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『三玉挑事抄』注釈 秋部(下)

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(1)

『三玉挑事抄』注釈 秋部(下)

著者 岩坪 健

雑誌名 人文學

号 196

ページ 99‑153

発行年 2015‑11‑30

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014438

(2)

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

岩 坪

本 稿は

﹃三 玉挑 事抄

﹄春 部の 200番 から 264番 まで を掲 載す る︒ 凡例 は秋 部︵ 上︶ と同 じで ある ので 省略 する

︒担 当者 はす べて 本学 博士 課程 在学 者で

︑以 下の 通り であ る︒ なお 各項 目末 尾の

︶内 には

︑担 当者 の氏 名を 示し た︒ 大杉 里奈

︑呉 慧敏

︑風 岡む つみ

︑加 藤森 平︑ 平石 岳︑ 廣瀬 薫︑ 竹田 有佳 禁中

月 200に しに なる ひか りも あか すす む月 の花 のと ほそ の明 かた の空 拾 芥抄

︑宮 城部

︑月 華門

︒西 謂之 南殿 西向 門︒ 安福 校書 両殿 間︑ 有此 門云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 七九 三番

︒拾 芥抄

︑宮 城部

︑月 華門

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃拾 芥抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

宮中 の月 西 に沈 む月 の光 もま だ見 飽き ず夜 を明 かし

︑美 しい 月華 門の 扉を 開け ると

︑明 け方 の空 に月 が澄 んで いる こと だな あ

― 99 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(3)

拾 芥抄

︑宮 城部

︑月 華門

︒西 側で

︑南 殿︵ 紫宸 殿︶ の西 向に ある 門を いう

︒安 福殿 と校 書殿 の二 つの 殿舎 の間 に

︑こ の門 はあ る云 々︒

﹇ 考察

﹈﹁ 枢﹂ は扉 また は戸 を指 し︑

﹁ 月の 花の とぼ そ﹂ は月 華門 を意 味す る︒ また

﹁花 の﹂ は美 称︒

﹁あ かす

﹂に

﹁飽 か ず﹂ と﹁ 明か す﹂

︑﹁ 明 けが た﹂ に﹁ 開け

﹂を 掛け る︒

﹇ 参考

﹈﹃ 拾芥 抄﹄ は寛 永一 九年

︵一 六四 二︶ 版を 使用

︒紫 宸殿 の東 には 日華 門が あり

︑月 華門 と対 置す る︒

︵ 平石 岳︶

201雲 のう へや 花の あし たの 言の 葉も およ はぬ 月の 秋の よの そら 古 今序 云︑ 古し への 世ゝ の御 門︑ 春の 花の あし た︑ 秋の 月の 夜こ とに

︑さ ふら ふ人

! "

をめ して

︑こ とに つけ つ ゝ歌 を奉 らし めた まふ

︒あ るは 花を そふ とて

︑た より なき 所に まと ひ︑ ある は月 をお もふ とて

︑し るへ なき 闇 にた とれ る心

! "

を見 たま ひ︑ さか しお ろか なり とし ろし めし けむ

﹇ 出典

﹈碧 玉集

︑五 一六 番︒ 古今 集︑ 仮名 序︑ 二二 頁︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 古今 集序 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 宮中 の月

︶ 宮中 では

︵春 の︶ 花の 咲い た朝 も︑ 雲の 上に ある 秋の 月の 夜空 には 言葉 も及 ばな いな あ︒ 古 今集 の序 によ ると

︑昔 の代 々の 帝王 は︑ 花の 咲い た春 の朝 や︑ 秋の 美し い月 夜ご とに

︑お 付き の人 々を お召 し にな って

︑何 事か につ けて 常に 歌の 詠出 をお 求 め に なっ た

︒ま た ある 時 は 思い を 花 に 託し て 作 歌し よ う と︑ 手 がか りの ない 場所 をさ まよ い︑ ある 時は 月を 愛で るた めに

︑不 案内 の地 をま ごつ き歩 いた 人々 の心 中を ご覧 に なり

︑彼 らの 賢愚 を識 別な さっ たの だろ う︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 100 ―

(4)

﹇ 考察

﹈﹃ 古今 集﹄ 仮名 序は 歌の 起源 に立 ち戻 り︑ 歌の 理想 的な 姿を 古代 の帝 王と 歌の 関わ りか ら辿 る箇 所︒ 当歌 は春 の 花よ り︑ 宮中 から 見え る秋 の月 の美 しさ の方 が勝 ると 詠む

︒春 と秋 の優 劣を 論議 する 春秋 の争 いは

︑古 くは 額田 王 の長 歌︵ 万葉 集︑ 巻一

︑一 六番

︶に 見ら れる

﹇ 参考

﹈当 歌は

﹁花

﹂と

﹁葉

﹂が 縁語 で︑

﹁雲 のう へ﹂ は宮 中と

︑月 があ る雲 の上 を掛 ける

︵ 平石 岳︶ 古寺 月 202此 ころ の秋 も見 かて ら露 霜の 野寺 の月 に一 夜あ かし つ

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑八 六三 番︑ 二三 四七 番︒ 雪玉 集︑ 四七 三八 番︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

古寺 の月 近 頃の 秋を 見る つい でに

︑露 が結 んだ り霜 が降 りる 野の 寺で 月を 見て 一夜 を明 かし たな あ︒

﹇ 考察

﹈出 典 は 203番 歌 と同 じ で︑ 当 歌の 第 二 句﹁ 秋も 見 が て ら

﹂は

﹃源 氏 物 語

﹄の 一 節

﹁秋 の 野 も 見 た ま ひ が て ら﹂ を 踏ま える

︵ 風岡 むつ み︶ 203こ ゝに ても うき 人し もと 月や みん をし 明か たの 雲の 林に 榊 巻云

︑秋 の野 も見 たま ひか てら

︑雲 林院 にま ふて たま へり 云々

︒所 から に︑ いと ゝ世 中の つね なさ をお ほし あ かし ても

︑猶

︑う き人 しも とそ おほ し出 らる ゝ︑ をし 明か たの 月か けに

︑法 師は らの

︑あ か奉 ると て︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 二九

○番

︒源 氏物 語︑ 賢木 巻︑ 一一 六頁

︑一 一七 頁︒

― 101 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(5)

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 承応

﹄﹃ 湖月 抄﹄

﹁ うき 人し もと そ│ うき 人し もそ とて

﹂︒

﹇ 訳﹈

︵ 古寺 の月

︶ こ こに いて も﹁ 憂き 人し も﹂

︵ つれ ない 人が 恋 し い︶ と思 っ て︑ 月 を見 る の だろ う か︒ 空 が 明け て 来 るこ ろ の 雲が 群 がっ てい る雲 林院 で︒ 賢 木巻 によ ると

