法の解釈の理論 : 法の一般理論の研究 2
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(2) . 第 10 巻. 昭和35年2月. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 第2号. 法. 釈. 解. の. の. 理. 論. (法 の 一般 理 論 の 研 究 2). 中. 屋. 塩. 九. 一. 郎. 北海道学芸大学札幌分校法律学・政治学研究室. Kuichi ro Nakashioya : Theories on the ion of Law lnterpretat. -. A Study on the GeneraI Theory of Law 2. 1. し. は. が. -. き. 法解釈方法に関する論議は, むかしから今に至るまで, くり返しくり返し行われて来た, しか し, 戦後の法解釈論争は, 戦前のそれにくらべて, 比較にならないほどの, 社会政治的意味と法律 学という学問内在的意味とをもつものである, 第一に, その社会政治的意 味であるが, まず, 社会的には, 戦後現行憲法制定後, 人間の社会的 諸関係が, 法的関係と して規整されるということが顕著となり, 法の権力に対する優位が承認 きれ るという社会の流れの一般的傾向があった ということである. このような傾向の中で, 法解釈論争 がいろいろの意味で, 法学者の関心を呼起す のは, 蓋し当然のことであろう. つぎに, 政治的には, 法解釈の問題が学者の広汎な関心の的となった直接のきっかけは, やは り, 独立後の政府の懇意的な憲法解釈とそれに対する国民の不信と不安, そしてその窓意的解釈に もとづいて, 政府の為した反憲法的 既成事実に対する法学者の無力感と抵抗感等にもとづいていた と思われる. こ の よ う に, 戦 後 の 日 本 で は, 法 の 権 力 に 対 す る 優 位 が 承 認 さ れ る こ と と, 権 力 に よ る ・ 法 の 名. における法の破壊が行われる こととは, 相互に必然的な関連をもっ ている。 そして, この矛盾の背 後には, 権力の担い手と国民大衆との間の深刻な政治的利害の対立がある. この対立を背景としつ つ法解釈の問題は, 必然的に取 上げられたということができるであろう. 第二に, その学問内在的意 味であるが, 戦前における法解釈方法論は, 専ら微視的視角に立っ て, 当面の紛争の解決にその力点がしぼられがちであった. その結果, 法解釈の技術的処理に 埋没 せしめられ, ややもすると, 全法秩序の方向に対する統 一的認 、識を欠くの嫌いがない ではなかっ た. 殊に, 私法の分野においてそうであった. そこでは, 長期にわたる全法体系の見透しとい う巨 視的視角を欠くがために, 解釈の仕方は, その場限りの便宜主義的, 御都合主義的 なものとなり, 一貫した解釈の原理がなかった. 従って, 法の解釈が主観的 懇意的となり, 究極には, 権力ののぞ むがま の法秩序に奉仕することになってしも う。 このような解釈の方法が, 前述の政府の 窓意的 解釈が 広行するに至ったのをきっかけに, 反 省 せられなければならない必然性に追られたのであ る, かくして, 法解釈の問題 が学会において取 上げられるに至ったのである, まず, 法解釈の問題が最初に取上げられたのは, 昭和二八年秋の私法学会においてであった, そ -170--.
(3) . 中. 塩. 屋 九. 一. 郎. )その際川島教授は この来栖教授の提 こで, 来栖教授は法解釈方法論についての問題を提起し,1 , 2 ) 起した問題に回答を与える立場から,法の解釈の本質に迫るいろいろ有益な論述をせられた。 この二人の民法学者の提出した問題が中心となって, 以後私法学会のみならず, 公法学会におい ても, いろいろの角度から, 法の解釈の問題が論議せられた. この論争を通じて, いかなる点が明かになったかは, ある学者によれば以下の諸点であった 3 .) すなわち, 第一点は, 法解釈の性質が明らかにせられたことであり,それは,客観的事実を確定する という認識作用 ではなく, 何を法たらしめるべきかを主張する, 解釈者個人の価値判断に基づく実 践行動であるということである. 第二点は, 法の解釈の複数性ということである. 法の解釈の性質 が, 上述のように, 解釈者個人の主体的実践行動である以上, それぞれの解釈者の実践的立場がち がえば, 主張される解釈が違ってくるのは当然である. かくて, 同 一の法規をめぐって複数の解釈 が 成 立 し得 る こ と を 認 め な け れ ば な ら な い と,い う こ と で あ る. 第 三 点 は,法 解 釈 の 正 し さ と い う 問. 題である. 解釈が実践行動であるとしても, それは, 法規の解釈 という実践行動なのだから, 法の もつ 「わく」 の範囲内の解釈でなければならない, そして, これが正 しい解釈であり, 解釈の複数 性 と い う の も, この 法 の も つ 「わ く」 内 で の 複 数 性 の 意 味 で あ る, 問 題 は,「わ く」 が あ り,そ の「わ. く」 内で複数の解釈が成立する場合である. そのときは, 解釈者は, その中の一つを選択しなけれ ばならない訳であるが, その選択の基準は, 解釈者個人の価値基準である. すると, 解釈の正しさ は, その解釈者個人の価値基準から見た正しさということになる. だから, ある解釈者にとって, ある解釈が, 正しいかどうかは, 根本において, その解釈の結果が, 解釈者の価値基準から見て, 満足すべきか どうかにかかっている, かく考えてくると, 法の解釈には, ただ一つの正しい客観的 な 解釈 と い うも の は, あ り 得 な い の で は な か ろ ぅ か と, い う の で あ る.. 第四は, 解釈の根拠という問題である。 法解釈の正しさが, 根本的には, 解釈者個人の価値判 断 にかかっているならば, 解釈の正否をめぐる争いもまた、 価値判断の正否の争いと して展開され る. しかも, 価値判断の正否を争う場合にも 形式的理由にもとづいて争うべきではなく, 特定の 解釈的結論を, 現実の社会に適用した場合に生ずるであろう社会的政治的経済 的 結果というもの を, できうる限り探究し, それが不合理ではないかどうかという実質的理由にもとづいて争うべき で あ る と, す る の で あ る,. しか し, 私は上に述べた法解釈の論争の成果として明らかになった諸点が, も し法の解釈につい て で な し に 法 の適 用 に つ い て で あ る な ら ば, 大 体 に よ い て 承 認 せ ら れ て よ い と 思 う. しか しそ れ ら. が, 法の解釈についてであるならば, 必ずしも全面的に肯定するわけにはゆかない, 私は法の解釈と法の適用とは, それぞれの作業の実体を異にするものであり, 概念はその実体の 異るに従って, 明らかに区別して論ずべきものとするが故に, 法の解釈の概念に法の適用の概念を 含ましめ, これを広い意味の解釈とする立場をとらず, 法の解釈と法の適用との概念を厳に区別し 4 ’そ て論ずべきことを主張する. そして, 既に法の適用の概念とその適用の原則について述べた,, こで, 本稿では, 法の解釈の性質, したがって, その概念と法解釈の方法とを検討し, 法解釈学に おいて, 根強い疑念となっている法の解釈の客観性(科学性)の問題を論究せんとするものである. 2. 解 釈 の 対 象 と して の 「法」. 法の解釈とは, それは, 何を対象とする解釈なのであるか, 換言すれば, それは何を直接対象と し, 何を終局対象とする解釈なのか. このことが確定されなければ, 法の 解 釈の性質もその方法 )ここではそれを繰り返 も, 正確には把握し得ない. 法の実体については髪に述べておいたので,5 さない. ただ必要な限度においてのみ, これに触れることにする。 7 1- -1.
