タイトル
アウグスト・ベークの解釈学
著者
安酸, 敏眞
引用
年報新人文学, 6: 8-40
[論文]
安酸
敏眞
ア
ウ
グ
ス
ト
・ベ
ー
ク
の
解
釈
学
は
じ
めに
解釈学 ( Hermeneutik ) が現代哲学の中心的トピックの一つであることは、ハイデッガー、ガダマー、 リ クールなどを引き合いに出すまでもなく、 異論の余地がない。これ に対して、 少なくとも わ が国では、 歴史主義 ( Historismus ) の議論は過去のものとなっており、 今日それについて語られることは稀である。 しかしドイツでは、前世紀の八十年代以降、歴史主義に関する論議が活発化してきて、ふたたび新たな ア ク チ ュ ア リ テ ィ を 獲 得 し て い る ( 1) 。 す な わ ち 人 文・ 社 会 科 学 の 複 数 の 分 野 で、 十 九 世 紀 末 か ら 二 十 世紀初頭にかけての学問論に対する再評価の動きが起こり、ハルナック、ウェーバー、トレルチ、シェ ーラー、カッシーラーなどの業績の見直しが精力的になされている。歴史学の分野でも、十九世紀後半 から二十世紀初頭の歴史学や社会学の諸理論について、学問的に検証し直す作業が行な われている。こう し た 見 直 し 作 業 に お い て 歴 史 主 義 に 注 目 が 集 ま る 理 由 は、 歴 史 主 義 が そ の 当 時 の 人 文 科 学 と 社 会 科 学の議論の中心に位置していたことと、それ によって提起され た根本的な問題が未解決のまま今日に至 り、形を変えて現代の主要な問題となっているからにほかならない。ところで、歴史主義の概念史・問 題史を再検証する作業を通して、筆者は解釈学の成立と歴史主義の水源が深く関係しているのではない かという、少なくとも わ が国においてはまだ十分に検証され ていない、思想史的連関についての直観を 抱くに至った ( 2) 。 一般的解釈学のパイオニアは、いまや定説となっているが、 「近代神学の父」 と称され るシュライアー マ ッ ハ ー で あ る ( 3) 。 研 究 者 の な か に は 、 解 釈 学 に 関 す る 彼 の 最 初 期 の 草 稿 に す で に 歴 史 主 義 の 萌 芽 が 察 知 で き る と 見 な す 者 も い る が ( 4) 、 し か し 卓 越 し た プ ラ ト ン 学 者 で も あ っ た 彼 は、 む し ろ 本 質 的 に は 「 非 歴 史 的 な 思 想 家 」( ein unhistorischer Kopf ) ( 5) で あ っ た と い う 評 価 も あ り、 い ず れ に せ よ、 彼 の 解 釈 学 を 一 瞥 す る 限 り、 解 釈 学 と 歴 史 主 義 の 積 極 的 な 結 び つ き は 認 め ら れ な い ( 6) 。 し か し 一 八 〇 四 年 以 来、 シ ュ ラ イ ア ー マ ッ ハ ー と は ハ レ 大 学 で は 教 師 と 学 生 の 関 係 に、 ベ ル リ ン 大 学 で は 同 僚 の 関 係 に あ っ た ア ウ グ ス ト・ ベ ー ク ( 7) に な る と、 わ れ わ れ が こ れ か ら 考 察 す る よ う に、 解 釈 学 の な か に 歴 史 主 義 の 契 機 が濃厚に流入してくる。解釈学と歴史主義のこの結びつきは、さらにベル リ ン大学におけるヨーハン・ グスタフ・ドロイゼンとヴィルヘルム・ディルタイにおいて一層深まってくると同時に、深刻な問題と 化してくる。 A ・ヴィットカウによれ ば、歴史主義の問題史の発端は、人間とその文化が「歴史的に成ったもの」 (
die geschichtliche Gewordenheit
)
であることの自覚と、
で あ っ て、 こ の 両 契 機 は 大 局 的 に 見 れ ば、 「 十 八 世 紀 末 以 降、 と り わ け 十 九 世 紀 に お い て 遂 行 さ れ た、 西洋的思惟の歴史化という同一の包括的な精神史的現象の異なったアスペクト」である。そして思惟の 歴史化という現象のこの二つのアスペクトを最初に洞察したのが、ヤーコプ・ブルクハルトとドロイゼ ン で あ る と い う ( 8) 。 こ の 見 方 は そ れ 自 体 と し て は 間 違 い で は な い が、 こ の 二 人 か ら 出 発 す る と、 シ ュ ライアーマッハーにおいては歴史主義と結びついていなかった解釈学が、なぜそれ と結びつくようにな ったのかは明らかにならない。しかし解釈学と歴史主義の結びつきは、ドロイゼンとブルクハルトの共 通の師であるベークの古典文献学に遡ることによって、は じ めて明確に見えてくる。ドロイゼンはベル リ ン 大 学 で の ベ ー ク の ゼ ミ 生 で あ り ( 9) 、 ラ ン ケ の ゼ ミ に 属 し て い た ブ ル ク ハ ル ト も ベ ー ク の 講 筵 に 列 し て い る ( 10) 。 ち な み に、 デ ィ ル タ イ も ベ ー ク の も と で 教 授 資 格 を 獲 得 し て い る。 こ の よ う に 見 て く る と、シュライアーマッハー ‐ベーク‐ドロイゼン‐ディルタイという思想的系譜が成り立つのであり、 実 際 デ ィ ル タ イ 自 身 が こ の 系 譜 を 深 く 自 覚 し て い る ( 11) 。 