1 はじめに
文科省の「新指導要領」の実施が迫ってきている。その考え方の基本には「子供たちに 求められる資質・能力とは何かを社会と共有し,連携する『社会に開かれた教育課程』を 重視」とあり,またもう一つに「主体的・対話的で深い学び」がある。(1)
ICT
の発達で学 校現場にも大きな変化が求められており,「生物教育」では従来の講義形式の知識中心授 業からの脱却が重要である。そしてまた,「生命科学」研究の急速な発展がさまざまな問 題を出現させ,この現代社会に生きる一人ひとりのより正しい,冷静な判断,行動のため の「生物教育」が一層必要とされる状況がでてきている。いままでのような学校の中だけ での学習,試験のための学習から,この複雑な社会を生きるために「考える」学習,その ための生物学習はまさしくリベラルアーツとしての学びである。「考える」材料としての 必要最低限の「知識」,広い世界を見すえた多角的な「考え方」,そして何より自ら考えて 行動する「必然」を得るための学びである。今までもこの論集で個別的な側面からさまざまな実践を提示してきたが,改めて現代社 会が突きつける諸問題への対応に対し,生物分野の「一般教養」としての実践授業内容を 考えてみたいと思う。
2 今の教育界の現状・・OECD 調査から
6月に経済協力開発機構OECDの「国際教員指導環境調査 2018 報告書」(2)の調査結果 が発表され,「勤務状況」と「授業内容」に関する問題点が指摘された。ここでは「授業 内容」の一部について,この調査結果を概観する。
一般教養としての「生物教育」に向けて
吉田 修久
なお,この調査は
OECD
加盟国 31 か国,非加盟国 17 か国が参加し,日本では前期中等 教育段階の 196 校で調査を実施し,196 人の校長及び 3,568 人の 教員から有効な回答を得て いる。以下のデータは質問とその結果,日本と世界の比率を比較した。※ これらのデータは,教員の回答に基づいており,毎週の時間割から無作為に選択され た,現在指導している学級に関するものである。
(指導実践 中学校)
* 明らかな解決法が存在しない課題を提示する
日本:16% 平均:38% (日本小学校:15%)
* 批判的に考える必要がある課題を与える
日本:13% 平均:61% (日本小学校:12%)
* 新しい知識が役立つことを示すため,日常生活や仕事での問題を引き合いに出す 日本:54% 平均:77% (日本小学校:56%)
* 完成までに少なくとも一週間を必要とする課題を生徒に与える 日本:11% 平均:31% (日本小学校:10%)
* 生徒に課題や学級での活動に
ICT(情報通信技術)を活用させる
日本:18% 平均:51%
(日本小学校:24%)これらの数字だけを見てみると,新指導要領の「主体的・対話的で深い学び」の視点か ら,現在の授業実践はかなり厳しい結果である。「主体的」に考えたり,「社会に開かれた」
ことを意識した授業改善がより求められるであろう。
「解決法が存在しない課題」や「批判的に考える必要のある課題」とは一体どのような 課題なのか,それぞれの国ではどんな科目で,どんな課題が与えられたのか是非知りたい ところである。その一例であるが,以前にこの論集(3)でフィンランドの教科書(4)を紹介 したが,それを見るとさまざまな項目において,この課題に対応するような質問がなされ ている。日本の中学校段階の生徒たちに対して,かなり突っ込んだ課題,問いかけがなさ れており,以下にその一部を紹介する。これらは「細胞」と「生殖」の単元の最後に「練 習問題」として掲載されているものである。
* 臓器移植についてあなたはどう考えるか?
・臓器提供意思表示カードがない場合,死者の近親者に臓器提供を決める権利があ るか?
・臓器移植を必要としている人の数は提供される臓器よりも多い。誰に臓器を提供 するかを考えるときに,何に留意すべきだろうか。
・もし頭部を丸ごと移植できる可能性があるとしたら,それは許されることだと思 うか?
* 人の生殖に関し,どれが正しい?どれが間違っている?次の質問に対するあなた の見解を述べ,議論しなさい。
・中絶が許される状況とはどんなときだと思うか?
・結婚をするとき,少女は処女でなければならず,少年は未経験でなければならな いか?
・ホモセクシャルの人どうしの結婚を許可すべきか?
・子どものいないカップルは体外受精の助けを借りることができるか?
