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一八五〇年代那覇の交通路と市場の様子-「ペリー来航関係記録」から-: 沖縄地域学リポジトリ

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Academic year: 2021

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Title

一八五〇年代那覇の交通路と市場の様子−「ペリー来航

関係記録」から−

Author(s)

金城, 功

Citation

沖縄史料編集所紀要(7): 46-65

Issue Date

1982-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/7224

Rights

沖縄県沖縄史料編集所

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「 ペ

-釆 航 関 係 記 録 」 か ら

-功

仰 は じ め に - 4 6-ペ -1 提 督 は 、 一 八 五 二 年 米 国 の 東 印 度 艦 隊 の 司 令 官 に 補 せ ら れ 、 通 日 合 衆 国 特 権 大 使 を 兼 ね て 一 八 五 二 年 一 一 月 に 米 国 の 港 を 出 た 。 ペ -1 提 督 が 日 本 に 派 遣 さ れ た の は 、 ① 合 衆 国 の 船 舶 乗 員 の 生 命 財 産 の 保 護 に つ い て 日 本 政 府 と 協 商 を 結 ぶ こ と 、 ① 合 衆 国 船 舶 が 日 本 国 内 の 一 港 若 -は 数 港 に 入 る 承 諾 を 得 る こ と 、 ③ 日 本 国 沿 岸 の 1 港 若 -は 近 海 に 散 在 す る 島 に 貯 炭 所 を 設 置 す る 権 利 を 得 る こ と 、 ④ 合 衆 国 船 舶 が 積 荷 売 却 ま た は 交 換 の た め 日 本 国 の 一 港 若 -は 数 港 に 入 る 許 可 を 得 る こ と 等 を 遂 行 す る 目 的 を も っ て い た 。 (申 山 盛 茂 編 ﹃琉 球 史 辞 典 ﹄ 七 三 九 ペ -汐 ) ペ -1 提 督 一 行 は 一 八 五 三 年 五 月 二 三 日 に 中 国 の 上 海 を 出 発 し 、 五 月 二 六 日 ︹ 嘉 永 六 年 四 月 二 十 日 陰 暦 ︺ 那 覇 に 着 い た 。 一 行 は 那 覇 を 根 拠 に 目 的 遂 行 の た め の 行 動 を と -、 一 八 五 四 年 七 月 一 七 日 ︹ 嘉 永 七 年 六 月 二 十 三 日 陰

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1850年代部覇の交通路 と市場の様子 暦 ︺ 一 行 が 那 覇 を 出 発 す る ま で の 一 か 年 余 、 琉 球 王 府 は 要 所 に 関 番 所 を 設 け て 米 兵 の 動 静 を 見 張 -な が ら も P 一 行 と の 間 に は 交 渉 が も た れ て い た 。 関 番 所 に 詰 め て い た 役 人 た ち は 、 艦 か ら 上 陸 す る 亜 人 を 監 視 し そ の 行 動 を 報 告 し た 。 亜 人 の 行 動 を 監 視 す る た め に 「追 行 人 」 が 付 け ら れ 、 そ の 都 度 報 告 が お こ な わ れ て お -、 そ れ ら の 報 告 を ま と め た の が ﹃ 旧 琉 球 藩 評 定 所 書 類 ﹄ 中 の 「 亜 船 来 着 関 係 記 録 」 で あ る 。 そ の 「記 録 」 に で て -る 「追 行 人 」 と い う の は 、 亜 人 の 後 を 追 い 彼 等 の 行 動 を 監 視 し 報 菖 し て い る 役 人 で あ る 。 ペ -1 提 督 一 行 は 、 「追 行 人 」 に 尾 行 さ れ る こ と を 非 常 に い や が -、 「追 行 人 」 を 射 殺 す る と ま で 琉 球 側 に 伝 え 、 尾 行 を や め さ せ よ う と し だ 。 王 府 は 、 亜 人 に み つ か ら な い よ う に 階 -れ て 尾 行 せ よ と 、 「追 行 人 」 に 指 示 す る と 共 に 、 ペ -1 一 行 に 対 し て は 、 言 葉 の 通 じ な い 土 地 で 困 る こ と が あ る と 思 う の で 、 そ の 時 に 役 立 つ た め に 「追 行 人 」 を つ け て い る の だ と 主 張 し て い た 。 「追 行 人 」 は 、 亜 人 等 の あ と を つ け 、 彼 等 が 往 来 し た 道 順 、 道 中 で の 仕 業 、 市 場 や 町 屋 等 で の 買 物 に つ い て 逐 一 報 告 し て い る 。 そ の 報 告 を 通 し て う か が え る 那 覇 の 交 通 路 の こ と 、 市 場 の こ と p 町 屋 の こ と 等 に つ い て 整 理 し て み る こ と に す る 。 - 4 7-こ 交 通 路 の こ と 嘉 手 納 宗 徳 氏 の 製 作 し た 「 那 覇 読 史 地 図 (明 治 初 年 の 邦 覇 ) 」 が あ る 。 明 治 初 年 の 地 図 と さ れ て い る が 、 地 図 の ① 片 隅 に お さ め ら れ た 説 明 か ら 推 し て 、 ぺ -1 提 督 一 行 が や っ て き た 一 八 五 三 、 四 年 頃 の 那 覇 も 、 「那 覇 読 史 地

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e 聖元寺 (天久寺) e 外 人墓地 e ハ- リー屋 @ 硫黄 舎 e 崇元寺橋 (安里橋 ) @ 泊高橋 e t ツ墓 ⑥ 美栄橋 ⑨ 学校所 ⑬ イベ ガマ ⑪ 上天妃宮 ⑫ 下天妃嘗 ◎ 宮古蔵 ⑮ 天使館 (砂糖座)⑳ 硫黄城 ⑮ 親見世 ¢ 西 門 ⑮ 那覇里 主所 ⑳ 天尊廟 ⑮ 里主所前余地 ¢ 護国寺

