民 法 解 釈 学 の 性 格 と 方 法
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(2) 論. 説︵高島︶. ︵1︶. 二︵二二二︶. れ以前からの︑いわゆる法社会学論争などとあいまって︑法学の性格︑法解釈学の方法︑法社会学と法解釈学の関係. 等の問題について︑きわめて重要な成果をもたらしたのである︒だがこれら論争において︑問題のすべてが論じつく. されたわけではなく︑われわれの前には︑なお追究され︑深化されなければならない課題が山積している︒. 右のような︑法解釈についての論議には︑ふたつの方向があったとおもわれる︒そのひとつは︑解釈の客観性とか. 科学性の問題の再検討という方向である︒そしてこれは︑かなり古くから論じられていた問題を︑あらたな観点から. みなおし︑再考したものといってよいであろう︒これに対してもうひとつは︑法解釈学を社会科学のうちに位置づけ. ていくという方向である︒この問題は︑解釈の客観性や科学性の問題ときわめて密接な関係をもつが︑これとまった. く重ねあわせられるものではない︒事実︑法解釈論争にあって︑法解釈学の科学としての位置づけの間題は︑必ずし ︵2︶ もその中核をなしていたとはいえないのである︒法学の科学性と法解釈学の関係は︑むしろ法社会学論争などにおい. て︑解釈の客観性の問題とは別個に展開されてぎたといってもよいであろう︒そしてこのような究明にあっては︑社 ︵3︶ 会科学としての法学は︑むしろ解釈学とは対照的なものとして把握されるという傾向があったようにおもわれる︒し. かし︑それにもかかわらず︑法解釈についての論議は︑結局︑法解釈学の科学としての位置づけの問題にむすびつか. ざるをえないものであり︑究極的には︑かような科学論へと展開していくべきものといってよいであろう︒つまり︑. 法解釈についての諸問題を︑法解釈学の社会科学としての位置づけという観点からもう一度たしかめ︑考えていくこ とが︑将来の重要な課題だとおもわれる︒. 本稿は︑民法解釈について︑右のような作業をこころみようとするものである︒すなわち︑民法解釈学の科学とし.
(3) ての位置づけをおこない︑この観点から︑民法解釈の諸問題︑たとえば︑解釈をどのようにおこなうべきか︑価値判 ︵4︶. 断をどうとりあつかうべきか︑民法解釈学の体系はどうあるべぎか︑法社会学等の基礎的法学と民法解釈学との関係. をどう理解するかなどについて考えてみたいとおもう︒しかしこれは何分にもきわめて大きい問題でもあるので︑本. 稿では︑いわば序説的に︑問題を概観するにとどめ︑個々の問題の詳論は︑別の機会をえておこなうことにする︒. この場合︑民法解釈学の社会科学的位置づけは︑つぎのようにしておこなっていくことになる︒まず︑第一に︑も. し民法解釈学が一個の社会科学として承認されるとすれば︑どのような性格のものとなるかを問題とする︒なぜな. ら︑このような性格決定により︑解釈をめぐる諸問題についての解答も︑自然と異なったものとなるからである︒と. ころで民法解釈学は︑本来︑実用に奉仕する学︑すなわち一種の実用学であることを否定しえない︒そこで︑およそ. 実用学というものが︑一般にどのようにしてみとめられているか︑これが一個の科学として成立するために︑一体︑. どのような要件を必要とするか︑また科学としての実用学がいかなる特徴をもつかを考えてみなければならない︒つ. いで︑これらの要件や特徴を︑民法解釈学にあてはめ︑実用に奉仕する科学としての民法解釈学が成立しうるか否か. をたしかめ︑この判断にもとづいて︑さらに︑民法解釈学のあるべき姿を︑諸問題の検討とともにえがいてみること. になる︒すなわち民法解釈学をその特徴によって︑独特な学問としてとらえることを避け︑まず他の実用学のうちに. ﹁戦後目本における法解釈論の検討﹂︵恒藤先生古稀. ︸般化し︑これによって解釈についての諸問題を︑もう一度︑実用学共通の要素に還元してみょうとするわけである︒ ︵1︶ 法解釈論争を概観し︑その問題点を整理したものとして︑碧海純一. 三︵二二三︶. 祝賀記念・法解釈の理論四五頁以下︶Qとくに民法の領域についての間題を考えるものとして︑水本浩﹁民法学における利. 民法解釈学の性格と方法.
(4) 1. 論. 説︵高島︶. 四︵二二四︶. 益衡量論の成立とその成果﹂︵民商六二巻六号︑六三巻二号︶︑甲斐道太郎﹁民法解釈学の課題﹂︑星野英一﹁民法解釈論序. 法解釈論争の口火をきったとされる来栖教授の間題提起︵来栖三郎﹁法律家﹂末川先生還暦記念.民事法の諸問題二五一. 双書一頁以下︶︒. 説﹂︵いずれも﹁法の解釈と運用﹂所収︶など︒私も民法解釈について論じたことがある︵拙著﹁民法総則﹂法学基本問題. ︵2︶. 頁以下︑同﹁法の解釈と法律家﹂私法一一号二三頁︶も︑解釈が法社会学などの研究の基礎のうえにおこなわれるぺきこと. つまり︑それ自体法則性をもつ解釈という現象. 川島教授は︑裁判予測などを主要な目的とする市民的法律学を︑科学的法律学として︑本来の法解釈学に対置された︵川. を主張しているが︑とくに法科学論の展開を意図してはいないo ︵3︶. 島武宜﹁科学としての法律学﹂新版一〇九頁以下︑とくに一三五頁以下︶︒. 二. 民法解釈学がひとつの実用学であること︑したがってその科学性は︑実用学がいかにして科. 実用科学の要件と特徴. ここで民法解釈学がとくにとりあげられたのは︑もっぱらそれが筆者の専攻分野であることによる︒. を研究する学問について︑科学性をみとめようとされた︵﹁法解釈学の﹃科学性﹄﹂法律時報二六巻四号五三頁︶︒ ︵4︶. 実用科学の成立. 学として成立するかを考え︑これと対比しながら判定すべきであること︑前述のとおりである︒そして︑科学として. の実用学のモデルをもとめると︑それは︑応用科学・技術学︑社会科学の領域における政策学などのうちにみいださ ︵1︶. れる︒それゆえ︑このようなモデルにあてはめて︑法解釈学を︑一種の応用科学または技術学︑あるいは政策学とし. て理解しようとする態度がとられることになる︒その理由は︑これら実用学のもつ共通の性質︑すなわち︑理論的な.
