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寿都湾臨海漁村の地理学的研究(特にその崩壊について) : 北海道漁村の地理学的研究(第一報)

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(1)Title. 寿都湾臨海漁村の地理学的研究(特にその崩壊について) : 北海道漁村 の地理学的研究(第一報). Author(s). 亀谷, 栄. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 7(1): 80-99. Issue Date. 1956-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3589. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 昭和31年7月. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 第7 巻 第1号. 詩都湾臨海漁村の地理学的研究(特にその崩壊 について) ー. 北海道漁村の地理学的 研究 第一報. 亀. --. 栄. 谷. 北海道学芸大学函館分校地理研究室 Sakae KAMI うYA :. A. l lages geograPhical study on the 行shing vi lapse- ly the ir col - - especial. he coast of the Suttsu Bay along t は. し. が. き. 漁村の研究は近年漸く盛になっては来たが、 農村の夫に比すれ ば甚だ少い。 叉稀にあっても漁村 ) この事は漁村の地理学的 の特質をはっきり把握できるような独特の研究法が確定してはいない。1 2 ) が如何に困難であるかを如実に物語るも 研究、 即ち 漁業を主たる生業とする漁村生活の解明. のである。 そもそも漁村は農村の求心性・固定性・封鎖性に比し遠 心性o発散性o解放性の性格を ) しか t t sraume であ る。 3 r schaf 有し、 経済的克服の困難な 長条経済空間 1anggestreckte Wi もその生産空間は一般に海上であり生産の手段及機関は農村の夫に比し著しく流動性を有する。 加. うるに生産量 及販売価格は浮動性が極めて大であり、 その影響を受けて漁民は計数観念が著しく乏 3 2 ) 対物信用 1 ) 商品の不安定性 ( ) 生産の不安定性 ( しい。 漁業という経済活動の特殊性が ( の稀薄の三点に絞り得られる故であろう。 社会科学研究の羅針 盤である統計も、 零細な小経営が全. 面的に分散して存する水産業部門では、 個別資本夫自身は自ら直接の利益の為には統計を必要とし ) 漁業生産は日々海上 ないか、 或は必要としても莫大な費用を要する為に作り得 ない状態であり、4 で行われ漁獲物は水揚されると直ちに流通過程に入り、 製造加工の原料として再び生産過程に入る 5 )漁 か或は生鮮のま で消費されてしまうから、漁獲高を正確に把握することは極 めて困難である。 村の定義についても容易に決定し得ない。 或る人は 漁業従事者という明らかに他の職業者 とは異. る産業従事者の居住する村であるか、 またはこの様な人々の居住村である と共にこれ等の人々の漁 ) と定 義 して お きな が ら 今 業に直接間接に関係して生活を維持して行く人々をも含む地 域集団 6 日通常漁村と称するものはこの様に産業的に分化確立した所ばかりではない。 否、 むしろその様で )という様に現実を肯定 している。 叉或る人は 男子も女子も共に漁 ない所の方が非常に多い。 7 ) と定 義 業に従事し女子と由 佳も男子と共に乗船出漁 し、 菜園の外殆ん ど耕地を有せぬ家族の集り 8 するが、 之も亦必ず しも正鵠を射てはいない。 結局の ところ、 各種の方面より各種の方法を以て多. くの町村について之を行うに非ざれば、 如何なるものが最も妥当であるかは容易に 断定し得ないの ) で あ る。 9. 北海道の漁村の地理学的研究については、 その中央学界よりの距離の大なる為と、 今日我国に i 残された辺境開拓地域 pioneer Fr nge である北海道が日本内地に負わされている役割や使命は、 1 1 2 3 1 〕 )其の 他 は 筆 ) l o i関 係上 二 三 の 論 文 が 公 表 され た に 止 ま る。 1 母国に対する植民地の関係に近い , 1 ) 4 者のものを始めとして何れも地方的の小雑誌に掲げられたものに過 ぎず、 学会の講演・発表にも 殆 んど表れていない。. 19 50 ) 「漁村の地理的性格」 人文地理第2巻4号 p.50 註 1) 佐々木清治 ( 2 19 「 19 5 2) 薮内芳彦 ( 1) 漁村の地理学的研究の内容と限界」 和歌山大学学芸研究・人文科学篇第2輯p .. r 80 「.

(3) . 寿都湾臨海漁村の地理学的研究特にその崩壊について 1 0)「経済地理学原論」p 19 5 佐藤 弘 ( p . ,110一11 4 8 19 53 近藤康男 ( ) 「日本農業の統計的分析」p .2 b i d i l b d 3 漁業経営体統計につい ては l 近藤康男 「 P 」p .P . .297一298 . .29 19 48) 「漁村」 社会学大系第2巻 p.159 桜田勝徳 ( i l b 桜田勝徳 「 d 1 」p . .16 4 19 0) 「瀬戸内海の漁村と農村」 地評第16巻7号 p.1 小笠原義勝 ( 19 3) 「九十九里浜の漁〆覗こおける二、 三の地理学的現象」 漁村水産地理学研究第1集 5 青野寿郎 (. 3) 4) 5) 6) 7) 8) 9). . -71 p, p ,70-. 1 0) 田中秀作 ( 19 52 )「北海道開発における米国の奇与」 内田寛一先生還暦紀念地理学論文集下巻 p,17 11) 山口弥一郎 ( 1 9 34 ) 「駒力岳; 化麓の漁村の形態」 地球第22巻1号 p.p.47一55 2) 小原敬土 ( 1 19 39 ) 「北海道における鯨漁業の衰頭と漁業集落の変貌」 地理学第7巻 p.p.1981一1989 -2170 p -2352 p. p p .2160- . .2345-. 1 3 ) 笑艶露. 1 2 ・ 9 3一1 5 5 ヒ海道の沿岸漁業」 地域調査 (鮫 地理学会編)p ) 「 ( コ p ・ .9. 間接的なものに 佐久間一弥 「釧路を中心とする鯨鰻漁業の変遷」 大塚地理学会論文集第5輯 46 5 引田幸雄 「北海道の春鮫について」 地理学第2巻 ( 5 39一1 ) 385一1 391 ) (p p p p . .1 . .1 パ ンフ レッ ト 風 の も の と して. 19 50 大島幸吉 ( ) 「北海道水産業の概況と将来」 水産科学叢書第5輯 19 3 農林省農林経済局統計調査部 ( 5 ) 「春糠漁業の実態」 19 北海道水産部 ( 51 ) 「北海道水産業の現状」. 北海道立労働科学研究所編研究調査報告の 15.17.24.38.41.46.63.78の. 14) 拙稿 ( 1950 ) 「道南地方の地理的研究」 教育開拓第1巻2号 p.p.5-6. 各号. 漁民層の分解 (或は漁村の崩壊) 一般に考えられている漁民層の分解とは、 直接生産者の階層から上層の極に生産手段を集積し、 労働者漁夫を雇傭して漁業を経営する僅少の資本家と、 下層の極に生産手段を喪失し労働力を売る )それは ミ多くの漁民大衆が生活資料を得ていた自然的 花大な漁夫階級の析出する事を意味する。1 ) で あ る と言 う 従 って 日 基盤である漁場より放り出されて窮迫しプロ レタリア化して行く行程 2 。 本漁業の生産構造は生産力の低い零細な漁家を幅広い裾に し、 個人経営 (船元・網元ニマ ニュ的漁. 業経営) を中核とする中小経営を中心として、 独占的な巨大資本をその頂点にもつ諸生産形態の総. )か 合体 と な る。 3. る分解の原因は第一に沿岸漁業における極度の集約度と低位生産性であり、 潤. 渇の危機に頻した資源と零細な経営を限りない自家労働への喰込と副業によってさ えねばならぬ ) 多くの漁民の存在である。4 沿岸漁業は沖合o遠洋漁業に比べて生産量が著 しく低いぽかりでなく、 市場関係や資 源 問 題 に 於ても不利な状態におかれ、 そこに漁業夫自身の有する諸種の矛盾が 集 中 表 現されているのであ ) Tab, I Tab. 2 Tab, 3 に示す如く 漁家6 ) は世帯員のみの労働に依るものが約90% 漁 る。 5 、 、 0%-8 船を所有せぬか或は漁船を所有していても無動力船 (約7 0%) か、 動力船でも3 噸未満の小 型漁船に依る経営 が94%、 従って収獲高も一年1 000貫未満の者が約8 3%という極度の生産低位性を Tap.I. 従事者数別漁家数 1. 663 (41 6%) 人 102 . ,. 8%) 2-3 人 113,021 (45. 374 (11 1%) 27 . , 673 ( 1 3 5%) 6人以上 , . 合 計 246,731(100.o%). 註. Tab .2. 漁船所有者数別漁家数 2%) 漁船非所有 47,596 (19 . 1 ト 675 ( ン 114 46 4%) . . 1 212 ( - - -3 ト ン 70 2 4%) 8 . . 3- 8 579 (3 4%) ‐5 ト ン . . 5一 4 240 (2 ‐10 ト ン 1%) . . 10一一20ト ン 1227 (0 5%) . 202 (0 2 0トン以上 0%) . o%) 計 246,731 (loo .. Tab . Tab . 何 れ も 第 一 次 漁 業 セ ン サ スよ り。 .1 . Tab .2 .3 - 81 一. Tab .3. 漁獲高別漁家数 100 貫 未 満 100一200 貫 200一500 貫 500-1 000 貫 , 1 000-5 000貫 , ,. 75 342 (30 5%) . , 42 280 (17 1%) . , 732 (21 7%) 53 . , 32 589 (13 4%) , . 38 061 (15 4%) . , 000貫 以 上 727 ( 1 5 4 9%) . , , ▲ 731(100 0%) 合 計 246, ..