︑︵ 光 源氏 は︶ 秋の 野辺 をも ご ら んに な り がて ら

︑雲 林 院に 参 詣 な さっ た 云 々︒ 場所 が 場 所と て

︑ひ とし お世 間の 無常 を夜 通し お考 えに なる につ けて も︑ やは り﹁ うき 人し もぞ

﹂と あの つれ ない お方

︵藤 壺

︶の こと を思 い出 さず には いら っし ゃれ ない が︑ その 明け 方の 月の 光に 照ら され て︑ 法師 たち が閼 伽を お供 え しよ うと して

﹇ 考察

﹈﹃ 源氏 物語

﹄は

︑桐 壺帝 の崩 御に 伴い 里下 がり した 藤壺 と密 会し た光 源氏 が︑ その 心を 鎮め るた めに 雲林 院に 参 籠し た箇 所︒ 光源 氏の 心中 思惟 であ る﹁ うき 人 し も ぞ﹂ の出 典 は︑

﹁ 天の 戸 を おし あ け 方 の月 見 れ ば憂 き 人 しも ぞ 恋し かり ける

﹂︵ 新 古 今 和歌 集

︑恋 四︑ 一 二六

○番

︑よ み 人 しら ず

︶で

︑そ の 第 二句

﹁お し あ け方 の

﹂は 当 歌の 第 四句 に引 用︒

﹁ 雲の 林﹂ は群 がっ てい る雲 の有 様を 林に 見立 てて いう 語で

︑雲 林院 も掛 ける

﹇ 参考

﹈﹃ 雪玉 集﹄ の歌 肩に

﹁永 正九 七月 次﹂ とあ り︑ 永正 九年

︵一 五一 二︶ 七月 の月 次歌

︵ 風岡 むつ み︶ 樵夫 帰月

204斧 のえ をく たす も有 かあ かな くに 一夜 の月 に何 かへ るら ん 王 質事 実︑ 註于 春部

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 102 ―

(6)

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑八 三七 番︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ あか なく に│ あか なく の﹂

﹇ 訳﹈

木こ り︑ 月夜 に帰 る

︵ず っと 眺め てい て︶ 斧の 柄を 腐ら せる ほど の時 間 が 経っ た の だろ う か︒ ま だ名 残 惜 し いの に

︑こ の 月夜 に な ぜ木 こ りは 帰る のだ ろう か︒ 王 質の 故事 は︑ 春の 部に 注が ある

︒︵ 52 番歌

︑参 照︶

﹇ 考察

﹈出 典は

︑斧 の柄 が朽 ちて いる のを 見て 長い 年 月 が経 っ て いた 事 に 気づ い た︑ と い う王 質 の 故事

︒当 歌 は 斧の 柄 が朽 ちる ほど の長 い時 間︑ 月を 眺め てい たわ けで もな いの に︑ なぜ 帰ら なく ては いけ ない のか と名 残惜 しく 思う 気 持ち を詠 む︒

︵ 廣瀬 薫︶ 樵客 帰月

205月 のう ちの かつ らも をの か薪 とや ゆく

! "

袖の うへ に見 るら む 酉 陽雑 爼︒ 見于 夏月 註︒

﹇ 出典

﹈三 玉和 歌集 類題

︑秋

︑樵 客帰 月︒

﹇異 同﹈

﹃ 三玉 和歌 集類 題﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

木こ り︑ 月夜 に帰 る 木 こり は月 の中 にあ る桂 も自 分の 薪に する つも りで

︑帰 る道 すが ら︵ 涙で 濡れ た︶ 袖の 上に 映る 月を 見て いる のだ ろ うか

︒ 酉 陽雑 爼︒ 夏月 の注 に見 える

︒︵ 119 番歌

︑参 照︶

― 103 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(7)

﹇ 考察

﹈出 典は

︑月 にあ る桂 を伐 り続 けて い る 男の 伝 説 で︑ その 故 事 は﹃ 万葉 集

﹄に も 見 られ る

︒当 歌 は月 の 桂 を高 貴 な女 性に 例え

︑桂 の木 を薪 とし て思 いを 燃や し︑ 叶わ ぬ恋 に泣 いて いる とも 解釈 でき る︒

︵ 廣瀬 薫︶ 有明 月 206お もへ とも 命な かき は有 明の かた はな から に世 を尽 せと や 荘 子︑ 天地 篇曰

︑寿

則 多

辱︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 一八 七番

︒荘 子︑ 三七 三頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃荘 子﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

有明 の月 あ れこ れ思 って も︵ 死ね ずに

︶寿 命が 長い のは

︑夜 明け の空 に残 って いる 有明 の月 のよ うに

︑見 苦し くて も長 生き し ろと いう こと だろ うか

︒ 荘 子︑ 天地 篇に よる と︑ 長生 きす ると 恥を かく こと が多 い︒

﹇ 考察

﹈出 典は

︑中 国の 伝説 上の 聖帝 であ る堯 が華 に出 かけ た時

︑国 境に いる 隠者 に︑

﹁堯 が長 生き する よう に︑ ある い は豊 かに なる よう に︑ ある いは 男子 が多 く 生 ま れる よ う に祈 ろ う﹂ と 言わ れ た︒ と こ ろが 堯 は︑

﹁ どれ も 必 要な い

﹂と 答え た︒ 引用 個所 は︑ 祈る 必要 がな い理 由の 一つ

︵ 廣瀬 薫︶ 月前 行客 207更 ぬと もあ はれ をか はす 友し あら はの こり の月 に猶 やゆ かま し

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 104 ―

(8)

朗 詠集

︒佳

人尽

於晨

︒魏

︒ 遊

子猶

於残

︒函 谷

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 七九 六番

︒和 漢朗 詠集

︑巻 下︑ 暁︑ 四一 六番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃朗 詠集 註﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

月下 の旅 人 た とえ 夜が 更け ても

︑心 を通 わす 友が いれ ば︑

︵ 旅中 の孟 嘗君 のよ うに

︶や はり 残月 のも とで 会い に行 くだ ろう か︒ 和 漢朗 詠集

︒宮 女た ちは みな 朝の お化 粧を して 美し くよ そお って いる

︒今 しが た︑ 明け 方を 告げ る魏 宮の 鐘が 鳴 っ た か らだ

︒旅 中 に ある 孟 嘗 君は 残 月 の 下で 歩 き 続け て い る︒ それ は 幸 い にも 鶏 が 暁の 刻 を 告 げ て 鳴 い た

︵た めに 関所 の門 が開 いた

︶か らだ

﹇ 考察

﹈函 谷関 は秦 が東 方か らの 侵入 に備 えた 関 所 で︑ 絶壁 に 囲 まれ た 難 所︒ 夜は 閉 ざ さ れ︑ 鶏が 鳴 い てか ら 通 行人 を 通す 決ま りが あっ たこ とか ら︑ 夜に 孟嘗 君が 追手 から 逃げ てこ の関 を通 るた め︑ 彼の 食客 の一 人が 鶏の 鳴き 真似 を して 欺い たと する 故事 が﹃ 史記

