ファブリオ・コント・ノ付ワェレ
新 倉 俊 一
ファブリオ fab − iau は︑とうの昔に死滅したジャンルないし表現型式であるから今 L ばらくおくと L て︑例えば十
ロマン ヌヴェール コント
八世紀以降のフランス文学史で︑ rOmPn − nOu く︵巴 e . cOnte という語が作者もしくは文学史家によって用いられるとき︑
われわれは常識的に先ずそれらが散文の作品であると了解し︑その第一のものに ﹁長編小説﹂ の訳語を︑第二のもの
に﹁中編小説﹂のそれを︑最後のものには﹁短篇小説・コント﹂ のそれを宛てているが︑現実問題としてそこにさ L
たる不都合を生じない︒無論︑後二者の区別は必ずしも分明ではないし︑また︑最近では伝統的な﹁小説 L の概念そ
のものが根本的に問い直されているという事態にもなっているが︑その辺の検討は本稿の目的ではをい︒ここで扱う
のは︑主としてフランス中世において︑ファブリオを含めて︑前述の諸語がいかをる意味をおびていたか︑また︑それ
ぞれの諸によって総称されている作品群の構造的特性は何かを概観した上で︑一つのテーマがそれぞれの表現型式の
中で︑いかに発展もしくは変質していったかを︑具体例に基いて検討することである︒史的ないし網羅的な記述の意
図は初めからなく︑いわば極大と極小とを手がかりとしたものであるから︑そこに抜け落ちるものが多いことは容易
に想像できるが︑その辺は文学史によって補っていただくぼかはあるまい︒
いま手許にある語源辞典によれば︑フランス語のコ︶ m 匹ロが文献で最初に確認されるのは一一三五年であるが︑こ
れは当時の公用語であるラテン語に対し︑﹁俗語ないし流通語︑すなわちフランス語 L を指したものであった︒藷海は︑
ファブリオ・コント・ノダェレ ︵新倉︶
一二 俗ラテン語の副詞 rOman 訂 e ﹁ローマ人流に﹂に仰ぐものと推定されている︒従って︑この語は当初▲・ 1 ・﹃ローランの
歌﹄で代表される武勲詩のごときは例外として − 原則として俗語で書かれたすべてのテクストを総称するものであ った︒現在のわれわれが了解するような﹁物語 L の意味で︑ロマンが用いられたのは︑すでに十二世紀後半のようで
あるが︑用いた本人のクレチャン・ド・トロワは︑自分の作品 1 の名称ではないにしても構想 1 を表現するのに︑
別の語を好んでいたようである︵ 1 ﹀︒これが広義の﹁冒険物語﹂の総称として定着するのは︑十三世紀に入ってから のことであった︒しかしながら︑所謂﹁物語﹂の発生は︑古典古代に題材を仰いだ﹁古代もの L ︵﹃テーベ物語﹄ほか︶︑
伝説の霧に包まれたブルターニュに取材した﹁ブルターニュもの﹂︵前記クレチャンほか︶ として︑すでに十二世妃
の中葉に遡る︒﹁古代もの﹂と言い︑﹁ブルターニュもの﹂と言い︑それぞれがいくつかの下位区分を持つし︑また︑後
には直接そのいずれにも属さぬ作品︵﹃バラ物語﹄︶もうみ出されるのであり︑さらには︑表現手段も初めは八昔綴韻
文であったものが︑十三世紀に入ると︑急速に散文作品の数を増すのであるが︑それら全体に共通な特性を抽出する
ことは可能をのである︒すをわち H 叙述形式について言えば︑韻文と散文とを問わず︑いずれもが︑﹁歌う﹂のではな
く﹁語る L ものであること︵活字文化成立以前にあっては︑両者の差異は文体論的に決定的な重みをもつ︶︒日叙述
親模についてみれば︑いずれもが相当の長さをもっていることで 1 ・ペディエによれば︑十三世紀にロマンと呼ばれ
る韻文作品は︑千三百行を越えるものである︶︒臼叙述の展開について言えば︑適時性に対する共時性の優位が認め
られること︒すをわち︑作者たちは︑時間の軸にそって物語を直線的に進行させるのではなく︑ロマネスクの装飾模
様のいくつかがそうであるように︑進行の過程に生じた各エピソードをさらに分岐させ︑展開させ︑かつ共存させ︑思
いがけぬ局面でまた掬い合わせることに︑異常な努力を注ぐのである︒或いは︑ゴチックの焼絵ガラスが︑光と影の
照応によって無限に豊かな色の階調をうみ出すように︑各エピソードにそれぞれ固有の意味性を盛りこみ︑かつ︑そ
れぞれを照合させることに︑彼らは熱中するのである︵この点︑同じく長大な叙述規模を擁しをがらも︑武勲詩が基
本的に通時性を尊重しっつ︑クライマックスの感動をフーガ的技法で繰り返し歌い︑盛りあげていくことの結果とし
て︑相当の長さに達するのとは︑展開構造が本質的に異をっている︿ 2 こ︒側創作の動機についてみれば︑作者たちを
して︑このようを精神の冒険にかり立てたものは︑先ず︑広い意味での歴史に対する関心 − 十二世紀ユマニスムと
呼ばれる文化を背景とした−−−であり︿︒︶︑歴史の正統的解釈者としての自負ないし自覚であった︒クレチャン・ド・
