氣候馴化學説展開の畢史的考察 ご〇二
氣候馴化學説展開の學史的考察
和
、 田俊
.二
序一非科學的見解より近代科學的研究の曙光へ 古代の入国が氣候馴化帯説に穿れている鮎があるか否かについては暫く措くとして、近代世界磯見の時代、それに績く イベリや民族の移佳の時代にあっては、移佳者及び征服者の貴族が氣候馴化能力に於て卓抜しているという観念や、英雄 課に現われたる英雄及び彼らに附加えられたる紳話が氣候馴化能力に於て卓抜しているという観念は繰返し行われ、然も ヘ ゲ﹁ゲンレフオζチオン 全民族の信糠性を興すことはなかった。然るに生物体の氣候馴化についてのこの種類の見解は反宗教改革の末期をもつて 絡蟷するを見るのである。これはその頃より試用せられたる動植物實験の可能性によって、自然科學的見解と上述の非科 暫 ① 學的見解との匿別が明確に認識せられるに至つ忙からである。 十界馴化學論の非科學的見解の絡熔を反宗教改革の末期にありとするに封し、進化學の近代科學的研究の叩頭を十七世 ② 紀末葉に置かんとする、正にその時期の一致せんとするのは當然のことにして、理由なき暗合ではないのである。なんと なれば、氣候馴化學説の近代戸立的展開の基底をなすものは進化學以外の何ものでもないからであって、このことは章を 遭って論述する筈である。如斯、この問題の非科學的見解は自然科學新知識の畿達、就中進化學の獲達に奪う動植物實験● ’ の可能性によって克服せられて行ったと考えられる。 インドール ・ ヂオフロァ ・ サン ・ チレ﹁ル 葱に於て、この問題の近代科學的研究をなしたものは、佛蘭西の匠αo器Oooh守。︽Qo9。冒け−顛芭﹃oを以て野矢としな ③ ければならない。彼は一八五四年に氣候馴化學愈︵ωOO一価汁α 口山け剛O口二一① 匙讐POO=﹃590け餌け凶O口︶を巴里に設立した。この設立に よって初めて、氣候馴化墨読の概念並びに慣値が算用を見ること、なった。戴に注意すべきはその植物園は通常﹁陳列す アクリマチザチオンスガルテン る﹂という課題だけしか有せざる普通一般の植物園と混同されてはならぬことである。これは添付馴化庭園であって 単粒薩有用植物が如何に氣候馴化するかを明確にその目的としているものであって、從って何はさて措いても純粋経濟的 ヤ 目的を有するものであり、然る後に書聖的なるものその他が加わって早るのである。第一に植物について、次に動物に4 いて氣候馴化の罪過が組織的に研究せられ、それらの結果から、人類について既に結論を下したのである。動植物の氣候 馴化に封ずる新知識が入興の動植物利用を促進し忙。新種が移植され、或いは輸入せられ、新しく栽培されると云う風に ④ 何らかの形で人類に用立てる爲に、傳播し得る地域へは氣候馴化されたのであろ。 ワオレス けれどもこの漫罵が遺した業績の中には、氣候馴化の組織的實験を行つ江ところが見られない。後軍芝巴冨ooの言う ワオレス
書よ幕、彼に、り謙れ茄、、進化馨立脚芸測候馴化研究が、好華客攣異﹂を舞,せ、..れを淘汰す、
事により、 ﹁種﹂の体質改鍵を待つという組織的努力には未だ懸けるところがある・ インドール・ヂオフロ咳にありては、氣候馴化の要因の究明、延いてはその過程の観察、それの組織的なる慮用と衰う 瓢に於ては、ワオレスの云う如く未だ到達し得なかつ江ものがある。それは一体如何なる理由に基くのであるか、という 疑鐵を次に明かにしようと思う。 ニチアンヌ・ヂオフロワ・サン・ヂレじル インドールの父国口。昌βoO⑦鑑守。曳ロロ島暑−頃岸鉾げ①は二七九越年の夙にb我々の﹃種﹄と構するものは同一の体型より出た種々なる . 曖体であるという疑問を懐いていた。けれども彼は一八二八年に至って、初めて埋物の始源以來、同じ形態が不易に侮わって來たのでは 氣候馴化學説展開の學史的考察 . ,二〇三氣候馴化學説展開の學史的考察 、 二〇四 、 ⑥ ないという確信を公にしたのである。ヂヨ7ロ7は攣化の源因を主として生活朕態即ち寓。員七回冨び冨暮︵周園の状況︶に求めたらしい。﹂ か∼る意想の展開は、即ち﹁進化の要因が主として生活要約の影響であることがラマルクに至って熟成され、セン・チレ;ルに引縫が ⑦ れて主張されたといってよいものである。﹂ 併し乍ら小時﹁學會では進化説者の側が極めて不振であった。その當時の佛蘭西工専會にはキユヴヰエー︵O・O薯8弓︶が君臨している . ような有様であった。而してそのキユヴヰエーは進化説の反封者であったのである。キユヴヰエーとセン・チレールが一八三〇年に科學 學士院︵アカデミー・ヂ・シアンス︶で立哨の最早をしたことは、生物學史上の有名な一挿話になっている。そしてその論雫の結果は、 勝利がb・キユヴヰエー側にあると見られた。これを一段として、ビユヅフオンに護賦し、ラマルクによって休生すけられ、セン・チレー ルによって纒承され力説された進化説は隈没しτしまう革命に置かれてしまったのである。佛蘭西に於て右の如き情勢にあった遙化読は , ⑧ 濁乙に於ても英吉利に於τも合衆國に於ても鎖編な有壕であった。かくして﹃種の起源﹄の刊行まで時が移ったのである。﹂ これによって明かなる様に、父エチアンヌの進化衡平はラマルキズムの区外であった。その子インドールもまたその生 ⑨ 涯に於ては父エチアンヌの影響の下にラマルキズムを脱却していなかった。彼の近代科學的曙光の下に於ける氣候馴化學 的研究の窩矢となさんとする、かのQDoo捧①昌9。けす口艶α.螢oo﹁幽ヨ舞鉾凶。昌の創設も、 一八五九年のダーウィンの﹁種の起 源﹂刊行に先立つ数年のことであることを併せて藪に想うならば、インドールのラマルキズムを脱却せざる貼は以て了と せらるべきであろう。ワオレスが前述する如く、インドールには氣候馴化の要因の究明、延いてはその過重の観察、その 組織的なる着用という鮎に早くるところありと非難するのも洵に無理からぬものと思考せられる。要はインドールを以て 近代科學的なる氣候馴化研究の創設者と見ることが蕪に許されるならば、我々は嚴密には彼をラマルキズムの下に於ける 氣候馴化研究であったと附言して置き北いのである。 註④同・9.。﹃、三ζぞ﹀犀こぎ轟一旦けぎ戸二、︼ぎ¢一ぎ押2.甕。7一一晃︻子2.一一二・。順一。︻箪軽5靖。き一ξ。閏・﹂¢三戸6三だ㊦ξ^二一同視電﹁三讐.¢劉.ぎ胃三=・一葺3 ㍉§る︸一〇〇ひ噛エ含oQ・ ’ 一