(4) . 法. の. 解. 釈. の. 理. 論. ところで, 法の解釈はそのいわゆる法の実体の相違に基づき, つぎの三つにおいて問題とされう る. 法規範たろ制規を特に法規という. 制規と法規とは必ずしも同 じものではないが, 制規には. 制. 規 (法規が大多数をしめているから, 以下絹槻 漆 う代りに法規 か. 彪 があることを注意せ ). られたい.. の解釈であるか, 社会的法規範意識 (制定法,i 慣習法, 条理法など) の解釈であるか,. ぎ際翻を 言 ぎ饗香 言 茎 繋 貫騒高 墓 護饗誓 養 拳 宣 半 4 ) とをことわっておく.. の解釈であるか, が, そ れ で あ る.. 1 ) 理性法の解釈 ( 理性法は法規範であり, 規範そのもの である, 規範は, 人々がその存在に気づくと否とにかかわ らず存在すると考えられるものであり, それは, 人間の意識の表現ないし表出でないから, 理性法 を直接対象とする 解釈は, 成立する余地はない. また, 理性法を直接対象とするものではなく, 法 規や社会的法規範意識 な どを直接対象と しつつ, 理性法を解釈の終局対象にもつことができるか. それはできない. なぜならば, 理性法そのものは, ただ直裁にこれを発見ない し想定し得るのみ で あって, それは, 解釈されるといわれ得る性質のものではないからである. かくて, 現性法そのも の を 対 象と す る 解釈 と い う こ と は, あ り 得 な い.. { 2 ) 社会的法現範意識の解釈 これには, 制定法, 慣習法, 条理法な どがあるが, これらのものが, 解釈の終局対象とされ得る こ と は, 明 ら か で あ る.. しかし, その直接対象を問題とするならば, 社会的法規範意識それ自体は, 解釈の直接対象とす ることは できない. なぜならば, 人間の意識は, その何らかの外的表現を通じてな しには, 解釈さ れ得ないからである. 尤も解釈でなくて, 透視するというのであれば別だが. 社会的法規範意識 は, その外的表現を直接対象とし, みづからを終局対象とする解釈の結果, 把握され得るもので あ る.. -. ,. だから, 制定法, 慣習法な どの社会的法規範意識の解釈を問題とするならば, それは, 法規の存 在という現象, 法規に対する社会一般の人々の受販り方という現象, 慣行の存在という現象, この ような現象が解釈の直接対象とされ, そして, そこに内含する法的な社会意識が, 解釈の終局対象 とされることによって, 社会的法規範意識は解釈されるのである. つまり, 社会的法規範意識は, 解釈の終局対象とされ得るが, その直接対象とはなり得ない, そ れは, 法規の存在に対する人々の反応, 慣行の存在という現象を, 直接対象として解釈する結果, 把握され得るものに過ぎない. 圏. 法 規 の 解 釈. 法規は人間の作出にかかるもの であり, 人間の精神, 意図などの表出であるから, それが解釈の 直 接 対 象 と さ れ 得 る こ と は, い う ま でも な い.. ところで, 法規を直接対象とする解釈 において, その何を解釈の終局対象となすかは, 一に, 解釈の必要と目的とによって, 決定されなければならな い. すると, 何を解釈の終局対象にするか --172一 一.
(5) . 中. 塩. 屋. 九. 一, 郎. は, そ の 解釈 の 必 要 と 目的 と に よ っ て,い か ょ 動こでも,決 定 す る こ と が で き る, 例 え ば 法 の 解釈 ,. が立法の意思の探究であるとするならば, その終局対象は, 立法者の精神, 意図などとすることが できるが如きである. また, 法の解釈が法規意思の探究であるとするならば, 法規自体のもつ, 精 神, 意図などでなければならない. 以上において, 私は, 法の解釈の直接対象, 終局対象の種々の場合に関 して見て来たが, ここで 確定しておきたいことは, 法の解釈と称して取扱うところが, 何を直接対象とする解釈であるかと い う こ と であ る.. もちろん, 慣行の解釈も必要であり, かつそれにも特有の方法が考えられるであろうが, ここで は, これを問題と しない. また, 法規の存在に対する人々の反応現象を直接対象とする解釈も必要 であろう. しかし, これらを解釈 して, そこに社会的法規範意識を発見する作業は 本来, 法社会 , 学 の 取 扱 う領 域 であ る か ら, こ こ で は, こ れ を 除 外 す る こ と が 許 さ れ る で あ ろ う . か く て, 法 の 解釈 と い う と き の 「法」 と は 「法 規」 の こ と を 指 すも の で あ る, そ し て 一 般 にも , . 「法」 の 解釈 と い え ば, 「法 規」 の 解釈 で あ る と 論 ぜ ら れ て い る. し かも 「法 規」 の 解釈 に つ い て 述 べ ら れ る と ころ は, 慣行 そ の 他 の も の の 解 釈 に 当 っ て も, お の づ か ら相 通 ず る よ う な 原 理も 含 ま れ て い る であ ろ う. 以下 私 の述 べ る こ と は, 「法 規」 の 解 釈 に つ い て で あ る と, 了 解 せ ら れ た い.. 3 法の解釈の性質 法の解釈の性質を述べる前に, 解釈一般の性質を見よう. Q) 解 釈 の 性 質 解釈の意義については, 学者の説くところ若干の相違があるが 解釈が 「表現ない し表出の意味 , の確立」 であるという程度においては, 大体, 一般 に承認 、せられているといってよい, そこで私 は, 「解 釈 と は, 表 現 な い し表 出 の 意 味 内 容 の 確 立 で あ る」 と い う こ と を 前 提 と し つ つ そ の 内 容 ,. を, もっと詳細に検討 してゆき度いと思う. g) 解釈の対象--その直接対象と終局対象 解釈 と は, 何 ら か の も の の 意 味を 確 立 す る こ と で あ る が, そ の 何 ら か の も の と は 表 現 な い し表 , 出で あ る.. ここに表現とは, 人間の精神, 意識, 意思, 意 図など, 従ってまた 真意, 決意などの 本然的な , 発 現 で あ り, た と えを 人間の肉体的行動--態度, 身振りなど--である 表出とは これらのも , . の の 人 為 的 な発 出 で あ り, た と えを 人間の肉体外的な作品--彫刻 絵画 文章など--である , , 。 そ して, こ の よ う な 表 現 な い し表 出 は, 事 物 の 外 形 で あ る . こ れ を 表 象 の 形 で 捉 え る と, 「物. 象」 ということができる. そして, それらの意味内容とは, 事物の内面であり それらが内含する , 精 神 で あ る点 に お い て, 表 象 と して は 「物 象」 と の 対 比 に お い て , 「心 象」 と い う こ と が で き る,. かくて, 解釈という作業には, 必然的に二つの過程が伴わなければならない. 一つは 「物象ー , の把識であり, 解釈には, 必ずこの f物象」 の把識が 前提されなけれを な ら な い 二 つ に は, こ の . 「物象」 の把識のうちに,その「物象」がいかなる意味を寓 しているかを把握しなければならない こ . のことを,対象という面から言えば,解釈とは, 表現ないし表出たろ 「物象」 を直接対象と し, その 「物象」 に寄せられた r心 象」 を,終局 対 象 と す る一 つ の 精 神 作 用 で あ る と い う こ と が で き る も っ . とも,表現ないし表出は,理解従って解釈の材料とはなり得ても その対象とは言うことができない , 6 ) しかし,私はそれらのものも また対象となり得ると思う 何ぜならば 材料も という学者もある。 , , . また, 人間の精神作用が, それに向けられるとき, それはその精神作用の対象であるからである , 一173-.