・二人のあいだのセックスにおいて,「責任と信頼」とは何を意味するのか,議論 しなさい。
このフィンランドの例はかなり先進的な教科書,課題だと思われる。歴史と文化の違い もあるであろうが,今の日本の社会でも直面するような問題でもあり,日本の教育界にお いても,やはりなんらかのこのような対応が必要であろう。
3 これからの社会に求められる「生物教育」
このように考えてくると,ではこれからの生物の授業のあり方をどうしたらよいのであ ろうか。近年,急速な科学技術の進歩により,社会が大きく変わろうとしている。
AI技術,
ロボットに関わる技術の進歩も目を見張るものがあり,またビックデータの利用でさまざ まなより詳細な解析やその応用などが盛んである。そしてそれらとともに生命科学分野で のさまざまな研究,技術開発の発展が,医療や出生など私たちの「命」そして「死」にか かわる部分に急速な変化をもたらしている。それは素晴らしい医療技術の進歩でもあるが,
命のはじまるところに,また命の終わるところにも複雑で難しい問題を生じせしめてい
る。「生殖補助医療技術」の発展で,体外受精はもとより「借り腹」「精子・卵バンク」な どもあり,これらが難しい親子関係も生じさせている。また,「新型出生前診断」や「着 床前診断」もより安全にできるようになり,そのその結果によっては望まれない命をどう するのかという問題が発生し,障がい者との共生と差別の問題へとつながってくる。
DNA解析技術の進展やヒトゲノムの解明なども進み,個々人の遺伝子診断も簡単に行 えるようになってきた。遺伝子診断では自分自身の未来予測にどう対処するのかなども突 きつけられる。ゲノム編集などの遺伝子改変技術では,どこまでが医療として許されるの か。それは個人的な嗜好での身体の改変・増強というエンハンスメントやデザイナーべー ビーにもつながってしまわないのか。そして私たちの生の最後では,その「終末医療」を どうすべきなのか。「延命治療」の中止や,「尊厳死」「看取り」といった問題もある。そ して,世界中の人々が,また私たちの子孫が幸せに,真に豊かに生きるために,今ある世 界の環境や資源をどう利用していくべきなのかも考えていかなければならない。エネル ギー問題や環境破壊なども喫緊の問題が山積みである。
これらはすべて生物の授業にも関係する話題で,私たちがこのさまざまな問題に直面し た際には,どうしても考えるベースとしてある程度の小中高等学校での学びが必要であろ う。今までのように単なる学校での学習という枠内にとどめず,これからの時代を生きる 若い人たちが身につけるべき重要な一般教養となってきている。
4 現在の高校「生物基礎」をもとにした,各項目内容の検討
いままでこの論集でも,さまざまな授業実践の記録や試案を提示してきた。「主体的に 考える」ことを念頭に,「科学」や「観察」などの項目をしっかりと入れ,そして「社会 に開かれた」かたちにするための授業試案である。新指導要領のもと新しい教科書が具体 的にどのような内容になるのかは不明であるが,文科省の「新指導要領の解説」を踏まえ ると,「生物基礎」「生物」で扱う項目には大きな変化はないようである。そこで残念なが ら教科書の内容・項目に変化が求められないとしても,今の社会を反映し,そこに生ずる 諸問題への対応ができる生徒の育成を念頭に置いて,授業の試案を考えてみたい。ここで は多くの生徒たちが選択するであろう「生物基礎」教科書内容への私なりの追加も含めて,
改めて今までの論集に提示した試案に付け加えた形で提示する。
「生物基礎」の項目の流れを示すと,以下のようになる。とりあえずこの項目にそって
いくつかの提案をしていく。
(1) 探求活動 (2) 生物の特徴
(3) 遺伝子とそのはたらき (4) 体内環境の維持 (5) 生物の多様性と生態系
(1) 探求活動
ここは常に教科書の最初にある部分で,「探求活動の進め方」や「顕微鏡の使い方」な どである。しかし,多くの学校,先生方は概ね省略するところでもある。しかし,「科学 とは何か」を考えさせたり,その内容を伝えることができるのはこの部分である。「科学 的なものの見方」を身につけさせるのが「理科教育」の目標とされるが,もっとしっかり と扱うべきではないだろうか。科学を論ずることはなかなか難しいことであるが,ここで は科学が「本当のことを明らかにする学問」で「本当のこととは誰もが認めること」,そ のためには「再現性」が重要であることなどが骨子となる。この部分の授業での展開例に ついては論集第 35 号(5)で詳細を述べた。STAP細胞の騒ぎで,さまざまなマスメディア でこの「再現性」が取り上げられたので社会的にもやや理解が深まったかも知れない。ま た,科学研究は「反証可能性」を常に保ち,ある研究の結果を十分に吟味し,そして追実 験がなされることがより「確かな」ものにつながっていくための条件である。しかし,こ のところの社会ではさまざまな健康関連の医薬品,化粧品,サプリなどの効能が科学をま とって流布されることがとても多い。正規の医薬品など厚生労働省の認可が必要なもので は,ある程度の検証,チェックがなされるであろうが,それ以外になると怪しげなものも 少なくない。消費者庁,消費生活センターなどでもそれらをチェックし,場合によっては
「改善勧告」を出す場合もあるが,それをすり抜けるものも社会にあふれている。ある研 究が企業といっしょになると莫大な利益を生むので,慎重な検証などなしに宣伝文句で