σ ②羅鼻﹁﹂ミ犀”菊︵ろ。︼暮剛、尾養三王一貫些。己・け二k葺くミ富穿亨=2。二凶σ・葺二翻<。言鉱9戸︸日。三。ξ6二・﹁古代希馬入の思想は殆んど 純思索的のものと云うを亡べし。進化の観念の幼芽は夙にエンペドクレいス及びその他の學者に幸せり。更に降ってアリストテレー スの著作中には進化の翻念の著しく襲達せるを見る。中世に入りて、基督教會は猶太創世紀を信じたるを以て、種の問題に關する有 釜なる思想をば全く有漢するに至れり、即ち基督教の云うが如く、紳は種を別々に創造せりと假堕せば、その申に毫も思索實瞼の余 地なきは明かなり、漸く十七世紀の末葉に至りて、始めて宗教の束縛に延して反抗を試みたる有識の士を出すに至れり。﹂︵大日本交 明協會課三五頁︶。 ③﹀号言冨Ω鎧昌韓砿8凶勘Φロ&葺巴㊦径き^崇営”ぎ鉱ヨ︵宕。暑。磐,母2塞。自一房ぼρ空三要旨。ヨ㊦H.㍗&︶ ④臼.Oきび㊦属欝鈍O.の・o。’ ⑤︾・即ぞ包宣8”﹀。。嵩琶喜即讐鑑。早︵ぎ討揖蔓9。騒9智庫淳曽μ妾誉㌦二F窪・おδ・Ψ=N.︶ ⑥O冨匡霧雰b母鼠貫“〇二独一戸。hω︸︸①9。9一。。α汐︵岩波交庫、小泉丹謬上巻、五頁︶ ⑦小泉丹、進化學序講、昭和八年、三一六買。 ③小泉丹、前掲書D三一七t三一八頁 ⑨インドール・ヂォフ・ワ・サン・チレールの傳記については﹁彼は一八三七年まで父が数授の職にあったパリの大學理學部︸。三崎 。︷oq。♂蟹江で父の代理を勤めさせられた。翌年ボ、ルドーに理學部創設者となって赴き、動物學教授としてその地に留る。一八四〇 年父の後を縫いて、﹀養含冨団亀倒.母ジの視學官となり、一八四一年.父の退官後b宅尾。ず湊霞。︷巨ロ①訟①毎昌となb、一八四四年に 大垣・の主席碗學官H易冨93−7q①β翌旦となり、一八五〇年に大某月學部の動物學教授となる。﹂︵閣昌畠90で智硬張寧︻9β一二〇評=多﹁ £壱<9.一ρづ7δN’︶ 爾現今参審氣候馴化なる概念は歓米文明諸國に普及していることは英米に﹀。&き簿貯葺一。掌︾。。一睡 醇一葺’佛に︾。。ぎ養冨口。炉臣2− 一一 ス二輪亭βf掴蜘に二二包剛9三号訟9。匡9ぜ西にbo=量器碧ぎロ”蘭に>o£嘗三島湊口孕露に﹀︼困閑島SH≦♪↓=ω﹀‘=凶℃伊に>o包卿目=暮? 目Φ馨σなる言が慣用せられていることからも明かであるe
第一章 氣候馴化學読の基底としての進化學説
、 氣候馴化學説展開の學史的考察 ご〇五氣候馴化學説展開の學史的考察 二〇六 この問題に入るに當って、第一に進化藩論を否定するキユヴヰエーの立場にあっては一連馴化學詮を如何様に解するか 進化追随と關聯深きが故に、氣候馴化至論をも亦否定し去るかに就いて究明し置くことは、洵に重要なる問題であって、 我々はこの瓢を忘却しているのではない。けれども遺憾乍らキユヴキエーの立場に於ける氣候馴化學論に就いては、余は 何の資料も持たないのである。 ’ 吾人は現今云われるところの氣候馴化の何たるかについては間もなく論及さるべき筈であるが、今假りにザツパーの言 葉に﹁自然は不適當なるものを直ちに漁遺する。それにも掬らす生為れる無期に頑強なる個々が氣候馴化せられたる人類 ⑩ 集團の出馬瓢を形成する﹂と云える申に、現今云われるところの個体乃至は民族の氣候馴化の過程と要因を見出すことが 才イグン・フイヅシヤi 出來るであろう。然もザツパーはか、る所説を述べるに當って、ベルリンの有名なる人類遺傳學者国ロ頴①ロ国ωoげ霞の意 ドメスチカチオン 想を援用しつ、、﹁彼ブイッシヤ!は人類も亦動物の馴養に和劃する一つの朕態に於、て生存しているのは確かであると考 ヴァリアチオロネン えている。彼は馴養重工は人類にあっては多敏の攣化に富める憂異の形式で現われる。そしてその場合に自然淘汰に依つ ⑪ て維持せられると信じている﹂と述べている。即ち個体乃至は民族の氣候馴化の過程及び要因は恨辛・淘汰・適者淺存と いう観念によって構成せられているのが現今の氣候馴化學説の基準と見徹しても差支えないであろう。 然らばか、る立読は何を基底としているのかと云うにそれは進化學詮の展開にあるとしなければならぬのである。 ⑫ ラマルクは﹁種﹂の漸次的攣化を蒙るものであると云う結論に到着した最初の入であった。︵一八〇一年︶。然もこの攣 ⑬ 化の要因は習慣にあり、而してその習慣は環境の影響の下に惹起されるとなした。ラマルクの進化學論に依標せる氣候馴 化學説はインドール・ヂオフ・ア・サン・チレールのそれであって、既に之を論述した。ラマルキズムにあっては脅慣に よる﹃種の攣化﹄によって馴化現琢を解しようとしたが、ダーウィンに見られる如き明確なる縫異とか淘汰とか適者淺存 の観念には想到していな→いのである。
