アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起 絵巻 : 承久本絵巻の価値の「発見」をめぐって
著者 竹居 明男
雑誌名 文化學年報
号 63
ページ 84‑108
発行年 2014‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027766
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起 絵巻 : 承久本絵巻の価値の「発見」をめぐって
著者 竹居,明男
雑誌名 文化學年報
号 63
ページ 84‑108
発行年 2014‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027766
ア ー ネ ス ト ・ F ・ フ ェ ノ ロ サ と 承 久 本 北 野 天 神 縁 起 絵 巻
│
│ 承 久本 絵 巻 の価 値 の
﹁発 見
﹂ をめ ぐ っ て│
│
竹 居 明 男
は じ め に 周
知の よ う に︑ 承 久 本 北 野 天 神 縁 起 絵 巻 八 巻
︵北 野 天 満 宮 蔵
︒別 に 白 描 下 絵 一 巻︑ 梅 樹 蒔 絵 箱 一 合 が 付 属 す る
︶ は
︑中 世全 般を 通じ て多 数制 作 され た
﹁北 野 天神 縁 起 絵巻
﹂︵ 現 存 す るも の だ けで も 30約 点︶ の 中で
︑最 古
・最 優 の 作 品で
︑﹁ 根 本縁 起﹂ とも
︑あ るい は詞 書 中 に﹁ 承久 元 年︿ 己 卯﹀ 今に い た る まで
﹂云 々 と 見え る と ころ か ら
︵承 久 元 年は 一二 一九 年︶ 承久 本と も呼 ばれ てい る︒ また
︑料 紙を 縦に つな いだ 天地 52約 セン チと いう 現存 絵巻 最大 の大 画 面 に迫 力あ る場 面が 展開 し︑ 社寺 縁起 のみ なら ず広 く絵 巻物 の歴 史の 中で も︑ その 美術 史的 価値 は今 日ほ ぼ定 まっ て お り︑ 天神 縁起 の類 本中 では 唯一 国宝 に指 定さ れて いる 作品 であ る!
︒ しか しな がら 本作 品に つい ては
︑﹁ 未 完﹂ とし か言 いよ うの ない 現状
︵天 神縁 起の 定型 スト ーリ ーの うち
︑﹁ 日蔵 六 道 めぐ り﹂ の段 の途 中で 終わ り︑ 肝心 の天 満宮 創立 以降 に及 んで いな い︒ ただ し︑ 残存 する 白描 下絵 によ り︑ 内容 的 に はほ ぼ縁 起の 終末 まで 及ん でい る事 が判 明し てい る︶ をめ ぐる 問題 のほ か︑ 制作 年代
︑作 者︑ 制作 の動 機や 注文 者
― 84 ―
の 問題 など
︑な お諸 説紛 々で 未解 決の 問題 点が 少な くな い︒ さら に︑ 第一 巻の 慶長 四年
︵一 五九 九︶ 七月 七日 付の 覚 円 親 王︵ 曼 殊院 良 恕︶ の 奥書 に は︑ 北 野 社に お け る﹁ 聖廟 縁 起﹂ 紛 失を 受 け て の 捜 索 の 結 果︑ 本 絵 巻 が﹁ 泉 南 大 寺
︵
=
堺の 念仏 寺す なわ ち現 開口 神社︶﹂ で﹁ 再 発見
﹂さ れ て︑ 北 野社 に 返 還さ れ る 経 緯が 記 さ れて い る が︑ そ もそ も
︑ 本 絵巻 が北 野社 内に おい て︑ どの よう な位 置付 けで あっ たか とい う点 も︑ なお 未解 明の 課題 とし て残 って いる
︒ 筆者 は︑ かつ て︑ 日本 フェ ノロ サ学 会第 二二 回大 会︵ 二〇
〇一 年九 月二 十二 日︑ 於平 安女 学院 大学
︶に おい て﹁ 承 久 本北 野天 神縁 起絵 巻の
﹁発 見﹂
﹂ と題 する 講演 を 行 ない
︑本 作 品 をめ ぐ る 上 記の 問 題 点の う ち︑ 慶 長元 年
︵一 五 九 六
︶に おけ る本 絵巻 自体 の﹁
︵ 再︶ 発見
﹂﹂ を中 心と した 話題 を第 一部 とし
︑つ づく 第二 部に おい て︑ 本作 品の 日本 美 術 史な いし 文化 史上 の﹁ 価値
﹂の
﹁発 見﹂ にお ける フェ ノロ サや 岡倉 天心 の役 割を 論じ た︒ その うち 第一 部は
︑す で に 成稿 の上
︑刊 行を 見て いる ので
"
︑本 稿で は右 第二 部の 内容 を︑ 講演 後の 研究 成 果 に 基づ く 資 料や 知 見 を増 補 し な が ら︑ この 機会 に改 めて まと めて おき たい と思 う︒ 一︑
江 戸 時代 後 期 にお け る 承久 本 北 野天 神 縁 起絵 巻 に つい て の 知見 慶長
元年 の﹁ 再発 見﹂ 以降
︑北 野社
︵北 野天 満宮
︶に
﹁秘 蔵﹂ され たと 推定 され る承 久本 絵巻 につ いて
︑社 外に お い ては どの よう に認 識さ れて いた であ ろう か︒ 江戸 時代 後期
〜明 治時 代を 中心 に︑ 当時 は︵ 伝︶ 藤原 信実 筆の 絵巻 と し て認 識さ れて いた 様相 をう かが って おき たい
︒︵ 以 下︑ 引用 史料 の傍 線は 筆者
︶
!
﹃ 本朝 画史﹄︵ 狩 野永 納撰
︒元 禄六
︵一 六九 三︶ 年刊 行︶
― 85 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
︵ 巻二
﹁上 古画 録﹂ の﹁ 藤原 信実
﹂の 項に 承久 本の こと は見 えな い︶
!
﹃ 倭錦﹄︵ 編 者住 吉広 行は 文化 八︵ 一八 一一
︶年 歿︶ の﹁ 信実
﹂の 項︹ 真保 亨﹃ 北野 聖廟 絵の 研究
﹄に よる
︺ 北野 神宝 天神 縁起
詞自 書
"
﹃ 増訂 古画 備考
﹄︵ 朝 岡興 禎︹ 安政 三︵ 一八 五六
︶年 歿︺ 編︑ 太田 謹補 訂︶
︵ 巻二
﹁廷 臣一
﹂の
﹁藤 原信 実朝 臣﹂ の項 に承 久本 のこ とは 見え ない
︶
#
﹃ 本 朝画 人 伝﹄︵ 古筆 了 仲︹ 文 政三
︵一 八 二
〇︶ 年〜 明 治二 十 四︵ 一 八九 一
︶年
︺編
︶巻 五 の﹁ 信 実﹂ の 項︹ 筆 者 架蔵 の昭 和初 年の 写本 によ る︺ 遺 蹟著 名之 品 一 栄花 物語
一 歌仙 残欠 一 三十 六歌 仙巻 物 一 歌仙 人物 上畳 残欠 一 建保 中殿 御会 図 一 人丸 色紙 并手 持色 紙 一 普賢 十羅 刹女 一 住吉 玉津 島神 影 一 天満 宮神 影
一 定家 卿肖 像 一 大黒 天
一 北野 神宝 天神 縁起
$
﹃ 訂正 増補 考古 画譜﹄︵ 黒 川春 村︹ 寛政 十一
︵一 七九 九︶
〜慶 応二
︵一 八六 六︶ 年︺ の遺 稿に 黒川 真頼
︹文 政十 二
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 86 ―
︵一 八二 九︶
〜明 治三 十 九︵ 一九
〇 六︶ 年︺
・ 古川 躬 行 が加 筆 増 補 して 明 治 十五
〜三 十 四︵ 一 八八 二
〜三 四
︶年 に か けて 刊行
︒つ いで 片野 四郎 が増 補し て明 治四 十三
︵一 九一
〇︶ 年刊 行︶ 巻八 天満 宮縁 起︿ 北野 社蔵
︑称 根本 縁起
﹀ 八巻 画
︑信 実朝 臣︑ 詞︑ 後京 極摂 政︑ 北野 縁起 八巻
︑画 稿一 巻︑ 本社 所蔵
︿但
︑画 稿︑ 原所 貼於 本巻 裡面
︑今 集 為 一巻
﹀︑ 倭 錦云
︑信 実︑ 北野 神宝 天神 縁起 詞
︑四 筆 第 一巻 跋云
︑⁝
⁝ 第 二巻 已下 記云
︑⁝
⁝ 貫 雄 曰︑ 詞 書︑ 後京 極 殿 と伝 へ た れ ども
︑光 明 峯 寺殿 な ら んと 或 人 い へ り
︑此 絵
︑信 実 朝 臣 老 後 の 筆 に し て
︑為 継卿 の合 作な るべ くお ぼゆ
︑ 躬 行曰
︑⁝
⁝
︹ 補︺ 真頼 曰︑ 信実 朝臣 の画 がけ る北 野縁 起は
︑巻 物の たけ 一尺 七寸 ばか りあ り︑ みご とな るも のな り︑
!