久米大門 ⑳ 桂林寺跡 崎 ⑮ 孔子廟 ⑳ 金 剛寺跡 ⑬ 泉崎橋 ⑳ 天満宮 ⑳ 在番奉行所 ⑪ 善興寺 ⑪ 昆布座 ⑫ 池 座 中′づ 大 節 豚 小 若

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図 」 に 描 か れ た よ う な 状 態 で あ っ た と 考 え て い る 。 地 図 を 広 げ る と 、 泊 村 の 西 に 広 い 塩 田 が あ -、 そ の 塩 田 に 前 島 と 兼 久 が の ぴ で い る 。 ま た p 目 を 漫 湖 に 転 ず る と 、 広 々 と し た 漫 湖 の ひ ろ が -が 大 き -目 に う つ る 。 漫 湖 と 泊 港 を つ な ぐ よ う に し て 久 茂 地 が 流 れ て い る 。 久 茂 地 川 の 以 北 は 集 落 を な し て い る が 、 南 の 方 は 水 田 と 丘 が 大 部 分 で あ る 。 松 尾 の 丘 に は 原 屋 が み え る 。 そ の 原 屋 の こ と は 、 「 亜 船 来 着 関 係 記 録 」 に も で て く る 。 松 尾 の 丘 続 き の 西 の 端 に 漫 湖 に 面 し て 泉 崎 村 と 湧 田 村 が 立 地 し て い る 。 松 尾 の 丘 の 東 方 く ぼ ら を ガ -ブ 川 が 流 れ 、 そ の 川 の 東 に 牧 志 村 と 壷 屋 村 が 位 置 し て い る 。 泊 村 の 南 は ず れ に 崇 元 寺 が あ -、 そ の 前 の 道 を 東 方 に す す む と 首 里 に で る 。 崇 元 寺 近 -か ら の 原 道 は 首 里 儀 保 に 通 じ て い る 。 そ の 原 道 は 亜 人 等 が 首 里 に 行 -際 に よ -利 用 し た 道 で 、 其 嘉 比 道 と 呼 ば れ て い る 。 川 の 要 所 要 所 に は 橋 が か か -、 泊 に 上 陸 し た 亜 人 や 天 久 寺 (聖 現 寺 ) に 止 宿 し て い た 亜 人 が 、 泊 や 潟 原 を 通 -那 覇 内 を 歩 行 す る に は 支 障 が な い 程 に 道 路 は の ぴ て い た よ う で あ る 。 痩 地 の 対 岸 の 垣 花 と は 橋 で 結 ば れ て な か っ た の で 、 亜 人 た ち は 渡 舟 に 押 乗 -自 分 ら で 漕 い で よ -わ た っ た と 、 「 亜 船 来 着 関 係 記 録 」 に は か か れ て い る 。 ペ -1 提 督 の 率 い る 米 艦 隊 が 沖 縄 に や っ て き た 時 、 波 之 上 の 護 国 寺 に は キ -ス ト 教 伝 道 の た め に 派 遣 さ れ て い た ベ ッ テ ル ハ イ ム の 家 族 が と ど ま っ て い た 。 泊 台 瀬 前 に 上 陸 し た 米 兵 や 天 久 寺 に 止 宿 し て い た 米 兵 た ち は よ く 那 覇 内 の 村 を 歩 行 し て 波 之 上 に ベ ッ テ ル ハ イ ム の 家 族 を 訪 問 し て い る 。 亜 人 た ち が 波 之 上 の 護 国 寺 に 行 -の に よ -利 用 し た 道 筋 を 抜 き 出 し て み る こ と に す る 。 亜 人 た ち が 泊 と 波 之 上 の 問 を 往 釆 し た 道 筋 は 主 に 次 の 三 通 -で あ っ た 。 ‖ 天 久 寺 を 出 立 -泊 高 橋 -(兼 久 ) -潟 原 -若 狭 町 道 -西 門 道 -護 国 寺 へ 3I 天 久 寺 を 出 立 -泊 遺 -崇 元 寺 橋 -(拾 貫 瀬 ) -新 橋 -若 狭 町 道 -西 門 遺 -護 国 寺 へ (長 虻 堤 を 利 用 )

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-.50-1850年代那覇の交通路 と市場の様子 日 天 久 寺 を 出 立 -泊 台 瀬 前 1 (伝 間 は の -) -波 之 上 下 浜 -護 国 寺 へ 「亜 船 来 着 関 係 記 録 」 を 調 べ て み る と 、 右 渇 の 道 順 中 日 の 道 場 を 利 用 し た の が 多 い 。 泊 か ら 陸 路 波 之 上 の 護 国 寺 に い く に は 最 短 距 離 で あ る の で 、 当 然 と い え ば 当 然 の こ と だ け ど 泊 高 橋 か ら 渇 原 に ぬ け て 波 之 上 に 行 -と い う こ と は 、 広 い 塩 田 を つ っ き る こ と に な -、 潮 の 干 満 と の 関 係 が 気 に な る が 干 潮 時 で な い 時 に -利 用 さ れ て い る の で 、 ち ゃ ん と し た 道 路 で な い に し て -通 れ る 方 法 が あ っ た よ う で あ る 。 一 八 五 三 年 九 月 一 九 日 (陰 暦 ) の 記 録 の 中 に 、 在 番 奉 行 の 一 行 が 普 天 間 神 宮 参 詣 の た め に 明 け 方 御 仮 屋 を 出 発 し 、 潟 原 、 泊 を 通 -安 謝 湊 の 方 に 通 過 す る 旨 の こ と が あ -、 こ の 道 筋 は よ -利 用 さ れ て い た 交 通 路 で あ っ た こ と が わ か る 。 干 潮 時 で な い 時 に は 、 海 水 で 足 を 濡 ら す よ う な 場 合 も あ っ た の で は な い か と 思 う 。 目 の 道 場 は 泊 か ら だ と 遠 ま わ -に な る が 、 川 に は 橋 が か か -長 虻 堤 が あ り 整 備 さ れ た 道 筋 で あ っ た 。 崇 元 寺 橋 は 首 里 と 那 覇 を 結 ぶ 要 路 で あ り 多 -の 人 々 の 往 来 が あ っ た よ う で あ る 。 往 来 の 多 い 崇 元 寺 橋 近 -や 那 覇 市 あ た -で 、 亜 人 が 婦 人 の 手 を に ぎ っ た り 、 乳 房 に 手 を や っ た り し て 沖 縄 の 婦 人 を 恐 怖 に お と し い れ た 、 と 記 録 さ れ て い る 。 護 国 寺 で 一 休 み い ち し た 亜 人 た ち は 、 多 -の 場 合 那 覇 内 を あ ち ら こ ち ら 歩 き ま わ -泊 へ 帰 っ て い る 。 そ の 途 中 那 覇 市 に 寄 っ た -、 町 ⑧ 屋 で 押 々 に 品 物 を 買 っ た り 、 寺 に 立 寄 っ た -、 門 の 綿 -の な い 人 家 に 立 寄 -水 等 を 所 望 し た -し て い る 。 一 八 五 三 年 九 月 〓 ハ 日 (陰 暦 ) の 記 録 に は 、 前 日 の 午 前 十 一 時 頃 天 久 寺 を 出 た 二 人 の 亜 人 の 通 っ た 道 服 や 途 中 に お け る 行 動 が 記 録 さ れ て い る 。 そ の 道 唄 を 記 す と 次 の と お -で あ る 。 天 久 寺 を 午 前 十 一 時 に 出 立 -泊 道 -崇 元 寺 橋 を 渡 -新 橋 -(長 虹 堤 を 通 る ) -若 狭 町 -西 門 道 -護 国 寺 へ -(帰 -は ) -辻 村 端 道 -石 門 に 出 て -善 奥 寺 前 -那 覇 市 -里 之 主 所 前 を 通 -泉 崎 橋 を 渡 -(泉 崎 。 湧 田 村 を 通 り ) -城 東 前 の 原 道 を 通 -原 屋 に 立 寄 る (松 尾 ) -新 橋 前 に 出 -(拾 貫 瀬 を 通 -) -崇 元 寺 橋 -泊 前 道 を 通 -p

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--51-午 後 の 四 時 頃 天 久 寺 に も ど っ て い る 。 亜 人 二 人 は 、 天 久 寺 に 戻 る 際 、 石 門 に お い て は 「門 之 締 な き 人 家 戸 口 立 寄 」 り 、 水 を 飲 み 、 松 尾 の 原 屋 に お い て は 酒 を 所 望 し て い る 。 天 久 寺 に 止 宿 し て い た 米 兵 は 那 覇 内 や そ の 周 辺 の 村 々 を 自 由 に 歩 き 回 っ て い た こ と が う か が え る 。 そ の 後 を 「 追 行 人 」 が つ け 、 そ の 日 そ の 日 の 亜 人 の 行 動 を 報 告 し て い た 。 そ の よ う に し て ま と め ら れ た の が 、 ﹃ 旧 琉 球 藩 評 定 所 書 類 ﹄ の 「 亜 舶 来 着 関 係 記 録 」 で あ る 。 首 里 へ の 往 来 に は 二 筋 の 道 が 利 用 で き た 。 そ の 中 の 一 つ を 九 月 二 二 冒 (陰 暦 ) の 記 録 か ら ぬ き 出 す こ と に す る 。 ヽ ヽ ヽ ヽ 天 久 寺 を 出 発 -泊 前 道

