韓国と台湾の公的医療保険政策の比較研究
――後発国の工業化、民主化と社会政策――
Comparative Analysis on the Public Health Insurance Policy in South Korea and Taiwan:
Industrialization, Democratization, and Social Policy in Late-comer Societies
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科
国際関係専攻
李 蓮花(り れんか)
学籍番号: 4000S312 − 7
2007 年7月
序章 問題関心と研究の目的 1.研究の背景 ・・・ 1
2.なぜ韓国と台湾なのか ・・・ 4 3.なぜ医療保険なのか ・・・ 6 4.研究の目的と方法 ・・・ 7 5.論文の構成 ・・・ 8
第1章 東アジア社会政策研究
第1節 東アジア研究:開発国家論を中心に
1.C. Johnsonの開発国家論とその後 ・・・ 10 2.村上泰亮の開発主義論 ・・・ 12
3.末廣昭の開発主義論 ・・・ 14 第2節 社会政策研究:単線論から類型論へ
1.福祉国家の形成要因:政治か経済か ・・・ 17 2.比較福祉レジーム論の興隆 ・・・ 22
第3節 東アジア社会政策研究:到達点と限界
1.90年代半ば以前:東アジア社会政策研究の萌芽期 ・・・ 24 2.90年代後半以降:東アジア社会政策研究の勃興 ・・・ 26 3.韓国と台湾の医療保険政策の比較研究 ・・・ 33
第4節 論文の主な視角
1.経済、政治と社会政策 ・・・ 37 2.後発性と社会政策 ・・・ 38
第2章 権威主義、経済開発と医療保険の導入 第1節 国家形成、権威主義と輸出志向型工業化
1.植民地時代の遺産 ・・・ 42
2.韓国:「開発独裁」の成立と強化 ・・・ 43 3.台湾:「党国体制」下の工業化 ・・・ 47
第2節 1950−60年代:台湾の労工保険と韓国の任意医療保険
1.台湾における労工保険制度の導入と入院給付の開始 ・・・ 50 2.韓国における「医療保険法」の制定とその形骸化 ・・・ 56 第3節 1970年代の医療保険政策の変化
1.台湾:医療保障の実質化 ・・・ 61 2.韓国:職場医療保険の実施 ・・・ 64
1.導入期の相違点:「介入的」な台湾vs.「放任的」な韓国 ・・・ 68 2.導入期の共通点:選択的適用と公平性の欠如 ・・・ 71
3.上位概念としての冷戦体制 ・・・ 74
第3章 民主化のなかの皆保険化 第1節 韓国と台湾の民主化
1.韓国の急進的民主化 ・・・ 77
2.台湾の「分割払い」式民主化 ・・・ 79 第2節 韓国における組合方式の全国民医療保険の実現
1.彷徨する地域医療保険と第1次一元化論争(1980−1984年) ・・・ 81 2.「全国民医療保険」:躊躇から決断へ(1985−1987年) ・・・ 91 3.「医療保険是正運動」の勃興と組合方式皆保険の完成(1988−1989年)
・・・ 94 第3節 台湾における一元的な全民健康保険の実現
1.各種医療保険制度の乱立と問題の蓄積(1980−1986年) ・・・ 109 2.皆保険化の政策決定と制度設計(1986−1992年) ・・・ 117
3.「全民健康保険法」の制定と皆保険の実現(1993−1995年) ・・・ 125 第4節 韓国と台湾の皆保険化の比較
1.韓国と台湾の皆保険化の共通点 ・・・ 131 2.韓国と台湾の皆保険化の相違点 ・・・ 133
第4章 後発国における工業化、民主化と社会政策 第1節 後発工業化と後発民主化の社会政策的側面
1.後発工業化とその社会政策的側面 ・・・ 139
2.後発工業国における民主化とその社会政策的側面 ・・・ 147 第2節 韓国と台湾の医療保険政策の共通性:工業化と民主化の後発性から
1.制度導入期における工業化、権威主義と医療保険政策 ・・・ 157 2.皆保険化期における民主化と医療保険政策 ・・・ 159
第3節 韓国と台湾の医療保険政策の相違性:工業化と民主化のタイプの違いから 1.制度導入期の相違点:工業化と権威主義体制の違い ・・・ 164
2.皆保険化期の相違点:民主化の径路の違いと制度遺制 ・・・ 166 第4節 社会政策における後発性
1.社会政策的意味における後発性とは ・・・ 169 2.後発性の利益 ・・・ 170
3.後発性の不利益 ・・・ 172
1.主な結論 ・・・ 175
2.90年代以降の動向 ・・・ 178
3.「後発福祉国家論」、および今後の課題 ・・・ 180
付録① 韓国と台湾の医療保険関連年表 ・・・ 183
付録② 韓国における医療保険の政策決定の多元化 ・・・ 186 付録③ 韓国における医療保険診療報酬の増加率の推移 ・・・ 187 付録④ 皆保険前の台湾の社会保険制度(1980年代末) ・・・ 189 付録⑤ 全民健康保険実施後の外来時患者自己負担額の変化 ・・・ 190
参考文献 ・・・ 191
<図>
図0−1 経済水準と社会保障支出 ・・・ 2
図1−1 三つの福祉レジーム、および境界事例 ・・・ 23 図1−2 経済、政治と社会政策 ・・・ 38
図3−1 韓国の全国民医療保険体系(1989年) ・・・ 107 図3−2 台湾の医療網構築計画 ・・・ 116
図3−3 韓国と台湾の皆保険体制の比較 ・・・ 135 図3−4 皆保険時の国民医療費の財源別構成 ・・・ 136
図4−1 ダールによる自由化、包括性と民主化への移行径路 ・・・ 152 図4−2 制度導入期の韓国と台湾の共通点の解釈 ・・・ 157
図4−3 皆保険期の韓国と台湾の共通点の解釈 ・・・ 159 図4−4 導入期の韓国と台湾の相違点の解釈 ・・・ 164 図4−5 皆保険化期の韓国と台湾の相違点の解釈 ・・・ 166
<表>
表1−1 市民権の発展 ・・・ 21 表1−2 韓国と台湾の後発性 ・・・ 39
表2−1 1950−70年代の韓国と台湾の1人当たりGDPの推移 ・・・ 45 表2−2 韓国と台湾のジニ係数の比較 ・・・ 50
表2−3 李承晩政権と過渡期に制定された社会保障関連法律 ・・・ 58 表2−4 韓国の任意医療保険加入者数の推移 ・・・ 60
表2−5 台湾の労工保険に占める医療給付の割合 ・・・ 62 表2−6 韓国の被用者医療保険の適用範囲の拡大 ・・・ 67 表2−7 制度導入期の韓国と台湾の医療保険の比較 ・・・ 69 表2−8 韓国の中央政府の社会保障支出(1970年代) ・・・ 72 表2−9 台湾の各級政府純支出の構造 ・・・ 72
表2−10 1970年代までの韓国と台湾の医療保険適用率 ・・・ 73 表2−11 各国の軍事費支出 ・・・ 75
