シュパン經濟學説の根本的缺陷(一)-香川大学学術情報リポジトリ

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全文

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本稿はDり巧Gr≡乙ぎーe巧de︻訂F蒜○旨m害Sp呂nヂノ1。nざOtt。C。nl.風雲e−−∵ぎ宍Jahl・b琵琶旨彗tiO邑評。11? −已てーn−S整s亮√芦一念√冒e≡忘い∽﹀S・合びとNNよ仝讐ある。而してコンラードがシ†バンの聾説に封し眞向 より反封の蟹を浴びせてゐる鮎は、シュパンの所説に懲成するにしても叉反動するにしても.とに角それに興味をつなぐ 穏の者の仰故に値するものと思ふ。次のま︵1︶が本稿の目的を如欝に物語ってゐる。倫此の飛澤を遂行するに常って、本 校教授岩升茂先生の懇切なる指導と助富に倹つものが甚だ多い。鼓忙特記して深悉なる謝意を表する。 、︵1︶ 本稿は、蕾くからの寄稿家の仙人に射する決然として峻烈なる攻撃を事としてゐるが、之ほ吾が経済襲の内部に於 ける目的論的見解と国典的解繹との関係を明確ならLめんことを兼ったものであるといふ意味に了解されたい。 シュパンの畢説は、経済町概念を士基として打立てられてゐる。﹁経済の概念は閥民総臍軍令鰐の基礎をなすも ︵2︶ のである﹂。閣傲の絶てのもの、即ち、閥民経済螢と敵禽畢との関係、類似の拳闘と経酒興との判別、経臍蓼の 根本的諸概念、並に雛臍畢研究方法の根本的決定、即ち、錯節放と演繹法の何れを之が安倍なる方法として解す シュバン経済聾説の根本的鉄隋 へ1︶

シュパン経済学説の根本的倣隋 ︵一︶

姶 男

︵≡八一︶ 八五

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第十叫巻 第四壁 ︵三八二︶ 八六 べきや、叉経済畢の封象は之を国英的に把握すべきものなりや否や等の事柄は︵﹃undame阜S.A−∽︶悉く此の 経済の概念から導き出されるのである。 Å2︶ 空n訝mentdeりぎlkswirts各a訝leど♪P Au芦︸J2na一浩解放・中本稿に於ては以下三才1−dal莞ntヲと略解する。 シュ。ハンは、経済の概念を規定して次の如くいふ。﹁即ち経済とは手段の評貸を基として、その手段を自的に封 して捧げることである。⋮⋮故に自ら控済は目的の世界︵即ち窮極の世界、慣値諭の世界︶に終始し、原因︵因 果︶の世界に存在するものではない﹂と。へ﹃undament−S.告︶このことは経臍挙が酢命単に附隠することから しても亦わかるのである。﹁経済畢は祀倉畢として基礎づけられねばならない。饉臍は人間酢命の血現象であり、 ⋮⋮祀昏は精紳的なるもの1せ界である。而して、草々は精紳的なるものをば、慣値若しくは目的の世界、先 天的安富性の世界と解する、依って精神的なるものは、原因結果の世界、換言すれば、自然界とは相剖立するもの である。﹂︵﹃undam昌t︸S.ごごそれ故にシュ。︵ンは次のむとを任務とする、即ち﹁固民経済を因果科蓼といふ生 硬な見解や概念形式の中から引きあげて、全然別個の概念的性質を有する科挙として、即ち純目的科撃として 之を基礎づけることである。⋮⋮︰・之はすべての経済の中に甥はれる、意味の充てるものであり、目的に封す訂 手段として、叉より高き臼的に封するより低き目的たるもの1ぁる、−之は機種的なるものでもなく、財の分 量でもなく、盈的関係でもなく、材料の分合でもない。− この後者はすぺてヾ︵恰かも物埋準や磯城単に於け るが如く、或は聯想薬禍の機械的な心理単に於けるが如く︶純粋に原閃的に即ち因果概念的にのみ研究さるペき ′肺患硝鵜野

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ものである。﹂︵句undam00nt︶。s.1∽︶かくしてシュパンは、凡ゆる種類の因兼的説明を、経済畢の中から駆逐する