(4) . 亀. 栄. 谷. 7 3%に過ぎず、 第 示し 漁業丈では家計を維持してゆけぬ状態 7理こある。 故に専業漁家は僅に2 . 2 0 1%、 第二種兼業漁家が 4 7%と最大値を示している。 一種兼業漁家3 . . 自営・賃労働別、 兼業種類別漁家 数. Tab .4. 1疎1獅 鷹 澱房総 1艇1 商業 声 嚇 さ剖総 数 際 業 総. 数. 賃労働兼業を行わずー 自営兼業のみのもの; 漁 業 賃 労 働. 農林業 鉱工業. 員. 876 43 ,. i 000 , 1 049 ,. 交通業. 職. 99 369 , 221 7 , 653 6 ,. 商 業 人夫・日雇 その他の. 179 608 ,. ″ 〃 勤. 務. 219 5 , 8 4 ,52. 6 769 ,. 129 887 , 099 90 , 21 278 , 6 233 ,. 2 490 , 222. 5 786 , 7 2 ,76. 1 259 , 191 1 142 , 8. 7 591 , 2 706 ,. 31118. 4. 2 028 , 45. 18 979 , 733 2 852 , 345. 4 502 , 3 387 ,. 724. 276. 56. 15. 401. 87. 5. 77. 387. 3. 35. 459. 8. 18. 134. 24. 406. 2 111 , 3 8 ,65. 131. 43. 43. 671. 151. 87. 30. 120. 202. 48. 1 313 , 692. 2 220 , 3 0 ,06. 130 3 ,. 2 577 ,. 註 農林省統計資料第5号 p.16 漁業権に於てもこの零細性が表われ、 沿岸漁業は定置漁業の一部と曳網漁業の一部を除くと小規 3 5万の経営体が漁業権をめぐって沿岸漁場にひしめきあっているので 模の世帯経営が多く、 実に2 , } 此の如き状態故 日本に於ては沿岸 到る所に漁業権が免許され特定の個人に漁業の独占が ある。 8 、 許される。 然るに遠洋・沖合漁業を主とする英国・独逸に於てはその生産 性の高き故を以て、 漁業 l o ) )第二の原因は、 今次世界戦争による生産設備の損失である 。例 権は一般的に解放されて いる。9 5年よ えを 漁船の問題を見ても戦争による徴用、 戦災沈没によるロスは水産局の推計によれば昭和1. 8%の減少を示す。 Lかもこの損失の回復の為の漁船建造 7%、 噸数48 0年には隻数19 り見て昭和2 . . 計画は第一次より開始されたが、 基礎生産財生産部門の生産停滞と漁船数の漁場面積に対するアン バランスの為に第四次建造に至り急停止した。 然るに大資本会社は第一次より第三次までにほぼ回 1 )漁業労働力 復を終り、 旧中小漁業経営者及漁家のみが戦中の打撃に挫かれたま ”弓池棄された。1. の収奪も兵員・軍需工場工員・徴用漁船附属員として強度に行われたが、 農業と異なり大部分の生産 が男子に依らざれば不能な漁業に於ては、この問題は致命的な打撃であった。漁場も遠洋漁場の喪失. は勿論、 沿岸漁場の戦争による荒廃も戦後拾年の今日尚充分な回復を見ていない。 しかも北洋・南 洋・朝鮮・関東州・麦那海・台湾等に於て操業地を失った大手筋五社系の内地沖合漁業・沿岸漁業. への進出は漁民層の分解に拍車をかけ、 マニュ漁業の下層への沈澱化をしばしば生ぜしめている。 2 )即ちシエーレと重税による経済的矛盾、 漁業その 第三の原因は、 現在に於ける種々の構造的圧力1 もの の 宿 命 的 な自 然 へ の 極 度 の 従 属-性、 季節 的 制 約、 豊 凶 性、 或 はイ ンフ レ← ショ ン、. 沖は入会. も屈せぬ強固な封建制等である。 此に 磯は根附ミ という徳川時代よりの原則の数次の漁業法改正に, ついて一二のケースを挙げる。 課税について水産庁の 見解は 現行の課税方法によって考えると漁 家に対する課税は不当であり、 且つ所得算定法式が改められざる限り零細漁民に対しては不当課税 1 3 ) のであって 零細漁民に である の み な らず、負 担力 以 上 の も の を 課 して い る 結 果 とな って い る。. 当然所得税において、 生計費 部分を全収入中より確保せねばならぬ。 漁民に対する事業税の賦課はその負担度において到底耐え 5 ’をあげれば、 4 )という。 之を簡単な数字で示すと三重県和具町における漁家10戸の調査1 得ぬ。ミ1 とって従来の所得税法に依れば家族の生計費に喰込む重税であり. 25 0円、 住民税4 88円、 船税2 00円、 即ち所得税が大半を占めこの 938円、 その内訳、 所得税9 公租9 , , 一 82 -.

(5) . 寿都湾臨海漁村の地理学的研究特 にその崩壊について Tab .5. 漁船型別休漁船数. 漁瀞ン数別1休漁船数 壕篭謡 0 --4. ト. ン. 5 ‐一19 ト. ン. 145 4 , 1 252 ,. 24 0% ,. 100ト ン 以 上. . 23 2% . . . 648 5 ,. 31 5% .. 20 --99 ト ン. 註. 246. 7% 31 .. 水産庁(19 51 ) 「漁船及乗組員の実態 調査報告」 第5表より (休漁とは月に一回も出漁せぬ意) 数字は月報の 年平均を示す. 所得税額は漁業収入の5 5%、総所得の1 0%となり、しかも 之等の漁家に対する課税には自家労働部分は問題にされ 000円と推計すれば純所得は -80 ず、 仮に一人当月5 000 , 円 と な る。 次 に 季 節 性に つ いて 考 えよ う。. この障害に対する克服が、 漁船の大型化、 馬力数の増 大、 保安設備の改善、 漁港の整備及び拡充等により容易 に な し得 る 事 は、 Tab ,5 により推論し得よう。 従って. 季節性より誘因される豊凶性も零細漁民程その打撃が大. きい事が直に首肯されよう。 静岡県網代町の漁夫に対す 6 ) 3-5 0%の稼動 る生計費分析1 こよれば、 都市労働者が3 を 率(全時間に対する労働時間の比率)を有するのに対し、 此の町の漁夫は出漁時間に準備の為の時間を加えても稼動率は13%に過ぎぬのである。 巷間動々もすれば北海道が日本の過剰人ロの処理地として無条件に肯定されようとしているが 、 この問題は精密な分 析を要するであろう。 筆者は十数年前より本道の漁村を全部にわたって臨地踏 査した結果、 この漁民層の分解崩壊が急速に進行しつ ある事を感じた 特に道南1 7 )の漁村にその 。 顕著なものを見た。 その進行は分解と言うよりも崩 壊と呼ぶ方が適切で、 脱漁民1 8 )現象が最も著し いのは道南の西岸に於ては寿都湾臨海漁 村、 東岸に於ては噴火湾 (内浦湾) の臨海漁村である 。 註 1 ) 小沼 勇 ( 19 49 ) 「漁業に於ける危機の展開」 潮流講座・経済学全集 第3部 p.3 、 この問題については、 近藤康男 ( 19 53 ) 「日本漁業の経済構造」 p p . .11一26 清水・小沼 ( 19 49 ) 「日本漁業経済発達史序説」 小沼 勇 (1 9 48 ) 「戦後漁民層の分解」 潮流、 19 48年9月号参照。 2) 近 藤 康 男 「lb i d. 」 p.474. 3) 近藤康男 ( 19 53 ) 「日本農業の統計的分析」 p .6 4) 水産庁経済課 ( 19 50 ) 「漁業制度の改 革」 p .6 5) 飯塚浩二、 大野盛雄 ( 19 5 5) 「北海道の沿岸漁業」 人文地理学会編地域調査 p.93 6) センサスに於ける漁家とは従業員5人以下の経営を行う者を言う 漁家と経営体との区別は ( 19 51 ) 。 農林統計資料 No.5 を 参 照。・ 7) 近 藤 康 男 「lb i d. 」 p.305. 8 54 ) 潮見俊隆 (19 ) 「漁村の構造」p .5 9 ) Coulson and Forbes(1924): Law of Waters 362 , p. 10 ) A. Boorn(1928): Das preussische Fishereigesetz vom ll. Mail916,s,50 11 ) 小沼 勇 ( 19 49 ) 「漁業に於ける危機の展開」 潮流講座経済学 全集第3部 p.p.lo-12 12 19 ) 近藤康男 ( 53) 「日本漁業の経済構造」 p 3 p . .92一9 、 水産庁漁政部経済課 ( 1 3) 19 49 ) 「漁家経済調査に関する資料」p .33 14) 同 上 T5) 同 上. 「 d l bi 」p p,127一128 . .122 p. 「 i l b d 3 3 」 P , .. 16 19 52 ) 寵山 京 ( ) 「漁夫生計費分析」 水産庁 p.18 17) この語の意味する範囲については必ずしも定説はないが 筆者は西海岸に於ては積丹半島西南岸以南 、 東海岸に於ては噴火湾以南を指した。 18). i b d 近 藤 康 男 「l 」p . .140. 三 寿都湾臨海漁村の地誌概況 MAP I に見られる如く、 本地域は建設省地理調査所五万分之一地形図の. 寿都. 潮路. 島. 古丹ミ 三図幅に跨り、 寿都町・樽岸村・歌棄村・磯谷村の一 町三村に及び 1 、 )その臨海海岸線は寿 都 町12km. 樽 岸 村5km.・ 歌 棄 村1okm・ 磯 谷 村13km・ 合計40km にわ た って い る 。 北 は 寿都 湾 に. 臨み東は南尻別村 (現在の蘭越町) 、 南は熱邦村・黒松内 (現在の三和村) に、 西は東島牧村に隣 - 83 -.

