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キルケゴールにおける沈黙 : 神への絶対的服従の条件として

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キル ケ ゴール にお ける沈黙

-神への絶対的服従の条件として-市

Kierkegaard on Silence:

Silence as a Condition of Absolute Obedience to God

Masanori lchizawa

キルケゴール は 「沈黙」 は神への絶対服従 の第一条件であ り、神 と人間の関係の中で重要な 役割 を果たす と考 える。本稿では、沈黙の定義 ・なす業 ・役割 ・模範 ・結果 を中心 に、キルケ ゴールが考 える 「沈黙」 について考察 し、最後 に彼が訴 える沈黙の重要 さを我々現代人 は どの ように受 け止めるべ きかを探 った。 目次 はじめに Ⅰ.沈黙の定義 ⅠⅠ.沈黙のなす業 1. 肯定的沈黙

2.

否定的沈黙 ⅠⅠⅠ.宗教的領域 での沈黙 Ⅳ.沈黙の教師 Ⅴ.沈黙の結果 おわ りに

はじめに

現代人の多 くは日常生活 を享受す るために 多数の ものを所持 し、必需品以外の もの まで も獲得 しようと労力 を惜 しまないようだ。そ れ と反比例す るかのように、人間 として生 き るために重要 な ものを失いかけているように 思 える。 そのなかには静かにひ とりになる時 間 と場所が含 まれているのではないだろうか。 朝の起床 とともに毎 日の忙 しいスケジュール に追われ、肉体的に も精神的に も疲れ果 てて

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眠 りにつ く。その間、物理的な音 (交通機関、 商店街 ・内の宣伝 ・音楽、家庭内のテレビ ・ ラジオ、他人 との交わ り)、内なる音 (仕事 ・ 人間関係で自分 自身 と交す会話、煩悩、新聞・ 雑誌 ・インタネ ッ トか らの情報) に取 り囲 ま れている。マ ックス ・ピカー トは、人々 は沈 黙が失われていることに気づかず、かつて沈 黙があったその場所 はもろもろの事物 によ り 占拠 されて しまっていると警告 し、次のよう に記 している。「今 日、人間が眠 りを失 ってい るのは、彼が沈黙 を失っているか らにはかな らない。眠 りのなかで、人間は、彼 自身の う ちにある沈黙 をたずさえて、普遍的な偉 (お 浴)いなる沈黙へ とかえるのである。 しか し、 現代 の人間には、彼 を眠 りの普遍的な、偉 い なる沈黙へ と案内す るところの、彼 自身の内 部 の沈黙が欠 けている。今 日では眠 りは喧騒 による疲労、喧燥 に対する反動で しかない。 それ は もはや 独 自の世 界 で は な い の で あ る

1 19世紀前半 にデンマークで生 まれた思想家 キルケゴール

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も人間生活 にお ける沈黙の重要 さに注 目した。当時のデンマ ークはナポレオ ン戦争後の政治的 ・経済的混 乱 と復興、産業革命の進行、 自由主義 ・労働 運動 も盛 んに行われていた。 その ような社会 状況の中、キルケゴールは首都 コペ ンハーゲ ンで 「いかに生 きるべ きか」 を探索 していた が、悲惨 な生活環境 を改善するための労働者 階級の運動 にではな く、キ リス ト教のなかに、 一個人 としての内的革命が必要であると考 え ていた。宗教の面では他の多 くの ヨーロッパ の国々がそうであったように、デ ンマークで もキ リス ト教が国教 (正統ルター派)であっ た. しか し、キルケゴールはキ リス ト教国に 生 まれた国民、 キ リス ト教界 におけるすべて の者がキ リス ト教徒であるとは限 らない と主 張 し、「キ リス ト者 としていか に生 きるべ き か」 を自分 に問い続 けた。彼の結論 は 「自ら の意思で、神の御手 になるためにこの世界 に 死 して、キ リス トに従 って生 きる」、すなわち 神への絶対服従であった。 そしてその絶対服 従のための第一条件が沈黙であるとした。 キルケゴールは 「沈黙」 と題 した本 は書 い ていないが、数々の書物 のなかで沈黙につい て触れている。本稿 ではキルケゴールが意味 する沈黙 を考察す る。 まず、沈黙の定義 をす るなかで、なぜ沈黙が神への絶対服従の条件 であるのか を探 る。次に、沈黙がなす業での 肯定的な もの と否定的的な ものをあげる。第 3に、キルケゴールが説 く人生の三段階 (莱 的 ・倫理的 ・宗教的)の最終 (宗教的段階) での沈黙の役割 を、第

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に、その沈黙の模範 を人間は何 に兄いだせ とキルケゴールは我々 に勧 めているのか、第5に、沈黙の結果 とし て何 を期待すべ きか、何が起 こる というのか、 を検討す る。最後 にまとめ として、キルケゴ ールが訴 えている沈黙 を我々現代人 はどのよ うに受 け止 めるべ きかを考 える。

Ⅰ.沈黙の定義

『野の百合 ・空の

烏』

2のなかで、キルケゴ ールは沈黙 とは神 に 「服従 しうるための第一 条件の一つである

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と記述 している。我々が 沈黙す るとき、それが真の沈黙の とき、神の 声 を聞 くことがで きる、 この時 に始 めて、服 従す ることが可能であるとする。 もし汝の中に沈黙が存在す るな らば--極度の緊張 をもって感知す るであろう。 汝が主なる汝 の神 を愛 し、その神 に仕 え

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市沢 :キルケゴール における沈黙 るべ きである とい うのは、真実である こ とを。・・-・真 にただ独 りでい るので、 あ らゆる疑惑 も、異論 も、弁疏 も、遁辞 も、 疑問 も、要す るに汝 自身 の心 の中にある あ らゆる声、すなわち、汝 の周囲で また 汝 の中で、沈黙 を通 して汝 に語 りか ける 神 の声以外 のあ らゆる他 の声 は、沈黙せ しめ られ ることを。 もしかか る沈黙が汝 の周囲 に、 また汝 の中にい まだかつて存 在 しないな ら、汝 は決 して服従 を今 も昔 も学 んでいないのである。4 この沈黙 の中で人間 は神 の声 を聞 き、服従 を学ぶ とい うが、いったい何 を聞 くのだ ろう か。「子供 は眼 を閉 じて微笑 む と、天使 になる」 が、お となが 「聖 なるお方の前 にひ とりいて 沈黙 す る とき彼 は罪 人 とな る

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とい うよ う に、神 の前 に自分 の真 の姿 を認識 させ られ、 始 めて、神 に服従す る者 にな る とキルケゴー ル はい うのである。 これ はカ トリック教会 の 聖体祭儀 の 「開祭 の儀」で司祭 が回心の招 き で 「わた したちの犯 した罪 を認 め ましょう」 と会衆 に促 し、会衆が 「わた しは思い、 こと ば、行 ない、怠 りによってたびたび罪 を犯 し ました」 とい う回心 の祈 り6と共 通 す る とこ ろがある。 ここでの沈黙 は 「死 にゆ く人」 の静 けさ と 類似 す る。神 の家 には平和が あ り、一番奥 に は閉 ざされた場所がある。 そ こへお もむ く人 は静 けさを求 める。仲間 はいず、各人 はひ と りである。統一行動へ と駆 りたて る叫び声 の かわ りに、特別 の責任 を果たす よう呼びか け られ る。 そ こでは社会的な ものへ加わ ること への招請 もない。 なぜ な ら、俄悔 す る人 は、 死 にゆ く人 とまった く同 じように孤独だか ら である。7 「死 にゆ く人 の枕べ に、彼 に親 し く や さ しか った者や、彼 を愛 してい る多 くの人 たちが どんなに多ぜ い立 ってい ようと、 ある いは、彼が世 間 を見捨 てたがために、 あるい は、世間が彼 を見捨 てたがために--横 たわ ってい ようと、 いずれ に して も、死 にゆ く人 は孤独 である

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この静 けさは 「神 に属す る

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もので、 自分 自身で もって くることも、譲 り渡 す こともで きない。無償 で得 られ る もので も、お金 で購 われ る もので もない。全人類 に奉仕 す ること を望 む とい う条件 を与 えて、期待 すべ き もの で も、すべての もの を放棄 して も、得 られ る もので もない。世 の権力、知恵、すべての人々 が どんなに力 を合わせて努力 して も、静 けさ を人 間 に与 え る ことはで きない。10キル ケ ゴ ール は真の沈黙 を得 る ことは どれ ほ ど難 しい か を様 々な表現で伝 えようとす る。「ら くだが 針 の穴 を通 るのはむずか しい ことであ るが、 同 じように、 この世 の人 に とっては、彼が力 がある人 であれ、購 しい人 で あれ、静 けさを 兄 いだす こと、・・・・・・静 けさを人生 の騒音 の う ちに兄 いだす こと、--静 けさが現 にあるそ の ところで静 けさを兄 いだす ことはむずか し

