イ ン ドネ シアの歴 史教科書 にお け る「ロームシ ャ」 につ いて
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Thisarticledealswiththe"Romusha"describedinhistorytextbooksusedinJuniorandsenior highschoolsinIndonesiafrom 1984to1993andanalysesthemeaningsandimagesevokedby thesedescrlptlOnS.
Theresultsofananalysisofthe"Romusha''in9juniorhighschoolhistorytextbooksand5 Seniorhightextbookscanbesummarizedasfol一ows;"Romusha"isthemostsymbolicwordused to representtheJapaneseMilitar・y Occupation ofIndonesia(194211945).In Japanese,romusha means`physicallaborers',butin7of14textbooksthewordmeans`forcedlaborers',in4itmeans `laborers',in3`soldiersoflabor\in2`heroesoflabor'and`soldiersofeconomics',andin1each 'forcedlabors',.Corpsofforcedlaborer'S'and'foreedcoolies'.Thusthewordcanbesaidtohave morespecializedmeaningsinIndonesiantextbooksthanintheoriginalJapanese.
In 12ofthe14textbookstherearedescriptionsofmobilizingthe"Romusha,"theiractual working conditions in 9,the methods ofdispatching workers to job sites and their final dispositionin10,andthenumberofworkersin8.
1tisevidentthattheimageofthe…Romusha''inIndonesianhistorytextbooksusedinJunior andseniorhighschoolsisbasicallythatof"patheticforcedlaborers"from manypointsofview.
Ⅰ は じ め に 日本 は, 1942年3月か ら1945年8月 までの約3年半 にわたって イン ドネシアを占領 し,軍政 を実施 した。 それ は短期 間であ った に もかか わ らず, イ ン ドネシアの各分野 にさまざまな直 接 ・間接 的影響 を及ぼ した。それが言語 や教育 な どの文化面 に まで及んでいることはこれ まで しば しば指摘 されてい る。 1) 筆者 は これ まで, イ ン ドネシアの辞書,百科事典,文学作 品,雑誌 な どに見 られる 日本語起 源の イ ン ドネシア語桑 の調査 を通 じて,言語面 における 日本軍政 の影響 に関す る研 究 を行 って
*京 都 産 業 大 学 外 国 語 学 部 ;Faculty ofForeign Languages,KyotoSangyoUniversity,Motoyama,
Kamigamo,Kita-ku,Kyoto603,Japan
1) 日本占領期における言語 ・教育面での政策や影響などの研究に関 しては [左藤 1980a;1980b; 1980C;1983;百瀬 1990;1991;倉沢 1990;1992;西村 1992]などがある。
きた。2)その一環 と して, イ ン ドネシアの小学 校 か ら高校 までの教 科書 (103種 類) に出 てい る 日本語起源 の イ ン ドネシア語嚢 を調査 して,特 に語嚢 の面 で 日本 占領期 の影響 を探 ろ う と試 み た こ ともあ る。 3)しか し, それ らの 中で は, イ ン ドネ シア側 の意 図や 日本語起 源 の各語嚢 な どに関す る具体 的 な記述 内容 にはほ とん ど触 れていない。 それ らの重要性 は十分 に認識 しつ つ も,語嚢調査 の方 を優先 して きたか らであ る。 イ ン ドネシア側 は 日本 占領期 をいか に とらえ, それ を学校教育 を通 じて児童 ・生徒 にいか に 教 え ようと しているか--。 これ を理解 す るため には, イ ン ドネ シアの教科書 にお ける, 日本 占領期 に関す る全体 的 な記 述 内容 を分析 して,逐一検討 す る こ とが必 要不可欠であ る。 しか し すべ て を一度 に行 うこ とは,紙数 な どの制約が あ って不可能であ るため, テーマ を限定 して検 証 していか ざるをえない。 また,全体 的理解 に至 る方法論 もい くつかあ るが,筆者 は, イ ン ドネシアの教 科書 に出てい る 日本語起源 の語嚢 に関す る記述 内容 に焦点 を当てて分析す るこ とに よ り, それぞれの語嚢 に よって表現 され るイメー ジをいか なる もの に しようとしてい るのか, とい うイ ン ドネシア側 の 意図 を探 り,全体 的理解 の ための一里塚 と してゆ く, とい う接 近方法 を取 りたい と思 う。 しか し日本語起源の語嚢 はか な り多 く,一度 に全 ての語嚢 に関す る記述 内容 を取 り上 げ る こ とも無理 で ある。 そ こで本稿 で は,以下 の理 由か ら,多 くの 日本語起源 の語嚢 の うち 「ローム シャ」 (romusha,「労務 者」)一語 だけ を取 り上 げる。 日本で は,「労務者」 とい う言葉4)は 「(主 と して肉体 的 な)労務 に従事す る者。労働 者」 (『広 辞 苑』)を意 味 す る にす ぎない が,最 新 の イ ン ドネ シア語 の大辞 典 KamusBesarBahasa Indonesia (EdisiKedua)には "romu垂''の見 出 しの ところに, 「日本 占領 時代 に重労働 を させ
られ た人 々 ;強制労働 者」 とい う説 明が あ り [Tim PenyusunKamus 1991:846], 日本語 の 「労務者」 とは意味合 いが違 ってい る こ とが わか る。 一方, イ ン ドネシアの小学校 か ら高校 までの教 科書 103種類 (副読 本 を含 む) に出 てい る 日 2)インドネシアの辞書,百科事典,文学作品,教科書,ノンフィクション,雑誌に見 られる日本語起 源の語嚢を調査 した結果をまとめたものとしては, [左藤 1989;1990;1991a;1991b;1993a;1993b; 1994】などがある。 3)[左藤 1993a]では,インドネシアの小学校から高校までの教科書を調査 して,小学校の教科書19 種類 (社会 ・歴史18種類,その他 1種類),中学校の教科書36種類 (社会 ・歴史18種類,インドネ シア語12種類,その他 6種類),高校の教科書48種類 (歴史27種類,インドネシア語10種類,その 他11種類)の合計103種類 (副読本を含む) に出ている日本語起源の語嚢319語 (合計3,585回) を まとめ,それらの語嚢にインドネシア語の意味を付けている。 4)r日本国語大辞典」では 「労働 に従事する人。おもに肉体労働に従事する人.労働者」 [日本大辞典 刊行会 1976:548]とあ り,『広辞林』でも 「労働に従事する人。とくに,下層労働者」 [三省堂編 修所 1983:2084]とある。 496
本譜起源 の語嚢319語 の うち,出ている回数の多 い ものの上位 5位 は次 の通 りである。5) 1. romusha (労務者) 215回 2. Tenno (天皇) 191回 3.Shogun (将軍) 179回 4. Nippon (日本) 142回 5. Shodanco (小 団長) 124回 これか ら,教科書 の中で 「ロームシャ」 の使用 される頻度の多 きがわか る [左藤 1993a]。 また,元教育文化相で, 自ら歴 史の教科書 (本稿 の<資料 > A lとB l) を編纂 したヌグロ ホ ・ノ トスサ ン トは,教科書 に 「ローム シャ」 とい う言葉 をその まま使用す る理 由を次 の よう に述べ ている。 戦時 中 日本語が使 われ,現在で もそれで意味がわか るか らです。それ にこの言葉 には特 別 なフ ィー リングが こ も り, ほか に適切 な訳語が ないのです。英語で もイ ン ドネシア語で も,ず ば りと表現 で きませ ん。私 は,実際100万 人以上が労務者 と して果 てた と思 ってい ます。そ うした ことも別の言葉 に訳 した くない理 由です。 [NHK取材班 1984:205] この ように, 「ローム シャ」 とい う言葉6)は,イン ドネシアにおける日本占領期 を象徴 す る 7) 極めて重要 な意味合い を持 った言葉,キー ワー ドである。それに もかかわ らず教科書 に出てい 5) 日本語起源 の語柔 の うち, 出てい る教科書 の種類 の多い もの を上位5位 まであげる と, 1.heiho (兵補) 45種類 2.romusha(労務者) 44種類 3.Seinendan (青年 団) 40種類 4.Keibodan (響防団) 38種類 5.Nippon (日本) 32種類 とな り,「ローム シャ」 は第2位 となってい る [左藤 1993a]。 6)「ローム シ ャ」 には2種類 の意味 が あ った。 日本側 は,広義 で は,技 能者 や義 勇軍兵 士 まで含 んで お り, その数 は262万3,691名で あ る。 また狭義 で は, 「常傭労務 者」135万6,271名 と 「臨時労務者」 73万8,844名 の合計209万5,115名 を指 し, これが イ ン ドネシアで は, い わゆ る 「ロー ム シャ」 と し て悪 名高 い もの となった [後 藤 1989a:83,96]。 しか し現 在 まで 「ロー ム シャ」 の正確 な数字 は わか らず, 日本側推計 で は200-210万名, イン ドネシア側推 計 で は410万 名 とい う数字 が あ げ られ てい る [村井 1991:458;Nishihara 1976:62]。 こう した 「ロー ム シャ」徴 用 の発生 した事情 ・経緯 ・実態 な どに関 しては [後藤 1984:65-98; 1989a:69-107;倉沢 1992:180-241] に詳 しい研 究成果が あ る。 7) シホ ンビンは, その著書 の中で, 日本指導 下 の 「大東 亜共栄」 の一環 と して 日本 に よって行 われた すべ ての事柄 の 中で, 「ローム シャ」 の開署 こそ最 も苦 い経験 を もた ら した もので あ ろ う, と述べ てい る [sihombing 1962:153]。 また [NugrohoNotosusanto 1979:67]で も, 同様 の見方 を して′