(6) . 法. の. 解. 釈. の. 理. 論. ◎ 解釈なる精神作用 解釈は, 表現ないし表出の意味を確立することであり, 「物象」 の把識を通じて, その内含する l they は, e 「心 象」 を 把 握 す る こ と で あ る. そ し て, そ れ は 理 解 な る 精 神 作 用 の 一 過 程 で あ る. Di. 人間の認識作用を説明と理解との二種に分け, 理解とは,「外から感性的に与えられた諸記号から, )であるとし, そして解釈とは, 「永続的に固定された生の表現 ある内的なものを認識する過程」7 9 8 ) からの技術的理解」 , 「文書に固定され た生の表現 からの技術的理解」 )を称する, となす, とこ l they の い う よ う な 区 別 が あ る で あ ろ う か. 田畑 教 授 e ろで, 理解と解釈との間には, 果して Di は, 「解釈は理解の一種であるが, それは理解の段階上作用上の種類であって, 即ち理解乃至理解 せられたるものの説明的体系化を言うのである. つまり説明的体系的なる理解を解釈 と呼ぶのであ o ) と い っ て 解釈 が 理 解 の 一 種 で あ る こ と を, る.」l ,. 明 確 に 述 べ て お ら れ る. と こ ろ が, 栗 生 教 授. は, 理解と解釈とを区別すべきことを論ぜられる. 「理解は法の内容をあるがままの姿において捉 えるが, 解釈の方は法の内容を妥当なる適用に堪えうるまで歪曲し変改するのである. 、、、、 前 1 1 ) と. しかし教授のいう解釈は, 実は法規の 者は意味抽出的であり, 後者は意味附与的である.」 2 )を指しておられるのであり, ここに解釈と適用との混同がある. だ 工作ないし法の適用馴致作業1 から, 解釈と理解とを区別する教授の 見解には同感しが たい. l they e 私も, 解授は理解の一種であり, その特段な状況における理解であると解するが故に, Di や田畑教援の見解を参考にしつつ, 以下解釈なる精神作用について述べることにする. 私が, 解釈は理解の一種であり, その特段 な状況における理 解であるとい うのは, 次の意味であ る. 理解は直覚的にも得られうる. しかし解釈は, 反省されて得られた理解の過程における分析綜 合的な一つの精神作用であるとい うことである. われわれは, 表現ないし表 出の外形的意味の把握 を通じて, それに寄せられた意味を一応理 解することができる. かくて, 一 応の表象を得るのであ るが, しかし, この一応の理解の上に, ここで得られた表象を さらに, 細かく分析し, それらを元 の表現ないし表出に移して, その妥当性を確かめつつ, それらをまた綜合することによって, そこ にその表象の確実性を得ようとするのである. このようにして, 理解は始めて確実のものとなる. だから, 解釈は特段な理解の過程における一つの精神作用 であるということができる. 解釈が構成 の 意味をも つ, construction で あ り, construction oflaw が法の解釈と翻訳せられるのは, こ の よ う な 事 情 に 基 づ く も の で あ る.. う 解釈の困難性とその可能性 ところで, 解釈は, 自己の心意を把握することではなく, 他人の心意を把握することである, 他 人の心意は, 自己が直接的 に把握することはできない. 他人の心意を直接的に透視し得るものは, 3 ) このように, 他人の表現ないし表出 千里眼・続心術等を売物にしている奇術師輩 だけである.1 を通じて, 他人の心意を把握す ることが解釈であるとするならば 自己自身は決して解釈の対象と はなり得ない. と こ ろ で, 「物 象」 と 「心 象」 と は そ の 在 り 方 に お い て, 前 者 は 物 質 で あ り, 後 者 は 心 で あ る.. だから, 両者はその性格において全く異質的なものである. 従って, 解釈には, このように物を通 してその心を把握するための, 何らかの連絡作業 (架橋作業) がなされねばならない. それには, 自己の心の内部知覚--内省, 反省な ど--の媒介を得て, 他人の心を推断することによって, こ れをなすのほかはない, しかし, 他人の心を 正当に推断し認識するためには, 他人の表情, 態度な どを正確に外識したのち, 自己の心の内識の援助を待たなければ, これをなすことができない. 自 己の心の内識の結果, 自己の心が どのように動くものであるか, そのような心の動きの過程におい て, そ れ が ど の よ う な 表 現 な い し表 出 を と る か と い う こ と を 知 り, か つ, 前 に 知 り 得 た そ れ ら の 他 -174一.