(6) . 亀. 谷. 栄. 接する。 全地域の大部分は新第三紀層におおわれ、 処々に安山岩の小噴出を見る。 渡島山地と西部北海道 火山地域との間に挟まれる寿都 ・長万部地溝帯 (黒松内低地帯) は、 この地域の中央を走り寿都湾. に終っている。 朱大川はこの低地を流れ河口の附近に各辺約 4km の正三角の新らしいデルタを営 み、 その底部 に急カー ヴの〆アンダーを作り、 その間に三日月湖を残 している。 羊蹄山麓の裾合谷. を迂回して来る尻別川は、 北東部の磯谷村大字北尻別で日本海に注ぐ。 沖積層は此の二河の流域に 発達し、 中流附近で耕地化が著しく進んでいる。 )寿都に於ては 200m の高度に三段、 歌棄に於て 150m の高度 湾岸到る処海岸段丘が発達し、2. に三段、(同村美谷に於て 210m の高度に三段) 、磯谷に於て 150m の高度に三段の夫々著しいもの 3 い発達を示し を見る。 河岸段丘は 朱大川右岸に著し 、loomの高度に五段乃至六段を教え得る。)磯 浜が甚しく狭い磯谷村大字横澗に於ては、 この段丘の 二段 目が集落の発生地 となり、 一種の塊村. f を 形 成 し、 耕 地 も こ の 間 に Haufendor. が見られる。 大 字 美谷以外の歌棄村に. て.. (20m 一30m) 耕 地 は. 在せず、 樽岸村に於ては磯浜の幅が広く 集落の延長が二段目まで進んでいない。 耕地化が最近行われている。 此の湾岸の. 三段目の段丘にまで発達している。 裂を見るが、 一条の街村. 或は列村. Strassendorf. f を 形 成 し、 ihendor Re. 典型. )をなしている 4 的な漁村集落タイプ 。湾. L 謬 る,rP ‐. “一 雄. ′ ・ . --. 一. 一 圃 墓園 灘. 驚. . 口以北の砂浜地帯も河 口附近の往時の渡 な く な り、 半 農半 漁 の 生活 を 営 ん で い. 腫. 霧 . . . 圃. . . ▼, E... さ ・ 雲ミ・ . .. ・. ,. 鰭. .・ ;- . . ,. .・ ・ 恐・. ◆葎 - ,. 一 84 -. .. ..

(7) . 寿都湾臨海漁村の地理学的研究特にその崩壊について. 大′. さす ル ー 4. 5- -8.

(8) . 亀. 谷. 栄. 落の発達がおくれ、 磯浜海岸にのみ集落が成立しているのである。 道路は二級国道岩内-江差線が蘭越町より尻別河岸に沿って河口まで達 し、 之より直角に西南の 方向に海岸に平行して磯谷村・歌棄村を貫き、 朱大川を切って西進 し更に海岸に沿って西北進し樽. 岸村、 寿都村を結 んで東島牧村に至っている。 軽便私鉄寿都鉄道は函館 本線黒松内駅より分岐し、 朱大川の氾濫原上を走り、 河口附近から西北に進んで寿都 駅に至る 33km を運転 している。 その 他の交通機関としては、 中央 バス株式会社のバスが、 蘭越-磯谷-歌棄-樽岸-寿都-島牧間を一 日二往復し、 寿都鉄道株式会社のバスは寿都-長万部間を一日六往復している。 この湾岸漁村の所 有する交通機関を表示して見よう。 諸. Tab .6. 調. 車. オー ト. 三輪車 磯 歌. 谷. 寿. 棄 都. 樽. 岸. 合. 村. I. 2. 町 村. 2. 計. 1 t i 3. 18. 2 1 1 ▲ 42. 6. ー . 十 ▲ 19 17. I 1 1 1 56. 6. 1 1 1 17. ー . l 3 i. その他. 252. 36. 139. 8. 28. 514. 13. 162. 149. 70. 75. 1 054 127 ,. 303. 11. I. 村. キト 1 自転車 馬車. 38. 0月調) (昭和29年1. ~博士の方法6輝こ依る。 即ち同博 1 筆者が ミ寿都湾臨海漁村ミ なる用語を使用 した根拠は、 青野寿良 士は各臨海町村に於ける水産業者の全有職人口に対する百分率を出し、 次に同町村の水産額の全生. 産額に対する百分率を求め、 最後にこの二者の平均値を 水産業指数ミ と呼ばれている。 此の方法 は異質のものの平均値を見出す事に如何なる意味があるかと言う点で、 多少の問題は残るが然し乍 ら或る町村の漁村化の程度を示す一方法である事は異論はあるまい。 元来水産業者には漁携、 養 殖、 製造の三部門があるが、 寿都湾臨海漁村に於ては養殖 を営む者は一名も存し ない。 兼業は第一 種兼業者は3名を以て水産業者1名に換算した。 此の方法に依って此の地域の 水産業指数 を計 算 して 見 る と、 磯谷村. 歌棄村. 樽岸村. 寿都町. 水産業者数. 32%. 36%. 19%. 35%. 水産業所得 全産業所得. 74%. 78%. 60%. 70%. 水 産業指 数. 53%. 57%. 40%. 53%. 全有職 人ロ. . (註. 0月 9年版のものを用い、 昭和26年1 人口は北海道庁総務部統計課、 北海道市町村勢要覧、 昭和2 7年8月の臨地調査による。 所得は寿都町設置申 請 1日現在である。 第一種兼業は筆者の昭和2 書中の昭和28年度分より計算). 青野博士はこの計算に於て、 0一1 6%、 第四階級同15一11%、 0一2 1%、 第三階級同2 1%、 第二階級同5 第一階級、 水産業指数5 0-6%、 と分類されて居られるが、 此に依れば磯谷村・歌棄村・寿都町は何れも同博士 第五階級1. の第一階級に入り、 樽岸村のみが第二階級に止り、 かなり高度の漁村度を示しているのである。 )と見 ・純漁村7 次に漁村のタイ プを考うれば、 磯浜式漁村・沿岸漁業村・岸深漁村・漁携式漁村’ ) を用うれば、 小商品生産的漁村であり、 資本制生産の られよう。 叉小沼氏の経済制度に依る分類8. ある漁村とも言得るであろう。 但し寿都町はマニュ的漁業中心地に進化しつ>あ るが、 その進度は北東約 35km に位置する近代漁港岩内の牽制を受けて、 必ず しも高度のもので. 次第に侵入しつ. - 86 -.

