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日本の國家と經濟(一)-香川大学学術情報リポジトリ

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本稿は昭和七年十二月二十二目、京都帝国大聾教授経済畢博士作田荘完禁特に本校生徒のために秀されたる講

演を速記したるものにして、同博士の校㈲を経たるものである。

私は日本の図表と経済といふ題目に於て、日本の囲家集満と経済生活の関係に就きまして、特に外の囲と異な

る魔の我国の情勢、特質に裁て話したいと思ふのでありますか

今日の時代は非常時の時代といはれて居ります。如何にも柾芸方面を見ましても、是迄経験しない魔の飴程

攣った情勢になつて居るのであります。例へば政治の方面でありましても、政友愈が三淫人の代議士を持って居

りますが、それで内閣の組織が出発ないのであります〇先に空尉の絶理大臣が自重曙殺され、香寧ろ明殺され

て居るのであります。而も叫般の人はさまで驚かない。驚くべき事件に封して驚かないといふこと豊ハ慶に非常

日本の国家と経済

田本の固家ヾ−経済 二︶

経済研究 ∵第八巻発表︵諾五監︶

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な時代を暗示して居るのであります。叉、闘際情勢に於ては御承知の如く、今欧米諸因は凡て自分自身の深い悩 みを持って居りますから、どの囲も満洲問題に封して思ひ切つた態度を執り得ないのであります。言ひ換えれぼ 大国の凡てが疎んで居るから†それで章にもゼネウバに於て松岡全権をしてあれぞけの大気焔を奉げしめ得るの であります。あれは日本が強いのか欧米の耳大鞠が疎んで居るのか、恐らく繭方であるのでせう。然し我困が殴 りに進み過ぎますと、所謂過ぎたるは及ぼざるが如き魔道ゆせますと、せ界麓寧に導く危険が多分にあるのであ ります。世界斌軍に引入れられた時の場合は、それは貨に襲うべきものであらうと思ふのであります。どうして も世界戟寧に引入れるといふことは出来得るだけ避けなければならないのであります、経済界の方は申す迄もな く今は輸出が盛んに行はれて居りますが、もう少しして今迄の原料が無くなると同時に、ストックも無くなりま すと、輸出の好傭件もなくなる時が極く近い内に来るでありませうが、其の時は又嘗に甚しいショックを受ける であらうといふことは想像に難くないのであります。叉、財政上インフレーションが頻りに行はれて釆ますれぼ どれだけの建化が起るか、無論それは決して楽観される状勢ではないのであります。 仙慣日本の今日ある朗以は、明治以後に於て日本の図民終漕が特殊の櫓質を持って居るといふことから稔明が 出来得るのであります。殊に経済相靴と呼ばれるものは、私は昭和二年頃からであると児ふのであります。世界 戟寧経って大正九年に仙慶恐慌が起りました。其の後ずつと不況緯きで衆まして、何時か直るであらうといふ預 間数裏切って、経済畢で敢へるやうな景気循環の法則は伴うて出て釆なかったのでありました。遜に昭和二年に 第八巻 第 叫 渋 ︹二し 二

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金融恐慌に到達しました。此の恐慌に依つて戦前高いコストで経営した寄発は火照亜球される。叉令融の拶闘協 其鹿で整理さ紆、健全なものだけが後に凝って立直しが刑乗るといふ情勢になつたのであ牒ます。憩慌とは御承 知の如く、是は資本主義に附物でありまして是で整理されると資本主義は叉健全に立直るのが普通であります。 まめ 丁度チブスに躍ったやうなものでありまして、チブスに曜つた後は却って健全になる如く、恐慌は寧ろ資本主義 刺そのものにとつては歓迎される現象であります。思慌の中で噴れる資本家は寮の轟であるが、資本毒義金般と してはよくなる虚示二つの方法であります。其魔で恐慌が屡々来れぽそれだけ資本主義は整珊されつ1更に次の 生活を焼けてゆくといふやうになつて居たのであります。魔が昭和二年の金融翠慌はそういふ例をとらないので あります。是で直ると思はれたのが逆になつて益々不況に沈給して釆たのであります。そして昭和三年の最初に 行はれた魔の普通選拳は、是又国民の期待を裏切つて政治の上には何らの改善も見られない、寧ろ選容費用が飴 計になり買収が殖えたといふ位のものでしかなかつたのであります。そして同じく昭和三年に於ては御承知のや ぅに共産真の大検盛が行はれました。そして今迄他聞では知られなかつた魔の新しい事賛、即ち日本にも叉三千 年来の歴史を婁すやうな、そういふ運動が可成り深い魔道椒を拭げて居るといふことが、一般の人々に初めて認 識されたのであ少ます。其の後に於て昭和四年の秋からのアメリカの恐慌ぼ日本にも大きな影響を輿へ、或は金 の輸出を許してみたがうまくゆかないので、叉禁止したがまだいかない。種々の方法を姦して参りましたけれど も、其の方面は所謂光明を認めないのであります。生産の方面でありましても、或は労働者の方面に於ても、失 日本の国家と経済 ︵三︶ ≡