。」11 「ひ とは静 けさの うちに身 をお くことがで きる」12、 しか し、その場所 は外面的、直接的 な意味 での場所 ではな く、 自分 の内面 であ る とい う。では、 もし静 けさが 自分 の中にあ る のな ら、 どうして出会 うことはそんなに難 し いのであろうか。 時間がた っぷ りとあるので安心感 が、 あ るいはあ ま りに もおそす ぎるので焦燥が、 あるいはさし招 く希望が、 あ るい は容易 に去 らぬ記憶 が、 あ るいは嵐 の ような決 断が、--・あるいはあなた を とらえて噸

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弄 す る世 の批評 の反響 が、 (あのたの心 を)誘惑す る。 あるいは自己賛美 によっ て、 (静 けさの)妨 げ となるあなたの利己 心か らの反響が、 あるいは気晴 しになる 比較が、--・評価が、 あるいは無思慮 に よる少 しばか りの忘却が、 あるい は自信 に よるわずかな前進が、あるいは神 の無 限性 についての冒険的な観念が、 あるい は全知者がすで に知 ってい ることを、ひ とが全知者 に打 ち明 けようとす ることに よる落胆が、 あるいは何 の役 に もたたな い軽率 な飛躍が、--あるいは感覚 を麻 痔 させ るわずかな悲哀が、 あるいはひ と を驚 かす ような明噺が--・・誘惑す るので ある。13 また、 キルケゴール は人間が 自分 よ りも力 の強 い と思われ る者 の前 に静か に一人 で立 つ ことについての難 しさも付 け加 える。 自分 自身の内面 を見つめることよ り、左 右 を見わたす ことのほ うが はるか に容易 である。--・日常生活 において さえ各人 は、名士や王侯 の前 に立 つ ことのほうが、 群衆 のなか をさまようことよ りももっ と 難 しい ことを知 ってい る。 また、同輩 の 普通 の集 ま りで話 をす るよ り、眼光鋭 い 大家 の前 にひ とり黙 って立 つ ことのほう が、 はるか にむずか しい ことを知 ってい る。 まして聖 なるお方の前 にひ とりとな り、黙 ってい るのは言わず もが なであろ う。 ひ とは大事件 に、 自然 の暴威 に、世 界史 の進行 の うちに神 をみ る。 ひ とは子 供 が理解 してい ることを、すなわ ち、子 供 が眼 を閉 じれ ば、神 を見 る とい うこと をきれいに忘れ る。14 確 か に、静かにひ とりになる とき、様 々 な 雑念、誘惑、煩悩が我々の心 のなか に生 じる。 どんなに努力 して も自分 自身で は沈黙 を発見 で きないのは自分で沈黙 をつ くりだそ うとし てい るか らなのだ ろうか。 キルケゴールの言 うように 「静 けさは神 に属す る」 もので あれ ば、神 か らの贈 り物 として受 け取 るために、 心の準備 をしなければな らないので はないか。 沈黙す る ときに我 々 は神 の前 に座す るので、 キル ケゴールはまずただひ とりになることを 勧 め る。 そ うすれば、 自分が隣人 よ り優 れて いるか、劣 っているか、 自分が善 い人 である か、な ど思わず に、「神 については高 く、自分 自身 については とるに足 らない もの と思 う真 の敬神 を学ぶ」15ようにな り、真 の沈黙 を与 え られ るのだ と確信す る。 しか し、 それ を得た な らば、何 も持 ってい ない人 の ようであ りなが ら、すべて を持 つ人 であ り、 また、何 ものか らも奪 い取 られ るこ とはない。「地震が教 会 の支柱 を揺 が そ う と も、 もっ とも愚かな者が この うえな く馬鹿 げ たお しゃべ りをしようとも、 もっ とも卑 しい 偽善 者 の けが らわ しさ

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か らも。前述 の通 り、 この静 けさは 「死 にゆ く人」が持 つ静 け さに も似 てい るが、死 にいた るような病 いで はな く、生への移行 を意味す る とい う。 であ るか ら、 この静 けさを得たな ら、 その静 けさ を耐 え抜 け と、 キルケ ゴール はア ドバ イスす る。17「りっぱな良心 を もつ ことに熱心である として も、 もしあなたが この静 けさを恐 ろし い と感 じるな ら、 これだ けは耐 え抜 かれ よ、 最後 まで この静 けさを耐 え抜かれ よ。 この静 けさは、 あなたが死 にゆ く死 の静 けさで はな い。静 けさは死 にいた るこの ような病 で はな く、生への移行 なので ある」。18 沈黙 は人間 を偉大 にす る と、 キルケゴール

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市沢 :キルケゴールにお ける沈黙 は考 える。その条件 として内面性 をあげ、 ど うして沈黙が 「生への移行」なのかを説明す る。沈黙 は 「内面性 を表現するための一方法 ・-=すなわちすべての人間が達成 したい と欲 す る内面性」19であ り、すべての ことが自分の 意志 に反 してお こなわれ、 自分の内面 を直接 に表現す る手がか りがなにひ とつない状況の なかで、「自分 の ことばに賭 けて」耐 えている こと、 と定義す る。 そして顔 の表情や力 をこ めて誓 う喋 り方な ど、外面 に直接現われて く ることが多いほ ど、 それだけ内面性 は真実か ら遠 ざかる。 ここで もキルケゴールは真 の内 面性 と死者の沈黙 を類似 させ る。 時 は滑々 と流れ去 ってゆ くのに、死者 は 全 くひっそ りとおのれの場 を守 りつづ け る。かつて名高い戦士の墓 に、故人愛用 の剣が添 えられた。 そして心 なきいたず らが この墓 を囲 う格子戸 をバ ラバ ラに壊 した とき、死者 は、起 き上が ってその剣 を取 り自分 と自分の安息の場所 を防御 し ようとはしなかった。彼 は激 しい身振 り も見せず、大声で叫び もせず、内面性 の 瞬間的流出によって顔面 を紅潮 させ るこ ともしない。彼 は墓の ごとくお しだ まり、 死者のごとく沈黙 して自分の内面性 を守 り、そして自分の ことばに賭 けて耐 えつ づ けるのだ。現 に生 きなが ら、外面の現 われに関 しては世か ら死別せ る者の ごと くになって自己の内面性 とかかわ り、 こ うすることによって まさに自己の内面性 を守 る者 に賞賛 あれ。20 内面性 とは、一瞬の興奮、熱狂ではな く、 「死 を くぐり抜 けることによって獲得 された 永遠的性格 としての内面性」であ り、 日常生 活での静 けさ とは異質の次元 にある。 キルケ ゴールが考 える日常での静 けさ とは、のんび りとした家族の者がめいめい自分の仕事 につ き、すべてが毎 日起 こるとお りに起 こってい る家 について言 うときの一般市民的な意味で の静 けさであ り、一週間仕事 に励 み、勘定 を して、店 を閉め、 日曜 日には教会へ行 く 「民 のなかの静かな人々」の ことを言 う意味での 静 けさである。21しか し、内面性 を表現す る沈 黙 とは、その ような 日常での静 けさで はな く、 墓場 の静 けさ、夜の静 けさをい う。 墓場 の静 けさは死者たちは眠 っているが、 死者たちの 「仕事 の永遠性 を意識す るための 形式」であ り、夜 の静 けさは 「翌朝のために 自然 の最 も奥 にあるものが、生 き生 きと活動 しなが ら騒々 しい現われ方 をす るときの自然 の姿 を予感 させ るもの」である。 また、「戦闘 のまえの荘重な静 けさ」、「声 に出さない祈 り の静 けさ」、「荒野の静 けさ」、「孤独の静 けさ」 も内面性 を表現す る沈黙であ り、 これ らの静 けさは 「戦 闘の喧燥 よりも意味深 (く)」、「起 こりつつあるいっさいの ものや、すでに起 こ ったいっさいの もの よ りも恐 ろしい」 とキル ケゴール は考 える。22ここでい う沈黙 とは、次 に起 こるべ き現象のための準備期間、すなわ ち乾電池が充電 されている状態 ・時間 を意味 していると考 えられ る。「静 けさが無限の無で あって、それゆえに無限の内容 を盛 る可能性 の広大 な形式であるのな ら、 この静 けさを愛 す る」 とまでキルケゴールは言 う。彼 は、 そ うい う静 けさこそ 「精神 の本領」であって、 支配権 の交替や世界的な事件 よ りも内容が豊 富であるゆえに、人間が滅ぶ 「死へ向か う静 けさ」ではな く、永遠的、創造的、建設的行 動 を内に秘 めているゆえに 「生への転換であ る」 と主張する。