(5) 認識成果を︑実用的な目的のために利用するという性質が︑法解釈学にも同様にみとめられることである︒そうし. て︑このように理解することは︑おそらく法解釈学を社会科学の一種として承認するための︑唯一の方法であるとい. わねばならない︒しかし︑法解釈学が︑右に指摘したような性質をもつからといって︑そのことから︑ただちに法解. 釈学は応用科学や技術学や政策学であるという結論はみちびかれない︒そこにはなお検討され︑比較されるべきいく. つかの問題がある︒たとえば︑認識成果を利用するという場合︑その利用はどのようになされるべきであるのか︑あ. るいは︑利用されるべき認識はどのようなものであるべきかがさらに検討されなければならないであろう︒また︑法. 解釈学においてみとめられる︑あの価値判断の存在は︑応用科学や技術学などの成立を妨げないかどうかが問題とな. る︒さらに︑法解釈学における基礎学はなにか︑両者の関係は︑はたして純粋科学と応用科学または技術学の関係の. モデルに合致するか否か︑法解釈学は︑典型的な応用科学が︑一個の学として成立するための要件をそなえているか. どうか等についても考えてみる必要があろう︒そしてこれら諸問題について検討することにより︑はじめて︑法解釈. 学︑したがって本稿でいえば民法解釈学が︑明白に科学として位置づけられることになるであろう︒. そこでつぎに︑実用学がいかにして︑応用科学・技術学・政策学というような科学として成立しうるか︑その特徴. はなにか等を考え︑民法解釈学の性格判定のための基準をもとめることにする︒なお︑ここで用いられている応用科 ︵2︶ 学・技術学・政策学は︑それぞれ微妙な差異をもつ観念であるが︑本稿の問題の検討のためには︑これを一括して考え. 五︵二二五︶. 碧海教授は︑﹁法解釈学という学間は︑理論的な認識の成果を実践的な目的の実現のために自覚的に応用する活動であり︑. てよいであろう︒そこで︑これら三者を総括して︑便宜上︑実用科学とよび︑共通にとりあつかうことにする︒ ︵1︶. 民法解釈学の性格と方法.
(6) 論 ヤ. モ. も. 説︵高島︶ ち. 六︵二二六︶. 一言にしていえば応用科学としての性格をもつものである﹂とされる︵﹁現代法学の方法﹂現代法15コニ頁︶︒私は民法解釈. 学を技術学または政策学の一種として考え︑つぎのように指摘した︒﹁規制される社会現象の認識や法的現象の認識などに. 川島教授もまた︑法学を実用学または. もとづき︑社会の法的規制を技術的に実現するところに︑技術学あるいは一種の政策学としての民法解釈学の︑社会科学の 一分科たる性格をみとめうるものとおもわれる﹂︵拙著﹁民法総論﹂︵上︶二五頁︶︒. 技術学としてその科学性をみとめられるが︑まえに指摘したように︑かような性格づけを与えられているのは︑ここにいう 意隊での法解釈学とは別個のものである︵前掲・法律時報五三頁︶︒. 実用科学というものが︑基礎学の提供する認識の成果を︑実用的な目的実. ︵2︶ 応用科学と技術学の比較と相互関係について︑フエーブルマン.竹田加寿雄訳﹁科学の哲学﹂一〇二頁以下︒. 2 実用科学における認識成果の利用. 現のために利用するところにその特徴をもつことぱ問題がない︒しかしここで認識の成果を利用するとか応用すると. かいうのは︑どのような意味であろうか︒それは︑つぎの意味に解せられるべぎである︒すなわち︑認識の成果を適. 用しデ\一定の原因を与えた場合に生ずる結果が予測され︑したがってまた︑現実に一定の原因を与えることにより︑. このように予測された結果を実現する︒このようにして認識成果は︑実用に奉仕することになる︒つまり︑実用科学. の成立のためには︑かようなかたちでの認識の利用が要件となるのである︒たとえぼ経済政策学は︑一定の経済法則に. より︑ある施策がどのような経済状態を成立させるかを予測し︑そこから︑逆に︑ある経済状態の実現のためにとら. れるべき施策をあぎらかにする︒ところで︑右のような認識成果の利用が要求されるのは︑この場合においてのみ︑. 認識の成果が︑実用学のうちにそのままはいりこむからであり︑サてしてこのゆえにこそ︑応用科学や技術学など︑すな.