る 「ローム シャ」 の記述 内容 をテーマ に して本格 的 に調査 ・分析 した研 究 は まだあ らわれてい ない。8)これが, 本稿 で取 り上 げ る最大 の理 由で あ り, こ こで分 析 す るだ けの価 値 と意 義 が 十分 にあ る もの と思 われ る。 本稿 で は, 「ロー ム シャ」 とい う言葉 が イ ン ドネ シアの 中学校 と高校 の歴 史 の教 科書 の 中で はいか なる意味合 い を もってい るか,-そ して具体 的 にはいか に記述 され てい るか,言 い換 えれ ば 「ロー ム シ ャ」 とい う言葉 にいか なる イメー ジが与 え られてい るか を検 証 す る こ とをテーマ と してい る。 9) ただ し,本稿 で資料 と して取 り上 げ る教 科 書 は,後述す る理 由 に よ り, 1984年度 か ら1993年 度 の 間 に使 用 され た もの に限定 す る。 それ以前 の ものや,1994年度 か ら採 用 され た新 カ リキ ュ ラム に基づ いて使 用 されて い る教科書 の記述 内容 との比較 は今後 の課題 と したい。
Ⅰ
Ⅰ <資料 >について
1)
学習指導要領 の内容 につ いて イ ン ドネ シアで は小学校 か ら高校 まで, 1984年 の学年度 か ら新 しい カ リキ ュラムが実施 され た。 その大部分 は1975年 の カ リキ ュラム を踏襲 す る もので あ った。 しか しこの改訂 で最 も大 き な変化 は, そ れ まで 中学校 で 「社 会」 の一部 と して教 え られ ていた 「歴 史」 (1- 3年 生 まで の前 ・後期 に週 1時 間) とは別 に, また,高校 で は, 1984年度 の カ リキ ュラムか ら全 生徒 に必 修 となった 「イ ン ドネ シ ア史 ・世界 史」 (普 通科 の 1年 生 は前 ・後 期 に週 3時 間, 2- 3年 生 は前 ・後期 に週2時 間ずつ,職業科 で は各学 年 の後期 に 2時 間ず つ) とは別 に,新 た に 「民族 闘争 史教 育」 (pendidikanSejarahPerjuanganBangsa) が, 時 の教 育 文 化 相 ヌ グ ロホ ・ノ トス\ている。 倉沢愛子はその著書の中で,「もしイン ドネシア人が, 日本軍政期で最 も恐ろしい経験 を一つあ げろといわれたら,おそらく "ロームシャ''と答える人が多いであろう。 (中略) インドネシア人 にとってロームシャとは日本の軍政下で過酷な肉体労働のために強制的に動貞された労働者 を意味 する」 と指摘 している [倉沢 1992:180]。 さらに後藤乾- ち,労務者問題が引き起こした最大の影響はイン ドネシア社会の日本軍政イメー ジと日本観の形成に与えた 「永続的な」 インパ ク トであろうし,「ロームシャ」 という言葉が, イ ン ドネシア語化 した日本語 として定着 しているのは象徴的である, と述べている [後藤 1989a: 100]。 8)日本占領期 に関するイン ドネシアの教科書の記述内容 を取 り上げた り,翻訳 しているもの として は, [唐沢 1961;山本 1965;世界の教科書 を読 む会 1971;イ ン ドネシア共和 国教育文化省 1982;永 井 1984;NHK取材班 1984;鈴 木静夫 1984;木村 1989;別技 1977;1990;1992;逮 田 1991;西村 1992]などがある。 9)本稿は,第23回日本インドネシア学会 (1992年11月12日,於 :三重県賢島)において 「イン ドネシ アの教科書における 『ロームシャ』の意味について」 とい うテーマで研究発表 したものを中心にし てまとめたものである。ただ し,小学校の教科書における 「ロームシャ」については,別稿にまと める予定であ り,本稿では取 り上げない。 498
サ ン トの主導 の下 に,小 学 校 か ら高校 まで の全 ての教 育段 階で民族 精神 と愛 国心 を高揚 させ る ため に10)必修 科 目 と して加 え られ た こ とで あ る。 そ れ は, 中学 校 ,高 校 と も各 学 年 で週 2時 間 ず つ 履 修 す る こ と が 義 務 づ け ら れ た [Johnson 1993:15-16,20-21;黒 柳 1986: 142-143]
。
本稿 で, この 「民 族 闘争 史教 育」が取 り入 れ られ た1984年 度 か ら1993年 度 までの10年 間 に中 学 校 と高校 で使 用 され た社 会 科 (そ の 中 の 「歴 史」 の み)・歴 史 の教 科 書 だ け を取 り上 げ て検 討 す る理 由 は こ こにあ る。 以 下 で は, 中学校 の社 会科 と民族 闘争 史教 育 ,高校 の民族 闘争 史教 育 に関す る教 育 文化 省発 行 の学 習指 導 要 領11)に 「日本 占領期」 の こ とお よび その 「教 材 」 の こ とが どの 、よ うに説 明 さ れ て い るか を見 て い くこ とにす る。 1986年 に教 育 文 化省 の カ リキ ュ ラム ・教 育設 備促 進 セ ンターか ら発 行 され た 中学 校 の社 会科 の 学 習 指 導 要 領 Kurikulum SekolahMenengah Umum TingkatPertama(SMP)- GarisIGarisBesarProgram PengaJ'aγan(GBPP)- BidangStudi:IlmuPengetahuanSosialは わず か29ペ ー ジ か らな る小冊子 で あ る。 この学 習指 導 要領 に よれ ば, 日本 占領期 は3年 生 の前 期 に, 「イ ン ドネ シア, 近代 に入 る」 (合計8時 間) の 中の一部 (他 に 「20世紀 の転換 期 にお け る社 会 .政 治 の変化 」 と 「民族 運動 」 が 含 まれ る) と して教 え られ る こ とにな ってい る。 そ の 中 に 「日本 占領期 」 の要 点12)と して 「第二次 世界 大戟 とイ ン ドネ シア- の波 及」 「イ ン ドネ シア は 日本 の戦争 支援 の ため に原 材料 と 人材 の供 給 源 とさせ られ る」 「日本 占領 政府 の政策 は民 族 闘争 に活用 され た」 の3点 が あ げ ら れ てい る (p.27)。 た だ し, 「ロー ム シ ャ」 に関す る具体 的 な記 述 は まった くない。 一 万 , 第ⅠⅠ章 「学 習 指 導 要 領 実 施 に際 して注 意 す べ き諸 事 項 」 に は 「教 材 」 に関 して, こ の学 習指 導 要 領 に記載 され た もの と一 致 す れ ば, 「教 師 は地 元 で 入手 可 能 な他 の本 を使 用 す る こ とが で きる」 (第7項 ) とな ってお り, またや は り, この学 習 指 導 要領 に記 載 され た もの と 一致 した教 材 を教 師 は選択 す る こ とが で きる (第9項 ) とな ってい る (p.3)。 そ して資 料 と して は,本稿 の <資 料
>A
lと 「他 の適切 な本」 を使 用 す る よ うに記 され てい る (p.27)0 10)民族闘争史教育の主要目的は,民族精神 と愛国心 を高揚 させた り,パ ンチヤシラ (建国五原則)教 育を高めることなど, 3項 目あ り, また取 り扱 う範囲は日本占領期 における闘争 を含めて, オラン ダ植民地時代以降の闘争から 「新体制」 (現スハル ト体制) までである [<資料>B 5 :12]。 ll)高校の 「イン ドネシア史 ・世界史」の学習指導要領に関 しては,未見のため,ここには取 り上げて いない。ちなみに,1975年の高校 「社会科」の 「歴史」のカリキュラム ([BalaiPustaka 1980a] を参照) に関 しては, [永井 1984]が取 り上げているが,同カリキュラムには日本占領期,お よ び 「ロームシャ」に関する具体的な記述はないことがわかる。 12)<資料>A4には,「1984年のカリキュラム/1987年の学習指導要領」の一部が出ているが, 日本占 領期に関する説明は1986年のもの とまった く同 じである。 499次 に, 中 学 校 の 民 族 闘 争 史 教 育 の 学 習 指 導 要 領 GarisIGarisBesarPIOgram PengaJ'wan PendidikanSeJ'arahPerjtwnganBangsaUntukSekolahMenengahU桝um TingkatPerta〝氾 (SMTP)
(全
1
2
ペ ージ) を見 てみ よう。 これ は,教 育文化省 か ら1985年 に発 行 されてい る。 日本 占領期 に関連す る内容13) と して 「日本 占領 に対す る イン ドネシア国民 の抵抗」があ る。 これは1年生の後期 に 2時間で教 え ら れ るこ とになっている。 この中 に も, 「ローム シャ」 に関す る記述 は まった く出てい ない。一 方,教材 としては<資料>A
lが指定 されてお り, その他 に 「日本の占領お よび圧政 に関す る 絵 ・写真」 となっている (p.5)0 この学習指導要領の 「注」 には,教材用 の資料 として, ヌグロホ ・ノ トスサ ン トの主導 の も とに編纂 された 「30Tahunldonesi
aMerdekaお よび/ または同書 の内容 と一致 した他の本」 となっている。 さらに1945年8月17日の独立宣言以前 の時期 に関 しては,「新体制」 (現 スハル ト政権 を指す) になってか らイ ン ドネシア共和 国政府が発行 した全 ての本お よびそれ らの本 と 内容 の-敦 した本が使用 で きる, と記 されている(
p.
