数学の教育課程
李 立 泳
1 まえがき
改革開放政策を主張して以来,とくに1986年以来,中華人民共和国は教育 改革を急速に進めている。この一連の改革にあたって,中華人民共和国の国家 教育委員会は,日本の学習指導要領に相当する教育大綱をひんぱんに改訂して いる。その改訂では内容を改訂するばかりではなく,教育の枠組みも改訂して いる。とくに,1992年の改訂では義務教育という考え方を強調した。実際そ れまでの中学は初等中学と高等中学に分けられていて,数学における教育大綱
も中学をひとっにまとめていたが,1992年には6年間の小学と3年間の初級中 学(1992年に初等中学を初級中学と改称)の教育大綱を「義務教育」という言 葉でくくった。
その結果中華人民共和国と日本の教育の枠組みは同じになった。しかし,教 育大綱と学習指導要領の形式はいくらか異なる。1992年の教育大綱は「試用」
であると明記しているし,初級中学の教育大綱では教育内容の学年指定を行なっ ていない。形式的な面では中華人民共和国の教育大綱は日本の学習指導要領よ
り民主的である。
この論文では教育課程の規定のしかたに関する議論は脇において,ふたっの 国の教育内容を比較する。そして,その類似と相違を明らかにしたい。
国が教育の内容を決めると,その内容は一般には国のおかれた状況と政策の 影響を受ける。国の状況はもちろん国ごとに違うし,国の政策が良いとか悪い
と判断する絶対的な基準は存在しない。したがって,ふたっの国の教育の内容
を比較して,こちらが良くてあちらが悪いとか,どちらも良いとか,どちらも
悪いとは言いにくい。そこには,比較することができるかという問題がまず初 めにあって,次に,比較することに意味があるかという問題がある。しかしそ れは一般論である。国の状況や政策の影響を強くは受けない教科では,異なる 国の教育内容を比較できる可能性はあるだろう。
この論文でとり上げる数学の教育課程も国の政策のいかんの影響を受けるの は確かである。しかし,世界中のどこでだれが教えようと,数学を教えるには まず初めに数にっいて教え,次にたし算を教えるにちがいない。これは極端な 例であるが,数学教育における本質的な部分は数学の体系それ自体の論理的な 整合性を反映して必然的に決まるはずである。しかし,教育課程は人が作るの だから,よく注意していないと間違いがおきる。その結果,数学の体系の整合 性を教育課程の総体に充分反映できないことがある。
一方,教育課程を検討する場合には,それが数学の体系を充分に反映してい るかどうか判断するのは容易な仕事ではない。ところが幸いにも,日本の民間 教育団体である「数学教育協議i会」は,1951年の発足以来,とくに活動の初期 である1960年代まででは,数学教育に数学の体系を反映させるための具体的な 活動を行っている。それは戦後の日本を席巻「生活単元学習」を批判して系統 的な教育課程を構成する運動として機能していた。この団体の会員が著者であ る「わかるさんすう」[11]は,子供のための教材であるが,教育課程の国際 的な比較を行うためにもひとっの基準になる。また,この活動の延長線上には 関沢正 氏の「わかってたのしい算数教室」[8]がある。このシリーズは小学 校で教える教育内容を学年の枠を取り払って具体的に提示しているから,教育 内容の論理的な配列と順序を読み取りやすい。これらの本の内容を念頭におい て,中華人民共和国における小学の数学と日本における小学校の算数の教育課 程を比較検討する。ここでは,おもに教育課程の整合性と包括性を数学という 学問の特性に視点をおいて比較する。
2 教育課程の比較
中華人民共和国の教育大綱は,1992年の「試用」版で「教育内容」を大きく
4っの分野に分けた。それは
数と計算,量と計量,幾何,応用問題 である。これは日本の学習指導要領の「内容」の項目
数と計算,量と測定,図形,数量関係