トロワの﹃エレックとエニード﹄の序詞もそうであるし︑また︑所謂ロマンの作家ではないにしても︑マリ・ド・フ
ランスが﹃短詩﹄ のプロローグの中で︑﹁後代に続く人々﹂のなすべきことは ﹁善かれたものを解釈し/自らの学識
才覚でそこにそれ以上のものを付け加えること T こしだと述べているのほ︑まことに示唆的である︒次に︑武勲詩で象
徴される初期十字軍時代の高揚が去った後︑封建制度が確立から円熟︑円熟から爛熟ないし崩壊の初兆を呈するにい
たる時期にあって︑その中核を構成するエリート ︵貴族・騎士︶ に︑倫理的かつ審美的な規範を提供しようとの野心
であった ︵多くのロマンの基本テーマである﹁宮廷風恋愛﹂︑さらには︑これと屡々密接に絡み合った﹁聖杯探究 L は︑
このような作者の意図・野心を明白に物語るものである︶︒
これに対して︑コントはどうであるのか︒ cOnt のは︑ラテン語の cOmpt 胃 e ﹁数える﹂から派生した cOm ︵ n ︶ ter
レシ
﹁事件を列挙する・− 1 語る﹂の名詞形であるから︑初めは原則としていかなる r か cit にも適用できる語であった︒従 って︑教訓的意図の濃い ﹃樽の騎士﹄もコントなのであって︑われわれが現在この語︑ことに日本語化したこの語に
対して抱くイメージは︑後代の意味論的変質の結果をのである︒さらにはまた︑レシをあらわすのに︑中世には d ぎ
fab ︼ e ㌦ ab − iauLai . ess の mp − e ︸ a くの nture といった語があって︑これまた定義しにくいものであるが︑従来のジャンル
範疇にとらわれずに︑﹁或る珍らしい事件を簡潔に伝える話 L と了解してよいと思われる︒ロマンとの対比で︑その
特性を列挙してみると − 本稿と直接関係のをいロマンに紙数をさいたのは︑そのためであった ー︑次のように要
約できるだろう︒ H 叙述型式は︑ロマンと同じく﹁語る﹂ものである︒但し︑そのほとんどが八苦綴韻文である︒口
叙述規模は︑短かさを以てその特性とする︒コントの一種であるファブリオの中には︑稀に千行内外に達するものが
あるが︑これはあくまで例外である︒日叙述の展開について言えば︑ほとんど性急なくらいに︑時間の軸にそって直
線的に進行し︑急速に事件の結末をむかえる︒登場人物の外面からの描写紹介は最少限に抑え ︵騎士 A は A であるよ
りも騎士の類型であり︶︑作者はむしろ作中人物の︑それも簡潔かつ印象的を会話で︑彼らの性格ないし役割と︑シ
フアプリオ・コント・ノヴュレ ︵新倉︶ 三
四 チエエーションを浮かびあがらせる︒錯綜したエピソードが共立し関連することはなく︑そこには共時性に対する︑
適時性の圧倒的夜優位が認められるのである︒佃創作の動機についてみれば︑コントの作者に歴史感覚︑歴史解釈者 としての自覚ないし自負が欠如していないにしても ︵すぐれたコント作家でもあったマリ・ド・フランスがその例で
あるてこ︶︑一般には稀薄であって︑彼らの関心は主題の﹁目新しさ︑異常性﹂に吸い寄せられている︒また︑扱った
サンス
コントの意味性を屡々作品の冒頭に明示しているが ー このような解釈癖は︑作者の多くがかつて学んだ学校教育の 根本的な方法論であったから ー︑一方においてそれは︑ロマンの作者たちが意味づけを明示するよりは暗示したこ
とと対舵的であると共に︑他方においてそれは︑話の内容とは即応しない︑付けたりの感を免れ覆い場合すらある︒
プラー〆′
但し︑中世人の意識をそのまま共有しえをいわれわれにとって︑作者の教訓をるものが︑果して付けたりの︑冗談で
あるのかどうかは︑見かけほど簡単に判断できることではない︒要は︑作者の主観意図が︑話の細部にまで湊透する
とか︑濃密夜影でそれを覆いつくすことはをい︑と言うことである︒
7丁−プル エグずンプル
ファブリオは︑fabu−aの派生語であるから︑直接には﹁寓話﹂と拉んで︑また︑表現形式という意味では︑﹁説話﹂︑
レ
﹁短詩﹂と称せられるものと同じく︑コントの系列に属する︒従って︑前述のコントの特性をことごとく備えている
が︑より特定的には﹁散文の笑うためのコント﹂︵J・ベディエ︶ である︒現存し︑かつ︑所謂ジャンルとして︑こ
の名称の下に分類されている作品は約百五十篇弱だが︑長さも ︵平均三︑四百諸行︶︑趣向も︑完成度も一様ではな
いし︑ファブリオと銘うっているものは六十数篇に過ぎないが︑喜劇的効果に主眼をおいていること︑構成もコント
らLく直線的で︑屡々時︑所︑筋の三単一がみられることが︑その特徴とをっている︒喜劇作品のもつ像面の歪みを
承知して読むかぎり︑これらは貴重な社会風俗史的資料であるし︑また︑後世のヌヴェール ︹ノヴュレ︺ 作家に︑
