八代女王の禳ぎ
八代女王が聖武蚕土に献じた一首は、下句の歌文に異伝を有して いる。﹃校本萬ル焚﹄を検するかぎり﹁一属ご以下の文字列を持 たない^芋本は^^しない。 、^^^^^^白^^^^同君尓因言之繁乎古郷之剛日香乃河尓
足 .工能田超三小之債豊尓潔身叫7山久 はじめに ごくふつうに考えて、扣聞卿合に異伝を伴うこと自休がまず不冑 然であり、加えてそれが天皇への献歌であるとしたときに抱かれる 不審感は小さくない。献呈に際して、泳作者がどれほど心を砕いてこ とぱを勒き表現を練り、より純,度の高い完成形を何旨そうとした か、か容易に想像できるからだ。 念のために作者判明の相倒際﹂における歌轟ハ伝の例を探すな 、 L q 、 ニ'、一、エニ五、一三六、一三七および4 ら 2 ブ ブP 七八0が見印される荏度で、赤七丁八・九には存在しない。人麻呂 石見相研歌か冶の半数を占め、天智天・呈代に配される二首がそこに尚
之
潔身為尓去 (4 ・六一エハ) 含まれるあたりか、相開と歌文異伝との稀苅な関係性を砥してい よう。唯一の例外は、 ^^'^^・^^^^Ⅷ^^^^^^^^うち^ Ⅱ一枯^亭^鄭^^冨瀏膨^条^也乎^^^^^一云仕令 (4 ・七八0) モ にあるガこれは家持ガ歌刑編架段階で歌形の覗'τ図ったという ような亊枯に考え至るため'<伝の保存を怪しむ必要がない。 また、題詞左一誓献呈を明記した歌のうち歌文異伝を記すもの は、当該例を除くと、 村本朝臣人麻呂獻泊瀬剖皇女忍反剖皇子歌一首并知歌 (2 一九五) しq 、 ブP 天皇御遊雷岳J'柿本朝臣人麻呂作歌一首(3 ・二三五) の二件三首に見える。ただし前者はやはり人臂口作の公的挽歌であ り、後者は正硫にいぇば歌文異伝ではなくて木文歌と小ノ異の歌を左 注が献刃椛皇子歌と扱うⅢ例だから、右二件が八代女王作歌と対等 の関係にないことは明内である。 これから天皇に献じられる歌がいまだ表現を硫定できず迷いのな かにあるというのは許されないだろうし、いったん献じられた歌に景
山
後に修正を加えるという椛限か詠作者にトナえられていたとも考えら れない。そうであれば、当"鞍はなにゆえ異伝を伴うかたちで巻四 に位置を占めているのか。ことがらは些細だが、問いかけてみる必 要があろう。 詔められた歌形は次のとおり、禳ぎの動機が同じでその"的地か 入丸日わるという関係である。 本文歌1 君にょり一牙繁きをふるさとの明昇香の河にみそぎ しに行く 肌ハ伝歌1 汎にょり、,詣の繁きを龍田越え.臣の浜辺にみそぎし に行く 明日香と鄭波工津とでは平城京から向力う地点として力血力まった く異なるから、単純な^^とは考えにくいガとはいぇ・、女↓世に一力 を初案、他方を推敲結果と決めつけるわけにもいかない。また、 同 一人物か欣ぎをⅡ的にふたつの上地を銑けて訪ねたという仮諭は、 ありえないことではないとしても、ありふれたこととも言えまい。 武来染私注﹄は異伝の愆義に触れて、 別傳は或は住吉のミソギが茗名であつたので艸靴を生じたので あらうか。或は又此の歌が始めから民謠の利用であつたのであ ら、つ力 と対極に振れるふたつの可能性を提案するか、第一案は前記した判 断を根拠に冑動的に・梁却される。第二案は邪円葉染全註釋﹄にも、 別傳があるのを見ると、サに歌ひ傳へられて居り、八代の女 王も、それをもとに今の場合に常るやうに一叉代へられたので あらう。 