• 検索結果がありません。

「詩言志」論の研究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "「詩言志」論の研究"

Copied!
157
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

「詩言志」論の研究

荻 野 友 範

(2)

表紙

「 詩 言 志 」 論 の 研 究 荻 野 友 範

「詩言志」論の研究

荻 野 友 範

(3)

i

目 次

目 次 ……… ⅰ

序 章 ……… 1

第一章 古代中國における「詩」への視座 ……… 5

第一節 はじめに ……… 5

第二節 詩句・詩篇と詩 ……… 6

第三節 戰國期の文獻における「詩」の位相 ――『墨子』を例に―― ……… 8

第四節 むすび ……… 31

第二章 「詩言志」研究史 ……… 36

第一節 はじめに ……… 36

第二節 「詩言志」の注解 ……… 37

第三節 近代以降の「詩言志」論 ……… 45

第四節 むすび ……… 61

第三章 戰國期における「詩言志」の研究 ……… 70

第一節 はじめに ……… 70

第二節 「詩言志」と『毛詩』大序 ……… 71

第三節 戰國期における「詩言志」の用例とその理解………… 72

第四節 「詩言志」研究の成果 ……… 76

第五節 戰國期の「志」 ……… 80

第六節 戰國期の「情」 ……… 83

第七節 むすび ……… 86

(4)

第四章 漢代における「詩」の展開 ……… 92

第一節 はじめに ……… 92

第二節 漢代の「詩言志」 ……… 93

第三節 「詩」の理解の繼承と變容 ……… 96

第四節 むすび ……… 105

第五章 『尚書』舜典篇と『毛詩』大序 ……… 110

第一節 はじめに ……… 110

第二節 『毛詩』大序の性格と構成 ……… 111

第三節 『史記』樂書と『漢書』禮樂志 ……… 116

第四節 むすび ……… 122

終 章 ……… 125

【附】先秦期~前漢期における「詩」の用例一覽 ……… 129

引用原典一覽 ……… 146

參考文獻一覽 ……… 148

(5)

序 章

「中國文學を形作る文學形式は何か」という問いには、真っ先に「詩」であるという答 えが返ってくるであろう。かりに、いくつかの答えがあるとするならば、少なくともその なかには「詩」を數え上げざるをえないだろう。

「詩」という文字は甲骨文・金文には見えない。だが、春秋戰國期の著述とされる文獻 資料のなかには、詩に關する記述が突如として增える。このことは、甲骨文・金文が主要 な書寫形態であった時期に「詩」ということばで示されようとする内容が、すでにある一 定の成熟を迎えていたことを想像させる。事實、金文資料のなかには、『詩經』の詩句に同 定できることばが數多く殘されている。

春秋戰國期には、詩に關する記述の增加とあいまって、「詩」ということばで示されよう とされていた内容が、「詩」の文字を用いて表されるにいたる。これは、「詩」という文字 の確立であると同時に、「詩」の文字が示す内容の確立を意味している。さらには、文字と 内容の確立にともなって、「詩」の文字が代表する地位も確立されたといえる。

名實ともに「詩」が確立されると、「詩」はその内容を急激に豊かにしていく。古くは『詩 經』が、時代が下ると、近體詩の一到達點としていわゆる「唐詩」がある。『詩經』は「五 經」・「十三經」に列せられ、久しく古代中國人の精神生活と 會生活を支えてきた。一方、

「唐詩」に代表される古典詩歌は、中國文學を形作る文學形式として主要な地位を占めて きた。同時に詩歌は「詩論」を通して論評され、その評價對象は詩歌そのものにとどまら ず、詩作した詩人の人格にまで及ぶ。

このように、古代中國において、「詩」は一貫して中國文學を成り立たせてきたといって も過言ではなく、古代中國は「詩」を抜きにしては語りえないのならば、古代中國におけ る「詩」とは何なのか。

こうした問いが焦點化され、專門的に論じられるのは、南朝・梁(502 年~557 年)の 劉勰『文心雕龍』を待たなければならない、というのが中國文學史における常識である。

その文學理論專門の著作たるゆえんが、過去にを見ない體系性にあることはつとに指摘さ れている1。詩のみならず、今日的な觀點から見ても、文學の範疇に包括される形式全般を 對象化し、理論化した文學理論專門の著作が劉勰『文心雕龍』にはじまるということはも ちろん事實であるが、すると、『文心雕龍』以前には文學理論を成り立たせる理論や考え方 が存在しなかったと考えてよいのだろうか。

南朝・梁という時期に文學理論書と呼びうるような著作が現れたということは、それを 生み出すような素地がある程度準備されていたのではないだろうか。つまり、體系的な文 學理論が出現するには、それ相應の必然性があったと考えられるのである。その素地とは、

體系性をそなえず、たいへん見えにくいものであろうことは想像にかたくない。

本研究では、巨視的には、そのおそらくたいへん見えにくいであろう文學に對する見方 を浮かび上がらせることを念頭に置いている。具體的には、「詩」という最古の文學形式を 研究對象として据え、「詩」に對する見方を檢討することで、文學理論が確立される前段階 の考え方を明らかにする。換言すれば、文學理論成立の基盤を探るに當たって、古今を通

1

(6)

じて中國古典文學を成り立たせてきた「詩」に焦點を當てて、文學理論形成過程の一端の 究明を企圖する。

そこで、まず、ここにいう「詩」という文字で示される内容を正確に把握しなければな らない。「詩」といったとき、上述のように、それは『詩經』を思い起こさせるかもしれな いし、いわゆる「唐詩」を連想させるかもしれない。本稿で對象とする戰國期から漢代に かけての時期に限っていえば、「詩」といえば、ふつう直接に『詩經』を指すと考えられる ことが多い。第一章で詳しく考察するように、「詩」ということばで示される對象や範圍は 一義的にとらえられるものではない。嚴密にいえば、「詩」が箇別の詩句を指す場合、詩篇 や詩篇名を指す場合、詩句や詩篇・詩篇名の一切を含んだ詩全體を指す場合、少なくとも 三つの概念が想定される。

本稿では、「詩」という文字で示される三つの概念を區別したうえで、第三の詩全體に焦 點を當て、「詩」は何なのか、という問題の解明に取り組んでいく。この問題に對して提出 された考え方としては、『尚書』舜典篇に見える「詩言志(詩は志を言う)」がよく知られ てはいる2。このことばは、「詩とは何なのか」という問題に對して、戰國期に提出された 見方とされる。同時に、詩が表現すべき内容に對して示された最初の指標ともされる。た だ、「詩言志」は、今日の觀點からいえば、ある特定される時期に、特定の人物が、自覺的 に「詩」を對象として、「詩」とは何なのかという命題を理論化したものとはいえない。つ まり、理論化も不完全であり、體系性ももたない文學理論の萌芽のような考え方としかい えない。しかし、文學に對するひとつの思考であったことに閒違いなく、こうした營爲の 蓄積が、のちの時代の文學理論を生み出したことはいうまでもない。したがって、「詩言志」

を檢討することは、文學の理論化の前段階における、文學への思考の研究にほかならない。

「詩言志」は中國古典文學において、戰國期以來、一貫して唱えられてきた考え方であ る。これは、「詩言志」が「經書」のひとつである『尚書』に見え、また近似の考え方が、

これもまた「經書」のひとつである『毛詩』に見えることに大きく起因するものと思われ る。しかしながら、あるいは、そうであるがゆえに、「詩言志」は唱え續けられはするもの の、このはなはだ簡潔な三字が提示している考え方に對しては、定説と言いうるほどの解 釋はいまだ示されていない。むしろ、「詩言志」という三字は、 史性や思想性を多分に含 みもつがために、かえってその内容が定義されないまま、一人歩きしている感も否めない。

「詩」という概念を正確かつ嚴密に把握し、「詩」を取り卷くさまざまな言説を丹念に調 査したうえで、「詩言志」の檢討を通して、古代中國という空閒において「詩が何であった のか」を明らかにしていく。