﹃ 画人 伝補 遺﹄︵ 編者 西村 兼文 は明 治二 十九
︵一 八九 六︶ 年歿
︶︹ 日本 絵画 論大 系に よる
︺ 信実 朝臣
⁝
⁝其 画ノ 著名 ナル ハ左 ニ 一 北野 縁起 北 野神 社蔵
一 華 厳絵 縁起 栂 尾高 山寺 蔵 一 人麿 画像 二 条新 地寂 光寺 蔵
一 三 十六 歌仙 絵︿ 畳ミ 有無 二種 アリ
﹀
一 道 風朝 臣像
"
﹃ 日本 芸術 資料
﹄鎌 倉時 代︵ 森
#
外墨 書自 筆︒ 森#
外は 文久 二︵ 一八 六二︶〜 大 正十 一︵ 一九 二二
︶年
︶︹ 全集 に よ る︺
― 87 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
○藤 原信 実︒
⁝⁝ 遺蹟 は栄 花物 語︑ 歌仙 残欠
︑三 十六 歌仙 巻物
︑歌 仙人 物上 ケ畳 残欠
︑建 保中 殿会 図︑ 人麿 色紙 並手 持料 紙︑ 普 賢十 羅刹 女︑ 住吉 玉津 島神 影︑ 天満 宮影
︑定 家像
︑大 黒天 図︑ 北野 神宝 天神 縁起
︒ 以上
︑管 見の 限り では
︑承 久本 絵巻 とお ぼし い作 品が 再び 登場 する のは 十八 世紀 末〜 十九 世紀 初頭 の﹃ 倭錦
﹄︵
"
︶ が 最初 で︑ かつ 当初 か ら 作者 が
﹁︵ 藤 原︶ 信実
﹂と 目 さ れ て来 た こ とが 判 明 する
︵
$
〜
%
︶︒ 同 時 に︑
﹃本 朝 画 史﹄ や
﹃古 画備 考﹄
︵
!
と#
︶で は︑ 信実 作と は見 られ てい ない こと も注 意を 要し よう
︒ 周知 のよ うに
︑藤 原 信実
︵一 一 七 六?
〜一 二 六五
?︶ は︑
﹁ 似絵
﹂の 名 手 と して 名 高 い父 隆 信︵ 一 一四 二
〜一 二
〇 五
︶と 同様
︑絵 画や 和歌 にす ぐれ
︑正 四 位下 右 京 権大 夫 に 至っ た
︒大 阪 水 無瀬 神 宮 伝来 の
﹁後 鳥 羽 院像
﹂︵ 国 宝︶ が 代 表作 とさ れ︑ 他に
﹁随 身庭 騎 絵 巻﹂
︵大 倉 文 化財 団 蔵︑ 国 宝︶
︑佐 竹 本
﹁三 十 六歌 仙 絵 巻﹂
︵諸 所 分 蔵︶ も信 実 と そ の 一族 の画 家と の共 同制 作と する 説も ある が&
︑ 承久 本絵 巻を 信実 作と する 見 方 は︑ 現 在で は ほ とん ど 認 めら れ て い な い︒ そし て同 時に
︑こ の時 期ま での 承久 本絵 巻の 記述 では
︑作 品自 体の 価値 や日 本美 術史 ない し文 化史 上の 位置 付 け がほ とん ど何 もな され てい ない 点に も注 意し てお く必 要が ある
︒ 二︑
明 治 時代 の 宝 物調 査 と 承久 本 絵 巻
︵一
︶フ ェノ ロサ と承 久本 絵巻 結論 を先 取り する なら ば︑ 承久 本絵 巻の 作品 とし ての
﹁価 値﹂ の発 見と
︑本 格的 な日 本美 術史 記述 への 位置 付け は
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 88 ―
フ ェノ ロサ と岡 倉天 心に よっ て初 めて なさ れた と言 える が︑ その 背景 には 明治 新政 府の もと での 本格 的な 宝物
︵文 化 財
︶調 査の 成果 が反 映し てい たと 考え られ る︒ ただ し︑ フェ ノロ サと 天心 とで は︑ 微妙 な違 いも あり
︑そ の点 にも 留 意 しな がら
︑両 者が 遺し た承 久本 絵巻 につ いて の言 説を 次に 追っ て行 きた い︒ そも そも 近畿 地方 を中 心と した
︑明 治の 宝物
︵文 化財
︶調 査は
︑明 治五 年以 降︑ 十二 年︑ 十七 年︑ 十九 年︑ 二十 一 年 の数 度に 及び
︑フ ェノ ロサ と天 心は 明治 十七 年度 以降 に参 加し た︒ とり わけ 明治 二十 一年 度は 臨時 全国 宝物 取調 局 の 設置 をは さん だ大 規模 なも ので
︑近 代的 な 博物 館 の 設置 や
︑﹁ 日 本美 術 史
﹂記 述 の基 礎 と なっ た
︑重 要 な調 査 成 果 を も た らし た 画 期的 な も の と し て︑ 近 年 注 目 を 浴 び て き て お り#
︑や が て 明 治 三 十
︵一 八 九 七︶ 年 の﹁ 古 社 寺 保 存 法
﹂制 定に もつ なが って いっ たの であ る︒ そう した 中で
︑ま ずフ ェノ ロサ
・天 心と 承久 本絵 巻と の関 わり を︑ 主と して 村形 明子 氏の
﹃ア ーネ スト
・F
・フ ェ ノ ロ サ 文書 集 成﹄ 上$
︑ な らび に 藤 井 譲治
﹁フ ェ ノ ロサ と 天 神縁 起
﹂︵ 一︶ 及 び︵ 二︶% に 従 って
︑年 譜 風 に概 観 し て お くと 次の よう にな る︒ 明治
十四
︵一 八八 一︶ 年八 月十 九日
︵北 野天 満宮
﹁社 務日 誌﹂
︶ フ ェノ ロサ の﹁ 八之 巻一 ケ所 模写 仕度 段懇 願﹂ によ り︑ 本日 より 一週 間︑ 狩野 友信 が参 入し て模 写す る︒ 明治 十五
︵一 八八 二︶ 年八 月四 日・ 五日
︵同 右︶ 四 日︑
﹁ 兼テ 信実 ノ筆 ナル 当 社御 縁 起 之画 ヲ 称 賛﹂ し てい た フ ェノ ロ サ が︑ その
﹁評
﹂を 持 参 す る︒
"
後 掲
!
参 照 原文 は﹁ 東京 大学 哲学 教授 米国 人フ ェノ ロサ 氏ハ 兼テ 信実 ノ筆 ナル 当社 御縁 起ノ 画ヲ 称賛 サレ シガ︑本 日右 画
― 89 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
ノ評 ヲ認 メ自 ラ持 参シ 来ル
︒時 晩飯 ニ際 シ候 ニ付
︑些 ノ酒 肴ヲ 調ヘ コレ ヲ饗 ス︒ 且右 評ハ 横文 ナル ヲ以
︑通 弁 人某 ヲ請 ヒ︑ 禰宜 吉見 資胤
︑主 典佐 野常 忠コ レヲ 訳記 ス︒
﹂ 五 日︑ フェ ノロ サ︑
﹁ 当社 根本 縁起 拝見
﹂の 予定 であ った が︑
﹁大 風﹂ につ き不 参#
︒ 原文 は﹁ 本日 米国 人フ ェノ ロサ 氏︑ 当社 根本 縁起 拝見 致旨 疇昔 約定 致置 候所
︑大 風ニ 付不 参之 趣申 来︑ 当明 后 七日 ヲ期 参上 致候 旨依 頼之 事︒
﹂ 明治 十七
︵一 八八 四︶ 年七 月二 十二 日︵ 同右
︶ 京 都府 庶務 課社 寺掛 の照 会に よ り︑ フェ ノ ロ サ︑ 岡倉 覚 三 らが
﹁当 社 根 本 縁起 并 御 障子 之 画︹ 舞 楽 図︺
﹂を 拝 見 す る︒
"
後 掲
!