1
2
)
0一 方, 高 校 の 民 族 闘 争 史 教 育 の 学 習 指 導 要 領 Garis-Gan・sBesarPngra桝 Pengajaran Pendidikan SejarahPerJ'uanganBangsaUntukSekolahMenengah Umum TingkatAlas(SMTA)
(全11ペ ージ) も教育文化省 か ら1985年 に発行 されている。 その中に, 日本 占領期 に関連 す る もの として次の
4
項 目があげ られている(
pp.5-
6)。 1. 日本 占領期 にお ける国民 の苦難 (ローム シャ [労務者], キ ンロヱ シ [勤労奉仕]):4時 間,教材 ・資料 としては 【本稿の] <資料>B
lと強制労働 (ロームシャ) に関する絵。2.
三A運動, ブー トラ (民衆総力結集運動),チュ-オー ・サ ンギ ・イ ン (中央参議 院):2
時 間,教材 ・資料 と しては [本稿 の] <資料>B
lお よび 「四 ツ葉 の クローバー」14)と チュ-オー ・サ ンギ ・イ ンの会議 に関す る絵 ・写真。 3.独立 イ ン ドネシア国家 を実現す る闘争機 関 としての独立準備調査 会 と独立準備委員会 :4
時 間,教材 ・資料 としては [本稿 の] <資料 >B
l 。 4.独立宣言前夜 (レンガス デ ンクロ ック事件 と独立宣言文作成過程):4時 間,教材 ・資料 としては [本稿 の] <資料 >B
l 。 これ らはいずれ も, 1年生の前期 に教 え られることになっているが, これ らを通 じて,生徒 13)<資料>A 9には,「1986年の民族闘争史教育の学習指導要領」の一部が出ているが,日本占領期 に関する説明は1985年のものとまったく同じである。14)「四ツ葉のクローバー」 とは,「四身一体」 (EmpatSerangkai)のことで,日本占領期におけるイン ドネシア側の4人の指導者 (スカルノ,ハ ッタ,マンス-ル,デワントロ)による集団指導を示す スローガンである。
が, 日本 占領期 における国民 の苦難 と民族指導者 たちの闘争戦略の正 しさを理解 で きるように なることが 目指 されている (p.1)。 「ロームシャ」 に関す る具体 的な記述 としては,上記 1の 「強制労働 (ロームシャ) に関す る絵」 とあるだけである (p.5)0 この学習指導要領 の 「注」 には,上述 の中学校用民族 闘争史教育の学習指導要領 にある もの とまった く同 じものが出ている (p.ll)0 以上が, 日本 占領期 に関す る中学校 ・高校の社会科 ・歴史の学習指導要領 と 「教材」 につい ての主 な内容 である。 いずれ も大 まか な 「要領」があるだけであ り, 「ローム シャ」 に関 して ち,いか に教 えるべ きか といった具体的 な指導要領 は まった く示 されセいない ことがわか る。 2) 歴史 の教科書 について イ ン ドネシアで1984年度か ら1993年度 に使用 された中学校 ・高校 の歴 史 (「社 会科」 の中の 「歴史」 を含 む。以下同 じ) の教科書 には 「国定」「検定」「選定」 の 3種類があ る。 社会科 ・歴史の学習指導要領 には 「国定」 の教科書 として, 中学校用 は<資料
>A
l,高校 用 は<資料 > B lのそれぞれ 1種類ずつだけが定め られている。 「検定」 の もの は, 「国定」 の もの を補 う一種 の 「補助教材」・Jbukupelengkap)または 「副 教材」 (bukupenunjang) と して,学習指導要領 にの っ とって編纂 された もの を教 育文化省 が 「検定」15)して, それ に 「合格」 した ものであ る。 「選定」 の もの も,学習指導要領 にの っ とって編纂 された もので, 1980年 に 「生徒 の積極的 学習方法」 (CBSA)16)が導 入 されて以来,「国定」 の教 科書 を補 う形で 「積極 的 に」使用 され てい る。17) 「ローム シャ」 に関 して イン ドネシア側が意図す る意味や記述内容 を理解す るには本来 <資 料>Al
とB
lだけ を分析す るだけで よいのか もしれない。 しか し, 「検定」 と 「選定」 の も の も, 「副教材」 とはいえ,実際 には 「教科書」 と して幅広 く使用 されて きたこと, さ らにそ れ らの内容がかな り異 なってお り,その相違点 ・類似点 を比較検討す る意味 も大 きい と思 われ 15)「検定」 といって も,A 2,A 3,B 2の場 合,「国定」の もの を 「補足」す る形 で,すで に出版 さ れてい た 「教科書」 を 「追認」す る形 を とっているため,実際 には 「政府認定」 とい う方が実状 に は近い ようだ。16)cBSAとは"CaraBelajarSiswaAktif"(生徒 の積極的学習方法) の ことで,児童 ・生徒 の 自主性 を 重 ん じ,個 人や グルー プによる学習 を積極的 に進め る ものである。 イギ リスで開発 され た, この方 法 は1980年か ら西部 ジャワ州 チ ア ンジュールの60校 の小 学校 で試験 的に実施 され,その後1980年代 には イン ドネシア全土で実践 されるようになった とい う [AtengWinarno 1991:115]。 17)教科書 の選択 は,地域 に よって違 いが あ り,州 で決 め られ る ところ もあ る ようだが,例 えば西部 ジャワで は,その選択 は校長 と教科担任 に任せ られてお り,最終的 には教科担任 が決定で きる とい う (AhmadDahidi(バ ン ドウン教育大学講師) との インタビュー。1994年2月21日,於 :京都)。 501
るこ とか ら,本稿では 「検定」 「選定」 の もの も取 り上 げて検討す ることに した。 本章 で は, 1984年 か ら1993年 の 間 に使 用 され た, 中学 校 と高校 の歴 史 の教 科書 の うち, 「ローム シャ」 の記述 (日本 占領期 を取 り上 げている もの にはすべ て出てい る)がある ものだ け を取 り上 げ,それぞれの概要 を紹介 してい く。 こ こで取 り上 げ る中学校 の歴 史 の教 科書 と しては, 「国定」 の ものが
1
種類 (<資料>A
1), 「検定」 の ものが 2種類 (A 2, A 3), それ に 「選定」 の ものが 6種類 (A 4- A 9) である。 また高校の歴史の教科書 としては,「国定」 の ものが 1種類 (<資料 > B 1),「検定」 の ものが 1種類 (B 2),それ に 「選定」 の ものが 3種類 (B 3- B 5) である。 a.中学校の教科書<資料 >にある A 1 [DepartemenPendidikandanKebudayaan 1985]は,教育文化省 によ る 『中学校用 イ ン ドネシア国史 ⅠⅠⅠ』 (1976年初版,1985年 第 7版。 Ⅰ一 ⅠⅠⅠ巻 の うちの第ⅠⅠⅠ
巻) で, 3年 生 用 の教 科 書 で あ る (仝 190ペ ー ジ)O これ は, 1975年 に発 行 され た seJ'wah NasionallndonesiaI∼ VI [sartonoetal. 1975]に基づ いて, ヌ グロホ ・ノ トスサ ン トを編 集主幹 として中学校用 に編纂 された もので, 中学校用歴史の教科書 では唯一の 「国定」 (1976 年 6月25日教育文化相決定) の教科書18)である。
同書 の第ⅠⅠⅠ章 「日本 占領時代」 には当時の イン ドネシアの政治 ・経 済 ・社 会 な どが概説 さ れてい る。 「ロームシャ」 は同章 の 「人力 の搾取」 と題 した ところで,2ページにわたって詳
しく説明 されている (pp.76-77) 0
同書 には, 日本語起源の語嚢 と して Bogodan (「防護 団」),daidanco (「大団長」),saikeirei (「最敬礼」),BorneoKo聖
聖[
- nan] Hokokudan (「ボ ルネオ輿南報 国団」),Fujinkai (「婦 人 会」, 2回),chudan些 (「中団長」, 4回),Keibodan (「警 防団」, 10回), r6musとa (「労務 者」,15回) な ど,18語が合計81回出ている [左藤 1992:227]。 A Z [Martono_1987]の 『社 会科 - 歴史 1B』 (1978年初版,1987年第11版) は 1年生用 の教科書である (全96ペー ジ)。 この教 科書 は, A lの 「補助教材」 と して,1980年 9月 9日 に教育文化省初等 中等教育総局の 「検定」 に合格 し, イン ドネシア全 国で使用す ることが承認 されている。その後, 1986年の第10版 までは内容 に変更 はなかったが, 1987年の第11版 になっ て一部の字句が変更 された (p.4)0 同書 は 「独立達成 のためのイ ン ドネシア民族の闘争」 の章 と 「民族の生活 に とっての独立の 意味」 の章で 日本 占領期 と独立宣言 な どを扱 ってお り,「ロームシャ」 は,「民族の生活 に とっ 18)1987年に発行 された第 9版 [DepartemenPendidikandanKebudayaan 1987a]になると,1976年の 決定に代わって,1987年 1月2日に新たに教育文化相決定がなされたことが記されている (p.3)0しかし本文の内容は,それ以前のものとまったく同じで,変更はない。 502