﹄﹁ 孟 嘗君 伝﹂ に見 られ る︒

︵加 藤森 平︶ 月似 弓 208と はゝ やな まゆ み月 弓月 影は いか なる しな か有 明の 空 梁 塵秘 抄︑ 神楽 歌︒ 弓と いへ はし なゝ き物 を梓 弓ま ゆみ 月弓 品こ そ有 らし

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 三三 七番

︒梁 塵愚 案抄

︑巻 上︑ 神楽

︑弓

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃梁 塵愚 案抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈ 月

︑弓 に似 る 問 い た い もの だ な あ︒ 有明 の 空 に見 え て い る月 影 は 真弓 か 槻 弓か

︑ど の よ う な品 種 の 弓

︵に 似 て い る の

︶だ ろ う

― 105 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(9)

か 梁 ︒ 塵秘 抄︑ 神楽 歌︒ 弓 とい えば

︑品 種に よる 差が ない もの よ︒ 梓弓 だの

︑真 弓だ の槻 弓だ のと

︑種 々あ るら しい

﹇ 考察

﹈神 楽歌 によ ると

︑弓 には 多く の種 類が あ る が優 劣 の 差は な い︑ と する

︒そ れ で も 今見 て い る月 は

︑ど の よう な 弓に 似て いる か問 いた い

︑と 当 歌 は詠 む

︒﹁ 梁 塵秘 抄

︑神 楽 歌﹂ とあ る が︑ 現 存 する 後 白 河院 編

﹃梁 塵 秘抄

﹄に は 神楽 歌は 含ま れて いな い︒ この

﹁梁 塵 秘 抄﹂ は 巻末 の 引 用書 目 に ある

﹃梁 塵 愚 案 抄﹄ を指 す と 考え ら れ る︒

﹃梁 塵 愚案 抄﹄ は一 条兼 良が 著わ した 神楽 歌と 催馬 楽の 注釈 書で

︑康 正元 年︵ 一四 五五

︶以 前に 成立

︒元 禄二 年︵ 一六 八 九︶ 版を 使用

﹇ 参考

﹈神 楽歌 の結 句﹁ 品こ そ有 らし

﹂は 重種 本系 の本 文︒ 鍋島 家本

︵﹃ 新編 日本 古典 文学 全集

﹄収 録︶ では

﹁品 もも と めず

﹂︒

︵加 藤森 平︶ 月似 鏡 209山 とり も音 にや たて まし ます 鏡そ れか と月 のす める 尾上 に 事 文 類 聚 後集

︑四 十 二 巻曰

︑昔

︑䟖

王︑ 結

峻 卯之 山

︑ 穫

鸞 鳥

︒ 王甚

︑欲

而 不

︒ 乃

︑ 饗

︒ 三

︑其

︑﹁ 嘗

鳥 見

而 後鳴

︒ 何

﹂︒ 王 従

鸞 覩

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 三三 三番

︒事 文類 聚後 集︑ 巻四 二︑ 鸞鳥 詩序

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 106 ―

(10)

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 和刻 古今 事文 類聚

﹄﹁ 何

│何

也︒

﹂︒

﹇ 訳﹈

月︑ 鏡に 似る 山 鳥も 声を 立て て鳴 くだ ろう か︒ 山頂 で真 澄鏡 のよ うに 澄ん でい る月 に︵ 向か って

︶︒ 事 文類 聚後 集︑ 四十 二巻 によ ると

︑昔

︑䟖 賓の 王が 峻卯 の山 に網 を仕 掛け て一 羽の 鸞鳥 を獲 った

︒王 はそ の鳥 を とて も愛 し︑ その 鸞鳥 の声 を聞 こう とし たが 鳴か せら れな かっ た︒ そこ で金 の鳥 籠を 飾っ たり

︑珍 しい 食べ 物 を食 べさ せた りし て︑ その 鳥を ます ま す 可 愛が っ た︒ 三 年経 っ て も鳴 か ず︑ 王 の 夫人 が

︑﹁ 鳥 は同 じ 種 類の 鳥 を見 ると 後に 鳴く

︑と かつ て聞 いた こと があ る︒ どう して 鏡を 懸け て映 さな いの か﹂ と言 った

︒王 は言 われ た こと に従 い︵ 鸞鳥 に鏡 を見 せる と︶

︑ 鸞鳥 は自 分の 姿を 見て 悲鳴 し悲 しん だ︒

﹇ 考察

﹈﹃ 事文 類聚

﹄は 宋の 祝穆 が編 纂し た類 書︒ 前集 六〇 巻︑ 後集 五〇 巻︑ 続集 二八 巻︑ 別集 三二 巻︒ 淳祐 六年

︵一 二 四六

︶成 立︒

﹃ 藝文 類聚

﹄﹃ 初学 記﹄ の体 裁に なら い︑ 古今 の群 書の 要語

・事 実・ 詩文 を集 めて 分類 した もの

︒䟖 賓 は北 イン ドの カシ ミー ル地 方も しく はガ ンダ ーラ 地方 に在 った とさ れる 国︒ 当歌 は﹃ 事文 類聚

﹄の 故事 を踏 まえ て

︑鏡 のよ うに 澄ん でい る月 を山 鳥は 鏡と 見ま ちが えて 鳴く だろ うか と詠 む︒

﹇ 参考

﹈﹃ 和刻 古今 事文 類聚

﹄は 寛文 六年

︵一 六六 六︶ 版を 使用

︒﹁ 山 鳥︑ 友を 恋ひ て︑ 鏡を 見す れば

︑な ぐさ むら む︑ 心 わか う︑ いと あは れな り︒

﹂︵

﹃枕 草子

﹄三 九段

﹁鳥 は﹂

︶︒

︵大 杉里 奈︶ 月前 鐘 210此 ころ の月 に夢 みる 里は あら しね よと のか ねは 声を たゝ なん

― 107 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(11)