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Ⅰ.沈黙のなす業

キルケゴールが あげる沈黙 の働 きには肯定 的な もの と否定的 な もの とが ある。 この章 で は最初 に肯定的 な働 き、次 に否定的 な働 きに ついて取 り上 げる。 1. 肯定的 な沈黙 肯定的沈黙 は日常生活 において他人、及 び 神 との建設的な関係 に貢献 す る沈黙 であ り、 キルケゴールが考 える具体例 を6つ に分類 し てみる。 (1) 沈黙 は自分以外 はだれ も責 めたてない 沈黙 は火事での延焼 を避 ける ドアの ような 働 きをす る。「沈黙す る者 は自分 自身 を除いて はだれ を も責めず、 自分の苦闘のために人 を 傷 つ けることがない。 なぜ といって どんな人 間の うちに も、すべて を要求 し神 の前 に滅 び ることにのみ慰 め を兄 いだす理想 と(沈黙 と) の この密接 な関係があ り、 あ りうる し、 また あるべ きだ」が、「お しゃべ りとなる となんの 苦労 もな しにたち まち巨人 の一歩 で進 んで し ま (い)」、結果的 に他人 を非難 した り、恨 ん だ りす る。23例 えば、「いつか失意が心 を襲 っ た とき、 自分のあ らゆる努力 は崇高 さに結 び ついていた はず なのに、 その努力が まるで無 になって、崇高 さ とはあ ま りに残酷 ではない か と感 じて しまった とき」、人 は親切 で善意 あ る人 に慰 めを求 め る。 その慰 めが得 られた と き、 その人 に感謝す るが、 自分 自身 は 「凡庸 さの楽 に通行で きる道ではなん ら得 ることが なかった といって他人 を恨 むたわ けた結果 に 終 わ って しまうのだ」24とキル ケ ゴール は説 明す る。すなわ ち、 自分 の崇高 な考 え、行動 が どうして他人 が理解 で きないのか、我々 は 悩 む。最終 的 には自分 のいた らなさを責 めて、 一層悩 める者 になるか、 また は、理解で きな い他人 を責 めることになる。一旦他人 を責 め る話 を親切 に して くれ る第三者 に して しまう と、止 ま りもな く進行 してい く。 しか し、沈 黙す ることによ り、 とにか く自分 の ところだ けに止 めて、少 な くとも他人 を巻 き込 まない とい う解釈 もで きるだ ろう。 (2)沈黙 は他 と比較 しない 人間 は どんな秀 でた人間で も、他人 にかか わ る ときには、 そのかかわ りが同情 、 また は ほかの理 由に関係 な く、理想 (神 の前 に滅 び る とい うことに慰 めを見出だす) に対 す る沈 黙 のかかわ りによってな され るべ きだ、 とキ ルケゴール は主張す る。 しか し、 その理想 と のかかわ りな しに自分が他 と比較 をして しま うと、すべてが破壊 的 になって しまう。 比較 とい うものは何事 で も遅延 させ るし、 まただか らこそ凡庸 さは比較が非常 にす さで、低劣 な友情 をもって各人 に近づ き、 で きるか ぎ りそのなかへ引 き込 もうとし、 その結果引 っかか った者 はあろうことか 卓抜 な人 間 として一一一凡庸 な者 た ちの あ いだで賞賛 の的 となるか、 あるいはその た ぐいの者 たちに優 し くか き抱 かれ る と い うことになって しまうのだか ら。25 その後関係が うま くいかな くな り、 その友 情 に対 して幻滅 を感 じた とき人 はその友人 を 責 める。 しか し、 それ は間違 ってい る とキル ケ ゴール は言 う。 自分 を破滅 させたのはこいつ らだ と他人

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市沢 .'キルケゴール にお ける沈黙 をせ めるのはナ ンセ ンスだ し、すべ きこ とを回避 しておいてなに ものか をかすめ 取 ろうとしてい る自分 を自ら告 白してい るだ けなのだ。 -・・・なぜ そのかわ りに、 空費 して しまった もの を、沈黙 の うちに 自分 の内部 にある尺度 を探 し求 める こと によって、で きる ことな ら取 りもどそ う とはしないのか ?しか し友人 を恨 んで は な らない。 む しろ自分か ら安売 りにだ し て慰籍 を求 めた 自分 こそ責 めるべ きであ る。 ほん とうのいのちをか けた人 は沈黙 の尺度 を獲得 したのだ。26

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沈黙 はすべてを獲得す る キルケゴール は秘密 と沈黙 は人間 を神聖 に す る条件 を兼 ね備 えて い る と考 え る。 も し 我々が神聖 な神 の子 であるな ら、 日常生活 で 必要 な全 ての ものを与 えられ るであろう。 し か し、我々が そのためになさなけれ ばな らな い ことは沈黙であ り、 いっさいの ものはその なかで獲得 され、神化 され る と主張 し、 アプ レイウス 『黄金のろば』の挿話 を引用す る。27 アモール はブシュケの もとを去 る とき、彼女 にむか って、「お まえは子供 を生 むだ ろうが、 もしお まえが沈黙す るな ら、その子 は神 の子 とな るし、 もしお まえが秘密 を もらすな らば、 その子 は人間 となる」 と告 げる。母 の沈黙 に 未来がかか っている とい うことは、ブシュケ の生 まれて くる子だ けにあてはまることで は な く28、「沈黙 を保 つ ことがで きる人間は神 の 子 となることがで きる。 なぜな ら、沈黙 にお いて 自分 の神聖 なるルー ツについて神経 を集 中 して考 えることがで きる。 しか し、語 る も の は人 間 に とどまる」29とキル ケ ゴール は考 える。 (4) 沈黙 は最上 の もの を理解 す る 沈黙 は我々の意識 の最 も深 い レベル に到達 す るの を助 け、 その場所 で最 も高 い レベルの 意思 と遭遇す る、 とキルケゴール は述 べ る。 「静閑 を楽 しみ える とき、生活 や この世 のあ らゆ る煩 累か ら遠 ざか ってい る ときには、だ れで もが、最高の こととは どうい うもので あ るか とい う こ とを理 解 して い るので あ る。 --静閑 な とき、生 の紛糾 か ら遠 くへだた っ てい る ときには、子供 も、最 も素朴 な人 間 も、 最 も賢明 な人間 も、すべての人 間が、 みなほ とん ど同 じぐらいたやす く、 自分 たちが なに をすべ きで あ るか とい う こ とを理 解 して い る

」30しか し、 この理解 か ら実行 に移 すた め にはたいへんなへだた りはあ る。 この世 にお いて は、人 は何がで き、何がで きないか をせ わ しげに尋ね る。 しか し、沈黙 のなかで は、 「最高の ものについて語 る永遠」 はただ その 人 が それ を実際 に実行 す るかだ けを尋 ね る。 大切 な ことは、何 をしなけれ ばな らないか を 沈黙 の中で理解 し、 その結果実行 す るか どう かである。 ゆえに沈黙 は行動 す るための最初 の条件 である とす る。 (5)沈黙 において無限の変革 を成就 す る 先 に、沈黙 は内面性 であ る と定義 したが、 キ リス ト教 は 「内面性以外 のなに もので もな い」 とキルケゴール は考 える。 なぜ な ら、 キ リス ト教 は自分が属 さない この世 で、外面 的 に この世 の地位 を得 るために争わず に、 あ ら ゆる人間関係 を良心の問題 に したか らだ とし、 無知 で貧 しい洗濯婦 の権利 を例 にだす。「わた しは この仕事 を日雇 い賃金 を得 るために して い る。だがわた しが、 こんなに きちん とこの 仕事 を してい るのは、自分 の良心 のた めだ