(7) . 中. 塩. 屋. 九. 一. 郎. 人の表現ないし表出の外形的意味の 正確な把握と結びつけて, その結果他人の心を知るのである. このように, 解釈は自己体験の内部知覚の援助を待つことな しには成立し得ない. 「物象」 と「心 象」 との間の連絡作業は, 実に, この自己の心の内部知覚の媒介によってのみ可能である. 解釈 が,. i ta t on と い わ れ, 仲 介 の意 をも つ i erpre nt. i t es in a bargain agent between two par. ion が to act t 解 釈 と い う 外 国 語 int erpreta. の意であると, 辞書が教えているのは, この間の事情. を物 語 るも の で あ る,. 解釈が自己体験の内部知覚から推断して, 当該の 「物象」 に寄せられた 「心象」 を把握しようと す るも の で あ るか ら,. そ れ が, そ の よ う な 過 去 の 経 験 の 集 積 に よ っ て な さ れ るも の で あ る.. だか. ら, 解釈の確実性は, 根本的には解釈者の自己体験の集積と深化に依存することは, まぬかれ得な い. し か し, 「物 象」 と 「心 象」 と は, す で に 見 た 如 く, 本 来, 全 く 異 質 的 な も の で あ る か ら, 二. こは, 飛躍によってのみ可能である. だか 者の間隙の連絡作業にかかわらず, その連絡は最後約し ら, その連絡は, 「永久に克服し得ない魔の間隙であり, 往々にて人を誤り, 否, 人を呑む恐るべ 4 )と 言 わ ね ば な ら な い き鉾 裂 で あ る」 1 . 解釈 は 「物 象」 を 通 じ て, そ の 「心 象」 を い い 当 て る こ と で あ る が, そ れ に は 飛 躍 が あ り, 推 断. を免かれないことは, 以上見た通りである, ここに, 根本的に解釈の困難性が拡 わる. これ, 解釈 の多様性--複数性--が主張せられ, 解釈の客観性ということは, ついに不可能ではないかと の, 根強い疑念を生ぜしめる所以である. もちろん, 解釈の困難性は, 解釈者の主観の混入によっても生ずることもあるが, その主観の混 入の余地もまた, 解釈の作業の本来の性質に由来するものである. 5 )し か し そ れ は, 自 己 の 体 験 に 由 来 す る かく て, 解 釈 は し ば しを 拡 充 で あ る と も い わ れ 得 る. 1 ,. 拡充でなければならない. かくて、 解釈には創造性があると言われ得ないではないが, それは, あ くまでも, 表現ないし表出の 「わく」 に即してなされねばならない. その 「わく」 を逸脱した解釈 は, これを真正の解釈とは称し得ない. では, このような解釈の困難性は克服できないものであろうか. 私はそうは思わな い. 何故なら ば, 同一の思想感情が, 同一の表情をもたらし, その表情方法も, 社会的約束, 個人的習慣などに よっておのづから一定するから, 表現ないし表出を通じて, それらの内含する心意を推断すること は, 困難 では あ っ ても, 可 能 で あ る と 信 ず る.. ことに, 法規の解釈が, それに述べられている言語の客観的社会的約束に従って, その法律意思 を発見す べきも のであるとするならば, も しも, 解釈者が自己の政治的立場や, 主観的感情を入れ て, 解釈しない限り, 解釈は, 必らずや, 正確を期 し得る可能性 があると言わねばならない. 2 } 「法規」 の解釈の特質 ( 以上解釈一般の性質につき, 相当くわしく述べた. これは, 「法規」 の解釈に対する理解を切な ら しめ ん と す る用 意 に ほ か な ら な か っ た.. そこで以下法規の解釈の特質について述 べる. A. 解釈の直接対象としての 「法規」 の実体と本質. 法規は, その実体が意思表示であるが, それは, 言語の形におけるそれであり, かつ通常, 文章 の 形 態 を も っ も の で あ る. と こ ろ で, 言 語 は. 本 来, 意 思 を 伝 達 す す る も の と し て 存 す る も の で あ. る. 言語は, 単語と語脈に分解されるから, 単語と語脈を辿って構説して行くならば, その意味は 把 握せ ら れ る. しか も 法 規 は, 本 来, 明 確 を 欲 し て 制 定 さ れ て い るも の で あ る か ら, そ の 意 味 は, 原則 と し て 明 確 に せ ら れ 得 るも の で あ る. 従 っ て, 表 現 な い し表 出 が, 態 度, 身 振 りな ど, な い し. 彫刻, 絵画などであるよりも, その寓する意味を理解するに容易である, また, 法規は, ーたん出 75- 「1.
(8) . 法. の. 解. 釈. の. 理. 論. されると, 改廃されるまでは変化することがない. この点において, たえず変化する社会意識の発 現形態たる社会的諸現象とは異る. 法規は, この点 において, 把捉するに容易である, 法規の 「実 体」 は, かかる性質をもった言語であり, かつ女書であるという点にある, つぎに, 法規は, 法規範を表示するものと して, 公布され ているものである. 法規が, 法規範を 表示するものであるというのは, 人々が, 法規の命ずるところによって行為す べき法規範的拘束を 負わされていると約束されているからにほかならない. 法規が法規範を表示するとせられたもので あ る と い う 点 は, こ れ を, 法 規 の 「本 質」 で あ る と い う こ と が で き る. 法 規 の 解 釈 に 当 て は, こ の. 点が注意されねばならない. B 解釈の終局対象たる 「法規」 の内含する意味 法規の内含する意味といっても, それは, 種々の観点から, 種々のものを問題 となし得る. a 意思内容の面から見た場合 まづ, その意思内容の面に着目すれば, それは, 政治的, 社会的, 経済的意味なのか, 法的意味 なのか, それとも法規が欲している文章体の意 味なのかな ど, いろいろの種類のものが考えられ る, 以 下 こ れ ら のも の に つ い て 説 明 し よ う, 名) 法的意味 法規は, 法規範を内含していると約束されているものである点において, その. 本質的性格を有するものである. だから, 当該の法規が何を法規範 であると考えているかという, その法的意味を理解することが, 重要である. 法規の法的意味を理解することが, 法規の解釈の本 領でなければならない, でなければ, その解釈は法学とはなり得ない. ◎ 政治的, 社会的, 経済的意味 これらは, 当該の法規が, いかなる政治的目的を造成しようとしているのか, または造成される と予想 しているか, いかなる社会的状況. い か な る 経 済 的 関 係 な どを 造 成 し よ う と し て い る か’ ま. た 造 成 され る と 予 想 し て い る か, な ど の 意 味 を 見 る こ と で あ る. こ の よ う な, 法 規 が 実 現 し よ う と. して意図する政治的, 社会的, 経済的諸関係, ないしは, 政治的, 社会的, 経済的等の意図の十分 の理解は, 法規の解釈に当っては大いに参考とせらる べきものであろう. しかし, 法規は, 元来, 特定の政治状況, 経済状況な どを維持しまたは廃止す べきものとして, 人々に一定の行為を要求し にその本質がなければならな ているものである. すると, 法規は, 法規範を表示しようとする点i し、,. 法規の解釈は, 以上のような意味において, その法的意味の確定が, その本領であり, その政治 的, 社会的, 経済的な どの意味を見ることではない, そう. 文 章体 の意 味. 法規が,いかなる文章体を欲しているかという意味を探ることも,また法規の解釈の一つである. これは, 文体的ないし女章論的解釈である. しか し, それをもって, 法規の解釈の本領となすわけ にはゆかない. b 意思主体の面から見た場合 つぎに, その意思主体の面から見れば, それは, 立法者の意思なのか, 法規に寄せられた社会意 思なのか,その時々における具体的妥 当性の意味なのか,それとも法規の意思(いわゆる法律意思)な のかな どの諸種のものが考えられる. 以下これらについて述 べよう. 名). 立法者の意思. 法規は, 意思表示である. このことは, 法規が本来, 立法者の意思表示だという意味である, だ から, 法規の解釈の目的は, 立法者の現実的意思の探究であるとする. しかし, 立法者の現実意思 なるものは, 甚だ不明である, 殊に法規が, 形式上自然人たる一人の主権者の命令を採る場合にお -176一.
