(二〇〇一年度) 以後)文学部教授)(平成九年度(一九九七年度)、DavidHughWHITTAKER氏(文学部社会学科客員教授)(平 田教授に着任する中部喜文氏(文学究助教授、科研教にジネス研究科客員ス授着に任する平井紀夫氏、ビジネビ 282、後)。頁二十四
(6
(。
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)六七
3.同志社大学
大学院経済学研究科
応用経済学専攻
高度専門職業人養成コース
大学院経済学研究科(参照:文末附表
3)も「社会人教育を含めた高度専門職業人教育」の充実に向けた改革
の流れの中にあった(広№
283(一九九五年)
、二-三頁)。平成五年(一九九三年)九月、島一郎氏(経済学部教授、経済学部長)の下、「教学検討委員会」が設置され、渡辺弘氏(経済学部教授)を委員長とし、「社会人教育を含めた高度専門職業人養成のための教育」などが検討され始めた(同、二頁)。これらの検討を経て、平成八年(一九九六年)四月一日、経済学研究科応用経済学専攻に「高度専門職業人養成コース」が開設された(広№
291(一九九六年)
、三頁)。
Ⅱ 専門大学院設置委員会
第二小委員会
平成十年(一九九八年)頃、オムロン株式会社より「オムロン創業者の生誕記念として、同志社に寄付をしたい」という申し出があった
(7
(。「この寄付金をどう使おうか?」という話し合いが学内で様々におこなわれた。大学院商学研究科では、これまでの「高度専門職業人養成」のニーズの流れの中で、「商学研究科の将来像をどう描いたら良いか?」という議論が、加藤盛弘氏(商学部教授)が商学部長、鵜飼哲夫氏(商学部教授)が大学院商学研究科専攻教務主任の時
(8
(に提起された。このような議論がされていた最中、翌年の平成十一年(一九九九年)九月十四日、文部省による大学院設置基準の改正により「専門大学院制度」が発足し
(9
(、ここで「専門大学院」
((1
(が制度として誕生した。その流れで、同志社においても専門大学院に関する各種規程が出来上がった。同年十一月までには「専門大学院設置委員会」が組織され、その下にロースクールに関する検討を行う委員会と
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)六八
して「第一小委員会」が、ビジネススクールに関する検討を行う委員会として「第二小委員会」が設置された。第二小委員会委員長には、鵜飼哲夫氏(商学部教授)が任命された(広№
323(一九九九年)
、十七頁、広№
327(二
〇〇〇年)、二十五頁、広№
338(二〇〇一年)
、十八頁)。
専門大学院設置委員会(平成十一年(一九九九年)十一月頃)委員長 八田 英二(大学長)委 員 長澤 邦彦(教務部長)森 孝一(神学部長)龍城 正明(文学部長)梅津 實(法学部長)清川 義友(経済学部長)加藤 盛弘(商学部長)千田 衛(工学部長)釜田 泰介(アメリカ研究科長)安枝 英訷(総合政策科学研究科長)
山本 雅昭(言語文化教育研究センター所長)黒木 保博(企画部長)田渕 正孝(総務部長)山本 壽昭(財務部長)河村 隆夫(施設部長)佐藤 義彦(第一小委員会委員長)鵜飼 哲夫(第二小委員会委員長)事務局 教務部、企画部、法学部・法学研究科事務室、商学部・商学研究科事務室
(出所:広№
323(一九九九年)
、十七頁)
第二小委員会(平成十一年(一九九九年)十一月頃)委員長 鵜飼 哲夫(商学部)委 員 藤原 秀夫(商学部)西村 理(経済学部)岡本 博公(商学部)太田 進一(商学部)瀧田 輝己(商学部)山根 学(商学部)安枝 英訷(法学部)(出所:同)
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)六九 専門大学院設置準備のメインはあくまで「ロースクール(法科大学院)」であった。「司法制度改革」により、「ロースクールを修了しないと法曹になれない様になってしまう」
(((
(ので、同志社としてもロースクールをつくらざるを得ない状況下にあった
((1
(。その検討委員会が「第一小委員会」であった。これに対して「第二小委員会」は、前年(平成十年(一九九八年))に提起された「商学研究科をどうするか」という検討を踏まえて、専門大学院の制度に乗り「ビジネススクールをつくりたい」という意気込みから生じたものであった。このように、ロースクールづくりは何が何でもやらざるを得ない状況にあった
((1
(が、ビジネススクールづくりにはそのような追い風はなかった。学内的には冷ややかで、認識も非常に乏しかった。教員レベルでも、認知されていたのはせいぜい商学系・経済学系の教員程度であり、それ以外はほとんど「ビジネススクールって何?」という風潮であった。大学執行部もあまり積極的ではなかった。学部・研究科の新設は基本構想で大学の承認が必要だったが、長い間「六学部体制」