ての独立の意味」の章 の 「国内情勢」の ところで取 り上げ られている (p.57)。
同書 には, 日本 語 起 源 の 語 嚢 と して JawaHokokai (「ジャ ワ奉 公 会」, 3回),Dokuritsu を 竺里bi生 竺Sakai(「独 立準備調査 会」),Heiho (「兵補」),Nippon (「日本」,3回),Yamato
(「大和」),romusとa (2回) の 6語が合計11回出てい る [左藤 1992:227]。
A 3 [Martono 1990]の 『社 会 科 - 歴 史 3A』 (1988年 初版,1990年 第 4版) は 3年生 前期用 の教科書である (仝224ペ ージ)。本書 は1987年 の学習指導要領 に基づ いて,生徒 の 「実 践 的 な副教材」 として編纂 され (p.5),1990年 2月26日に教育文化省 初等 中等教育総局 の決 定 に よって 「検定」 に合格 した教科書 である。 同書 の 「イン ドネシア,近代 に入 る」「イ ン ドネ シア共和 国」の各章 で, 日本 占領期 と独 立 宣言前 後 な どが詳 し く解説 され てい る。 「ローム シャ」19)はⅠⅠⅠ「日本 占領 時代 」 の 中の 「人 力 の搾取」 と題す る ところで, 3ページにわたって詳 しく説明 されている (pp.72-74)0 同書 には 日本語起源 の語嚢 と して Bundanco (「分 団長」),cuosangiln (「中央参議 院」), Heiho (10回),JawaHokokai (10回),Kempeitai(「憲兵 隊」, 2回),Sとuisintai(「推 進隊」,
8回),Yamato (7回) な ど,23語が合計91回出ている [左藤 1992:228]。 A 4 [HassanNatawiredja 1987]の 『社会科 - 歴 史の手 引 き 3』 は1987年 の学 習指 導 要領 に基づ き,「生徒の積極的学習方法」 を重視 して編纂 された 3年生用である (全 109ペ ージ)0 同書 の第 Ⅰ章 「イ ン ドネシア,近代 に入 る」 のC 「日本時代」 には 日本 占領期 の こ とが概説 されてお り, 「ローム シャ」 は, 日本 の宣伝活動 の説明 の中で, イ ン ドネ シア人の苦難 の例 と して出ている (p.21)0 同書 には 日本語起 源 の語 嚢 と して Kimigayo
(
「君 が代」
)
,
seinendan(
「青 年臥 ,
5回)
, Heiho (2回),Keibodan (4回),JawaHokokai (4回),taiso (「体操」)な ど, 8語が合計 22回出ている [左藤 1992:227]。A 5 [NanaWarnia;andW ianaMulyana 1988]の 『社会科 - 中学 3年生用歴史』 は1986 年の社会科 の学習指導要領 に基づいて編纂 された, 3年生用 であ る (全144ペ ージ)0
同書 の第 Ⅰ章 「イ ン ドネシア,近代 に入る」 と第ⅠⅠ章 「イ ン ドネシア共和 国」 の中で 日本 占 領期 とその後 の こ とが概 説 され てい る. そ して ジャワ奉公 会 が行 った活動 の一部 に 「ローム
シャ」 の徴用があ った と説明 してい る (p.37)。
同書 には 日本語起源の語義 として Fujinkai (2回),Harakiri (「腹切 り」),bu旦垣 [- shi]do (「武 士 道」), Nippon (7回), Jibakutai (「自爆 隊」), JawaHokokai (4回) な ど, 13語 が
19)同書にある,グループ研究用の 「設問」には,「ロームシャ」 (原文は 仙Romusa''となっている)な
ど, 日本占領期における5つの組織の設立目的を答えさせるものがある (p.86)。また 「選択肢の 設問」にも 「ロームシャ」に関するものが出題 されてお り (p.92),「ロームシャ」を重視 している 編者の意図が明確に窺われる。
合計32回出ている [左藤 1992:228]。 A 6 [Tugiyono 1988] の 『社 会科 - 中学 3年生用歴 史』 は 3年生 の前期用 であ る (全 154ページ)。本書 は,1975年の学習指導要領 に基づいて編纂 された ものだが, この科 目に関 し ては1984年以降 も変更 はな く,「生徒 の積極 的学習方法」の教材 として,1988年 に新たに出版 された ものである (pp.5-6)。 同書の第 ⅠⅠⅠ章 「日本占領時代」 には,当時のイン ドネシアの政治 ・経済 ・社会などが詳 しく説 明 されている.「ロームシャ」は,「労働力の搾取」の ところで取 り上げられている (pp.54-55)0
同書 には 日本語起 源 の語嚢 と して Hokokai (「奉公会」, 3回),SとOdanco (「小 団長」, 2 回),Sendenbu (「宣伝部」, 2回),Kaigun (「海軍」) な ど,16語が合計48回出ている [左藤 1992:228-229]。
A 7 【AsmidKamalChaniagoetal. 1992]の 『民族闘争史教育 1』 (1987年初版,1992年
改訂第 8版) は,1985年の学習指導要領 に基づいて編纂 され,1992年 に一部改訂 された, 1年 生用である (全128ページ)。
同書の第3章 「日本占領 に対するイン ドネシア国民の抵抗」の中で, 日本占領期 に発生 した 抵抗 のい くつかが説明 されている。 「ロームシャ」 は,「ブ リタールのペ タ (郷土防衛義勇軍)
の抵抗」の ところに出ている (p.28)。
同書 には Cudanco (2回),Kidobutai (「城戸 部隊」, 2回),Saikeir[e]iな ど, 7語 の 日 本語起源の語嚢が合計21回出ている [左藤 1993a:138]。 A 8 [IitRasitaetal. 1987】の 『私 は イ ン ドネ シア を愛 す る - 民族 闘争史教 育副読 本 1』 は 1年生用である (全114ページ)0「副読本」 とあるが, これ も 「選定」 の教科書 の 1種 であ り,1985年の学習指導要領 に基づいて編纂 されている (同書の 「前書 き」)。 同書 の第3章 は 「日本 占領 に村 す るイ ン ドネシ.ア国民 の抵抗」 と遷 されてお り, 「ローム シャ」 は,その中の
B
「日本占領時代」 の中で, イン ドネシア人に対する 日本の きび しい圧政 の一例 として取 り上 げ られている (p.17).同書 には, 日本 語起 源 の語 嚢 と して JawaSentotai (「ジャワ戦 闘隊」, 2回),Gakutotai (「学徒隊」) な ど, 9語が合計19回出ている [左藤 1993a:138]。
A 9 [wianaMulyana;andAhmadD.Sarbini 1988] の 『民族闘争史教育 - 中学校 1年生 用』 は1986年の学習指導要領 に基づいて編纂 された 1年生の後期用である (全182ページ)0
同書 の第ⅠⅠⅠ章 「日本の占領 に対す るイン ドネシア国民 の抵抗」,第 Ⅴ章 「一九四五憲法の 制定 と正副大統領 の選出」,第XIII章 「ス ラバヤ国旗事件」,第xIV章 「愛国的独立 闘争」'の 各章 な どが 日本 占領期 に関連す る内容である。 「ローム シャ」20)は第ⅠⅠⅠ章で簡単 に取 り上 げ
られている (p.46)0
同書 には, 日本語起源 の語嚢 と して Bushido,DokuritsuJunbiCosakai,Domei (「同盟」, 3 504
回),Fujinkai (2回), Heiho (2回),Keibodan (2回),Kempe
[
i]tai,些 [- Ki]dobutai, Nippon (4回),Romusha (6回),Seinendan (2回),Yamato (5回) の12語 が合計30回出 てい る [左 藤 1993a:138]。 以上 が本稿 で取 り扱 う中学校 の歴 史 の教 科書 とその 中の 日本 占領期 お よび 日本語起 源 の語嚢 に関す る概 略 で あ る。 科 目が 同 じもの は当然 , 内容構成 が 同 じようになってい るが,教 科書 ご とに 日本 占領期 や 「ロー ム シャ」 に関す る説 明, 日本語 起源 の語嚢 の語桑 数 な どが異 な ってい る こ とが わか る。b.