や 然るに一入二二年、W・C・ウエールズ博士は英國富士院に於で﹁一部分黒入の皮膚に類似した皮膚をもつ一白人婦人に散する報告﹂ を襲表して、選る者は或⋮図固有の疾病に抵抗する力に富み、良く之に適量し、從つア、残存するが、或者は抵抗力の弱い矯に多く死滅する に至る。之によって人種の起因を読明しようとした。目的はそこにあったのである。 彼は黒人は白人よりも暑き氣候によく適賑すると考え、入種が或る場合には適者残存によって次第に進化する、換言すれば黒きものは ⑭ 釜々黒くなりそれが暑き國に於て最も優勢となる。というが如く、ダーウィンの理法を夙に適用したものと云うことが出來る。 コ 併し一八=二年のウエールズの所読は適慮の原理に基いて、入舞の地理的分布を読明するに止まり、多少とも目的的意 義を有せる氣候馴化學読、換言すればこの氣候馴化學詮の組織的な慮用にまでは想到していないのである。 ダーウィンがその受忍を世に問うまで、彼以外にも彼の先鞭をなして自然淘汰の原則を認め、之によって種の進化を論 くものがあったことはダーウィン自身も知っていたのである。 一 然るに夙く、一七九八年マルサスの入口論争かるに及び、之に暗示を得て、ダーヴインは・その説くところの人口の幾何級激的増加率 ド は程度の差こそあれ、殆んど総ての生物に共通なるものである。然るに如何なる種をも支えるだけの土地と食料との増加は之に俘うこと が出來ぬから、駆れた個体の大部分は成熟期に達せざる以前に或いは少くとも子を産むに至らすして死滅しなければならない。 然るにダーウィンの主張する盧に從えばこの無数の個体が外界に継々良く鋸盤する方向に少しでも饗化するものは残存し、斯かる攣化 なきものは死滅するに至ると説くに到った。 ⑯⑯ 即ち所謂ダーウィンの自然淘汰の原則であり、叉ハーバート・スペンサーの所謂適者礎存の原則である。 アタリマチぜ シヨン ダーウィンはその著﹁種の起源﹂第五章攣異の法則の中で氣候馴化に就いて述べている。 ﹁同一驕の別々の種が、熱い 國と塞い國に棲むのは極めて普通なことであるので、同一鴎の総ての種が輩一の組先勢から由來したということが眞であ ⑰ れば、氣候順化が、その系圖の長い世代の間に維過の問に容易に成果されたに相違ない。﹂と前提を設けて、﹁吾々は、少 ⑱ 数の植物について、或る程度まで其等が異った氣温に自然に馴れてくること、即ち氣候順化の實例を知っている。﹂と述 氣僕馴化學説展開の學史的考察 二〇七 一
氣候馴化學説展開の學兜的考察 二〇八 べ、フ!カー博士のヒマラヤ産の種子より育てたる松及び石楠木がイギリスに於て寒さに抵抗するのに異った体質をもっ ていることを獲上したことや、スェーツ氏のセイロン島に於ける同様の事實を観察したことや、H・C・ワトソン氏のア ゾール諸島から英國に齎らされたる植物のヨーロッパ種について類似の観察が行われたことを學げ、更にその他の例も學 ⑲ げることが出來ると述べている。叉動物に甚しては﹁我々の家畜動物は甚だしく異った弓馬に耐うるのみならす、飼養の 下で、繋金に繁殖可能であるという、吾々の家隷動物に共通で異常な性能が、いま自然の聖霊にある他の動物の大きい割 ⑳ 合のものが、容易に差異の廣い営営に耐えるように爲し得るという議論として用いられよう。﹂と述べている。 ダーウィンは動植物の氣候馴化の能力あることを既存の實例を以て詮明した後、動植物の氣候馴化能力は如何にして獲 得せられたるやの黙については﹁種の何かの特殊の氣候への順化の如何ほど多くが軍に脅性に閃るものであり、そして如 何ほど多くが本然の体質に慌て異なった誓言の自然淘汰に因るものであるか、また如何ほど多くが此等双方の方途の結合 ⑳ したものであるかは、不明の問題である﹂即ち氣候馴化能力は何習慣、口本然的体質のもつ攣種の自然淘汰と、国爾者の 結合とに存するとなすのである。その三者の三重については不明であるとしているが、彼が結論に於て到達した所では、 ﹁脅慣、若しくは使用及び擾用は、濁る場合には体質及び構造の豊肥に重要なる役割を演じた、併しその成果は、本然の ⑳ 思量の自然淘汰と結びつき、また時には其に凌駕された場合がしばしばある。﹂と述べ、ラマルキズム・の一部を肯定しつ 、、彼の本質的攣異の自然淘汰詫が氣候馴化の場合にあっても省且ラマルキズムを凌駕すると結論するのである。 註⑩漏鎧一電食分一[﹁び㊤三。Φ蚕筏2・す﹀パ冠ご二孚野箕一。屋裁三尊①闘け︷︷。工冨。塁畠Φ一どO㊦£胃●鵠⑦一ぎ︼弓こごσ儀・$、6ωPの・$p ⑪自ぎ監2訟・Q露・ ⑫食る邑霧函﹂︶智.司ぎ”o?。置▼前掲謬D四頁。 ⑬肉。げ。旨雷・ピ。魯;︾^鴇一£前掲謬、三九頁。 ﹁彼が種のか、る攣化乏惹起する原因を大部分は個体の官器が之を使用することにより増脚護達し・叉使用しないならば、それは活 「
縛 戸 , 動ずる力を減却して塗に潰失するに到るということに重きを置き、云わば習慣の結果、並びに外的肥溜の爲に生する麺包の遺傳の結 果とに蹄蒲させ、かくて生物は進化するものであるとしたのである。頗麟の例は最も人口に贈議せ憾もので、彼の考では雷門の組先 は今日の蝶麟よbも其頸短かかったが、不毛の土地に於て高樹以外には食物を得ること困難であるが故に樹の葉を喰う三曹により其 頸長くなったのである。鶴麟ほ新しさ食物を得んが爲には絶えず頸を上方に伸ばさねばならぬ。努めて頸を伸ばすならば必ず斯かる 結果となるのだと考えた。﹂ ⑭⊇影二舘陶﹂︶弩嵩ぎ”oマ。一y前掲鐸、五頁。閣。げ白け出・b。鼻鱒。7鼻3前職甘し四五頁。 ⑯函σびゆ落国●P8げ”oで●。凶﹃噸前掲課、四九一五一頁。 ⑯o冨昌$衷b舘惹妊書・。一け‘世界大思想全集二七巻、一四〇頁。 ⑰同窯自・岩波交庫謬、申巻、一八頁。 .
