フンボルトの言語論の研究--西洋近代言語思想史再考(1)
14
0
0
全文
(2) 近畿大学語学教育部紀要1巻1号(2001・11) 性 質 と明 らか に重 な り合 って お り,こ の よ うな 見 方 そ の もの は,言 語 学 史 を読 み解 く際 の重 要 な 手 懸 か りで あ るはず で あ る。 と ころが,こ の 重 要 な 史 的 関連 は,個 々 に指 摘 されて は い る もの の, 言 語 学 史 を取 り扱 った書 物 に お いて は ほ とん ど言 及 され て い な い。 そ して実 際 に は,こ の よ うな 言 語 学 史 の記 述 上 の不 備 が 主 た る原 因 の ひ とっ とな って,一 般 的 な ソ シュ ー ル像 と フ ンボ ル ト像 の 間 に は,っ なが りよ り もむ しろ あ る種 の 途 切 れ た 印 象 の方 が支 配 的 に さ え な って い る よ うに思 わ れ る。 両 者 の思 想 的 な関 連 や相 違 点 な どを 詳 し く調 べ 上 げ た研 究 はi残 念 なが ら今 の と こ ろ あ ま り見 あ た らな い。 これ は お そ ら く次 の事 情 に よ る と こ ろが大 きい の で は な い だ ろ うか。 ソシ ュール は, た った二 冊 の書 物,そ. れ も自 ら執 筆 した もの で はな く,死 後 に弟 子 た ち の手 で 編 纂 され た 『一 般. 言 語 学 講 義 』 に よ って言 語 学 史 に不 朽 の 名 を 残 す こ とに な った。 た だ,ソ シ ュ ー ル 自身 が 実 際 に 抱 いて い た思 想 と 『講 義 』 の 内 容 との 間 には,重 要 な点 で齪 臨 が あ る こ とが,近 年 の 研 究 に よ っ て 次 第 に明 らか に され て きた 。 具 体 的 に は後 で述 べ る こと に な るがiま. さ に この 点 こそ が いわ ゆ. る フ ンボ ル トの言 語 観 にっ なが る縦 糸 で あ るよ うに思 わ れ る。 ま た,ソ. シュー ルの言語 思想 が. 『講 義 』 の編 纂者 た ち に十 分 理 解 さ れて い なか っ た こ と,い や そ れ ど ころ か,誤 た と い う事 実 は,裏 を か え せ ば,フ. 解 され てす らい. ンボ ル トの思 想 の本 来 の意 味 も,そ の 当 時 す で に ほ とん ど見. 失 わ れ て いた こ とを 物 語 って い る。 自分 の 思 想 を 書 物 と い うか た ち で はほ とん ど遺 さ なか っ た ソ シ ュ ール と は対照 的 に,フ. ンボ ル. トはた しか に膨 大 な 量 の 著 作 を 後 世 に伝 え て い る。 しか し,フ ンボ ル トの 死 後i言 語学 が 辿 った 道 筋 は,世 間 の 学 問 や 科 学 の 趨勢 に押 され,フ. ンボ ル トが 目指 した 方 向 と は ま った く違 った もの. で あ った の で,彼 の 思 想 は言 語学 の 表舞 台 か ら置 き去 りに されiさ. らに発 展 す るた あ の 十 分 な 注. 目 と機 会 を 得 られ な くな って しま った。 ま た,様 々 な理 由で 資 料 の 整 理 が 不 十分 で あ った こ とや, フ ンボ ル トの 活 動 領 域 が 狭 い 意 味 で の言 語 学 を遥 か に越 えて 広 範 囲 に及 ん で い る こ と,そ の 上, しば しば 指 摘 され る よ う に,彼 の 用 い た表 現 ス タ イ ルが 比 喩 的 ・暗 示 的 で,普 遍 性 あ るい は客 観 性 を 欠 い て い た こ とな ど,い. くっ か の特 殊 な事 情 が,フ. ンボ ル トの思 想 の徹 底 的 な解 明 と解 読 を. 阻 ん で きた の で あ る。 い わ ゆ る構 造 主 義 の ブー ム が去 り,ポ ス ト構 造 主 義 の時 代 が到 来 す る とi構 造 主 義 の 火 付 け役 で あ った 言 語学 の 側 で も,新 た に発 見 さ れ た資 料 な ど を も と に,ソ シ ュー ル の読 み 直 しが盛 ん に 行 わ れ るよ う にな り,従 来 の ソ シ ュー ル像 は大 き な変 更 を 迫 られ る こ とに な った。 ソ シ ュー ル を め ぐ る この よ うな状 況 の変 化 はs当 然 の こ と なが ら,フ ンボル トの再 解 釈 を も促 す こ とにな った。 と りわ け 八 十 年 代 を過 ぎ る頃 か ら,フ ンボ ル ト関 連 の論 文 や 文 献 が盛 ん に 出版 され て い る こ とな. 一114一.
(3) フ ンボル トの言語論 ど は,こ の事 情 を如 実 に示 して い るだ ろ う。 ま た,か っ て と違 って,こ れ ら近 年 の研 究 が非 常 に多 方 面 か ら行 わ れ て お り,い わ ば 学 際 的 な 様 相 を 呈 して い るの も 目立 った特 徴 で あ る。 ソ シ ュー ル の場 合,言 語 の 深 淵 を 追 究 す る孤 独 な 学 者 と い う印 象 が ど う して も強 く感 じ られ るが,フ. ンボ ル トは,閉. じ込 もって ひた す ら言 語 の 研 究. に の み没 頭 した わ け で はな く,人 類 学,歴 史 学,美 学,古 典 文 献 学 の 研 究 を は じめ と して,政 治 家,教 育 者 と して実 に 多 岐 に亘 る分 野 で活 動 した人 で あ った。 最 近 の フ ンボル ト研 究 は,こ の よ うな彼 の多 面 性 を積 極 的 に照 ら し出 そ う と して い るが,こ れ もま た,画 一 的 な 顔 しか 持 た な か っ た大 衆 の時 代 か ら,よ うや く 自由 な個 性 を模 索 し始 め た現 代 と い う時 代 の 要 請 す る と ころ な の か も しれ な い。 この よ うな 時代 の要 請 も ど こか で あ る程 度 意 識 しなが ら,こ の 研 究 を 始 め るに あ た って まず念 頭 に 置 い て い るの は,副 題 に掲 げ て い るよ うに,フ. ンボ ル トの 言 語 研 究 の 内容 を 読 み返 す 作業 を. 通 して,近 代 の 西 洋 にお け る言 語 思 想 の流 れ の 中 でiそ れ が どの よ うに 位 置 づ け られ るべ き もの で あ った の か とい う点 にっ い て 改 め て検 討 す る こ とで あ る。 しか し,古 典 と呼 ば れ る作 品 に付 き ま と うあ る種 の宿 命 で あ ろ うが,い わ ゆ る術 語 の一 人 歩 きや 誤 解 の せ い で,彼 の研 究 活 動 が本 来 目指 した もの,あ. るい は正 確 な人 物 像 な ど,フ. ンボ ル トにっ いて はあ ま りに も不 明 な点 が多 く残. さ れ て い る。 も とよ り,彼 の業 績 の完 全 な理 解 な ど は筆 者 の 力 の 及 ぶ と ころ で は な い こ とは承 知 の上 で あ るが,こ. こで は 自分 な りの フ ンボ ル ト像 を構 成 す る こ とに よ って,言 語 思 想 史 に お け る. フ ンボ ル トの意 味 を問 い直 して み よ うと思 う。. 1.フ. ンボ ル トの 人 物 像 と教 養 理 論. 最 初 に フ ンボ ル トの生 涯 を略 年 譜 の か た ちで 紹 介 して お く こ とに しよ う。. 1767年6月22日:元. プ ロ イ セ ン軍 人 で 宮 内 官 ア レキ サ ン ダ ー ・ゲ オ ル ク ・フ ォ ン ・ フ ン ボ. ル ト(AlexanderGeorgvonHumboldt;1720-1779)の. 長 男 と して 生 ま れ る 。 母 マ. リー ア ・エ リ ー ザ ベ ト(MariaElisabeth;1741-1796)の. 生 家 は フ ラ ンス系 のユ グ ノー. の 家 柄 。 夫 と 死 別 の 後i4才. の 男 の 子 を 連 れ て 再 婚 。 翌 年 ヴ ィ ル ヘ ル ム が 生 ま れ,2年. 後 に 弟 ア レキ サ ン ダ ー(AlexandervonHumboldt;1769-1859)が 1779年:後. 見 人 ク ン トの 指 導 で 兄 弟 で 語 学 や 文 芸 な ど を 学 び 始 め る 。. 1783年:経. 済 学 者 ドー ム の 講 義 を 受 け る。. 一115一. 誕生 。.
