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はじめに(pdf)

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Academic year: 2021

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はじめに

言葉と現実,証明と真理

言葉と現実は違う.我々は現実にはありえない世界を言葉で描き,空想上の 生き物に名前を与える.逆に,言葉では表しようのない現実があり,名前をも たない対象が存在する.言葉と現実が異なるのは当然であり,言葉と現実はそ う簡単には区別できないと考えることの方がよほど難しい.この言葉と現実の 関係が数学では一変する.数学では言葉と「数学の世界」の現実を区別するこ とは珍しい.我々が「1 + 1 = 2」と書くとき,この表現に現れる「1」や「2」 は数自身ではなく数を表す記号に過ぎないと意識することは稀である.数学に おいて言葉は「心の世界」と「数学の世界」をつなぐ存在感のない透明な媒介 物として姿を消している. 数学において言葉と「数学の世界」の現実を区別しないのは,「数学の世界」 に属する対象が記号と同様に抽象的な存在であり,記号それ自身が数学的な対 象だからであろう.通常の数学では記号それ自身と,記号が指し示す対象を区 別しなくても何も問題は生じないし,対象から区別された記号や,記号から独 立な対象を考えることは難しい.数学では記号と対象の違いはそれほど明確で はない.もしかしたら,数学の中でも外でも言葉と現実を隔てる境界の存在は 明らかでなく,記号と対象は区別できると素朴に信じることは安易すぎる態度 なのかも知れない. 記号と対象に区別があるのか,区別があるとしても我々はその違いを把握で きるのかという問に答えることは容易ではない.この問には決着をつけずに, 記号と対象は区別できると仮定してしまうこと,少なくとも言葉を現実から 切り離された記号として意識することが数理論理学の前提であり,出発点であ る.数理論理学ではまず対象を表す記号を用意し,命題を記述するための形式 的な言語が定められて,その言語を用いて形式的な証明の概念が定義される.

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ii はじめに これらはすべて言葉に関わるものであり,数理論理学においては構文論と呼ば れている.一方,言葉と現実の関係,記号と対象の関係は意味論と呼ばれてい る.命題の正しさとは現実を参照することで判断される言葉と現実の関係であ り,意味論に属する概念である.この数理論理学を用いて「数学の世界」を解 明しようとする試みが数学基礎論である. 命題の証明可能性と正しさはそれぞれ構文論,意味論に属する概念である. したがって,もしも言葉と現実を区別するのなら,証明可能性と正しさは異な る概念であり,その二つの概念は同値なのかという数学的な問題や,そもそも 数学の命題は正しいから証明できるのか,証明できるから正しいのかという哲 学的な問題が現れる.これらは言葉と現実を区別するという数理論理学の前提 から必然的に発生する問題である. 数学にとって証明とは何か,正しさとは何なのかは数学基礎論の根本的な問 題である.ゲーデルは不完全性定理によって正しいことと証明可能であること の違いを明らかにし,タルスキは真の概念の定義不可能性を論じた.コーエン は強制法を編み出して連続体仮説の真偽は定まらないことを示した.数学基礎 論では長年にわたって数学における証明と真理が論じられてきた.  

なぜ数学基礎論で様相論理を話題にするのか

ところで,命題を単純に真か偽に区別するのではなく,どのように正しい のか,どの程度正しいのかという,命題の正しさのあり方のようなものを命 題の様相という.代表的な様相に「必然的である」および「可能である」があ る.基礎的な概念として「かつ」や「ならば」などの命題結合子や「すべて」 や「存在」などの量化子の他に,様相を表す様相演算子をもつ論理が様相論理 である.日常的な知識や推論では命題の様相が重要な役割を果たしているの で,そうした話題について数理論理学を用いて議論するためには様相論理のよ うな枠組みが必要である. 数学の命題に様相はない.このことは曖昧さを許さず,正しい命題は単純に 真でしかありえない数学の特徴からの帰結でもある.しかし,このことは数学 の命題の中には様相は現れないという意味であって,数学は命題の様相とは関 係がないという意味ではない.実際,数学の中心的な話題である命題の証明可 能性や成立条件などは命題の様相に他ならない.そして,数学基礎論の基本定 理であるゲーデルの完全性定理や不完全性定理は,命題が証明可能であること