F ・ ロ ー デ ィ は「 ベ ー ク と ド ロ イ ゼ ン を 越 え て デ ィ ル タ イ へ と 至 る シ ュ ラ イ ア ー マ ッ ハ ー の 解 釈 学 の 道 」 ( 12) に つ い て 語 っ て い る が、 わ れ わ れ が こ こで注目すべきは、かかる解釈学の系譜において、とくにベーク以降、歴史主義という別の契機がそれ と密接な関 わ りをもって、参入してきていることである。ここに われわれ がベークに注目する理由があ る。解釈学と歴史主義の邂逅と結合は、ベークの古典文献学、とり わ けその解釈学理論において、興味 深い仕方で生起しているからである ( 13) 。 周 知 の 通 り、 ベ ー ク は 文 献 学 の 本 来 の 任 務 を、 「 人 間 精 神 に よ っ て 生 み 出 さ れ た も の 4 4 4 4 4 4 4 4 、 す な わ ち、 認 識 さ れ た も の を 認 識 す る こ と 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 」( das Erkennen des von menschlichen Geist Producirten, d. h. des
Erkannten ) と見なしたが ( 14) 、彼はこの 「認識され たものの認識」 を、術語的には、 「理解」 ( Verstehen ) と し て 捉 え た。 草 創 期 の ベ ル リ ン 大 学 哲 学 部 の「 《 ス タ ー 軍 団 》 の 一 人 」 ( 15) で あ っ た ベ ー ク の 功 績 は、 「古典文献学を歴史科学に変化させた」 ( 16) ことである。そして彼の精神を継承して歴史学全体に及ぼし、 歴 史 科 学 の 中 に 解 釈 学 モ デ ル を 導 入 し た の が、 「 プ ロ イ セ ン・ 小 ド イ ツ 学 派 の 真 の 創 始 者 」 ( 17) ド ロ イ ゼ ン で あ る。 ド ロ イ ゼ ン に よ れ ば、 「 歴 史 的 方 法 の 本 質 は 探 究 4 4 し つ 4 4 つ 理 解 す 4 4 4 4 る 4 こ 4 と 4 で あ る 」 ( 18) 。 歴 史 学 は 、 「 歴 史 と し て 伝 承 さ れ て い る も の を 反 復 し な け れ ば な ら な い だ け で な く、 よ り 深 く 突 き 進 ま な け れ ば な らない。それ は、いやしくも過去からふたたび見つけ出され るべきものを、およそ可能なかぎり、精神 に お い て ふ た た び 生 き 生 き と 甦 ら せ、 そ れ を 理 解 し よ う と す る 」 ( 19) も の で あ る。 こ こ か ら わ か る よ う に、ベークの 「認識され たものの認識」 ( das Erkennen des Erkannten ) とドロイゼンの 「探究しつつ理解 す る こ と 」( forschend zu verstehen ) と は 通 底 し て お り、 し か も そ こ に 解 釈 学 と 歴 史 主 義 の 両 モ テ ィ ー フ が 密 接 に 連 関 し て い る の が 見 い だ さ れ る。 ベ ー ク と ド ロ イ ゼ ン の 相 互 関 係 に つ い て は Ch・ ハ ッ ケ ル の研究書があるが、 解釈学と歴史主義の関係性に関しては、 この書ではまったく触れられていない ( 20) 。 この点に関しては、 J ・グロンディンが示唆に富む洞察を提示している。彼は『哲学的解釈学入門』と いう啓発的な書物において、第三章「ロマン主義的解釈学とシュライアーマッハー」に引き続き、第四 章を 「歴史主義の諸問題への参入」 (
Einstieg in die Probleme des Historismus
) と銘打ち、そこで 「 1 . ベークと歴史的意識の明け初め」 、「 2 .ドロイゼンの普遍的史学論 ― 倫理的世界の探究としての理解」 、 「 3 . 解 釈 学 へ と 至 る デ ィ ル タ イ の 道 」 に つ い て 論 究 し て い る ( 21) 。 し か し こ れ も 所 詮 は 概 説 の 域 を 出 るものではなく、したがって解釈学が歴史主義の問題へと歩を進めていく事態は、より本格的な学問的
検証を必要としている ( 22) 。 以上のような問題意識から、本稿ではアウグスト・ベークの解釈学にスポットを当て、とくにそこに おける解釈学と歴史主義のモティーフの絡み合いを考察してみたい。
1
.ベークの古典文献学の体系と構造