によく似ている。「応用問題」という項目は教育大綱にはあって,学習指導要 領にはない。子供が学んだ事柄を応用して問題を解くことは当然ながら大切な ことである。この項目を入れた中華人民共和国の今後の成果に期待したい。ま た,中華人民共和国は「幾何」というのに対して,日本は「図形」という。こ れにっいては後に「幾何学」の節で論じる。このように,数学の場合には,中 華人民共和国の小学の教育大綱と日本の小学校の学習指導要領は体裁が似てい
るから対応する項目が比較的簡単にみっかる。
数学という学問は少なくとも2000年におよぶ伝統をもっ学問であるから,多 くの人に分かりやすい合理的な体系をもっている。それは,論理的な整合性と 緻密な構成によって特徴づけられている。このような特徴をもっ数学を教える 体系はこのふたっの特徴をもてば充分であるというわけにはいかない。そのほ かに多くの何かが要る。それはたとえば子供の発達段階からの判断であろう。
しかし,数学の教育課程はこのふたっの特徴を欠くわけにはいない。教育の場 における説明は論理的であればあるほどわかりやすい。そのためにはまず第1 に,それをささえる教育課程の全体が論理的に合理的なものでなくてはならな い。さらに,ある項目の教育を忘れてしまうとか,重要ではない項目を熱心に 教育するように規定する教育課程は望ましくない。そういう意味で,教育課程
の総体は緻密でなくてはならない。
教育課程は人が作ったものだから緻密ではなくなることもありうる,という ことをだれもが容易に想像できるにちがいない。しかし,論理的な学問である 数学の教育課程に論理的な不整合が現れるとは想像しにくいかもしれない。我々 が基準にする論理的なっじっまの内容は以下各項目ごとに説明するが,その基 準からみれば,いくっかの項目では論理的整合性を疑わざるをえないものがあ
るQ
一般に教育の相手である子供の年齢が下がれば下がるほど,教育課程の論理
的な整合性と緻密な構成はいっそう強く要求される。したがって,小学校6年 間の数学の教育課程を考える場合には,6年間に教育する内容の決定とその配 列に格別の注意が要る。
2.1数の概念
小学校における数学教育では,数の概念の形成とその計算のしかたの教育が 決定的に重要である。数の概念をっくるには,現実に存在する「量」に基づく 説明がもっともわかりやすいことはすでによく知られている。また計算のしか たの教育では,もっとも一般的な計算規則を説明して,それがよくわかってか
ら特殊な形の計算のしかたを説明するとわかりやすいことも知られている。こ のふたっの事柄は,1950年代におもに遠山啓が提唱した事柄である。前者は
「量に基づく数学教育」と呼ばれていて,後者は遠山啓が提唱したおりにとり あえずっけた練名である「水道方式」という名で呼ばれている。
「量に基づく数学教育」では,人の集まりのように1単位が誰にも明らかで あるものの集まり…っまり集合…の大きさを表すものが数であると定める。集 まった1っひとつの個性を捨てて,その存在にだけ注目するために,各対象を 標準化して,1っの対象を1っの正方形で表わすというのも遠山啓(1909−197 9)の着想であった。たとえばこの標準化によって
口口口
になる集合の大きさが3である。中国でも日本でもこれを「さん」と読む(よ く知られているように,中国と日本の数の読み方がいつでも同じであるわけで はない)。小学校における数のこの定義は,カントール(G.Cantor,1845−1918)
に始まる集合論における集合の大きさ…っまり集合の濃度…の定義そのもので
ある。これはもっとも数学的な定義がもっともわかりやすいという典型的な例
である。数学は対象をできるだけ単純にしてとらえようとするし,実際にそう
してとらえているのだから,これはおどろくにはあたらない。これにおどろき
を感じる人が多いのであれば,数学は誤解されているに違いない。
ところで,数0はきわめて特殊な対象であることに注意が要る。実際,目の 前に存在する集合の大きさが数であるのだが,0は考えている当の集合が存在
しないという事実を表わしている。たとえば,皿の上にりんごが3っあって,