(9) . 寿都湾臨海漁村の地理学的研究特にその崩壊について はな いo. ) に属 す る。 尚 若 干 の フ 気候型式は福井氏の所謂 北海道型に非ざる南部地方の日本海斜面型 9. ァ クタ ーを 表 示 しよ う。 Tab .7. 寿都測候所観測値表. kド 月“ 月月 〜5 月 ” 3日 4. ,月1 2月1 ,;; 』 ” 降水 降水日 最深積雪 暴風日差. 平均風、 最多風向 註. 6 月 7 月 8月19月1l o月 ”月 12月 全年. 鯛. 6 1L . 58. 73. 1 . 8 . 26. 19. . 1 . 敵. の , . ・り′と、日 一2 1 7 5ー . .. 15 I 21 . . 61 151. 12 ▲ 1Q▲. 1 47. (19Z 14 1. o. 靭 1知 17 18 11 1 1 1 1 15 . 15 砧 砧 5 7 5 5 , . . W S 繊 SS SS . 婚 一娘 ”. 2 4. 29. 1 8. 31. 鋸 ▲▲ IJ ▲ 15 ▲ ー硲. .十 5. 5 . 鑓. 砧. W S b W 〔 B \( 〕 ー 【 1 1. 備. 考. 1950年. 同上 同上 1血 同上 ≧0 . 1 891‐19 50年平均. 同上 同上. 北海道管区気象台 ( 19 52 ) 「北海道の気候」3~20より引用. 註 1) この臨界漁村は、 昭和30年1月15日、 町村合併法に依り、 樽岸村の中の川地区、 磯谷村字北尻別以外 を除き、 全部寿都町に合併した。 中のiH地区は畑作地帯 (馬鈴薯を主作) 北尻別は水田地帯で何れも漁 村の借財政策 を嫌って、 前者は三和村に後者は蘭越町に合併した。 昭和31年6月には旧磯谷村字能津登 も寿都町より離村せんとして部落民大会を開き、 現在も此の運動を続行中である。 漁村の崩壊の一つの 表現である。 2)3 ) 河岸段丘か海岸段丘かの決定については 19 押出 敬 ( 54 ) 「陸奥湾海底産珪藻類について」 東京教育大学地質学鉱物学教室研究報告第3号に依 るところが多い。 記 して感謝の意を表する次第である。 4) 青野寿郷 ( 1 53 9 ) , 「漁村の種々相」 漁村水産地理学研究第1集 p.23 5) 小笠原義勝 ( 194 3 ) 「漁業者の分布の由来」 地評第19巻5号 p.39 6) 青野寿郎 ( 1 9 53 ) 「九十九里浜の漁村に於ける二三の地理学的現象」l i b d p ,p . .70一72 7) 青 野 寿 郎 l i b d p p.21「30 .p p . .14一18 . p . . p . .2081210 b i 8) 小 沼 勇 l d p.7-8 .p .. 1929 9 ) 福井英一郎 ( ) 「北海道の気候学的研究」 地評第5巻9号 p.12 尚この気候区については、 札幌管区気象台 ( 19 52 ) 「北海道の気候」1~19 参照。. 四 書都湾臨海漁村の崩壊 この漁村を訪れる人々は直観的に極度の衰亡を感ずるであろう。 今之を景観的に数量内容的に分 析して説述して見たい。 1 ) 家屋 殆んど大部分が古いコケラ柾の屋根である。昭和2 ( 6年の筆者の調査に依れる 、 ト タ ン 035戸のうち2 0%の2 1 0戸、 樽岸村で全戸 数376戸に対し5%の1 ぷきは寿都町に於ても全戸数1 8戸、 80戸のうち3%の9戸。 磯谷村で全戸数5 76戸のうち 4 %の23戸に過 ぎぬ。 歌棄村 歌 棄村で全戸数2 0戸もあるかどうか、 と の 事 であ の一老人の談に依れば、 大雨の日に雨もりのせぬ家は村中で2 った。 特に春先は屋根の氷がとげ、 ス ガも り (スガとは氷の方言、 氷がとげて逆流するのであ. )が甚しく、 夜間は方々の畳を揚げる為眠られる場処も無い家が多 いとの事であった。 北陸地方 る。 ) (写真1) 瓦ぶきの住宅は殆ん ど見受け や長野にしばしば見られる石屋根も方々に残っている。1 ず、 磯谷村1戸、 歌棄村樽岸村は全然無く、 寿都町に於ても僅か7戸を教え得たに過 ぎぬと言う状. 態である。 壁も粘土を用いず サク リ と称する板を二重に打附けるのが一般の様 式 で、 雨 戸 は 全然装置していない。 昭和25年より同29年に至る5個年間の新築家屋は、 磯谷村 1 、 歌棄村 1 、樽 一 87 一.

(10) . 亀. 谷. 栄. 8日撮影 昭和31年1月1 - 二 .. -- .・ -- 1-‐・ 1- ・ 1一 ・. ・‐ ・‐. ‐ -・ 1 ‐- f l,. . (写真1) 磯谷村字鮫版澗の一 漁家、 屋根は切妻、 長柾に石 を置く。 前方は冬囲い、 北西 モンスーンを防ぐ。 窓は積雪 のため高く小さい。. (写真2) 歌棄村字種前の豪家、 (写真3) 歌棄村字潮路の曹洞 岡田氏の邸宅の跡、 正面は総 宗龍昌寺本堂、 総瓦単層入母 コ 煉瓦の倉庫、 手前の邸跡は現 屋の豪華なもので、 内部は昔. (写真4) 歌棄村字潮路、 通称. (写真5) 冬期間は吹雪のため 殆んど使用不能の漁船、 右手 のものは冬囲いを してある。. 裏町にある浄土真宗西光寺. 在馬鈴薯畑と化している。. の鯨場時代を偲ばせる数々を 備えている。. (写真6) 最も完備された切澗 (船入澗とも云う) 北西風を さけ、東側に船の出口を作る。. 岸村 2、 寿都町28 (寿都町の数の多いのは火災による復興である。)のみで、 この衰亡の度合を察し 得よう。 間版は多く簡単な四日、 或は片側式で漁家は一般に広い土間をもっている。 屋根の形式も学校、 寺院、 官公署、 旧家等の特殊な建築物以外は、 全部無雑作な切妻であり績雪の多い関係上(Tab .7 ) (写真1) 参照) 妻入りが大部分で、 多くは妻を路面に向けている。 秋期10月には 冬がこい 2 3 ) の を一般に飯附けている。 之は冬期の猛烈な西北モンスーン もたらす吹雪 を装備 し、 あまや (Tab .7 参照) から、 此の粗末な家屋の中の生活を幾分でも快適なものにしようとする、 自然へ. の 貧 しい 闘 い で ある。. 山形大学長井政太郎博士は、 山形県の積雪量を細分して、. t B 5m A. 寡 雪 地 帯 lm > . 中 間 地 帯 lm -1 , D 2 5 C. 多 雪 地 帯 1 2 雪 最 多 地 m 帯 m< . .m. ミ ) とされている4 。 北海道にも此の分類は適用されるが、此の湾岸地域は長井氏の 中間地帯ミ に相当 し、 積雪もかなり多く しかも強烈な西北 風は、 所謂 吹きたまり と称する雪のパイルを形成する の で、 この 様 な 冬がこい や あまやミ の必要が生じたのである。 冬がこいの材料は、 ミいたど 一 88 一.

(11) . 寿都湾臨海漁村の地理学的研究特にその崩壊について. り の茎、 よし、 かやの類、 笹、 船板が普通で家屋の西、 北の方向に建てるのである 。 2 ) 集落の変化 明治3 ( 0年頃(F ig3参照)が 鯨場 の全盛時代であり、当時は毎年3月ともな , れば ヤ ソ衆 5) 或 は 神 様ミ 陳殺 し と称された鯨漁夫が東北各地 (青森が最多 秋田 岩手 、 、 が次位、 宮城が幾分少い、 )及び道内農村地帯から建網の親方衆の家に集り、 5月中旬 切揚 をす るのであった。 建網一統について船頭1名、 下船頭2-3名 漁夫2 0-30 名、 岡まわり (雑夫) 、 1-2名、 飯たき (炊事婦)2-3名 を必要としてこの 総計30名前後の労務者は 番屋 と称する 、 家屋か或は親方の住宅に収容された。 従ってこの家屋 は頗る広大なもので当時の屋敷跡を計測する と、 間口10一15間、 奥行8-12間が普通の様であった。 然るに現在に於ては此の種の家屋は殆んど 取りこわされて、 15坪-2 0坪位の小住宅が大部分を占めているのである 写真2に示したのは歌棄 。 村大字種前の建網親方であった岡田金作氏の屋敷跡で 往時は間口2 0間の豪壮なるもの 6 間 、 、 奥行1 であったが、 現在は写真 ( 2 ) に見える如く向って左側の赤煉瓦の旧屋敷の一部 (煉瓦造りで取り こわしが困難の為 に残存した, )が存するのみである。 歌棄村切っての旧家であり昔の ミ運上 家 の 後である佐藤氏の旧邸宅も、 F i g .1 に図示する如き大規模なものであった。 此の種の屋敷跡は筆者 の計算に依れば、 歌棄村に於て長さ7 5km の路面上に5 4 . 、 磯谷村に於て長さ 6km の 路 面 上 に48を 算し得たのである。 現在此等の屋敷跡は殆んど大部分が菜園化 している 。 明治二十四年運上家図. 煮 物荷. 札 ・. 庭. ←. 歯磨 -象歯. 差 (回 佐藤家文書より筆写). 磯谷村大字島古丹も大正15 年頃 までは両側集落の街村であったが 、 現 在 は 片 側 集 落の列村 裏町 或は 茶屋町 と村民が呼んだ. Re ihendorf となっている 歌棄村潮路には大正1 0年まで 。 歓楽 街 amusements t t が 存 在 し、 ree. ゴケ. 或は. 雁の字. と言う名称の賎業婦が若者の心をと きめかしていた。 現在は此の裏 町も全部 ・住宅と化 し、 磯谷村 歌棄村 樽岸村の三ォ 寸を通ずる路 、 、 面28km間に飲食店は一軒も存在せず パ ンを売る商店も此の間に僅か4 軒のみと言う状態である 、 。 勿論専門の菓子屋も一軒も無く 銭湯も全然 Tab 、 存在しない。 豆腐屋もない。 寿都町はこの湾. 明常年 昭留年 1 j. 寿都町 樽岸村 歌棄村 . 谷“ 磯谷村 合. 註. 計. 一 備. 考. 2 085 , 513 823. 岸漁村の中心地であるので 幾 分 都市的な 、 要素が残留 し格子状集落 Gitterwegedorf を 崩 していないが、 他は 磯 谷村字横間の塊村. Hauf endorf (小漁 港 を 有す る 為) を残 して い る 以 外、 何 れ も 列 村 Re ihend orf と な り ‐. 1 237 , 4 658 ,. 了つた。 小川の天然水を用水にするため 小 、 川と海との接着点マ こある部落が多く残存 した. 各町村役場の元簿より引用計算した。. - 89 -.