小 学︑ 善行 篇︒ 至

云云

万 葉集

︑巻 四︒ 皆人 乎宿 与殿 金者 打奈 礼杼 君乎 之 念 者寝 不勝 鴨

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 三四

〇番

︒小 学︑ 善行 第六

︑四 六二 頁︒ 万葉 集︑ 巻四

︑六

〇七 番︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 小 学﹄ ナシ

︒﹃ 万葉 集﹄

︵ 寛永 版︶

﹁打 奈礼 杼│ 打礼 杼﹂

﹇ 訳﹈

月の 前の 鐘 近 頃の

︵美 しい

︶月 では

︑︵ 月 見で 夜更 かし して

︶夢 を 見 る里 は な いだ ろ う︒ 寝 よと 合 図 す る鐘 は 鳴 って ほ し くな い なあ

︒ 小 学︑ 善行 編︒ 亥の 刻の 鐘が 鳴っ てか ら寝 室に 帰る 云々

︒ 万 葉集

︑巻 四︒ 皆の 者寝 よと 合図 する 鐘は 鳴っ てい るが

︑あ なた のこ とを 思う と眠 れな いな あ︒

﹇ 考察

﹈﹃ 小学

﹄は

︑南 宋の 朱熹 の弟 子に あた る劉 子澄 の編

︒古 今の 書か ら教 学の 要旨 や修 養の 方法 など

︑小 学教 育に 関 する 部分 を 抄 録 した も の︒

﹃ 万葉 集

﹄の 第 二句

﹁寝 よ と の 鐘﹂ は︑ 晨朝

・日 中

・日 没・ 初 夜・ 中夜

・後 夜 の 六回 に 陰陽 寮で 鳴ら す鐘 の一 つで

︑午 後七 時 か ら 八時 頃 に 打ち 鳴 ら す鐘

︒当 歌 の 結 句﹁ 声を た た なん

﹂は

﹁立 た な ん﹂

︵声 を立 てて ほし い︶ では なく

︑﹁ 断た なん

﹂︵ 声 を絶 って ほし い︶ と解 釈す る︒

︵大 杉里 奈︶

211雲 にあ ふあ かつ き月 にも れ出 てひ とり くま なき かね の声 哉 古 今序

︒ま へに しる し侍 る︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑九 一九 番︒ 古今 和歌 集︑ 仮名 序︑ 二七 頁︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 108 ―

(12)

﹇ 訳﹈

︵ 月の 前の 鐘︶ 夜 明け 前に 雲に 出会 って 隠れ た月 から 漏れ 出る のは

︑澄 んで 聞こ える 鐘の 音だ けだ なあ

︒ 古 今和 歌集

︑仮 名序

︒前 に記 して いま す︒

︵ 57番 歌︑ 参照

﹇ 考察

﹈古 今和 歌集 の仮 名序 の一 節﹁ 秋の 月を みる に暁 の雲 にあ へる がご とし

﹂を 踏ま える

︵ 呉慧 敏︶ 月前 枕

212月 にも やみ る心 地せ ん三 の嶋 十の 洲を もつ けの まく らに 開 元 遺 事 曰︑ 亀

国 進

︒其

色若

瑪 瑙

︑温

潤如

玉︑ 製 作甚

︒枕

而 寐

則 十

洲 三

嶋 尽

︒ 帝因

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑九 一八 番︒ 開元 天宝 遺事

︑巻 一︑ 遊仙 枕︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新 編 国 歌大 観

﹄ナ シ︒

﹃ 開元 天 宝 遺事

﹄﹁ 進 枕│ 進 奉枕 一 枚

﹂﹁ 若│ 如﹂

﹁ 温潤

│温 温

﹂﹁ 製 作甚 工

│其 製 作甚 樸 素﹂

﹁ 枕之 而寐

│若 枕之

﹂﹁ 十洲 三嶋

│十 洌三 島四 海五 湖﹂

﹁ 夢中

│夢 中所 見﹂

﹁号

│立 名為

﹂︒

﹇ 訳﹈

月の 前の 枕

︵仙 境で ある

︶三 嶋と 十洲

︵の 在り か︶ を告 げる 柘植 の枕 で︵ 眠る と︶

︑月 のも とで

︵そ れら を夢 の中 で︶ 見る よう な 心地 がす るだ ろう か︒ 開 元遺 事に よる と︑ 亀茲 国か ら枕 が献 上さ れ た︒ そ の 枕の 色 は 瑪瑙 の よ うで あ り︑ 温 潤 さは 玉 の よう で あ り︑ 製 作 は 甚 だ巧 み で ある

︒こ れ を 枕に し て 寝 ると

︑十 洲 三 島は す べ て夢 の 中 に 現 わ れ る

︒よ っ て 帝 は

︵そ の 枕

― 109 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(13)

︶遊 仙枕 と名 づけ た︒

﹇ 考察

﹈当 歌の 結句

﹁つ げ﹂ は﹁ 告げ

﹂と

﹁柘 植﹂ を掛 ける

﹇ 参考

﹈﹃ 開元 天宝 遺事

﹄は 唐の 開元

・天 宝時 代︵ 七一 三〜 七五 六︶ にお ける

︑宮 中瑣 事お よび 宮廷 内外 の風 情習 俗を 記 した もの

︒寛 永一 六年

︵一 六三 九︶ 版を 使用

︒そ の本 文で は﹁ 後賜 与楊 国忠

﹂と 続き

︑楊 貴妃 の従 兄弟 にあ たり 安 禄山 の乱 で誅 殺さ れた 楊国 忠 に 下 賜さ れ た︒ ま た︑ 五山 僧 の 月船 寿 桂︵ 生 没 一四 六

〇〜 一 五三 三 年︶ に は︑

﹁遊 仙 枕﹂ を題 にし た漢 詩﹁ 一枕 仙遊 青書 長︒ 十洲 三島 黒甜 郷︒ 明皇 未識 神山 路︒ 只愛 春風 睡海 棠﹂ があ る︒

︵ 呉慧 敏︶ 月前 蛩

213き り

!

"

す をの か宿 りに あら して もか への 隙も る月 をた にみ ん

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑九 二九 番︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

月下 の 蛩 き りぎ りす よ︑

︵ ここ が︶ 自分 の住 居で はな く荒 れて いて も︑ せめ て壁 の隙 から 漏れ る月 を見 るが よい

﹇ 考察

﹈出 典は 214番 歌︑ 参照

︒﹁ あら し﹂ に﹁ あら じ﹂ と﹁ 荒ら し﹂ を掛 ける

︵竹 田有 佳︶ 秋歌 中 214か への 底も さそ な雨 夜の 蛩ぬ れて 鳴よ ると もし ひの 影 月 令曰

︑季

之月 律在

︑ 温

風始

︱テ

︑蟋

蟀居

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 110 ―

(14)

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 七九 四番

︒礼 記︑ 上巻

︑二 四六 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 礼記

﹄﹁ 律在

│ 律中

﹂︒

﹇ 訳﹈

秋歌 の中 雨 が降 る夜

︑壁 の奥 もさ ぞか し濡 れて いる のだ ろう

︒灯 火に 鳴き なが ら近 づく きり ぎり すが 濡れ てい るか らな あ︒ 月 令に よる と︑ 季夏 の月

︵六 月︶ の律 は林 鐘に あり

︑涼 風が 吹き そめ

︑蟋 蟀が 壁を 這う

﹇ 考察

﹈﹁ 月令

﹂は

﹃礼 記﹄ の一 篇で

︑一 年の 暦 や 行 事に つ い て記 す

︒﹁ 林 鐘﹂ は中 国 音 楽 の十 二 律 の一 つ で︑ 八 番目 の 音を 指す

﹇ 参考

﹈﹃ 礼記

﹄の 本文 異同 には 寛文 四年

︵一 六六 四︶ 版﹃ 礼記 集説

﹄を 使用

︵竹 田有 佳︶ 水郷 月

215は る

!