へ3︶

に至った、即ち﹁閲民経臍畢並に敵愈啓の中には、本来の因兇漢則なるものは布衣しな

︵3︶ つ芝e l一1乙leb岩dige Wissens註a芦∽・A毛−﹀Jeリ♂一得U︼S\空扇・本稿に於てほ以下へ︵ノノ.訂3S各p買﹀と略解する。

右の思想は、一見、極めて尤もであつて、寸竜も争論の敵地がない様に思へる、それにも拘らず、此の裡に宿 命的な挨謬が潜んでゐるのである。確かに経済は目的の世界であり、叉その故にこそ、経済は、結局に於ては目 的の側からのみ概念し説明することが出奔るのである。だがシミハンは次の如き蚤大な事情を看過してゐる、 それは多数の仙人が、同劇もしくは軸似の目的追永のために、互に競零するとき、共鳴には常に、此の目的から 遥かに懸絶せるのみでなく、燦々その目的と矛盾せる結娘が生するといふことである。かくて此の結果は何人も 巽求し欲求Lたものではなく、叉それ政に之はその関係考の追求した目的から見て有音味のものとして説明する ︵4︶ ことの川釆ないものである。兜づ之が叫例を示さう、1狭い出口の血つだけついてゐる或空音柴堂の内で仙椿事が 起り、聴衆が劇勢にその出口に殺到したとする、その時、典麗には堰が出来てしまふ、そLて其の糎の焉めに、 悲衆が此の音楽堂から出切って仕舞ふのに、かく蛇衆が殺到しなかつた場合に此較して、遥かに長時間を要する ことゝなる。斯様な事件に於ても、契張り︵音聖堂から逃れ刑るといふ︶ 二田の目的追求がその根檀に措はるの である。然るにその結果は、全く何人も欲せざる、機械的、自然的なる結果にして、その故に叉、因果的にのみ ︵5︶ 詮明し得るものである。物理論者は、人々が音楽堂から出て仕舞ふのに資する時間を説明するのに、∵定量の水 シュバン経済拳説の根本的妖隅 ︹三八≡︶ 入七

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′廠乾溜戯 ィ了1 第十一巻 寛四渋 r八一二四︶ 八八 が、∵完の大きさの流出口を有つ容舘から洗机するのに蓼する時冊を説明するのと棚論上岡じ取扱をなすことが できる。仙人々々互ひに競争する個人金牌の目的追求と、其磨から生ずる薬園約結果?自然的○機械的怜格と は、丁度都合よく互忙〓致し得るものである。同じ理由で今度は逆に、原子が生物であつて、寮カに判Lて聯械 的に盲従するのではなく、意図を持ち意識を持つて地坪の中心に到達せんとするものであるとしても、この物 餞落下といふ自然的事象は侍その機械的性格を裏失することはないであらう。そこで例へば垂範の分子が生物で ぁり、地球の中心へ出来るだけ接近せんとする欲求肥満たされて、大束の運動が起るものであるといふことが明 白となつた様な場合に於ても、その大気の運動に閲して、叉従って気象畢の方法に踊して、何等攣更を釆たさな へ4︶ いであらう。このことは、⋮の容器から流れ出る水に就いても常飲まる。此の場合常々が水の分子を生物と考へ、 それが意固を持ち意識を持つて、流出口に押し寄せるものだとしても、このために、水の流出蚤や流出速度の研究 に自然料率的方法が滅相し得ない様になると云ふことはないであらう。此の二つの場合に於て興る瓢はー水の例に 於ては吾人は水の分子各個の性状を珊解せんとするのであるが、寒菊の例では、運力即ち﹁地球の引力﹂に閥聯 せしめて之を理解することを以て満足しなければならぬと云ふ鮎である。 戚 ︵4︶ 弟=の例は拙著︿へAbs芝冒ang21undAlb2i答sig賢−巴sD⋮−⋮−邑㌦・ヨe⋮nみFエーゑ一義︸刀﹂1・中に揚 げたものである。その拶合傘は凡ゆる階級の所得の増加を計らんとする寧を、山際の遁走兵が泉から得空前の飲料 水をめぐつて演ずる争奪戦に此校七朗得檜額の要求が過度忙なり、果それより牡ずる憤格や琵銘の晶騰により、如