(12) . 栄. 谷. 亀 の で あ る。. 今、 全盛期と最近との戸数の対比を表示すれば、 (TAB.8参照) 1%の減少を 見、 最も甚しいの 即ち全地域に於て5 Tab .9 は歌棄村で実に65%の減少を示しているの である。 磯谷村 寸1磯谷村 村 歌葉不 寿都町 際岸村1歌葉 T ると 1. -- 2. - I. 25. - l. r 3. 26. 7. - 2 . -3 -2 -3. 昭和24. 37. 27. 7. - 2. 28. 21. 11. - 8. . . 80. 16. 一18. 4 -1. 4年 註 寿都町設置申請書より引用、 昭和2 が主 日が主 の寿都町の37戸の増は火災後の復旧 である。. 都 岸 棄 谷. 註. 町 村 村 村. 、. (. AB.9 参 照). 此の表によって考えられるのは、 最近に於ても崩 壊が緩徐ではあるが進行している と言う事である。 ) も現在 随って往時鮫場時代盛に用いられた屋記号6. の村民は知らぬ者が多い。 北海道一流の大都市にも あまり見られぬ豪華な寺院 が歌棄村学潮路の通称裏 町に三字、 昔の栄華の夢を 物 語っているのみであ る。 (写 真 3 .4). 3 ) (. Tab .10. 寿 樽 歌 磯. 最 近 5 個 年 の 家屋 の 増 減 数を 調 査 して 見. 文化度 此の地域の漁村崩壊の様相の一として. こ の 問題 を 版 り上 げ て 見 よ う。 一 言 に して 尽く せを 極め 56%. 52%. 24%. 41%. 39%. 13%. 28%. 31%. 8%. 30%. 32%. 9%. ラジオ、 新聞の普及率及び高校進学率を三つのメルクマ ← ル と して 表 示 しよ う。. ) として有名な赤石山地に於 之は高距農業集落の上限7. ) の に対 てTAB,11に 見 る パ ー セ ンテ ー ジ を 示 して いる8. 昭和30年8月調. 比 しても、 この低位文化度を知得る。 同じ漁村である紀 1%、 叉須江が同じく49 伊大島の新聞普及率を見るに71 .. Tab .11. J 1% と 比 較 して も 低 位 であ る。 9 %、 樫 野 が 同 じく 48 .. 北 . 但し犯罪率は極めて低く、 道誓本部防犯課の発表によ 3万件、 道民 955年の北海道に於ける犯罪発生は7 れば1 .. 65人に対 し1件の発生を見るが、 寿都警察署管内のこの. 55年82人に1件の割である。 この犯罪率の低さは道徳心の高さ 一町三村に於ける犯罪の発生率は19 0 )的圧力が犯罪の発生を防止し しか に帰するものではなくて、 封建的な家族制度である マキ 1 、. も他郷人が此の地域に入り込まぬ事から生ずる文化の固定性を意味するものである。 4) 人口現 象 特に顕著なものはこの減少である。 (. ) 戸数に於て 著しい減少を示しているが、 人口数も亦之に平行して減少して 前述の如く (Tab .8. い る。 Tab .12. 寿 樽 歌 磯 註. 都町 岸村 棄村 谷村. 12 318人 , 107 4 , 038 5 ,. 314 6 ,. 778人 5 , 693 1 , 1 784 , 479 3 ,. 12 478人(明治44) , 1 4 5 (明治44) ,2 0 3 5 , 9 (明治44) 7 137 (大正1) ,. 47% 41. 1 9 8 人 日 影 ; 晶覇 響 響 鱈人口. 35 55. 各町村元簿よ り算出. 即ち Tab.12 に表示される如く、 最も著大な減少は歌棄の65%減、 第2位は樽岸の59%減、 第 - 90 -.

(13) . 寿都湾臨海漁村の地理学的研究特にその崩壊について Tab .13. . . .f歌棄闇 磯谷村 1寿都町1ヰ離村 男 女 計. 註. 3 011 , 3 0 ,63 6 074 ,. 805. 899. 848. 932. 1 653 ,. 1 831 ,. 1 681 , 1 716 , 3 397 ,. 寿都町申請書ょり引用(昭和29年度人口). 3位は寿都の53%減、 第4位は磯谷の45%減である。. 磯谷村横澗小学校の児童数の在籍数を同校の在籍簿に 3年の2 52名、 之が 依り計算して見ると、 最大は明治4 昭 和28年 に は139名 とな り、 55% に 減 じて い る。 此 の. 人口減少は川口、 渡辺二氏の北海道人口の増減の理論 1 )合致する。 但し数量的な分析には若干の差異が存 に1. 在する。 2 次に人口の性別構 成は如何。 上表に示す如く何れも女子が多く1 )即ち 明瞭な停滞型の人口であ. る。. 筆者は昭和30年8月 に、 此の地域中最も崩 壊現象の顕著な歌棄村に於て同村の悉皆調査を行った のであるが、 其の結果 Tab.12 は昭 和28年 の 現 住 人 口 で あ り、 同 村 の 戸 籍 台 帳 と照 合 した と ころ、 現住人口は本籍人口の約1 3 )で 3 で あ り、 しか も そ の 残 り の 2 3 の本籍人口の大部分が全家族離村1 / /. あるのを知って、 一驚せざるを得なかった。 即ち昭和2 8年の同村の戸数は、 本籍が906戸であるの に対して現住戸数は3 0 8戸に過ぎぬのである。 即ち現住戸数対本籍戸数の比率は0 34となり、 東京 . )此 の 地 域の停滞性が一目瞭然となるであろう。 都の如き青壮年期の発展的な都市と比すれば、1 4 叉、 この歌棄村の崩壊を最もよく表現するものは、 出稼の高潮期である8月の現住人口の年齢構成 である。 即 ち 昭 和30年 8月 に 於 け る 調 査 に 依 れ ば 0-14 才 のも の は全 人 口 の 58 4 %、 60才 以 上 の . 、 1 5 ) 8 1 も のが16 5 5 4 % で 9 2 8% 一 るに 才 の所 謂 生産年齢人口 過 ぎぬ の で ある。 は 僅に , を 算 す . 、 ” ” 6 )の 様 相を 示 して い る。 しか る に 日 本の1950年 即ち Burgd6rfer の所謂 VO 1k ohne Jugend 1. 7 )のに対 して、 野尻重雄氏の の人口構成を見るにこの生産年齢人ロが5 8%を占めている1 8 )の典型的な形式を此の村に於て発見し得るのである。 ん形人口構成1. ひょ う た. 前述の全家族離村の場合の 脱漁民化 は必ずしも単純な公式的な所謂 分解 と言う形式をと. 9 )部分もあるが、 多 ってはいない。 勿論此の漁業クリーゼの移行は下層社会への沈澱となっている1 2 ミ 0 S i くは orokin の所謂 垂直的移動 VerticaI Migrat on ノ 即ち 人 口の 社 会 的地 位の 上 昇 下 降に 伴 なう転業の形式をとり、 しかも筆者の調査し得た範囲に於ては、 上昇の部分が多かった。 即ち昭. 0世帯をトレースし得たのであるが、 その社会的地位を 和30年8月、 筆者は歌棄村の全家族離村42 1 2 ) 野尻氏の分類 に依って区分して見ると、 次の様な結果になった。 72 社会的上位 (官公吏、 教員、 会社員、 医師、 独立の小経営主) を獲得せるもの 1 8 6 社会的中位 (熟練工、 職人、 運転手、 下級鉄道員、 事務店員、 看護婦) を獲得せるもの 1. 社会的下位 (不熟練工、 鉱夫、 店員、 小便、 給仕、 女中、 作男、 日傭、 芸娼妓、 女中) を獲得せ る も の 80 註. 家族中の主要収入を得る者の職業に依り計算. 5名を 特に著しい現象は当村出身の教員の多い事で、 大学3名、 高校4名、 小中学校48名、 計5. 算し得た。 6世帯に一名の教員を出して居る事になり、 筆 此の数で昭和29年の同村世帯数を割れば、 実に5 . 者は此を 教員率ミ と呼んでいるが、 此の パーセンテージの多いのは、 北海道西南漁村の共通の傾. 向である。 然し乍ら歌棄村は全道一の高率であり、 恐らく本州の各府県に於てもか る異常の高率 を示す村はあるまい。 1名、 郵便局員18名を算し、 上記の教員率と共に鯨不漁に依る 歌棄村出身の鉄道員48名、 役場員1. 中小漁民の上昇移動的脱漁民化を語っている。 前記の職業は何れも多額の学資を要する事なく して 求め得るので、 か る 結 果 を 生 じたも の で あ る。 - 91 -.