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前掲鐸、一九頁。 前掲鐸−一九頁。 前掲謁、二〇頁。 前掲課、二一頁。 前掲課、一ご一頁。 幽 、 仙第二出席 ダーウイ晶ズムの氣候馴化學読に與へたる膨籔署eーワオレスによる氣候馴化の要因の究明 ρ ワオレス ダーウィニズムを糧離する人々の中で、♪.幻・芝包冨。①はダーウィンの所溌を纏承しつ、、氣候馴化學読に最も興味を もつた人であると思われるのである。 , 一八五四年より八ケ年マレー群島に滞在し、動物地埋誌上に貢献する慮多かったことは周知の事實であり、その聞にダーウィンと同じ σ くマルサスの人口論に暗示を得て,自然淘汰設に想到しb一八五八年論文を示してダーウィンに邊つたが・これはダーウィンのそれと同 主旨のものであり、ダーウィンは急ぎ﹁種の起源﹂を脱稿し丁・同年のリン*繭篭に於τ、彼の論文と一緒に朗讃したことは生物良案にも 氣候馴化學競展開の學史的考察 ご〇九氣候騨化學読展開の學史的考察 一=○ 有名な事實である。その後ワオレスはダーウィンの死に到るまで進化學読につき共同研究を画けたが、彼の死後bワォレスは官長の進化 學読を護表しbそれは一八八九年の彼の薯二︶母三法誓昌となったのである。 リ ワォレスは氣候馴化學論に面する体系すけられたる論文を大英百科早早に寄せている。我々は次にこれについて一慮批 判しなければならないであろう。 彼によれば﹁新し匙歌態に遭遇せる場合、個体の体質改良によるか、その個体の爾親よりも一身良好に新しき歌態に適 禽讐 インヂイヴイヂユアル 下せられ得る子孫を作り出すか、この二つの方法によって尊墨馴化現獄が起る﹂のである。換言すれば前者は個 体 的 アグブテロシヨン バリェロション 適 癒 による氣候馴化であり、後者は攣 異による氣候馴化である。 ノ H﹁個体的適懲による挙手馴化の可能性は多くの學者によって否定せられているが、ダーウィンの観察する虚によれば カツテング バツド 多くの植物は同じ個休の生存を無限に績けんとして、挿木及び芽接によって塘殖される。こう云う環境にある爲に、個体 的馬漕は屡々植物に起る兆候があると信じている。算し乍ら習慣は如何に永かろうとも個体の体質には殆んど効果を持た ない様である。新しき藩候には最初は害を蒙った様な動物も若干の季節をそれに從って行った後は、動物はその郷土の地 と同様に健康にして且苦勢もなく生活する程度に、氣候馴化が惹起されるとしても、その要因を習慣に質すべき何の識抵 ⑳ もない。﹂と説いて二恩馴化せんが欝の個体の体質的改良の原因が習慣にありとする所謂ラマルキズムをワオレスは否定 するのである。然るにダーウィンが⋮部これを認容せんとするところに、ダーウィンがラマルキズムに心立するものでな いと屡々論れる所以が存するのである。 ω無異による氣候馴化。想像し得るあらゆる種類の攣異が、すべての動植物の子孫に起る、殊に体質的攣異は決して稀 ではないということはダーウィンの一、種の起源﹄に於てもその主張の中心を爲すところであるが、ワオレスはダーウィン の引用例によって、体質的攣異による氣候馴化の可能性を主張している。 ‘
P ρ ﹁この種の聖慮︵体質的驚異による氣候馴化を云う−il和田註︶は適丁丁圏極めて狭少なることあり、若干の英國種小萎にし て、スコットランドにて育成しないものもあるが、伊太利に於けるオレンヂは接枝によって愚弄される限り、柔溺であっ たので、︸七〇九年及び一七六三年の嚴霜により多数の樹が枯死した。上品、種子より育苗せられた結果は從前の接枝に ⑳ よる場合よりは強靱且牧量埆加されること、なつ忙。﹂ ﹁凡そ植物が大量、種子より栽培される場合、形態及び色彩に於、て攣種が生すると同時に体質にも攣種が生するのであ ウネ る。ダーウィンの庭園に穿て、べにばないんげん︵ωo鶴二〇貯鑓昌旨Φ﹁︶の二王は挿管により、完全枯死したのに、三畝は葉 ⑳ ユーク 端の褐色に貸するものさえなかった﹂のはその一例であり、叉﹁円幻・国¢oはその著い、国ヨOマ①07ぎ。冨︵8ヨ・算冒・ ωHO︶に、︼≦Φヨ。署の。隔昏Φ①ヨロ①﹃o村一畠簿冨騎を引用して云うに、九月卸量豫定の米田にあって、六月︸日既にその高さ 耳の.邊りに成長せる稻穗のあるを会見し、慣するに穀狩亦完熟せるを見忙。よって之を保存し、次年度再びその異常なる 世上ありゃ否やを零したる虚、再び六月には前年度と同様異常なる磯育を途げた。この米が爾來三十年、帝の食卓に供せ られ、よって之を要証嘱午ヨ一と稻す・初めてわが庭園に於て栽培せられたるが故である・冬季長き長城の北にて成育す ⑳ る唯﹁種であると述べている。﹂その丈点耳の邊りとは聯か支那的誇大の表現とも思われるが、ユークは他書にては成育 しない漏洲にてこの種だけは繋志している訟携を附言しているから、霞幕攣異の一例と見て差支えないであろう。 ﹁故に ⑳ 我々は藪に自然磯生的体質攣異による氣候馴化の好例を見ることが出罵るのである。﹂ ﹁この種類の適慮が段階的に漸次極端なる藩候へ績託せられることは、、次の實例を以て肥せられる。即ち英國五二のス イートピーは直接ヵルヵツタに播種せられた場合、殆んど開花を鴬さす結實もしない、佛蘭西種は開花良好なるも志下を 爲さす、然るに元來は英下種にしてダーヂリング︵タルヵツタの北画四八O粁、ヒマラヤ山麓にして海抜二、四〇〇米,亀入の避暑 地を爲す一和田註︶に移植後、塵地にて種子採牧された所謂ダーヂリング種はカルカッタに於て開花結實共に豊澤であっ 氣候馴化學読展開の學史的考察 ご一一