高校 の教 科書<資 料 > のB 1 [DepartemenPendidikandanKebudayaan 1993] は, 教 育 文 化 省 に よる 『高 校 用 イ ン ドネ シ ア国 史 ⅠⅠⅠ』 (1986年 初 版 , 1993年 第 8版 。Ⅰ∼ ⅠⅠⅠ巻 の うちの 第ⅠⅠⅠ巻) で, 3年 生 用 であ る (全241ペ ー ジ). これ は, 1975年 に発行 され たsejarahNasioullndonesia I∼ VIに基 づ い て編纂 され た,高 校 用 歴 史 の唯 一 の 「国定」教 科 書 で あ る。1991年 の 第 7版 か ら 「改訂 」 され た こ とになってい るが,第 8版 で も,表紙 とご く一部 の字句 を除 き, 内容 は まった く変更 され てい ない。 同書 の 第ⅠⅠⅠ章 「日本 占領時代 」 には, 当 時 の イ ン ドネシアの政治 ・経 済 ・社 会 な どが概 説 されて い る。 「ロー ム シ ャ」 は, 同章 の
B
「社 会 ・経 済 的搾取 」 の 中の 「人力 の搾取」 の とこ ろで詳 し く取 り上 げ られ てい る (pp.114-116)。同 書 に は 日本 語 起 源 の 語莫 21) と してGakutotai, gunseikan (「軍 政 監」, 3回), Keimin
Bunka呈出dosと0 (「啓民 文化 指 導所」),Romukyokai (「労務協 会」),saikeireiな ど,48語 が 合 計125回出てい る [左 藤 1993a :139]。
B 2 [sutrisnoKutoyoetal. 1986] の 『高 校 用 世 界 史 第III巻』 (1975年 初 版, 1986年 第 4版) は 3年生用 の世界 史であ る (仝255ペ ー ジ)。 同書 は,元 々は1975年 の カ リキュラム実施 の前 に編纂 され た もの だが,1982年 の改訂版 は教育文化省 初等 中等教 育総局 の 「検定」 に合格 し,B lの 「副読 本」 と して承認 され た もので あ る。 それ は1975年 の カ リキ ュラム実施 の一環 と して, 要点 のみ を ま とめ てあ る教 育文化省発行 の教 科書 を補 う形 で,世界 史の背景 な どを説 明 した もの とな ってい る (第3版 の 「前書 き」)。 同書 は, 世 界 を6地 域 に分 けて概 説 してい る。 そのⅠⅠ 「ア ジ ア」 の4 「東 南 ア ジア」 の 中 の 「イ ン ドネ シア」 に 日本 占領期 の説 明が あ り, 「ロー ム シ ャ」 は, その 中で取 り上 げ られ て 20)同書では, 3カ所 (pp.48,50,176)の 「練習問題」で 「ロームシャ」が取 り上げられている。そ のうちの一つは 「ロームシャの意味するものは何ですか」 という設問である (p.50)。 21)同書に出ている日本語起源の語嚢に関 しては,西村 [1992]が,その一部を取 り上げ,「いずれ も, 日本占領期における教育の特色を言い表すキーワー ドである」 (p.291) と指摘 している。 505
いる (pp.92-93).
同書 には 日本語起源の語柔 としてfujinkai,heiho,JawaHokokai (3回) な ど,合計 8語が 14回出ている [左藤 1992:248]。
B 3 [Tugiyonoetal. 1987]の 『イ ン ドネ シア国史 ⅠⅠ』 は高校 2年生用 で あ る (仝 156 ページ)0
同書の 「前書 き」 によれば, 「イ ン ドネシア史 ・世界史」 (1984年のカ リキュラムか ら全高校 の必修科 目となった [p.5])の学習指導要領が出 される前 に 「資料」 として使用が義務付 け られ てい た の は seJ'arahNasionalIndonesiaUntukSMA (Ⅰ-III) と seJ'arah Umu仇 Idonesia
UntukSMA (I∼ II)の2種類であったが,両者 は学年 と学期 の区分 に合 わず,現場の教 師が 困 ってお り,その困難 を克服す るため に編纂 されたのが本書 のB3である (pp.5-6)0
同書 の 第ⅠⅤ 章 「日本 占領期 (1942-1945年)」 は, 6つ の節 に分 け られ てお り, 「ロー ム シャ」 はその中のD 「日本の圧政の諸形態」 (pp.144-149)の中で取 り上 げ られている。
同書 には, 日本語起源 の語嚢 と してMeiji (「明治」),kandji (「漢字」),katakana (「カタ カナ」),Sendenbu (3回) な ど,22語が合計43回出ている [左藤 1992:251]。
B4 [Tugiyonoetal. 1987]の 『高校民族 闘争 史教 育 1』 (1987年 初版,同年 第 2版)
は,1985年の学習指導要領 に基づ いて編纂 された 1年生用 であ る (全240ペー ジ)。同書 の第 IV章か ら第 x章 までが 日本軍政 に関連 した内容 であ り,「ロームシャ」 は,第 IV章 「日本占 領期 における国民の苦難」 の中の 「人力の搾取」 (pp.96-107)の中で取 り上 げ られている。
同書 には, 日本 語 起 源 の語 嚢 も多 い。Gunseikan (5回),DaiNippon三重[- Tei]koku (「大 日本帝 国」),Keibodan (11回),hokosei望吐 (「奉 公 精神」),kumiai (「組合」,3回), Romukyokai,Heiho (14回) な ど,80語が合計296回出ている [左藤 1992:250-251]。
B5 [EddyJusufetal. 1992]の 『民族 闘争史教 育 一 高校 1年生』 (1987年初版,1992年 第4版) ち,1985年の学習指導要額 に基づいて編纂 された ものである (全95ペ ージ)。 同書 の 第ⅠⅠⅠ章か ら第 Ⅴ章 までが 日本 占領期 に関連す る内容 であ る。第ⅠⅠⅠ章 「日本 占領期 における イ ン ドネシア国民の苦難」では,「ロームシャ」が,Kinrohoei (「勤労奉仕」)な どとともに,
日本占領期 における国民の苦難の例 として説明 されている (pp.52-53)。
同 書 に は, 日本 語 起 源 の 語 嚢 と して Sanyo (「参 与」), Tonarigtlmi (「隣 組」), shu sangi-Kai (「州参議会」) な ど,24語が合計51回出ている [左藤 1993a:139]。 以上が,本稿で取 り扱 う高校 の歴史の教科書 とその中の 日本 占領期お よび 日本語起源の語嚢 に関す る概略である。 表
1
は,中学校 と高校の歴史の教科書 における日本語起源の語乗数,「日本軍政関連用語」22) 22)「日本軍政関連用語」とは,日本占領期における軍政と直接 ・間接に関連のある語柔を指す。 506表1 中学校 ・高校の歴史 の教科書 における日本語起源の語嚢数 と 「日本軍政関連用語」の語真数お よび 「ロームシャ」の回数 教 科 書 日 本 語 の 日本 軍 政 関 連 ロー ム シャ の 語 桑 数 (語) 用 語 の 語 嚢 数 回 数 (回) A 1 18 18 15 A 2 6 6 2 A 3 23 23 12 A 4 8 8 2 A 5 13 12 3 A 6 16 16 13 A 7 7 7 2 A 8 9 9 1 A 9 12 ll 6 B 1 48 47 15 B 2 8 7 3 B 3 22 21 6 B 4 80 80 22 B 5 24 24 6 合 計 294 289 108 注) A l∼A 9-中学校,B 1- B 5-高校の<資料>の記号 の語嚢数お よび 「ローム シャ」 の回数 をまとめた ものであ る。 同表か ら,教科書毎 に, それ ら の語桑 の取扱 い頻度 にば らつ きが あ るこ とが わか る。 これは 「社会科」 の 「歴史」,「民族 闘争 史教育」,「世界 史」 な ど,教科書 の種類 の違 い を考慮 に入れた と して も, 日本語起源 の語嚢 の 扱 い に関 して, それ を重視 して,多 くの語嚢 を取 り上 げてい る もの (例 えば,A l, A 3, B 1,B 4)か ら, それほ どで もない もの (例 えば,A 2,A 7,B 2)まで,教科書 の編者の 考 え方がか な り反映 されてい るこ とを示 してい る と言 え よう。
Ⅰ
Ⅰ
Ⅰ 「ロームシ
ャ 」について
1) 「ローム シャ」 の意味 中学校 お よび高校 の教科書 において 「ローム シャ」 の意味がそれぞれいか に説明 されてい る か を<資料 >の順 に見 てい こ う。A
lで は, 「ローム シャ」 の意味 の直接 的 な説明はないが, 「彼 らは 日本側 によって強制 的 に 働 か された」 (p.76) とい う説明が な されてい る。 507A 2で は,「強制労働部 隊」 (barisankerjapaksa) (p.57)と説明 されてい る。 A 3では, 「強制労働 者」 (pekerjapaksa)とい う説 明が2カ所 に出てい る (pp.71-72)0 A 5では,最初 に 「ローム シャ」 が出 て きた際 には 「労働 力」 (tenagapekerja)と説明 され ている (p.36)が,次 に出て きた時 には, 「強制労働 者」 と説明 されてい る (p.37)。 A 6の本文 には 「ローム シ ャ」 の意味 の直接 的 な説 明 はな く, 「彼 らは 日本側 によって強制 的 に働 か された」 とい う説 明が あ るだけだが, 「ローム シ ャ」 の働 い てい る場 面 の写真 説明 に は 「強制 労働 力」 (tenagakerjapaksa)とあ る (p.54)。 また本文 の後 には 「選択肢 の試験」 が あ り, その 中で は 「ローム シャ」 を 「強制労働」 (kerjarodi)と説 明 してい る ところが2カ 所 (pp.62,64)あ り, 「勤労 戦 士 部 隊」 (barisanprajuritkerja)と説 明 して い る ところ もあ る
(
p
-.