(14) . 亀. 谷. 栄. 下層社会の沈澱化として表われた現象は、 終戦前樺太に於て ミじやこう鹿. と称せられた流浪の. 3 2 ) の 如 き 者 が 十 数 名程 此 の 村 2 」 或 は Gypsy labour inas 渡 り 鳥、 2 労働者、 即 ち 南 米 の Golondr. から出て居った由である。 尚歌棄村以外の此の湾岸出身の教員は、寿都町48名、樽岸村16名、 磯谷村 2 0名に昇って居る事を附記する。 8 1943 ) 「景観地理学講話」 p 註 1 ) 辻村太郎 ( p . .137一13 2) 工藤吉太郎 ( 19 51 ) 「冬囲の地理的研究」 東北地理第1巻2号 p.p.11一12 l b i d 工藤吉太郎 「 」p p . . .11一12. 3). 樽. 1934 4) 長井政太郎 ( ) 「積雪に関する分布図類について」 地評第lo巻6号 P.18 19 31 5) 近藤康男 ( 53) 「貧しさからの解放」p p . .130一1 尚、明治44年の歌棄村元簿に依れば、同年の同村入稼者は道外より1592名、 道内より782名、 計2374名 に及ん でいる事を附記する。 6) 山ロ弥 ÷郎 ( 1937 ) 「屋号に依る集落の一考察」 地評第13巻6号 p.1 青野寿郎 ( 19 40 ) 「伊豆の漁村に於ける地名付屋号」 地理、 第3巻2号 p.p.96一98 193 桜田勝徳 ( 6) 「屋号の事」 民間伝承 昭和1 1年9月号 p.p.18一30 1931 ) 「農漁村共産体の研究lp.40 等に論 じているものとは多少異なる。 漁具、 家具、 田村 浩 ( 製品等に附ける一種のマークであり、 紋章よりも一般に種類も多く、 実際的に使用される率も多い o 同系統のものは本家、 分家の順位を示す。 「例えば 司 →司 → 司一 朝 の如き。) 次に示す縦軸、 横軸を組合わせて使用する。. 捌 脚 鰯. 凝. ヤ カ ダ. 上 「 二・三、七、十、0・ト、ョ、力、夕、ノ、コ、ェ、サ、キ メ、吉、福・貴、●、図、丁、上 訂 柵 蚕 × o ネ 「 マ へ. イ 大. メ ※ コ チ ガ イ X ル ○ マ カ ク □. □ 叉 ヌ リョウ ゴ ヌ 入 マ. タ 叉. イ. レ 入 チ ー イ キ ュ ウ 久. キ シ. タ 北 メ メ. 19 34 )「本邦最高地域の居住状態と居住上限界の分 布とについて非也評第lo巻8号 p.27-52 井上修次 ( 19 55) 「高距農業集落の上限下降」 地評第28巻8号 p.402 山ロ源吾 ( 19 55) 「紀伊大島の調査」 人文地理学会編・地域調査 p. 87 西 滋勝 ( 19 49 ) 「日本農村社会学要論」 p 鈴木栄太郎 ( p . .116一117 1943) 「日本農村 社会学原哩J p 同 上( .34fp.364 p.562 p.595 尚、 民族学研究第3巻3号の喜多野清一 「マキの研究」 に詳論がある。 1937 u) 川口丈夫、 渡辺 操 ( ) 「自大正十四年至昭和十年北海道市町村別人口増加率図について」 地 理学第5巻5号 p.24 19 36 ) 「北海道日本海斜面に於ける二三の人口問題主として人口現象について」 人口問題 川口丈夫 ( 資料第14輯 19 3 川口丈夫 ( 5) 「北海道の都市別人口分布」 人口問題第1巻4号 p‐16 12) 西田与四郎 ( 19 3 1 ) 「紀伊半島の東岸及南岸」 地理教材研究第1 5輯 p.p.199一212 1933)「水産地理学上より観たる外房沿岸漁村」大塚地理学会論文集第2輯 上 p.p.187一226 青野寿郎 ( 19 「水産統計より観たる紀伊半島東部沿岸漁村」 漁村水 産地理学研究第2輯 p.p.39一40 同 53) 上( 13) 川本忠平 ( 1952 ) . 「陸前気仙沼地方に於ける大工職出稼」 東北地理第4巻 3 .4号 p.3 14) 上田貞次郎 ( 19 29 ) 「日本人ロ政策」p 83 .2 19 石田龍次郎 ( 54 ) 「地理学円卓会談」 p 8 p . .204一20. 7) 8) 9) 10). 15) F. Burgd6r f eご (1935) : Volk ohne Jugend s ‐s . .184一185. 19 美濃口時次郎 ( 49 ) 「人口理論の研究」p p . .329一343 16) Burgd61fer: l b i d ‐ の題名 - 92 -.

(15) . 寿都湾臨海漁村の地理学的研究特にその崩壊について 17 ) 南亮三郎 ( 19 5 5 ) 「明暗の日本人口」p .26 18) 野尻重雄 ( 1 42 9 ) 「農民離村の研究」 p p . .421一447 野尻氏に依れば、 人口三角形は農村 的色彩が強ければ強い程 叉生産条件が悪ければ悪い程 中くを ま 、 み (ひょうたん型) が大になると言う。 19 ) M.Hainisch ( 19 24 ): Die LandauCht e Wesenundihre Be l く執筆Phungi i n Rahr ,ihr 〕 【 1 ene ner Agra form s r re ‐ 一40 s . .36. 20 ) P. Sorokin (1927) : SociaI Mobi i l t y. p .133 2 1) 野尻重雄 「 l b i 2 d 3 9一3 3 0 」p p .. 22) M.Je”erson (1918) : Peopl i i ng the Argent ne Pan i ・ pa. Amer i can geogr et 1 。 Soc r ch y Resea Ser i es 16 .. 2 3) W. Gropp ( 19 37 ): Gypsylabour ions 145 . Nat . 伊藤郷平 ( 19 4 5 ) 「日本農業に於け 工小郡ih とその類型 震 釆 」 ミ る労働 その類型」 人文地理第6巻5号 p フ リ需給地域と .7 の所論は 此の湾岸漁村には必ずしもあてはまらぬ様に思われる 。. 五 崩 壊 の 原 因 1 ) 漁民の性格 漁業生産の手労働的形態は、 漁民のバースナリテイ ーの形成に関して次 ( の二 つの影 響を与える。 即ち夫は知性の欠除と親方への盲従性である 1 ) 。 従って保守性が強く旧慣を墨守せんとする傾向が強いのである 2 。 1伝統と因習にとらわれて改善 や進歩を示さぬのである。 特に北海道沿岸は所 謂世界の三大漁場に位置し 従って建網 刺網 、 、 、 地引 網の如き簡単な漁具を使用 して海辺で豊富な漁獲をほしいま にして来た関係上 漁民 は極めて消 、 極的で隙の来遊が皆無となった今日に於ても運命的に魚群の回遊を手をつかねて待つのみであ る。 明治35年に能率の高い触角網が此の湾岸に移入されたのであるが 多くの建網の親方は枠船が 横 、 から突風を受けて危険であると言う何の根拠も無い理由を口実にし 非能率な原始的な行 成網の 使 、 用を止めなかった。 明治中期 函館本線敷設の際鉄道院当局は雪害の少さ 、 と工事の容易さとの理由 から歌棄村、 磯谷村の海岸沿いに レール を延長せんと したが 村民は汽車の音 響で鯨が来遊 しなく 、 なると言う荒 唐無稽な理由で、 強硬に敷地の買収に反対 したと伝えられている 。 亦排他性が強く協同的な 精神が乏 しい 此 は 漁業の生産の社会的構造に根ざ 。 すものと考 えられ る。 例えば磯廻りと称する共同漁 業に於ては 生産海面は採貝にせよ或は採藻にせ よ、 海面は組合 、 員全部の入会地である。 従って A が多く漁獲する事はB の漁獲の減少になるのであ る。 定置網を 隣家よりも2m 沖合に出せば、 それ丈魚群の網に乗る率が多くなるであろう 筆者はこ の湾岸の漁 。 業協同組合の総会を三個所に於て見学するの機を得たのであるが 進歩的な建設的な意見は 殆んど 、 耳にするを得ず、 徒に暗騒を極めるのみであった 数年前美谷村出身の某女が帰村 この夫は村 。 に 、 子女魚の製造工 場を建設せんと した。 彼は妻の郷里に対 して種々の財政的な援助をしたが 他国人 、 であると言う丈の理由で結局村民の排撃を受け他村移住の止むなきに至ったのであ る。 亦注目すべきは、 漁業生産の季節性 不規則性の影 響で 年間を通じて漁繁期と漁 、 閑期との間で 、 は就労に大きな波が存在し、 天候・潮流の自然に左右され易い 漁業生産のこの 特質はその予測を 。 全く許さぬ豊凶性と相侯って、 漁民の心に力動性・楽天性・淡白.投 機性.行きあたりばったり. )を附与するのである 計数観念乏しく計画性無く 放縦性等の性格3 。 、 将来に対する設計を作ろうと しない。 依然と して隙場全盛の夢を追い水産試験場の指導に耳を傾けぬ 歌棄村 の神官であった故 。 須田氏が滝川の種畜場からめん羊を払下げ 此の飼養を村民に奨励したが 、 、 現在は村内に一頭も見 当たらぬのである。 葡萄畑も 殆んど荒廃に帰している 桧山の久遠方面でかなりの成功 を収めてい 。 る海苔碓も、 此の湾岸では数百坪位の造設を見るのみである 。 鯨漁業は一種の投機で3月下旬-4月 中旬に漁獲が終り 一夜にして巨万の富に喜ぶ 者もあり、 、 ) に 泣く 者 あ り 一起 し千両 の語が彼 或は カ マ ド返 し4 等の近代化の 阿 片 と なっているのであ - 93 -.