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柴の方面、就職の方面等益々不況に向つて進むのであります、其庭で今日日本の解氷、特に団民経臍の将来はど ぅなるであらうかといひ、どうしたらい1かといふことを考える飴地はないのであつて、唯どうなるであらうか と心配するやうな有様であります。どうしてそうなつて釆たかといふ串情に就て私の考える慶を申上げない。 大鰐に於て、日本の図民経済は明治の維新から両目を欒えて近代国民経済となり、近代資李王義を採用し凡て 欧米諮問と同じ状勢に於て進んで釆たのでありますが、大腰に於て日露戦寧頃迄は上り坂に於て、漸進的に経済 の進歩を見たのでありますが、日露戦野以後は下り坂になりまして、それからは次第々々に形勢が患くなります そして大群ニニ年に於ては巳に不艮の情勢が革貨の方面に於て硯はれ、正貨の流出に堪え得ないでどうしたらい1 か、途には姦璃旦異らうか、蒲鉾を賢らうか、是ならアメけカは贋って呉れるだらう。是で仙つ財床孝雄に依つ て牡開を切り抜けやうといふやうな考え造出たのであります。大畢二年に於て、最早成る程産道は行き詰︵一て発 たのであります。然るに同じ年の世界大戦に依って形勢は全く攣りました。其の五年問は全く人々をLて好景気 に字頂天にさせたのであ牒ます。私はあの五年の問を戦時舞摺の時期といつて居hこます。人々は唯ジャズに酔っ てダンスをやって居るやうな時代でありました、儲かる︿といふ饗に酔って轟然自分を忘れたやうた瑚態であ 功ましたが、是は決して我囲の特有なる経済力の草炭ではなくて偶然の戦寧に依る需嬰の増加といふに止まつた のでありますから、戦後に於けるそれの反動は、景気が非常忙不良となつて途に今日のやうな経済憩慌に進んで 釆たのであります。どうして然らば日本の囲民経臍がそういふ経路を取るかと申すと、是に就て私は日本の開民 第八巻 弟 仙 波 ︵四︶ 四

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経済の特色を二つ奉げるのであります。是は外の固民経済にない特色であります。 第剛に我周に於ては、嘗て生産の進歩から輸払超過を見牢ことがないといふ事嘗であります。それから今州つ は我問に於ては殆ど外囲の資本が入つて覿の塵菜を起したといふ寄寛がないといふことであります。輸出超過が 嘗て親らない、外囲資本が入って釆ない、此の二つであります。貿易の方から申すと、大腰どの閲でも故初は輸 入超過でありました。それは外囲の新しい種々のもので自問に出水ないものを輸入いたします、がそれでは貨幣 を無くして了ふ盛れがありますから、其の次には問屋を起すために外囲から或は機械を異ひ、鋳造材料を買ひ、 或は技師を底ふといふやうに、生産車段を外囲から求めるのであります。是は無論輸入超過になりますが、其の 固腋外開から資本を借り入れて生産手段を輸入するのであります。是に依って漸次に国産が起ります。仙闊の産 温が後学してゆけぼ自ら輸入は減じ輸出が増加し進んで輸出超過となるのである。が股初の時代の輸出超過の間 は外聞から借りた資本の利子を支彿ふ。是で勤外収支の均衡を取ってゆく。だから輸入超過の後は輸出超過が来 るのであり愛す。輸出超過を長らく祈けると今度はそれだけの差額として得られた魔の貨幣は、今道外開から借 りた資本を償還する。更に進んで輸出超過が焼き瑚有り飴る魔のものは、関内に投資するには利廻りが少なくな って釆ますから、後進閣に貸し付けるといふことになる。そうLてそれから利子を得るやうになれば貿易は必ず 輸入超過に攣って米るのであり悠す、共魔で現在の英膏利、彿蘭酉、大戦前の猶逸の如き園は巳に第二顔の輸入 超過に這入つて居ります。輸入超過が通例になつて釆て居る戦前の霹西亜或はアメりカの如き蜂椋机超過薗であ 8本の国家と経済 ︵五︶ 五

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った。アメリカは英語利から倍った資本の利子を支彿ひ、霹四亜は彿蘭四から倍った資本の利子を支彿ふ。故に 輸出超過を結けてゆくのであります。南米紹囲も叉秋雄巴諸固から借った資本に封して利子を彿ひ輸出超過をや るといふやうに、段々と後から出て来る国民経臍を、輸入超過、輸出超過、輸入超過と、此のこ顔の攣化をする のであります。是は何魔の図の問民経済を調べましても、皆そうなつて居るのである。叉それに依ってどの図は どの階段に居るといふことを指摘され得るのであります。鹿がどうしでも輸入超過むやめ得ないで輸出超過にな らない園は先づ支那と日本だけであります。支那も開観以来嘗て輸出超過をやらない。是は受郵の産業がまだ近 代的な魔道釆て居らないのである。開梅他には近代産菜が外囲資本に依って起り、叉内因資本もそれに眞似て少 しはありますが、国民経臍全般として、は支部はまだエ柴に於ても極めて幼稚であります。畠菜も叉非備に貧弱な 状態にあります。然し今後支那の政府が確立して近代産業に這入ってゆくならば、支那は必ずや輸出超過をなす であらうといふことは、種々の事情から考えられるのであります。鹿が日本は支部と違って工柴に於ては巳に欧 米の山流困と同じ水準に迄塞て屠るのであります。是から園庭が起ったなら掛といふのは支那のことであつて、 日本に於きましては已に起り得べき産柴は殆んど唐起つて居るのでありますっエ業の方面からいつたならば日本 は最早一流であります。斯やうな陶であり乍ら然も輸出超過に怒らないといふことは、是は日本だけに見る現象 であります。全く特色であります。尤も明治十七年頃かち明治二手年の問に於て輸出超過は数回ありましたが、 是は園内産米の進歩から釆たのではなくて馬啓開係から輸出超過を米たLたものである。即ち此の期間に於ては 第入谷 第 仙 栗 ︵六︶ 六