(7) わち実用科学の科学性がゆるぎないものとなるからである︒いかに科学的な認識成果を利用したとしても︑右のかた. ちをとらないかぎり︑たとえばこれを参照したにとどまるような場合には︑その作業の科学的性質は承認されない︒. ところで︑右のような事実的認識が︑一定の結果を予測し︑またこれをみちびくために利用されねばならないとい. うところから︑利用される認識成果の内容や性格も︑おのずから決定されてくることになる︒すなわち︑この認識成. 果が︑法則の発見であるとき︑これを適用して︑一定の結果を予測したり実現したりする作業は︑はじめて有効にお. こなわれ︑完全に科学的なものになる︒したがって認識成果としての経済法則の適用によって一定の経済状態を実現 させる経済政策学などは︑右の性格をきわめて明白にそなえているわけである︒. 本来︑科学という観念じたい︑多くの定義を許容するものであるが︑ある学問が︑法則認識の学である場合︑科学. の名は︑おそらく異論なくこれについて承認されるであろう︒そしてまた実用学は︑このような法則の適用というこ. とを内容とするとき︑これまたとくに異論なしに︑科学の一分科たる性格を承認されるものとおもわれる︒それゆ. え︑もし民法解釈学が︑いまみてきたような要件を具備しているとすれば︑きわめて確実な意味で︑その科学性︑し. たがってまた客観性がみとめられることになる︒またもし︑この点に欠けるところがあったとすれば︑その欠除から. して︑科学としての位置づけを否定するか︑あるいは︑なおこれに接近する可能性のある場合には︑いかにしてこの. ある実用科学が︑右にみたような意味で科学として承認される場合には︑これに対して ︵3︶. 距離がうめられていくかを考えなければならないであろう︒. 3 実用科学と基礎科学. 七︵二二七︶. 認識の成果︑とくに法則認識の結果を提供する基礎科学が存在すべきことになる︒経済政策学と理論経済学の関係な 民法解釈学の性格と方法.
(8) 論. 説︵高島︶. 八︵二二八︶. どは︑これを明白に示すものということができる︒しかし︑基礎科学と実用科学との関係は︑一般的に︑それほど簡. 単なものではなく︑もっとも抽象的な基礎科学から︑さらに実用的なものへと階層をなすことが多いであろう︒. もっともこの基礎科学は︑必ずしも︑時間的に︑実用科学にさきだって確立されているという必要はない︒技術的. 必要性が一般法則の発見をみちびいたことも多く︑したがってある学問において︑この分離が未完成であったり︑基. 礎科学がなお充分に確立されず︑流動的な状態であるということは︑これに対する実用学の︑科学としての承認を妨. げるものではない︒しかしまた︑同時に︑かような基礎科学は︑実用科学が法則利用を中心とするものであるところ から︑なんらかの法則を提供するものであることが要求されるであろう︒. ︵3︶ 法学について︑このような関係をはやくから指摘したのはエ;ルリッヒであるが︑そこではまだ︑実用法学と基礎的法学. oo・一R. 実用科学が︑右にみてきたような性格のものであると考えると︑法解釈論争において中. の明確な位置づけはおこなわれたとはいえない︒中国ぼぎFO毎昌色畠二昌αq山巽ωo臥o一罐冨号ω即o昌什ρご爲. 4 実用科学と価値判断. 心的な課題として論議された︑あの価値判断の問題は︑おのずから︑これらの科学のうちで︑その占めるべき位置を. あきらかにしてくるようにおもわれる︒すなわち︑価値判断の要素の存在は︑実用科学︑とくに社会科学的な実用科. 学にあって︑すでに当然のこととして予想されている︒なぜなら︑まえにも指摘したように︑たとえば経済政策学に. ついていえば︑経済法則は︑ある価値観にもとづいて︑のぞましいと判断し︑選択した経済状態をみちびくために利. 用されるというように︑価値判断が︑当該科学の成立にとって︑当然の前提となっている︒そしてこのような学問の. 科学性は︑法則適用の点においてすでに承認されており︑したがって価値判断は︑その科学性に対してマイナスに作.
(9) 用することはありえないのである︒. しかしさらに考えてみると︑社会科学においてのみでなく︑実用的自然科学においても︑基本的には同様な事情が. みとめられる︒すなわち︑実用的自然科学において法則が適用される場合︑明示的でなく︑また当該科学の内容とは. ならないけれども︑そこではやはり︑のぞましい結果が判断されており︑これにむかって法則適用がなされているわ. けである︒さらにまた︑基本的にはある結果がすでに選択されているとしても︑どういうプ質セスでそれに達するの. がよいかという価値判断もあろう︒また︑目的達成のためのプ冒セスがきまっているとして︑そこで用いるべき手段 の選択などにおいてやはり価値判断がなされるはずである︒. このようにみてくると︑実用科学においては︑価値判断がむしろ当然に予定されているのみでなく︑かなり多様な. かたちでそれがあらわれていることを承認しうるものとおもわれる︒つまりこのような角度からみるかぎり︑価値判. 断の存在は格別その科学性に対してマイナスに作用するものではなく︑実用科学の科学性は︑右のような法則利用の. 点によってこそ承認されることを了解しうる︒ただ︑社会科学にあっては︑価値判断そのものが︑ふたたび科学的な. 研究対象になり︑したがって︑価値判断が当該科学からまったくきりはなされる自然科学との差異を生ずることにな. 実用科学の学としての成立. たとえば一定の法則を用いて一定の効果を実現させるための作業がおこなわれる. ることを否定しえない︒だがいずれにせよこのことは︑実用的社会科学の科学性を否定するものとはいえない︒. 5. としても︑それがただちに実用科学になるとはいえない︒基礎科学の学としての確立は︑そのまま当然に︑実用科学. 九︵二二九︶. の学としての性格をみちびくものではない︒やはり実用科学が学として承認されるためには︑それ自身が︑ひとつの. 民法解釈学の性格と方法.