数々のテーマを提供したことが ︵例えば︑﹃オルレアンの町女房﹄がバンデルロの﹃悲劇的物語﹄四十に︶︑その大き
メリットに数えることができるだろう︒発生ならびに消滅の事情については余り明らかでは在いがTこ︑﹃狐物語﹄と
ならんで︑十三世紀の現実主義的傾向を代表するものであった︒
ロマンとコントの対比は︑上述の通り︑かなり明瞭なのであるが︑ヌヴェールの性格は余り明快に定義しにくい︒
表現型式としてのnOuくe−−eがフランス語に定着したのは︑十五世紀中菓頃︑すをわち︑ボッカチオを代表とするイ クリヤの nOくe−︼a の翻訳紹介のあった後であるから︑ここでは試みに︑ボッカチオ研究家の定義を引用してみよう
ー ﹁ノヴュラという語は︑厳密に技術的な意味で︑コントの直線的な長さ ︵出来事の継起︶ と︑ロマンの垂直方向 の深さ ︵登場人物の歴史において出来事のもつ重み︶ を尊重しっつ︑或るより限定された範囲のものを示すために用
いられる︒すなわち︑空間と時間の水平方向の明確性によって限定される表現﹂︵M・バラット;こ︶︒判ったようを︑
判らをいような定義であるが︑平易に敷桁するならば︑基本的にはコントの時間軸にそった直線的展開をもちながら︑
ロマン的な登場人物の肉付けをそれに添える︑と言うことであろうか︒従って︑叙述の展開構造はコントでありなが
ら︑展開規模はコントの枠をこえて︑ロマンにやゃ近づくはずである︒イタリヤ文学史においては無論であるが︑フ
ランス文学史においても︑一般にこれが散文作品 ︵例えば︑﹃新百話﹄︶ と了解されているのは︑典型的作品の発生時
期からみて容易に理解されるが︑しかし︑イクリヤからパターンが渡来する以前に︑フランスにその薪芽がなかった
かと言えば︑必ずしもそうではをい︒十三世紀の散文作品では︑﹃ポンチュー伯の息女﹄︑同じく韻文作品では︑﹃ヴ
エルジの奥方﹄︑ジャン・ルナール ﹃影の短詩﹄︑﹃トリスタン道化﹂︵ことにオックスフォード写本︶ にヌヴェールの
定義を冠することは︑その展開構造と規模からみて可能なのであり︑また︑仮にこれが﹃デカメロン﹄の翻訳紹介︵一
四一四年︶ 以前の作とするをらば︑﹃結婚十五の歓び﹄は︑正にフランス原産のヌヴェールと評することができるの
である;こ︒
* * *
ロマンをも含めて︑コント︑ファブリオ︑ヌヴェール ︹ノダェレ︺ の︑極大的粗描は以上の通りである︒われわれ
の次の作業は︑しからば︑一つのテーマが︑上記のそれぞれの表現型式において︑いかなる展開を示すかの検討に移
らねばならぬ︒この方針に立つかぎり︑戦術上最も巧妙な手段は︑上記の表現型式がいずれもが扱ったテーマに焦点
を絞ることであろうが︑それは近代の産んだ碩学で︑最も﹁論争の騎士﹂的面と詩人的側面を兼備した中世学者が︑
全く違った視点から ︵テーマの時代・風土による変貌を追って︶すでに試みたことであるから︵︒﹀︑ファブリオが欠
ファブリオ・コント・ノヴュレ ︵新倉︶ 五
六 落することを覚悟の上で︑別のアプローチをしてみたい︒一方において︑その題材は︑われわれの直接の目的である
表現型式の論議に示唆的であると同時に︑他方において︑従来とかく見逃されがちであったオック語 ︵所謂プロアン
サグル語︶ 文学の再評価の一助ともなろうと︑期待するからでもある︵ 1 ︒︸︒
テーマは︑各国の民話ないし文学作品で古くから馴染み深い ﹁心臓を喰う話﹂である︒これがインド起源であるか︑
西方起源であるかの論議は︑本稿の直接目的でないから立ち入らない︒また︑フランス文学では︑すでに十二世紀に︑
トマ ﹃トリスタン﹄における言及で僅かにその存在を知りうるに過ぎない﹃ギロン短詩﹄のほか︑﹃イニョール短詩﹄
もこのテーマに取材しているのだが︑ここでは十三世紀の︑南仏の﹃トゥルバドゥール評伝︵ 11 ︶﹄から﹁ギエム・デ・
カベスターニュ L と︑北仏の ﹃クーシー城主とフュエルの奥方の詩︵誓﹄を︑そして︑十四世紀イクリヤからボッカ
チオの﹃デカメロン﹄第四日九話︵翌をとりあげてみることとする︒ ﹃トゥルバドゥール評伝﹄とは︑おそらく西洋文学史における最初の文学評伝であろうが︑原則としてこれは︑各詩
人について︑その伝記的描写に力点をおいた 5 . da ﹁伝記﹂と︑作品成立の背景を説明する raNO ﹁解題﹂の双方を記
載している︒但し︑﹁伝記﹂としての史的信憑性は概ね極めて疑がわしいものであり ︵南仏抒情詩の黄金時代は十二
世紀であったのに対 L ︑﹃評伝﹄の発生は十三世紀である︶︑また︑その﹁解題﹂なるものも大抵はファンテジーの所産
レ ク
であるが︑なぉかつ或る時代の精神風土を彷彿させる資料としての存在価値を失なわぬし︑そして何よりも﹁語りも