表3−1 1980年代以降の韓国と台湾の1人当たりGDPの推移 ・・・ 77 表3−2 台湾の中央国政選挙における主要政党の得票率 ・・・ 80
表3−3 医療保障長期拡大計画(保健社会部) ・・・ 83 表3−4 地域医療保険のモデル事業の財政自立度 ・・・ 84
表3−5 韓国の職場医療保険組合数と規模の変化(1977−1982) ・・・ 85 表3−6 韓国における医療保険関連四法案と医協請願案の比較 ・・・ 102
・・・ 108 表3−8 台湾の医療保険制度の乱立 ・・・ 109
表3−9 台湾の年齢別健康保険未加入率(1994年) ・・・ 113 表3−10 台湾の皆保険前の公的保険の財政状況(1993年) ・・・ 115 表3−11 第2企画期における保険料負担割合の各種方案 ・・・ 123 表3−12 立法院に提出された6つの法案の比較 ・・・ 126
表3−13 台湾の全民健康保険制度の概要(1995年) ・・・ 129 表4−1 Gerschenkronによる後進性の等級 ・・・ 140
表4−2 金泳鎬による工業化の諸世代とその基準 ・・・ 142 表4−3 先発国における普通選挙権の拡大 ・・・ 153 表終−1 武川による福祉資本主義の3つの世界 ・・・ 181
序 章
問題関心と研究の目的
本論文は、韓国と台湾における医療保険政策の変遷を工業化と民主化との関連から比較分析し たものである。対象時期は、戦後から皆保険体制(公的医療保険がすべての国民に適用される1) が完成した時点(韓国は1989年、台湾は1995年)までとした。なぜ韓国と台湾の医療保険なの か。序章では、論文の問題関心と研究の目的を明らかにする。
1.研究の背景
韓国や台湾(ひいては東アジア)といえば、長い間「進んだ経済、遅れた福祉」または「強い 国家、弱い社会」というイメージがあった。とりわけ、勤勉な労働者と強い家族連帯は「東アジ ア的なもの」あるいは「東アジアの美徳」の核心と見なされ、このような文化的特質が低い社会 支出と「小さくて強い」(small and strong)政府の原因のひとつであると考えられてきた。実態 はどうだったのか。社会政策研究で最も頻繁に使われるのが一国・地域のGDPに占める社会保障 支出の割合である。図0−1は、横軸に1人当たりGDP、縦軸にGDPに占める社会保障支出の割 合を取ってみたものである。データはILOから公式発表されたもので少し古いが(1996 年)、こ の図からは各国・地域の位置を確認することができる。ヨーロッパ諸国は経済発展水準に比べ社 会保障支出の割合が平均より高いのに対し、日本、韓国、台湾など東アジア地域はアメリカ、オ ーストラリアなどの国々と並んで、社会保障支出の割合が相対的に少ない。東アジア地域の「小 さな政府」ぶりは、同じ中位所得グループのラテン・アメリカと比べるとより顕著である。この 図からはその点が明らかでないが、ブラジルやアルゼンチンなどの社会保障支出がGDPの10%を 越えているのに対し、韓国や台湾はその半分の 5%前後にすぎない2[宇佐見2003]。このような 相対的に低い社会保障支出は、時には東アジア経済の活力の源と称賛されたり、時には福祉軽視
1 「すべての国民に適用される」というのはあくまで概念的なことで、実際に国民の100%が公的医療保険に加入 していることを意味しない。韓国では(日本と同じく)皆保険後も公的扶助である医療扶助制度が医療保険制度 とは別に運営されており、皆保険体制成立後も韓国と台湾では未加入者が存在する。ちなみに、「皆保険」は英語 ではuniversalization of medical (health) insurance、韓国では「全国民医療保険」、台湾では「全民健康保険」と 呼ぶが、本論文では日本で一般的に使われる「皆保険」に統一し、時に「医療保険の普遍化」と称する。
2 いずれも1996年のILOのデータ(台湾はSocial Yearbook of the Republic of China 2001)。詳しくはアルゼン チンが12.40%、ブラジルが12.20%、韓国5.60%、台湾3.90%である[宇佐見2003]。
の成長至上主義や社会的ダンピングと非難されたりした。
図0−1 経済水準と社会保障支出
-10 0 10 20 30 40
0 5000 10000 15000 20000
スウェーデン ドイツ
スイス フランス
イギリス
カナダ アメリカ オーストラリア
シンガポール(+CPF)
シンガポール フィンランド
スペイン
イタリア 台湾
韓国 ポルトガル ポーランド
アルゼンチン
タイ メキシコ 中国
インドネシア
日本
1人当たり実質GDP(米ドル・1996年)
社会保障支出︵対
G D P 比・
1 9 9 6 年︶
出所:上村泰裕(2004)、「東アジアの福祉国家―その比較研究に向けて―」(大沢真理編『アジア諸国の福祉 戦略』、ミネルヴァ書房)より。
このようなイメージおよび実態を背景に、東アジアの社会政策は、地域研究である「東アジア 研究」3においても政策研究である「社会政策研究」4においても、長いあいだほとんど注目され
3 「東アジア」(East Asia)の範囲については本論文では敢えて具体的に定義せず、曖昧な概念として使いたい。
「東アジア」を含め、地域の概念は必ずしも地理的な範囲と一致しない。例えば、「アジア」の定義について、毛 里は、①フィクションとしてのアジア、②シンボルとしてのアジア、③「アジア有限株式会社」としてのアジア、
④機能的なアジア、⑤アイデンティティとしてのアジア、⑥(安全共同体、知的共同体など)制度としてのアジ アなど、様々な捉え方がありうると指摘した[毛里2003]。社会政策研究において「東アジア」は「4匹の虎」(4 tigers=韓国、台湾、香港、シンガポール)を指す場合が多く、時々日本、東南アジア、中国をも対象とする。中 国は地理的には間違いなく東アジアに属するが、その歴史的特殊性から本論文では東アジアの範囲に入れない。
4 「社会政策」の概念についても説明が必要であろう。日本では戦後長い間、ドイツ社会政策学と大河内理論の影 響の下で、「社会政策=労働政策」と捉えられてきたが、社会保障制度の整備・発展にともない近年社会政策概念 の拡大が生じている[武川1999]。現在日本で社会政策といった場合は、労働政策と社会保障政策(公的扶助、
社会保険、社会福祉サービス)を指すところが多い。このようなドイツ・日本流の社会政策の捉え方に対し、英 米流の社会政策の範囲には所得保障、保健医療、対人サービスのほかに、住宅と教育も含まれる[Spicker
1995=2001: 3]。本論文では基本的に後者の捉え方を採用するが、特別な断りがない限り、暗黙的に前の3つの領
域(日本でいう社会保障)を意味する。