1 (中略) 1ちやうど明日香に赴かれる袈あるので、 かやうに詠まれたのであらう。 と説かれ、なるほど集中に散見する異伝一般を勘案するなら、これ はこれで一っの稲やかな觧決案にちがいない。しかしながら、仮に 八代女王の赴く先が明日香であったとして、それとはΠ的地Rな る﹁本歌﹂(もしくは別伝歌)をここに記し智めることが、天'呈へ の以^という性質に照らしてどのような村用紗かあるの力訶めに 去来した不審は依然として払拭されない。加えて、ψ晟歌にうたわ れている状況が、たとえぱ、
眉根掻き下いふかしみ思へるに古人を相見つるかも
或木の歌に国く﹁眉根掻き誰をか見むと思ひつつー
く恋ひし妹昼へるかも﹂
一書の歌に日く﹁眉根掻き下いふかしみ思へりし妹が
姿を今日見つるかも﹂ 実とはなれるをあはなくも足柄の箱根の山に粟滞きて
(H ・三工六四) 条L 引か瑳川り来ねしたな 或本の歌の末句に日く﹁延ふ吻の ほなほに﹂ に看恢されるごとき暫遍性・共同性を砕偶しているとは見なしガた いため、奔放にうた松えられる亘、'﹂の次元に一首を解放する ことには蹄踏を覚えるのである。 歌の姿を対超させるぱかりでは進展がないので、本文歌の検討を 逓して糸口を探ることにしたい。 Ⅱ _1-ノ、 四一首は、﹁君﹂の牙で出来した﹁言の繁き﹂鞭を解消するべ く﹁古郷﹂の嶋1河に﹁みそぎ﹂に赴くのだと天皇に告げるもの。 この発話の背後に介在する事恬を次のように推測するのが多数の注 和腎類に一致した見酬である。河媒瑞支氏^鄭宋染^ε歌洲義^を例 として引いておく。 ﹁剥にょり﹂とあるので、女王の亦業のせいではなく、天'お 禦焚のせいで人々に嫉まれ中傷され,¥い立場にあることを訴え ようとしたものであろう。鉾札天平窯f二年トニ月八日に、 モ 四位下矢代女王が先希に涜愛されながら志を改めたという刊、由 で焦ルを破棄されているが、この頃、染武天皇の鯲焚がかなり 俗立ち、刷囲の反発をかうほどであったことを尓している。 ^^月^^^^^^^^^^^^^^よる^^、 孝画札ヲ引テ此哥ヲ見ルニ、此女王・沈ヲ懇テ誇ラルル亊アリ テ、特ノ人ノトカクニ余ノ有ケルカ。 X寵ヲ妬厶人ノ多クテカ クハヨマレタル軟。 をそのまま雛六するものであり、こうした推測を施すにあたって
は、映ぎを要するほどの益ど'というの崟大抵であるはずが
ないという判断かあったのだろう。添歌硝ぎに第汎句を釈して ﹁天,呈に愛されていることを嫉まれ人々に悪く一再われて身が稜れた から、みそぎで身を沽めるのであろう﹂とし、遡って雜田空穂一萬 ^ψ^^^^"^^^所^に一'^^るに、 ここは暉といふ程度のものではなく、下の﹁みそぎ﹂を必要と する深刻なものである。これは嫉み恨みなど、要するに冶んで Ⅲハ0 肌にまで及んでゐるものと見える。:・(中略):・人より肌はれ ると、その杉弊忍はれた人の身が突るといふことは、上代 の信仰で、後までも鍍いたものである。 と述べるところにそれは明示されている。雜田﹃、評釋﹄は一首を評 して次のよ、つにい、つ。 小'品^^^^^ーぐ^,^^^^^^^^^^(、^じくⅧ乍^^^^^^ ら明日香河へ祿に行かうとした際の歌で、天皇長つたのは、 訴と繋訂の心よりである。 