参照 原文 は﹁ 予テ 京都 府庶 務課 社寺 掛ヨ リ照 会有 之︒ 東京 大学 教授 米国 人フ ェノ ロサ 氏外 一名︑文 部省 御用 掛岡 倉 覚三
︑当 社根 本縁 起并 御障 子之 画拝 見致 度旨 ニ付
︑本 日午 前八 時入 来事
︒﹂ 明治 二十 一︵ 一八 八八
︶年 七月 十七 日︵ 同右
︶
﹁九 鬼図 書頭 并随 行員
﹂フ ェノ ロサ が﹁ 宝物
﹂を 拝観 する
︒
﹃ 日出 新聞
﹄同 年七 月三 十一 日付
︵第 一〇
〇五 号︶ の﹁ 美術 取調 員随 行日 記︵ 承前
︶﹂ に︑ 次の よう に見 える
︒
﹁十 七日 より 廿日 迄に 巡覧
︵中 略︶ せし 中に 於て 優等 と思 はる ヽも のを 記す れば
︑北 野神 社の 天神 縁起 八巻
︑ 藤 原 信 実画
︑は 稀 世 の逸 品 に し て︑ 其楼 閣 の 結構
︑人 物 の 容貌 及 び 山 水
・樹 木 筆 々 生 動︑ 殊 に 清 凉 殿 の 落 雷
︑地 獄の 火焔 など
︑其 筆力 の遒 勁︑ 其意 匠の 変化 誠に 驚く べく
︑画 き出 すと ころ の鬼 物一 とし て妙 なら ざ る なし
︒而 して 色の 配合 最も 宜く
︑同 じ青 虹の 一色 にて も︑ 濃淡 に由 て種 々の 色を 顕は し其 変化 を顕 し︑ 実 に 展観 飽く なき の思 あり
︒此 縁起 は八 巻を 以て 了る にあ らず
︑尚 ほ書 き続 くの 趣向 なり しと 見え
︑別 に一 巻
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 90 ―
の 下絵 あり
︑左 れど も右 の下 絵の 分に ては 未だ 完備 に至 らず
︑更 に幾 巻を 足す の工 夫な りし こと は其 縁起 の 結 局に 及ば ざる を見 て明 なり
︒又 此縁 起は 一時 紛失 して 其所 在を 失ひ しを
︑慶 長年 中探 し出 して 北野 に奉 納 せ し趣
︑覚 円親 王の 筆に て巻 末に 付記 せら る︒ 是に 拠る とき は八 巻の 外尚 ほ幾 巻あ りし も︑ 紛失 した る儘 発 見 し得 ざり しも のな るや も知 るべ から ず︒ 兎に 角絵 縁起 中︑ 此巻 に勝 るの 品は 世間 恐ら く之 れあ るを 知ら ざ る なり
︒﹂! 同年 七月 二十 日︵ 同右
︶ フ ェノ ロサ と小 川一 真が
﹁御 縁起 並御 衝立 御屏 風等
﹂を 写真 撮影 する
︒ 同年 八月 九日
︵同 右︶
﹁信 実所 画ノ 当社 縁起 並衝 立﹂ に﹁ 内務 文部 宮内 三省
﹂の 検査 済の 捺印 をす る︒ 明治 二十 九︵ 一八 九六
︶年 九月 二十 六日
︵メ アリ ー夫 人の 日記
"
︶ フ ェノ ロサ 夫妻
︑北 野天 満宮 にて 縁起 絵巻 を拝 見す る︒ 原文 は﹁ 昼食 後平 井が 来た
︒私 たち はア ーネ スト がし きり に話 題に した ノブ ザネ
︵信 実︶ の絵 巻を 見に
︑三 人 でミ チザ ネ︵ 道真
︶の 大き な神 社へ 出発 した
︒ 二 人の 神官 は感 じが よく 威厳 があ り︑ 言葉 数は 少な めだ った が親 切だ った
︒お 茶と 美し い菓 子を 出し てく れ た︒ 話を して いる うち に宝 物の 箱が 運ば れて きた
︒私 は彼 らが それ を開 ける のを 見守 った
︒ま ずブ ロン ズの 留 金 のあ る 木 箱︑ 次に 普 通 の蓋 を し た︑ 古 い漆 塗 の 箱︑ それ か ら 身 と同 じ 深 さの 蓋 を 持 つ︑ も う 一 つ の 漆 塗 の 箱︒ この 中に 黄色 い布 に幾 重に も巻 かれ て絵 巻が 保存 され てい た︒ アー ネス トの かつ ての 賛辞 とそ の邦 訳が 添 えて あっ た︒ 彼ら は絵 巻を 一巻 ずつ 解き
︑長 い卓 の上 に広 げた
︒ア ーネ スト の講 演や 写真 から
︑主 題も 絵の 多
― 91 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
くも 私に はな じみ 深い もの にな って いた が︑ 色彩 の華 麗な 群衆 や地 獄の 場面 の大 きな 焔の 燃え さか る恐 怖は 予 想以 上だ った
︒一 一歳 の少 年道 真が 父の ため に詩 を作 る場 面は かわ いら しく 素敵 だ︒ 絵巻 はま さに 圧巻 で︑ 神 官た ちは アー ネス トの 熱意 を快 く思 った よう だ︒ 彼 らは 彼ら の知 って いる 若い 画家 にど れか 一場 面を 模写 させ る︑ とい う寛 大な 提案 をし た︒ アー ネス トは す ぐに 階段 の場 面を 選ん だ︒ こ の神 社の 全体 的雰 囲気 は慎 み︑ 気品
︑都 雅で ある
︒ア ーネ スト によ れば
︑彼 らは この 帝国 中で 最高 級の 神 官︑ 天皇 陛下 その 人に 近し いそ うだ
︒﹂ 以上
︑フ ェノ ロサ の来 日は 明治 十一
︵一 八七 八︶ 年の こと であ るか ら︑ 来日 間も ない 頃か ら承 久本 に関 心を 持ち は じ め︑ 早く から 同絵 巻を
﹁称 賛﹂ し︑ 遅く とも 明治 二十 一年 まで に部 分的 また は全 巻に わた って 観覧 し︑ さら に部 分 的 で は ある が 画 家や 写 真 家 に模 写
・写 真 撮影 さ せ てい た こ と がわ か る が︑ 最初 の 観 覧の 時 期 等 につ い て は 未 詳 で あ る
︒ 次に
︑フ ェノ ロサ の承 久本 絵巻 に関 する 言説
︵な らび に︑ それ に準 じる もの
︶を 網羅 的に たど って おく と次 のよ う に なる
︒
!
明 治十 五︵ 一八 八二︶年 八月 四 日付
﹁米 国 人 フヱ ノ ロ サ御 縁 起 評﹂
︵ 村形 明 子﹃ ア ーネ ス ト・ F・ フ ェノ ロ サ 文 書 集 成
﹄上
︒な お 浅 井 與 四 郎﹃ 北 野 の 史 実
﹄"
参 照︒ フ ェ ノ ロ サ 自 筆 の 原 文 は 英 文 だ が︑ 以 下 に は︑ 付 随 す る
﹁直 譯﹂ を縦 書に 変え
︑ま た適 宜句 読点 を付 して 掲載 する
︶
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 92 ―
直譯 北 野神 社所 蔵藤 原信 実ノ 筆 菅原 道真 公ノ 伝巻 物ノ 評 今猶 世ニ 存ス ル古 物及 ヒ伝 記ヲ 以テ 見ル モ︑ 此巻 物コ ソ大 日本 国固 有ノ 画風 ニ属 スル モノ ノ内 ノ尤 モ広 大ナ ル モノ タル 事明 白ナ レ︒ 此ノ 巻物 コソ 日本 ノ古 今ニ 於テ 信実 ガ最 上ノ 画工 ナリ シコ トヲ 証ス ル唯 一物 ナレ
︒此 巻 物 ニ較 ヘ 見 ルト キ ハ︑ 世 ニ信 実 ノ 真 筆ナ リ ト 言伝 フ ル 所 ノ諸 ノ 画 ハ真 ニ 非 ル事 ヲ 知 ル ベ シ︒ 運 筆 ノ 雄 健 ナ ル 事︑ 彩色 ノ美 麗ナ ル事
︑思 想ノ 高尚 ナル 事︑ 其手 法ノ 直載 ニ且 可驚 厳正 ナル 事︑ 及其 ノ指 図ノ 荘厳 等ヲ 以テ 見 ルト キハ
︑此 国ノ 美術 上ノ 重宝 ノ中 ニテ 此巻 物 ニ比 ス ヘ キモ ノ ナ シ︒ 又タ 此 図 ノ 製作 サ レ タル 時 代 ノ 教育 ト
︑ 此図 ノ下 ニ伏 スル 伝説 トヲ 斟酌 シテ
︑今 其辟 アル 処ヲ 去テ 能ク 其要 点ノ ミヲ 考ヘ 見ル トキ ハ︑ 此巻 物ノ 日本 ノ 美術 ニ於 ケル ハ猶 タン テイ ノ詩 ノ欧 羅巴 ノ文 学ニ 於ル 如ク 赫々 タリ
︒世 ノ人 ガ此 巻物 ヲ以 テ全 世界 中ノ 美術 上 ノ最 貴重 物ノ 内ニ 算入 スル ニ至 ルノ 日ハ 屈指 シテ 待ベ キノ ミ︒ 去レ バ此 巻物 コソ ハ希 世ノ 宝物 トシ テ︑ 又日 本 国ノ 偉大 ヲ示 スベ キ標 記ト シテ 十分 ノ注 意ヲ 尽シ 保護 シ置 クヲ 要ス 可キ モノ トス
︒ エ ル子 スト エ フ フエ ノロ サ│
│東 京大 学哲 学教 授│
│千 八百 八十 二年 八月 四日 於 京都
*農 商務 省博 覧会 掛主 催の 第一 回内 国絵 画共 進会
︵明 治十 五年 十月 一日
〜十 一月 二十 日︶ には
︑社 寺所 有の 絵 巻 類も 陳列 され
︑同 年 発行 の
﹁古 画 出品 目 録﹂ の﹁ 信 実筆
﹂﹁ 北 野 天 神縁 起
﹂の 項 には
﹁米 人 フ ェノ ロ サ 氏 ノ 評 文 ニ曰 ク
﹂と し て︑ 右の 文 章 が 要約 掲 載 され て い る"
︒ な お︑
﹃東 洋 絵 画 叢 誌﹄ 第 三 集︵ 明 治 十 七︵ 一 八 八四
︶年 十二 月発 行︶ には
︑こ の﹁ 直譯
﹂の 訂正 前の 原文 の要 約と 思わ れる もの が掲 載さ れて いる
︒
!