(4) 近 畿 大学 語 学 教 育 部 紀 要1巻1号(2001。11) 1786年:ベ. ル リ ン の ヘ ル ツ 家 で 開 か れ る フ ラ ン ス 風 サ ロ ン に 加 わ る。 カ ロ リー ネ ・フ ォ ン ・. ダ ッ ヘ レ ー デ ン,シ 1787年:フ. ャ ル ロ ッ テ ・フ ォ ン ・ レ ンゲ フ ェ ル ト等 と知 り合 う。. ラ ン ク フ ル ト大 学 に 入 学 。 翌 年 に は ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン大 学 に 入 学 し,特. の 教 授 ハ イ ネ の 指 導 で ギ リシ ャ ・ラ テ ンの 古 典 を 学 ぶ と と も に,ハ. に古典学. イ ネ の 長 女 テ レー ゼ. の 夫 で 自 然 学 の 教 授 フ ォ ル ス タ ー と 親 交 を 深 め る。 一 方 で カ ン ト哲 学 の 研 究 に 没 頭 。 1788年:思. 想 家 ヤ コー ビの教 え を受 け る。. 1789年:革. 命 直 後 の パ リに 旅 行 。 カ ロ リー ネ と婚 約 。 カ ロ リ ー ネ と と も に ヴ ァ イ マ ル を 訪. れ,レ. ン ゲ フ ェ ル トの 婚 約 者 シ ラ ー と 初 め て 対 面 。4日. 聞 を イ ェー ナ の シ ラー の 自宅 で. 過 ごす。 1790年:ベ. ル リンの市 裁 判 所 に勤 務 。. 1791年:カ. ロ リー ネ と結 婚,ブ. 1792年:『. ベ ル リ ン月 報 』 に 「国 家 の 憲 法 に つ い て の 所 見 一 フ ラ ン ス の 新 し い 憲 法 を 機 縁. ル ク エ ル ナ ー に居 住。. と して」 を掲 載 。 古 典 学 者 ヴ ォ ル フ と親 交 を深 め る。 1794年:イ. ェ ー ナ の シ ラ ー の 家 の 近 く に 移 る。 ゲ ー テ,フ. 交 わ り,古 1797年:イ. ュ レ ー ゲ ル兄 弟 等 と. 典 研 究 や 翻 訳 に没 頭。. タ リア 旅 行 を 決 意 し,イ. プ ラ ハ,ヴ. ィ ー ン,ザ. 到 着 。3年9カ 1799年:7ヵ. ィ ヒ テ,シ. ェ ー ナ を 去 る。 政 治 情 勢 に よ り,結. ル ツ ブ ル ク,ミ. 月 滞 在 中,ス. ュ ン ヘ ン,チ. ュ ー リ ヒ,バ. 局 ド レ ー ス デ ン,. ー ゼ ル を 経 て,パ. リに. タ ー ル 夫 人 を は じ め と す る 芸 術 家 ・知 識 人 ら と 交 流 。. 月 に お よ ぶ ス ペ イ ン旅 行 を 企 て る。 途 中 バ ス ク地 方 に も 滞 在 。 こ の 頃,弟. の. ア レキ サ ンダ ー は中 南 米 探 検 旅 行 に 出発 。 1801年:バ. ス ク地 方 の 言 語 と習 俗 の 調 査 研 究 の た め に再 度 ス ペ イ ン に 旅 行 。 ベ ル リ ン に 戻. る。 1802年:プ. ロ イ セ ン 国 王 に よ り ロ ー マ 法 皇 庁 駐 在 弁 理 公 使 に 任 命(ナ. パ 各 地 に 進 出 。1806年. に は プ ロ イ セ ン を 撃 破 ,ベ. 1808年:次. 男 の 教 育 の た め,妻. 1809年:国. 家 顧 問 官 の 称 号 を 受 け,内. ヒ ス ベ ル ク(プ. ル リ ン も フ ラ ン ス軍 の 占 領 下 に 入 る)。. の 娘 を ロ ー マ に 残 し,ベ. 赴 く。 学 制 改 革,ベ. ー ニ. ル リ ン大 学 設 立 の た め に 活. の 委 員 長 に シ ュ ラ イ ア ー マ ッハ ー を 任 命 。. ル リ ン大 学 を 設 立 。 初 代 学 長 に フ ィ ヒ テ を 任 命(フ. ツ 国 民 に 告 ぐ』 で,ド. ル リ ンに 戻 る 。. 務 省 の 文 化 ・教 育 部 門 の 責 任 者 に 任 ぜ ら れ,ケ. ロ イ セ ン の 臨 時 首 府)に. 動 。 国 家 教 育,,;,会 1810年:ベ. と3人. ポ レオ ンが ヨ ー ロ ッ. イ ッ 国 民 の 精 神 的 な 自 立 を 促 し,ベ. 一116一. ィ ヒ テ はi連. 続 講 演. ル リ ン大 学 の 設 立 と,学. 『ドイ 術研.