その1っを食べてしまうと皿の上のりんごの数は2になる。いくらか不自然な 言い方にはなるが,これを集合の言葉に直訳すれば,「私たちはいま皿の上の
りんごの集合を考えていて,その大きさは2である」ということになる。ここ でもう1っのりんごを食べると,当の集合の大きさは1になり,そしてもう1 っ食べると,皿の上にはりんごは存在しなくなる。このとき私たちは「いま考 えているりんごの集合がない」という代わりに「その集合の大きさは0である」
という。
この言い方は,たとえば英語での There is nothing に相当するが,中国 語にも日本語にもそのような言い方がない。数0が特殊な対象であることは,
位取り記数法にも現われる。たとえば,007では,映画の題名のように記号と してっかうときを除いては,先頭の0を消して7とする。もしもこの規則がな ければ先頭にいくっ0をっけても充分ではなくなってしまい,いっまでたって
もひとっの数さえ書けなくなる。したがって,たとえばひき算130−123=では
130 − 123 007
と計算するが,ふっうは007を答えとしない。答えを得るには,先頭の0を消 すというもうひとっの手続きが要る(なお小数では,整数の場合と相対的に末 尾の0を省略する)。これらの事柄だけからも推し量れるように,数の概念を っくり,計算のしかたを教えるときには,0に注意をかたむけるのが決定的な 決め手である。数を正方形のタイルで表わせば,もっとも素朴な段階には,図
1に示すように0から9までの系列ができる。
[ 口 ■
口■■口 ■口口
図1
[口■
口口 口
■[口■
ここで数の概念の合理的な構成に忠実であろうとするならば,子どもに教え る最初の数の系列は
1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10
であるべきではなくて
0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9
でなくてはならない。これは,教える順序をも考慮すれば,
3, 2, 1, 0, 4, 5, 6, 7, 8, 9
であろう。数の十進記数法の基礎は,9個のタイルに1個のタイルを追加した
ときに,これを1本にすることであるが,ここではこれを10と表わすところに
までふみこむべきではない。タイルの仕切を消して1本のタイルを作るところ
にとどめるべきである。一位数を教えるときには,最初に教える数が0ではな
いのと同じように,最初に教える二位数は10ではなくて,より一般的な12や13
であるべきである。そうすれば子どもは十進記数法をよく理解できるにちがい
ない。遠山啓は「一般から特殊へ」という原則が小学校の教育の一つの原則で あると説くが,それはここにも適用できる。
中華人民共和国の教育大綱は位取り記数法の指導を採り入れているし,日本 の学習指導要領にも十進位取り記数法の指導に関する記述がある。しかし,そ れぞれにそこで0の特殊性に関する記述がない。中華人民共和国の教育大綱は 第3学年の乗法の計算規則の説明の段階から0という数の特殊性に注目してい る。この方針を第1学年の加法と減法の教育の場合から採用すれば,全体系の 統一ができてよりわかりやすい教育を実現できるであろう。
私たちは十進記数法にしたがって数をとらえる。したがって,合理的でっか いやすいこの方法にしたがって数の概念を構成するのが理にかなっている。し かし,中華人民共和国の1986年までの教育大綱は整十数,っまり20,30,40とい
うように第一位が0である数の加法や減法の指導を強く押し進めようとしてい た。1992年の「九年義務教育全日制小学数学教育大綱」はその方針を捨てて,
十進記数法にしたがう計算体系を積極的に採り入れたが,第1学年の「教育要 求」では整十数の加減法の指導も要求している。しかも,それらを暗算ででき
るようにすることも要求している。ところがここでは同時に,十進記数法によ る加減法の指導も行なうとしている。これは統一がとれたわかりやすい方針で あるとはいいにくいQ