「…研究室での実験結果です」などと書かれると,あたかも科学的に実証されたものと思 わされてしまう。化粧品関係や食品として扱われる製品,殺虫剤その他で,かなり大手の 薬品会社のものでもその効果が疑問視され,改善勧告が出されたものもある。
その他,SNSの発達でさまざまな情報が発信され,それもまた「フェイク」であるこ
とも少なくない。このような情報過多な社会状況の中で,だまされることなく「本当の事」
に近づくには,常に多様な情報を担保することが重要であろう。OECD調査にある「解 決法が存在しない課題」や「批判的に考える必要がある課題」などにもつなげ,状況にな がされず「主体的に考える」ことを促したいものである。そんなことも是非この部分でも 取り上げたい。
(2)生物の特徴
生物教科書の導入部分で,生物の全体像を把握するような部分である。おおむね生物の
「共通性」と「多様性」に言及する。ここもどちらかというと授業では,後で詳しく説明 されるからとカットされやすいところである。しかし,この項目は「生徒主体に考えさせ る」のにとても適した項目である。誰でもが単なる知識ではなく,素朴にもっている実感 などをもとに考えることができる。「なにをもって生物と無生物を区別しているか」「生物 をあげて,特徴で分類してみよう」などなど,どんな生徒でも答えうる質問がいろいろで きるところで,そこから生き物と科学を考えさせることもできる。また,「生物基礎」で は「細胞」や「生命活動とエネルギー」という項目もここに入っている。細胞を構成する 物質については,小学校から簡単には学ぶものの,しっかりと学べるのは高校の科目「生 物」にならないとできない。しかし,細胞構成物質の主要な一つであるタンパク質は,後 の「DNA」「遺伝子」などの基礎として重要である。せめて 20 種のアミノ酸が多数つながっ て,多種多様なタンパク質になることなどは押さえたい。そしてこの部分では改めて,生 き物の体をつくり,生きるためのエネルギー源としての「有機物」をしっかりと学ばせた い。「代謝」に関わる化学反応に伴うエネルギーの出入りは,物理,化学,生物という科 目を横断し,「エネルギー」や「化学反応」を単に各教科の単語にとどまらせず,生命現 象の総合的理解を促すことのできる大切な部分である。無機物からの有機物の合成(光合 成),そしてその逆の分解(呼吸)を通じて,「食べること」「息すること」の生物にとっ ての意味を理解することになる。これに関しては,論集 45 号(6)を参照して欲しい。ここ をしっかりと押さえれば,大きくは地球規模の生態系の理解にもつながってくる。
(3) 遺伝子とそのはたらき
かつて私の高校時代の教科書には,DNAはまだ研究途中のものとして紹介され,教科 書には「遺伝子の本体」という項目で 1 ページのみの記載であった。以下は当時の「生物」
教科書(7)の記載である。「近年,核酸および微生物の遺伝に関する研究が著しく進歩して きた結果,遺伝子の本体は,デオキシリボ核酸(DNA)であろうと考えられてきた。 ・・・ 生物をつくる種々の形質の情報は,それぞれ,DNAの化学構造のわずかな差異として記 録されていると考えられている。」それから 50 年たった今,高等学校の「生物基礎」教科 書(8)では,DNA関連の説明で 40 ページほどがさかれている。そして,かつて遺伝の中心 であった「メンデル」は高校教科書ではほぼ記載はなく,あっても欄外での紹介になって いる。中学では学習しているが,「一遺伝子雑種」で「分離の法則」のみが説明される。
このメンデルの部分は遺伝をわかりやすく説明でき生徒の関心も高い。「メンデルの法則」
はわかりやすいが誤解も促しやすいということがあるのかも知れないが,遺伝現象解明の 重要な部分でもあり,科学として実験そして数学的手法を取り入れるというところを含 め,もう一度復活させて欲しい部分である。かえって「生物基礎」では,DNA部分をこ こまで詳しくしなくてもよいのではないだろうかとも思える。DNAを縮小しメンデルを 復活させて,科学的な考え方を生徒たちに議論させることもできる部分である。ここに関 しては,後述の「実践授業」でその展開例を紹介したい。
そしてもうひとつこの部分で扱いたいのが「発生」である。小学校や中学校でも,細胞 分裂の流れから,メダカなどの発生やヒトの発生までも現象としては扱っているが,受精 卵からの発生については「発展」部分で簡単に言及しているだけである。いまの社会では
iPS
細胞はもちろん,幹細胞や人工臓器の作成などの新聞記事もよく目にする。しかし,これらを扱う発生初期の段階の重要な部分は科目「生物」にならないと出てこない。「生 物基礎」で「ウニ,カエルの発生」や「発生のしくみ」などは含まないまでも,受精卵か らの発生初期の過程だけは扱いたい。この部分は幹細胞や万能細胞とは何か,また「命の はじまるとき」に関わる問題にもつながるところで,ぜひ一般教養の一つとして押さえた いところである。これに関しても,その展開例を後掲する。
(4) 体内環境の維持
この部分は「血液循環」や「自律神経系と内分泌系による調節」そして「免疫」と,ペー ジも多く割かれ生徒の興味も引くところである。自分自身の体のことなので,さまざまな 質問をしながらの授業展開もやりやすい。しかし「脳」については,中学では「感覚と運 動のしくみ」で中枢神経と末梢神経がでて,脳の働きは「発展」として軽く説明されてい るのみ,そして高校の「生物基礎」では「体内環境の維持」部分の「神経系」で簡単に触