なかった。80年代以降ひとつの学問領域として成長してきた東アジア研究においては、奇跡的な 経済成長を可能にした諸要因、なかでも政府の役割に関心が集まり、権威主義体制とその後の民 主化に関する政治学研究も経済発展との関連を中心に論じられることが多かった。一方で、欧米 福祉国家の歴史的経験に基づいて発展してきた社会政策研究では東アジアの社会政策をしばしば
「未発達」や「儒教主義」の一言で片付けられた。およそ100年の歴史をもつ日本の社会政策研 究においても、工業化、高齢化にともなう社会問題にいかに対応するかという実践的な目的から、
政策担当者や研究者の視線はつねに欧米先進国に向けられ、近隣諸国がどのような制度を持ち、
どのような問題に悩まされているかに関してはほとんど関心を示さなかった。このような状況は 韓国と台湾の国内においても同じである。その結果、90年代以降盛んになった福祉国家の類型論 のなかで日本をはじめとする東アジアは「座り心地が悪い」だけでなく、2000年前後の韓国福祉 国家性格論争(後述する)に見られるように、理論的混乱を引き起こす恐れもあった。
ところが、近年、東アジアの社会政策がにわかに注目を集め、「東アジア社会政策」(East Asian Social Policy)が徐々にひとつの研究領域になりつつある5。最近の研究の動向およびその到達点 についての考察は次章に譲り、ここではその背景として次の3点を指摘しておきたい。
1つめは、この地域の社会政策自身の発展である。特に韓国と台湾では80年代後半の民主化以 後、様々な社会政策が整備されてきた。本論文の分析対象である医療保険分野では、韓国が1989 年に、台湾が 1995 年に途上国では稀な皆保険を実現した。また、資本主義経済にとって社会保 険の最後の砦ともいえる失業保険の分野では、韓国で経済危機前の 1995 年に雇用保険が実施さ れ、台湾でも失業率が高まるなか1999年に労工保険のなかに失業給付が設けられた(2003年に 独立の就業保険に改編された)。金大中の「生産的福祉」や陳水扁の「新中間路線」といった政治 的スローガンにも見られるように、韓国と台湾においても社会政策は重要な国政イシューとして 浮上してきたのである。『韓国福祉国家性格論争Ⅰ』のなかでキム・ヨンミョン(金淵明)は次の ように感慨深く述べた。
韓国近代史の中で最後の伏兵として隠れていたこの問題(社会政策を指す――引用者)が、突然、
しかも非常に激しく論争的な姿で社会の前面に登場した。… 福祉問題で政権が揺れる状況が、もは や噂のヨーロッパのことではなく、韓国の現実の中で目撃されるようになった」[キム・ヨンミョン編 2002=2006、はしがき]。
5 2005年にはイギリスを拠点にThe East Asian Social Policy (EASP)のネットワークが設立し、2005年、2006 年に2回のコンファレンスが開かれた。また、日本社会政策学会では2006年の秋季大会で史上初めて共通論題で 東アジア(「東アジアの経済発展と社会政策―差異と共通性―」)を取り上げたのである。
先進国で従来型福祉国家の縮小や再構築が進行するなか、また、新自由主義的なグローバル化が 地球上のあらゆるところに浸透するなか、韓国と台湾ではなぜ時代に逆行するかのような社会政 策の拡大が行われているのか。この謎(puzzle))に国内外の多くの研究者が関心を寄せるように なったのである。
東アジア社会政策への注目の 2つめのきかっけは1997 年のアジア経済危機である。工業化以 来の未曾有の経済危機にともなう失業や貧困問題の深刻化は、経済成長に影に潜んでいたこの地 域のソーシャル・セイフティネットの脆弱性を遺憾なく露呈した。危機をきっかけにIMF、世界 銀行、アジア開発銀行などの国際機関が一斉にアジアの社会的保護の問題を取り上げ、「東アジア の社会政策」を地域問題から国際問題に格上げした[上村 2004]。実際、韓国や台湾の社会政策 に対する国際機関の直接的な影響は限られているが、東アジアの社会政策に対する関心は危機沈 静後も引き継がれるようになった。
3つめの背景は、社会政策研究における比較分析と類型化の興隆である。石油危機以後、「福祉 国家の危機」が叫ばれ[OECD 1981]、経済の発展にともない福祉国家に収斂するという単線的 な議論の説得力が著しく損なわれた。そこに登場したのが、福祉国家には様々な形態があり、お 互い優劣の順位はないという多元的な捉え方であった。類型論の登場により、それまで分析の埒 外で置かれていた東アジアの社会政策に対し、欧米とは異なる福祉レジーム(welfare regime)
が存在するのはないかという問題設定が可能になり、東アジア社会政策研究にも「一人前」の位 置が与えられるようになった。
以上の諸要因の結果、1990年代半ば以降、とりわけ2000年代に入ってから東アジアの社会政 策に対する研究が次々と現れ、地域内の政策・学術交流も90年代以前とは比較にならないほど盛 んになった。韓国と台湾の医療保険政策に関する本研究もこのような知的背景に刺激されたもの である。
2.なぜ韓国と台湾なのか
それでは、東アジアのなかでも韓国と台湾を比較する理由は何だろうか。
東アジア研究では、工業化や民主化のタイミングが近いなどの理由から、韓国と台湾が比較分 析の対象となることが珍しくない。例えば、金泳鎬は「第4世代工業化」を論じる際に、連続と 不連続の視点から台湾型と韓国型を比較経済史的に分析し[金泳鎬 1988:ch.5]、服部と佐藤は 両者の経済発展メカニズムの比較を通じて、財閥中心の韓国と中小企業中心の台湾の発展戦略の 違いを見出した[服部・佐藤1996]。また、崔章集は「第一の移行」(手続き的民主化)と「第二 の移行」(実質的民主化)の視点から韓国と台湾の民主化移行過程を比較したことがある[崔章集
1999:ch.8]。一方で、現在「東アジア社会政策研究」といわれる諸研究は、香港とシンガポール をも含めたNIEs全体を比較の対象とすることが多い(時には日本や東南アジアまで含まれる)。
Tang(2000)、 Holliday & Wilding(2003)、Kwon(2005)などがその典型である。その結果、
東アジアの中でも、同じく社会保険中心の制度体系をもつ韓国と台湾はつねに同じ類型に分類さ れ、両者の共通点のみが強調される傾向があった。本論文は比較対象を韓国と台湾に限定してい るが、それにより以下のようなメリットが得られると思われる。
第一に、韓国と台湾は工業化と民主化、そして皆保険化においてほぼ「同期生」であるため、