((1
(を続けていた同志社大学では容易なことではなかった。その中で、オムロンの寄付の話は大きな推進力になった。こういった雰囲気の中で、商学研究科における様々な検討をふまえ、ビジネススクールの検討が実質的に始まった。会議は主に「扶桑館」で行われたとされる
((1
(。第二小委員会には、商学部の教員だけではなく他学部の教員数人も加わっていた(広№
323、十七頁)
。しかし、検討・提案など、実態を動かしていたのは商学部の教員達が中心であった。特に、まだ正式な委員会メンバーではなかった高井紳二氏(商学部助教授)
((1
(、中川優氏(商学部助教授)
((1
((平成十二年(二〇〇〇年)三月以後参画)、植田宏文氏(商学部助教授)
((1
((平成十二年(二〇〇〇年)九月以後参画)の三名には、鵜飼氏が個人的に依頼をして協力を受けていた。鵜飼氏は会計学を専門としていたが、会計学以外にもいろんな領域を把握する必要があったので、彼ら三人にも協力を求めていた。彼らは完全にボランティアではあったが、積極的に関わっていた。三
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)七〇
人はいずれも最新の状況・事情・知識に長けていた新進気鋭の若手であり、ビジネススクールの設立には、彼らの力が必要であった。第二小委員会では、例えばアメリカのビジネススクールのカタログなどによって、カリキュラムがどうなっているかなど、必要なことを検討した。資料を見ても、実態を見てみないとわからないだろうということで、平成十一年(一九九九年)十一月二十一日、加藤盛弘氏と鵜飼氏は、「MBAについての調査」のため、アメリカ(ピッツバーグ他)に渡り(同志社法人部文書課『同志社々報』(※以後、
社と表記する)№
553(一九九九年)
、七-八頁)、「カーネギーメロン大学」および「ミシガン大学」などを訪問した
((1
(。平成十二年(二〇〇〇年)三月十一日、中川氏と高井氏は「CAM-I研究大会への参加他」のためにアメリカ(サンフランシスコ他)に渡り、その間、高井氏は「国際提携戦略研究打ち合わせ」として「UCバークレー・ハース・スクール・オブ・ビジネス」を訪問した(
社№
557(二〇〇〇年)、十八頁、広№
るのては国内では主にこし二た校さとれしに考参を 問学(新潟県)」などを訪Bし、既設のMAコースと際大国出慶査にと「かけた。「應も義塾大学(東京都)」調 327(〇〇国〇年)、八頁)。また、二内のビジネススクールどにな
(11
(。また新設のMBAコースとしては、「早稲田大学システム科学研究所」
(1(
(から改組されて間もない「早稲田大学大学院アジア太平洋研究科(東京都)」などにも訪問し、参考にしたとされる
(11
(。専門大学院の規定は、今までの大学院の規定とは異なっており、目的が「高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を専ら養うこと」となっていた。また、「後期課程が全く想定されていない」ものであった。さらに、「教育目標が明確」で「科目の配置、履修のしかたが体系的に設定されてあること」、「論文は不要」
(11
(といった、アメリカのビジネススクール型に近いものであった。かつ、「二年間」で「実践的な知識の修得」というコンセ
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)七一 プトであった。さらには「実務家教員
(11
(を入れなければいけない」という規定があり、実務家教員の枠
(11
(が決まっていた。一方、商学研究科は「ビジネスの専門職の養成」を目的としたコースが設けられていたとはいえ、実態としては、やはり「大学研究者の養成を中心とするもの」であった。確かに、既存の科目名だけを見れば、商学研究科にもビジネススクールの科目に対応するものは存在していた。しかし、コンセプトが異なっており、商学研究科を組み替えてそのような形にするのは難しいのではないか、という雰囲気であった。同志社大学に限らず「この制度にどう対応するべきか」というのは、全国の主要な大学で問題になった。検討の結果、「この形(専門大学院制度)を商学研究科に組み込むのは、やはり無理だろう」ということになり、現行の商学研究科とは全く違う「独立した研究科を設立した方が良いだろう」という結論に至った。
1.基本構想
研究科の新設には、大学への手続きとして「基本構想」、「基本計画」、「実施計画」の三段階を踏む必要があった。そこで第二小委員会では、平成十五年(二〇〇三年)開校に向けて平成十二年(二〇〇〇年)七月十三日に「同志社大学経営大学院(ビジネススクール)(仮称)基本構想」(広臨時