フ ェノ ロサ﹁京 都社 寺什 宝調 査メ モ﹂
︵ 明治 十七
︵一 八八 四︶ 年七 月︶
︹村 形明 子﹃ フェ ノロ サ資 料﹄ 第一 巻︺ 北野
︹天 満宮
︺
― 93 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
信実 筆 天神 縁起 広貴 筆 舞楽 図 光起 筆 天神 縁起
︹三 巻︺ 光信 筆
〃 三 巻 行光 筆
〃
︹三 巻︺ 行光 筆 天満 宮縁 起 道真 画像
!
A﹃東 亜美 術史 綱﹄
︵ 有賀 長雄 訳︑ 大正 十︵ 一九 二一
︶年 刊行
︶
!
B﹃東 洋美 術史 綱﹄
︵ 森東 吾訳
︑上 巻昭 和五 十三
︵一 九七 八︶ 年︑ 下巻 昭和 五十 六︵ 一九 八一
︶年 刊行
︶
* 原著
﹃
EPOCHS OF CHINESE AND JAPANESE ART
﹄は
︑フ ェノ ロサ が一 九〇 八年 八月 にロ ンド ンで 客 死し た後 の一 九一 二︵ 大正 元︶ 年に 刊行 され たも のだ が︑ 巻頭 のメ アリ ー夫 人の 序文 によ ると
︑一 九〇 六 年夏 に︑ 約三 か月 で鉛 筆で 書き 上げ た荒 削り な草 稿を もと にし たも のと いう
︒ 以下 は︑
﹁ 日本 の封 建美 術﹂ の章 の一 節 で︑ 紙 幅の 都 合 で︑ 今回 は 森 東 吾訳 を 掲 載し
︑有 賀 訳 との 若 干 の 相違 箇所
︵傍 線を 付し た︶ につ いて は︑ 引用 末尾 に私 注を 加え た︒ し かし
︑絵 巻物 形式 にお ける 信実 の最 大の 傑作 は│ 土佐 派全 体を 通じ て最 大の 傑作 とは いえ ない にし ても
│ 藤 原家 と は 対立 的 立 場に あ る
︑延 喜 時代 の 学 者宰 相
︑菅 原 道 真一 代 の 事蹟 を 描 く
﹁北 野 天 神 縁 起﹂ 八 巻 で あ る︒ この 画巻 は︑ デー モン に憑 かれ たよ うな 線描 によ って 表現 され
︑力 感に 溢れ
︑か つ個 性的 であ るた め︑ そ の描 法は
︑ホ イス ラー の粗 笨な 作品 のよ うに
︑稚 拙に 歪曲 され てい るよ うに みえ る︒ だが その 効果 は最 も強 烈
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 94 ―
で︑ 私は 再三 再四 この 巨大 な絵 巻と 対坐 し︑ これ を繙 く機 会を もっ たが
︑そ の都 度︑ ワグ ナー のオ ペラ を観 覧 して いる 時の よう に︑ 背筋 のピ クピ クと 走る のを 覚え
︑両 眼に 涙を 浮か べて いた
︒こ の時 の心 身の 感銘 は︑ 私 の 知る ど の 作品 に も まさ っ て 大 きい
︒こ の 魅 力は 彼 の ユ ニー ク な 配色 の 妙 から 生 ま れ る の で︑ 白 黒 の 写 真 で は︑ その すば らし い効 果の 大半 が失 われ てし まう
︒そ の色 調は
︑鈍 いピ ンク 色︑ やや 赤味 を帯 びた 藤色
︑オ リ ーブ 色の あら ゆる 明暗 にわ たっ てい ると はい え︑ 主と して
︑黒 ずん だ青
︵黒 一色 より も実 際に は黒 を鮮 かに 印 象さ せる
︶に 対し て鮮 明な オレ ンジ 色を すさ まじ く対 照さ せて いる 点に ある
︑と いっ てよ い︒ この 深味 は︑ 光 沢の ある 黒色 のう えに 粉末 の群 青を 塗り
︑さ らに これ を不 透明 色で ぼか すこ とに よっ て得 られ る︒ 物語 風の 印 象主 義作 品の 中で
︑こ れが 世界 でも 最大 の傑 作で ある
︒ こ の絵 巻は
︑藤 原時 代の 悲劇 を鎌 倉風 の強 烈さ で写 実的 に描 出し てい る物 語で ある
︒菅 原道 真は 誇り 高き 貴 族の 子と して 生ま れ︑ 弓矢 の道 と学 問と 音楽 とを しつ けら れて 育っ た︒ 第一 巻は この 経過 を描 いて いる
︒彼 の 元服 を祝 うた めに
︑駕 籠に 乗り
︑あ るい は馬 に跨 って 寺に 赴く 貴人 の行 列が 長々 と続 く︒ 信実 は︑ この 時︑ 風 にい なな いて 跳躍 する 馬の 姿態 を描 いて いる
︒ヨ ーロ ッパ では
︑ル ーベ ンス を除 いて は︑ 誰も こう いう 姿態 を とり あげ ては いな い︒ 緋の 馬飾 をつ け︑ 前足 を高 くあ げて 躍る 馬は
︑チ ョコ レー ト色 とク リー ム色 をに じま せ て描 写さ れて いる
︒寺 院の 境内 は︑ ソロ モン 王の 造営 した エル サレ ムの 神殿 で両 替屋 や行 商人 がわ がも の風 に ふる まう 状況 を彷 彿さ せる
︒広 い濡 れ縁 の一 端に は︑ 烏帽 子姿 の貴 人や ヴェ ール で顔 を隠 す淑 女た ちの
︑は な やか な一 団が 席を 占め
︑掲 げら れた 蔀の もと で数 珠を 爪繰 りな がら 単調 な法 話を くり 返す 老僧 の声 に耳 を傾 け てい る︒ 聴聞 者の 柔か い服 装は
︑ク リー ムが かっ たグ レー プ・ ジュ ース 色か ら紫 水晶 まで
︑そ の色 彩は はな や かで
︑一 人ひ とり の人 物の ポー ズ︑ 説 法者 に 顔 を向 け て 聴入 る し ぐ さも 個 性 的で あ る︒ 庭 で は︑ 下僕
︑小 童
︑
― 95 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
従者
︑尼 など が群 衆を 眺め たり
︑冗 談を 言い あ った り し てい る
︒積 重 ねた 帽 子 の 山に 凭 れ かか る 小 童 の姿 は
︑ 力の こも った 描写 であ る︒ 派手 な麻 布で 包ん だ幾 梱か の綿 布は
︑当 時の 典型 的な 贈答 品で ある
︒異 様な 頭巾 を つけ た比 叡山 の僧 侶が 一団 をな して うし ろに 立っ てい る︒ 美し い文 様の 衣服 もは だけ たま ま︑ 下品 な冗 談を 並 べて 寺院 を冒 涜す る三 人の 酔い どれ 侍に
︑白 衣の 若い 僧が 驚き
︑膝 を折 って なに かを 訴え てい る光 景は
︑な か な か喜 劇 的 な場 面 で ある
︒一 人 の 侍 が汚 れ た 着物 の 裾 を まく り あ げ︑ 見習 い 僧 に挑 み か か ろ う と し て い る の を︑ 道連 れの 者が 彼の 腰の あた りを 抱き とめ てい る︒ 道真 の安 穏な 日々 を少 しも 描こ うと せず
︑悪 魔の 忍び よ る生 活を 詳細 なま でに 自分 の時 代の 風俗 に移 して 脈搏 つよ うに 描く こと を︑ 信実 は明 らか に意 図し てい るの で ある
︒ 第 二巻 では
︑道 真と その 政敵 が確 執を 続け る場 面が 長く 続き