-(

崇 元 寺 前 を 通 り ) -本 道 通 -に て 首 里 へ -首 里 大 道 か ら 弁 財 天 宝 前 -円 覚 寺 1 御 城 近 辺 歩 行 。 記 録 に は 、 「 本 道 通 -に て 首 里 へ 登 る 」 と い う よ う に 記 さ れ て お -、 「本 道 通 」 と は 那 覇 。 泊 か ら 首 里 へ 登 る 本 筋 の 道 と い う こ と で あ る 。 冊 封 使 等 が 首 里 へ 行 -と き と か 、 王 が 泊 。 那 覇 へ 行 く 時 に 通 る 道 と い う 意 味 が 「本 道 通 」 に は 含 ま れ て い る も の と 思 う 。 起 点 は 崇 元 寺 の 前 あ た -で は な か っ た ろ う か 。 「本 道 通 」 は 「首 里 大 道 」 と 結 ば れ て お り 、 そ れ を 通 -亜 人 は 弁 財 天 ・ 円 覚 寺 へ と 足 を の ば し て い た 。 「本 道 通 」 に 対 し て 、 脇 道 と し て の 真 嘉 比 道 が あ -、 亜 人 も よ -こ の 道 を も 往 来 し て い た 。 首 里 か ら 那 覇 に 行 -に は 、 「本 道 通 」 と 其 嘉 道 が あ -、 崇 元 寺 近 -で 一 つ に な -、 崇 元 寺 橋 を 渡 -長 虹 堤 で イ ベ ガ マ に 出 、 そ こ か ら 若 狭 町 学 校 門 前 を 通 -' 西 門 か ら 石 門 渡 地 へ 通 ず る 道 が あ っ た 。 ま た 、 イ ベ ガ マ か ら 久 茂 ③ 地 杏 通 -孔 子 廟 前 に 出 ' 市 場 を 経 て 東 村 、 渡 地 へ と 通 ず る 道 が あ -、 そ の 両 方 の 道 を 南 北 に 結 ん で い る の が 久 米 大 門 か ら 西 門 を 経 て 波 之 上 に 通 ず る 道 で あ っ た 。 泊 高 橋 か ら 兼 久 。 塩 田 を 経 潟 原 に 通 ず る 道 は 那 覇 と 中 東 、 国 敦 を 結 ぶ 重 要 な 交 通 路 に 発 達 し て い -こ と に な る 。 - 5

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2-1850年代那覇の交通路 と市場の様子 調 査 の た め と ノい う こ と で 、 亜 人 等 は 伝 聞 に よ っ て 本 島 を ひ と ま わ -し た -、 慶 良 問 に 渡 っ た り し て い る 。 ま た 、 陸 路 で は 恩 納 あ た -ま で 足 を の ば し て い る 。 一 八 五 三 年 一

月 二 一 日 か ら 二 七 日 (陰 暦 ) ま で の 一 週 間 米 兵 六 人 は 恩 納 間 切 ま で 旅 し て い る 。 そ の 道 鳩 を た ど っ て み る こ と に す る 0 一 〇 月 二 一 日 天 久 寺 を 出 立 し て 首 里 に 登 -、 西 原 間 切 平 良 村 を 経 て 、 浦 添 間 切 の 伊 祖 に 出 、 牧 湊 橋 を と お -㌔ 宜 野 湾 を 通 過 し 北 谷 番 所 ま で 足 を の ば し 、 そ こ で 宿 泊 0 二 二 日 五 半 時 分 (朝 九 時 頃 ) 北 谷 番 所 を 出 発 し 、 八 時 分 (午 後 二 時 頃 ) 読 谷 山 番 所 に 到 着 し 、 そ こ で 昼 飯 を と -、 米 兵 一 人 (小 官 ) と 通 事 係 の 吉 里 は 七 時 分 (四 時 頃 ) 出 発 し 、 日 入 時 分 恩 納 番 所 に つ い て い る ︹ 他 の も の は 七 半 時 分 (五 時 頃 ) 出 立 し 、 夜 の 五 過 時 分 (八 時 す ぎ ) 着 ∪ 。 恩 納 番 所 で 宿 泊 。 二 三 日 恩 納 番 所 を 四 時 分 (朝 十 時 ) に 出 発 し 、 同 間 切 の 安 富 祖 村 は ず れ ま で 足 を の は し た が 「 通 行 相 厭 侯 と 申 」 し 引 っ か え し て い る 。 米 兵 等 は 馬 の 利 用 を 考 え て 、 馬 を 雇 い た い 旨 申 し で て い る が 、 馬 が す く な い と い う こ と で 間 切 役 人 は そ の 申 し 出 を こ と わ っ て い る 。 馬 を 雇 う 件 に つ い て は 那 覇 で も 亜 人 が 度 々 王 府 役 人 に 申 し で て い る が p 馬 が す -な い と い う こ と と P 馬 は 農 耕 や 運 送 に 欠 -べ か ら ざ る も の な の で 乗 -用 で は な い と い っ て こ と わ っ て い る 。 王 府 は 、 泊 近 辺 で の 乗 馬 を 禁 じ て い る 。 王 府 が 馬 を 雇 い た い 旨 の 申 し 入 れ を こ と わ っ た の は 、 米 兵 が 馬 で 遠 出 す る と 困 る と い う こ と で あ っ た 。 安 富 祖 ま で き た 亜 人 等 は ひ っ か え す こ と を き め て い る が 、 恩 納 番 所 に ひ っ か え す と な る と 「 浜 路 で は 難 儀 」 だ か ら 他 に 道 は な い か と き い て い る 。 恩 納 間 切 の 海 岸 線 を 通 る 際 に は 、 所 に よ り 浜 か 浜 同 様 な 砂 地 の 道 を と お っ た こ と が わ か る 。 恐 ら -浜 そ の も の が 利 用 さ れ て い た の - 5

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3-で は な か ろ う か 。 他 に 道 は な い か と き い た の に 対 し p 間 切 役 人 は 一 里 余 の 山 路 を 通 る と 金 武 間 切 に で る こ と を 教 え て い る 。 亜 人 等 は 山 を こ え て 金 武 に ぬ け た 。 そ の 際 亜 人 の 小 官 三 人 は 恩 納 間 切 が 提 供 し た か ご を 利 用 し て い る 。 七 ツ 過 時 分 (午 後 四 時 過 ) に 金 武 番 所 に 到 着 し 宿 泊 し て い る 。 二 四 日 金 武 番 所 を 出 発 。 安 産 名 城 、 田 場 村 に 出 向 き 、 具 志 川 番 所 に 着 。 二 五 日 が 雨 で 出 発 す る 訳 に い か ず 具 志 川 番 所 で 二 泊 し て い る 。 旅 行 中 、 間 切 の 産 物 等 に つ い て た ず ね て い る 。 亜 人 の 小 官 が 金 武 。 恩 納 間 切 の 産 物 を た ず ね た の に 対 し 、 「米 。 唐 芋 な ど を 主 に 産 出 す る が 、 山 林 勝 の た め 、 米 。 唐 芋 で あ っ て も 手 広 -産 出 は し な い 。 た め に 百 姓 の 飯 料 は 蘇 鉄 を 取 交 ぜ て な ん と か 飯 料 を 続 か し て い る 状 況 で あ る 。 国 政 表 の 方 は 、 金 武 間 切 や 恩 納 間 切 以 上 に 不 自 由 の と こ ろ で あ る 。 」 と い う 答 え で あ っ た 。 二 六 日 四 時 分 (午 前 十 時 頃 ) 具 志 川 番 所 を 出 発 し 、 与 那 城 番 所 、 勝 連 番 所 を 経 て 勝 連 城 に の ぼ っ て い る 。 日 暮 れ 時 分 中 城 番 所 に つ き 、 そ こ で 宿 泊 。 二 七 日 朝 、 全 員 が か ご に の -中 城 番 所 を 後 に し た 。 宜 野 湾 番 所 、 浦 添 番 所 前 を 経 由 し て 西 原 間 切 の 平 良 村 に で 、 首 里 大 道 を 通 -泊 天 久 寺 に つ い た 。 - 5 4-三 那 覇 の 帯 の こ と -那 覇 町 の 移 り か わ り ペ -1 提 督 一 行 の 米 艦 隊 が や っ て き た 一 八 五 三 、 四 年 頃 の 那 覇 町 の こ と な ど に つ い て 、 「亜 船 来 着 関 係 記 録 」

