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モンゴルでのマンシュウザリガニ採集記

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Academic year: 2021

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C A N C ER 9 (2000), p. 29-32 29

モンゴルでのマンシュウザリガニ採集記

川 井 唯 史 ・ 荒 井 健

マ ン シ ュ ウ ザ リ ガ ニ Cambaroides dauricus (Pallas, 1772)はアメリカザリガニ科 C am baridae, アジアザリガニ亜科 C a m baroidinae,ア ジア ザリ ガニ属 C a m b aroides に含まれる . 本種は大きさ(限 街頭胸甲長) 31. 3 - 40. 5mmに成長し (T aked a, 1989) ,北朝鮮,韓国,モンゴル,中国,ロシア に分布する記録が有る (F axon . 1885 ; Birshtein and Vinogradov. 1934 ; Okada. 1933). 本種の主 な生息域は 山地の渓流で湖沼等にも生息し ,抱卵 ・抱稚個体が見られる繁殖時期は夏である( 木場, 1942) . また中国では本種が食用とされた記録も ある (D e Sowerby, 1922).

Birshtein and Winogradow (1934) はマンシユ ウザリガニを

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亜種に分けた. 一つはアムール川 流域に分布する C. d. dau ricus,次に Peter Great 湾への流入域と Myda.Dzyan 川の支流に分布する C. d. wladiwostokiensis,最後にタタール海峡への 流入河川 とアムール川河 口近くの D ronge 近郊に 分布する C. d. koshet仰 向W lである. これら 3 亜 種は額角 ,腹側板の形状で区別されている. さら に Starovogatov (1995) は, 3 亜 種 の 鋭 角 , 腹 側板,尾肢等の形態を観察しマンシュウザ リガニ を分類学的に再検討した . すなわち A r gu n.Zeyan 州 に 分 布 す る C. d. dauric叫s を 仁 dauricus,

Komarovian d ωladωos tokiensis をC . wladiwostokensis, O relion d目 的sheumikω凡をC . koshewnikowi と記載した. とこ ろ が ア メ リ カ の ザ リ ガ ニ 分 類 学 者 の F itzpatrick (1995) は S to rovogatov 教授の記載論文を強く否 定した . その理由としては,マンシュウザ リガニ が ロ シ ア 以 外 に も 分布し て い る に も か か わ ら ず Storovogatov (1995) がロシア産の襟本しか観察

Tadashi K A W A I and K en ARAI: E x ploration of C a m b aroides dauric叫s in Mongolia.

しておらず, しかもザ リガニ類( 特にアメリカザ リガニ科) の分類で重要視されている形態 ( 雄に おける第

l

腹肢の精子溝,第

1

J)皇肢先端の練,第 2 • 3歩脚座節の鍵爪,雌の 環状体,問、の構造) や生態( 雄の第 1腹肢の型) が無視されたことで ある. その他にも本記載論文は,検索表による簡 単な記載に留まり , アジアザ リガニ属では地理的 な 形 態 変 異 が 大 き い 形 質 で あ る 尾 肢 , 額 角 (Skorikov, 1907 ; Fitzpatrick, 1995) により種の 区別が行われている等の問題点が多い. そのため 著者の一 人である 川井も本論文の妥当性には検討 の余地が残ると考えている . Storobogatov 教授と Fitzpatrick,

J

r教授の異なっ た見解 を正当に評価 するのには,多くの生息地の標本 を観察すること が前提条件の ーっとなる . なお 1998 ・1999年に北 海道大学理学部,東京大学総合研究博物館,国立 科学博物館,千葉県立中央博物館,北九州市立自 然史博物館,ライデン博物館, フンボルト大学自 然史博物館を調査したところ, 北海道大学,千葉 県立中央博物館, 北九州市立博物館,フンボル ト 大学自然史博物館でマンシユウザリガニの襟本が 見つかった( 表1 ) . しかし標本の産地は中 国 (北 海道大学,北九州市立博物館) ,ロシア( 千葉県 立中央博物館, フンボ ルト 大学自然、史博物館) だ けである. よってモンゴル産の標本は分類学上大 切ではありながら見当たらない. 以下モ ンゴルで のマンシュウザリガニの標本採集旅行について紹 介する. 著者の 一人である荒井は, 1993年 7 月31 日から 8月3 日にかけてモンゴルのザリガニ類採集を行 った . 調査場所は,ザリガニ類の分布情報が得ら れているへンティ H enti y 県のパチュ レッ ト (モ ンゴル語を正確に和訳するとパットシイレートに なるが現地 の方の発音がバチュレットと聞き取れ るので,以下パチュ レッ トとする ) 村である( 図