(9) . 中. 塩. 屋. 九. 一. 郎. いても, 実質においては, 非常 に複雑な手続によって制定せられるものであり, 其の手続に参与せ る人々の意見 は, 相互に一致すること稀であり, 利害や主義を異にする党派の妥協 相互の譲歩に , よる場合が少くない故に, 立法者の意思が那辺にあるかを探究することは不可能に陥るのである . しかも この説は, 立法資料の偏重 に到達し, けつきよく, 立法資料が 法規であるという不都合な , 結果を来すという非難を免れえな い. そこで, 立法者の合理的意思を解釈の対象とすべきであるという見 解が 生じて来る これ田中 , 。 耕太郎博士の主張する立法者の合理的意思説である これを要約すれば, 「法規は 元来 不完全 . , , かつ固定的である. しかるに立法者の合理的意思は, 概括的であり, かつ多分の適 応性をもってい る. われわれが, 一つの意思主体の表現たる言葉を解釈するに当 り, 決して其の言葉自体を その , 主体より切 り離して考えない. しかし, われわれはまた その言葉の発せられた際の衝動 感情の , , みを以て, その言葉を解釈 してはならないで, 立法者がその不完全な言葉に依って, 何を言わんと 6 )と い う の で あ る 欲 し た か を考 え な け れ ば な ら な い.」1 , .. しかし, 博士のいう立法者 の合理的意思なるも のは, 決して現実に存在する意思ではない 法規 . のなかに, 現実に存在しないこのような合理的意思を, 探究の目的とすることは 元来 法規が欠 , , 陥や過誤をもつ場合でも, それがないかの如く見ることになり それは, 法規の真実な意味を歪曲 , する結果となる. 故に, 立法者の合理的意思なるものは, 法規の解釈の対象となすべきではない . ◎ 法規に寄せられた社会意思 法規は, 社会意思の表現であるから 法規の解釈に当って , は, その社会意思を解釈の対象とすべきあるとする. まず, 法規が, その制定当時における社会意思であるかということである そして それは大体 . , においては, そういうことはできる. しかし, 厳密にいえば, 法規は, 制定者の意思の表示である としなければならない. しかし, 制定者は, その当時の社会意思よりも より進歩的ないしより保 , 守的な意思や意識をもち, その当時の社会意思や社会意識をそれに向わしめようと して 法規を制 , 定する ことが, しばしばである. このような場合は, 制定者の意思とその当時の社会意思とは, 必 ずしも一致 していないのであるから, 立法当時における社会意思を知ることが, 法規の解釈である と 言 う こ と は で き な い.. つぎに, 制定後の時期において, 人々がその時々に法規に寄せる社会意思を知ることが 法規の , 解釈であるかといえば, それも, そうではない. その社会意思は, 本来, 法規に内含されている社 会意思ではなく, 法規に対 してのちに人. 々のもつに至る社会意思である, だから, 制定後の時期に おいて, 人々がその時々に法規に寄せる社会意思の探究は, これを 解釈の対象とすることはでき , な い.. その時々における具体的妥当性. 元来, 法規は, 抽象的な規定であるから,そのままでは, 具体的事件に対して適用すべき具体的な判断を与えない. 従って法規の解釈に当っては, その抽象 的な規定を具体的な問題に遷 して, その意図するところを探らなければならない. 法規の解釈にお を. いては, このような具体化の操作が必要である. そして, 法規の具体化の操作の過程において, 法 規がある具体的問題に対して, いかなる解釈をしようと しているかは, 元来, その法規自体の意思 について聞かなければならない. だから, 法規を離れた具体的 妥当性自体は, 本来, 法規の内含す るところではない. 法規がその具体的問題に対して要求しているところが, 現在, 具体的妥当性を もたない場合もあるであろう. しかし, その具体的妥当性をもたない命令自体が, 法規の規定する と こ ろ で あ るな ら ば, 解 釈 と し て は, そ の ま ま を 見 っ,け 出 し, そ の よ う に 解 釈 す る の ほ か は な い の. である. かくて, 法規の解釈は, その時々に おける具体的妥当性そのも のの発見であるというこ と は, で き な い. -177-.
(10) . 法 の 解. 釈. の. 理. 論. 法規は, ーたん発せられると, それは立法者の意思から離れた, 独自の客観的 な存在となる. そして, この客観的な存在にこそ, 人々が従わる べきであるとする約束が存在する のである. 法規の拘束性の よっ .て生ずる根拠は, この法規の客観的存在にある. だから, 法規の解 釈は, その法規自体 が, 一般にいかなる意味を表示するとせらるべきかというところによっ て, 解 釈されなければならない. ところで, 法規は, 文章をもっ て構成されている. 言語は, 特定の時代においては, 客観的に特 定の意味を表示する ことが約束されている. だから, 法規を言語に遷して, その意味を辿っ て行く ならば, まずその法規の文章と しての意味は, 一応客観的に確定せられ得る. つぎに, その一応の意味に内含する真の意思 、を, 探らなけれ ばならない. そうでないと, 解釈に はならな い. ところが, 特定の言語や文章に対して, 一般 に どのような特定の意味が寓せられると せらるべきかは, その特定の社会の一般的約束によって, 客観的に確定せられ得べきであるから, ゆ. 法律意思. その一応の意 味に寓せられる真意も, また客観的に確定せられ得る. かくて, 法規の解釈は, その 法規自体が, 一般にいかなる意味を表示するとせらるべきかを探ることでなければならない. いま, 以上の諸点を要約するならば, 解釈の終局対象は, その意味内容においては法的意思であ り, 法規に宿 された何人の意思かという点からいえば, それはいわゆる法律意思であるとしなけれ ば な ら な い.. 4. 「法規」 の解 釈の方法. 1 ) 法規の外形的意味の把握とその内面的意味の把握との関係 ( 法規の解釈は, それが言語であるということ, そして, それがまた, 法規であるという二つの点 において, 他の一般の解釈と異る特質をもつ. 解釈 とは, 既述の通り, 表現ないし表出の意味内容を確立することである. そのためには, 表現 ないし表出の外形的意味を把握しなければならない. そして, その外形的意味を把握したのちにそ ′ れに寄せられた内面的意味を把握しなければならない. 言語以外の人間の態度, 身振り, 彫刻, 絵 画な ど, 一般の表現ないし表出にあっては, それらに寄せられた意味を理解するためには, 右に述 べた解釈の過程を比較的はっきりと, 順序を追ってなされるものである. だから, まず, これらの ものの外形的意味の把握が, 相当にたんねんに なされることが通常である. ところで, 言語の場合 には, 言語が, 本来, 意思を伝達するもの として存在するものであるため, その外形的意味の把握 と同時に, その表示しようとする一応の意味--‐言語の感覚的意味--を知るのである. そこに は,言語の外形的意味の把握とその内面的意味の把握との間に,時間的の隔りがないのが常である. またその外形的意 味の把握は, それによって, 直ちにその内面的意 味を知るためになされるもので ある. ところで, 解釈は, 前述のとおり, この言語の外形的把握の 上に, それをいろいろに分析綜 合 し, より多面的な角度より検討を加えてなす高度の段階の理解を, 指すの である. だから, 法規 の解釈にとっては, この言語の外形的把握を問題とすることは, さほ どの実益がない. つぎに, 法規は, 単なる言語ではなく, 法規たる言語 である. そして,法規は,その存在意義に基 いて, その法規自体が独立にもっと見られる意思を, 法的意味の面において解釈されなければなら ない. それには, その言語のもつ一応の意味の理解の上に, さらにそれを種々に解釈し, 殊にその なかに, いかなる法的意味が内含されるいるを検討しつつ, 確実に理解するという, 手の込んだ操 作を必要とする. そして, 通常, この解釈の過程を文理解釈と論理解釈の二つの過程に分けて論ず る. 女理解釈は, 法規を構成している. 言語や語脈の意味を, その社会的に客観的な約束に従って 辿りつつ, その法規の文章の一応の意味を理解することである. しかしながら, 文理解釈だけをも 78一 -1.