(10) 論. 説︵高島︶. 一〇︵二三〇︶. 知識の体系として構築されることが必要だとおもわれる︒すなわち︑さまざまな場合について︑さまざまな法則を用. いて︑所期の結果を実現させるための手段︑方法についての知識が整序され︑体系づけられることが要求されるもの. といえよう︒実用学は本来実践を目的とし︑これに奉仕するものであるが︑これが一個の実用科学として成立するた. 実用科学としての民法解釈学. めには︑やはり︑それ自身整序された認識の体系を構築しなければならないわけである︒. 三. ここでは︑まえに概観してきた︑実用科学の成立要件や特徴が︑民法解釈学においてもみとめられるか否かをたし. かめ︑もしこのような要件や特徴が明白にみとめられないような場合には︑はたして民法解釈学がこれを具備する可. 能性をもつか否かについて考え︑逆に︑民法解釈学の特徴とみられるものが︑実用科学一般においてもなんらかのか. さきに実用科学が︑価値判断によってのぞましいとされた結果を︑法則. たちで存在し︑そのうちに位置づけうるものかどうかなどについて考え︑民法解釈学の社会科学性の認定をこころみ ることにする︒. 1 民法解釈学における認識成果の利用. 適用によって実現するという特徴をもつことをみてきたが︑このような要素がはたして民法解釈学についてもまた承 認されうるかが問題となる︒. 民法解釈がなされていくプ・セスをふりかえってみると︑それは︑多くの場合︑つぎのようなものであるというこ. とができよう︒まずわれわれは︑解釈によって︑ある規範を定立することを企図するが︑そのために︑なにが適切な.
(11) 規範定立であるかを考える︒いいかえれば︑それが社会関係を適切に規制しうるかどうかを判断しているわけであ. る︒従来︑一般に︑解釈について理解されたところでは︑このようなのぞましい規範を発見し︑あるいは理論構成に. よって創りだすところに︑解釈の究極の目的があるものとされた︒しかし︑われわれは︑規範定立によって万事がお. わったとか︑それだけが解釈の任務であるとかいうようには必ずしも考えていない︒ある規範の定立によって実現す. る現実の社会関係を想定して︑これをのぞましいものと判断しているし︑さらにそればかりでなく︑どのような規範. の定立が︑もっとも有効︑適切にこのような社会関係を実現させるかをも考えているのである︒いいかえれば︑この. ような規範定立をすれば︑その結果として︑のぞましい社会関係が形成されるであろうということを︑因果の関係と. してとらえている︒つまりここでは︑ある規範定立と︑これによる社会関係の実現の間に存する因果の関係が認識さ れ︑これが実用的な目的のために用いられているというかたちになる︒. たとえば︑物権行為論において︑物権行為の独自性を主張し︑登記や引渡や代金支払いの時をもって︑物権変動の. 時期とする見解は︑取引関係をこのように定型化し︑方向づけることを適当であると判断しているのだが︑さらに︑. 物権行為や物権変動について︑右のような規範を定立することにより︑こののぞましい取引関係の定型化や方向づけ ︵1︶. が︑現実に︑もっともスムーズに︑効果的に実現すると考えているのである︒物権行為論においては︑しばしば︑現. 実の取引慣行や法意識が︑独自性肯定説を支持する根拠として指摘される︒しかしこのような事実の存在は︑学説の. 妥当性の根拠となるのみでなく︑実は︑独自性肯定説をとる解釈者が︑のぞましいと判断する取引関係の実現の可能. 一一︵二三一︶. 性を測定するためのひとつの素材として役立っているのである︒それゆえ︑このような事実の認識は︑将来におい 民法解釈学の性格と方法.
(12) 論. 説︵高島︶. =一︵二三二︶. て︑一定の規範定立と一定の社会関係の形成とが︑法則によってむすびつけられていることが明白になったとする と︑この法則を形成する一要素としてとりあつかわれることになるであろう︒. 反対に︑右のような取引慣行や法意識の存在を承認しながらも︑なお︑たとえば法律関係の明白性を期するという. ような理由から︑売買契約と同時に物権変動が生ずるとの規範定立をおこなう見解の場合にも︑同様の事情がみとめ. られるであろう︒そこでは︑前説とはちがった社会関係がのぞましいものと考えられたのみでなく︑やはり右の解釈. にもとづく規範の定立によって︑これに抵抗するような慣行の存在にもかかわらず︑前説とは反対の方向に︑取引関. 係を方向づけ︑定型化することが可能であるとの予測がなされているものと考えられる︒そうするとこんどは︑認識. の対象たる取引慣行は︑右の予測においては︑のぞましい結果の実現に対する抵抗の要素として︑その強度が測定さ. れ︑その作用が考慮されるべきことになるであろう︒このようにみてくると︑民法解釈のうちには︑明白には自覚さ. れないとしても︑規範定立とこれにょる一定効果の実現を︑社会諸力のくみあわせ等を考慮しつつ︑因果の関係をも ︵2︶. って結合させようとするこころみが存在しうるのであり︑したがってまた︑これによって一個の実用科学たりうる可. 能性をはらんでいることになる︒ただここでは︑因果の関係による予測と実現がとりあげられるとしても︑この因果. の関係が︑明白な法則として構成されていないという点が問題となる︒また︑民法解釈学においては︑規範定立その. ものが︑同時に実用的な目的の実現であると考えられる事情があり︑このことが規範定立と一定の社会関係の形成と. 民法解釈学が一種の実用科学であるとすると︑これに役立つべき認識成果を提供す. の間の因果の関係によるむすびつきを︑表面におしださせなかったという特殊性がみとめられるであろう︒. 2 民法解釈学と基礎的法学.