ベ ー ク の 解 釈 学 が い か な る も の で あ る か を 知 る た め に は、 わ れ わ れ は 彼 の『 文 献 学 的 諸 学 問 の エ ン チクロペディーならびに方法論』 Encyklopädie und Met hodologie der philologischen W issenschaften ( 1877, 2 1886 ) を 考 察 し な け れ ば な ら な い。 こ の 書 は 門 弟 の ブ ラ ト ゥ ス ヘ ッ ク が ベ ー ク の 生 前 の 講 義 を 整 理 し て恩師の死後に出版したもので、 そのもとになっているのは、 一八〇八年夏学期 (ハイデルベルク大学) を皮切りに、一八六五年夏学期(ベル リ ン大学)に至るまで、ベークが合計二十六学期に わ たって学生 を 相 手 に 行 な っ た 講 義 ノ ー ト で あ る。 全 体 で 九 〇 〇 頁 近 く に も 及 ぶ こ の 大 著 は、 「 序 論 」( Einleitung ) に引き続く本論が大きく二つの部分に分けられ ており、 「第一主要部」 ( Erster Haupttheil )は「文献学 的 学 問 の 形 式 的 理 論 」( Formale Theorie der philologischen Wissenschaft ) と 名 づ け ら れ て い る。 こ の 部分はさらに二つの部分に分けられ 、第一部は 「解釈学の理論」 ( Theorie der Hermeneutik )、第二部は 「批判の理論」 (Theorie der Kritik
)となっている。
「古代学の実質的諸学科」
(
Materiale Disciplinen der Alterthumslehre
) と名づけられ た 「第二主要部」 ( Zweiter Haupttheil ) は、 「 一 般 古 代 学 」( Allgemeine Alterthumslehre ) と「 特 殊 古 代 学 」( Besondere
Alterthumslehre ) に大別され、前者においては古代ギ リ シアの特質と古代ローマの特質が、国家生活、 私的生活、儀礼および美術、学問などの面から考察され、むすびでは「古典古代の世界史的意義」が論 じ ら れ て い る。 後 者 は、 「 Ⅰ . ギ リ シ ア 人 な ら び に ロ ー マ 人 の 公 的 生 活 に つ い て 」、 「 Ⅱ . ギ リ シ ア 人 と ローマ人の私的生活」 、「 Ⅲ . 外的宗教および美術について」 、「 Ⅳ . 古典古代の総合的知識について」と いう大見出しのもとに、 Ⅰ では①年代学、②地理、③政治史、④古代国家が、 Ⅱ では①度量衡学、②外 的な私的生活あるいは経済の歴史( a . 農業と工業、 b . 商業、 c . 家政) 、③内的な私的生活あるいは社 会 の 歴 史( a . 社 交、 b . 営 利 団 体、 c . 教 育、 d . 葬 儀 ) が、 Ⅲ で は ① 祭 儀 ま た は 外 的 宗 教( a . 神 事 と し て の 祭 儀、 b . 儀 礼 的 行 為、 c . 宗 教 教 育 と し て の 儀 礼、 d . 神 秘 )、 ② 美 術 史( A . 造 形 美 術 ―― a . 建 築、 b . 塑 像 術、 c . 絵 画 ◦ B . 運 動 的 美 術 ―― a . 体 操 術、 b . 舞 踏、 c . 音 楽 ◦ C . 詩 的 演 出 の 美 術 ― ― a . ラプソディー、 b . 合唱、 c . 演劇) が、 Ⅳ では①神話、②哲学史、③個別諸科学の歴史 ( a . 数学、 b . 経 験 的 自 然 科 学、 c . 経 験 的 精 神 科 学 )、 ④ 文 学 史( ギ リ シ ア 文 学 史 ―― A . 韻 文〔 a . 叙 事 詩、 b . 叙 情 詩、 c . 劇 詩 〕、 B . 散 文 〔 a . 歴 史 的 散 文、 b . 哲 学 的 散 文、 c . 修 辞 的 散 文 〕◦ ロ ー マ 文 学 史 ―― A . 韻文 〔 a . 劇詩、 b . 叙事詩、 c . 叙情詩〕 、 B . 散文 〔 a . 歴史的散文、 b . 修辞的散文、 c . 哲学的散文〕 )、 ⑤言語の歴史 ( A . 語素学 〔 a . 音韻学、 b . 古字学、 c . 正字学ならびに正音学〕 、 B . 語源学 〔 a . 辞書学、 b . 語形学〕 、 C . 統語論、 D . 歴史的文体学〔韻律論〕 )が論 じ られ ている。 以上の概要から わ かるように、解釈学の問題は 「第一主要部」 の 「文献学的学問の形式論」 において、 それもとくに第一部「解釈学の理論」において、重点的に論 じ られているが、もちろ ん 他の部分におい ても解釈学の問題が適宜扱 われており、 むしろ 『文献学的諸学問のエンチクロペディーならびに方法論』
と名づけられ たこの書物自体が、あるいはそこに示され た古典文献学の体系そのものが、ベークの解釈 学をよく表している。 ベークによれ ば、 文献学は① 「古典古代研究」 ( Alterthumsstudium )でも、 ②「言語研究」 ( Sprachstudium ) でも、③ 「博覧」 ( Polyhistorie ) でも、④ 「批判」 ( Kritik ) でも、⑤ 「文学史」 ( Literaturgeschichte ) でも、 ⑥ 「 人 間 性 の 研 究 」( Humanitätsstudium ) で も な く、 そ れ の 本 来 的 課 題 は 「 認 識 さ れ た も の の 認 識 」( das Erkennen des Erkannten ; die Erkenntniss des Erkannten ) ( 23) で あ る。 