514(二〇〇〇年)
)を大学に提出し、同年七月二十七日、大学評議会において承認された(広臨時
517(二〇〇〇年)
)。
専門大学院設置委員会(平成十二年(二〇〇〇年)四月二十日現在)委員長 八田 英二(大学長)委 員 長澤 邦彦(教務部長)森 孝一(神学部長)龍城 正明(文学部長)田井 義信(法学部長)
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)七二 2.教育目標の設定
ごく初期の商学研究科の中の委員会で、「どういう教育目標を設定したらいいか?」という検討がされていた。当時の流行りは「金融の専門家養成コース」や「会計の専門家養成コース」といった特定領域の専門に特化したものであった。しかし、アメリカのビジネススクールには様々な領域があり、「ゼネラル型で多方面の知識をもって意思決定が出来る人間」を養成していた。結局、「特化型」と「ゼネラル型」のどちらにニーズがあるのかわからず迷っていた。「特化型」にしても、どこに特化した方がいいのかもわからず、素人調査では限界を感じていた。そこで「どこにニーズがあるか」の調 横山 照樹(経済学部長)山根 学(商学部長)千田 衛(工学部長)釜田 泰介(アメリカ研究科長)安枝 英訷(総合政策科学研究科長)
山本 雅昭(言語文化教育研究センター所長)落合 仁司(企画部長)田渕 正孝(総務部長)山本 壽昭(財務部長)河村 隆夫(施設部長)佐藤 義彦(第一小委員会委員長)鵜飼 哲夫(第二小委員会委員長)
(出所:広№
327(二〇〇〇年)
、二十五頁)
第二小委員会(平成十二年(二〇〇〇年))四月二十日現在)委員長 鵜飼 哲夫(商学部)委 員 藤原 秀夫(商学部)加藤 盛弘(商学部)西村 理(経済学部)岡本 博公(商学部)太田 進一(商学部)安枝 英訷(法学部)
(出所:同)
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)七三 査を、三菱総合研究所に依頼した。そして「特化型(特定のスペシャリスト養成)」よりも「ゼネラル型(企業の経営戦略をしっかりと立てられて、全体的な経営の問題に対応できる人間の養成)」の方にニーズがある、という調査結果が得られたため、「ゼネラル型」で設計を進めた。MBA型の組織をもつことは、同志社の将来にとって有意義なものとなると確信していた。ビジネススクールづくりに関しては、当時は学内で新しいものを作ろうという雰囲気のなかった中で新しいことをしようとしていたこともあり、冷ややかに見られていたことは彼らもわかっていた。「そもそも何でそんなものをつくる必要があるのか?」、「実際にやっていけるのか?」などの批判も受けていた
(11
(。だからこそ、入学者数といった「目につく指標」に関しては、しっかりしていかないとまずいだろう、と思っていた。「レベルを維持するためにも、受験レベルで、競争率を最低二倍、出来れば三倍にしたい」と思っていた。但し、入学定員五十名は、独立研究科の収支上の最低枠であり、それは下げられなかった。
3.開校地および校舎
平成十二年(二〇〇〇年)七月十三日に法人理事会に提案し、同年七月二十七日に大学評議会で承認された「基本構想」では、法科大学院同様、設置場所の第一候補を、移転後の「同志社中学校跡地」に挙げており、平成十五年(二〇〇三年)の専門大学院開校に向けた既存校舎の改修も計画されていた(広臨時
514(二〇〇〇年)
)。「中学校・高等学校の移転・統合」は、すでに平成五年(一九九三年)三月二十七日の法人理事会で可決された事案であった(
社№ 480(一九九三年)
、二十-二十一頁、広臨時
514(二〇〇〇年)
)。大学は、平成十二年(二〇〇〇年)六月七日に「同志社中学校長」および「同志社高等学校長」に「申し入れ」(広臨時
511(二〇〇〇年)
)をし、同
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)七四
年七月二十九日には、両者に対し「同志社中学校・高等学校の岩倉校地への移転・統合の要請書」がそれぞれ送られた(広臨時
517(二〇〇〇年)
)。同年十一月十五日、同志社高等学校は「二〇〇三年四月の同志社中学校との統合」を可決した(広臨時
対社のと校学等高志合同びよお転移の統」地同反の校学中社志のをこ)。同た(し決否へ校岩の月四倉 522(こ十年同が、ろ))と。月年〇〇〇一二二は、年三〇〇二「校十学中社志同二日、
(11
(により、当初の開校計画は頓挫した。無論「同志社中学校跡地」以外にも、いくつかの候補地の検討はされていた。京都以外の候補地としては「大阪」
(11