もっとも、一前にこめられる倫をかように深刻なレベルとは受 け取らない向きもある。﹃私注﹄は、天平{玉字二年紀を引きつつも﹁共 を湖らして此の歌の理解に用ゐることは出來ない﹂とし、 此の歌は極めて親密な闇柄の所産である。ミソギシニユクは恐 らくル碍の普辿の羽伝に本づくものであつたらうか、その小を 利してHえかかつて届る一尊であらう。 と説く。金子元臣﹃萬葉染評釋﹄にも﹁實の處はその退出の理由を 枌飾した寄託の言で、悦倫味が津々として需きない﹂の鑑賞を 書き付け、近くは伊藤博氏﹃萬゛漆釈注二﹄に、 杣祭りか何かで明H香へ旅することがあった時、恋の峰を払う ために行くとことさら^げさにうたうことで、日頃、恋、^に苦 しんでいるという思いを託したものか。﹁献歌﹂には作品キ条 ずるという傾向がある。これも恋を、王題としたもので、こんな 歌ができましたという次第で献じたのであろう。 と述べて、遊戯的次元に成り立つ歌であるとの理解を示す。続Π本 紀甜の扱いについては﹃釈注﹂も﹁今の歌はこの亊件とは関係が ない﹂としている。 竹歌小仙を明磁に伝えない評への接近は宿命的に動揺する力ら、 刈立する右詣説の優劣判定は水掛け論に陥りやすいか、天平{季二年の力翫とⅧ骸歌とを短絡するのが不当であることは硫認しておく べきであろ、つ。 却様円位下矢代女干焦ル。以被幸先粥而改志也。(﹃紗日本糺﹄ 天乎筆二年寸二打丙午条) 、﹂^^^、^る^^、川^^^日^トU^し^灣司^■^^制^日^^^:一^^一.^^ いうとおり﹁かつて聖武の沈愛をうけながら、その後士心を変え、他 の屶Ⅲと関係を村った﹂ことを響めて位記を剥奪したということな ので、削恕祝されているのは先勺肌御後の女王の心変わりであり、 女王に対する血武生前の暴吊六一純愛を語っているわけではない。ま して焦,N内の嫉妬や小何は右の帖般を大いに逸悦した想像に過ぎ ず、小ヨ該歌にうたわれる魂ぎの動機とはなしえない。 "織的に見て・難松を受けることは歓迎すべき汰態であり、それを
器苫雛tたり、ましてや稜れとし工掘したりする嶋臼は、ふ
?つは成立するはずがない。したがって、当︾鞭で﹁淋にょーお 繁き﹂と衣現される﹁舌﹂の内容は、右とは別の*帖とともにあっ たと兄なけれぱならない。ただしその実質は当*者剛にのみ了創さ れていて推測不能である。 どのような鷲糾かあったにせよ、他人からの翻糸な噂を契機に森 ぎを広打しようというのは奇抜な帯想に述いなく、両狭嬰稔秤﹄ に﹁かやうな△而をきいて祿をするといふのは一寸珍しいやうであ る﹂と注したのは、その愆味で的磁だったと振り返られる。条中の ﹁みそぎ﹂の帰例を点検してみても、 ア:・.火にあるささらの小甥の七ふ管千に取り"ちてひさかたの天の川原に出で立ちてみそぎてましを
(3 ・ W二0) イ・:かけまくもあやに恐く着はまくもゆゆしくあらむとあらかじめかねて知りせば千鳥鴨くその佐保川に石に