(16) . 亀. 栄. 谷. る。 此 の 点、 道奥の ミ補助金百姓 と共通のものを有す る。 但し西南日本の各地に見られるミ 能地 ) に 類 す る Complex inferiority は全然存在しない。 者ミ 吉和者 5 (2) 気 候 の 生活 へ の 圧 迫. Tab.7 の観測値に示す如く 一月の平 均 気 温 -2 . 八 月 で も、 .守C. ・燃料費・食費・ 保温費を通 じて生計 2 アC 3 , と言う低温が、 労働日数を減少せしめその上衣料費 . 費を膨脹せしめ漁家の貧困化に拍車をかけているのである。. 4 であ 6 ) は 寿都 に 於 て 一月 の 昼 間 -8 . . 夜 間 -16 . F. Linke の 体 感温 度 (β=t- ソv+12J)6. 1 0月-4月)マ ) 此のきびしい寒さを防ぐ為通常の漁家では必ずストー ヴを使用する。 冬期間 ( り、7 --5 噸 を 使 用、 此 --9寸)、 石炭 に して 3 5-3尺、 径7 ‐一10棚 (一 棚 は100本、 一 本 は 長 さ2 . キな ら ば 6. 4万一4万円を必要とする。 . の代価はマキで3-5万円、 石炭にして 2. 1886一1950年の 最 大 1885一1950年 の 初 霜 日 頻 度 は 最 大10月23日 -11月 1 日 が20回、 終 霜 日 頻 度 は 為漁澱も農 び ) 積 雪 は Ta b が 4 月21日 -30日 が19回、 8 .7にある如く11月より翌年4月に及 、 その. が可能であるが、 耕も大きな制限を受けるのである。 渡島地方では一般に馬鈴薯と大根 との二毛作 1一1950 年 の 平均が江差の 194 此の湾岸 では此の事すら不可能である。 暴風日数も非常に多く、. 3 が 暴 風 日 数 と な る。 しか も ’即ち 一 年の約 2 / 2日 で全道 第 二 位、 9 3 日 に 次 い で、 寿 都 は 205 206 . , ーンで猛吹雪を伴う。 此の期 Tab ,7 に見られる如く、 冬期に特に暴風が多く北西の猛 烈なモンス. 20 きは12月 間は ミスも全 然停止となり寿都鉄道もしばしば運転が不能になる程 である。 昭和 年の如 1日間の運転休止をしたと言われる。 故に出漁日数も大いに減少、 北 20日より翌年2月18日まで、 7 l o ) 風を 西モンスーンの影響の少い噴火湾岸では年間通じて一ヶ月平均2日の休漁に過ぎぬが、 此の ミ 乗り 一般に一人 真向に受ける此の湾岸 では、 冬期の出漁日数は 磯舟 と称する小 型の無動力船 ( ‐一12月 は、 10日前 後、 1-2月 は20日 前 後、 3月 で15日程 度、 5月 で10日 位 で あ る。 寿都 で作 業) で11 1一 4月の間 たまかぜ が、 --4月 に あいたまかぜミ、 磯谷は1 は11-4月 に ミあ い 、 歌 棄 は12. 危険な猛吹雪を伴い、 此の間は街上の歩行す らも困難になる。 Tab .14. 風向名 称図. Fig. あ. た. . N あ. あ い し. だ こ き. にL F. や ませ E. 辱 ん にL たか. 寿 樽. 都 岸. 歌. 棄. 磯 合. 谷 計. 漁. 数. 船. 有動が昔 総 数最も常南晶藷芽瀦 , り. ひ. な. ・ょ. が 苛 み 雪 た だ ・ な 弔. だ り. 13. 312. 37. O. 33. 4. 346. 43. 290. 13. 386. O. 337. 49. 1162. 56. 972. 134. 9年版より計算 和2. 特に. 68. 393. 註 北海道庁総務部統計課. び. (昭和26年3月現在). ひかた. から. 「北海道市町村勢要覧」 昭. たまかぜ. にまわる時は極め. て危険で遭難事故が非常に多い。 従って冬期間は動力 船を ミ冬がこい の ま 使用せず陸に放置する事が多. い。 (写真5) だし ”)は5-6月 特 に 強 く、 此 の 風 が吹けば浪は却って静まるが沖合に出すので無動力船 0km の海岸線に対 して、 三種は は出漁が危険である。 しかるにこの操業を援助する漁港は、 この4 1 2 ) 30年 寿都港のみ、 一種は政泊、 樽岸、 有戸、 美谷、 鮫版澗、 横猫、 尻別の7港を教え得るも 昭和 8月現在使用可能なものは寿都港 と横縞のみである。 若し此等の漁港が完備すれば、 此の湾岸漁船 9%を占める無動力船でも出漁は遥に容易になるであろう。 の8 3 1 此の河岸は 波浪に対して保護された位置 geschatzte Lage )とも言うべき長い磯が海中に突 註. ア チ ッ クミ ュ ー ゼ ア ム 桑 報 よ り 19 . P. P .139-140よ り. - 94 -.

(17) . 寿都湾臨海漁村の地理学的研究特にその崩壊について. 5 J写 4 )も鯨場時代の原始的な 切澗 (船入間とも呼ぶ、1 出している所が多く、 この天与の好条件1 1 3 0 2 6 6 6 真6) のま に放任されているのである。 その数は寿都 、 樽岸 、 歌棄 、 磯谷 、 合計1 に達 3 に満たず、 風の暴威をほ / するが、 修築費が多額に達する為荒廃し現在磯舟の使用に適するもの 1 しいま. に さ せ て 居 る。. 4 ) 有志者、 青年の永久離村、 此の漁村崩壊の回復の推進力となり得る村の有志者層は一般 ( に富裕の人々であるが、 此の人々は公課負担の大なるを忌む、 即ち同等の財産であれば大都市の方 が租税が低率である。 叉自己の子弟教育も大都市居住の方が好都合であり、 文化生活の享受も便利. である関係上、 札幌・小樽.函館、 或は東京の如き大都市に続々と移転した。 歌棄村に於ける此の 種 の ヶ ← ス を 挙 げ れを 、 字美谷村では村田・品田・竹村・岡田・荒木・黒田・坂本の各氏、 字種前 村に於ては細野・岡田・西沢の各氏、 字有戸村に言ては増 田・佐藤・相茶・鎌田o能登の各氏、 字. 潮路村に於ては青山・山路・山地・水江の各氏が之に該当する。 函館・札幌‐小樽の各市には此等 の人々が中心になって、 寿都会・歌棄会・磯谷会なる親睦団体が結成されている程である。. 有為な青年も此の崩壊した郷土には何等の. Tab .15. 愛着を示さず、 漁業労働への絶望感とサラリ ーマンへの憧′ 1 景を胸に抱いて永久離村の機を. の 調南 蛮庵 灘1韻1 1鱗 鴎 1総数1 1醸. 寿都町 樽岸村 歌棄村 磯谷村. 185. 110. 30. 69. 20. 31. 81. 31. 23. 106. 52. 33. 10. 合. 441. 213. 117. 38. 計. 20. 14. . 10. 11. 待っている。 旧制中等学校以上の学校卒業者 6名、 樽岸村 で帰村しているものは、 寿都町1 5名、 歌棄村9名、 磯谷村7名に過ぎず、 し. . かもその殆ん どは教員である。 昭和30年8月 0才-5 0才の他村 現在の筆者の調査に依れば2. 1名。 即ちこの四町村総人口の3 5%に及ぶ他町村出稼を見る。 (TAB 出稼者総数44 5参照) . .1 歌棄村前村長福田氏の談に依ればこの中の10%前後の青年が永久離村をするであろうとの事であ つた。 5 ) 生産の低位化と漁民の貧困 ( この湾岸漁村崩壊の主原因と思われるものは、 鯨漁獲の急激な減少である。 北海道鯨漁の文献の 最古のものは 津軽一統志 (写本、 相坂則武著) の寛女9年の条の 乾練・鯨稀 とある記事で あろ う。. 文政元年江差に集るニシン船三千余綾に及び、 これを目当に海岸に餅菓子 ・ 小間物類. を商い料理茶屋等 出され、 昼夜となく三味線・太鼓にて賑うこと江戸両国等の夏の 夜 見世と異る 6 )状態を呈したのであった。 元来此の鯨は明治初期まで秋 田方面にも盛に漁獲されてい こ とな き 1 7 」故 に 正 しく 之 は ノ ル ウ ェ ー人 の 呼 ん だ如く た。 1. 8 1 ) 大漁 の 神 Der Hergot ts obe i jagerme ter r s. 様 であったのである。. そもそも此の湾岸は寛政の頃、 スッツは鈴木弥兵衛、 イソヤは下国舎人、 オタスッ (現在の歌 )後、 場所請負人の手に委ねられ二八金と称する使用料を 9 棄) は蛎崎弥次郎の知行所であったが、1. 0 )現在の歌棄村字有戸の佐藤氏の祖、 佐藤伊三右衛門は嘉永3年に建網を西蝦 運上屋が徴収した。2 1 )運上屋を経営していた。 此の佐藤家文書の 夷地に於て創設し磯谷・歌棄に於て6個の網代を設け2 慶応四年荷物受払帳 (歌棄村字有戸 佐藤氏蔵) に 四万千二百九十束. 身. 〆 粕. 二万二千四百十二〆. 数の子 百十三本. 白 子. 二百五十九本. 以上二八税及各番家手坂漁なり. 筒. 鯨. 欠 二千百八十本. とあるを見ても如何に当時の鯨の漁獲の多かりしかを察知し得るのである。 叉歌棄村人口の最大の 年である明治44年に於ける同村役場の元簿に依れば、 人口は Tab.12 に示す如く 5039人、 そ の 職 一 95 「.