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と固 く信ず る洗濯婦 は、 自分 の仕事 を しなが

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ら、 自分 自身お よび神 に語 りか ける権利 を持 ってい る とし、キ リス ト教 にお ける内面性 の 意味 を述 べ る。 この世 の諸事情 や、君 の置かれている状 況 を変革 しようとして心 を労す るな。例 えば、貧 しい洗濯婦が貴婦人 になろうと 努 めるような ことをして はな らない。 い や そんな ことで はな くて、 キ リス ト教的 な ものを身 に体 しなさい。 そ うすれ ば世 界 の外 に立 って、 そ こか ら天地 を動かせ るような点が君 に示 され るであろう。 い や それ どころか、君 は、天地 をい とも静 か に、だれに も気づかれない くらい容易 に動 かす とい うもっ とも偉大 な奇蹟 をな しとげるであろう。32 この世 はほんのわずかの変更 を必要 とす る ときに も、大騒 ぎをす る。天地 をひっ くり返 す ような空騒 ぎをす る。泰 山鳴動 して鼠一匹 とい う有様 だ。 ところが、 キ リス ト教 は、 なにごともお こらないかの ように、い とも静かに無限の変革 を成就 す る。 その静かなることは、 この世 の事 物 はなに も存 しえないかの ごとくであ り、 ただ死者 と内面性 のみが存 しえるかの ご とくである。33 (6) 沈黙 によって (愛) は罪 をおお う キルケゴール はお互 いの関係 を秘密 にした い とのぞむ二人 の恋人 と真 の愛 に富 んでいる 第三者 の例 を使 い、いかに沈黙す ることがお 互 いの罪 をおお うか を説明す る。「かれ らが互 い に愛 を告 白して沈黙 を誓 った瞬間、 まった く偶然 に もそ こに第三者がいた、 しか しこの 人 は誠実 な、愛情 に とんだ、信用ので きる人 間であ り、かれ らに沈黙 を約束 した と仮定 し よう。」34この場合、彼 らの愛 の秘密 は守 られ ないであろうか とキルケゴール は問 う。真の 愛 に とんだ者が ある人 の罪 (彼 がいか に失敗 し、 いかなる罪 を犯 し、いか に弱 きによって せ きたて られたか とい うこと) を思いが けず 聞いて も、沈黙 を守 る。 その ことによって多 くの罪 をおお うのであ る と考 える。 しか し、 罪の多 さは、た とえそれ について沈黙が守 ら れ ようとも、語 られ ようとも、増減す るもの で はない、沈黙す ることは これ とはなんの関 係 もない とある人 は言 うか もしれない。 それ に対 してキルケゴール は反論 す る。確か に、 増減 はしないだ ろうが、隣人 の罪や過失 を語 る者 は罪の多 さをよ り大 き くす る。語 られ る 事 の真実 さえ確 かであれ ば、すべてはその理 にかなっている と考 えてはな らない。 その真 実 は人 によっていか ようにで も解釈 され るの だ と。「人々 は噂 とか簡舌 によって、もの好 き に、軽々 し く、嫉妬 と悪意 ともって隣人 の過 失 にかかわ ることに慣 らされ、 それによって 堕落 してい くのである。」隣人 の過失 を吹聴す ることによって人々 に堕落 の助 けをす る者 は、 罪の多 さを増大 してい ることに問題が あるの だ とす る。 2. 否定的働 き キルケゴール はもう一つの沈黙 の働 きには、 自己の表現 の 自由が奪われ る とい う否定的要 素があると考 える。彼 は、新約聖書 に書かれ てい る悪魔的 な ものが、 キ リス トに近づ く時 に現われ る出来事 に注 目して、「善」と 「悪魔 的な こと」 を比較 す ることによって この否定 的要素 を説明す る。 悪霊が入 って唖であった者が、 キ リス トが 悪霊 を追 い払 うことによって話せ るようにな

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市沢 :キルケゴール にお ける沈黙 るように35、悪魔的な ものは、善 と接触す る と きに、 はじめて明瞭 になる とキルケゴール は 述べ る。36ここでい う 「善」とは、話せ るよう になる こと、自由の回復、救 いであ り、「悪魔 的 な もの」 とは、善 に接触す ることに対 す る 不安 であ り、 自己 を自己のなか に閉 じ込 め よ うとす る不 自由である。37しか し、後者 の状態 を保 つ ことは不可能で、いつか は真 の自己が あ らわれて くる。ゆえに、悪魔的 な ものは「閉 鎖 された もの」、すなわち、沈黙的 な ものであ るが、悪霊が キ リス トにな した ように、 自己 をあ らわ に しなけれ ばな らない時 は、おのれ の意思 に反 してそうす る。 別 の箇所で は、悪霊 に悉かれた者がキ リス トを見 て、「あなたは私 となんのかかわ りが あ るのです」 と叫び、キ リス トが 自分 を底知 れ ぬ所 に落 とす ように命 じることを恐れ、豚 の 中に入 れ るよ うに願 う。38悪霊 が 自分 とのか かわ りを問 う理 由は、 キ リス トがや って きた のは自分 を滅 ぼすためだ と思い込 んでい るか らで、 この思い込 み もキルケゴール は善 に対 す る不安 だ と解釈す る。悪魔的な ものは自己 自身 を閉鎖 し、交わ りを欲 しない。 しか し、 閉鎖性 は自由によって接触 され る と、不安 に なる。 すなわち、 自己の中に閉 じこもってい る悪魔 的な ものに、 自由が外か ら関係す る と き、悪魔 的な ものはおのれの意思 に反 して し ゃべ りだす。逆 に、 自由はつねに 「交わ り」 であ り、神 との交わ りとい う宗教的 な意味 と してキルケゴールは考 える。 上述 の沈黙 に当てはまる もの として とマ-テ ンセ ン監督 の沈黙 を例 に取 る。39デ ンマー クの聖職者 は 「真理 の証人」で はない と言 い きるキルケゴール に対 して、マ-テンセ ンは 見解 を求 め られ るが、沈黙す る。「もし聖職者 が真理 の証人であるな るば、彼等 は沈黙せず、 間違 った主張 に対 して 自分 たちの所信 を表明 すべ きで--・沈黙 によってその真実 をその ま まひた隠 ししてお くべ きで はない。 -- また 沈黙 す ることによ りいかな る間違 い を もその ままはび こらせてお くべ きで はない

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0とキ ルケ ゴール は、マ-テ ンセ ンを非難 し、マ-テ ンセ ンの沈黙 は虚偽的沈黙 であ り、否定 的 であ る とす る3つの性格 をあげる。

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不条理 な沈黙 真理 と希望 に関 しての質問 に応答 す る こと が キ リス ト者 の義務 であ り、「真理 に仕 え、真 理 を愛 す るキ リス ト者 は虚偽、真実 について 堂々 と自分 の信ず る ところを述べ、 その思想 を隠 す の は憎 悪 すべ き こ とで はな いだ ろ う か

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とキルケゴール は問 いか ける。 しか し、 デ ンマー クの主監督 はキルケ ゴールの論戦 に 対 して返答 を拒否 した。 ゆえにマ-テ ンセ ン の沈黙 はキ リス ト教的 には許 されない こ とで、 不条理 な ものである とす る。

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利 口な ようで、馬鹿 げてい る沈黙 この沈黙 を説明す るにあた りキルケ ゴール は質疑応答 の時間での教 師 と生徒 の関係 を使 う。「教師が生徒 の質問 に答 え られ ない と、そ れ を 『わか らない』 とはっき り言わず、巧 み に知 ってい るかの ようにふ るまう。生徒 は こ の教師の行為 をみて薄々何 か を感 じ、 この教 師 に対 す る信頼 は薄 らぐだ ろ うが、何 も言わ ず にその ままに してお く。」42キルケゴール は この教師の沈黙 は利 口そ うだが馬鹿 げてい る とい う。 その ように教師がふ るまい続 け、評 判 を維持す ることはたいへ んな労力 を要 す る。 それ と同 じことをマ-テ ンセ ンは行 ってい る。

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(3)卑劣な沈黙 時 として沈黙 は腺病の結果で もあるとキル ケゴールは力説する。「男な ら、男 らしく行動 し、危険 に直面 し、潔 く勝負 にのぞむべ きで あるが、それをしないで、 こそ こそ と逃 げる ことは卑劣である

43彼 は聖職者の沈黙 を二 重 に卑劣である批判する。 とい うのは彼等 は 国か ら報酬 を与 えられ るままに受 け取 り、権 力 をほ しいままにしている。 にもかかわ らず、 税金 を払 っている国民 に彼等 は真理 を伝 えて いない。 上述 の否定的状況が、 より悪化 しないよう に真の状況 を認 めることが得策であ り、沈黙 す るよ りも他人 に対 して きわめて役だつオー プンで、率直な話 しをすることをキルケゴー ル は勧 める。

.宗教的領域での沈黙

キルケゴールは人生 を 「いかに生 きるべ き か」 を問 うなかで人間は三つの諸段階 (美的 段階、倫理的段階、宗教的段階) を順番 に通 ってい くと指摘す る。「真理のためな らば死 ん で もいい、 自分がそのために生 き、死 ぬ こと を願 うような」真理 を人間 は宗教的段階で到 達 しうるだろうと信 じる。 この最終段階で沈 黙 はどのような役割 を果た しているのだろう か。前段階の二つの生 き方 とそこでの沈黙 を 参考 に して、検討 してみる。 美的段階の人間 は瞬間に生 きる、すなわち、 肉体 のお もむ くままに生活 をし、単 に快楽の みを求 める生 き方、モーツァル トのオペ ラに おける ドンファンの生活である。キルケゴー ルはこれ を感性的 (エロス性)と呼ぶ。44ドン ファンは