︑硫 黄臭 と電 光を 伴っ た︑ すさ まじ い雷 雨が 御 所 をゆ る が し︑ 多く の 操 人形 の よ う な︑ 朱に 染 ま った 従 者 た ちの 頭 上 に轟 い て︑ 警 告し て い る に も か か わ ら ず︑ これ に耳 目を ふさ ぐ天 皇の かた くな なさ まが 描か れて いる
︒比 叡山 の天 台座 主が 鴨川 を渉 るさ まは
︑イ ス ラエ ル民 族が エジ プト を脱 出す る時 の紅 海の 奇蹟 を思 わせ る︒ 座主 の牛 車が 河床 を疾 走す る︒ 車輪 の回 転は 輻 をぼ かし て如 実に 描か れて いる
︒だ が︑ 百方 手を 尽し た効 もな く︑ 道真 は筑 紫に 配流 の身 とな る︒ 物珍 しげ な 農 民の 群 が いく つ か 道真 の 車 に 従っ て 山 を越 え る︒ 道 真 の船 が 難 破し て 陸 に打 ち あ げ られ る の を 見 よ う と し て︑ 群衆 が岸 辺に 駆け よる
︒そ れは 信実 の風 俗画 にと って 純粋 に作 者の 興趣 をそ そる 画材 であ る︒ だが
︑そ こ に戯 曲的 な諷 刺が 欠け てい るわ けで はな い︒ 筑紫 では あば ら家 の生 活で ある
︒都 の友 人が ひそ かに 訪れ る︒ だ が︑ 彼は 勅命 に逆 らっ て都 に帰 るこ とを 拒絶 す る︒ 八重 葎 が はび こ っ て雨 漏 り の する 屋 根 を乾 か す 暇 もな い
︒ 庭に は︑ 印象 画風 に︑ オレ ンジ 色や 緑色 の灌 木が 手入 れも され ず絡 み合 って いる
︒つ いに 天命 を知 った 老人 は
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 96 ―
小高 い天 拝山 に登 り︑ 自己 の冤 罪を 雷神 に訴 える
︒雷 神は 道真 の建 白書 を受 けと り︑ 彼が その 讒者 を死 をも っ て悩 まし てい る間 にも
︑こ れを 奇蹟 的に 京都 の御 所に 届け る︒ 道 真の 遺体 は車 に運 ばれ て静 かに 京都 に帰 る︒ 車を 引く 牛は
︑疲 労の 極︑ 蹲っ たま ま死 んで いく
︒そ の場 所 を従 者た ちは 槍の 小突 きで 掘起 し︑ 屍体 を埋 めて 墓標 を立 てる
︒犬 が後 足で 牛の 頸を ひっ 掻く
︒道 真は やが て 天神 とし て祀 られ
︑京 都の 北部 に北 野天 満宮 が建 立さ れる
︒こ の絵 巻物 はこ の神 社の 縁起 を描 いた もの で︑ い まも 同社 に保 存さ れて いる
︒同 社に も︑ その ほか 各地 の天 神社
︵東 京は 亀井 戸に ある
︶に も︑ 大理 石の 牛の 彫 像が 聖な る象 徴と して 建立 され てい る︒ 読 者は
︑こ れが この 物語 の大 団円 かと 思わ れる かも しれ ない
︒だ が︑ 信実 はこ こで 結末 をつ ける こと をし な い︒ 彼の 血は ここ で湧 きた つ︒ 好機 到来 であ る︒ そこ で︑ 彼は この 物語 の後 半の 制作 にと りか かる
︒道 真を 配 流に 処し た卑 怯な 政敵 が︑ 現世 でま た地 獄で
︑報 いを 受け ずに 済ん でよ いだ ろう か︒ この 世で は︑ 彼は 蛇が 彼 の耳 に忍 びこ んで くる 苦し みに 苛ま れる
︒地 獄! 画 家の 想像 力に とっ て︑ 悪人 を懲 らす に︑ これ 以上 の機 会 はな い︒ 彼は 手順 を踏 んで
︑こ の仕 事に 着手 する
︒藤 原時 平の 魂が 悪鬼 の手 で地 獄に さら われ てい く場 面が 展 開さ れる
︒紅 蓮の 焔が 門の 外に まで 吹出 して くる
︒こ こで
︑四 巻に わた って
︑恐 ろし い地 獄の 責苦 がみ ごと に くり 広げ られ る︒ 信実 が三 井寺
︵円 満院
︶に ある 地獄 絵を 描い た応 挙で あっ たな ら︑ われ われ はこ れを 見る に 堪え ない であ ろう
︒恐 ろし さは ユー モア と着 色の 美に よっ て巧 みに 打消 され てい る︒ たと えて いえ ば︑ トマ ト の酸 にソ ーダ を注 ぐこ とに よっ て牛 乳の 凝固 を防 ぐよ うな もの であ る︒ わざ わざ 説明 する まで もな い︒ サン タ
・マ リア
・ノ ヴェ ラの 壁画 を描 いた オル カー ニャ
︵訳 注︑ 略︶ も︑ 信実 の画 技に 比す れば 児戯 にひ とし い︒ 信 実は オル カー ニャ に一
〇〇 年の 歳月 のハ ンデ ィキ ャッ プを つけ て画 技を 競う とし ても
︑優 に勝 を制 する であ ろ
― 97 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
う︒ 深紅 色︑ 緋色
︑橙 色の 火焔 は︑ 互い に交 錯し
︑二 股に なっ てい る蛇 の舌 のよ うに
︑あ たり 一円 に放 射さ れ る︒ 猫の 顔を もつ 野蛮 な悪 鬼は 嬉々 とし て残 酷な 務め を果 すの に余 念が ない
︒邪 まな 婦人 の髪 の毛 を掴 んで ひ きず り︑ 半ば 絞殺 され かけ てい る一 人二 人の 僧正 を中 国風 の火 床に かけ て焙 り︑ ある いは 人間 の膚 に大 工の 墨 壷の 糸を ピン と張 って しる しを つけ
︑錆 びた 鈍刀 でそ の肉 を厚 切り に切 りさ いな み︑ ある いは 白熱 の鉛 を悪 人 の喉 に注 ぎこ み︑ その 舌を 引伸 ばし て床 に釘 づけ にし
︑そ の上 に毒 虫を 這わ せ︑ ある いは 銅鍋 に人 間の 肉汁 を 多量 に沸 騰さ せて 撹拌 する など
︑残 虐の 限り を尽 す︒ 一匹 の愉 快な 青鬼 は︑ 一本 のク リー ム色 の角 を持 ち︑ 正 面を 切っ て立 ち︑ 双手 に罪 人を 逆さ まに 吊下 げ︑ 悠々 とそ の身 体を 引裂 いて いる
︒こ の程 度な らば
︑ま だ初 心 画家 の仕 事で ある
︒信 実の 目論 見は
︑は るか に遠 大で
︑人 間の 魂は もと より 諸天 の霊 でさ え巡 歴し なけ れば な らな い︑ 地獄 と系 統を 同じ くす る︑ さま ざま の苦 難の 世界 を漏 らさ ず描 出し よう と試 みる
︒し かし
︑彼 の︑ こ の偉 業も つい に未 完成 に終 わる
︒彼 は輪 廓だ けを 描き
︑賦 色す るに 至ら ず︑ その 画筆 は死 のた めに 中絶 して い る︒ 彼が いか なる 彩色 を念 頭に おい てい たか は︑ その 後︑ 誰も 考え 及ば ない ので ある
︒
*﹁ 八巻
﹂︑ 有 賀訳 では
﹁九 巻﹂ とす るが
︑原 著に は﹁
nine wide scrolls
﹂と ある
︒
﹁ 小高 い天 拝山 に登 り﹂
︑ 有賀 訳で は﹁ 山嶺 に登 り﹂ とあ るが
︑原 著で は﹁
climbs a peak
﹂と ある だけ であ る#
︒ 以上
の
!