(5) フンボル トの言語論 究 と教 育 の 有 機 的統 一 を 唱 え て い た)。 ヴ ィ ー ン駐 在特 命 全 権 大 使 に 任 ぜ られ る。 バ ス ク語 の 研 究 を 再 開 し,ア メ リカ原 住 民 の言 語 の研 究 を本 格 的 に始 あ る。 1813年:解. 放 戦 争 後 の プ ラハ,テ プ リッ ツの 国 際会 議 に プ ロイ セ ン代 表 と して参 加 。. 1814年:パ. リの国 際 会 議 に参 加 。 ス タ ー ル夫 人 や 弟 ア レキ サ ン ダ ー と 会 う。 プ ロ イ セ ン首. 相 ハ ル デ ンベ ル ク と と も に ロ ン ドンを訪 問。 ヴ ィー ン会 議 に次 席 全 権 と して 参 加 。 シ ャ ル ロ ッテ ・デ ィーデ との 文通 を 開始 。 『ア ガ メ ム ノ ン」 の 翻訳 に携 わ る。 1815年:ハ. ル デ ンベ ル クと と もにパ リ平 和 会 議 に代 表 と して 参 加 した 後,フ. ラ ンクフル ト. で ドイ ツ連 邦 会 議,領 土 問 題 委 員 会 に 出席 。 1816年:フ. ラ ンク フル トに家 族 を 呼 ぶ。 『ア ガ メ ム ノ ン」 の翻 訳 を 出版 。 自伝 の執 筆 を 開始。. 1817年:ヴ. ァイ マ ル に ゲ ー テ を訪 問 。 国 家 顧 問 問 会 議 で 蔵 相 の 財 政 政 策 を批 判,ま. た人 権. の 保 障 と出 版 の 自由 を 主 張 し,首 相 ハ ル デ ンベ ル クと の溝 が 深 ま る。 イ ギ リス駐 在 大 使 と して ロ ン ドンに向 か う。 比 較 言 語 学 者 フ ラ ンッ ・ポ ップ と知 り合 う。 1818年:イ. ギ リス大 使 を辞 し,顧 問 官 の職 に専 念 で き る こ とを 国 王 と首 相 に 書 簡 で 請 う。. 憲 法 問 題 を 所 管 とす る大 臣 と して入 閣。 1819年:「 強化,中. カ ー ル スバ ー トの 決 議 」(学 生 運 動 の禁 止 と大 学 の 監 視 の 強 化,出 版 物 の 検 閲 の 央 調 査 局 の 設 立)に 反 対 す る覚 え書 きを7人 の閣 僚 と と も に国 王 に送 る。 国 家. 顧 問官 会 議 の 憲法 委 員 会 で ハ ル デ ンベ ル クと対 立 。 閣 僚 を免 ぜ られ,国 家 顧 問 官 の 職 を 解 か れ る。 1820年:サ. ンス ク リ ッ ト語 の 研 究 を 開始 。. 1823年:ヴ. ァイマ ル にゲ ー テ を 訪 問。. 1826年:シ. ラー の 頭 蓋 骨 を 前 にiゲ ー テ と語 り合 う。. 1828年:パ. リの ア カ デ ミーで 「ギ リシ ャ語 とサ ン ス ク リッ トに お け る 若 干 の 文 法 形 式 の 比. 較 」 と題 して講 演 。 エ ジプ ト文 字 研 究 者 シ ャ ンポ リオ ン,中 国 語研 究 者 アベ ル ・レ ミュ サ と会 う。 ロ ン ドンの ア ジア協 会 で 「ア ジア の諸 言 語 相 互 の親 縁 性 を 確 認 す る最 善 の 方 法 に っ い て」 と題 して講 演 。 1829年:妻. カ ロ リー ネ死 去 。. 1835年4月8日:テ. ー ゲ ル の館 で家 族 らに見 守 られ永 眠 。. フ ンボ ル トが活 動 した十 八 世 紀 の末 か ら十 九 世 紀 前 半 にか けて の 西 ヨー ロ ッパ は,政 治 的 に は フ ラ ンス革 命 と そ の後 の ナ ポ レオ ン時 代,そ. して 経 済 的 に は イギ リスの産 業 革 命 に 見 られ る大 変. 一117一.
(6) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要1巻1号(2001・11) 動 の 時 代,ま. さ し く近 代 社 会 の 幕 が 開 か れ よ う と す る 時 代 で あ っ た。 一 方,当. 治 ・経 済 の 面 で は フ ラ ン ス や イ ギ リス に 大 き く立 ち 後 れ な が ら も,精 カ ン ト,ゲ. ー テ,シ. ラ ー に 代 表 さ れ る よ う に,ド. い た 。 こ の よ う な 歴 史 的 状 況 を 背 景 に し て,フ シ ラー との 交流. 時 の ドイ ッ は,政. 神 的 ・文 化 的 な 方 面 で は,. イ ッ の 歴 史 を 通 じて 最 も輝 か し い 時 期 を 迎 え て ン ボ ル トの 生 涯 は,カ. ン ト哲 学 の 研 究,ゲ. 外 交 官 お よ び 国 家 顧 問 官 と して の 内 外 で の 活 動 な ど,そ. ー テ,. の時 代 を象 徴 す る多 く. の 出 来 事 や 人 々 と の 交 流 に 自 ら 直 接 関 与 す る 機 会 に 恵 ま れ て い た 。 お そ ら く そ の よ う な 境 遇 と大 い に 関 係 が あ る と 思 わ れ る が,十. 九 世 紀 以 後 の ドイ ッ に お け る 「教 養 理 論 」(Bildungstheorie). の 形 成 に フ ン ボ ル トが あ る程 度 の 影 響 を 及 ぼ し た と い う点 は,フ 合 の ほ ぼ 一 致 し た 了 解 事 項 で あ っ た 。 しか し,そ 活 動 が,彼. の 場 合 も,フ. の 人 生 に お け る 「自 己 形 成 」(Selbstbildung)と. ン ボ ル トに っ い て 論 究 さ れ る場 ン ボ ル トが 携 わ っ た 様 々 な 学 問 的 し て 捉 え ら れ,し. ば しば そ れ が. 「教 養 」 の 意 味 と ほ と ん ど 同 義 に取 り扱 わ れ て い る だ け で,「 教 養 理 論 」 の 具 体 的 な 定 義 は,必. ず. し も明 確 に 意 識 さ れ て い な い の で は な い か と い う 指 摘 も あ る。3 例 え ば,著. 名 な 文 化 哲 学 者 の 一 人 で あ り,教. Spranger;1882-1963)は,『 中 で,青. 育 学 者 で も あ っ た シ ュ プ ラ ン ガ ー(Eduard. ヴ ィル ヘ ル ム ・ フ ォ ン ・フ ン ボ ル ト と 教 育 制 度 改 革 』(196D)'の. 年 時 代 の フ ン ボ ル トを 評 して,次. の よ うに述 べ て い る。. ...人 生 はす べ て内 面 か ら形 成 され な けれ ば な らな い何 か で あ る とみ なす 彼 の 力 に,私 た ち は フ ンボ ル トの中 心 を見 つ け る。 彼 の 本質 は形 式 の力 で あ り,彼 の 目的 は個 体 的 無 限 と して の 人 間 で あ る。 こ の意 義 深 い人 生 の豊 か な展 開 は,こ. こか ら しか 理 解 す る こ とが で き な い。. それ 故 に彼 の精 神 的 本 質 は,た だ単 に形 式 に規 定 さ れて い る にす ぎな い と い う印 象 を 往 々 に して 引 き起 こ し,ま た,彼 の 抽 象 的才 能 の 円熟 にっ いて は,当 然 の こ と と して語 られて きた。 いか な る所 で も権 威 を 保 ち,何 に対 して も自分 を見 失 わ ず,あ. らゆ る もの に 対 して 感 受 性 を. 持 ち,し か も自 己 に根 を お ろ して い る,こ れ こそ,私 が 彼 の 人 間 性 の 理念 と して 取 り扱 った 特 有 の 生 存 形 式 で あ る。5. フ ン ボル トの 生 き方 を決 定 づ け て い た の は,現 象 世 界 で 出 会 う多様 な現 実 に対 応 で き る豊 か な 感 受 性 とiあ る種 の個 人 主 義 の優 勢 で あ っ た。 若 い頃 の フ ンボ ル トは実 に多 彩 な興 味 を示 した人 で あ り,実 際 は この事 が彼 の思 想 を特 定 す る こ とを 困 難 に して い るの で あ る が,シ ュ プ ラ ンガ ー は,む. しろ この 多方 面 に亘 る旺 盛 な活 動 と その 原 動 力 で あ る精 神 の活 発 な働 きが,フ. ンボ ル トの. 「教 養 理 論 」 を理 解 す る た めの 鍵 で あ る と考 え る。 す な わ ち,彼 は フ ンボル トの 多 様 な 関 心 の 深. 一118一.