し か し わ れ わ れ が 注 意 を 払 わ な けれ ばならないのは、第一に、ベークがここで文献学的認識活動の対象として設定している「認識され たもの」が、単なる狭義の認識活動の成果や産物を指すのではなく、人間精神の活動の全産物を意味し て い る こ と で あ る ( 24) 。「 人 間 精 神 に よ っ て 生 み 出 さ れ た も の 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 、 す な わ ち、 認 識 さ れ た も の を 認 識 す る こ と 」 ( 25) と い う 有 名 な フ レ ー ズ が、 何 よ り も こ の こ と を 暗 示 し て い る。 文 献 学 の 対 象 は 単 な る 言 語 や 文 学や言語資料ではなく、 「一つの民族の、 身体的ではなく 4 4 4 4 4 4 4 、 倫理的 4 4 4 ならびに 精神的な 4 4 4 4 、活動の全体」 、あ る い は 各 民 族 の「 精 神 的 発 展 全 体、 そ の 文 化 の 歴 史 」 ( 26) だ と い う こ と で あ る。 第 二 に、 文 献 学 的 認 識 は ―― プラトンに従えば、 哲学的認識もまたそうだということになるが ―― 「再認識」 ( Wiedererkennen ; Wiedererkenntniss ) ( 27) だ と い う こ と で あ る。 哲 学 と 文 献 学 は、 精 神 の 認 識 に 関 し て は 協 調 関 係 に あ る が、その認識の仕方は異なる。 「哲学は原初的に認識する、つまりギグノースケイ ( )〔知る、 認識する〕 であるが、文献学は再び認識する、つまりアナギグノースケイ ( )〔再び知る、 再 認 識 す る 〕 で あ る 」 ( 28) 。 文 献 学 は「 所 与 の 認 識 」 ( 29) あ る い は「 所 与 の 知 識 」 ( 30) を 前 提 と し て お り、 これを再認識しなければならない。したがって、 「文献学の概念は最広義の歴史学の概念と重なり合う」
が、 し か し 文 献 学 の 目 的 は、 歴 史 学 と 違 っ て 歴 史 叙 述 そ の も の で は な く、 「 歴 史 叙 述 の な か に 貯 蔵 さ れ ている歴史認識の再認識」 ( 31) である。 ベ ー ク に よ れ ば、 歴 史 的 行 為 そ の も の は 一 つ の 認 識 で あ り、 ま た「 歴 史 的 に 生 み 出 さ れ た も の は、 行 為 へ と 移 行 し た 精 神 的 な も の で あ る 」 の で、 「 あ ら ゆ る 精 神 的 生 と 行 為 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 」 ( 32) に つ い て の 「 認 識 全 体 の 再 構 成 と し て の 文 献 学 」 ( 33) は、 各 民 族 の 文 化 的 伝 承 に 含 ま れ て い る「 全 認 識 と そ の 部 分 を 歴 史 的 に 構 成 す る こ と 」、 ま た「 か か る 認 識 の う ち に 表 現 さ れ て い る 理 念 を 認 識 す る こ と 」 ( 34) を 目 的 と す る。 換 言 す れ ば、 「 人 間 精 神 が 構 成 し た い ろ い ろ な も の を そ の 全 体 に お い て 追 構 成 す る こ と 」( die Nachconstruction der Constructionen des menschlichen Geistes in ihrer Gesammtheit ) ( 35) が、文献学が 目 指 す と こ ろ で あ る。 そ れ ゆ え、 文 献 学 は 所 与 の 認 識 の 「 再 構 成 」( Reconstruction ; reconstruiren ) ( 36) ないし「追構成」 ( Nachconstruction ; nachconstruiren ) ( 37) を旨とし、かかる仕方での認識の「再生産」 ( Reproduction ; reproducieren ) ( 38) に 関 わ る が、 興 味 深 い こ と に ベ ー ク は、 「 少 な か ら ぬ 哲 学 は 純 粋 に 生産しているとの思い違いをしているが、ここにおける〔文献学的な〕再生産のなかにはより多くの生 産 が あ る 」 ( 39) と 述 べ て、 一 部 の 哲 学 よ り も 文 献 学 の 方 が 学 問 的 に よ り 生 産 的 で あ る と 主 張 し て い る。 それに続けて彼は、 「文献学的な才能」 ( philologisches Talent ) はいかなる学問にも大切であると言う。 な ぜ な ら、 そ れ は「 理 解 の 源 」( die Quelle des Verstehens ) で あ る が、 「 理 解 す る と い う こ と は 決 し て そ ん なに容易い事柄ではない」 ( 40) からである。
2
.ベークの解釈学の基本的特質
前節での考察から、ベークの文献学の体系において、解釈学がいかに枢要的意義を有しているか予想 がつくが、彼によれ ば、 「所与の認識の再認識」 (eine Wiedererkenntniss eines gegebenen Erkennens