と"
とを 通読 する だけ でも
︑承 久本 絵巻 に対 する フェ ノロ サの 高い 評価 と熱 狂的 な思 い入 れが 伝わ って く る が︑ とり わけ
"
の よう に︑ 遺著 全冊 の中 で承 久本 1作 品の みに
︑こ れだ けの 詳細 な記 述を ほど こし てい るの は︑ 異 例 の部 類に 属す るこ と︑ かつ また 承久 本か ら一 頁大 の挿 図を 3点 も掲 載し てい るこ と︵ 吉祥 院五 十賀
︑恩 賜御 衣︑ 日 蔵 上人 六道 巡歴 の地 獄の 各段
︶︑ さ らに 有賀 訳に 付さ れて いる 有賀 の手 にな る註 に
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 98 ―
又信 実が 畢生 の力 を振 ひた る絵 巻物 とし て︑
︵七
︶北 野の 天神 縁起 九巻 を 挙げ
︑密 に之 を講 評し
︑人 を動 かす 力は
︑最 も熱 烈な るも のあ り︒ 是れ 伝記 を目 的と する
︑印 象学 派の 諸品 中 世 界の 大傑 作な りと 断言 せら る︒ 更に 各巻 に付 きて 画題 を説 明し
︑画 術上 特に 注目 すべ き点 を挙 げ︑ 一代 の伝 記 は
︑道 実が 北野 天神 に於 て神 とし 祭ら るゝ に至 り︑ 終止 すと 雖︑ 画き て此 に至 りた る信 実の 愾憤 は止 まず
︑善 人 を 冤罪 に陥 れた る悪 人等 をし て︑ 地獄 の苛 責を 受け しめ ざれ ば満 足せ ず︑ 是れ より 長き 四巻 の地 獄画 に移 り︑ 之 を 画く 中途 に於 て︑ 信実 は卒 去せ しこ とを 述べ らる
︒余 曾て 先生 に従 ひ︑ 北野 に至 り天 神縁 起を 観る
︑先 生賛 歎 措 く能 はず
︑感 極ま る時 は眼 中涙 あり
︒ と
ある のを 読む と︑ 一層
︑そ の感 が深 い︒ ただ し︑
"
で は︑ 画面 解釈 その 他︑ 現在 の美 術史 的所 見か らは 問題 点も 少な くな く︑ 何よ りも フェ ノロ サの 承久 本 に 対す る高 い評 価が
︑終 始︑ 藤原 信実 作を 前提 に記 述さ れて おり
︑道 真歿 後の 怨霊 の祟 りな どが
︑あ たか も信 実の 創 作 かの よう に記 し︑ また 承久 本が 未完 に終 わっ た点 を︑ 信実 の死 歿に 求め てい る点 など
︑今 では 直ち には 認め がた い 見 解と 表裏 一体 であ るこ とも 注意 され よう
︒な お
!
にあ った﹁タ ンテ イ︵ ダン テ│ 引用 者注
︶の 詩ノ 欧羅 巴ノ 文学 ニ 於 ケル
﹂云 々と いっ た記 述が
︑
"
では 消え てい る点 も︑ 何か 理由 があ った のか も知 れな い︒
― 99 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
︵二
︶岡 倉天 心と 承久 本絵 巻 では
︑岡 倉天 心の 場合 は︑ いか がで あろ うか
︒以 下︑ 管見 に入 った 承久 本に 関す る天 心の 言及 を見 てみ よう
︒
!
岡 倉 天 心﹁日 本 絵 画 史 図 説﹂
︵フ ラ ン ク・ ブ リ ン ク リ ー 編﹃ 日 本﹄ 全 一
〇 巻 の 各 巻 末 に 収 録︒ 明 治 十 一
〜十 二
︵一 八七 八〜 七九
︶年 刊︒ 原英 文︶
︹全 集2
︺ 鎌倉 時代 の絵 画 十二 世紀
⁝⁝ この 時代 の画 家は
︑因 果応 報の 場面 をえ がく こと を好 んだ よう であ る︒ 信実 筆と 伝え る北 野天 神縁 起絵 巻 はこ の様 式の 一例 であ り︑
⁝⁝
* この 項の 次に
﹁鎌 倉時 代 十三 世紀
﹂が ある
︒
"
岡 倉天 心﹃ 日本 美術 史﹄
︵ 明治 二十 三〜 二十 五︵ 一八 九〇
〜九 二︶ 年の 各年 度の 講義 に基 づく
︶︹ 全集 4︺ 鎌倉 時代
⁝⁝ 此 の時 代の 絵画 の筆 致︑ 自然 活動 あり て毫 も検 束す るな きは
︑復 た他 の時 代に 見る 可か らず
︒時 に一 種の 殺 気を 含蓄 す︒ これ 兵馬 の時 に当 り︑ 不知 不識 の間 に此 に至 れる なる べし
︒平 治物 語︑ 伴大 納言
︑北 野縁 起︵ 平 和の 絵な れど も︶ 等の 絵巻 の︑ 人物 の顔 容皆 殺気 を帯 び︑ 事あ らば 相刺 殺せ んと する の気 象あ り︒
⁝⁝ 信 実︒
⁝⁝ 其の 大作 は北 野天 神 縁起 に し て︑ 今も 同 社 に蔵 す
︒蓋 し 菅 公の 伝 記 にし て 全 巻 十二
︹マ マ
︺︒ 前 六巻 は菅 公の 一代 記に して
︑其 の幼 少の 頃よ り筑 紫に 貶せ られ て薨 去し
︑怨 霊雷 と化 して 禁裏 に落 つる 等の 事
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 100 ―
蹟を 画き
︑後 の六 巻は 当時 殺伐 の時 代に 際し
︑此 の平 和の 巻を 以て 満足 せず
︑菅 公の 死後
︑其 の政 敵た る時 平 等が 地獄 の苦 難を 受く る等
︑総 て地 獄の 苦患 まで を描 く︒
⁝⁝
!
岡 倉 天 心﹃東 洋 美 術 史︵ 大 日 本 之 部︶
﹄︵ 明 治 二 十 四
︵一 八 九 一︶ 年 九 月〜 の 東 京 美 術 学 校 講 義 の 筆 記 ノ ー ト
︶
︹﹃ 東京 芸術 大学 美術 学部 紀要
﹄第 一〇
・第 一一 号に よる
︺ 鎌倉 時代
⁝⁝ 信 実︒ 此ノ 人ノ 中ニ テ宜 シキ タル モノ ハ北 野神 社ニ アル 北野 ノ縁 起是 レナ リ︒ 次ニ 華厳 縁起
︵京 都高 山寺 ニ アリ
︶︒
⁝
⁝
"
岡 倉天 心﹁ 日本 美術 史編 纂綱 要﹂
︵ 自筆 草稿
︶︹ 全集 4︒ 標題 は全 集編 者に よる
︺ 美術 史綱 三 鎌 倉
⁝⁝ 信実 承 久頃
顕文 鈔 文 永二 年八 十九
大和 錦 製 作
○北 野縁 起
北野
⁝⁝
⁝⁝
― 101 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
!