、^る"官^^^リ^し^^^^^^^ましを^力く^^ 生 みそぎてましを (6 ・九四八) ウ玉久但の沽き川練にみそぎして斎ふ命も妹が為こそ (Ⅱ・二四0三) アは冷田王を死に至らしめた病を、イは勅にょって散禁される次第 となった罪をそれぞれ墜子るための税ぎをうたうものであり、ウ にしても実修されているのは生命保持に関与する祿ぎだから、用例 か隈定的である点を割り引くとしても、止晟歌の物言いがいかに特 捉であるかはうかかわれよう。史腎を見渡して知られる覗祓は、杣 小に先立って行われるU例と凶*Ⅸ礼完了後に{盆される易合か大 部分を占めもとより恋に関する噂を契機になされる具体例はな ﹃古今集﹄恋一に叔るよみ人知らず歌、 0 い 恋せじとみたらし河にせしみそぎ杣は受けずぞなりにけらしも (古今Ⅱ・五0 こ は恋にかかわる放ぎを話題にしているものの、第流句を﹁なりにけ るかな﹂と変更して﹃伊勢物語﹄第六十五段に取り込まれる右は、 片桐洋一氏﹃立今利歌染全評釈﹄の指摘するとおりいかにも﹁オー バーな表現﹂を備えており、﹃伊勢物語﹄がこれを利用したのは﹁本 来村っていた物訓桜にょるもの﹂であったととらえて誤りなけれぱ、 やはりこれも特捌な^ということになる。 一^一戸q-^^^ト^^^^ト^^^レ川.^^^ロ^^^^田ら^と (Ⅱ・二五0六) めづらしき謝を見とこそ方手の弓取る方の眉根掻きつれ(Ⅱ・二五七五) 山鳥の尾ろのはつを'掛けとなふべみこそ汝に寄そりけめ (H ・三四六\) 恋に力力わる岬術的行為をうたう諸詞が当*著の加錨な、心理に由来 するのでなく、むしろしぱしぱ向虐的な笑いを志向していることは よく知られているが、十Π今集﹁恋せじと﹂歌はこれらと同列に扱う のがよいだろうし、ひいては当該八代女王歌の﹁みそぎ﹂も同一 兜 畴内にあるととらえることができるのではないか。 つまり、八代女王が本心から明Ⅱ香河に決ぎに赴く愆思を表明し ているとは信じかたいのである。一首の輩脚内容にどこか塗皿でな い含みが感じられるからであり、その要因は、私見にょれぱ、映ぎ の目的地に冠した﹁ふるさとの﹂の語に潜在している。 ﹁明Π香の河﹂あるいは﹁明日香河﹂は二十五例ほどを数 条中に えるか、そのうち﹁ふるさとの﹂を冠するものは当験以外にない。 何らかの限定が加えられるときは、 飛ぶ鳥の 明H香の河の上つ瀬に 下つ瀬に 流れ触らぱふ 二 与であったりするのが一般で、個別的、.汁観的価価判町に属する語を (}︺ ?︺ 上接させることはない。上野誠氏が靜しく論じたとおり、萬染和歌 にあって明Π香は﹁共有﹂される﹁フルサト﹂という認聖硫立し ていたと解されるから、平城一鷲市民である八代女王がそれを詠む 際に^ふるさとの^はことさらに言語化するまでもない、いわぱ贅 言であったとも見なしうる。 もつとも、明日禾H(飛鳥)に﹁ふるさとの﹂を冠した例は次の一 首にもある。 火伴坂上郎次、党蝕ハ寺之里聖 首 士航の飛鳥はあれどあをにょし平城の明日香を見らくし良しも (6 ・九九二) 絶えず行く明日霄の川の淀めらば故しもあるごと人の兒まくに (7 ・一三七九)
祁奈備の需の袖の帯にせる明日香の河の水張み
生しため挑き石枕小台生すまでに (B ・=三二七) のように周定的な枕詞であったり刈象の永ψ靴や小極を称賛する揣 九倒生ふる器捻
(2 これに対して上野氏は次のように述べている。 ﹁ふるさとの飛鳥﹂に対比される﹁平城の明日香﹂森み込ま れていて、﹁ふるさとの飛鳥﹂は﹁アスカ﹂でょいけれど、﹁平 城の明日香﹂を見るのもまたよい、という割り切ったもの吾い になっている歌である。おそらく、被女の胸中には、霄一に対 する故捌追陰の情と、平城京生舌茗としての自覚・自負と う、複雑な感儁かあったものと思われるが、そういった気持ち を繋理しきったあとの感情の吐欝であろう。察するに、それは ﹁住めば、都﹂という気持ちの整理の仕力に近いものと考えら <3︺れる。匡尿文)