(13) る基礎科学が存在することが予想される︒そして事実︑右のような役割をもった基礎的法学の分野が︑なお流動的で. はあるがともかくも存在していること︑この基礎科学の提供する認識成果を利用して︑一定の社会関係の実現をはか. る技術がみとめられることを考えれば︑この点においても︑民法解釈学の実用科学としての性格が︑明白に承認され るものといえよう︒. ここでもっとも問題になるのは︑このような基礎科学が︑実用科学としての民法解釈学において利用されるような. 認識︑とくに法則認識をおこない︑これを提供しているかどうかということである︒そしてこのことは︑民法解釈学. が︑そもそも法則を利用する実用科学として成立しうるか否かの問題とも︑不可分にむすびついているのである︒. まず︑理論法学とか法社会学とかいわれる基礎的法学は︑たとえば経済学におけるようなかたちでの法則の追究. を︑必ずしも自覚的にその目的にしておらず︑したがってまた︑このような法則を提供していないのが実情である︒. もちろん︑法の形成︑発達についての根本的な法則認識がおこなわれ︑それが民法解釈の指針としても重要な意味を. もっていることはいうまでもない︒しかしここで問題にしているのは︑そのような根本的な法則のもとで︑さらに個. 別的に認識され︑個別的な解釈において用いられるべき法則︑つまり一定の規範定立と一定の社会関係形成との関係. の予測に奉仕しうるような法則である︒そして基礎的法学によるこのような法則の提供と︑解釈におけるその利用に. 関する部分が︑さきにも指摘したように︑民法解釈学の実用科学としての位置づけにとって︑もっとも問題となりう る点だとおもわれる︒. コニ︵二三三︶. しかしこのような問題点も︑民法解釈学の実用科学としての社会科学性を否定するものではないと考えられる︒な 民法解釈学の性格と方法.
(14) 論 説︵高島︶. 一四︵二三四︶. ないが︑それは︑このような基礎的法学の歴史がまだ若いためであり︑また︑解釈学において認識成果の科学的利用. ぜなら︑現在においては︑たしか起︑右のような法則の発見や提供やその利用が︑明白なかたちではおこなわれてい. という万法が自覚的におこなわれるにいたっていないためであって︑基礎的法学と民法解釈学が︑基礎科学と実用科. 学の関係のモデルに接近していく可能性は充分にみとめられるし︑またそれを今後の課題としなければならないと考. えられるからである︒そしてこのような可能性は︑解釈における認識成果の利用を論ずるときに指摘したように︑民. 法解釈学において︑規範定立と社会関係形成とを︑さまざまな社会諸力の相互作用等を考慮しつつ︑原因結果の関係. として構築するという方向のうちに示されているのである︒このような認定や結果の予測は︑現在なお︑多くの場. 合︑常識に依存してなされている段階であり︑そのために︑この操作の重要性が︑必ずしも充分に自覚されていない ︵3︶. が︑一定の規範定立と︑これに対する社会的反応の関係は︑抽象操作によって︑法則化される可能性を充分にもつも. のといってよい︒そしてこのような法則認識は︑やがて基礎科学における認識の作業として体系化されるべきもので. ある︒今日︑法社会学は︑その認識成果を︑豊富に民法解釈学に提供するにいたっているが︑さきにも指摘したよう. 民法解釈学と価値判断. 実用科学において︑法則適用によって実現せられるべき状態を選択する価値判断が︑. に︑この事実認識は︑やはり究極的には法則抽出のための素材を構成することになるであろう︒ 3. 当然に予定されていること︑さらに︑この科学のうちで︑価値判断が︑さまざまなかたちで存在していることなどを. まえに指摘した︒ここでは︑かような事実を考慮しながら︑民法解釈学において問題とされるべき価値判断について 検討することになる︒.
(15) 法解釈論争においては︑価値判断というものが︑一義的にとらえられていたようにおもわれるが︑具体的な法解釈. について考えた場合︑それがどのような判断を意︐味しているかは︑必ずしもあきらかでない︒そこで︑われわれが実. 際に民法解釈をおこなう場合に経験するいくつかの価値判断をひろいあげ︑その意義をたしかめ︑またそれらの位置. づけをこころみる必要があるとおもわれる︒第一に︑さきにとりあげたように︑われわれは︑一定の価値観にもとづ. いて︑のぞましい社会関係はなにかを判断し︑選択する︒前例でいえば︑物権取引関係がどのように定型化され︑方. 向づけられるべきかの判断がこれに属するものであろう︒あるいは︑慣習法上の権利が物権として保護されることを. のぞましいとする判断とか︑強行法規違反行為であっても︑これを取引関係として保護することがのぞましいとか︑. 譲渡担保関係を︑実質的に担保権の程度をこえないものとして枠づけることがのぞましいとか︑包括根抵当の関係を. 放任することがのぞましいとかいうようなものは︑すべてこれにふくまれるものと考えてよいであろう︒これらの判. 断は︑その共通要素をもとめるとすれば︑結局︑ある社会関係の存続︑変更等についての価値判断ということになる. であろう︒ここではこれを︑便宜上︑社会関係形成についての価値判断とよんでおくことにする︒. 第二に︑われわれは︑民法の解釈において︑とくに社会関係の形成について判断するというわけではなく︑むしろ. ある問題を解決するための基本的な価値観をうちたて︑これによって規範定立をおこなうという場合がある︒たとえ. ば︑公平という基準にてらして民法を解釈するというような場合がこれに該当するであろう︒社会関係形成について. の価値判断が︑高度に政策的な要素をもっていたのに対し︑これはもっと規範的なものにちかづいており︑いわば解. 叫五︵二三五︶. 釈作業そのものが依拠すべき価値基準だといえる︒それゆえこの価値判断は︑政策的な︑社会関係形成についての価 民法解釈学の性格と方法.