比較の際に発展水準の違いを考慮しなくて済む。社会政策の比較における最大の問題は発展レベ ルの違いであると、筆者は考える。先進国の場合、経済水準や政治体制にそれほど大きな格差が ないため、横断的な比較は可能かつ有効である。しかし、東アジア地域には、世界で最も豊かな 国のひとつであり超高齢社会である日本もあれば、20年前に民主化移行を果たしこれから本格的 に高齢社会に突入しようとする韓国や台湾もあり、さらにただいま工業化の真っ最中である東南 アジアや中国もある。このような発展段階の格差を無視した安易な比較(例えば日中韓の直接比 較)は、十分に注意しないと誤った結論を導きだす危険性を孕んでいる6。この点、韓国と台湾の 間には「時差」の問題が存在しないので、比較分析の有効性が高まる。
第二のメリットは、特に香港とシンガポールと比べた場合の、人口の規模や産業構造の近似性 である。社会政策は、その国や地域の人口規模や産業構造を離れて論じることができない。人口 数億の国と、数千万人あるいは数百万の国における社会政策の課題や選択肢は明らかに異なるし、
農業国から工業国へと転換した国と、そもそも農業部門を持たなかった都市国家の間でも、社会 問題の現れ方は大きく異なる。同じ NIEs のメンバーである理由だけで、韓国・台湾と、香港・
シンガポールを一緒に論じることはきわめて恣意的であるように思われる。韓国と台湾は人口規 模が近い上に、ほぼ同じ時期に農業社会から工業社会への転換を経験したので、例えば労働者や 農民の医療保障といった問題に対する両者の対応を比較することは、香港やシンガポールとの比 較より生産的であろう。
第三に、韓国と台湾の公的医療保険制度は「似て非なる」ものである。韓国と台湾の公的医療 保険は、(税方式ではなく)社会保険方式をベースとする点や、制度の適用範囲が公務員や基幹産 業の労働者から始まり、民主化とともに全国民に広がった点など、共通するところが多い。さら に、台湾は1995年の皆保険化と同時に、韓国は皆保険から10年後に、分立的な制度から一元化 的な制度へ移行した。このように、韓国と台湾の医療保険は一見共通するところが多いが、もち ろんそれは意図的な結果ではなく、韓国と台湾のそれぞれの国内的政治経済社会的要因の複合的
6 本論文で、日本や中国を比較対象に入れなかったのはそのためである。
結果である。そして、詳しくは論文の第2章と第3章で検討するが、韓国と台湾の医療保険には 共通点のほかに多くの(時には本質的な)相違点もみられるのである。社会保険方式による財源 調達、民間中心の医療供給を特徴とする韓国と台湾とは対照的に、香港とシンガポールの財源調 達は基本的に税方式で7、医療供給(特に二次医療)は公立病院が中心である8。比較研究の目的 が、個別研究では発見しがたい一般性と特殊性を発見し、その上で一定の普遍性をもつ理論化を 求めることであるとすれば、韓国と台湾の医療保険の「似て非なる」経験は比較分析の格好の材 料である。
3.なぜ医療保険なのか
次に、数多くの社会政策のなかでなぜ医療保険を取り上げたのか。
第一の理由は、韓国と台湾の社会保障制度のなかで最も早く制度の整備が進まれたのが公的医 療保険であったからである。韓国と台湾で医療保障の普遍化がいち早く行われたのは単なる偶然 ではあるまい。その背景には、そのような政策を促した実質的なニーズがあった。つまり、順調 な経済成長によってかなりの程度緩和することができた失業や貧困問題、多世代同居や家族内の 所得移転によって対応できた老齢年金に比べ、病気のリスクは経済成長や家族連帯だけでは解決 しがたい問題であると同時に、誰にでも起こりうるリスクである。そして、経済が発展し、疾病 構造が変化し、医学技術が発展すればするほど、経済的安定に対する病気(とりわけ重大疾病)
の脅威はますます増大する。韓国と台湾の場合、医療供給体制が市場原理で運営される民間医療 機構中心であったため、医療費の社会化の需要が香港やシンガポールより高かったことも、公的 医療保険制度がいち早く整備された原因のひとつである。要するに、韓国と台湾では、医療保障 は最も基本的な社会的保護(social protection)のひとつであり、最も普遍的なニーズを持ってい た9。
第二に、韓国と台湾の医療保険政策は、諸々の社会政策の中でも、工業化と民主化と最も密接 に連動しながら発展してきた。工業化初期には、(公務員や教員を除けば)医療保険の主な対象者 は基幹産業の労働者であった。フォーマル・セクターへの制度適用が技術的に容易であることに 加え、中核労働者を優遇・保護する政策的意図も無視できない(特に韓国の方が顕著であった)。
民主化の過程で、それまで制度から排除されていた農民や自営業者、高齢者などの医療保障、す
7 シンガポールでは雇用主と被保険者が拠出するCPFのなかにMedisaveが設けられている。
8 全体の病床に占める公立病院の割合をみると、香港85%、シンガポール81%であるのに対し、台湾は35%、
韓国は19%にすぎない[Holliday 2003: 86]。一次医療(外来)はいずれも民間中心である。
9 韓・台とも皆保険からすでに10年以上経ち、他の分野にくらべ資料が充実していることも、医療保険を取り上 げた便宜的理由のひとつである。
なわち医療における公平性の問題が提起され、急ピッチで皆保険化が進まれるようになった。そ して、民主化による政治的空間の開放や市民社会の目覚めが従来のトップダウン式の政策決定・
実施に劇的な変化をもたらした。韓国と台湾の医療保険は、政策の変遷を通して両者の工業化と 民主化の特徴も窺えるという点で、後発国における工業化、民主化と社会政策の相互関係を考え る上で優れた事例である。
しかし、医療保障ははたして代表的な社会政策といえるのかという問題が残る。前述したよう に戦後日本の大河内理論では「社会政策=労働政策」とみなされ、労働力の保全または培養こそ が社会政策の目的であるとした[大河内 1940]。医療保障、しかも非生産力人口をも対象とする 皆保険は生産力視点からみれば周辺的な問題にすぎない。しかし、注3で示したような包括的な 社会政策の捉え方に従えば、医療保障は所得保障や社会福祉などと並んで社会政策の重要な一部 であり、絶対多数の市民の生活と密接に関連する公共財(public goods)である。筆者は、資本主 義社会の社会政策の核心はすべての市民に対する最低生活保障の制度化であると認めた上で、普 遍性や所得保障との関連からみても医療保障は基幹的な社会政策であり、医療保障を通じて一国
(地域)の社会政策を捕らえることは可能であると考える。
4.研究の目的と方法
本論文の目的は、一言でいえば、工業化と民主化との関連性から韓国と台湾の医療保険政策の 発展を捉えることであるが、筆者の問題意識をもっと具体的に整理すると次の3点である。
(a) 韓国と台湾は、それぞれなぜ、どのような経緯で公的医療保険制度を実施し、また他の途上国.....
では珍しい.....