"

と 月に 見わ たす うち はし の絶 まを 雲に おも ふ空 哉 浮 舟巻

︒宇 治は しの はる

! "

と見 わた さる ゝに

︑柴 つみ ふね の所

! "

に行 ちか ひた るな と云 々︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑八 九二 番︒ 源氏 物語

︑浮 舟巻

︑一 四五 頁︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 承応

﹄﹃ 湖 月抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

水郷 の月 月 の光 に照 らさ れ︑ はる かに 見わ たさ れる 宇治 橋の 絶え 間が

︑︵ 月 がの ぞく

︶雲 の絶 え間 に重 ねら れる 空だ なあ

︒ 浮 舟の 巻︒ 宇治 橋が はる かに 見わ たさ れる とこ ろに

︑柴 を積 んだ 舟が あち こち で行 き交 って いる など 云々

﹇ 考察

﹈﹃ 源氏 物語

﹄は

︑久 しぶ りに 宇治 に訪 れた 薫が

︑浮 舟の 大人 びた さま を好 まし く思 い︑ 京に 迎え る準 備が 進ん

― 111 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(15)

で いる こと を伝 えた が︑ 匂宮 との 秘事 を持 つ浮 舟が 泣き だし たこ とに とま どい

︑外 の景 色を 眺め てい る場 面︒

︵ 平石 岳︶ 社頭 月

216秋 の霜 こゝ に置 ける 光を も月 にそ みつ るふ るの 神か き

神 代巻 曰︑ 其断

剣︑ 号

之麁 正

︒此

︑今 在

石 上

也云 云︒ 朗 詠集

︑順

︒雄

剣在

腰 抜

則 秋

霜 三

尺︑ 雌黄 自

口 吟

亦 寒玉 一

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑八 六一 番・ 二二 五二 番︒ 雪玉 集︑ 四五 四八 番︒ 日本 書紀

︑神 代巻

︑九 六頁

︒和 漢朗 詠集

︑下

︑将 軍︑ 六 八六 番︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 月 にそ みつ る│ 月に はう つる

﹂︵ 柏玉 集︑ 八六 一番

︶︒

﹃ 日本 書紀

﹄﹃ 和 漢朗 詠集 註﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

社の 前の 月

布 留 の社

︵石 上 神 宮︶ の 垣根 に お りた 秋 の 霜が

︑月 の 光 に 照ら さ れ 輝い て い る︒ そ れは ま る で 当 社 に 祭 ら れ て い る

︑秋 霜に も例 えら れる 霊剣

﹁蛇 之麁 正﹂ が輝 いて いる かの よう に見 える なあ

神 代の 巻に よる と︑

︵ 素戔 嗚 尊が

︶八 岐大 蛇を 斬っ たそ の剣 を︑ 名付 けて

﹁蛇 之麁 正﹂ とい う︒ これ は今

︑石 上 神宮 に安 置さ れて いる 云々

︒ 和 漢朗 詠集

︑源 順︒ 雄剣 のよ うな 三尺 もあ る名 剣を 腰に 佩し

︑抜 けば 秋の 霜の よう に鋭 い光 を放 つ︒ 文字 消し に 使わ れた 雌黄 を口 に含 んだ かの よう に︑ 充分 に推 敲さ れた 美し い文 章を 吟じ ると

︑ま るで 澄ん だ玉 が一 声震 え るよ うに 響く

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 112 ―

(16)

﹇ 考察

﹈﹃ 日本 書紀

﹄は 八岐 大蛇 退治 の場 面で

︑こ のと き大 蛇の 体内 から 出て きた のが 草薙 剣︒

﹃和 漢朗 詠集

﹄は

︑藤 原 伊尹 が文 武両 道に 優れ てい るこ とを 称え たも の

︒﹁ 雄 剣﹂ は 中国 春 秋 時代 の 干 将が つ く っ たと さ れ る雌 雄 二 剣の ひ と つ︒

﹁ 秋 霜﹂ は刀 剣 の 比喩

︒﹁ 雌 黄﹂ は 樹脂 の 一 種で

︑古 代 中 国 で 文 字 消 し に 使 用︒

﹁寒 玉

﹂は 清 ら か な 容 貌︑ 声

︑水

︑月 など の比 喩︒ 和歌 の﹁ 置け る﹂ は︑ 霜が 降り るこ とと

︑剣 を据 え置 くこ とを 意味 する

﹇ 参考

﹈﹃ 日本 書紀

﹄の 本文 異同 には 寛文 九年

︵一 六六 九︶ 版を 使用

︵ 平石 岳︶ 月前 神祇 217秋 の月 うつ りて すむ も石 清水 むか しの 袖の ひか りを そ思 ふ 神 社考 引

本 朝僧 史

曰︑ 世

︑教

見太

身於

是弥 陀観 音勢 至

像 現

袈裟

云云

︒ 又 見于 続故 事談

︑四 巻︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 三六 二番

︒本 朝神 社考

︑一

︒続 古事 談︑ 四│ 一︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 本朝 神社 考﹄

﹁教 見太 神│ 教見 大神

﹂︒

﹇ 訳﹈

月の 前の 神祇 秋 の月 が岩 の間 から 湧き 出る 水に 映り 澄ん でい るに つけ ても

︑昔

︑僧 侶の 袖に 映っ た石 清水 八幡 宮の 後光 を思 うこ と だな あ︒ 本 朝神 社考 が引 く本 朝僧 史に よる と︑ 世間 では

︑教

︵と いう 僧侶

︶が 見た とこ ろに よる と︑ 八幡 神の 本来 の姿 が

︑こ こに おい て阿 弥陀 如来

・観 音菩 薩・ 勢至 菩 薩 の 三像 と し て袈 裟 の 上に 現 わ れ た︑ と言 わ れ てい る 云 々︒

― 113 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(17)

ま た︑ 続古 事談 の巻 四に 見え る︒

﹇ 考察

﹈当 歌の 第三 句﹁ 石清 水﹂ は︑ 普 通 名詞

︵岩 の 間 から 湧 き 出る 水

︶と 固 有 名詞

︵石 清 水 八幡 宮

︶を 掛 ける

︒第 四 句﹁ むか しの 袖﹂ は﹃ 本朝 神社 考﹄ など に見 える 説話 で︑ 八幡 神の 本来 の姿 は阿 弥陀 如来

・観 音菩 薩・ 勢至 菩薩 の 三 尊 で あ り︑ そ の 姿 が 袈 裟 の 袖 の 上 に 現 わ れ た と い う 話 を 踏 ま え る

︒そ の 僧 の 名 前 を﹃ 本 朝 神 社 考﹄ で は

﹁教

﹂︑

﹃ 続古 事談

﹄で は﹁ 行教

﹂と する

﹇ 参考

﹈﹃ 本朝 神社 考﹄ は林 羅山 の著 作で

︑諸 国の 神社 の 源 流 を考 証 し て神 仏 習 合を 非 難 し︑ 神 儒合 一 を 唱え た も の︒ 本 文異 同に は正 保二 年︵ 一六 四五

︶版 を使 用︒

︵ 廣瀬 薫︶ 釣夫 歌月

218秋 の水 すめ らは 何を あら 磯の 月に そな れて うた ふ舟 人 文 選︑ 漁

父 辞︒ 漁

父莞

而 笑

而去

︒ 乃

︑﹁ 滄 浪

之水 清

兮可

︒ 滄

之 水 濁

兮可

以濯

﹂︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑九 一一 番︒ 雪玉 集︑ 一五 三四 番︒ 文選