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日本は事嘗上は純然たる銀本位閻になつて居ります?然るに銀の慣格は雲弗々々に下落して屠りまして、御承知 の如く、明治初年に於ける金銀比僧は二封十六であつたものが、明治三十年に一封三十二になつて二分の⋮に下 ■ 落して居ります。左様に銀は漸次下落して来た。従って銀貨も叉封外為替に於てそれだけ下落して釆ます。此の 囲が下がるといふことはそれだけ輸入に勤しては踊税が多くか1ると同じ結果となり、輸出するに於てはそれだ け安く出し得るやうになります。馬替が漸次に下落して行く時、輸入品は漸次高く輸出品は漸次安くなつてゆ く。斯ういふ極めて好都合な僚件の下に、数回輸出超過はあつたのであります。それは決して産菜の進歩には依 らないで、為替関係から発たといふ詮嬢は明治三十年に金本位となつて、それ以後は漸次輸出超過はパタりと行 はれないやうになつて、すつと輸入超過であります。叉せ界職寧に於て特殊な夢描から、大きな輸出超過はあつ たけれども是も其の事情が血んだならば、直ちに戦後に於ては大々的な輸入超過で今‖迄それが拭いて釆て居る のであります。であるから外の囲が経過したやうな経路は決して取らないで、日本は先天的輸入超過囲といはれ て居るのである。貿易上から航た国民経済の恐達を、外囲経済に比放すれぼ、日本は其の第二撃年がどうしても 進級出釆ないのです。囲を開いて己にヒ十九冬、約八十年でありまするが、其の問に於てあらゆる方面に蓉展進 歩を途げまして、産業の上からいへぼ、第叫流の図になづて居り乍ら貿易の方面からいえば、第∼拳年がどうし ても進級出来ないのです、是は或る意味に於て日本の閉居経済は低能見であるといはなければならない。大なる 努力はして屠るけれども第こ単年に及第出水ない。斯ういふ風なのは日太ふ〓つの特色であります。 日本の国家と経済 ︵七︶ 七

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それから今山つは外囲資本が這入らないといふことであります。外の闊を見ますると、例へぼ、アメリカは英 曹利の資本を入れて産菜を起し、露西覗は彿蘭酉の資本を入れるといふやうに、或は南米諸図は歓克巳詔図、或 は北米合衆閏の資本を入れる。支那といへども、始めは外囲の資本を入れて秤々の産柴を親し、脚遣を敷き鍍山 を拓く等、どの囲でも敢靭は必ず外囲資本に依ってそして威光を挺してゆくのであります。魔が日本には産業の ために外観資本が殆んせ這入つて居りませぬ。日本の外依の大きい時は二十芥倍園にも上って居りますが、其の 大部分は日露戦争富時の軍事費の借金であります。是は戦争で発って了ひ、それから其の他忙於ての貰覇の外岱 は革質を補充するための借金であゎます。貿易は輸入超過であるからどうしても正貨で決済して彿はなけれぽな らない。其の唯貸が瀾渇して居れぼ、免換制度ば倒れますし外囲の信用は失ふので﹂正貨を維持するためには借 金より外に方法はなかったのであります。それご明治二手八年の日露肢寧以後大正三年に至る世界戦寧の年に至 る十年聞は、叫年として外開から金を侍らない年はないのであります。毎年々々外観から金を借ってそれは何に するか。殆ど凡て正貨の補充でありますゥ金本位の維持であります。であるから此の金は資本として入つたので なく丁度、我々が借金をして居て其の方の煮沸ひ忙困るから此方から侍って先方のを支沸ふといふやうにやって ∵同それは生産を促進する資本にはなつて居らないのであります。それで庚菜のために用ひられた外囲の資本は 先づ日本では電束事菜が嘲布多いのであります。是は主にアメリカから倍って屠ります。アメリカの方では電気 に関する程々の撥妙を常込むから、或る意味に於て其の横械を貫ひ入れる金とLてのアメリカの資本を桐ひて居 第・八巻 第 劇 凍 ︵八︶ 八

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るのであるが、金牌からいたしますと、産柴のために外囲の資本が入つて居る割合は極めて少ない。大部分は軍事

費と金本位縦持の借金であり愛す。意磯に外囲から資本を借らない。支部の如きも革命後は殆んど資本は這入ら

ないけれども、是は支部の政府が確立しでゐないのであつて元利の依却が不安であるから、支那に資本が釆ない

のである。アメリカの如きは支部へ資本が出したくて堪らないのであります。常にアメリカから支部に資本が出

たいといふ其の勢ひ、其の問に日永が這入って居ります。それであるからアメリカから支部への資本の移動とい

ふものが動くに到して日本が間に入つて居るといふことが、日米関係を険悪にして居る繹であります。支那の方

には資本が入る可能性が多分にあるが、未だ信用が置かれないから資本が這入らない。が日本の如きは評判にな

って居る梓信用の厚い園民であつて、未だ日本は外囲から侍った金に勤して元金は無論でありますが、利子を仙

銭待って呉れといふことを劃密通いつたことがない。日本人程其の郡には信用の厚い同氏はないとまでいわれて

居ります。閻際淡でも同様であつて、日本が囲際法を息驚に守るといふこと、是が欺羅巴観際法を世界囲際法に

進めた例の大きな原因であります。以前は国際法は弘制力が件はないから教葦の高い圃民でなければ、適用出来

ない、教養の高いといへぼ、キリスト教徒でなければならないのであるから図際洪はキリスト教国民の法律だとい

って居たのであります。それに封Lて日本が樹際鞠鰭に加盟した後、極めて息賓に観際法を守った。是が欣薙巴

庸際法をせ界固際法に名琶共に攣へて釆夜所以で訝ります。今日でも満洲問題に放て、聯盟規約、不戦條約及九

開催約といふ、此の二ろの健約があるので非常に苦心惨憺するのである。荒し鳩逸がベルギーの中立を破ったや

日本の幽家と経桝 ︵九︶ 九

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うな態度で必要の前に樵利ありといつたら何も心配することはない。今や欧米諸国も由って居るのであります。