の L としての面白味を多分にそなえていることが特色である︒所謂ジャンル区分からみれば︑これをコント乃至ヌヴ
ェールの系列におくことは︑大いに異論があるに違いないが︑表現型式から考察するかぎり︑屡々そこに典型的をコン
トを認めうる︒さて︑この﹃評伝﹄は︑詩人騎士ギエム・デ・カベスターニュについて︑写本分類では二系統の﹁伝
記 L − 写本 FbIK ︵以下︹と略記︶と写本 AB 押 ︵以下︹二︺と略記︶ − と︑同じく二系統の﹁解題﹂ − 写 本 HR ︵以下︹三︺と略記︶ 及び写本 P ︵以下︹四︺と略記︶ − を伝えている︒このうち︑︹四︺は結構・規模において
異質のものであるから︑後述することと L て︑最も簡潔な二︺を訳出してみる ー
ギエムニア・カベスターェ1︹ギヨーム・ド・カベスタェー︶は︑カタルニヤとナルポンヌに境を接するルション地方の騎士 であった︒人好きのする︑また︑武芸︑奉仕︑風雅の道においても︑大いに尊重されていた︒ さて︑この地方に︑ライモン・デ・カステル・ロション︹レイモン・ド・カスチル=ルション︶の妻で︑その名をセレモンダ と言う奥方がいたが︑ライモン殿は権勢あり︑高貴の身分でありながら︑性根は悪く︑荒々しく︑また思いあがった人であった︒ さて︑ギエム・デ・カベスターニュは︑心からの愛で奥方に恋いこがれ︑奥方について歌い︑詩をつくったのである︒そのため︑ 若く︑高貴で︑美しく︑人に好かれる奥方は︑ギエムのことを︑この世の何ものにもまして好ましく思うに至った︒ところが︑ このことがライモン・デ・ロション殿に告口されたため︑殿は怒りの嫉妬にかられ︑事を探ってみたところ︑これが事実だと知れ ると︑妻を厳しく監視させた︒ 或日のこと︑ライモン・デ・カステル・ロション殿は︑偶々ギエムが大勢の伴廻りの者を連れずに通りかかるのを見ると︑こ れを殺してしまった︒そして︑死体から心臓を抜きとって︑従騎士に館まで運ばせた︒それから︑命じてこれを焼かせ︑胡椒を かけさせると︑妻に与えて食べさせた︒奥方がギエム・デ・カベスターニュ殿の心臓を食べ終ると︑ライ毛ン殿は︑それが誰のも
のであったを告げた︒これを聞いて︑奥方はものを見る力も聞く力も失った︒やがて我に帰ると︑こう言った︒︽殿︑あなたは私 にまことに美味しいものを食べさせて下さったので︑もう決して他のものには口にいたしますまいSeigロer−bem一aくetNdatsibOn ヨanjarquejamaisコ○コmanjarai︑dゞutre︾︒この言葉を耳にすると︑殿は剣を手に追いかけ︑東に一撃を加えようとしたが︑ 奥方はバルコニーに逃れ出て︑身を投げて死んだ︒
この話のもつ衝撃性は︑無論︑人肉を食べた︵或いは︑食べさせた︶点にあるが︑それだけではない︒復啓の激情
が集団ヒステリーにまで昂じた際︑犠牲者の肉を倉りくらうに至った事件は︑例えば一三四五年のナポリに︑また︑
その二年後のフィレンツェに記録されている︒なるほど極めて珍らしい︑異常を例であるには違いをいが︑中世人に
とっての衝撃性を高めたのは︑H・オヴュットが指摘するように︵1
4︶︑食用に供せられたのが他の部分ではをく心臓 であったことにある︒或いは︑それが持つ意味性の逆転が与える劇的夜効果にあった︒心臓が︑物理的生命の急所と してのみならず︑久しく感情の中枢として認識されていたのは︑周知の事実である︒であるからこそ︑夫ライモンは︑ 単に妻の恋人ギエムの生命を奪うことに満足せず︑不倫の愛の発生源たる心臓を妻に食わせることによって︑彼らを 結びつけていた恋愛を愚弄し冒漬し︑復讐の効果を全うしようと計ったのであった︒物が物であるにとどまらず︑展
ファブリオ・コント・ノヴュレ ︵新倉︶ 七
l︑/
展それがアレゴリックな意味を付与されて生きていた時代にあって︑それはまことに巧妙な︑﹁性根の悪い︑荒々し
い﹂男にふさわしい︑残衝かつ徹底した報復計画であった︒ところが︑聖遣物の尊重された中世では︑死後自分の心
臓が恋の貴重な思い出として︑聖遺箱に収められて︑恋人の手許に保存されるのを望んだ例は︑少くとも文学表現の
領域ではいくつも見出される︒セレモンダは︑正にこの後者の意味に解釈を逆転させることで︑夫の復讐を愚弄した のであった︒血脛い事件とアレゴリーの結合効果が︑この話の骨子をのである︒
さて︑表現型式の観点からみれば︑これは紛うことをくコントである︒登場人物の紹介は︑類型的恵表現で片付け︑ 川ギエムとセレモンダの恋の成立と︑夫がそれを知るに至った経由︑回殺書と︑心臓抜きとりと調理︑ H クライマッ
クスの︑心臓を食わせた後の夫婦の応酬 ︵妻のそれは︑直接話法で効果を高める︶︑その直後に続く妻の死 − と︑
サンス