)、 あ る い は「 認 識 さ れ た も の を 再 認 識 す る こ と 」( ein Erkanntes wiedererkennen ) は、 「 理 解 す る こ と 4 4 4 4 4 4 」 ( verstehen ) を 意 味 す る ( 41) 。 し た が っ て、 「 認 識 さ れ た も の の 認 識 」 と し て 定 義 さ れ た 彼 の 文 献 学 は、 それ自体が解釈学をうちに含み、 解釈学の上にその体系が基礎づけられ ている、 と見なすことができる。 彼の言うところに従えば、文献学は「 理解 4 4 の行為」 ( der Akt des Verstehens )と「 理解 4 4 の諸契機」 ( die
Momente des Verständnisses
) を学問的に探究しなけれ ばならず、それ ゆえ 「そこから成立する理論」 、 つまり「文献学的なオルガノン」を含 ん でいなけれ ばならない。しかし文献学はそのような形式的な理 論(解釈学)にとどまるものではなく、さらには「理解の産物、つまり文献学的活動から生 じ てくる内 実 」 と し て の「 理 解 さ れ た も の 4 4 4 4 4 4 4 」( das Verstandene ) を も 考 察 し な け れ ば な ら な い。 か く し て、 わ れ わ れ が前節で見たように、文献学は二つの主要部分に大別され ることになる。すな わ ち、理解の機能と諸 契機を考察する「 形式的 4 4 4 」部分と、理解され た内容を素材に即して学問的に叙述する「 実質的 4 4 4 」部分で ある ( 42) 。 第一の「形式的」部分は、当然のことながら、第二の「実質的」部分を前提とし、それ に裏打ちされ て い る が、 し か し な が ら 他 方 で、 理 解 す る と い う 行 為、 あ る い は 文 献 学 的 活 動 は、 原 理 的 に は、 理 解 の 産 物、 つ ま り 理 解 さ れ た も の に 先 行 し な け れ ば な ら な い。 こ こ に は あ る 種 の「 原 理 の 請 求 」( petitio
principii ) が あ る よ う に 見 え る が、 し か し そ れ は 避 け が た い も の で あ っ て、 む し ろ「 事 柄 そ の も の の う ち に あ る 円 環 」 ( 43) と い う べ き で あ る。 ベ ー ク は 解 釈 す る 上 で 避 け が た い こ の よ う な「 循 環 」 を、 明 確 に「解釈学的循環」 (
der hermeneutische Cirkel
) ( 44) と呼 ん でいる。 文 献 学 の 形 式 的 な 部 分 と し て の「 第 一 主 要 部 」 は、 「 理 解 の 理 論 」( die Theorie des Verstehens ) ( 45) を含 ん でいるが、これ はさらに 「解釈学の理論」 (
Theorie der Hermeneutik
) と 「批判の理論」 ( Theorie der Kritik ) に 二 分 さ れ る。 と い う の は、 「 理 解 は 一 方 で は 絶 対 的 4 4 4 で あ り、 他 方 で は 相 対 的 4 4 4 で あ る。 す な わ ち、 ひ と は 各 々 の 対 象 を 一 方 で は そ れ 自 体 と し て、 他 方 で は 他 と の 関 係 に お い て 理 解 し な け れ ば ならない」からである。対象をそれ 自体として理解することを、ベークは「絶対的理解」 ( das absolute Versthen ) と 名 づ け る が、 か か る 理 解 を 扱 う の が 解 釈 学 4 4 4 ( Hermeneutik ) で あ る。 こ れ に 対 し て、 対 象 を個と全体の関係で、 あるいは他の個や理想との関係を通して理解することを、 彼は 「相対的理解」 ( das relative Verstehen ) と 呼 び、 か か る 相 対 的 理 解 を 扱 う の が 批 判 4 4 ( Kritik ) で あ る と い う ( 46) 。 こ の よ う な 名 称 の 可 否 は 別 に し て、 「 理 解 の 理 論 」 を「 解 釈 学 」 と「 批 判 」 に 大 別 す る こ と は、 シ ュ ラ イ ア ー マ ッハーにおいてすでに一般的な慣行となっている ( 47) 。 い ず れ に せ よ、 解 釈 学 と 批 判 は「 理 解 の 理 論 」 の い わ ば 両 輪 で あ り、 「 歴 史 的 真 理 は 解 釈 学 と 批 判 の 共 同 作 業( das Zusammenwirken der Hermeneutik und Kritik ) に よ っ て 突 き 止 め ら れ る 」 ( 48) 。 し か し 解釈学と批判というふうに区別してみても、実は両者の間には「循環」関係が成り立っており、これ を 脱却することは不可能である。なぜなら、対象をそれ 自体として理解しようと努める解釈学を抜きにし て、批判はみずからの課題を果たし得ないし、逆に異他なるものとの関 わ りないし関係を確定すること