62)。 A 4,A 7,A 8,A 9には, 「ローム シャ」 の意味 の説明 は まった くない。B
lには 「ロー ム シャ」 の意 味 の直接 的 な説 明 は ないが,最 初 に出 て きた時 には 「国民 は ローム シャに させ られ, 日本 の軍事 施 設 で強制労働 を行 った」 (p.113) と説 明 され てい る。 その後, 「ローム シャの仕事 は身の毛 の よだつ よ うな強制労働 であ った」 との説 明が あ り, さ らに 日本側 は,国民 が 「ロー ム シャ」 の悲惨 さを口 コ ミで知 り, 「ロー ム シャ」 になる こ とを 恐 れ ない よ うに と 「ロー ム シャは経 済戦士 あ るい は勤労英 雄 で あ る」 とい うキ ャ ンペ ー ンを 行 った と説明 してい る (p.115)0 B2で は, 最 初, 「ロー ム シャ」 の 意 味 を 「労 働 力」 (tenagapekerja) と説 明 して い る (p.92)が, その後 で は 「強制苦力」 (kulipaksa)と説明 してい る (p.93)。 B3では, 「わが国 にお け る植民 地的経 済搾取」 とい う時代 別 区分表 の中で は 「ローム シャ 」 の意味 をたん に 「労働 力」 (tenagakerja)と説 明 してい る (p.47)。 しか し 「ローム シャ」 の 働 いてい る場面 の写真説 明 には 「強制労働 力」 と奉 る (p.147)。 B 4で も, 「わが国 にお ける植民地 的経 済搾取」 とい う時代 別 区分表 の中で は 「ローム シャ」 の意 味 をた ん に 「労働 力」 と説 明 してい る (p.26)。しか し本文 には, 「国民 は ローム シャに させ られ, 日本 の 軍 事 施 設 で 強 制 労 働 を行 っ た」 とあ り,B lと同 じ説 明 となっ て い る (pp.94-95)。 またB
lと同 じ く 「ロー ム シャは経 済 戦 士 あ る い は勤 労 英 雄 で あ る」 とい う キ ャ ンペ ー ンを行 った とい う説 明 もあ る (pp.97-98)。 さ らにその後 には 「ローム シャ部 隊」 を 「勤労 戦士部 隊」 と説 明 してい る (p.98)。一方, 「ローム シャ」 の働 いてい る場 面 の写真 説 明 には 「強制労働 力」 とあ り (p.100), B 3と同 じ説明 となってい る。 B 5で は, 「ロー ム シ ャ」 の意 味 を第III章 で は 「戦士 勤 労部 隊」 (barisankerjaprajulit) (p.53)と説 明 してい るが, 第ⅠⅤ章 で は 「強制労働 の性 格 をお びた, 国民 の人材徴用 を助 け るための勤労戦士部隊」 と説 明 してい る (p.63)0 508表2 中学校 ・高校の歴史の教科書 における 「ロームシャ」の意味別分類表 強 制 強 制 強 制 労 強 制 労 働 者 勤 労 勤 労 経 済 労 働 労 働 者 働 部 隊 苦 力 (力) 戦 士 英 雄 戦 士 A 1 A 2 A 3 A 4 A 5 A 6 A 7 A 8 ABBBBB 2349l5 ◎
◇
○
○
◎○
◇◎
○
○
〇
〇
〇
〇
○
○
◎○
○
○
○
注)A-中学校○印
-直接説明のあるもの B-高校 ◎印-2カ所以上に説明のあるもの ◇印-間接説明のあるもの 表 2は中学校 と高校 の歴史の教科書 における 「ローム シャ」 の意味別分類表 であ る。14種類 の教科書 の うち7種類が 「ローム シャ」 の意味 を 「強制労働者」 と説 明 してい る。「強制労働」 「強制労働部 隊」 「強制苦力」が それぞれ1種類ず つあ り,「強制」 とつ くものが延べで10種類 (一部 の 間接 説 明 と重複 した もの を含 む) となる。 しか し, 「労働 者 (力)」と説明 してあ る も のは4種類 しか ない こ とが わか る。 一方 「勤労戦士」が3種類,「勤労英雄」 と 「経 済戦士」がそれぞれ2種類 あ る。 以上 の こ とか ら, 中学校 と高校 の歴 史の教科書 における 「ロームシャ」の意味 は,教科書 に よってば らつ きが あ り, さらに同 じ教科書 で も統一 されてい ない もの もあ るが,全体 としてみ る と, 日本語 の本来 の意味 とはか な り異 なった意味説明が な されてい る ものが多 く,言語学的 には 「特殊化」 されている と言 え よう。2)
「ローム シャ」 に関 する記述 内容 「ローム シャ」 に関す る記述 内容 を分析す るため に,以下では, 「動員」「
実態
」 「人数」 「派 509表 3 中学校 ・高 校 の歴 史 の教 科 書 にお け る 「ロー ム シ ャ」 に関す る記 述 内 容の分類表 動 員 ' 実 態 ●* 人 数 派 遣 先 結 果 評 価 A l
○
○
○
○
○
◎○
○
A 2○
○
○
○
○
A 3 A 4 A 5 A 6 A 7 A 8 ABBB 1239 ◎○
○
〇
〇
〇
〇
〇
○
◎〇
〇
〇
○
◎○
◎◎
○
○
◎○
○
○
◎○
◎◎○
B 4 ◎ ◎ ◎◎
◎ B 5○
○
○
○
○
注)
○印-直接説明のある もの ◎印- 2カ所以上 に説明のあるもの 暮 「動貞」 には徴用の理 由や方法 な どを含むo H 「実態」の中には,労働状況,取 り扱 い,食べ物,健康 などを含 む。 遣 先」「結果」「評価」23)の6項 目に分 けて, それぞれ検討 してい く。a.