れられているだけである。結局,「脳」自体はその後科目「生物」でようやく詳しく説明 されることになる。しかし,私としては「中枢神経としての脳」をもっと積極的に扱って 欲しいと思っている。特に命終わるところとしての「死」に関わる部分だからである。日 本における超高齢社会,そして高度な医療の発達で,さまざまな終末=死に関しての問題 が存在する。教育界では,この「死」に関するものはやはり避けられてきたように思う。
しかし,誰もが自分自身に,また身内にいつか訪れる死である。従来,懸命な医療行為と ともにほとんど医者に任せられていた死は,これからは私たち自身が考え,決断しなけれ ばならない問題にもなってきている。「脳死」と「植物状態」,「尊厳死」や「看取り」,そ して末期の方の胃ろうや点滴,人工心肺などをどうするのかなかなか難しい問題である。
本人の意思や身内の考えで,何らかの決断をしなければならない場面に遭遇することが誰 にでもあり得る。そのときに考える基礎になるのもやはり生物授業の知識であろう。倫理 的に社会分野で扱ってもよいものでもあると思うが,この生物授業で扱うことも意味ある ことであろう。
(5) 生物の多様性と生態系
この分野は地球規模の環境問題,特に「地球温暖化」や,いまや大きな問題として取り 上げられている「プラゴミ問題」など,私たちの生活のあり方自体がその元凶となってい る問題にからみ,一人ひとりの実質的な取り組みに対する学びが求められる部分である。
小学校からさまざまな形で取り上げられていて,「自然を大切に」といったフレーズはよ く浸透している。しかし,本質的な解決に向けては,やはり「生態系」という考え方をしっ かりと学んで欲しいところである。最近のニュースで,「わかめの養殖が,二酸化炭素を 吸収するため地球温暖化防止にも寄与する」といった解説がなされていた。成長期のわか めや森林では短い時間的スパンの中で,確かに空気中の二酸化炭素が吸収されて有機物と して固定されるため温暖化防止に寄与する。しかし,結局は分解されて再度大気中に放出 されるので本質的な解決では決してない。エネルギー問題とからめて,私たちの生活自体 を考え直さねばならない問題である。自然は豊かであるが小さい国土の日本では,明治以 降その急速な経済発展のため,さまざまな悲惨な公害,環境問題がくり返し起こされてき た。「足尾銅山の鉱毒問題」や「水俣病」に象徴される多岐にわたる公害問題では,国全 体の経済発展のために,被害者の切り捨てということがくり返された。現在でも,国内で 発生するゴミなどの廃棄物が途上国へと送られているが,これも同様な構図であろう。こ
れは社会科で扱うの問題でもあるが,他教科とタイアップしての授業や討論なども可能で あるし,そうした実践もまた重要である。
5 「主体的に考える」ための授業試案
今の社会に開かれ,かつ主体的に学ぶ「一般教養」としての授業展開について,私の考 えを述べてきた。その具体的な授業展開については,これまでの論集にまとめてきたもの を参照してほしいが,ここではそこになかった項目について新たな提案をしたい。
この部分は「教員免許更新講習」で利用した資料に加筆したものである。そのため文章 は「です,ます調」で書かれている。
(1) 「メンデルの実験」にまつわる授業試案
メンデルの素晴らしさは,それまでなんとなく親と子は似るとか,動植物の品種改良な どでの経験則を,しっかりと実験で示してその法則性を明らかにしたことです。それは決 して錬金術のような秘技ではなく,誰にでも再現して見せることもできるというものでし た。メンデルは親から子へと渡され,それが子の姿に反映されるのは「element(要素)」,
今でいう「遺伝子」によるためで,それは物質としての粒子であろうと予想しました。メ ンデルの「植物雑種に関する実験」の結論部分には次のように書かれています。以下は「メ ンデリズムの基礎」裳華房(9)からの抜粋です。
繁殖のために一つずつの卵細胞と花粉細胞が単一の細胞に合体し,それらが物質吸 収と新細胞の形成によって独立の生物体にまで発達することができるのである。この 発達は,細胞内で生活機能をもちうるような合一を遂げた要素の,物質的な性質とそ れらの配合とを根拠とする確かな法則に従って行われる。
その要素を A や a などの記号で示し,自分の行った実験結果を確率や比といった数学的 手法も取り入れて説明しました。「メンデルの三法則」のうち,いまでも高く評価されて いるのは「分離の法則」で,まだ染色体の存在や減数分裂などもわかってないときに,「生 物は遺伝子を対で持っていて,それが生殖細胞にはわかれて入っていく」ということを予 想したからです。以下の図は有名なメンデルの「一遺伝子雑種」の実験を図示したもので,
教科書によく紹介されるものです。ただこの図では続く質問のことを考えて,単純にその 表現型と分離比だけを示しています。この際に私はよく実物のダイズを持ち込んで説明し ます。普通のダイズは黄色ですが,緑の大豆は「緑豆」として市販されています。
※ F2 の黄と緑は,258 個体の植物が 8023 個の種子をつけ,6022 個が 黄の種子で 2001 個が緑の種子,
ゆえに 3.01:1の分離比を示して いるとしています。
この図を板書し,ここでは親と子が似るのは,親から子へと何かが伝わっているらしい ということと,純系(自家受精させてもずっと同じ形質しかでないもの)という言葉の簡 単な説明とともに,以下のような質問をしていきます。
質問① 純系の黄と緑を掛け合わせると,その子はすべて黄になり,この黄の種子を育て 自家受粉させると,なんと孫世代で黄と緑が出てきます。さて,この実験の結果 からあなたはどんなことがわかりますか?