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人の女性 を誘惑 し、肉体的満足 感 を沈黙す ることによって楽 しみ、考 えるこ とも語 ることもしない。 この段階での沈黙 は コ ミュニケーション、又 は自己表現の欠落で あ り、彼 は自己 ・彼 を取 り巻 く世界 ・自己以 外の他者 についてまった く理解で きず、知的 に自己を表現す ること、他者 とコミュニケー ションをとることも不可能である。45 倫理的段階では人間 は社会的秩序 を重ん じ、 社会 に対 しての義務 と責任 を果たす。 キルケ ゴールはこの段階では沈黙 はお こなわれない と考 える。「倫理的な ものは、倫理的な もので あるかぎ り、普遍的な ものであ り、普遍的な ものであるか ぎ り、それはまた顕わな もので ある」46と述べ、エウ リピデスの 『アウ リスの イ ピゲネイア』47の物語 にお けるアガメムノ ンを例 にあげる。アガメムノンが直面 した問 題 は彼が 自分 の娘、イピゲネイアを犠牲 にす る必要性 を他 に知 らせ るべ きか とい うことで ある。国家の安全が危機 に瀕 しているとき、 彼 は二つの理 由で最初 は沈黙す る :アガメム ノンは不必要な悲 しみを彼の周 りの人間に与 えないようにする (最後 にはその秘密 を明 ら かにす るのだが);自分 の娘 の命 をどうにか して助 けたい。 倫理的段階 にいる人間の沈黙 は欺 さであ り 裏切 りであると見な し、人 は自分の行動の動 機 を公 に明 らかにすべ きであ り、 ここでは、 アガメムノンは彼の意向を語 らねばな らない と、キルケゴールは説 く。 そうす ることによ って、他の人間は理解 し、彼の状況 を尊敬す る。 アガメムノンの ように 「本 当の悲劇的英 雄 は、 自己 自身 とそのいっさいの所有物 を、 普遍的な もののためにささげる。彼の行為、 彼の心のあ らゆる動 きは、普遍的な ものに属 している、彼 は顕わである、そ して この顧わ であることにおいて、悲劇的英雄 は倫理学の

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市沢 :キルケ ゴール にお け る沈黙 寵児

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であ り、キルケゴール は倫理学的段 階 においては沈黙 は不可能である とす る。 もう ひ とつの例 は、結婚式直前 に占者 か ら結婚 す る と不幸 になる とい う予言 をうけた男である。 占者 は彼 ひ とりに不幸 を予言 したが、同時 に 花嫁 となる少女の幸福 を も奪 う。 したが って、 彼 の選択 は次の3つ となる :1)沈黙 し、結 婚 す る。 この場合、沈黙 は彼女 を侮辱 した こ とにな り、 ある意味で少女 に責 めを負わせ る。 もし彼女がその事情 を知 っていた ら、結婚 に 同意 しなかったであろうし、彼 の沈黙 によ り、 彼 女 か らの怒 りも耐 えな けれ ばな らな い ;

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)沈黙 し、結婚 しない。 これ は少女、 そ し て、真実の愛 に対す る侮辱 を含 む ;3)沈黙 を破 り、語 る。 その ことによ り、二人 は離別 す るだ ろうが、 それ は個人 と個人 との自由な 選択 の結果 とい うことにる。倫理学 は語 るこ とを彼 に要求す る とキルケゴール は述べ、 こ こで託宣が公 になされた ものなのか、 それ と も全 く個人的な ものなのかに注 目す る。 占者 を通 しての託宣 は公 に理解 され る ものであ り、 主人公が何 をなそ うとも予言 された ことが起 こ り、彼 は神 との密接 な関係 に入 ることもな く、神 の恩寵 ・怒 りの対象 に もな らない。 しか し、神 の意思が個人 との私的な関係 の 場合、 どれ ほ ど語 りたい と思 って も語 ること がで きず、苦痛 に悩 むだ ろうとキルケゴール は推測す る。「彼 の沈黙 は、彼が個別者 として 普遍的な関係 に立 とうとす る ところに根拠 を もつので はな く、彼 が個別者 として絶対的な もの との絶対的な関係 に置かれた ところに根 拠 を もつ」49が、この ことは次 に述べ る宗教的 段階 におけけるアプラハムの沈黙 にはあては まる。彼 は普遍的な もののために何 ごともせ ず、沈黙 し続 ける。 信仰 にお ける沈黙 は神 との接触、神 の意思 iFl を知 る鍵 であ る、 とキルケゴール は強調す る。 個人 は神への信仰 が深 ければ深 いほ ど、 自己 の内面性 に入 ってい き、結果 として語 る こと が よ り少 な くな る。 しか し、沈黙 は神 的 な も の と、悪魔 的 な ものが ある以上、沈黙が深 け れば深 いほ ど、おそろ しい悪魔 のわな ともな り、 また、神 と個 別 者 との契 約 と もな りう る。50キルケ ゴール はア プ ラハ ム とイサ クの 例 を引 き合 いに出す。51 アブラハム は沈黙 を守 る- しか し、彼 は語 ることがで きないのである。 この点 に、苦悩 と不安 が ある、すなわ ち、わた しが語 る ことによって、わた しを人 に理 解 させ る ことがで きない とき、た とえわ た しが明 けて も暮 れて も間断な く語 った に して も、わた しは語 っている ことには な らない、 これが アプラハ ムの場合 なの であ る。彼 はあ らゆることを語 る ことが で きる、 しか し一 つの ことだ けを、彼 は 語 る ことがで きない、 しか も、 それ を語 る ことがで きない とき、す なわ ち、他人 が それ を理解 して くれ るようなそれ を語 ることがで きない とき、彼 は語 ってい る ので はない。語 る ことの慰 めは、語 るこ とがわた しを普遍 的 な ものへ翻訳 して く れ る ところにあ る。52 一個人 が沈黙 を守 ることによって他 の人 を 救 うことがで きる場合 に、個人 が沈黙 を守 る ことを我 々 は許 す、 む しろ要求す る。悲劇 的 英雄 とアプラハ ムの違 いは、前者 はまだ倫理 的 な ものの限界 内に どどまっている。 ギ リシ ャ とい う国家のため父 は娘 を犠牲 にす る。 そ の とき父親 は彼 の苦痛 を隠 さね ばさね ばな ら ない。 しか し、やがて全国民が彼 の苦痛 を知

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ることになる。53しか し、アブラハムが沈黙 を 守 るのはイサ クを救 うためでな く、アブラハ ム自 らのため、 そ して神 のためであるゆえ、 イサ クを犠牲 にささげるとい うアブラハムの 課題 は世 の常識 に とってはつ まず きになる。 なぜ な ら、 自分が 自分 自身のために自分 を犠 牲 にす るな ら納得がい くが、 自分 のために、 他 の人間 を犠牲 にささげる とい うことは、許 せない。倫理的段階 はアプラハム を非難す る。 とい うのは彼が普遍的な道徳 で はな く、全 く 個人的 な理 由 (それ も殺人 とい う普遍的 な道 徳 に反す る)によって沈黙 したか らである。54 沈黙 にお ける倫理的段階 と宗教的段階の違 いをキルケゴール は次の ように要約す る。「非 劇的英雄 は普遍的な もの を表現す るために、 自分 自身 を諦 める。信仰 の騎士 は、個別者 と なるために、普遍的 な もの を諦 め る。」55信仰 の騎士すなわち、アプラハム は普遍的な もの のために自分 自身 を放棄す るの は感激的で、 勇気 を必要 とし、す ぼ らしい ことだ と知 って いる。 また、純粋で、椅贋で、で きるだけ欠 点のない自分 自身 をだれ にで も理解 させ られ る。 それ ゆえに、アブラハム は、父親 にふ さ わ しい ようにイサ クを普遍的な もののために 犠牲 にささげて、世 の父親 たちを感激 させ る のが 自分 の任務 と願 ったか もしれない とキル ケゴール は考 える。しか し、同時 に、「普遍的 な もの よ りも高 い ところに、孤独 な小径が、 せ ま く、 そしてけわ し く、 うね りくね ってい るの を知 ってい る」56とア プラハ ムの心境 を 理解 しよ とす る。 アプラハ ムは自分が どうい う状況 におかれてい るのか、 また人々 に対 し て どうい う関係 にあるのか を認識 している。 人間的 に言 えば、正気 を失 っている。 そ して、 だれ に も自分 を理解 させ ることがで きない。 自分 は何一つ普遍的な もののためにな してい るので はな く、ただ 自らが試み られているに す ぎない と知 っている。 キルケゴール はこの 信仰 の騎士 に同情 す る。 あるゆる瞬間 に、後 悔 して普遍的 な ものへ逆戻 りす る可能性が あ るので、安眠す る ことす らで きない。 この可 能性 は真理 であ るか も、 または まどわ しであ るか もしれない。 その どち らであるかの説明 を、彼 はだれ に も求 めることがで きない。 「神 に対 す る絶対的義務 とい うものが存在 す るか、 もしその ような義務 があ る とすれば、 この義務 は個別者が個別者 として普遍的な も の よ り高 くにあ り、個別者 として絶対者 に対 し絶対 的 な関係 にあ る」57とい うキル ケ ゴー ルの課題 は、我々の 日常生活 で起 こる出来事 での決断 について も言 えると思 う。

Ⅳ.