﹁ふるさと﹂を祭しく慕わしく回想する心的側面に力点を置いた 井舳といぇよう。明日香と平城を小ノなくとも言御お面では等分に 扱っているわけなので、そうし左覗み力はもちろん成り立ちうる が、一方でル砥和義氏が、 ノ〆'平城遷都後、長年を経た後の郎女終は、明Π霄の地への州別 の惰キ衾出したものでもなけれぱ、旧都の地詑を尉戴するもの でもない。^活感を"たない郎女にとっての例日霄の地は、人 ﹂麻月のように正酔り風玖き、モ、陳の峅くところではなく、飛鳥 寺のある故郷であった。ちょうど今Uの旅をする人が血分の周 りにある建物と曾て訪れたことのある地の建物とを比收しつつ 諦るよ、つに、川都明U霄への憧れをそのシンポルにょって郎女 ︹1) は歌った。
と竺て、表現株と明U霄との岡にある種の隔絶を認め、塾お
ない師際を切り取ったものとする見鋼もまた打われる。いずれ力と 問われれぱ d礼は後名にりしたい。 ^一.^一^^<寺,^^^と^^^^^^9る^^川の、^^^^は、^^剛L-9る ﹁平城の嶋日香一の都会W小観を称えるところにある。したがって、 郎女の心小は契寺の塑の札観に対する広努で満たされているはず だ。ふるさと飛島への廊際や映Hを木月止する必要はないか、いかに 、 V 陵かしく"劣しい土地ではあってもそこへ川辯しようとは思わな い、現在への允足感が根幹を支えていよう。ふたつの士地に向けら れ左.晶は§亜であっても、﹁ふるさとの飛鳥﹂と﹁あをにょし平 城の明B香﹂の対北は、それぞれに注ぐ心怜の隆玉を明尓している のであり、﹁ふるさとの﹂を﹁とぶとりの﹂に羅き換えてはならな い必然性か表聖休の内制にあったことを推測させる。﹃時代別国 研大蔀典上代編﹄形'衡﹁ふるし﹂について﹁年河を経てなれ親 しんだ、とい、?恵のこめられることが多い﹂と記述して称極的"裟 の側画を強調しても、なおそこに残存する負の領城を完全には消去 しえない江桜が、この歌にも作川している。 、心ゆも我は思はずきまた更に我が故四に吊り来むとは (4 ・六0九笠女郎)かくばかりもとなし恋ひぱ古郷にこの打ごろもあり
(4 ・七二三坂上郎女) 力つましじ 右に見える﹁ふるさと﹂にも必ず消極的な心性か介在しており、笠 女郎の出身地や大伴氏跡見庄についての機械的六含い換えではない ことを見届けたい。 以上を踏まえるなら、八代女王が﹁ふるさとの明日香の河﹂に託 したところは称贄でも憧憬でも郷愁でもなくて、現在の充足した暮 らしとは緑の蔀い、古めかし捻隔地というマイナスの切纖であっ たと断じてょかろう。﹃全註釋﹄に﹁十Πびた明日霄河﹂と記したの が*の本質をよくご当てているのであり、古都明日香およびそこ ?ご を流れる川の美質をこの表現は切り取っていない。したがって、明 H禾Π河で笑修しようという税ぎ自体に刈しても女王の心意は否一疋的 消極的に附えられている。﹁室皿でない含み﹂はここに起凶する。 そもそも、﹁汎にょり﹂とうたい出した階黒で昇﹂に対する非 "の口吻が欝わである。 氾にょり我か名はすでに龍田山絶えたる恋四祭きころかも (7 ・三九:こ ﹁汎﹂の所為で我が身に虻じた那態を迷惑だと訴えるのが当畝歌の 、王旨であることは動かない。