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1850年代那覇の交通路 と市場の様子 か ら そ の 様 子 を さ ぐ る 前 に 那 覇 町 の 移 -か わ -を 概 観 す る こ と に す る 。 那 覇 。 首 里 の 町 の こ と に つ い て は 、 東 恩 納 寛 惇 氏 が そ の 著 ﹃ 南 島 風 土 記 ﹄ の 中 に 記 し て い る の で 、 そ れ を も と に し て 那 覇 町 の 移 -か わ -の 様 子 を み る こ と に す る 。 ④ 那 覇 町 の 創 設 に つ い て は 明 確 に は 知 る こ と が で き な い が 、 朝 鮮 の 学 者 申 叔 舟 の 著 し た ﹃ 海 東 諸 国 紀 ﹄ に は 、 尚 金 福 時 代 ( 1 四 五 0 -7 四 五 三 ) の 地 図 が お さ め ら れ て お -、 那 覇 港 は 江 南 。 南 蛮 。 日 本 商 舶 処 と 註 さ れ て お -p 日 常 物 賃 販 売 の 設 備 も 相 当 に あ っ た も の と 考 え ら れ る 。 そ れ よ -前 の 一 三 九 二 年 に 三 十 六 姓 が 渡 来 し て お -、 彼 等 の 多 -は 航 海 の こ と に か か わ っ て い る が 、 婦 女 子 等 は 那 覇 に と ど ま っ て 市 販 に 従 事 し た と い う こ と で あ る か ら 、 那 覇 町 の 濫 傷 は そ の あ た り に あ る の で は な か ろ う か 。 尚 金 福 王 の 一 四 五 一 年 に 海 中 道 路 で あ る 長 虹 堤 が 築 造 さ れ 、 首 里 。 部 顧 問 の 往 来 が 便 利 に な り P そ の こ と が 那 覇 町 の 繁 栄 を う な が す こ と に な っ た 。 尚 其 王 の 初 期 に 漂 流 し て き た 朝 鮮 人 の 陳 述 を 記 し た ﹃李 朝 実 録 ﹄ に よ る と 、 那 覇 に は 江 南 人 ⑳ 南 蛮 人 が 集 ま -ご 捕 物 を あ き な っ て い る と か か れ て い る 。 取 扱 わ れ て い る 物 賃 に は p 採 段 。 塩 髄 。 絵 島 ◎ 苧 布 ◎生 苧 。 硫 二 男 刀 ◎ 針 。 菜 読 。 魚 肉 ◎ 南 蛮 国 斑 絵 。 斑 綿 布 。 檀 香 。 白 経 黒 綿 布 。 藤 唐 。 青 黒 白 綿 布 ◎ 磁 器 等 が あ る と 列 挙 し て い る 。 当 時 の 那 覇 に は 多 -の 南 蛮 。 江 南 人 等 が や っ て き て 物 賃 の 売 買 に た ず さ わ っ て い た こ と が し の ば れ る 。 那 覇 は 国 際 的 な 交 易 の 場 と し て に ぎ わ っ て い た こ と が わ か る 。 十 七 世 紀 に 入 る と 、 慶 長 の 役 や 明 清 交 替 の 動 き の 中 で 、 そ の 影 響 を う け て 交 易 市 と し て の 那 覇 町 の 繁 栄 に も か げ -が み え て き た 。 薩 摩 は 慶 長 十 九 年 に 指 令 を 発 し て 衰 微 し た 那 覇 の 復 興 に つ い て 考 え る よ う に 指 示 し た と い う 。 以 降 向 象 賢 。 察 温 と 那 覇 町 の 繁 栄 策 を 講 ず る こ と に な る 。 -

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55-十 七 世 紀 半 ば 以 降 の 那 覇 の 様 子 を 使 録 で み る こ と に す る 。 一 六 六 三 年 に や っ て き た 張 学 礼 の ﹃ 使 琉 球 記 ﹄ に は 、 天 使 館 前 に 空 地 が あ -そ こ に 毎 日 午 後 に な る と P 匿 p 笛 ⑤ ヰ レ ゲ -マ チ を だ ず さ え た 婦 人 た ち が や っ て き て 品 物 を 売 っ て い る と あ る 。 そ れ を ﹃ 南 島 風 土 記 ﹄ で は 、 館 屋 の 前 の 据 置 町 の こ と だ と 説 明 し て い る 。 品 物 の 記 載 が な い の で 何 が 売 ら れ て い た か は わ か ら な い が 、 次 に か か げ る 控 碍 の 記 録 を み る と 売 ら れ て い た 品 物 は 日 常 生 活 に 必 要 な も の で あ っ た ろ う と 推 量 さ れ る 。 一 六 八 三 年 に 釆 琉 し た 控 椙 の ﹃ 便 琉 球 雑 録 ﹄ に よ る と 那 覇 町 の 様 子 は 次 の よ う で あ っ た と い う 。 大 勢 の 婦 人 が 頭 に 物 を の せ て や っ て き て 地 面 に 並 ん で う っ て い る 。 売 っ て い る 物 は 、 油 ◎ 塩 藤 ◎ 野 菜 の 類 で 豆 腐 や 藩 薯 が 最 も ⑥ 多 い と あ る 。 こ の 外 に 紙 二 扇 。 木 杭 。 糸 ◎ 姻 草 。 散 (草 履 ) 等 の 雑 貨 が あ っ た 。 米 は 売 ら れ て な い と あ る 。 一 七 一 九 年 に 采 琉 し た 徐 模 光 の ﹃中 山 伝 信 録 ﹄ に よ る と 、 市 は 辻 山 の 沿 海 披 上 に あ -p 朝 夕 二 次 の 市 が た ち p ⑦ 集 ま る の は 女 だ け だ と い う 。 商 品 は 前 記 し た よ う な も の で あ っ た 。 天 使 館 前 あ た -の 市 が 冊 封 使 の 滞 在 中 に は 一 時 辻 原 に 移 転 し た と い わ れ て い る 。 市 は 朝 夕 二 回 も ひ ら か れ 、 那 覇 ま ち の に ぎ や か さ が う か が え る 奈 温 の 時 代 に な る と 、 勝 手 者 に は 内 職 等 を さ せ る な ど の 諸 施 策 に よ っ て 那 覇 町 の 繁 栄 -面 目 を 1 新 し た と い A つ O 一 七 五 六 年 に 釆 琉 し た 周 燈 の 記 録 に よ る と 、 市 は 辻 原 に あ り 、 商 品 は 日 用 品 類 の 地 元 の 産 物 が 主 で あ る が 、 以 前 に は 記 録 さ れ て な い 米 が 商 品 と し て 取 扱 わ れ て い る 。 天 使 館 の 前 に 数 軒 の 店 韓 が あ る が 、 近 頃 皆 移 っ て い る と ⑧ 記 さ れ て い る 。 そ れ か ら す る と 、 そ の 頃 に は ぼ つ ぼ つ 店 舗 も 開 け 、 町 屋 で の 商 売 も お こ な わ れ て い た こ と を 教 え て く れ る 。 一 七 八 五 年 の も の だ と 考 え ら れ て い る 親 見 世 日 記 に は 町 屋 の 件 で 次 の よ う な 文 書 が あ る と 、 ﹃ 南 島 風 土 記 ﹄ - 5