(も考えられていた。特に、立地を考えた際、大阪は魅力的であったが、今出川校地への通学も決して難しくはないと考えていた。但し、京都だけではマーケットが小さいことも理解していた。様々な検討を重ねた結果、やはり「京都を中心に」という結論に至り、「関西から京都に呼び込めるような魅力のあるビジネススクールでなければだめだろう」、「大阪の人も会社の仕事を終えて京都まで通ってきたいという内容にしなければならない」、「場所の地理的なメリットだけでは、十年、二十年ももたないだろう」という考えに沿う形で進められた
(11
(。一方、同志社中学校地より烏丸通を挟んだ真向いの場所では、丁度、老朽化していた「大学会館(通称「学生会館」)」
(11
(の建て替えが計画されていた。前年の平成十一年(一九九九年)四月に設置された「会館のあり方についての検討委員会」によって「大学会館の新たな役割と再活性化」などの議論がされていた。この大学会館は、平成八年(一九九六年)五月十八日に「シェフィールド大学京都プログラム」ウェルカム・パーティーの会場として使用され、その引率者で、後にビジネス研究科教授に着任する長谷川治清氏(シェフィールド大学日本研究センター所長)が来館した建物でもあった(広№
292(一九九六年)
、二十二頁)。これらの事情が、後に大学側で生じた「従来の学館機能にロースクールとビジネススクールを入れよう(専門
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)七五 大学院等の施設と併存)」という気運に繋がり、平成十三年(二〇〇一年)秋の学内において「大学会館の新改築と専門大学院設置の要請」
(1(
(および「法科大学院・経営大学院と学生会館本館を併せた建物を建設するために、学生会館別館を移転」(広臨時
542(二〇〇一年)
、三頁)することを問題視した会館別館使用団体との「対話」(広臨時
544(二〇〇一年)
、四頁)等にも発展したとされる。
4.基本計画
平成十二年(二〇〇〇年)七月二十七日の「基本構想」承認後、同年九月以後、植田宏文氏(商学部助教授)が鵜飼氏の求めに応じて参画した
(11
(。平成十三年(二〇〇一年)三月一日、第二小委員会は「同志社大学経営大学院基本計画(案)」(広臨時
525(二〇〇一年)
)(※以後、「基本計画」と略記する)を作成し、大学に提出した
(11
(。この頃にはすでに中田喜文氏(文学部教授)も参画していたとされる。この「基本計画」は、まさに「若手達による労作」であった。経営関連については主に高井紳二氏が、会計関 会館のあり方についての検討委員会委員長 森田 雅憲(商学部教授)委 員 小山 隆(文学部助教授)松田 正文(厚生館保険センター所長)初瀬 直章(企画課長)鳴岩 良浩(学友会委員長)津田健太郎・藤澤 大(学友会副委員長(途中交代))羽曽部 卓(別館委員長)加藤 良太(大学院生、総合政策科学研究科)事務局 学生部学生課(今出川)(出所:広№
328(二〇〇〇年)
、二-四頁)
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)七六
連については主に中川優氏が、金融関連については主に植田宏文氏が、それぞれ科目の設定を担当した
(11
(。情報関連およびその他の科目設定については、高井氏を中心に全員で協議したものとされる。鵜飼氏はそれらを取りまとめていた。いくつかの科目設定に関しては、住田潮氏(国際大学国際経営学研究科教授・研究科長)からのアドバイスもあったとされる。住田氏らの助言を受けながら「ファンダメンタル科目」(「基本計画」、八頁)については「アメリカ東海岸のビジネススクール(ハーバード、MIT)のスタイル」を参考に、他の経営関連科目(同、八-十二頁)に関しては「アメリカ西海岸のビジネススクール(バークレー校、アンダーソン校など)のスタイル」を参考にして、ビジネススクールの科目を検討したとされる。また、寄付者であるオムロンの科目も計画されていた(同、八頁)。当時の同志社大学は「セメスター制
(11
(」が実施されて間もない頃ではあったが、「フィールド・リサーチ(2週間以上1ヶ月以内の企業実地研究)」(同、十頁)に重点を置くという意図もあり、アメリカやイギリスのビジネススクールの授業形態を参考にした「クォーター制」
(11
(をも「基本計画」に組み込んだ(同、十二頁)。「基本計画」では、専門大学院の規定に沿って「修士(専門職)の学位」
(11
(や「入学定員五十名」、「教員十四名」などを組み入れ、制度化出来るところで設定した
(11