一方,第2学年以後にはそのようには指示していなくて,縦式の計算っまり 筆算を指導すると明示している。計算体系を十進記数法にしたがう計算に統一
しているのであるから,この方針を第1学年の教育から適用するのが望ましい。
はじめにも述べたように,小学校の子どもへの数学の教育は合理的で統一のと れたものであることがとくに要求される。そうすることによって内容は理解し やすくなるはずである。
加法と減法の計算のしかたをみにっけるには,いくらかの暗算ができるのが 望ましいが,筆算はあらゆる計算を一位数と一位数の計算に還元して行なうの であるから,筆算に徹すれば,一位数と一位数の暗算ができれば充分である。
整十数の加法や減法は暗算でできなくてもかまわない。しかも,筆算による計
算のしかたがみにっけば,もちろん,整十数の計算は(結果的には)暗算でで
きるようになる。
2.2 乗法と除法
いくっかの箱にキャラメルが入っていて,キャラメルの総数を求めるときには,
それぞれの箱に入っているキャラメルの数が同じではなければ,すべての箱を 開けてそれぞれの箱のキャラメルの数を知り,それらを加えて総数をみっける。
ところがどの箱ににも同じ数のキャラメルが入6ているときには,ひとっの箱 を開けてそれに入っているキャラメルの数を知り,しかも箱の個数を知れば,
すべての箱を開けてみなくても,キャラメルの総数がわかる。ここではすべて の箱を開けなくても総数がわかるという概念が大切である。このとき,っまり
1あたりの数が一定であるとき総数を求める計算がかけ算である。たとえば,
どの箱にもキャラメルが2個入っていて,箱の数が3であれば,総数を求める
ことを
2個/箱× 3箱一
と表わす。この計算の答えを求めるには,かけ算九九をみにつけるまでは,た し算をっかうとか,全部を数えてみることになる。しかし,私たちはここでは,
計算のしかたではなくてかけ算という演算の定義に注目している。
このように,かけ算は1あたりの数が一定であるときに総数を求めることであ り,それはこれまでの加法とは異なる新しい演算である。実際,たし算
2個+3個+1個=6個
では,左辺を計算して右辺を作るときに,左辺の単位個 がそのまま右辺に現 われる。っまり加法は単位を変えない演算である。しかし,かけ算は単位を変 える。たとえば
2個/箱× 3箱=6個
でも,左辺から右辺へと単位は変化する。このように,かけ算は2っの量から 新しい量をっくる。しかもかけ算では単位は左辺と右辺で釣り合っている。た
とえば,上の例では単位だけをとりだしてみると
個/箱×箱=個
となって,左辺の 箱 という2つの単位が打ち消しあって,左辺と右辺で釣り 合っている。かけ算の概念をつくるときにはこの事実も大切である。
この方針にしたがって教えるときには,新しい演算を考えるという事柄とそ の新しい演算の意味をとらえるのにふさわしい年齢がある。これは小学校の2 年生に教えるのはむつかしい。第3学年の小学生に教えるのが適切であろう。
実際,日本の教職員組合が主催する教育研究集会の数学の分科会では,小学校 2年生にかけ算を教えるときに,かけ算という演算の意味を教えるために多く の労力を注ぎ込んだという報告がいくつもある。たとえば〔51〕一方,かけ算 九九の暗記のような機械的な暗記をするには小学校2年生に時期がふさわしい
といわれている。これらの事情を総合して判断すれば,かけ算の指導は小学校 第3学年の早い時期におくのが望ましいであろう。日本の国民教育文化総合研 究所の理論フォーラム〔4〕もこれと同じ主張を行なっている。
2.3 小数と分数
小学校における数学の教育では,まず初めに数の概念を構成して加法と減法 を教える。これに続く大きな山は前の節で議論したかけ算である。それをこえ
ると小数と分数の教育が待っている。
人やりんごのように,だれにも1単位が明確で,ひとっふたっと数えるられ
る量を分離量という。一方,水のよういくらでも細分できるし,合併すればひ
とっながりになるものでは1単位が自然発生的には決まらない。そのような量
を連続量という。このような特性をもっ量は単位を設定して測るが,それは設