以下に、各章の概要を記しておく。

第一章では、本稿で研究對象とする「詩」という概念の實態把握を進める。「詩」という 文字は、詩句を指す場合、詩篇を指す場合、詩一般を指す場合と、少なくとも三つに型化 され、必ずしも一義的にとらえられるものではないという認識のもと、「詩」の各型にお ける使用例の調査を進める。さらに、詩一般を指す「詩」の特定の文獻内におけるとらえ られ方について、『墨子』を例に考察する。

(7)

序 章

第二章では、古代中國で詩一般の本質にはじめて言及し、かつもっとも普遍的に受け入 れられていたと考えらえる「詩言志」の研究史を整理し、分析する。ここでは、古代から 現代にいたる研究成果を總括すると、議論の焦點が「志」の内容把握にあることを明らか にする。

第三章では、「詩言志」研究の問題は「志」の内容が確定されていないことに起因してい るため、出土資料をも加味し、「詩言志」の戰國期における現れ方および「志」の用例分析 を通して、「詩言志」の全貌を明らかにする。

第四章では、戰國期を受けた漢代における「詩言志」と「詩」の樣相を整理し、型化す る。また、これと同時に、本章は『尚書』舜典篇の「詩言志」と、それが最良の形で具現 化しているとされる『毛詩』大序との關係を解明する第五章へ向けての基礎的研究の役割 も擔っている。

第五章では、漢代における「詩言志」と「詩」のとらえられ方を踏まえ、『尚書』舜典篇 の「詩言志」が「詩言志説」として『毛詩』大序に體現される過程を『史記』・『漢書』な どの記述を手がかりに檢討する。

3

(8)

1 門脇廣文『文心雕龍の研究』(「東洋學叢書」、東京・創文 、2005年3月)、「總序」。

2 「詩言志」は、『今文尚書』では「虞書」堯典篇、『古文尚書』では「虞書」舜典篇に見える。

本稿での主旨に「堯典」・「舜典」の違いが影響しないこと、第二章以降に引く『尚書』の注疏 が古文に基づいていることなどから、本稿では統一して「舜典篇」を用いることとする。

(9)

第一章 古代中國における「詩」への視座

第一節 はじめに

春秋戰國期には詩句や詩篇名が文獻資料のなかに引用され、重要な役割を擔わされてい る。『論語』子路篇において詩は、

子 曰く、「詩三百を誦し、之に授くるに政を以てして、達せず。四方に使いして、專ひと り對うること能ざれば、多しと雖も、亦た奚を以て爲さん」と。

子曰、「誦詩三百、授之以政、不達。使於四方、不能專對、雖多、亦奚以爲。」1

とあったり、『春秋左傳』ではとりわけ顯著なように、古代 會における交際の手段として の役割を擔うものと認識されていた。また一方で、詩は、諸子百家と總稱される戰國期の 思想家たちの主張の理論的根據としての役割を擔わされることが多かった。

これらはいずれも詩が實 會で用いられた例であると同時に、詩が實際に擔った役割を通 して、詩自體が政治的・ 會的な位置付けを獲得していくための過程でもある。

これとほぼときを同じくして、詩とは何であるのかという、いわば詩の本質に關わるよ うな問題にも言及しようとする意識が生まれはじめている。だが、文字としての「詩」と、

意味としての「詩」がようやく確立された段階においては、この意識はいまだ萌芽の時期 にあり、明瞭性にははなはだ缼けるものであろうことは容易に想像がつく。

この段階において、詩とは何であるのかと問う場合、そもそも「詩」という文字が指し 示す對象を正確に把握できているかの否かを檢證する必要がある。

筆者の調査する限り、この點に着目する考察はほとんどない2。そこで、春秋戰國期の著 作とされる主要な文獻資料を調査すると、「詩」という文字が指し示す内容には少なくとも 三つの對象が想定できることがわかった。

第一に、詩句を指す場合である。これは、「詩曰……」・「詩云……」として直後に詩句が 續き、その詩句を指すことがほとんどである。第二に、詩篇あるいは詩篇名を指す場合で ある。これは、「詩之……」・「(詩篇名)+曰……」などとして直後に詩篇名が續き、その 詩篇や詩篇名を指すことが多い。第三に、當時存在していた詩全體を指す場合である。こ れは、總體としての詩を意味している。

第一と第二の詩は、今本『詩經』に收されないいわゆる「逸詩」も一部に含まれるが、

その大半は今本『詩經』のなかの詩句や詩篇に同定できる。第三の詩は、詩句や詩篇をも 含みつつ、それらよりも上位に位置する「詩」という概念としてとらえることができる。

本章では誤解を避けるため、とくにここでいう第三の詩、つまり詩全體や總體としての詩 を意味し、箇別の詩句や詩篇を指すのではない場合には、山括弧でくくった「〈詩〉」と表 記する3

「詩」という文字を用いてはいても、嚴密にいえば、詩とは三つの對象を指す三つの概 念であることがわかる。そのうち、「詩とは何か」とは、すなわち、「〈詩〉とは何か」とい

5

(10)

う問題については、いまだ議論の餘地が多く殘されているようである。そこで、この問題 を解明する足がかりとして、〈詩〉にはどのような視座が存在していたかについて考察して いくこととする。從來、「詩の研究」といえば、詩句や詩篇の研究、さらにいえば、詩の解 釋の研究をいうのが一般的であると思われるが、本稿は「〈詩〉の研究」であることを附言 しておきたい。

本章では、このような問題意識のもと、現状の總合的な把握のために、〈詩〉という概念 に對してどのような視座が存在したのかということと、その末端あるいは具體を擔う詩句 の引用状況を報告することとする。

第二節 詩句・詩篇と詩

春秋戰國期の文獻資料において、「詩」という文字の用例數を、三つの概念に區別して、

見直してみたい。この時期の主要な文獻における詩句・詩篇の引用數を概觀してみると、

つぎのようになる。

【春秋戰國期の主要文獻における詩句・詩篇の引用數一覽表4】 今本『詩經』

風 雅 頌

今本『詩經』

未收 詩

『論語』 6 2 1 2 11

『晏子春秋』5 5 14 1 0 20

『孟子』6 7 28 3 0 38

『荀子』7 11 57 8 6 82

『管子』8 1 1 0 1 3

『莊子』9 0 0 0 1 1

『韓非子』10 0 3 0 2 5

『墨子』 0 7 1 3 11

『呂氏春秋』11 6 10 0 3 19

『淮南子』12 4 16 4 0 24

『禮記』13 26 65 15 2 108

『春秋左傳』

14 57 159 23 7 246

計 123 362 56 27 568

數についていえば、今本『詩經』に收 される詩句・詩篇のうち、 「雅」からの引用がも っとも多く、ついで「風」、「頌」の順となっている。「十五國風」160 篇・「二雅」111 篇

(うち「小雅」6首は篇名のみ)・「三頌」40篇に分かれる今本『詩經』の311篇に占める それぞれの割合は「風」51.45%・「雅」35.69%・「頌」12.86%となる。それに對し、總

(11)

第一章 古代中國における「詩」への視座

引用數 568 例に占める「風」・「雅」・「頌」および今本『詩經』未收 詩の割合は、 「風」

が21.65%・「雅」が63.73%・「頌」が4.75%・今本『詩經』未收 詩が 9.86%となる。

單なる統計上の數價でしかないが、この數價を取ってみても、戰國期當時に〈詩〉として 想定されるものが、「雅」に偏りを見せていることがわかる。このことは、〈詩〉といった 場合にも、「雅」が想起されやすく、必ずしも「風」・「雅」・「頌」を均等に代表しているわ けではないことを物語っており、「詩」という文字で代表される内容が一義的にはとらえら れないことを改めて確認できる結果となっている。なお、『老子』・『商君書』には詩句・詩 篇の引用例が見えない。