どん/\やってrえぼい1が、日本の立場として偲囲際法の遵守といふことは寧ろ紳粁過敏な程息賓でありま

す〇其虚で膏闊としては闊際法は息琶に守りたい。然し今日の状勢に於ては浦洲問題を解凍しなけれぼならない

といふ、此の二つの要求に挟古れて居るといふことが、是が昨年以来の浦洲問題に於ける日本の立場をよく理解

し得る所以であります。其虎で日本に対しては決して信用の薄いといふことはないのであります。然るに日本に

は資本が這入つて釆ない。是は何であるか。どうしても其彪に物質的な事情がなければならぬのであります。

以上螢げまし空一つの特色、鞄出超過に進級出来ないといふことゝ、外聞資本が這入らないといふこと、、先

づ日本に於てのみ見られる此の特色は、然らば如何なる原因から術て居るか。私は是を主として富源生産力の貧

弱であるといふことに掃するのであります、我が闊民紅顔が生産手段の中の富源が貧弱であつたし私は生産手段

を四つに分けて居りますが、労働と技術は、是が人的生産手段、それから富源と、資財と、これが物的生産手段

であります。資財と云ふは物的生産手段で、営利の山九本たるとは遥ひます。努力と技術とが人的生産手段、富源

と資財とが物的生産手段、従って生産力は此の週つの生産手段に具って居るのであります。そして生産が行はれ

る場合は此の四つの生産手段、若しくは生産力が緒合した時に初めて生産は可能であります。四つの隼産手段が

別れくでは生産全く出来ない。結合した時に於てのみ生産は可能でぁります。触議生産の樟類た依っては結合

の割合が違ひますが、兎も角凶つが結合する、此の四つのもの1中、我が困に於て〓野際乏して居るのは富源で 節八巻 第 山 渋 ︵仙○︶ 劇○

(11)

あります。天然に輿へられた魔の物質的な生産手段であります。此の富漁生産力が如何なる働きをするかと申す

と、私は此の鮎に於て富源甥論といふものを唱えて居るのであります。それは資本鱒諭を補ふものであります。

四つの生産手段が結合して生産をする。其の生産から剰飴が出て来る。此の場合の剰飴は何から釆たかといひま

すと、無論闘つの生産手段から釆た。四っの申技術といふものは労働力の中に入り込んで居るのであります。例

へぼ職エでありますと、どんな熟練した職工でもどんな未熟な職エでも、生活資料はそう相違はないのでありま

す。腕のいゝものが特に実昧しいものを食ふといふ詳ではない。それから資財である横板、原料などゝいふもの

は、是は以前の生産で出来たもので結局は富源と努力とに還元することが揖釆る。天然に輿へられた魔の物質的な

もめ、それを我々の努力に依って引き出して釆たもの、是が資財であります。で此の資財といふものは結局は富

源と努力に還元印釆ます。富漁ガ伊では出来ないが、富源と労働で資財が出来て葬る。魔で富渡と労力とは執れ・

も仙方恕他方に還元されることは出来ない。そこで生産は結局富源と筍働力との二つの生産力些還元出来るが、

富源と労働力だけでは各々猫立した生産力であります。富源も人工的に出奔たものではなく、全く自然に輿へら

れた物質が生産の方向から見られたものであります。労働力も叉人工的に作られたものではない。我々が人間生

活をなすに於て自然に輿へられた、自然に持って居る心身の活動を生産に向けたものが、労働力であります、富

源及び労働力といふものは夫々攣止した布衣を持って居る。それで生産に依って剰詮が出爽た場合の其の剰飴は

富源から爽たのと、労働から乗たものと其の二つの剰飴を持って居る。共に富源剰飴と労働剰飴といふ雷雲を便

日本の憐家と経済 ﹁一こ 一一

(12)

第八巻 策 劇 鶉

へ二こ 三

ひます。マルクスの理論からいひますと、剰飴は凡て労働からといひますが、私は冨瀕と労働の二つの源泉を持

っと思ふ。無論富源といつても、例へぼ鼓に焼山があります。其の銀山白身は何も動かないのであります。是に

労働を加えて石米なり鍍を掘り出したら初めて富は出て来る。労働を加へなければ富は出て釆ない。其の場合矢

張り労働に依って出来たのではないかといふ人が多いのであります。が私はそう考えない。其の場合労働を加へ

ることに依つて此の富は出て来るけれども、富の由つて釆たる魔の瀕泉は労働ではない富漁にある。此の意味か

ら無論銀山から石次が掘出されたとき旺労働の働きから弊た剰飴凍ありまするが、労働だけではない。富源から

釆た剰飴もある。其の例に就てよく引くのは窺虞の例でありますが、賓掃った琵眞は太陽の光線で撮る〇晩蜂特

別に装遭した電燈で揺る。此p場合に於て同じ焉虞が出釆て同じの値段で浮れる場合に、其の何れが飴計儲かる か。夜の方は特殊な電燈装置をするだけ生産費が飴計か1るが、笠撮る方は太陽の光線で搾るから無代でありま

す。其虚で韮に二人の蔓鞄屋があり、∵八は聾しか螢葉が出水ない、天は夜だけしか常葉が昭栄ないと、斯う

定めて居て兢零させたら何れが膠つか。同じ値段で登るのならば藁の方が生産費が少なくて儲けが多い、叉それ

だけ値段を引きまして庸けを同じやうにすると夜の方が高くなつて傾かりにくいに発って居ります。斯くの如く

太陽の光線から箆虞を撮る嶺合には此の天然自然の富源生席力がある。即ち光線が産物の申に生産力として働い

て来る。無論嘉産廃が螢働しなけれぼ太陽の光線は渇虞の中には衆生せんが、労働を通さなけれぼ剰飴は出釆な

いけれ共、剰詮が用て釆た瀕は労働でなくて太陽にある。此の昔昧に於て年産に剰飴をどれだけ出すかは富瀕に

(13)