展開は直線的︑規模は簡潔︑人物の類型的説明の条り以外に︑作者の介入はなく︑しかも︑話の意味性は︑しかく明
快だからである︒コントの要件の必要最低限をそなえ︑表現は舌足らずであっても︑これはこれで完結した小世界を
形成している︒前記四ヴュルションのうち︑ぼくは最も劇的効果の高いものだと思うし︑これを︹二︺の写本中で最も
近い叩の省略だと見方は可能であっても︷ 15 ︶︑これが最古の形であるとする誘惑に抗しがたい︒それはともかく︑︹こ
と︑︹二︺︑︹三︺の決定的相違は︑後者が話を妻の死でとどめず︑後日渾を付している点にある︒すなわち︑事件がル
ションのみならず︑カタルニヤ中に拡まったため︑アラゴン王が乗り出し︑ライモンは逮捕され︑城館は没収されたこ
と︑恋人たちの遺骸がベルピニャンの教会に移され ︵︹二︺では︑由来記が墓に彫まれる︶︑多くの参詣客を呼んだこと︑
ライモンは獄死したこと︑がそれである︒︵︹二︺と︹三︺とでは︑後日薄についても記述が若干食い違っているが︑そ
一7ソ
れよりも︑︹三︺が﹁解題﹂であるために︑ギエムの詩句を挿入︑これが夫の疑いを確信に変える契機としていること
のほうが大きを相違であろう︶︒夫が登場人物の一人である以上︑︺がその末路に全く言及しをいのは片手落ちと
言えぬこともないから︑それに触れることにぼくとしても異存はない︒しかし︑妻の死に到る部分に既に余分を要素
が介入している上に︑この後日辞が全体のほぼ 113 の分量を占めるのであるから︑コント ︵ヌーヴュル的を︑人物の
肉付が欠けている︶ コントとして︑徒らに間のび L た感がある︒のみをらず︑前半部分においても︑ライモンが心臓
を抜きとるのみならず︑頭まではねて︑真相を告げる際の物証とする︑といった蛇足が︹二︺︑︹三︺ともにみられるの
だ︒夫の言葉だけでは︑妻に対する説得性に欠けるとの︑これは取越苦労の所産であろうが︑この種の蛇足は焼直し
作家の抜きがたい性癖なのである︒膨ましたことで効果が減じをかったのは︑︹二︺ が︑﹁︽そなたの食べたものが何
か判るか︾︒奥方は答えて言う︽いえ︑上等で得も言われぬ味の肉でした︑ということ以外には︾﹂を挿入したこと
であろうが︑これも︑︹三︺では︑妻の例の決定的発言をも含め︑すべてが間接話法に代えられて︑迫力を著しく欠く
結果となっている︒その他︑︹三︺では︑殺害が突発的犯行ではなく︑相手を誘き出しての計画犯罪である等︑いくつ
か差異が見られるが︑﹃デカメロン﹄第四日九話の分析の過程でふり遮ることとする︒
ボッカチオが︑果して﹃評伝﹄に取材したかどうかについては︑ G ・パリスの異議もあるほどであって︵ 16 ︶︑決定的
なことは言えない︒すなわち︑妻の名が記されていないことはともかくとして ︵︹三︺も同様であるから︶︑夫と騎士
の名が︑それぞれ︑ Ra − mOn d の Cast 巴 ROS ≡○ロ が Gu 首−㌣巴 mO RO 詮首− iO ロ e に︑ Gui − F の m de Cab 訝 tanh が
Gu 首−㌣巴 mO GuardastagnO に変り︑ことに後者が詩人でもあったことが無視されているからである︒しかし︑騎士が
美しい貴婦人の心を捕えるのに詩人兼作曲家である必然性は︑十四世紀イタリヤにあるとも思われないので︑ボッカ チオが省いたとしても別に異とするに当らをい︒また︑人物の名が変ったことについても︑ H ・オヴュットのように︑
ボッカチオが若年の十二年間を過したナポリで︑当時この町に数多く見られた南仏の貴族や貴婦人の口からきいた聞
き覚えの結果︵︸︑と推定することも大いに可能をのであるし︑むしろ︑別の失われた作品を想定するよりも自然であ
ろう︒しかし︑以上はいずれも謂わば水掛け論に終るわけで︑作品の構造を分析してみるに如くはない︒そして︑展
開構造を追って︑第四日九話を読むとき︑細部の異同は別として︑基本構造が前述の﹃評伝﹄︑ことにその︹と軌 を一にしていること︑しかも細部の補足ないし修正が︑概ねシチュエーションの明確化と︑人物の肉付けに成功して
いること︑展開規模もそれに準じて大きくをっていることとあいまって︑正にコントからノヴュラに発展したことを
知るのである︒以下︑具体的検討に移る−−−
すべり出しの部分は︑前に述べた通り︑グワルダスターニョが詩人騎士でをく覆った代りに︑ロッシリヨーネと対
ファブリオ・コント・ノダエレ ︵新倉︶ 九
一〇 等の城持ちとして紹介され︑しかも︑双方の城の距離が﹁優に十哩﹂と明記されている︒この段階では︑両名が武芸
に長じ︑かつ深い友情に結ばれていることが強調され︑ロッシリヨーネの性格についても﹃評伝﹄のような性急な言