質問して個別に当てて考えさせるのもよいのですが,けっこう難しいと思われるのでグ ループにして時間を与えて考えさせます。これはペアか数人程度の少人数がよいでしょう。
自分の意見を表明しやすくなり,また他の意見などを批判も含めていろいろ考えられるよ うになるからです。
この質問は高校でやる場合には,中学での知識で答えてしまう生徒もいますが,「小学 生に戻ったつもりで素朴に考えてみよう!」と話します。この実験から私自身が考えたと しても,おそらく以下のようなものではないでしょうか。
* どうも伝わるものに出やすい(強い)ものと,出にくい(弱い)ものがありそう。
* 子は黄だけだが孫に緑がでるので,子のなかで緑がなくなったわけではない。
メンデルはもし伝わるものが液体状のもので混ざったとしたら,その後分かれないだろ うと考え,液体ではなく粒子を考えたとされています。そこでメンデルがやったように黄 を A として,緑を a として考える。A と a がそれぞれの親から運ばれて子で合わさり,子 は Aa になる。その孫に緑 a がでるので,緑は子の中でなくなってはいないはず。伝わり やすい伝わりにくいではなく,両方伝わってそこで強い弱いというのが働くので,強い A
=黄がでる,というように「優性の法則」が導かれます。ここまでは生徒たちも納得がい くだろうと思われます。ちなみに,メンデルの「植物雑種に関する実験」では,この部分 は次のように書かれています。
ほとんど変わることなく雑種に移行し,したがってそれ自身が雑種形成を代表する ような形質を優性,また雑種において潜在性の形質を劣性と呼ぶことにする。
劣性 という表現を選んだのは,このように呼ばれる形質は雑種では引っ込んでい る,いいかえると全く消えているが,しかし後に示すように,その子孫に変わること なく再びあらわれてくるからである。
※ 最近ではこの「劣性」「優性」という言葉は,ある価値観を表してしまっているので,
「潜性」と「顕性」にしようと遺伝子学会が提案しています。先生方もきっと血液型 の授業の中で,「『O 型』が劣っているわけでは,けっしてありませんよ!」という話 をしたこともあるのではないでしょうか。
質問② 親のめしべの卵細胞と,おしべの花粉細胞で,Aや a が子に伝えられて子は Aa をもつようになった。その子の卵細胞や花粉細胞からは Aa が孫にそれぞれ伝わ ることになり,それぞれのAaが自家受粉で出会うことになるので孫は AaAa になります。こう考えると子孫になると,次第にこの要素(遺伝子)が増えてし まいます。さて,どうしよう?
中学では,この遺伝の前に「生殖」で染色体と減数分裂を学んでいます。ここではどう しても中学での知識が出てしまうと思われます。
* 子が Aa をもっているなら,これが孫に伝わる時には分かれて A と a になる?
* ならば,親も A や a ではなく AA や aa と 2 つになっていて,分かれて伝わった?
これはなかなか出にくい答えかも知れませんが,子のAaが,めしべ,おしべの中でバ ラバラにAと a になって伝わるとも考えられる。そして親のもつその要素が 1 個で,子は 2個というのはやはりおかしいと思えれば,メンデルの発想と同じです。ここで 2 個セッ トでもつ要素は,花粉細胞や卵細胞には分かれて入るという「分離の法則」が成立するこ とになります。
A と a は花粉細胞やめしべの卵細胞に入っているので,その存在は分かりませんが,メ ンデルは数多く自家受粉させて孫をつくりました。その際,花粉細胞は A と a の2種類で,
それがつくめしべ側の卵細胞も A と a の2種類です。それぞれがランダムに結合しあうと すると,その時には図のように 4 通りの組み合わせが起こるはずで,その結果は丸としわ がなんと3:1です。前述した実験の結果「258 個体の植物が 8023 個の種子をつけ,
6022 個が黄の種子で 2001 個が緑の種子,ゆえに 3.01:1の分離比であった」と,まっ たく同じ結果が理論的に導かれたわけです。このことに気づいたとき,メンデルは狂喜し たでしょうね。生徒たちにもそんな喜びを味合わせたいものです。この確率に関してはさ まざまな教科書で,ここでやれる実験として,2 枚のコイ
ンを振って,表と裏のでる確率を調べることが紹介されて いて,3:1を導くことができます。この場合,クラス全 員で一人10回以上やったものを合計するのがよいようで す。
さて,メンデルはこの「一遺伝子雑種の実験」をなぜ考えついたのでしょうか? 対立 形質をかけ合わせて見るというところは誰でも思いつきそうですが,その子を自家受精さ せて孫をつくり,その分離比を見るというのはやはり意図的です。実はこのような交雑は さまざまな植物育種の専門家がそれまでもいろいろやっていましたし,なによりメンデル 自身が何を材料として,どのような実験をしたらよいかという予備実験を長い時間かけて やっています。それらを踏まえて,このような実験をすれば,彼の考えている仮説に沿っ た説明ができるはずとしたわけでしょう。このような仮説に基づいた実験の構築は,科学 においてとても大切です。