多く依頼する産発とそうでない産業とは造って来るのであります。でアメ、リカがあれだけの富を得ましたのは無 ノ論アメリカの企業精神が旺盛であり梓今の事情もありませうが、大鰐に於て富源生産力が働いたといふことが劇 番犬事と思ひます。アメリカの生産品玖屯輸払超過を柁打て居る主なる輸出品を見ますると、例へば小変でも棉 でも木材でも、或は鍍石狭を利用した魔の種々のエ柴品であつても、或は石油であつても殆んど目星しい輸出品 は天然の富源生産力を多分に利用した産物であります。英鹿でアメリカで鼎記作りますと、此の棉の生産から得 られた剰飴といふものは、労働者から出した労働剰詮とアメリカの土地が輿へて呉れた魔の富源剰飴との結合で あります。日本がアメリカの棉を買ひますと、棉の値段の中に富瀕刺飴と労働剰飴にあたる部分は含められて居 ります。それを日本から代償として排ふ、アメリカ人は棉を繁ることに依って労働剰飴は労働所得でありますが 富瀕剰徐にあたるものは不労所得であります。富源から舞る不労所得が酢命関係に輪換して衆ますと靡い意味の 城代になつて来るのであります。アメリカの国民経済としてはそういふ剰飴を日本からチャンと取って居る。日 本は棉を買ひました分にはそれらの剰飴をアメリカに梯って居る。そして棉を買ひまLて是を紬布に仕上げて清 祥、支那等に繁るとすれげ此の過程に於て出た虞の剰飴、是は労働剰静だけであります、其庭でアメリカの輸出 品は不労所得が多分に入って居りますが日本の輸出品は労働所得だけしかない。富ひ換えれぼ手間賃だけを選っ て居るだけである。指物師が此方から木の原料を苛つて衆て机む作って賓る、其の問の手間賃を儲けると同様で あります。それで富源生産力の塞が国民が不労所得を漸次に蓄積してゆくといふことが、闘民の欝を特別に大な 日本の閉家と経済 ︵州三︶ 二ニ

(14)

らしむるのであります、是はアメリカに限らない、英普利も今見る鹿では何時も輸入超過であり外囲から資本の 利子を取り、それで輸入を増Lて居るやうな所謂、金利生活をやつて屠りますが、少し以前は盛んに輸出超過を やつたものであります。其の輪揖品は英曹利としてはエ薬品でありましてアメリカと追って農産物ではない、エ ヽヽ 菜品でありました。此の場合英書利のエ菜は自閉の富有なる餓と石次のおかげであります。今叫つは殖民地から ’ヽ 取れました原料のおかげであります。石浜も鋳も叫文も代償を排ったものではない自国で掘り出しては新しい横 械を作り其の撥械で毛植物を作る。或は紬植物を作りそして是を外囲に安る。輸出超過をして段々と資本を蓄積 した。それで今度は外囲忙貸すやうになつて来るから、貸すやうになつた時はそれだけの富は生産からは出ませ ん。今度は金利生活者として利子を取って資本を碑やすのであります。これも不労所得であります。斯くの如く 富渡生産力が豊なる場合に揉多くの不労所得が出て釆るから、綻つ空囲の宵はどん′\増してゆ㌢ます。輸出超 過の固になる程産業は進み得るのであります。虚が日本には其の大事な生産力が特に貧弱であhニ浸す、それから 叉資本が入つたといたしましても、富汝を開敬する産米なり、或は自国で生産した原料を用ひるエ柴であるとか 兎も角富源にゃつと連絡して居る産共であるならば、外聞資本を借りて釆て事業を起しても利益を得るのであり ます。即ち富源刑飴、不労所得といふものが生産剰飴の中に入って釆ます。だからして其の刺飴の川部分を外囲 の資本家に利子として分配Lても尚其の産業の剰除は相常な利廻りになるのであります。ア㌢リカが英曹利から 資本を淫山に入れて萌黄を起しても其威から出る生産剰除は、英普利の資本家に山部分を分配しても葡アメリカ 弟 八巻 第 血 沈 ︵岬四︶ 二四

(15)

の肇本家は描けるのであります。叉努拗者に射しても相苫の優遇をしても絢爛かるのであります。それだけ剰飴

は多いのであり1ます。所が棉藍見入れて紬布に仕上げて賛るのは共産に労働制験しか出ない。若しアメサカ等の

なみ 並に利潤を相富取らうとするならば労働者陀封して無理をすることに依って資本家の利潤が出て来るのでありま

す。是は賓際に於ても其の通りであります日本の輸出品の内二祈大きいものは生細と綿製品でありますが、此の

二大産柴佐於ての労働者はどうであるかといふと、殆んど大部分は女子であります。女子の労働者に封しては男

子よりも遠かに不利な條件を以て仕事をさせ得るのであります。其魔で是迄日本の貿易に於て紬新市場と生新と

い′ふものが日本の貿易を支えて呉れたのでありますが、此の重要な仕事は殆んど女子がやつて居るのでありま

す、女子は唯獣つて仕事をし乍ら我々の国民経済を今日迄支えて呉れたのである。其の間二階男子は何をして居

たかといふ疑問が出るのであります。此の女子にさすれぼ患い労働傭件でも仕事が出奔ます。三年働いて嫁入り

支度さえ得られたらといふやうな気持で田舎からエ窃に出てゆくといふのが大多数であります。斯ういふことは

西洋に於ては見られないやうな特殊の労働催件の下に働らいたといふことで初めて資本家も相首の利潤が出て乗

る。或は相雷以上にも出て来る。利潤が出て釆るから其の寄集が柴えたのであります。其の事業が発えるといふ

ことが日本の輸出貿易を支えて居ったといふことが出来るのであります。それで富濾生産力を直接なり間接にな

り採用し得る産柴は外聞資本を侍って釆ても引合ふことになります。それが原料を外囲から買って製品して居る

やうなエ場では、外闘資本を借ったのでは利潤が上らない葦です。それだけの仕甲斐がないのです。是が如何に

日本の国家と経済 ︵一五︶ 岬五

(16)