「皆保険」を達成することができたのか。医療保険の導入と拡大における両者の共 通点と相違点は何なのか。
(b) 医療保険政策でみられる共通点と相違点は、韓国と台湾の工業化、民主化とどのように関連し たのか。工業化と民主化が進めば必然的に医療保険のような普遍的な社会政策が整備されるの か。
(c) 韓国と台湾の医療保険政策の経験は、主に東アジアという地域的要因から解釈すべきか、それ とも工業化と民主化の後発性から解釈すべきか(この問題は韓国と台湾の経験が他の途上国で も複製可能なのかという問題との関連する)。
これらの問題意識から韓国と台湾の医療保険政策を考察するにあたり、本論文では研究の視角 として 2つのことを心がけた。ひとつは、経済と政治の相互関係のなかに社会政策を位置づける
ことである。社会政策は資本主義と民主主義の拮抗関係のなかで生まれた産物、というのが社会 政策に対する筆者の基本的な考え方である。このような捉え方は、東アジアの社会政策に対する 経済開発の優位性を一方的に強調する生産主義または開発主義アプローチ(第 1章で詳述する)
や、政策決定過程における官僚の役割や政策遺制などに焦点をおく政治学的アプローチと区別さ れるものである。もうひとつは、問題意識の(c)と関連するが、韓国と台湾の工業化と民主化が 行われたタイミングに注目する。東アジアの社会政策の多くの特徴は地理的あるいは文化的要因 ではなく、工業化と民主化、ひいては近代化全般の後発性に起因する。東アジアの社会政策を正 しく理解するためには横の比較が中心であった比較福祉研究(いわゆる類型論)に時間軸を導入 する必要があるということは、すでに何人かの研究者によって指摘されてきた[宮本2003、埋橋 2005、武川2005など]。本論文は後発性の視点から韓国と台湾の医療保険政策の再解釈を試みた ものでもある。2つの研究視角については、先行研究を吟味した上で、第1章第4節で詳しく述 べる。
あらゆる政策研究は、その政策をとりまく政治経済社会的要因の分析の重点をおく構造主義ア プローチと、政策の主体に重点をおくアクター・アプローチの2つに大別することができよう。
本論文は、東アジアの社会政策の発展におけるアクター(官僚、政治家、学者、市民団体など)
の役割を十分に認めた上で、敢えて構造主義アプローチを採用した。主な理由は、韓国と台湾の 医療保険政策に関する先行研究のほとんどが政策決定過程の分析に集中していたからである。「東 アジア福祉モデル」のようなものが存在するかどうかは別にして、横の国際比較と縦の社会政策 史のなかに韓国と台湾の社会政策の位置を確認するためには、社会政策の政治経済的要因を構造 的に捉える必要がある。そのため、本論文は考察の重点を細かい事実の発見や一次資料の発掘で はなく、既存の資料や研究蓄積に基づいた理論的考察に置いた。事実の整理に関しては、日本で 入手できた英語・日本語の先行研究と統計のほかに、現地の一次資料と研究に基づいている10。 要するに、本論文は、いままで共通性のみが強調されたり、それぞれの一国研究に終始しがち であった韓国と台湾の医療保険を、工業化と民主化との関連を中心にできるだけインテンシブに 比較分析することによって、東アジア社会政策研究における「総論」と「各論」を架橋し、事例 分析に基づいた理論化を試みようとする。
5.論文の構成
10 筆者の語学条件から英語や日本語を介さず韓国と台湾の両方の現地資料に直接アクセスすることができたため、
先行研究に比べカバーできた資料の範囲が広かった。現地での資料収集は、韓国で2回(2002年9月と2003年 8月)、台湾で1回(2004年2月)、それぞれ2〜3週間ずつ行った。
上述した問題関心と研究目的に基づき、論文は以下のように構成される。
この序章では論文の問題関心と研究の目的を明らかにした。
第1章では先行研究を整理し、本論文の視角を提示する。まず、地域研究である東アジア研究 と政策研究である社会政策研究の主な流れを、論文の問題関心との関連から簡単に整理する。そ の後、90年代半ば以降盛んになった東アジア社会政策研究の系譜、その到達点と限界を検証した 上で、本論文の研究方法である政治経済的アプローチと後発性アプローチについて説明する。
本論文では、韓国と台湾における公的医療保険政策の変遷を 70年代までの導入期と、80年代
〜90年代半ばまでの皆保険化期に分け、それぞれ第2章と第3章で考察した。まず第2章では、
1970年代までの導入期の状況を分析する。この時期は権威主義(または準権威主義)政権の下で 工業化が本格的に始まった時期であった。台湾では工業化に先立って50年代から労工保険制度が 導入されたのに対し、韓国の医療保険は工業化が重化学工業化段階に入った 1977 年まで待たな ければならなかった。なぜこのような違いが生じたのか。また、医療保険における韓国と台湾の 政府の役割はどう異なっていたのか。初期の医療保険システムのあり方は、当然ながら、その後 の制度の発展経路に決定的な影響を及ぼす。第2章ではいままでの研究で医療保険政策の「前史」
に位置づけられることが多かったこの時期の状況を、比較分析の重点のひとつとして詳しく検討 する。
第3章では、民主化とともに皆保険が急速に実現された1980年代〜90年代前半を対象とする。
権威主義体制から民主主義体制への移行は社会政策のパラダイムを如何に変えたのか。なぜ、遅 れて医療保険を導入した韓国が短期間に皆保険を達成したのに対し、台湾では相対的に長い時間 がかかったのか。全国民への拡大の最大の難点は何だったのか。なぜ、台湾は皆保険と同時に制 度の一元化を実現したのに韓国は実現できなかったのか。医療保険の普遍化によって韓国と台湾 の社会政策に質的な変化が生じたのか否か。第3章ではこれらの問題を中心に、韓国と台湾の皆 保険化の詳しい経緯とその過程での葛藤を考察する。
第 4章では、後発国における工業化、民主化と社会政策の観点から、これまで考察した韓国と 台湾の医療保険政策の共通点と相違点に対する解釈を試み、その理論的示唆を吟味する。まず、
後発性をキーワードに韓国と台湾の工業化と民主化の特徴を析出し、それらの特徴の社会政策的 側面を抽象的なレベルで考察する。その上で、工業化と民主化の後発性が韓国と台湾の医療保険 政策の共通点と相違点をどこまで説明でき、残された部分はまたどのような要因に求めるべきか を考える。最後に、社会政策的意味における後発性についてそのメリットとデメリットを整理し、
上の分析の補足とする。
終章では、以上の分析を踏まえて論文の結論をまとめ、90年代以降の動向について簡単に触れ ながら残された課題を提示する。
第1章
東アジア社会政策研究
東アジア社会政策研究は、地域研究である東アジア研究と政策研究である社会政策論が交叉す るところに位置する。本章では、東アジア研究と社会政策論の主な流れを、論文の問題関心に照 らし合わせながら簡単に振り返えたあと(第1節、第2節)、90年代後半以降活発化した東アジ ア社会政策研究をやや詳しく検討し(第3節)、本論文の視角と研究枠組みを明らかにする(第4 節)。
第1節 東アジア研究:開発国家論を中心に
日本に始まり、アジアの「4小龍」、東南アジア、そして中国、ベトナムへと続いた東アジアの 経済発展(しばしば「雁行型発展」と言われる)は、世界史における重大な事件のひとつであっ た。比較経済史学者の杉原薫は東アジアの工業化の意義を次のように指摘した。
東アジア型の工業化は、19 世紀から20 世紀前半にかけて形成された国際経済秩序、すなわち少数 の欧米先進国だけが工業化の便益を享受し、それに白人入植地を加えた高所得国と、主として熱帯に 集まる膨大な人口を抱えた非白人の低所得国との間の格差が拡大するという長期的傾向に、はっきり とストップをかけるとともに、雁行的発展の連鎖を伸ばしていくかたちで、徐々に工業化の発展途上 国への普及を実現しつつある[杉原2003:84]。
このような「東アジアの奇跡」は戦後の開発経済学や70年代を席巻した従属理論に対する重大 な挑戦となり、社会科学研究者たちの関心をかき立てるのに十分なものであった。60−70年代の 日本研究に続き、80年代以降はアジアNIEsに関する研究が雨後の筍のように現れ、すでに膨大 な成果が蓄積された。これらの成果を包括的に検討することは筆者の能力をはるかに超えるもの であり、本論文の主な目的でもない。ここでは東アジア研究のなかから「開発国家論」あるいは
「開発主義論」をピックアップし、その主な主張を整理しようとする。開発国家論を取り上げる 理由は、「開発国家」という概念がこの地域の資本主義経済、ひいては近代化を理解する上で重要
な手がかりであると考えるからである[Woo-Cumings 1999]。また、第3節で見られるように、
その議論は近年の東アジア社会政策研究にも大きな影響を及ぼしているのである。