「動 員」 まず 「動 員」 に関 しては,表 3の ように12種類の教科書が何 らかの説明 を している。以下で は, <資料 >の順 にその記述 内容 を検討 してい こ う。 A lは, 「動 員」 の方法 に関 して, 「ローム シ ャたちは,大半 が村 落 か ら徴用 され, それ も一 般 的 には学 校 を出 て い ないか, せ いぜ い小 学校 卒 の 人々で あ った。最 初,彼 らは甘 い言 葉 で 23)「動貞」 には,「ローム シャ」 の徴用 の理 由や方法 な どを含めている.「実態」 には,「ローム シャ」 の労働状況,取 り扱 い,待 遇,食べ物,健康 な どを含めている。「結果」 には,「ローム シャ」 の徴 用 の結 果,死亡 した り行 方不 明 になった とか, 出身村 落- の影響があ った な どの説明 を含め てい る。 「評価」 には, これ まで 「ロー ム シャ」 に関 しては 「マ イナス」面 の見方 しか され なかった こ とに 「プラス」面の説明 を している もの を取 り上 げた。 510ローム シャになる ように勧誘 され,甘言で成功 しない と,強制 され た。24)人口桐密 な島であ る ジャワ島 は大々的 な労働 力動 員が 可能 で あった」 と述べ てい る。 さらに同書 で は, 当初 「ロームシャ」- の応募 は志願制であった し,「人材の動員は,人々が,大東亜共栄のため とい う宣伝 の影響 を受 けていたため に,それほ ど困難ではなかった」が,その後 「ロームシャ動員 は強制 と感 じられるようにな り,重い負担 になってい き」, 「任地-派遣 されることを嫌が った ので, 日本側 は強制 を行 った」。 そのため, ほ とん どすべ ての健康 な男子が徴用 され,「村 に 残 ったのは,女子供 と身障者だけになった」 (pp.76-77) と説明 している。 A 2は,戦争 の必要 のため に民 衆 を動 員す る とい う方法 で人力 の搾 取が行 われ, 「民衆 は ロームシャ,すなわち強制労働部隊になるため に動員 された」 (p.57) と簡単 に説明 している。 A 3は,「最 もひ どい 目にあったのは,強制労働者 (ローム シャ) となるため に徴用 された 人たちであった。彼 らは村落の出身であ り,一般 的には読み書 きがで きなかった。教育が最 も あった者 で も小学校卒で あった」 (pp.72-73) と述べ, その後 に,「ローム シャ としての国民 の徴用 は,戦争のためにい ろいろなプロジェク トを準備 しようとしていた 日本 を支援す ること を目的 としていたことは明 らかである」 (p.74) と説明 している。 A 5は, ジャワ奉公会が行 った活動 の一部 に 「ロームシャ」 の徴用があった ことにふれてい る (p.36)。そ して 「国民生活が極 めて苦難 に満 ちていた最 中 に, 日本 は,村の農民 や都市の 労働者 を動員 して防衛の砦,鉄道,道路 を構築す るための強制労働者 (ロームシャ) に したの である」 (p.37) と述べ ている。 A 6は,「ロームシャ」の人材 は大半が村落の農民 たちか ら徴用 された, とだけ説明 してい る (p.54)。 A 8は,「食程不足 の国民が ロームシャとい う仕事 に動員 された」 と,簡単 に説明 してい る (p.17)。 A9は,「その人材 の動員 は村落 ばか りで はな くて,都市 で も行 われた」 と,やは り簡単 に 説明 している (p.46)。
B
lは, まず,国民 は 「ロームシャ」 になることを強制 され, 日本の軍事施設で強制労働 を させ られた。 「ローム シャ」 の大部分が 農民 だったので農業 に従事す る人数が減 った と説明 し ている (p.113)。 そ して人材 は人口の鋼密 なジャワ島の村落か ら大 々的 に集め られた。 当初 は志願 による もので,任地 も居住地か らそれほ ど遠 くはなか った。 またおおげさな宣伝 も行 わ 24)軍政の当初は 「志願制」であり,「軍政当局は,ロームシャは自由意思で応募することを鉄則とし ており,事実そうであったかのようにみせかけていた」ために 「自発的に応募 した」者もいた,と いう [倉沢 1992:191,218]。また,当初は苦力的な性格を持つ労務者よりも,むしろ資源開発 のための一般的な労働力という性格が強かったが,後には 「大量かつ迅速な労務調達」を達成する ために,失業者の 「強制的徴用」など,現実的には 「もっと生々しい方法」もとられ [後藤 1989a: 71,80],「甘言,脅 しなどありとあらゆる圧力がかけられた」[倉沢 1992:218]といわれる。 511れ, い くつかの町では, 「ローム シャ部 隊」が設立 された と述べ た後,当初 は志願 による人材 動月 であったが,次 第 に強制 的 な もの に変化 してい き,各村落 は一定 の割 り当てに したが って 一定数の 「ローム シャ」 を供給 す ることが義務付 け られ, 「ロームキ ョ-カイ」 (労務協 会) と 呼 ばれ る徴用 委 員会が各地 に設立 され た と説 明 してい る。 さ らに,一般 的 には農民 で あ った 「ロームシャ」 の仕事 は 「身の毛 の よだつ よ うな強制労働 で ある」 とい う 「悪 いニュース」 が 公然 の秘密 となってい くと,国民 は 「ローム シャ」 になることを恐 れ るようになった。国民の 恐怖心 を取 り除 き, その秘密 を隠す ため に, 1943年 か ら日本 は,「ロームシャ」 は 「経済戦士」 「勤労英雄」25)であ る とい う新 しいキ ャ ンペ ー ンを始 め,「日本の軍 隊の ため に神聖 な任 務 を 遂行す る戦士」 とい うイメージが与 え られた, と説明 している
(
p.
1
15)。 8 2は, 1944年 に設立 された ジャワ奉公会の活動 の中 に,稲,宝石,古 鉄, ひまの実,それ に労働 力 (ローム シャ) を集 め るため に国民 の動貞 が あった, と述べ た後 (p.92), 「ローム シャ」 については,「村 の農民 たちや都市 の労働者たちの多 くが, 日本のため に鉄道,飛行場, 要塞 を建設す るためのロームシャ,す なわち強制苦力 にさせ られた」 (p.93)と説明 している。 B 3は,村 で は若者 た ちが た くさん捕 まえ られ, 「ローム シャ」 と して働 か され るため に他 の占領諸 国,特 にビルマ-送 られた (p.145)とだけ説明 している。 B 4は,国民 は 「ロームシャ」 になることを強制 され, 日本の軍事施設 で強制労働 を行 った (pp.94-95)と説明 した後,戦争行 為の一環 として, 日本 は,壕,地下倉庫, 緊急用飛行場 な どを含めた軍事施設 を建設す るため に,で きるだけ多 くの肉体労働者 を必要 とした。人材 は, 人口が最 も桐密で,大 々的な徴用が可能であ り,労働 力 の源泉 となったジ ャワ島の村落か ら得 られ た (pp.96-97), と 「ロー ム シ ャ」 の 「必 要性」 と 「供 給 地」 につ い て述 べ る。 そ して 「ロームシャ」 の供給 は, 当初 は 自発 的であ り,任地 も住民 の住居 か らそれほ ど離 れてはい な かった。 そ して 「村 落 の相互扶 助 の精神 の厚 さ」 に加 えて 「大 々的 な宣伝 が行 われた」 ため に,動月 はそれほ ど困難 だったわけで はない。 それ どころか 「い くつかの町では宣伝手段 とし てロームシャ部 隊が設立 された」 と説明 している。 その後 に B lと同 じように,動員が 「自発 的」 か ら 「強制的」 になった こ と, 「ロームキ ョ- カイ」 の設立の こと, 「経 済戦士」 「勤労英 雄」 のキ ャンペー ン展 開 による 「日本軍 のために神聖 な任務 を果 たす戦士」 とい うイメージ作 りの こ とな どが詳 し く説 明 され てい る (pp.97-98)。そ して 「ローム シャ」 は, シャム, ビル マ な どの ような東南 アジアの占領地域 で,軍事基地,要塞,道路,橋 を建設す るため に徴用 さ 25)1943年9月の中央参議院発足以来ずっとこう呼ばれ,スカルノ (初代大統領) も 「ロームシャ 」.を 「勤労戦士」 と称揚する上で重要な役割 を果た したと言われる [後藤 1989a:93;倉沢 1992: 227]。スカルノ自身も,その自伝の中で,現実には 「奴隷」であった 「ロームシャ」を 「徴募する 任務をとっていたのが私であった」と述べ,また,頭に熱帯用のヘルメットをかぶ り,手にシャベ ルを持って 「ロームシャ」になることが 「なんと容易で栄光に満ちたことかを示すような写真を撮 らせた」ことを認めている [Adams 1966:292;スカルノ 1969:251]。 512れた, と再 び述べ ている
(
p.
9
8
)。
B 5は, 「需要 に応 じた労働 力 を獲得 す るため に,各村落では ローム シャを徴用す る ことが 義務付 け られ,各地 にロームキ ョ-カイ とい う国民の人材徴用委員会が設立 された」 と述べ た 徳,東南 アジアの 日本 占領地域 で軍事基地,防衛の砦,道路 ・橋 の建設のため に何十万 とい う 「ローム シャ」が ジャワか ら徴用 された, と説明 している(
p.