(。この時点で、精査・シュミレーションした結果の概算を基に、収支の見通しを立てた。学費も「だいたいこの位でないと採算がとれないだろう」という数字を設定した。特に「収支見込み」づくりは非常に難しい作業であった。「教員十四名」に関しても、ビジネススクールは、本来はカリキュラムが度々変わるものであり、それに対応してスタッフも流動的に、ということは検討されていた。「基本計画」では、「ベーシックマネジメントスクール」(同、三頁、五頁)、「コンテンポラリーマネジメント
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)七七 スクール」(同、三頁、十四頁)、「エグゼクティブマネジメントスクール」(同、三頁、十八頁)の、三者を一体にして「同志社大学経営大学院(ビジネススクール)」と見做していた(同、四頁)。学位を授与するところは「ベーシックマネジメントスクール」だが、それだけで運営できる自信はなかった。特に、新たにビジネススクールをはじめる場合は「どれだけ志願者がきてくれるか」が心配であった。そこで、様々な企業向けのセミナーや「コンテンポラリーマネジメントスクール」および「エグゼクティブマネジメントスクール」といった集中講義などを請け負おうと考えていた(同、十九頁)。質の高いセミナーを実現・維持させるために、同志社を含めた国内だけではなく、海外のビジネススクールにもセミナーへの講師派遣や研修協力などの提携交渉がされていた。これらの付属事業収入として、「年度間九九〇〇万円(完成年度:八一〇〇万円)」の収入を見込んでいた(同)。得られた利益は「ベーシックマネジメントスクール」の運営費に充当する狙いもあった。「コンテンポラリーマネジメントスクール」の科目受講者に対しては、今後もし「ベーシックマネジメントスクール(修士課程)」に入学した場合にはその科目の単位認定をしよう、という制度も「基本計画」に含まれていた(同、十四頁)。また、「エグゼクティブマネジメントスクール」の修了者に対しては、「同志社ビジネススクールエグゼクティブ会員(DBE)として、今後多くの情報提供とコンファレンスへの参加ができる」(同、十六頁)という制度も含まれていた。さらに「DBS社長会」(同、十八頁)、「DBS-OB会」(同)等の組織の必要性が訴えられていた(同)。
(「同志社ビジネススクール前史(Ⅱ)に続く)同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)七八 表 1.同志社大学大学院商学研究科商学専攻博士課程(前期課程)入学試験結果
(自:昭和 63 年(1988 年)9 月実施 至:平成 16 年(2004 年)3 月実施)
志願者数
(社会人内数) 受験者数
(社会人内数)
合格者数
(社会人内数)
計 研究者 コース 専門職
コース 計 研究者 コース 専門職
コース 計 研究者 コース 専門職
コース 1989 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
昭和 63 年(1988 年)
9 月実施 1 1 (
平成元年(1989 年)
3 月実施 1 (
外国人留学生 入学試験 正規1
特別1 正規1
特別1 1990 年度
入学試験大学院
(博士課程
(前期課程))
平成元年(1989 年)
9 月実施 1 1 (
平成 2 年(1990 年)
3 月実施 1 (
外国人留学生 入学試験 正規1
特別1 正規(
特別1 1991 年度
大学院
(博士課程入学試験
(前期課程))
平成 2 年(1990 年)
9 月実施 1 1 1
平成 3 年(1991 年)
3 月実施 1 1
外国人留学生 入学試験 正規1
特別1 正規1
特別1 1992 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 3 年(1991 年)
9 月実施 1 1 1
平成 4 年(1992 年)
3 月実施 1 (
外国人留学生 入学試験 正規1
特別1 正規1
特別1 1993 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 4 年(1992 年)
9 月実施 (( (( 1
平成 5 年(1993 年)
3 月実施 1 1
外国人留学生 入学試験 正規1
特別1 正規1
特別1 1994 年度
入学試験大学院
(博士課程
(前期課程))
平成 5 年(1993 年)
9 月実施 11 11 11
平成 6 年(1994 年)
3 月実施 11
((1) ( 11
((1) (1
(1) 1 (1
(1)
外国人留学生 入学試験 正規1
特別( 正規1
特別(
1995 年度 大学院
(博士課程入学試験
(前期課程))
平成 6 年(1994 年)
9 月実施 11 (1 11 11 (1 11 11 (1 11
平成 7 年(1995 年)