(7) フンボル トの言語論 奥 に,ラ イ プ ニ ッツ の 「モ ナ ド」 や,ゲ. ー テの 「ファ ウス ト」 あ るい は 「ヴィルヘ ル ・マ イス ター」. に通 じる生 粋 の ドイ ッ的 思 想 を看 取 す る。 そ こで は,神 秘主 義,ス. トア学 派,審 美 的 性 格,宗 教. 的傾 向 と い う,異 な る要 素 が 互 い に関連 し合 って,一 っ の核 を形 づ く って い る の で あ る。 シ ュ プ ラ ンガ ー は,フ. ンボ ル トと国 家 との 関 係 も ま さ し く この観 点 か らの み説 明 す る こ とが で. き る と考 え る。 た しか に フ ンボ ル トは官 吏 と して の職 務 に全 身 全 霊 で打 ち込 ん だが,そ れ に よ っ て 自分 を 見 失 う こ と はな く,た とえ政 治 的 活 動 に よ って得 られ た満 足 感 が 十 分 な もので なか った 場 合 で も,決. して 失 望 す る こ と はな か った。 フ ン ボル トは,才 能 に恵 ま れ た人 で は あ っ たが,そ. の 才能 の ゆ え に特 定 の 衝 動 に突 き動 か され て,感 情 に溺 れ て冷 静 さ を失 うこ と は なか っ た。 逆 の 見方 を す れ ば,フ. ンボ ル トにお いて は,芸 術 家 の よ う に個 々 の体 験 が 彼 を圧 倒 し,自 己の 解 放 へ. と向 か う こ と はな く,い か な る状況 にあ って もす べ て が正 しい均 衡 を保 って いた 。 しば しば指 摘 され る よ う に,フ ンボ ル トの 出発 点 は,青 年 期 に打 ち込 ん だ カ ン トの 批 判 哲 学 で あ り,カ ン ト研 究 か ら得 られ た 様 々 な概 念 が,学 者 と して の フ ンボ ル トの 活 動 に重 要 な 方 法 論 的 基 礎 を提 供 した こ と は間違 い な い。 「フ ンボ ル トの哲 学 的 欲 求 は,彼 の倫 理 的 に 定 め ら れ た 中 心 に関 す る 自己 理 解 へ の 衝動 で あ り,し た が って,彼 の哲 学 は,心 理 学 や 美 学 と境 界 を 接 す る と こ ろ で あ って も,倫 理 学 で あ る」。6し か し,フ ンボ ル トは カ ン ト哲 学 に完 全 に帰 依 した とい うわ け で は な く,そ れ を 下 敷 き に しな が ら も独 自 の思 想 を追 究 す る。. フ ンボ ル トは,カ の力 を,生. ン トが客 観 的世 界 認 識 の条 件 と して 純 粋 に超 越 論 的 に 研究 した精 神 的 形式. き生 き と した,完 全 に美 学 的 な意 味 で把 握 す る。 感 性 は形 成 的 な何 か で あ り,制. 限 を与 え る何 か で はな い。 シ ュ ライ ア ー マ ッハ ー は,こ の 典 型 的 な 対立 を後 に こ う述 べ たが, これ は フ ンボ ル トの 中心 問題 で あ り,彼 に と って 基 本 的 な あ の 生 命感 情 に対 応 す る。 豊 か な 素 材 は形 式 とい う美 的単 位 とど の よ うに して 結 ば れ るの か。 こ こに は,シ 衝 動 と形 式 衝 動 の対 立 が全 体 に響 いて い るが,フ. ラー の言 う,素 材. ンボル トに と って は,素 材 衝 動 の方 が よ り. 深 い意 味 を受 け取 って い る。 とい うの は,彼 の出 発 点 は,個 性 の持 っ積 極 的 な もの に対 す る 感 覚 で あ ったか らで あ る。7. シ ュ プ ラ ン ガ ー は,1789年. か ら1798年. ま で を フ ンボ ル トの 思 想 形 成 の 第 一 期 と し,青. 年 時代. の フ ン ボ ル トの 特 徴 と して 三 つ の 観 点 を 挙 げ る。8第 一 の 特 徴 は,「 人 間 的 な もの は す べ て 個 性 的 」 で あ り,「 個 性 が い わ ば 法 則 的 原 理 を 含 み,他. の もの は す べ て こ れ を 中 心 に し て,そ. の周 りに結. 晶 す る」 と い う 前 提 で あ る。 フ ンボ ル トの 人 間 観 は,「 個 性 の 内 に理 想 を 手 に 入 れ よ う と努 め る 」. 一119一.