︑文 章篇 上︑ 七〇 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 釣 夫歌 月│ 漁父 棹月

︵柏 玉集

︶│ 歌 題ナ シ︵ 雪玉 集︶

﹂︒

﹃文 選﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

魚釣 りの 男性

︑月 に歌 う 秋 の水 が澄 んで いる なら ば何 を洗 おう かと

︑荒 波に も慣 れて

︑岩 の多 い海 岸で 月に 歌う 舟人 だな あ︒ 文 選

︑漁 夫 の 辞︒ 漁 夫 は に っ こ り と 笑 い︑ 櫂 を 音 高 く 漕 ぎ な が ら 去 っ て 行 っ た︒ そ し て︑ 歌 っ て 言 う に は︑

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 114 ―

(18)

﹁漢 水の 下流 の水 が清 らか に澄 んで いる 時は

︑そ の 水 で私 の 冠 の紐 を 洗 うこ と が で きよ う

︒漢 水 の下 流 の 水が 汚 く濁 って いる とき は︑ その 水で 私の 汚れ た足 を洗 うこ とが でき よう

︒﹂ と

﹇ 考察

﹈出 典は 屈原 の﹁ 漁夫

﹂︒ 世の 清濁 を川 の清 濁に たと えて

︑世 に正 道が 行わ れて いれ ば宮 廷に 出仕 し︑ 世が 乱れ て いれ ば官 を辞 すこ とを 歌う

︒当 歌の

﹁あ ら磯

﹂に

﹁洗 い﹂ を掛 ける

︵ 廣瀬 薫︶ 臨水 待月

219水 に近 きう てな のう へに 待出 て月 は手 にと る光 とや みん 宋 蘇鱗 詩︒ 近

云云

︒見 于萬 姓統 譜︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑八 二五 番︒ 萬姓 統譜

︑巻 一二

︑蘇 鱗︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 臨 水待 月│ 谷月

﹂︒

﹃ 萬姓 統譜

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

水辺 に臨 み月 を待 つ 水 辺に 近い 高殿 の上 で月 が出 るの を待 って いる と︑ 月は 手に 取れ る光 のよ うに 見え るだ ろう か︒ 宋 蘇鱗 の詩

︒水 辺に 立つ 楼台 では

︑他 所よ りも 先に 月が 見ら れる 云々

︒萬 姓統 譜に 見え る︒

﹇ 参考

﹈﹃ 万姓 統譜

﹄は 明の 淩廸 知の 撰︑ 百四 十六 巻︒ 万姓 を統 括し た系 譜と いう 意味 で︑ 上古 から 明の 中頃 まで の人 名 を︑ 二十 一史 の列 伝や 通志

・統 志・ 郡邑 志な どの 書中 から 抜抄 した もの

︵加 藤森 平︶ 布

引 滝

― 115 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(19)

220く れゆ かは いさ 此山 に待 出ん 月の ひか りも 布引 の滝 い せ物 語︒ いさ

︑こ の山 のか みに あり とい ふぬ の引 の瀧

︑見 にの ほら んと いひ て︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑八 二〇 番︒ 伊勢 物語

︑八 七段

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃伊 勢物 語拾 穂抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

秋の 布引 の滝 日 が暮 れて いく なら ば︑ さあ

︑こ の山 の上 にあ る布 引の 滝で

︑月 が出 るの を待 とう

︒月 の光 も布 引の 滝︵ のよ うに 降 り注 ぐだ ろう

︶︒ 伊 勢物 語︒

﹁ さあ

︑こ の山 の上 にあ ると いう 布引 の滝 を見 に登 ろう

﹂と 言っ て︒

﹇ 考察

﹈﹃ 伊 勢 物 語﹄ は︑ 男が 有 名 な滝 を 見 に登 山 し た 話︒ 布引 の 滝 は六 甲 山 の南 側

︑神 戸 市 を 流 れ る 生 田 川 上 流 の 滝

﹇ 参考

﹈﹁ ぬの びき の滝 とき きし は雲 ゐ より 月 の 光 のお つ る なり け り﹂

︵ 出観 集

︑四 一 九 番︑ 月映 滝 水︶

︑﹁ 山 か ぜ に雲 の しが らみ よわ から じ月 さへ おつ る布 曳の た き﹂

︵ 寂 蓮法 師 集︑ 三 四三 番

︒津 の 国の あ し 屋 とい ふ 所 にし ほ ゆ あみ け る時

︑ぬ のび きの 滝見 にま かり て︑ 月の 出づ るま であ りけ る︶

︵加 藤森 平︶ 秋声 221お もひ わく 身に こそ とま れ秋 の声 木の まに 有と 誰か いひ けん

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 四九 五番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

秋の 声

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 116 ―

(20)

秋 の声 は違 いが 分か るわ が身 に留 まる のに

︑秋 の声 は木 の間 にあ ると

︑誰 が言 った のだ ろう か︒

﹇ 考察 222﹈ 番歌 の出 典を 踏ま えて

︑秋 の訪 れは 木の 間で は な く︑ 雨音 な ど と枝 の 鳴 る音 と を 聞 き分 け ら れる わ が 身に 留 まる と詠 む︒

﹇ 参考

﹈﹁ い つ と ても 月 は かく こ そ あれ と て︑ 思 ひ わか ざ ら む人 は

︑無 下 に心 憂 か る べ き 事 な り︒

﹂︵ 徒 然 草

︑二 一 二 段

︶で は︑ 秋の 月を ほか の季 節の 月と 区別 する

︵大 杉里 奈︶

222た ち出 てし るへ き秋 の声 なら し只 月ほ しの 深き よの 空 秋 声賦 曰︑

﹁ 汝出

﹂︒ 童

曰︑

﹁星

月皎

河 在

︑ 四

樹 間

﹂︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑九 四七 番︒ 古文 真宝 後集

︑四 三頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃古 文真 宝後 集﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 秋の 声︶ 外 に出 て知 るこ とが でき る秋 の声 だな あ︒

︵ 雨音 で は なく

︶た だ 月 や星 が 輝 く夜 更 け の 空に

︵木 の 枝 が鳴 っ て いる の だな あ︶

︒ 秋 声賦 によ ると

︑﹁ お 前︑ 家の 外に 出て 調 べ て 見よ

﹂︒ 童 子 は言 っ た︒

﹁ 星や 月 が 白 く輝 い て 清ら か で︑ 天 の川 は 空に あり

︑あ たり には 人声 もな く︑ その 音は 樹の 枝の 間に 鳴っ てい る﹂ と︒

﹇ 考察

﹈﹁ 秋声 賦﹂ は歐 陽永 叔の 作で

︑風 雨や 人馬 の音 に聞 こえ たの は木 の枝 の鳴 る音 だと 分か り︑ それ を秋 の声 と捉 え て慨 嘆し た賦

﹇ 参考

﹈本 文異 同に は元 文五 年︵ 一七 四〇

︶版

﹃魁 本大 字諸 儒箋 解古 文真 宝後 集﹄ 巻上 を使 用︒

― 117 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(21)