定した単位でぴったり測り切れるとは限らない。ぴったりとは測り切れないと
きには,端を測ることになるが,その測り方には2つの方法がある。その一方
からは小数が現われもうひとっの方法から分数が現われる。
まずはじめに,設定した単位を細分した小単位が与えられていれば,端をそ の小単位で測ればよい。その小単位でもぴったりとは測り切れなくて,第2の 端がでれば小単位をさらに細分してある第2の小単位で測る。たとえば,液体 の量を測るときに1(リットル)という単位があって,それを10等分したdl
(デシリットル)とdlをさらに10等分したcl(センチリットル)があるとしよ う。与えられた水のかさがリットルマスで測って3杯少としであれば,その少 しの端をデシリットルマスで測る,このとき2杯といくらかのあまりができれ ば,センチリットルのマスで測る。そうしたら4杯ちょうどになって,測り切 れれば,もとの水のかさは3.241であるという。
図2
設定した単位を細分した小単位がないときには,あまった端でもとの単位を 測ってみる。たとえば,もとの1単位11が端3っ分であれば,端は1/31であ るという。このように,端でもとの単位が測り切れるときには分子が1である 真分数が現われる。端で単位を測ったときに測り切れなければ,第2の端では
じめの端を測る。いくらか複雑なこの手続きをここでは詳しく説明するのをさ
けるが,互除法とよばれるこの方法では測り切れたときに分母が決まる。そし
て最終的には,たとえば2/31は1/31という量の2っ分であることがわかる。
1
図3
小数と分数のどちらも,単位を決めて連続量を測るときに端の処理から現わ れるが,以上でかいっまんで説明したように,その現われ方は決定的に異なる。
しかも,計算のしかたも決定的に異なる。実際,小数は十進記数法にしたがう 数であるから,その計算はもちろん位取り記数法による計算体系にしたがう。
したがって,小数では加法と減法の計算規則が単純で,乗法と除法のそれが複 雑である。ところがよく知られているように,分数の計算規則は,位取り記数 法による計算体系とは決定的に異なる。とくに加法と減法の計算規則は単純で はない。分数はもともと乗法と除法には相性がよい。分数の乗法と除法の計算 規則は単純である。
このように異なる性質をもっ小数と分数を同時に教えるということはもとも と無理な注文であるが,日本の学習指導要領は小数の教育と分数の教育を同時 に進行させるとしている。一方,中華人民共和国の教育大綱はかってそのよう に規定したこともないし,1992年の教育大綱もその方針をっらぬいている。中 華人民共和国の教育大綱は小学5年までに小数の教育を完成させて,その第5 学年に分数の教育を始めるとしている。ただし,1992年の教育大綱は第3学年
に分数の概念と同分母分数の加減法だけを教育するという興味深いくふうを加 えた。小数の教育と分数の教育を切り離せば,概念がとらえやすく加減法の計 算規則が単純である小数を先に教えるのは自然な選択である。ところがこの方 法を採れば,分数が現われるのがたしかに遅くなりすぎる。この不都合に対す
る興味深い対策である。
2.4 単位系
上の節で説明したように,連続量は単位を設定して測る。小学校ではその単 位についても教える。中華人民共和国の教育大綱の場合には,1986年まではお もに中国古来の単位系を教えようとしていて,国際単位系も教えていた。しか し1992年の教育大綱は古来の単位系を捨てて国際単位系に統一した。日本の場 合には1958年以来国際単位系にしたがっている。
フランス革命のさなかにっくられたメートル法をもとにする国際単位系は,
いくっもの合理的な特徴をそなえているが,とくに,ひとっの量にはひとっの 単位だけを与え,十進法に基づく接頭語をっけて大きな単位と小さな単位をっ くるという特徴が際だっている。たとえば,長さの単位はm(メートル)で あり,これより大きな単位は順にdam(デカメートル), hm(ヘクトメート ル),km(キロメートル)などであり,小さい方は順にdm(デシメートル),