つぎに、主要な文獻に見える〈詩〉の用例數を見てみる。これには、詩句・詩篇の引用 が見えなかった文獻にも目を向けてみる。

【春秋戰國期の主要文獻における〈詩〉の用例數一覽表】

文獻名 用例數 文獻名 用例數 文獻名 用例數

『周易』15 0 『春秋穀梁傳』16 0 『老子』17 0

『尚書』18 1 『國語』19 10 『莊子』 8

『詩經』20 0 『論語』 12 『商君書』21 10

『儀禮』22 0 『孝經』23 0 『韓非子』 2

『禮記』 17 『晏子春秋』 0 『墨子』 6

『周禮』24 1 『孟子』 5 『呂氏春秋』 1

『春秋左傳』 7 『荀子』 16 『淮南子』 15

『春秋公羊傳』25 0 『管子』 3 合計 114 詩句・詩篇にはあれほどの關心が向けられていたにもかかわらず、〈詩〉に言及する例とな

ると、一氣にその數を減らしていることは、さきの「【春秋戰國期の主要文獻における詩句・

詩篇の引用數一覽表】」と見比べるだけで一目瞭然である。だが、詩句・詩篇をまったく引 用しない『商君書』には〈詩〉が3例見える。今本『詩經』未收 詩を 1例しか引用しな い『莊子』にあっては、〈詩〉が 8 例用いられていることが確認できる。また、詩句・詩 篇を20例引用する『晏子春秋』には、〈詩〉の用例がひとつも見えない。

このことは、詩句・詩篇という概念と〈詩〉という概念とを區別して考えるべきことを 示唆しているのではないだろうか。たとえば、ここでかりに、『商君書』・『莊子』に詩句・

詩篇の引用例が見えないことを根拠に、『商君書』・『莊子』は詩句・詩篇だけではなく、〈詩〉

に對してまったく關心がなかったとするならば、それは必ずしも正確とはいえない。また、

かりに、『晏子春秋』に〈詩〉の使用例が見出せないことから、詩句・詩篇に對しても關心 がなかったとは言い切れない。すると、『商君書』なら『商君書』なりの、『莊子』なら『莊 子』なりの、『晏子春秋』なら『晏子春秋』なりの詩句・詩篇・〈詩〉に對する關心の示し 方があったと考えるべきなのである。

そこで、次節では、詩句・詩篇の概念と〈詩〉の概念とを區別したうえで、『墨子』を例 にとって考察を試みることとする。

7

(12)

第三節 戰國期の文獻における「詩」の位相

――『墨子』を例に――

中國古代の書物に見える〈詩〉の詩句の引用とは、時代を問わず、普遍的に見られる現 象である。早くは、春秋戰國期から用例が見える。とくに、戰國期のいわゆる「諸子百家」

の書物に〈詩〉が引用されるという例は枚擧に暇がない。諸子による〈詩〉の引用は、ほ ぼ例外なくみずからの主張を正當化するための根據として据えられている。言い方を變え れば、諸子はおのおの獨自の主張を展開し、互いに對立して、「百花齊放、百家爭鳴」と形 容される樣相を呈しながらも、〈詩〉を引用する場合にはみな共通した目的のもとにあった ということになる。

ところが、そのように目的は同じであっても、〈詩〉をどのようにとらえて、どのような 形式で引用するかという問題になると、諸子すべてが同じというわけではなく、獨自の特 を有すると思われるものがある。

本節では、戰國期に孟子をして「楊朱・墨翟の言 天下に盈つ、天下の言、楊に歸せざれ ば則ち墨に歸す(楊朱墨翟之言盈天下、天下之言、不歸楊則歸墨)」(『孟子』滕文公下篇)

といわしめ、儒家と當時の思想界を二分したと傳えられる『墨子』に焦點を當て、そこに 見える〈詩〉の位置付けられ方について考察する。戰國期の文獻資料における詩篇・詩句 の引用状況や〈詩〉の使用例の状況は前節で見たとおりである。まず、これらを踏まえて、

『墨子』における詩句・詩篇の引用がそのほかの文獻との比較した場合、なんらかの傾向 をもつか否かについて概觀する。つぎに、『墨子』において〈詩〉がどのようにとらえられ ているのかを檢討する。そして、『墨子』で〈詩〉が引用される場合には、どのような現れ 方をするのかについて考察を進め、『墨子』における〈詩〉の位相を浮かび上がらせたい。

なお、あらかじめ二つのことがらについて附言しておく。

第一に、『毛詩』ということばは、いわゆる「四家詩」のうちの一家という意味合いをも つことも多い。本節では、「今日の『詩經』」という意味を重視することから、「『毛詩』」と 記す場合を除いて、今本『詩經』や『毛詩』を指すことばとして「今本『詩經』」を用いる。

第二に、本節の目的は、前述のように『墨子』という文獻において、〈詩〉がどのような 形式で引用され、どのようにとらえられているかを考察することにある。よって、『墨子』

に引用されている箇別の〈詩〉の解釋という問題には立ち入らないこととする。

春秋戰國期の「詩」の引用は前節で確認したとおりだが、ここではとくに『墨子』とほ ぼ同時期とされる主な諸子文獻における〈詩〉の引用に焦點を絞って再度詳しく確認して おきたい。なぜなら、『墨子』による〈詩〉の引用が、數量のうえで、また内容の面で、ど

(13)

第一章 古代中國における「詩」への視座

のような位置にあるのかを確認しておくことも不可缺であると考えるからである。また、

本節の目的は、〈詩〉の引用という現象を『墨子』内部に探っていくことにほかならないが、

一方で『墨子』による〈詩〉の引用という現象を諸子などと對照しつつ概觀することは、

『墨子』によるそれを諸文獻のなかで相對的に見ることができるとも考えるためである。

以上のような理由から、さきの「【春秋戰國期の主要文獻における詩句・詩篇の引用數一 覽表】」よりも詳しく「風」・「雅」・「頌」それぞれの内譯も示しておく。

【春秋戰國期の主要諸子文獻における詩句・詩篇の引用數一覽表26

9

『論語』 『晏子春秋』 『孟子 『荀子』 『管子』 『莊子』 『韓非子』 『墨子』 『呂氏春 『淮南子』 『禮記 『春秋左傳』 總計

2 0 0 1 0 0 0 0 1 1 2 3 10 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 13 17 2 0 3 2 0 0 0 0 2 1 5 10 25 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 9 13 2 0 0 1 0 0 0 0 0 0 3 3 9 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 1 0 0 0 2 1 1 10 16 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 3 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 2 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 0 0 0 1 1 6 1 13

0 1 2 1 0 0 0 0 0 0 2 3 9 小計 6 5 7 11 1 0 0 0 6 4 26 57 123

1 5 9 25 0 0 3 2 4 5 27 85 166 1 9 19 32 1 0 0 5 6 11 38 74 196 小計 2 14 28 57 1 0 3 7 10 16 65 159 362

1 0 1 4 0 0 0 1 0 4 12 16 39 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1

0 1 2 4 0 0 0 0 0 0 3 6 16 小計 1 1 3 8 0 0 0 1 0 4 15 23 56

今本

合計 9 20 38 76 2 0 3 8 16 24 106 239 541 今本『詩經』

未收 詩 27

2 0 0 6 1 1 2 3 3 0 2 7 27

(14)

總計 11 20 38 82 3 1 5 11 19 24 108 246 568

引用數の多寡という觀點からいえば、儒家系の文獻と、著作時期がやや遲れる雜家系の 文獻に多い傾向にある。道家にいたっては、『老子』には今本『詩經』の詩句に比定される

〈詩〉は一篇も引かれておらず、『莊子』も 1 例の引用が見えるものの、それは「逸詩」

とされる「今本『詩經』未收 詩」である。

今本『詩經』の「十五國風」160篇・「二雅」111篇(うち「小雅」6首は篇名のみ)・「三 頌」40 篇という割合と、この一覽表からうかがい知れる傾向を比較すると、「國風」から の引用が極端に少ない28。また、今本『詩經』の「風」・「雅」・「頌」という分の觀點から 見れば、全體としてはそれぞれからの引用が見えるものの、「雅」からの引用が「風」・「頌」