沈黙の教師

旧約聖書 の蔵言 には 「口を制 す るものは国 をも制す る」 とい うのが ある。沈黙 は偉大 な 武器 で もあるようだ。人間 は語 ることがで き るゆえに、適 当な時 に沈黙す る とい うことは 偉大 な技量 である、 とキルケゴール はみなす。 しか し、 この利点が人間 に不適 当な時 に話 し て しまう誘 惑 に刈 られ、 自分 を破滅 に追 い込 む こともあ る。我 々 は沈黙 をす ることをだれ か ら、何 か ら学ぶ ことがで きるのだ ろうか。 キルケゴール は示唆す る、 その模範 となるも のは 「百合 と烏か ら学べ」 と。で はそれ らは 人間か ら学 ぶ ことがで きない沈黙 について何 を教 えて くれ るのだ ろうか。 鳥や百合 は語 りか けるための器官が備わっ ていないの は我々 は百 も承知である。 しか し、 キルケゴール は忠告す る。 汝 は言 うべ きで はない、「百合や鳥が沈黙

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市沢 :キルケゴール にお ける沈黙 しうるのは、実 は語 りえないか らである」 と。--汝 は沈黙 して真筆 となる代 わ り に、愚か に もまた無意味 に も沈黙 を破 っ て談話 を始 める とい う失策 をや り (おそ ら く沈黙 を談話 の対象 として)、そのため に沈黙か らは何 ひ とつ生 まれないで、か 談話が生 まれ (る)058 神 の前 において また、悩 みのなかにあって も、 自己 自身 を百合や烏 よ りも重要 な もの と 考 えるべ きで はない。 そのかわ り、次の二 つ の ことを百合や烏 を教師 として学ぶ ことをキ ルケゴール は勧 める。 1. 沈黙 して、辛抱強 く待つ 百合や烏 は沈黙 して待 ってい る。百合 は性 急 な質問 は しない

「いつ春が来 るのか ?いつ 雨が降 るのか、 日は当るのか ?今年 はどんな 夏 なのか ?長 いのか、短 いのか

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」また、「雨 が多す ぎる、暑 す ぎる」 な ど不平 は言わない。 とい うのは彼等 はすべてが起 こるべ き時期 に 起 き、来 るべ き時 に来 る、 そ して、 その 日時 は彼等が知 るべ きもので もない と理解 してい る。単純 な心 を持 ってい るが、決 して欺 かれ はしない。来 るべ き時期が来 る と、静かに「そ の時」である と理解 し、 それ を利用する。 し か し、人間 は沈黙 を守 り、待 つ ことがで きな い。「その瞬間」が決 して来 ないの はその為 で ある。 その 「瞬間」がた とえ到来 して も、気 付 かない。 瞬間 はた とえ豊 かな意味 を自己 に蔵 して いて も、決 して 自己の到来 を告 げるため に、前触れ を しないか らである。 その上 瞬間の訪れ るや、 それ はあ ま りに もすみ 13 やかである。実際、 その とき瞬間 は自己 を告 げ知 らせ るために、一瞬の時 を も有 して はいない。 そ して瞬間 はそれ 自身 の きわ めて重要 な意味 を有 してい るのに も かかわ らず、喧騒 や叫喚 を伴 ってや って きは しない。 む しろひそやか に、最 も身 の軽 い もの よ りもさらに軽やか な足取 り で--瞬間 は忍 びやかに訪れ る。 それ ゆ え、瞬間の到来 を感知 しようと思 うな ら、 きわ めて静 か に していなけれ ばな らない。 しか も一瞬 にその瞬間 は過 ぎ去 ってゆ く。 そえゆえ、 もし巧 みに瞬間 を利用 すべ き であ るな ら、 きわめて静か に していな け れ ばな らない。 しか も万事 は瞬間 に懸か ってい る。 それで はなぜかれ らは瞬間 を 感知 しなか ったのであろうか。 それ はか れ らが沈黙 しえなか ったか らにはかな ら ない。59 自分が制御 で きない状況や環境 について は 不満 を言わず、与 えられた もののなかで最善 を尽 くす、 そ して、 ほんの些細 な事柄 、事象 か らの しるLを逃 さない ように常 に目を覚 ま して、静 か に待 て、 とい うことだ ろ う。多 く の人間の生活 においては、時間 と永遠 が相触 れ る瞬間が感知 されず、時間的な もの と永遠 となる もの とが互 いに分離 してい る、 とキル ケ ゴール は指摘 す る。 2. 沈黙 を保 ち、悩 む 百合 と烏 は黙 り、悩 み続 ける。砂漠 のひ と りばっちの烏 は沈黙す る。不平 は何 も言わず、 誰 も責 めない。 しか し、ため息 をして また沈 黙す る。決 Lで 悩みか らは解放 され ない。だ が、「沈黙せ る烏 は苦悩 をいっそ う烈 し くす る ものか ら、- 誤解 に もとづ く他人 の同情か

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ら、すなわち、苦悩 を永 くす るものか ら-解放 されている し、 また苦悩 についての多 く の健吉か ら、--すなわち、焦燥 と思 い煩 い とい う罪 にまでいた らしめる ものか ら解放 さ れてい るので あ る

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とキルケ ゴール は記述 す る。 しか し、烏 は沈黙 しているようで も、 沈黙 しているので はな く、 自分 の運命 につい て神 に悲 しく訴 えか け、 自分 の心 を思 い煩 い の中で汚すにまかせてい るのだ、 と考 える人 がい るか もしれない。 それ に対 してキルケゴ ール は反駁す る.実 は、 そ うで はな くて、烏 は沈黙 Lで悩んでいるのである と。百合 に関 しては、萎れ る ときに悩 めることになって も、 沈黙 を保 つ。百合 も自己 を偽 ることはで きな いのだ と。 百合 は色 を変 えて、 自己の悩 んでい るこ と洩 さないわ けにはゆかず、 それ に対 し てはいかん ともしえない。 しか し百合 は 沈黙 している。百合 は自己の悩 んでい る ことを隠すためには、 まっす ぐに立 って いたい と思 うで もあろう。 しか るに百合 はそ うす る力 もない し、 自分 自身 を思い の ままにす ることもで きない。 そ こで百 合 の頑 はたれ下が ってい る。かたわ らを 通 り過 ぎる人 は、(もし多大 の同情 を寄せ て、百合 に目を止 めるな らば !) それが どういうわ けであるか を理解す る。(それ は実際 きわめて明瞭 に語 ってい るのであ る。)61 で は、人間の苦悩が百合 の苦悩 と比べて、 よ り恐 ろしくみえるのはなぜか。 それ は人間 が語 りうるとい うよ りも、人間が沈黙で きな いか らである とキルケゴール は推察 す る。百 合 の苦悩 はそれ以上 に も以下 に もな らない。 人 間 においては苦悩 はよ り小 さ くなることは ないが、大 き くなってい く可能性が ある。 と い うのは語 ることがで きる とい う人間の優越 性 か ら、苦悩 は限 りな く多大 にな り、 よ り恐 ろし く見 えるのだ とい う。百合 と烏 は沈黙 し、 他 とは比較 しない。 ある百合 は裕福 な生活 を しているか もしれないが、他の貧乏 な百合 と は比較 しない。 自分 自身の美 しさには無頓着 であ る。 ソロモ ンの栄華 とも、 また、 もっ と も酷 い もの とも比較 は しない。「烏 はい とも簡 単 に空 を飛ぶ ことがで きるが、問題 を背負 っ た人間の足取 りの重 いステ ップ とは比較 しな い

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それ ゆえに、美 しい百合 と自由に飛 ぶ 烏 には破れ ることのない沈黙が ある とい う。 日常生活 の談話の中で も他 と比較す ることに よって、常 に誤解 が生ず る。幸運 な人間が問 題 を抱 えた男 に こう話す。「まあ、陽気 になろ うじゃないか。」この言葉 自体 は 「自分 のよう に」 とい う意味合 いを含 んでいる。強い男が 弱 い ものに向か って、「強 くな りなさい」とい う時 は 「私 の ように」 とい う意味合 いが含 ん でい る。63ゆえにあ えて沈黙 をす る とい う こ とは二者 を同時 に配慮 している。「沈黙 は当事 者二人 を尊ぶ。 ヨブ記 の ヨブの友人 の ように。 尊敬か ら困惑者 と供 に沈黙 して座 り、敬意 を もって彼 を抱 き抱 えた

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しか し、友人 の言 葉 によって彼等の沈黙 は破 れて しまい、言葉 で もって ヨプを痛 めつ ける結果 になった。

Ⅴ.