(8) り. 近畿大学語学教育部紀要1巻1号(2001・11) 立 場 で あ り,こ れ は人 間 概 念 の 普 遍 的 理想 を掲 げ る合 理 主 義 の考 え方 と は対 極 に立 つ 。 つ ま り, 「高 度 に発 達 した個 性 は,人 間 存 在 の無 限 に可 能 な内 容 を,い わ ば具 体 的 な か た ち で 表 現 して い る」 の で あ る。 第 二 に,「 個 性 の理 想 的 拡 張 へ の道 も,普 遍 へ の 拡 張 の一 種 で あ る」 と考 え て い る点 で あ る。 例 え ば,優 れ た 芸 術 作 品 がs「 外 的 関 連 の 中 に あ る普遍 性 を具 体 化 す る こ とに よ って,そ. れ を見. る者 の 内 面 に も人 間 的 感 情 とい う一 っ の世 界 を喚 起 す る」 と き,個 性 は単 な る個 別 的 な もの を越 え て あ る種 の 客 観 性 を 獲 得 す る。 こ こで は,「 豊 か な 生 に感 受 性 を開 い て没 入 す る」 と同 時 に, 「す べ て の個 々 の もの,外 的 な もの の中 心 を 自己 の 中 に見 出 す」 とい う自 らの 形 成 活 動 も要 求 さ れ るの で あ る。 シ ュ プ ラ ン ガー に よ れ ば,「 フ ンボル トはi感 受 性 と自発 性,素. 材 と形 式i感. 性. と理 性 の よ うな カ ン ト的 な 対 概 念 に よ って,こ の よ うな倫 理 的 感 情 を 構成 しよ う と した」 の で あ るが,こ れ こそ が,「 基 本 的 に は,古 典 主 義 者 か ら初 期 ロマ ン主 義 者 まで 続 く,倫 理 的 生 活 に お け る同 じ変 化,っ. ま り,道 徳 的 芸術 作 品 と い う意 味 で の内 面 性 の 文化 」 で あ る。. シ ュ プ ラ ン ガ ーが 指 摘 す る第 三 の特 徴 は,個 性 と普 遍 性 と い う対 立 を調 和 へ と導 く 「全 体 性 」 (Totalitat)の. 規準 で あ る。 カ ン トの批 判 哲 学 で はi人 間 の 精 神 の 力 と して理 論 的 形 成 と道 徳 的. 形 成 の 他 に美 的 形 成 の 力 が 認 め られ た が,フ. ンボ ル トにお いて は,プ ラ トン=ア リス トテ レスが,. 事 物 に内 在 し,そ れ らを形 成 す る もの と して想 定 した 「精 神 的 形 式 」(geistigeForm)と. いう. 概 念 が 新 た に再 生 され る。 こ こで最 高 の 目標 と み な され るの は,合 理 的 ・論 理 的 に定 め られ た法 則 で は な く,「 素 材 に対 す る空 想 力 の 投 入 によ って達 成 され た内 的 調 和 」 で あ る。 人 間 は,「 そ の 本質 の あ らゆ る方 面 に 自己 を 発展 させ る時 に,全 体 性 に到達 す る」 もの で あ り,そ の た あ に 「自 己 を 内面 か ら形 成 しな けれ ば な らな い」 の で あ り,フ ンボル トは,こ の原 理 を個 性 の 「形式 衝動 」 (Formtrieb)と. 呼 ぶ の で あ る。. フ ンボ ル トにお け る 「教 養 理 論 」 形 成 の第::の. 特 徴 は,芸 術 作 品 の本 質 に関 す る美 学 的 考 察. と内 的 人 間 の 美 学 が 並 行 して い る点 で あ る。 しか し,シ ュ プ ラ ン ガ ー に よ れ ば,1797年. か らの. パ リ滞 在 の 頃 か ら フ ンボ ル トに大 きな転 機 が 訪 れ る。 っ ま り,フ ィ ヒテ の哲 学 か らの影 響 を受 け た フ ンボ ル トに は,無 限 な もの か ら出発 す る と い う こ とが,か っ て カ ン ト哲 学 の研 究 に勤 しん だ 時 代 ほ ど は もは や不 合 理 な もの とは思 われ な くな り,さ らに,こ (Organismus)の. 概 念 に遭 遇 す る こと に よ って,フ. 退 き,「 人 類 」(Menschheit)と. の 考 え と ゲ ー テ の 「有 機 体 」. ンボル トの 「教 養 理 念 」 に お い て も,個. が. い う中心 概 念 が前 面 に 出て 来 る よ う にな っ た と考 え られ る か ら. で あ る。. 一120一. 鯨乱就.
(9) フンボル トの言語論 現 象 の 中 に理 念 を 見 っ け 出 す こと が,こ. う して フ ンボ ル トの 精 神 にお け る支 配的 衝動 とな る。. そ れ に よ って 彼 は歴 史 を くま な く巡 り,シ ラー,ゲ ー テ と い う個 性 に熱 中 し,つ い に不 断 の 経 験 的研 究 者 と して 諸言 語 の多 様 な世 界 を考 察 す る。 何 に手 をっ け る時 も,彼 は,そ れ が 人 類 の表 現 で あ る とい う観 点 の下 に,そ れ に手 をっ け る ので あ る。 彼 はっ ね に肉 体 的 な もの か ら内 的 な形 成 す る精 神 の 力 へ と戻 る。 しか し,彼 は青 年 時 代 に は特 に人 間 の 肉 体 の 立 体 的 形 成 に精 神 的組 織 の 秘密 を求 め た が,今 や彼 に と って もう一 っ の 肉 体 的 な もの で あ る言 語 が, 精 神 の最 も純 粋 な象 徴 とな る。 精 神 が対 象 化 す る の は言 語 で あ り,ま ず普 遍 的 な 人 問 の 精 神 が,そ れ か ら,フ ンボ ル トに と って も っと重 要 な もので あ る民 族 の 個 々 の精 神 が,そ. して も. ち ろ ん,個 々 の個 人 の精 神 が,言 語 に お い て対 象 化 す るの で あ る。 す べ て の知 的 ・情 緒 的生 活 の繊 細 な構 造 は,言 語 に痕 跡 を残 す。 したが って,言 語 は隠 され た全 体 の秘 密 に近 づ く手 が か りで あ る。9. 今 や フ ンボ ル トに と って,生. きる もの はす べ て 有 限 の もの や個 々 の もの にお い て無 限 の理 念 を. 表 現 して い る もの と み な さ れ,有 機 体,芸 術 作 品,個 人 の性 格 は,一 っの理 念 が現実 に現 れ た様 々 な 形 態 と して 捉 え られ る。 これ に よ って フ ンボ ル トは,個 (Bildungswert)を. 持 っ と い う観 点 を得 る。 例 え ば,ギ. 倫 理 的,美 的 教 養 一 般 の源 泉 で あ っ たが,ギ. 々 の 科 学 そ れ ぞ れ が 「教 養 価 値 」. リシア人 は フ ンボ ル トに と って歴 史 的,. リシ ア語 によ る形 式 的教 養 も,基 本 的 な論 理 学 な ど. の 単 な る予 備 的 演 習 に と ど ま るば か りで はな く,「 言 語 は精 神 の 器 官 で あ り,完 全 な 象 徴 で あ る」 の で,「 ギ リシア語 を 自分 の もの に した者 は,そ れ に よ って 同 時 にギ リシ ア精 神 あ る い は ギ リ シ ア性 の理 念 に触 れ る」 こ とが で き る とい う見方iっ. ま りi言 語 を 「教 養 手 段 」(Bildungsmitte1). と して捉 え る立 場 に到 達 す る。. した が って,人 聞 に と って世 界 は,自 らを高 め,人 類 と い う概 念 に独 創 性 に よ って 偉 大 で 品 位 あ る内容 を与 え るた め に,内 的 な力 と自 由 を行 使 す る素 材 と な る。 最 も重 要 な こ と は,外 部 に 向 か って の技 術 的 な働 きか け で も,表 面 的 な もの を荒 削 りな ま まで 人 間 に返 す こ とで も な く,内 面 的 に 習熟 し,徹 底 的 に充 実 させ る ことで あ り,精 神 的 な 豊 か さを 統 一 へ と結 合 す る こ と,す な わ ち,個 性 の 内部 に一 っ の世 界 を産 み 出 す こ とで あ る。1°. 同 じ よ う に カ ン ト の 思 想 か ら強 い 影 響 を 受 け な が ら も,フ (Selbsttatigkeit)を. 強 調 し,学. ぶ こ と を 精 神 的 創 造 の 一.と. 一121一. ィ ヒ テ は,精 み な し,各. 神 の. 「自 己 活 動 」. 個 人が そ れぞ れの知 の.