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6-1850年代那覇の交通路 と市場の様子 (昭 和 三 十 九 年 十 二 月 再 版 ) の 一 九 七 ペ ー ジ に 記 載 さ れ て い る 。 乍 恐 中 上 侯 、 私 屋 敷 東 表 石 垣 ' 長 一 間 取 除 店 構 仕 度 御 座 候 間 、 御 障 無 御 座 候 ハ 、 取 除 見 世 構 御 免 被 仰 被 下 度 奉 頗 候 ' 此 旨 宜 様 御 取 成 奉 願 侯 、 以 上 五 月 若 狭 町 嫡 子 宮 城 筑 親 雲 上 口 上 覚 乍 恐 中 上 侯 、 私 屋 敷 之 儀 、 北 表 囲 ち ね ぶ 長 三 間 取 除 、 店 構 仕 度 奉 存 候 為 晴 立 所 に て 無 御 座 、 其 上 隣 所 之 障 二 罷 成 不 申 侯 間 、 御 免 被 仰 付 被 下 度 奉 願 侯 、 此 等 之 趣 宜 被 仰 上 可 被 下 儀 奉 願 侯 、 以 上 九 月 許 田 筑 豊 之 - 5 7-こ の よ う な 願 書 に 対 し て は 、 「何 ぞ 差 支 侯 場 所 に て は 無 御 座 」 と い う 与 中 の 奥 書 が 付 い て い る 。 こ れ ら の こ と か ら し て も 、 東 町 屋 の 公 許 も こ の 前 後 の 事 と 見 ら れ る と ﹃ 南 島 風 土 記 ﹄ は し る し て い る 。 十 九 世 紀 初 頭 頃 に は 、 那 覇 に は 朝 夕 の 市 が た ち 、 士 族 の 内 職 と は い え 町 屋 が で き 品 物 の 市 販 が な さ れ て お -、 市 が た つ 頃 に な る と 、 多 -の 人 々 が 参 集 し た よ う な 状 況 が あ っ た よ う で あ る 。

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2 .e リ -来 航 時 の 那 覇 町 の 状 況 一 八 五 三 年 ペ -1 提 督 一 行 は 江 戸 幕 府 と の 開 国 交 渉 を 行 な う 前 に 沖 縄 に 来 航 し た 。 沖 縄 に 石 炭 貯 蔵 の 基 地 を 確 保 し 幕 府 と の 交 渉 に 備 え 、 交 渉 が う ま く い か な い 時 に は 沖 縄 を 占 領 す る 意 図 を も っ て い た 。 病 人 の 静 養 、 石 炭 木 屋 の 監 視 等 の た め 泊 に あ っ た 天 久 寺 を 借 -う げ 、 い く 人 か の 亜 人 を と め お い た 。 艦 隊 は 江 戸 、 小 笠 原 、 香 港 、 北 海 道 へ と 航 海 し た が 、 そ の 間 一 か 年 余 も い く 人 か の 亜 人 た ち は 天 久 寺 に 宿 泊 し て い た 。 亜 人 た ち は 、 生 活 に 必 要 な 物 資 を 琉 球 側 の 通 事 を 通 し て 所 望 し 入 手 し て い た 。 所 望 品 は 多 岐 に わ た っ て い た 。 食 糧 品 か ら 帰 国 の 際 の 土 産 に し よ う と し て い た 品 物 ま で 含 ま れ て い た 。 王 府 は 所 望 さ れ た 品 物 を 渡 す 際 に も 、 所 望 通 -の 員 数 は 渡 さ ず に 物 に よ っ て は い く ら か ず つ 減 ら し て 渡 し て い た 。 所 望 通 -の 員 数 を 渡 す と 、 琉 球 が 豊 か で あ り し か も 広 -商 売 が お こ な わ れ て い る と 思 わ れ た ら 困 る こ と に な る と い う 配 慮 が あ っ た 。 亜 人 等 は 、 何 人 か が 一 緒 に な っ て 毎 日 の よ う に 那 覇 。 首 里 を 散 策 し 、 あ る い は 近 隣 の 間 切 に 足 を は こ ん で い る 。 散 策 中 に 、 泊 市 、 那 覇 市 、 時 に は 壷 屋 市 ま た は 通 行 筋 の 町 屋 で 欲 し い 品 物 を 「押 し 取 」 -銭 を 「 投 置 」 き 、 「投 与 」 え て 立 去 っ て い る 。 亜 人 等 が 市 で 「押 々 取 」 っ た 品 物 を 通 し て 、 当 時 市 や 町 屋 で 売 ら れ て い た 品 物 が ど う い う も の で あ っ た か 知 る こ と が で き る 。 米 兵 等 が 「押 々 取 」 っ た 品 物 が 市 や 町 屋 で 売 ら れ て い る 品 物 を 網 羅 す る も の で は な い が ' 当 時 の 市 で の 品 物 が ど う い う も の で あ っ た か を 知 る こ と が で き る 。 亜 人 等 が 「 押 々 取 」 っ た 品 物 名 を 列 挙 す る こ と に す る 。 九 年 母 二 見 腐 ・ 生 い か ・ 大 根 ・ 小 魚 。 唐 芋 ・ ぶ た 油 。 焼 と う ふ ・ 玉 子 。 飛 魚 。 小 麦 。 赤 小 豆 。 豚 肉 。 干 菓 子 ¢ 菓 子 。 牛 肉 こ 秋 。 酢 九 年 母 。 落 地 生 。 黄 大 根 ・ 豚 肝 。 塩 ・ 西 瓜 。 亀 肉 。 に ら 。 木 瓜 。 里 桃 。 山 桃 争 茄 子 。 ふ か 肉 。 楽 京 ・ 塩 付 魚 ・ 庭 鳥 。 お や し ・ ち や む 。 煙 草 。 薪 木 。 酒 。 葱 。 不 老 。 素 め ん 。 琉 焼 ま か -。 琉 焼 - 5