からのそれに比べ、壓倒的に多い。「風」・「頌」からの引用は相對的にかなり少ないという 傾向がある。

『墨子』について見ると、詩句・詩篇の引用は計11例確認できる。そのうち、3例は今 本『詩經』のなかの詩に同定されない「今本『詩經』未收詩」である。あとの8例は今 本『詩經』の詩句と一致し、7例が「雅」、1例が「頌」の詩句にそれぞれ比定される。「風」

に收められている詩句と一致するものはない。

以上、前掲の表からは、儒家系の文獻には〈詩〉の引用が多いこと、「雅」からの引用が 多く、「風」・「頌」からの引用が少ないことが全體の傾向としてあげられる。『墨子』につ いては11の引用例があり、そのうちの7例が「雅」の詩句、1例が「頌」の詩句、殘る3 例が「今本『詩經』未收詩」であることが確認できた。

詩句・詩篇の引用状況と關連して、〈詩〉の用例についても確認しておこう。

【春秋戰國期の主要諸子文獻における〈詩〉の用例數一覽表29

文獻名 用例數 文獻名 用例數 文獻名 用例數

『論語』 12 『管子』 3 『呂氏春秋』 1

『晏子春秋』 0 『莊子』 8 『淮南子』 15

『孟子』 5 『商君書』 10 『禮記』 17

『荀子』 16 『韓非子』 2 『春秋左傳』 7

『老子』 0 『墨子』 6 合計 102

これによれば、詩句・詩篇の引用が見えなかった『商君書』や、今本『詩経』未收の詩句 しか見えなかった『莊子』でも、〈詩〉という概念には言及する。このことは、詩句・詩篇 にはとくに關心を示さなかったが、〈詩〉という總体としての概念にはなんらかの意義や必 要性を見出していたものと考えられる。

これらを踏まえ、『墨子』における〈詩〉について具體的に考察を進めていくこととする。

『墨子』公孟篇には、墨子が儒者公孟子の主張に反論するというかたちで〈詩〉につい

(15)

第一章 古代中國における「詩」への視座

ての見方が二箇所に示されている。

公孟子 子墨子に謂いて曰く、「昔者 聖王の列なるや、上聖は立ちて天子と爲り、其の 次は立ちて卿大夫と爲り、今 孔子 詩書に博く、禮樂に察し、萬物に詳かにして、若 し孔子をして聖王に當たらしめば、則ち豈に孔子を以て天子爲らんや」と。子墨子 曰 く、「……(引用者注――中略)……今 子、『孔子 詩書に博く、禮樂に察し、萬物に 詳かなり』と曰いて、而して以て天子 爲るべしと曰うは、是れ人の齒を數えて、而し て以て富と爲すなり」と。

公孟子謂子墨子曰、「昔者聖王之列也、上聖立爲天子、其次立爲卿大夫、今孔子博 於詩書、察於禮樂、詳於萬物、若使孔子當聖王、則豈不以孔子爲天子哉。」子墨子 曰、「…………(引用者注――中略)……今子曰、『孔子博於詩書、察於禮樂、詳 於萬物』、而曰可以爲天子、是數人之齒、而以爲富。」

「詩」や「書」、「禮」や「樂」に詳しく、萬物に精通する孔子は、聖王として天子たる資 格があるとする公孟子のことばに對して、墨子は「今 子『孔子は詩書に博く、禮樂に察か に、萬物に詳かなり』と曰いて、而して以て天子 爲る可しと曰うは、是れ人の齒を數えて 以て富と爲すなり」と反論する30。これは、「詩」・「書」・「禮」・「樂」・「萬物」などに通じ ることを根據として、孔子は天子になることができるとする公孟子に對し、墨子は「詩」・

「書」・「禮」・「樂」・「萬物」に通じることを他人の人數を據り所にみずからが富を有した かのように思い込むようなものとしている。つまり、墨子は「詩」・「書」・「禮」・「樂」・「萬 物」に通じることを天子になるための條件としては認めていない。

つぎに、同じく「公孟篇」に以下のような記事がある。

子墨子 公孟子に謂いて曰く、「喪禮に、君と父母・妻・後子との死には、三年の喪あ り。伯父・叔父・兄弟に服するは期、族人には五月、姑・姉・舅・甥には皆な數月の 喪 有り。或いは喪さざるの閒を以て詩三百を誦し、詩三百を弦し、詩三百を歌い、詩 三百を舞う。若し子の言を用うれば、則ち君子 何れの日ぞ以て治を聽き、庶人 何れ の日ぞ以て事に從わん」と。

子墨子謂公孟子曰、「喪禮、君與父母・妻・後子死、三年喪。服伯父・叔父・兄弟 期、族人五月、姑・姉・舅・甥皆有數月之喪。或以不喪之閒誦詩三百、弦詩三百、

歌詩三百、舞詩三百。若用子之言、則君子何日以聽治、庶人何日以從事。」

これは、墨子の儒者の喪に對する發言である。喪に服すとき、儒者は、君主や父母・妻・

跡繼ぎの場合には三年、伯父・叔父・兄弟の場合には一年、族人の場合には五箇月、姑・

姉・舅・甥の場合には數箇月という。それを聞いた墨子は、「或いは喪さざるの閒を以て詩 三百を誦し、詩三百を弦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う。若し子の言を用うれば、則ち 君子 何れの日ぞ以て治を聽き、庶人 何れの日ぞ以て事に從わん」と批判している。儒者 は非常に長い期閒の喪に服すことを要求し、喪に服していないときは「詩三百」を「誦し」・

11

(16)

「弦し」・「歌い」・「舞う」している。すると、君子や庶民はそれぞれの本分である政務や 農作業などに從事する時閒がなくなってしまうというのである。これは、直接的には儒者 の喪禮に對する墨子の見解である。だが、本來遂行すべき事柄を困難にしているという點 では、「喪」も「詩」もほぼ同列と考えており、實生活を進めていくうえでの妨げになるも のとして〈詩〉も否定の對象に含まれていると考えられる。

このように、『墨子』では二度にわたって詩が肯定的にはとらえられていない。〈詩〉が ほとんど批判の對象となっていることは、ここで用いられている「詩三百」ということば からもうかがい知ることができる。

この「詩三百」とは改めて述べるまでもなく、『論語』爲政篇に、

子 曰く、「詩三百、一言 以て之を蔽う、曰く、『思い邪 無し』」と。

子曰、「詩三百、一言以蔽之、曰、『思無邪』。」

とあったり、「子路篇」に、

子 曰く、「詩三百を誦し、之を授くるに政を以てして、達せず。四方に使いして、專ひと り對うること能わざれば、多しと雖も、亦た奚を以て爲さん」と。

子曰、「誦詩三百、授之以政、不達。使於四方、不能專對、雖多、亦奚以爲。」

とあったりするものである。

「詩三百」は、後世では『詩經』を指す代名詞としてよく用いられるが、『墨子』とほぼ 同時期とされる文獻にはあまり頻繁に見えることばではない。筆者の調査する限り、さき にあげた『論語』爲政篇と子路篇に各1例、および『禮記』禮器篇に、

孔子 曰く、「詩三百を誦し、以て一獻に足らず。一獻の禮は、以て大饗に足らず。大 饗の禮、以て大旅に足らず。大旅 具わり、以て饗帝に足らず」と、禮を議するを輕ん ずること毋かれ。

孔子曰、「誦詩三百、不足以一獻。一獻之禮、不足以大饗。大饗之禮、不足以大旅。

大旅具矣、不足以饗帝」、毋輕議禮。

と見える1例を含めて計3例のみである31。『論語』・『禮記』はともに儒家系に屬する文獻 である。『禮記』にいたっては、その成立が儒家の傾向が強くなる漢代の成立も疑われる文 獻である。すると、『墨子』公孟篇に記される「詩三百」とは、純粹な〈詩〉を指すのでは なく、儒家的な意味合いが賦與された〈詩〉を意味していると考えられる。すなわち、公 孟篇のこの記事は、直接には儒家のあまりにも長期閒にわたる喪を批判しながらも、同時 に、儒家の〈詩〉の代名詞といってもよい「詩三百」ということばを使って、〈詩〉を否定 しているのである。