及はない︒但し︑両者を対等関係に設定したことで︑暗殺が︑家臣ないし準家臣への制裁という口実すら持ちえず︑騎
士道にもとる卑劣な行為として認識されるはずである︒次に川では︑﹁両名の間にあった友情と深い付合いにもかかわ
らず﹂︑グワルダスターニョが友人の美しい妻に恋してしまうが︑女の心を掃えるために︑歌の巽を持ち合わせない
男は︑﹁あれゃこれやと努めて﹂接近するほかはない︒が︑それでも成功する︒夫がこれに気付くのは︑﹁二人ともが
慎重さを欠いて振舞った L からであり︑告口があったためでは恵い︵因みに︑南仏抒情詩の世界では︑﹁中傷者﹂− a 牢
記 ng 訂 r が常在する︶︒夫は激怒するが︑もはゃ﹁怒りと嫉妬﹂という一般的形容にとどまらず︑﹁グワルダスターニョ
に抱いていた友情が不倶載天の憎悪に変った﹂と説明され︑さらに︑ここが﹃評伝﹄と極めて異をる点だが︑﹁それを
気どられぬようにして⁚⁝・心ひそかに︑何とか相手を殺そうと計画した﹂のである︒計画犯罪という点で︑これは﹃評
伝﹄の ︹三︺︑︹四︺ の筋を導入した訳だが ︵劇的効果から言えば︑︹この突発犯行のほうが上だと思うが︑それはと
もかく︶︑︹三︺︑︹四︺ のように騒ぎ立てぬほうが︑計画犯罪遂行には有利であり︑少くとも自然を設定である︒回誘
き出しの口実は︑︹三︺︑︹四︺の﹁話がある﹂といった漠然たるものでをく︑折から布告されたフランスでの大野試合
の下相談のために夕食を共にしたいとの︑武芸好みの騎士が喜んで承諾するものとをる︒さて︑いよいよ殺害の場面
であるが︑城から一哩ほど離れた茂みで待伏せ︑いざ飛びかかる段にをって︑作者は初めて﹁卑劣を﹂という形容を
ロッシリヨーネに冠する︒そして︑﹁裏切者奴︑命は貸った﹂というセリフが入り︑手槍が凶器であったことも描写さ
れる︒また︑家来に対する脅迫を交えた口止めがをされる︒なお︑かように細部の補足を試みたにもかかわらず︑心
臓を取り出させるだけで︑首をはねさせるような蛇足を加えをかったのは︑作者の見識を物語るものとして注目に償
いするだろう︒この後︑槍の三角旗に包んで持ち帰った心臓の調理を命ずる段取りとをるが︑これは別項日を立てた
ほうがいい程に︑描写が仔細にをる︒すなわち︑先ず︑恋人の姿が見えぬことに対する妻の当然の疑問と︑それに対す
る夫の ﹁明日でなければ来れないという知らせがあった﹂との返事︑そして︑﹁そのため奥方はゃや心の平静を失っ
た﹂という記述︒次いで︑これは正にイクリヤ好みと言う外はをいが︑調理法の入念を指示 ︵盛りづけの容器まで︑
﹁銀の皿﹂と指定する︶があった後で︑調理過程が執拗に措かれる︒但し︑調理人が尻込むことのないよう︑﹁猪の心
臓﹂と言って渡す芸の細かさであった︒ぃいよいよ︑ここで問題の場面となるが︑︹こ及び︹二︺ で全く言及される
ことのなかった︑﹁何故に妻だけが例の料理を食べたのか﹂が説明される︒或る意味で︑これは当然の疑問でもある
訳で︑すでに︹三︺ H は﹁妻が気がつかぬようにして食べさせた﹂とし︑︹三︺ R は﹁何故在ら︑奥方は猟獣の心臓が大
好物であったからで︑︹夫は︺妻に与えて食べさせ︑自分も食べているふりをした﹂としていた︒ボッカチオは︑す でに心臓が食卓に供せられる前に︑夫が﹁犯 L た罪のために︑心にわだかまりがあって︑ほとんど食べなかった﹂と︑
M ・バラットの定義に言う﹁登場人物の歴史において出来事のもつ重み﹂で説明し︑やがて出された心臓料理を妻に
すすめながらも︑自分が食欲不振を口実に辞退するのを︑さほど不自然でないものとしている︒以下︑事の真相を告
げる際の応酬も︑すべて直接話法で︑くどいほどに増幅される︒例えば︑美味であったとの︑何も知らぬ妻の返事に
対する夫のセリフーーー︽神かけて︑さもありをむ︒生きているうちは︑何にもましてそをたの気に入っていたものが︑
死んでもそうであることに不思議はない︾︒また︑絶望した妻の ︵但し︑︹三︺と同様にもはや失神することはない︶︑
いささか解説的を︑かえって迫力が減殺される反撃のセリフがそれだ︒もっともその最後の一句は︑﹁もう決して他
の食物は口を通りますまい m 巴 a − tr む■く i く anda5Pdar と言う同じ叫びではあるけれども︒投身の状況もまた ﹃評
伝﹄のすべてと異った︒抜剣した夫に追いつめられた末でのことではない︒すぐ背後にあった窓から︑﹁ためらい考え
ることなく︑のけぞりざまに身を投げた L のである︒夫に背を向けることをく︑恐らくは役を見すえたまま︑﹁のけぞ
りざま indietrO ﹂投身する条りの活写カ︒さらには︑﹁窓は地上から非常に高いところにあったため︑奥方が墜ちた時︑
即死であったのみならず︑ほとんど全身が砕けてしまった﹂と措く︑この偏執に近い﹁時間と空間の⁝⁝明確化 L に