相朋照答に男の所行を詰る女歌は彩し く見受けられる。 玉くしげ覆ふをやすみ明けていなば汎が名はあれど我が名し惜 しも 2 .ブ三 恋ひ恋ひて逢へる階だに愛しき否尽くしてょ長くと思はば(4 ・六六こ 膓城の舵難膨互玩木にも頼めや汎か我か名告りけむ (1 ・一工<三ソ) ^^^にょってもたらされた^^ル^の^苦をΠ的 よ、つするに 一少一一よ、 とする明日香河へ終行きか、白身にとってひどく厭わしく煩わし い旅であると、述いふるさとに足を述ぱねぱならな鞭誕キ当て つけがましく天皇に訴えているのである。●器したとおり天旻の 献歌にそのセ訪いは討昂ではないか、両署問の円満親・衞な関係か一 見非礼な一一品をも許すのであろう。その先にある木意はかように 述べることで天,お関心をますまーごうとするのか、あるいは迷 惑の晉とは裏腹に周囲の噂を心地よげに受け止めた嬌媚だったか、 つまるところよくわからないけれども、壁Ⅷ的にはあからさまな不 満の吐露と把握するべきである。 八代女王がほんとうに﹁ふるさとの明日香の河﹂へ出立する意思 を抱いていたとは思われない。その行動か当小者の現・美であったと
したら、一首は文字通りの﹁繋ど(雜里靜§無始してしま
い、献歌としてのおもしろみはどこにも見出されないことになる。 そ、つではなくて、単に祺ぎを実行するという荏度では足りない訴求 力を強化するための極端な墾市を女王は企図したのにちがいある まい。伝えたいことは自身の受けた被害の重大さであって、その被 害の亟みと釣り合っのが﹁ふるさとの明H香の河﹂におけ轟ぎだ というのだ。破ぎする内身の姿を誰にも兄られたくない、月ルられて はならないという麹態か、都びとの訪れの稀な、人住まぬ古里・明 日霄を述ばせたのである。その田男の背後に八代女王の自尊心と屈 辰慈をうカガうことは祺りではあるまい。 託されているの墜桜と飛躍に満ちた火孤な内容であり、女の情 念をも垣岡見させて巧妙と評することができる。献歌の冴えを以上 のように円^刷けたい。 ここで改め五伝歌に目を向けるときには、﹁醜田越え三津の浜 辺に﹂が﹁ふるさとの明1の川﹂とがまったく等価であることに 一ヌ付力れる。 g在の地図を用いて平成京あたり力ら西線距簾で測っ たときに明H香"波はともに二0キロメートル余とほぼ同距削、 かかる水{夫関係は別にしても、女性の身にはいかにも述い(とはい え、到述不可能というのでもない)地点としてふたつの士地は並び あう0 つのさはふ然余も過ぎt洲山いつかも越えむ夜はふけにつつ (3 ・ニハ己 藤白のみ坂を越ゆと白たへの我が衣手は濡れにけるかも (9 ・一六七五) 妹に逢はずあらぱすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてそ我が来 (巧・三五九0) る 当然のことながら、旅の歌において山を越えることを告誠にのぽすの蛙身と繋お表出にほかならない。平城京1挑波開の公式