3 月実施 11
(1) ( 11
(1) 11
(1) ( 11
(1) (1
(1) ( (1
(1)
外国人留学生 入学試験 正規1
特別1 正規1
特別1 1996 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 7 年(1995 年)
9 月実施 11 1 11 11 1 11 11 1 11
平成 8 年(1996 年)
3 月実施 11
((1) ( 11
((1) 11
((1) ( 11
((1) 11
((() ( 11
((()
外国人留学生 入学試験 正規1
特別1 正規1
特別(
1997 年度 大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 8 年(1996 年)
9 月実施 11 1 1( 11 1 11 11 1 11
平成 9 年(1997 年)
3 月実施 1(
((1) 1 11
((1) 1(
((1) 1 11
((1) 11
((1) ( 11
((1)
外国人留学生 入学試験 正規1
特別( 正規1
特別(
附表
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)七九
志願者数
(社会人内数) 受験者数
(社会人内数)
合格者数
(社会人内数)
計 研究者 コース 専門職
コース 計 研究者 コース 専門職
コース 計 研究者 コース 専門職
コース 1998 年度
大学院
(博士課程入学試験
(前期課程))
平成 9 年(1997 年)
9 月実施 11 1 11 11 1 11 11 1 11
平成 10 年(1998 年)
3 月実施 11
((() 1 11
((() 11
(1) 1 1(
(1) 11
(1) 1 11
(1)
外国人留学生 入学試験 正規1
特別( 正規1
特別(
1999 年度 大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 10 年(1998 年)
9 月実施 11 1 11 11 1 1( 11 1 11
平成 11 年(1999 年)
3 月実施 11
((1) 1 11
((1) 11
((1) 1 11
((1) 11
(1) 1 11
(1)
外国人留学生 入学試験 正規1
特別1 正規1
特別 (1 2000 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 11 年(1999 年)
9 月実施 11 1 11 11 1 11 11 1 11
平成 12 年(2000 年)
3 月実施 11
(1) 1 11
(1) 11
(1) 1 11
(1) 1(
(1) 1 1(
(1)
外国人留学生
入学試験 正規 ((
特別1 正規1
特別1 2001 年度
入学試験大学院
(博士課程
(前期課程))
平成 12 年(2000 年)
9 月実施 1( 1 11 11 ( 11 11 1 11
平成 13 年(2001 年)
3 月実施 11
(1) ( 1(
(1) 11
(1) ( 11
(1) 11
(1) 1 11
(1)
外国人留学生 入学試験 正規1
特別( 正規1
特別(
2002 年度 大学院
(博士課程入学試験
(前期課程))
平成 13 年(2001 年)
9 月実施 11 1 11 11 1 11 1( 1 1(
平成 14 年(2002 年)
3 月実施 11
(1) 1 11
(1) 11
(1) 1 11
(1) (1
(1) 1 (1
(1)
外国人留学生 入学試験 正規1
特別( 正規1
特別(
2003 年度 大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 14 年(2002 年)
9 月実施 11 1 11 11 1 11 11 1 11
平成 15 年(2003 年)
3 月実施 11
(1) 1 11
(1) 11
(1) 1 11
(1) (1
(1) 1 (1
(1)
外国人留学生 入学試験 正規1
特別1 正規(
特別(
2004 年度 大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 15 年(2003 年)
9 月実施 11 11 11
平成 16 年(2004 年)
3 月実施 ((
1 1
1 1
1 外国人留学生
入学試験 正規 11
特別1 正規 (1
特別1
※外国人留学生入学試験に於ける特別学生合格者の中には正規学生不合格者を含む。
( 出 所:広№ 217(1988 年 )、5 頁、広№ 222(1989 年 )、14–15 頁、広№ 227(1989 年 )、4 頁、広№ 232(1990 年 )、