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8-1850年代那覇の交通路 と市場の様子 土 鍋 。 琉 焼 あ ん ぴ ん 。 琉 焼 茶 壷 。 琉 焼 盃 ・ 小 壷 。 小 瓶 。 琉 焼 水 が め 。 琉 焼 油 壷 。 琉 球 焼 玉 ま か -。 摺 鉢 ・ 高 麗 き せ る 。 き せ る 。 黒 竹 さ せ る 管 。 百 田 紙 。 尺 違 紙 。 わ ら 唐 紙 。 唐 紙 。 位 牌 。 吸 物 椀 〇 四 万 盆 。 丸 盆 。 引 物 小 皿 。 飯 椀 。 飯 箱 。 櫛 子 箱 。 丹 後 。 草 履 ・ 竹 庫 理 箱 。 人 形 。 -し 。 す き -し 。 さ う け 。 附 木 。 阿 南 斉 。 木 綿 真 田 二 扇 子 。 仙 香 。 ひ や う き ゃ く 。 び く ぴ -。 ぽ ん ば た 。 髪 附 。 白 梅 香 。 小 便 簡 二 二 味 線 の 弦 亜 人 等 が 市 、 町 屋 か ら 「押 々 取 」 -、 代 銭 を 「 投 置 」 い た 品 物 は 右 に 掲 げ た と お り で あ る 。 ほ と ん ど の 品 物 が 日 常 生 活 に か か せ な い も の で あ る 。 そ の 上 、 ほ と ん ど の 物 が 琉 球 内 の 産 物 で あ る 。 度 佳 刺 の 船 が 往 来 し 、 琉 球 に と っ て 必 要 な 諸 品 物 が も た ら さ れ て い る の で ' 品 物 と し て 出 廻 っ て い た と 思 う が 、 市 や 町 屋 か ら 亜 人 が 押 買 い し た も の の 中 に は 一 、 二 点 を 除 -と そ の よ う な 品 物 を ほ と ん ど 見 出 せ な い 。 市 や 町 屋 を 通 さ ず に 別 の 方 法 で 品 物 が 流 れ て い た の か も 知 れ な い し 、 あ る い は 亜 人 が 押 買 い し た も の の な か に 他 か ら も ち こ ま れ た 品 物 が な か っ た と い う こ と も 考 え ら れ る 。 前 記 の 品 物 名 か ら し て 、 市 で 売 ら れ て い た 物 の ほ と ん ど が 自 分 た ち の 手 で つ -っ て い た も の で は な か っ た ろ ナつ か 。 そ れ ら の 品 物 を 買 う た め に ' あ る い は 売 る た め に 市 に 人 々 が 集 ま っ て き た 。 市 に や っ て き て あ き な い を し て い る 人 々 が ほ と ん ど 女 性 で あ っ た こ と が 「亜 人 来 着 関 係 記 録 」 で も わ か る し 、 前 に 記 し た 冊 封 使 関 係 の 記 録 に も そ の 旨 の こ と が か か れ て い た が 、 市 で 商 売 し て い た 人 々 が す べ て 女 性 だ と い う 訳 で も な い 。 「 亜 船 来 着 関 係 記 録 」 の 中 で は 、 市 で 働 い て い る 男 性 が 時 た ま 顔 を 出 し て い る 。 し か し 、 い ず れ に ⑨ せ よ 市 で か ご を 前 に お い て 商 売 し て い た 人 た ち の ほ と ん ど が 婦 人 た ち で あ っ た 。 婦 人 た ち は 、 か ご に 物 を い れ 市 に 持 ち 込 み 、 地 面 に か ご を 置 き 買 手 を ま っ て い た 。 そ こ へ 、 夷 人 た ち が や っ て き て 品 物 を 押 買 い し よ う と す る と 、 び っ く り し て 逃 げ 出 す こ と も あ っ た と い う 。 亜 人 等 の 所 望 品 の 支 払 い の 中 に - 59

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-鉄 銭 が ま ざ っ て い る こ と も あ -、 王 府 役 人 は 亜 人 等 が 所 持 し て い る 筈 の な い 琉 球 内 で 通 用 し て い る 銭 を 米 側 か ら の 支 払 い の 中 に あ る の は 、 夷 人 を み て 逃 げ だ し た 市 の 婦 人 た ち が 、 品 物 も 銭 も ほ お り 出 し た た め で あ ろ う か ら 、 銭 の 格 護 に は 気 を つ け る よ う に と 、 注 意 を う な が し て い る 。 那 覇 に 住 ん で い る 多 -の 人 々 が 市 や 町 屋 に 依 存 し な け れ ば 生 活 の 推 持 が で き な い 状 況 に な り つ つ あ っ た の で は な か ろ う か 。 そ う い う 人 々 の 需 要 を 充 た す よ う な か た ち で 、 市 や 町 屋 が 那 覇 の 何 か 所 か に で き た も の と 思 う 。 市 に お け る 品 物 の 購 入 に は 、 銭 が 用 い ら れ て い る こ と が 、 「 亜 船 来 着 関 係 記 録 」 か ら 知 る こ と が で き る が 、 ど の 程 度 銭 が 使 わ れ て い た か を 知 る こ と は で き な い 。 那 覇 に 住

人 々 の 銭 の 使 用 頻 度 に 多 少 の 差 は あ れ 、 生 活 す る 上 で 銭 の 果 た す 役 割 が 増 大 し っ つ あ っ た の で は な い か と 思 う 。 品 物 の 値 段 が ど う な っ て い た か は 「 亜 船 来 着 関 係 記 録 」 か ら は 知 る こ と は で き な い 。 亜 人 ら は 品 物 を 「押 々 取 」 -、 銭 を 「投 与 」 え て い -の で 、 亜 人 等 の 思 う 通 -の 銭 を 置 い て い く こ と に な -、 同 じ よ う な 品 物 に で も 投 げ 与 え て い っ た 銭 高 に は 相 当 な ひ ら さ が あ っ た 。 亜 人 等 は 、 薪 木 を 沼 津 端 で 押 取 -、 唐 銭 二 百 文 を 投 げ 置 い た と 、 十 月 十 日 (陰 暦 ) の 記 録 に あ る の を み る と 、 泊 の 方 に 薪 木 の 集 積 所 が あ っ た の で は な い か と も お も わ れ る 。 山 原 船 で 山 原 や 離 島 あ た -か ら 運 ば れ 泊 な ど に 陸 あ げ さ れ て い た の で は な か ろ う か 。 町 屋 で は 焼 酎 も 売 っ て い た と 思 う が 、 亜 人 ら に は 焼 酎 を 与 え な い よ う に と い う 提 督 の 申 し 入 れ も あ -、 亜 人 等 は 町 屋 で 焼 酎 を 買 う 訳 に い か ず 、 那 覇 や 首 里 で 人 家 に 立 寄 -、 あ る い は ゆ き あ う 人 に 焼 酎 を 所 望 し て い る 。 門 の 綿 の な い 家 な ど に か っ て に あ が -こ み 、 棚 や 霊 前 を 探 -た ま た ま 酒 瓶 に 焼 酎 が 残 っ て い る と 、 僅 か に の ご っ た 焼 酎 を の み は す あ -さ ま で あ っ た 。 - 6

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0-1850年代那覇の交通路 と市場の様子 王 府 は 、 泊 。 那 覇 ・ 久 米 あ た -で の 焼 酎 の 販 売 を 禁 止 し 、 必 要 が あ れ ば 夜 に 男 の 方 が 首 里 ま で 行 っ て 買 う よ う に 指 示 し て い る 。 ま た 、 泊 ' 那 覇 か ら 地 方 や 離 島 に 行 く 船 に は 焼 酎 を 積 む こ と が 多 い の で 特 に 気 を つ け る よ う に と 注 意 を う な が し て い る 。 泊 や 那 覇 の 市 に 出 ま わ っ て い た 品 物 が ど の 範 囲 ま で 流 れ て い た か に つ い て は 、 「 亜 船 来 着 関 係 記 録 」 か ら は 知 る こ と が で き な い が 、 慶 良 問 の こ と に つ い て 次 の よ う に 記 録 に と ど め て あ る 。 一 八 五 三 年 九 月 一 五 日 (陰 暦 ) 、 亜 人 等 が 慶 良 問 に 渡 る と い う こ と を 告 げ て き た の で 、 琉 球 側 の 役 人 は な る だ け 渡 ら な い よ う に し て ほ し い と 伝 え 、 そ の 上 慶 良 問 は 諸 品 不 自 由 な と こ ろ で 、 野 菜 類 も 那 覇 で 調 達 し て い る 状 況 で あ る と し て い る 。 泊 や 那 覇 の 市 場 は 、 那 覇 に 住 む 人 た ち だ け で な -近 隣 の 人 た ち の 利 用 も あ っ た も の だ と 考 え ら れ る 。 先 に か か げ た 品 物 は 那 覇 の 何 処 で 売 ら れ て い た の だ ろ う か 。 当 時 の 那 覇 の 市 。 町 屋 等 の あ っ た 場 所 を 全 部 書 き 上 げ る こ と は で き な い が 、 亜 人 等 が 品 物 を 「押 々 取 」 っ た 場 所 を 「追 行 人 」 は い ち い ち 報 告 し て い る の で う そ の 場 所 を 「亜 船 来 着 関 係 記 録 」 か ら 抜 き 出 す こ と に よ っ て 、 那 覇 の ど の あ た -で 品 物 が う ら れ て い た か を 知 る こ と が で き る 。 前 記 「 那 覇 読 史 地 図 (明 治 初 年 の 郵 覇 ) 」 を み る と 、 東 村 の 方 に 市 場 が 、 辻 村 の 南 は ず れ の と こ ろ に は 豚 小 市 が あ っ た こ と が 記 入 さ れ て い る 。 亜 人 等 が よ -品 物 を 押 買 い し た 泊 市 の 記 載 は な い が 、 泊 村 の 現 在 の 五 十 八 号 線 と 泊 小 学 校 前 の 道 路 が 交 叉 す る あ た り に 小 間 物 市 が あ っ た と い う 。 「 亜 船 来 着 関 係 記 録 」 に で て -る 市 は 、 泊 市 、 那 覇 市 、 壷 屋 市 、 若 狭 町 小 市 等 で あ る 。 亜 人 た ち が 、 物 を 押 買 い し た 市 は ' 泊 と 那 覇 の 市 場 に お い て で あ っ た 。 前 に あ げ た ほ と ん ど の 品 物 が 両 方 の 市 で 売 ら れ て い た よ う で あ - 6