’ 氣候馴化學説展開の學史的考察 ρ 二一二
⑳ 7や
た。叉ω擢冒閏oo犀興の研究によるヒマラヤの顯花植物の事例はダーウィンにも引用せられたことは既に述べたところ である。、要するに同一種にして生育範園の上限に近き場所にて拾集せられたる種子は、下限に於いて拾集せられたものよ り︸暦張靱なりと云うことが出盗る。而して之によりて獲得せる形質即ちこの場合は能力を至仁地に封ずる氣候馴化に適 用することが出來るのである。 ﹁動物にては正に類似せる事實が起っている。即ち鷲鳥は最初コロンビヤの切ご。鈎。罫に導入せられたる時は、長い闇産 卵せす、雛の生淺するもの僅少であったが、漸次生殖力は改善せられ無二〇年にして欧洲に於けると攣らざる状況に蓬し た。叉ダーウィンによっては希望峰にて生れ照るメリノ羊は、馬方より直接印庚に輸入せられたるメリノ羊よりも,印度 ⑳ にては遙かに好き適慮を示している。﹂ 、 註⑳﹀●葬’チゴ恕2>︵︸島≡豊鵠葺。舅閑︼戸藷三。で器缶曽ヒσ二け章三。3二島田こぎ一・♂お一ρ℃・二ひ・ ⑳⑳⑳⑳⑱⑳⑳≧寓レチゴ蓉っ.⇒嘲︺●・・団r7一一9 ・第三章
ダーウごズムの氣候馴化學読量へたる影響⇔i鍵窒..一、芝。.・,。ン。。。、。...︺ ワオレスは氣候馴化の要因を﹃種の攣異﹄に求めたる後、更に翌夕馴化の方法に就いて究明している。彼は﹁動植物を その故郷の氣候とは著しく異り、且はその内に於ては當該﹃種﹄が雪塊馴化することなしには生存し得す↓自己を維持し ⑳ 得ない様な氣候に、動植物を馴化させる最良の機魯を持つ爲に、吾人は攻の如き計劃を採らなければならぬ﹂と述べ﹁ω 成熟し健康なる個体の出來るだけ多敏を中身的配置H昌影響9㎞鉾。ω冨獣8に蓮ばねばならぬ。而して翌年問は出遜るだ け多くそれらの個体を増加させねばならぬ。好適なる体質の攣異が直ちに示されるのである。これらは種子を採る爲に、 柔弱にして不健康なる個体を気密に除去しつ、、細心に選提さるべきである。@種︵匂Dけoo犀︶が氣候の通常の極端を経験0
’ する様に、充分なる時間放置され焦る後、最も頑得なるものは一幅遽隔の配置に移されることが出減る。而して同様の渦 潮が、種の塘殖される間、必要ならば保護を加えつ、五行されるのである。而して健康なる個休が.造られたる後は、彼ら ⑭ を氣候のすべての攣動に從わせるのである。﹂ 然して﹁大抵の場合この計劃が威費することは殆んど疑いを容れない。﹂﹁この種類の見証の違わない一回の努力の方が 個々の動植物について、何れが氣候馴化される必要なき種であるかを示すに足るに過ぎぬ敷百回の實験よりも効果は良好 ⑭ ・ である﹂と附言している。 ⑮ 彼はこの實例として、﹁ゆうかりのき﹂国9巴壱霊ωひq写ぴ犀罫のに就いて述べる嘘によれば、これはタスマニア原産のゴ ム樹であって、佛蘭西の最南にても繁茂するものと見徹されているのに、前歯のωoo獄絵屋恋す二黒。幽.国oo嵐ヨ撃退ご挿の報 告は海蘭西各地に於ける栽培の失敗が記録されている。ワオレスは﹁この醜婦及び學禽員の遣れもがこの樹を氣候馴化さ ⑳ せる爲に、組織的な努力をし江という暗示すらない﹂と非難し、自からは次の如き方法を提示しているのである。 即ち﹁第一段階は、その樹の故郷の最塞冷氣候及び最高度の地底にて成育せる健康なる樹塾り種子を採り、直島さほど に極端ではない佛蘭西の一部に播種する。大抵は樹の大部分は極めて頑強であることは確實である。この樹が種を生する や、魔風地方に比し夏蚕候の篤しき北方へ播種さるべきである。格別に塞冷なる季節を経過したる後、種子を被害最少な る樹より採取する。而して全種の各地に播種さるべきである。か、る過程によれば樹は書士西各地は申すに及ばす、中欧 ⑳ 諸國に於ても氣候馴化を完成することは殆んど疑問の立地はない。﹂ ワオレスは動植物のか、る﹁氣候馴化段階法﹂を入類にも適用して﹁凝いもなく動植物の場合の如く極端なる氣候へ急 激なる移動を與えることは人類にも屡々有害である。併しその移住が段階的に起るならば、人類は比較的僅かの世代を維 ⑳ 過するうちに世界の地表上いすれの地へも殆んど氣候馴化されることは信ずべき多くの理由がある﹂と云っている。 氣候馴化學読展開の學更的考察 二二二喘 氣候酬化學説展開の撃更的考察 ご一四 尤もこれには反封論もあって﹁6自紀国p。b毘山]≦山蝕pは印度血管が戸立人及びその子孫に與える結果を考慮して、氣候 馴化というが如き事柄は存しないと信じている。叉U﹃.団口碁が一八六⋮年に⇔d昏δず︾ωωoo冨口。μへの報告に於て﹃時 ⑳ は能因ではない。