また、ここで墨子が述べていることがらには、墨家の主要な考え方である「十論」のう

(17)

第一章 古代中國における「詩」への視座

ち、「節葬」・「非樂」の主張が反映されているのは明らかである。あまりにも長期閒にわた る喪に反對することには「節葬」の考え方が表れている。「詩三百」を「誦し」・「弦し」・「歌 い」・「舞う」ことに對する否定的な態度の表明は「非樂」の考え方に通底する。

『墨子』に見える〈詩〉について考える場合には、とくに後者の「非樂」との關わりを 檢討しておく必要がある。なぜなら、古代において〈詩〉は本來的には音樂にあわせて歌 われ、舞われたと考えられるからである。また、「公孟篇」に記された「詩三百を誦し、詩 三百を弦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う」という記述が音樂との強い關わりを示してい ることはいうまでもなく、『墨子』においては、「詩三百」に音樂という要素が伴うとはっ きり述べられているためである。

「非樂」は、それ以外の「十論」と同樣に、本來「上」・「中」・「下」の三篇があったは ずだが、そのうちの「中」・「下」はすでに失われており、現存するのは、「非樂上篇」のみ となっている。「非樂上篇」では、さまざまな實例を引きながら「非樂」の主張が展開され るが、その根本にある考え方はつぎの一文に集約される。

身は其の安きを知り、口は其の甘きを知り、目は其の美しきを知り、耳は其の樂しき を知ると雖も、然れども上は之を考えて聖王の事に中らず、下は之を度りて萬民の利 に中らず。是の故に子墨子 曰く、「樂を爲すは非なり」と。

雖身知其安也、口知其甘也、目知其美也、耳知其樂也、然上考之不中聖王之事、

下度之不中萬民之利。是故子墨子曰、「爲樂非也。」

「樂」とは、①身體、②口、③目、④耳、それぞれにとって心地よいものとされている。

これは「樂」の特質を簡潔に説明しているだけでなく、その形態をも示唆している。つま り、①は舞うこと、②は歌うこと、③は見ること、④は聞くことである。これらを兼ね備 えたものが『墨子』でとらえられている「樂」なのである。その「樂」を否定する根據が

「聖王の事」と「萬民の利」にそぐわないということである。

このうち、①と②は「公孟篇」で述べられた「詩三百」を「誦」すること、「歌」うこと、

「舞」うことと一致する。要するに、「樂」を否定することは、「樂」と表裏一體をなす〈詩〉

についても、「聖王の事」と「萬民の利」に合致しないことを根據に、〈詩〉に對しても否 定の立場をとるということなのである。

『墨子』において、〈詩〉がどのように評價されていたかを檢討した。これによって、『墨 子』においては、「非樂」という主張に基づき、〈詩〉を否定すると同時に、儒家特有の「詩 三百」に對してはとりわけその態度を硬化させているということが見て取れる。

『墨子』は〈詩〉を否定する。とりわけ、「詩三百」ということばを通して儒家への非難 を強めている。

しかし、第二節の「【春秋戰國期の主要文獻における詩句・詩篇の引用數一覽表】」、およ 13

(18)

び「【春秋戰國期の主要諸子文獻における〈詩〉の用例數一覽表】」で示したように、『墨子』

に〈詩〉が引用されているのは事實である。一方では〈詩〉を否定し、一方では〈詩〉を 自己の主張の根據に据えようとする。これは一種の自己矛盾ではないだろうか。

從來、この點についてはあまり注意が拂われてこなかったようである。『墨子』による『詩 經』の引用をとくに論じた研究としては、羅根澤「由『墨子』引經推測儒墨兩家與經書之 關係」と境武男「墨子詩説」とがある32

前者は、『墨子』に引用される『詩經』と『尚書』が、儒家系の文獻である今本の『詩經』

や『尚書』とどのように異なるかを論じている。『墨子』に見える『詩經』については、第 一に、秦の焚書の影響を受けていないものであり、そのために今本と大きく異なっている とする。第二に、儒家系統の傳承とは異なるものであったとする。

後者は、『墨子』による『詩經』の引用の特を主に二つの面に見る。第一に、「先王の 書」からの引用であること、第二に、箇別の詩歌の解釋史という觀點から見れば、その解 釋は最古のものであるとすること、である。そして、こうした二つの特は、『墨子』に引 用される『詩經』のテキストが儒家系統のものではなく、墨家獨自のテキストによったた めであると結論している。

兩者は、『詩經』の受容史あるいは解釋史といった觀點から、『墨子』に見える〈詩〉に 論及しているという點、そして、その箇別の詩歌に對する解釋や傳承、あるいはテキスト も儒家系とは異なるという點でもほぼ一致する。

ただ、後者では「これらの諸篇における詩句は、これを『先王の書』から引用したとす るものであり、おそらく孔子の名によって整理されたところの、儒家たちのものとは、別 のテキストからであったと思われる」と述べ、「先王の書」というものに注目はしている。

しかし、兩者とも『墨子』に見える〈詩〉に言及はしていても、それはいわば『詩經』

に收されている詩歌の受容史あるいは解釋史といった觀點からの考察であって、『墨子』

においては〈詩〉がどのような態度で受け入れられているかという點については、十分な 言及がなされていない。

そのため、『墨子』においては〈詩〉を否定しつつ、〈詩〉を主張の根據として据えると いう矛盾するような態度が存在することへの言及は當然ない。この問題を檢討するにあた って、まず『墨子』に引かれた11例の〈詩〉を確認しておこう。『墨子』の篇次に從って その例をあげ、それぞれに對應する今本『詩經』の詩篇を附し、『墨子』に引用された詩句 の、今本『詩經』の該當句には下線を附す33

(A)詩に曰く、「必ず堪ひたす所を擇び、必ず堪す所を謹しむ」者は、此の謂いなり。(所 染篇)

詩曰、「必擇所堪、必謹所堪者」、此之謂也。→今本『詩經』未收

(B)詩に曰く、「女に憂卹を告げん、女に予爵を誨おしえん、孰か能く熱を執りて、用て 濯わざるもの鮮し」と。(尚賢中篇)

詩曰、「告女憂卹、誨女予爵、孰能執熱、鮮不用濯。」

[大雅・蕩之什・桑柔]第五章第三句~第六句

(19)