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何たして大豊的失業と経済的萎縮とを永引かせるに至るかを寄がにしようとした。 ︵5︶ シふパンが次の如く説いてゐるのは彼白月之を たる、原子の交錯的滑動忙より次の如き現象が、翠に物質的自然界忙於てのみならず社食の中にも生ずるものであ る。而Lてその現象とは、それ自らの申に何等固有の足場もなく叉固有の現賓性をも持ってゐないで、只諸要素の集 各軸散たる、意隈もなく意欲もなき阻なる出衆事、こ云忙して云へぼ機械的な出衆事たる現象である。﹂Wissel︼S己la葺 野ム○¶.

︵6︶ 経済の自己調整と地表に於ける大嵐の自動的配置との詳細な比較は、拙著へへDeり ∴己ec訂n仙sm宏 derくeユ各−岩葺iユー

告ぎ芦3Jena・一欝一・望持の中に説いてある。本番は以下に於て之をこノ1erkeFrs乙rtsc首き。上略科する。 右の如き事情は、経済に於ても全く同様であるの此の場合に於ても亦奮々は同様なる欲求に満たされた多数.の 個人を問題としなけれぽならぬ。その人々は∵万では営利欲求︵E⊇erbstrⅣb昌︶に導かる1営利行為者と、勉 ︵7︺ 方では馨買欲求︵謬stkau芽reben︶に導かる1消費者とである。ところで、この二つの欲求はともに作用しなけ ればならぬ、蓋し市場生産を土基どして築かれたる流通経済に在っては、先づ貨幣を儲け︵営利︶、次いで、必要 なる事架財の購入に之を周ひるといふ方法に依ってのみ、自己の欲望充足を計ることが出来るからである。それ 故に、営利欲求と善男欲求と偲市場生産を土盛として築かれたる流通経済に於・いて欲望の充足を計らんとする欲 求を構成するところの丙種の欲求である。この爾欲■求は経済目的即ち欲望充足の達成に向けられたものであり、 それ故に又云ふ蓬もなく目的を持つたものせあ⑥女′鐸趣を持つたものである。此の設は総ての市場現象峰、辣通 ’ シュバン疲弊畢説の根本的欽隋 ︵三入五︶ 八九

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︵8︶ 経酪の最後の穐進カとしての右α雨欲求より生するものであるとするのであるから、此の詮は札ゆる経済行篤の 有目的性を是認するものである。 ︵7︶ 善盟欲求とは支い品を安く鼠はんとする購買者の欲求を指す。宕旨eFr等iユ芳F旨﹀S小寧 ︵8︶ 丈⊇eゴiebkr賢edeワWir許一−巴く、︵くe旨eh−等i鼓cha℡﹀S・接辞︶の草参照。 然る■に、営利欲求と善貫欲求とは、多数の経済相儒者が盛寧忙於て之を現はすものであるからー即ち貨幣接 待にあつては営利行為をなす着の競寧となり、享欒財購入にあつては消費者の競率となる−−奥庭に個々人の意 思と猫立したる、集脚的結果が生ずるのである。例へぼ、新商品たる或るスポーツ用具︵スキー︶、又は流行品 が出水て多大の好評を博したならば、此の商品を初めて市場に貸出㌧たろ商人は大なる利得を放める。最初、 供給が不十分なるとき、清澄にして切賛なる寓変が起れば、憤格は昂臆して生産費を遥かに超過し、かくして苫 額の利潤を生する。然るに、此の利潤の蔑めに競争を誘賛すること1なり、生産は揆張され、供給は増加するに 至り、又親株な響m過剰の場倉には、販饗慣格が、生産原慣以下に下落することが非常に屡々ある。こゝに反動 が来る。即ち之に横いて経営の縮少と経営の沈滞とが生じ、少くとも新経営は頑として開始せられないであら う。此の供給の縮少を導くに至つ聖教過過程も次の如き時期に至って初めて停止するに至る。即ちその時期とは 供給が減少したるため忙、再び販密偵格が上昇して﹂礫存せる商人に普通の利潤が輿へられ、投下資本に通常の 利子が輿へられる様になつた時期である。然らば此の如き過程によつて、目的が達成せらる1ことは、如何に詮 第寸山容 弟四渋 ︵三八六︶ 九〇 .・∴、∴ − − ノ