﹄そして﹃若し一世代の内に漆黒馴化の徴候がなければ、か、る仕方は存しない﹄と論じている﹂ 併しこれらの氣候馴化の否定論は﹁好適なる攣異の結果を無覗しているし、叉工法より体質に働きかけている氣候の直 ⑳⑨ 接的影響の結果をも無覗している。﹂のである。 換言すればワオレスはダーウイ‘ズムの根本意想を爲す攣異と淘汰というものの上に、氣候馴化學論を展開させている のであり、更に攣異の昂現を期待すると共に特にこれに入爲的淘汰を加えることによって、所謂氣候馴化段階法とも云う べき組織的慮用の方法にまで高めんとしたのである。 ● 註⑳1⑲﹀●切・毛触邑蓉2︵︶マ自け・”︸︾●=丼 ⑩H三3で・ごメ ⑭﹁幼兇より体質に働きかけている氣候の直接的影響の結果﹂というは第二無畏⑳に記述せる如く、氣候馴化の要因を習慣に蹄せんと するラマルキズムを意味する。三ってワォレスはこの場合のラマルク的見解を否定している。然るにと母什ぎ及び害葺けはこのラマ ルク的見解によっても解決し得る間題を否定しているのだとしている。ワオレスがラマルク的見解を省古しているのではない。併し 乍らダーウィンに於てもラマルクとは今立的見解に立っているのではなくダーウィンの雪平に多くのラマルク予見解す存することは 前述したが、その様にワォレスにもラマルク否定の鮎では若干曖昧なる節が存する。即ちワオレスは﹁氣候馴化が菰起されるとして もその要因を脅慣に号すべき何の誰櫨もない﹂︵註⑳蓼照︶と云いつ、、﹁適當な状態の下にはか、る氣候馴化︵要因を習慣に蹄する が如き氣候馴化i和田註︶が惹起することは,一般原則に於て、信じて圃場えない﹂︵﹀.客ぞ’、註智⑦”。マ。同∼℃・=ひしと述べて いることでも窺われるであろう。
第四章 ダーウィニズム以後の進化學説の展開と氣候馴化段階法の否定
襲 \ ㌣﹃種の起源﹄刊行後、四十除年、一九〇〇年代に入って、回復攣異︵ダーウィンが個体的攣目︻二三・言乙∼、野業言と樗する のは今日の言葉ではこれにあたる!和田註︶の累積の説に射して致命的と思われた、また一部の學者によっては既に致命的で あると認められている二つの劃期的な進歩があった。即ちヨハンゼン芝.同。ゴ碧ロωoごの純系︵℃置﹃O一曲口O噸﹁O一コ①ぴ一口凶①︶ の研究︵一九〇三年置とド・フリース︵川.ユ⑦<二①の︶の黒影︵さ冨ユ8︶の研究︵︼九〇一一三年︶とである。また其 と時を同じうして、メンデルの撞傅法則の再磯見があった。其を劃期として、交雑による遺傳の研究は異常な勢を以て進 ⑫ 展して、其によって進化學の論議は更正されたのである。 ヨハンゼンの純系の研究は、タワー︵≦・ピ,↓o≦o﹁︶によって一九〇六年行われた興昧ある即実結果を生むに至った。 それは﹁コロラドはむし﹂の淘汰育成の研究を爲すうちに、斑絞を大きくしょうとした淘汰試験に於て、攣異の中位値が ⑬⑭ 大きくならぬのを見貢のである。 要するに中位置は一つの純系に於ては一定しているのである。若しも彷裡攣異の本体が右の純系培養の示す如きものであればダーウィ ン設に云うが如き攣異の累積ということは想定し得ないことになる謬である。 . 重い醜豆の品種を得ようとして、特に重い豆粒を選んで蒔いて・其を何差響けて淘汰して行ったところで曇霞値は一つの定まった虞ま でしか高まる筈はないのである。之に反して群では一般に等位値の大小さまざまである多発の純系が混じているものであるから、淘汰に よって申位値の特殊な純系を選別しτ行くことが出來る。 群にあっては淘汰は有効である。併し乍ら群がら出立したこの淘汰作用にも限界があっτ、中位値の最も著しき純系を握り當τた時を 以て絡局になる筈である。即ち淘汰作用は早晩終局に溢せねばならぬ道理である。これが純系の研究の書芸であって、ダーウィン読には ⑭ 根本的誤謬があるといわれたのは尤もなことであっだ。 ワオレスの氣候馴化段階法の根本意想を興すところの好適なる鍵異の効果を期待し、これを累積して行がんとする試み 氣候馴化學説展開の學史的考察 二一玉
氣候馴化學読展開の學史的考察 二一六 は、この純系の研究の立場からは果して認容さるべきであろうかの問題がワオレスの段階法を続って提示されるであろ う。 純系の研究よりすれば﹁群がら出立したこの淘汰作用にも限界があって、中位値の最も著しき純系を握り當てた時を以 ⑯ て絡局になる筈である。﹂ワオレスの引用例にあるユーヵりの樹の氣候馴化能力に關する中位値の最大、即ち最も頑強な る一つの純系を群の申から握り當て九時を以て、この淘汰作用も終局になる筈であるから、この種を選んで何代績けて淘 汰して行ったところで、申位値の最大と想定すべきこの種から更に大なる中位値を、即ち氣候馴化能力の大きいものを得 ようとしても得ら蜘ない道理となる。 