沈黙の結果

キルケゴール は 『野 の百合 ・空の烏』のな かで 「先ず神 の国 を求 めよ」 とい う福音書 を 引用す る。 この引用 と沈黙 とは どの ような関 係 にあるのだ ろうか。 まず、福音が意味す る ことは何 なのか。 キルケゴールの見解 は、他

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市沢 :キルケ ゴール にお ける沈黙 に影響 を及ぼすために自分の能力 にあった仕 事 を得 ることで も、すべての財産 を貧困者 に 与 えることで も、 また、 このメッセージを世 界 に伝 えるためで もない。彼 は言 う、「汝 は最 も深 い意味 において汝 自身 を無 とすべ きであ り、神の前 において無 となるべ きであ り、沈 黙す ることを学ぶべ きである。 この沈黙す る ことが発端であ り、沈黙の うちに汝 は先ず神 の国を求めるのである

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と。「神 を畏れ るこ とと共 に知恵が始 まるように、沈黙 とともに 神への畏れが始 まる

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この沈黙 においてわ れわれの願望 は神への畏れのために口にはで て こな くなる、 とキルケゴールは考 える。真 筆 に祈 るものはその ことを知 ってお り、 よ り 心の底か ら祈れば、 よ り思考がな くな り、語 ることも少な くなる。最終的には完全 に沈黙 し、 自分 自身は無 にな り、聴 くもの となる。 「先ず神の国を求める」 ということは、先ず 祈 り、 この祈 りが真の祈 りになった とき始 め て、沈黙す る。 この沈黙が意味す るところは 「神 に対す る畏敬、すなわち、統べ給 うてい るのは神であ り、思慮分別 を有す るのは神お 一人であることを表現 しているのである。一一 神 の語 り給わない時でさえ、万物が神 に対す る畏敬 によって沈黙 していることは、あたか も神が語 り給 うているかのように、人 には感 ぜ られ るのである

」 67 百合 と烏のおかげで福音が神の前で完全 に 沈黙す ることに成功するならば、次 に我々の 思考のなかに来 るのは この ことである。 汝の名声高 き名 をも、悪評高 さ名 をも、 また取 るに足 らぬ名 をも忘れ果てて、 口 をつ ぐんで、「御名 を崇めさせ給 え」と神 に祈 るであろうに。そうするな らば、汝 は沈黙の中で汝 自身 を忘れ去 るであろう 15 に。すなわち、汝 の偉大 にしてすべてを 包括す る計画 をも、あるいはただ汝 と汝 の未来のための小 さな計画 をも忘れ去 っ て、口をつ ぐんで、「御国 を来た らせ給 え」 と神 に祈 るであろうに。 そうす るな らば、 汝 は沈黙の中に汝の意思 を忘れ去 るであ ろうに。すなわち・-・・口をつ ぐんで、「御 心 を成 らせ給 え」 と神 に祈 るで あ ろ う に。68 もし我々が百合 と鳥か ら神 の前で沈黙す る ことを学べば、不可能 な ことは何 もない、我々 の仕事 を達成するのを福音が助 けて くれ るの だ とキルケゴールは確信 し、 ソロモ ンの言葉 と福音 を比較する。「神 を畏れ ることが知恵の 始 まりであ り、沈黙 はまた神 を畏れ ることの 始 まりである。蟻 の もとに行 って賢明 となれ と、 ソロモ ンは言 った。福音 は百合 と鳥の も とに行 って、沈黙 を学べ とい うのである

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百合 と烏か ら学んだ沈黙 によって人間 は神 に服従することを学ぶ。 その結果 として得 る のが歓 びであるとキルケゴール は断言す る。 その歓 び とはどんな ものであろうか。 それは人が 自分 自身 に対 して現在的であ る時である。 しか るに自己 に対 して真 に 現在的であるとい うことは、 この「今 日」 とい うことであ り、今 日存在 す る、真 に 今 日存在するとい うことである。 そ して 汝が今 日存在す ることが、真実であれば あるほど、従 って汝が汝 自身 に対 して、 今 日完全 に現在的であればあるほ ど、 そ れだけ明 日とい う不幸 な日は、汝 に とっ てそ こに存在 しないのである。歓 び とは 現在的な時の ことであ り、すべての重み の懸 けられた意味での現在的な時の こと

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で ある。 それ ゆえ神 は至福 である。永遠 に今 日と告 げるその神 は。--従 って百 合や鳥 はその ように歓 んでい るのである。 かれ らは沈黙 と絶対服従 を通 して、今 日 存在 す るが ゆえに、 自己 自身 に完全 に現 在 的なのであるか ら。70 百合や鳥 は昨 日 と明 日の ことに関 しては全 く関心 を示 さない。今 日の 日だ けが彼等 には 存在 してい る。 「今 日を生 きている」、 これが 歓 びで ある。 なぜ な ら、 もし荘厳 な沈黙 の中 で黙すな ら、「明 日」とい う日は存在 しないだ ろうか ら。71 そ して、我々 は完全 な沈黙、絶対 なる服従、 絶対 的 な歓喜で、「国 と力 と栄 え とは汝 の もの なれ ばな り」 とい う主の祈 りを完結で きる。 しか り、御 国 はかれの ものである。 それ ゆえ汝 は絶対的 に沈黙 しなければな らな い。 そ うす ることによって、汝 は、汝が そ こにいることを目障 りにな らない よう にし、む しろ絶対的な沈黙 の荘厳 さを通 して、御 国 はかれの もので あることを表 わす ことになるのである。 そ して力 はか れの ものである。 それゆえ汝 は絶対 に服 従 し、すべてにおいて絶対服従 でなけれ ばな らない。 なぜ な ら、力 はかれの もの であるか ら。 そ して栄光 はかれの もので ある。 それゆえ汝 は汝の行 うすべての こ とにおいて、かつ また汝 の蒙 るすべての ことにおいて、絶対的 になお一つの こと を、すなわち、神 に栄光 を帰す る とい う ことをなさねばな らない。 なぜな ら、栄 光 はかれの ものであるか ら。72 絶対的歓喜が ある とき我々 は神 に栄光 を帰 す ことがで きる、 なぜ な ら国 と力 と栄光 は永 遠 に神 の ものであ るか らと、キルケ ゴール は 力説す る。福音 で最 も重要 な ことは 「人間が 神 に従 う」 ようになることであ り、誤 りを指 摘 して、叱責す ることで はない。 そのために 福音 は、「ただ求 めよ」のかわ りに、「まず求 め よ」 とい う表現 を使用 し、すべての人間の 異論 を封 じ込 め、人間 をだ まらせ、実際 に神 の国 を求 めさせ るように してい る。 この追求 心が人間 を満足 させ、真筆 に神 の国 を求 めさ せ るようにす る。 ゆえに我々人間 は百合や鳥 の ように完全 に沈黙 し、神 の国 をまず求 める べ きだ と強調す る。 そうす ることによって、 歓 び とともに 「残 りのすべての ものは、汝 に 加 えられ るで あ ろ う

73とキル ケ ゴール は確 信 す る。 おわ りに 日本語 の 「宗教」 は英語 でreligionと訳 さ れ る。 その語源 はラテ ン語、relat-「関係」と い う言葉か ら由来 す る。すなわち、人間 と神 との関係 を暗示 してい る。ユダヤ ・キ リス ト 教 の創造主である神 は時間 ・空間 を問わず、 自身が存在す る。 キルケゴールが説 くように、 創造物 である人間が 「精神」 なのであれ ば、 神 の意志 を知 る ことが可能 であろう。 しか し、 同時 に我々 は環境 に左右 され る物質で もある。 精神 であるゆえに、精神 的な誘惑が内面 に入 り込 み、 また物質 であるゆえに、 肉体が要求 す るものにコン トロール され、不純物が侵入 して肉体 が破壊 され ることもあ る。人間が真 の意味で沈黙 し、神 の意志 を知 る条件 ・環境 を持つ ことを、様 々な要素が阻 んでい るよう だ。「すべての業 には時がある」ように 「すべ ての業 には場所」が必要 なのか もしれない。