第一章 古代中國における「詩」への視座

菀たる彼の桑柔、其の下の侯れ旬し。捋り采りて其れ劉たり、此の下民を瘼ま しむ。心の憂いを殄たず、倉兄として塡ましむ。倬たる彼の昊天、寧んぞ我を 矜れまざるや。

菀彼桑柔、其下侯旬。捋采其劉、瘼此下民。不殄心憂、倉兄塡兮。倬彼昊 天、寧不我矜。

四牡騤騤たり、旟旐翩たる有り。亂 生じ夷ならず、國として泯されざる靡し。

民 黎しき有る靡し、具に禍し以て燼す。於乎哀しき有り。國歩の斯に頻なり。

四牡騤騤、旟旐有翩。亂生不夷、靡國不泯。民靡有黎、具禍以燼。於乎有 哀。國歩斯頻。

國歩 資を蔑んず、天 我を將わず。止り疑るる所 靡し、云に徂きて何くに往か ん。君子 實に維れ、心を秉る競 無し。誰か厲階を生ず、今に至りて梗と爲す。

國歩蔑資、天不我將。靡所止疑、云徂何往。君子實維、秉心無競。誰生厲 階、至今爲梗。

憂心慇慇、我が土宇を念う。我が生辰ならず、天の僤怒に逢う。西 自り東に徂 き、定處する所 靡し。多し我が諂に覯う、孔だ棘なり我が圉。

憂心慇慇、念我土宇。我生不辰、逢天僤怒。自西徂東、靡所定處。多我覯 諂、孔棘我圉。

謀を爲し毖を爲す、亂況 斯ち削らる。爾に憂恤を告げ、爾に序爵を誨う。誰か 能く熱を執りて、逝るに濯を以てせざらん。其れ何ぞ能く淑せん、載ち胥及に 溺れん。

爲謀爲毖、亂況斯削。告爾憂恤、誨爾序爵。誰能執熱、逝不以濯。其何能 淑、載胥及溺。

彼の風に逆うが如し、亦た孔だ之れ僾ず。民 肅心 有り、云に逮ばざらしむ。

是の稼穡を好みし、力民 代りて食む。稼穡を維れ寶、代食 維れ好し。

如彼溯風、亦孔之僾。民有肅心、荓云不逮。好是稼穡、力民代食。稼穡維 寶、代食維好。

天は喪亂を降し、我が立王を滅ぼす。此の蟊賊を降し、稼穡 卒く痒む。哀恫な るかな中國、具に贅し卒く荒れ。旅力、以て穹蒼を念う有る靡し。

天降喪亂、滅我立王。降此蟊賊、稼穡卒痒。哀恫中國、具贅卒荒。靡有旅 力、以念穹蒼。

維れ此の惠君、民の瞻る所。心を秉ること宣猶、其の相を考え愼む。維れ彼の 不順、自ら獨り臧からしむ。自ら肺腸 有りとし、民をして卒く狂せしむ。

維此惠君、民人所瞻。秉心宣猶、考愼其相。維彼不順、自獨俾臧。自有肺 腸、俾民卒狂。

彼の中林を瞻れば、甡甡たる其の鹿。朋友 已に譖す、胥 以に穀からず。人 亦 た言う有り、進退 維れ谷る。

瞻彼中林、甡甡其鹿。朋友已譖、不胥以穀。人亦有言、進退維谷。

維れ此の聖人、百里を瞻言す。維れ彼の愚人、覆りて狂して以て喜ぶ。言う能 15

(20)

わざるに匪ず、胡ぞや斯れ畏れ忌める。

維此聖人、瞻言百里。維彼愚人、覆狂以喜。匪言不能、胡斯畏忌。

維れ此の良人、求めざる迪めず。維れ彼の忍心、是れ顧み是れ復す。民の亂を 貪る、寧んぞ荼毒を爲す。

維此良人、弗求弗迪。維彼忍心、是顧是復。民之貪亂、寧爲荼毒。

大風 隧 有り、空大谷有り。維れ此の良人、作爲するに穀を式う。維れ彼の不 順、征くに中垢を以てす。

大風有隧、有空大谷。維此良人、作爲式穀。維彼不順、征以中垢。

大風 隧 有り、貪人 を敗る。言を聽けば則ち對え、言を誦する醉えるが如し。

其の良を用うるに匪ず、覆りて我をして悖らしむ。

大風有隧、貪人敗。聽言則對、誦言如醉。匪用其良、覆俾我悖。

嗟爾朋友。予豈に而の作すを知らざらんや。彼の飛蟲の如し、時に亦た弋に獲 らる。既に之きて女を陰す、反て予に來て赫す。

嗟爾朋友。予豈不知而作。如彼飛蟲、時亦弋獲。既之陰女、反予來赫。

民の極 罔き、職とし善く背くを涼とす。民の不利を爲す、云に克たざるが如し。

民の回遹、職とし競いて力を用う。

民之罔極、職涼善背。爲民不利、如云不克。民之回遹、職競用力。

民の未だ戻まらず、職とし盜んで寇を爲す。涼に不可と曰えば、覆りて背きて 善く詈る。予に匪ずと曰うと雖も、既に爾の歌を作る。

民之未戻、職盜爲寇。涼曰不可、覆背善詈。雖曰匪予、既作爾歌。

(C)周頌に之を道いて曰く、「聖人の德は、天の高きが若く、地の普きが若く、其れ 天下に昭らかなること有るなり。地の固きが若く、山の承たかきが若く、坼けず崩れ ず。日の光くが若く、月の明らかなるが若く、天地と常さを同じくすなり」と。

(同前34

周頌道之曰、「聖人之德、若天之高、若地之普、其有昭於天下也。若地之固、

若山之承、不坼不崩。若日之光、若月之明、與天地同常。」

→今本『詩經』未收

(D)是を以て先王の書 周頌に之れ之を道いて曰く、「載め來りて彼の王に見ゆ、聿 に厥の章を求めん」と。(尚同中篇)

是以先王之書周頌之道之曰、「載來見彼王、聿求厥章。」

[周頌・臣工之什・載見]第一章

載めを辟王に見ゆ、曰に厥の章を求む。 (載見辟王、曰求厥章。)

龍旂陽陽、和鈴央央。 (龍旂陽陽、和鈴央央。) 鞗革 鶬たる有り、休として烈光 有り。 (鞗革有鶬、休有烈光。) 率いて昭考に見ゆ、以て孝し以て享し。 (率見昭考、以孝以享。) 以て眉壽を介け、永く言れ之を保し。 (以介眉壽、永言保之。) 皇の多祜を思う、烈文なる辟公。 (思皇多祜、烈文辟公。) 綏んずるに多福を以てし、純嘏に緝熙ならしむ。(綏以多福、俾緝熙于純嘏。)

(21)

第一章 古代中國における「詩」への視座

(E)詩に曰く、「我が馬は維れ駱、六轡 沃若たり。載ち馳せ載ち驅けり、周く爰に 咨度す」と。又た曰く、「我が馬は維れ騏、六轡 絲の若し。載ち馳せ載ち驅けり、

周く爰に咨謀す」と。(同前)

詩曰、「我馬維駱、六轡沃若。載馳載驅、周爰咨度。」又曰、「我馬維騏、六轡 若絲。載馳載驅、周爰咨謀。」

[小雅・鹿鳴之什・皇皇者華]第三章~第四章

皇皇たる者華、彼の原隰に于いてす。駪駪たる征夫、懷うと毎も及ぶ靡し。

皇皇者華、于彼原隰。駪駪征夫、毎懷靡及。

我が馬は維れ駒、六轡 濡しが如し。載ち馳せ載ち驅けり、周く爰に咨諏す。

我馬維駒、六轡如濡。載馳載驅、周爰咨諏。

我が馬は維れ騏、六轡 絲の如し。載ち馳せ載ち驅けり、周く爰に咨謀す。

我馬維騏、六轡如絲。載馳載驅、周爰咨謀。

我が馬は維れ駱、六轡 沃若たり。載ち馳せ載ち驅けり、周く爰に咨度す。

我馬維駱、六轡沃若。載馳載驅、周爰咨度。

我が馬は維の駰、六轡 既に均う。載ち馳せ載ち驅けり、周く爰に咨詢す。

我馬維駰、六轡既均。載馳載驅、周爰咨詢。

(F)周詩に曰く、「王道 蕩蕩たり、偏せず黨せず。王道 平平たり、黨せず偏せず。

其の直きこと矢の若く、其の 易たいらかなること 厎といしの若し。君子の履む所、小人の 視る所」と。(兼愛下篇)

周詩曰、「王道蕩蕩、不偏不黨。王道平平、不黨不偏。其直若矢、其易若厎、

君子之所履、小人之所視。」

[小雅・谷風之什・大東]第一章第三句~第六句

饛たる簋飧 有り、捄たる棘匕 有り。周道 砥の如く、其の直きこと矢の如し。君 子の履む所、小人の視る所。睠みて言れ之を顧み、潸として涕を出す。

有饛簋飧、有捄棘匕。周道如砥、其直如矢。君子所履、小人所視。睠言顧 之、潸焉出涕。

小東大東、杼柚 其れ空し。糾糾たる葛屢、以て霜を履むべし。佻佻たる公子、

彼の周行に行う。既して往き既て來り、我が心をして疚ましむ。

小東大東、杼柚其空。糾糾葛屢、可以履霜。佻佻公子、行彼周行。既往既 來、使我心疚。

冽たる氿泉 有り、穫薪を浸す無かれ。契契として寤歎し、我が憚人を哀しむ。

是の穫薪を薪とする、尚くは載せるべきなり。我が憚人を哀しむ、亦た息うべ きなり。

有冽氿泉、無浸穫薪。契契寤歎、哀我憚人。薪是穫薪、尚可載也。哀我憚 人、亦可息也。

東人の子、職とし勞して來せられず。西人の子、粲粲たる衣服、舟人の子、熊 羆 是れ裘す。私人の子、百僚に是れ試う。

東人之子、職勞不來。西人之子、粲粲衣服、舟人之子、熊羆是裘。私人之 17

(22)