第入谷 発 山 渋 ︵二ハ︶ 二ハ 信用の厚い日本人であつても外囲から資本が入らない詳であります。向ふが貸した魔が利益がありそうに見えな いし、又日本の側からも資本の利子が彿えないのでは大して利益にならないといふこ上の算盤を弾くのでありま せうが、理論的には生産力の方面から詮瑚出来ると思ふのであります。然トそれでも日露戦争に至る頃迄は、矢 張り座薬は敬展したといふ其の謁は、富漁が貧弱とはいひ乍ら、徳川偶には殆んど開塾されないものが浮山姥っ て居りました。鍍叫にせよ、新Lい鍼山もむu焼山も新式の採掘精錬技術に依ってやりました。土地も東北の土 地北海道の土地を開き、仝観に官すて耕地整理をやるといふ風に富源生産力を均し、明治時代に入つて面目を山 新した程多くなつて発た繹であります。叉物日鰭濾殖えないけれ共、利用の方法に於て多くなつて釆たものもあ りますっ暫くの問は是で持ってゆきます。 それから今帆つ日本の特色は生新であります。大鰐輸出貿易の年分を占めて居る生新は、生辟螢といふものが 非常に低くかつた。初めは繭を作っても農家の閑散わ努力を利用する。桑も山とか畑にあるものを用ゐるといふ やうに南の生産費は幾らもか1つて居らない程少なかった。其鹿で農家も繭正賓れガゞけ儲けたといふやうに考 えて居つたのであります。叉生新の生産の方は維新等と追って此の方は大部分は手耳業の小規模なものであサま す。舘麻紡績妓近代的なファクトリーであるが、生赫はマヌウウチェア1であつて、そして固定費本が少ない。流 動資本としては安い女エの労銀が大部分を占めて居りました。共虞で繭といひ淋といひ飴程安い生産費になつて 居る、故に生産費がどれだけか判然調べがつかないといふ有様である。そして此の生顆姓何鷹に賛るかといふとア

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メリカに迭る。アメリカでは鐘紡といふものは作らないから、其庭で生森の憤格は何で決めるかといふと、アメ

リカに於ける購買力の如何忙よつ七生薪の慣格が決って氷るのであります。日本では生鼓費は安いがそれは情緒

を決するのでは凌い。生産費が慣格を決めるとレ、ふが、生舶の慣格、世界商品としての生新の慣格は生産費には

依らないのである。そしてアメリカでは、自分白身の図では生森が出来ないから生新の生産費といふものはアメ

リカでは問題になら考い、日本で生新の幾度費が、鶏らか1るかといふことはアメリカでは無開係である。自分

の図で錐産費が幾らかと濁へる時初めて生産費が貿易慣格を決めるが、アメリカでは生瀬が出来ないから少しも

向ふでは生産費を問題にはLない。そしてアメリカでば生霜を幾らに買ふかといふことは、人口の需嬰が殖える

に従つて生赫峯向く日本から買ひます。そのアメリカは馬年の繁柴閲といはれるやうに昭和四年の秋に至る迄は

アメリカは殆んど間違ひなく繋共闘としてのコースを通って釆た。故に生羅の需婁は払えます。それだけ坐轟の

値段は高くなつたのであります。それで日本の生産費は全然問題にならないで、生産費よゎも遥かに高い虞で此

の生瀬の憤格が決まる。此の憤格の状勢なり或は貿易の起って舛る事情なりは、桝鞄比較的生産費詮では全然詮

明出水ないのであります。それで生新も値段の高い時は〓欄二手二百七十凰といふ非常な高示虚塵東吏したっ生

庚費よりもうんと高い塵に繁れるといふことは、恰かも富源生産力が働くのと同じ作用をなして居るのである。

更に其の輸出の紘覇といふものは全輸出貿易の学ぼを占めるといふ大きいものであつて、是は日本にとりまして

は脚大富瀕であつたといつてもよかつたのであります。

日本め観家と経済 ︵血七︶ 劇七

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第八︰巻 ▲第 叫 渋 ︵叫八︶一入 それから倫且貧弱な富源でもやって釆たのは、撃こには抜術でありまして、此の技術も徳川現に於ては全くな かつた魔の新式の生産技術が明治に入ってどし′1外囲から塾びとれられたのであります。欧米の技術は次第に 進歩して発たのであり蚤すが、日本の場合は明治以後に於て急激に何でもかでも骨持ち込んだ、だから叫時に、扱 術といふ生産手段が忽然として甥はれて釆允のであります。欧米ではそんなことはない。技術が如何に壁産の進 歩に貢献するかは申す進もないのであります。それから荷初めの問は資本主義をとつて、そして新しい経営の組 織に依って新しい零賛を起して発た。そして新しい生産の組織なるものが、急激に生産の増進を引き起して釆 た。資本主義の生産は、資本が生産力を十分に働かして居る問は大なる効果を奉げるのであります。資本尭鶉の 行き試けは生産力がよく動かないやうになつて釆たときであります。日露戦寧迄、資本主義が漸次成長してゆく 親間に於ては、それが日本の産蓋に大きな役割を演じて居たのであります。碩是正附け加へて明治の初めから日 露戦争迄は観衆が発頭に立って観民紅顔の蟹展忙就ては容易ならぬ努力をして居るのであります。出来掛る限り の方法を加へ出来得る限りの助長手段を講じ、株式愈敢の如きも畢初に政府がパンフレットを配って民間に奨め て、斯ういふことをやつてみよといふので奨め凌が民間では仲々やらな・い。姦府のパンフレッ一にはヾ外囲では 株式合計といふものがあつて、例へぼ株式に百聞沸って置けば、損しても革囲で済み、儲かる時は大きな資本を 集めてやるからどれだけ儲かるか知れない程傾かる。是稗都合のいゝ経営耕紡はないから血つやったらどうか、 と奨めるが仲々やらない。其虚で政府自ら馬替脅敢や通商脅敢といふものを作って模範を示したがまだやらな

