はじめに
これまでの物理学においては,自然現象を直接検証する実験物理学と,それ に解釈を与えたり新現象を予言したりする理論物理学が,車の両輪となって発 展してきた.ところが最近になって,目覚ましいコンピューター技術の進歩に 伴い,「計算物理学」という分野が実験・理論と肩を並べるくらいに大きなコ ミュニティとなってきた.もともとは理論物理における解析的な計算のサポー トにすぎなかった数値計算の手法が,解析計算ではとても手に負えない難問に 対するアプローチとして独立し,1つの重要な分野を形成するに至ったのであ る.例えばアメリカ物理学会の講演申込の際には,実験・理論・数値計算とい う3つのカテゴリーの中の1つを選択することになっている. この計算物理学の台頭を決定的なものとした出来事の1つに,1986年の銅 酸化物高温超伝導の発見があげられる.この系は,従来の超伝導体とは違っ て,電子間のクーロン斥力が非常に重要となるため,相互作用の強い電子系と なっている.このような強相関電子系を記述する理論模型に対しては,平 場 近似のような解析的なアプローチは有効でなかったため,数値対角化などの計 算物理的手法が,その超伝導機構の解析に大きく貢献したのである.このよう に,解析的手法による計算が困難な相互作用する多体問題を扱うことが,計算 物理学の1つの醍醐味となっている. 本書の目的は,大学初年級程度の初学者に対して,計算物理学の前提となる 数値解析の基礎を学んでいただくとともに,実際の計算物理学の初歩的な手法 を紹介して,その入門とすることである.その目的から,16章までは初等的 な微分・積分などの知識だけで取り組める問題だけを扱い,基本的な例題30 問といくつかの発展問題を取り上げた.初学者向けの計算物理学入門として は,ここまでで十分と思われる.しかし,上述したように計算物理学が大きな ブレークスル をもたらした多体問題について,読者に少しでもその面白さを 味わっていただくため,大学初年級で学習する量子力学・統計力学への応用を 含む発展的な例題9問を17章以降で取り上げた.そこでは,全くの初学者でiv はじめに もほかの文献を頼らずに読めるように,必要最小限の量子力学・統計力学の基 礎事項を概説した.言い換えると,17章以降には,学部上級生でも十分に楽 しんでいただける内容が盛り込まれている. 今も続く急速なコンピューター技術の発展に伴って,計算物理学の重要性も どんどん増しており,最近でも次々と新しい手法が導入されている.しかし, 初学者への入門という目的と紙数の制限から,本書では最近開発されて注目さ れている新しい手法には,ほとんど触れられなかった.そこで,巻末の参考文 献に,最近の新しい手法の解説記事などをあげたおいた.本書が計算物理学の 単なる初歩的な導入だけでなく,次のステップに挑戦する足がかりになること を期待したい.そして,計算物理学を志す若者が増えることを祈るばかりであ る. 本書の執筆を勧めて下さった須藤彰三先生と岡真先生にはこの場を借りてお 礼申し上げたい.また,編集上の詳細なチェックをして下さった共立出版の島 田誠氏に感謝する. 2014年9月 坂井徹