(16) 論 説︵高島︶. 輔六︵二三六︶. 値判断と相争うこともありうる︒ここでは便宜上これを︑解釈原理についての価値判断とよんでおくことにしよう︒. 第三に︑われわれは民法を解釈する場合︑事情の許すかぎりその規定を尊重すること︑したがってまた︑他の規定. と矛盾のない理論を構成すること︑さらに︑理論構成にもあまり無理がないようにすること等に心がける︒つまりこ. のような方法で規範を定立することがのぞましいのだという価値判断がある︒これが︑しばしば解釈学の主要な課題. であるとされ︑事実これに対して解釈者の多量なエネルギーが注がれてきたのであった︒このようにある解釈をのぞ. ましいとする価値判断は︑第一の価値判断の場合のように政策的というものではなく︑また第二の価値判断にくらべ. て︑規範的なものでもなく︑いわば技術的なものであろう︒そしてかような価値判断は︑まさしく法適用を効果的に. するという技術的な要求に応ずるものといえよう︒それゆえこれは︑前二者に対し︑解釈技術についての価値判断と いってよいとおもわれる︒. これら各種の価値判断は︑いままで︑その区別が必ずしも明確に意識されていたわけでもなく︑また事実︑解釈の. 実践においては︑たがいにいりまじり︑ときに対抗し︑あるいは場合に応じてそのいずれかが︑解釈の正当性の根拠. としてもちいられてきた︒しかし︑このように多様な価値判断の存在をあきらかにしておくことは︑民法解釈の実践. のためにも︑また民法解釈学の位置づけのためにも︑必要なこととおもわれる︒ここでは︑これらの各価値判断が︑. 民法解釈学のうちでどのような意味をもち︑その技術学としての性格の承認に対して︑どのように作用するかを考え てみることになる︒. そうすると︑社会関係形成についての価値判断は︑実用科学としての民法解釈学の成立にとって︑問題のないもの︑.
(17) いいかえれば︑当然に予定されているところのものといってよいQ. これに対して︑他の価値判断の存在をどのように考えたらよいか︑これらは民法解釈学の実用科学としての成立に. 対し︑マイナスに作用するものかどうかが問われねばならない︒たしかにこれら価値判断の存在は︑民法解釈学を︑. 独自の規範科学︑価値科学というようなもののうちに位置させる要素となりうる点で︑実用科学としての位置づけに 抵抗する可能性をもつのである︒. まず解釈原理についての価値判断をとりあげてみると︑このような要素の存在のゆえに︑民法解釈学は︑かくある. べしとする規範の発見︑定立をおこなう価値の学であるとされ︑没価値的な認識の学からこれを峻別するという態度. をうむことになるであろう︒また︑解釈技術についての価値判断の存在も︑実用科学とは異なった民法解釈学の理解. を可能ならしめるという作用をもつ︒すなわち︑民法解釈学というものは︑個々の規範の意味内容を認識していぎ︑. さらにこれらを︑ひとつの論理的に矛盾なく整序された体系に構築していくこと︑それ自体を内容とする学であり︑ またここにその学的性格があると考えさせることにもなるであろう︒. いずれにせよ︑これら両者は︑民法解釈学を︑厳密な意味での実用科学以外のものとして成立させる要素となりう. るので︑民法解釈学を実用科学として承認するためには︑これらの価値判断が︑このような実用科学のうちで︑どの ように把握され︑位置づけられるかを考えることが重要な問題となるのである︒. われわれはまず︑民法解釈学が︑実用科学としてもっている特殊性について考えてみる必要がある︒そうすると︑. 一七︵二三七︶. この特殊性としては︑あるのぞましい社会関係を実現せしめる場合︑規範定立という方法によること︑しかもこのよ 民法解釈学の性格と方法.
(18) 論. 説︵高島︶. 一八へ二三八︶. うな規範定立の基礎をなすものとして︑民法典や特別民法などの成文法や判例などが存在し︑これらが制度上︑事実. 上の拘束力をもっていることを指摘すべきであろう︒これは経済政策学などと異なる点ではあるが︑その実用科学の. 基本構造には差別がないものと考えてよい︒そしてさきにあげたふたつの価値判断は︑まさしく︑このような特殊な 手段に関連していることに注意すべきである︒. まず解釈原理についての価値判断は︑民法解釈学が︑社会の規範現象についての実用科学であることと密接にむす. びついている︒規範定立による社会関係へのはたらきかけであるがゆえに︑おのずから︑いかに規範を定立すべきか. が︑価値観によって︑まず基本的に方向づけられるのである︒したがってたとえば︑公平の原理にもとづいて規範を. 定立することは︑一定の規範定立にょり︑因果の法則によって一定の社会関係を実現せしめるという︑民法解釈学の. 性格と矛盾するものではない︒それは︑ここで使用されるべぎ︑規範定立という手段に対する要請にほかならない︒. そしてこのような手段についての原理的な要請は︑まえにもみたように︑自然科学的な実用科学においてもまたみと められる場合があろう︒. つぎに︑解釈技術についての価値判断をとりあげてみる︒民法解釈学における規範定立という操作は︑与えられた. 実定法規範を前提とし︑これを解釈によってさらに具体化していくという方法によってなされる︒この場合︑規範定. 立が︑矛盾なく︑論理的な構成に︑よって︑他の諸規範とも整合を保ってなされることが︑これによる社会関係の形成. を︑いっそう確実にする︒なぜなら︑右のような場合は︑一般にこの規範定立が社会的な支持をうけやすいことにな. り︑その結果︑社会規制の手段として強力かつ効果的なものとなるからである︒それゆえこの価値判断は︑実用科学.