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い。今度は樹立銀行を首何十といふ、銀行を設けて是を株式禽敢の組織として模範を示したので段々と解って釆 た。それから株式禽敢が剋って釆たやうなもので、日東の資本主義の棄連は大鰐に於て、政府が先頭に立ってや って釆た。外囲の資本主義の如くーブル㌻ヨアーが自己の努力を以て、経臍的並に政治的の勢力を控得したのとは 趣きを異にして居るC日本の資本主義は国家が助成した資本主義である。其應で資本主童と観衆の方針とがビタ セと⋮致し1て居る。朗謂官民山致のものであつた。そして梅有力なある生産力を用ひて努力して釆たのでありま すから、日露戟寧迄は産菜が婆達して釆た。然し此の頃から漸次に、生産力は己に物質的方面に於て快乏を現は Lて釆た。生瀬の方は是は傾かるといふので、人々が閑散の労働でなくて人手を借りてまでもやり、叉桑を買ひ 入れる。桑を作るために費用をかける。信州などでは米の積れる田地にまで桑を植える。斯うなつて来れぼ繭の 生産費は算般皿に高く出て来る。それから製麻工場も段々とファクトリーに欒ります。樺械的作業に撃って釆た9 固定資本もかゝつて来る。螢働者の方も相雷の貿1銀を梯はねばならぬ。エ婁にあつても政令問題が起って釆た。 遽には生産費が段々と高くなり、生産費が算盤に上って郊た。その上に最近は不事にしてアメリカの方では段々 ただ と裔姿が前程はなくなつて釆た。或は人絹といふ読替者も硯はれる。そうすると、此の生森といふものは、普通 のエ柴になつて了つた。富漁生産力に類する不労所得を出すことがないやうになつて禿た。是は山つの集線であ りますけれども、影響は大きい。輸出貿易の年分を占めてゐたといふのであるから其の影響は大きい繹でありま す。次に扱術の方でありましても、〓既にうんと持ちかけて畢んだが〓膵技術が行き渡って来れぼ後は少し宛進 日本あ国家と経済 ︵山九︶一九

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弟八巻 第仙 波 ︵こ○︶ こ○ 歩するといふこと忙なつて、何も特徴はなくなつて来る。叉資本主義も日露搬寧頃に於ては略々成熟して釆た。 そして資本は可成り増殖されて釆た。資本は増殖して釆たが生産力はそれほど増さない。特に物質生産力が増さな い。其庭で資が本生産力を動かすといふ方耐に於ては、己に十分に生産力を働かし得ないやうになつた。叉更に 政府の保護奨翻も初めの間は、政府が非常な勢ひを以て應柴革命を指導し、闘民経済の建設に貢献したのであり ます。政治家は国士的、経世家的態度を以て図民経済の建設に臨んだ。知識は外囲から新しいものを取って来 る。だから明治の初鉦に於ては洋行から掃ったといふ入は、凡べて人が違ったものとして糠逆されたのでありま す。何も知らない庭に、櫛々のことを知って居る者が外固から躍って釆ますから、貰に笠密がられ庖ものであり ます。今日は西洋に行つても大してえらくはならない。向ふで叫つ桝に居っては日本に辟って乗ると欒化せる国 情が解らないので、却って前より少し馬鹿になる。日本梓世界の電報通信を樫山取る固は英曹利以外にはない。 日本に居って新聞を見て居ると世界の事情が詳細にわかる。新聞を比較して御璧になつてもわかります。多くの 外囲新聞妓世東的な状勢の電報が少ないが、日本の新聞、例へぼ朝日、毎日を御既になつてもわかるが、あちゆ る方面からこんな事件はと思ふほどのものまでも高い電報料で載せる、であるから初めの間は外囲に螢ぶとい ふことが非常な利益になつたの.であります。其虎で初めは政府も外囲からの新知識で指導して居りましたけれど も、段々外開から入るものは入つて了つて外囲から来るものはないやうになる。これ陀反し民間の方では段々と 自分で軽食し嘗際に経験した知識を積んで釆たから、民間の嘗柴家が官吏より偉くなつて釆た。叉国士的経世家