子、百僚是試。

或いは其の酒を以てして、其の漿を以てせず。鞙鞙たる佩璲、其の長きを以て せず。維れ天漢 有り、監れば亦た光 有り。跂たる彼の織女、終日 七襄す。

或以其酒、不以其漿。鞙鞙佩璲、不以其長。維天有漢、監亦有光。跂彼織 女、終日七襄。

則ち七襄すと雖も、報章を成さず。睆たる彼の牽牛、服箱に以いられず。東に 啓明 有り、西に長庚 有り。捄たる天畢 有り、載ち之を行に施す。

雖則七襄、不成報章。睆彼牽牛、不以服箱。東有啓明、西有長庚。有捄天 畢、載施之行。

維れ南に箕有り、以て簸揚すべからず。維れ北に斗 有り、以て酒漿を挹むべか らず。維れ南に箕 有り、載ち其の舌を翕す。維れ北に斗 有り、柄を西にして 之を掲ぐ。

維南有箕、不可以簸揚。維北有斗、不可以挹酒漿。維南有箕、載翕其舌。

維北有斗、西柄之掲。

(G)姑く嘗みに之を先王の書する所 大雅の道う所に本原するに曰く、「言として讐 いざる無く、德として報いざる無し。我に投ずるに桃を以てす、之に報ゆるに李 を以てす」と。(同前)

姑嘗本原之先王之所書大雅之所道曰、「無言而不讐、無德而不報。投我以桃、

報之以李。」

[大雅・蕩之什・抑]第六章第五・六句+第八章第七・八句

抑抑たる威儀、維れ德の隅。人 亦た言う有り、哲として愚ならざる靡し。庶人 の愚、亦た職として維れ疾。哲人の愚、亦た維れ斯れ戻。

抑抑威儀、維德之隅。人亦有言、靡哲不愚。庶人之愚、亦職維疾。哲人之 愚、亦維斯戻。

競き無からんや維の人、四方 其れ之を訓とす。覺なる德行 有る、四國 之に順 う。訏謨 命を定む、遠く猶りて辰を告ぐ。威儀を敬愼す、維れ民の則。

無競維人、四方其訓之。有覺德行、四國順之。訏謨定命、遠猶辰告。敬愼 威儀、維民之則。

其の今に在りて、興びて政に迷亂す。厥の德を顚覆し、酒に荒湛す。女 湛樂し 從うと雖も、厥の紹を念わざらんや。敷く先王と、克く明刑を共るものとを求 むる罔きや。

其在于今、興迷亂于政。顚覆厥德、荒湛于酒。女雖湛樂從、弗念厥紹。罔 敷求先王、克共明刑。

肆に皇天 尚ばず、彼の泉流の如く、淪いて胥 以に亡ぶる無かれ。夙に興き夜 に寐ね、廷内を洒掃する、維れ民の章。爾の車馬を脩め、弓矢戎兵、用て戎の 作るを戒め、用て蠻方を逷ざけよ。

肆皇天弗尚、如彼泉流、無淪胥以亡。夙興夜寐、洒掃廷内、維民之章。脩 爾車馬、弓矢戎兵、用戒戎作、用逷蠻方。

(23)

第一章 古代中國における「詩」への視座

爾の人民を質し、爾の侯度を謹み、用て不虞を戒めよ。爾の話を出すを愼み、

爾の威儀を敬しみ、柔嘉ならざる無かれ。白圭の玷くる、尚お磨べし。斯の言 の玷くる、爲すべからざるなり。

質爾人民、謹爾侯度、用戒不虞。愼爾出話、敬爾威儀、無不柔嘉。白圭之 玷、尚可磨也。斯言之玷、不可爲也。

言を易んずる無かれ、苟すと曰う無かれ。朕が舌を捫る莫し、言は逝かしむべ からず。言として讎いざる無く、德として報いざる無し。朋友に惠え、庶民小 子。子孫繩繩、萬民 承けざる靡けん。

無易由言、無曰苟矣。莫捫朕舌、言不可逝矣。無言不讎、無德不報。惠于 朋友、庶民小子。子孫繩繩、萬民靡不承。

爾が君子を友とするを視るに、爾の顔を輯柔す、愆 有るに遐かにざらんや。爾 の室に在るを相るに、尚お屋漏に愧じざれ。無かれ顯ならず、予を云に覯る莫 しと曰う無し。神の格る、度るべからず、矧んや射うべけんや。

視爾友君子、輯柔爾顔、不遐有愆。相在爾室、尚不愧于屋漏。無曰不顯、

莫予云覯。神之格思、不可度思、矧可射思。

爾が德を爲すに辟る、臧からしめ嘉からしむ。淑く爾の止を愼み、儀を愆らず。

僭ならず賊ならず、則 爲らざる鮮し。我に投ずるに桃を以てす、之を報ずるに 李を以てす。彼の童にして角、實に小子を虹る。

辟爾爲德、俾臧俾嘉。淑愼爾止、不愆于儀。不僭不賊、鮮不爲則。投我以 桃、報之以李。彼童而角、實虹小子。

荏染たる柔木、言れ之に絲を緡らしむ。温温たる恭人、維れ德の基。其れ維れ 哲人、之に話言を告ぐれば、德に順い之れ行う。其れ維れ愚人、覆りて我を僭 と謂う。民 各 心 有り。

荏染柔木、言緡之絲。温温恭人、維德之基。其維哲人、告之話言、順德之 行。其維愚人、覆謂我僭。民各有心。

於乎小子。未だ臧否を知らず。手 之を攜くのみに匪ず、言れ之に事を示す。面 之に命ずるのみに匪ず、言れ其の耳に提す。借い未だ知らずと曰うとも、亦た 既に子を抱く。民の盈つる靡き、誰か夙く知りて莫く成る。

於乎小子。未知臧否。匪手攜之、言示之事。匪面命之、言提其耳。借曰未 知、亦既抱子。民之靡盈、誰夙知而莫成。

昊天 孔だ昭、我が生は樂 靡し。爾が夢夢を視る、我心慘慘。爾に誨うる諄諄、

我に聽く藐藐。用て敎と爲すに匪ず、覆りて用て虐と爲す。借い未だ知らず、

亦た聿に既に耄。

昊天孔昭、我生靡樂。視爾夢夢、我心慘慘。誨爾諄諄、聽我藐藐。匪用爲 敎、覆用爲虐。借曰未知、亦聿既耄。

於乎小子、爾に舊を告ぐ。我謀を聽用せば、庶くは大悔 無けん。天方に艱難、

曰に厥國を喪わんとす。譬を取る遠からず、昊天 忒わず。其の德を回遹し、民 をして大いに棘ならしむ。

19

(24)

於乎小子、告爾舊止。聽用我謀、庶無大悔。天方艱難、曰喪厥國。取譬不 遠、昊天不忒。回遹其德、俾民大棘。

(H)詩に曰く、「魚と水と務めずんば、陸 將た何ぞ及ばん」と。(非攻中篇)

詩曰、「魚水不務、陸將何及乎。」→今本『詩經』未收

(I)皇矣に之を道いて曰く、「帝 文王に謂う、予 明德を懷う、聲と色とを大にせず、

夏と革とを長くせず、識らず知らず、帝の則に順う」と。(天志中篇)