1.C. Johnsonの開発国家論とその後
周知のように、「開発国家」(developmental state)という概念はChalmers Johnson が1982 年の著作MITI and Japanese Miracle(『通産省と日本の奇跡』)の中で提起したものである。
Johnsonのその後の説明によると、彼が日本を理解するためのタームとして80年代初頭に開発 国家論1を提起した背景には次の2つの目的があった[Johnson 1999]。1つは、「アメリカvs.ソ 連」の二項対立的な思考を超克するためである。冷戦時代にはアメリカを典型とする市場合理主 義と、旧ソ連のような計画主義が経済イデオロギーの正統性を競い合った。そのような構図の下 で日本は市場主義の亜種(あるいは変形)と見なされることが多かったが、Johnsonは「開発指 向型国家」vs.「規制指向型国家」(regulation-oriented state)という図式を導入することによっ て、アングロ・サクソン経済と東アジア経済との質的な違いを浮き彫りにしようとしたのである。
もう1つの目的は文化論的アプローチへの批判である。1970年代には東アジアの経済奇跡をこの 地域の伝統的な文化価値(特に儒教)に帰着させる傾向が強かったが、Johnsonは、「このような アプローチは人を間違った方向に導き(misguide)、これらの社会が直面している経済的・政治 的諸問題に対し本質的な答えを出せない」と批判した[Johnson 1995:39]。
さて、それではJohnsonは「開発国家」をどのように定義しただろうか。『通産省と日本の奇跡』
の中では明確な定義づけはされておらず、主に規制国家との対比によってその特徴を捉えようと した。すなわち、規制国家が経済競争のルール作りとその実行に集中するのに対し、開発国家は、
「本質的な社会的、経済的な目標を設定する」[Johnson 1982=1982:23]。規制国家の経済政 策が貿易や完全雇用といった全般的なことに関連する(それらはしばしば政治的な目的のために 利用される)のに対し、開発国家の政府は国際競争力を高める産業の振興を最優先する。開発国 家においては、「産業政策の存在そのものが、経済に対する戦略的ないし目標指向的な取り組みを 意味する」のである[Johnson 1982=1982:23]2。このように、開発国家の最大の特徴は限ら れた資源の戦略的な産業への優先投入であるが、意思決定と予算の配分で鍵を握るのが、日本の
1 当初の言葉では「開発指向型国家」(development-oriented state)または「資本主義的開発国家」(capitalist developmental state)である。
2 Woo-Cumingsが編集した1999年の論文集の中で、経済学者Chang Ha-Joon(張夏準)は「開発国家」につい て次のように定義している。開発国家とは、「経済および政治関係の創生と管理を通じて、持続的に産業化をサポ ートできる国家」、そして「長期発展と構造転換の目標を真剣に設定し、その変化の過程で不可避的に発生する衝 突を緩和させるために経済を『政治的』に管理し、それらの目標を達成するための制度的適応と革新を怠らない 国家」である[Chang 1999]。
場合、経済企画庁、大蔵省、通産省、農林水産省、建設省、運輸省などの中央省庁の経済官僚で あるという。Johnsonは、日本で最良の教育を受けた彼らエリート官僚こそが実際に日本を統治 している人々である(who governs Japan)と指摘した[Johnson1995]。その上で、彼は日本モ デ ル の 特 徴 を 次 の 4 点 に ま と め た 。 す な わ ち 、 ① 規 模 が 大 き く な く 、 費 用 の か か ら な い
(inexpensive)、優れた国家官僚構造;②官僚のイニシアチブと効率性を保証する政治システム;
③市場順応的な(market-conforming)国家介入;④通産省のような中核組織の存在である
[Johnson 1982=1982:354‐362]。
Johnsonの開発国家論の最大の貢献は、それまで国民性や伝統文化(例えば集団利益の優先、
紀律の尊重、勤勉性など)といった文化人類学的な角度から「例外性」を強調しがちであった日 本研究を、政府の指導的役割と官民協調という社会科学的アプローチに発展させたことであろう。
長期的な経済発展における政府(とりわけ経済官僚)の能動的、主体的な役割を重視するJohnson の開発国家論は、80年代以後の東アジア研究に莫大な影響を及ぼし、東アジアの政治経済学の主 流となったと言っても過言ではない。それぞれ韓国と台湾を主な研究対象としたAmsden(1989)
とWade(1990)もJohnsonの開発国家論の延長線上のものとみることができる。政府の経済介入 に否定的であった世界銀行も、1993年の報告書『東アジアの奇跡:経済成長と政府の役割』のな かで、東アジアの経済発展における政府の積極的な役割(特に基礎的公共政策)を認めた(ただ し、個別的な産業政策については留保した)[World Bank 1993=1994]。
ここで留意しなければならないのは、開発国家体制は決して特定の個人または集団が意図的に 作り出したものではない、ということである。Johnsonによれば、それは貧困と西洋列強からの 圧力という厳しい条件の下で国の生き残り(survival)を求めて、経済恐慌や、端的には戦争と いった試行錯誤の中から生まれたものである[Johnson 1982=1982:344]。そのような生き残 りのための闘争と経済ナショナリズムこそ、日本だけでなく韓国や台湾が類似した道を歩むよう になった歴史的理由であろう。この点はよく忘れがちであるが、「後発性」の意味とその制限条件 を考える上で決定的に重要なことであり、中国研究から日本研究へ入ったJohnsonの開発国家論 のエッセンスであるように思われる。
2.村上泰亮の開発主義論
どちらかといえば政治の側面に重点をおいた政治学者Johnsonと違って、経済の側面に重点を おいた分析から近似する結論に到達したのが経済学者である村上泰亮であった。ただし、村上の 分析タームは主体としての「開発国家」ではなく、システムとしての「開発主義」であった。
村上の開発主義論は、「先進国・後進国」と「先発国・後発国」の区分、および「資本主義」と
「産業化」3の区分から出発する。前者は静学的な捉えかた、後者は動学的な捉え方である。村上 によれば、新古典派経済学は資本主義を超歴史的なシステム概念として理解しているため、(ケイ ンズ主義経済学を含めて)そこで議論されているのは主に短期的な経済均衡である4。一方、産業 化はきわめて歴史的な概念であり、農業社会から工業社会への過程(process)を意味する[村上 1992下:143]。産業文明をすでに目の前にし、不平等条約や植民地支配を身をもって経験した後 発国にとって、キャッチアップ型の産業化は必然的要求となり、資本主義体制をとるか社会主義 体制をとるか、あるいはその他の体制をとるかは手段に違いにすぎない。重要なのは、産業化へ の離陸に必要な条件を意識的に整え、場合によっては、短期的視点から見れば比較優位のない産 業を保護・育成することである。経済自由主義にその哲学的基盤をもつ古典的(あるいは新古典 派的)経済学は、後発国の産業化を説明することも引導することもできない。そこで村上が古典 的な経済自由主義の対抗概念として提起したのが「開発主義」である。
開発主義とは、私有財産制と市場経済(すなわち資本主義)を基本枠組みとするが、産業化の 達成(すなわち一人当たり生産の持続的成長)を目標とし、それに役立つかぎり、市場に対して 長期的視点から政府が介入することを容認するような経済システムである[村上1992下:5]5。
一種の経済システムとしての開発主義は複数の制度によって構成される。村上は開発主義に不 可欠な特徴として次の8点を列挙し、それを開発主義の「プロトタイプ・モデル」と名づけた。
それらは、①私有財産制に基づく市場競争を原則とする;②政府が産業政策を実行する;③新規 有望産業の中には輸出志向型の製造業も含める;④小規模企業の育成を重視する;⑤分配を平等 化し、大衆消費中心の国内需要を育てる;⑥分配平等化の一助という意味も含めて農地の平等型 配分をはかる;⑦少なくとも中等教育までの教育制度を充実する、⑧公平で有能な、ネポティズ ムを超えた近代的官僚制を作る[村上1992下:98‐99]。この中の①から④までは狭義の産業政 策であり、⑤お⑥は分配政策、⑦と⑧は無形の社会的インフラである。
産業政策と官僚制はJohnsonの分析と重なる部分が多い。村上の開発主義論の特徴は産業化に おける分配政策....