(10) 近畿大学語学教育部紀要1巻1号(2001。11) 世 界 を 自 ら新 た に産 み出 さな けれ ば な らな い と考 え た が,フ. ンボ ル トは,個 人 が 「内 的 な 力 と 自. 由 を行 使 す る」 こ と を重 視 しな が ら も,同 時 に 内面 の豊 か さ と多 様 性,す な わ ち感 情 生 活 や 感 受 性 を 覚 醒 す る こ と に も 目を 向 け,「 個 性 の内 部 に一 っ の 世 界 を産 み 出 す」 こ と,す な わ ち,個. 性. の 調 和 の とれ た発 達 を 目指 す こ とを 「教 養 理 論 」 の 目標 と して 据 え た 。 シ ュ プ ラ ンガー の 論 文 で は,フ. ンボ ル トの 「教 養 理 論 」 が大 体 この よ うに理 解 され て い るの で あ るが,一 般 的 に見 て も,. シ ュ プ ラ ンガ ー に代 表 され る十 九 世紀 後 半 か ら二 十 世 紀 初 頭 にか けて の フ ンボル ト理 解 の 枠 内 で は,フ. ンボ ル トに お け る個 性 の 自由 な創 造 が重 視 され る あ ま りに,「 教 養 理 論 」 の 内 容 に も個 人. の 「自 己形 成 」 と い う個 人 主 義 的 側面 が強 調 さ れ る傾 向 が 認 め られ る。 この よ うな 「教 養 」 概 念 は,お そ ら く戦 前 の わが 国 の いわ ゆ る 「教 養 主 義 」 に も大 い に影 響 を 及 ぼ して い ると思 われ るが, こ こで は,シ ュ プ ラ ンガ ーの 論 文 か ら も窺 わ れ る よ うに,フ. ンボル トの 人 物 像 や 彼 の 人 生 そ の も. の を 「教 養 」 の 内 容 に重 ね よ う とす る,あ る種 の時 代 の趨 勢 も見 え 隠 れ す るの で あ る。 で は,い っ た い フ ンボ ル ト自身 は 「教 養 理 論 」 に よ って 何 を 目指 して い た の で あ ろ うか。 そ れ を知 る手 懸 か りと して,シ. ラ ー を 介 して 知 り合 い,終. GottfriedK6rner;1756-1831)に. 生 の 友 人 で あ っ た ケ ル ナ ー(Christian. 宛 て た 書 簡(1793年11月19日. 付 け)の 一 部 を 引 用 しよ う。. 新 しい創 造 は,集 め られ た材 料 の混 沌 の 中か ら生 まれ る に違 いな く,私 た ち の 時代 の 良 き精 神 が,芸 術 の 手 か ら形 態 を受 け取 る こ とを望 ん で い るの は,お そ ら くあ な た の お っ しゃ る通 りで す。 集 あ られ た 様 々 な もの を整 理 して利 用 す る こと は,私 た ちの 時 代 の大 きな 要 求 で あ り,そ れ は,人 問 が 行 う こ とを学 ん だ様 々 な種 類 の活 動 そ れ ぞ れ に本 来 の 価値 を定 めiそ. も. そ も人 間 を取 り巻 く様 々 な 対 象 と人 間 との関 係 を完 全 に精 確 に決 定 す る こ とで す。 とい うの も,哲 学 的 認 識 にお け る これ ほ ど大 きな解 明,史 的 知 識 の これ ほ ど大 きな拡 大,ま 幾 っ か の 分 野 で の趣 味 の洗 練,こ. た芸術の. れ らが相 変 わ らず 生 か され ず,実 を結 ば な い ま ま で あ り,. 考 え方 とな る もの は僅 か で,行 動 の仕 方 と な る もの に至 って は ほ とん ど な い こ と,こ れ らの 財 宝 が あ る に もか か わ らず,今 世紀 が,人 も,人 々 が 知 って い る こ とや,生. 々が 自分 自身 何 で あ るか とい う こと に よ って よ り. じさせ る もの に よ って 際 立 っ で あ ろ う こ とは,誰 の 目に も. 明 か な現 象 だ か らで す。 この現 象 は,人 聞 の 教 養 が,部 分 的 に は十 分 に顧 慮 さ れ な か った こ と,部 分 的 に は誤 って導 か れ た こと に よ って の み 説 明 で き るよ うに思 わ れ ま す。11. フ ンボ ル トが この書 簡 で描 い て い る 「教 養 」 概 念,っ. ま りi「 人 間 が 行 う こ と を 学 ん だ 様 々 な. 種 類 の活 動 そ れ ぞ れ に本 来 の価 値 を定 めiそ もそ も人 間 を取 り巻 く様 々 な対 象 と人 間 と の関 係 を. 一122一.