ょる限定への努力はどうだ︵因みに︑﹃評伝﹄では僅かに ︹三︺ H と︹四︺ のみが︑﹁首を折った﹂と記 L ている︶︒一
方また︑夫は ﹁これを見て︑博然とし︑悪い事をしたのを覚った﹂ のみをらず︑﹁領内の者ども︑及び︑プロヴァン
ス伯︹アラゴン王ではをく︺ のことが心配になって︑馬に鞍をおかせて︑逃亡した L のであるから︑ボッカチオ措く
ファブリオ・コント・ノダェレ ︵新倉︶
一一一二 ところのこのロッシリヨーネは︑反省力があると言うか︑或いは︑変り身が早いと評すべきか︒いずれにせよ︑便々
としてなすところを知らず︑逮捕投獄の憂目にあい︑悔悟の情にかられたか否かもわれわれに知らされぬまま︑哀れ
獄死したライモンとは余程類を異にする︒これに伴ない︑﹃評伝﹄の ︹二︺︑︹三︺で全体の1t3を占めていた後日辞
も︑ここではほほ1元に圧縮される︒恋人たちを葬った教会が︑ベルピニャンではをく︑奥方の城の教会に変った
改鼠が見られるにせよ︑それは見事な締めくくりではあった︒以上の分析で明らかにしえたと思うが︑よかれ慈しか
れ︑この第四日九話は︑典型的なノダェラなのである︒
さて︑残る﹃評伝﹄中の︹四︺はどうであるのか︒これは︑スタンダールのほほ忠実を翻訳で有名であるから︵﹃恋
愛論﹄第二書二幸﹁十二世紀のプロヴァンス﹂︶︑細かく分析するに及ぶまいと思うが︑分量にして︑他のヴュルショ
ン中で最も長い︹三︺Hの約三倍︑﹃デカメロン﹄中のそれの約二倍であることに︑先ず注目する必要があろう︒しか
しながら︑その叙述規模よりは︑展開構造の異質性こそが問題とされねばならない︒前述のシエーマをあてはめてみ
るをらば︑川で︑奥方の名がマルガリーダに変っていることはともかくとして︑一介の貧しい騎士の粋から奥方付き
の小姓に取り立てられたギエムと︑﹁愛の女神が⁝⁝その心に炎を投じたL奥方とがいかにして結ばれたかの経緯を︑
直裁をさけた会話を折りこんで措くのだ︒恋愛の成立という事実そのものよりは︑その成立の過程が関心の対象とさ
ロマン・タルトワ
れるとき︑人はすでに宮廷風恋愛物語の世界に身をおいている ︵スタンダールが何と言おうと︑十二︑三世紀南仏の
宮廷社会では︑貴女が先に言い寄るのは︑いささかはしたないのであるが︑ベルピニャン ︹奥方の出身地︺ないしル
ションのより南国的風土を考えれば︑女の中に一段と熱い血が流れていたのだとして︑ここは大目に見るべきだろう︶︒
そして︑二人の恋が告口によって夫の耳に入るのは︑今迄の通りであるが︑今回はライモンがギエムに向って︑意中
の女性の名を明かせと迫り︑ギエムはこれに対し︑恋の秘密保持を説くベルナルト・デ・ヴュンタドルンの詩句を引
用して拒む︒が︑なお納得しないライモンを瞞着するため︑奥方の妹アニェスが夫ロベルト・デ・クラスコンの同意
の下に︑公然とギエムの恋人であるかの如く振舞う一幕までが挿入された ︵﹃トリスタン物語﹄におけるイズーの待
女ブランガンの身代り役を︑これは彷彿とさせる︶︒最終的にライモンが︑二人の愛に確信を抱いて殺意をかためる
のは︑ギエムが奥方の命で作った詩﹁愛の女神の屡々あたえる/甘き思い⁝⁝﹂を耳にした時であり︑これは︹三︺と
同様であるけれども︑驚くべきことは︑ここ迄に全体の5すに近いスペースがさかれていることだ︒これに反し︑何
といでは︑それ迄とうって代って一気呵成の勢いである︒首をはねるという蛇足がつき︑﹁首を折った﹂ という指示
が加るにせよ︑直接話法の会話は一行もない︒後日繹については︑記述に食い違いはあるが︑長さは︹三︺Hとほぼ同 じである︒こうして見れば 一 作者が面倒臭くをって︑後を端折ったのだをどと︑変に物判りのよげなことを言わぬ
かぎり −︑作者の主たる関心が奈辺にあったかは︑自ずと明らかであろう︒これは︑コントではないことは勿論で
あるが︑ヌヴェールの構造も持たない︒発展するとすれば︑ロマンの方向のはずである︒︵スタンダールが︑レヌワー
ルの選集に同じく収められている他のヴェルションではなく︑この︹四︺を訳出したことは︑いかにもロマンチックの
世紀の小説家らしい︒をお︑彼が会話の一部として誤読した集りに︑EtqのくOSくau言S§N亀透〜﹁これ以上何を長々
と話すことがありましよう﹂との︑作者の言葉があることは︑まことに示唆的であるように思われる︶︒
事実︑十三世紀北仏の︑同じく心臓を食う話に取材した︑しかし︑八千行を越えるロマン ﹃クーシー城主とフュエ
ルの奥方の詩﹄は︑正にそのようなものだった︒歌を折りこんで︑恋愛の心理学︑時にはその倫理学が展開される︒
さまざまな事件が継起ないし共存し︑さまざまな人物が登場する︒過去の貴族社会が刻明に史実風に ー 実は誤りだ