の重要性の強調であろう。村上は、産業化という巨大な社会変動にともなう不安 定性の増大や伝統的な社会関係の破壊などから生じる抵抗をいかに和らげるかが、産業化への成 功的離陸の鍵を握るという。言い換えれば、「離陸への努力のアキレス腱は分配の不平等化による
3 本論文では「産業化」の代わりに「工業化」という言葉を使うが、このセッションでは原著のまま「産業化」と する。
4 この点においては社会民主主義および福祉国家論も同じであるという。
5 村上によれば、開発主義はナショナリズムの立場にたつ産業化の理論ないし政策であり、「重商主義やドイツの 歴史学派の発展形」である[村上1992下:6]。
社会的不満の発生である」[村上1992下:107]。ただ、ここでいう分配政策は福祉国家的な静態 的な所得再分配よりも動態的な経済発展の中の分配を含意し、日本的文脈でいえば、中小企業対 策や農業政策がその中核となる。先進的な工業部門と同時に、農業部門の生産性の向上、および それによる農民階層の緩やかな「労働者化」が大衆消費社会を形成し、持続的な経済発展を支え る国内的需要を生むのである。
村上の開発主義論は、後発国の経済発展ひいては産業化に対する主流経済学の無力さを批判し、
後発国の「賢明」な政府による「目的合理的」な開発の肯定的な側面を積極的に評価する。東ア ジアの産業化という歴史的事実に対する事後解釈としては頷けるところが少なくないが、いくつ かの点において注意が必要である。とりわけ、開発主義のもつ政治的保守性(時には反動的です らある)や反福祉的性格に対する省察的な警戒が欠如している。村上も認めるように、「議会民主 政と開発主義は必然的に....
矛盾するわけではないが、事実の上で.....
両者の間に軋轢が存在し、その軋 轢が開発主義の最大の問題点の1つである」(傍点―原著)[村上1992下:12]。そして結論的に は、議会民主政の否定が産業化に親和的である6。このような結論は、産業化(経済発展)が民主 主義より上位の価値であるという価値判断の上で成り立つ。また、分配政策に関しては、他の後 発国が日本と同じような農業政策、中小企業政策、所得再分配政策を行ったかどうかは疑わしい ものである。
3.末廣昭の開発主義論
Johnsonと村上の議論の土台となっているのはいずれも明治以降の日本の近代化である。日本 は、植民地・半植民地への転落を免れかつ戦前に工業化へ離陸した点で、第2次世界大戦以後に 独立し、冷戦構造のなかで工業化に着手した韓国、台湾およびその他の発展途上国との間に時間 的・質的差異が存在する。後発途上国の経験に基づきながら開発主義論を積極的に展開したのが、
タイ研究者の末廣昭である。ここでは東京大学社会科学研究所編『20世紀システム4 開発主義』
に収録された末廣論文「発展途上国の開発主義」を手がかりに、彼の開発主義論を簡単にスケッ チしてみたい。
『20世紀システム』シリーズでは、アメリカを中心とした基軸システム―「資本主義」と、旧 ソ連を中心とした対抗システム―「社会主義」に続き、「開発主義」にも一巻を設けた。ただし、
6 原文はこうである:「良し悪しではなく、事実の問題として民主政によって産業化への離陸期を乗り越えること は常に可能ではないし.........
、その可能性はむしろ低い。............
… 少なくとも産業化の初期には.............
、議会民主政の十分な確 立なしに開発主義が成果を挙げる例が多く見られる」(傍点―原著)[村上1992下:11]。
序章のなかで末廣は、「開発主義は2つの体制に対抗する独自のサブシステムを構築したのではな く、…『システム間競争』のなかで、基軸システムに参加しつつ自国の経済力の上昇をはかって きた」と位置づけた[末廣1998a:4]。その上で、末廣は開発主義を次のように定義している。
開発主義とは、個人や家族あるいは地域社会ではなく、国家や民族の利害を最優先させ、国の 特定目標、具体的には工業化を通じた経済成長による国力の強化を実現するために、物的人的資 源の集中的動員と管理を行う方法をさす[末廣1998b:18]。
末廣によると、戦後の発展途上国、とりわけ北東アジアと東南アジアの開発主義には 2つの顕 著たる特徴がみられる。ひとつは先進国への「追い付き・追い越せ」を目標とする「キャッチア ップ型工業化」の側面であり、もうひとつは戦争や革命といった危機に対する管理体制、すなわ ち「危機管理システム」としての側面である[末廣 1998b:13‐14]。国家や民族のために社会 的動員と集中的管理を辞さない開発イデオロギーが、①国家による投資資金の集中的管理と運営、
②人的資源(労働力)の配分と労使関係への介入、③国民各層の間での「成長の共有」を実現す るための社会的政策の遂行の3つを伴う場合、それは単なるイデオロギーにとどまらず「開発体 制」(developmental regime) を構成する[末廣 1998b:19]。この論文の中で末廣は、韓国、
タイ、フィリピン、シンガポールの4ヶ国をケースに開発主義の歴史展開を比較しながら、上で 述べた諸論点を論証した。
Johnsonの開発国家論に比べ、末廣の開発主義論には以下のような特徴が見られる。第一は、
冷戦構造への注目である。分断国家である韓国と台湾はいうまでもなく、東南アジア諸国も中国 革命の波及に対する危機感を背景に強権政府が登場し、第三世界をめぐる米ソ間の競争のなかで、
アメリカによる独裁政権の容認の下、世界資本主義システムへの参加が可能になった。第二は、
政府と国民が一体となった成長イデオロギーの共有である。末廣は、開発主義政府が自身を社会 主義政権のような前衛政党に位置づけるのではなく、「民族」や「国民」といったスローガンを使 って国民全般の支持をその正統性の根拠に据えようとしたことを、開発主義の核心的な特徴のひ とつとみる。成長イデオロギーが単なる上から強制ではなく、社会の隅々と人々の内心まで浸透 し、国家と国民双方の目標の中にビルトインされていることは、この地域における今日の言説の 中でも容易に確認することができる。第三は、国家による労使関係への介入と労働運動の統制で ある。産業政策、分配政策と並んで開発体制の重要な一角を占める労働政策・労使関係に関して は、それまでの開発主義論では十分な注意が払われなかった。この点について末廣も詳しい分析 を展開しなかったが、輸出志向を主な発展戦略とした東アジアの工業化の主な特徴であると認識 した。第四に、開発の成果を国民に広くデモストレーション(誇示)するために行われた様々な