(19) ︵4︶. としての観点よりすれば︑まさしくかような技術的要請にもとづくものであり︑定立された規範の︑社会関係形成力 の強化に関する問題にほかならないのである︒. このようにみてくると︑これら両価値判断は︑いずれも︑民法解釈学の実用科学としての成立にとって︑格別障害. 実用科学としての民法解釈学の体系. 実用科学が学として成立するためには︑それ自身が実践についての知識. とならないものであり︑かえってそのうちに︑それぞれの役割をみいだすことを承認しうるであろう︒. 4. の体系として整序されることが必要だと考えられた︒したがって民法解釈学は︑規範定立にょる社会関係の規制︑方. 向づけについての知識の体系化にょって︑はじめて実用科学的意味において成立することとなるであろう︒そしてま. たこのことは︑従来の民法解釈学の体系の意義をふりかえり︑その方法を再検討することにも役立つはずである︒. 解釈と解釈学を対立させてその関係を考えることにより︑解釈学の学としての性格をもとめるこころみは︑すでに ヤ おこなわれているが︑解釈学が成立するための要件は︑必ずしも明白なかたちでとりあげられたとはいえない︒しか. しおそらくは一般に︑このような論理的体系の構築のうちに︑民法解釈学成立の基礎がもとめられていたといってよ. いであろう︒だが︑同時に︑民法解釈学が︑すでにこのような体系構築を基礎にしていたがゆえに︑実用科学として. の民法解釈学を構想しようとする場合︑その学としての成立の検討には︑特別な問題を生ずることになる︒ここで. は︑いままで民法解釈学についておこなわれた体系整序が︑実用科学としての民法解釈学の成立のために要求される. 体系整序に︑そのまま利用しうるものかどうかが再検討されなければならない︒そしてもしこれが不適当であれば︑. 一九︵二三九︶. 右の理解に即するあらたな体系が構想されるべきである︒それゆえこの間題は︑民法解釈学の実用科学としての成立 民法解釈学の性格と方法.
(20) 論. 説︵高島︶. 二〇︵二四〇︶. というよりも︑むしろあらたな体系構築という将来の課題としてとりあつかわれることになるであろう︒しかしまた. その代表的なものとして︑末川博士は︑﹁実際取引上の慣行にもよく合致する﹂とか︑﹁実際取引で広く行われている﹂と. それだけに︑将来の民法解釈学の研究や教育などにとって︑大きな影響をおよぼしうる問題だともいえるであろう︒ ︵1︶. いうような理由から︑かような構成が妥当であることを主張される︵末川博﹁物権法﹂六二頁以下︶oしかしこれが解釈の. このことは︑単に実用科学としての成立の可能性の問題にとどまらず︑実態を充分に考慮しない観念的な解釈を拘えると. 根拠づけであるとすると︑なにゆえに実際取引に合することがのぞましいのかという問題を生じてくるであろう︒ ︵2︶. ここにいう法則は︑他の社会科学において発見されたものではない︒規範現象においては︑特別な法則の抽出が可能であ. いう実践上の要請からしても︑推進されなければならぬ方向であるといえようo ︵3︶. それゆえ︑ある法規が実質的に不適当であることが一般に痛感されているような場合には︑これを無視もしくは軽視する. ろうとおもわれるが︑この点の明確化はなお今後の研究課題であるo ︵4︶. 理論構成が︑かえって強力な支持をうけ︑より効果的となることもありうる︒そしてこのような現象じたい︑法則化の可能. 実用科学としての民法解釈学の諸問題. 性をもつであろう︒川島教授が体系整合性についてみとめられるカの法則︵前掲・法律時報五九頁︶はこの意味に理解する ことができよう︒. 四. いままで︑民法解釈学が︑一種の実用科学として社会科学のうちに位置づけられるか否かを検討してぎた︒そうし. て︑現在の段階において︑まだ典型的なかたちにまでは成熟していないにしても︑それが︑ともかくも実用科学とし.
(21) て位置づけられ︑形成される可能性をもつものであることを承認した︒このことはまた︑民法解釈学がこのような理. 解をうける場合に︑従来この学問に内在していた諸要素のうち︑なにが強調されねぱならないか︑重点のおきかた. を︑どのように変化させなければならないかの問題を提起することになった︒つまりここでは︑実用科学としての民. 法解釈学のあるべき姿がおぽろげながらもうかびあがってきたようにおもわれる︒そこで最後に︑このような民法解. 釈学についての素描をこころみ︑さらに将来この問題を詳論するための覚書としたいと考える︒. まず︑民法解釈学が︑実用科学の一種として︑いままでみてきたような特徴をそなえているとすると︑解釈の仕. 方︑解釈論において重視すべき事項などに︑おのずから︑かなり重要な変化が生じてくることになるはずである︒す. でに︑従来の民法解釈学への反省から︑この点について注目すべき提案がなされているが︑ここでは︑とくにその実 用科学的な側面から︑この問題を考えるわけである︒. 価値判断についての再検討にもとづぎ︑解釈において︑ある結論が︑客観的にある規定からみちびかれるというよ ︵1︶. うな構成を排し︑率直に︑一定の価値判断を明示すべしとの要求は︑民法解釈学の実用科学としての観点よりして. も︑当然に支持されるべきものである︒ただ︑さきにも指摘したように︑民法の解釈をおこなう場合にも︑さまざま. な段階に応ずるさまざまな価値判断があり︑これらは︑それぞれの位置において︑個別的に一定の規範定立との関係. を︑あきらかにされるべきである︒すなわち︑のぞましい社会関係の判断や選択︑これを実現するための規範定立に ︵2︶. 一二. ︵二四一︶. おける原理的な要請︑もっとも有効な規範定立のための理論構成の選択などのそれぞれについて︑価値判断が別々に 示されるべぎであろう︒ 民法解釈学の性格と方法.