らけだが − 描写される︒M・デルブイユが指摘するように︵讐︑歌が折りこまれて︑これが行為の意味づけになっ
ている点︑また︑アニェスと同じような犠牲的役割を奥方の侍女イザベルが演じている点︑この作品は﹃評伝﹄︹四︺
と奇妙を相似を示している︒なおまた︑この物語においてはついに︑恋人役のクーシー城主は︑フュエルの奥方の夫
の手にかかるのではなく︑十字軍で受けた毒矢が原因で︑しかも︑手紙と︑かつて奥方から拝領した編みかぎりと︑
心臓を聖遺箱に収めて届けるよう︑遺言して死んだのであった︒これが途中︑夫に奪われて︑奥方が食べさせられる
羽目になる訳だが︑防腐材としての香油をしみこまされ︑おそらくは干乾びた心臓が︑いかにして食卓に供しうるか
の詮議はこの際おくとしても︑また︑奥方の最後の言葉が︑﹁もう決して食べることはありえをい妙nuこOu︻m釘ne
ヨen喝eray⁝⁝﹂と同巧異曲ではあっても︑人はもはや︑十二︑三世紀プロヴァンスから程遠いところにいるのであ
ファブリオ・コント・ノダェレ ︵新倉︶ 一三
一四 る︒さらに付言するならば︑奥方の死ぬのは︑他殺でも自殺でもなく︑散文的に言えばショック死であり︑夫は丁重
な葬式を出してやったうえ︑妻の縁者の恕しをうるために︑海の彼方に渡って死んだのであった︒問題の場面から最
▲後まで︑この長大な物語詩の中︑僅か二百行にもみたないのである︒
***
以上をもって︑部分的にロマンに言及した︑コント︑ノダェレの構造分析を終える︒始める前に断ったように︑
ファブリオが抜けおちた︒しかし︑ファブリオ覆ら︑これをどう処理するかを想像することは︑それ程難しいもので
はない ︵展開構造は︑基本的に﹃評伝﹄ ︹こと同じで︑会話が多くなるだけだ︶︒犠牲者は騎士であっても構わない
が︑これが聖職者ならいっそう好都合である ︵﹃礫にされた司祭﹄︶︒そして︑或いは心臓の代りに︑恋愛の極めて生
理的機能部分を︑或いはそれを心臓と共に食わせるのである︒かつ︑女は殺さないでおく︒これは︑必ずしも荒唐無
椿な想像ではをい︒﹃イニョール短詩﹄ は︑結末は悲劇でも︑食卓に供せられたのは正にそのようなものであったし︑ イクリヤの﹃昔ばなし百舌﹄第六十二話は︑このテーマから艶笑評をつくり出したのだから︿望⁝⁝
最後に︑ギエム︑ライモン︑セレモンダは︑いずれも実存の人物であるが︑セレモンダが二度目の夫ライモンと結
婚した一一九七年の前年に︑アラゴン王は死んでいること︑また︑彼女は殺されずに離婚して︑無事三度目の夫アデ マール・モッセの妻として︑一二一〇年〜一二二一年の公文書に顔を出していること︑さらにこれが最も重要だが︑
一二一二年のラス・ナヴァス・デ・トロサの戦で奮戦した Gui −訂 ndeCab 袋 tPny が︑われらの主人公であるとする
限り︑心臓を取られずに済んだらしいことを︑すなわち︑すべては空想の所産であったらしいことを︑いささかコン
トの落ちめくが︑付け足して本稿を終えることとする︿ 20 ︶︒
二九七二・三二一六︶
註
︵ 1 ︶ cOnjOi 已 ure ︵内 1 鳶︐く・−早
︵ 2 ︶ Eug 〜 ne く︻ ZA く ER ⁚ゝ︑白岩 C ゝ馬ヽ C ゝ石丸.ミ至言註盲三急襲ぎ註 Paris −笥○﹀ ChapJl −㌧ 3 参照︒
′、 ′−ヽ ( ′一\ ′、 ′一・・ヽ ′−、.′、 ′、 ′■ヽ ′■\ ′《ヽ ′、 ′{、′、 ′、 ′ ̄ヽ ′一ヽ
20191817 16151413121110 9 8 7 6 5 4 3
拙稿﹁アベラールとその後裔たち﹂﹃思想﹄一九七〇年八月号参照︒
⁝ g − OSe ュ a − ettre \ Etde − OrSe ロ訂 sOrp − usmettre .︵卜軋切︸ prO − Ogue −く﹂∽〜−の.
P ・ Y ・ BADEL ⁚古寺宝ぎ泣き:こヲ罫こ註専象首よ軒選 e 空こ督.勺 aris −宗¢︸ pp . NO −ぷ参照︒
拙稿﹁悪女伝リシュー﹂︶﹃学鐙﹄一九七〇年七〜九月号参照︒
MariOBARATTO ⁚き Nh ミ丸亀 h 敢訂札巴 bqc 白玉雪盲﹀く icenNa −笥○−勺 p ﹂∽∽.
以上のフランス中世の作品は︑そのいくつかが﹃中世文学集Ⅰ﹄︵筑摩世界文学体系︑一九六二年︶︑﹃フランス中世・十 八世紀﹄︵集英杜世界短篇文学︑一九六三年︶ に収められている︒ JOSephB 臥 DIER ⁚ト内切旨芸塗ざ Paris −萎も p . N 芝ぷ参喝
Pau − NUMT ㌍ OR ⁚醇乱よ這&首完蔓察ぎ音 Paris −笥 N . pp ゝ Ou 参照︒
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