(11) フ ンボル トの言語論 完 全 に精 確 に決 定 す る」 と い う考 え 方 の 下 地 に な って い るの は,お (MosesMendelssohn;1729-1786)の. そ ら く メ ンデ ル ス ゾ ー ン. 思 想 で あ る。12メンデ ル ス ゾー ンは,人. 修 正 す る要 因 と して,「 文 化 」(Kultur)i「. 啓 蒙」(Aufklarung),「. 間 の社 会生 活 を. 教 養 」(Bildung)の. 三っの. 概 念 を 定 あ,「 文 化 」 お よ び 「啓 蒙 」 を人 間 本 来 の使 命 に合 致 させ る もの と して 「教 養 」 を挙 げ る。 「文 化 」 と は,技 芸 や慣 習,そ. れ に人 間 の様 々 な能 力 や 考 え 方 の 総 体 を指 し,「 啓 蒙 」 と は,. い わ ば 「理 論 的 文 化 」,す な わ ち,人 間 生 活 の物 事 にっ いて 理 性 的 に考 え る こ とを 可 能 に す る客 観 的 知 識 お よ び主 観 的 能 力 を 指 す 。 要 す るに,あ. る社 会 の知 識 と認 識 能 力 が,果. た して 人 間 本 来. の 使 命 を 有 効 に働 か せ る こ とが で きて い るか ど うか を 問 うと き,「 教 養」 の 問 題 が 浮 上 して 来 る の で あ る。 専 門 的 ・職 人 的 な仕 事 で は,労 働 の 生 産 ・使 用 ・評 価 が 誰 にで も明 か な 連 関 の 中 に置 か れ て い る た あ に,そ れ に よ って 個 々 人 の 実 践 的能 力 と道 徳 的 能 力 と の関 係 は仲 裁 され てい るが, 科 学 の 発 達 に伴 って この 種 の 展 望 は失 わ れ,人 間 は個 々 の活 動 を最 終 目的 に合 わ せ て 選 ぶ こ とが で きな くな って しま った。 フ ンボル トが 「教 養理 論」 の 必 要 性 を 説 い た 背 景 に も,こ. の よ うな. 「近 代 社 会 」 に特 有 の 問題 意 識 が あ った と思 われ る。. 人 問 の 認 識 の 様 々 な分 野 を うま く拡 張 す るた め に必 要 な独 特 の 能 力,っ. ま り,そ れ ら一 っ一. っ を 処 理 す る純 粋 精 神 と,全 体 と して の 人類 の発 展 を完 成 す る ため に,そ れ らす べ て を互 い に結 合 す る こと,も. し誰 か が これ らの能 力 を描 こ うとす れ ば,そ れ は大 が か りで卓 越 した仕. 事 が 産 み 出 され な けれ ば な らな い だ ろ う。13. これ は 『人 間 の 教 養 の 理 論 』 の 冒 頭 の部 分 で あ る。 他 の多 くの 論 文 と同 様,こ の 論文 も断片 に 終 わ って い るが,フ. ンボル トの 「教 養理 論」 の骨 子 を知 る上 で 最 も重 要 な 資料 の一 っ で あ る。 上. の 引 用 が 示 す よ う に,こ こで は 「純 粋 精 神」(achterGeist)と. い う言 葉 が 用 い られ て い る が,. 言 い 換 え れ ば,激 動 の 時 代 にあ って 「絶 対 的規 準 」(absoluterMaassstab)と. は何 か 。 私 た ち. 人 間 の 様 々 な 自己 活 動 の 基 礎 に あ る 「根 源 的活 動 」 と は何 か 。 フ ンボル トが 「教 養 理 論 」 で取 り 組 ん だ の は,す べ て の 文 化 的 産物 を評 価 し,批 判 す る価 値 規 準 を 打 ち立 て る こ とが で き るか ど う か とい うあ る種 の普 遍 的 問 題 で あ った。. 私 た ち の生 存 の究 極 の 課題. す な わ ち,私 た ちが 生 きて い る時代 ば か りで な く,そ れ を越 え. て もな おr私 た ち が残 す生 きた活 動 の痕 跡 を通 して,私 た ち個 人 の 中 の人 類 の概 念 に で きる 限 り大 きな 内容 を手 に入 れ る こと,こ の課 題 は,私 た ちの 自我 と世界 を結 合 して最 も普 遍 的. 一123一.
(12) 唱 遥醍 鳥. 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀要1巻1号(2001。11) で 活 発 で 自 由 な 相 互 作 用 を 目指 す こ と に よ っ て の み 解 決 で き る 。19. こ こで述 べ られ て い る 「人 間 と世 界 の形 成 的相 互 作 用 」 と い う概 念 は,し ば しば フ ィ ヒテの 思 想 との 共通 点 が 指 摘 され て い る。 フ ィ ヒテ は 『全 知 識 学 の基 礎 』(1794)で,「. 自我 は根 源 的 に絶. 対 的 に 自己 自身 の 存 在 を 定 立 す る」 とい う 「絶 対 的 自我 」 の 理 念 を 唱 え,対 象 を 認 識 しよ う とす る人 間 の 有 限 的 な 「自我 」(lch)は,そ. の 働 き を阻 害 す る 「非 我」(Nicht-lch)の. 抵抗 を克服 し. な けれ ば な らな い と説 く。 す な わ ち,フ. ィ ヒテ は人 間 の あ らゆ る活 動 を 「自我」 と 「非 我 」 が 互. い に制 限 し合 う対 立 の 構 図 と して捉 え た の で あ っ た。 したが って,「 自我 と 世 界 を 結 合 して 最 も 普 遍 的 で 活 発 で 自由 な 相 互 作 用 を 目指 す」 と い うフ ンボ ル トの 考 え 方 と フ ィ ヒテ の 見解 との 間 に は,た. しか に類 似 す る点 を 認 め る こ とが で き る。 しか し,フ ィ ヒテ の 図式 と フ ンボ ル トの 見 方 に. は 重 要 な 点 で 違 い が あ る。 っ ま りiフ ィ ヒテが 「世 界 」 を 「非 我 」 と して 「自我 」 に対 置 し, 「世 界 内 容 」(Weltinhalte)を しよ うす るの に対 して,フ. 「絶 対 的 自我 」 を 目指 す 「自我」 の実 践 的働 きの 結 果 と して 理 解 ンボル トで は,「 人 間 」(Mensch)と. 「世 界 」(Welt)と. い う関係 が. 重 視 され る。 フ ィ ヒテの 図式 で は,人 間 の 自意 識 が 唯 一 の 規 準 と して 強調 され て い るが,フ. ンボ. ル トの 「教 養 理 論 」 で は,「 人 間 と世 界 の 根 源 的相 互 作 用 」 と い う観 点 に規 準 が 移 され る 。 す な わ ち,フ. ンボル トは,人 聞 の認 識 の 限界 を認 め なが ら,そ の 限 界 の克 服 を 目指 す人 間 の営 み そ の. もの に,人 間 の 精 神 の 本 質 を 見 た の で あ った。. ...や. は り人 間 の性 質 は,自 分 自身 か ら外 部 の様 々な 対 象 へ移 るよ うに絶 え ず人 間 を駆 り立. て る。 こ こで大 事 な の は,こ の よ うな疎 隔 にお いて 人 間 が 自分 を見 失 わず に,自 分 の外 部 で 取 り組 ん で い るあ らゆ る もの か ら,照 ら し出 す 明 か り と心 地 よ い温 も りを人 間 の 内面 へ と逆 に放 射 す る こ とで あ る。 しか し,こ の 計 画 の た め に は,大 量 の対 象 を さ らに 自分 に近 づ け, この素 材 に人 間 の精 神 の形 態 を押 印 し,双 方 を 互 い に も っ と似 た もの に しな けれ ばな らな い。 人 間 に は完 全 な統 一 と一 貫 した相 互 作 用 が あ り,両 方 を 自然 に も転 用 しな け れ ば な らな い。 人 間 に は複 数 の能 力 が あ り,同 じ対 象 を あ る時 は知性 の概 念 と して,あ る時 は想 像 力 の絵 と して,あ る時 は感 覚 の直 観 と して 様 々 な形 態 で 考 察 す る こ とが で きる。 様 々 な道 具 を も って す る の と 同 じよ うに,こ れ らす べ て を も って,人 間 は 自然 を把 握 しよ うと しな け れ ば な らな いが,そ. れ は あ らゆ る面 か ら自然 を 知 るた あ にで はな く,こ の よ うな見 方 の多 様 性 を通 して. 自分 に内 在 す る能 力 を高 あ る た あで あ り,自 然 はそ の能 力 に よ って色 々 な仕 方 で形 成 さ れ た 作 用 の結 果 にす ぎ な い ので あ る。'5. 一124一.