(22) 論. 説︵高島︶. 二二︵二四二︶. だが︑実用科学としての民法解釈学において︑もっとも重視すべぎこと︑またそれにもかかわらず︑従来の解釈で. は︑比較的軽視され︑明示されることの少なかったものは︑一定の規範定立によって︑一定の社会関係が現実に形成. されるという予測︑両者が因果の関係をもっていかにむすびつくかということの明示である︒すなわち︑実用科学的. な民法解釈学にあっては︑規制すべき社会の実情︑規範定立によってこれが維持されたり︑一定方向に変化したり︑. 定型化していったりする姿を︑客観的に指摘することがのぞましい︒したがってまた︑民法の解釈者は︑このような ︵3︶. 規範的現象そのものについて専門家でなければならないし︑また︑このような結果をみちびくべき規範定立について. 責任を負うべきこととなるであろう︒それゆえ︑後述するように︑規範定立の結果の予測に奉仕すべき基礎学の任務. は飛躍的に増大する︒そしてここでは︑ある規範定立が︑社会規制の技術として適切か否かは︑客観的な検証にたえ. うるものとなるであろう︒つまり適用されるべぎものが因果の法則であるとすれば︑解釈者の予測が正しいか否か が︑まさしく科学的に検証され︑批判されうることなるわけである︒. このようにみてくると︑従来の解釈学において大ぎな比重をしめていたあの理論構成という操作は︑.従来みとめら. れていた役割の重要性に変化をきたさざるをえないことになる︒それは︑民法解釈学のうち︑のぞましい規範定立. を︑より効果あらしめることに奉仕するものとして︑その技術的性格を前面におしだしつつ︑従来の王座を降り︑規 ︵4︶ 範定立による社会関係の形成という作業のかたわらに位置せしめられることになろう︒. 解釈の方法とならんで︑体系再構築の問題がある︒さきにも指摘したように︑民法解釈学が実用科学であるとすれ. ば︑それに応じて体系化されていなければならない︒そして従来確立されていた体系を︑この目的に流用することは.
(23) 困難だといわねばならない︒したがってここでは︑右にみてぎた解釈作業における重点の変化に応じ︑やはり規範定 ︵5︶. 立と社会関係形成の技術的なむすびつぎを土台とし︑これについての知識を整序する体系が構築されなければならな いことになる︒. さらに︑民法解釈学の側から︑これまたさきにのべたように︑基礎的法学に対し︑実用科学において適用さるべき 認識成果︑とくに法則の提供が︑つよく要求されることになるであろう︒. 以上は︑きわめて大まかな素描にとどまっているが︑ここにとりあげられた問題をさらに追究していくことは︑大. 変興味深い課題であり︑このような方向のなかに︑利益衡量論や︑実益論などの解釈のあたらしい傾向を位置づける. ことにも大きな意義があるものと考えられる︒しかしこれらの課題については︑本稿でとりあげた概論につづく個別. 星野英一教授は︑少なくとも学者の議論においては︑結論をみちびく根拠について︑価値判断に由来する部分と理論構成. 的なテ!マのもとに︑継続的に研究をすすめていきたいと考えている︒. ︵1︶. 星野教授は︑解釈における法律家の権威について︑﹁利益考量や価値判断の面においては︑法律家に特に権威があるので. とがのぞましいわけであるo. それゆえ︑星野教授のいわれる理論構成の部分についても︑なおある構成を選択する基礎となった価値判断を明示するこ. な考慮した面とを明白にわけて示すぺきことを主張される︵星野・前掲論文八○頁︶︒ ︵2︶. ︵3︶. はないと︑いうことであるQ法律家なるが故の権威は︑法律の技術的側面︑例えば論理の進め方とか︑概念︒制度の沿革的. 二三︵二四三V. な意義とか︑いわゆる理論構成の面についてだけである﹂とされる︵星野・前掲論文八一頁︶Qしかし実用科学としての民. 民法解釈学の性格と方法.
(24) 論. 説︵高島︶. 二四︵二四四︶. 川島教授の指摘される︑いわゆる解釈学的な要素︵川島・前掲書二一〇頁以下︶を︑このように︑効果的な規範定立のた. ことに注意すべぎであるσだとすれば右の要求は︑解釈者にとって︑はなはだしく過大なものとはいえないであろうo. いるのは︑規制されるべきなまの社会的事実ではなく︑これが規範定立に対して示す反応というような︑特殊な現象である. の判断において︑法律家は専門家としての権威を要求されることにならざるをえないQもっともここで判断の対象になって. 法解釈学の観点よりすれば︑規範定立による︑一定社会関係の実現という点がもっとも重要であり︑このような因果の関係. ︵4︶. 民法解釈学の体系の再構築は︑あらたに提起されるにいたった問題であり︵たとえば星野・前掲論文八七頁︶︑来栖教授. めの技術的要請に応えるものとして理解すれば︑それは民法解釈学の科学性承認の妨げとはならないであろう︒ ︵5︶. 沸社会学的な方法を一貫して教科書を書くべきことを主張されるのも︵前掲・法律時報六〇頁︶︑ これに関するものといえ. ようQしかしこのような体系構築は︑体系書の作成の問題にとどまらず︑実用科学としての民法解釈学の確立という︑より 根本的な問題として︑自覚的に推進されなければならない︒.
(25)
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