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市沢 :キルケゴール にお ける沈黙 や は り沈黙 の時 と場所 を確保 す ることが人間 に課せ られてい るのだ ろう。 神 の沈黙 は人間の沈黙 とは異 なっている と ピカー トは考 える。 しか し、彼 は 「沈黙 と信 仰 との間 には或 る種 の関係が存在す る。信仰 の領域 と沈黙 の領域 とは、相 い依 って一体 を なすのである。つ ま り、沈黙 は、 その うえで 信仰 とい う超 自然的な ものが成就 され る とこ ろの 自然的な土台

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であ り、祈 りのなかで人 間の沈黙 は、神的なる沈黙 に出会 い、祈 りの 言葉 は人間の沈黙 を神への沈黙へ と案内す る と述べ、 キルケゴールの言葉 を彼 の著 『沈黙 の世界』の最後 に引用 して、沈黙 の重要 さを 訴 える。 現代世界 の状態、 いや、生活全体が病 ん でい るのだ。 もしも私が医者 であって、 どうすれ ばよいか と相談 を うければ、私 はこう答 えるだ ろう・--・『沈黙 を創れ !』 実際、人間たちを沈黙へ と連れてゆけ。 神 の御言 は この ような有様 では聴 きとら れ るもので はない。 そ して、 もしも神 の 御吉が、喧騒 のなかで も聞 こえるように と、喧騒 な手段 を用 いて騒々 し く叫 ばれ た りす るな ら、 それ は もはや神 の御言で はないのだ。だか ら、沈黙 を創れ !75 本稿 は神への絶対的服従 としての 「沈黙

を取 り上 げた ものであるか ら、当然神が存在 す る とい うことが前提 で書 かれてある。 キル ケゴールの思想 は神 の存在 を抜 きにして語 る ことはで きない。しか し、「ⅠⅠ.沈黙 のなす業」 に示 された ように、信仰 の有無 にかかわ らず、 日常人々 と交わ る中で沈黙 の意義 ・重要性 を キルケゴールか ら多 く学ぶ ことがで きる と思 う。また、約150年前 にキルケゴールが訴 えた 17 「沈黙 を創れ」 とい う課題 は、忙 し く騒 が し い現代 において一層必要 になって きてい るの で はないだ ろうか。 開発 ・発展 とい う名 の もとで、山々が切 り 砕 かれ、田園 も押 しや られ、道路 が延 び、新 しい家並 みが増 す とともに、 自然が減少 して い く。現在 この地球 か ら、多 くの生命 を宿 す 場所が どん どん消失 している。埋 め立 て られ る湿地 、伐採 され る熱帯雨林 、 コンク リー ト で底 もろ とも囲 まれて しまった川、 テ トラポ ッ トで覆 われた海岸線。古代 か ら人 間が神聖 な場所 としていた ところが どん どん消 えてい く。 それ に変 わ って生命 を脅かす物質 ・生体 が現われて きた。 そ して、 自然 の根源 とな る 土、水、空気 と純粋 な もの までが不純物 にな って しまった。 これ と時期 を同 じ くす るよう に我々の周 りか ら沈黙が消失 してい るかの よ うである。沈黙 は自然 と同 じように我々人 間 の肉体 と精神 を育 むには必要 な もの、 いや土 壌 その もの と言 えないだ ろうか。古今東西、 沈黙 の重要 さは語 られ、多 くの芸術 、 日常生 活で使用 され、重宝 されて きた。同時 に、空 気 と同 じようにあ ま りに も身近 にあるのでそ の存在 ・重要性 に気がつかないのか もしれな い。 それが、情報 ・娯楽 ・便利 さ とい う名 の もとに、外的 ・内面的騒音 によって侵 されて い る。 いや、土壌 であ るべ き沈黙 自体 が消 さ れ ているようだ。沈黙が消 され る とい う表現 は矛盾 してい るようであるが、沈黙 を真空で はな く、生物 が生 きるための きれいな空気 で ある と考 えれ ば納得がい くと思 う。 沈黙 は神聖 である とキルケゴール は主張 し た。古代 か ら人間 に とって山 ・川 ・海 は我 々 を育 てて きた神聖 な存在 であった。沈黙 も人 間の肉体 と精神 を育 む神聖 な存在で ある とい う観点か ら、我々現代人 も、 よ り真筆 に沈黙

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の意 義 を考 える必 要 が あ るの で はな い だ ろ う か。 1 マ ックス・ピカー ト『沈黙 の世界』、佐野利勝 訳 (みすず書房 1996年)p.2540 2 キルケゴール 『野 の百合 ・空の鳥』、久 山康 訳、 『キ ル ケ ゴ ー ル 著 作 集18』 (白 水 社1995 年)0 3 同上、p.2070 4 同上、p.2070 5 キルケゴール 『想定 された機会 にお ける三 つ の講話』、豊福淳一訳、『キルケゴールの講話 ・ 遺稿集4』 (新地書房 1983年)p.2980 6 『キ リス トと我等の ミサ』、編集 タル タ リ、中 央 出版社、p.80 7 キルケゴール 『想定 された機会 にお ける三 つ の講話』、p.2600 8 同上、p.2600 9 同上、p.3120 10 同上、pp.262-263。 11 同上、p.2610 12 同上、p.310。 13 同上、pp.311-312。()内 は筆 者 が補 っ た。 14 同上、pp.297-2980 15 同上、p.2980 16 同上、p.2620 17 同上、p.2620 18 同上、p.2630

19 Soren Kierkegaard,``On Authority and Revelation,"trams. Walter Lowrie (Pri n-ceton:PrincetonUniversityPress,1955),p. 122。訳 は筆者。 20 キ)I,ケゴール 『哲学的断片への結 び としての 非字 間的 あ とが き (中)』、杉 山好 ・小 川圭 治 訳、『キルケゴール著作集8』(白水社 1995年) p.920 21 キルケゴール 『人生行路 の諸段階 (下)』、佐 藤晃一訳、『キル ケ ゴール著作 集14』 (白水社 1995年)p.800 22 同上、pp.81-82。 23 キルケゴール 『哲学的断片への結 び としての 非学 問的 あ とが き (下)』、杉 山好 ・小 川圭 治 訳 、『キルケゴール著作集9』(白水社 1995年) p.282。 24 同上、p.282。 25 同上、p.281。 26 同上、p.281。 27 キルケゴール『おそれ とおのの き』、桝 田啓三 郎訳、『キルケゴール著作集5』(白水社 1995 年)p.146。 アプ レイウス 『黄金の ろば』のな か挿話 「愛 (アモール)と心 (ブシュケ)」の物 語第四巻10。この記載 は訳者 の桝 田氏 の訳注 を 参照。 28 キ ル ケ ゴ ー ル 『あ れ か、 これ か (第 一 郡 上)』、浅井真男訳、『キルケゴール著作集1』(白 水社 1995年)p.570

29 SorenKierkegaard,"SorenKierkegaard's JournalsandPapers,Vol.ⅠV,"tram.anded. HowardandEdnaHong(Bloomington:I n-dianaUniversityPress,1967),p.98。訳 は筆 者。 30 キルケゴール 『愛 のわ ざ (罪-部)』、武藤一 雄 ・芦津丈夫訳、 『キルケゴール著作集15』 (白 水社 1995年)p.135。 31同上、p.2240 32 同上、p.225。 33 同上、p.2260 34 キルケゴール 『愛 のわ ざ (第二部)』、武藤一 雄 ・芦津丈夫訳、『キルケゴール著作集16』 (白 水社 1995年)p.129

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35 『新約聖書』ルカ11章 :140 36 キルケゴール『不安 の概念』、氷上英鷹訳、『キ ル ケ ゴ ー ル 著 作 集10』 (白水 社 1995年)p. 178。 37 同上、p.1830 38 『新約聖書』マル コ5章:1-20、ルカ8章 : 26--390 39 デ ンマー ク国教 会 の主監督 マ- テ ンセ ンは 前任 の故人 ミュ ンス ター を真理 の証 人 と呼 ん だ。それ はキ リス ト教 に対 す る侮辱 とキルケゴ ールは受 け取 った。 とい うのは彼が考 える 「真 理 の証人」とはキ リス トの真理 を伝 えるために 血 を流 し死 んでい く、殉教者である。キルケゴ ールの ミュンス ター批判 はデ ンマー クのキ リ ス ト教会、聖職者、及、彼 自身 を含 めた 自称 キ リス ト者 と呼ぶ 国民全体 に対 す る もので あっ た。実際 にわれわれ はその ような生活 をしてい

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