(13) フンボル トの言語論 フ ンボ ル トは,『 人 間 の精 神 にっ いて 」(1797)16に お い て,私 た ち人 間 はf「 未 知 の 何 か を名 付 け よ う とす もの で あ り,そ れ を 人 間 の精 神 と呼 ぶ」17と述 べ,人 間 の精 神 の不 確 定 性 と,「 未 知 の 何 か」(unbekanntesEtwas)に. 対 す る人 間 の活 動 に,人 問 の精 神 の 根 源 的 性 質 を 見 て い る。 し. か も,そ の活 動 は,た だ 単 に一 方 的 に人 間 の 内面 ま た は外 部 世 界 を規 準 にす る の で は な くi「 相 互 作 用 」(Wechselwirkung)そ. の もの と して 捉 え られ る。 っ ま り,私 た ち人 間 は,そ. の よ うな. 相 互 作 用 に お い て ま ず 「世界 」 を 「未 知 の何 か」 と して経 験 し,「世 界 」 に 私 た ち と は独 立 し た 「自立 性 」 を 与 え,ま. た逆 に 「世 界 」 が 放 っ 明 か りや 温 も りを私 た ち の 内面 に照 射 す る の で あ る。. した が って,上 の 引 用 で フ ンボル トが指 摘 す る 「疎 隔」(Entfremdung)と. い う概 念 は,「 人 間 」. と 「世 界 」 との 間 を取 り持 っ精 神 の働 き に他 な らず,人 聞 は この過 程 を通 して 「世 界」 を,あ. る. 時 は 「知 性 の概 念 」,あ る時 は 「想 像 力 の絵 」 とい う具 合 に多 面 的 に発 展 さ せ る こ と が で き る の で あ る。 この意 味 に お い て,晩 年 の フ ンボ ル トが 没 頭 す る こ とに な った言 語 研 究 と 「教 養 理 論 」 との 関 係 も,単 な る 「自 己形 成 」 の手 段 と して 捉 え るの で はな く,む しろ 「教 養 」 概 念 の一 方 的 内 面 化 に対 す る抵 抗 を背 景 と して,「 人 間 とは何 か」 を見 極 あ よ う と した フ ンボ ル ト独 特 の 「教 養 理 論 」 の基 本 的 立 場 か ら理 解 され な けれ ば な らな いだ ろ う。. 注 11. F.deソ. シュー ル. 『一 般 言 語 学 講 義 」 小 林 英 夫 訳. 岩 波 書 店1972年. 。. ∩∠. Humboldt,Wilhelmvon:UberdieVerschiedenheitdesmenschlichenSprachbauesandihren EinflussaufdiegeistigeEntwicklungdesMenschengeschlechts.In:WilhelmHumboldts GesammelteSchriftenVII,Berlin1907.邦 法 政 大 学 出 版 局1993年. 3. 訳. 『言 語 と 精 神. 。. Benner,Dietrich:WilhelmvonHumboldtsBildungstheorie.EineproblemgeschichtlicheStudie zumBegriindungszusdmmenhdngneuzeitlicherBildungsreform.WeinheimandMunchen 1995.. 4. 一 カ ヴ ィ語 研 究 序 説 』 亀 山 健 吉 訳. Spranger,Eduard:WilhelmvonHumboldtanddieReformdesBildungswesens.Tubingen 1965.. 5 6. Ibid.>S.44. Ibid.,S.46.. 7 8. Ibid.,5.46.. 9. Ibid.,S.46ff. Ibid.,5.51.. 10 1bd.,S.58.. 11 Humboldt:AnChristianGottfriedKorner:ZurphilosophischenGeschichtederMenschheit.. 一 ユ25一.
(14) 一.if_ic'Y3. 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要1巻1号(2001・11). In:WilhelmvonHumboldtWerkeV,hrg.vonAndreasFlitnerandKlausGiel,Stuttgart L. 1981,171ff.. 12. Vgl.ibid.,S.315ff.. 13. Humboldt:TheoriederBildungdesMenschen.In:GesamrnelteSchriftenI,S.282ff.. 14. Ibid.,5.283.. 15. Ibid.,S.284f.. 16. Humboldt:UberdenGeistderMenschheit.In:GesammelteSchriftenII,S.324ff.. 17. Ibid.,S.331.. その他の参考文献. 福 本 喜 之 助 『ソ シ ュ ー ル と フ ン ボ ル ト』 月 刊 『言 語 』 第 九 巻 第 七 号2-3頁 亀 山 健 吉 『フ ンボ ル ト』 中 央 公 論 社1978年. 泉 井 久 之 助 『言 語 研 究 と フ ン ボ ル ト』 弘 文 堂1976年 フ ィ ヒ テ ・ シ ェ リ ン グ 『世 界 の 名 著43』. 大 修 館 書 店1980年. 。 。. 岩 崎武 雄責 任編集. 丸 山 圭 三 郎 『ソ シ ュ ー ル の 思 想 』 岩 波 書 店1981年. 。. 丸 山 圭 三 郎 『ソ シs一 ル を 読 む」 岩 波 書 店1983年. 。. 一126一. 中 央 公 論 社1997年. 。. 。.
(15)
関連したドキュメント
いずれも深い考察に裏付けられた論考であり、裨益するところ大であるが、一方、広東語
ても情報活用の実践力を育てていくことが求められているのである︒
「父なき世界」あるいは「父なき社会」という概念を最初に提唱したのはウィーン出身 の精神分析学者ポール・フェダーン( Paul Federn,
Guasti, Maria Teresa, and Luigi Rizzi (1996) "Null aux and the acquisition of residual V2," In Proceedings of the 20th annual Boston University Conference on Language
関西学院大学手話言語研究センターの研究員をしております松岡と申します。よろ
②上記以外の言語からの翻訳 ⇒ 各言語 200 語当たり 3,500 円上限 (1 字当たり 17.5
手話言語研究センター講話会.
司会 森本 郁代(関西学院大学法学部教授/手話言語研究センター副長). 第二部「手話言語に楽しく触れ合ってみましょう」