cm(センチメートル), mm(ミリメートル)などである。体積を測る単位は,
長さの単位を組み立ててm3などとするが,水などのかさを測る単位1(リッ トル)は国際単位系では使ってもよい単位であるとしている。この単位は日常 よく使われるから,小学校の教育の対象になる。これらの単位メートルとリッ
トルは次の表のように整理できる。
k h da d
C mkm hm dam
mdm
cm mmk1 hl
daI 1 dl
cIml
これらのうちにはhm(ヘクトメートル)のようになじみがないものもあ
るが,接頭語ヘクトは面積の単位ha(ヘクタール)や気圧の単位hPa(ヘク
トパスカル)に現われている。これらの単位のうち国際単位系の基本単位のひ
とっであるmの系列の教え方を表にしてみよう(次の表では,基本単位mのと
ころを除いて, ・ はすでに教えていることを表わし,空欄は教えていない
ことを表わす)。中華人民共和国の教育大綱の場合には初めに
d C
m
dm cm
を教えて,次に
k h da d
C mkm
m ● ● mmを教える。日本の学習指導要領の場合には,初めに
d
C mm
cm
mmを教えて,次に
k
hda d
C mkm
m ● ●を教える。
この表からわかるように,教育大綱と学習指導要領のどちらもhmとdamを 教えていない。このどちらも日常的に使われていないから,これは妥当な選択
であろう。ところが教育大綱の場合にはまず初めにm,dm, cmを教えて,そ の後に大きなkmと小さなmmへと単位を拡大する。学習指導要領の場合には 初めにmより小さい単位をmmまで教えた後に大きな単位kmを導入するが, d mは教えない。そのために単位系の十進構造はわかりにくい。日本の学習指導 要領のちぐはぐさは,長さの単位とかさの単位の教え方と較べるともっとはっ
きりしてくる。それを次の表にまとめてみよう。
k h da d
C mkm
mcm
mm1 dl
ml
ここでもh1とda1はいらないにちがいないが,デシの部分とセンチの部分がち ぐはぐであるのが大きな特徴である。なお,klにっいては「内容の取扱い」の 項で「簡単に取り扱うものとする」としている。一方,中華人民共和国の教育 大綱の場合は
k h da d
C mkm
mdm cm
mmkI
5 ml
となる。かさの単位ではdlとc1は日常的に使われているし,これを追加すれば 単位系の構造がわかりやすくなるから,追加するべきである。
2.5比例
ふたっの量xとyを考えていて,その一方,たとえばxが2倍,3倍,・…に なれば他方のxも2倍,3倍,・…になるときに,後者の量yは前者の量xに比 例する(より正確にいえば,正比例)するという。この場合にはある一定の量 aがみっかって
y=a×X
と表わされる。このときの一定の量aはyをxでわって,a=y/xと求めら
れる。
たとえば金属では体積が2倍,3倍,・…になれば,重さも2倍,3倍,…・
になるから,どの金属でも重さは体積に比例する。したがって,ある金属の体
積をxとして,重さをyとすればy=a×xと表わされるのだが,ここに現れ るaは金属の場合には密度と呼ばれていて,各金属ごとに異なる値になり,ひ とっの金属では一定である。鉄の場合には体積が50cm3であれば重さは395gだ から,密度は
a=395g/50cm3=7.9g/cm3
となる。したがって,鉄の体積をxとして重さをyとすれば,
y=7.99/cm3×x
が成り立つ。銅の場合には,密度は8.9g/cm3であり,
y=8.99/cm3×x
となる。一般に日常生活において,「銅は鉄より重い」というのは銅の密度が 鉄の密度より大きいという事柄をさしている。このように正比例を記述する一 定の量aは物の特性を反映している。
ところで,y=a×xにおいてxを1単位とすればyの値はaの値に一致する。
たとえば,鉄の場合にはx=1cm3とすれば
y=7.9g/cm3×1cm3=7.9g