5
3
)
。
以上が 「ローム シャ」 の 「動員」 に関す る記述 内容 であ る。A4
,A7
の ように, 「動員」 に関す る記述 の まった くない もの とA l, B l, B 4の ように詳 しい説明のある もの まで, さ まざまである。 b.「実態」 「ローム シャ」の 「実態」 に関 しては表3の ように,9種類 の教科書 に説明がある。 Alは, 「ローム シャ」 は 日本側 に よって特 に飛行場 を建設 した り,要塞や鉄道 を構築 した りといった軍事 目的のため に強制 的 に働 か された と述べ た後,「ロームシャに対す る待遇 は極 めて悪 か った。健 康 は保 証 されず,食べ物 は不十分 であった し,労働 はあ ま りに もきつか っ た。その結果,任地で死 んだロームシャが多か った」 (p.76)と説明 している. A 2は, 「ローム シャ」 たちは飛行場,要塞, 防空壕,鉄道 を作 るため に働 くこ とを強制 さ れた。何千 人 もの 「ローム シャ」が, イ ン ドネシアか らマ ラヤ, タイ, ビルマ-逮 られ, その 中の多 くは働 いてい たジャングルで死 んだ (p.57)と説明 している。 A 3は,最 もひ どい 目にあったのは,強制労働者 (ローム シャ) となるため に徴用 された人 とちで,檎,幹線道路,飛行場,要塞,防空壕 の ように, 日本の防衛 に必要 な,いろいろな施 設 を建設す るため に働 くこ とを強制 され た (pp.72-73)と説明 してか ら, ジャワ島出身の何 千 人 もの人々が ジャワ島外の森林 で働 か されたが,「ロームシャたちの仕事 は非常 に重労働 で あ った。 ジャ ングルで木 を切 り倒 した り,丘 をな らした り,山で砕石 な どを した」 と, 「ロー ム シャ」 の仕事 内容 を具体 的 に説 明 している (p.73)。 さらに 「ロームシャ」 の取 り扱 いや待 遇 な どについては次 の ように詳 しく述べ てい る。 ロームシャたちに対す る 日本軍の取 り扱 いは極めてひ どか った。仕事 を少 しで もなまけ てい る と,平手打 ちに された り,銃 の台尻でな ぐられた り, むちで打 たれた り,足 で蹴 ら れた りした。 これ に反抗 しようと した者 は殺 された。一方,彼 らの健康 には注意が払 われ なか った。衣服 は不十分であった。食べ物 は与 え られたが,米の御飯 ではな く, タピオカ の粉 の お か ゆ で あっ た。 そ れ も一 日一 回 だ け で あ り, そ の量 は とて も少 な かっ た。 (p.73)5
1
3
A 4は, 「ロー ム シャ」 に関 して, イ ン ドネ シア人 の苦 難 の例 と して取 り上 げ, 「ローム シャ」 は極めて残酷 な扱 い を受 けた。非常 な重労働,食べ物不足,伝染病, 日本人による拷問 な どで多 くの者が死 んだ。 また,秘密の軍事 プロジェク トで働 か されていた者 は,仕事が終わ る と殺 された (p.21) と説明 している。 A 6は, 「ローム シャ」 に対す る取 り扱 い は極 めてひ どか った。健康 は保証 されず,食べ物 は不十分で,仕事 はあ まりにもきつかった。その結果,多 くの 「ロームシャ」が任地で死亡 し た (pp.54-55)と簡単 に説明 している。 Blは,「ロームシャ」 の取 り扱 いな どについて,「現場で は,宣伝 や壮行会 とは異 なって, 彼 らは手荒 に扱 われた。健康 は保証 されなかった し,食べ物 は不十分 で,仕事 は非常 に過酷で あ った。 ロームシャの多 くが病気,食料不足,疲労,事故 のために現場 で死亡 した」 (p.115) と説明 している。 B 3は,本文 では 「実態」 についてはふれていないが,「ロームシャ 」 の イラス トが載せ て あ り,それ には,「日本 占領期 のあ る場所 におけるロームシャの悲惨 さと貧 しさに関する絵」 とい う説明がある (p.148)0 B 4は,「ロームシャ」 に対す る取 り扱 いな どについて, B lと同 じように,「ロームシャ」 は 「労働現場では,宣伝や壮行会 とは異 なって, ひ どい扱 いを受 けた。健康 は保証 されず,食 べ物 は不十分であ り,労働 は きわめて過酷であ った。 ロームシャの中の多 くは,病気,食料不 足,疲労,事故 な どによ り,現場 で死亡 した」 (p.97) と説明 した後, 「この ローム シャの大 部分 は,飢 え,渇 き,強制労働 の際の虐待 に よって死亡 したため に再 び故郷 に帰 る ことはな かった」 (p.98) と再 び述べ ている。 B 5は,東南 アジアの 日本占領地域 で,軍事基地,要塞,道路,橋 を建設す るために徴用 さ れた 「ロームシャ」の大部分 は,飢 え,渇 き,強制労働 の際の虐待 によって死亡 した (p.53) と説明 している 以上が 「ローム シャ」 に関す る 「実態」の記述内容である。 A 5,A 7な どの ように,「実 態」 に関す る記述 のない もの もあるが,大半 は,「ロームシャ」 のおかれた状 況 を具体 的 に説 明 して,その過酷 さを強調 している。 C . 「人数」 と 「派遣先」 「ローム シャ」 の 「人数」 に関 しては14種類の教科書の うち 8種類 に記述がある (表 3)0 Al,A 2,A3はいずれ も 「数千人 も」 となっている。 A 6は,本文 で は 「ジャワ島 か ら動 員 され た人数」 と して 「数千 人 も」 と記述 してい る (p.55)が,写真 の説明文で は,国外へ 派遣 された人数は30万 人,その うち23万人が死亡,約 7万人だけが 「非常 に悲惨 な肉体 的状 態で戦後発見 された」 とあ り (p.54), 「本文」 と写真 514
の説明文 の数字が まった く異 なっている。
B
lは,推定 で3
0
万人が ジャワ島外-派遣 され,「7
万 人が悲惨 な状態」 であった と説明 し ている (p.116)0 B 3は, 本 文 で は, ジャ ワ 島 か ら動 員 され た 人 数 と して 「数 百 万 人」 と記 して い る(
p.
1
4
5
)
が,写真 の説明文 で は,A 6と同 じく, 国外- 派遣 された人数 は3
0
万 人, その うち 23万 人 が死 亡, 約 7万 人 だ けが 「非 常 に悲惨 な肉体 的状 態 で, 戦 後 発 見 され た」 とあ り(
p.
1
4
7
)
,やは り 「本文」 と写真 の説明文の数字が まった く異 なっている。 B4は,本文ではジャワ島か ら動員 された人数 として 「数十万人」 と記述 しているが,国外 -派遣 された 「ロームシャ」 は3
0
万人 と推定 してお り,約7
万人だけが 「非常 に悲惨 な肉体的 状態で,帰郷 で きた」 と説明 している (p.98)。 また,写真 の説明文 には, A 6や B 3と同 じ く,国外へ派遣 された人数が30万 人,その うち23万人が死亡,約7万 人だけが 「非常 に悲惨 な 肉体 的状態で,戦後発見 された」 とある (p.100)0 B 5は, 「数十万 人」 が ジャワか ら徴用 されて東南 アジア- 派遣 されたが, その 「大部分」 は帰郷す ることはなかった, と記 している(
p.
5
3
)
。A6
, B 3, B 4は同 じ著者 (共著者 は異 なる)で,写真 の説明文 の数字 はいずれ も同 じだ が,本文 に出てい る 「ロームシャ」 の人数 をそれぞれ 「数千 人」 「数百万 人」 「数十万人」 と書 いてお り,大 きな違いがある。 以上の ように,教科書 に よって 「ロームシャ」 の人数 は まった くバ ラバ ラであ る。「ローム シャ」 の実数が不明であること, イン ドネシア側の統一見解が ない ことな どがその原 因であろ う 。 一方,「ロームシャ」 の 「派遣先」 に関 しては,10種類 の教 科書が具体 的 な国名 ・地名 をあ げている。A
l,A2
,A5
,B2
,B5
はそれぞれマ ラヤ, タイ, ビルマ をあげているが,A3
はそ れに加 えて イン ドシナをあげている。A6
は,本文 ではマ ラヤ, タイ, ビルマ をあげているが(
p.
5
5
)
,写真 の説明文で は,それ 以外 にイリア ン,マ ルク, スラウェシ もあげている(
p.
5
4)
。 Blは,マ ラヤ, タイ, ビルマ に加 えてベ トナム とサ ラワクをあげている。B3
は,本文 で ビルマ をあげ(
p.
1
4
5
)
,写 真 の説 明文 で は, それ以外 に, タイ, マ ラヤ, イリア ン,マルク, スラウェシをあげている(
p.
1
4
7
)
0 B 4は,本文 でマ ラヤ, タイ, ビルマ をあげ (p.98),写真の説明文で はそれ以外 にイリア ン,マル ク,スラウェシをあげてい る (p.100)0 以上が 「ロームシャ」の 「派遣先」 に関す る各教科書 の記述 内容 である。 大半の教科書がマ ラヤ, タイ, ビルマ を 「派遣先」 にあげていることがわか る。5
1
5
d.「結果」 と 「評価」 「ローム シャ」 の 「結果」 に関 しては表