めしべ A a
おしべ
A AA Aa a Aa aa
(DNA だけではない・・エピジェネティクス)
この後,中学でも高校でも DNA を中心に遺伝が説明され,さまざまな応用技術が紹介 されていきます。「生物基礎」では発展としてクローンなどがでてきます。ただの話題と してのクローンではなく,植物組織の培養での各組織の全能性や,動物の場合にはガード ンの核移植によるクローン作成実験などをぜひ説明していきたいものです。ここでは遺伝 は DNA がすべてではないということを少し紹介します。
「ヒトゲノムの全体解読」や「タンパク質合成機構」,そして「遺伝子組み換え」続いて
「ゲノム編集」など,DNA を中心とした研究は急激に進んでいます。遺伝は DNA がすべ てという安易な思い込みが心配されます。ヒトゲノムで解明された遺伝子とされる塩基配 列は,全 DNA の中のたった2%で,残りの98%はまだその働きがわからないままです。
しかし,近年急速にこの部分の研究が進み,いまや世界中の DNA 関連科学者の注目の的 になっているようです。DNA が遺伝の基本にあることは確かなことだとしても,その発 現のし方にはいろいろあり,まだ研究途中です。その分野を「エピジェネティクス」とい いますが,私は以下のようなエピソード話を挟んで,遺伝を考える難しさを指摘します。
アメリカや中国には,ペットのクローンをつくる会社があります。死んでしまった かわいいペットの細胞からの再生も可能です。しかし,アメリカでの三毛猫のクロー ン作りは失敗してしまいました。つくられた三毛猫は親と模様が似ていなかったので す。ゲノムは親とまったく同じでも,毛色の発現のし方は違ってしまっていたのです。
また,南米では古くからウマとロバを掛け合わせた「ラバ」という雑種が,家畜と して積極的につくられていました。扱いやすさと重い荷物を乗せて山を上り下りする のに都合のよい雑種です。しかし,ただ掛け合わせただけではうまくいきません。必 ず雄のロバと雌のウマの交配をしないとラバは生まれません。雌雄がその逆だとケッ テイという,育てにくく体も小さいものになってしまうそうです。どう掛け合わせし ようが,できる子のゲノムは同じです。しかし卵と精子の DNA 以外の部分の影響が 出てこうなるわけです。このように DNA の塩基配列以外の部分も,遺伝に影響を与 えることがわかってきています。
(2) 発生初期にまつわる授業試案
中学では「生物のふえ方」で,無性生殖と有性生殖を学びます。有性生殖の場合,動物 では卵をつくる雌と精子をつくる雄がいます。そしてこの合体のために,体内受精の動物 では雄と雌の交尾や,体外受精では水の中で卵と精子の合体が行われます。さて,この卵 と精子の合体を受精といいますが,この卵と精子は,他の細胞とは異なるとても重要な特 性を持つことになります。
質問① 体内受精の動物では,交尾したあと雌の体内で卵と精子が出会いますし,体外受 精では水中での出会いが起こります。そのために卵と精子に必要な他の細胞には ない特別な能力,特性が付加されます。さて,この能力,特性とは一体何でしょ う。二つあげて下さい。
なかなか難しい問ですが,ヒントとしては「交尾して精子が雌の体内に入ったとしても,
精子と卵は離れているし,水中でも同様」ということ。そしてもう一つは,受精後に一つ になった受精卵から次第に赤ちゃんの身体を作っていくのですが,この際に「受精卵は親 の身体からは分離されていて,受精卵自身で生き,育っていかなければならない」という ことを示します。動物ならば,エサを食べて消化してエネルギー源にしていくという体,
植物ならば芽や根を出して葉を作り光合成をしていく体を作らなければならないわけで す。
答えは「出会うための運動能力」と「生きるための栄養を自分で取れるようになるまで,
身体をつくって生きるための栄養分」です。この運動能力をつくるために精子には「べん 毛」という推進器の役割を担うしっぽができ,卵には生きて体をつくるための栄養分であ る「卵黄」がたくさん蓄えられます。ここでおもしろいのは,受精のための生殖細胞がこ の両方の能力をもつ生物もいます。この場合,生殖細胞は同形配偶子とよび,有性生殖は するが,それを生み出す親には雌雄の差はない生物ということになります。しかし,大量 の栄養を抱えて運動するとなると,それだけでせっかくの栄養分を消費してしまうことに なってしまいます。そのために身軽で「運動能力」に特化したものと,大量の栄養分はも つが動かない「栄養保持」をするものに分業した結果が,卵と精子,そしてそれらをつく り出す雌と雄になったというわけです。
さて,続いてそのようにしてできた受精卵が次第に赤ちゃんの体になっていくわけです
が,その部分での質問です。
質問② 精子と卵が出会って受精卵ができます。これが有性生殖をする生物の出発点です。
多細胞生物の場合,これが次第に赤ちゃんになるわけですが,そのときに大切な 2つの変化は何でしょうか?