(11) . 中. 塩. 屋 九. 一 郎. 7 )そ こ で こ の よ う な 場 合 に は こ れ を 論 理 っ て し て は, そ の 意 味 を 確 定 し得 な い 場 合 が あ る, 1 , , ,. 的解釈によって確定しなければならなくなる, これが, 論理解釈であり, それは, 法規を組成 して いる個々の条文が他の条文との関連においてもつ意味, 法規全体の精神への顧慮などにおいて, そ の意味を把握すること である. 法規の解釈には, このように, 文理解釈・論理解釈の二つの過程を 経ることが, 必要となる, ところで, 法規の解釈の目的は, そのもつ法規範的意味の把握である. その目的のために, 解釈は, その出発点として, 法規の文理解釈はこれを欠くことはできない. し かし, それは, 解釈の目的に到達する過程において, 一時仮定的になされる不精確な意味であり, それは, 後に法律的に変更せらるることあるを予想するものでなければならな い. だから, 文理解 釈自体を独立の存在と認め, これと対立せしめて, 論理解釈を論ずることは正確ではない. 真の法 規の解釈は, 論理解釈のみだとしなければならない. 以上述べたことは, 法規の解釈に当っては, その外形的意味の把握は, それと同時に, 法規の一 応の意味の理解をもたらすものであり, そして, その上になされる法的意味の解釈こそが, 問題と な る と い う こ と であ る.. ) 法規の解釈の方法につき, 注意す べき諸点 2 { 以下, 法規の解釈に当っては, その方法として, いかなる点に注意す べきかについて述べる. 法規の解釈は, その制定公布当時の言語の意味によるべきである. しかし, これに対 して は, 言語は, 時代によって, その意味が変遷するから, その変化する時々の意味によって解釈 しな g). ければならない, とする反対論がある. いかにも, 言語の意味は, 時代の変化に応じて変化する. しかし, 特定の時所における言語の意味は, 特定的でなければならない. そして, 法規は, 特定の 時・所において制定公布されて, 存在するものである. して見ると, 法規の解釈は, その言語の用 いられた時・所における意味によって, これをなすのほかはない. 回 政治的, 社会的, 経済的事 実の認識が, 法規の解釈の前提として必要である. 法規の解釈に当っては, まず, その法規が, いかなる事実をもって, 法律事実としているかを知 らなければならない. ところで, その事実というのは, 本来, その社会に生起しつつある, 政治 的, 社会的, 経済的諸事実である. 従って, これらの諸事実を充分に認識することなしには, 法規 の正しい解釈をなすことは不可能である. しかし, 政治的, 社会的, 経済的諸事実の認識自体が, 法規の解釈であるというのではなく, これらの認識は, 法規の解釈の前提であるに過ぎないことを 特に注意すべきである. う 法規の解釈に当って, 価値判断が問題となるときは, 法規の内含する価値判断を, 事実と そ して認識するものでなければならない. 法規の内含する法規 範は, 何らかの価値の実現を目的とするから, 法規の解釈には, それがいか なる価値判断をなしているかを, 把握しなければならない. しかし, ここでいう価値判断とは, 法 規自体の抱懐する価値判断であって, 解釈者の抱懐する主観的価値判断ではないという こ と で あ る, 元来, 法規の解釈は, それ自体, 事実認識であるにほかならない. ただ, 純然たる事実の認識 と異るところは, 法規が何を法規範だとな し, 価値だとな しているかという, 法規自体のいだく価 値判断を, 事実として, 認識するという点にある. ⑧ 法規の解釈は, 法の論理によってなされなけれを な ら な い. 法規の法的意味を解釈するに当っては,その前提として,法規が何らかの法規範を表示していると 見ることが必要である. まず, 一般的 にいえば, 法には法の論理があるのであって, この法の論理 を知らないならば, 法規は, 決して法的に は解釈され得るものではない, つぎに, ある特定の法典 についてみても, そのなかの一カ条の条文でも, その条文限りでは, 決してその法的意味は把握さ ← 179-.
(12) . 法. の. 解. 釈. の. 理. 論. れ得ないのである. 法規は, 各条文が互に関連し .合って, 少くともその法典 ごとでは, 統一した思 想を表わしているとするのが, 法の論理である, このような仕方で解釈することは, 法の論理に従 って解釈することにほかならない. 法規の法的解釈は, 必らず法論理的解釈でなければならない. 法規の文理解釈は, 単に, その手がかりに過ぎない. ところで, 法規の解釈には, 文理解釈に対して, いわゆる論理解釈なるものが唱えられ, それに は, 拡張解釈, 縮少解釈, 反対解釈, 勿論解釈, 類推などが挙げられる. 法規の解釈は, それが, 右に挙げた, 拡張解釈, 縮少解釈, 反対解釈等々の論理的解釈の諸方法 による解釈の結果を, すべて網羅して, 得られたものであると見られることである. しかし, それ は, 単なる一般論理によって, 右の結論が引き出されるものではなく, 当該法規の規定の法的意味 を, 法の論理に従って解釈し, それらのうちのいづれかの方法によって得られるものに過ぎない, 右のような論理解釈の分類 は, 法論理的解釈の結果を, 人々が後から, 一般論理の法則に照らして 評価し, 意義づけてなすものにほかならない. だから, ある条文のときには, これを拡張解釈し, 他の条文のときには, これを縮少解釈するという結果が生ずるのである, 一般論理の立場から見れば, そこには必ずしも, 解釈を指導する一定の原則は立てられない. 従 って, 右のような論理的解釈の種類を, 単に羅列するだけでは, 法規の解釈には何の役にも立たな l は 伝統的な論理解釈の類型を挙げて い. Wurze , これを問題としているが, このような分類 , が, 決 して法規の解釈における本質的な分類ではなく, 本質的な分類は, けつきよく, 「法 律的思 8 ) の分類に分け 惟の結果が, 原文の意味のなかに含まれている場合と, そうでない場合の二つ」1 られ な け れ ば な ら な い と して い る が, ま さ に, 彼 の い う 通 り で あ る.. 鮒. 法規に即して概念を構成する必要がある. 法論理的解釈をなすに当っては, そこにおのづから, 概念構成という作用の必要であることが, 知られ得る. まず, 法規の解釈に当っては, それを語義においてではなく概念において把握すべきであり, そ れに当っては, 一般の社会的概念に依拠することは, もちろん, 必要であるが,しかし,けつきよく は, 法規の考える概念によってこれを確かめるべきであり, つまり, 法規の概念を獲得することで なければならない. そして, 法規の概念を獲得するためには, 法規の規定は, 相互に関連をもっも のであるから, そのような関連における法的概念の構成が必要だとしなければならない. 的 法規の解釈は, 本来, そのもつ 「わく」 を確定する作業である. 従って, その 「わく」 の 範囲内の解釈のみが正しいのであり, それを逸脱す る解釈は, 真の意味の解釈ではない. 来栖教授 l は, 法 の 解 釈 に つ い て, Ke sen を 引 用 しつ つ, そ れ は, 「わ く」 と して し か 確 定 で き な い も の で と わ る も あ る い れ . 尤 , 教 授 に よ れ ば, そ の 「わ く」 も 不 動 の も の で は な い と い わ れ る が. そ し. て, その 「わく」 のなかの解釈の複数の可能性のなかから, 自分の価値判断によってその一つを取 出 す こ と も ま た,. 9 ) しか し 解 釈 で あ る と せ ら れ る の で あ る. 1 ,. 教 授 の い わ れ る, 『そ し て, そ の. 「わく」 のなかの……また, 解釈である』 とせられる部分は, 解釈ではなく, むしろ, 適用の作業 l に 属 す るも の と 思 わ れ る. 教 授 の 引 用 さ れ る Ke sen も,『解釈をもって, 執行される規範の意義 を確定することであるとすれば, この活動の成果は, 単に解釈される規範が表現する 「わく」 を確 定 し, そ れ と 共 に, こ の 「わ く」 の う ち に 与 え ら れ て い る 多 く の 可 能 性 を 認 識 す る こ と に 止 ま る,. そうなると, 法律の解釈は, 必ずしも, それのみが正しいものだという唯一の決定に到達すると は限らないで, 多くの決定に到達せざるを得ないことがあり得る. ……判決が法律に基づいている と い う こ と は, 実 は, そ れ が 法 律 の 表 現 す る 「わ く」 の う ち に あ る と い う こ と を 意 味 す る に す ぎな 2 0 ) 『伝 統 的 法 律学 は … … 解 釈 か ら い.」 , , ,. 定 立 さ る べ き 法 行為 の 「わ く」 を 確 定 す る こ と の み で 0- -18.