14–15 頁、広№ 237(1990 年)、8 頁、広№ 232(1991 年)、17–18 頁、広№ 247(1991 年)、11 頁、広№ 252(1992 年)、
11–12 頁、広№ 257(1992 年)、10 頁、広№ 262(1993 年)、22 頁、広№ 267(1993 年)、4 頁、広№ 272(1994 年)、6 頁、
広№ 277(1994 年)、5 頁、広№ 281(1995 年)、7–8 頁、広№ 282(1995 年)、42 頁、広№ 286(1995 年)、14 頁、広№ 290(1996 年)、19–20 頁、広№ 295(1996 年)、9 頁、広№ 299(1997 年)、21 頁、23 頁、広№ 304(1997 年)、13 頁、
広№ 308(1998 年)、40 頁、42 頁、広№ 314(1998 年)、8 頁、広№ 317(1999 年)、28–29 頁、広№ 323(1999 年)、10 頁、
広№ 326(2000 年)、47 頁、広№ 327(2000 年)、13 頁、広№ 332(2000 年)、11 頁、広№ 335(2001 年)、30 頁、32 頁、
広№ 341(2001 年)、19 頁、広№ 344(2002 年)、36 頁、38 頁、広№ 350(2002 年)、15 頁、広№ 353(2003 年)、44 頁、
46 頁、広№ 354(2003 年)、69 頁、広№ 359(2003 年)、19 頁、広№ 362(2004 年)、60 頁、63 頁)
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)八〇 表 2.同志社大学大学院総合政策科学研究科総合政策科学専攻修士課程・博士課程(前期課程)
入学試験結果
(自:平成 7 年(1995 年)4 月実施 至:平成 16 年(2004 年)3 月実施)
志願者数
(社会人内数)
受験者数
(社会人内数)
合格者数
(社会人内数)
1995 年度 大学院 入学試験
(修士課程)
平成 7 年(1995 年)
4 月実施
1(1
(1() 1(( 11
(1()
1996 年度 大学院 入学試験
(修士課程)
平成 7 年(1995 年)
9 月実施
(11
(11)
(11
(1()
11
((1)
平成 8 年(1996 年)
3 月実施
11
(11)
11
(11)
11
(1()
1997 年度 大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 8 年(1996 年)
9 月実施
11
(11)
11
(11)
11
(11)
平成 9 年(1997 年)
3 月実施
11
(11)
11
(11)
11
(11)
1998 年度 大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 9 年(1997 年)
9 月実施
(11
(11)
(11
(11)
11
(11)
平成 10 年(1998 年)
3 月実施
11
(11)
11
(11)
11
((1)
外国人留学生 入学試験
正規1 特別(
正規1 特別(
1999 年度 大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 10 年(1998 年)
9 月実施
11
(11)
11
(11)
11
(11)
平成 11 年(1999 年)
3 月実施
((1
(11)
(1(
(11)
11
(11)
外国人留学生 入学試験
正規1 特別1
正規1 特別1 2000 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 11 年(1999 年)
9 月実施
11
(1()
11
(1()
11
((1)
平成 12 年(2000 年)
3 月実施
11
(1()
11
(11)
11
((1)
外国人留学生 入学試験
正規1 特別1
正規1 特別1 2001 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 12 年(2000 年)
9 月実施
11
(11)
11
(11)
11
((1)
平成 13 年(2001 年)
3 月実施
11
(11)
11
(1()
11
((1)
外国人留学生 入学試験
正規1 特別1
正規1 特別(
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)八一
志願者数
(社会人内数)
受験者数
(社会人内数)
合格者数
(社会人内数)