︵大 杉里 奈︶ 秋関 223と ゝむ とも かへ りな れぬ る道 しあ れは 関の かた めや 秋に なか らん 朗 詠集

︒留 春不 用関 城固

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 四八 九番

︒和 漢朗 詠集

︑上

︑春

︑三 月尽

︑五 五番

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 和 漢朗 詠集 註﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

秋の 関所

︵過 ぎゆ く秋 を︶ 留め よう とし ても 帰り 慣れ た道 があ るの で︑ 関所 の固 めは 秋に は︵ 役に 立た

︶な いだ ろう か︒ 和 漢朗 詠集

︒過 ぎゆ く春 を引 きと める のに

︑関 所や 城門 の固 めは 何の 役に も立 たな いこ とだ

︵大 杉里 奈︶ 秋書 224天 とふ や鳥 のな かに も鳥 の跡 を秋 来る 雁に いか てつ けゝ ん 淮 南子

︒蒼 頡︑ 始視 鳥跡 之文

︑造 書契 云云

︒ 漢 書

︒蘇 武 伝 曰︑ 常

恵 請

︑与

夜 見

使

︑具

自 陳

道︒ 教

使

単 干

︑﹁ 天 子

帛 書

︑ 言

武 等 在

某 沢

﹂︒ 使

者 大

以 譲

︒ 単

干 視

左 右

而 驚

︒謝

使

曰︑

﹁ 武等 実

在﹂ 云々

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 四九 三番

︒淮 南鴻 烈解

︑巻 八︑ 本経 訓︒ 漢書

︑評 林巻 五四

︑李 広蘇 建伝 第二 四︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 118 ―

(22)

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 淮 南鴻 烈解

﹄ナ シ︒

﹃和 刻本 正史 漢 書︵ 二︶

﹄﹁ 謂 単干

│謂 単于

﹂﹁ 単 干単 干│ 単于 単于

﹂︒

﹇ 訳﹈

秋の 手紙 空 を飛 ぶ鳥 の中 でも 秋に 渡っ てく る雁

︵の 足︶ に︑ どの よう にし て文 字︵ が書 かれ た手 紙︶ を付 けよ うか

︒ 淮 南子

︒蒼 頡が 初め て鳥 の足 跡の 文様 を見 て︑ 文字 を作 った 云々

︒ 漢 書︒ 蘇武 伝に よる と︑ 常恵 はそ の看 守に 請い

︑そ の者 と一 緒に 夜︑ 漢の 使者 に会 い︑ みず から つぶ さに 事情 を 述 べ た︒ そ して 使 者 から 単 于 に︑

﹁天 子 が 上 林苑 内 で 射猟 し て 得た 雁 の 足 に帛 書 が 結 ん で あ り︑ そ れ に は︑ 武 らは 某の 沢中 にい ると 書か れて いた

﹂と 言う よう に教 えた

︒使 者は 大い に喜 び︑ 常恵 に教 えら れた 通り に言 っ て単 于を 責め た︒ 単于 は左 右の 者を 見て 驚き

︑漢 の使 者に 詫び

︑﹁ 武 らは

︑実 は生 きて いる

﹂と 言っ た云 々︒

﹇ 考察

﹈蒼 頡が 鳥の 足跡 を見 て文 字を 創作 した とい う伝 承か ら︑

﹁鳥 の跡

﹂は 文字 や筆 跡を 意味 する

︒ま た︑ 蘇武 の故 事 によ り︑ 雁は 手紙 を届 ける とさ れた

︵ 呉慧 敏︶ 秋祝 225よ もの 国た へぬ 田面 も更 に今 年有 秋と しる しつ くら し 江 次第

︒不 堪田 申文 云不 堪国 云云

︒大 弁巻

紙染

︑上

曰︑

﹁ 諸

国申 当年 不堪 佃田 事﹂ 云云

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 五〇 六番

︒江 家次 第︑ 巻第 九︑ 九月

︑不 堪佃 田申 文︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 江家 次第

﹄︵ 神道 大系

︶﹁ 不 堪田 申文 云不 堪国 云云

│ナ シ﹂

﹇ 訳﹈

秋の 祝い

― 119 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(23)

四 方の 国は 耕作 不能 だっ た田 地も

︑新 たに 今で は穀 物が よく 実る 秋だ と記 され るこ とだ ろう

︒ 江 家次 第︒ 不堪 田の 申文 によ る と︑ 不 堪 国云 々

︒大 弁 は紙 を 巻 き筆 を 染 め︑ 上 卿は

︑﹁ 諸 国︑ 当 年の 不 堪 佃田 の こと を申 す﹂ と言 う云 々︒

﹇ 考察

﹈当 歌は

︑凶 作だ った 田地 も稲 が 実 り︑ 朝廷 に 豊 作の 年 と 申請 で き る と祝 う

︒第 四 句の

﹁年

﹂は 古 代︑ 稲 作に よ り年 の区 切り を考 えた こと から

︑穀 物︑ 特に 稲︑ また 稲が 実る こと を意 味す る︒

﹇ 参考

﹈﹁ 不堪 佃田

﹂と は︑ 洪水 など によ り耕 作不 能と なっ た田 地︒ 荒廃 田︑ 荒田 とも いう

︒平 安時 代に は毎 年九 月七 日 に

︑諸 国 か ら当 年 の 不堪 佃 田 を中 央 に 報 告 さ せ る と い う 不 堪 田 奏 が 行 わ れ

︑そ の 報 告 を 不 堪 佃 田 申 文 と い う︒

﹁上 卿

﹂は 宮中 の公 事に おい て︑ 首席 者と して 臨時 に任 じら れた 者で

︑大 臣や 大・ 中納 言の 中か ら選 ばれ た︒

︵ 呉慧 敏︶ 秋神 祇 226秋 をへ て染 こそ まさ れ立 田山 紅葉 もあ かぬ 神や すむ らん 神 名帳 曰︑ 大和 国平 群

︑龍

坐天 御柱

︑国 御柱

︑神 社二 座︑ 龍田 比古

︑龍 田比 女︑ 神社 二座

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 五〇 二番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹁紅 葉も

│も みぢ に﹂

︒﹃ 延 喜式

﹄巻 九︵ 国史 大系

︶ナ シ︒

﹇ 訳﹈

秋の 神祇 秋 を経 過し て︑ ます ます 龍田 山は 色づ いた なあ

︒︵ 並 の︶ 紅葉 には 満足 しな い神 が住 んで いる のだ ろう か︒

神 名帳 によ ると

︑大 和の 国︵ 奈良 県︶ の平 群郡 の龍 田に

︑天 御柱 と国 御柱 の神 社が 二座

︑龍 田比 古と 龍田 比女 の 神社 が二 座あ らせ られ る︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 120 ―