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30 表1 マンシュウザリガニの標本 { 民色場所 採集年月H t京集場所 個 体 数 平 均911胸 中 長 llj胸 中長 範IJll 標本番号 北海道大学: t '!1学ull 千葉以号、〉中央怖物 館 1937年つ月ワH 1995年5月8卜l ハルス ー (万州国)

¥¥' est Edge of Ussurisky Prescrl'e Ussriysk. Rus

S la 雄3,雌4 IiJl: 3 21. 5mm 34.0 16.5-25.0mm 26 .0-38.8 4 130 C B M 2 C 1978 北九州市立 臼然史 博物館 1938年 8月 ワ日 破f員で性 tolj 別不可 破慌で拙Iji主不"f 破績で測定不可 755 フンボルト大学門 然 史博物館

? 年? 月? 日 Sce Balzina D au ria 雄5, 30 .9 29 .0-32.6 2 MB 3862

保! j . S 場所はラベル記述のまま表記 した . なお7 ンボルト大学 自然! と怖物館 の燃本の rSee salzina DaurIaJ は何 を意味するか不明で

ある. 3 0

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N

図1 1 ) . 当地区は国際線の空港がある 首都ウランパ ートル U laanbaatarから約350km離れている . 調 査 に 参 加 し た メ ン バ ー は 運 転 手 の M A N D A K H . B A A T A R T soodol, モ ン ゴ ル 語 の 通 訳 T E M U U . JI N D ashd ejid,当時東京外国部大学の学生であっ た小暮聡,弊察官エ ルディネ( フルネームは不明 ), 荒升健の計5

1'

1であった. モンゴルは基本的に遊 牧民の国であるため舗装道路がほとんど無い草原 の国である . そのため悪路を走れるジープに乗っ て一行は 7 月31 日の午前中にウランパートルを 採集地点 出発 した. モンゴルでは遊牧民が足を頼りに移動 を行うために地図は必要ないためか, 首都ウラン パ ー ト ル で も 正 確 な 地 図 は 販 売 さ れ て い な か っ た. そのため 一行は幾度と無く進行方向を見失っ ては近くの遊牧民に道を尋ねた. しかも不幸なこ とに ,調査期間中,モンゴルは記録的な大雨にた たられた. そのため道路 (普通に走れる場所) は すぐに無くなり,道無き道の運転を余儀なくされ たため,何度も車をスタ y クさせては脱Jれさせた. なお 一度ジー プがス タックすると全員で主存外に出

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川井唯史 ・荒 井 健

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て車を持ち上 げる作業が必要となる. 最大の難関 は大雨が一時的な激流を作り, 行く手を阻まれた 時であ った. その時 は調査中断も覚悟したが,地 元住民の トラクターによる助力で激流を波 ること ができた. 何度も道に迷い,スタックしたジープ を復帰させる作業が何十 回となく行われ, 一行は 筋肉痛を通り過ぎて体力と精神力の限界に近づい ていた . そして移動開始から丸2 日かけて , 8 月 2 日の夜に 一行は目的地のパチュレット村に到着 した. 8 月 3 日,最初に始めたのはザリガニ類の 分布情報収集であった . パチュレットは人口