2002 年度 大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 13 年(2001 年)
9 月実施
11
((()
11
((()
11
(1)
平成 14 年(2002 年)
3 月実施
11
(1()
11
(1()
11
((1)
外国人留学生 入学試験
正規 (1 特別1
正規1 特別1 2003 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 14 年(2002 年)
9 月実施
11
(1)
11
(1)
11
(1)
平成 15 年(2003 年)
3 月実施
11
(1)
11
(1)
11
(1)
外国人留学生 入学試験
正規1 特別1
正規1 特別1 2004 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 15 年(2003 年)
9 月実施
11
(1)
1(
(1)
11
(1)
平成 16 年(2004 年)
3 月実施
11
(1)
11
(1)
11
(1)
外国人留学生 入学試験
正規1 特別1
正規1 特別1
※外国人留学生入学試験に於ける特別学生合格者の中には正規学生不合格者を含む。
(出所:表 1 と同様)
同志社ビジネススクール前史(Ⅰ)八二 表 3.同志社大学大学院経済学研究科理論経済学専攻・応用経済学専攻博士課程(前期課程)
入学試験結果
(自:昭和 63 年(1988 年)9 月実施 至:平成 16 年(2004 年)3 月実施)
志願者数
(社会人内数)
受験者数
(社会人内数)
合格者数
(社会人内数)
計 理論経済 学専攻
応用経済
学専攻 計 理論経済 学専攻
応用経済
学専攻 計 理論経済 学専攻
応用経済 学専攻 1989 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
昭和 63 年(1988 年)
9 月実施 1 1 1 1 1 1 1 1 1
平成元年(1989 年)
3 月実施 外国人留学生
入学試験 正規(
特別(
正規 1 特別 ( 1990 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成元年(1989 年)
9 月実施 1 1 1 1 1 1 1 ( 1
平成 2 年(1990 年)
3 月実施 外国人留学生
入学試験 正規1 特別1
正規 1 特別 1 1991 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 2 年(1990 年)
9 月実施 (1 1 1 (1 1 1 1 1 (
平成 3 年(1991 年)
3 月実施 外国人留学生
入学試験 正規1 特別(
正規 1 特別 1 1992 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 3 年(1991 年)
9 月実施 1 1 1 1 1 1 1 1 (
平成 4 年(1992 年)
3 月実施 外国人留学生
入学試験 正規1 特別1
正規 ( 特別 1 1993 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 4 年(1992 年)
9 月実施 (( 1 1 (( 1 1 1 1 1
平成 5 年(1993 年)
3 月実施 外国人留学生
入学試験 正規1 特別1
正規 ( 特別 1 1994 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 5 年(1993 年)
9 月実施 (( 1 1 (1 1 1 1 1 1
平成 6 年(1994 年)
3 月実施 外国人留学生
入学試験 正規(
特別1
正規 ( 特別 1 1995 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 6 年(1994 年)
9 月実施 1 1 1 1 1 1 1 1 1
平成 7 年(1995 年)
3 月実施 1 1 1 1 1 1 1 1 1
外国人留学生 入学試験
正規1 特別1
正規 1 特別 1 1996 年度
大学院 入学試験
(博士課程
(前期課程))
平成 7 年(1995 年)
9 月実施
11
((1) 1 11
((1)
11
((1) 1 11
((1)
11
((1) 1 1(
((1)
平成 8 年(1996 年)
3 月実施
11
((1) 1 11
((1)
11
((1) 1 11
((1)
(1
(1) 1 (1
(1)
外国人留学生 入学試験
正規1 特別1
正規 1 特別 1