皇矣道之曰、「帝謂文王、予懷明德、不大聲以色、不長夏以革、不識不知、順 帝之則。」

[大雅・文王之什・皇矣]第七章第一句~第六句

皇なるかな上帝、下に臨み赫たる有り。四方を監觀し、民の莫を求む。維れ此の 二國、其の政を獲ず。維れ彼の四國、爰に究はかり爰に度る。上帝 之を耆にくみ、其 の廓を式うるを む。乃ち眷として西に顧りみ、此れ維れ與に宅る。

皇矣上帝、臨下有赫。監觀四方、求民之莫。維此二國、其政不獲。維彼四 國、爰究爰度。上帝耆之、 其式廓。乃眷西顧、此維與宅。

之を作り之を屏するは、其れ菑 其れ翳。之を脩め之を平らぐるは、其れ灌 其 れ栵。之を啓き之を辟くは、其れ檉 其れ椐。之を攘い之を剔るは、其れ檿 其 れ柘。帝 明德に遷り、串夷 載ち路なり。天 厥の配を立つ、命を受くる既に固し。

作之屏之、其菑其翳。脩之平之、其灌其栵。啓之辟之、其檉其椐。攘之剔 之、其檿其柘。帝遷明德、串夷載路。天立厥配、受命既固。

帝 其の山を省くし、柞棫 斯に拔け、松柏 斯に兌たり。帝 邦を作し對を作し、

大伯王季 自り。維れ此の王季、因心 則ち友。則ち其の兄に友、則ち其の慶を 篤くし、載ち之に光を錫う。祿を受けて喪う無し、奄いに四方を有つ。

帝省其山、柞棫斯拔、松柏斯兌。帝作邦作對、自大伯王季。維此王季、因 心則友。則友其兄、則篤其慶、載錫之光。受祿無喪、奄有四方。

維れ此の王季、帝 其の心を度す、貊たる其の德音。其の德 克く明らかなり、克 く明らかに克くに、克く長じ克く君たり。此の大邦に王とし、克く順に克く比 す。文王に比して、其の德 悔ゆる靡し。既に帝の祉を受け、孫子に施す。

維此王季、帝度其心、貊其德音。其德克明、克明克、克長克君。王此大邦、

克順克比。比于文王、其德靡悔。既受帝祉、施于孫子。

帝 文王に謂う、然の畔援する無かれ、然の歆羨する無かれ、誕に先ず岸に登らし む。密人 不恭、敢えて大邦の、阮徂共を侵すを距ぐ。王赫として斯に怒り、爰 に其の旅を整え、以て徂の旅を按とどむ、以て周の祜を篤くし、以て天下に對む。

帝謂文王、無然畔援、無然歆羨、誕先登于岸。密人不恭、敢距大邦、侵阮 徂共。王赫斯怒、爰整其旅、以按徂旅、以篤周祜、以對于天下。

其の京に在るに依りて、侵すこと阮疆 自りす、我が高岡に陟るに。我が陵に矢 たる無し、我が陵 我が阿。我が泉に飲む無し、我が泉 我が池。其の鮮原を度 り、岐の陽に居り、渭の將に在り。萬邦の方、下民の王。

依其在京、侵自阮疆、陟我高岡。無矢我陵、我陵我阿。無飲我泉、我泉我

(25)

第一章 古代中國における「詩」への視座

池。度其鮮原、居岐之陽、在渭之將。萬邦之方、下民之王。

帝 文王に謂う、予 明德を懷う、聲と色とを大にせず、夏と革とを長くせず、

識らず知らず、帝の則に順う。帝 文王に謂う、爾の仇方に詢り、爾の兄弟と同 じ。爾の鉤援と、爾の臨衝とを以て、以て崇墉を伐て。

帝謂文王、予懷明德、不大聲以色、不長夏以革、不識不知、順帝之則。帝 謂文王、詢爾仇方、同爾兄弟。以爾鉤援、與爾臨衝、以伐崇墉。

臨衝閑閑、崇墉言言、訊を執ること連連、馘る攸 安安。是れし是れ禡し、是 れ致し是れ附す、四方 以て侮る無し。臨衝茀茀、崇墉仡仡、是れ伐ち是に肆し、

是れ絶ち是に忽す、四方 以て拂る無し。

臨衝閑閑、崇墉言言、執訊連連、攸馘安安。是是禡、是致是附、四方以無 侮。臨衝茀茀、崇墉仡仡、是伐是肆、是絶是忽、四方以無拂。

(J)先王の書 大夏に於いて之れ之を道うこと然り。「帝 文王に謂う、予 明德を懷 う、聲と色とを大にせず、夏と革とを長くせず、識らず知らず、帝の則に順う」

と。(天志下篇)

於先王之書大夏之道之然。「帝謂文王、予懷明德、毋大聲以色、毋長夏以革、

不識不知、順帝之則。」

[大雅・文王之什・皇矣]第七章第一句~第六句

……(引用者注――前掲のため省略)……

帝 文王に謂う、予 明德を懷う、聲と色とを大にせず、夏と革とを長くせず、

識らず知らず、帝の則に順う。帝 文王に謂う、爾の仇方に詢り、爾の兄弟と同 じ。爾の鉤援と、爾の臨衝とを以て、以て崇墉を伐て。

帝謂文王、予懷明德、不大聲以色、不長夏以革、不識不知、順帝之則。帝 謂文王、詢爾仇方、同爾兄弟。以爾鉤援、與爾臨衝、以伐崇墉。

……(引用者注――前掲のため省略)……

(K)周書の大雅に之 有り、大雅に曰く、「文王 上に在り、於ああ 天に昭わる。周 舊邦 と雖も、其の命 維れ新なり。有周の顯ならざらんや、帝命の時ならざらんや。

文王 陟降して、帝の左右に在る。穆穆たる文王、令聞 已まず。」と。(明鬼下篇)

周書大雅有之、大雅曰、「文王在上、於昭于天。周雖舊邦、其命維新。有周不 顯、帝命不時。文王陟降、在帝左右。穆穆文王、令問不已。」

[大雅・文王之什・文王]第一章+第四章第一句+第二章第二句

文王 上に在り、於 天に昭わる。周 舊邦と雖も、其の命 維れ新なり。有周の 顯ならざらんや、帝命の時ならざらんや。文王 陟降して、帝の左右に在る。

文王在上、於昭于天。周雖舊邦、其命維新。有周不顯、帝命不時。文王陟 降、在帝左右。

亹亹たる文王、令聞 已まず。陳き錫いて周を哉はじむ。侯れ文王の孫子。文王の 孫子、本支百世。凡そ周の士、顯ならざらんや亦た世にす。

亹亹文王、令聞不已。陳錫哉周。侯文王孫子。文王孫子、本支百世。凡周 之士、不顯亦世。

21

参照

関連したドキュメント

大学で理科教育を研究していたが「現場で子ども

ACCURACY IMPROVEMENT OF DEEP ARTIFICIAL NEURAL NETWORK RIVER STAGE PREDICTION USING MULTIPOINT OBSERVATION DATA.. 一言正之 1

百四熱望自百年人三 人十百四三圓三分員 分六四百十チニ薫九 二年拾七五二二百百 三度圓十年算テ武入 宛ニチ三度ス納拾十

︵抄 鋒︶ 第二十一巻 第十一號  三八一 第颪三十號 二七.. ︵抄 簸︶ 第二十一巻  第十一號  三八二

この数日前に、K児の母から「最近、家でも参観曰の様子を見ていても、あまり話をし

 大正期の詩壇の一つの特色は,民衆詩派の活 躍にあった。福田正夫・白鳥省吾らの民衆詩派

M…剛曰劉Ⅱ 、=3 2)TBAF 1)Bu3SnH ,鍼:苧 ace トトト 123 mm、 一一一一一一 111 ?99 bdf ●●●●。● nnn コ聿罰

︵原著三三験︶ 第ニや一懸  第九號  三一六