(18) . 亀. 栄. 谷. 業別戸数割は商人115(昭和30年現在6、 以下括弧内は昭和30年現在戸数を示す。 ) 銀行 1 (零) 金 貸7 (零) 運送屋 9 (零) 質屋5(零) 旅館5 ( 1 ) 風呂屋2(零) 料理店 7 (零) 貸座敷2 (零) 飲 食 店8(零) 劇場1 (零) 床屋5 ( 2 1(零) 芸妓8(零) となるが、 此の対照 2 ) 仲買11 ( ) 職工4 も原因は鯨の漁獲減が第一である。 叉出漁魚網は行成網 (鯨38 、 その 、 鮭2 、 鮭6) 角網 (鮫53 6 他2 ) 大謀網 (鮭3鮪2) 合計1 30統、 鯨刺網162 0放、 曳網 (脱2) 雑網 (ナマコ八尺99 、 ホッキ 網4 、 手操1 、 計104統) を 算 し、 叉こ の 生産 は 次 表 の如 く で あっ た。 Tab .16. 牲. 物〕. 1. 目. 力・レ イ. 3 100 , 4 400 ,. , 簾 ソ. イ. やラ コ アフ. 鮭 イ. カ. 稀. 海. 参. 3 820 , 3 800 ,. 胴 笹 白. 1 220 、 1 932 , .- 800. タ. コ. 600. 計. 4 115 872 , ,. 1. 778貫 92 , 650 57 , 16. 玉余魚 雲 搾. 合 註. 鯨. 2 800 , 200. 舶. 物〕. 造. 身欠練. 4 032 000貫 , , 61 200 ,. 平. 禦. 300. 丹. 200. 粕 鯨. 129 075 、. 目 子. 69 840 , 42 6 ,75. 備. 考. 現在歌棄村の生産に相当な ウェイ トを持っ ている海藻は此の表に記 していない。 当時 は海藻なぞを問題にしない程生産が豊富で あったのである。. 191 088 ,. 折昆 布 鮫. 粕. 6 906 , 7 4 ,60. 合. 計. 288 595 ,. 歌棄村元簿に依る。 明治44年の分. 紙数の関係上、 崩壊現象の最も甚 しい歌棄村にのみ焦点を絞ったが、 他の元町村に就ても当時の 豊富な生産を示すデータは多い。 最近の歌棄村の生産は、 歌棄村漁業協会組合扱で次表の通りである。 Tab 。17. 〔生. 物〕. た. ら. 助. 宗. 657 4 . 112 6 .. り. 103 I .. か れ い 金 頭. 160 7 .. さ ん ま. 181 O . 106 4 .. し・. 305 9 .. 力、. す ず き ぐ ふ 油 子 そ の 他 △ 計 註. 26 12 . 0 400 . 33 8 .5 15 51 . 53 6 9 9 8 , .8. ! 貫. 6月 5 生乾身欠(表). お ぅ よ ぶ. 〔煉加工製造物〕. 661. ぶ り こ. 116. 肥. 231. る. め か め てん ぐさ ・半乾身欠 丹 ・千数の 子. ’ 言 140 雪 云. 数 の 子 白 △. 煮干小女子. 655 す 4 わ. 同 (ウラ) 由身 欠 ? 著堆. 〔製. 子. 1l o. 計. 1 917 ,. (註) この製造物は留 萌よ り粒鯨を買入れ て製造したものであ る。. ふ. の. り. ぎんなん草 千かすべ 助 宗 子 ‐弐 堆 肥 目 ・笹. 品〕 貫 6 637 O . , 6 2 7 5 3 , .. か た の り ・白. - 子. 1 992 8 . , 273 3 .. 棒千助 宗. 1 320 2 . , 395 4 .. 計. 139 3 . 472 4 . 470 .9. ‐ぶ り こ 口. 賀 7 117 . 109 6 .. 116 O .. 7 119 . 2 0 8 1 4 , .. (註) ・印は前の表と重 と重 複を示す。. 155 0 . 79 O . 230 7 . 131 I .. 昭和29年同村漁協組事業報告より引用. Tab Tab,17 の比較に依って同村の生産が如何に 減少しているかを知得るであろう ,16 及 び ・ 。 - 96 一.

(19) . 寿都湾臨海漁村の地理学的研究特にその崩壊について 7 には留萌方面より買入れ製造 したもの以外は全然関係を失っている。 (漁 家の 特に鯨は、 Tab ,1 自家消費及び、 漁協組を経由せず して売却した部分を加えても、 此の数字の2 0%を加うれば充分で あろう。 何となれば大市場には遠く自家出荷は不可能である) Fi g ,3. 春. 鯨 漁. 鯨の北海道に於ける漁獲 は Fig,3 に示す如く ミ漸. 獲 高. 1 八 i /l\〆1. 駒万嵐 〆. ~. .. , .. 減の傾向を辿 り. 年に於ける漁獲は実に 1 30 万石と云う巨額の数字を挙. 」 げたるも、 この年を最高と ハ 坪 し、 年々に一高一低を示し 遮 つ は 通 漸次減少し来り、 昭和. 1 、. “. .. \へ. /. y、. .. . 1. ′ 4. ^. }. l. ぶ り. .. 水 乱 調 以 降 は 水 検 調. 1 \、 i ノへ 1V 一. \. ◇ 好Z ず . /. ー ′ ○ なZ J. L÷大 正 」. ミ明 治30. 「. 」 昭乗 り」. ′ す Z ? O Zf 乙. 12年 に は12万 石、 昭 和13年. には実に 1万数千石と云う 昔の漁業者が想像し得なか 2 )低位生産を示 した つた 2 のである。 寿都湾岸に 於て は 生 産 の ピー ク は 明 治44年. で、 大正の中期既に激減と 云う急ピッチの低位化を生 じた の で ある。 此 の 原 因は. 非常に複雑で現在でも水産 科学者の間に明確な結論が. 出ていない。 小原敬士氏は 鯨群来地としての自然的条件の上に発展し乍らあまりにも 収奪的な封建的漁業生産様式のために 3 )したと言われるが、 此の如き簡 単な結論 濫獲の弊に陥り、 やがて魚群来済の急激な減少を惹起 2 では無理の様に思われる。 噴火湾の如くカレイ、 その他の底魚中心の漁獲に於ては、 濫獲のウェイ トは非常に大であるが、 鯨の如き回遊魚に此の推論を持って来る事はかな り困難で、 事実徳川時代 l l 等 の 自 然死 ・ 捕 獲 死 の 理論2 )も 条 件 の 仮 定 が 多く 実 に も しば し ば 凶 漁 は あ っ た。 Ba 4 anov . Russe. 際の説明には困難である。 昭和31年の鯨漁獲高の減少は有史以来と称され、 4月1 1日現在、 全道で 7 30石に過 ぎぬが、 之に対 して道水試では非公式に次の様にその原因を発表している 2 僅に5 ) 。5 ① 対馬暖流が漁期はじめから急激に勢力を強く し寒冷水を圧迫し水温は上 昇 ② P1ankton に ドロ珪藻が多量に現れ鯨の回遊を妨げ ③ 主群の老齢鯨は資源的に少い、 之を補う3年鯨もごく少量 しか現れていない 。 ④ 暖流が強くなった為漁場が北方に片寄り全般的に春型への移行が早く進んだ。 漁況好転のカ. ⑤. ギとなる三年生鯨の出現量が意外に少い。 鯨の完熟度が早く、 為に漁期は短期間に減少され、 従って漁場にも集約が加えられた。. 以上の漁獲の低化が此の地域の漁民の貧困を生ぜしめ、 崩壊の主原因となっているのであるが、 9年 8月-30年7月のこの湾岸の漁家につ いて、 農林省農林経済局統計調査部の方式を 筆者は昭和2 6 )次の表を得た。 用いて調査した結果、2 Tab.18、 Tab ,19 に依り次の結論を導き得る。 即ち. ① 光熱費 (燃料費) が極めて大きな比重を占めているに反して、 保健費・教育娯楽費の如き女 - 97 -.

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