「形が作られていく」という答えに対して,「そのために必要なことを考えて」とアドバ イス。ヒントは「受精卵はたった一つの細胞。それから多細胞生物の体をつくっていくに は?」あたりでしょうか。以下の2つを答えさせたいと思っています。細胞が分裂をくり 返して,数を増やしていくというのは比較的わかりやすいのですが,「その細胞たちはた だの細胞ですね」といったヒントがいるかもしれません。
・細胞数の増大: 細胞数が増えなければ話になりません
・ 分 化 :はじめ何でもない細胞が,次第に特別な働きと形をもつ特殊な細胞 組織,器官に変化していく現象
受精卵から始まって桑実胚から胞胚あたりまでは,それぞれの細胞は何でもない細胞 の集合体です。その後,次第に外胚葉,中胚葉,内胚葉となって形態形成をはじめ,それ ぞれ特殊な分化した細胞・組織・器官となっていきます。形が作られていくことに伴って,
それを構成する細胞自身の働きも特殊なものになっていきます。心臓を形成する細胞群は,
発生初期に何でもない細胞の一つがあるとき「ピクン!」と動きだし,それがどんどん分 裂するとみんな動く細胞の塊になり,心臓が形成されていくというわけです。ヒトの場合 には胚形成初期に胚盤胞という集合体になり,それは内細胞塊と外細胞塊(これは栄養膜 ですが,後に胎盤や羊膜になっていきます)に分かれます。この内細胞塊が将来ヒトの体 をつくる細胞たちで,胚性幹細胞といいどんな細胞にもなれる全能性をもっています。再 生医療で注目されている細胞で,取りだして培養するとさまざまな刺激で何にでもなれる 可能性をもっているので,万能細胞とも呼ばれます。人工臓器をつくるための研究材料と されていましたが,余ったものとはいえヒトの受精卵や胚が使われるので倫理的問題を強 く指摘されました。そのため山中教授は体細胞にいくつかの遺伝子を入れて人工的にこの 万能細胞をつくり iPS 細胞と名づけました。人工多能性幹細胞といいます。これで倫理的 問題をクリアし,人工臓器の研究・実験は飛躍的に発展しました。
ここで気をつけることは,細胞が増殖して行く際には体細胞分裂が起こっているので,
核内の DNA のすべてがコピーされて2つの娘細胞に渡されています。かたちや性質が変 わってきても,体をつくる全細胞の中のDNAは受精卵とまったく同じ,ヒトの体すべて をつくるゲノムを2セット持っていることになります。各部の細胞ではそのゲノム=設計 図の一部,たとえば心臓はそれをつくる 1 枚が使われていることになります。家を建てる ときに全体の設計図をもった現場の大工さんが,それぞれ持ち分の場所で,その部分の設 計図を取りだして造っていくというかんじです。こうしてはじめ 1 個だった細胞は,次第 に数を増やし,なおかつさまざまな形や機能をもった部分を形成していきます。
卵+精子 → 受精卵 → 細胞分裂: 細胞数の増大
→ 胚といわれる時期:形態形成 分化
→ 胎児といわれる時期:一通りの体がつくられ,成長する → 誕生!
多くの生徒が選択するであろう「生物基礎」の一部で,この「発生」初期をある程度学 ぶことは,今の社会での「幹細胞」や「iPS 細胞」,そして「人工臓器」などを理解する ためにも必要な部分だと思います。そして,もう一つ踏みこんで「考えさせる授業」とし て,以下のような質問で簡単なレポートを書いてもらいます。
(レポート課題)
ヒトにおいて,受精卵から出産までの間で,その赤ちゃんの「いのち」はいつから 始まっていると思いますか?その理由も含めて君の考えを書いて下さい。
精子と卵が出会って受精卵がつくられ,そこから細胞分裂を繰り返し,胚,幼生へと発 生していきます。近年の生殖補助医療の急速な発展で,この発生過程の受精卵や胚などを どう扱うかが問題になっています。私たちの「命」をどの段階から認めるかということに つながっているからです。中絶に関して法的には,一定の条件のもと 22 週未満なら可能 です。これ以降は認められていません。その基準は赤ちゃんが母体外でも生存可能という 前提で決められているからです。しかし,今ではそのもっと前の早産でも育てることが可 能になってきました。また,受精卵の冷凍保存などもあり,一体どこの段階で殺してはい けない「命」として扱ったらよいのでしょうか。
前述した「発生」のところで,受精卵→二細胞期…桑実胚→胞胚…幼生…赤ちゃんの流 れを図示し,それを示しながらこの質問をし,A4 半分くらいのミニレポート用紙を配布 して書いてもらいます。この際「生物学的や法的なものでなくてもよい。きみが夫婦で妊 娠がわかったとき,それをいつ自分たちの子どもの『命』と認めるか,その理由も含めて 自分なりの気持ちで書いて下さい」と指示します。また,このようなミニレポートは授業 内で書いてもらうことが基本です。短時間でもその場で懸命に考えてもらうためです。宿 題などにすると,どうしてもいろいろと調べて書くということになりかねません。たとえ 未熟であっても,この授業の中で自分なりに考えてもらいたいからです。
この問には受精卵との答えが多いのですが,「赤ちゃんがお母さんのお腹をけったとき。
自分はここにいると主張しているから」や「夫婦でお腹の赤ちゃんの動きを確認したとき,
子どもは夫婦でつくり育てるものだから」など,なかなか感動的!?な答えもありました。
これは「中絶と命」の問題を考えさせることにつながります。
ここで時間があれば,以下のようなお話をします。知っていそうで知らない,そして
「命」のすごさを感じることのできるエピソードだと思います。
ヒトの出産で,よく母子の絆として「へその緒」が語られます。小学校5年ではや くも「胎盤」と「へその緒」が出てきます。この時はこの言葉だけでよいとしても,