岡 倉天 心﹃ 特別 保護 建造 物及 国宝 帖解 説﹄︵ 明治 四十 三︵ 一九 一〇
︶年 刊︒ 邦文 版と 英文 版と があ る︶
︹全 集2
︺
﹁ 日本 芸術 概説
﹂の
﹁第 七︑ 鎌倉 時代
﹂の 項︵ 邦文 版︒ 英文 版も 同じ 内容
︶
⁝
⁝前 期以 来流 行せ る絵 巻物 は非 宗教 的傾 向を 呈し 来り
︑神 聖な る題 目に 関す る者 もま た現 代の 実相 を 画く を好 むに 至れ り︒ 市井 の光 景︑ 群聚 の活 動は 東洋 芸術 に匹 敵を 見ざ る発 達を なし
︑北 野縁 起︵ 第四 百 六十 図︶
︑ 高山 寺の 鳥獣 絵 巻︵ 第四 百 六 十四 図
︶︑ 華 厳縁 起
︵第 四 百 六十 六 図︶
︑ 歓喜 光 寺 の一 遍 聖 絵︵ 第 四百 六十 八図
︶︑ 知 恩院 の法 然上 人絵 伝︵ 第四 七
〇 図︶ の如 き は 当代 重 要 な る作 品 中 の数 種 を 挙げ た る に 過ぎ ず︒
﹁ 図版 解説
﹂︵ 英文 版の 翻訳
︒邦 文版 とは 内容 がか なり 異な る︶ 第四 六〇 図 北野 天神 縁起 絵巻
所蔵 京 都 北野 天満 宮 北 野天 神は 十世 紀初 期の 著名 な賢 相菅 原道 真を 祀る 神社 で︑ 同社 に伝 わる この 絵巻 は道 真の 生涯 およ び 没後 の霊 験を えが いた 多く の天 神縁 起絵 巻の 一つ であ る︒ 従前 の宗 教画 と全 く類 を異 にす る︑ 人間 を主 題 とし た最 も早 い絵 巻の 一つ とし て︑ 特に 重要 であ る︒ 一二 二〇 年の 奥書 があ り︑ 画風 も正 しく その 頃の も ので ある
︒図 は配 流の 道真 が︑ かつ て宮 中に あっ て天 皇の 恩寵 を蒙 って いた 頃︑ 賜わ った 御衣 の箱 を前 に して 涙す る段 であ る︒ 少数 の忠 義の 家人 にと りま かれ た陋 屋の 住い であ る︒ 絵 は時 の有 名な 宮廷 歌人 で肖 像画 の名 手と して 知ら れた 藤原 信実 の筆 と伝 える が︑ その 頃の 作で ある と いう 以上 の確 証は ない
︒ 描 線の 妙︑ 装飾 的な 構図 の巧 みさ は︑ 多く の天 神縁 起中 の白 眉で ある
︒後 代の 作と 区別 して 根本 縁起 と よば れる
︒
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 102 ―
"
岡 倉天 心﹃ 泰東 巧芸 史﹄
︵ 明治 四十 三︵ 一九 一〇
︶年 の講 述︶
︹全 集4
︺ 鎌倉 前期
⁝⁝ 日 本絵 画史 上の 大事 実た る絵 巻物 は︑ 此の 時に 大い に発 達し たり
︒藤 原時 代に もあ りし が︑ そは 単に 附加 物 とし て存 せし のみ
︒独 立的 に歴 史の 事実 を絵 にて 記録 せん とせ しは
︑宋 式活 動の 精神 の発 現と して 我が 国絵 画 の最 も誇 るべ きも のな り︒
⁝⁝ 北野 縁起 の如 きも 十二 巻の うち 六巻 まで は静 かな れど も︑ 以下 は其 の活 動凄 壮 を極 む︒ 抜粋 箇所 のみ の単 純な 比較 では 問題 が全 く無 いと は言 えな いが
︑以 上を 通覧 する 限り
︑天 心の 承久 本評 価は 高い け れ ども 冷静 でも あり
︑ま た信 実作 とい う点 が︑ やは りフ ェノ ロサ ほど 強調 され てい ない 点が 看取 でき る︒ なお
! "
の よ うに
︑巻 数を
﹁十 二巻
﹂と 表記 して いる のは 不審 で︑ 単純 な誤 解か
︑あ るい は別 の絵 巻と の混 同が ある かも 知れ な い
︒ ちな みに
︑岡 倉天 心ら によ って 明治 二十 二︵ 一八 八九
︶年 に創 刊さ れた 古美 術研 究誌
﹃国 華﹄ には
︑天 心在 世中 に a
﹁信 実画 北野 縁起
﹂︵ 第 三六 号︑ 明治 二十 五︵ 一八 九二
︶年 九月
︶ b
﹁北 野天 神縁 起﹂
︵ 第八 六号
︑明 治二 十九
︵一 八九 六︶ 年十 一月
︶ c
﹁伝 信実 筆天 神縁 起﹂
︵ 第二 一一 号︑ 明治 四十
︵一 九〇 七︶ 年十 二月
︶ の
よう に︑ 計3 回︑ 承久 本紹 介の 記事 が掲 載さ れて いる
︒a は︑ 天神 縁起 諸本 への 簡潔 な言 及の のち
︑第 一巻 奥書 に
― 103 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
基 づ い て承 久 本 の伝 来 に 触 れ︑ つづ い て 藤原 信 実 の画 蹟 に 関 する 史 料 を多 数 列 挙し て
︑さ ら に 掲 載 図 版 の﹁ 恩 賜 御 衣
﹂の 段 に 言及 し て︑
﹁ 数多 ノ 天 神 縁起 中 独 リ信 実 ノ 画ヲ 以 テ 根 本ト 称 ス ルモ ノ 大 ニ所 以 ア リ ト 謂 フ ヘ シ﹂ と 結 ぶ
︒ b は︑
﹁ 幼児 化現
﹂の 段と 日蔵 上人 六道 巡歴
﹁天 人五 衰﹂ の場 面を 掲出 して 解説 を加 えて いる が︑
﹁図 様は 頗る 巧妙 な れ ども
︑画 品聊 か高 から ず﹂ と記 し︑ 信実 作を 疑 う︑ も しく は 再 検討 の 必 要 性を 訴 え てい る 点 が注 意 さ れ る︒ cは
︑ b と同 じ段 の画 面を 掲出 し︑
﹁ 鎌倉 中世 以上
︑寧 ろ初 期に 属 す る老 画 師 の筆 な ら ん と云 は ヾ︑ 何 人も 首 肯 せざ る も 合 せ るも のな り﹂ とし なが らも
︑信 実作 とは 定め がた いと して いる
︒信 実作 を問 題と する 見方 はa
↓b
↓c と次 第に 深 ま って いる と言 えよ う︒ 三︑
明 治 時代 の
﹁ 日本 美 術 史﹂
・﹁ 日 本絵 画 史
﹂叙 述 の 中の 承 久 本絵 巻 では
︑さ らに 広く 明治 時代 の﹁ 日本 美術 史﹂
・﹁ 日 本絵 画史
﹂叙 述の 中で は︑ 承久 本は どの よう に言 及さ れて いる で あ ろう か︒
!
帝 室博 物館 編﹃ 稿本 日本 帝国 美術 略史﹄︵ 明 治三 十四
︵一 九〇 一︶ 年︶ 第二 編の 第三 章﹁ 鎌倉 幕政 時代
﹂の うち 第 二節 当 代美 術の 変遷 及び 特質
⁝⁝ 其 の美 術 は 概ね 前 代 の模 倣 に 似 て︑ 著し き 新 機軸 を 示 さ ゞり し が 如 し
︒真 実
︹縮 刷 版 及 び 再 版・ 三 版 は
﹁ 信実
﹂︺
︑ 吉光
︑隆 兼等 の絵 巻物
︑春 日︑ 詫摩 の 仏 画類
︑何 れ も 前代 の 故 式 を襲 用 し て︑ 而も 其 の 美を 成 し ゝ が如 き︑ 其一 例な り︒
⁝⁝
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 104 ―
第 三節 絵 画
⁝
⁝ 藤 原信 実は 隆信 の男 にし て︑ 正四 位左 京権 太夫 に叙 せら る︒ 図画 に巧 にし て其 の筆 品致 に富 み︑ 殊に 肖像 画 に名 あり
︒又 和歌 に名 あり て頗 る当 代に 重ぜ られ たり き︒
⁝⁝
⁝
⁝
遺品
⁝⁝ 此の 他当 代名 画の 現存 する もの 頗る 多く
︑⁝
⁝北 野天 神縁 起画 巻は 筆者 詳な らざ れど も︑ 当代 末期 の作 な るべ く︑ 図様 磊落 にし て筆 も亦 遒逸 なり
︒⁝
⁝
!
横 井時 冬﹃ 日本 絵画 史﹄︵ 明治 三十 四︵ 一九
〇一
︶年
︶の 第四 編﹁ 鎌倉 時代 の絵 画﹂ より
⁝⁝ この 時代 の絵 画は
︑絵 巻物 の類 にし て︑ 大抵 神社 仏閣 の宝 蔵に 秘め おか れし ゆえ
︑祝 融の 禍を 免れ て︑ 今 な ほ保 存 せ らる る は︑ 斯 道の 為 に 喜 ぶべ き こ とに こ そ︑ 其 重 なる も の を挙 ぐ れ ば
︑年 中 行 事 絵︑ 伴 大 納 言 草 子︑ 地獄 草子
︿光 長
﹀︑ 北 野天 神 縁 起︑ 紫式 部 日 記 絵巻
︿信 実
﹀︑ 当 麻曼 荼 羅 縁起
︑平 治 物 語︿ 慶 恩﹀
︑西 行 物 語︿ 経 隆﹀
︑荏 柄 天 神 縁 起︿ 行 長﹀
︑蒙 古 襲 来 絵︿ 長 隆﹀
︑法 然 上 人 絵 伝︿ 吉 光﹀
︑六 条 道 場 一 遍 上 人 絵 伝︿ 円 伊﹀
︑ 男衾 三郎 草 子︑ 新名 所 図︿ 隆 相﹀
︑春 日 権 現験 記
︑石 山 寺 縁起
︿三 巻
︑隆 兼﹀
︑ 後三 年 合 戦記
︿飛 騨 守 惟 久﹀ の類 なり
︑こ の中 土佐 光長
︑藤 原信 実の 如き は︑ 鎌倉 時代 の回 がを 代表 する に足 るべ き人 なら むか
︑⁝
⁝
⁝⁝ 藤原 氏時 代よ り鎌 倉時 代に わた りて 有名 なる 絵巻 物
⁝⁝
― 105 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
北野 天神 縁起
藤 原信 実
北野 神社
⁝⁝
!