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や真であることに関する定理であり,命題の様相に関する定理である.数学基 礎論とは通常の数学では意識されていない数学における命題の様相を解明する 試みでもある. 日常的な知識や推論と同様に,数学の命題の様相もまた様相論理を用いて形 式的に議論できる.もちろん,様相論理を用いて形式的に書き直しただけで何 かが明らかになるほど,数学に現れる数学の命題の様相についての話は単純で はない.しかし,適切な表現体系は思考のための優れた道具である.様相論理 を用いることで証明可能性や正しさに関する議論は単純化されて,不完全性定 理や強制法の新たな側面が見えてくる.様相論理を用いなくても書けるという ことは,様相論理を用いても考え方は変わらないということではない. ゲーデルは様相論理を用いて不完全性定理が成立する仕組みが説明できるこ とを示唆し,その考えはソロヴェイによって実現されて証明可能性論理が生ま れた.コーエンの強制法がもたらした集合論的多元宇宙論と呼ばれる新しい数 学的世界観は様相論理と関係が深い.また,タルスキによって始められ,クリ プキらの議論や真理の改訂理論を生み出した真理論においても様相論理は重要 な役割を果たしている. 様相論理は本来「数学の世界」を調べるための道具ではなく,数学の外の世 界を記述し分析するために生まれたものである.しかし様相論理は「数学の世 界」とは無縁な,気まぐれな世相が生み出した無数にある形式的な枠組みの一 つではなく,「数学の世界」の理解において欠かすことのできない論理的な基 礎概念を理解するための枠組みでもある.逆に,話題を「数学の世界」に限定 することによって論点が絞られ,日常的な知識や推論にまとわりつく複雑で捉 え難い状況が削ぎ落とされて,様相論理とは何であり,どのような力をもつも のであるのかが明らかになるであろう.  

本書の構成と特徴

本書は様相論理を軸とした,証明と真理に関わる数学基礎論の古典的な結 果から最先端の議論までの解説である.具体的には,本書は「様相論理入門」 (佐野勝彦),「証明可能性論理」(倉橋太志),「強制法と様相論理」(薄葉季 路),「真理と様相」(黒川英徳)という四つの部と,数理論理学の基礎的概念 を簡単に紹介する序章からなる.四つの部はそれぞれ三つの章をもち,各部の 最初の章はいずれも基本的な話題と概要の紹介になっている.

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iv はじめに 第1部「様相論理入門」では様相論理の構文論と意味論,歴史的経緯など が紹介される.クリプキの可能世界意味論による様相論理の様々な体系の完全 性定理や決定可能性など様相論理の基礎が一通り,かなり詳細に紹介される. この第1部は初めて様相論理を学ぶ人にとって十分に詳しく丁寧に書かれた 解説である.様相論理については大方の場合,背景の説明も含めて,この第1 部で紹介されている内容で事足りるであろう. 第2部「証明可能性論理」はゲーデルの不完全性定理とソロヴェイの算術 的完全性定理の証明と,それらの定理に関連する話題の紹介である.不完全性 定理は論理式をゲーデル数で表し,証明可能性を自然数に関する述語で表現し て証明される.この証明可能性を表す述語が証明可能性論理と名づけられた様 相論理と対応することを示したのがソロヴェイの算術的完全性定理である. 第3部「強制法と様相論理」では強制法が紹介される.コーエンが開発し た数学的手法である強制法はクリプキの可能世界意味論と類似点が多い.また 強制法以降の集合論の発展から集合論的多元宇宙論と名づけられた数学的真理 に関する世界観が生まれたが,ハムキンズらは様相論理を用いてこの集合論的 多元宇宙論の数学的性質を解明することを試みている.第3部では強制法の 概要と,このハムキンズらの試みが紹介される. 第4部「真理と様相」は真理論の概説である.タルスキは真という概念の 算術的な定義不可能性を証明した.この結果は証明可能であることと真である ことの乖離を明らかにしたゲーデルの不完全性定理と関係が深い.第4部で はタルスキに始まり,クリプキらの議論を経て,真理の改定理論にいたる真理 論が紹介される. 本書の第1部は簡潔にまとめられた様相論理の教科書として用いることも 可能であろう.同様に第2部から第4部は,それぞれゲーデルの不完全性定 理,コーエンの強制法,タルスキの真理論の解説として読むことができる. 例えば,第3部は強制法を学ぶ際の手頃な道案内になるであろう.もちろん, 大雑把な見取り図から細部を復元することは難しい.強制法を正確に理解す るためには分厚い本格的な教科書に取り組むべきである.しかし,集合論のよ うな広大な世界で道に迷わないためには,ある程度の粗さの地図が必要である し,詳細な情報があれば誰にでも地図が描ける訳ではない. 第2部から第4部で紹介される内容は,和書では本書で初めて紹介される 話題が多い.第2部で紹介するソロヴェイの定理は数学基礎論の専門家の間 で結果自身はよく知られているが,教科書で紹介されることは珍しく,証明は