である。ここで,単位を無視して数値だけを考えれば,yの値7.9はaの値7.9 に一致する。したがって,正比例を特徴づける一定の量aは,その単位がわかっ ていれば,このようにして求めることができる。たとえば,鉄の場合には1c m3の重さが7.9cm3であることがわかれば,鉄の体積xに対する重さyは
y=7.99/cm3×x
であることがわかる。日常生活において,「銅は鉄より重い」というときには
「単位体積あたりの重さでは銅は鉄より重い」と解釈することもできる。
いずれにしても,正比例をとらえる鍵は,一定の量aをとらえるところにあ る。これは量ではなくて,単に数を考える場合には比例定数と呼ばれている。
日本の学習指導要領は第6学年で比例を教えるとしていて,比例の意味を理 解させるとしていながら,比例定数にっいて何もふれていない。なおそこでは,
二っの量の変化にっいては,一方が変われば他方も変わるという視点を定める のではなくて,「伴って変わる二っの数量」という視点を定めている。ここま でに説明した金属の体積と重さの場合には,体積を変えれば重さが変わるし,
重さを変えるなら体積が変わるから,体積と重さはともなって変わるといえな くもない。しかし,正比例を扱う場合には,そのようにとらえるのは望ましく ない。よく知られているように,平面上の円の方程式は,たとえば
x2十y2=1
であるが,これをみたすxとyはどちらが先に決まるのかわからなくて,一方 が決まれば他方が決まる。っまりxとyはともなって変わる。しかし,正比例 を考えているときには,明らかに一方から他方が決まるという因果関係がある。
その因果関係が大切である。正比例はもっとも典型的な関数の例であるという 側面をもっているが,「伴って変わる」というように因果関係から注意をそら
してしまうと,関数であるという側面をとらえにくくする。ここでは,一方が 変わればその変化に応じて他方が変わるというとらえ方をして,後の学習の基 礎をっくるのが望まれる。
たとえば,自動車の場合には,燃料が2倍,3倍,…・になれば,理想化し た状態では,走行距離(道のり)も2倍,3倍,・…になる。この場合には燃 料の変化に対して,走る道のりが変化する。そこから自動車の燃料消費効率,
っまり燃費という概念が現れて,これが自動車の性能を表わす。なお,ある特
定の道のりを走るためにはどれだけの燃料が要るか考えるという場合には,道
のりから燃料が決まる。しかしここでも,燃料の量と走る道のりは一方を決め
ると他方が決まるという因果関係がある。
正比例という概念は非常に単純な形で記述されているから,豊かな内容をもっ ている。したがって,これを教えるには,本格的に腰を入れた取り組み方が要 求される。正比例の概念は小学校の数学のもっとも重要な到達目標にするのが
にっかわしい。これは同時に本格的な数学の出発点に位置をしめてもいる。
比例の指導にっいては,日本の学習指導要領の規定のしかたは第6学年の
「数量関係」の重要な項目にしていることから読み取れる。ところが一方,中 華人民共和国の教育大綱の場合には,比例に関する規定はただの1行にすぎな
い。しかも,その1行では反比例にっいてもふれている。
反比例という概念は一方が2倍,3倍,・…になれば,他方が1/2,1/3,・…
になるという概念である。しかしこれは強い正義感が発達する時期の小学生に はとらえにくい。一方が増えるときに他方が減るという変化を,小学生は受け 入れにくいらしい。中華人民共和国の教育大綱と日本の学習指導要領のどちら も,小学6年生に反比例を教えることにしているが,この概念を理解できる小 学生は多くないだろう。
2.6幾何学
クライン(F.Klein,1849−1925)の「エルランゲンプログラム」によれば・
変換群のもとで不変な概念の総体が幾何学である。たとえば,ピタゴラスの定 理で知られる方法で2点問の距離を定めるとき,それをユークリッドの距離と
いうが,この方法で定めた距離を保存する変換により不変な概念の総体がユー クリッド幾何学である。一般に距離を保存する変換を等長変換というが,これ は平面上の場合には並進と1点のまわりの回転と線対称(の合成)であること が知られている。また,平面上の等長変換はいくっかの線対称を合成してっく