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人 ほどの村であり,最近は定住者が住んで、いる. そ のため住民は,地元に生息する生物についても詳 しい情報を持 って いた. 地元の住民によると,最 もザ リガ ニ 類 が 濃 密 に 分 布 す る の は ア ム ー ル A m u r 川の支流であるオノン O non 川水系のエル ク川とのことであった (図2) . そこでエルク 川 でザ リガニ類の採集に取りかか った . ま た地元の 住民( 特に子供) は木の枝で川底の石をめくりな がらザリガニ類を採集して遊ぶそうなので,この 採集方法でザ リガニ類を探した. また篭による採 集 も 試 み た な お調査場所の川は,川幅が約2 5 m , 水深は1 m 以上, 川岸には日本の河川では一般的 に見られる河原がなく, 川岸からすぐに平坦な草 原にな っている. 川底には水草や落ち葉があり , 底質は砂粒から握りこぶし大の石である. 水温は 17度であった . 不運なことに調査した年は記録的 な大悶のため 川が増水していたらしい. そのため か,ザリガニ類は全く見当たらなか った. 地元住 民は, 一行が遠い固からや って来ているのに,目 的のザリガニ類が採集できず苦労しているのを見 かねたらしく,大勢が採集に参加してくれた. し かし依然としてザ リガニ類は採集できない. あき らめかけた時,一人の少年がl 個体のザリガニ類 を撮 って駆け寄ってきた . 我々は何とか1 個体の ザリガニ類を確保できた . そして,この個体が唯 一 の標本となった( 図3) . 一行は 何 とか最低限 の目的を果たし ,その夜は地元住民から夕食の招 待を受け,ザリガニ談義に花を咲かせた . 住民に よるとモンゴル語でザリガニ類は「ハフチ」と呼 び,モンゴル人のラマ教徒は教義に従 って川の生 物を食べないためザリガニ類を食べないそうであ 図2 採集地の河川 図3 マンシュウザリ ガニの標本. 1993年8月3日に モンゴルの エルク 川で荒井健が採集. 頭胸甲長 (20.6mml,雌. る. なお戦後,バチユレット村に旧ソ連兵が駐屯 したとき,彼らは川のザリガニ類を食べたのだが, 地元住民にとっては実に奇妙な光景であ ったとも 話してくれた . なお当地区で一番ザリガニ類が採 集できるのは5 月との情報も得られた. 一行は再 来を誓ってパチュレァトを後にした . モンゴルで採集された標本は ,著者の一人であ る川井が木場( 1942) に従って種の同定を行 った ところ,マンシユウザリガニと同定された . 現在, 本標本は千葉県立中央博物館に保管されている (CB M Z C 5187) . またモンゴルで入手された印刷 物 (Ministry for Nature and the Environment of M ongoli a, 1997) によると以下の情報がある. モ ンゴルでの生息地 はOnon (オノ ン) ,Balj , Eg 川である . マンシュウザ リガニの個体群 は水質汚 染,産卵場所の環境悪化, 密漁により減少してい るため ,本種は希少種となっている . 最後になるがマンシュウザリガニの襟本に関す

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モンゴルでのマンシュウザリガニ採集記 る情報等をいただ いた北海道大学の馬渡峻輔,旭 川大学の斎藤和範,国立科学博物館の武田正倫, 東京大学の坂本一男,浦野貴士,千葉県立 中央博 物館の駒井智幸,水産大学校の浜野龍夫,北九州 市立自然史博物館の薮本美孝,熊本大学の 山口隆 男,チュー レン大学博物館の ]. F. Fitzpatrick , Jr., ライデン陣物館の C. H. ]. M. Fransen ,フンボル ト大学自然、 史博物館の C. O. Coleman,フンボルト 大学の G. Sc holtz

各氏にお礼申 し上げます.

引用文献

Birshtein. Ja. A,. & Vinogradov, L. G., 1934. Freshwater

decapoda of the USSR and their geographical di stribu-tion. A preliminary report. Zoological JOllrnal, 13 (1 )。

39-70 (in Russian w ith G erman su m may)

D e Sowerby. C,. 1922. T he Naturalist in Manchuria,

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Fitzpatrick, Jr,. J. F., 1995. The Eurasian Far-East craw-f

ishes: a preliminary overview. Fresh water Crayfish,

8: 1-11

Fitzpatrick, Jr., J. F., 1997. Eurasian crayfish taxonomy rev iscd-paper review. lAA Newsletter, 19 (1): 5-7 木場一夫,1942.満州図 産ザリガニに就きて( 第l報) .

満 州

% 1

胡│剖立中央博物館論叢, 3 : 53-66 (with Plale X IX).

M inistry for Naturc and the Environment of Mongolia,

1997. Mongoli an Rcd Book. U laanbaartar, pp.l90-191

Starobogatov, Ya. 1. , 1995. Taxonomy and geographical distribution of crayfishes of Asia and East Europe

(Crustacea D ecapoda Astacoidei). Arthropoda Selecta.

4 (3/4): 3-25

Takeda, M,. 1989. Pαragoniun!s in A sia, In : K. Kawashi-m a (eds) , Biology gcnetic variation and speciation. P α-ragoniun!us Rcseach Report 2: 62-63 (with Pl ate V )

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J11井l唯史 ( ニホンザ リ ガ ニ 調 査 グ ル ープ)

参照

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