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隠さるべきであらうか。薪らたに生産忙着手する革業家各人の抱懐する意囲は、或る特に大なる利潤を得んこと を目指してゐるのであるCけれども嘗際には損失が生じ、結局は通常の営業収益が得らるゝだけである。斯様な ゝ 結果は何人の欲したところでもない。かゞる結果は関係者の追求せる目的とは、全く弼立に、而かもその意思に 反して硯はれるものであ告故に、それは有目的のものとも解し得ないし、叉、さう説明することも出来ない。 正に此の蓼合に問題となつてゐるのは、すべての市場過程に於けると同様、互ひに競呑する多数の貸手と買手が 因となつて作り出すところの集困的結凝であり而して之は因果的にのみ説明し得るところのものである。最初、 供給の不充分なるとき、切迫せる需要があれぼ、之が高い初値を稲へる原因となる。慣格の高い蔑めに得られる 太なる利潤は、競争を誘饅し、そ供給を増加する原因となる。このことが、帯び憤格反落の原因となり叉この後 者が衰退過程を惹起する原因となるのである。裁に横械的にして︵即ち意味の充資したものでなく、意囲もなく 意欲もなき釘ので︶同時に均等的なる不欒的にして規則的であり且つ必然的なる踵緒が生するのであるが、・之は シ告ハン自身の言葉を以って云へば、国英性概念の適用を許すところのものである。︵要莞n岩ha葺Sl畠∽︶さ れば、∴経済の推進力︵営利欲求、慧月欲求︶の上に、叉、それの作用せる成果の上に、﹁原因﹂﹁結果﹂の概念は 充分に適用し得るのである。それは、霊力並にその重力に依って起る大気の罵勤や配置の上に、右の雨概念が適 用し得るのと全然同様の関係にある。 シュパンは此の鮎を全く看過して居り、叉このことが、墟て、彼の螢詮の根本的紋格をなすのである﹄彼にと シュバ.ン経済襲説の根本的鉄隋 ︵三八七︶ 九一

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第十一巻 弟.四渋 ︵三八八︶ 九二

っで蛛、、経済の概念が国民経済畢金牌の基礎をなすものである。彼は彼の拳詮を此の経済の概念の上に打ち樹て

てゐる。蓋し放べての経済活動は或る目的、即ち欲望の充足に役立つものであり、叉彼は経済畢む﹁純目的科

挙﹂として基礎づけ、凡ゆる種類の因果的詮明を、此の科挙の領域から駆逐してゐるからである。もし、彼が現

蜜を見究めたならば、労働、商品、資本、貨幣の各市場の成行きや諸現象が経臍者の追求せる目的に、萄も封應

せず、寧ろ攻城的、自然的に生起し、経済者の意思を無祓ト、叉その意思に反して生起するものであると惰った

筈である。その時、彼は無数の経済諸過程は、有目的々にではなく、却って因果的にのみ詑明され得ること、従

って叉、経済拳を﹁純目的料率﹂として基礎づけることの、不可能事なることを認識するに至ったであらう。シュ

。ハン畢詮の根本思想は此虚に錫鮎を持つてゐる。シ号ハンの単詮は、経験画革が硯資を観察することにより刑後

﹃ せずして、哲拳的思索によつて得た概念の上に理論を構成することが、如何に斯畢にとつて危険であるかを立許す

るのに適切な一例誇である。経験科畢がか1る取扱を受くるときは、それは飴りにも容易に現育との連絡を失

ひ、次いで全然誤謬に格つてしまふものである。シュ。ハンの挙誅は、此の危険に堕してゐる。それはシュ。ハンノが現

質を見極めることをせす概念より出費してゐるので、彼は現蜜を概念によつて形成し、規驚を概念に適合せしめ

ることゝなり、反封に硯安から概念を引出すに至らなかつたのである。その結果彼が経済について描き出した姿

が、現資の経済が示現してゐる穿と、雲泥の相違を釆たしてゐるのも常然のことである。このことは、尚ほ次の

三箇の鍬を馨ることによつて明かになるで参らう。

︵未 完︶ ・軒V畑ひ凝甘泊 トn−

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参照

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