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1-る 。 市 に は 肉 亮 所 も あ っ た こ と が 、 「泊 市 内 亮 所 」 云 々 と で て く る こ と に よ っ て 知 る こ と が で き 、 一 か 所 に 肉 売 所 が か た ま っ て い た よ う な か ん じ を う け る 。 壷 屋 市 で 焼 物 を 押 取 っ た と い う 記 録 が あ る こ と か ら し て 、 市 と は い っ て も 、 那 覇 や 泊 の そ れ と は 異 な -、 主 に 焼 物 を 売 る 市 で は な か っ た ろ う か 。 御 蔵 敷 の 側 で 肉 切 人 が 肉 を 売 っ て い る が 、 亜 人 の 目 に ふ れ る と 、 困 る こ と に な る の で 、 村 内 の 屋 敷 内 で 売 る よ う に と い う 達 を 出 し て い る 。 御 蔵 敷 が ど こ に あ っ た の か 記 録 か ら だ け で は 判 断 で き な い が 、 肉 類 が 売 ら れ て い た 状 況 は 、 蔵 敷 の 側 に 空 地 (道 路 か ) が あ -、 そ こ に 肉 を い れ た か ご を お い て 買 手 を 待 っ て い た の で は な い か 。 肉 に は ワ ラ が 通 さ れ 、 そ の ワ ラ の 結 び 方 に よ っ て 肉 の 重 さ が わ か る よ う に な っ て い た の で は な い か と 想 像 す る 。 泊 や 那 覇 の 市 場 が 、 何 時 に 開 か れ た か は 、 「亜 船 来 着 関 係 記 録 」 か ら だ け で は わ か ら な い が 、 冊 封 使 の 記 録 か ら す る と 、 朝 夕 に 市 が に ぎ わ っ た と い う こ と で あ -、 そ の よ う な 市 場 の あ -方 が ペ -1 来 航 時 の 頃 ま で 続 い て い た の で は な い か と 思 う 。 亜 人 が 市 場 で 品 物 を 押 買 い し た 時 刻 が 朝 夕 と い う 時 間 概 念 か ら ず れ た 時 間 帯 の 時 刻 も あ る の で 、 小 規 模 な が ら 朝 夕 以 外 に も 市 が あ っ た の で は な い か と 考 え て い る 。 町 屋 は 以 前 か ら あ り 、 先 に も か い た よ う に 石 垣 を と -こ わ し て 許 可 を 得 て の 商 売 で あ っ た 。 そ の 町 屋 が 何 処 に あ っ た の か 、 「 亜 船 来 着 関 係 記 録 」 か ら 拾 い 出 し て み る こ と に す る 。 即 ち 、 東 町 屋 、 潟 原 前 町 屋 、 泊 市 前 町 屋 、 首 里 町 屋 、 久 茂 地 町 屋 の 名 前 が 出 て く る 。 「亜 船 来 着 関 係 記 録 」 に は 、 那 覇 久 米 村 歩 行 中 四 ヶ 所 の 町 屋 に よ っ た と か 、 那 覇 内 歩 行 中 町 屋 に 立 寄 っ た と あ る が 、 那 覇 内 に 何 軒 の 町 屋 が あ っ た の か と い う こ と に な る と 、 そ の 記 録 か ら だ け で は つ か み き れ な い 。 「 亜 船 来 着 関 係 記 録 」 か ら い え る こ と は 、 東 村 あ た -に 町 屋 が 多 か っ た ら し い と い う こ と で あ る 。 亜 人 は 、 泊 市 、 那 覇 市 等 の よ う な 市 場 以 外 で も 品 物 を 押 取 っ て い る の を み る と 、 那 覇 の あ ち ら こ ち ら の 空 地 を --

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62-1850年代那覇の交通路 と番場の様子 利 用 し て 品 物 を 並 べ て 買 手 を 待 っ て い た の で は な い か と 思 う 。 そ の よ う な 場 所 で あ っ た ら し い か 所 を 列 記 す る と 次 の と お -で あ る 。 石 門 。 泊 津 端 。 那 覇 道 中 。 潟 原 下 ロ 。 潟 原 前 ・ 若 狭 町 。 垣 花 。 里 主 所 前 。 啓 聖 廟 前 。 久 米 大 門 。 久 茂 地 通 。 西 門 前 に も こ と わ っ て い た と お -、 こ れ ま で あ げ て き た 市 場 等 の 場 所 は 、 あ -ま で も 亜 人 が 品 物 を 「 押 々 取 」 -銭 を 投 与 え た 場 所 で あ る 。 首 里 に も 市 場 等 に 相 当 す る 場 所 も あ っ た と 思 う が 、 亜 人 が 品 物 を 「 押 々 取 」 る よ う な こ と が な か っ た の で 首 里 の 市 に つ い て は で て こ な い だ け で あ る 。 泊 市 や 那 覇 市 に 婦 人 た ち に よ っ て 運 ば れ て く る 野 菜 類 は 何 処 か ら は こ ぼ れ て き た の か 。 泊 津 端 に つ ま れ た 薪 木 は ど こ か ら も た ら さ れ た の か 。 山 桃 は 中 頭 方 面 か ら も ち こ ま れ て き た の か 。 那 覇 の 市 場 で 売 ら れ て い る 品 物 が 何 処 で 生 産 さ れ 、 何 処 か ら 運 ば れ て き た の か 、 「亜 船 来 着 関 係 記 録 」 か ら は 知 る こ と は で き な い が 、 那 覇 だ け で 生 産 さ れ た も の で な い の は 確 か な よ う で あ る 。 泊 津 端 の 薪 木 は 船 で は こ ぼ れ て き た と 考 え る の が 妥 当 だ し 、 山 桃 も 他 か ら も ち こ ま れ た と 考 え る の が 無 難 だ と 思 う 。 - 63 -四 お わ り に ﹃ 沖 縄 県 史 料 ﹄ 前 近 代 2 に 収 録 し て い る ﹃ 旧 琉 球 藩 評 定 所 書 類 ﹄ 中 の 「 ペ -1 来 航 関 係 記 録 」 か ら 、 ペ リ ー 提 督 来 航 時 の 那 覇 の 交 通 や 市 場 の 状 況 が わ か る よ う に 整 理 で き な い か と 思 い 、 ﹃ 沖 縄 県 史 料 ﹄ 前 近 代 2 の 編 集 の か た わ ら 、 史 料 を 抜 き 出 し ま と め た の が こ の 小 論 で あ る 。 交 通 の 状 況 に し て も 、 市 場 の 様 子 に し て も 断 片 的 な こ と し か 記 述 で き な か っ た が 、 ﹃ 沖 縄 県 史 料 ﹄ 前 近 代 2 に 収 録 し て い る 「 ペ