かくしてワオレスの氣候馴化段階法によって﹁か、る過程によれば樹はフランス各地は申すに及ばす、実敵正野にても @ 堂堂馴化を完成することは殆んど疑問の着地はない﹂という所説は、今趨りに中黙諸流の氣候に馴化し得る水準を8なる 数で表現し得るとせば、この樹が淘汰作用によって獲得された馴化能力の申位値の最高限艮が8であるかをれを超ゆる場 合には可能であるが、7にしか蓬し得ないものであったとすれば、その中位値は五代淘汰を画けても8は得られないから ワオレスの段階法を以てしても申欧のある地鮎を超えて北上せんとする努力は結局に於て徒浪に離するであろう。要する に種の氣候馴化能力に於ては限界があるのである。 ド・フリースの偶鍵の研究は、一九〇一一三年に磯表されたが、この偶攣の學論は尊くダーウィン論磯表後、聞もない 時期から存し☆c就申コルシンスキー︵oo●囚。門。。o出撃ξ︶は一九〇一年に、種の礎遜の由來は彷嬢陰葉の集積によるもの ではなく、唐突的跳躍、中層の移行型の見られぬ攣異、即ち氏の自。常民。頴。口。ωδと命名した現象によって生するものであ ⑱ ると論じた。この現象を詳細に研究し、体系を建てたのがド・フリースである。彼の研究が﹁おほまつよひぐさ﹂によっ て行われ九ことは周知のことであるが、その結果全般的の法則聖業を得、そのうち﹁㈹工程鍵異も偶攣も共に見られたの 8
■ ’ ⑲ であるが、唐突呼量蓮績的の攣異のみが新しい種を生ぜしめた]のである。かくして口舞ロ冨ロob富。搾ω巴葺草を金言 として種の形成過程の要素に飛躍的な偶攣を敢て加えなかったダーウィン論に逸して、非連績的の攣異を進化過程の出獲 鮎とする學論が新しく生誕し忙のである。 ワオレスの氣候馴化段階法に重て﹁好適なる攣異の結果﹂を期待せんとした時、その霊異が軍なる彷纏憂異であるか、 或いは飯にいう偶憂を意味するものであるかは今日我々は制断すべき何の手懸りもないのである。今忙だ軍にワオレスの 生存中に於て、この偶攣の研究の獲表が爲されていることによって、ワオレスのそれが偶攣を意味するものであるとすれ ば、彼の段階法は如何なる意味をもつか、換言すれば氣候馴化能力と云う立場にて、その能力の一暦弧大なる種が果して 吾入の希望する如く、偶憂によって屡々起るであろうか、と云う瓢に疑問が存するのである。要は偶攣の頻度の問題であ る。 殊に段階法が人類にも適用せられ﹁疑いもなく動植物の場合の様に極端なる氣候へ急激なる移動を與えることは人類に の も有害である。併しその移身.が段階的に起るならば、人類は比較的僅かの世代を経過するうちに世界の地表いすれの地へ も4,んど氣候馴化されることは信ずべき多くの理由がある﹂︵註⑳墾照︶という場合に、﹁偶攣のみが新しき種を生ぜしめ た﹂となす限り、吾人はか、る偶々の頻度を期待してよいであろうか、この瓢にもなお多くの研究の触地を残していると 自から思うのである。氣候馴化の現象を偶礎によっては解慰するには直なる無理がある様に思えるが、今かりに病母にそ の要因を置かねばならぬとすれば露呈の頻度という蕪からワオレスの段階法は否定されなければならぬであろう。こう云 わんが爲には、次にグローバーの言葉を援用したい。﹁氣候馴化現象にて重要なることは個体国貯No貯①ロの安らかなる存 ⑳ 績、或いは上昇的存績ではなくしてO鉾葺57q︵人類にありては種族、動植物にありでは島一和田註︶のそれである﹂。要は饗 異の頻渡、或いは数の問題であるからである。 氣候馴化學読展開の撃史的考察 一一一七 ●
、 氣候馴化學説.展開の學史的考察 二一八 註@小泉丹、進化學序講,昭和八年,三四四頁。 ⑭前掲書、三四七頁。 ‘ ’ ⑭木原均、攣異とメンデル百重傳、九頁、︵岩波講座生物學︶﹁e彷復攣異では中位の値を有するものが中央にあって其敷が最も多い。 ⇔中心より左右町端に至る頻度の減少程度は左右相均しい・即ち赤心の左右は殆んど等しい相構をなす。之をケテレ㍉の法則と云 う。﹂この頻度が丁度二項分布︹︵︼+一︶戸を展開した各項の分布︺と等しい事を見出したのが唄・・﹀・匂・£器蔭膳である。 ⑯前掲書・三四八頁。 ⑯前掲書、三四八頁。 ⑰bの謁・≦ゴ自含。。①韓。亨三y唱﹂馬・ ⑱小泉丹、前掲書、三五二頁。 ⑲前掲書・三五八頁。 み⑭臼・Oきび霞”㌘鉾○.ロゆ﹂℃・
第五章 交雑の研究と氣候馴化學読
交雑の場合に於けるメンデルの法則の閑明によって全体としてみて新しき形質を固定的に具有する個体が形成されるこ とが明かになった。交雑が生物界全般の種の起源の要因であることを高唱したのは和蘭の植物講者ロツチー匂・℃・日♀ωく ㊥ であった。虚血因子の攣異による新形態の出現は偶攣の研究によって認められるが、遺傳因子の不攣である場合にも、別 々の個体に於ける遺事因子が雑種の子孫に而て一つの個休に組合されその形質が固定されることが理論的にも實際的にも ㊥ 立讃せられた。. , 我々は﹁交雑による新形質の形成﹂という理論を人類の氣候馴化の問題に適用する時、これを混血による特殊なる馴化 能力を有せる個体の形成であると解してよろしかろう。然る時に、既に藩干の墨者によってこの帝位による氣候馴化の過 、程が論かれていることを知っている。 ・ ﹁第一の場合は原譜民血液の混血が起る可能性がある。第二の場合にば大抵の場合租國からの移民の連累があって、そ れらが初期の植民の家族と絶えず混血する。か、る混血のいすれかが激二人を末永く熱帯にて越えしむるに絶封不可歓の ㊥ ものであると主張せられる。﹂またこの見解と表裏するものがサツパーの﹁豊里馴化可能性の限界は彼等の純血が維持さ ⑭ れる場合には越えられない﹂乏云う所論である。 然るにこれに貢して、ワオレスは右の引用例︵註⑲を指す︶を誤謬であるとして、混血による新形質の形成、換言すれば 混血による馴化能力の一言強大なる瘤結形成を否認して、これが例誰に﹁その民族性によって自己周邊の民族との混血よ