(13) . 中 塩. 屋 九. 一. 郎. 1 2 ) といって なく, ま だそ れ 以 上 の 任 務 を, 期 待 し て 差 支 え な い と 信 じ て い る.」 , 適用 と 区 別 す べ き こ と を 予 想 して い る.. 法 の解釈を法の. め 法規の意味は, 制定当時の言語的意味によって固定するが, その意味内容の解釈は豊富化 ( , 深化 す る こ と が あ る.. 法規は, 一たん作られると, 固定する. しかもその意味は, 制定当時の言語的意味によって固定 するからである. しかし, それにもかかわらず, 時代の変化に従って, 新しい事件が発生するに及 んで, その法規の法的意味についての理解を新たにすることを促されることがある. 例えば, 電気 2 ) しか し これと ても 決 して条文 そのも の の意 味が 窃 盗事 件 の如 き で あ る. 2 , , ,. 時代 の変 化 に よ. って, 変化せしめられたというのではなく, その解釈において, 条文自体の意味内容 の理解が, さ らに豊富となり深化したに過ぎない. 条文自体のもつ意味は, はじめと少しも変っていないのであ る. ただ解釈者が, 特定の状況における特定の事件に対して, その条文がいかなる解釈を要求して いるかという, その条文の解釈について, その当時想定し得なかったことを知り得たに過ぎない , ところで 法規は 抽象的に規定されているものであるから, その解釈においては 種々の具体的 , 場合を想定して, それらに対して, 法規がいかなる法的効果を付与 しようと しているかを, 理解し なければならない. 種類の異る具体的事例を, より数多く想定して, その意味を確定するか否かに よっ て, そ の 解 釈 は, 豊 富 さ, 深 化 さ, 正 確 さ の 程 度 を 異 に す る も の で あ る こ こ に 私 が 法 規 , , .. の意味の 固定性と解釈内容の豊富化, 深化の問題を取り上げた理由がある. 5 むすびにかえて--一法の解釈の客観性 につし ・て 法解釈学に対する疑念の一つは, 法の解釈に客観性というものが, 本来, あり得るかということ である. そして, この疑念は, 法の解釈適用における自由法学的要求ともからんで, 相当根強いも のをもっており, 殊に, 最近の学会においても, 論議の重要課題であったので, ここに, 法の解釈 の客観性について, 私見を述 べてむすびにかえよう. 同一の法規に対する解釈が, 人々によって種々雑多であることは, 余りに頻繁に発生する事実で ある. 私も, 解釈に多様性--来栖教授は, 複数性といっておられる--一の現存し得ることを認め る.. では, 何故に, 法の解釈において, 多様性. 複 数性が現存するかというと, その一つの理由は, 一般に解釈なる作業の性質上, 唯一の正しい認識 に到達することが困難であるという事情である . 1 うの箇所参照) ) (本稿 3 ,( ,そ . 今一つの理由は, 法の解釈に当って, 人々が往々, 政治的, 主観的 価値判断を交えて解釈するという事情である. 解釈の前提をなす 「物象」 の把握においてさえ, われわれは, 往々その見るところを異にする場 合がある. しかし 「物象」 の把握は人間の五官によるものであり, 人間の五官には, 大体一致 した 性能が予想されるので, その把握に客観的な結論を得ることは, 一般に, さほど困難ではない, と ころ が, 解 釈 は, 「物 象」 を 通 じ て 「 じ ・象」 を 把 握 す る こ と で あ る. 「心 象」 の 把 握 に は, 自 己 の 精 一. 神がどのような表情方法を採るかという, 自己の精神の内部知覚の結果から類推して. 「物象」 の 内含する意味を理解するところがなけれを ならない. だから, 解釈者の内部知覚の体験の深浅広狭 の程度に応じて解釈の結果に相異を生ずるに至ることは, まぬかれ得ない事実である. この点にお いて, 解釈には, 「物象」 の把握の場合よりか, 多様性・複数性の生じ易い原因が, 二重に存する わけである. しかし, それにもかかわらず, 解釈の客観性への到達の可能性は存する. 特に, ここ に法規の解釈についてこれを述べよう。 法規は, 文章から構成されているが, 言語や語脈には一定の約束があるから, 法規の 一応の意味 -181-.