-来 航 関 係 記 録 」 の 紹 介 の 一 端 に で も な れ ば と 思 い ま と め た 次 第 で あ る 。 二 九 八 二 二 二 一 〇 )

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︹ 注 U ① 郵 覇 読 史 地 図 に つ い て 郵 覇 ほ ど 地 形 が 変 遷 し た の は 他 に 類 を 見 な い で あ ろ う 。 そ の 昔 ' 浮 島 と い わ れ て い た も の が そ の 周 辺 が し ぜ ん に あ る い は 人 為 的 に 埋 め ら れ て い っ て ' 現 在 の 郵 覇 市 を 形 づ く っ て い っ た 。 古 典 を 読 む と き に と う て い 読 み と る こ と の 出 来 な い 要 素 が あ る の は そ の た め で あ る 。 そ れ で 古 典 研 究 に は 少 く と も 廃 藩 以 前 の 郵 覇 の 状 態 を 書 き し る し た 地 図 が 必 要 に な っ て -る 。 伊 知 地 貞 馨 ︹ 沖 縄 志 ︺ 所 載 の 邦 覇 の 地 図 ' ︹ 南 島 風 土 記 ︺ ∩ 球 場 ︺ ︹ 使 録 」 等 を 参 考 に 、 さ ら に 古 老 た ち の 協 力 を 得 て ' 少 -と も 古 典 に 出 て -る 事 項 を も っ た の が へ こ の 郵 覇 読 史 地 図 で あ る 。 (嘉手 納 宗徳 ) ② 郵 軍 内 の 多 -の 家 は 垣 が め ぐ ら さ れ 、 門 の 締 -が な さ れ て い た こ と が 、 洞 富 雄 訳 ﹃ ペ リ ー 日 本 遠 征 随 行 記 ﹄ (新 異 国 叢 書 8 ) か ら も う か が え る 。 「 こ の 通 -(若 狭 町 学 校 所 の 通 -の こ と ) は こ の 町 の 目 抜 き 通 -の 一 つ で 、 あ ち ら こ ち ら の 家 々 の 入 口 に 人 溜 -が で き て い た 。 ど の 家 も ' 庭 の 回 -に 珊 瑚 岩 の 塀 が め ぐ ら さ れ ' そ れ が 人 通 -で 賑 わ っ て は い て も 街 路 に 何 と な -沈 滞 感 を 与 え て い た 。」 (三 7 ペ ー ジ ) ⑧ 右 同 書 に は 久 茂 地 川 沿 い の こ と が 次 の よ う に 記 述 さ れ て い る 。 こ の 川 ∩ 久 茂 地 川 末 端 ︺ に 沿 っ て 走 る 幅 広 い 道 は 、 こ の 町 で も 通 行 量 の 多 い 道 の 7 つ で あ る 。 わ れ わ れ は か な -の 時 間 、 こ こ を 通 -過 ぎ る 群 集 を 注 意 し て 観 察 し た 。 足 駄 、 陶 器 ' 豆 腐 ' も や し を 売 っ て い る 露 店 や 、 竃 の 回 -に 群 が る 女 や 子 供 た ち は -山 の よ う に 荷 を 積 み 上 げ た 馬 や 、 重 い 竃 を 頭 上 に 乗 せ て 運 ぶ 年 老 い た 婦 人 た ち も よ -過 -過 ぎ た 。 二 三 六 ペ ー ジ ) ① こ の こ と に つ い て 高 良 倉 吉 氏 は そ の 著 ﹃ 琉 球 の 時 代 ﹄ に 次 の よ う に ま と め て い る 。 申 叔 舟 が 一 四 七 7 年 に 著 わ し た ﹃ 海 東 諸 国 紀 ﹄ は 沖 縄 に 関 す る 最 古 の 地 図 を 収 め て 有 名 で あ る が 、 そ の 中 で 「 琉 球 は 土 地 - 6

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4-i850年代那覇 の交通路 と市場の様子 が 狭 く 人 が 多 い の で 海 外 交 易 を も っ て 業 と な し て い る 。 西 は 南 蛮 ・ 中 国 に 東 は 日 本 。 朝 鮮 に 通 じ て お -日 本 。 南 蛮 の 商 船 も ま た 出 入 -し て 市 を な し て い る 」 と 書 き 、 郵 覇 に は 江 南 (中 国 揚 子 江 以 南 の 地 の こ と ) 。 南 蛮 。 日 本 の 商 船 が 停 泊 す る と 説 明 し て い る 。 二 〇 五 ペ ー ジ ) ⑤ 張 学 礼 ﹃使 琉 球 記 ﹄ に は 次 の よ う に か か れ て い る 。 館 前 有 空 地 百 畝 毎 日 午 後 婦 女 或 老 或 少 携 僅 警 笛 果 菜 於 此 為 貿 易 ⑥ 荘 揖 ﹃ 使 琉 球 雑 録 ﹄ (郷 土 研 究 講 座 テ キ ス ト ' 嘉 手 納 宗 徳 編 集 及 筆 写 本 ) 二 三 ペ ! ジ 。 那 覇 市 易 之 所 日 馬 市 街 首 里 亦 有 馬 市 街 皆 婦 女 為 市 午 後 各 戴 市 物 畢 集 席 地 列 坐 所 市 皆 池 塩 髄 菜 之 属 豆 腐 番 薯 尤 多 此 外 則 紙 嘉 木 硫 糸 周 章 敬 而 巳 稲 米 無 嘗 者 以 百 姓 皆 食 薯 不 得 食 米 也 ⑦ 徐 藻 光 ﹃ 中 山 伝 信 録 ﹄ (下 ) (郷 土 史 講 座 テ キ ス ト 冊 封 使 録 集 十 7 ) 二 〇 〇 ペ ー ジ o 市 易 之 所 旧 録 云 向 在 天 使 館 東 、 天 妃 宮 前 平 地 上 後 従 属 市

' 今 市 集 移 在 辻 山 沿 海 披 上 、 早 晩 両 集 市 集 無 男 人 倶 女 為 市 、 所 二 1 二

l

市 物 、 惟 魚 蝦 番 薯 豆 腐 木 器 磁 襟 陶 器 木 硫 草 散 等 盛 下 之 物

云 々 二 一 レ レ - 6 5-周 燈 ﹃ 琉 球 国 志 略 ﹄ 女 集 う 向 在 天 使 館 東 天 后 宮 前 へ 後 徒 馬 市 街 ' 今 移 在 辻 山 沿 海 披 上 、 早 晩 南 桑 無 男 人 、 二 1 二 1 二 l 二 1 木 器 ' 間 有 土 織 蕉 棉 布 、 亦 極 薄 意 ' 価 復 不 頗 道 中 無 肩 黛 背 負 、 凡 柴 薪 米 豆 累 百 余 勧 者 、 倶 女 為 市 ' 市 物 惟 魚 塩 米 菓 及 粗 放 陶 レ 女 人 悉 以 首 徽 章 圏 頂 之 ' 垂 手 曳 袖 無 二 一 レ 二 1 偏 堕 者 、 開 首 里 市 集 亦 女 人 為 之 店 韓 惟 使 館 前 略 数 間 ' 近 皆 移 空 以 居 従 役 レ 二 レ レ レ ニ @ 一 二 1 二 一 洞 富 雄 訳 前 掲 書 に は 市 場 の こ と が 次 の よ う に 記 述 さ れ て い る 。 レ レ 商 人 た ち は 市 場 で 茶 、 煙 草 、 壇 、 藁 靴 、 メ ロ ン へ 野 菜 、 木 綿 も し -は 草 麻 布 、 古 着 、 そ の ほ か つ ま ら な い 日 用 品 を 販 売 し て い る に す ぎ ず 、 し か も こ の 商 売 は 女 の 手 で 行 な わ れ て お -ま す 。 (四 二 一 ペ ー ジ )

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