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あまり知られていない.第3部で紹介される強制様相論理は,おそらく洋書 も含めてこれまで教科書で紹介されたことはない最近の話題である.哲学的な 動機が強い第4部の内容は数学的にも興味深いが,数学者の間ではあまり知 られていない. なお,本書の四つの部における言葉や記号の使い方は各研究分野の習慣や著 者自身の好みに基づいて選ばれていて必ずしも統一されていない.言葉や記号 の使い方は一冊の本の中ではできる限り統一すべきであるが,それぞれの流儀 には理由があること,それらを統一することはかなりの労力が必要であること から,本書ではそれらを統一することは断念した.そのために読者に不便を強 要することはお詫びしたい.ただし,特に重要であると思われるもの,混乱を 引き起こしやすいと思われるものについては序章で簡単に説明している.  

謝 辞

本書の編者以外の4人の著者は,本書の編者が酒井拓史とともに世話人を 務め,2015年8月18日から21日まで神戸大学で開催された数学基礎論サ マースクール2015の講師である.本書の内容は各著者のサマースクールの 講義内容とほぼ一致している.この数学基礎論サマースクールは証明論,集合 論など数学基礎論の専門分野の中からテーマを一つ定めて,各分野の専門家が 大学院生や専門外の研究者向けに入門的な講義をするものである.毎年夏に開 催され,少なくとも20年以上は続いている.2015年のテーマは非古典論理で あった.非古典論理でも様相論理を主題としたものは何度か実施されている. しかし,本書の話題が取り上げられたことはなく,一度は是非この話題でと考 えて,今回のサマースクールを企画した. 本書の執筆はこのサマースクールの準備と並行して進められ,サマースクー ル当日には本書の初稿となる講義録が完成していた.サマースクールの企画当 初から本書の出版を予定していた訳ではないが,今回の各講義の内容は様々な 話題と関係する重要なものであるにもかかわらず,日本語では未だまとまった 形では紹介されていないこと,各分野を代表する大変に優れた講師が ったの で質の高い講義録が期待できること,さらに,講義の準備と原稿の執筆を並行 して進めることにより,講義と原稿の両方の完成度が高められることから,準 備が進むにつれて講義録を出版すべきであると考えるようになり,各講師の賛 同を得て本書を出版する運びとなった.

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vi はじめに ただし,講義の準備と原稿の執筆を同時に進めるためには,おそらく受講 者や読者の予想をはるかに超える大きな労力が必要である.本書の編者とし ては何よりもまず,その負担を受け入れ,素晴らしい原稿を仕上げてくれた4 人の著者に感謝したい.また,本書が生まれる舞台を共に創り上げてくれたサ マースクールの参加者,関係者に感謝したい. なお,本書の原稿は以下の方々にお読みいただき,数多くの修正すべき点を 指摘していただいた:新井敏康,飯田隆,岡本賢吾,鹿島亮,酒井拓史,鈴木 信行,藤田博司,松原洋,依岡輝幸(敬称略,順不同).謹んで御礼申し上げ たい.そして,本書の企画段階から相談にのっていただき,本書の成立に尽力 してくれた共立出版の大谷早紀さんに感謝したい. ところで,今回の数学基礎論サマースクール2015が開催されてから一週間 後,2015年8月27日に神戸大学名誉教授の角田譲先生が亡くなられた.享年 69歳であった. 角田譲先生は強制法以降の新しい世代の集合論の研究者であるが,数理論理 学の哲学的側面や工学設計論への応用にも積極的に取り組んだ幅広い視野を持 つ研究者でもあった.まだ国際交流が貧弱だった時代に海外から数多くの優秀 な研究者を日本に招き,神戸大学に数学基礎論の研究グループを作り上げて, 数多くの弟子を育てた.数学基礎論サマースクールの創設者の一人であり,自 分の研究に邁進するだけでなく,後の世代の研究環境の整備や数学基礎論の普 及に力を尽くした.お酒が大好きで,同僚たちと毎日のように んでは夢を語 り,様々な話題について空が白むまで語りあっていた.長年の無理がたたって 脳 血で倒れたが,長い闘病生活にもかかわらず最後まで研究教育に対する情 熱を失わなかった. 角田譲先生がいなければ,神戸で数学基礎論サマースクールが開催されるこ とも,本書が生まれることもなかったであろう.編者の上司であり,師匠であ り,友人であった角田譲先生に本書を捧げたい. 2016年1月 菊池 誠

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