に努める批判なくして、解釈学はその本務を遂行できないからである。 ところで、ベークの「理解の理論」において特徴的な区分は、解釈学と批判という区分にい わ ば横断 的 に 掛 け 合 わ さ れ て く る、 「 文 法 的 」( grammatisch )、 「 歴 史 的 」( historisch )、 「 個 人 的 」( individuell )、 「 種 類 的 」( generisch ) ( 49) と い う 区 分 で あ る。 こ れ に よ っ て、 解 釈 学 は ①「 文 法 的 解 釈 」( grammatische Interpretation )、 ②「 歴 史 的 解 釈 」( historische Interpretation )、 ③「 個 人 的 解 釈 」( individuelle Interpretation )、 ④「 種 類 的 解 釈 」( generische Interpretation ) に 区 別 さ れ 、 批 判 は ①「 文 法 的 批 判 」 ( grammatische Kritik )、② 「歴史的批判」 ( historische Kritik )、③ 「個人的批判」 ( Individalkritik )、④ 「種 類 的 批 判 」( Gattungskritik ) に 分 け ら れ る の で あ る が ( 50) 、 そ れ で は な ぜ こ の よ う な 区 分 が 成 り 立 つ の であろうか。 ベークによれ ば、解釈の実際の区分は解釈学的活動の本質からのみ導き出され る。理解と解釈にとっ て本質的なのは、報告・伝承され たものの意味ないし意義が、それによって 制約され規定される 4 4 4 4 4 4 4 4 4 ところ のものであり、言語の 客観的 4 4 4 意義がこれに属する。しかしいかなる語り手・書き手も言語を特有かつ特 別な仕方で用い、みずからの個性に従って言語に変更を加える。それ ゆえ、その人を理解するためには その 主観性 4 4 4 を考慮に入れ なけれ ばならない。そこからベークは、客観的・一般的見地からの言語の解釈 を 「文法的解釈」 と名づけ、主観性の見地からの言語の解釈を 「個人的解釈」 と名づける。しかしあらゆ る報告 ・ 伝承の意味は、 現実の歴史的諸関係 4 4 4 4 4 4 4 4 4 によってさらに制約され ている。したがって、 一つの報告 ・ 伝承を理解するためには、ひとはこうした諸関係の中に身を置かなけれ ばならない。彼は歴史的現実に 定位した解釈を「歴史的解釈」と名づける。しかし報告がその形式に従ってなされ るところの、説話の
ジ ャ ン 4 4 4 ル 4 ( Gattung ) に も ま た 留 意 し な け れ ば な ら な い。 叙 述 の 主 観 的 な 方 向 と 目 的 と に 従 っ て、 韻 文 と か散文とかの異なった語り方が存するが、報告・伝承され ている内容をこのジャンルという側面から解 釈することを、彼は「種類的解釈」と名づける。彼によれ ば、客観的側面に力点の置か れ た歴史的解釈 が文法的解釈に結びつくように、主観的側面に重きを置く種類的解釈は個人的解釈に結びつくという。 ともあれ 、ベークの考えでは、解釈学は以上の四種類の解釈に尽きるのであって、それ をもう一度整 理して示すと以下のようになる。 ( 1 )報告され たものの 客観的 4 4 4 な諸条件からの理解 a)語義 そのもの 4 4 4 4 から ―― 文法的 4 4 4 解釈 b)現実の状況との関係 4 4 4 4 4 4 4 4 4 における語義から ―― 歴史的 4 4 4 解釈 ( 2 )報告され たものの 主観的 4 4 4 な諸条件からの理解 a)主体 それ自体 4 4 4 4 から ―― 個人的 4 4 4 解釈 b)目的と方向のうちに存している主観的状況との関係における主体から ―― 種類的 4 4 4 解釈 ( 51)
3
.解釈学的循環の問題
われわれは前節において、ベークが「文法的解釈」 、「個人的解釈」 、「歴史的解釈」 、「種類的解釈」と いう四種類の解釈を区別していることを見たが、それではこれ ら四種類の解釈は相互にどういう関係に あるだろうか。彼はこれ について、以下のように述べている。たしかに、 われわれ は概念に従ってそれ ら〔四種類の解釈〕を明確に区別したが、しかし解釈その ものを実行する際には、それ らはつねに混 じ り合う。ひとは個人的解釈を利用することなしには、 語義そのものを理解することができない。なぜなら、誰かによって話され る言葉は、いかなる言葉 であろうとも、すでにその人が一般的な語彙から取り出したものであり、ある個人的な付加物をも っている。この付加物を抽出しようとすれ ば、ひとは話し手の個性を知らなけれ ばならない。同 じ ように、一般的な語義は、現実の状況と説話のジャンルによって変更を加えられ ている。例えば、 〔 一 般 的 に は「 王 」 の 意 〕 と い う 語 は、 ホ メ ロ ス の 用 語 法 に お い て と ア ッ テ ィ カ 共 和 国 に おいてでは、 全く異なった意味をもっている。 〔時、 時間〕 や 〔しるし〕 といった語は、 哲学と数学と歴史学の叙述においては異なった意味をもっている。ひとは語義のこのような制約を 歴史的解釈と種類的解釈によって確定しなけれ ばならないが、しかしながらそれ らの要素はふたた び文法的な解釈によってのみ見出され 得る。なぜなら、すべての解釈は文法的解釈から出発するか らである。 ( 52) ここには明らかな「循環」関係があるが、それはまた文献学の形式的機能とその実質的結果との関係 に存する困難に遡るものでもある。 すな わ ち、 文法的 4 4 4 解釈は文法の歴史的発展についての知識を必要とする。 歴史的 4 4 4 解釈は歴史一般に ついての特別な知識なしには不可能である。 個人的 4 4 4 解釈のためには個人についての知識が必要であ