りは完舎孤立せるユダ罠齢の實例並びにエクアドルのグワイアキル。§畳一に於ける.﹁想なる馨によりて
⑭ 純血を保持せられたるスペイン入の後患﹂が、南緯二度十三分下に位置せる當該地に於いて、完全なる馴化駅態にあるこ とを墨げている。 我々は交雑の立場よりすれば、常然ザツパーの所論を良となしワオレスの所論を否としなければならない。今ザツパー の所論が良とせられる所以は彼は﹁吾人の迂曲馴化の困難性の原因に關する理論的知識はかくも不充分なるが故に、余は . ⑰ 確實なる観察事實より結論を導き川した。而して地理的統計による方法を以て次の如き確信に到達したのである﹂として 前述の所説︵註⑭︶を蓮ぺている。これに托してワオレスのそれは数年南米居住の休瞼を有せる一植物肇者閑ざ冨aQo胃βoo より彼の下に寄せられたる報告に基く一個の事實であり、叉ユダヤ民族のそれはユダヤ民族の愈愈のその黙⋮の中位値が高 いと想像せられることに依るのであって、 ﹁混血による新しき形質の形成﹂即ち﹁三盛馴化能力の樋大﹂という鮎を否定 すべき根抵には梢薄弱なるものありとしてよいのではなかろうか。 註@小泉丹、前掲書、三八ご頁 氣候姻化學設展開の學史的考察 一=九氣候馴化學観展開の學史的考察 二二〇 @前掲書、三七七頁。 ㊥︾.菊・萎鑑冨8”oマ三θ・︾づ・=c。・ @内騨巳の導唱霞”㌘㌘O・の・UOg。・ ㊥臣.図.≦巴冨8鱒。℃.営け6も二co・ ⑭H謡乎狽=c。・ ⑰閑騨ユgロ曽薯霞u鉾曽・O・己Ω・ω℃Q。・ 結 昌員一現在の氣候馴化諸藩への一つの展望 ﹁書入は氣候馴化の下に、反動の均衡位置、生活力.の均衡位置一<凶霊鵠疏隔ωずなる意味ではなく、文字通りに考えられ る様な一が得られる如き、薪しき環境因子の上に反動する能力を彼らに與える虚の生命ある實体の一つの新しき欺態を ㊥ 生物が獲得するということを理解する﹂とグロ1バーは氣候馴化の概念を規定し、叉﹁氣候馴化が不適者の損耗なしには ⑲ 進行し得ないし、叉將來に於てもしかあり得ることであるうとするは自明の理である。﹂として氣候馴化の過程と要因を ﹁適者残存﹂の意想の上に托しているのである。 我々は既にダーウィニズムが現今の進化學に於ては致命的誤謬を指摘せられていることを明かにし、君寵馴化廊下が進 化學的理論の基底の上に立たねばならぬ限り、これはその後に展開されπ新しき進化學論によって初めて理論的には解せ られるものであることを明かにした。 然るに現今氣候馴化愚論研究の雄とも云うべきグローバーにあって、﹁ダーウィンの適者輪講の原則はいつくに於ても、 ⑩ 亦既庭に於ても眞理である﹂と述べ,ダーウィニズムへの懐想断ち難きものを現している。 我々は﹁適者淺存﹂﹁淘汰﹂の作用が無限ならざることは第四章に於て見たところである。彼グ・ーバーが﹁谷間の牛地
陶 より乾燥丘陵或いは乾燥せる山の斜面に氣候馴化し九る一つの植物、、叉水中より嵩上或いは室中に移動せる︸,つの動物は フオルトレロペン 藪ではその他の危坐については難く措くも、︵各有機休に於ける安登なる生 存並びに繁殖を︸暦 確實に形成し得る虞 も め も も も も も も ヒ ヒ も し も も も し も セ も セ も も も も セ セ も へ も の の反動の新しき均衡位置を獲得しているのである。彼の子孫が果して同様の均衡位置にありゃ否やの問題、翼端の子孫が 、魯、、b、b、、、Db、、、、、、、、、アルト、、がゾッング、、、、塾℃’、、、、@ 如何なる程度に均衡位置にあるやの問題はその種類及び庵の氣候馴化能力が決定する。﹂︹傍黙、和田︶というところに我 々が第四章に於て述べた淘汰の限界の存するものを知っている襟にも思料せられるのである。 我々は學皮的展開を辿って行くうちに、人類の氣候馴化には限界の存することを進化學的理論に於て認めなければなら なくなった。而して人類の各種族の有する氣候馴化能力の限界内に於て極めて狭少なる範園に、或いは比較的大なる範園 に於てこれを淘汰によって高潔とする淘汰の威績をも認容すべきことが理論的には明かとなったとなすべきでなかろう か。 ︵一九四九・四。二一︶ 註⑲臼90きぎ覧㌘㌘9砕一co. ♪⑲寧身留鱒砕一。。● ⑳国げ3げ㌶ロΩ.一¢o・ @国げ9二薗“㏄●一co● ︵附記︶本稿は一九四九・五・三、東北大學で開かれた昭和二十四年度日本地理學謡曲術大量で護表した。叉これは昭和二十四年度丈部省 科學研究費によって爲せる﹁氣候馴化論研究﹂の一部である。 幽 氣候馴化離説展開の墨史的考察 一ご=