られることも知られている。
ところで,初めにも述べたように,中華人民共和国の小学の数学教育大綱は,
1992年に体裁を変更して,分野への分割が日本の学習指導要領における小学校
の算数の場合と同じになった。しかし,おおまかにいえば確かに同じにはなっ
たのだが,詳しくみると違いがある。幾何学に関する分野では,中華人民共和
国の教育大綱が幾何というのに対して,日本の学習指導要領は図形という。私 たちはここに教育課程をっくった人びとの幾何学に対するそれぞれの考え方を 読み取る。図形は幾何学の一部分ではあるが,すべてではない。日本の学習要 領の規定では,幾何学の一部分だけに目を向けるおそれがありうる。
たとえば,日本の学習指導要領では,小学校の第6学年に線対称と点対称が でてくるが,それは「平面図形にっいての理解を一層深ある」ために出てきて いる。これは,図形の線対称性と点対称性と理解するのがふっうであろう。実 際 日本の教科書はそのように理解している。
対称変換で図形を写すという視点から議論すれば,たとえば線対称の場合に は,初めに対称軸が与えらるから,対応する2点を結ぶ線分は対称軸で莚直に
2等分されるという性質を学ぶというふうに,図形が与えられたときにそれら が対称であるかどうか判定する基準をまず初めに学ぶことになる。これに対し て,対称変換を扱わずに対称な図形を扱うときには,対称軸を探し出すという 方向に偏りやすいであろう。この場合には判定基準がないから,直感的には,
試行錯誤で対称軸をみっけることになるだろう。
対称変換で図形を写すときには,写った図形が初めの図形に重なるという特 殊な場合があて,その場合には初めの図形そのものが自己に対称であるという
ことになる。一般から特殊へという原則をここにも適用するのが望ましいであ
ろう。
図4
中華人民共和国の教育大綱では,小学には対称性を扱う規定がない。初級中
学の子どもたちに対称変換から対称図形へいたる教育を行うと規定している。
2.7その他の問題
中華人民共和国の教育大綱は,早くから未知数を表わす文字を導入している。
実際第4学年に未知数を表わすxを導入する。しかも,第5学年ではax+b ==
cやax+bx−cという型の方程式を解かせようとしている。一方日本の学習 指導要領は,第4学年で量を口や△で表わすことにして,第5学年でよう
やくそれらをaやxで表わす。しかし文字を未知数として扱うところにまでは 踏み込んでいない。中華人民共和国が未知数としての文字の導入を急ぐ理由は 理解できない。
3 あとがき
本論文においては,中華人民共和国と日本の算数教育内容の一部分である学 習指導要領を中心に比較している。一方,教科書の詳しい内容や実際の教室の 中で起ったこと,そして,両国の数学教育の特徴および中華人民共和国の数学 教育の改善策などの重要な側面にっいても,深く研究する必要があり,これは,
今後の研究課題として考えている。
4 参考文献
[1コ 「九年義務教育全日制小学校教育大綱」中華人民共和国国家教育委員会 制定,人民教育出版社,1992年
[2] 教育研究「数学教育概論』人民教育出版社,1989年
[3]華東市販大学編集部『数学教育」華東市販大学,1995年
[4]教育総研理論フォーラム『学びの原点から見直す一学校5日制と教育課 程』国民教育文化総合研究所,1992年
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日本教職員組合『日本の教育41集』一ツ橋書房,1992年 文部省『小学校学習指導要領』大蔵省印刷局,1989年 岩合一男『算数数学教育学』福村出版,1990年
関沢正躬「わかって楽しい算数教室1−6」岩波書店,1993年
遠山 啓『教師のための数学入門』(数学編)国土社,1960年
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