(14) . 法. の. 解. 釈. の. 理. 論. も, 勿論確定され得る. さらに, その法論理的意味を把握するに当っても, 法の一般論理に就て一 定の約束があり, 法規の精神や他の条文との比較などに就ても, 人々が法規に忠実であり, かつ, ある程度の素養があれば, 大体一致 した結論を得 べきことを, 期待することができる. だから, 解 ′ある程度克服することができると 釈の作業の性質に基く, 解釈の多様性・複数性の生ずる問題は, 思う. 問題は, 解釈の多様性o複数性が, こんにち, 根強く現存する理由が, 解釈の作業に由来すると いうよりか, 実は, 解釈者の姿意的な解釈態度に基づくことが多いという事実である. 人々は, 自己の主観的価値判断に合致するように, 予め, 法規の意味を修 正ないし歪曲すること が, しばしばある. しかし, これは, 修正解釈ないし歪曲解釈であり, 真正な意味における解釈と いうことはできない. 真正解釈を行うに当っても, ある程度の認識の誤差の生ずることは免かれな いが, も しも, 解釈者が, 解釈の概念において, 真正な解釈概念を採用 し, そのような解釈を究め ようとするならば, たとえ若干の誤差はあり得るとしても, 結局は, 同様の結論に到達すること は, さ ほ ど困 難 で は な か ろ う.. 勿論, 解釈の初当においては, ある種の予断や目的をもつかも知れない. しかし, 解釈者が, 法 規に即して冷静に解釈することを, 解釈のある べき態度だと固く信じて, そのような態度をおし進 めて行くならば, 解釈の過程において, 漸次予断や目的 が失われて, 最後には, 全く白紙に立ち返 り 得 て, 客 観 的 に 解 釈 す る こ ,と が で き る に 至 る で あ ろ う.. 勿論, それにもかかわらず, 解釈者の解釈能力や思索の不十分のために, 見落しの生ずること は, 一般の認識の場合と異ならないであろうが, 自己の政治的イ デオロ ギーや主観的 価値感情から 離れた, 客観的な認識に到達することは, 決して不可能ではないであろう. 以上述べたところから, 私は, 解釈者が, 正しい解釈を探ろうと努めるならば, 解釈の困難性か ら生ずる解釈の多様性・複数性を克服し得て, 必ずや, 法の解釈の客観性の確保は可能 なることを 信ずる.. 6 6頁以下. 同. 法の解釈と法の遵守 (法学協会雑誌6 1号)1 註 1) 来 栖 三 郎 法の解釈と法律家 (私法1 法律解釈の 3 5 頁以下 座談会 )2 7 民事法の諸問題所載 末川先生還暦記念 法律家 ( 巻5 ) 号 同 , , . , , . 「科学性」(法律時報26巻, 4号)51頁以下, 討論 「法の解釈」 (法哲学年報 1954年)69頁以下. 6巻4号)51頁以下, 同. 科学としての法 2) 川 島 武 宜 前掲座談会. 法解釈の 「科学性」(法律時報2 律学 (新しく学ぶために)79頁以下, 殊に98一99頁. 3 ) 渡 辺 洋 三 法社会学と法解釈学 19一38頁. 09頁. 0巻1号)96一1 4) 拙稿 法の適用の理論 (北海道学芸大学紀要第 一部1 0 0頁以下 0巻1号)〕1 5) 拙稿 3 適用される法の実体 〔法の適用の理論 (北海道学芸大学紀要第一部1 参 照. 6). 粟 生 武 夫 法の変動 36頁. i f ik l t t t lm Di L en lhe e Schr they ehung der Hermeneu 7) Wi el s . ,5.Bd ,1924,S. , Gesamme , Die Ent 3 1 頁 註一, 「 栗生・前掲 318 , ,デイ ルタイ 著・池田重信 解釈学の成立」(岩波, 哲学論叢 四五) 一円一億 法の解釈と適用 88頁. l the 8 ) Di e y .a‐0.Sヂ319 ,a , 栗生, 前掲32頁註二, 一円・前掲88頁.. l 9) Die ヒhey . ○. S . 332 .a , 栗 生, 前 掲32頁 註 二, 一 円. 前 掲88頁. ,a 29頁, 10) 田 畑 認 憲法学の基本問題 .. 7頁. 1 1 ) 栗生. 前掲37頁, 一円, 前掲82 ,9 09頁, 一円. 前掲 182一185頁. 12) 田 村 徳 治 法律体系論 上巻 4 f i l t 13) Br egung des Rechヒ sgescha sl ch Danz . Aua . , Aus ,19 , 栗生. 前掲 29一30頁註一, 14) 田村. 前掲 4 35頁, 一円. 前掲93頁. 15) 尾 高 朝 雄 法哲学概論 393一394頁, 尾高教授は解釈には二つあるとせられ, その一つは, 「意 味理解的解釈」 であり, 他の一つは, 「意味拡充的解釈」 である. そして, 法の解釈は後者である とせられる. しかし, 私のいう法の解釈の拡充は, これとは異るものである. 16) 田中耕太郎 法律学とは何 ぞや 4 2頁, 同. 法律学(政治及法律=社会経 済体系10 , 所収) 54一56 82- ←1.
(15) . 中. 17 ). 塩 屋 九. 一. 郎. 頁, 一円・前掲 119一120頁. 「不許章酒入山門」 という文章を 「不許輩, 酒入山門」 と読めば, 「輩 (くさい野菜) を許さず, 酒山門に入る」ともとれるし, 「何れも山門に入るを許されない」とも解釈できる. 「明日は雨ふる天 気でない」 という文章も, 「明日は雨ふる, 天気でない」 という意味か, 「明日は雨のふらない天 気である」 のか明らかでない. 日本国憲法第九条第二項前段の 「……その他の戦力は, これを保持 しない.」 という場合の, その他の戦力には, 外国の駐留軍を含むとも含まないとも解釈すること が で き る,. 310 i I Method ing id i I Think fJur ence of Lega l ca . 18 ,1917,P ) KarI Georg Wurze ,in Sc , Methods o 仔リ 一円・前掲 143頁. 5頁以 1号)16頁以下, 同. 前掲 法律家(末川先生還暦記念23 19) 来栖・前掲法の解釈と法律家 (私法1 下, 座談会, 前掲 法解釈学の 「科学性」57一59頁, 一円. 前掲5頁以下, 殊に 144一145頁. 4 i l ehre ne Recht s sen 20 ) Hans Kel . 94一95 , 横 田 喜 三 郎 訳 「純 粋 法 学」 1 8頁, ,1943 , Re ,S 一円. 前掲 145一146頁. 146頁.. l 21) Ke sen . ○. S.95 .a ,a , 横 田 訳, 前 掲 149頁, 一 円. 前 掲. 2 2) 明治三六年五月二一日 大審院刑事部判決 刑法第二百三十五条の規定する, 窃盗罪の目的たる財 物とは, これまで有体物 (固体, 液体, 気体) に限られるとしていたのに, 本判決では, 別に有体 物でなくても, 可動性かつ管理可能性を併有するならば, たとい電気でも窃盗の目的となることが できるとして, 電気の窃盗罪を認めた. (昭 和34年 8月29日 脱 稿). 正誤表. 法の適用の理論 (紀要第一部10巻1号). 頁. 正. 誤. 行 1. ○ 特に論究. ×. 本部 96. 28. 特に論研. 97. 24. 裁判や処方. 裁判や処分. 101. 37. 法規範,. 00○○. ○. ×. ×××× ×. 102 3 1 0 1 0 3 {. ×. 0. 社会, 意義. 8 21. 法規範,. 33. 想定せられるべき. ×. ○ 想定せら るべき. X 105. 14. ○ 馴致作業. 訓致作業. ×× ×. 107. 5. 109. 19. 法の. 0. 社会意義 ○ 法規. ×. ○○○ 法の適用の基準. 基準. × 18) f st Rudol lmler Lehrbuch der an × l Reehphi e osophi , 註. 83- -1. ○ 註 18) Rudo f stamml l er , Lehrbuch der. o. i Recht l e sphi osoph ,.
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