ルートとして整備されていた龍田越え道ではあっても、 大伴の三津の泊まりに舟泊て臣田の山をいつか越え行かむ (巧・三七二工) とうたわれるように、その山を越えて行く旅は平坦であるはずがな 三力つ大 兄逃してならないのは、目的地に対して異伝歌が﹁龍田越え﹂の 条件をこれ見よがしに付加している点だ。これにょってヲ那四浜 辺﹂まで釜のり倹圀寵田山がにわかに立ち上がる仕儀となる。 それはまさに﹁明日香﹂へ﹁ふるさとの﹂を冠したのと同じく、﹁三 竺にマイナスの評価を付ヲする森枇きであった。﹃、河海抄﹄ほか が伝えるとおり難波は七瀬に含まれる祿職の聖地だから、杣小にふ さわしくそこを徴而に位町けるのであれぱ、伝紕的な枕詞﹁大 伴の﹂などが候柿になるべきところ、木文歌が﹁とぶとりの﹂(あ るいは﹁かむなびの﹂)を排除したのと同じ△鎧、にょってそれは梨 却されている。この操作を経て、;Nの趣旨は、禳ぎのために挑波 下*にF向することの弥^励な恵思太明ではありえなくなる。すなわ ち、龍醐越を伴う三鄭の浜辺への攸打きは表現、王休にとって央に頬 わしく不木'発というのである。祺ぎの地に対する消板的な心"が 本文歌と小ノしも隔たっていない占署一汗祝しておきたい。 かくして、熊伝歌と本L詮とが同一回路から導かれた希シCある ことを硴かめてくれぱ、両署は対立的にある歌形ではなくて、とも に八代女王にょって桃想された歌文であったと解するのがもっとも 穏当な新地凸一ではあるまいか。つまり、本文歌とも界<伝歌とかいず れも1同玲に1聖武火県入の献砂として巧まれた詞であると也 握するべきなのである。挑伝や顛想際この位桜§き韶められる 必然性は思い当たらないけれども、八代女王向身がふたつの表現形 空希して聖武天皇に献じたのであれば、木文と災伝との並存はむ しろ必須であろう。上紀のとおりどちらも奇抜な八悲に基づく特異 ^'^一.、薪^^^^^る^^、^^^よる^^^一^^と円^^^^^佃をψ^ きにくい。また、同一詠者がⅡ的地のみを変更する推敲は恕巾考え がたいことであり、ψ靭から両形を考案したと見るほかあるまい。 上記のとおり女王は明日霄にも一蔀にも赴く,腎心はなくただ語小 六■迩隔地を訟桜しただけだから、方角の述いは問題にならない。﹁火 の中水の鳳﹂の響えではないが、明日香と三津とをあたかも両極と して提示することで、払鞭がさらに"鞭らしく装われ、そこへ向か うことがどれほど好わしく厭わしい力をaみ力けるに効釆的だった ともいぇよ、つ0 木簡の表,誓それぞれを書き記して献じたという想像が仮に許さ れるなら、それがこの場介にまことにふさわしいと思っている。
竺てきたことは類例をもって立証することのできな松測だ
が、斡飯でありながら捉伝を伴う不・署を解消する勢朱として、本 文歌と印荏歌とが同ブエ体にょってはじめから対偶する詠歌ナ憙図 したのではないかと考えてみた次第である。ただし、それならぱど ︹h︺ うして﹁献天凡議二直と処遇されなかったのか、という新たな懐 疑が稲名勘身にもすぐさま生じる。m松歌か給局のところ"<伝の位 枇しか与えられなかったのはなぜか、染小ほかに例を見ない注文 ﹁一尾云﹂をどのように評価するか、など考察の行き届かない点は (7 タタい。剖顎H心識を今後に廻豹したい 0 むすび1 注 フル(古・旧・故)は基木的には埒朋の甃過・年打の郡過 の¥あり(小学館﹃Π木鼎火需<第二版﹄)、そのことが 砧極的1を表示する場介もむろんあるが、フ"暢く古しと 人は思へれど花橘のにほふこのやど﹂(Π・三九二0)のよ うに1Hく一叔れた愆に傾くこともまた珍しくない。力墓染﹁古 人﹂力刈肋に川いられるときに必ずしも打定的評価を示さな