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的な精神を持って居る人も次第に世を去って少なくなつて釆た。後は畢校を出ると直ちに富豪から娘を箕って呉 れと歓迎され、直ちに立派な地俄に就き、欒々と拍世して釆たやうな人が政治の局に貰って釆た。所謂苦労を知 らない人々に依って政治が行はれて凍るノ。妄に於ては資本主義の成熟若くは爛熟から資本家の利益擁護のため に仙閲の経済政策を左右する。そして政府の政賃は閑居鵬般の利益を閉るのでなくして、l部階級の利益をのみ 囲るやうな政策が綿々出て来る。そして最も大衆の利益を阿る政策は常に曖昧にされて居る。此の鮎に於て最近 の政府ほ囲民駐韓の指導能力を持たない。寧ろ反動打相雷惑い︷〃面に導いてゆく方の政策はやって居るが、よく なるやうな、よくなるやうな政策は殆んどない。政寛政拾始まつて以来、炭面目な躍臍政策といふものは殆んど 哉々は見ることが出来ない。是だけの艶々なる事情がぶつかつて、以前は上り坂であつたが今度は下り坂になつ て釆た。 日本の囲民経酒として今日我々が考え沿ぼならぬ魔の大事な難が二つあります。それは生産力が不具者になつ たといふことであります。発刻申しましたやうに、日露我等頃迄は人的物的生産力が大隈に於て揃うて居った。 然しその後はそうでない。人的生産力は人口の増加と嘗柴教育の進歩とに依って増進する。労働力も扱術も増進 する。朗が物的生産力はそういかない。資財は主として富頭から引き出すものであるから、富瀕に関係して来 る。其魔で大帝な物的生産力は富源であるが、それは人工的に作け出すことの出釆ない生産手段である。其虚で 人的と物的の生産力の釣合ひが失はれて釆たのであります。同じ釣合ひを失った場合でも人的の方が足らないで 日本の域家と経済 ︵こ劇︶ 二仙

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弟八巻 ︵二二︶ 二二 物的の方が飴るのは始末がい1。露西軍、南米、支部などでは開畿されない富源が渾山あります。シべけアには

殆んど手を着けてゐない?マルキシスト達は地球上の六分の一の面積を占める露酉亜が共産主義をやってゐる、

偉大なものだと誇らかにいひます。さように地球の六分の劃を占める面積の申でシベリア沿海州は殆ど手をつけ

て屠らない。本国ですら手のつかない魔が渾山あります。そういふ状態でありますから、ぼつ′∼富櫨を開け

ぼよいので、富源は為らあつても心配ない。唯心配なのは人の方が多く飴ってゐることである。富濾の方はチャ

ンと休んで居てそれでい1のでありますが、日本のやうに人的生産力が飴るのは始末が惑い。人は飴って仕事を

しないでも飯を食はなけれぼならぬ。現に今日我々がそうであります。日本の家族制度では自分の親族に於て、

仕尊のない人があると何とか助けてやらなけれぼならない。人的生産力の方が飴って居る場合には、単に失柴や

就職疲があるだけでない。現に職業収入を持って居る人々がそれのない人々を茸なつてゆかね庭ならないから、

職菜を持って居る人も決して欒ではない。職業のないものは職巣のあるものが養って居ります。其魔で人的生産

力が飴って居る場合は非常に困るのである。困るのは分配の問題でありますが、叉生産の方からいふても、二つ

の隻座力が結合した魔だけが働いてゐる。結合し得ない魔の生産手段はあつても何にもならない。此の意味に於

て日本の生産力は人口が飴るから消費量だけは植えるけれども是に封應するだけの生産力といふものは飴り殖え

ない、殖えないのは人的物的生産力の釣合ひを失ったことに原因す告今一つは生産力の分ば富源が増し得ない

から結合生産力としては飴り増加し得な小。資本の雰は嘩々等速腰を縛がす如く均鱒して来る。資本は遠慮な

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く増加して来る。生産力を動かすやうに資本と生産力との釣合がとれて居ると、資本主義はよく運持してゆきま す。又資本が足らない時は外囲から借って蘇るから主文へない。叫番無事なこと巧資本と生産力との釣合ひが 浦洲事欒は、沸洲の富源生産力を我々に利糊せしめ得る横合を灸へて呉れたのであります。′此の生産力をよく利 き出すのである。拳にして我が圃には栗藤が来るのであります。昨年の秋から軍部の非常な決心によつて行はれ に入らないでも、資本の魔力を軽くする。更に物的生産力が付加へられると、是で非常時日本の経済が固滑に動 魔力が蚤過ぎるから是を軽くすればい1のである。全く根本から資本主義制を威する。厳しないといふ根本問題 ば物的生産力を加へるといふことであります、此の雨着の釣合ひがとれたならば結合生産力は増大する、資本の は二つの道しかない、仙つは資本主義の靡迫を取り除け綬和すること、即ち資本主義生産を改造すること、山つ 自然に太り得ないで然かも資本の底力のために抑へ付けられて居ります。であるから此の行せ詰りを打開するに 生産力は増さないが資本は遠慮なく殖えて来る。そうなると大きな資本が生産力の上に雀さつて乗る。生産力は とれてゆくと平和に褒本主養は働いてゆく。アメリカでは資本も増加すれど生産力も衰へないが、日本の場合は 用したならば党づ心配はないのであります。同時に此の資源と相関達して資本主義の改造に関する叫般の輿論が 非常に強い勢で起りつ1ある。どう改造するかは考えものであるが、兎も角資本主義生産者今のまゝにして置て は行き詰るだけで打開策を其虚に求めねぼならぬといふことは二般の人々の己に頭の中に探︿感じて居る。其鹿 で資本達轟の改造と富源生産力を附け加へるといふこと、此の二つに依って我々の国民経済は先づ救はれるとい ロリ本の国家と膵済 ︵で二ニ︶ 二去血

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算入春 希一渋

︵こ四︶ こ四 ふ見込みだけはついたのである。然しそれならぼ嘗際どうしたらいゝか、此の二つの大いなる解決の方針だけは 輿へられて居ります。然るにかゝる大業を慮すには強い勢力が働かねぼならない。其慶で其の働きを進めるには 我々は如何にしたらい1かといふ間超が必す出て来るので挙り資す。今日に於て私の考えでは闘民経済の難関打 開の前途は大鯉見えて釆た。問題は此の前途に進んでゆく魔の弘大なるカが共虚になけれぼ何にもならない。此 の力を我々は如何に認激するか蜜践的には如何に此の力を弥めて働かさせるかといふことが、今日輿へられた魔 の一番肝腎な問題になると思ひます。︵未完︶

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