中学または高校ではこの胎盤とへその緒は,前述した胚盤胞の外細胞塊からつくられ ていることに言及して欲しいものです。実はへその緒は赤ちゃんの側からつくられて います。「ねぇ〜お母さん,ぼくに栄養と酸素をくれてちゃんと大きくしてね!」と いうわけです。でもこれを完成させるまでは 自力で自分の体をつくりながら生きてい く訳ですから,それはとてもすごいこ とですね。
へその緒,胎盤を通じて,お母さんから栄養や酸素をもらい,いらない物を排出し てもらっているのですが,決してお母さんの血管と赤ちゃんの血管がつながっている わけではありません。胎盤と子宮壁は接しているだけです。その隔壁の膜を通じて,
さまざまな物質のやりとりをしています。だから血液型の違う子でもお母さんのお腹 にいられる訳です。
もう一つ出産がらみでの話。赤ちゃんはお母さんのおなかの中では,羊水に浮かん でいます。その中で羊水を飲んだりもしています。さて,ここで赤ちゃんはおぼれな いのでしょうか。羊水は胃には入りますが,肺にはいきません。肺は空気を入れる袋 なので,この段階ではとても小さくまとめられています。私たちの肺では心臓から大 量の血液が送られますが,胎児ではその必要がないので,同様な大量の血液が送られ ることはなく,大量の血液が肺に行かないようになっています。実は胎児の心臓の構 造は,私たちの心臓とは少々異なっているのです。まず,左右の心房の隔壁には大き な穴(卵円孔)が開いており,血液は右心房から左心房に入ってしまい,その後左心 室から大動脈へと流れます。それでも右心房から右心室へ入り,肺動脈へ行ってしまっ た血液は肺に入る手前で肺静脈へのバイパスがあり,そこへも流れることになります。
このような二つの手立てで肺に大量の血液が流れないようになっているのです。
では出産後は?おぎゃーと生まれた瞬間から大量の空気が肺に入り,血液もそこへ 流さなければなりません。この一大事に心臓がしっかりと対応します。まず隔壁の穴 がかなり速やかに閉じていきます。数日でほぼ閉じるそうです。そして肺動脈,肺静 脈をつないでいたバイパスも急激に縮み血液を通さなくなります。すごいとしか言い ようありませんね。そういう大胆な変化を経て,みなさんは生まれてきます。
6 終わりに
現代の高度に発達した医療と超高齢化社会という現状は,さまざまな「命」に関わる問 題を私たちに突きつけている。その問題場面でよりよい判断するためには,やはり「一般 教養」としての生物の学習が必要である。しかし,高校での生徒たちの選択のしかたは,「生 物基礎」が中心で,その後必要とする生徒たちが「生物」を選択するようになるのだろう。
そう考えるとここまで述べてきた内容は,このままだと多くの生徒たちには届かないもの になりかねない。このことを強く危惧する。それでも中学校での「理科」の生物分野,高 校の「生物基礎」の項目につけ加える形「発展」のような扱いで,少しの時間でもここで 述べてきたものを授業展開することは可能であろう。
今年の神奈川大学における「教員免許更新講習」では,そのあたりを考えて参加された 先生方にこの一部を紹介した。かつてよく言われた「『教科書を教える』のではなく,『教
科書で教える』」のだとしたら,いかようにも工夫はできるであろう。
現場の先生方の多忙が問題になっている。前述した
OECD
の調査でも日本の先生方の 多忙が指摘されている。私自身もそれは経験してきたわけであるが,仕事に追われている 時には,さまざまな新しい授業案を考える余裕などなかったように思う。また,教科書を 終えることに縛られたり,複数教員での統一問題を課されたり,挑戦的な授業などができ にくい状況もあった。この状態のままでは文科省のいう「主体的・対話的な深い学び」や「社会に開かれた授業」など,とてもできるようなものではないだろう。教員自身の主体 性が失われ,学校社会に縛られている状況では,それらは絵空事である。
それでも私自身が少しずつ長年にわたってためてきた授業案をもとにして,このような ものをつくれるようになった。そのもっとも大きな後押しとなったのが,神奈川大学にお ける「基礎生物学」という一般教養の授業である。文系学部の学生も履修するので,どち らかというと「理科の苦手」な学生たち,そして「まあ単位を取れれば…」と考えている 学生たちを相手に,いかに引きつけ,社会での対応を考えさせるかということで,このよ うな授業案を作ってきた。そしてその背景では,私が自分の考えにそって授業を展開でき るというその「自由さ」が大きかったと思っている。今の先生方にはこの現状の中で,な んとか少しでも,この「自由」と「時間」を作り出してほしい。ここをクリアしなければ,
「主体的・対話的な深い学び」や「社会に開かれた授業」はありえない。幸い今年受講さ れた先生方は,講習の最後に課された「模擬授業の公開」の場面で素晴らしい発表をいろ いろと行って見せ,まだ希望はあると思わせてくれた。
「生徒にとって最も大切な教育環境とは,『教師』である」という言葉がある。その言葉 をかみしめ,このような授業試案が少しでも理科教育法を履修している「将来の教員」を 目指す学生たち,そして現場の先生方の一助になることを願っている。
[ 引用・参考文献 ]
(1)
文科省 HP 高等学校指導要領(平成 30 年告示)解説
(2)
国立教育政策研究所 HP TALIS2018 報告書 要約
(3)
神奈川大学 心理・教育研究論集」第 42 号
「社会につながる深い学び」吉田(4)「フィンランド理科教科書 生物編 2014 年版」 鈴木誠監訳 化学同人
(5)
神奈川大学 心理・教育研究論集」第 35 号「科学教育に向けて」吉田
(6)
神奈川大学 心理・教育研究論集」第 45 号「生物授業における呼吸の扱い」吉田
(7)「生物 改訂版」 三省堂 昭和 42 年発行
(8)「改訂 生物基礎」 東京書籍 平成 30 年発行
(9)「メンデリズムの基礎」山下孝介 訳・編 裳華房 昭和 53 年発行