社会開発の重視である。それには土地所有制度の改革、農村の生活インフラの整備、保健衛生の 改善、住宅政策などが含まれ、最も典型的なのが韓国の「セマウル運動」(新しい村づくり運動)
であるという。開発の成果のデモンストレーションまたは階層間共有という視点は、本論文の医 療保険政策にも重要な示唆をもつ。その関連性については次章以後の事実検証のなかで考察する ことにし、第2節では、東アジア社会政策研究のもうひとつの源流である社会政策論に議論を移 したい。
第2節 社会政策研究:単線論から類型論へ
戦後の東アジアの経済発展の結果として誕生した比較的新しい東アジア研究に比べれば、社会 政策論はかなり長い歴史を持つ。
社会政策は、工業化にともなう諸問題(貧困、階級対立、公衆衛生、住宅問題など)を解決・
緩和するために登場した政策群であるが、必ずしも工業化の始まりと同時に誕生したわけではな い。19世紀は、ヴィクトリア時代の大英帝国に代表されるように、経済自由主義の全盛期であっ た。しかし、19世紀末から20世紀はじめにかけて経済自由主義がしだいに行き詰まり、1920−
30年代の大恐慌を経て混合経済とケインズ主義的な需要管理、および社会政策分野における広範 な国家介入が資本主義の主流となった。Polanyiのいう「大転換」(the Great Transformation)
が生じたのである[Polanyi 1975;加藤2006]。戦間期から戦後にかけて、主な資本主義社会で は完全雇用と社会保障を両輪とする福祉国家体制が次々と成立し、70−80年代の「福祉国家の危 機」や90年代以降の再編を経て今日に至っている。
社会政策研究では長いあいだ、「いつ、なぜ、いかに」福祉国家が形成されたかが主な問題意識 であり、それに対し様々な解釈が行われてきた7。これら諸説は、主に先進国(特に西ヨーロッパ)
の経験から抽出されたものであるが、当然ながら後発工業国の社会政策を考える上でも重要な参 照軸となる。以下では福祉国家の形成要因(これは社会政策の促進要因でもある)に関する主要 なアプローチの論点をまとめたあと、東アジア社会政策研究にも多大な影響を及ぼした比較福祉 レジーム論に簡単に触れる。
7 本節の考察は主に欧米の社会政策・福祉国家研究に焦点を絞ったが、日本でも独自の社会政策概念の下で社会政 策学会を中心に豊富な研究がなされた。特に社会政策の発展要因については、40年代末−50年代初めに有名な「社 会政策本質論争」が展開され、「労働力保全説」を主張する大河内一男と、「窮乏法法則」(資本蓄積に伴う相対的 過剰人口の存在が労働者階級の窮乏化を生み、労働者の反乱を防ぐために国家が社会政策を実施する)を主張す る岸本英太郎などが対立した[池田1978]。
1.福祉国家の形成要因:経済か政治か?8
今日、経済活動や国民生活に対する広範な政府介入、税や社会保障を通じた大規模な所得再分 配、保健医療・介護・育児における国家責任の強化要求などは、多くの工業社会で日常的に目撃 される現象である。戦後の資本主義に対しては様々な名称が付けられてきたが、少なくとも先進 工業国に限定していえば、「福祉国家」(welfare state)あるいは「福祉資本主義」(welfare capitalism)が戦後の経済政治体制を最も統括的に表す概念であると思われる9。社会政策の急激 な拡大、および福祉国家の形成の原因はいったい何なのか。ここでは、多岐にわたる議論を、「経 済」(工業化または資本主義化)が重要か、それとも「政治」(議会制民主主義、階級政治、官僚 エリート)が重要かに分けて整理してみる。
(1)産業主義アプローチ
1960年代、主要資本主義諸国における福祉国家体制の確立と社会支出の増加を背景に、福祉国 家の形成をもたらした普遍的...
な要因を探求する動きが出現した。その最初の理論が、現在「産業 主義アプローチ」(the theory of industrialism)と言われるものである。産業主義論は、それま での一国的なあるいは道徳的なアプローチ10を退け、工業化にともなう新しいニーズ(needs)と 新しい利用可能な資源(resources)の出現こそ、福祉国家化の根本的な要因であると主張した。
新しいニーズとは、生産関係の資本主義化と持続的な経済成長による土地を持たない労働者階級 の形成、都市化・核家族化と伝統的なコミュニティの崩壊、循環的な失業の発生、健康や住宅、
教育への需要の高まり、人口全体とりわけ高齢者の増加などから発生する。一方、富の増加、官 僚制の形成、新しい技術と医学の進歩などは、福祉国家のための資源や手段を提供する。産業主
8 この部分はC. Pierson(1991)の第1章〜第3章から多くの示唆を得た。本格的な福祉国家論は、皮肉なこと に、オイルショック以後福祉国家の危機が叫ばれ、様々な角度から福祉国家批判が行われたときに発展した。
Piersonはこの本ののなかで、1980年代末までの諸理論を網羅的にサーベイしながら、各理論に対し知性あふれ
るコメントを与えている。
9 福祉国家の概念について、Piersonは次のように定義した。「福祉国家は、狭義には基本的な福祉サービス(しば しば保健、教育、住宅、所得保障、および対人社会サービスに限定される)を供給する国家の施策を意味する。
資本主義のもとにある福祉国家は、(広義的には)生活上の機会を、個人対個人のあいだにせよ、もしくは階級対 階級のあいだにせよ、再分配するために、国家が経済的再生産と分配の過程に介入する社会である[ibid:25]。 一方、加藤栄一は「福祉国家とは、労働者階級の政治的、社会的、経済的同権化を中核にして形成され、全国民 的な広義の社会保障制度を不可欠の構成要素とする、現代資本主義に特徴的な国家と経済と社会の関係を表現す る用語である」と定義し[加藤2006:178]、田多英範は「福祉国家資本主義」という用語を使用しながら、それ を「労働権、労働基本権の承認を中軸とし、それとの関連でおこなわれる完全雇用政策、社会保障政策などを通 じて労働者や国民の生存権を国家が保障する民主主義的現代資本主義のこと」と定義した[田多1994:24]。
10 それ以前、福祉国家は、労働者の悲惨な生活状況に対するブルジョアジーと中産階級の「道徳的責任感」、およ び社会連帯(social solidarity)によって進められたという解説が支配的であった。実際、20世紀初頭に行われた イギリスの社会改革の背景には、ブースやラウントリーによる貧困調査があり、当時の貴族と中産階級に大きな 衝撃を与えた。