(24)

﹇ 考察

﹈﹁ 神名 帳﹂ とは 神社 とそ の祭 神 の 名 を記 す 帳 簿で

︑特 に

﹁延 喜 神名 式

﹂︵ 延 喜 神名 帳

︶を 指 すこ と が 多い

︒ま た

﹁座

﹂は 祭神

︑仏 像な どの 数を 数え るの に用 いる 接尾 辞︒ 当歌 は︑ 龍田 山が 更に 紅葉 した のは

︑そ の山 の神 であ る 龍田 姫が 並の 紅色 では 不満 なの かと 詠む

︵竹 田有 佳︶ 秋歌 中 227朝 ほら け露 のか ゝれ るく もの ゐは 只し らき ぬの つゝ む春 かな い せ物 語云

︑其 滝︑ 物よ りこ とな り︑ 長さ 二十 丈︑ ひろ さ五 丈は かり なる 石の おも てに

︑し らき ぬに 岩を つゝ め らん やう にな ん有 ける

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 三九 三番

︒伊 勢物 語︑ 八七 段︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ つ つむ 春か な│ つつ む木 木か な﹂

︒﹃ 伊 勢物 語拾 穂抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

秋歌 の中 明 け方 に露 が掛 かっ てい る蜘 蛛の 巣は

︑ま るで 白絹

︵の よう な水

︶に 包ま れ︵ 濡れ

︶て いる 春の よう だな あ︒ 伊 勢物 語に よる と︑ その 滝は ほか の滝 とは 異な り︑ 長さ 二十 丈︑ 広さ 五丈 ほど の石 の表 面に

︑ま るで 白絹 で岩 を 包ん だよ う︵ に水 が流 れ落 ちて いる の︶ であ った

﹇ 考察

﹈﹃ 伊勢 物語

﹄は

︑男 が布 引の 滝︵ 220番 歌︑ 参照

︶を 見物 して 和歌 を詠 む話

︒当 歌は

︑秋 の朝 露が 掛か った 蜘蛛 の 巣を

︑春 雨に 濡れ たよ うだ と詠 む︒

︵竹 田有 佳︶

― 121 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

(25)

228小 鳥つ くる 枝も 色

!

"

か り衣 花を 折た る野 への かへ るさ 松 風の 巻︒ 小鳥 しる しは かり ひき つけ させ たる 荻の 枝な と︑ つと にし てま ゐれ り︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 七九 六番

︒源 氏物 語︑ 松風 巻︑ 四一 八頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 秋 歌中

│秋 二十 首﹂

︒﹃ 承 応﹄

﹃湖 月抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

︵ 秋歌 の中

︶ 小 鳥を 付け た枝

︵の 葉︶ も狩 衣の よう に色 とり どり で︑ 華や かな 衣装 を着 て︑ 野辺 で花 を手 折っ て帰 ると ころ だな あ 松 ︒ 風の 巻︒

︵ 若殿 たち は︶ 獲物 の小 鳥を ほん のし るし ばか り結 びつ けた 荻の 枝な どを

︑み やげ にし て参 上し た︒

﹇ 考察

﹈﹃ 源氏 物語

﹄は 源氏 やそ の取 り巻 きの 人々 が︑ 桂の 院で 饗応 をし てい ると

︑野 宿ま でし たの に狩 で大 物が 取れ な かっ た若 殿た ちが

︑小 鳥を 荻の 枝に 結 び 付 けて 桂 の 院に 参 上 した 場 面︒ 当 歌 の﹁ 枝も 色 々﹂ は 枝の 紅 葉︑

﹁ 色々 狩 衣﹂ は色 とり どり の狩 衣を 表わ し︑

﹁ 花を 折る

﹂は 衣装 を華 やか にす ると いう 意味 もあ る︒

︵ 平石 岳︶ 秋山 家 229露 もら ぬ岩 やの おく も尋 ねは や身 はか はほ りの 何な らぬ 世に 円 機活 法︑ 石洞

曰︑ 李太 伯︑

﹁ 余

聞荊

玉泉 寺︒ 近清 溪諸 山︑ 山

洞 往

︒々

多玉 泉交

︒ 有

白 蝙蝠

︒ 如

︒千

之後 躰如

︒蓋

飲乳

而長

也﹂

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 二三 六番

︒円 機活 法︑ 巻四

︑地 理門

︑石 洞︑ 乳窟

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

― 122 ―

(26)

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 秋 山家

│山 家﹂

︒﹃ 円 機活 法﹄

﹁李 太伯

│李 太白

﹂﹁ 玉 泉寺

│上 泉寺

﹂︒

﹇ 訳﹈

秋の 山中 の家

︵長 命の 蝙蝠 がい ると いう

︶露 がま った く漏 れな い 岩 窟の 奥 も 訪ね て み たい も の だ︒ わ が身 は 蝙 蝠︵ のよ う に 日陰 者

︶で

︑取 るに 足り ない 世の 中な のだ から

︒ 円 機活 法︑ 石洞 の部 によ ると

︑李 白は

︑﹁ 私 は 荊 州の 玉 泉 寺に つ い て︑ この よ う に 聞い て い る︒ 近く に 清 らか な 谷や 山々 があ り︑ 山の 洞に はあ ちこ ちに 鍾乳 窟が ある

︒洞 窟の 中に は美 しい 泉が 多く 交わ り流 れて いる

︒白 い 蝙蝠 がい て︑

︵ 大き さは

︶鴉 ぐら いも ある

︒︵ 蝙蝠 は︶ 千歳 にな ると

︑体 は白 雪の よう にな る︒ 思う に︑ 鍾乳 窟 の水 を飲 むと 長生 きす るの であ ろう

﹂と いう

﹇ 考察

﹈当 歌は

﹁露

﹂に 副詞 の﹁ つゆ

﹂を 掛け

︑厭 世観 を詠 む︒

﹇ 参考

﹈出 典は 李白 の詩

﹁答

族 姪 僧中 孚 贈

玉泉 仙 人 掌茶

﹂の 序 の一 節 で︑

﹃ 李 白集

﹄下

︑巻 十 八︵ 続 国訳 漢 文 大成

﹃李 白全 詩集

﹄3

︶に も収 録︒

︵ 平石 岳︶ 駅路 鹿 230こ ゝろ なき むま やの おさ もう き秋 にお とろ く程 のさ ほし かの 声 大 鏡︑ 第二

︑菅 家︒ 駅︱ノ

長 莫

︑一

栄 一

落 是

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 八〇 九番

︒大 鏡︑ 七六 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 大鏡

﹄︵ 整版

︶﹁ 駅 長莫 驚│ 騎長 無驚

﹂︒

― 123 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 秋 部

︵ 下

参照

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