兼 松亀 吉郎﹃日 本画 沿革 史﹄
︵ 架蔵 本 は 奥書 欠
︒明 治 三十 七
︵一 九
〇 四︶ 年の 序 文 あり
︶の 第 四 章﹁ 鎌倉 時 代 に 於 ける 美術 の概 論﹂ より 鎌 倉時 代之 絵画
⁝⁝ 又 同じ 時 に︑ 似 絵と て 後 世の 所 謂 似 顔の 絵 を 御好 み あ り て︑ 信実 を し て北 面 下 臈 御 随 身 な ど の 影 を かゞ せら れた るこ とあ りき
︑⁝
⁝鎌 倉時 代有 名の 画家 は土 佐光 長︑ 藤原 信実
︑住 吉慶 恩︑ 土佐 経隆
︑高 階 隆兼 とす
︑左 に其 小伝 を挙 げん
︑⁝
⁝ 藤 原信 実
⁝⁝ 信実 は⁝
⁝和 歌に 巧に して
︑兼 て画 を能 くし
︑誉 を当 世に 馳せ たり き︑
⁝⁝ 好て 人丸 の像 を画 きて 名 あり
︑⁝
⁝其 他栄 花物 語︑ 北面 下 臈御 随 身 似絵
︑三 十 六 歌仙 真 影
︑水 無 瀬殿 四 季 の絵 四 巻︑ 中 殿 管絃 図
︑ 華厳 縁起 画巻
︑画 師草 紙︑ 百鬼 夜行 の図 の如 きは
︑世 に著 名な るも のな り︑
⁝⁝
⁝ 鎌 ⁝ 倉時 代製 作之 絵画
⁝
⁝ 北 野天 神縁 起絵
同︵
=
巻︶
同
︵
=
藤原 信実︶
北野 神社
⁝
⁝
"
大 村西 崖﹃ 日本 絵画 小史
﹄︵ 明 治四 十三
︵一 九一
〇︶ 年︶ の﹁ 鎌倉 時代
︵覇 府の 創立 より 滅亡 まで
︶﹂ より
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 106 ―
絵 巻物 は
︑ま づ 本時 代 の 初め に 成 れ りと お ぼ しき に
︑北 野 天 神縁 起
︿北 野 神 社 国 宝︑ 根 本 縁 起︑ 承 久 本 と 云 ふ︑ 承久 元年 頃の 作︑ 全八 巻﹀
︑
⁝⁝ 等あ り︒
⁝⁝
* 藤原 信実 のこ とは
︑﹁ 似 絵﹂ の記 述の 中で 言及 する のみ
︒ 以上
のう ち
!
は︑ 明治 三十 三︵ 一九〇〇
︶年 のパ リ万 国博 覧会 への 出品 を機 に︑ 岡倉 天心
︵後 に福 地復 一︶ を主 任 と して 編纂 され た︑ 日本 人自 身に よっ て刊 行さ れた 最初 の日 本美 術史 体系 化の 試み と言 える もの だが
︑承 久本 につ い て は図 版も 無く
︵も ちろ ん出 品の 有無 も 関係 あ ろ うが
︶︑ 以 下
"
ま での 記 述 は︑ フ ェノ ロ サ はも ち ろ んの こ と
︑天 心 と 比 較 して も
︑承 久 本の 評 価・ 位 置 付け に は 特筆 大 書 され る ほ ど の扱 い が 見ら れ な いこ と は 一 読し て 明 ら か で あ ろ う
︒
お わ り に 以上
︑現 今に おけ る承 久本 北野 天神 縁起 絵巻 の 美術 史 的・ 文 化史 的 位 置付 け か ら すれ ば
︑藤 原 信実 作 者 説 を始 め
︑ 様 々な 問題 点を 内包 して おり
︑か つま たや や孤 立 して い る 感が 無 き にし も あ ら ずと は 言 え︑
﹁世 界 的 名宝
﹂と ま で 称 賛 し て︑ そ の価 値 を 最初 に
︑か つ 的 確に 見 抜 いて い た のが フ ェ ノ ロサ で あ った こ と が︑ 改め て 確 認 さ れ よ う︒ そ し て
︑そ の指 摘自 体は
︑近 年に も村 形明 子﹁ 北野 天神 縁起 絵巻
︵承 久本
︶﹂# で 強 調 さ れて い る こと で あ るが
︑本 稿 に お い て︑ 岡倉 天心 や︑ 広く 明治 時代 にお ける
﹁日 本 美術 史
﹂﹁ 日 本絵 画 史﹂ 叙 述の 中 で フ ェノ ロ サ の記 述 等 を眺 め て 見 た とき
︑そ の指 摘は より 一層 鮮明 にな った と言 える ので はあ るま いか
︒
― 107 ― アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻
! 注 明 治 三 十
︵ 一 八 九 七
︶ 年 制 定 の 古 社 寺 保 存 法 に 基 づ き
︑ 明 治 三 十 二 年 に 国 宝 甲 種 二 等 に 指 定
︑ つ い で 昭 和 二 十 五
︵ 一 九 五
〇
︶ 年 制 定 の 文 化 財 保 護 法 に 基 づ き
︑ 昭 和 二 十 九 年 に 改 め て 国 宝 に 指 定 さ れ た
︒
"
拙 稿
﹁ 北 野 天 神 縁 起 絵 巻 研 究 の 課 題
│ 承 久 本
︵ 国 宝 本
︶ 絵 巻 を 中 心 に
│
﹂︵
﹃ 神 道 史 研 究
﹄ 第 六 五 巻 第 二 号
︑ 二
〇
〇 八 年
︶︒ な お
︑ 上 記 拙 稿 の 内 容 は
︑ こ れ に 先 立 つ 同 年 六 月 の 神 道 史 学 会 第 五 四 回 大 会
︵ 於 皇 学 館 大 学
︶ に お い て 同 題 目 で 講 演 し て い る
︒
# 以 上
︑﹃ 日 本 史 広 辞 典
﹄︵ 山 川 出 版 社
︑ 一 九 九 七 年
︶ に よ る
︒
$ こ の 明 治 二 十 一 年 度 調 査 に つ い て の 近 年 の 研 究 は 少 な く な い が
︑ 近 刊 の も の と し て 森 本 和 男
﹃ 文 化 財 の 社 会 史
│ 近 現 代 史 と 伝 統 文 化 の 変 遷
﹄︵ 彩 流 社
︑ 二
〇 一
〇 年
︶︑ 拙 編 著
﹃ 京 都
﹁ 日 出 新 聞
﹂ 記 者 金 子 静 枝 と 明 治 の 京 都
﹄︵ 芸 艸 堂
︑ 二
〇 一 三 年
︶ 参 照
︒
% 京 都 大 学 学 術 出 版 会
︑ 二
〇
〇
〇 年
︒
&
北 野 天 満 宮 発 行
﹃ 天 満 宮
﹄ 第 四 八 三 号 及 び 四 八 四 号 掲 載
︑ 二
〇 一 三 年
︒ ' 八 月 五 日 付 の こ の 記 事 を
︑ 村 形 明 子 氏 は 明 治 十 九 年 と し て い る が
︑ 今 は 藤 井 譲 治 氏 の 記 述 に 従 っ た
︒ ( 前 掲 拙 編 著
︒ ) 村 形 明 子 編 訳
﹃ フ ェ ノ ロ サ 夫 人 の 日 本 日 記
﹄︵ ミ ネ ル ヴ ァ 書 房
︑ 二
〇
〇 八 年
︶
* 北 野 天 満 宮
︑ 一 九 九 八 年
︒ + 森 本 和 男
︑ 前 掲 書 第 一 部 第 四 章
︒ , 拙 稿
﹁ 天 神 信 仰 と 梵 天
・ 帝 釈 天 信 仰
﹂︵
﹃ 国 文 学 解 釈 と 教 材 の 研 究
﹄ 第 四 八 巻 六 号
︑ 二
〇
〇 三 年
︶ 参 照
︒ -
﹁ 没 後 一
〇
〇 年 フ ェ ノ ロ サ の 愛 し た 日 本 美 術
﹂ 12
︵ 京 都 新 聞 二
〇
〇 九 年 三 月 二 十 一 日 付 朝 刊
︶︒ 付 記 本 稿 中 に 言 及 し た
﹃ 国 華
﹄ 記 事 の 入 手 に 関 し て は
︑ 同 志 社 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 文 化 史 学 専 攻 博 士 後 期 課 程 在 籍 の 川 嶋 美 貴 子 さ ん の 手 を わ ず ら わ せ た
︒ 記 し て 厚 く 御 礼 申 し 上 げ る
︒
アーネスト・F・フェノロサと承久本北野天神縁起絵巻 ― 108 ―