り、そして 種類的解釈 4 4 4 4 4 は様式のジャンルについての歴史的知識に、したがって文学史に基づいてい る。そのようにこれらの異なった種類の解釈は、実際のいろいろな知識を前提としているが、これ らの知識はすべての資料の解釈によっては じ めて獲得され 得るものである。しかしここから同時に 判明するのは、この循環がいかにして解決されることができるかということである。すなわ ち文法 的解釈は、それ をさまざまな個人的ならびに現実的な諸条件のなかで考察することによって、ある 表現の語義を突きとめる。そしてこれを言語全体へと拡大することによって、言語の歴史が作り出 され 、文法と辞書が作り上げられ る。ところでこの文法と辞書は、その後ふたたび文法的解釈に奉 仕し、同時に進展する解釈学的活動によって完成させられ る。これ によってひとは爾余の種類の解 釈に対する、同時にまた実質的学問分野一般の構築に対する、基礎を手にする。こうした学問分野 がより広範に発展すれ ばするほど、解釈はより完全に成功する。 ( 53) 以上のことは、ベークが繰り返し言及している、解釈につきものの「循環」 、つまり「解釈学的循環」 の問題にほかならない。彼はある局面においては、このような循環は「特別な技法を用いて回避され な けれ ばならない」 ( 54) と述べているが、しかし別のところでは、 「解釈学の課題が含 ん でいるこの循環は、 必ずしもすべての場合に回避できるものではないし、また一般には決して完全には回避できるものでは な い 」 ( 55) と も 語 っ て い る。 な ぜ な ら、 個 と 全 体、 特 殊 と 普 遍 は つ ね に 相 補 い 合 う 関 係 に あ る だ け で な く、また一切の類比を欠いた唯一無比なるものは、その意義を確定することがそもそも不可能だからで ある。まさに同一の対象が同時に文法的解釈と個人的解釈の、あるいは個人的解釈と種類的解釈の、あ
るいは歴史的解釈と種類的解釈の、唯一の基礎であるとすれ ば、所詮、解釈の循環は免れ得ないのであ る。 か く し て、 「 解 釈 学 の 課 題 は た だ 無 限 の 近 似 4 4 ( Approximation ) に よ っ て の み、 つ ま り 一 項 一 項 前 進 す る が 決 し て 完 結 す る こ と の な い 漸 進 的 な 接 近 に よ っ て の み、 解 決 さ れ 得 る 」 ( 56) と い う の が、 ベ ー ク なりの問題解決の仕方なのである。
4
.ベークの解釈学におけるロマン主義的要素
わ れ わ れ は た っ た い ま、 通 常 の 解 釈 の 技 法( Kunst ) を 用 い て 解 釈 学 的 循 環 を 回 避 す る こ と は 不 可 能 であり、ただ解釈実践の鍛錬を積みながら一歩一歩前進して、問題解決に漸進的に接近するという「無 限 の 近 似 」 し か な い こ と を 見 た が、 し か し 他 方 で ベ ー ク は、 「 完 全 な 理 解 が 達 成 さ れ る 」 稀 有 な 事 例 に ついても言及している。それ は「有為なる感情」 ( [ein] fähiges Gefühl )を所有する「真正の解釈学的芸 術家」 ([der] ächte hermeneutische Künstler
)のケースである。ベーク曰く、 しかしながら、 感情 4 4 にとっては、ある場合には完全な理解が達成され る。そして解釈学的な芸術家 は、 そのような理解を所有することで、 難題を解決すれ ばするほど、 ますます完全になるであろう。 しかしもちろ ん 有為なる感情をさらに踏み込 ん で解釈することはできない。この感情とは、それ の おかげで他者が認識したところのものが、 いっぺ ん に 4 4 4 4 4 再認識され る当のものである。そしてそれ が なけれ ば、実際にいかなる伝達能力も存在しないであろう。 ( 57)
つ ま り、 ひ と は 感 情 の な か に 与 え ら れ て い る「 生 き 生 き と し た 直 観 」( lebendige Anschauung ) ( 58) に よって、他人の個性を完全に把握することができるという。ベークはこの種の能力として、 「正しい勘」 ( der richtige Takt ) ( 59) や「 精 神 の 予 見 的 な 力 」( die divinatorische Kraft des Geistes ) ( 60) に つ い て 言 及している。 こ れ に 関 連 し て、 ベ ー ク は 「 ど ち ら も 相 手 と 同 じ こ と を 考 え な い 」( ) と い う他者認識の不可能性を暗示する ゴ ルギアスの命題に対して、 「似たものは似 たものを知る」 ( ) と い う 別 の 命 題 を 対 置 し、 「 こ れ こ そ、 そ れ に よ っ て 理 解 が 可 能 と な る、 唯 一 の も の である。つまり同質性が必要なのである。このような仕方で解釈する人のみが、天才的な解釈者と名づ けられ 得る」 ( 61) と述べている。 ベークは別の箇所で、 「同質性」 ( Congenialität )の重要性について、以下のようにも述べている。 一般に歴史的解釈を適用できるかどうかについて、そしてとくに仮説的説明が許容できるかどうか について、最終的な決定を下すものは、しばしば感情のなかに存在している。ここではとくに解釈 者の同質性が肝要である。すな わ ち、著者の個性に身をおいて理解する人のみが、特定の場合の著 者の念頭に特別な関係が浮か ん でいたかどうかを、知るのである。 ( 62) つ ま り、 解 釈 さ れ る 対 象 と の 類 似 性 を 有 し、 「 生 ま れ つ き 理 解 す る た め の 眼 識 を も っ た 人 た ち 」 が 存
在するのであり、彼らは「根源的な才能」 ( ein ursprüngliches Talent )によって、解釈学的循環を突破 し て「 い っ ぺ ん に 」( mit einem Schlage ) 事 柄 の 本 質 を 直 観 し 理 解 す る の で あ る。 ベ ー ク は そ の よ う な 天 才 的 な 解 釈 者 を、 「 精 神 的 に 同 質 的 な 解 釈 者 」( der congeniale Ausleger ) ( 63) と も 呼 ん で い る が、 い ずれ にせよ、この種の天分とか天才を引き合いに出すところに、ロマン主義者としてのベークの真骨頂 を見ることも、あながち的外れ ではないであろう ( 64) 。
5
.歴史主義との結びつき
さて、最後に われわれ が考察しなけれ ばならないのは、本稿の冒頭において提示した われわれ の根本 的な問題意識、すな わ ちベークの解釈学における歴史主義との結びつきということである。 われわれ は 最初に、シュライアーマッハーから始まる一般的解釈学の系譜において、歴史主義の結びつきはベーク をもって嚆矢とするという作業仮説を立てたが、果たしてその仮説は正しいのか、またベークの解釈学 において、歴史主義との結びつきはいかなる様相を呈しているのかを解析しなけれ ばならない。この点 を明らかにするために、 われわれ はまずベークの解釈学とシュライアーマッハーのそれ との簡単な比較 ―― 細部に踏み込 ん だ本格的な比較は将来の重要な課題である ―― を試みてみたい。 シュライアーマッハーの解釈学は、もともとは「文法的解釈」 ( grammatische Interpretation )と「技 術的解釈」 ( technische Interpretation ) の二区分をもって構想され たが、やがてそこに 「心理学的解釈」 ( psychologische Interpretation ) な る も の が 立 ち 現 れ 、 や が て そ の 新 し い 用 語 に 大 き な 比 重 が 置 か れ るようになる。しかし「技術的解釈」と名づけられ ていたものが、はたして「心理主義的解釈」に完全に 置き換えられるかというと、実は単純にそうはいかない。そのあたりを究明することは、シュライアー マッハーの解釈学に関する研究の重要課題の一つである ( 65) 。 と こ ろ で、 ベ ー ク は シ ュ ラ イ ア ー マ ッ ハ ー の 解 釈 学 に つ い て、 『 文 献 学 的 諸 学 問 の エ ン チ ク ロ ペ デ ィ ー な ら び に 方 法 論 』 に お い て、 非 常 に 興 味 深 い コ メ ン ト を し て い る ( 66) 。 ま ず「 心 理 学 的 解 釈 」 に 関 し ては、ベークによれば、人間の個性というものは「徹底的に生き生きしたもの、具体的なもの、積極的 なもの」であり、一般的な法則や分類項目によって作業する心理学によって把捉できるものではない。 そこから わ たしは個人的解釈を ―― シュライアーマッハーが行なっているように ―― 心理学的解釈 ( die psychologische [Auslegung] )と名づけることを避けるのであるが、それ はこの名称があまりに も広範だからである。いろいろな言葉の根本的意義が定義づけて捉えることのできない直観である ように、個人的な文体もまた概念によっては完全に特徴づけることはできない。そうではなく、そ れは解釈学によって直観の仕方そのものとして具象的に再生され 得るものである。 ( 67) シュライアーマッハーの「技術的解釈」についても、ベークは次のような苦言を呈している。 ・・・ 種 類 的 解 釈 を い た る と こ ろ で 同 じ 程 度 に 適 用 す る こ と は で き な い。 な ぜ な ら、 個 性 は し ば し ばその作用において、そのなかに具 わ っている方向性にしたがうが、その際眼前に浮か ん でいる理